大空へ夢をのせ


誕生と活動主旨
 
 ビーバー・バルーン・クラブは、昭和54年に創設した障害者と健常者が共に活動するアマチュア無線クラブ「佐賀フクロウハムクラブ」を母体として、平成4年4月に同じ主旨で誕生致しました。
   

 

 親友である熱気球パイロットの勧めで個人的に熱気球を始め、地上の追跡車両と熱気球の無線交信の様子を聞いていた障害を抱える無線クラブの一人が私にこう訴えました。

「私も鳥のように自由に空を飛びたい、風のように早く走りたい」その一言がきっかけでした。

 そこで私の所属するクラブに依頼をしたのですが、「障害者が空を飛ぶ行為は非常に危険を伴う」と断られ、また他のクラブでも結論は同じでした。物の豊かさの中で、反面人の心の豊かさが失われつつあるのを痛切に感じ、最後の手段と考え私の仕事の関係先である共栄火災の本社と交渉を続けました。

 しかし全国ネットの会社に対し1機500万円もする熱気球を購入し、佐賀だけを優遇するようなことはできないと困難を極めました。しかし無線を通じての長年の友人である彼の「大空への夢」実現のため粘り強く交渉を重ねた結果、3年の歳月をかけ念  願の熱気球購入のゴーサインが出ました。

 平成4年4月無線クラブはそのまま「ビーバー・バルーン・クラブ」として発足、最初はクラブ内で楽しんでいたのですが、身体的、環境的に恵まれていない子供たちを中心にこの感動を味わってもらいたいと考え、平成4年7月の鹿児島県を皮切りに九州全域、平成5年には山口・広島・愛媛、平成6年には鳥取・島根・岡山の養護施設、肢体不自由児施設、養護学校の子供たちに、そして平成7年6月に阪神淡路大地震で心に傷を受けた子供たちを中心に心のケアと考え、神戸市須磨区鷹取中学校避難所で熱気球搭乗体験企画を実施させて頂きました。

 「大空を自由に駆け巡る」こらは人間誰もが持つ共通の「憧れ」であり、「夢」だと思います。その空を飛ぶ道具を今私たちは手に入れ、一人でも多くの人にこの感動を味わっていただくため現在も頑張っています。
 
 しかしながら今私たちはメンバー確保で苦労しています。仕事を持つ傍らの活動、また障害者を抱えたクラブ員構成には限界があり、全ての要請に応えられないのが現状です。メンバーの確保が可能ならば、より多くの子供たちに「大空への夢の体験」を プレゼントできます。
 もし多くの理解者、賛同者がいらっしゃれば、この「夢」実現の継続が出来ます。

 ボランティア………私たちクラブにはそのような言葉は存在しませんし、ことさらその様な行為をしているとも思いません。お互いが人格を持った人間として認め合い、無意識のうちに発生する助け合いの行為なのです。

 もしあなたにその意識と時間があれば私たちに力を貸して下さい

 「夢気球に乗せたものは………」沢山の子供たちから感動の手紙、そして夢を語ってくれました。
 また「子供たちの笑顔がこれほど美しいものか」と改めて痛感もしました。

 障害を抱えた子供たち、何らかの事情で親と離れて生活している子供たちが、熱気球を生まれて初めて見て、触れてそしてなによりも自分で乗ってみて、生まれ育った自分の街を大空から眺めた感動は私たちにも伝わってきました。たぶん自分自身が生まれて初めて熱気球を体験した感動と同じだと思います。

 社会には色々な形の社会奉仕、地域貢献があると思いますが、私たちは熱気球を使ってこの活動を続けていきます。
 “私も 一緒に活動してみたい”とちょっとでも思われたら迷わず連絡下さい。あなたをみんなが大空とともにまっています。