【今月のコラム】


【楊 梅】

手相と漢方 生嶋泰郎 幻冬舎 

漢方に関する本や漢方と名の付く本はたくさん読んだ。漢方経済学という本は漢方で儲けるコツが書かれているかも知れないと思ったが、漢方とは無縁の内容で、たたらを踏んだ。「手相と漢方」といえば占いの本のようだが、そもそも漢方が占いの要素が強い。漢方や代替医療の診断は多種多様、怪奇なものまであり、本書は漢方診断に手相を取り入れ、精神分析をおこなうという。

例えば、腰痛に悩まされてきた人の手相を診たところ、その原因が不安であることが判明し、適切な漢方薬を処方することによって腰痛が解消したなどというケースは枚挙にいとまがありません。

患者さんとの雑談を契機に本格的に手相の勉強を始めた。40年前、心理学者・宮城音弥の「手相の科学」が出版され、手相のパターンから定量的に性格を分類していくものであった。20世紀半ば、E.クレッチマー、シェルドンは体格や体型から性格と気質を類型化している。科学とはいえ心理学や医学の分野は曖昧さの回避が難しく例外も多い。「手相の科学」では手相の他、爪、手の形・構造、指、手の温度・湿度・屈伸性など多くが類型化され、手相の勉強に欠かせない本だった。

漢方の診断は望・聞・問・切に分類され、手相は望診になる。手相を見ながら問診をおこない診療の手がかりを得る。漢方は古代医療の文化遺産のようなもので、診療も古典を踏襲する。西洋医学の検査や画像診断は有益なツールではあるが、病気によっては文化遺産的手法も捨てがたい。病院を転々とし検査をくりかえすが異常は見つからず、体の不調や症状は続く。医師から自律神経失調症、不定愁訴など実態不明な病名を貰ったり、精神科クリニックへの受診を勧められる。検査技術のない時代に成立した漢方は症状に対して薬を処方する。このことは漢方入門書に必ず書かれる利点で、漢方家が漢方を賞賛する常套句にもなっている。

その医師の処方する漢方薬が効いただけでなく、その医師の問診によって患者自身が自分の症状の原因が、自らの感情にあることを自覚させることで、患者自身がそれを是正していくプロセスを体得していく過程でもあるのです。

医師の感性や人間性は洋の東西を分かたず診療に深く関与する。しかし、その質とは必ずしも関係せず、患者との干渉作用で癒しが起こる。著者はその手法として手相を選び、漢方の考え方を結び付けた。治療家は漢方理論というが、定説はなく百家争鳴、多才な専門家が各々の考え方で流派を為す。「手相と漢方」も流派、もしくは家元のひとつといえる。手相を取り入れた精神分析を基調に、心理学のエゴグラムと東洋思想の五行論を相対させる。

  1. 厳格な父のような支配性(CP)→肝
  2. 優しい母のような寛容性(NP)→肺
  3. 落ち着いた大人な理論性(A)→脾
  4. 自由な子供のような奔放性(FC)→心
  5. 従順な子供のような順応性(AC)→腎

人の感情はなんらかの身体症状となって出現する。不安、恐怖、緊張によって動悸、胃痛、手の震え、冷や汗などが見られ、それを五行分類する。人の性格や気質、才能、運命などを観る過程で体質や病気にまで繋がっていく。他にも人相、語音、四柱推命、筮竹や算木を用い八卦、64パターンに導く占いもあり、治療家の思いによって治療のツールになる。

手相学では、指から宇宙の惑星の波動やエネルギーが入ってきて、それが手のひらに蓄えられると考えられています。つまり指は惑星の波動をキャッチするアンテナなのです。そしてその波動は手のひらに蓄えられ、丘を形成して、線をつくります。

東洋医学では「手」だけでなく、身体の各部に全体の縮図があるという。耳、足、腹、目、、各部位に治療を施すことで全体を治すリフレクソロジー(反射帯療法)という治療の流派がある。しかし、波動ということばが堂々と出てくると違和感はぬぐえない。他の事はなんとか理解できても、波動はいままで読んだ中国の古典にも中医学の本にも出てこなかった。代替医療では繁用されるが波動を語る流派にはセクト色がつきまとう。治療家の考え方や治療法は失敗も成功も含め経験が介入し、それは考え方に後付けされることがある。経験が考え方を補強し、次からパターン化されたものに従い、そこに教祖のような治療家が生まれる。ドクターズルールという本に次のような言葉がある。

診療経験が十年以上になるまで、「わたしの経験では」と言ってはならない。たとえ臨床経験が十年以上であっても、この言葉は使わないにこしたことはない。

医師や治療家がよく使うことばであるが、戒めとされているのは経験でルールを作らず、それを疑えということではないか。医学や心理学など人文学の要素が入り込むものは経験や知識でルールやパターンを認識し運用する。仕事は簡便化され楽になるが、曖昧さが回避できないため、普遍性を欠く宿命にある。また、独自のルールで診療をおこなう代替医療には独自さゆえの危険性も孕む。幸いいまの医療制度で代替医療はほとんど保険適用されないため、医師が思い込んだ方法で勝手に治療はできず全国で平準化した治療が受けられる。それにも問題はあるが、医療制度下にあって大きく常識を外れることはない。

こうした標準的な治療だけですべての患者を救うことは不可能であると考えています。確かに80%の患者には有効だと思います。しかし、残念ながら、残りの20%、どうしても治すことができない患者が出てきてしまうのです。

その20%の人たちのために何ができるかといえば、私は標準的な医療に失敗したなら「標準的でない医療」に変更すべきだ、と考えています。「標準的でない医療」とは、言い換えれば「代替医療」といわれるものです。

そう簡単にはいかないのが代替医療だ。先に述べた曖昧さや危険性とともに保険が利かないことでの費用負担の問題がある。1か月分の給料を1回で奪われる診療所もあり、それでも命には代えられないと命を削る。著者のいう80%の治癒とそれに外れる20%の根拠は不明だが、新薬・漢方・カウンセリングなどを尽くしての数字であろう。名医とてそこまで治癒率はあがらないのではないか。私の周囲には治るどころが10年も20年も同じような治療と検査を受け、同じ薬を服んでいる人が多い。

わたしの経験ではと言ってはならないが、経験をよりどころの認識方法は根強くある。「手相と漢方」は治療家の貴重な財産といえなくもない。繰り返すが、症状のパターンに基づいて漢方薬の適応を決定する。いくつか成功例が重なるとそれがルールになりやすい。最近考えることだが、逆ではないか。治療家の内に形成された薬のパターンが先で、それに合致する患者を探す。こう考えると薬は山ほどあるが、首尾よく適合するパターンはさほど多くない。少なくとも漢方については80%の治癒とは言えず、割り増しても10%以下であろう。

患者も治療家や診療に対するパターンやルールを秘めている。黙していても納得のいかない治療家のことばは受け入れない。明らかに医師に頼らざるを得ない病気は別として、慢性疾患などは患者の人格や経験が診療に関わってくる。手相、姓名判断などの占い、祈祷などで「良く当たる」という言い方をするが、それは相談者がパターンを認識している裏付けだろう。同じく医療でも患者のパターンやルールに合致しない治療家は選別される。うなずいてはくれるが、話の通じない患者や「柳に風」でマイペースを貫く患者もいる。医師や治療家は、しばしば「臍を噛む思い」をする。

 

 
 

 HOME MAP