まんぼうタンバリン1個目エピソード

第1章:狂喜の舞踏会
それは忘れもしない4月17日の夜。「井上喜久子の月刊お姉ちゃんといっしょ」5月号を聴いている時でした。10トラック目になって喜久子さんが前回の4月号でのしりとりの大変さを語りながらハガキを引き抜きました。「福岡県にお住いのペンネームがダイナ…ポン君ですね。どうもありがとう。」僕はその言葉を聞き終わった時、ハッと気付きました。何故か踊っていたのです。どういう踊りか忘れちゃいましたけど(思い出しても話す気もないし)。

第2章:忘却の彼方からの帰還

まんぼうタンバリン(長女) しかし、僕はどういうことをお題に書いたのかすっかり忘れてました。すると、「しりとりの方が…算盤塾…どうもありがとうね。」と喜久子さんが絶妙のタイミングで話しかけてきた(決して僕に話しかけたわけじゃないが…)のですが、今度は本ネタが何だったのか気になりました。僕は今までのハガキの内容を全部ワープロに記録していますが、一つだけしりとりのお題を忘れてしまったものがありました。それは、3月7日(卒業研究発表の翌日)に出した「友達にポーリンとウェンデにゃんの区別を納得いくように教えるにはどうすればいいか?」という内容のハガキでした(↓)。

第3章:喜久子さんの過去の傷痕

ハガキ! 話が横道にそれてしまったので本題に戻ると、喜久子さんはすぐに次の言葉にいかずに算盤塾での思い出を語るという思いもよらぬ展開を見せて(聴かせて)くれました。僕は喜久子さんが算盤塾に通ってたと聞いてびっくりしましたが、喜久子さんが算盤無級だと知って安心(?)しました。だって九九ができない喜久子さんが、算盤を鮮やかな手つきでパチパチ弾くのって想像もできませんからねぇ。喜久子さんは結局1トラック使って算盤塾の話をしてくれたけど、偶然とはいえ喜久子さんに辛い(?)ことを思い出させてしまって本当にすいませんでした。それからその後に続く「栗」で京都の″いっぱんでもにんじん″さんもタンバリンを貰えることになりました。よかったですね。最後に…僕は算盤は出来ません。算盤塾行ってなかったし… それに公文に行ってたし…

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