染の歴史



   はじめに
 染色と言っても幅広く、その商品は小さな小物類の身の回りの物であったり、着物や毛糸などの身に着けるものであったりと種類は豊富です。また、その商品を作る過程でも、草木染から合成染料などいろんな手段があります。
 弊社は、注文をお受けしてから、白い生地に気持ちを込めて、いろんな色で染め上げ納品しています。この毎日の仕事の基本となる『染』のルーツをたどろうと、私なりに手近な文献を参考に、簡単にまとめてみました。
平成20年2月13日  大嶌 章秀



古代  【染色は白に始まる】

大昔、人は草を干し、樹皮を裂き、それを編んで衣服として身に着けていたものであろう。やがて樹皮や草皮の繊維を細くして布を織ることを覚えた。その布は、まさにエコロジカルカラーであったに違いない。
 染の歴史は六世紀頃に始まったと言われているが、灰を用いて布を白く晒すという技術を知ることで染色の世界が開かれた。つまり、染色は白から始まったと言って良い。
 白く晒すために浸した池沼の水に鉄分が多いと黒く発色する。いわゆる泥染である。やがて草木の汁液、花などで染色液を作って布を染めるようになった。臭木の実で染めた青、茜草の根で染めた赤、黄蘗(きはだ)などで染めた黄色などは、今に伝わる草木染の始まりである。
これら青(緑)・赤・黄・白・黒は古代の五色といわれ、白は神の色、神聖な色とされたそうだ。
 その後、大陸、南方から渡来した文化により、染織の技術も大きく進歩した。単に草木で染めるだけでは発色が悪く、色落ちもしやすいが、色素を繊維に定着させる媒染技法が伝えられて、衣服はカラフルになったことであろう。

 飛鳥・奈良時代には、文様を染め出す技法としては最も素朴で原始的な方法といえる絞りの技法が登場した。この技法は自然発生的に生まれるようで世界各地に在存する。 また、平安時代の宮廷装束には、日本独自の感性による美しい色彩の扱いが見られた。美しく染め上げられた衣服はまだ一般大衆ものではなく、それを身にまとうことは高貴な証で、特に紫は尊い色とされていたという。




中世  【庶民に普及しはじめた染め】

 中世は、交通路の整備や運搬方法の発達に伴って、商業活動が盛んになった。特に、鎌倉時代には「紺掻き」と呼ばれる専門職人によって、藍染が庶民に普及するようになったといわれている。また、下着として用いられていた白の小袖が表着として用いられるようになるのに伴い、文様を表す手段として、複雑精巧な染色の技法が発展していった。
 さらに、室町時代には、京都の染織品に加えて、加賀の梅染、遠江の茜染、播磨の搗染など、地域特産としての染物も確立されている。室町時代に狩野吉信(15521640)によって描かれたとされる喜多院所蔵の職人尽絵」には二五種の職人が描かれているが、このうち染織に関係のある職人は、機織師、縫取師、型置師、纐纈師、糸師、革師、の六種と、全体の四分の一を占めることになり、その当時の人々の暮らしの中で、染織が重要な役割を担っていた事を示すものと考えられる。




近世  【芸術作品的な染めへ】

 安土桃山時代に広まった糊防染の型染めや手描き染技法は日本固有の文化である。糊防染とは、簡単に言うと、色をつけたくないところに糊をおいて、部分的に染めを防ぐことである。儒米の強い防染力と、柿渋、薄く丈夫な美濃紙、紗、漆があって初めて成立する糊防染の技法は、糊の種類が小麦粉に変わるだけで、もはや成立不可能である。この技法は日本にとってはしごく当然でも、他の国では成立しにくい技法といえよう。 さらに、染色技術は日本人独自の知恵により長い年月をかけて改善され、工夫されて高い技術に到達し、革新、発展を遂げ、裁縫技術や織技術、そして消費生活を楽しむ庶民ともあいまって、多彩な色使いと細かな絵画的表現の友禅染めが生み出された。
 文様は、祝儀の着物には松竹梅、菊、扇などの目出度い文様「吉祥文様」として用いたり、まるで詩歌や俳句のように、春は桜、夏から秋は秋草を用いたり、染色を楽しまれた。さらに、尾崎光琳文様なども登場し、江戸時代の着物文化の定着に花を添えている。
 このような飛躍によって江戸時代の着物の水準は高まり、とどまるところを知らない贅沢な流行に、当時の幕府は何度も倹約令を出したという。




近代  【染めの転換期】

明治維新は現代服装史の幕開き、つまり西洋文化の導入が積極的に行われた時代である。
 近代以前の染色はすべて天然染料であったが、明治初年頃にはヨーロッパから人工的に作られた合成染料が輸入され始めた。この頃に作られた染料としては、直接染料、酸性染料、塩基性染料、インジゴ、硫化染料などがある。天然染料と比べると、落ち着いた渋い色調が出しにくいが、合成染料は原料を集めるのが容易で、染色を一定にすることができるというメリットがある。また、大正時代に入ると、ナフトール染料、アセテート染料、インジゴゾール染料が開発され、急速に染色技術が進歩した。さらに
、印刷技術の向上とともにシルクスクリーンの導入などのも進み、染物商品の大量生産もできるようになっていった。
 しかしながら、日本の民族衣装として、また世界に誇る美しさとして完成された着物については、中世以降、織をリードするかたちで発展してきた染の文化の行き詰まりを感じないではいられない。




現代  【伝統と先端技術が融合する染めへ】

戦後には、ナイロン、ポリエステルなどの合成繊維が出現し、それに伴って分散染料、カチオン染料、反応染料などの染料が開発された。また、進水旗や五月幟に多く使用される、堅牢度高く風合いが硬く感じられる樹脂染料も出現した。
 染物業界は、全て手作業だったものが技術の進歩によって機械化され、大量生産が可能になった。しかし、かって考案され、実用化された「人の手による染めの技術」も忠実に今日に伝えられており、また現代の感覚で磨き上げられてさえいる。




  おわりに

現在、大型インクジェットプロッターも開発され、印刷業などの他業界も染物事業に交わり始めた。その他外国からの輸入もあり、むやみな価格競争が増えたように感じる。無論、消費者は「安価な方が良い」と考えるに違いないが、これは「同じものなら」という前提条件を忘れないでほしい。生地や染め方、染料により商品の出来上がりが違います。
 多くの工程を手作業で行う“そめや”であるが、複雑なデザインをデータでやり取りしたり、下絵やカッティングを一部パソコンで補ったりすることで、仕上げまでの時間が短縮され、私も大いに世話になっています。先進技術の導入は経営的には折り合わないところもあるが、パソコンの利点は、原画をデータ化することによって、細かい作業も簡単にでき、誰でも同じものをくり返し作れるようになったことです。
 染物の技術はあくまでも手作業であり、世界にひとつしかないオリジナル商品だということに“こだわり”大事に染め上げ、確かな眼をもって末永く染に携り、この日本の伝統技術をこれからも残していきたいと思っています。




  参考文献
木村隆 『染め織りめぐり』 JTB,2002
京都造形芸術大学 『美と創作シリーズ1 染を学ぶ』 角川書店,2005
福井貞子 『ものと人間の文化史123 染織』 法政大学出版局,2004
山崎青樹 『古代染色二千年の謎とその秘訣』 美術出版社,2001

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