【病と文化(2)】


  • 女性は、七歳になると、腎気が盛んになり、歯が生え変わり、髪が長くなる。
  • 十四歳になると、天癸が充足し、任脈が通り、子種を作るのに必要な衝脈が盛んになり、
    月経が始まる。
  • 二十一歳になると、腎気が体中を巡り、歯が揃い、智歯も生える。
  • 二十八歳になると、筋骨は堅固になり、髪は最もよく伸び、体つきもしっかり豊かになる。
  • 三十五歳になると、陽明の脈が衰え、顔がやつれ始め、髪も抜けるようになる。
  • 四十二歳になると、三陽の上方部が衰え、顔はやつれ、髪も白くなり始める。
  • 四十九歳になると、任脈が虚となり、衝脈は衰弱減少し、天癸は尽き、地道は通じなくなり、
    月経が止まり生殖機能が働かなくなり、子供を授かることができなくなる。
  • 男性は、八歳になると、腎気が充実し、髪が長くなり、歯が生え変わる。
  • 十六歳になると、腎気が盛んになり、天癸が充足し、精気は充足し精液を出し、女性と交わ
    りをもつことが可能となり、子供を作ることができる。
  • 二十四歳になると、腎気が体中を巡り、筋骨はがっしりとし、歯が揃い、智歯も生える。
  • 三十二歳になると、筋骨はいよいよ盛んになり、筋肉が豊かになる。
  • 四十歳になると、腎気は衰え、髪や歯が抜けるようになる。
  • 四十八歳になると、上方部の陽気が衰え、顔はやつれ、髪やひげが白くなり始める。
  • 五十六歳になると、肝気が衰え勃起不能を来たすようになり、天癸は渇し、精気は不足し、
    腎臓は衰え、身体は皆柔軟性を失う。
  • 六十四歳になると、歯や髪はなくなる。

【黄帝内経素問 上古天真論より】

東洋医学の古典である黄帝内経はB.C.202年の前漢時代ころから編纂され始めたとされる。女は7の倍数で、男は8の倍数で推移する生理が記述されている。同時代に成立した論語の「15にして学に志し・・・50にして天命を知る・・・」の文脈に通じるものである。生まれてから死に至るまでの体と機能の変化(成長・老化)は自然現象なのだ。そして人生の旅に生起する健康や病の背後には死が厳然と横たわる。人、一人、生きることの重荷や喜びは死や死ぬことを前提として成り立つものだ。死は健康や人生に関わる大きな課題ではあるが、絶えず意識しながら生きているわけではなく、喜怒哀楽や生活に埋もれ意識に上ることは少ない。ひとたび病に罹ると俄かに死が意識され不安に怯えるが、病の治癒とともに死の淵から生還したような喜びを覚える。

新生児死亡率の減少や感染症、環境衛生の改善で平均寿命は80に届くものとなった。平均寿命50歳の時代と比べると夢のようだが、50年前にやっと50代の壁をクリアしたくらいで、古い昔の話ではない。どのような時代にも長寿の人が居るには居たが、この50年で確実に長寿者は増え続けている。戦後間もない昭和25(1950)年、75歳以上が107万人(総人口8400万人)に対し、平成12(2000)年、909万人(総人口12700万人)と数の上で9倍に増加し、長寿社会の到来を物語る。死亡統計を見ると、ここ50年で結核は激減し、ガンや心・脳血管疾患が増加、逆転した。一様ではないが、ガンは疲れた細胞が変異、増殖し、循環器疾患は老化した血管が詰まったり破れたりと、何れも老化に関わる疾患に他ならない。これらの疾患は克服するにも限界があり、それゆえ死因の6割を占める状況にある。結核に罹患し、未来を閉ざされ去った人々、またその恐怖におののき過ごした人々、戦時には国のために死を覚悟した人々があった。医療が発達し整備されても不老が叶うことはなく、長寿は得られても死を避けることはできない。病気にはその理由を必要とした。同様に死についても理由と納得が必要である。何かを思う間もない死と異なり、時間が残された死には多くの想念が去来する。安らかさを得るために自らが葛藤を経て答えを用意しなくてはならない。傍目には安らかに見えても、去り行く人の心は誰も窺い知れない。たとえ安らかな境地を得ないとしても、死は誰もに課された孤独な仕事である。

物心がつくと自分は何処から来て、そして何処へ行くのか、という問いかけが始まる。大人に尋ねると「神様が作って、死んだら浄土へ...」と答える。「その神様は誰が作ったのか?」と追求されると、人知の及ぶ限界に突き当たってしまう。神や浄土など無意味とされる現在でも子供には、神様や浄土の話を伝えていることだろう。「焼かれて炭酸カルシウムの破片に..」という科学的な説明はかえって奇異な感じを受ける。また、理詰めで死を理解しようとすると、絶対ギリギリの孤独感にとらわれ、考え続けることを放棄させる。それぞれの民族に語り継がれてきた死の文化はここに生彩を放っことになる。

死から最も遠い時期、つまり若者は死という結末へ向かう虚無感に絶望することがある。少しづつ歳を重ね生きることに慣れてくると、いつの間にか永遠の命が与えられたように思い込む。しばしば見かける若者の無謀な行為は、死を恐れないことより、永遠の命があるという錯覚に基づくものかも知れない。死を終わりとするのは常識的であるが、来世や復活を信じる人々や民族も多数存在し、一部の代替医療や宗教の中にはパラレルワールドや来世を肯定し、現世が終わりでないことを主張するものがある。それによって安らかなうちに死を迎えうるなら、それはそれで幸いなことであるが、全ての人に有効とはいえない。現代のように情報や知識が増えると、信じることより疑うことが多くなってしまう。しかし、来世があるという死生観も決して悪いものではない。我々は死と死後のことを葬式という儀礼を通して学んできた。あの世の存在は確かではないが、あるかもしれないという一抹の期待は死を前に大きな救いになるだろう。儀式や民話には死は全き終わりではなく、終わったところから始まる世界が描かれる。死を聖なるものとし、死者に鞭打つ言動は戒められ、不可侵のものと看做して崇拝する。心理学的には自己の内に潜む畏怖や全能感を死者や先祖に投影するのだと解釈するかも知れない。死後の処置から納棺、葬儀、火葬をあわただしく終え、7日毎に供養を行う。四十九日で浄土へ達した後、一周忌を経て50回忌、稀には100回忌までも故人を偲ぶ。日本文化を義理、人情、恥の文化と評することがある。死と死者を通して形成された文化ゆえ死を畏怖し、死者を慈しみ「先人に申し訳ない」「先祖様にみっともない」などの表現で自らの言動を律し、後進を導いてきた。豊かになり精神文化への思いも薄れ、死の看取りや死者の弔いも病院や業者任せになった。その時代が要求する価値観に従い流れに沿うほうが快適なのだ。

現在のように娯楽文化が蔓延すると、不安や不快を排除する傾向が顕著になってくる。雑菌から体を守る、環境から体を守る、農薬や添加物から体を守る、ストレスから心を守る...排除することで完成させた無菌室で丈夫な体や心を維持できるだろうか。子供も大人もゲームやスポーツなど刹那の快楽に興じ不快に対する耐性を失いつつある。戦い、リベンジ、対決、、刺客...とスポーツやゲーム、政治や日常生活に戦闘用語が飛び交い闘争心を鼓舞させ、短絡的にストレスを発散させる。次第に劇場性のあるものが好まれるようになり、不快で自分の意に沿わないものであれば権力や武力や経済力で報復し、ねじ伏せても構わないという考えが受け入れられやすくなる。杞憂ならばよいが、このような風潮が広がるのは危険なことではないか。スポーツファンは試合に勝っても暴徒化し、負けても暴徒化し、敗者への思いやりもなく狂喜乱舞する。政治家は異なる意見を圧殺し執拗なまでに追い詰める。成金経営者は金さえあればと株を買い占める。心の優しさや思いやりに欠ける世の中は住みにくいものだ。娯楽化した文化は退廃へと向かうのか起死回生の一手があるのか今は解らないが、義理や人情という言葉が廃れないことを祈り続けたい。

快楽傾向が蔓延すればするほど、不快も炙り出されてくる。古い時代とは異なる価値観を担って死が語り始められる。医療現場ではガンの告知や臓器移殖を通して死と向き合うことになった。死を目前にして生の意味や価値を問いかけて、実りある解答が得られるだろうか。むしろ「紛らわす」ことでこそ得るものが大きいのではないか。健康な時こそ、若い時こそ、死を見つめ今が貴重な時であることを知るべきだ。という、麗しい人生論はどこか嘘を感じさせる。しかし、自分も親しい人々も限りある命であることを知り、別離の来ることを育む文化は意義深い。苦しみもがいた末の死、穏やかで眠るような死、突然の死、死の状況も様々なものがある。昔、自宅にあった臨終の場は医療機関へと移行し、死を看取る状況も大きく変ってしまった。私事になるが、昨年父を見送ったとき、初めて臨終の場に立ち会うことになった。息も絶え絶え、ときにうめき声を発しては大きく息を吸い、またその繰り返しが続く。医師が瞳孔を診て、時を告げたときもまだかすかな呼吸が残っているようで、納得するまでには小一時間を要した。死が明らかな境界を持つものではないことを知り、死の状況を体験することで未知の不安は薄れ、自分もこうして見送られるであろうことを実感する。

心停止、呼吸停止、瞳孔散大という従来の死の判定基準に、新たに脳死が加わった。まだ心臓が動き、呼吸もし、体温のある人に下す「死の判定」は医学的な死に他ならない。人は医学のみで健康や生や死を語るものではない。近年、いろいろな施設でドナーカードが用意され「優しさ・思いやり」に訴え移殖医療が静かに浸透しつつある。意図不明だが「提供しない意志を表示するのも大切」と、このカードを持つことを進める動きもある。死から縁遠い若者や健康な人が健康なときに示す優しさは理解できるが、死に直面したとき、自分の周囲で医師や家族がどのように動き考えるのか熟考のうえであるべきだ。臨終の場に居合わせ、死の実相を肌で感じることを体験してからでも遅くはない。

民間療法や宗教は脈々と受け継がれ、科学技術を謳歌する時代でさえ衰退することがなく、反って隆盛を誇る。先人が営んできた精神文化は頑迷なまでに心に灯り続ける。「先人の御霊に祈る」という政治家の思惑にさえ賛否が行き交い、死者は人々の中で輝きを失わない。文化はまさに現在進行中の生き物なのだ。「習俗」や「伝統」として伝えられる形や心のなかに静かに確かに流れ続けるのである。伝統や文化を起源とする代替医療や宗教は、身体の治療とともに不安との葛藤を経て心の安らかさを模索する。ここに一定の必要性や有効性が認められるものの、治療家の主張ほど大きなものではない。「紛らわす」「誤魔化す」「気をそらす」...これらの役割を果たせるだけでも貴重である。現代医療の反証として、また補完的存在として広がりを見せる代替医療ではあるが、なかには利益主義に走り、神秘主義に傾倒するものが少なくない。現代医療を批判し、勢力を拡大する前に自らの襟をただし、癒しの文化に恥じない「心」をこそ踏襲するべきではないか。

50年前の日本人は貧しいものだった。農村、山村、漁村という集落の民が累々と培ってきた文化が大きく変動したのもこの50年である。隣人や近親者が世話をし世話をされることで健康や死の意味を感じ取り、行く先を想像した。死は生を受けた者すべてがいずれは課される仕事である。避けることのできない死が迫ったとき、二度とここに戻れないことを嘆き悲しむかも知れない。しかし、先人がしてきたように、まだ旅の続く隣人や家族を気遣いながら去りゆくであろう。あの世で知人や肉親に会えないと限られたわけではないし、待てばやがて子供や孫たちとも会えるだろうという希望は死を安らかにする。

 

BACK