【今月のコラム】


【海 棠】

薬に頼らず対話によって病気を治す本 笠木伸平 モザイク出版 

対話によって治る病気もなくはないだろうけど、すべては無理だろう。いったいどんな技法が書かれているのか興味津々で本を開く。結論から言えば期待外れのパンフレット本だった。病院での待ち時間は長く、ようやく順番が来ても診療にかかる時間は数分から10分くらいだ。対話を重視する精神科でさえ、おおむね5分から10分ていど。初診の場合は20〜30分程度の時間をとってくれるが、もっと話したい患者はカウンセリングを勧められ、1コマの予約で通常45〜50分ほど話せる。医師ではないので治療に結び付くかどうか分からない。

一般に、患者さんに対し上から目線とされる医師は、患者さんの感情や思考に耳を傾けることなく、指示、命令、アドバイスを行いがちです。それらは患者さんの行動変容への意欲につながらないばかりか、患者さんに「従いたくない」といった感情、抵抗を招くことさえあります。そういう医師は、患者さんの行動とそれにつながる感情や思考を否定しているのです。

2000年前後からインフォームド・コンセントといい医療機関での説明が詳しく丁寧に行われるようになった。医療ヒエラルキーの頂点に立つ医師の権威主義的振る舞いを改め患者の自己決定権や選択の自由を尊重するという理念だ。20年経ち確かに説明は十分なされるが、別の方法又は診療をしない選択が示されることはなく、患者の苦情封じの儀式のようでもある。医師の振る舞いは変わっても、診療に患者の選択権はなく20年前と大差ない。医師が主導する治療において期待する効果が得られなかったり、患者さんが前向きに治療に取り組めなかったりする例がたくさん見受けられる。医師に気に入られたいがために、あるいは嫌われないための同意では患者さんの治療への意欲は削がれる。1900年代前半、C・R・ロジャースという臨床心理学者が「クライアント中心療法」を提唱した。当時は多くの治療家がこの「非指示的療法」に疑問を抱いたが、本質は患者さん自身が自分の問題と向き合い解決の方法をアドバイスし勇気づけることにあった。

ロジャースの考えに触発されて、私はクリニックで薬物をなるべく使わず、患者さんと対話しながら一緒に治療していく方法を本格的に始めました。中には「話なんていいから早く薬だけ出して」という方もいますが、薬を使いすぎない患者さんの方が、たとえ試行錯誤を繰り返すことになっても、より目覚ましい回復をみせています。

長く慣らされた医療行動や観念は突然変えられず、多くの患者さんは薬を欲しがるだろう。いままでは薬が悩みや不安、心の問題を解決する助けになっていたのかも知れない。対話によって病気を治すには患者の心の切替が必要となる。プラシーボ(偽薬)と分かっていても薬を求める人がいる。薬は養生や対話など癒しに関わるものの代名詞でもある。対話だけで病気を治す本と思って読み始めるが、「対話だけ」と早合点していた。あくまでも「対話によって」なのだ。

病気の治療は西洋医学の専売特許ではありません。ほかにも、中医学、アーユルヴェーダ、波動医学、瞑想、レイキほか、代替医療と呼ばれる治療の種類は多岐にわたります。また、食事療法、運動療法にも、多くの考え方や方法があります。

10ページ目でタイトルとは違った本の主旨が分かった。代替医療に取り組む医師の熱い思いを伝えるものである。代替医療の本やwebサイトはたいがい西洋医学や現代医療の批判や不都合から始まる。本書は患者の話を十分に聞かない一般医師への批判から「対話による治療」の提案へと展開していく。死因別一位の「がん」の治療についての著者の見解は「手術で取り切れる場合、抗がん剤が初期に効いて完治する場合には、西洋医学的な治療が有効である」という。しかし、再発や初期治療がうまくいかないと西洋医学的な治療が逆に悪化を招く危険がある。食事などの生活習慣や環境要因はいうまでもないが、以下は対話で治すための心理的要因だ。

進行がんの患者さんのほとんどが持っている感情が、怒りと憎しみです。自分に対する、あるいは周りの人に対する、両親に対する、憎しみや怒り。この感情を、本人が自覚しているとは限りません。いずれにしても、怒りや憎しみにとらわれている自分のことが嫌だし、そういった自分を、どこかで解放したいと思っています。

解放したい半面、自責や他責で怒りと憎しみを持ち続けることへの慣れと執着で身動きが取れない。この状態が長く続き、年月とともにがんになるリスクが高まる。幼い頃の養育者や近親者との関係で怒りや憎しみがトラウマとなり、そういった自分を許し、心を解放することで体質は改善される。他の病についても負の感情が病気の誘因となり、治癒を妨げるという。存分に話を聞き、気づきをもたらすことで病気を治す。古くは周囲の知人や友人が話を聞いたが、最近は職業化されたカウンセラーがあたる。幼い頃より以前、生まれる前の話は前世の因縁などと称し、祈祷師や占い師が役を担う。これも対話によって病気を治す方法のひとつだ。祈祷で治った人を奇跡的治癒として身近に見聞することがある。対話に近いものでは近藤誠氏が放置療法を提案されている。がんの治療に関して専門家としての話を伝え、必要なら西洋医学も利用するという立場だ。対話による治療だから、時間の許す限り「おしゃべりしましょう」では徒労に終わる。人が頑なに信じ込んでいるものを、話だけで改めさせるのはマインドコントロールを解くほど難しく、それには特別な技術と時間と労苦を要する。これを保険診療の制約の中で行なうのはほぼ不可能だ。

そこで、保険診療とは別の選択肢として登場するのが、「自由診療」です。自由診療は、医療保険制度を用いない診療を指します。治療に決まりや制限はなく、患者さん一人一人に合わせた医療サービスを受けられます。先端医療や個別医療、未病医療、予防医療はすべてこちらに含まれます。

最終章あたりに書かれていたので、著者のクリニックを検索してみた。料金の項目をみると「診察・薬を使わない各種治療の相談15分/¥11000、60分/¥40000」とあり、何やら薬みたいなものが販売され、間葉系幹細胞培養上清液が1か月で¥88000とある。1時間おしゃべりして○○液を買って帰ると128000円、パートの月収は1時間で底をつく。労苦を尽くして得た1か月分が医師との会話の1時間に足りないのだ。このクリニックは余裕ある人のための医療を提供するところだ。負担率10〜30%の保険診療費さえ払えず診療を躊躇する人には見果てぬ貴族の医療である。

もっと良い治療法はないか、もっと費用のかからない治療法はないかと考えるのが治療家たるものと思う。ヒューマニティあふれ話も存分に聞くという名医が「そのためには自費診療で..」と語る違和感はぬぐえない。医療費の負担にも限度のある人々を保険診療と時間の制約のなかで診療する医師を権威主義とよべるのか。癒しは熟達した名医や奇を衒う代替医療で起こるとは限らない。未熟な治療家でも起こり、自己治癒もあり、祈祷師や友人の助けでも起こる。なんでも治せると優しくささやく治療家のもとへ向かうときは保険が利くか、費用はいかほどか確かめたほうがいい。話だけでは治らず、治療のためにと揃えた様々な物品のデパートだったりする。各種療法や癒しのアイテムを用いても、病気に対応できることと治ることは違う。難病と格闘する治療家は讃えられるものだが、もともと治癒率の低い難病や老化には限界がある。

 

 
 

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