喜久子さん年賀状エピソード1997
第1章:年越しの愚連隊
1997年1月1日の前日、僕は友達の誘いで、友達と友達の友達と除夜の鐘を撞きに行きました。鐘を撞き終わり、12時を回ると早速熊野神社で初詣をするという健全な(?)年越しをしました。友達の友達も、集まって来だしたので僕は、彼らに用意してあった年賀状配りました。その年賀状にはいろいろな声優の偽造サインを書いてました。友達には納谷六朗さんのサインを入れるというマニアック振りを見せてやり、斎藤一はやっぱり納谷さんだということをアピールすべく、悪・即・斬と書き足しました。そんなこんなで僕は、タカラカンチューハイ・スウィーティーを飲み、暫くして彼らに別れを告げました。
第2章:奇跡再び!
僕は家に帰ってすぐに寝ましたが、朝起きてから(10時)年賀状は来てないかすぐに郵便受けを調べましたが空っぽでした。正午近くになってやっとガタンと郵便受けから音がしたので、母が取りに行きました。僕はひったくるように年賀状を取ると、他には目もくれず喜久子さんの年賀状を探しました。年賀状は割とすぐ見つかり、僕はしばらくそれを眺めていました。去年は全くの予想外で嬉しかったけど、今年は喜久子さんが写ってるし、元旦に届いたしで、やっぱり去年と同じく嬉しかったです。年賀状は去年の時とは違い画用紙のような紙で、ハガキの表側も消印が押してある部分がまんぼうのマークになっていて、なかなか凝ってました。裏には「お姉ちゃんといっしょ1月号」と同じ晴れ着姿の喜久子さんが全身写っていて、手にはお団子を持っていました。右側には印刷でのメッセージ、左側には「いつも応援して下さり本当に、ありがとうございます」という直筆メッセージとサイン(縦式)、そしてまんぼうの絵が描いてありました。僕は年賀状を写真立ての表に差し入れました。というわけで、今は同じ写真立てに年賀状が2枚入ってます。うーむ、グレイト。
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