【今月のコラム】


【霊 芝】

医者という病 和田秀樹 扶桑社新書

新型コロナウイルスが発生した2020年、それまで増加を続けた死者数が約9000人も減った。しかし、2021、2022年は史上最大の死者数を記録した。2020年はコロナ対策で医療機関への受診を避けたり、医療機関が患者を抑制した。医者にかからなければ1年くらい寿命が延びるというデータがあり、2000年の死者数減少の根拠をなす。医者にかることで生じる病気は医原病といわれるが、調べてみると文化的医原病という範疇がある。医学や医療の発展により、医療専門家への全面的依存が生じた結果、自らの健康への主体性を失うという。溢れる健康情報や対策、自治体から届く検診の案内、これらの奔流に呑まれ冷静さが失われる。医師である著者は医療や健康について精力的な発言を続け、内容は平明で説得力がある。本書は医療を担う主役である医者の話だ。

医者という聖職を得て仕事と職場の属性を持つと、人流や交際も閉鎖的になり情報や学びも専門化する。「医者と警察には世話になるな」という戯言があり、この理屈でいえば、他にも葬儀屋、税務署、薬屋、銀行.など世話になりたくない様々な職業があるだろう。ちなみに「医者と弁護士の友は持つべき」という話もある。病院に勤めていた頃、医者たちの交友は同業者で占めていたように思う。威厳があり寄りつきがたい職業の典型なので他業種との交流は少なく、医者仲間や付き従う医療スタッフが主たるものだ。最年少の医者は30歳くらい、10年以上もかかる膨大な知識の吸収と厳しい技術の研鑽には尊敬の他ない。専門性と閉鎖性の高い仕事なので医者を指導・批評できる人はおおよそ医者に限られる。

日本には高齢者専門医の集まりである「日本老年医学会」という組織があります。しかし、この老年医学会の認定医や専門医が多い県は老人医療費が多くなり、平均寿命も短いとの傾向が出ています。逆に、老年医学会の研修施設が3つしかない長野県では、平均寿命が男女共に高く、老人医療費が少ない傾向にあります。

昭和の医者は内科・外科を掲げ、頭痛、腹痛、ケガなど、歯以外はなんでも診てくれた。時代とともに細分化が起こり専門性は増し呼吸器、循環器、消化器など臓器別に分化し、それぞれ内科と外科に分かれる。さらに分化し、一般人はもちろん医者でさえ専門外のことが分からなくなる。しかし、開業するときの診療科目は患者を集められる科を掲げる必要があり、専門外の病気については標準的な治療法が記されたガイドラインに沿って診療や投薬を行う。ガイドラインはほぼ製薬会社の息のかかった教授が書いたものだ。かたや専門を標榜するための認定にも懸念がある。たとえば高齢者医学の認定医や専門医は呼吸器や循環器の専門医であって高齢医学の専門医ではない。試験を受けて認定を得るが、問題を作る教授が臨床に詳しくなく、理論重視の内容になることが多い。認定医、専門医にかかるほど寿命が短くなるカラクリがここにもある。専門化した各診療科が一人の患者にそれぞれ治療、投薬をおこなった結果、薬だけでも10種を超えることが珍しくない。薬によって不調が生じ、不調の原因を見抜けず、不調に対して投薬を重ねる。臓器別に専門化することで診療費と薬代は増加し、医療費40兆円の6割は65歳以上の世代が消費する。この世代の不調の多くは加齢によるもので、病気として対処すべきかどうか大局的に判断すべきであろう。医療市場を増大させスタッフも機器も薬もマンモス化した結果、その糧食が足りず、医療崩壊に直面している。

当たり前のことですが、高齢になるほど体にはガタがきます。ある程度の不調とは付き合っていくのが当たり前なのに、日本では体の悪いところすべてに薬を出して治そうとします。当然、お金がかかりますし、常時5種類以上の薬を飲んでいれば副作用が急激に増えるので体に悪い。

子供には体重や年齢に応じて小児薬用量というのがあるが、代謝が低下し体重も抵抗力も落ちた老人に大人量を投与し、種類も多い。不老長寿の薬は存在せず、症状軽減という一時しのぎの治療になる。多くの高齢者が服用している血圧や血糖を下げる薬には意識障害の副作用が見られ、高齢ドライバーの自動車事故や暴走の原因になる。一般の入院患者の10〜30%にこの手の意識障害が見られ、高齢者に至ってはもっと多い。高齢者の事故防止には免許を取り上げるより、薬を取り上げるほうが効果的だ。アメリカでは副作用で患者に危険が及ぶと製薬会社とともに処方した医者も訴えられるため、薬の副作用に対する意識が高い。日本では薬害訴訟は数多くおこなわれてきたが、いままで医師が訴えられたことはなく、副作用にも無頓着だ。高齢者の暴走事故は世界中で日本だけで、欧米では話題にもならない。

日本では医者に薬を使わせる構図が出来上がり、世界の人口の1.6%の日本人が世界の薬の40%を消費している。医者が駄菓子を売るように薬を処方するので、日本人はすっかり「薬好き民族」に仕上がり、製薬会社の働きバチになっている。安全性も効果も不明で危険な新型コロナワクチンが投入されても、粛々と列を為す。専門家とは名ばかり、製薬会社のために医者は宣伝の旗を振り、薬剤師は専門知識を封印する。

正常値とは、平均値を中心にして正常と思われる測定を受けた人の95%を含む範囲、すなわち、「平均値±2標準偏差」の数値にすぎません。しかも、その平均値は年代別ですらなく、全成人全体の平均値です。20歳の若者も70歳の高齢者も、すべて同列に考えられているのです。さらにいうと、高齢者はその調査対象から外されていることが原則です。

医療にはもう一つ、検査という陥穽が待ちうける。調査対象から外しておきながら、数値には従えというのが検査のカラクリだ。検査値は日本人の平均体重や平均身長と同じく参考にはなるが、人によって異なるのが当然であり、平均を外れるから異常とは言えず、平均である必要はない。ところが検査の平均値については「正常に戻さないと危ない」と危機を煽る。煽るのではなく本当にそう信じているようにも見える。こういった諺があるかどうか知らないが..「人を欺くには、まず自分を欺け」。老化すると動脈硬化がすすみ、血圧をあげないと隅々まで血液がいかない。下げると血流が滞り、脳まで酸素やブドウ糖が届かず頭がボ〜ッとして転倒や事故を起こしやすくなる。コレステロールについては悪玉・善玉があり、悪玉コレステロールは下げるべきとされてきたが細胞膜や免疫細胞を健全に保ち、がんやインフルエンザを予防する。動脈硬化防止だけに躍起になり、がんにかかる方がよほど心配ではないか。自治体から結核検診、健康診断、がん検診などの案内が届く、医療機関の営業宣伝を税金でおこない、公的であるがため住民は半ば責務と感じる。

多種の薬を飲んでいる患者さんは、どの薬が不調をもたらし、効かないか自覚していることが多い。しかし、「医者に指示されているので」と我慢して服む。医者に不調を訴えても「副作用はない」といい、頼りの薬剤師も「医師に相談を..」と役目を放棄する。医師や薬剤師が真剣に患者の訴えに耳を傾けるなら、こういった事態にはならないはずだ。専門家と称する者たちが病因を作り出している。

先に平均身長や体重が外れていることが異常とは言わないと書いたが、そうでもないことが起こっている。

正常値主義に陥ると、どのようなかことが起こるか。具体的な症状はなくても、医者が「新しい病気」を簡単につくれるという危険な事態を招きます。この十数年で医者によって生まれた「新しい病気」の代表例といえば、「メタボリックシンドローム」でしょう。

へそ周りのサイズが男性で85センチ、女性90センチ以上であると、メタボリックシンドローム予備軍と診断され、血圧、中性脂肪、血糖のうち一つでも基準値を超えるものがあれば、医者は病気の烙印を押す。生活習慣の改善を言いつつ、ねんごろな製薬会社の薬を処方する。メタボリックの概念は厚生労働省が唱えたもので早期の対策により医療費増大を抑制するのが目的だった。これを提唱した大学教授は製薬会社から莫大な研究費を受け取っていた。硬直化した正常値主義につけ入るように一部の医者や製薬企業が利権のため、現場を知らない厚生労働省を動かしたのである。

がん検診を受けても、数種類のがんを除けば、大半のがんは見つけても助からないか、放置しても問題のないもののどちらかしかないということ。ですから日本では多数のがん検診が行われているものの、がんの死亡者数がちっとも減らないのです。

死因トップはがん(悪性新生物)24.3%、心疾患14.7%、老衰12.1%と続く。早期発見・早期治療をどれだけ促されても減少に転じる気配はない。お題目に誤りがあると考えるのが正しい。治らないがんは発見しても進行が早く助からない。問題は放置しても構わないがんに過重な治療を施し健康を害することだ。自治体から定期的に検診の案内が届くと、「一年間、無事で過ごせた」と、安心のお守りのごとく祈りを込め続けて検診を受ける。5年前、厚生労働省は推奨しないがん検診のリストを公表した。胃、子宮頸部、肺、乳房、大腸は推奨し、前立腺、肝臓、子宮体部、卵巣、甲状腺、各種の腫瘍マーカーは推奨されておらず、それにも関わらず検診を行う自治体がある。放置しても命取りにならないがんを見つけて治療する過剰診療や精密検査に伴う合併症などの不利益を被ることがないよう注意喚起している。最低限の責務は残っているのかも知れない。

1961年の国民皆保険から64年、肥大化した医療業界はどこへ進もうとしているのか。多くのメディカルスタッフや最新の機器や医薬品のため、経費を削り、患者という顧客を増やさねばならない。健康な人を病人にする検査値や、健康な人に予防と称して投与するワクチンなど、医療産業存続のための消耗品になってはいけない。

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