逸太郎のひとりごと

大きな声では言えませんが、感じたこと思ったことを書いてみます。



公務員制度
意識と仕事
その他
 
組合と選挙
若手職員の疑問
リース契約 
認印 
 

セキュリティ
合併と住民アンケート
IT講習
空びんリサイクル
ネットのマナー(2)
インターネット普及率
 

セキュリティ (2002/7/31)  
県からメールが送られてきた。
内容は総務省からのメールの転送で、全国自治体のWebサーバ一覧が添付されていた。
このファイルの内容が驚きであった。
全自治体のURLばかりでなく、IPアドレス、さらにはサーバのバージョンまで記されていたのである。
セキュリティを高めるために他自治体のサーバを参考にしろとの趣旨であった。
多少の知識さえあれば集められる情報ではあるが、アタック対象サーバを選んでくれと言わんばかりの内容である。
メールを転送した県に対して、こんなファイルを流してよいのか?と抗議した。
県の担当者は、「国からの指示で転送しただけ」とのことで問題意識など全くない。
話にならないので、こういう意見があったことを国に対して伝えてくれと依頼しておいた。
数日後、また県からのメール。
総務省のメールを県の意見をつけずに全自治体に転送しただけのものであった。
内容は、前回配布したファイルについて、いくつかの団体から意見があったので、都道府県は関係市町村以以外を削除し、市町村はファイル自体を削除するようにとの指示であった。
省庁のホームページがハッカーによって改竄されたのはついこの間のことである。
当時、日本の省庁全体のセキュリティ意識の低さ、危機感の無さが大きく騒がれていた。
それなのに、今回の短絡的な情報提供。
個人情報の保護で問題となっている「住基ネット」の本締め「総務省」がこんな調子である。
こんなセキュリティ感覚では、情報の保護なんて論外である。


合併と住民アンケート (2002/7/31)  
平成16年度末の特例期限を目前にして、合併議論が花盛りである。
住民の意見を反映させる意味から,住民アンケートを実施する自治体が多い。
しかし,合併の必要性について十分な資料を提示せず、合併の相手先に主眼をおいたものである。
合併とは人生に例えれば結婚であり、片思いでは成立しない。
安易な住民アンケートは、混乱を招く恐れがある。
A町で合併の相手先について,全有権者を対象にアンケートを実施した。
通常であれば,住民が希望する1位の自治体Bとの合併を進めるのであろうが,なんと町長の判断で2位の自治体Cに合併を申し入れ,その自治体から即座に拒否されてしまったのである。
この執行部の判断には2つの大きな誤りがあった。「住民は自治体Cとの合併を望んでいる」「自治体Cは合併の申し出を受け入れる」の2点である。
民意を無視して強行に話を進めた挙句,プロポーズをその場で拒否されたのであるから,この上もない重大な判断ミスである。
アンケートを実施するのであれば,結果は最大限に尊重すべきであり,それができない可能性があるのならばアンケートは実施すべきでない。
特に,相手先が流動的な状況ならば尚更である。
「合併の必要性」「合併の対象自治体」「実現性」について,執行部は確たる考えを持ち,それについての賛否を問うのが理想のアンケートではなかろうか?

先日そのA町では,隣接していないD市と飛び地合併をすべく,2回目のアンケートを実施した。(Q:D市との合併に賛成か反対か?)
結果は圧倒的にD市との合併を望む声が多かった。
しかし,現状ではD市の合併対象には,A町は挙げられていない。
もしD市との合併が実現しなかった場合,その責任は誰がとるのであろうか?
執行部の曖昧な判断に振り回されている町民が気の毒である。


組合と選挙 (2001/7/11)  
国政選挙を控えて、組合の上部団体が推薦する候補者の応援のため、私の役所の若い組合員が動員され隣町でビラ配りを行った。
地公法(36条)の制限があるので、地元での活動はできないが、他の町村に出張してのビラ配りであれば法的には問題がない。
こんな事が許されていることに疑問を感じるが、組合の活動そのものにも大きな疑問を感じる。
特定の候補者を支持するのは個人の自由であるが、組合として半強制的に選挙運動に駆り出すのはいかがなものか?
高い組合費を徴収された上に、知りもしない候補者の選挙運動までさせられたのでは、たまったものではない。
近年では、厳しい状況の中で組合活動の効果が現れにくくなっているにも関わらず、組合の活動は旧態依然としている。
国政に推薦候補を送り出す事にどんな意味があるのだろうか?
上部団体の方針を、単組として不本意ながらもそのまま受け入れるのではなく、各単組は組織内の組合員のために何をなすべきかを最優先に考えて欲しい。
時代とともに体質を変えていかないと、組合離れは一層加速しそうである。


IT講習 (2001/4/25) 
 現在行われているIT講習は、国が全額を補助してくれる極めて有難い施策である。
 「税金の無駄遣い」との一部の批判はさておき、無料で受講できることもあって受講者の反応も非常に良い。
 役所の業務としては大変であるが、住民サービスにつながることであり、行政としても積極的に取り組むべき事業だと思っている。
 しかし、役所にとって迷惑事業として捉えられているのか、自治体によって周知や募集などの取り組みに温度差があるように感じる。そのため、最終的には、この事業に配分されている財源が大きく余ることになるような気がする。
 道路や公共施設を整備するのも住民サービスであるが、IT講習も将来のデジタル社会を見据えた住民サービスであることを認識し、自治体間の格差なく、国民に平等な機会が与えられるよう、行政として積極的に取り組んで欲しい事業である。


空びんリサイクル (2001/1/10)  
 昨年から、資源ゴミの分別収集がスタートし、毎回、収集場に張り付いている。
 そこで感じたのは、ビンの種類が多く、色・形など千差万別であることである。
 ヨーロッパの某国では、ビンは僅か数種類しかなく、ラベルに趣向を凝らすことで他商品との差別化が図られているとの話しである。
 日本商品のビンがどれほどの単価なのかは分からないが、ビール瓶のように洗って再利用できるビンは限られている。
 溶かして再生すれば済むのかもしれないが、そのたもの費用は新たなビンを作るより高いという話しである。
 いくら「リサイクル」と叫んでも、良識だけでできるリサイクルにも限度があろう。
 ビンの色や形に思い切った制限を加え、ビール瓶のように洗浄だけで再利用できるシステムを作る必要があるのではなかろうか。
 ビンの製造業者さんの営業妨害をするつもりはないが、国家としてリサイクルを本気で考えるのならば、これくらいの意気込みがほしいと思うのは私だけであろうか?


インターネットのマナー(2) (2001/1/10) 
 最近、某公務員サイトで「ネットあらし」さんが暗躍している。
 いわゆる愉快犯である。
 他人のHPで、管理者のみならず来訪者にまで不快感を与え続けるのは、どう考えてもマナー違反である。
 しかも、なんと国家公務員(自称)が勤務時間中にやっているのだから、同じ公務員として情けない限りである。
 たった1人とはいえ、こんな人の小さな肩にも日本の未来がかかっている。
 表向きにはどんなに仕事をこなしていても、道徳心をなくした人に公務員は務まらない。
 こんな公務員が存在している限り、公務員の不祥事は永遠に絶えることはない。
 最近では、ネット上の犯罪についても捜査のメスが入るようになってきたとのこと。
 犯人を突きとめるのは難しいかもしれないが、なんとか捜査の手法を確立して、簡単に立件できるようにしてほしい。
 そうなれば、このような「ネットあらし」は激減し、インターネットが快適に楽しめるようになるのだが…


インターネット普及率 (2000/11/10) 
 通信白書によれば、2000年7月現在の日本のインターネット人口は2700万人で、アメリカの14000万人に次いで世界第2位である。
 しかし、この数字は単に日本の総人口が多いだけであり、人口比で見てみれば、1位アメリカ(52%)は変わらないものの、日本は世界で19位(21%)である。アジアでもシンガポール(42%)、韓国(32%)、台湾(29%)、香港(26%)に次いで、第5位となっている。
 日本がインターネット先進国と勘違いしている人が多いと思う。遅れているとは言えないまでも、少なくとも進んでいるとは言えない。
 森首相の「2005年までに普及率で60%を大きく超える」というIT戦略に対し批判も多いが、高速通信網の整備と共に通信費が軽減さる見通しであり、上記の数字からみてもけして無謀な数字ではないと思う。


若手職員の疑問 (2000/11/10) 
 来年度を始期とする行財政改革大綱の策定作業を進めている。
その中で、職員からの改善提案を募集したところ、約4割の職員から様々な提案が提出された。
特徴的だったのは、「職員の資質(モラル)向上」に関する内容が、若手職員を中心に数多く提案されたことであった。
 行政経験の少ない若い職員ほど現状の体制に疑問を持ち、何とかしなければという改革意欲を持っている。何も手を付けなければ、このような人達も現行の「ぬるま湯体制」に埋没してしまう。如何にしてその意欲を継続させるかが行政にとっての大きな課題である。
 この程度なら許させるという先輩諸氏の考えを踏襲することは極めて危険で、どんなに小さなことであっても是は是、非は非ということを正確に認識させることが、職員教育の第一歩だと思う。


塩漬け土地 (2000/11/10) 
 行政が購入したものの、当初の目的を失い単なる空き地になっている土地、いわゆる"塩漬け"土地について。
 私の役所でも、国の外郭団体を誘致するという目的で開発公社に先行取得してもらった土地が、取得後8年間もそのままになっている。
 外郭団体の誘致といっても、進出の見通しが立っていない状態で購入したもので、当初の大方の危惧どおり、公社所有のまま"塩漬け"となってしまったものである。
 購入したのがバブル崩壊直後(土地が最も高かった時期)であり、更に借入金の金利や事務費などがかさんでいるため、その土地にかかった総経費は実勢価格の約50%増しになっている。
近年の不景気により企業進出は絶望的で、かといって公共施設を作る余裕も無い。
このような状況は日本中で見受けられるものであるが、何とかしたくても「八方塞がりで手の付けようがない」というのが実情である。
 この後始末は、どうなるのだろうか?


リース契約 (2000/9/2) 
 私の市の場合、OA機器はリース契約がほとんどである。それも大半が5年リース。
 毎月の使用料負担を少なくするためには5年でも構わないかもしれないが、特にパソコン類に限って言えば、ここ数年のの進化は著しく、5年前のパソコンなんて化石のようなものである。
 先日、ある課からノートPCを借りてきた。スペックはOS:Win95、CPU:P133、HD:800MB、液晶:10インチTFTという時代遅れのものである。WardとExcelがバージョン5.0だったので最新バージョンにアップグレードしようとしたら、HDの空きが30MB程しかない。既存のソフトウエアを全てアンインストールしないとインストールできないのである。
 こんなものかと思ってスッパリと諦めれば良いのだが、裏に貼られたシールを見て驚いた。何とリース契約があと1年以上も残っているのである。
 導入当時としても”型オチ”に近いものだったのであろうが、こんなPCの使用料をあと1年以上も払いつづけなければならないと思うとゾッとする。
 役所の内部には、こんな使えないPCがゴロゴロしているのである。
 ご存知のとおりPCや対応するソフトウエアの進化は著しく、現在のPCの寿命は3年程度である。従ってリース契約をするとすれば3年契約である。
 月額を安くするために5年リースの契約を結んで、3年や4年後にPCを入れ替える(リースリプレイス)こともできるが、リース残額が次のPCの売却価格に加算されるだけなので極めて非経済的である。これを繰り返していれば、リース料は青天井的に高くなってしまう。

 参考までに売却想定価格と月額リース料の関係を示せば、5年リースの場合で「月額リース料=売却想定価格×約2%」又は「売却想定価格=月額リース料÷2%」となる。(3年リースの場合は2%を3.1%に置き換えると良い)
 5年契約のリース料が1万円なら売価で50万円のマシンが入れられるはず。逆に、50万円程度のマシンを入れているのに月額2万円も払っているのなら、過去のリースリプレイスによって利子が利子を生んだ結果といえる。職場のOA機器のリース料をチェックしてみてはいかが?


認印 (2000/9/2)  
 認印というのは何のためにあるのだろうか?
 「確かに確認しました」とか「間違いありません」ということを証明するためにあるのだろうが、実印や銀行印と違って単なるサインとほとんど変わらないと思う。ましてや、珍しい苗字を除けば僅か数百円で同じ印鑑が購入できるのである。
 それなのに役所で手続きをする場合、この認印が決まって必要である。最近は印省略の書類も増えてはきているようだが、それもごく一部である。
  「印鑑をお持ちでなければ○○は発行できません」という窓口のトラブルがかなり多いと聞く。手続き上、どうしても印鑑が必要なのなら実印や身元を証明する書類の提示を求めるようにして、それ以外はサインで済ませてもよさそうなものである。
 住民サービスの向上のためにも、積極的に書類の見直しを図り、無駄な押印や記入事項を減らすべきである。
 誰でも考えていることなのだが、それでも一向に変わらないところが「お役所」と言われる所以なのだろう。


コスト意識 (2000/8/5) 
 今、行政マンに不足しているのは何か?
 もし、こんな問いかけがあったら「意識改革」と答える人がかなり多いと思う。公務員とは何かを知らない人、また忘れている人が極めて多いのが実情であろう。
 「公務員=全体の奉仕者」である以上、住民(国民)以上の意識が要求されるのは仕方のないことである。しかし実態は、意識の低い(高くない)公務員がやたらと多い。特に際立っているのが「コスト意識の低さ」である。
 財政危機・財政再建と騒ぎ、「○○費◇%削減」と叫んだところで、職員の意識が変わらなければ根本的な解決策にはなりえない。なぜ削減が必要なのかを理解していれば、コピー1枚、鉛筆1本も無駄にはできないはずである。ごみ箱に捨てられた大量のミスコピーや、キャビネットに保管されている事務用品(特に事業課)を見る限り、これで経費節減を進めているとは到底思えない。
 大きな経費削減は必要ではあるが、並行して表に出ない部分の改革を進めてこそ、真の意味の経費節減になるのではなかろうか。アドバルーンを上げるだけでは意識は変わらない。


職員提案 (2000/8/5) 
 恥ずかしながら、行革担当になって初めて、役所の例規集に「職員提案規程」なるものが存在していることを知った。そこで、他の自治体の例規集を調べてみたら、ほとんどの自治体に同じような規程が存在しているのである。それから色々と調べてみたのだが、驚くことに大半の自治体で全くといっていいほど活用されていないのである。
 自ら考えアクションを起こすことは、組織の活性化には欠かせないものだと思っている。それが制度として整備されているのなら、活用しないのは非常にもったいないことである。
 このような制度を職員に周知して活用を図れば、必ずや職員の意識の高揚につながると思うのだが…。


再任用制度 (2000/2/14) 
 平成13年4月にスタートする再任用制度について、県からの指導によると12年3月までには条例化しなさいとのことである。運用が難しいものだけに、「早めに条例化して具体策を検討しなさい」という趣旨であると勝手に解釈している。しかし、当市では3月上程を見送ることに決まった。理由は、議会に対しての充分な趣旨(運用方針等)説明ができないためである。
 国においては、これまで大量の官僚OBを受け入れてきた外郭団体の大改革を行い、批判の絶えない民間企業への天下りにも制限を加えようとしている時期である。再任用制度は、表向きは年金制度改革(60歳→65歳受給)への対応であるが、行政改革等の取り組み状況を考えれば、定年後の再就職先の確保と捉えられても仕方ないのではなかろうか。単に年金受給までの生活サポートとしてならば、年金相当額の給与を支給すればよいことで、期末勤勉手当まで支給する必要性はないと考える。また、定年延長的な制度が組織の沈滞化を招くことは言うまでもない。
 一方では「55歳昇給停止」という給与抑制措置が導入されている。この制度は、組織の活性化を図る意味では非常に良い措置だと思う。年配職員については、一部を除けば公務員という制度の上に”あぐら”をかいている職員があまりにも多い。給料が上がらないのだから…と開き直られると困るが、仕事にみあった給料を支給するのは基本である。それでやる気をなくす職員がいたら早めに退職してもらい、その分、若い職員を採用すればよいのである。
 再任用と55歳昇給停止という相反する制度。国の方針に矛盾を感じるのは私だけであろうか?


人間関係 (2000/1/1) 
 人間関係だけで仕事ができると思っている職員がいる。
 このような職員は、けして自分が無能とは思っておらず、自分の能力に対して過剰な自信を持っている傾向があるようだ。事務的な仕事は後輩や部下にやらせ、難しい問題だけは広い人脈だけを頼りにして解決してしまう。
 出世欲も非常に強い。「自分は出世なんかしたくない」と常々口にしているくせに、他人に先を越されると人事批判を繰り返す。
 そんな某先輩の言葉。「8時間働いて100の仕事をする職員より、4時間で100の仕事ができる職員(自分の事らしい)の方がタメになるだろう・・・」
 確かに4時間=100の方が能力的には上だろう。しかし、問題は残った4時間の使い方である。残った時間でせめて10でも20でも仕事をこなせば何も文句はないが、それをしないで仕事をサボっているのなら話は別である。仕事せずにウロウロしているのなら、全体にとっては大きなマイナスであり、同じ100の仕事をするのなら他の職員に迷惑を掛けない方が遥かにベターである。某先輩は、この”ウロウロ”の時間に人間関係を作っているらしい。
 自分の能力に自信があるのなら、他人に頼らず、人に負けないくらいの仕事をしなければならない。「給料が同じだから人並みに・・・」というのは、”仕事をしない人”の言い訳である。


面接試験 (99/11/18) 
 先日、職員採用2次試験の面接が行われた。
 その受験者の中にやけにハキハキしていて好感の持てる青年がいた。20代半ばで営業か何かを経験しているのか、堂々としていて即戦力の固まりのような印象を受けた。
 面接者の酷とも思える難しい質問にも自分の考えを自信を持って答えており、そこまでは間違いなく三重丸の合格であったと思う。しかし、面接終盤のたった一つの単純な質問で沈没(最終結果は分からないが・・・)してしまった。
    質問:本市の人口はどのくらいか知っていますか?
    回答:勉強不足で分かりません。
 私は唖然とした。
 市役所を受験しているのである。市役所職員を目指している以上、人口は超基礎的な情報である。しかも難関の1次試験を素晴らしい成績で合格し、最後に残った面接試験である。
 面接会場を去るその青年の後姿には、それまでの自信に満ち溢れた堂々さは感じられなかった。
 最終結果は分からないが、この青年はこんな失敗は2度と起こさないだろう。


二千円紙幣発行 (99/11/4) 
 来年は西暦2000年。
 この年を記念して2千円紙幣を発行することが決まった。しかも恒久的に使用する予定とのこと。
 記念という意味が分からないではないが、この事業にどんなメリットがあるのだろうか?
 自販機の製造メーカーやコンピュータシステム業界にとってはプラスに作用するのは間違いなかろうが、大半の企業では新紙幣に対応するために莫大な経費が予想され、長引く不況に一層の拍車がかかるような気がしてならない。
 単に記念の意味だけなら、通常使用することのない記念硬貨で十分だと思う。
 誰の発想なのかは知る由もないが、日本経済の活性化に繋がるような政策を考えてもらいたいものである。


勤勉手当は能率給 (99/9/14)
 人事院勧告以上の給与制度改革を行うのは想像以上に難しいと思う。しかし、財政難という背景があるとはいえ、トップの決断ひとつで”給与カット”を行う自治体も出てきている。バブル崩壊前ならともかく、現在ではけして不可能ではないと考える。
 かりに人事院勧告以上の政策が無理でも、勧告を忠実に実施すれば能力主義に近づけるはずである。もっとも実現可能なのが”勤勉手当”に本当の格差を付けることである。
 期末手当が生活給的性質を有するのに対し、勤勉手当は勤務成績に応じて支給されるべきもので能率給的性格を有している。しかし、そのことをはっきりと認識している職員は少なく、ほとんどの職員は0.6月(年2回)が当り前だと錯覚している。(人並みに仕事をしていれば0.6月分は貰えるのだから仕方はないが…。)
 この0.6月というのは全体の平均支給月数であり、勤務成績に応じて1回につき最高1.2月までの範囲で支給することができるようになっている。現在、この制度を運用している自治体も一部にりますが、ほんの一握りの人が0.6月以上(以下)となっているだけで、勤務成績に応じた弾力的な支給にはなっていないはずである。人事院勧告の完全実施と言っても条例・規則で制度化しただけのことで、人事院の示した能力主義とはかけ離れているのが実情であろう。
 給料に勤務成績を反映させることが難しくとも、本来能率給である勤勉手当には十分に反映させなければならないのである。最終的には勤務評定制度等に関係してくるのが、けして困難なものではない。"プラス面を信じて実行する勇気"が必要である。


能力主義的給与体制 (99/9/13)
 給与は労働の対価であり、能力・実績に比例した給与体制の整備は公務員にとっても重要な課題である。
 公務員の仕事は、営業等と違って数字で表しにくいため民間のような給与体制は難しいと言われる。しかし、企業においても数字で表せない仕事(事務や窓口、工場のラインなど)は多く、能力に比例した給与体制が整備されているところも少なくない。難しいのは確かであろうが、けして不可能ではない。「民間と公務員は違う」と思い込み、年齢比例的な給与体制を否定しない(肯定している)ところに「ぬるま湯」と評される公務員制度の元凶があるのではないか。
 私は公務員全体の給与を一律に上げる必要はないと思っている。頑張っている人とそうでない人とは区別されて当然で、これを区別していないから無気力公務員が増えてしまうのである。給料が変わらないなら誰だって苦労はしたくない。それでも、そんな実情に我慢できない人だけが頑張って更に苦労を引き受けてしまう。これが自治体の現状ではないだろうか?
 平成9年度の人事院勧告で勤勉手当の弾力化(成績率の拡大)がなされたが、これは前述した状況を打破するための策である。しかし、これを活用している自治体は驚くほど少なく、依然として一律支給が主流のままである。
 現状を打破するためには、個人の勤務成績に応じた給与体系にすべきである。どんなに”ヤル気のない人”でも給料は変わらないということが、全体の活気を削ぎ落としているような気がしてならない。


勤務評定制度 (99/9/12)
 勤務評定制度はほとんどの自治体で導入されている。しかし、評定結果を給料(本俸)に反映させているところはほとんどなく、勤勉手当の成績率として僅かに反映させているところがせいぜいである。活用しない限り制度導入の意味はない。
 この制度が有名無実化しているのは、平等に評定することの難しさよりも”評定を行う側の資質”に問題がある。評定者には自らの好みに左右されない客観的な評定が要求されるが、年功序列や人間関係(世渡り上手)だけで管理者になった人も多く、これらの人達の評定を100%信用することは極めて危険である。
 実際には評定制度の活用を考える前に、昇格(昇任)制度のあり方から是正しなければならない。管理職としての資質のない人を登用していては、永遠に評定制度の活用はできない。年齢や経験に関係なく、やる気があり実力がある人だけを登用(首長の認識がないと無理)し、有能な管理職を育てること。これがまず第一に取り組むべき課題である。それから勤務評定の見直し、給与制度の見直しに続けなければならないと考える。
 こう考えると、確かに簡単に実現できるできるものではない。しかし、どんなに難しくとも何らかの手を打たないことには何も変わらない。たとえ何年かかろうとも、確かな目標を定めて少しずつでも前進しなければならない。


インターネットのマナー (99/9/6) 
 ネット上の掲示板やチャットというものは、訪問した人が自由な意見を述べることのできる貴重なシステムである。リアルタイムに表示できるというのが最大の利点であるが、反面、どのような内容であっても公開されてしまうのが最大の欠点でもある。
 発言の内容(趣旨)は訪問者の判断に委ねられている。ただ、これは”制限がない”という意味ではない。そこには最低限のマナーが存在するのである。
 特にそれが特定の人を批判する内容である場合には、まず自分が誰であるのか(公表できる範囲で構わない。メールアドレスだけでもよい)ぐらいは記す必要があるのではなかろうか?自らを隠したままでの批判は卑怯である。人を批判する以上、自分が逆に批判されることも覚悟しておかなければならない。その覚悟がないのなら発言する資格はないと思う。
 閲覧した人が不快に感じるような内容も当然ながらマナー違反である。マナー違反と分かっていても発言したい(このような発言をする人は、あらゆるところで同じようなことをしている)のなら、自分でホームページでも開設して意見を公表すればよい。それなら他人に迷惑をかけず自己満足できるのだから・・・。


組合活動 (99/9/2)  
 仕事柄、職員組合と交渉することが多い。
 我がX市の場合、人事サイドと組合の関係は非常に良好で、公式・非公式に頻繁な意見交換を”和やかに”行っている。組合側の要求は人事サイドの人間にも跳ね返ってくるものであり、険悪な雰囲気で交渉する内容はひとつもない。双方が相手の立場を理解し、同じ目標を持って取り組んでいるからだと思っている。
 他自治体と比べると給与水準は低いのだが、財源の問題などを考えれば一度に改善できるものでもなく、少しづつ変えていきましょう!というのが共通の認識である。そのため、組合の要求を拒否することもあるが、状況によっては要求以上の改善を実施することもある。それでバランスを保っている。

 うちの組合の独自要求は理解できるのだが、どうしても理解できないのが上部団体からの”統一要求”である。このような不景気な時期に、”国家公務員の基準を上回る○○手当(手当の名称は伏せる)を支給しろ”というのが最重点項目になっている。ただでさえ公務員に対する批判ばかりなのに、今そのようなことをしたらどんな反響があるのか考えたことがあるのだろうか?理解に苦しむ。
 ○○手当についての要求が悪いとは言わないが、最重点項目はないでしょう!って感じである。公務員という制度の上にあぐらをかかず、世間一般の状況を十二分に認識した上で、要求内容を検討してほしい。税金の一部から給与が支給されていることを忘れてはならない。


選挙運動 (99/9/1)  
 ある市役所の総務部長(部長制なので職員のトップ)が、庁内の課長や係長を集めて現職市長の後援会案内を配布し、後援会への入会者のリストアップを命じたそうである。市長選挙を間近に控えており、もちろん現職市長とはいえ反対派の職員が存在するのは当然で、瞬く間にマスコミに嗅ぎ付けられニュースとなった。
 これは地方公務員法に定める「政治的行為の制限」や公職選挙法で定める「公務員の地位利用」に抵触する立派な犯罪である。職員のトップに立つ人が、なぜこんな軽率な行動をとるのであろうか?

 首長選挙は職員(特に昇進を望む職員)にとって”踏絵”である。自治体の規模にもよるが、小さな自治体ほど、また選挙が激戦になるほどその傾向が強い。首長の交代によって自らの出世が大きく左右されることが多いからである。
 20年ほど前、ある役所で現職市長が敗れたことがあり、その時の総務部長が係長クラスへ降格されたことがあった。給料までは下げられないが、見せしめのために担当職務を係長クラスの職務にまで降ろされたのである。これは極端な例ではあるが、あからさまな”報復人事”が行われている自治体は驚くほど多い。

 選挙が過熱するのは仕方ないが、政策論を抜きにしての保身や出世目的の選挙運動はなんとかならないものであろうか。
 企業でも似たようなことはあるのであろうが、報復人事・選挙功労人事がなくならない限り、世渡り上手な職員が増えるだけで”有能な職員”は育たないと思う。


女性職員の登用 (99/8/19)
 何故、役付職員に女性が少ないのか?
  「女性の登用」は、ほとんどの自治体が課題としている。しかし、徐々に改善されているものの、依然として女性登用率が極端に低く、さらに局長や部長などの重要ポストはことごとく男性である。
 私の勤めるX市役所は職員の約45%が女性である。しかし、係長職(相当職を除く)で約15%、課長職で約7%しかおらず、部長職(部長制)になるとゼロとなる。これはX市に限ったものではなく、大半の自治体が同じような状況であろう。

 女性が登用されにくい直接的な理由は色々考えられるが、原点には男性と比べ「充分な機会(経験)が与えられなかった」ことがある。X市の場合、昔(10年以上前)は入庁直後から女性職員の担当業務が限られていた。受付や予算の差引きといった業務で、どこに異動しても同じような仕事を任される。その業務自体は重要なのだが、あまりに狭くて深い経験であるため、いざ役付となっても潰しがきかず本当の能力を発揮することが難しい。

 今後、真の意味での女性登用を考えるならば、男性と同様に若い頃から色々な業務を経験させる必要がある。入りたての職員に対して”女性だからこの仕事”と決めるのは、”フ化”直前の卵を冷蔵庫で保存するようなものである。男女平等に経験を積ませた上で、同じ土俵で登用の選考を行わなければならない。そして、まず第一線の係長クラスで男性と同世代での登用を行ない、後に続く女性職員の目標になるような役付職員を長期的に育てていくべきである。
 登用率ばかりが問題視されるが、数字を上げるだけの”定年間近の温情登用”や”閑職への登用”などは全く必要ない。これでは何も変わらない。変わるはずなどなく、逆に若い女性職員の”ヤル気”を削ぎ落とす結果につながりかねない。


特別減税 (99/8/9)
 今年、数兆円規模の特別減税が2度も行われた。
 冬の減税の際の世論調査で、一般家庭では減税効果がほとんど表れていなかったにもかかわらず、夏季減税としてほとんど同じ方法で再度実施された。
 景気の回復を期待して実施するのであるならば、"タンス預金"にだけはならないような工夫が必要だったのではないだろうか。自分の減税額を知らない、又は減税が行われたことすら知らないサラリーマンが驚くほど多かったのも事実である。
 確かに、給与から控除すべき所得税を減らせば手取りは増える。ただ、ほとんどの企業で給与が振込みとなっていることを考えれば、臨時収入的な印象は極めて薄い。単に時間外勤務が多かった(あった)だけの感じであり、その増額分で何かを購入しようとは思う人はほとんどいないはずである。
 景気回復を狙うのであるならば、減税=臨時収入としなければ効果はない。
 最も効果が期待できる方法は、減税額を一括して強制的に現金還付することである。財布の中のお金が増えれば、自然と財布の紐も緩むはずである。そのお金で飲みに行ってもよし、家族に手土産を買うのもよし、帰り道にパチンコに注ぎ込むのもよしである。確かに、現金還付にはセキュリティ上の問題も多い。しかし、赤字国債に頼り切った国の苦しい財源を有効的に使うためには、せめてそれぐらいの工夫が欲しかった。
 もし、諸事情により現金還付が難しいのであれば、減税相当分を別振込みとさせるぐらいの工夫はできたはずである。確かに臨時収入的効果は薄れるが、給与とは別支給となる点で、実際の方法より遥かに効果が見込めたのではないかと思われる。この方法なら、どのくらいの減税を受けたのかぐらいは誰だって把握できたはずである。
今年の特別減税での最大の問題は、第一回目の減税で効果が薄かった(世論調査等ではっきりしている)にもかかわらず、何の工夫もなく夏に再度実施した点である。
 誰が考えたのかは知らないが、机の上でいくらシュミレーションをやっても、コンピュータは国民の心の中までは計算してくれないのである。もし全ての国民が「収入が増えれば自然とお金を使う」とでも思っているのなら救いようがない。庶民感覚を全く理解できない"お偉いさん"のガチガチ頭である


地域振興券 (99/8/9)
 色々と批判が多かったが、私はサラリーマン特別減税より"マシ"であったと思っている。景気回復のため国民にお金を使わせるという点では、特別減税より遥かに効果的で、事実、我家でも古くなった洗濯機の買い替え費用の一部として活用させていただいた。
 地域振興券の恩恵を受けなかった人からの批判が特に多かったようであるが、裏を返せば、(現時点ではサラリーマンだけではあるが)特別減税を受けたという認識がないことの現れでもある。問題が地域振興券のみにあるとは思えない。この事業自体は、評判ほどの愚策ではなかったと考える。
 改善する余地は多分にあるが、敢えて批判はしない。
 ただひとつ言いたいのは、もし特別減税を実施せず全国民に地域振興券を交付していたならば、こんなに批判を受けることはなかったと思われることである。財源的な負担も大して変わらなかったはずである。



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