【今月のコラム】


【ソメイヨシノ】

  どうせ死ぬんだから 和田秀樹 SB Creative

戦時下、日本人の平均寿命は50代だった。結核でさらに若くして死亡する人もいた。海外では今も飢えや死の恐怖にさらされる人々がいて、とりわけ子供たちの悲惨には目を覆い、ないものと思いたい。日本では平均寿命が80歳を超える長寿社会を迎え、戦時下の死とは異なる思いと死を考える時間が与えられた。死が避けられないことは明白なので、七十歳、八十歳を超えた人は、「いままで生きられたのだから..」と諦観を以て望む反面、わが身を気遣い医者の診療に一喜一憂する。来たる死に逡巡し足掻いているようにも見える。

死が迫るのを意識する年齢は人によって異なるだろう。著者は58歳のとき。重症の糖尿病にかかり、血糖値は660mg/dl、のどが渇き10分ごとに水を飲む、体重激減、すい臓癌、慢性の心不全などを考え、自分の死を覚悟する。当時、がん放置療法で知られる近藤誠氏と本の出版のため何度か対談を重ね、がんが見つかっても治療は受けないと決めていた。

延命のためがんと闘うのではなく、がんは放置して、残された時間を充実させようという選択をした。「どうせ死ぬんだから、自分の好きなことをやり尽くそう」と開き直ることができたのです。

著者はいくつか検査を受けたが、がんは見つからなかった。死を覚悟したことで本当にやりたいことが分かり時間を無駄にすることがなくなった。「どうせ死ぬのだから」と思うと、いままでの価値観も変わり、人生の幸福度は高まる。

3年前、共著を編んでいた近藤先生が心不全で急死された。著者も近藤先生とおなじく健康診断否定派だという。そのことで急死は「報い」という声も少なからずあった。しかしいまの健康診断では心筋梗塞は防ぐことができず、血液検査が正常でも心筋梗塞で亡くなる人はいる。意外だったのは近藤先生は本では、「がん死は意識が保て、死までの猶予があるのでオススメ」と、書かれていたが、家族には「まだ元気なうちに、ポックリ死にたい」と話されていたそうだ。死が迫る歳になると、次第に死の見え方が変わったり、あるいは老いが身に染みることの虚勢かも知れない。

医者がやっていることは、ほんの少し延命したり、死亡率をちょっと下げたりする程度のことです。それなのに、「薬を飲んでいたら大丈夫」というようなことを言うから患者さんの死生観がゆがむわけです。

医学の発達か医師の増加か、早期発見・治療を施せば長生きできるという至上主義が人々の死生観を変えた。食事・運動・医療情報に過敏でわずかな体調の変化も見逃さず数々の健康法を試しては飽きる。医者にかかれば多くの人が高血圧薬を飲まされる。血圧の薬を飲まなければ6年後に高血圧の人の10%が脳卒中になるが、飲んでいたら10%を6%まで減らせるという。10%が脳卒中になるなら残り90%はならないわけで、薬を飲んでも6%の人は脳卒中を起こすとも言える。数字の解釈次第で、服薬することと避ける理由になる。少しでも延命したり、ときに苦痛を緩和するのは医療の責務ではあるが、それに伴う検査や治療が命を縮めたり苦痛を及ぼすこともしばしばだ。最近の例ではコロナ禍で、何度もワクチンを接種したことが死や障害の惨禍をもたらし、コロナ禍より酷いものになった。国や学者のいうことを「疑え」ではなく、「信じるな」という教訓を得た。死ぬほど苦しいときだけ医者にかかればいい。

体内の水分がなくなって枯れるように死ぬのが、人間にとって自然な死です。脱水や餓死は、ものすごくかわいそうな死に方のように見えますが、だんだんと眠るように死ぬので、本人は楽なわけです。

少子高齢化が進み、財産のゆくえや遺言など終活ムーブメントが起こり、終末医療や葬儀などについて、リビング・ウィルを残す人もある。著者は現段階では、と断ったうえでリビング・ウィルを残すことは肯定するが、終活する時間があれば、「生きている今をもっと楽しむべき」という。しかし、いま60代の著書の考えと、まさに70代、80代を歩く人とは景色も思いも違うだろう。人生50年から100年時代を迎え、感染症や栄養状態の改善を考えると寿命はほぼピークに達し、80代にとっては死がそこまで迫る。

「老い」を2つの時期に分けて考えることがカギだと考えています。ざっくり言えば、70代は「老いと闘う時期」。そして、80代以降の「老いを受け入れる時期」です。老いを受け入れるとは、老いるままにショボくれていくという意味ではありません。衰えを素直に認めて、それぞれに対応しながら上手に賢く生きようということです。

老い衰えるのは病気ではないが、病気と考えて克服の希望を抱く人は多い。分かっていても、「病気だから治る」と思う方が心の平安には都合がよい。素直に老いを認めつつ、賢明な生き方でもある。70代は健康寿命の分かれ道になり、とくに70代後半から、がんの罹患率や死亡率、要介護や認知症になる率が高まる。とにかく動く、とにかく頭を使う、身体と頭を使えば使った分だけ老化を遅らせることができると著者は言う。続いて老人が服用させられる3つのクスリについて注意を喚起する。1)血圧降下剤:加齢に伴う動脈硬化で血管の内腔が狭くなり、血圧をあげて末端まで循環を良くする。これを下げると血行が阻害され活力が低下し体はだるくなり頭がボケる。2)血糖降下剤:無理に下げると低血糖を引き起す、脳への糖の供給も低下しボケたり心不全など合併症のリスクが高まる。3)コレステロール治療薬:製薬会社のために正常値の基準が下げられた。疫学的研究では高い方が免疫力も高まり、がんになりにくい。

4カ月ごとの健康診断に基づいて数値が高い人には薬を処方し、塩分制限などの健康管理を厳しく行う「介入群」600人と、健康管理にまったく介入しない「放置群」600人に分けて追跡調査を行いました。その結果、がんによる死亡率だけでなく、心血管系の病気の罹患率や死亡率、それに自殺者数にいたるまで、「介入群」のほうが「放置群」より高かったのです。

わかりやすく言えば「ぽっちゃり小太り」が一番長生きし、歳をとってからのダイエットは代謝を悪くし、老化を進行させる。ほとんどの高齢者は「食べすぎ」より、「食べなさすぎ」のほうが危ない。健康診断は体の無数の成分のひとつふたつを検査して、全体を類推するもので、実際の健康との関係性は希薄だ。にもかかわらず数字で脅して病人を作り、治療と薬を売りつける。保険、教育、宗教などの業界にも通じる戦術だ。薬に100%安全なものはなく、副作用のない薬はない。多くの作用を持つ薬の一つの作用を有効とするなら、他の作用は有害な作用で、被害のほうが大きいことがある。若く健康な人より、老齢で病気を抱えた人ほどダメージは大きいが、そんな患者ほど医者は多くのクスリを処方をする。調査によると処方された通り、きちんと服みきらない人が8割近くいるようで、好ましいことだ。

「どうせ死ぬのだから」という著者も終章では理想の死に方、死に場所、看取られ方、死ぬときに後悔しない生き方の心得を語る。死が避けられないと悟ったとしても自暴自棄にも無敵にもなれず、相変わらず煩悩に惑う日々が続く。

 

 
 

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