プログラマー講演会レポート


1997年5月23日午後5時、新入生歓迎行事の一環としてアニ研主催の「プログラマー講演会」を行いました。ゲストは「バーチャファイター」シリーズ全てに関わり、3ではメインプログラマーを務めたセガAM2研の加来徹也さんと、プレイステーションで発売された恋愛シミュレーションゲーム「Noёl」のプログラマーの相馬豊さんでした。

加来さんサイン色紙 とにかく、準備が大変でした。前日は、パンフを刷ったりして、もうてんやわんやでした。当日、昼休みに会場の500人講義室に機材などを運び、僕は実験終了後の4時に楽屋へと向かいました。加来さんと相馬さんは、司会の島田さんと責任者の竹原さんが自分の研究室から連れて来たお茶汲みのお姉さんと話をしていました。お姉さんは加来さんに「(とんねるずの)憲さんがデザインしたキャラクターは本当に使うんですか?」と、いきなしボケをかましてくれました。僕も負けじと、加来さんにラウが本当にモデルが桃白白かどうかを確かめると、「どどん波とかも出したんですか?」との問いにはYesと答えてくれました。実際に試作ではどどん波を出していたとは知らなかったので驚きました。実は加来さんは國府田マリ子、相馬さんは椎名へきるのファンで、楽屋にはCDラジカセと二人のCDも置いてあったのですが、僕は「どっちをかけても片方が楽しめない。一体どうすれば…」と考えた結果、間をとって(?)僕が持ち込んでいた「井上喜久子クラシック」をかけました。このナイスアイディアは、予め言うと台無しになる(単に周りからやめろと言われるだけ)ので実行に移すまで秘密だったのですが、お2人は別に何の反応も示しませんでした。そのうち開演の時間が近づき、前説担当の僕は、秘密兵器を持ってステージへと向かったのでした…

200人以上のお客の前で挨拶と諸注意を終えると、僕は小脇に挟んでいた秘密兵器の祝電を取り出して読み上げました。「激励・加来様、相馬様この度は…(中略)…おめでとうございます。お2人の國府田マリ子VS椎名へきるの熱い舌戦を羽田の空の下より期待しています。」と、大体こんな内容でした。差出人は、AM2研の同僚の方でした。でもって、そのヒト、桜井智MLの人だったんだよね。僕はステージから引っ込み、楽屋での加来さんの反応を見ると加来さんは「やられた〜」という表情をしていました。僕は、5時10分〜20分の間の会場外の見回りのために一旦外に出ました。

相馬さんサイン色紙 見回りを終えて、30分ぐらいになって質問コーナーになりました。質問はセガとバンダイの合併について(この時にはまだ合併中止が決まってなかった)どう思うか、プログラマーの給料、最新作について、サターン版のVFにも加来さんは関わっているのか、とかがありました。セガ・バンダイ合併(当時はまだ合併中止じゃなかったのだ)は、加来さん自身、その日の3時ぐらいにやっと知ったそうで、他にはネットの新聞記事で初めて知ったり、外部の人間からの連絡で知ったり、かなり上層部の人でも知らなかったそうです。加来さんは、やはり「とにかくあの名前だけは何とかしてもらいたい。」と言ってました。相馬さんは給料について話してくれ、酷い時には4つ仕事をやって5万しか貰わなかった(会社の倒産などがあった)そうで、逆に多い時はやっぱり「Noёl」の時で何と2500万円も貰ったそうです。後半戦に入り、話はますます面白くなってきました。相馬さんはサターンを代表する某ギャルゲーの仕事もやったらしいのですが、絵描きから上がってきた絵が完成品ではなくラフだったりと仕事上のトラブルを話してくれたり、加来さんは、初めて組んだ必殺技のプログラムで、相手のダメージが20000で300メートルも飛んでいくものを組んでしまった失敗談や他にも、プログラマーになるために何をすべきか、などを話してくれました。中でも笑ったのが、ウルフの熱烈なファンで「ウルフの本当の技表(じゃあ、今あるものはニセモノなのか(笑))」なるものを送ってきたファンがいたことです。そこにはプロレス技がギッシリと書いてあり、「本当は(だから何が本当なのか?)この技はこのくらいのダメージだけど、これくらいでガマンします」とか「サラがこのプロレス技を使うのはおかしい」などと、どういう理論で書いてるのか分からない指摘が他にも沢山あったそうです。最後にも質問コーナーがありましたが、内容は忘れちゃいました。その時撮ったビデオを見ればわかるけど… 質問者には加来さんがセガから持って来たTシャツとか本とかビデオが渡されました。それでも余ったようで、会場でジャンケンして賞品を分けていました。こうして、「プログラマー講演会」は幕を下ろしましたが、会場の後片付けの時にTシャツが1枚余ったので僕を含む三人でジャンケンをして、チョキを出し続けた僕が勝ってしまいました。喜久子さんありがとう!(?)

その後、7時半から学校の近くの風来(土+方)という居酒屋で打ち上げを行いました。店内は結構狭く、畳3畳分くらいのスペースに12人ぐらいが無理矢理入るとゆーものでした。講演会中ではボカされたサターンを代表する某ギャルゲーの話も聞けたし、特にお笑いだったのがVFの話ですかねぇ。VF1がひとまず完成したんですが、そのスタッフの中にフランス人の方が一人いたんです。ところが、その人はゲーム完成後にアタリに行ってしまったんですよ。そしてアタリ・ジャガーの新作ソフトの写真を見てVF制作スタッフは驚いたそうです。それは、ほとんどVFのパクリのようなゲームがあったからです。犯人は間違いなくあのフレンチです。スタッフ達は早速「訴訟だ訴訟だ」、とばかりにせっせとそのための資料を集め、「さあ、いつでも訴えられるぞ!」という段階までいったのですが、写真では分からなかったゲーム中のキャラの動きのお粗末さに「こんなんじゃ訴えたこっちの方が恥ずかしい」ということで訴えるのをやめたそうです。どこまで本当か分からないけど… まぁ、僕の友達曰く、「アタリはワシントン条約で保護されてるから仕方ない」ということでしたが…

加来さんの名刺 10時を過ぎて風◯坊を出た僕達は部室で二次会をやるために学校に戻りました。僕は色紙を2枚とマジックをF来坊の時からバッグの中に用意していて、一次会の時には出しそびれていたので今度は責任者の竹原さんに承諾をとって2人にサインをお願いしました。それを見ていた他の部員の人たちはまるで堰を切ったように色紙の代わりに余った宣伝ポスターを持ってサインをせがみました。相馬さんはサイン慣れしてるようでしたが、加来さんはサイン自体も初めてらしかったので楷書で自分の名前を書かれ、とってつけたようにVF3とか、日付を書いたりしてくれました。加来さんからは他にも名刺を貰いました。その後、早速皆で講演会を撮ったビデオを見ました。ビデオに映った自分の姿は、最初の挨拶以外は全くイメージと、かけはなれていました。今度からは挨拶だけにしよう… そんなこんなで夜も更けていき、プログラマー講演会の長い長い一日が終わったのでした。加来さん、相馬さん、お疲れ様!

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