〜着物の染色補正〜 京都仕込みのシミ抜き


着物のシミを落とした後、色落ちした部分に染料を使い色づけ。京都仕込みの技が生きる=西有田町曲川

 午後11時。なじみの客から電話が入る。「あした知人の結婚式だけど、着物のシミに今気づいた。なんとか落として」。1時間後、客に店まで足を運んでもらい、急いで作業に入った。

 「式の当日、着物を着たまま来られたお客さんの依頼で、太ももあたりのシミをその場で落としたこともある」。西松浦郡西有田町で着物専門のシミ抜きを営む長嶺康さん(38)。注文には、タンスの中に眠っていた着物が少なくないという。

 正式には染色補正業。着物の汚れを落とすだけでなく、作業の際に色落ちした生地に再び、染料を使って着色するまでの作業となる。

 長嶺さんは高校卒業後6年間、着物の町京都で修業。県内で数少ない染色補正業の1級技能検定合格者の1人。昨年は、県代表として全国技能グランプリに出場した。

 着物のシミといっても、食べこぼしや泥はね、口紅や首周りの白髪染め、酒をこぼした時の水ジミなどさまざま。汚れによって落とし方にも、当然違いが出てくる。

 直径3センチほどの黄ばみをつかむと、「硬くなっているのは食物性タンパク質の汚れ」と説明。ドライヤーで温めながら、酵素で汚れを分解させる作業に入った。

 長く放置されたシミは、腐食で生地が痛んでいることもあり、細心の注意が求められる。汚れの部分だけ、せっけんと水で軽くふき取ると、黄ばみだけを落とす薬品を使用。しつこい汚れが溶けたかのように消えていた。

■最後の色付け

 だが、京都仕込みの技が生きてくるのはこれから。色落ちした生地の染色に、12色の染料を使い、着物の微妙な色合いを再現。複雑な文様も何本もの絵筆を使い分け、修復する。「最後の色付けで、補正の良しあしは決まる」。長嶺さんはそう言い切る。

「呉服屋さんたちと手を組みながら着物好きを増やしたい」と語る長嶺康さん

 佐世保市にある実家もシミ抜き業を営む。京都の修業仲間でもある兄が後を継ぎ、長嶺さんは5年前に独立。県境を越えた西有田町の国道沿いに店舗を構えた。知人やなじみの客がいるわけでもなく、ゼロからの出発だった。

 修業先の京都と違い、日常生活で着物を着る人はほとんどいない。待ちの姿勢で仕事は来るはずもなく、週2回は佐賀、長崎の両県をまたぎ、飛び込みの営業を展開。広いエリアからの顧客をつかむため、昨年からホームページを開いた。

 「ただ、この仕事は腕に対する信頼がすべて。口コミの客をどれだけ増やせるかが大切なんです」。開店当初、営業でつかんだ仕事が9割ほど占めていたが、持ち込みが徐々に増え、4割までに達したことに手ごたえを感じている。

■着物の医者

シミ抜き前(上)と後。すっかり落ちているのが分かる

 母から子へと受け継がれる着物。年月を経ても変わらない美しさにかかわっていける誇りがこの仕事にはある。

 「結婚式でも成人式でも、着物姿の女性は減っている。呉服屋さんたちと協力して、着物の良さを伝えることにも携わりたい」。着物の医者とも呼ばれる染色補正業者の夢でもある。
(文・日高勉 写真・中島克彦)


=メモ=

〈江戸中期から伝わる職人技〉

 江戸時代中期の享保年間から始まった着物の補正業。当時は京都御所の御用達で、「御手入司(おていれし)」と呼ばれ、馬の尾や柔らかい布で汚れた生地を水ぶきしていた。明治時代になると、海外から化学薬品のシミ抜き剤が入り、技術は飛躍的に向上。色抜きした部分を補うために染色の技術が生まれた。京都で生まれた染色補正の技術は、金沢、東京など広がっていった。今もなお、若い志願者たちが本場京都まで足を運んで店に弟子入りし、腕を磨いている。