【今月のコラム】


【 梅 】

漢方丸薬で難病を治す 日笠 穣 メディカルユーコン 

薬局で調剤する薬に独自の処方とか家伝薬というのは存在しない。薬事法で決められた処方を分量どうり調剤し販売する。加減法、合方などは禁じられており、医師のように診察・診断し、自由に薬を処方することはできない。薬剤師は客との対話で得た情報から、薬事法に定められた処方を提案し、同意を得て調剤・販売を行う。手続きは面倒だがやっていることは味気なく簡単で、漢方専門とは名ばかり、ただ生薬と漢方薬を備えているだけだ。実力不足のため難しい相談には「単なる薬草売りなので..」と断っている。「漢方薬は漢方家が考えるほど効かない」と悟ってから、漢方の本を読まなくなった。本書は旅先でふと立ち寄った書店で手にする。薄い本なので帰りの電車で読める思ったが、興味は尽きず、本に出会ったことが旅の成果であった。著者は丸剤というスタイルで処方するが、重要なのは丸剤ではなく、それを運用する理念だ。

一般に漢方を処方する医師は保険薬価を取得した漢方エキス顆粒や錠剤を利用する。薬価収載された生薬や生薬(末)を自在に処方し、製剤まで行なう医師は珍しい。漢方薬には適応症が記載され、それを基に新薬と同じように処方は可能だが、漢方理論を学ぶとより運用の巾は広がる。著者は漢方を学び、ひと廻りしたところで西洋医学の病名での治療を提言する。漢方薬は多種の生薬で構成され、ひとつの生薬が持つ成分も多く未知のものも多い。それを適応症だけで使えるかの疑問は残る。虫封じ、ボケ封じ、癌封じなどの御祈祷と同しくプラシーボ効果なのかも知れない。そのおかげで、効能や適応症に書かれていない不調や病気まで治り、それを東洋医学の知恵とか神秘などと讃える。漢方エキス顆粒、錠剤、散剤、丸剤など漢方製剤の効能・効果には目標とされる症状と病名が記載され、専門家を自認する人々はこれを「病名漢方」、「番号漢方」と揶揄し、原典に則り、「証」を把握して運用するのが本物だという。

病態把握に漢方的診断を用いず、西洋医学の病名で治療する

一般に馴染みの薄い「証」という概念は専門家の縄張り意識から生じるのかも知れない。「素人判断は禁物、オレに任せろ」、とも聞こえる。専門家も最初は素人だ。学んだ過程を振り返り素人にわかるように説明できるはずだ。著者は山本巌先生を師と仰ぎ、理念を継承する過程で丸薬での治療スタイルに辿り着く。丸薬だから治るのではなく、漢方薬を運用する治療家の技量であることは言うまでもない。漢方診療において四診で得たものは主観的データであり、そこから弁証論治か方証相対を経て処方に至る。弁証論治は漢方的病理を検討し処方を導き、方証相対は症状に対応する処方を探す。医師の漢方は西洋医学の診断が介在するので薬局漢方より精密な診断が基になる。西洋医学は東洋医学が主観的診断で足踏みする間に、画像や理化学検査などの診断技術が急速に進歩した。病態を正しく捉えた結果、病名が判明する。病名が判明しない、判明しても治療法のない領域の隙間に漢方薬の居場所はある。

病気の診断に脈診や腹診、舌診を使ってはいけない。人の感覚に頼るものは客観性がない。血液検査やCTなどで確定した診断名で漢方薬を選ぶ必要がある。

西洋医学の病名と漢方の証は関連付けができる。西洋医学の病名を於血、陰虚、気虚、寒熱、臓腑弁証などの漢方医学的仮説で説明できる。仮説である漢方の生体観が役立つことがある。たとえば気血水などの用語を駆使し病状を説明すると西洋医学的説明より平明で治癒へのイメージを喚起しやすい。

漢方処方を一つの薬のように考えてはならない。生薬の薬効をしり、それらが組み合わされた理由を知れば処方を理解できる。

薬局漢方では診察・診断はできないが、漢方薬の基となる生薬成分の構造や薬理、毒性、分量などの学びを得ている。古典的な気味、薬性から、再現性のある科学的薬理をもとに病名に対応する生薬や処方の再構成が可能だ。西洋医学の病名で新薬同様、誰もが生薬や漢方薬が使える。かつて漢方薬は煎じるか粉末で利用された。昭和23年(1948年)、日本で最初のエキス剤が作られ、9年後の1957年、小太郎漢方製薬から30種ほどのエキス顆粒とエキス錠剤が製品として発売された。粉末を携帯に便利で飲みやすくしたのが丸剤だ。煎じで服用すると水で抽出する成分が得られ、散剤にすると生薬の成分が丸ごと得られる。分量も少なくて効果も得られるが副作用も付いてくる。エキス顆粒や錠剤は水で抽出した成分を乳糖や澱粉で薄めるため成分の減少は免れない。製剤となった漢方薬は処方内容が固定する。それを一つの薬として、処方を組み合わせる医師が現れた。処方名を書くのが面倒なので16番と9番などと指示する。これを揶揄して番号漢方と呼んだ。2〜3処方を同時に服用し、朝夕で異なる処方というケースもあり、生薬の数だけで20〜30種にもなることがある。重複することで生薬の分量は増え、薬効は混沌としたものになる。

生薬の薬理と効能によって処方を構成していけば、不要で無駄な生薬を整理し単独でも利用ができる。芍薬甘草湯という芍薬・甘草の2種を配合した漢方薬は、痙攣や痛みの緩和に用いる。芍薬だけでも鎮痙作用があり、甘草にも急迫を緩める作用がある。著者は単独で丸剤を製造し使い分ける。芍薬は風邪に用いる葛根湯にも配合され筋肉を緩めることで汗腺を開き発汗を促す。他にも葛根、麻黄、桂皮など発汗を促す生薬が配合され発表剤とも言われる。葛根湯は肩こりのある風邪の初期症状に用いるが、肩こりだけなら鎮痙作用のある葛根だけでも構わない。発汗を促すのが目標であれば麻黄、桂皮でも達せられる。葛根湯に配合された生姜は発汗を目的とはしないが、単独で分量を増やし熱くして服用すると発汗し、葛根湯の役割を果たすことがある。薬効を生かすには引き算も大切で、生薬の薬理と配合される事の吟味が必要だ。経験的に知られた薬効と科学的に解明された薬理を知ることで、新しい無駄のない漢方処方が創出できる。これも合成新薬に劣らない医療の進歩だと思う。

「古典を踏襲した本格漢方」といえば聞こえはいいが、同じ患者を診て漢方家によって異なる診断と治療が行われることが多い。漢方理論だけでの運用は効かなかったとき、その理論を検証する方法がなく漢方家の思考を超えることがない。科学技術とともに発展した西洋医学の診断法で漢方薬を運用すると、この曖昧さが回避できる。医療用医薬品における漢方薬の市場規模は約1.6%に留まる。いかほど宣伝広告費をかけても限界は見えている。この数字が示すことは「漢方薬は漢方家が考えるほど効かない」ということだ。しかし、約1.6%はまったく無益ではない。無益ではない内訳には難病があり、ありふれた病気や不調、老化現象、日々揺れる体調もあるだろう。

 

 
 

 HOME MAP