【今月のコラム】


【つわぶき】

世にも危険な医療の世界史 リディア・ケイン ネイト・ピーダーゼン 著 
福井久美子 訳 文藝春秋

古代の医療は巫医が執り行い、医という漢字の成り立ちにもその名残がある。巫とは神や精霊など霊界との交信ができる能力や地位を有し、その超常性を以て病の治療にあたった。カリスマ性の演出は今も多くの治療家に共通し、難しい病気に対して、人々が「神の手」を求める心情を救いとる。苦痛や病を治すため、いままでどれほど多くの治療法が試みられたことだろう。なかには病以上に苦痛をもたらし、死に至る治療さえあった。現代の医療が整ってようやく50年になるかどうかだ。がんの手術にしても、20年ほど前までは正常な部位まで切り取って再発に備えた。「なぜ無意味で危険な検査や治療をおこなっていたのか?」ということが、今もおこなわれているのかも知れない。医療の歴史で浮いては消えた様々な治療は、現在おこなわれている治療への反証とも言えよう。

【水銀】カロメル(塩化第一水銀)は何百年ものあいだ万能薬として利用された。どんな症状であれ、とりあえず水銀を飲め。水銀は液体だが塩酸との化合物は無臭の白い粉で無害に見える。これを飲むと強力な下剤となって黒い大便が排出される。古代ギリシャ時代、ヒポクラテスは四体液説で黒い大便は毒素の胆汁が出て体と体液のバランスが整うと唱えた。薬を飲んだ患者は水銀中毒のため歯が抜け落ち、あごの骨が壊死し、頬の壊疽で穴が開いた。心気症の患者はうつ病、不安、対人恐怖症が加わった。カロメルは20世紀の半ばまで生き延び、ようやく重金属は有害という認識が広がり薬から外された。

【アンチモン】水銀は毒を下すという発想だが、毒を吐き出そうという薬もある。薬価に収載されいまも少なからず使われる吐根(トコン)という植物は、毒を即時に吐かせたり、薄めて去痰薬として用いる。漢方で用いる巴豆は峻烈な下剤であるが、吐き気も催し、胃の内容物は口から排除し腸管の内容物は肛門から下す。昔は子どもが熱を出したり不調を訴えると、まずヒマシ油を飲ませた。消化管に溜まったものを下すことで、胃腸の負担を軽減し、血液を治癒へ向かわせるとの思い付きだ。酒好きな男が、妻からアンチモン化合物の吐酒石少量を酒に盛られ嘔吐し、そのショックで2年間は酒を飲まなかった。アンチモンは吐くという苦痛の他、肝障害、膵炎、心機能障害、ときには死をもたらすことがあった。現在ほとんど吐剤は使われず、胃内の毒は活性炭で吸着除去し、血管内の毒物はキレート剤で結合させ体外に排除する。

【ヒ素】フローベルの小説、ボヴァリー夫人は薬剤師の家からヒ素を持ち出して自殺する。この物語は瀉血など当時の医療の様子が描かれている。ヒ素は無味無臭、小麦粉みたいで食べ物や飲み物に混ぜても気づかれにくい。和歌山毒カレー事件もヒ素が使われた。肝毒性の強い発がん物質で致死量100mgを飲むと数時間で死に至る。薬剤師がヒ素を持っていたのは薬として使うためで、泥膏(パスタ)として潰瘍や湿疹などあらゆる皮膚病に塗った。内服では発熱、胃痛、胸やけ、リウマチ、強壮薬、原因不明の病気に使った。昭和50年頃の薬剤学の教科書には亜ヒ酸の水剤であるホーレル水や亜ヒ酸丸を製造する方法が記載され、教科書の隅に「漸増漸減で適用」とメモしている。貧血病、白血病、マラリア、慢性リウマチ、慢性皮膚病に用いた。姿形の奇妙なもの、死ぬほど強烈な毒物に薬効を期待するのは東洋医学にも見られ、古代から現代まで通じる癒しへの渇望がみてとれる。

【瀉血】「医師が義兄に瀉血を行って頭に冷湿布を貼ると、義兄は見るからに力尽きて気を失い、その後意識を取り戻すことはありませんでした」と義理の妹はいった。義兄とはモーツァルトのことで、彼は死ぬ前の一週間で2リットルもの血を抜き取られた。瀉血は紀元前1500年頃、エジプト人が最初におこなった。人間の体液は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁で構成されると考え、体液のバランスをとるため瀉血か嘔吐か排便によって体内を浄化しようとした。理容店に置かれた白地に赤と青のポールは動脈と静脈を意味し、古くは理容師が顧客に対し整髪の他、爪やタコを切り、虫歯を抜いたり瀉血をおこなった。犠牲者は後を絶たず、発作で倒れたチャールズ2世は瀉血の他、浣腸、下剤、吸角法を行い、ヤギの胆石を飲ませ、脚に鳩の糞を塗った。瀉血のため頸動脈まで切開し血をほぼ抜き取られて亡くなった。アン女王が発作で意識不明になったときは瀉血と下剤の投与で命は2日間しか持たなかった。イギリスの詩人バイロンは風邪をこじらせ高熱と全身の痛みに苦しんでいたが、「以前の病気で瀉血が効かなかった」と言い断固拒否した。しかし、医者の懇願に負け三度の瀉血で1リットル以上の血を抜かれ、病状は悪化した。医者は必死になり、熱で水膨れを作って膿を出し、耳の周りにヒルを置いて血を吸わせた。まもなくバイロンが息を引き取ると、「もっと早く瀉血をすれば、何とかなったのに」と言い放った。「どうしてこうなるまで放っておいたのだ」、「も少し早く検査をしておけば」、こういう医者の言いぐさはいま始まったことではない。瀉血は2000年以上にわたり医者を虜にしたが、18〜19世紀になると内科医や科学者のなかから瀉血反対の声があがり始めた。パスツールやコッホは炎症の原因は感染であることを突き止め、瀉血で治らないことを証明した。血液を大量に抜くなどの大胆で侵襲性すさまじい治療を「英雄的医療」といい、そのひとつが次のロボトミーだ。

【ロボトミー】前頭葉白質切載術といい、頭蓋骨に穴を開けることは古代からおこなわれた。遺跡から四角に切り取ったり、小さな穴のある頭蓋骨が発掘されている。火打石や黒曜石、金属、貝殻など用いた最古の脳外科手術と考えられる。当時は脳ミソに触れてはならないと理解していたようで、脳や脳の毛細血管、髄膜はいじらなかった。原因不明の頭痛、癲癇、気分の落ち込み、精神疾患、頭の軽い怪我などにも行ったが、ヒポクラテスは頭の陥没骨折のみに穿頭術を試みることを勧めた。しかし、開けた穴から骨の破片や血餅を取り出しても患者が生き延びたことから、大脳皮質をえぐり取る手術へ向かった。13世紀のギリシアの外科学書には頭蓋に穴を開けることで「悪い気質や気分が抜けて蒸発するだろう」と書かれている。ルネッサンス期には脳内に石ができると、狂気、愚行、認知症などが起こるとの説が流布した。1888年、スイスの医師、ブルクハルトは手術した経験もないのに、統合失調症や幻覚のある精神疾患患者の開頭手術をおこなった。冠状ノコでこめかみ付近の頭蓋骨に穴を開けたあと、内側の硬膜を切開し、大脳皮質の一部を鋭利なスプーンで何杯もえぐり取った。一部の患者はおとなしくなり幻覚を見なくなったが、多くの患者は神経障害に悩まされ術後の合併症で亡くなるか、なかには自殺した人もいた。当時は衛生管理が杜撰で、穿頭術をうけた患者の50%が合併症で亡くなったという。ブルクハルトの外科手術が史上初のロボトミーとされ、従来と異なりスプーンやアイスピック、泡立て器などで脳を傷めつけた。医学会から野蛮との批判を浴びたブルクハルトはやがて開頭手術をやめ二度とおこなわなかった。約50年後、別の方法でロボトミーをやってみようという医師が現れた。1930年代後半から1940年代前半にかけアメリカでは精神疾患が40万人に達し、どこの病院も病床の半分以上を占めていた。1935年、エガス・モニスは精神疾患患者に新しい外科手術を試みた。患者の頭頂付近に穴を開け、純度100%のエタノールを注射し前頭葉の一部を壊死させた。後に白質切断用メスを考案し、柔らかい脳をかき混ぜくり抜いた。モニスの教えを引き継いだフリーマンとワッツは頭蓋骨に穴を開ける代わりに、こめかみを切開してメスを差し込み脳をえぐり取ったが、メスは堅さに問題がありしばしば脳内で折れた。ある日、キッチンで鋭利だが鋭すぎず強くて適度に細いアイスピックを発見し、アイスピックロボトミーが誕生した。まぶたを持ち上げ眼球の上部からアイスピックを突き刺し、ハンマーで軽く叩いて眼窩の薄い骨に穴を開け脳組織まで刺し貫く、そこでアイスピックを上下左右と動かし脳をかき回し、同じことを両目でおこなう。しかし脳細胞を切ったりかき回しただけで正常な精神状態に戻れるはずがない。この手術によって再起不能となった患者や出血多量で死んだ患者は少なくなかった。その多くは女性に施され、脳が発達しきっていない子供にも行われ、一番幼い患者はわずか4歳の幼児だった。1967年、フリーマンの手術によって女性患者が脳出血で亡くなるまで続き、抗精神薬・クロルプロマジンの登場で悲惨な精神科病棟の風景は一変する。

【断食】古代から続くもので古代ギリシア時代にピタゴラスは「定期的に断食すると体に良い」と述べている。「風邪をひいたらたくさん食べて、熱が出たら食事を控えよ」という諺があり、ある意味正しい。断食は体に良い場合がある。宗教では精神修行として魂に良い影響を与え、神の啓示に近づく近道ともいう。14世紀後半、オランダの聖人、リドヴィナは霊感を得るための断食と治療のための断食を結びつけた。現代栄養学つまり西洋式の病院でおこなう栄養指導以外の食事療法はどこか宗教と通底するものがある。オランダの少女リドヴィナはスケートで転んで大怪我を負い、体を治すため断食を始めた。まもなく宗教的な想念に囚われ本格化し、口にするのはりんごかデーツ、水で薄めたワイン、海塩入りの川の水へと徐々に減っていく。最後は空気を取り込むだけとなり、「癒す人、聖なる女性」と呼ばれ有名になった。リドヴィナの症状は悪化し、亡くなったあとも人々は断食にあこがれ何人もの断食少女が現れては餓死した。餓死は教訓にならず逆に断食を利用したインチキ療法が登場した。断食が流行ると医師たちはアメリカでもヨーロッパでも「自然健康法」と称する療法を広め始めた。バランスのとれた食事、新鮮な空気、運動、日光浴、たくさん水を飲むこと等、水飲み以外は常識的でとくに問題はなさそうに思うが、治療のため医師が処方した薬は飲まず、断食での自然治癒を促した。断食で健康を取り戻したという多くの体験談をもとに断食療法は普及する。体に有益なものもあるが、薬物療法、輸血、放射線治療、サプリメント、苦痛の緩和措置をも認めない問題のある指導もある。スピリチュアルな世界と結びつくと、「なにを言っても聞き入れない」、頑迷な信念に補足される。医師の資格を持ち知力や教養に富む人でさえ、憑りつかれると正気を失う。最近流行った低炭水化物ダイエットなど、いままで玄米を推奨した医師がある日を境に肉食一辺倒へと転向した。様々な食事法が浮いては消え、あるとき装いを変え再び浮きあがる。

【ラジオニクス】古代には存在しなかった新しいものだ。1895年、マルコーニが史上初の無線通信機を開発し、商業的にも成功を収め技術革新が進んだ。人々は見えない電波に驚嘆したが仕組みは理解していなかった。そこに荒稼ぎしたいインチキ治療家がつけこみ、電波の神秘的な力は病気に効くと言い始めた。サンフランシスコで生まれたアルバート・エイブラムスは19歳という若さでドイツの大学で医学博士号を取得した。1893年、故郷に戻りクーパー・カレッジで病理学を教え、40代になるころには神経科医としての名声を確立した。しかし、夜間クラスで詐欺を働いて教職を追われたあと、インチキ療法に傾倒していく。彼の治療法で最も注目を集めたのがラジオニクスである。1916年、エイブラムスは「診断と処置の新しい概念」という本で、「健康な人は健康的なエネルギーを放出し、病んだ人は病気の周波数を放出するが、ラジオニクスの専門医は複雑で操作の難しい装置を使って病んだ波動を検知し、病んだ波動を健康的な波動に変え患者のどんな病気も治せる」と主張した。ラジオニクスは一台数10万円から1000万円もするものがあり、故障の恐れがあるので装置の「中を開けるな!」という。禁を破って中を見た物理学者は「10歳の少年が、8歳の少年をだまそうとして作ったおもちゃだ」と揶揄した。ダイアルや電極を複数取り付けた正体不明の機械だが、皮膚の電気伝導度を計測し意味ありげに診断を下すもののようだ。宗教的で形だけの診察を終え、「がん」だと脅し、治療を提案する。もともとありもしない「がん」だから、すぐに消え患者は喜びのあまり知人に話を広める。もっとも効果的な販促キャンペーンと言っていい。ラジオニクスに科学的根拠はないが、常に神秘的要素がつきまとい信者は後を絶たない。信者を惹きつけるために神秘的粉飾が必要なのかも知れない。

ガレノスが提唱した四体液説は19世紀に病理解剖学が誕生するまでおこなわれ、代替医療ではいまも体液説を踏襲する治療家が少なくない。医学の歴史は人体実験の歴史でもあり、無知と善意と欺瞞と暴力が交錯する。いま行われている最新の治療も将来において批判に耐えうるかどうかは分からない。発がん性のある抗がん剤で副作用を起こし、麻酔が効いているから痛くないと、臓器を切り取る。放射線を照射し正常細胞まで侵す。予防ワクチンと称し健康な少女に障害を負わせる。医療がつくりだす病気を医原病といい、3大死因のひとつだ。

 

 
 

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