|
3D.comの資金集め
何度か説明会が開催される中で「3Dファンド募集」と言う株主募集が始まりました。
限定数と言うこともあり説明会会場ではみなさんこぞって購入されていたようでした。
私も少しですが購入しました。
これはどうも未公開株に値するもののようで代理店として登録している人を中心に販売されていたようです。
私が知る限りですが代理店ではない方が購入されたと言うような話は聞いたことがありません。
もちろん私が知らないところでは購入された方もおられるかも知れませんが。
そのファンド募集が終わる頃だったと思います。
当時夏の暑いときでしたが、会社が金を出すからと言うことで3D.comに代理店は集められました。
まだ本社が引っ越す前のことです。
その時、本社には、まだまだ活気があり社員の方の数も多く会社が借りているフロアも綺麗で広く、まるでテレビドラマに出てくるような
トレンディなイメージを受けました。実際、その場に集まった方々の多くが感嘆の声を漏らしていましたので、多くの方が同じような印象を持たれたのだと思います。
社内には3Dの立体テレビや裸眼立体と呼ばれるメガネなしでも立体的に見えるモニターが置かれており、
別室では大きなキルトスクリーンにアニメアラジンを立体映像で放映していました。
この会社を事業の頓挫を別にして評価するのであれば立体映像の分野は大変優れていたと思います。
吉原さんなどは「前にはターミネーター2の立体映像も見たよ。あれが凄かったのに今回は流さないのかな?」といわれていました。
どう表現すれば大袈裟ではなくまっすぐに伝わるのかわかりませんが
アメリカ映画等で社内の広めのフロアに自社商品が置かれているという感じの
シーンがあったりしますが、ホントそんな感じでした。
3D映像をメガネではなく裸眼で見せるというようなものも私は始めてみました。
駆け引きナシに会社の技術力、開発力は相当なものだったろうと思われました。
これが2003〜2004年頃の3D.comの社内の感じです。
2010年になって、こぞってソニーやパナソニックと言うような国内の有名なメーカーが3Dテレビに注目し開発販売の予定を立て始めましたが
私が知る限りでは2003年の時点で3D.comがほぼ、今の立体映像の「核」になるような部分は作り上げていたと思います。
今の大手メーカーがやったことといえば軽量化くらいではないでしょうか?
そんな風でしたから、多くの方がこの会社の成功を信じて活動されていたのだと思いますし、私も同じように活動していました。
当時会社にいて、私たちに商品の説明から、携帯電話の具体的な構想まで話してくださっていた金子さんと言う方のお話では、
「携帯電話と立体映像を将来的には結び付けたいと会社は考えている」ということでした。
吉原さんをはじめとする代理店は「携帯電話が出た後のビジョンまで既に出来上がっている」ととても喜んでおられましたし、
私もそのプランは面白いと感じていました。
東京から福岡に帰ってくると私はその東京で起こった話をメールマガジンなどで読者の方に向けて配信しホームページも更新しました。
夏の暑い時でしたが、クーラーをつけっぱなしにして時には明け方まで文面を考えたり資料を作ったりして代理店を増やしていきました。
秋口になると「サロンという権利の募集が終わりますよ」という事が説明会で頻繁に言われるようになりました。
このサロンと言うのは、携帯電話がサービスインしたらショップ展開が出来ると言うことで売り出されていた権利でした。
ただ代理店にだけなっていても契約を取る際は自分の足で回らなければならず、
それを回避するため、先駆者としての店舗運営が出来る権利として売り出されていたもののようでした。
これを権利として取得すると、大型の3Dテレビと3Dメガネ2つもついてきましたのでお金だけ取るというものではなく、
それなりに「サロンが出来たら設置してください」と言うもののように見えました。
このテレビは当時一般の家庭にはまず無いであろう3Dテレビでしたので
友達を呼んだりしてテレビゲームを立体映像で遊んでとても盛り上がりました。
2010年の今になって3Dテレビが注目され始めましたが当時の友達は今でも
「前に君の家にあったよね!」等と話すことがあります。
ちなみにファミ通でも紹介されていました。
その頃、少し安っぽく見えていたパンフレットは一新され新しく少し豪華なパンフレットに変わりました。
入会申込書も3枚複写のものになり、事業の展開と開始時期が楽しみだと一番感じることが出来る時期でした。
そのころメディアステーション(後の基地局の役割を果たすもの)の正式発表がありました。
これに対しては「基地局オーナー募集」という募集の仕方だったように思います。
今のコンビニにおいてあるATMのような機械の写真がパンフレットに掲載してあり様々な情報端末としても使えるというような触れ込みでした。
構想としては携帯電話の通信に使う光ファイバーをこの基地局と併用して互換性を持たせると言うことのようでした。
そのころになると3D事務局と言うことで田口さんと楠田さんと言われる方が中心になって説明会で全国を回られるようになりました。
その事務局の説明会に加わっている代理店代表というような位置づけが吉原さんでした。
それまでは別の方が来ていたり会社の方が来ていたりしましたが、田口さん楠田さんの体制にまとまったのは夏くらいからでした。
なので全国の説明会に参加された方の多くは、田口さん、楠田さん、吉原さんの3人と説明会でお会いされたのではないかと思います。
3人とも大変わかりやすい説明をされていましたので説明会に出席されていた方の多くが理解しやすかったと思います。
当時インターネットで集客をしていた私にとっては3D.comの事務局と吉原さんが
全国で説明会を開いてくれていることが大変心強く、また敬意を持って接していました。
2003年と2004年はこのような形で説明会が行われていきました。
|