捕鯨に賛成 |
なぜアメリカが捕鯨に反対しているのか。 それはベトナム敗戦非難の目が、自国アメリカ政府に向けられておりどこかに その政治的な思惑にのったのが、某自然愛護団体なのです。 捕鯨に反対している国は、アメリカの経済報復が怖いから反対しているだけ。 当たり前ですね。反捕鯨を先頭に立ってやっていながら、自国の事になると許可の申請をするのですからね。 国際のきめごとで科学的根拠でくじらが増えれば、捕鯨が出来る事になっています。 反捕鯨を唱えている国は、これさえ無視しています。 私らはくじらの肉で育った年代、この島国日本で「くじらがかわいいから反捕鯨」と言っている人達には?です。 もちろんくじらの数が増えているから、このようなことを言っているのです。 「可愛いから捕鯨に反対」・・・日本の平和ボケを痛感しています。 捕鯨国日本の復活を願う。 |
![]() 食文化の規制 2006.5.2 世田谷在住 会社員49歳 鯨男さん |
前略 注文した食材が田舎の両親に届き、久し振りに鯨を食べたと大変喜んでおりました。 実は私の実家では、鯨のかぶら骨の加工をしておりましたが、年老いた両親だけでは重労働であることと、商業捕鯨の再開が不透明であることで、数年前に廃業しました。 実家の加工品は料亭で使用されている為、大半の人はその存在を知りません。 日本は古来から鯨を食し、ありとあらゆる部位を利用た様に、食文化が欧米諸国と違います。 魚の生け造りを欧米人は残酷として嫌いますが、我国では新鮮さと美的感覚で捉える様に、美意識についても違いがあります。 欧米諸国の様に、鯨油のみに利用としてきた国とは全く違うことを理解しておく必要があるのではないでしょうか。 確かに日本も、最盛期には各捕鯨会社が競って大量捕獲していた時代があり、そのことは、深く反省しなければいけないと思います。 IWC加盟国のモンゴル、スイス、ハンガリーなどの内陸国が参加しているは、反捕鯨国の票集めの画策としか思えません。 日本国内にもさまざまな意見があり、食糧難の時代と違い代替の畜産物で充分との意見がありますが、その人は、食材の色々な料理方法、食べ方、おいしさを知らない人ではないのでしょうか。 今後、マグロなどにも規制がされようとしている現在ですが、何を代替とするつもりなのでしょうか。 規制はありませんが、お米は外米で代替できますか。食感、甘味、粘りなど、外米では満足しないでしょう。 又、捕鯨に携わった人の第二の職場として、ホエールウォッチングなどの観光事業で賄えるとの意見もありますが、鯨は回遊する動物であり、同じ海域でじっと観光客を待っていません。その間、何を仕事にして生活して行けばよいのですか。 自分のこととして、良く考えていただきたいものです。 現在の調査捕鯨によるデーターをもとに、捕獲して良い種類と捕獲量を限定し、近い将来捕鯨の再開を願っております。 私もその日が来るまでに両親から、技術の継承をしておきたいと思っております。 最後に、白ナガスの尾の身、腸の味、食感が懐かしいです。 |
![]() つぐめの遺跡の 元住人 2008.3.28 東京都在住 男性 |
初めまして。 田平町(現平戸市)のつぐめの鼻遺跡が有る場所は私の実家です。 写真に写ってる家は違うと思います。もう少し右の方の有る家の右横の場所に当時の発掘跡が有ります。 発掘当時、井戸を埋めて、畑が有った場所を崩して海側の場所を埋め立てをするために掘っていたところ、最初に見つかったのが石斧で、次男が(当時高校生)発見し、「これは変わった石だなあ」っと思い町の教育委員会の方へ連絡したのがきっかけで、県の考古学者だったと思いまいたが、かなりの発掘物の多さに驚いていました。 当時は、私が中学生になったばかりで、それを機会に歴史が好きになったのを覚えています。あの場所は裏が山なので崩れてくるのを心配して、発掘を途中で断念いたしました。 親父も数年前に亡くなり、亡くなる前に一部貰った石器類が今も大事に保管してあります。鯨の骨も家の下の方へ伸びて行ってるのを確認いたしました。 鯨が殆んど食べられなくなったのは残念です。田舎に帰ると鯨の刺身が最高で帰るのが楽しみでした。妻は東京出身ですので食べて感動していました。 捕鯨反対する人の考えが私には理解できません。牛とか豚は殺しても良いのか!! ペット感覚で反対するのは変だし、昔から日本人は食べていたし、大量に殺してもそれなりにセーブしていたと思います。今後、増えすぎたら他の魚の量が減り、大好きな鰯が食べられなくなりそうです。捕鯨再開してもらいたいです。 あの縄文人のあの武器で命がけで獲っていた鯨、平和ボケしている日本人 モット強くなって欲しい。 頑張ってください!応援いたします。 |
2009.2.11 |
〜オホーツク捕鯨の始まりと紋別での終焉〜 明治32年に下関の岡十郎が「日本遠洋漁業株式会社」を設立し、我国で最初の汽船によるノルウエー式の近代捕鯨を開始して、この後身の「東洋捕鯨(現ニッスイ)」は大正元年に室蘭を拠点に本道へ進出、同4年には網走に事業所を置いてオホーツクでの捕鯨が始まった。 紋別へは昭和5年に大東捕鯨鰍ェ進出したが、このときには数年で撤退してしまった。 時代が下り、かっては「大洋漁業梶i現マルハニチロ)」や「極洋捕鯨梶i現極洋)」などの基地でもあった紋別も昭和51年の水揚げを最後に捕鯨は見られなくなったが、これは200海里規制や反捕鯨運動のためだけではなく、同年7月、違反操業のために小型捕鯨船団が一斉に摘発されたことによる。 私たちのような貧乏系に近い家族にとってその当時、鯨肉は安い蛋白源として貴重な食料としての位置づけだったと思います。 しかし数年を経たあるとき突如として、IWC・南極海の調査捕鯨・乱獲・ |
2010.2.3 |
かわいいから捕鯨反対とか言う人が居ますが単なるエゴです。 牛、羊、豚、鶏、小さい時は皆かわいい。 だが皆さんこの動物たちはみんな食べてます。 全部食べ物としては同じ立場の動物です。 ならなぜクジラ捕鯨反対なのでしょう? アメリカのアラスカ州では捕鯨を禁止してません。 アラスカ原住民には捕鯨許可を出しています。 おかしくありませんか?捕鯨反対の中心アメリカです。 エゴ以外考えられません。 その国の食文化にクジラが有るなら食文化を守るべきです。 アメリカもアラスカ州に対しては守っている事実おかしくありませんか? クジラを取りすぎて絶滅に追いやった張本人アメリカのエゴです。 付け加えるなら、白熊はワシントン条約で捕獲禁止ですが、 これもアラスカ州イヌイットでは危険動物として許可されたハンターが捕獲駆除。 それも白熊か確認するために首をはね手を取り確認しています。 保護動物をアメリカ事態が許可を出している事実矛盾しています。 |
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初めまして。 私は日本の捕鯨基地がある?(現在は利用中止)北海道網走市の出身で、同級生の父親が捕鯨漁師だった人もおり、また給食には昭和40年代全国的にもクジラが多く出されていたでしょうが、網走は給食にクジラが出る頻度が多く近隣市町村では、たまの、御馳走だったようで、クジラを食べるのは懐かしく感じていますが、最近では出荷量の少なさ、価格の高さから、滅多に口に出来なくなり残念に思っている一人です。 |