【今月のコラム】


【レモン】

昭和・平成精神史 磯前順一 講談社選書

今年8月、ある催しがわずか3日間で中止された。あいちトリエンナーレで開催された「表現の不自由展」を視察した河村市長が「表現の不自由という領域ではなく、日本国民の心を踏みにじる行為であり許されない」との抗議が発端だ。主催した愛知県の大村知事は「公的な行事だからこそ憲法に則り表現の自由は保障されなければならない」とコメントした。賛否両論飛び交い、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫FAXや県職員個人への誹謗中傷が相次いだ。その後も「表現の自由」が脅かされる事態が相次ぎ、10月27から神奈川県川崎市で行われた市民映画祭「KAWASAKIしんゆり映画祭」で慰安婦問題を題材にしたドキュメンタリー映画「主戦場」(ミキ・デザキ監督)の上映も中止になった。

近年の日本社会は、政治家の収賄疑惑、改憲による平和憲法の破棄への動き、極端なアメリカ追随政策などに如実に見られるように、社会通念としての公平さや正義の理念が放棄されつつあります。

いままでも見られたことだが、その都度厳しい世論によって反省を余儀なくされ、ときには辞任、辞職などの責任をとった。しかし、最近の政治家は責任を取ろうともせず、開き直り「役割を果たすことが責任」だと詭弁する。多くの評論家は「戦後精神の衰退」と見るが、著者は「戦後社会の行き着いた姿」だという。「戦後社会の行き着いた姿が、戦後精神の衰退」とつなげてもよさそうだ。

ところで戦後とはどのような意味を含むのか。戦後といえば「戦争の影響下にとどまっていいる段階」のことで戦争の影は消えない。逆に「戦争の影響を脱した段階」との意味もあり、現在、私たちが考える戦後であろう。日本は平和で自由で自立した時代を謳歌しているのかもしれないが、世界に目を向けると戦後を迎えていない社会が圧倒的に多い。たとえば、韓国と北朝鮮は休戦中であって、いまだ終戦に至らない。アメリカは第二次世界大戦の後も、ベトナム戦争やイラク戦争などいくつもの戦争に介入し、いまもどこかの国との紛争を抱えている。戦後、日本社会を待っていたものは軍事的占領というかたちで始まった「アメリカ--日本」という植民地関係だった。アメリカの意向で国の外交、防衛、原発、経済などの政策が決定され、総理大臣も国民にではなくアメリカに追随する。

アメリカが極東裁判のみを正式な軍事裁判としたため、日本とアメリカの関係に基づく戦争体験を集約してしまった。日本は原爆を落とされた被害者とすることで加害者の立場が抜け落ちた。長崎、広島、沖縄の平和式典、終戦記念日、各地でとりおこなわれる慰霊祭での宣言や戦争の語り部も、空襲や原爆、捕虜、戦死などの体験が圧倒する。

原爆や本土空襲による被害者意識からの反戦思想が展開された一方で、みずからが加害者の立場となった東アジアにおける戦争犯罪への取り組みは、少数の個人によってはなされたものの、社会総体としての問題意識の共有には発展しなかった。

小学生の頃、白黒のテレビで見たのが、終戦記念日のもっとも古い記憶だ。社会科や歴史の教科書で侵略戦争とは教わったが、侵略の生々しい事実は知らない。戦地へいった祖父や古老の話は武勇伝が多く、もっぱら空襲や原爆で被害を受けたことが記憶の澱となって刷り込まれてきた。焼け野が原から力強く再生し、東京オリンピック、高度経済成長を果たし、先進国の仲間入りをする。そういった物語が多くの国民の思いであり、誇りではないだろうか。

一方、旧植民地の人々は自分の名前まで日本式に創氏改名させられ、言語も文化も奪われ、さらに過酷な宿命を負わされた。日本人は「かれらはいつまで恨み続ける気なのか。戦争はもう終わったのだ」という。今年6月、鳩山由紀夫元首相がソウルの延世大で学生向けに講演し、「日本は戦争で傷つけた人たちや植民地にしていた方々に対し、『もう、これ以上謝らなくてもいい』と言ってくれるまで、心の中で謝罪する気持ちを持ち続けなければならない」と持論を述べた。広島、長崎、沖縄など各地の平和式典で私たちは誰に対し過ちを詫び、平和を祈るのだろう。米国から「いつまで原爆や沖縄のことを言い続けるのか」といわれ、「ごもっとも..」と納得するだろうか。

「いつまで言い続けるのか」という人々のなかには、良心の呵責から旧植民地の人々に向き合うことを避ける人もいるが、被害者への想像力の欠如が戦争さえなかったことにする人々をも生んだ。原爆で殺された人々、日本兵が同胞を殺めた沖縄戦、戦地で餓死した兵士、朝鮮人であっても日本人として徴用され、報われない戦死や労働を強いられた人々、皇軍の兵士に強姦され殺害され、食肉にされたアジアの人々を私たちは無意識のうちに否認し、逆に被害者としての振る舞いを続けているように思う。

そこでは、すでに数人の将校によって「試し斬り」がおこなわれていました。手をしばられた中国人の首をバサッと斬っているのです。ところが下手な将校は、刀の扱いがうまくできずに頸動脈を切ってしまうものだから、血が噴き出している。あわてて刀を何回も振り下しています。--むしろ下士官のほうがうまくて、片手にもったサーベルをぱっと振り下ろすと、首がごろっと落ちる。--つぎからつぎへとくりひろげられる凄惨な光景に、体はふるえ、こわばって目も開けられない状態でした。(奥村和一・酒井誠『私は「蟻の兵隊」だった』)

粛清討伐の最中、--20歳くらいの女の子を見つけました。分隊員みんなで次の部隊まで連行して、--輪姦してしまいました。まず隊長がというので私がすませ、それから--順に決めて。--強姦のあとでは女を殺してしまうという一種の"暗黙の了解"みたいなものがありました。--殺してしまえば「あの女は八路軍の回し者らしかったので」といって口をぬぐうことができますから。(本多勝一・長沼節夫『天皇の軍隊』)

一部の兵士によっておこなわれた特異な例ではない。日本軍は皇軍ともいい天皇陛下の名のもと将校と初年兵に胆力をつけるため、中国人を殺害させることで、戦場に出る感覚を麻痺させ殺人マシンへと変容させた。復員した兵士たちが戦地体験に口をつぐむなか、この体験者は非人道的行為を勇気をもって告発した。戦争とは自分が死ぬか相手が死ぬかの極限の連続だ。「殺人は軍からの強要だ」との言い訳の余地はあるかも知れないが、当時頻発していた中国人女性への強姦事件はどんな言い訳が許されるのか。

表現の不自由展で問題となった平和の少女像は日韓で争っている性暴力を象徴するものだ。日本側は韓国人女性が本人の同意のもとであったことを論点に据えているが、慰安婦がだまされて強制労働させられたとの証言は枚挙にいとまがない。首を斬り落とされた人を自分の父や息子、慰安婦に狩立てられる少女や輪姦され殺される女性を自分の妻や娘として考えられないからこそ「心をふみにじる」とか「いつまで謝ればすむのか」という発言がでてくる。

終戦間際にソ連軍が満州国へ進軍してきたとき、日本女性に対して同じ犯罪がおこなわれた。夫や子供の目の前での暴行や凌辱、命乞いのため妻や娘を差し出すこともあった。青酸カリを飲んで自ら命を絶たった女性、内地でも連合軍の進駐に備え髪を短く刈り込み、顔に墨を塗った。中国の女性が日本兵に対してしたことを日本の女性もしたのである。

日本人は被害者であると同時に加害者でもあります。そもそも、だれが「日本人」であるかは時代とともに流動するものです。内地での被害状況ばかり報道され、外地での残虐行為は国民に知らされてきませんでした。

日本人は善良で敵国に対し常に紳士に振舞い、植民地からの解放に力を尽くした。などという物語はあとで都合良く作り上げたお伽話にすぎない。加害者という歴史の事実を認めることから戦後の歩みを始めなければならなかった。そこに立てば加害者としての残虐も被害者の慟哭も身に迫るだろう。

自分を被害者の側に置き、人間性の善のみを自分の本質とするヒューマニズムの偽善性に反対しなければならないのです。

 

 
 

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