【読書録(12)】-2015-


「衝動」に支配される世界
うつを治したければ医者を疑え!
原発労働者
子宮頸がんワクチン事件
沈みゆく大国アメリカ
植物はすごい
亡国の集団的自衛権
フードトラップ
健康・医療の情報を読み解く
日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか
日本は戦争をするのか
高血圧はほっとくのが一番

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「衝動」に支配される世界 ポール・ロバーツ著
神保哲夫:解説 東方雅美:訳

今日のように社会全体がまるで利己的な個人のように振舞うことも予測できなかった。かっては、個人が手っ取り早く利益を手に入れようとしても、政府やメディア、学術界、企業などの組織がそれを抑えてきた。しかし、いまではまさにこれらの組織が、同様の利益の追求に走っている。あらゆる分野において、大小さまざまな規模で、私たちの社会は、たとえ、結果がどうなろうとも「いますぐに欲しい」社会になりつつある。

個人主義の果てか未成熟かは分からないが、荒削りな感情の表出に遭遇することは多い。演劇やテレビドラマの如く誇張した言動はその影響かもしれない。ここにネットという匿名のツールが加わり、諦観する空気も広がった。一呼吸置いて相手を思いやる言動や、助け合いの心は薄れてはいないか。あらゆるところ、衝動に支配される分野が蔓延しつつある。ここでは医療について少し書いてみたい。

がん保険に先進医療特約というのがあり、多くの人は勧誘に習い、追加契約する。先進医療のなかでよく耳にし、200〜300万円もかかるのが重粒子線治療や陽子線治療だ。それを月額100円の負担で保障するという。需要が少ないから100円で済むのかもしれないが、メリットも少ない治療だという。この治療法は細かい粒子線を使うため、周囲の組織にダメージを与えることなく正確に腫瘍を攻撃する。したがって正確さを必要とする目や脊椎など、わずかにズレてもリスクの高い場所にある腫瘍には向いている。ところが、費用だけは通常の治療法の2〜5倍かかり、とくに効果が高いわけではなく、重大な副作用の可能性も少なからずある。陽子線治療施設は体育館なみの大きな加速器を擁するため、巨額の費用がかかり、真の効率を求めるなら利用価値は少ない。

アメリカでは機器メーカーや病院によるマーケテイングに加え、コストに無頓着な保険制度のおかげで、この治療法が急速に拡大している。2020年までに31か所の陽子線治療が計画され、必要な数の約3倍にもなる。陽子線治療については提供側の情報のみで、可否を問わず「最新だから」という理由で受けようとする。医療制度は自己中心的な経済の縮図で、不必要な治療に何億ドルも使うことで、孫の世代が3倍もの税金を負担することになる。人間の有限性や非永久性を認識できない「医療文化」が目先の満足を誘い、死や老いを拒み、目をそらすために手間と費用を浪費する。

コストを気にせず医療を消費するため、常により先進的な治療を要求し、医療分野のイノベーションを歪めていった。つまり、イノベーションは予防からは遠ざかり、複雑で利益の大きい治療法へと向かったのである。

最新かつ話題の機器を購入した医師たちは高価な費用の元を取ろうとする。CTスキャンやMRIが多くの患者を救ったことは間違いないが、購入した医師は頻繁にすべての患者に使いたい思う。通常の診療は歪み、必要がなくても「念のため」という説得を患者に対して行う。知識もなく、断る選択肢のない患者は「新しい器械で隅々まで調べてもらった」と喜々として語る。患者は患者を呼び、医療費は雪だるま式に膨らむ。医療費は上限を知ることなく肥大が続くだろう。

2人に1人が「がん」に罹り、4人に1人が「がん」で死ぬ。ここで使われる抗がん剤もまた莫大な費用がかかる。アバスチンという結腸癌の薬でひととおりの治療をすると約8万ドルかかる。出血などのひどい副作用もあり、延ばせる寿命はわずか6週間余りだ。前立腺がんの新薬「プロベンジ」は9万3000ドルかかるが、延ばせる寿命は4か月だという。1日でも寿命が延びることは喜ぶべきかもしれないが、病床で不安に過ごす患者や家族は高額な医療費をどう負担するか悩むだろう。製薬会社は非常識に高額でも出そうという患者のいることを知っている。その費用は保険会社が一部払うかもしれないが全額は払わない。患者は自宅を担保に入れて費用を捻出し、多くは薬のために破産する。これはアメリカの話であり、医療制度の整った国は、コストが高く価値のない治療に金は出さない。しかし、巨大企業はTPPなどの交渉で他国への進出を図る。いまの保険制度がいつまでも続くと安心しては居られない。薬を飲めば治る。手術をすれば治る。早期発見・早期治療で永遠の命が手に入るかのような宣伝は幻想だ。いったい誰のための宣伝かは考える前に分かるではないか。アメリカの医療システムは費用のかかる間違った選択から人々を守ろうとはせず、むしろ間違った選択を推奨し、利益を得ようとする。

消費者資本主義、新自由主義などと称し、なにごとも経済、言いかえればカネ、カネ、カネ..という大合唱が聞かれる。健康や命もそこに組み込まれ、高価な治療や医療が優れているかのように評価する。カネで計れないものがあることを語りつつも、その呪縛から逃れる方策がない。欲望ほど厄介で困難なものはないのだ。

以前は寿命を縮める原因となっていた病気が、科学により撲滅されたことを悲しむ人はほとんどいないだろう。しかし、その延びた分の寿命を生きる頃、われわれは長生きすると大きなコストが生じることに気づく。

長生きすると、がんや心臓発作、アルツハイマーなど、重篤でお金のかかる病気にかかりやすくなる。運よく病気をせず晩年を過ごす人でさえ、年齢を重ねることで衰弱する現実から逃れることはできない。老いるということは肉体的、精神的に日々の生活が次第に困難になり、少しづつ傷を負い死んでいくことに他ならない。最新の医療で不老不死を達成できるかのように騙し、金をむしりとるより高齢者が暮らしやすいような環境を整えることが重要だ。交通手段の確保、適切な栄養、訪問看護などによって力を貸すことだ。かつては死を受け入れる思想が伝統的に培われていたが、経済の発展とともに死から目をそむける医療が席巻した。そのため死が近づけば近づくほど、避けがたい老化や死を消費者の満たされない欲望として扱うようになった。

心理学者によると、特に自己愛的な人格は死を見つめることには適していないという。その理由の一つは、自己があまりにも膨張したため、自分が存在しないという概念にすら向き合えず、死に対して深い恐怖を感じ、これを必死になって否定して回避しようとするからだ。社会として、私たちは死を同様の理由で恐れる。

葛藤の真相は本人しか分からないが、病気や死に怯える人もあれば諦観を以て望む人も居るだろう。医療や金融、雇用、政治、社会など、これから多くの危機が待ち構えるが、「自分化」された経済で長年過ごしたことで、それに向き合う能力が低下したのではないか。いままでは不足部分を政治や公的機関、メディアが補っていたが、それも期待の持てないものになりつつある。

アメリカの医療問題は日本の現状を先取りし、ひたひたと迫る。TPP交渉が10月に大筋合意に至り、各国の議会で批准されると協定が発効する。アメリカ議会では批准について賛否が渦巻いているが、同時に行われた二国間協議で実質合意されている。テレビや新聞は農業問題に特化し、競争力のある農業などと嘘を飾りたてる。実は医療こそが本丸であって、その報道は皆無に等しい。徐々に明らかになり後悔したときには手遅れだ。人々は「他に良さそうな政党がないから」といい、現政権を支持していくだろう。今月の薬剤師会報には数枚のポスターが同封され、自民党の薬系参議院議員の後援会名簿への署名を求めるものだった。

企業のグローバル化がもたらしたものの一つは政治や行政への強力な介入だ。彼らはメディアを懐柔することの大切さもよく分かっている。権力を持った政治家や役人は医療や福祉、教育など切り詰め、切り捨てを図るだろう、それは国民から財産を奪うことでもある。彼らもまた奴隷であり、国民は彼らより下位の奴隷だ。奴隷同士われさきにと争い少しでも暖かい毛布を求め、より多くのパンにありつこうとする。仏教では餓鬼道という。

 

うつを治したければ医者を疑え!伊藤隼也

98年に173億円だった抗うつ剤の売り上げが、翌年から急速に増え続け2008年には1000億円を突破した。うつ病患者は99年に44万1000人だったが、08年には100万人を超えた。自殺者は1997年まで約2万〜2万5000人で推移していたが、翌98年に3万2863人まで一気に跳ね上がった。自殺のうち54%が精神科・心療内科の医療機関に相談していたという。医者への受診や薬の服用が自殺防止どころか後押している可能性さえある。「不景気」、「ストレス社会」などが自殺多発の理由とされてきたが、これに3番目をつけ加えるべきであろう。

全国自死遺族連絡会の調査では、1016人中、自宅マンションから飛び降り自殺した人は72名。その全員が精神科の診療を受け、抗うつ薬などを1日3回、5〜7錠服用する薬漬けの状態だったことも判明した。このことからは、飛び降りという衝動的な行為を処方薬が引き起こした可能性さえ疑われる。

精神科を受診することで悪化する原因は、1)投薬量が多すぎる、2)本当は薬がいらないのに投薬されている、3)診断そのものが間違っている、この3つに大別され、多くは減薬や断薬で症状が改善される。20〜30年前までのうつ病は心理的ではなく器質的な内因性うつ病をいい、心因性のうつ病はストレスとかノイローゼとされた。後者はまさに「心の風邪」といってもよく、自然に回復していくものだ。先輩や友人、親類、教師などが相談にのることもあった。いままでに経験のない問題にぶつかると、動物として心理反応を呈するのは当然であり、自然治癒力で回復可能だ。うつ病診断の基本条件がいつのまにか器質から気分に変わってしまった。検査数値を下げて病人を増やしたり、健診で病人を探し出すのと同じだ。気分次第という言葉があるように、気分で診断できるなら医師の主観でどうにでもなり、診断の誤りで不要な薬が過剰に投薬される。薬は基本的に毒で危急を救ったり、苦痛を一時的に和らげるものだ。治すのは人が本来持っている自然治癒力に期待を寄せるべきで、自然な回復を妨げてはならない。

日本ではうつ病と診断されるとSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)というタイプの抗うつ薬を処方されることが多い。心の病ならば心理療法を重視するところだが、即投薬で片付ける。SSRIは後続であるSNRIとともに脳内の神経伝達物質に作用し、欧米では自殺を誘発する危険性が広く認められている。FDA(米国医薬品局)が11種類の抗うつ薬に関する約10万人の治験データを調査すると、10〜24歳の患者でプラシーボを服用した場合に比べ、自殺や自殺未遂、自殺願望を持った例が有意に多かった。FDAは03年にSSRIは自殺につながる可能性があるため子供には使わないように勧告している。世界の流れは抗うつ薬を使わない、多剤投与はしない方向で進んでいるが、日本の精神医療は旧態依然として患者を中毒や死に追いやっている。

06年から10年の5年間に同院で行なわれた行政解剖13499件において検出された薬物は、覚せい剤等136件に対して医薬品等は3339件だった。死因不明の遺体において違法薬物である覚せい剤より、医師に処方された医薬品のほうが約25倍も多く検出されているのだ。こういった現実を多くの医師は全く知らずにいる。

東京都監察医務院での異常死の検案と行政解剖の報告だ。医薬品のなかでも、近年睡眠薬と精神神経用薬の増加が著しく、半数以上の遺体の血液や胃内容物から複数の医薬品が検出されている。例えばKTさん(36歳)のケースでは、いつも10分ほどの診察で薬を大量に処方され、多い時で最大17種類、4年半通院し最終的に1日13種26錠であった。

日本の精神科医の多くはちょっとした落ち込みや妄想をうつ病や統合失調症などと安易に診断し、しかも大量に薬を処方します。さらに薬が引き起こす副作用を「病気が悪化した」と転嫁し、ますます薬が増えていくんです。

向精神薬や睡眠薬を服用すると耐性と依存が生じ、断薬を試みると体に異変が起こる。これらの症状を医者は病気の悪化や病気の発現だと診断し、さらに強い薬を増やす。これを多剤大量投与といい、ご丁寧に「あなたの病気を治すため必ず服んでください」と指示する。その結果が東京都監察医務院の報告に繋がっていく。海外では単剤または2種類の処方が基本で、日本のような多剤大量投与は特殊で間違った治療法だ。精神医療の怖さは医者が患者を作れる事にあり、「調子が悪い」と聞いただけで「うつ病」と診断し薬を投与できる。また、カウンセラーがいちはやく白旗をあげ、医者への受診を勧めると、他に選択の余地がなく薬物治療へ向かう。成人ばかりか、魔の手はすでに子供たちを蝕んでいる。

11年3月、厚生労働省の研究班が全国の小児神経専門医など1155人に「発達障害」がある子供へのアンケート結果を共同通信社が報じた。実際に調査を行った国立精神・神経医療研究センターによると、回答した618人のうち約3割が小学校入学以前の幼児に向精神薬を処方しており、小学校低学年(1〜2年生)まで含まると5割以上、高校生まで含めると7割を超えた。

子供へ向精神薬を処方することでさえ深刻な問題なのに、多剤大量処方のケースも頻発している。これで医療といえるのか、医療という名の傷害事件ではないか。子供は日々成長を続け、個々に違いがあって当然だ。違いを心の病として教師が医者への受診を勧める。男子にいじめられ不登校になった中三の女子は、思春期外来を紹介され、ものの5分で「初期の統合失調症」と診断された。次に起こることはいままで述べた通りだ。診断そのものに誤診の疑いがあり、効果などあるはずもない。多くの向精神薬は麻薬や覚せい剤と同じく脳の中枢に作用し、これを成長過程の子供に投与するのは危険極まりない。薬の副作用が追い打ちをかけ、本物の精神病を引き起こす。

15歳までの子供の脳は未発達で大人の脳とは全く別物です。精神に作用する薬は脳の発達を阻害する恐れがあり、子供への処方は大人の何倍も危険です。また、脳細胞は他の臓器と違い一生の間ほとんど細胞が入れ替わらないため、蓄積的な作用による危険も増幅されます。従って、12歳まで薬を処方しないのが大原則。15歳までもなるべく控えて問題を解決するべきでしょう。

発達障害というのは知的障害や脳性麻痺の子供を意味していたが、近年になって学習障害、注意欠陥・多動性障害(ADHE)などの病名ともに語られるようになった。年端もいかない子供に精神科や心療内科の受診を勧める学校関係者が増え、向精神薬の処方も増加していく。子供の癇癪や落ち着きのなさは成長過程の個性であり、周囲の大人が見守ってやることも必要だ。

製薬業界は2000年から2010年までの10年間で薬の売り上げを倍増させている。向精神薬の多剤大量投与も製薬会社の営業活動に負うところが大きい。医者の多くは長いものに巻かれ、治療ガイドラインに沿って処方する。製薬会社は学会で権威を持つ医者に接近し、自社の薬の処方をすすめる論文やガイドライン作成に関与する。米国の例では、精神疾患の診断統計マニュアルの改訂版作成に関わった医師170名のうち95名が製薬会社との間に金銭的なつながりがあった。

08年に米国児童精神医療の重鎮、ハーバード大のジョセフ・ビーダーマン博士は2000年〜07年の間に子供の双極性障害(躁うつ病)の薬を製造するイーライリリー社とジョンソン&ジョンソン社などから講演料やコンサルタント料として計160万ドルもの大金を受け取っていた。博士は治験前から薬の宣伝を続け、その結果、双極性障害と診断される子供が94年〜03年にかけ40倍に増え、小児への薬の投与も激増した。博士は、小児に薬を長期投与しても成長を阻害しないとまで発言している。心ある医師たちから「製薬会社と医者が結託して病気を作って一儲けしている」との指摘もされている。

政治家、官僚、患者団体など、製薬会社の営業活動は広く巧妙を極め、開発費より多くの資金をつぎ込む。淵源を辿れば、痴呆症薬にいきつく。今では認知症と呼ばれているが、1998年に4種類の痴呆症薬(脳代謝改善剤)に無効という再評価が出た。もちろん承認は取り消されたが、それまでの売り上げ総額は約8000億円にのぼり、副作用による11人の死亡も報告されている。痛手を負った製薬会社は別の教訓をつかんだ。「営業活動次第で、ここまで稼ぐことができる」。それからの薬は緻密かつ巧妙な営業戦略に乗せて世に出るようになった。効かない薬は患者を作り出すことで、危険な薬は被害を隠蔽し、個性や自然現象まで病気といいくるめる。薬の売り上げが10年で倍増したのは、営業活動の成果であって、患者や病気が増えたわけではない。

現在の医薬品添付文書の警告欄には18歳未満への投与について「慎重に検討すること」と記載されているのみ。それも「自殺に関するリスクが増加するとの報告もある」からで、他害行為については触れていません。SSRIの攻撃性は成人にも広く認められている。現実にSSRIは世界中で多くの凶悪事件と関連が指摘されているのに、その事実が添付文書の警告欄にはまったく反映されていません。

抗うつ薬のSSRIは脳内の神経伝達物質であるセロトニンを増やすことで気分を発揚させるというが、明確な裏付けがあるわけではない。副作用が少なく効果が高いとされ、80年代に欧米で広く用いられるようになり、日本では99年に商品名で「ルボックス」、「デプロメール」、「パキシル」、「ジェイゾロフト」、「レクサプロ」が認可された。これらの薬は患者の衝動性を亢進することがあり、攻撃性が自己へ向かえば自傷・自殺、他者へ向かえば暴力や殺人などの他害行為となる。2004年、ニューヨーク州司法局が、パキシルを販売するグラクソ・スミスクライン(GSK)社を情報の隠蔽で提訴した。最終的にGSKは250万ドルの和解金を支払い、それまで公表しなかった研究結果をすべて明らかにした。18歳未満には、うつ病など効果がなく、自殺関連事象がプラシーボ(偽薬)の約3倍、敵意・暴力関連事象が約6倍にもなり、健康人に使った第一相試験でも敵意や激越が数倍になっていた。これらの問題は、ネットで調べるだけでも容易に把握できるのだが、現場の医者はこの程度の情報収集もしないのか、わかっていながら漫然と仕事に勤しむのか。さて、頼りの薬の専門家はどうだろう。医者の処方について薬剤師は「大丈夫」としか言わない。正義に駆られ医者へ疑義照会したところ、一方的に激怒されたという例がいくつもある。処方箋という経済的依存のため、医者とのトラブルを避ける傾向にある。とくに調剤薬局などチェック機能が働き難い。向精神薬について、医師への疑義照会を積極的にできなかったケースは半数近くあるという。

製薬会社の営業活動が突出するあまり、薬物以外の治療を試みることは少ない。保険という制約もあり、時間のかからない薬物投与が中心になってしまう。患者側も、コンビニへでもいくかのように医者にかかり、周囲も簡単に医者への受診を促す。医者へかかる前に、専門家ほど常識が通じないことを知っておくべきかも知れない。

 

原発労働者 寺尾沙穂

「福島第一原発、廃炉の見通し立たず」。8月下旬、地方紙は大きく伝えた。放射性汚染物が大量に発生し、敷地内に仮置きする余裕もない。航空写真を見ると汚染水タンクが立錐の余地なく林立している。あたかも葉の裏に産みつけられた油虫の卵のようで、ゾッとした。これをアンダーコントロールだと世界中に高らかに宣言し、オリンピック招致を勝ち取った。オリンピックどころの話ではない。ガッツポーズで喜び満面のアスリートたちも、少しは置かれている状況を把握すべきであろう。

4年前の事故以来、事故のゆくえを注視している人々にとっては、日々の笑いや喜びのなかにも不安は払拭されない。廃炉の見通しが立たないことは事故直後からわかっていた。溶け落ちた核燃料を取り出すことはできない。できたと仮定して、取り出して如何ように管理するのか。呆然たるものだ。国や東電は廃炉の作業が進みつつあるかのような芝居をし、人々は事故を過去のものとして忘れたかのようだ。「見守って未来へつなげる」などと麗しい言葉で誤魔化すのか。この事故現場で収束のあてなき作業を続ける人々が居る。手を汚さず安全な所からものを言うのはたやすい。しかし、隠蔽された本当の姿を知ることは難しい。

いまだ安住の地を得られない避難者、子どもの健康のため母子で移住を選んだ家族の葛藤、凍土壁設置もままならず先の見えない汚染水処理、高線量の現場で日々被曝しながら作業する労働者。目をそらしていい現実などないはずなのに、もう聞き飽きたような、わかったような、そんな人々の気分をメディアは如実に映す。電車の中吊り広告で週刊誌の見出しを眺めていても、原発や福島、放射能といった単語はぐっと少なくなった。

野田政権のとき、いちはやく事故の終息を宣言し、大飯原発を再稼働させた。事故発生時からウソが絶えない政府の姿勢は今も変わらない。廃炉どころかいまだ事故さえ終息していないのだ。嘘をつき事実を隠ぺいするのは相応の理由があるからだ。最近、水蒸気を噴き上げるフクイチの写真を見た。杞憂ならばいいが、ここを放棄せざるを得ない事になれば、北半球は緩慢に終わり、南半球へ及び地球が住めない星になる。著者が語ることは事故以前の話だ。通常運転する原発の仕事を取材するべく、三谷の夏祭りへ向かう。ここは泪橋ともいい日雇い労務者の集まる街だ。原発の最底辺の作業をおこなう人々はこんなところで集められる。そこで出会った人々の話から、通常運転の原発の実態を知ってほしいという。

白の防護服と防毒マスクをつけた作業員の姿はテレビなどで目にするが、まず防毒マスクは息がしづらく、苦しく、暑くてたまらない。たいがい防毒マスクを外して作業する。そのため放射性物質を吸い込み内部被曝するとしても、その場の苦痛から逃れるため首にぶら下げたまま作業を続ける。上限の被曝線量を警告するアラームメーターが鳴れば作業を止めなくてはならないが、仕事をやり切るためには無視が横行する。

正確に放管(放射線管理者)の言う通り仕事をやってたら、全然進みませんよ。放射能を無視して労働者が仕事してるから、予定通り仕事が進行するんです。厳密にしよったら、仕事が終わらず金を何ぼでも食うことになってしまう。定期検査も2か月位で終わらず、何ケ月も1年もかかってしまう。

電力会社の資料では被曝者は殆んど無いことになっているが、下請けシステムで孫請け、ひ孫請け..六次請け、七次請け..といくつもの下請けが連なり、電力会社の社員は手を汚さない。それだけでなく、賃金のピンハネと上部会社の顔色伺いで、都合の悪い情報を隠すという。したがって下請け階層が下るにつれ労働環境も過酷さを増す。このような労働者を集める者も、集まる者も差別と過酷さに甘んじる覚悟を強いられる。作業員のミス、機械や設備のトラブル、発火性の気体によるボヤ、事故が起こっても電力会社が握り潰してしまう。

原子力発電は火力発電よりもリスクが低い、人が死なずにすむ、ということを推進派の人々はよく持ちだすが、山谷や釜ヶ崎などの寄せ場から来たような、身寄りのない原発労働者の死はこうして闇に葬られている可能性がある。そうしても誰も文句を言わないから電力会社にとっては都合のいいケースだ。そして、内部被曝の影響は様々な病気や体調不良として多くの場合、後から現れるため、労働者が仕事をやめて数年後に白血病やガンで死んでも、数字として原発労働の死者数には出てこない。

ケガなどしばしばであるが、報告すれば仕事に来なくていいと言われ、ケガで休んでも労災さえ適用されない。我慢できるものは我慢し、仕事を失わないためには泣き寝入りもする。冷暖房の効いたオフィスで権利に守られ働く者にはこの無力感が分からないだろう。高給取りといわれる電力会社の社員は、この闇を知っているだろうか。通常運転でも放射能は発生するし、被曝労働者なくして原発が動かないことが分っているのか。財界は念仏のようにケイザイ、ケイザイと言い、訳もわからず庶民までもがケイザイ、ケイザイと言う、それなら「代わりにお前がやれ」。低線量被曝や内部被曝の危険は原発推進側がもっとも避ける議論だが、米国の科学アカデミーは放射線のガン誘発について閾値がないという報告書を出している。このことが常識になれば、医療でのX線検査でさえ避ける必要があり、実際に警鐘を鳴らす医者も少なくない。電力会社は低線量被曝の議論を避け、十分な被曝対策もとらぬままだ。

原発労働者の死亡率は、交通事故や炭坑労働よりずっと低い、といった言い回しが聞かれる。どこで知恵をつけられたのか、あるお笑い芸人がまったく同じことをへらへら笑いながら喋っていた。この理屈はロックフェラー財団が出資して設立された委員会の報告書にも見られるもので、リスク・ベネフィットを説いて被曝や事故を正当化するものだ。以下の報告は被曝の遺伝的影響についてのものだ。

「遺伝的影響についても社会的コストとベネフィットの観点から再評価すべきである。個人的には望ましくない影響があっても、容易に耐えうる影響や社会的な費用の支出が不要のものや出生前に死亡して社会的にはコストがほとんどかからないものも含まれている」

妊婦の被曝により死産となっても、それは社会的コストゼロだからOKである、というこの報告に貫かれる金勘定の狂気に触れたとき、おびただしい数の人命を奪ったのに、実は徹底的に合理的であったというナチスのやり方を連想した。結果の重大さこそ違えど、この報告に通底する合理的な冷酷さは、ナチスの心性へと連なっている。鬼畜の所業と聞けば、獣のような、獰猛な、というフレーズも思い浮かぶが、大量殺戮がかって人間の「獣性」によってではなく、「合理性」によってなされたことを、忘れてはならないと思う。

コストとベネッフィト、費用対効果など大切ではあるが、目先のコストと利益に狂奔したのが高度経済成長時代だった。そのため長期的コストや損失が適切に評価されず、利益を得た人々は利益の温存を図り、その一部を保険として政治へと投資した。かくして原発村、医療村、兵器村、、などが巨大化し現在に至る。利権の構図が出来上がると適切なコストの考え方へは絶対に戻れない。民主党政権下で原発ゼロ政策を決定したが、わずか2日後に覆された。原発復権への駒は着々と進み、先月4年半の時を経て川内原発が再稼働した。国際原子力機関と米国・カナダの規制当局の資料によれば、最低でも4年間停止した原発が再稼働したのは世界で14基あり、そのすべてが再稼働後にトラブルに遭っている。

かつて高線量とされた現場も、原発事故後は大したことないという感覚になった。原発周辺だけではない。日本で流通する放射線量の基準は500倍も引き上げられ、魚類に至っては1000倍も許容されている。それを安全だとして口にしているのはおそらく日本人だけではないか。諸外国が日本産食材を輸入禁止にしているが、検査で包装紙からも基準を超える放射線が検出された例があった。反面、中国食材は農薬汚染だ環境汚染だといって忌避する。フクイチから放射能の蒸気が吹き出し、海に流れ続けても、ないものとし、中国のPM2.5の情報は24時間体制で伝える。

現代の原発は、まさに世界からポツリポツリと集まる貧しい労働者の違法な大量被曝によって維持されているのではないか。食うに困った若者が最後にいきつくのが、戦場と原発なのかもしれない。

もし正式な雇用関係にある日本人労働者にそのような作業をやらせたら、それは線量基準を大幅に超える違法行為になる。国籍が違うという一点で法の網の目をくぐって、あっというまに自国に戻っていける外国人労働者の大量被曝なしに、原発はたちゆかない。いかにクリーンを装ってみても常に闇を抱え込まざるを得ない。

巨大なタービンのボルトを外すにも高線量を浴びながら、何十人も交代交代でやり遂げる。原子炉の釜の中に入って底部の弁を分解、チェックする。燃料プールに落ちたものを拾いに潜る黒人労働者もいるという。このような話は事故前に公になることは少なく。底辺の労働者はぼろ雑巾のように使い捨てにされた。人権や健康を奪いながら稼動する原発をどうして正当化できよう。

幸いというか、多くの国民は今は原発労働から免れているが、将来それを担わなくてはならないときが来るかも知れない。自分は免れても子や孫、ひ孫、あるいは甥や姪が..なにぶん、事故ただ中のフクイチは何万年もの管理を必要とするプルトニウムをまき散らしているのだから。手を汚さず利益を貪る人々さえ、子子孫孫どのような宿命が待ち受けているかも知れない。そういった想像力に欠けるがため、「今だけ、俺だけ、金だけ」という狂気で突き進む。原発のコストは適正に算出されず、最終的に取り返しのつかないコストが降りかかってくる。原発という装置を保持すれば、未来永劫、誰かがそれを担わなくてはならない。「人類の英知を結集して終息へ」というが、英知があれば原発という愚行は避けられた。終息するのは人類のほうであろう。

 

子宮頸がんワクチン事件 斎藤貴男

「これは最重症の症例です。接種して1年ぐらいでさまざまな症状が出てきて、脊椎関節炎とか味覚障害、光過敏、脱毛、痙攣、今は寝たきりです。ワクチンを打つ前はなんでもなかった子どもですよ。原因はなんだろう。いろいろな難病に関わってきましたが、いまだにわかりません。共通しているのは、HPVワクチンを打ったところからすべてが始まっているということ。だったら、そこに注目するのは当たり前じゃないですか。臨床の先生方で反対される方いますか。いたら、手を挙げてください。

2014/12/10、日本医師会館大講堂で開催された日本医師会と日本医学会の合同シンポジウムの一コマで、日本繊維筋痛症学会の理事長である西岡久寿樹氏の発言だ。氏は「今までの話とは変わりまして、私はむしろ、被害者の視点に立つというか、お子さんたちをこの目で診ているんです..」と前置きした。今までの話というのは1番目、2番目の学者の発言だ。

  1. 「ぜひ、このHPVワクチンの接種と、検診のさらなる普及によりまして、この日本で、子宮頸がん発生をゼロにいたしまして、若い女性が子宮頸がんで亡くなってしまう、子宮を失ってしまうという悲劇をなくしていこうではありませんか。同時に、因果関係の有無にかかわらず、ワクチン接種後の諸症状にしっかり対応していきたいと思います」
  2. 「部会では、同様の病能を示している広汎な疼痛や運動障害を呈する症例について、いくつかの可能性を挙げ、検討してまいりました。1)神経学的疾患--副反応としての可能性。2)中毒の可能性。3)免疫反応による症状である可能性。4)それから心身の反応--局所の痛みや不安をきっかけとした症状と、痛みや緊張、恐怖、不安が身体症状として招致されるものという意味での心身の反応、機能身体症状である可能性でございます」

2番目の倉根一郎氏は日本ウイルス学会の理事で、国の予防接種政策を審議する委員であり、1)〜3)までの可能性をいずれも否定し、4)の「心身の反応」の可能性をとるのが目下のポジションだと述べた。身もふたもなく「気のせい」と、いうことだ。

HPVワクチンは2000年代末から2010年代初頭にかけて大々的にアピールされ、2013年4月に施行された改正予防接種法で原則無料の定期接種制度にも組み込まれた。2011年東日本大震災でテレビCMが自粛されたとき、仁科親子が登場し、子宮頸がん検診の啓発CMがうんざりするほど流れた。2013年3月末までに接種した約328万人のうち、1968人に副作用が出現し、重篤なケースも約360件にのぼった。

何もしなければ病気にならなかった可能性の高い乳幼児や少女の輝かしい未来を、その社会全体あるいは国家が人為的かつ強権的に奪ってしまいかねない危険と表裏一体だということでもあるのだ。全体のために不特定多数の個人に犠牲を強いるシステムとしての側面を否定できない現実を、神ならぬ身である私たちは、最終的にどのような態度をとるにせよ、もっと、もっと畏れていなければならないのではあるまいか。

これは予防接種全般に及ぶ根源的な課題だ。しかし、子宮頸がんワクチンは、過去のいずれの予防接種の副作用被害や事件ともまったく異なるケースと経過をたどり、導入までの経緯も背景も大きく異なっている。

一般的に子宮頸がんワクチンというが、専門家はHPVワクチンという。HPVとはヒトパピローマウイルスで多種多様なものが知られ、発がん性を伴うのはごく一部の15種類ほどに限られる。WHOは世界全体の感染者を約3億人と推計するが、前がん状態へ移行する人は約3000万人、さらに上皮内がん、浸潤がんへと進む人は約45万人、つまりHPVに感染して子宮頸がんを罹患する人は0.15%で世界の人口の0.064285%だ。数字が示すようにHPVに感染してもたいがい発症に至らず、子宮頸がんという病気そのものを予防するワクチンは存在し得ない。インフルエンザや麻疹のワクチンは弱毒化させたウイルスを注射し、抗体を作らせるものだが、HPVは抗体価が上がららず人体が認識しないため、DNAを取り出し遺伝子操作で製造したワクチンだ。それが全身に行き渡るまで合計3回筋肉注射しなければならない。

効果のないワクチンによってもたらされた被害実態は壮絶なものだ。娘を持つ親ならわがこととして憤りを覚えるだろう。信じ難いことに、厚生労働省は定期接種を始める1年近くも前から、これらの副反応を承知していたのだ。なんのために事実を幽閉したのか。2014年7月、医師、薬剤師、薬害被害者、弁護士らで構成されるNGO薬害オンブズパースン会議と全国子宮頸がん被害者連絡会は、推進派の「専門家会議」へワクチンメーカーとの経済的関係を正す公開質問状を送付した。これは二回目の質問状で、一回目の回答は黙殺されていた。

専門家会議は2013年度のサーバリックスの製造販売をしているグラクソ・スミスクライン(GSK)から1500万円、ガーダシルのMSDから2000万円の寄付を受けていた。専門家会議は研究活動を行う団体ではなく啓発活動(販促活動)のための機関だ。また有効性と安全性を保証した厚生科学審議会と薬事・食品衛生審議会の合同会議も2014年1月の会合で、全委員15人のうち9人がGSK、MSDから金銭を受領していた事を明らかにした。しかし自己申告によるもので実態を詳細に調査したものではない。この日と同じ日に、厚生労働省はワクチン接種後に少女たちが訴えている諸症状を「心身の反応」が慢性化したものと結論づけている。公正に仕事を遂行すべき人が、自分や第三者の利益を図り、依頼者の利益を損なう行為のことを「利益相反」という。依頼者とはもちろん国民であり、第三者とは製薬会社のことだ。製薬会社はわずかな撒き餌で、予防接種の補助金、副作用の対策費等々、多くのものを税金から引き出すことに成功した。

HPVワクチンに対する不安や疑念を封じ込め、これを定期接種にしたのは、メディア・イベントを総動員したPR戦略と大胆なロビイング(政界工作)活動のコンビネーションによる、圧倒的な物量作戦だった。したがってルートも一様ではなかった。

Sさんは高校一年だった2013年にMSDのHPVワクチン「ガーダシル」の接種を受け、以来すさまじい症状に苦しみ続けている。Sさんが最初にHPVワクチン接種の案内を受け取ったのは中学3年生のときだ。任意だというのでネットで調べてみると重い副反応の情報がいくつも見つかり、接種は見合わせた。しかし、新年度に再び通知が送られ、そこには必ず接種してくださいと強調されていた。保健センターまで出向き「絶対に受けなくてはいけないのですか?」と疑問をぶつけたところ「受けていただきたい」と言われ、義務かと思い予約した。注射直後はさほど痛くなく、痺れないと言っていたが、15分ほどで異変が起きた。激しい頭痛、接種した腕の痛みと痺れ、呼吸は苦しく日々症状が増えていく。全身の痙攣、脱力、高熱、意識消失.. 頼りになる医者に出会えず厚生労働省のように「心身反応」で済ませた。学校ではいじめに遭い、知能指数は40程度に低下し「重度の知的障害1級」に認定された。お母さんであることも分からず「お母さんがいなくなった」と探し回る。青春を謳歌し、輝かしい将来を夢見る少女の人生をワクチンが奪った。このような重症例が約360件、そして1968件の副反応報告、埋もれて報告されない症例も数知れずあるだろう。

最近は子供を持つお母さんたちの間で、予防接種と名がつくものは何でも受けさせるのが当然、という雰囲気というか、同調圧力が強く働くようになってきたんです。特に保育園に通っているような小さな子が対象のワクチンの場合だと、受けさせたがらない親は「ネグレクト(育児放棄)だ」とか「他の子どもたちに対するテロ行為だ」なんて言われてしまうことさえあるのだとか。

ワクチン全般について、意見や異論の余地を奪う洗脳が進んでいるのではないか。半強制の健診、生活習慣病の啓発、次々に作り出す病名など、市町村の保健師の活動に至るまで医療産業の販促の成果といえよう。

子宮頸がん征圧をめざす専門家会議が本格的活動を始めた2009年は、新型インフルエンザの世界的流行(パンデミック)があり、WHOは6月にフェーズ5から、最高警戒レベルのフェーズ6に引き上げた。この数年前から「感染列島」などの映画が製作され、新型インフルエンザの脅威が繰り返し報道され、そのための訓練や準備も行われた。結果は季節性インフルエンザと大して変わらぬもので、恐れたものとは異なった。2009年10月、新型インフルエンザワクチン備蓄のため、国産では足りない4950万人分、約1126億円をGSKやノバルティス社と購入契約を結んだが、2010年の年明けには終息した。本来、必要となる治験は特例で免除され、副反応の被害の賠償金も日本政府が肩代わりするという方針だった。終息が早く無用の長物となった輸入ワクチンに対し違約金が支払われた。ノバルティス社は約92億円を受け取ったが、GSKは違約金を放棄した。この契約には不透明な点が多くあり、厚生労働省がGSKに違約金を払わない見返りにHPVワクチンの公費助成を求めたという疑惑がある。

ペイシェント・アドボカシー(Patient Advocacy):国、国民にとっての医療の向上に繋がることを前提とした、患者を支援するための具体的な行動・政策提言。2002年にGSKが取り組んで以来急速に広がり、現在では世界75ヵ国以上で恒例行事になっている。どういうことか手短にまとめると、様々な疾患の患者支援団体が、団体同士ならびに関連分野の専門家との交流・学びの場として、疾患団体を超えて、建設的に正しい情報の共有・ネットワークを構築することらしい。この趣旨で、HPVワクチン推進に影響力を行使した団体は極めて多く、厚生労働大臣へ要望書を提出した団体だけでも23団体になる。いくつかを列記すると、日本対がん協会、子宮頸がんから女性を守るクリック募金、市民のためのがん治療の会、子宮頸がんを考える市民の会、なかには患者による患者のためのサポートグループとか体験者の会と名乗る団体まである。いずれも会員たちの善意で運営されているように見えるが、ペイシェント・アドボカシーという製薬会社の新しい巧妙なマーケティングだ。

アドボカシー・グループへの支援も、教育を偽装したマーケティングの一つである。単に製薬会社の隠れ蓑に過ぎない患者アドボカシー・グループも多い。患者たちは、自分の疾患に対する世間の認知を広めるための支援ネットワークに出会ったと思い込む。しかしこれこそが、実は製薬会社が薬を売り込むための手口なのである。製薬会社がバックにいることを知らない患者アドボカシー・グーループの会員もいる。製薬会社は単に教育を援助したいだけなのだと思い込んでいる人もいる。

会員でさえなにも知らず、善意と信念で活動する。実際は製薬会社が作っているのに、自発的な草の根の組織かのように見せかけ、会員でさえ欺く。病気で悩み困った患者が救いを求めて駆け込めば、ことばは悪いが「カモネギ」ということだ。御用学者やマスコミを飼い、患者団体ばかりでなく病気も作り出し、同じ手法で薬まで作り出す。予防ワクチンという戦略もこういった延長線上にある。早期発見、早期治療で伸び切った需要をさらに予防というフレーズで伸ばそうとする。病気は患者の数だけであるが、予防接種ならば、最大すべての人々が対象だ。

例えばインフルエンザワクチン、集団接種をしてもしなくても流行の大きさに差がなく、副作用訴訟でも国が負け続けたため1994年、小中学生への集団接種が廃止された。ピーク時3000万本近く製造されたワクチンは30万本に落ち込んだが、すぐさまマスコミが奇妙なキャンペーンを繰り広げた。全国の老人施設でインフルエンザの感染と思われる死亡の報道が相次いだ。厚生省は危機管理対策に乗りだし、新聞の社説には高齢者のワクチン接種を制度化すべきという主張もあった。やがて鳥インフルエンザやSARSなどが問題となり、新型インフルエンザのキャンペーンも功を奏し、ワクチンが息を吹き返した。いまインフルエンザワクチンの消費量はピーク時の水準に戻りつつある。

子宮頸がんワクチンに戻そう。2014年8月、南米コロンビアの北部の小都市エル・カルメン・デ・ボリバルでメルク社のHPVワクチン「ガーダシル」を接種した少女たちが次々に倒れ、嘔吐や痙攣などの重篤な症状に悩まされている。数十から数百の単位で市内の病院はパンク状態に陥った。ここでもワクチンとの因果関係を否定し、心因性の現象だと決めつけた。政府は裁判を求める者を沈黙させるため、少女たちを守ろうとする弁護士たちを集団ヒステリーを招いた犯罪容疑者として、国家検察機関による捜査まですすめている。彼らが守りたいのは人の健康や命などではなく、それを踏みにじって掴む金なのだ。

製薬業界は2000年から2010年までの10年間で医薬品の売り上げを倍増させた。ことは子宮頸がんワクチンにとどまらず、がん、うつ病、高血圧、生活習慣病..など日ごろ耳にする病名のすべてが対象だ。売り上げの倍増とともに病人と病名も倍増した。頼るべき医者の多くは専門家でありながら長いものに巻かれ、やることは医療村への貢献だ。救いは、巻かれない専門家の居ることだ。私たちのほうが、彼らを守り切れるだろうか。薬を出さない、注射をしない医者をヤブ医などと無礼な評価を下してはいないだろうか。

厚生労働省は事態の深刻さをかんがみ、2013年6月、接種勧奨を一時中止し副作用の症例を検討すると発表した。8月、すかさず医師会側はワクチンの安全性が再確認されたら、早期に接種勧奨を再開するよう求める要望書を提出している。誰のために医学を志したのか、接種再開ではなく、副作用の検証と救済こそやるべきことだ。

何十年後かの日本は子宮頸がん大国だという反論が聞こえてきます。でも、子宮頸がんになる女性を減らすためだからといって、何もしなければ健康でいられた少女を生贄に捧げるような行為---しかも公権力による---は、絶対におかしい。私たちはもっと謙虚であるべきだと思います。

 

沈みゆく大国アメリカ -逃げ切れ日本の医療- 堤未果

TPPは農業問題を中心に報道されるが、実は医療が本丸だという。薬剤師会報には自民党薬系議員の活動を紹介し、献金もしている。首を絞めあげようとする暴漢を三顧の礼で迎えるようなものだ。こんな愚かなことがあるだろうか、目出度い人々は、この滑稽な構図に疑問すら抱かない。

「日本で老後を過ごせる高齢者は恵まれていますね。医療・介護が贅沢品のアメリカでは、よほどお金がない限り、天国へ行く前にまずは地獄を通過しなくちゃなりませんから」

アメリカの訪問看護師は感心したように言った。不満は一杯あるだろうが、いまあるものの価値に気づかなければ隙をつくり、それを狙っている連中に簡単にかすめ取られてしまう。これからの日本のことだ。わが国の健康保険は1922年、第一次大戦後の日本で労働者保護のため作られた。1938年国民健康保険法が成立し、これは貧しい農山村を救うためであったが、前年に始まった日中戦争のため健民健兵の国策へと変わっていった。1945年の敗戦で多くの国保組合が運営不能に陥り、1948年、組合を市町村に変えることで再出発する。1957年、厚生省が「国民皆保険計画」を作り始め、1961年4月1日までに全国民が強制加入する公的医療保険を実施するという法案が国会に提出され、翌年12月に成立した。これは憲法25条の「生存権」を守る社会保障制度であり、いつでもどこでも平等に医療を受けられることになった。

世界中がとりわけ羨望するのは「高額療養費制度」である。ケガや病気で病院にかかったとき、毎月負担する医療費の上限が決まっていて、それより多く払った差額があとで払い戻される制度だ。アメリカでは医療保険に加入していても医療破産は日常茶飯事、公的介護保険も存在しないので、歳をとってからの死に方は、自己責任だ。「天国へ行く前にまずは地獄を通過しなくてはならない」。

日本の皆保険制度がみるみる整う頃、アメリカでは革命と称して全く逆の動きが起っていた。「強欲資本主義」の芽が出た」と著者はいう。政府機能の大幅な縮小と規制緩和で公共を売り渡すという民営化のうねりが先進国に広がり、新興国に飛び火する。ここに欧米外資企業と外国人投資家がハイエナのごとく群がった。レーガン政権で肥大化した強欲資本主義はやがて日本へ向かい、当時総理であった中曽根氏は「小さな政府」路線へと舵を切った。国鉄、電電公社、専売公社、日本航空など、次々と民営化、金融を自由化し、国の社会保障への補助金を減らし始めた。経団連の土光敏夫氏が率いた土光臨調といわれるもので、「土光さん頑張れ!国民がついている」と英雄のごとく讃えた。国鉄は巨額の赤字を出し、ストライキが恒例化していた。その不満から感情的に拍手を送ったが、他に方法はなかったのか。土光臨調へエールを贈ることは自分たちの首を絞めることでもあった。国鉄民営化で過疎地の足は奪われ、たかだか30分や1時間の便利のため新幹線やリニアが幅を利かす。このころからアメリカ財界は密かに日本の医療に手を伸ばし始めていた。

1985年、中曽根・レーガン合意の下に日米間で「MOSS協議(市場志向型分野別協議)」が始まった。これによって日本は、電気通信・医薬品と医療機器・エレクトロニクス・林産物の4分野に関する製造または輸入の承認・許可・価格設定はすべて事前にアメリカに相談しなければならなくなった。

「日本は貿易黒字で、儲けているではないか、医療分野でアメリカにも稼がせろ」の要求を呑んだ。こんな馬鹿げた約束がどこで通用するのか。ところが通用してしまったのだ。日本は海外の薬や医療機器を3倍も4倍も高い値段で買わされ、日本の「医療費高騰」の土台となった。MOSS協議の後、日本は技術立国であるにも関わらず新薬や医療機器開発を政治的に抑えられてきた。MOSS協議こそ日本の医療崩壊の始まりといえよう。同じ頃、厚生省の吉村仁保険局長が書いた「医療亡国論」という本が出版された。「過剰な医師数が医療費を増やし、それが日本を滅ぼす」というものだ。厚生省は2010年に日本の医療費が68兆円に達すると発表し、餌を嗅ぎつけたマスコミが便乗した。「医療費を減らせ、医師数を減らせ」の嵐が吹き荒れる。しかし、事実はえてして異なり、国民は嘘を真実だと思い込んだ。これを捏造と言うが、それがバレてもマスコミは謝罪も反省もせず、おなじことを繰り返す。この時のOECDデータをみると、日本の医療費のGDP比も医師数も、一人あたりの医療費も、世界各国に比べて驚くほど低いことがわかる。

日本の皆保険制度はアメリカの民間保険とは違い、憲法の生存権に基づく、「社会保障」である。国が責任をもって財源を確保しなくてはならない。1989年、社会保障を謳い消費税が導入された。それまでは所得税や資産税の形でお金持ちからたくさんとり、国民全員を平等に支える「福祉型スタイル」だった。

その後も消費税は3%から5%、8%と着実に上げられているが、そのたびに法人税減税も同時に行われている。1989年から2014年までの消費税の税収は「282兆円」、セットで実施された法人税減税分は「255兆円」で、見事に相殺されているのだ。肝心の社会保障に関しては自己負担率がどんどんあがっている..

続いて憲法の生存権の壁を取り払うため、「地方分権」というスローガンを掲げた。医療や福祉の責任を地方に負わせ、自治体へ無駄のない経営を強いた。自治体は徐々に民間企業やNPOと連携し、公的な社会保障より保険の色合いが増す。こうしてアメリカを中心とした、海外関連企業や投資家たちへチャンスが与えられた。中曽根総理は理不尽なMOSS協議をあっさり承諾したが、幸い日本経済は成長軌道に乗り暮らしは格段に良くなりつつあった。国民は保険証1枚でどこへ行ってもきちんとした医療が受けられた。私達は恵まれた生活に安心し浸っていたが、宮澤、橋本、小渕、、小泉..と政権が変わるたびにアメリカから「医療」に関する市場開放要求が出され、彼らはこれに少しずつ「イエス」と言い続けてきたのだ。そして最後の仕上げとなるTPPは農業、医師会、族議員の抵抗でスムーズに進まない。そう見せかけているのかも知れないが..

2013年12月、反対で騒然とするなか、「特定秘密保護法」が採決され成立した。このとき「国家戦略特区法」も影に隠れるように国会を通過した。この法案は日本のあちこちに規制なしの企業天国をつくることで、TPPの地ならしであることに日本国民は気づいていない。アメリカの財界は30年もの間、辛抱強く種を撒き育てていたのだ。

薬や医療機器を売る側にとっては、安全確認の申請や治験など、余分な手間とお金がかかったあげくに価格を安く抑えられてしまう公的保険に入れるより、自由診療でそのまま売った方が、はるかに儲かるからだ。
だから混合診療にすると、だんだん公的保険枠から自由診療枠に治療や機器が移ってくる。薬も第二世代、第三世代とバージョンアップするたびに、新しいものは公的でなく自由枠で売られるようになってゆく。製薬会社や医療機器メーカだけでなく、当然医者もそのほうが儲かるのだ。そうこうしているうちに、「国民健康保険制度」は残っても、使える範囲がどんどん小さくなってしまう。

日本の保険の素晴らしいところは受けた治療のほぼ9割を保険がカバーする。例外的に1割は先端医療や国内未承認の新薬を使えるように自由枠もある。まず医療特区を設け、自由枠の混合診療を解禁し、「命の沙汰も金次第コース」が静かに発進する。混合診療は次第に露骨な姿を現すだろう。やがて燎原の火のごとく特区から市街へと地方へと広がっていく。国民健康保険で賄えない医療や薬の範囲が増えれば、民間の医療保険に加入する必要が生じ、ここで市場は一気に広がり、待ち構えたようにアメリカの保険会社が参入する。たとえば、脳梗塞で倒れ、病院へと搬送されたとしよう。保険の範囲で可能な治療を選べば10万、効果の優れた新薬を希望すれば100万になり保険は効かない、さらに新しい方法の手術を行なえば実費で1000万..といったメニューが提示される。命は金に代えられないと思う人はためらわず手厚い治療を望むかも知れない。しかし、このためアメリカでは高給取りでさえ破産の憂き目に遭っているという。破産しないようにと加入した民間の保険は細かな例外規定を設け、なかなか金を出さないし、保険料が高い。

TiSA(TPPのEU版)の旗ふり役であるアメリカがのどから手が出るほど欲しいサービスといえば、最大のターゲットは日本の医療分野であろう。

TiSAの交渉テーブルには、混合診療、病院経営への株式会社参入、病床規制撤廃など、医療の商品化と国民皆保険制度形骸化につながる内容がてんこ盛りだからだ。

TPPはようやく知られてきたが、アメリカが仕掛けるもう一つ別の条約をTiSAといいい、これはあまり知られていない。これは現在23の国と地域が協議に参加しており、貿易ではなく公共サービスの部分を自由化しようという国際条約だ。TPPが頓挫しても成功しても、次があり、農業分野の話ばかりが報道されるが、実は医療分野が狙われている。

次なる狙いは「薬価の自由化」だ。皆保険の日本は政府が薬価交渉権を持っているため、薬価が高いとはいえ、製薬会社の言い値にはならない。日本は薬価交渉権を絶対に手放してはならない。アメリカでは製薬業界のロビー活動で利益率を高める法律が次々に成立した。製薬業界はますま寡占化、巨大化し、政治献金やマーケティングに資金を注ぎ込む。

マーシャ・エンジェル博士は、著書「ビッグ・ファーマ」の中で、大手製薬企業の提供する新薬の大半が既存薬の改良版であることや、製薬企業が自社製品関連の臨床試験に関与しすぎていること、大手製薬会社が新薬研究開発費よりもはるかに多くの費用を<マーケティング・運営管理費>にかけているなどの実態を、詳細なデータと公文書、綿密な取材によって暴いている。

製薬会社は薬の開発に膨大な費用がかかるため、薬価が高いのは仕方がないとの理解を示す人もあるだろう。マーケティング費用には製薬会社による医師会や消費者の教育、学会や医師への謝礼など各種販促活動が含まれ、効かない薬であっても販促活動で売り上げる例が増えている。2014年11月6日、イギリスのBBCニュースは、製薬業界の利益率が他の業界に比べ飛びぬけて高いことと、開発費よりマーケティングに多くの費用を投じていることを伝えた。アメリカではオバマ大統領が「オバマケア」を導入し、薬代自己負担ゼロの受給者を増やしたものの、政府が薬価交渉権を持たないため、製薬会社の言い値で税金が製薬会社へ流れ込む。さらに製薬会社はただでさえ高い薬価を2倍、3倍ひどいときには4倍も引き上げた。このことにアメリカ国民はまだ気づいていない。オバマケアを激しく批判していた共和党が、この件に関して沈黙しているからだ。ここに二大政党制のカラクリがある。ウォール街や巨大利権産業である1%の人々は共和党と民主党の両方に賭けリスクを最小限に抑えるのだ。

政治は完全に企業に買われ、選挙は「投資商品」の一つになり、国民を苦しめ大企業と金融業界の株主利益をあげる法案が、民意を無視して次から次へと通過する。

政治家や官僚が動くとき、背後で暴利を貪る企業があり、どちらの政党が政権を得てもスポンサーの意向を忖度する。日本で民主党が増税に突き進んだ悪夢を忘れることができない。2012年、民主党を離党し、国民との約束を守ろうとした「国民の生活が第一」の人々を国民のほうが守り切れなかった。いま野党は集団的自衛権で抵抗しているが、もし政権を握れば、「憲法違反など大したことはない、国民の命など知ったことか」と、自民党と同じことをやるかも知れない。背後に軍需産業が控えているのだ。

日本は、医療費が実は諸外国と比べてもかなり低く、さらに患者の自己負担率はとても高い国だということを。

--世界一の高齢化社会である日本は医療費で破綻する。社会保障を守るため、消費税をあげなくてはならない。患者の自己負担をあげないと国民皆保険制度はもたない。--これらの発信元がどこかは容易に想像がつく。マスコミはスポンサーの意向を忖度し、政府広報機関に堕す。マスコミは毎年1兆円ずつ医療費があがると騒ぐが、高齢化社会の自然増として1兆円は諸外国と変わらない。医療費破綻の原因を作っているのは、国のほうであり、政府が国庫負担金をどんどん減らしておいて足りないという。財政赤字が1000兆円と騒ぐ。一般に赤字を算出するとき資産から借金を差し引いて出すが、財務省は資産の部分を隠し、借金の数字だけしか言わない。正しく算出すると借金は256兆円だ。これでも相当な額だが、安倍政権下で外遊のたびに海外でばら撒かれた金は一説に100兆円を超えるという。

先に言ったように医療費を押し上げているものは医薬品や医療機器である。日本の人口は世界のわずか1.6%だが、世界の薬の4割を消費する10兆円の市場だ。アメリカでは製薬会社が薬の値段を決める。アメリカの製薬会社のC型肝炎薬はイギリスでは500万で取引され、エジプトでは10万円、そして日本では840万円だ。薬は他の商品と異なり、高いからやめようという考えはとらない。わずかな希望でもあれば、製薬会社の言い値に従う。いままでは厚生労働省が国民の手に入りやすいように、価格を下げてきたが、外圧に負け新薬加算制度を設けた。安くなった差額を補填する制度だが、アメリカの製薬会社はこれで満足せず加算率の上限撤廃とジェネリックが出た後まで継続することを求めている。

誰もがこの世に生を受け、ほんの少しの間同じ時代を生きて、そして死んでゆく。その普遍的な営みを、貴び、お互いさまの心で助け合ってゆく。

国民皆保険の根底にあるのは、昔から連綿と続く協同の精神だ。巨大企業は人の命を軽く扱い、金を重んじる。どこかの国で利益を舐め尽くした後、次の草刈り場を求めて移動する。農業団体や医師会はTPPへの反対声明をあげているが、彼らがどれほど抵抗しても結果は見えている。皮肉にも彼ら自身が自民党を育てあげてきたからだ。大きな声で吠えても飼い犬のごとく懐柔されるだろう。今までやってきたように少し恫喝し、少しだけ代わりの餌を与え、これにわずかな人々が群がる。天下国家などどうでもいい、まず自分の利益に聡く、いわばエゴイスティックな人々を味方につける。国民は慣らされ、拳をあげて不満を漏らしながらも、地域の自民党議員を市町村へ知事へ国会へと送り続ける。このままでは日本の医療は逃げ切れない。

 

植物はすごい 田中修

「生活の糧」として薬草のお世話になっているが、その知識たるや「日暮れて道遠し」で一向に実らない。植物が生存や種の存続のためどのような工夫をしているのか、その一部を知ると改めて神秘と力に驚くばかりだ。薬草は毒成分なども利用するが、一般の植物も少なからず毒を持ち、食物である野菜や果物はむしろ特殊な存在といえよう。食物とされる植物は甘味、酸味が主で辛味はスパイスとして利用され、苦味や渋味の野菜は少ない。

「酸っぱい」、「辛い」、「甘い」という味を好む人はいます。また、「苦み」を好む人も多くはありませんがいます。しかし、「渋い」という「苦みをともなった、舌をしびれさせる味を好き」という人に出会ったことはありません。「渋い」というのは、多くの虫や鳥などの動物にとっても嫌な味のはずです。

渋みは動物から食べられることを避ける植物の知恵と考えられる。たとえば柿は熟すまで渋みで種子の成長を守るが、種子を運ぶため動物に食べてもらう頃には渋みが消え甘くなる。渋みの成分はタンニンといい、実際は消えてなくなるのではなく、不溶性のタンニンに変わることで渋みを感じなくなる。不溶性のタンニンは柿のゴマとして観察され、渋柿も呼吸を止めることで渋を抜くことができる。昔から知られているように、湯に浸けたり、ヘタに焼酎を付けることで渋を抜く。タンニンは広く植物に含まれ、食べられるのを防ぐとともに体液の流出を止める役割も果たす。タンニンは便秘や腹痛、貧血などの害があり、元来、動物に食べられないための植物の都合なので、食べないに越したことはない。お茶もタンニンを含むが、タンニンが抽出される前に汲みだし飲用する。ところが薬草では「成分を濃く長く煮出す」という誤った考え方で利用する人を見受ける。

辛みは痛覚に類し、激辛を好む人も居るが普通は好まれない。これも動物から守るための植物の工夫で動物どころか虫や微生物からも身を身を守る。スパイス類を利用することで腐敗や異常発酵を防ぐことができる。寄生虫のアニサキスはフェンネルに含まれるアネトールという成分で殺虫される。植物を守る成分は使い方次第で人間も恩恵も受けてきた。辛み激烈な唐辛子は誰もが好んで食べないため、種を拡散するため鳥を利用した。鳥には辛みを感じる感覚がなく、鳥が食べることで種をまき散らしてくれる。

先にタンニンが体液の流出を防ぐことを書いたが、イチジクなどの切り口から出る白い汁は虫や微生物から防御する働きがある。この液はフィシンという物質が含まれタンパク質を分解するため、肉料理にイチジクを使うと消化に良い。他にパイナップルの果汁にもブロメライン、ブロメリンというタンパク分解酵素が含まれ、食べたとき口の周りの肌や口内の粘膜が荒れる原因にもなる。

多くの植物の葉っぱが、傷口を黒い物質で固めることで、病原菌の侵入を防いでいるのです。植物も、私たちと同じように、健康な生活を望んでいるので、病原菌が感染して病気にならないようにしているのです。

葉っぱもだがバナナ、リンゴなどの果物を切り、しばらくすると切り口が黒褐色に変わる。これは空気に触れることで植物のポリフェノールという物質が酸化し変色したものだ。健康業界は頼れる教祖を得たかのように飛びつき、ポリフェノールは活性酸素を除去し病気の予防に良いと騒ぐ。動物も植物と同じく怪我、炎症、紫外線などで活性酸素を発生し、この除去のためのメカニズムを備えているのだが、植物のポリフェノールを戴きパワーアップしたいと願望する。

アントシアニンとカロテンというのは、花びらを美しく装う2大色素です。植物たちは、これらの色素で、花を装い、花の中で生まれてくる子どもを守っているのです。2大色素は、紫外線の害に対する2大防御物質なのです。

アントシアニンという色素ははポリフェーノルの一種で、カロテンとともに抗酸化作用を有する。他にビタミンCやEが活性酸素の除去に一役かっている。太陽の光を浴び揺れる花は私たちの目を楽しませてくれるが、実は有害な紫外線に耐えているのだ。人間などの動物はメラニン色素によって紫外線から体を守り、炎症や傷に対しては血液やリンパ液がしかるべき役割を果たす。

有毒物質をもつことが知られているかいないか、それらの毒性が強いか弱いかは別にして、多くの植物が有毒物質をもっています。ですから、「ほんとうに、身近な植物が有毒な物質をもっているのか」と疑問に思っても、そのあたりの植物の葉っぱを食べて、自分のからだで確かめないでください。もどしたり、下痢したりするはずです。

毒物で身を守るのは植物の面目躍如たるところ。自然界の毒物の9割以上が植物由来の成分だ。繰り返すが、「自然は優しい」などと考えないほうが良い。植物の苦味の多くは窒素(N)を骨格の中心にもつアルカロイドという物質である。野菜は植物のなかで特殊な存在であり、品種改良を続け毒性を緩和し、喫食にたえる個体に育てあげたものだ。薬草はナス科の植物に多く、ナス科の野菜についてもぬぐいがたい毒成分があるとして、食べ過ぎを戒める食養家もいる。トリカブト、ジギタリス、朝鮮アサガオ、キョウチクトウなど明らかな毒草はもちろんの事、身近にある馴染みの植物も毒成分をもつ。たとえばアジサイは葉に青酸化合物を含み、虫に食べられた跡も見当たらない。これを知らずに料理の添え物に出したところ、「食べても良いものと」勘違いし食べ、吐き気、めまいなどを引き起こす中毒事件があった。自然派は、天ぷらにすれば大概食べられると、野草を手当たりしだい揚げて食べる人がいるが、ときには嘔吐や下痢などに襲われることもあるはずだ。

棚田でよく見られる彼岸花は毒をもつ植物として知られているが、畔に沿って植えることで、モグラなどの侵入を防ぎ水田を保全する意味があった。また、飢饉の際、球根を水にさらし毒を抜いて救荒食物の役割も果たした。意外な植物では「果物の女王」と言われるマンゴー、これはウルシ科で皮膚がかぶれる成分を含んでいる。果実を半分に切って十字に切れ目を入れ、匙で食べるが、汁を肌に付けると高率でかぶれを引き起こし、数日経ってから発現することもある。

野菜や果物は食材の優等生みたいなもので、食養家や栄養士は悪くは言わない。野菜だけ食べておけば万事健康だと考える人もいる。激しい急性の被害を受けない限り植物に対する警戒心は薄い。しかし、「動物に食べられたくない」という植物側の都合は厳然と存在する。神農という薬草の神様は、百草を噛み、1日70もの毒にあたり薬効を確かめたという。先人たちの長い経験と知恵で植物の有益な利用が可能になった。配合によって毒性を緩和し、薬効を温存する工夫も為された。野菜や果物もこの延長にあり、食べ方の知恵が伝えられている。

一方、薬草や漢方薬の業界は、「自然は優しい」という観念から脱しきれず、扱う人々が専門家に集中したための弊害も少なからずある。「素人判断は危険、専門家へ相談を..」と促し、薬草の毒性は語らず、自分の売る薬草は「安全で良く効く」と言う。西洋薬の多剤併用を非難しながら、漢方薬という究極の多剤併用は礼讃する。薬局や薬店のウエブページを閲覧すると大概の専門家が「オレの店で買えばメデタシ」と誘っているかのようだ。仕事を俯瞰し、マイナスの情報も等しく語ることが専門家としての矜持であろう。

 

亡国の集団的自衛権 柳澤協二

数年前までは公共事業の無駄使い、官僚の天下りなどがニュースの俎上にのぼった。集団的自衛権や憲法改正の話が渦巻くいま、政治家が熱心にやるべきは他にあるではないかと義憤に駆られている。著者は2004年から5年半、危機管理・安全保障を担当する内閣官房副長官補を務めた。

集団的自衛権をはじめとする今の安倍政権の安全保障政策は、あまりにも問題が多すぎる、と言わざるを得ません。政府の主張は、「アメリカを助けなければ日米同盟は崩壊する「他国がやれることを日本がやれなくていいのか」等の情緒的説明に終始し、軍事的常識からも戦略的考察からも整合性がなく、真の政策目標がどこにあるのか、まったく伝わってこないのです。

民主党の政権運営への失望は、より酷い人物の台頭を招いた。2012年の衆議院選まではまだ選択肢が残されていたが、多くの国民は先が見えなかった。一党他弱どころか、一人他弱のいま、選挙で大きく負けることもなく、国民投票もおそらく意のままだろう。

日本政府は1960年の安保改定以降、一貫して「集団的自衛権は行使できない」との解釈を示している。その原則を変えたいのであれば、国会で審議し国民に説明し手続きを踏まなくてはならない。議論もないまま閣議決定、関連法案の提出という憂慮すべき事態に陥っている。かっての自民党の政治家たちは様々な価値観を持ちつつも「戦争をしてはいけない」という意志の共有があった。戦争体験を持たない世代が政治の中心を担うようになり、不運にも「力で叩き潰せ、戦争もありだ」という考えの政治家が政権を握った。彼らは安全なところに居て、人を殺すことや、人が殺されることの実感すらもっていない。

「集団的自衛権の行使は、自衛のための必要最小限度を超えるため許されない」という政府解釈は、閣議決定された政府答弁書としては1972年以来、たびたび表明されてきたものです。これは言うまでもなく、日本国憲法との関係から生まれてきた解釈であり、アメリカからの要請に応えながらも保持されてきた基本方針でした。

2014年7月1日の閣議決定で、「・・・必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」と、いままでの規範と憲法を踏み越えてしまった。そこまでしてなにがやりたいかの説明は現実味のない「ごっこ遊び」に等しいものだ。アメリカの船を助けるというが、テロ以外の手段でアメリカを攻撃する国はない。軍事力世界一、情報収集・戦略に長けたアメリカへ一発撃ち込めば倍返しどころではない。戦火を嗅ぎつければ、たちまち地球の裏側へでも駆けつける国だ。安全保障条約で基地と生活費を提供し、守ってもらうのに引け目を感じることはない。制空権さえ奪われ、実質まだ占領下にあるのだ。これを取り戻してからの話ではないか。イージス艦、空母など保有するアメリカが日本に守ってもらおうなど考えるわけがない。国際貢献ならば本来国連を通じて行なうもので、武装しない自衛隊のPKO活動はいままで高い評価を受けてきた。

グローバル化が進んだ現代は、富国強兵の論理の下、相手を排除して資源やマーケットを独占するということでは、経済活動が成り立ちません。

単純に国家間の力のバランスが変わったから一路戦争に向かうということではなく、そうでない選択肢も用意されているのが、現代の大きな特徴です。今は「利益誘導」や「説得」、さらには国際ルールや制度の整備によって、戦争をしないことが可能な時代であり、その中で我々は生きているのです。

国の存立は戦争ではなく経済活動にかかっている。商売の相手を排除すれば、国の存立そのものが成り立たない。現在、大国同士の戦争は簡単に起こらなくなっているが、民族、宗教などアイデンティティを巡る要因で内戦が生まれ、武器は拡散し破壊や殺戮が激しさを増している。これに軍事力の行使という手段では根本的解決にならない。争いの要因となる貧富の格差をどう是正するかの努力が必要だ。

もし「アメリカの船を守る」というシナリオが、単に最初の一発だけ撃ち落とせばいい、という論理から生まれているのだとしたら、それは軍事常識としてあり得ないことです。ミサイル攻撃というものは何十発、何百発というミサイルが撃ち込まれるわけですから、たとえ最初の一発は撃ち落とせても、とても自衛隊の能力では守りきれないでしょう。

一発何千万円もする迎撃ミサイルの大量備蓄をはじめとする軍事力の大幅な強化が必要となり、予算の規模を考えると現実的な話ではない。平和のための集団的自衛権というが、戦争の放棄こそが平和への近道であることが分かっていない。彼らの想定する米中戦争では、敵はまず日本の米軍基地や自衛隊基地、一説には原発を攻撃し、戦力を削ぐだろう。遠く西太平洋へ出かけアメリカの船を守るなど「ごっこ遊び」の話だ。戦争ができる国かどうか、冷静に考えてみよう。戦後の日本は「戦争をしない国」として働けば働くほど生活がよくなるという目標をかかげてやってきた。アメリカのような軍産共同体をめざせば、戦争を起こさないと生きていけない国になる。大国としての条件を持たない国はもともと大国にはなれず、アメリカの威を借りて大国になどなれない。国土は狭く、石油などの資源に乏しく食糧も自給できない。この失敗は先の戦争で充分思い知ったではないか。戦死者の6割が餓死者であり、総理官邸の庭にまで芋を植え、それでも食料は足りなかった。

戦争を70年間してこなかった国というのはおそらくもう戦争をすることができないと思うからです。70年間という時間は、つまり3世代にわたるということであり、戦争とはどういうものかという国民的記憶はもはやない、と言っていいと思います。

国民的理解もないのに戦争ができるとは思えません。戦争になれば兵隊が死んで棺が還ってくるという現実とどう向き合うのか、その経験がないところに我々は生きているのです。

70年戦争をしていない事を著者はプラスだという。日本にとって戦争は不得手な手段であり、常識的に最も避けるべき手段だ。戦争の記憶が薄れたばかりではなく、生活は安楽になり、スマホ、テレビ、スポーツなどの娯楽に席巻された。時間や規則に厳しく制約される軍隊という集団生活と訓練には到底耐えられない。教科書の書き替えが進むことから、政府は小中学生が成人する頃の徴兵を想定しているのかも知れない。男女問わずの時代だ。子供や孫が戦いで死に、戦いで人を殺す。なぜこんな政党に国の未来を託してしまったのか。人を殺す、人が殺されるという実感もなければ、国や国民がどうなるかの想像力もない。50%を超える内閣支持率を見ると、暗澹たる気分にさせられる。国民の半分はこういった動きを容認しているのだ。

日本は戦争ができない国だ。攻撃されれば防衛のため戦うだけの能力はあるが、それ以外の無駄な武力は使わない。軍事力以外の手段で紛争を解決し、平和へ貢献することこそ日本の使命だ。著者は「民意を否定するものはやがて民意によって否定される」との、希望で締めくくっているが、過去きれいごとで済まなかった例がいくつもあった。ナチスの台頭の際、彼らが無知・無教養・粗暴ゆえ誰も警戒しなかったという。しかし権力を握れば、無知・無教養・粗暴ゆえ引きずり下ろすことができない。そして無知・無教養・粗暴ゆえ、いとも簡単に戦争を始めるかも知れない。国会中継を見るがいい、無知・無教養・粗暴、そして狂っている。

いまも原発事故は終わっていない。国土の1/3〜1/4が汚染され、さらにむき出しの核燃料が拡散しつづけ何万年もの間、住むことはできない。チャイナシンドロームの危機さえ取り沙汰されている。日本はあとどれくらいもつのだろうか。原発事故で多くの国土を失った。焼け野が原となった先の大戦と比べようもない。兵隊どころかこれから何百年かの間、原発での作業員が必要となる。アメリカの手先となって他国へ出かけ戦争をやる余力など微塵もない。自民党の政権復帰後、集団的自衛権をはじめ、TPPで日本を売り、福祉などの様々な分野で切り捨てや収奪が進んでいく。日本が沈没すれば、彼らはご褒美にアメリカの船に助けて貰うのだろうか。

 

フードトラップ マイケル・モス著 本間徳子訳

食品メーカ自体が塩分・糖分・脂肪分の罠にはまりこんでいることである。メーカーは最小限のコストで製品に最大限の魅力をもたせることをひたすらに追求してきたが、その結果、メーカー自身がこれら3つの成分に容赦なく引きずり込まれることになった。

食べたい飲みたいという気持ちを起こさせる契機を「至福ポイント」といい、これを見出すためにあらゆる工夫をする。なかでも原材料やその加工に負けず劣らず重要なのがマーケティングだ。

まず糖分についての常識を改めなければならない。甘・塩・酸・苦・うま味を感じる舌の味覚地図はよく知られているが、これは間違いだという。口の天井も含め口の中全体が糖分に対して反応し、約1万個の味蕾のひとつひとつに甘さを感じる特別な受容体がある。最近では食道、胃、膵臓でも糖に反応する味覚受容体が発見され、何らかの形で脳内の快楽領域につながっている。甘味はエネルギー源の炭水化物を供給する報酬としての快楽であり、糖類への魅力をかきたてる。しょ糖やブドウ糖などの古典的な糖分のみならず、果糖ブドウ糖液糖、異性化糖、高果糖コーンシロップ..さらにダイエットを謳う、アスパルテーム、スクラロース、アセスルファムカリウムなどの合成甘味料についても同じく快楽をもたらす。人は食べ物を選ぶとき、栄養学より味や風味などの満足感を優先する。なかでも糖の味ほど強力なものはなく、満足度が最大になる濃度を至福ポイントといいい、企業はこれに適合すべく製品を追及する。

子供は甘味への依存が強く、大人の倍もの甘味さえ平気で口にする。小児の頃から甘味に慣れると、成長しても甘味を期待し求めるようになる。デンプンは精製が進んだものほど糖に変わるのが早く、脳はより早く報酬を受け取ることができる。未精白の穀物は噛んで徐々に甘味を感じるが、糖はすでに甘味がむき出しのため、早く強力な刺激となり、そのため体内での処理が追いつかない。糖尿や肥満、虫歯などがその代表的な結末だ。漢方では湿を貯めることがアレルギーの一因とされ、その原因となる甘味の過剰な摂取はアレルギー疾患の増加と無関係ではない。それならばと、食卓から砂糖を排除し、菓子類を止めたとしても焼け石に水、摂取する糖分の2/3以上が加工食品からのものだ。

脂肪は糖よりさらに強力な加工食品の重要成分である。味覚は甘・塩・酸・苦・うま味の5つの要素で構成されているが、脂肪の味覚は適確に説明できない。食品業界がもっとも頼りにする成分でありながら、味蕾の中の受容体も見つかっていない。クッキーの歯ごたえ、パンの柔らかさ、肉の色などすべて脂肪がもたらすものだ。ハンバーグ業界は脂肪を中心に回っており、牛の骨の端肉を混ぜて作られる。最も脂肪分の多い端肉はタンパク質と脂肪が半々なので「50/50」と呼ばれ、これを脂肪分の少ない肉と混ぜ、望みの比率でひき肉を作る。

たとえば脂肪は、同じ食品に含まれるほかの風味を隠すことと伝えることを同時にやってのける。好例はサワークリームだ。サワークリームの酸味成分自体は、あまりおいしくはない。脂肪分は舌に膜を作り、この酸味が味蕾を刺激しすぎることを防ぐ。次に、この同じコーティングは作用の方向が逆転する。サワークリームの持つ繊細な風味が舌に吸収されやすくなるのだ。

脳の反応を調べる医療用の画像装置があり、脂肪も糖とまったく同じような脳の電気活動が見られ領域も同じだった。この脂肪分が糖分と一緒になるとさらに強力に至福ポイントをあげる。果物のジューシという表現を肉にも言及するのは語彙の貧困だが、あながち分からなくもない。クッキーやチップスの歯応えの音、アイスの口内での溶ける温度など様々な研究が商業的価値をもたらす。近年、脂肪は心臓病や肥満の元凶として忌避される傾向にあるが、ここにも食品業界の罠が潜む。たとえば牛乳の「低脂肪」、「2%」などの表示で、あたかも、98%の脂肪が除去されたかのように見えるが、もともと全乳の乳脂肪は3%ていどだ。1%除去したくらいで、ほとんど変わりはなく、脂肪のカロリーは糖やタンパク質の2倍以上もある。カロリーで食物を考えると実際60〜70%、ことによると80%が脂肪であることもあり、研究者や栄養の専門家でさえ、見えない存在だ。病院で栄養指導を受けると、心臓病や肥満の予防に脂肪分を減らすようにきつく言い渡される。そして、最後に「牛乳は高タンパク質でカルシウム源なので1日1本は必ず飲みましょう」。チーズやヨーグルト、卵なども同じように推奨して憚らない。

加工食品の3本目の柱、塩分(塩化ナトリウム)の問題は、元素のナトリウムにある。少量のナトリウムは健康維持に不可欠だが、米国ではナトリウムの摂取量が必要量の10倍、人によっては20倍にも達している。この量になると体が処理できる限界をはるかに超えるため、血液中の水分が増え心臓に負担がかかり血圧が上昇する。

人は食塩が大好きです。甘味、酸味、苦味、塩味という基本味のなかでも、塩味は特に欠かせません。ベーコンからピザ、チーズ、フライドポテト、ピクルス、ドレッシング、スナック類、パンや焼き菓子に至るまで、あらゆる食品の味の魅力を引き出すのが塩、すなわち塩化ナトリウムです。

塩は食品産業にとっての金鉱だが、消費者にとっては地雷原だ。塩味も甘味と同じく口全体で感知し、快楽を覚える謎は未解明である。動物が海の中で生きていた時代は何の労苦なくナトリウムが摂取できた。やがて陸にあがり、食物を探すときの手段として塩の受容体が発達したのかも知れない。糖分、脂肪、塩分という加工食品の3本柱のなかで、メーカーにとって最も魅力的なのが塩分だろう。味蕾を興奮させるだけでなく製造工程のあちこちで生じる問題を解決してくれる。その最たるものが再加熱臭に対する作用だ。これは肉の脂肪が酸化するとき生じる不快な風味で、人はこの味を敏感に感じ取る。肉の再加熱に大きく依存する加工食品業にとって、塩分は再加熱臭を手軽に解消する魔法の薬だ。家庭では新鮮なスパイス、ハーブ類を用い肉の劣化や臭みを防ぐが、加工食品業ではコストがかさむため塩分をたっぷり使う。他に、苦味、渋味といった不快な味を強い塩味で覆い隠すことができる。

健康の為に減塩という動きが出てくる。塩味を減らそうと思えば、減らすことは充分可能だ。減らすことで塩分の感度が高まり、少ない量でも味を楽しめる。しかし、食品加工業にとっては死活問題だ。「規制案が通って国民の塩分摂取量が低下すれば、死者が出る恐れがある」と主張し規制に対抗した。食品加工業に欠かせない添加物は他にもカフェイン、合成甘味料、着色料など様々な強者が揃っている。食材を生産現場から調達し、自ら調理する。その手間たるや大変な時間と労力と費用を要する。手間もかからず、費用もそこそこで、浮いた時間と労力で金を稼ぎ余暇を楽しむ。手間を省き、楽をするために働くという罠が現代のライフスタイルといえよう。ここで欠かせないのが加工食品であり、至る所、存在するコンビニエンスだ。

要求の厳しい今の消費者を満足させたいと思うなら、コンビニエンスという添加物を設計し、組み込み、組み合わせ、混ぜ合わせ、織り込み、注入し、挿入し、あるいはなんからの形で製品やサービスに取り入れなくてはなりません。コンビニエンスこそ、消費者に受け入れられるかどうかを左右する新しいスタンダードなのです。

いまやコンビニは切ってもきれない存在になった。銀行機能を備え、公共料金や通販の支払い、受け取り、コピーや写真のプリント、雑誌、酒、弁当、喫茶店のようにコーヒも安く飲める。巨大企業が展開する大店舗も小店舗も、個人商店が及ぶところではなく、この傘下に組み込まれることなく生活の糧を得る人は幸福だ。巨大企業とともに加工食品の大量生産が始まり、保存料、着色料などの添加物が必要となった。添加物とは化学物質だけではない。コンビニエンスそのものが添加物として、時間コンビニは夜遅くまで営業し、包装コンビニは使い捨て容器で余裕をもたらした。食生活は巨大な流れに逆らうことなく、利益のための罠に嵌る。逆らう人々も皆、同じ列車に乗り込んでいるのかも知れない。

 

健康・医療の情報を読み解く 中山健夫

「経験では..」という語り口はしばしば耳にし、健康・医療では体験談が選ぶための根拠でさえある。病気を抱えた人は、素人の茶飲み話にもすがりたくなる。専門家も例外ではない、少し前の医学会の研究発表も体験談程度のものだった。「3た論法」といい「薬をのみました、効きました、だからこの薬は有効です」というものだ。医療行動に関して、専門家さえも「3た」論法に囚われる。医者がしばしば使う「私の経験では..」が正にこれだ。根拠は希薄だが説得力があり、健康産業では普遍的にまかり通っている。3た論法は人が陥りやすい誤謬の中でとりわけ頻度が高い。薬の作用は複雑で未解明な部分が多く、それにも増して複雑な体と、どう反応するかは神の領域だ。3た論法を始めとし、情報を読み解くときの様々な問題点をいくつか紹介する。詳細は成書を求めていただきたい。

健康情報はその「出所」によって、どれくらい信頼できるかに歴然とした違いがあります。この場合の「出所」とは誰がいっているのか、ということだけではありません。「なぜそういえるの?」、つまりその「根拠」に目を向けることがとても大切です。どんな「根拠」からの話かわかれば、その情報の信頼性、いわば「情報を信じてよい度合い」がおおよそ決まります。信じてよい度合の情報は「質の高い」情報ともいえます。

積み重ねた知識や経験で日々の暮らしは成り立っているが、ひとたび刷り込まれた常識を覆すのは困難で、それを破るのは勇気を要する。しかし、重大な選択の際には、被害を蒙らぬよう、質の高い情報を求めるのが望ましい。医師・薬剤師なら間違いないだろうと考えるのは間違いだ。彼らも動物実験レベルのデータや経験的「3た論法」で事にあたるケースが多い。逆に「病気になった、薬を飲んだ、亡くなった」という場合、医者はどう説明するだろうか?「亡くなった原因は薬ではなく、薬以外にある」。といい、病気がいかにも重篤で、患者の不養生など別の原因を探すだろう。同様に治った原因は薬以外にもある。個々の事例だけを見ていてはその薬がどういう効果があったのか正しい判断はできない。ところが個々の事例を積み重ねることで因果関係の錯覚を起こし「経験では..」という説明がまかり通る。「薬を飲まなかったときどうなったか」という情報(対照群)が不可欠だ。医療現場でさえこの程度だ。まして医療現場でも利用されない民間療法や健康食品は有効性や安全性など闇のなかだ。困った人々がワラをもすがる思いで飛びつくので「雨乞い"3た"論法」というらしい。

質の高い情報には以下、6つのレベルがある。

  1. 系統的レビュー/メタ分析
  2. 1つ以上のランダム化比較試験
  3. 非ランダム化比較試験
  4. 分析疫学的研究(症例・対照研究やコホート研究)
  5. 記述研究(症例報告や症例集積)
  6. 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見

冒頭で医学会の研究発表と言ったが、レベル5でしかない。漢方薬については医療で使われてはいるが、レベル6が多くを占める。漢方の本を開けば、独自の世界で戯れる治療家の物語が繰り広げられる。しかし、研鑽を積んだ専門家なら素人よりマシだろう。マシかも知れないが、傑出した漢方家ほど観念が紛れ込み、弟子に伝える。かえって名もない人々の経験で積みあがった民間薬のほうが信頼に足る。

話を戻そう。evidenceのレベルは6つあるが、どんなテーマについても高いレベルが必要という意味ではない。「どんな研究デザインから得られた情報か?」を知ることで、どのランクの情報を利用するかの羅針盤となる。普通、薬理を頼りに薬を用い、治れば効果があったとするが、飲まなければもっと早く治ったかも知れない。この誤りを犯さないためにも、どのレベルなのか、より高いレベルのevidenceはないか諮る必要がある。

医師が出会った患者さんから得た貴重な経験を、その後の判断の根拠としていくことは当然なのですが、すでに述べたように経験と思い込みはすぐ隣にあることで、経験ばかりをその後の判断の根拠としていくことはかなり危ういことといえるのです。国内の臨床医学系の学会、とくに地方会の大部分は症例報告です。症例報告は、個々の患者さんをきちんと診るという臨床の基本を若い医師が学ぶためには大切です。しかし、個々の経験の積み重ねから病気の原因や治療の有効性について一般的な結論を得るにはどうしても限界があります。

症例報告の限界を「選択バイアス」といい、バイアス(bias)とは偏り・偏差を意味し真の値から系統的に乖離した結果をもたらす推論プロセスだ。他に測定バイアス、交絡バイアスがあり、この大分類をもとに様々なバイアスがある。たとえば期待バイアスとは研究者や医師が患者の回答を自分の期待に沿って記録することをいい、面接者バイアスとは面接者の技術などで真の回答と実際が異なってくる。

多くの臨床医は、自分がそこそこの名医であるという自負をもっています。「自分の外来にくる患者さんは、みんな『先生のおかげで良くなりました。先生は名医です』といってくれる」という話は時々耳にします。

ここは医療分野の話だが医師の他、治療家、教師、宗教家など、バイアスを生じやすい唯我独尊の職業があり、話していると特有の空気を感じる。「私の治療法は数多くの治療経験の裏付けがあるので有効だ」という言い方をするが、医師が診療しているのは、患者全体からみると偏った一部に過ぎない。評価は最低限、治療した患者全員を把握して有効と無効、脱落などの数をきちんと示す必要がある。来なくなった患者さんを「治った」と慰撫し、難病の患者へは最初から紹介状を渡す。残った症例は実のところ特異かつ例外的なものかもしれない。治癒については交絡バイアスという落とし穴があり、交絡因子ともいう。これには3つの必要条件が示されているが、簡単にいえば治った真の理由をかき乱す因子の事だ。「運動を多くする人ほど風邪をひきにくい」という情報について、運動の頻度、健康意識、社会経済状態等々の要因を検討すると健康意識の高さが風邪をひきにくくしているかも知れない。つまり、「風邪をひきにくい人はたまたま運動も多くしていた」と考えられる。見かけの因果関係と、真の因果関係を攪乱する因子を見抜いたうえで評価しなくてはならない。

人間の身体は常に動いています。心臓の拍動、心の働きから細胞内外のさまざまな物質やわずかな電気の流れまで人間の身体は休むことがありません。

「なんだ、あたりまえではないか」、と分かってはいるが、行動は裏腹だ。血圧などの数値が測るたびに変わることは認めても、一喜一憂する。「平均への回帰」といい、数値も体調も病気も、風に木の葉が揺れるように行きつ戻りつしバランスを保つ。数値が高い値を示したときに薬や治療を施し、改善をみた。あたかも薬や治療が効いたかのように見えるが、自然現象である平均への回帰が働いただけかも知れない。数値の高かった人だけ集めて再度測り直すと1回目より低くなる人の数が増える。薬も治療もなにもしなくても「平均への回帰」で正常に戻るのだ。この現象を差し引いて薬や治療を考える必要がある。血圧やコレステロールの数値を下げる目的は下げることではない。その先にある寿命や生活の質を上げることにある。血圧やコレステロールを下げることで脳出血は減るかも知れないが、逆に脳梗塞やガンに罹り、死亡率が高くなるデータも示されている。健康診断、がん検診についても検診群の死亡率が高いことが知られている。

「基準値」を超えているものがあると、私たちはつい、何でも「基準値」よりも下げたほうがよいというようになりがちです。しかし、もしかしたら悪いことをやっている一つの例になりかねません。よかれと思ってやったことが、かえってその人の寿命を短くすることもあり得ます。「基準値」というもの自体、その程度のevidenceで成り立っているのかもしれないということが実は要注意なのです。

病気になった時、何を手がかりに薬や治療法を選ぶだろうか。多くは主治医の勧めを唯一、最良と信じて従う。それがデータとして成功率80%であれば20%の失敗例もある。成功例の話だけを聞くと、多くは個人的な経験へ引っ張られるが、全体の傾向と個別の事例とは折り合いをつけなくてはならない。ワラにもすがる思いのときは、マイナス情報でさえ都合よく解釈し、支持を集めようとする。また利益相反といい企業など利益が絡むと、別のメッセージを発したりする。医療も産業である以上、彼らは顧客たる患者より、己の利益を優先するだろう。情報には様々な落とし穴があり、判断には錯誤もある。著者は「2つに1つではなく、灰色も加え、3つに1つの答えを選べ」という。しかし、情報と実際の意思決定にはさらに隔たりがあり、情報が灰色でも、行動は「するか・しないか」の2つしかない。迷ったとき、考え抜いて自己責任で決める人、他人任せ、医者任せで決める人、希望を振りまく治療家や健康食品にすがる人、2つしかない行動を巡って多彩な人間模様がある。

 

日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治

沖縄では基地反対の知事が圧倒的な支持を得て当選し、次の衆議院選もすべての地区で基地反対の議員が当選した。民意は明らかだが、政府は露骨に威圧し民意など意に介さない。原発も同じく、これほど過酷な事故を起こし、一度は脱原発の道筋をつけておきながら、再稼働へ血道をあげる。利権を持つ連中の横暴を止める手立てはないものだろうか。

沖縄で米軍機がどこを飛んでいるのか、著者は仔細に観察し飛行ルートを地図に書き込む。真っ黒に塗りつぶされた地図の中に楕円形の空白がある。この空白はアメリカ人の住宅地だ。日本人の家の上は平気で低空飛行するが、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばない。アメリカでは法律によって住宅上の低空飛行が厳重に規制されているため、海外においても自国民には同じ基準を適用する。日本政府は「アメリカ人なみの基準」を日本国民に適用することを求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置している。

強い国の言うことはなんでも聞く。相手が自国では絶対にできないようなことでも、原理原則なく受け入れる。その一方、自分たちが本来保護すべき国民の人権は守らない。

傍若無人な要求を突きつけるアメリカ人ではあるが、簡単に要求を呑む人間を最も嫌うのもアメリカ人である。交渉にあたるアメリカ人は日本の政治家や官僚たちを、心の底から軽蔑しているという。民主党のことは語るのも嫌だが、2009年の政権交代では多くの国民が「このままではいけない」と思った。「最低でも県外」を主張した鳩山政権は正しい自立への目覚めでもあった。しかし、政権交代が予想される半年前、当時代表だった小沢一郎氏の公設秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕された。

遅くとも半年後には総選挙が予定されており、そこで首相になることが確実視されていた野党第一党の党首を、まったくの冤罪で狙い撃ちしたのですから、これは完全な国策捜査でした。

政権をとったあとも、検察の攻撃は止まず、国民の圧倒的支持を得た政権のNO1とNO2を野党時代と変わらず攻撃し続け、検察からのリークを受けた大手メディアもこれに加担した。この時点で気付いた人がいるかも知れない。日本の本当の権力は表の政権とはまったく関係のない別の場所にあるのではないか。鳩山首相の力不足はあったかも知れないが、官僚や、あろうことか民主党の議員の一部も鳩山首相ではなく「別のなにか」に対して忠誠を誓っていた。このことは2011年、ウイキリークスという機密情報暴露サイトがアメリカの公文書を公開し明らかになった。鳩山首相は参議院選挙を前に、小沢幹事長とともに退陣し、次は菅氏が担う事になった。菅氏は選挙中唐突に消費税増税をぶち上げた。いま考えると「別のなにか」への高らかなる隷属の表明と誓いだったのだ。その後の政権は糸の切れたタコのように彷徨い、民主党の崩壊に至った。後に、小沢氏はNHKのインタビューで次のように語った。「民主党のマニフェストは革命的なことだった」、「ひとつづつでも努力すれば国民は応援してくれる」、「民主党の議員が政権交代の意味を理解していなかった」.. 小沢氏をなりふり構わず追い落すほど「裏の権力」は氏を恐れたともいえよう。彼らのほうこそ民主党のマニフェストを真に理解していたのだ。

日本の権力構造というのは、教科書で習った民主主義の形にはなっていない。公正な選挙で政権選択していると思っていたが、元々選択肢などなく、日本の政治家がどんな公約をかかげ選挙に勝利しようと「どこか別の場所」ですでに決まっている方針から外れる政策は一切許されない。鳩山政権以来成立した菅・野田・安倍政権を見ていると、選挙前の公約とは正反対の政策ばかり推し進めている。その象徴が米軍基地の問題だ。日本人の人権が侵害されても、日本人自身は米軍基地の問題に一切関与できない。自民党時代には隠されていたが、鳩山政権の誕生と崩壊によって初めてあきらかになった。自民党がどんな政党かを知れば支持率50%などありえないが、野党も第二自民党、第三自民党.. が控え、政治は絶望的だ。暗闇に一灯を燈す政治家はもう出てこないのかも知れない。

沖縄の土地の18%を米軍基地が占める。しかし、それは敷地面積だけで、上空は100%米軍が支配する。米軍機はアメリカ人住宅の上空以外、どこでも自由に飛ぶことができるし、どれほど低空で飛んでも、日本の法律もアメリカの法律もまったく適用されない。

「日本国の当局は、(略)所在地のいかんを問わず合衆国の財産について、捜査、差し押さえ、または検証を行う権利を行使しない」

-日米行政協定第十七条を改正する議定書に関する合意された公式議事録/1953年9月29日/東京-

たとえば米軍機が墜落したとき、米軍はその事故現場の周囲を封鎖し、日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する法的権利を行使できる。「所在地のいかんを問わず」という文言は基地だけではなく日本中どこでもアメリカ政府の財産のある場所なら治外法権エリアになる。米軍が沖縄でできることは日本本土でも同じであり、沖縄では露骨なだけだ。学校で非核3原則というのを教わったが、嘉手納基地には最も多い時期1300発の核兵器が貯蔵され、三沢、横田、岩国などの基地へ運ばれた。とくに三沢基地は中国、ソ連の核兵器がアメリカ本土へ届かない時代から、アメリカの重要な軍事拠点であった。東京を中心とした首都圏上空にも、嘉手納基地と同じ横田基地という米軍の管理空域がある。日本の飛行機はそこを飛べないため、羽田から西へ向かう飛行機は、まず東の千葉の方へ飛び、急上昇・旋回してこの空域を超えなければならない。旅客機でありながら危険な飛行を強いられている。1952年、日本は独立を回復したことになっているが、米軍の権利は占領期のまま現在に至っている。上記の文書は憲法より上位の協定事項ということだ。

1959年、在日米軍の存在が憲法違反かどうかを争う砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官がとんでもない判決を出した。簡単にいえば、日米安保条約のような高度な政治的問題については最高裁は憲法判断をしないでよいという判決だ。この時から安保条約とそれに関する取り決めが、憲法を含む日本の国内法全体に優越することが確定した。

この砂川裁判の全プロセスが、検察や日本政府の方針、最高裁の判決までふくめて、最初から最後まで、基地をどうしても日本に置き続けたいアメリカ政府のシナリオのもとに、その指示と誘導によって進行したということです。この驚愕の事実は、2008年のアメリカの公文書によって初めてあきらかになりました。

この判決は「統治行為論」と言われ、憲法も法律も三権分立をも否定するもので、学説でも支持されていない。鳩山首相を失脚させた「別のなにか」とはこのことに他ならない。彼らは日本国憲法より上位にある「安保法体系」に忠誠を誓っていたのだ。裁判所、検察、官僚、政治家、そして共に政権をつかんだ民主党の身内までもが、NO1、NO2を執拗にいたぶり続けた。

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「被害者である福島県民が見知らぬ仮住まいのなか、放射能におびえ、毎日壁を掃除しながら不安な日々を送っているのに、どうして加害者であるはずの東京電力の社員たちが、ボーナスをもらってヌクヌクと正月の準備をしているのか」

工場や作業場で事故が起これば、必ず警察が捜査に入り、現場を調べ、事情を聴収し安全対策の不備があれば責任者を逮捕する。警察はなぜ東京電力へ捜査に入らないのか。これほど破滅的事故を起こしていながら、その責任を問われた人物が一人もいない。まともな国ならば、すぐさま大訴訟団が結成され東京電力に対し空前の損害賠償請求が行われるところ、そうはならなかった。多くの人は国のつくった「原子力損害賠償紛争解決センター」という調停機関を通じて東京電力の言い値で賠償を受けた。いまの日本では訴訟を起こしても、最高裁で逆転され必ず負けるという予測がついたからだ。このことは沖縄の基地被害の裁判を見ても明らかだ。住民の健康に明らかな被害を及ぼす米軍機の飛行について、住民の健康被害を認定したうえで「飛行の差し止めを求めることはできない」という、とんでもない判決を書いている。そして福島集団疎開裁判においても、同じようになってしまった。

「チェルノブイリ原発事故後に児童に発症したとされる被害状況に鑑みれば、福島第一原発付近で生活居住する人びと、とりわけ児童の生命・身体・健康について、由々しい事態の進行が懸念されるところである」 -2013年4月24日/仙台高裁判決-

子供は放射線に対し感受性が高く、大人より3〜5倍も被害が大きい。とにかく子供だけは放射線の数値の高い場所から逃がすか、定期的に数週間疎開するだけでも被害を軽減できる。上記は仙台高裁の判決の一部だが、まともに読むと被害を認定し勝訴へと導かれるところ、次のような結論を出した。「中長期的には懸念が残るものの、現在ただちに不可逆的な悪影響をおよぼすおそれがあるとまでは証拠上認めがたい」といい、「行政上の措置をとる必要はない」とした。ここにも沖縄の基地と同じく統治行為論的な考えが見て取れる。

いま原発は一基も稼動していない。真夏の需要のピーク時でさえ十分な余裕があり、余って太陽光の電力の買取りを断るほどだ。原発の事故を隠し、軽く見せかけ再稼働へと突き進む。彼らはいったいだれなのか。著者は「主犯はだれか、その動機はなにか」については情報不足ゆえ棚上げするという。とりあえず「原発によって利益を得る勢力全員」を彼らと定義する。ドイツやイタリアは福島の事故を見て、自国の脱原発を決めた。当事国の日本はなぜ止められないのか。

この問題を考えるとき、もっとも重要なポイントは、いま私たちが普通の市民として見ているオモテの社会と、その背後に存在するウラの社会とが、かなり異なった世界だということです。そしてやっかいなのは、私たちの眼に見えにくいそのウラの社会こそが、法的な権利にもとづく「リアルな社会」だということです。

沖縄で見たように憲法より安保法が優先するような法体系で権力が行使され、日々の生活を営んでいるのだ。「密約法体系」といい、アメリカ政府との交渉の中でどうしても従わねばならないが、日本国民の眼には触れさせられない重要な合意事項にサインしてきた。こうした密約の数々は国際法上は条約と同等の効力を持ち、憲法の上位法として約60年に渡って積み重なっている。第二次世界大戦で敗北した後、米軍によって6年半占領されたが、1952年に独立を回復しても依然として軍事占領状態が継続している。

「安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに(略)米軍を使うことができる」
「米軍の部隊や装備(略)なども、(略)地元当局への事前連絡さえなしに、日本への出入りを自由に行なう権限が与えられている」

米軍が開発したオスプレイという、非常に事故の多い軍用機が、2012年沖縄に配備されることになった。沖縄県のすべての市町村議会が「受け入れ反対」を表明し、10万人の県民が反対集会を開いたが、なにごともなかったかのように配備された。当時の首相である野田氏は「配備自体はアメリカ政府の基本方針で、同盟関係にあるとはいえ、どうしろ、こうしろという話ではない」とコメントした。無責任さに驚き、怒りさえ覚えたが、上記の協定が根拠となっているため、総理でさえこの密約に抵抗する手立ては何もない。いま民間空港である佐賀へオスプレイの配備が検討されている。二転三転、行きつ戻りつしているが、政治や行政、マスコミ参加の振り付けに他ならず、米軍が使おうと思えば断りもなく使えるのだ。権力を持つ者にとって、たとえ10万人の集会でさえ蚊を払う程度の出来事でしかない。

「法律が憲法に違反できる」というような法律は、いまはどんな独裁国家にも存在しない。というのが、世界の法学における定説だそうです。しかし、現在の日本における現実は、ナチスよりもひどい。法律どころか、「官僚が自分たちでつくった政令や省令」でさえ、憲法に違反できる状況になっているのです。

このことを思い知らされる判決がある。福島第一原発から45Km離れたゴルフ場は放射能の汚染がひどく営業停止に追い込まれた。放射能の除染を求めて東京電力を訴えたが、東電側の弁護士は驚愕の主張を始めた。原発の敷地から外に出た放射性物質は、すでに東京電力の所有物ではない「無主物」であり、東京電力に除染の義務はない」。こんなことがどの世で通用するのかと信じ難い思いで注視したが、通用してしまった。裁判所が荒唐無稽を認めたのだ。無主物を主張した東電側もきっと驚いたに違いない。裁判所も、さすがに無主物とは言わなかったが「除染方法や廃棄物処理のありかたが確立していない」という意味不明な判決だった。

  • 「大気汚染防止法 第27条 1項」この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染およびその防止については適用しない。
  • 「土壌汚染対策法 第2条 1項目」この法律において特定有害物質とは、鉛、ヒ素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)(略)
  • 「水質汚濁防止法 第23条 1項目」この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁およびその防止については適用しない。

米軍機が航空法の適用除外になっているため、どんな違法飛行をしても罰せられないのと同じ仕組みがここにもあった。放射性物質による汚染については「原子力基本法その他関係法律で定める」としているが、実はなにも決めていない。つまり、ゴルフ場はもちろん、家や田畑、海、大気を汚染しても、法的には汚染ではないから除染も賠償する義務もない。これをあからさまに言えば暴動が起こるので、いまは「原子力損害賠償紛争解決センター」という目くらましの機関を設け、加害者のふところが痛まない程度のお金で賠償するふりをしているのだ。

官僚たちは何をおもんぱかってか、自らのさじ加減次第で国民への人権侵害を合法化できる法体系をせっせと作り上げてきた。もうひとつ日米原子力協定という安保条約に似たものが存在し、その条文を子細に分析すると、アメリカ側の了承なしに日本側だけで決めていいのは電気料金だけだという。この協定では変更、終了などの是正措置をとるため「協議しなければならない」、「検討しなければならない」など義務を意味する法律用語で書かれている。日本国民や国民が選んだ総理が「原発廃止」の決断をしても、「アメリカの意向をバックにした日本の官僚たち」によって政権の座から引きずり降ろされてしまう。中国、韓国などの脅威は煽るが、この脅威はその比ではない。2014年末、内閣府は外交に関する世論調査を発表した。それによるとアメリカへの親近感を抱いている人は8割を超え、82.5%に達したという。

著者は章のまとめで「悪の凡庸さについて」語る。ナチスによるユダヤ人大量虐殺を指揮したアイヒマンは「平凡で小心な、ごく普通の小役人」にすぎなかった。アイヒマンの「完全な無思想性」とナチス体制の「民衆を屈服させるメカニズム」が、この空前の犯罪を生んだ。現在の日本人の状況に通じる気味の悪さを感じないだろうか。

ユダヤ人たちは、なぜ時間どおりに指示された場所に集まり、おとなしく収容所へ向かう汽車にのったのか。なぜ抗議の声をあげず、処刑の場所へ行って自分の墓穴を掘り、裸になって服をきれいにたたんで積み上げ、射殺されるため整然と並んで横たわったのか。なぜ自分たちが15000人いて、監視兵が数百人しかいなかったとき、死ものぐるいで彼らに襲いかからなかったのか。

なぜ自分たちは、人類史上最悪の原発事故を起こした政党の責任を問わず、翌年の選挙で大勝させてしまったのか。

 

日本は戦争をするのか 半田 滋

日本は戦争をするだろうか。安倍晋三政権が長く続けばつづくほど、その可能性は高まるといわざるを得ない。憲法9条を空文化することにより、自衛隊が国内外で武力行使する道筋がつけられるからである。

著者は東京新聞の編集委員で論説委員も兼務する。冒頭で論点の流れを述べ、姑息かつ欺瞞にみちた手法で憲法を空文化していく足跡を分析していく。民主党政権の失敗が自民党の復活を許し、あろうことか過去ぶざまに職を投げ出した人物が再び台頭した。その後の動きはめざましく、あたかも空白を埋め怨念を晴らすかのように暴走を続ける。第一次政権で靖国神社への参拝ができなかったことを「痛恨の極み」と語っていたが、就任から1年後に参拝した。靖国神社は旧陸軍省、旧海軍省が管理し、国民は「国の為に戦って死ねば靖国神社で神様になれる」と教え込まれた。国民を戦争へ駆りだす仕掛けのひとつなのだ。物資供給もできない無謀な戦争で亡くなった230万人のうち、6割が餓死だったとの説がある。戦争を指導した軍部は、若者を特攻へも送り込んだ。

靖国参拝や従軍慰安婦などの見直し発言で中韓との関係は悪化し、その上領土問題を煽り、この先に戦争があるかのように振舞う。近隣国との緊張を高めナショナリズムを喚起する背景には占領中に米国に押し付けられたという憲法を否定し、自主憲法を制定する狙いがあるためだ。自主憲法の草案は2012年4月に発表され、そこには驚くべき内容が書かれている。国民の権利や自由を守るため、国家や為政者を縛るための現行憲法は、国民を縛るための国家や為政者のための憲法に主客転倒している。分かりやすくいえば、国家の為、国民は生命を含め、すべて捧げ尽くすことを求めるのが自民党憲法改正草案だ。2012年の衆議院選挙で改憲勢力の自民党、維新の会、みんなの党の3党で改憲の発議に必要な3分の2の議席数を確保した。マスコミ調査で憲法改正に賛成するとの回答は反対を上回ってはいるが、戦争放棄を謳った9条の改正は反対が上回った。

そこで改憲したのと同じ効果が得られる解釈改憲に踏み切った。ここを突破する第一弾として「憲法の番人」である内閣法制局の長官に集団的自衛権の行使容認に前向きな小松一郎駐仏大使を就任させた。氏の就任は異例中の異例で、歴代内閣が踏襲してきた「集団的自衛権の行使は許されない」とする解釈を覆してしまった。

国会論議を経ないで閣議決定だけで憲法の読み方を変えてよいとする首相の考えは、行政府である国会の存在を無視するのに等しい。憲法が定めた三権分立の原則に反している。

歴代の自民党政権の憲法解釈を否定し、独自のトンデモ解釈を閣議決定する行為は立憲主義の否定であり、法治国家の放棄宣言に等しい。

異例づくし異常づくしで、議論の時を与えず突き進む。不意打ちを食らい何が起こってしまったのかも解らない。衆参700人もの議員がいながら止める手筈もない。これをクーデターといわずしてなんと言おう。無知蒙昧がゆえに権力を握れば何でもやってしまう。年末の選挙で再び安定多数を許した国民は、まだ事の重大さに気づいていない。なぜなら就任から1年、2年と経過しても50%という高い内閣支持率を維持している。支持率が首相の強気を支え、「国民に支持されたのだから思いどうりやってどこが悪い」という姿勢を貫く。総理大臣というオモチャを与えられた子供に等しい。

閣議決定後の会見で首相は絵を使って集団的自衛権を説明した。国民はそれを「もっともだ」と思っただろうか。首相が目指すものは米艦隊を守ったり、国民の命を守ることではなく、徴兵制を備えた軍隊だ。集団的自衛権は戦争の口実にすぎず、それを糊塗する用語だ。米国の実質的支配下にある日本へ攻撃を仕掛ける国などありえない、もしあったとして、今までどうり個別的自衛権で対処できる。安倍首相は中国の脅威を煽り、自衛隊の装備・人員・予算を2年連続で増やした。一方、年間30〜40回あった中国からの要人往来・会談は第二次安倍政権以降ゼロのままだ。

2013年、秋の臨時国会で特定秘密保護法が成立し、同時に日本版NSC(国家安全保障会議)が設立された。首相、外務相、防衛相、官房長官の4人がメンバーとなって外交や防衛問題を審議する機関だ。「首相を中心にして外交・安全保障の課題について、戦略的観点から日常的に議論する場を設立し、政治の強力なリーダーシップにより迅速に対応できる環境を整備する」と、もっともらしく意義を謳う。問題は議論の前提となる情報が、米国頼みであることだ。米国が常に正しいならそれで構わないが、検証できない地域の情報を渡された時、嘘を見破ることができない。日本政府はスパイと呼ばれる特殊工作員を一人も持っておらず、情報を収集する在外公館が十分な活動をしているとは言い難い。イラク戦争では「フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っている」との誤った情報で米国を支持した。日本版NSCの会議は非公開で議事録は作成しないため、どのような情報をもとにどのような議論を行ったか検証する術がない。国民はもちろん国会議員さえ見えないところで、しかも少人数で重要政策が決定される恐れがある。ここに集団的自衛権の行使が浮上すれば、どうなるかは明らかだ。

安倍政権は武器輸出三原則を見直し、防衛装備移転三原則として全面解禁した。「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」といって憲法解釈まで変えようという政権が、武器を海外に輸出して安全保障環境を一層悪化させようというのだから、まるで漫画である。

昔の自民党、従来の政治家に比べ質が劣化し、情けないほど幼稚だ。国民は衆参共に過半数を越える議席と高い内閣支持率を与え、それを背景に何ごとも「力づく」で推し進める。評論家はわかったふうに「不甲斐ない野党」と口をそろえる。不甲斐がなくとも与党の傍若無人を許せば自らの首を絞めることになる。「なんでこんなことになってしまったのだ」。この背景には「ジャパン・ハンドラー」という米国の影がある。日本を従わせることを職務とする人とそれに協力する日本人がいて、有名なのはアーミテージ元国務副長官だ。彼は2000年、2007年、2012年と3回にわたって「日本が集団的自衛権行使を禁止していることが、米英関係のような正常な同盟関係の障害になっている」と主張している。安倍首相は「米国から押し付けられたみっともない憲法」と酷評しつつも、米国の要請に従うという漫画のような政治を演じている。

このまま頓挫なく進めば、自衛隊が海外の戦争に参戦するのは明らかだ。自衛官が海外で戦死するようなことになれば、自衛隊制服組の発言力は格段に高まる。海外での戦死は防衛という意義を見いだせず、そこに名誉や地位や報酬が伴ってこそ引き換えとなる。実際、陸上自衛隊初のイラク派遣は、危険な活動が制服組の力を強めることを実証してみせた。制服組の発言力が増せば、戦前のように軍人が大手を振って闊歩するような国に戻るかも知れない。体を鍛え、武器を握り、より強くより良い武器を持つものが優位に立つ。力を蓄えた制服組は逆シビリアンコントロールを行使し政治までも動かし始める。スポーツのような感覚でやってもらっては困るが、スポーツもまた武力行使に似た精神構造を産みだすように思う。リベンジ、サムライ、アウェー、宿敵などの戦争用語とスポーツの境界がなくなってしまった。弱者へのいたわりを欠き、敵や気に入らぬ者は「叩き潰せ」などの短絡的言動はスポーツの負の一面ではないか。「シナと戦争して勝つこと」が野望だと繰り返し発言する人物が居る。野球やサッカーの監督ではなく、元東京都知事だ。驚くべきはこれに同調、喝采する人々が居ることだ。話し合う前に力でねじ伏せようという人々と、政治家の思惑が一致すれば容易に戦争へと突き進む。いままでの政治家は9条を盾に自衛隊を抑制してきた。また9条を盾に米国の要求を牽制し国の利益を温存した。

自衛隊が暴走せず、むしろ自重しているように見えるのは、歴代の自民党政権が自衛隊の活動に憲法9条のタガをはめてきたからである。その結果、国内外の活動は「人助け」、「国づくり」に限定され、高評価を積み上げてきた。政府見解が変われば、自衛隊も変わる。冷戦後、国内外の活動を通じて力を蓄えた自衛隊を活かすも殺すも政治次第である。

はたして政治次第だろうか、私たちはその政治家を選ぶ権利を付与されているではないか。しかし、国民の半分は興味を失い投票さえ行かない。投票へ行っても半分以上は自らの意志を失し、集団の意思に追随する。中には付き合いや、なんとなく良さそうで投票し、結果、政権の横暴を許す。政治家の質は間違いなく劣化しているが、それ以上に国民の劣化も著しい。

 

高血圧はほっとくのが一番 松本光正

まるで血圧が健康の指標でもあるかのように語られる。まず血圧、どこでも血圧、測るたびに一喜一憂し健康という未踏の地を目指す。家庭用の血圧計だけで市場規模が250億円を超え、降圧剤は4000億円、梗塞治療剤、血栓溶解剤、末梢血管拡張剤、心不全治療剤、狭心症治療剤を含む循環器官用剤の市場予測はまもなく1兆5000億円規模に達する。 1980年代後半230万人ほどだった高血圧症がいまでは5500万人に増えた。20倍以上の増加で、成人の4人に1人(27.5%)が降圧剤を飲んでいる。危機を煽り、基準値を下げることで昨日まで何事もなかった人を病人に仕立て上げた成果だ。著者の定義によれば「高血圧症とは降圧剤を多く飲ませるための詐欺商法」だという。血圧心配症から解放され真の健康を取り戻すのは簡単だ。

この世には、たくさんの健康法がある。どれも毎日の食事に気をつけたり、運動を心がけたり、かなり面倒だ。しかし、私の説く高血圧に対する健康法は、じつに簡単である。放っておく。たった、これだけである。

「医師にかからないのは中くらいの医師にかかったと同じくらい良いことだ」という諺がある。医師が中くらいでも、かからないほうが良いとも読める。放っておくことの拠り所は、医療の侵襲性を排除し、自然治癒力を温存するところにある。

高血圧というのは病気ではなく、病気になるかも知れないという多くの要因のうちの一つにすぎない。「血圧が高いと脳卒中や心臓病を起こしやすいので、こまめに血圧を測り、出来るだけ下げるほうが良い」。この通説に疑問を投げかける研究が数多く発表されたにも関わらず、基準値はどんどん下げられてきた。人々は専門家から繰り返し受ける脅しですっかりその気になり、塩分を減らした味気ない食事の後、欠かさず薬を飲み運動をし健康を気遣う。中くらいより以下の医師は通説を疑わず、脅しに加担する。製薬会社を頂点とするヒエラルキー上層部の医師や学者が下層へ発信するものが基準値と治療ガイドラインだ。最近、癒着が明るみにでたノバルティスファーマ社は、京都府立医大、東京慈恵会医大、千葉大、滋賀医大、名古屋大と共にデータを改竄し降圧剤の許可を得ていた。問題の降圧剤・デイオバンは、2000年に発売され2010年には日本で約1083億円も売り上げ、あらゆる医薬品の中でトップを占める。データの不正が発覚した後も引き続き使われているが、ノバルティス社は「問題となっている臨床研究は、薬の承認後に実施されており、降圧剤としての有効性、安全性は確認されている」とコメントしている。

その有効性、安全性はいかほどのものであろうか。デイオバンが注目を集めるようになったのは京都府立医大の教授が2009年に発表した論文だった。「血圧を下げるだけでなく、脳卒中や狭心症のリスクも小さくする」として飛ぶように売れ始めた。最も安い降圧剤で年間3500円くらいだが、ディオバンは81650円と20倍以上もの価格だ。売上額1000億円のうち300〜400億円が論文による効果だと言われている。しかし、海外の評価は冷ややかだった。2009年の欧州心臓病学会で、データに信憑性が乏しく、論文はヨーロッパの医学界で黙殺された。そして2012年末、日本循環器学会誌が、数多くの解析ミスが発覚したとして掲載論文の撤回を発表し。2013年2月には、欧州心臓病学会誌も、致命的な問題があるとして論文を撤回する異例の事態となった。これはデイオバンに限らない、氷山の一角だ。

アメリカにも日本と同様、高血圧のガイドラインを決める委員会がある。そこの研究者たちは、製薬会社から講演料、助成金、株などを受けとり、議論をゆがめるため、医療ジャーナリストから「高血圧マフィア」と呼ばれている。いうまでもなく、日本にも同じたぐいの人たちがいる。私は彼らを御用学者と呼んでいるが、「高血圧マフィア」は、それよりももっと辛辣な呼び名である。

日本の血圧基準値は130だが、アメリカではすでに120まで下げられている。やがて日本にもその日が来るであろう。恣意的に患者を増やすことで利益を貪り、限界が見えてくると新たな手を考える。アメリカでは3歳以上の子供に血圧検査をすべきという意見まで出された事がある。

高血圧は脳卒中を引き起こすといわれるが、脳卒中には血管が詰まる「脳梗塞」、血管が破れる「脳溢血」、血管の瘤が破れ、くも膜下に出血する「くも膜下出血」がある。発症率は脳梗塞84%、脳溢血13%、くも膜下出血3%で、最も多い脳梗塞は高血圧ではなく血圧が低いときに起こる疾患だ。脳の血管が詰まりかけたとき、体は血圧を上げ血流を良くし血の塊を押し流そうする。脳梗塞だから血圧を上げ治そうとするのであって、高血圧だから脳梗塞になるのではない。「降圧剤を飲んでいる人は、飲んでいない人に比べ脳梗塞の発症率が2倍になる」という研究がある。薬で血圧を下げるのは命取りで、脳梗塞は医師が引き起こすと言えなくもない。戦前、戦後しばらくは脳溢血の割合が高く、血圧を下げることは意味があった。やがて栄養状態が良くなり、脳梗塞が増え逆転するが、対策だけは戦前のままという事だ。

血圧が下がると、末梢まで血液が回らなくなることは容易に想像できる。血液を介して栄養や酸素が不足することで、細胞や免疫の機能が低下する。死亡原因1位の「がん」も降圧剤が一因と考えられ、脳への血流が減少することで認知症や眩暈、記憶障害などを引き起こす。基準を下げ必要もない降圧剤を与え、それによって引き起こされた病気に抗がん剤、認知症薬などの薬を重ねて与える。多くの医師は薬を増やすことはあっても「やめる・減らす」という発想に欠け、自分で火を付け、さらに油を注ぐような行動をとってしまう。

1960年代頃まで、血圧の基準値は、年齢プラス90。私の学んだ医学部の教科書にもそう書いてあった。これに従うと、60歳で150、70歳で160、80歳で170ということになる。血圧が加齢とともに上がるのは、医学の常識である。それなのに、20代以上はすべて「成人」でひとくくりにし、20代でも80代でも同じ基準で判定するのは、常識外れもはなはだしい。

常識外れと言われても、薬を売るためには人の健康など知ったことじゃない。歳をとると血管も柔軟性や弾力性を失い劣化する。そこで血管にコレステロールや中性脂肪を付着させ、破れないように補強した結果が動脈硬化だ。細くなった血管の隅々まで血液を送り届けるため、心臓は血圧を上げるわけで、好ましいことだ。血圧が低くなると、体がだるい、疲れてすぐに横になる、めまい、頭痛、肩こり、耳鳴り、不眠、胃もたれ、吐き気、ときにうつ病や自律神経失調症などの症状が見られる。真面目に降圧剤を飲んでいる人なら、薬をやめることで改善する。血圧は「年齢+90」と考え、高齢者は160〜180でも大丈夫である。ただし「上が200を超え、心臓に持病があれば薬の服用は否定しない」と著者はいう。血圧やコレステロールが高い、体重が重い、物忘れなど、大した事のない状態を危険の前触れかのように煽り、高血圧症、高コレステロール症、生活習慣病、認知症などの病気にしてしまう。このあとに来るものは運動や食事などの養生ではなく、薬を押し売りする詐欺商法だ。

  1. 下げられる一方の基準値が、まったくデタラメ
  2. 血圧が加齢や体調によって高くなるのは、理にかなった体の反応
  3. それを無理やり下げるから、脳梗塞やガンなどの重大疾患が起きやすくなる

要点はこの3つで、血圧が違うのは、背が高い、体重が重い、顔つきが違う、足が速い..など人が持つ個性の一つである。ネギでも切るかのように背丈を揃えようとすることが間違いだ。予防というアテなき根拠で血圧など測らぬほうが良いし、血圧計など捨ててしまえと著者はいう。

高血圧と同時に語られる高コレステロールも似たようなものだ。「抗コレステロール薬の売り上げは年間3000億円で約1000万人が飲んでいる」といえば、ほぼ背景が理解できるだろう。コレステロール値は、動脈硬化学会、栄養学会、人間ドック学会でそれぞれ基準値が異なり、各学会の事情に憶測をたくましくする。もっとも利用されている正常値は150〜199、境界値は220〜219で、220以上を異常値とする。しかし、コレステロールと狭心症や心筋梗塞の関係を調べるため、5万人を対象に、6年間行われた「日本資質介入試験」では、男女ともコレステロール値が240〜260のグループが最も死亡率が低かった。コレステロール値が低いほどガンによる死亡が増え、160未満のグループでは280以上のグループの5倍にもなる。コレステロール値が下がると、免疫細胞の働きが弱くなり、ガンなどの異常をいち早く察知し、正常化できない。コレステロール値は300でも350でも、いくら高くても構わないが、高いほうが良いというのではなく、高いコレステロール値を薬で無理に下げてはならない。降圧剤、抗コレステロール薬は、ほとんど不要な薬ではあるが、飲むことで、副作用はきちんと発揮される。以下、添付文書の副作用の記述だが、服用中の方は思い当たる症状などないだろうか。

主な副作用として、発疹、かゆみ、胃不快感、胸やけ、腹痛、吐き気、便秘、下痢、食欲不振、腹部膨満感、筋肉痛、めまい、頭痛、倦怠感などが報告されています。このような症状に気づいたら、担当の医師または薬剤師に相談してください。

まれに下記のような症状があらわれ、副作用の初期症状である可能性があります。このような場合には、使用をやめて、すぐに医師の診療を受けてください。筋肉痛、脱力感、赤褐色尿、横紋筋融解症、ミオパシー、全身倦怠感、食欲不振、皮膚や白目が黄色くなる、肝機能障害、関節痛、発熱、呼吸困難、過敏症状、以上の副作用はすべてを記載したものではありません。上記以外でも気になる症状が出た場合は、医師または薬剤師に相談してください。

「医師または薬剤師に相談してください」と書かれているが、中くらい以下の医師・薬剤師に相談するくらいなら、しないほうが良い。

コレステロールの基準値に男女差はない。そのため日本では、7対3の割合で、女性に多くコレステロール低下薬が処方されている。欧米では、女性に対してコレステロール低下薬は処方されない。脳卒中や心臓疾患などになる確率よりも、薬の副作用により肝疾患やガンになる可能性のほうがずっと高いからである。

基準値は同じだが、一般に男性より女性のコレステロール値が高い。女性ホルモンの生成にはコレステロールが必要なため、下げると健康を脅かす。医療機関のみならずメタボ、アンチエイジング、デトックス..と横文字をならべ、あたかも効く薬や食品、健康法があるかのように喧伝する。メディアの最たる落とし穴で、視聴率や売り上げ部数より健康が優先されることはない。これらの健康情報をひとつひとつ吟味していると日が暮れてしまうので、結論をいえば、画期的なものなど何ひとつない。病名自体が製薬会社の営業戦略として造語されたもので、これらの病名を医師に告げられることこそ最大のストレスとなり健康を害する。「放っておく」、「骨休め」に勝る健康法はない。

 

 

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