十一、危険思想

 
 
 
  人はできるようになった

テレビで見た
地上での核実験は
もしその下に人がいたらと考えなければ
迫力があってとてもきれいだ
一瞬のうちに大気を引き裂いて
膨張する光と炎
なぎ倒される木々や小屋
空へ登っていくキノコ雲の造形
人はこんなことまで
できるようになった
ハイテクや効率の追求にも
よく感じる
考えられないスピードと質で
人はこんなことまで
できるようになった
人間一人の
手をどんどん離れて
進んでいく技術が
いつかこの星を
奇形の星に変えてゆくのかもしれない

 
 
 
  金をまわせ

資本は
投資されなければ
資本ではない
お金は
まわらなければ
お金ではない
お金がたまって
まわる予定もなく
資産という大きな塊になって
守られるとき
貧富は広がり
消費者は減る
そうして広がった
底辺から
お金をまわせ
金をよこせ
金を出せ、と
叫びが上がる
このように
ふくらみすぎて
動かない資産は
禿げたかを呼び
鷹を呼び
危機を呼ぶ

 
 
 
  テロリズム

テロが起こると
暴力には屈しないという類の
声明が発表される
でも国家は力で成り立っている
ときに暴力的でさえある
力でテロを抑えて
またテロが起こる
テロは窮鼠の手段だ
国家の力に対抗できるなら
内乱・戦争ということになる
それだけの武力がないから
窮鼠は猫をかむ
テロが起こる
テロを封じ込めようとしても
なかなか難しい
鼠はすばしこくて
どこにでも現れる
人が追いつめられて
窮鼠になる原因がなくならない限り
テロはなくならない
多くは貧困または貧困+α
あるいはα+貧困の脅威ないし危機感
つまり窮鼠をつくらないのが
よい政治家ということになる

 
 
 
  実存的にたとえると

千人殺した者を
英雄と呼ぶのは
百人殺した者たちである
百人殺せない者は
落ちこぼれたり
いじめられたりして
そのまま消えていくか
せいぜい数人を殺して
刑務所に入ったつもりで
おびえている
一人も殺してない?
いや確かに百人殺した
何故なら「まだこれからだ」
「負けるものか」と思っている
そのようにして勝ち負けがあり
勝負があり
戦いの結果があり
生死があり
次から次へ死が見過ごされ
数え切れない死の種がまかれ
数え切れない生が摘み取られ
英雄がいて
凡人がいて
凡人になれない人がいる
これを健全な社会という
ところで
かつて百人殺した私だが
今から何人殺せるだろう
心細い
何故なら「もうよかろう」
「負けた」と思っている

 
 
 
  未来電子国家

アイドルは要らなくなるだろう
顔・形はもちろん声だって
コンピューターで作れるようになる
しかもユーザーはソフトウェアを使って
さらに自分の好みに変えられる
人の感情の特性を分析して
ムードいっぱいのメロディの
作曲さえできるようになる

悪者たちは重要人物の情報を
写真や映像から手に入れて
実際にスキャンする以上に
本物に近似した虚像を作る
ある日突然
大国の大統領が
とんでもないスピーチを始める
電子クーデターの始まり
電子犯罪の進化だ

パソコンはなくなるだろう
通信速度が今の電話回線の
数百〜千倍になれば
今のハードディスクと同じくらいだ
カードかボードのような端末だけになって
家の中では壁がスクリーン
テレビとディスプレイモニターを兼ねる
声やいろんな入力の仕方で
オンラインでリアルタイムで
出力されたり手に入ったりする
でもその恩恵にあずかれる人の方が
だんだん少なくなったら
しまいに戦争か?
電子と原始

 
 
 
  市場経済

計画経済は行き詰まる
市場経済は伸び切る

市場経済は消費者が支えている
成長過程においては
雇用と所得が増え消費者も増える
しかしどんなに増えても限度がある
消費者が人口以上に増えることはない
富が片寄れば片寄るほど
消費できる者の数はむしろ減ってゆく
成功し富を得た人たちが
自由の美名のもとに
さらに富を得るための投資はしても
市場経済を健全に維持し発展させるために
消費者の母集団を底上げして
消費者を増やすための
社会の福祉に対する投資をしないまま
限られた消費者を奪い合っているかぎり
計画経済はすでに行き詰まったが
市場経済はやがて伸び切る

私は革命を語っているのか
否、富める者の意識と社会の倫理の
改革を望んでいるだけだ
慈善よりもっと強力な投資を
新しい名誉の概念を
私はユートピアを語っているのか
否、福祉の後退に危惧をいだくのみである

 
 
 
  社会と経済の夢

社会主義の計画経済は
競争意欲を上から押え込んで
停滞し失敗した
では資本主義の市場経済は
成功したと言えるだろうか
野放しの市場経済は
弱者を見捨てるという
属性をしっかり持っている
そうならないために福祉がある

凶悪な犯罪者やテロリストを
弁護するつもりはさらさらないが
社会が反あるいは非人間的であるとき
反あるいは非社会的な人間は
常に悪と言えるだろうか
そういう社会にならないために福祉がある

昔、夢を見ていた
社会主義も資本主義も
人類の知恵と精神の高まりとともに
いずれは高度な福祉国家へ収束すると

野放しではないにせよ
市場経済は
高らかに自由を歌いながら
貧富を拡大し
消費者を減らし
富を大きく片寄らせ
資産を硬直させ
資産の守りに明け暮れ
福祉を後退させていくようだ

では人はそれを放っておくほど馬鹿なのか
そうは言うまい
人間の精神はそれなりに発展して
ボランティアやチャリティを生んだ
でもそれらに関わる人々は大方たいした資産家ではない

福祉を大金持ちと呼ばれる資産家が
自主的に自発的に担おうとする
倫理観の浸透が
特別な博愛精神ではなく
ごく普通の理念として
必要とされる時代が来ている

富を得た成功者は
それなりに贅沢をすればいいわけで
そうでなければ市場経済は意味がないし
あとを追いかける者の目標もなくなる
富を得たら次に真の名誉を求めるべきである
生きている間と死んだあとの
資産のまわし方を計画しておくべきである
野放しの荒れた市場が
組織犯罪やテロを招く前に
過度の貧困をなくし
ある程度豊かな消費者を増やし
多くのチャンスを提供する資産家は
それに相当する名誉を与えられるべきであり
そこまでやって初めて
サクセスストーリーの達成とみなされる
そういう物の見方が当然となっていくのでなければ
守るだけの資産家はやがて
野放しから野ざらしへ落ちていくだろう

つまり消費者を増やす経済が
よい経済であり
それを自主的に育てていく資産家が
よい資産家ということになる

 
 
 
  夜明けのテロリスト

与えられなければありえなかったのに
人生切り取り放題と言わんばかり
聞いてもしようがないのは
成功者の格言めいた話だ
しかもそれが誰にとってもお宝のように
賛美する脇役や端役
騒ぎ立てる石ころや石焼きイモだ

夜は腹が減る

体は動物のように正直だな
賢者の話なら聞いてもよいが
賢者が賢者だと
わかるほど賢くはないのでね

 
 
 
  冷戦の後

東西冷戦は終わったんじゃない
東西冷戦は崩壊したんだ
だから冷戦から熱戦へ
本気で終わらせるつもりなら
それこそ東西南北協力して
強力な世界警察でも作らなければ
戦いの歴史に終止符は打てない
強力な世界福祉でも作らなければ
貧困の火種を鎮めることはできない
冷戦すべてがなくなったわけでもないし
それに東が勝手に崩れたんだ
次は西の番かもしれないじゃ・・・
いやいやそれ以上は言うまい
賢者たちの知恵に期待しよう

 
 
 
  くウソう一・脳死
             とだソウ

不可逆的に心臓が止まることは
全身の組織への酸素供給が
断たれることを意味するから
多少の時間差はあっても
いずれ全身の壊死は避けられない
心臓死は一対一で
全身の死に対応している
脳死は一対一で
全身の死に対応しているのだろうか
他の先進国では既にやっている
脳死移植とはいえ
早い者勝ちで何でも先に
やってしまって最早
常識になっていて今さら
訂正しようがないのかもしれないし
脳死状態に陥ることを
遅らせる手段もあると聞くのに
人間が決めることの中で
最も曖昧な倫理ばかりが先行して
肝心のスタディは済んだのだろうか
例えば一万人の脳死患者を集めて
人工呼吸器をつけたままにして
光や音や呼びかけなど
外部からの刺激を与え続ける
電解質・微量元素・栄養のバランスや
循環動態や代謝を人工的に
自然と同じ状態に保つのは困難だから
管を介した人工栄養には限度がある
殆どは心臓死に至るだろう
しかしもし一人でも
フラットな脳波が活動を再開したら
脳死は死ではない
さらに一人でも
自発呼吸が戻ったら
脳死は死ではない
さらに一人でも
意識が回復したら
脳に障害を残したとしても
脳に障害を持つ人を
死人とは呼ばないように
脳死は死ではない
ましてや一人でも
完全に回復したら
何をか言わんや
ということにでもなったら
脳死状態になったら臓器を提供します
とカードに記して約束した人々は
死後の臓器を提供するのではなく
僅かな生存の可能性を
放棄するばかりか
脳障害の生を否定することになり
脳死移植は殺人あるいは安楽死移植
安楽であるかどうかは知る由もないが
以上
え?
ああ多分ウソだと思うし
勿論ウソだと願っているよ
スタディは既に
なされたのだと信じたいよ

 
 
 
  くウソう二・遺伝子
             とだソウ

ヒトの遺伝子が
自然にか人為的にか
切断されたとしよう
大方その細胞は死滅し
DNAは代謝され尿酸になり排泄される
しかしもしDNAの
増殖と蛋白合成に密接に関与する
特定の遺伝子が切り離された場合
ひょっとしたらそのDNAは
細胞が死滅する前に
細胞に異常な増殖を促し
細胞自体を変貌させて
生存を図るかもしれない
あるいはそのDNAは
自らの持つ合成プログラムによって
細胞が持っている材料と
細胞内小器官を利用して
被膜を作り
他の細胞への移動を図るかもしれない
癌がヒト自身の細胞の
秩序に従わない反乱の増殖であるように
一部のウイルスは
ヒトの遺伝子から作られる?
ということは
あらゆる生物の遺伝子からも・・・?
そして人為的な操作によって促進され
善悪には全くお構いなく
発癌や奇形や蛋白合成に関わる遺伝子の
情報をグローバルに散蒔(ばらま)くのかもしれない
ん?
思い付き
勿論ウソだと思うよ

 
 
 
  御先祖様

「我らが生まれた時代は弱肉強食の時代だった。弱い者はすぐ殺された。我らはそういう時代に生きて子孫を残し死んだ。我らの累々たる屍の上に汝は今立って生きているのだ。」
「今私が生きていることを有難がれとおっしゃるのですか。確かに戦国時代にも更にずっと昔どの時代にも私の先祖はいたわけで、そのお陰で私が生まれ生きていることは認めます。犯罪で殺される場合を除けば、すぐ首を切り落とされることもなく幸い戦争も未だ体験せずに済んでいます。でも競争社会ですから弱肉強食は基本的には変わっていないようですし、生き地獄なら今の時代にもあって私は少しだけですが見たことがあります。それに私は恐らく子孫を残さずに死んでゆくでしょうから何か教訓を伝えたいということなら他の親戚筋に言っていただけませんでしょうか。」
「我らが汝に伝えたいことは強く豊かであれということだ。」
「強くあれとは人に負けるなということでしょうか。それなら無理です。私は既に負けています。散々な有様です。ご期待には添えません。」
「強くあることとは人に負けないことでもあるが、それだけでは不充分だ。人に負けないことだけなら悪賢いことと紙一重ではないか。」
「ではどうあれとおっしゃるのです。」
「強くあることとは人に負けないことであり、なお且つ弱き者を助けることができる力と気持ちを持てることだ。我らの多くが弱かった。誰も助けることができなかったゆえ言うておる。」
「では豊かであることとは。そうか。単に金持ちになるだけでは貪欲な守銭奴だから心の豊かさをもって人を助けよとおっしゃりたいのですね。」
「それだけではない。強さは力でもよい。豊かさは物の豊かさでもよいのだ。問題は人がそれをどう測るかということだ。もっともっと人間の底にあるものについて言いたいのだ。強くあることも豊かであることも人間のためにある。自分だけが強く豊かであっても、それは本当の強さでも豊かさでもない。自分だけではなく、いやむしろ強さも豊かさも人に対する尺度で測られるということなのだ。」
「自分が強いかどうか豊かであるかどうかが人に対する尺度で決まると。そうですか。力による支配が全ての昔の時代には無かった強さ・豊かさの測り方を願っておられるのですね。もし力の強さ・物の豊かさを自由にできるようになったら考えてみます。強くも豊かでもない私には恐らく一生かかっても縁はないでしょうけれど。」
先祖の累々たる屍の上に立っている自分を想像しながら私は自問自答してみたのでした。

 
 
 
  アルマゲドン

 ヨハネの黙示録を熟読・研究したわけではありませんが聖書におけるハルマゲドン(アルマゲドン)は、解釈としては当時のキリスト教迫害という時代背景を抜きにして考えるべきではないでしょう。
 善と悪の最終戦争という意味で仮に現代について考えてみるならば、星の衝突や天変地異といった純粋な天災というのは興味本位の考え方でしょう。たとえそれが実際起こって人類が滅亡したとしても自然現象に悪を当てはめるのは無理というもの。
 天災がソドムやゴモラのような神の怒りという考え方なら、人の知恵の及ばない神の意志を唱えるのではなく、むしろなおさら人間について考えてみるべきではないでしょうか。
 人間の善と悪を見分けることは、人間にとって簡単なことではありません。0%でも百%でもあり得ない人間は善の陰に悪あり悪の陰に善ありで、それに止むに止まれぬ事情や偶発的な成り行きや、さらには感情的なある種の病理さえ関わってくるように思います。
 善と悪の鬩(せめ)ぎ合いは集団だけでなく人間が動くときには意識するしないに関わらず、しばしば起こっていることです。
 人類全体に話を広げるならば、アルマゲドンは人間ひとりひとりの善と悪の戦いの総体として人類社会全体に影響を及ぼす終末的帰結とでも言うべきものでありましょう。
 予言とか世紀末とかに関わらず、現代の特殊性は古代と違って人類全体に影響を及ぼしうる物質的生産力と破壊力を人類が手にしてしまっているということに他なりません。
 従ってその力を扱う人間に精神的生産力か破壊力かが問われている時代なのであります。当たり前のことです。
 しかし精神の生産力とは何でしょう。頭脳・能力の生産性・効率という意味ではありません。単に創造力や想像力を意味するのでもありません。精神の破壊力に対する力とは?。
 再生産力と言ってもいいでしょう。ここでは、人間が育み与えうる力の中で、別のあるいは次の命を持つ人間が精神の破壊力を芽生えさせないのに足る物質的・精神的な最小限の安らぎの糧(かて)、また生きるための平等な未来あるいはチャンスに満ちた社会の力とでも言っておきましょう。
 それらを作り出すために物質的・精神的投資を惜しまないだけの、物質文明に劣らない精神性が必要とされつつあります。それらの投資を充分にしてなおかつ破壊に走る力と戦うなら、御心は測りがたいけれども、あるいは神様はアルマゲドンと認知して下さるかもしれません。
 その投資を惜しみ利己だけに走る社会では、精神の破壊力が次々に生まれ物質的破壊力を求め、やがて利己を守りたい者はその投資の何倍もの出血をして軍隊を雇わなければならなくなることを危惧する次第であります。
 それによって引き起こされる戦争はアルマゲドンではありません。アルマゲドンは既に悪が勝利してしまっていて、そういう社会が自ら招いた自己崩壊に過ぎないのです。

 
 
 
  復興

振り返って
よくぞここまで復興した
よかった、よかった
という時期を経てきた
しかし二十世紀の復興は多く
数知れぬ犠牲の上に成り立ってきた
いわば無数の屍の上に
よかった、よかった
が成り立っていた
今その復興を支えてきた人々が
生贄(いけにえ)になろうとしている
いつか再び
よかった、よかった
が成り立つとしても
二十一世紀の復興も
二十世紀と同じでしかないのだろうか

大昔、力の時代
弱い者は死ぬしかなかった時代から
現在、民主主義の時代
福祉や市民運動などによって
時代の底を流れるものは
少しずつだが明らかに志向している
弱者救済を呼びかけ
弱い者を見捨てない方向へと

弱者救済や博愛精神以上に
歴史の底を幼児のように
育っていくもののため以上に
巡り巡って富める者自身も
より豊かになるために
富める個人は問われている
復興させる力のあり方を

 
 
 
  未来への投資:公的福祉献金
   ・・・循環経済というものを考えてみる
          (2001年5月10日)

 理念:多く得た者は多く育み、多く持つ者は多く責任を負うべきである。税金は義務であり、献金は責任である。言い換えれば経済的に豊かになれる環境を与えてくれた社会に対しての感謝と御礼の形である。
 要点:高額所得者と資産家・大金持ちの人に福祉のための献金をしてもらう。強制力はない。所得・資産は献金の有無と必要ならばコメントや理由と共に情報開示する。
 そうして福祉を充実させることで極端な貧富の差を是正し、またそういう悪い事態になることを予防する。生活面での将来の不安を減らすことにより消費者の母集団を増やし、そうすることで貧困が招く犯罪やテロや自殺を防止するとともに、内需拡大・景気浮揚を重要な目的の1つとしている。
 富の一部が近未来への経済安定と発展のための投資となり循環することによって内需拡大を図り好景気を維持する「循環経済」は献金を福祉目的に使い消費者層を増やすことで経済的にも政治的にも安定した高度な福祉国家を築くとともに民主主義に基づく市場経済の健全な維持・発展を図ることを目標とするものである。
 重要なポイント:対象はあくまで富める個人ないし世帯であり、決して団体・法人・企業を対象としてはならない。献金は福祉のみに供し、その出納は公開するものとする。一度献金された動産・不動産は返還されることはない。
 試案骨子:年間所得から税金を引いた額が1億円以上の人がその額の10分の1以上を献金した場合、その人に1年を限り所得特別貢献国民の称号を与える。同様の額が2千万円以上1億円未満の人がその額の10分の1以上を献金した場合は、その人に1年を限り所得準特別貢献国民の称号を与える。
 動産・不動産を含めた総資産から税金を引いた額が5億円以上の人がその額の10分の1以上を献金した場合、その人に5年を限り資産特別貢献国民の称号を与える。同様の額が2億円以上5億円未満の人がその額の10分の1以上を献金した場合は、その人に5年を限って資産準特別貢献国民の称号を与える。
 全ての国民について、死亡後に残った資産から税金を引いた額の5分の1を献金する旨を生前に定められた手続きによって明らかにした場合、その人に死亡するまでの間は準名誉国民の称号を与える。死亡した後は献金がなされた時点から永久に名誉国民の称号を与える。資産が0円でも献金の意志が明らかである場合は同様の扱いとする。但し資産がマイナスつまり借金・負債などがある場合は、その額が幾らであれ献金とは成り得ない。その場合は資産0円と見なして前述と同様の扱いとする。
 なお頂いた公の献金に対して政府が与えられるものは上の名誉称号(貢献を含む総称)と、それを示す賞状・ステッカーの類だけである。その称号を個人あるいは個人の属する団体等の宣伝に用いることは自由である。名誉称号の期限が切れた後は再び献金された場合を除き「元」を頭に付けた称号を残すものとする。
 犯罪行為が明らかになった場合には、冤罪としての無罪が証明されるか、罪の償いが済むまで名誉称号もその資格も剥奪される。

 
 
 
  未来への投資2
    −生存権を死守せよ!
    −福祉献金制度(メモ)

税金の無駄遣いをなくす行政改革や
汚職などの取り締まりはもちろん大事だが
それでも市場経済においては
いかに制度を弄(いじく)ってみても
福祉に充(あ)てる財源は足りないだろう

福祉つまり社会保障・年金・生活保護・医療など
国民の生存権を守ること
さらに市場経済においては必ず生じてくる敗者の
再挑戦を可能にすること
それによって消費者すなわち
消費できる人々を維持し且つ増やし
経済の底辺を支え底上げするするとともに
経済を活性化し
財布の紐を緩める制度が必要である

個人だけを対象とする
(決して企業や団体を対象としない)
献金制度
強制的な税金よりも自主的な献金
(太陽と風のたとえ?)

個人の資産あるいは収入の
1/10〜1/20を目安とし
福祉目的だけに使うことを前提とした
個人からの献金を勧める国策としての制度
もちろん法的強制力はない

献金者に対しては
献金総額1000万円につき
ブロンズ星1個
1億円につき銀星1個
10億円につき金星1個
といったような何らかの称号が与えられる
結果は長者番付と同様に公開される
コメントなども記載できるようにしておく
どんどん儲けて
どんどん献金していただく制度である

自殺者が年間3万人以上という昨今
世の中は甘くないと言い捨てるだけでは
もはや済まない時代が来ている

ユートピア的ではあるが
こういうことも今の時代から
考えてみるべきではないだろうか
何度考えても同じような結論しか出てこないのである

これは国民のそして人間というものの
(特に富める人々の)
精神の発達と進化を測る試みでもあり
物質文明の発展に対応したものである
また弱い者に対する態度について
大人がどれだけ子供に手本を示すことができるか
という試みでもある

税金は権利に対する義務である
献金を自由に対する責任と
自らを豊かにしてくれる社会という場に対する責任と
そして未来への投資と見なすこと
が出来るかどうかが問題である

 
 
 
  暴君

擬勢を張る暴君は
民衆に犠牲を強いる
抑止を無期限に継続し
最小限度の準備をしておく
抑止が正常に働いている間は
暴君は軍拡も戦争もできない
そして暴君が死ぬのを待つ
暴君もそういう思惑を知るだろう
もし抑止に耐えられず事を起こせば
その時こそは大義が成る
という方法もあっただろうに
今は核の時代
放置してはおけないと
事が起こってからでは遅いのだと
力ずくの為政者は
民衆に犠牲を強いる
平和平和・戦争反対と叫ぶ人々
しかし平和を脅かす恐れのある者が
いざ自暴自棄になって暴れ出せば
今は大量殺戮の時代
平和を願う人々は犠牲を強いられる
つまり今の時代
平和に徹するということは
粛々として死を覚悟することである

 
 
 
  刺の関係

「少しはチャンスがあったような…」
「いやなかった。あったのは死ぬ自由だけだった。死ぬチャンスだけだった」
「それもなかった。私は病で倒れたゆえ」
「あなたは無理と承知で無理をした。あなたを殺したのは過労とストレスと失意と絶望ではなかったのか」
 「一度死んじゃうと、やり直し利(き)かないんですよね」
「お前は誰だ。我ら一人一人の苦しみが分かると言うのか」
 「分かっているとは言えません。私はまだこの世にいるのですから」
「お前に何が分かるか!」
 「だから分かりません、分かりませんよ、ごめんなさい」
「おまえに…わかる…ものか」
 「今、安らいでいますか」
「…オ……ワカ……モ…カ…」
 「どうしたんです。よく聞こえない」
「…………」
近くにいるようなのに、遠ざかる声
夢か空想か、夢の続きを空想しているのか

もし私が自殺したら
彼らの前に泣き頽(くずお)れるだろう
ふるえながら神の裁きを待つだろう
もし私が天寿を全(まっと)うしたら
怒鳴りつけてやりたくて
でもやはり頽れるだろう

人が生か死かの選択を迫られるとき
神様は、人にお与えになった自由意志に期待を寄せて、あえて沈黙されるような気がしてならないことがある
幸か不幸かは死に方にもよるだろうが…

頑張った人が報われる社会
頑張らなかった人はもちろん含まれない
頑張れなかった人さえも含まれない
頑張ったけれど失敗した人も含まれない
頑張って成功した人だけが報われるということだろう
自由競争・成果主義・適者生存
桁外れの富と底無しの貧困が同居する
這(は)い上がるか落ちてゆくか
自由の名のもとに生存は脅(おびや)かされ
ぎすぎすした関係は共存から競争に明け暮れ
ますます刺々(とげとげ)しいものになってゆく
人から生まれ出た刺(とげ)が人を襲い人を殺す

人災止(や)まざれば
天災止まず
人災の加害者と
天災の被害者は違うから
これは妄想だが
限られた人々の
限られた財布の中身と命をも
あの手この手で
もぎ取り毟(むし)り取ろうとする
人食いの時代
あっさりと過ぎたことにされる一つ一つの死は
あっさりとは過ぎてゆかない災いを残すだろう
鋭い刺(とげ)がどれだけ人を殺し消し去ろうとも
刺が消えずに残り続けるあいだは

 
 
 
  オン・デマンド

古い人は老眼鏡をかけて
お茶をゆっくり飲みながら
新聞を広げて
昨日のニュースを読んだあと
テレビ欄だけ別にして
観たい番組に印(しるし)をつけている
PCを起動した別の人は
BBでWEB画面を眺めている
ニュース・新聞・TV・映画・音楽等々
といったメニューから
最新のニュースの
映像・音声を視聴したあと
電子新聞の記事に目をやって
テレビ番組表を開く代わりに
TVメニューボタンをクリックする
あらゆるジャンルのメニュー・
サブメニューの中から観たい番組
コンテンツを選んでクリックする
WEB画面が瞬時に切り替わり
高速ダウンロードしながら
すぐに観ることができる
体調を気にする別の人は
携帯端末からアクセスして
医療をメニューから選択して
バーチャルドクターにスクリーニングの
問診・カウンセリングを受けている
画面のポップアップ辞典を見ながら
外国の本を読んで勉強する別の人
見知らぬ異国の人と
対戦ゲームに夢中の別の人
相手の顔を見ながら
チャットしている別の人
その顔と声が友人であるか
一面識もない人の
合成された3DCGであるか
傍目(はため)からは分からない
古い人は相変わらずお茶を飲みながら
観たい番組までの
時間の過ごし方をのんびり考えている
便利さと効率を求めれば
待ち時間なしのオン・デマンド
がベストということになる
けれど古いものは残るだろう
古い人が生きている間だけではなく
古いものに馴染(なじ)んでいて
古いことを大切にして
必要とする人がいる限りは




  (憲法・愛国心その他)

次のようなことは護憲派の人たちが
すでに言っていることなのでしょうが・・・

憲法改正には危惧感を抱いております。
どちらかと問われれば私は反対です。
憲法改正をするのであれば自衛隊、さらには
その前身である保安隊や警察予備隊を作ったときに
改正すべきであったと思います。
しかしそれは出来ず、現行憲法の拡大解釈をもって
警察予備隊→自衛隊→海外派兵に至っている。

つまり憲法の拡大解釈という前例を重ねてきている
というところに危惧を覚えるのです。
前例があるということは裁判や政治においては
大きな影響を持っています。

改正された新憲法が、さらに拡大解釈される恐れが
あるのではないかという危惧であります。
さらに憲法を改正すると、
憲法改正という前例も作ってしまいます。

現行憲法も、さらなる拡大解釈の恐れはあります。
しかし自衛隊のイラク派遣も人道復興支援という
大義名分を付けなければならないほどに
ぎりぎりの解釈のところまでは来ているように思われます。

憲法が改正されたからといって
直ぐに軍国主義や戦争に走ることはないでしょう。
しかし何十年〜百年というタイムスケールで考えた場合、
さらに、内的外的を問わず、何らかの大きな危機的状況
が加わった場合、等々を考えてしまいます。
為政者も国民も世代が代わった頃になりますが、
現行憲法のブレーキはもはや利かないわけです。
とんでもない為政者が現れて「平和を乱すものを
やっつけることは貿易立国日本にとって自衛権の行使である」
みたいなことを言い出し、大衆を煽りながら、
少しずつ戦争しやすい国へと変えてゆく危険性というものを
先ず問題提起しておきます。

次に愛国心教育について。
無条件に、この国を愛せますか。
私は「ノー」〜せいぜい両価性です。
(私自身に対する感情も似たようなものですが)
生存権を脅かすほどの激しい競争社会、3万人以上の自殺、
とげとげしい人間関係、残酷な犯罪、等々問題山積の
この国を無条件に愛せますか。
愛することを教育するならば、当然
愛するに値する国を作らなければならないと思いますが。
国民の生存権も守れないで何が国家か
・・・と言いたくなるほどです。
愛国心教育をするならば大切なことは
自分の国を評価し批判できる精神を
養うことを含んでいなければならないと思います。
「日の丸」「君が代」「国家に忠誠」を押し付ける
教育であってはならないと思います。

そんなことは分かっていると言われそうですが
「日の丸」「君が代」法制化から
憲法改正への動きを見ていると、
どうも違った方向のように思われてなりません。

思想信条の自由について。
反体制的な思想であっても「思想」に留まる限り
自由だと思います。でないと国家を批判することも、
犯罪になり、できなくなるのではないかと・・・。
国家転覆計画や内乱を唱える思想についても、
「既遂」になると英雄になってしまう
というのはもっともですが・・・
事前の逮捕・取り締まり・拘束はしてはならないと思います。
私が学生の頃には平気で暴力革命を主張する人がいました。

とはいえ時代は変わり外からも内からも、いつどこで
攻撃されても不思議ではない時代になってきたからには、
それに気づいたからには、それなりの対処は必要です。
それで結局、私が大事だと思うのは思想集団についても
宗教団体についても情報収集ではないかと思っています。
犯罪の可能性を早期発見して、監視することだと思います。
そして可及的に軽微な犯罪の段階で取り締まること
しかないのではないでしょうか。そのためには
囮捜査も盗聴も必要かもしれません。盗聴については
悪用を厳しく取り締まる制度が前提になりますが。

刑法・刑罰について。
今、死刑はどういう方法で行われているのでしょうか。
絞首刑?電気椅子?注射?いずれにしても私は
今の死刑制度には反対です。改正すべきは刑法ではないか。
死刑と無期懲役のギャップが大きすぎる気がします。
終身刑というのは日本では聞きませんが、どうなっているのかな
・・・アメリカの死刑のない州では終身刑とか、懲役何百年とか
聞いたことがありますが、いっしょですよね。
遺族の無念を考えるとき殺人を殺人で終わらせるのはいけない
という理由だけで死刑廃止論を主張するつもりはありません。
思いつきに過ぎないですが、
(人為的)死刑の代わりに自然死刑
というものを極刑として考えます。これは
終身刑ですが、仮釈放なし、生涯独房、加えて
いかなる医療的処置も受ける権利を剥奪する
という点で他の終身刑とは異なる刑になります。
人によっては死刑より酷い刑かもしれません。
この極刑と無期懲役の間に上の2条件や待遇の差で
段階的な終身刑を設けたらどうだろう
なんてことを考えてみたりしています。
自然死刑なら適用しやすくなるかもしれません・・・
法務大臣が判を押す=殺すこと、にはならないから・・・?




  不戦の誓い

五十年後、百年後に
何を残すべきかを考える前に
何を残してはならないか
ということも考えてみたい。

日本が「戦争の出来る国」に
なってはならないから、
前例となって、準備となりうる
憲法改正には反対です。

「やられても、やり返さない国」
「報復戦争をしない国」
「集団的自衛権を行使しない国」
「国連軍にも軍隊を出さない国」
すなわち日本は
「戦争をしない国・日本」を
世界に向かって宣言すべきなのです。

と、ここまで言ってしまうと
大量殺戮兵器による攻撃、例えば
核ミサイル攻撃を受けたときには、
攻撃をせず自衛に徹するなら、
迎撃ミサイルをもってしても
完全に防げるものではないだろう。
最悪の場合、
日本民族も日本という国も
滅びてしまうかもしれない。

それでもよいと、
それによって滅びた
「不戦の国・日本」の評価は
後の歴史家にでも任せて
死を覚悟した上での
戦争反対の平和運動には賛成します。

「不戦の誓い」をもって
「戦争をしない国」が
先んじて現れないことには
世界の平和も、どこからも
現れて来ない気がします。

めぐりめぐって、つまるところ
絶滅危惧種は人類なのですから。

(それにしても
 「平和、平和」「戦争反対」は
 何の覚悟もなく、当たり前のように、
 あまりに軽く叫ばれてはいないか)

「不戦の誓い」は
戦争に劣らないほどの
覚悟が必要なのです。




  ある感想

文章も発言も批判も
論理の展開のようでありながら
文士のようでありながら
括りの断言は陰険で
激しい「排除の言葉」・・・!?

批判はペンの仕事ですが
排除は剣の仕事です

排除の言葉を敢えて
思い切って言って
インパクトを与えようとしているのか

ひょっとしたら
いつの日か結局
ペンではなく
剣による排除が目的
なのではないだろうか・・・
という危惧が感想でした




  判断・叫び

誰もが哲学者や思想家に
なれるわけではないでしょう

体験や見聞などからシンプルに
「平和」「反戦」「核廃絶」を
叫び続けることで
辛うじて保たれているものも
辛うじて抑えられているものも
あるはずです

叫び続けなければなりません

しかしもし国の将来と
行く末を考える立場に
立つことを目指そうとするならば
当然より深い思索が求められます
そして「平和」が少なくとも
戦争をすること以上の
強い覚悟と勇気を
要求することを知るはずです

五十年後〜百年後の平和を
保証することは誰にも出来ません
しかし五十年後〜百年後さらに
それ以上先のことを考えて
今何を保つべきか
今何を抑えるべきかを
判断することは
まさに今生きている人々の
責任であり義務に他ならないのです




  互除(助?)法

互いに「除」を繰り返して
除いて除かれて小さくしてゆく
それが最大で最強の
共有だとでも言うのだろうか
数学ではないのだ

生き残りを賭けて互いを排除しあえば
排除されてゆくものは
二つに分かれてゆくだろう
萎(しぼ)んで退いて
弱々しく終わりへ
死や自殺へ向かう退却方向
荒(すさ)みながら騙したり盗んだり
爆発して殺しさえもする攻撃方向
自暴自棄からひょっとして
純国産の自爆テロさえ・・・?
そこまでは分からないが競争と格差は
過ぎれば治安を悪化させるだろう

互いに「助」を繰り返して
助けて助けられて大きくしてゆく
それを最大から普遍の
共有とするような互助法はないものか

競争は自由だが一方で責任として
生存権を脅かすことがあってはならない

互除法は分かりにくい
互助法はますます困難になりつつある




  もウソう・環境問題

環境に最も優しいことは・・・
「人類がいなくなることです」
と言ってしまうと
身も蓋もないけれど・・・

人類ほど必要以上に
環境を破壊してきた生物はいません
それは人類の宿命でもあります

もともと人は
鋭い牙も爪も角もない
「裸のサル」ですから
それだけでは他の動物に敵わない
真っ先に絶滅していても
おかしくない動物です
しかし牙や爪や角の代わりに
人は知恵によって
道具を作り発展させて
集団となって組織となって
ときには人間性も失って
非情になって
他の生き物に負けず
むしろ利用することで

昔・・・ご飯を注文すると
「じゃ、稲刈りに行ってきます」
という笑い話がありましたが・・・

人は資源を含め
必要であってもなくても
買っても買わなくても
あらゆる商品を店に並べるという
今日の流通社会を作ってきました

それを英知と呼べるかどうか・・・
人類は今に至るまで
自分で自分の首を絞めるような
歴史を繰り返してきましたから・・・

仮に人類が滅亡したとしても
何の文句も言わずに
自然に滅びるものは滅び
栄えるものは栄え
自然は続いてゆくのです

環境問題「環境に優しく」は
「絶滅危惧種・人類に優しく」
という前提に他ならないのです

そのために今言えること・・・?
メカ・トロ・アグリ(カルチャー)
ここではバイオ燃料に期待する云々
・・・と言うだけにしておきます




  崩壊

荒れた道沿いの丘を走っていく
両手で抱えているのは黒い棒切れ
迷彩服は朝日に照らされて
丘の上これ以上狙いやすい的はあるまい
墨でも塗っているのか
黒人なのか
それとも焼け焦げているのか
黒い顔は眼だけがむき出しの形相で
崩れるように走っていく
わからない
よっぽどつらいことがあったんだろう

昼の光の陰の通り
近寄って来て声をかけてくる
「@×〜※〇÷#&▽=∞+?・・・」
何か尋ねているように聞こえるが
内容が聞き取れない
崩れるように近づいて
崩れるように何度も声を向ける
恥も外聞もないかのように
自らを投げ出している
わからない
よっぽどつらいことがあったんだろう

いっそ崩れてしまえば
本当は赤ん坊になって
胎児になって
宇宙か天空へでも帰りたいのだが
もうこんなに歳を経てしまった
黄昏の地平に砕かれて
粉々になってしまえば
黒い顔のまま倒れて
丘の下の草原へ転げ落ちてしまえば
@×〜※〇÷#&▽=∞+?
投げ尽くしてしまえば
声が音になって
引き裂かれたあとの沈黙が
静けさになって引き裂かれたあとの
地獄が天国に・・・

そんなにも虚無を
求めるかのようでありながら
引き金のない銃に
空(から)の薬きょうを込めて
崩れかけた顔に
水の化粧をして
崩れかけた声に
塩素の泡を流して
目覚めれば今日も
自らに迷彩を施している

 
 
 
  地球の持ち物

人が地球の持ち物だったころ
責めは平等だった
人は弱かったから
恐れることを知っていた

人を持ち物にする人も
地球を持ち物にする人も
責めを負わねばならないはずだった
地球を所有する自由に
見合うだけの責任を
負いきれる者などいないこと
誰でもわかっているはずだった
いろいろ困ったことや
便利なことがあって止むを得ず
不可抗力の弁明は
そのまま人に返され
責めは引き渡される
今度は人の間で
私じゃない誰だ彼だと
人は人を特定して
持ち物のように捨てる

地球が人の持ち物というなら
決して特定できない相手から
人はどんなに強くても
恐ろしいことを知らされる

荒れた海に接吻(くちづけ)は届かない
荒れた海は唇を震わせ顔を歪ませる
海岸線には累々と屍が並び
訪れた人は冷たい波のしぶきに
思い切り横っ面を叩かれる
手はしびれ
血管は縮み
心臓は止まる

焼いても焼いてもゴミの溜まる陸と
塞(ふさ)いでも塞いでも穴のあく空と
屍の打ち寄せる海から
生も死も知らない敵が
生も死も与えにやって来る

まだ訪れてはいない
不可抗力と言ってしまう結末を
和解と言い逃れの違いを
誰もが垣間見て知っている
それが我が身の未来なのか誰も知らない

吐いても吐いても毒の溜まる体から
海鳥の翼は生えてきて
アー、アー、と
なきながら群がって
ゴミの山に餌を求め
奇形の翼で墜落しては
上と下の合わない嘴(くちばし)でつついている

 
 
 
  「ああ」の形容

硬軟合わせて・・・
酸いも甘いも・・・
清濁併せ呑む戦法か
清と濁を合わせたら
清であるか濁であるか

幼子と呼ばれた頃を過ぎたときから
私たちはすでに濁なのです
その一方で
星なのです
光なのです
夢であり
とりとめもなく
昇る星であり
沈む月であり
ああ何と言ったらいいか
走る太陽の周りを
回っている地球の上で
回っている地球を知りながら
回っている大地を感じない
ああ 土であり
息であり風であり
だからアダムとイブに始まる物語は
実存であり今であり私たち
ひとりひとりの成長の歴史であり
ああ存在であり歴史であり
隠れており現れており
希望であり幻滅であり
矛盾であり絶望であり
ああ何が言いたいのか
争いに明け暮れ
遊びに過ぎて
流れる
流される
下手くそな戦法に
負け続ける戦いに
壊れ続ける肉体であり
弱々しい誠(まこと)であり
白々しいウソであり
ああ
物心ついたときから
私は聡(さとし)です

 
 
 
十二、体験より
体験といっても私の推測や想像も交えてのことです

 
 
 
  病気と動機

兄が発病した頃
一緒に遊んだり
学校に通ったりする程度の友だちに
兄がノイローゼで
精神病院に入院したと話した
実は別の病気だったが
そのあとから通学するとき
「離れて歩け」と言われた
保健体育の授業では
「精神分裂症これは純然たる
キチガイでありまして・・・」
これが当時は普通だった
そして当時の私も普通に受け取った
だから乱暴だった兄に対して
同情することなどはなく
むしろ憎しみを向けていた
「あんな奴なんか
早く死んでしまえばいい・・・」
と平気で母に言ったりしていた
兄は囲碁が強かった
最初は父が教えたのだが
まもなく父を追い越した
兄は勉強をサボっていたから
私は気にも留めず馬鹿にしていたが
あとになって驚いたことがある
一局打ち終わると
それを最初から再現できるというのだ
その後も囲碁の強さだけは
一番強かった頃ほどではないにせよ
長期入院の生活においても
かなり維持されているという
それと
ある夜のことだった
風邪か何かで寝込んでいた母に
兄は「幻聴が入るんやもん・・・」
と苦しそうに小声で訴えた
(この病気にも苦しい時期がある)
と意外に思った記憶がある
兄は子供時代から
野生児みたいなところがあって
よく苛(いじ)められもしたが
一緒に山に行ったときには
上手に蔓を見つけて
大きな山芋を掘ってみせた
あの頃が一番よかったとは言わない
兄の人生は兄のものだ
元々性格的に内向的で口下手な
医者などには向いていない私が
精神科医を目指したのは
兄や叔母を治そうなどという
殊勝な動機からではない
今でも兄に会ったら
喧嘩になりそうな気がする
他人には冷静でも肉親は別だ
私に兄は治せない
私は病気が憎かった
病気の世界に何の抵抗もせずに
向かって入ってしまうのが
嫌で嫌で仕方なかった
私自身の疾病恐怖に
抗(あらが)えるだけ抗い
そして今こうなっている
信仰の問題はあるとしても
人生は一度だ そう
私の人生は私のものだ




  医者だった頃・何も出来ない

私が精神科研修の前に基礎研修を受けた病院は、水俣病の患者さんが集中して受診してくる内科の病院だった。私は検診の手伝いを二度ほどした程度で水俣病に深く関わろうとはしなかった。研修を始めて既に暫く経ってから指導医に「Mdって何ですか」と尋ねたものだから「Minamata・disease」と指導医の先生が呆れた様子で教えてくれたのを覚えている。
深く関わろうとしなかったのは元々私が最初から精神科志望で、そのための内科基礎研修が目的だったこともある。でもそれだけではなく水俣病といえば当時は訴訟の最中でもあったし万一裁判所に呼ばれでもしたら口下手で緊張しやすい私には上手な答弁をする自信がなかったからでもある。
外来は患者さんが多くて忙しい。患者さんの殆どが四肢の神経障害以外にも頑固な頭痛・首や肩の痛み・凝り・腰痛などの神経系の症状を伴っており、似たような症状を併せ持つ患者さんが多いのに驚いた。(ここは病人の町か)と思ったほどであった。
ある日、女性の患者さん
表情は沈んでいる
首〜肩の凝りと痛み
では薬でもとカルテを見ると
既に鎮痛剤等々処方されている
では神経系に効くという点滴療法
既に受けたとのこと
では理学療法でも
それも既に受けたと言われる
(私には何も出来ない・・・)
と情けなくなってもじもじしたあげく
私は立って「この辺ですか」などと聞きながら
幾分強めの指圧を掛けながら
患者さんの肩を揉み始めた
「五分間くらい揉みましょうか」
「いいです。他の人にしてもらいます」
と言って患者さんは診察室をあとにした
患者さんの悲哀が
私の無力感に重なって診察室に残っていた

 
 
 
  医者だった頃・胸の弾丸

三人の医者が担当しても
相変わらず忙しい内科の外来に
一人のご老人が来られた
定期受診されている患者さんである
色鉛筆かクレヨンか何かで
数個の点を描いた紙を見せて
物が幾重にも見えると言われる
今に始まったことでもなく
悪化しているようでもない
胸には今でも
鉄砲の弾が残っていると言われる
戦時中に受けた弾だから
今さら摘出しても治療的な意味はない
ご老体に手術を勧める気にもなれない
どちらについても
こうして欲しいと
はっきり言われるわけでもない
どうして欲しいのだろう困ったな
と暫(しばら)く話を聞いたあと
特別することもなくて
定期薬の処方を告げると
意外なくらい何の文句も言わず
深々と一礼して帰って行かれた
何を求めて病院に来られたのか
考えてみれば胸に鉄砲の弾が残る
私の世代では起こり難い
驚くべきことである
心からも体からも消えないほど
深い戦争の体験があった
家族には既に何度も話したのだろう
傷や病気が専門であるはずの
医者に聞いて欲しかったということ
直ぐに病気や傷を治すことを
期待しているわけではないのである
以後そのご老人が来られるときには
許される限りの時間で話を聞いた
聞くと決めてからは
聞いているうちに何か
しんみりした気持ちになっていった
じゃあいつものお薬出しておきますね
と静かな口調で言って
静かに診察は終わる
ある日そのご老人が隣の診察室にいた
診ているのは私よりも遙かに有能な
若い内科の専門医
だから一体どうして欲しいわけぇ?!
あのご老人とは初めてらしい
かなり声を荒げているが
ご老人を初めて診たときの私と
気持ちは同じだろう
外来が終わって彼は
はぁ〜たぁまらん
とストレスの塊みたいになって
医局に戻ってきた
目的がはっきりしないと効率が悪い
効率が悪いとストレスが溜まる
あの時代から今に至るまで
暇な老人が
治療の必要もないのに受診すると
効率は受診を抑制してゆく
それで効率は良くなるだろうが
いつか私が年老いたとき
このご老人のように話せる
深い体験を
私は未だ持たない

 
 
 
  医者だった頃・みてはいよ

当直の夜
病棟の詰め所にいた
二人の看護婦の傍(そば)で
カルテか何かを書いていたとき
ぬうっと目の前に指が出てきて
「みてはいよ」と患者さんが言う
何を診ればよいのか
指とは関係なく
「腹に穴の空いた」
と奇怪な訴え
私は目を丸くしながら
「・・・前にも
・・・あった?」
患者さんは頷(うなず)く
「・・・そのときは
・・・どうした?」
「肉作る」
「・・・自分で
・・・作る ?」
患者さんは頷く
「ん・・・」と
私も戸惑いがちに頷いてみせる
すると患者さんは
それ以上訴えることもなく
ゆっくり詰め所から出ていった
頷いてよかったのかどうか
「んー?」と私は首を傾げる
看護婦二人
大笑い
とても異常なことを
許容してしまった夜である

---------------------------------
※「はいよ」は熊本弁で「くださいよ」の意味。

 
 
 
  医者だった頃・三段論法

時々入院はするけれど
あの頃は気持ちも落ち着いて
調子は悪くないはずの患者さんが
医局にやってきて医局秘書さんに尋ねた
「○○先生はどこな」
「○○先生は今は会議です」
「・・・だけん、どこな」
「だから会議って」
「・・・だけん、どこなって」
と患者さんは粘った
口調は割と穏やか
落ち着いてはおられるようだが
○○先生は会議
会議中は会えない
ゆえに○○先生に今は会えない
三段論法の常識部分がまだ不十分みたい
会議なら会議場へ行けば会える
という論法らしい
デスクで聞いていた私は言った
「会議で忙しかけん今日は会えんよ」
かくして三段目まで補足され
「あ、そですか」と言って
患者さんはあっさり帰った
「あれ?」と笑いながら
医局秘書さんは首を傾(かし)げた

 
 
 
  医者だった頃・結婚のお誘い

前途有望な若手の医師が
電話の応対で少し苛ついている様子
患者さんからの電話のようだ
恐らく何度も掛かってきたのだろう
「いけません」
「だめです」
の繰り返しのあげく
「本人に聞いて下さい」
と言うのが聞こえた
本人て誰だろう
まもなく私に電話が掛かってきた
聞き覚えのある声
直接受け持ったことはないが
知っている女性の患者さん
本人とは私だった
彼女は確か別の病院に移ったはずだが
彼女が言うには
私と精神的結婚をしたいとのこと
精神的結婚?
何的結婚であれ
お断りするしかないのだが
さてどう説得したらよいものか
「それはあなた自身の考え?」
「Q様が云々・・・」
彼女にQ様が登場するときは
あまりよろしくないときだ
しばらくやりとりが続いたあと
「僕の結婚をね、あなたと
Q様だけで決めていいわけ?」
と私が訊くと
それは私の意見も聞かないといけない
と言われる
傷つけないように言葉を選びながら
でも正直な疑問と私の気持ちを伝え
丁重にお断りすると
「じゃあ諦めます」と言われる
意外なほどの素直さに驚きながら
「Q様があなたを支配して
命令するときには
あまり良いことはなかったみたいだし
向こうの先生に話して
ちゃんと診てもらって下さいね」
と「お大事に」で電話は終わった
勿論Q様は実在しないのだが
そんなときでも
結婚は両者の合意に基づく
という常識は保たれていたのである
表に出ている病理の世界と
対決するのは苦しく
また説得という意味においては
殆ど無益であり
残された通気孔のような正常心理
に正直に訴える精神療法
の基本を思い知らされたものだった

 
 
 
  医者だった頃・自尊心

自尊心(プライド)の高い人は
自分を隠すのが上手です
とはいえ時には溜まったものを
吐き出すことも必要です
でも外来に通ってきている貴女(あなた)に
歯止めの掛からない興奮は似合わない
というか貴女らしくない
こちらの言うことは何も聞いてくれず
憤懣(ふんまん)をぶつけるだけの貴女なんて
実際には成り行きで
ああするしかなかったのだけれど
新しいカルテの用紙を私が自ら
貴女の目の前で出してみせる
普段はあまりやらないことなのです
それは私が徹底して聞き手にまわり
貴女の言うことを記録にとどめます
という合図(サイン)
自尊心の高い人は喋(しゃべ)りすぎると
恥をさらしたような
損をしたような気持ちになる
貴女は気づく人なのです
だからまもなく貴女が
面談を終わらせたい旨を私に告げたとき
私は目一杯の誠意
を込めて答えたつもりなのです
「はい。貴女がよろしければ」




  医者だった頃・鑑別

初診・新患のご老人である
認知症の疑いがある
と思って入院させるのだが
何か弱々しい
問いかけに応答が乏しい
笑わない
ほうっておくと早晩
寝たきりになってしまいそう
CTスキャンを見てびっくり
慢性硬膜下血腫だ
医局で相談して脳外科に紹介した
しばらく戻ってこなかったから
血腫は手術で除去されて
元気になったのかな
という楽観的な期待は残念だが外れた
忘れかけた頃に戻って来られた
血腫は消えていたが
病状は好転しなかった
すでに脳実質の圧迫が
長く続いていたということだろうか
意識レベルの低下・意識障害と
知的レベルの低下・認知症の鑑別は
私のような下手な医者には難しいが
少なくとも
「しっかりボケてる」
という印象の薄いときには
CTスキャンを撮るべきだ
という教訓とともに
とうの昔に医者は辞めてしまったのに
かの人を思い出す




  医者だった頃・癒す

一方的な訴えである
被害的な内容である
直接の主治医ではないが
時々外来でお目にかかる高齢の女性
被害妄想があることは知っていたが
現状に対する不満も含まれているようだ
即入院の適応にはならないと判断したが
何か言っても聞き入れてくれない
一方的に聞いている時間が
とても長く感じられて
「じゃあ、どぎゃんしたらよかとね」
「わぁ・・・どうしようか」などと
思わず弱音を吐いてしまった
すると弱々しく困り果てた
こちらの様子を察してくれたのだろうか
意外なくらい患者さんの態度が変わった
今まで見たことのないような
温和な笑顔になって
「あ、ならよか、先生よかけん、
 いつもの注射でよかけん」と言われる
思いもよらぬ
やさしい思いやりに驚きながら
注射を指示して診察は終わった
こちらが患者を診(み)ているだけではない
患者さんもこちらを見ているのだ
社会の偏見は根強いものがあるが
ある意味 一方で
最も偏見を持ちやすいのは
治療者である
病状だけを診ていると
大切なものを見失ってしまうな
と反省しながら
患者さんに癒された日




十三、歌

 
 
 
 サンタクロースはもういない (歌詞・曲済み)

サンタクロースはもういない
小雨に濡れる街角に
たたずむ影はただ冷たい
まだ来ぬ誰を待ちわびる

雪も降らないクリスマス
寒さにかじかむ手の中に
あたためているプレゼント
小さな箱にいだかれて

ネオンの街の片隅に
帰りを急ぐ人波に
ひとり思いに動けない
雨はやまない帯模様(おびもよう)

光るきらめく夜の中
回り舞台は輝いて
数え切れない影と影
作って誰か耐えている

もう遅すぎるプレゼント
それでも今夜はクリスマス
濡れる小箱を受けとめて
今をください私にも

さよなら、さよなら、もう二度と
・・・・・・・・・・・・
さよなら、さよなら、もう何も
・・・・・・・・・・・・

サンタクロースはもういない
小雨に濡れる街角に
たたずむ影はただ冷たい
それでも誰を待ちわびる

 
 
 
  すべて意欲は

すべて意欲はからからと音をたて
枯れ葉のような空回りをした
その目は絶えず中空(ちゅうくう)にのぞみ
底知れぬ空しさにのめり込むようだ

すべて情熱はふれあう縁(よすが)もなく
真っ赤な嘘に目をまわしていた
心は絶えず波の上 木の葉のよう
いつしか海に沈むことに憧れていた

 雲がわき
 雲が飛び
 雑多な雲が流れ
 千々に流れて
 虚空(こくう)へ消えた

すべて祈りは尽くせぬ歌のよう
とまどう思いに吐息を返した
その手は絶えず
差し伸べる力もなく
さわれぬ何かを待っているようだ

ひととき光が枯れ木にさして
ほんの一滴しずくがこぼれた
しずくの下まだ傷ついたまま
春は静かに眠り続けた

まぶたの裏に 語らぬ唇に
明日(あす)に届かぬ夢がうずいた
明かさぬ胸に あたためた やさしさだけ
伝えたかった 誰よりも先に
あなたに

 
 
 
    夜汽車

一、眠れない夜汽車の旅に
  うす目をあけて外を見ていた
  またひとつ明かりが消えて
  静かな闇へ
  別れてゆくね
  流れゆく光に追われ
  いつか名もない過去へ帰ると
  残された灯(ともしび)
  そっと消して
  あなたの旅が始まる

二、できるなら夜に抱かれて
  僕も小さな夢になりたい
  時のない眠りの中へ
  退く愛を許していたい

  この身には測りしれない
  あなたの世界 たとえようもない
  そこにだけ
  あなたの夢があるというのか
  まだ問われずに

三、眠れない病の夜を
  遠い旅路へいざなう汽車に
  どれほどの明日(あす)を拒んで
  よどむ命をまかせたのだろう

  戻れない時へ幾度も
  今日も別れを繰り返すだけ

  今はただ まぶたを閉じて
  これが最後のあなたへの歌

四、やがてまた窓にもたれて
  うす目をあけて外を見ていた
  ほのめく闇 重なる光
  いつか全てが同じところへ

  いつの日か僕も去るだろう
  それが約束 尽くせぬ歌に
  残された灯(ともしび)そっと隠して
  僕の旅が終わると

 
 
 
  運命(さだめ)

悲しいことではあるのだけれど
定められたもののように
夢も望みも知らないままに
逝ってしまう人がいる

悲しいことではあるのだけれど
定められたことのように
夢も望みも届かぬままに
逝ってしまう人もいる

悲しいことではあるのだけれど
定められていたかのように
夢も望みも奪われながら
こわれてゆく人がいる

悲しいことではあるのだなどと
実は少しは楽しみながら
本当の悲しみ訪れたときに
自分で逝ってしまった人

悲しいことではあるのだけれど
定められたものならば
夢も望みも奪われるままに
在るがままに受けてゆくさ

悲しいことではあるのだけれど
定められたものであろうと
奪われるだけだと思う心に
降り注ぐものを見つけて

悲しいことではあるのだけれど
奪われるものを見送りながら
降り注ぐものを受けながら見つめて
生きてゆく道もあるさ

悲しいことではあるのだけれど
定められたものならば
夢も望みも奪われながら
生きてゆくのもいいさ…

 
 
 
  あなたの夢を見ました

あなたの ゆめを みました
いそぎあしで すぎゆく ひとの
あいだで ほほえむ あなた
て を のばせば とおざかるばかり

あなたの ゆめを みました
みしらぬ みちへ さる ひとを
おっても おっても とどかない
よんでも よんでも こたえない

あなたの ゆめを みました
あなたの ゆめから さめて
あなたの ゆめが にくくて
あなたの ゆめが いとしい

あなたの ゆめを みました
えみを うかべて かたわらに いて
かいなに むねに いだいて みれば
なぜか あなたに 似ぬ ひと ・・・

あなたの ゆめを ・・・
・・・ ・・・

 
 
 
  砕ける思い出

砕けてよ
波よ
岩よ
二十歳(はたち)の夏よ

あれから幾度
海を見てきた

今は冬
風も
冷たい
なのに白波もなく
打ち上げる波の
しぶきも
妙に やさしげ

かじかんだ手
砕けるのは
僕の方か
それとも僕が見ようとして
見ることのできない思い出の方か

逃げてゆく
言葉 愛の
その後ろから
石を投げてる
自分を見てる

こらえきれずに逃げてきたよ

遠い海鳴り
二十歳の夢のように

 
 
 
  恋歌

あなたの こえが ききたくて
みみを すましてみるけれど
いまは やさしい ほほえみも
うたごえさえも とおすぎて

あなたの ゆめが しりたくて
こころを こめてみるけれど
とおい おもいで 追うばかり
間(あわい) せつなく 問うものを

つきぬ おもいよ いまさらに
なにを もとめて たちどまる
ささげるものと 問われては
とどかぬ うたと しるゆえに

わたしの おもいの はかなさを
ささのは ささぶねに おりなして
この かわの もに うかべましょう
はてる さだめと しりながら
はてる さだめと しるゆえに

 
 
 
 Mに捧げる歌

月と星との逢瀬(おうせ)には
光る街の灯(ひ) 港町
痛みを耐えて
望みを捨てないで
ただひとときの賑(にぎ)わいに
せめて見上げる夏の夜
体に心に
残る傷 忘れない
どうかその目をそらさずに
どうかその手を離さずに

風と波との逢瀬には
揺れてきらめく港町
涙をこらえて
人を見捨てないで
夜を渡って年月(としつき)の
変わらぬ何かを追い続け
どうかその日々忘れずに
どうかその輪を崩さずに

人と人との逢瀬には
互いに見守る港町
瞳に写る悲しみ
わけを聞かせて
語り継ぐ日の苦しみを
とどめる絆(きずな)に抱きしめて
どうぞその目をそらさずに
どうぞ願いをつなぐため
どうぞ明日(あした)につなぐため