【今月のコラム】


【芙 蓉】

体育会系 小野雄大 中公新書

冬季のオリンピックが終わったかと思うと、夏季オリンピックの準備がスタートする。国内選手権、世界選手権、一つの競技だけでも年中過密なイベントが控え、競技種目を乗ずるとおびただしい数だ。一般人は観戦したり、ファンになったり、娯楽としてスポーツを愉しむが、アスリートにとっては歓喜もあれば悩みもあり人生そのものだ。スポーツ選手をいまはアスリートと呼ぶが、明治時代に源流を発する体育会系は日本の教育や文化を特徴づけるコトバだ。

体育会系とは、主に大学をはじめとした学校の運動部出身者に見られるような行動様式や価値観を特徴とする社会的分類である。

体育会系の対義語は文化会系といい、著者はスポーツ名門校を出たアスリートであり、日本社会に固有の体育会系の実像や教育、文化を語る。体育会系のポジティブなイメージは「さわやか」、「礼儀正しい」など、ネガティブなものでは「野蛮」、「暴力」など、イメージはしばしば風貌や性格に及ぶこともある。体育会とは厳密には大学内部の用語で、戦後、新制大学の誕生とともに全国の大学で発足し、主に運動部と保健体育科科目を統括・管理するための組織だった。多くの大学の体育会が学内の運動部に活動経費・補助金を分配した。一部の大学では授業料免除や奨学金、入試の優遇もおこない、大学と体育会、運動部は強く結びつく。一般社会で「体育会系」のコトバが広まるのは1960年代末の大学闘争からだ。

大学闘争の激化は、大学の運動部員にも影響を与えた。多くの大学でキャンパスの封鎖・占拠が行われるなか、運動部員は大学当局側に付いて全共闘などの学生団体を取り締まる実行部隊として機能させられたからだ。

全共闘の学生たちが築いたバリケードの撤去、デモ活動の制圧、集会の妨害など大学側の要請で運動部は大学当局のボディーガードとしての役割を果たしていく。本部体育会系のマネージャやコーチが、全国を歩いて体育の選手をスカウトする。入試は形式だけで入学した選手をいくつかのランクに分け、Aクラスは授業料免除、奨学金もつく。これとは別に柔道部、空手部、相撲部などは大学から莫大な予算を分配し、内部ゲバルトに出動すると1〜2千円の日当を支給した。有名選手は大学のPRに、屈強な運動選手は暴力装置として当局の体制維持の役割を担った。当局の評価が高い運動部員は教職員に採用し、やがて大学の評議員や理事へ昇格する。

大学闘争当時の運動部員は右翼暴力学生としてしばしば報道された。左翼全共闘の学生が集会を開催しようとすると武器を持った運動部員が襲撃し、次第に過激化していく。問題は運動部員の暴力行動を大学当局が容認していたことだ。角材やゴムホースを手にして校内を闊歩する体育会の学生は、街のヤクザとなんら変わらない。学費値上げ阻止を訴える全共闘の学生は「われわれの血と汗のにじんだお金で一部の大学の理事が私服を肥やし、これを追及すると体育会学生を差し向け殴る蹴るの暴力で阻止する」と糾弾した。大学当局から予算を受け取っていない運動部もあるが、優遇措置がなくなることを恐れた大学の運動部員は務めて当局をサポートした。運動部では外部への暴力のみならず内部での暴力事件も頻発していた。1965年、東京農大のワンダーフォーゲル部で登山訓練中の下級生が上級生の暴行を受け死亡した事件から、大学運動部の暴行死事件が続々と報道された。

1964年の東京オリンピック開催を契機として流行した非科学的な「根性主義」の存在や、大学運動部の過激かつ陰湿な封建制が明るみとなったことである。それは、権力に対する絶対的な服従をベースに、組織の秩序維持のためにどんな暴力も厭わないといった、大学運動部の問題を浮き彫りにした。

大学だけではなく限界まで追い込むような練習が高校、中学校にまで見られた。例えば真夏の炎天下でも「水は飲むな!」と指導し、スポーツは低年齢化し性差を超えていく。複数の空手部による集団暴力事件については、旧軍隊で横行した暴力的訓練や私的制裁が亡霊のごとく復活しているとの意見も出た。亡霊は今も消えず、高校野球部のイジメ、プロ野球選手の暴力、警察や自衛隊でのパワハラ、セクハラなど枚挙にいとまがない。体育会系の風土は一般社会や組織でも見受けられ、共に仕事をして目的を遂げる集団につきまとう影のようなものだ。暴力やセクハラ事件が報道されるたびに厳しい目が向けられるが、なくなることはない。スポーツ応援に使われるコトバは暴力や戦争用語と重なる。例えば敵を攻撃、復讐(リベンジ)、敵地、サムライ..など、スポーツを借りた勇ましい戦闘のようだ。これはSNSの炎上にも見られ、寛容さを欠く文化が広がりつつある。

大学運動部では、暴行事件、不正入試事件、わいせつ事件、違法薬物事件などの不祥事が後を絶たない。これだけ同様の事件が続くのは、その問題の原因が個人の資質だけにあるのではなく、大学運動部に内在する勝利至上主義や、組織の閉鎖的体質、脆弱なガバナナンスにあるからだろう。

事件はたいがい先輩・後輩という上下関係のなかで起きる。コーチや監督が、指導者の居ない部は先輩が権力を持ち、いきすぎた先輩・後輩関係が「暴力」につながる。学生時代に厳しい先輩・後輩関係を経験した者はやがて教員や指導者になり、「暴力」を肯定的に捉える。2012年に全国の国立・私立大学の1502名の学生アスリートを対象に「大学運動部活動でどの程度、先輩・後輩関係が存在するか」調査し、1478名の回答を得た。先輩・後輩関係が存在する/1360名(92%)、存在しない/118名(8%)だった。個人競技、団体競技、競技種目によって人間関係に差異の生じる可能性はあるが、チーム競技のほうが精神的にも技術的にも協同する場面が多い。伝統校や競技レベルの高い運動部ほど支配服従が有意に高く、逆に高いことが技術や協力関係を維持する力になる。

近年の不祥事は、運動部員の無知や閉鎖性、そして、倫理の喪失によるケースが多い。何がよくて、何が違法行為なのかわからずにやってしまう無知。部内の人間関係で結束し、情報や倫理観に偏りが起きてしまう閉鎖性。アイデンティティが競技にしかなく、競技で結果が出せない場合に自己の存在価値を認識することが難しくなってしまう倫理の喪失。大学運動部にかかわるすべての人がこれらの問題の本質への認識を深めていくことが必要だ。

運動部員を芸能人、政治家、メディア、医療者などの主語に入れ替えても成り立ちそうだ。世はうっすらと倫理観の欠如に包まれている。メディアに登場し、もてはやされることで実力以上の錯覚を起こし天狗になり、横暴に振舞う。コンプライアンス違反の果てに忽然と消えた芸能人、メディア人、アスリートは何人も見てきた。己の自覚と研鑽を待つしかないのだろうか。

運動部のもう一つの優遇制度に「特別入試」があり、大学改革を掲げる全共闘の学生にとっても重要な活動課題であった。現在もスポーツ推薦は実施されているが、公式には1980年代半ばからで、それまでは特別かつ非公式に優遇されていた。最近、長嶋一茂氏自身がテレビで語っていたが、「大学時代に一回も講義に出なかった」という。

推薦入試が公認される以前から、アスリートには多様な入試による優遇措置があったが、こうした優遇措置は入試要項には記載されていない、あくまでも非公開の制度だった。こうした実態について、メディアは大きく取り上げるわけでもなく淡々と報じている。優遇措置は非公開であったにせよ、半ば公然の事実だった。

大学は知名度向上のためアスリートの活躍を利用したが、大学闘争を契機に問題が顕在化し1960年代後半から70年代初頭にかけてアスリートの入試優遇措置が縮小又は撤廃された。しかし、私大体育学部の推薦入試はその頃から実施されるようになり、面接、実技試験が中心で一部の大学で簡単な学力テストを課すところもあった。1974年、国立大学では最初の取り組みになるが、筑波大学の第一学群と体育専門学群で入学定員の10〜20%を推薦入試で選抜するようになる。1980年代になると文部省はさらに自由化をすすめ、過去にオリンピックや世界選手権に出場した選手を輩出した大学運動部へ、強化合宿費や活動費を一部助成することになった。大学アスリートの競技レベルが衰退していたため、日本体育協会は大学スポーツの商業的可能性についても提案をしている。試合の入場料、テレビ収入、出版物などの物品販売の強化を打ちだした。やがてAO入試、スポーツAO入試の名のもと運動部は過剰に強化されていく。1992年をピークに18歳人口は急減期を迎えていたが、大学の設置基準は緩和され、私立大は1990年度の372校から、10年で478校まで増加した。とりわけ体育・スポーツ科学系学部の開設が顕著でアスリートの受け皿を準備した。大学の増加と少子化により、「Fラン」といわれる大学も生まれ入試に基礎学力を問わない大学もかなりの数を占める。

本来であれば大学に進学することが叶わないような学力レベルのアスリートであっても、スポーツ推薦入試によって「大学生」の地位を獲得できる。日本では、「学校歴」が大学卒業後の社会活動に大きな影響を与えやすい。

スポーツに秀でたアスリートがブランド大学の卒業証書を手にすると、それなりの評価と地位を得る。かたやブランド力は劣っても大学卒に変わりはない。問題はキャリア形成にあり、スポーツ推薦入学者にはある困難が待ち受ける。生涯スポーツを続けられるわけもなく、才能が開花しプロのアスリートになっても現役での活躍期間は長くない。競技引退後の職業生活への移行は難しく、競技生活から離れることでアイデンティティの喪失が起こったりする。小学校低学年もしくは幼児期からスポーツ一途というアスリートになると、生活歴に占める割合が高くなる。体育会系は団結と集団行動に秀でる人が多く、企業に重宝されるが、一般人として実社会へ出る不安と業務を遂行するスキルの狭間に揺れる。

スポーツ推薦入学者は、長期にわたって競技活動を続けてきたため、引退の決断は難しいものと考えられる。一方で、小学校低学年頃から競技活動を続けてきたということは、先述したように、競技活動以外の人生経験を積む機会が少なかったとも言える。その世界しか知らないと自覚し、就職後の社会生活への不安も含めて悩みを生んでいる。

著者が調査したアスリートの競技開始年齢は、小学校3年以下が58.6%だが、スポーツ推薦入学者に限ると74.4%になる。昭和時代はたいがい中学校の部活が開始年齢であり、試合も新人戦、中体連で終わりだった。他校との練習試合もなく淡々と部活をこなした。平成時代には少年野球やサッカーの少年チームが生まれ、小学3年の子供もいた。シーズンになると毎週の土日は交流試合や大会の日程で埋まる。泊りがけの遠征試合もあった。スポーツは過熱しすぎではないかと案じたものだ。テレビでは長い時間を費やしてスポーツを中継しハイライトを伝える。競技の数も多く、応援にたくさんのファンが群がる。しかし、華やかに舞う一握りのアスリートの影に、心身を酷使しながら静かに競技を終える無数のアスリートがいる。

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