【今月のコラム】


【明日葉】

「おいしさ」の錯覚 チャールズ・スペンス著 長谷川 圭訳 角川書店

食べものが健康や病気に及ぼす影響について、科学での立証を超えて過大に評価し没頭することをフードファディズムといい、この概念が生まれて20年ほどになる。今回とりあげるのはガストロフィジックス(美食の物理学)という新しい分野の学問だ。フードファディズムと同じく食生活への警鐘を鳴らすものだが、そのツボは人を惑わすツールともなる。ガストロフィジックスは音や香り、ナイフやフォーク、食器など物理的なものと味覚との関係を探るもので、栄養学や調理と一味異なる視点をもたらすだろう。

たとえどんなものを食べ、飲み、売り、消費しても、そこではつねに複数の感覚が働き、雰囲気や環境を感じ取っているということだ。そして環境こそが、私たちが何を考え、味をどう感じるか、そして何より食事体験をどれくらい楽しめるかを左右する。結局のところ、中立な環境や背景など存在しない。

飢餓が摂食の動機になることは論を待たず、空腹のときが味も満足度も最高であろう。ここでは衣食足り、豊かさを覚えたところから始まる話だ。以前、お菓子と言っていたものをいまはスウィーツ(sweets)という。献立はレシピ、焼くことをソテー、生肉サラダをカルパッチョ.. 料理をどう呼ぶかは味覚に関係ないが、感じ方は大きく変わる。ある高級レストランでパタゴニアン・トゥースフィッシュという深海魚のメニューを出したところ誰も食べようとはしなかった。これをチリアンシーバスに変えただけのトリックで1000%を超える売り上げになった。名前だけではなく、単語の順序を入れ替えるだけで違ったものに感じられる。サラダパスタをパスタ入りサラダと呼ぶだけで健康的なものに感じるかも知れない。さらにシャキシャキサラダと付けることであたかも新鮮、有機野菜と来れば厳選されたイメージが店全体を覆う。食に対する意味や由来、健康というキーワードもあるだろう、無言有言の講釈の影響は大きい。しかし、それがすべてではない。

大学生に赤ワインを飲んでもらい、脳の活動を調べる実験が行われた。2グループに分け正しい価格と偽りの価格を知らせて、3種のワインを飲ませたところ、全員が安価なものより、高価なものを好むという結果が出た。価格という刺激によって高いものほど脳の報酬中枢で血流が増加した。しかし、味の感覚的分別を司る一次味覚野では血流の変化は見られなかった。八週間後、価格を表示せず3種類のワインを飲んでもらうと、被験者はどのワインにも同じ程度の満足度を示した。

最近になって、中間の価格帯の商品で、偽りの価格がもたらす効果が大きいこともわかってきた。つまり、あなたが何を言おうと、安価なワインを出しているかぎり、プルミエ・クリュ(フランス産一級ワイン)だと納得させることはまず不可能だ。

高価格を装い言葉で着飾っても、一次味覚分野を刺激する味にも一定のレベルが必要だという。ワインでわかったことは他の食材にも敷衍可能であろう。苦味・塩味・甘味・酸味・食感など味覚には個人差があり、とくに苦みについては優れた人は普通の人の16倍もの数の味蕾があるとされる。苦い食べ物は有毒である可能性が高く、超味覚者は生存に有利であった。これは食が豊富にあるときで、少ないときは苦みに鋭敏でない普通の人が有利である。味覚は生存に欠かせないが知覚という点ではそれほど重要ではなく、味覚に関与する大脳皮質の領域も1%ほどでしかない。

私たち人間の脳は身の周りの環境から統計的な規則性を導き出すからだ。要するに、私たちは学習を通じて、色やにおいなど、味覚とは別の感覚を用いて潜在的な食べ物の味や栄養価を予想できるようになる。

嗅覚は食体験に影響する感覚のなかでも重要な役割を果たす。普通に食べていると鼻ではなく舌で味を知覚しているように思うが、鼻をつまんで食べると食物の味をいい当てることはできない。この錯覚をオーラル・リファラルといい、嗅覚を刺激する工夫は至る所でみられる。飲食物にフレバーを添加したり、ショッピングモールではあえて性能の低い換気扇を使い、できるだけ大量のニオイを客の鼻に届けようとする。

2017年流行語大賞をとった「インスタ映え」は視覚をくすぐることを意味し、とりわけ食は中心をなす対象だった。食欲をかきたてる映像をガストロポルノといい、1977年に書かれた料理本で初めて使われた。新しい仕事も生まれ、食材だけでなく食に関わる効果的な演出に携わる「フードコーディネーター」は協会まで設立され、1〜3級の資格認定をおこなう。

現代では料理は見た目が味やフレーバーと同じくらい重要だとされている。広告、ソーシャルメディア、テレビの料理番組など、どこに目を向けても食べ物のイメージであふれかえっている。そうしたものを完全に避けるのは不可能だ。しかし残念なことに、私たちの脳が魅力を感じる食べ物が健康的であることはほとんどない。それどころか、その逆であることのほうが多い。

2014〜2015年のネット検索数で食べ物のカテゴリーは2位を占めた。ちなみに1位はポルノだという。食欲と性欲、人の根源的な欲望であるところで納得がいく。不健康の最たるもの、「ラーメン」はスープと麺とトッピングの組み合わせにビジュアルを追及する。スープに火を付けたり、真っ赤に浮かんだ唐辛子、チャーシューてんこ盛り、投げて替え玉を入れる店もあるという。どこをどう見ても健康の対極にあるが、ラーメン店は熱狂ファンが群がり 栄枯盛衰も激しい。

器の色や形、材質、重量など見た目の美しい料理は、適当な器に置かれたものより美味しく感じられる。ある雑誌の企画でコンビニ弁当を磁器やガラス、漆器などに移し、会席風にしつらえたのを見たが、コーディネートの妙を感じた。料理人とば別に器を選んだり、食写真を撮る人が主役に踊り出ると、実際の料理の味を軽視する恐れがないではない。

食べ物に関する番組をたくさん見る人は、同じ時間テレビを見るが食べもの番組を観ない人と比べてもBMI値が高いのか、という点である。食品広告が---とくに子供たちにおいて---消費活動をゆがめるということがさまざまな調査で確認されていることから察するに、おそらくこの仮説は正しいと思われる。

フードポルノという造語があり、ポルノが性欲を刺激するように料理の写真や動画が食欲を刺激する意味で使う。レストランや料理屋での食事、観光地での珍しい食べ物又は調理の様子を写真や動画で撮影しブログやSNSに公開する。「いいね!」をたくさん貰って悦に入り、公開することが目的化していく。フードポルノのブログを閲覧すると映像とともに画一的なコメントが添えられる。「ヤバイ、なにげに美味い、まったり、こってり、絶妙、濃厚かつ淡白.. 」意味や文法などおかまいなし。感覚に頼った単語を羅列して料理紹介を果たす。毎日更新の食ブログなど、貪欲に喰い漁る修行のようでスゴイ。胆力のある人だけが長く続く。

フードポルノは精神を疲弊させる---知らず知らずのうちに精神的なシュミレーションをする機会が増え、そのたびに脳は、今見ている食べ物を口に入れたらどんな感じだろうと想像する。それがテレビだろうとスマートフォンだろうと、同じことだ。そのつど私たちの脳は、"食べたい"という誘惑に抵抗しなければならない。

人間の脳は、食べ物に乏しい環境でも栄養を探し摂取できるように発展してきた。生物としては飢餓にさらされているのが常態であるにも関わらず、現代はかつてないほど多くの食に囲まれ、高カロリーの食とそのイメージの侵襲を受ける。画像を眺めることで多くの人が視覚的食品にさらされ、より過剰に食べ不健康へ誘導されるの。ネット以前は行き当たりばったり、店の外観とメニュー看板だけで選んだものだが、いま、料理屋や居酒屋の検索サイトは価格、料理や外観、内観の画像、口コミまで公開する。

音楽から照明、はたまた店内の香りから椅子の座り心地にいたるまで、環境は食体験に影響を与えらえるし、多くの例では実際に影響している。

整頓され清潔な店が良いというわけではない。床は土間で狭いカウンターに雑然と群がっても、それを求める人には雰囲気になる。高級レストランへ行く人が場末の屋台へも行く。雰囲気が変われば料理や酒の味が変わり、ときには変えたいこともある。ここに店の戦略が絡む、高級ステーキを立ち食いで安く提供するレストランがある。客の回転を速め薄利多売で利益を上げるモデルだ。さらにテンポの速い音楽を大音量で流すと、客は口数が減り、たくさん食べ、短時間で店を出るという。数値で示すと「バーの音楽の音量が22%大きくなれば、客の飲む速さが26%上昇する」。

おしゃれなカフェなのに、硬くて座り心地の悪い椅子が使われていることを不思議に思ったことはないだろうか?簡単に言ってしまえば、そうした店はあなたに長居をされたくないのだ。

快適な雰囲気づくりと逆の戦略もまた店にとって重要なものだ。マクドナルドでは10分以上座り続けると居心地の悪さを感じるようにするのが座席デザインのルールになっている。客の滞在時間をさほど重要視する必要のない高級レストランでは食事空間の印象を良くし、居心地の良さを演出することで料理の評価を高める。居心地戦略に両極があるのは収益に見合う経費との関係だ。イギリスの伝説のシェフ、マルコ・ピエールは次のように語っている。

料理が好きだから店をやっていると言うシェフは嘘つきだ。1日が終わってまず考えることは金のことだろう。自分がそうなるとはまったく思っていなかったが、実際に私もそうしている。楽しくはない。銀行に借金を返すために週6日間自分を殺すのが楽しいはずがない...儲からなければ、何もできない。人は社会の囚人なのだ。1日の終わりに、金の計算という別の仕事をやることになる。

「社会の囚人」とは当意即妙、人間である限り、あらゆる局面について回る。しかし「結局、金じゃないか」と短絡視してはならない。「人はパンのみにて生きるにあらず」ともいう。著者は最後に10項目の健康的な食生活を提言している。「食べる量を減らしながらより多くの満足を得たい」。飽食可能な環境にあって、食生活が欲望や錯覚に流されるのは危うく、ガストロフィジックの日本語訳に「食と錯覚」を結び付けたのは示唆深い。

 

 
 

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