捕鯨に賛成 
2006.1.8
宮崎県在住
53歳 男性

なぜアメリカが捕鯨に反対しているのか。

それはベトナム敗戦非難の目が、自国アメリカ政府に向けられておりどこかに
その目を向けさせる必要があったのです。
それが反捕鯨なのです。

その政治的な思惑にのったのが、某自然愛護団体なのです。
アメリカにとっては好都合の団体なのです。

捕鯨に反対している国は、アメリカの経済報復が怖いから反対しているだけ。
そうして当初の目的を達成したアメリカは、昨年カナダの先住民に捕鯨を許可する案をIWCに出しましたね。日本を始めアメリカのこの提案は否決されました。

当たり前ですね。反捕鯨を先頭に立ってやっていながら、自国の事になると許可の申請をするのですからね。
反捕鯨の先頭に立ってきたアメリカ、後に引けないのが現実。
思惑にのったあの某自然愛護団体、アメリカ政府にとって今ややっかいな存在かもね。

国際のきめごとで科学的根拠でくじらが増えれば、捕鯨が出来る事になっています。

反捕鯨を唱えている国は、これさえ無視しています。

私らはくじらの肉で育った年代、この島国日本で「くじらがかわいいから反捕鯨」と言っている人達には?です。

もちろんくじらの数が増えているから、このようなことを言っているのです。
食糧事情の悪い国が沢山あります。

「可愛いから捕鯨に反対」・・・日本の平和ボケを痛感しています。

捕鯨国日本の復活を願う。

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食文化の規制
2006.5.2
世田谷在住
会社員49歳
鯨男さん
前略

 注文した食材が田舎の両親に届き、久し振りに鯨を食べたと大変喜んでおりました。

 実は私の実家では、鯨のかぶら骨の加工をしておりましたが、年老いた両親だけでは重労働であることと、商業捕鯨の再開が不透明であることで、数年前に廃業しました。

 実家の加工品は料亭で使用されている為、大半の人はその存在を知りません。

 日本は古来から鯨を食し、ありとあらゆる部位を利用た様に、食文化が欧米諸国と違います。

 魚の生け造りを欧米人は残酷として嫌いますが、我国では新鮮さと美的感覚で捉える様に、美意識についても違いがあります。
 単に焼いて食べる、欧米諸国の狩猟民族と同じ食文化になることは不可能なのではないでしょうか。

 欧米諸国の様に、鯨油のみに利用としてきた国とは全く違うことを理解しておく必要があるのではないでしょうか。

 確かに日本も、最盛期には各捕鯨会社が競って大量捕獲していた時代があり、そのことは、深く反省しなければいけないと思います。
 しかし食文化については、その国々で違いがあり食料としない国が、強制的に規制するのは理解出来ません。

 IWC加盟国のモンゴル、スイス、ハンガリーなどの内陸国が参加しているは、反捕鯨国の票集めの画策としか思えません。

 日本国内にもさまざまな意見があり、食糧難の時代と違い代替の畜産物で充分との意見がありますが、その人は、食材の色々な料理方法、食べ方、おいしさを知らない人ではないのでしょうか。

 今後、マグロなどにも規制がされようとしている現在ですが、何を代替とするつもりなのでしょうか。

 規制はありませんが、お米は外米で代替できますか。食感、甘味、粘りなど、外米では満足しないでしょう。

 又、捕鯨に携わった人の第二の職場として、ホエールウォッチングなどの観光事業で賄えるとの意見もありますが、鯨は回遊する動物であり、同じ海域でじっと観光客を待っていません。その間、何を仕事にして生活して行けばよいのですか。

 自分のこととして、良く考えていただきたいものです。

 現在の調査捕鯨によるデーターをもとに、捕獲して良い種類と捕獲量を限定し、近い将来捕鯨の再開を願っております。

 私もその日が来るまでに両親から、技術の継承をしておきたいと思っております。

 最後に、白ナガスの尾の身、腸の味、食感が懐かしいです。
貴社におかれましては、これからも鯨食材を提供いただき、末永く反映することを願っております。

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つぐめの遺跡の
元住人
2008.3.28
東京都在住
男性

つぐめの遺跡に
ついて

 初めまして

 田平町(現平戸市)のつぐめの鼻遺跡が有る場所は私の実家です。
写真に写ってる家は違うと思います。もう少し右の方の有る家の右横の場所に当時の発掘跡が有ります。

 発掘当時、井戸を埋めて、畑が有った場所を崩して海側の場所を埋め立てをするために掘っていたところ、最初に見つかったのが石斧で、次男が(当時高校生)発見し、「これは変わった石だなあ」っと思い町の教育委員会の方へ連絡したのがきっかけで、県の考古学者だったと思いまいたが、かなりの発掘物の多さに驚いていました。

 当時は、私が中学生になったばかりで、それを機会に歴史が好きになったのを覚えています。あの場所は裏が山なので崩れてくるのを心配して、発掘を途中で断念いたしました。

 親父も数年前に亡くなり、亡くなる前に一部貰った石器類が今も大事に保管してあります。鯨の骨も家の下の方へ伸びて行ってるのを確認いたしました。

 鯨が殆んど食べられなくなったのは残念です。田舎に帰ると鯨の刺身が最高で帰るのが楽しみでした。妻は東京出身ですので食べて感動していました。

 捕鯨反対する人の考えが私には理解できません。牛とか豚は殺しても良いのか!! ペット感覚で反対するのは変だし、昔から日本人は食べていたし、大量に殺してもそれなりにセーブしていたと思います。今後、増えすぎたら他の魚の量が減り、大好きな鰯が食べられなくなりそうです。捕鯨再開してもらいたいです。

 あの縄文人のあの武器で命がけで獲っていた鯨、平和ボケしている日本人 モット強くなって欲しい。 頑張ってください!応援いたします。 

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私にとっての
鯨の記憶

2009.2.11
北海道在住
会社員・男性

オホーツク捕鯨の始まりと紋別での終焉〜

 明治32年に下関の岡十郎が「日本遠洋漁業株式会社」を設立し、我国で最初の汽船によるノルウエー式の近代捕鯨を開始して、この後身の「東洋捕鯨(現ニッスイ)」は大正元年に室蘭を拠点に本道へ進出、同4年には網走に事業所を置いてオホーツクでの捕鯨が始まった。

紋別へは昭和5年に大東捕鯨鰍ェ進出したが、このときには数年で撤退してしまった。

 時代が下り、かっては「大洋漁業梶i現マルハニチロ)」や「極洋捕鯨梶i現極洋)」などの基地でもあった紋別も昭和51年の水揚げを最後に捕鯨は見られなくなったが、これは200海里規制や反捕鯨運動のためだけではなく、同年7月、違反操業のために小型捕鯨船団が一斉に摘発されたことによる。                                  
 それは海上での処理が昭和18年には禁止されていたにもかかわらず、長年に渡って慣行されて来たもので、以前は水揚げ時にサイレンが鳴り、子ども達が走り募っては解体作業を見物した紋別の風物詩も、処理施設が無くなり、これを契機に捕鯨は廃止された。
 樺太タライカ湾付近で行われていた大型捕鯨は、それ以前の昭和43年に大洋漁業が2頭を捕獲したのが最後である。

※地元のローカル新聞に出ていた記事をコピー貼り付けしました。


 昭和30年代頃に私が住んでいたオホーツクの港町にも上記のようにこんな鯨(種類不明?)が前浜と呼ばれる地の加工場に上がり、その解体作業を見学したものです。

 私たちのような貧乏系に近い家族にとってその当時、鯨肉は安い蛋白源として貴重な食料としての位置づけだったと思います。
「父母の苦労を忘れて」正直、私はクジラ肉って「旨くない」といった印象でした。

 それがいつの頃か忘れてしまいましたが、私たちの目の前からクジラなるものが忽然となくなりました。

 しかし数年を経たあるとき突如として、IWC・南極海の調査捕鯨・乱獲・
自然保護だの果てはシーシェパード体当たり事件だの、お土産肉の宅急便強奪事件だのといったセンセーショナルな話題で鯨のスポットが当たりだしました。

 現在旭川市にて生活していますがいまだに縁があって紋別に行き来をしています。そして少し離れた場所から客観的に紋別市民気質を見ていると、ずばり「焼畑狩猟民族」の末裔でないかなと思っています。
それは何故かというと、獲れる時にありったけの資源を乱獲し、獲れなくなったらそれにてオワ!!だけの歴史だからです。

 たぶん上記のクジラ捕獲なんかもこんな形で終焉を迎えたと思います。
今、紋別市に行ってもクジラに関する文化的資料の保存はほとんど見られません。まあ、その他の分野でも街の歴史を大切にしていませんがね。

 戻って、北極海でのクジラの調査捕鯨の是非は正直どちらがいいのか私にはわかりません。

 その根拠は、今さらクジラの肉を食べないといけないといった必然性もないからです。

 少し話がずれますがアメリカ産牛肉輸入の是非をめぐって紛糾していたときに、テレビカメラに向かって若い男の子が「吉野家の牛丼を食わないと生きていられない」と冗談みたいな話がありましたね。

 とりとめない話で終始してしまいましたが、ただ日本からクジラ捕獲の歴史的文化が消えてなくならないことを願っています。

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アメリカのエゴ

2010.2.3
東京都在住自営業
男性

かわいいから捕鯨反対とか言う人が居ますが単なるエゴです。

牛、羊、豚、鶏、小さい時は皆かわいい。

だが皆さんこの動物たちはみんな食べてます。

全部食べ物としては同じ立場の動物です。

ならなぜクジラ捕鯨反対なのでしょう?

アメリカのアラスカ州では捕鯨を禁止してません。

アラスカ原住民には捕鯨許可を出しています。

おかしくありませんか?捕鯨反対の中心アメリカです。

エゴ以外考えられません。

その国の食文化にクジラが有るなら食文化を守るべきです。

アメリカもアラスカ州に対しては守っている事実おかしくありませんか?

クジラを取りすぎて絶滅に追いやった張本人アメリカのエゴです。

付け加えるなら、白熊はワシントン条約で捕獲禁止ですが、

これもアラスカ州イヌイットでは危険動物として許可されたハンターが捕獲駆除。

それも白熊か確認するために首をはね手を取り確認しています。

保護動物をアメリカ事態が許可を出している事実矛盾しています。

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捕鯨賛成ですが・・・
反対の理由が
おかしい
2010.6.1
北海道在住
会社役員 49歳

 初めまして。

 私は日本の捕鯨基地がある?(現在は利用中止)北海道網走市の出身で、同級生の父親が捕鯨漁師だった人もおり、また給食には昭和40年代全国的にもクジラが多く出されていたでしょうが、網走は給食にクジラが出る頻度が多く近隣市町村では、たまの、御馳走だったようで、クジラを食べるのは懐かしく感じていますが、最近では出荷量の少なさ、価格の高さから、滅多に口に出来なくなり残念に思っている一人です。

 捕鯨反対、特に現在オーストラリア政府が反対して日本を提訴するなど日本の捕鯨を反対する本当の理由を、日本の国民、特に捕鯨反対(かわいそう、野蛮)など、もっともらしい言葉などに踊らされていると思われる人たちに、知ってもらいたい。

 日本では牛肉を食べ、国産だけではなく、アメリカから多くの牛肉を民間主導ではなく、政府主導で輸入を増やした経緯があり、日本へ牛肉を輸出したいと思っていたオーストラリアが盛んにアピール(CM等)をするものの、穀物主食とさせているアメリカ牛と違い牧草主体のオーストラリア牛は、牛臭い(牛肉特有の匂い)が受け入れてもらえず苦戦。

 穀物に変更するものの時すでに遅く輸出が出来ない。

 日本は一時、捕鯨による鯨食をやめ牛肉に移行していたのに捕鯨による鯨食を再開しようとしている。

 鯨食の習慣などない国などが、観光や保護を口にしている尻馬に乗って反対し、クジラを食べる位なら、オーストラリアの牛肉の輸入をせよ。との国を挙げてのPRなのを国や関係者は表立って国民に伝えていないだけ(観光や他国の保護に感銘?などがあるため)

 現在捕鯨について、日本沿岸の捕鯨を認める代わりに南極捕鯨を反対にしようとするのも、日本沿岸のクジラやマグロなど鉛、重金属その他を蓄積しており多量に食したり妊婦や子供に食べさせるのは健康に良くない。ことを理解したうえで、沿岸ならOKと国際捕鯨委員会で提案しようとしている。

 沿岸捕鯨は実質難しくなり、南極は交換条件でダメ!

だから、この後オーストラリアの牛肉売り込みが始まる。

 だが、知っておいてもらいたいのはアメリカは日本式の牛舎を中心にし放牧するのと違い、オーストラリアは放牧が中心。実はオーストラリアではヒ素中毒により牧場関係者などが死亡している。ヒ素は地球上どこにでもある土壌物質ではあるが、オーストラリアでは特に多く含有しており、その土地の牧草や雑草は当然ヒ素を含んでおり、その草を牛が食べ、その牛の世話をしている人やその牛を食べ続けている人がヒ素中毒で亡くなるのは、当然の結果である。

 一度日本の放送局でニュースとして取り上げたが、即大使館や外務省を通じ放送を止められている。

 死亡者出たことまで、触れないように配慮している。

 だからオーストラリアの特定の農家や業者からしか輸入されていないのだが、もっと輸入してほしい

 豪政府は「捕鯨をやめて豪から牛肉を輸入しろ。」運動の一環なのです。

 捕鯨、鯨食の歴史は日本には古くからあり、現代人で食べる習慣はないでしょうが、反対なら食べなきゃいいんです。売れなければ捕らないですから・・・

 でも昔から食べている人に反対をする必要もなければ権利もありません。

 自分たちの祖先達から食文化としてあるのですから、それをやめなければいけない話はどこにもありません。

 しつこいようですが、鯨食習慣がなかった人や食べたくない、食べない人が多ければ商売にならないので、捕鯨も売買も無くなるのです。

 誘導されるなど人に流され、外国かぶれするのは個人の勝手ですが、それをもって反対するのは恥ずかしいことだと知るべきです。

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