「正義」と「悪」の視点

「勧善懲悪」。この言葉の意味するところは明白ですが、それだけのフォーマットでドラマを作れないリアルな設定・世界観が、
最近のヒーローにはあるようです。

これは一つの事例に基づくシミュレーションです。
モデルは「仮面ライダークウガ」に登場したグロンギ族の下級集団「ズ」のリーダーである サイ種怪人ズ・ザイン・ダ。
この男は、グロンギ族が「ゲゲル」と称する殺人ゲーム(自己申告した時間内に申告した数のリント=人間を殺すとクリア、
格上げされ、上がったクラスでもこれを続け、最終的に頂点に立った者が彼らの支配者(?)であるン・ダグバ・ゼバへの挑戦権を得る。
陰陽道の壺毒←字が怪しい?みたい)の資格を剥奪されながらも、自らが憎む対象に向かって暴走しました。
彼のターゲットは、ドラマ上からは「騒音を出すもの」あるいは「排気ガスによって大気を汚すもの」というふうに受け止められる、
トラックとそのドライバーでした。
埼玉県川口市から始まり、茨城県石下町新石下、つくば市田倉と移動しながら、最終的に筑波山中でクウガに倒されます(地名はすべて実在)。
放送当時は、その逃亡ルートのご当地性とトライチェイサーによるバイクアクションの見せ場でうなっていましたが、
よくよく地図上で追いかけると、石下から筑波までの間に出てくる工場は(撮影場所は別ですが)つくば市と新治村の境界にある
採石・加工工場にイメージをダブらせている。すると、決戦の場は筑波山西側の「真壁トライアルパーク」だったが、
東側の山中という見方の方が適当(オフロードコースもある)。するとさらに、ここでクウガに捉えられなければ、
実は嵐田の自宅の近くまで山伝いに逃げてこられたのです。

この話を長女にしたところ、長女は「ザイン、もう少し逃げてきたら、おうちでかくまったのにね。」と一言。
「えっ?」と思いながらも、そのとき不思議なことを感じました。

ズ・ザイン・ダは、彼が率いるズ集団の面々が次々とゲゲルを達成できずにクウガに敗れ(唯一人、ガルメだけ成功しますが
それによりガルメは増長しザインを見下した態度をとるようになる)、
それまでも私利私欲や私怨に走って掟を破る者(グムン、ゴオマ、メビオ)がいただけに、彼自身の資質はともかく、
ズ集団はゲゲルの監察官であるバラのタトゥーの女からも見切りをつけられ、ザイン自身もアジトを発見された責めとして「犬を殺す」などという
(戦士として)屈辱に耐え抜かねばならない立場に立たされてしまいます。
この頃から彼は常に苛立っているのですが、では、彼は平時からそんな闘争本能むき出しの男なのか?
答えは否。初期の彼は暴走するメビオを追おうとする仲間を止めたり、ラジオから流れるリントの言葉に興味を示す、冷静な対応のできる男でした。
そんな彼の暴走は、緊張感と平常心が切れたからではないでしょうか?

グロンギは戦闘を好む民族というフォーマットがあるので、そんなことを疑問に思う必要はないのですが、
(事実、彼は邪魔しに来たビランに「俺はゲゲルをしているだけだ!」、クウガに「貴様を殺して名をあげてやる!」と言ってますし)
墓場から強制的に蘇生させられ蘇ったら20世紀末で、空気は悪い、街はうるさい。前世とはあまりにも異なる過酷な環境に放り込まれたら、
平常ではいられなくなるのは無理もないでしょう。しかも、その心理状態を抑えつつ、仲間を率いて行かねばならない。
(うーん。胃に穴のあく中間管理職・・・)

大気を汚す者は誰だ。静寂を突き破る喧騒を引き起こす者は誰だ。そこに見えてくる、大型トラックの咆吼と姿。
「こいつらが大地を汚し、平穏な世界を死に追いやろうとしている。」ザインの心理というのは、こんなものではなかったのか。
「大地を、大気を汚す者は誰だ?それに立ち向かう、大自然の使者は誰だ!?」
このイメージは、まさに高度成長時代が産み出した、社会の闇に対する、ヒーロー側の正義の雄叫びではないでしょうか?
結局、「善」と「悪」とは立場の違いでしかないのかもしれない・・・
そう考えると、本当ならすぐにでも行いたいゲゲル(この場合、リント=悪をほろぼす事)に参加できない状況となった時、
ザインの中に掟を裏切ってでも果たさなくてはならない「使命感」が発生したのではないか、とも思えるのです。

蜘蛛種怪人ズ・グムン・バは、クウガ復活を阻止すべく独断専行。(あるいは仲間復活までの陽動?)
蝙蝠種怪人ズ・ゴオマ・グは、ゲゲル開始までの自らの生存のための生き残り戦略。
雌豹種怪人ズ・メビオ・ダは、自分の片目を失明させた者(警察)への復讐。

この三体を除いて、「自らの意思で赴いた戦い」を果たしたのは、唯一ズ・ザイン・ダだけなのです。
しかし、ザインは人間を殺めた事で、その存在を「客観的悪」と定義づけられてしまい、クウガによって葬られます。
なんというか、彼がクウガとの戦いで自己の主張ができ、もしもクウガがそれに気付いていたら、
名バイプレーヤーが誕生したかもしれないなと、今さらながらに惜しい気持ちになっています。

クウガ自身も「封印」という言葉を用いて「グロンギのゲゲルによる殺人行為と同じことをしている」事実を巧に覆ってきましたが、
水牛種怪人ゴ・バベル・ダには「その拳なら沢山の獲物を殺せるわけだ」と言われてしまいます。
もとよりクウガ・五代雄介は、殴り合うこと、暴力、そして相手を殺すことについての「いやな気持ち」というものを無言ながら
表現していましたし、ダグバとの最終決戦ではそれが見事に結実しました。
これがなかったら、クウガは大人の鑑賞に耐えうるものにはならなかったと言えるでしょう。

それでも、視点をズ・ザイン・ダに置き換えたとき、心残りが頭をもたげてしまうのでした。

どうも、失礼しました。

<BACK