【読書録(18)】-2021-


リニア中央新幹線をめぐって
大丈夫か、新型ワクチン
新型コロナワクチン 副作用が出る人、出ない人
ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました
政治と報道
在宅ひとり死のススメ
新型コロナとワクチンのひみつ
健康禍
地球温暖化説はSF小説だった
税のタブー
福島事故と東京オリンピック
東京ブラックホール

リニア中央新幹線をめぐって 山本義隆

2022年秋、九州新幹線・長崎ルートの開業が予定されている。新幹線と在来線を自由に行来できるフリーゲージトレインを運行させるという約束で強引に着工した。列車の開発は進まず2018年、与党検討委員会はフリーゲージトレインの導入を正式に断念した。これまでに総額500億円の税金を注ぎ込んだ末の幕切れだ。武雄温泉駅と新鳥栖駅間に在来線があるため苦肉の策として計画されたのがフリーゲージトレインだ。頓挫したいま、その区間をミニ新幹線で走らせるか、いっそうのことフル規格で繋ぐかの議論が始まった。強引に推し進めた計画は反対派の懸念を証明する結果となった。

武雄温泉と新鳥栖は50.4Km、在来線特急で43分・武雄温泉と長崎は66Km、新幹線で30分、計116.4Km〜73分かかる。新鳥栖と長崎はすでに在来線が走っており、122.4Km〜94分かかる。その差、21分のために総工費6200億円を費やし、頓挫した挙句にフル規格が実現すれば、「転んでもタダでは起きぬ」ということだ。21分の節約などひと電車早めるほどの効果もなく、途切れ途切れで敷いた新幹線など高速鉄道とは言えない。時間短縮、経済効果、地域浮揚等のスローガンは工事のため唱える苦しい理由なのだ。

利権集団の推進する巨大プロジェクトのごときものは、往々にして地域住民への十分な説明も与えられることなく、自然環境と地域共同体の破壊をもたらすものであり、これらの弊害にたいしてこそ、科学技術ジャーナリズムには批判が求められているのではないでしょうか。

新幹線よりさらに早いリニア中央新幹線は東京-名古屋を40分、東京-大阪を67分で結ぶ。2027年の開業予定だったが、静岡県知事が工事を認めず膠着状態が続いている。リニア新幹線はトンネルが多く、とくに25Kmに及ぶ南アルプストンネルの難工事を強行した際の水の流出が心配される。南アルプスから大井川に注ぐ水源は飲料はじめ農業、工場、住民の生活に欠かせないものだ。現在の新幹線は東京-新大阪を最速2時間22分で結ぶ、これでも十分早いのに莫大な費用をかけ半分の時間にする意味があるのか。

鉄道網全体のなかに占めるリニアの特異性について触れておきます。それは他の鉄道路線との親和性がなく、そのため鉄道路線としての発展性を欠いているということです。

まず品川-名古屋が開通し、それから18年間の工事を経て大阪まで繋ぐ。その18年間は名古屋で在来新幹線に乗り換えて大阪までいくことになる。2時間22分かかっても、殆どの客は東京-新大阪、乗り換えなしの在来新幹線を選ぶだろう。リニア新幹線は好奇な乗り物としての話題性だけで、1回は乗るかもしれないが2度、3度の利用は期待できず、赤字は必至だ。九州新幹線・長崎ルートを重ねて見ると、武雄・新鳥栖で2回も乗り換えるより、乗り換えなしで行ける博多-長崎の在来線特急を利用するだろう。それが明らかだから、在来線は切り捨て高額な運賃の新幹線へと誘導する。

リニア列車を時速500Kmで走らせるには、線路と車両の摩擦を避けるため強力な磁力で浮上させる。そのための電力と高速で走るための電力が新幹線の4〜5倍、原発1基分もの電力を消費する。福島原発の事故以前は原発の増設とセットで計画されていた。

レールがコイルを巻いた電磁石であるため通常のレールへ乗り入れることができず、東京-名古屋-大阪を結ぶ特定区間だけの第三の鉄道といえよう。鉄道網から疎外され国内での発展性もない、特定区間を早く走るのみ。高速鉄道が経済活動にいかにも便利で多大な貢献を果たすかの話ばかりだが、実際はリニアのみならず新幹線についても早いばかりで他の効果は怪しい。新幹線が開通していない頃、東京-大阪は6時間半かかった。日帰りすると2時間ほどしか仕事の時間がとれない、当時は1泊するのが普通で飲食業や宿泊業が潤う。新幹線の開通で一泊せずとも最大11時間の滞在が可能になると、東京・名古屋・大阪という核都市から東京一極へと人と経済が移動した。短時間の移動で東京都名古屋区や大阪区になり、本社機能も続々と東京へ集中していった。

全国に広がる新幹線網によって、地域格差が解消され、経済的・社会的・文化的水準が一様に向上するという、まことにありがたい御宣託でした。こうして各地に新幹線幻想が生まれ、新幹線待望論が自治体や政治家のあいだから語られるようになったのです。

大都市間はもちろん中間に停車駅のある自治体も新幹線開通を待望し、70年代に山陽新幹線、80年代に東北・上越新幹線、90年代に長野新幹線が開通し、北陸新幹線へと続いた。当初は交通が便利になれば、不便だった地域は発展するだろうと期待されたが、2つの地域を結べば、人の流れは人口が多く経済の発展した地域へと向かう。「ストロー効果」と呼ばれ、現在では周知の事実だ。ストロー効果は各々の駅から起こり、地域発展の期待は予想外の結果を招いている。

長野や金沢、冨山は、まちの消費の中心が新幹線駅にシフトしています。そして駅一帯には、域外の企業が多数、進出しており、消費で落ちたお金が、域外へ流出する可能性も高くなります。

大手企業が牛耳った駅ビル、駅中の売店は賑わい、客が増えることを祈った地元の商店街は廃れる。来年開業予定の九州新幹線・長崎ルートは武雄温泉、嬉野温泉という2つの駅を抱えるが、今年8月、JR九州は駅から車で5分の場所に温泉リゾート施設の開業を発表した。地元の旅館やホテルの人々にとっては晴天の霹靂、寝耳に水の話であろう。食物連鎖の頂点に立つ大企業は、こうして美食を喰い尽くしていく。観光客が増えても、買い物の対象となる商品を扱っていない店や地域住民は生活空間をかき乱されたうえ、様々なコストが上昇し、弊害の方が大きい。同じことがリニア新幹線でも再現されるだろう。リニア新幹線は先に述べた大井川水源の他にも多くの問題を抱えている。

品川-名古屋、285Kmの86%にあたる250Kmがトンネルだ。南アルプスの大自然の直下深くトンネルを掘り進め、時速500Kmの超高速鉄道を通すことが環境を破壊することなく技術的、経済的に可能であろうか。掘って出た膨大な量の残土で谷を埋めたり盛り土にする案が検討されているが、豪雨に遭えば崩壊し土石流の危険性がある。静かな山村や農村地帯をおびただしい数のダンプカーが往来し、排気ガスで大気は汚染され地域の景観を壊し生態系への影響も計り知れない。

2020年10月、東京・調布市の住宅街で突如陥没事故が起こった。地下約40mの深さで東京外郭環状道路のトンネル工事が行われ、地下に空洞が出来ての事故だ。家屋などの物的被害が58軒、騒音・振動などの被害が102軒にのぼり、「もうここには住めない」という住民の声も聞かれた。2000年に議員立法として成立した「大深度地下の公的使用に関する特別措置法」(通称:大深度法)により、40m以深の地下、基準杭の支持地盤上面から10m以深の地下を地上の地権者の許可なく利用できるというものだ。この法案成立のため中心になって動いたのが自民党元参議院議員・野沢太三で、旧国鉄の本社施設局長の職にあった。彼は著書で、「私が提案した大深度地下、地下40m以上のところを通ることができれば、補償をせず用地代を払わずに通過することができる」と書いている。野沢は自民党の「中央リニアエクスプレス建設議員連盟」の事務局長を務めており、この法律の眼目がリニアにあったことは明らかだ。

リニア新幹線のトンネルは山岳地帯で深さ1000mを超え、きわめて長い。直下には中央構造線と糸魚川・静岡構造線の大きな活断層帯が走り、造山活動も激しく工事としても未経験の分野だ。何事もなく開通したと仮定しても不安と危険は付きまとう。

南アルプストンネルの唯一の脱出口は「二軒小屋」地区にありますが(中略)「二軒小屋の周辺は標高1390m、地下7〜800mほどをリニアが通るとしても、直径30mの竪坑長さは500m以上で、これが緊急時には避難路となる」とあります。

原子力発電と同じく、事故など想定せず安全神話で突き進む。活断層でトンネルが切れる、地震で全線ストップ、陥没、異常出水、火災、停電などの事故の際、高齢者や幼児も含め数百から千人近い乗客が脱出口に殺到するであろう。人々をたった2人の乗務員で安全に誘導できるのか。脱出口まで水平距離で2Km、高低差約300mの坑道を人力で登攀することになる。疲労困憊してトンネルから脱出したところは無人の山中で冬は積雪、寒風のなかで生命の危険にさらされる。

膨大な電力を要する設備・車両についても危険が潜む。リニア列車は電磁石の反発で車体を浮かせ摩擦を解消し、S/Nの反発力と引力で進む。強い磁力を発生させるため車体側は超電導コイルを用いる。地上コイルは定電動コイルだが継続的に電気を流し続ける。この電力と車体の超電導を維持するため、液体ヘリウムの冷却に多くの電力を要する。極低温の液体ヘリウムは、漏れたり温度が上がり超電導を保てない事故も起こる。このことをクエンチ(quench・消滅)といい、これが起こるとリニアの運転はできない。クエンチ事故をゼロにはできず、起こることを想定した対策が必要だが、まだ未解決である。また浮上するまで走るためのゴムタイヤのパンクや摩擦での発火が懸念される。車内での照明や空調の電気を灯油で車内発電するため火災の危険があり、実験線で実際に発生している。また常時、強力な電磁波を浴び続ける乗客の健康問題なども山積している。

リニアは高速性を過度に重視するために走行の安定性・安全性を犠牲にしているのです。この点においてリニアは従来の新幹線と比べて進歩しているどころか後退しているのです。少なくとも公共の交通機関としては誤った方向を向いています。

問題おおあり、経済効果も利便性も希薄で破滅に向かうプロジェクトをなぜ決定・着工したのか。膨大な予算は通常の金融の常識では融資の対象にもならない。以下は「日経ビジネス」の記事の見出しだ。

安倍「お友達融資」3兆円 第三の森加計問題
森友学園、加計学園の比ではない3兆円融資。
その破格の融資スキームが発表される前、安倍と葛西は頻繁に会合を重ねていた。

もともとリニア計画はJR東海の自己負担を前提に国が認可したもので、民間の事業だったからこそ政治の介入を極力回避し、開業時期やルートを自由に決めることができた。民間会社の単独プロジェクトに政府が保証したり、補助金を出し続けることはありえない。しかし、2011年の認可から5年後、財政投融資の投入が決定された。毎日新聞は2016年7月25日の社説で「リニア新幹線 公費の投入は話が違う」と題して国の資金支援は明らかな約束違反だと書いているが、約束違反では済まない、反則であり不正だ。

JR東海の葛西は1994〜2018年まで、安倍以外の10人の首相との面会が計17回、ところが安倍首相とは第一次内閣で7回、第二次内閣で45回、年平均で8回と突出している。行政府の長と地域独占企業のトップとの関係を超えた緊密なものだ。安倍がJR東海のリニア計画への財政支援を表明した2016年6月1日までの半年間は6回も会談している。日経ビジネスの記事は、「3兆円という破格の融資は官や民間の判断能力をはるかに超え、返済されなければ公的処理をせざるを得なくなるため、政治判断なくして実行できない」という。この決定には行政監視の権限を有する国会の関与もなく、政府はリニア中央線計画について閣議決定や閣議了解もしていない。安倍首相ひとりの政治判断でなされ、きちんとした議論も審査もなく「安倍案件」として処理された。森友・加計に比すべくもない底なしの闇だ。

 

大丈夫か、新型ワクチン 岡田正彦

「私は、いわゆる反ワクチン主義者ではありません」との断りを入れて、話は始まる。著者は新潟大学医学部名誉教授で、新型コロナウイルスの検査として知られる「PCR法」により、遺伝子の一種「メッセンジャーRNA(mRNA)」の様々な分析を行ってきた。また「脂質微粒子」の解析に精通し、LDLコレステロールの検査法を世界で最初に開発・特許も取得している。mRNAと脂質微粒子はいずれも新型コロナワクチンの根本原理となっており著者の専門のど真ん中だ。

mRNAの人工遺伝子を医薬品として本格的にヒトの体内に注射するのは人類にとって初めてのことで、副作用が少しでもあればリスクの低い感染症には使うべきではない。

そこで安全に接種できるかどうかを判断するため、ファイザー社とモデルナ社のワクチンの基本技術を開発した2人の研究者、ワイズマンとカリコの両氏が発表した共著論文32編をすべて読んでみました。その結果、現段階では、とても安心してお勧めできる代物ではないという結論に至りました。

新型コロナワクチンは接種後に、高い頻度で高熱、頭痛、筋肉痛、強い倦怠感などが起こり、まれにアナフィラキシーショックで呼吸困難や血圧低下を起こし死に至ることがある。他にも血小板減少症、心筋炎、心筋梗塞、腎臓病などの副作用が論文として多数報告されている。アストラゼネカ社のワクチンはmRNAのかわりにDNAを用い、ヒトのDNAに新型コロナウイルスの遺伝子が組み込まれ将来的にがんを引き起こす懸念がある。建物でいえば突貫工事で製品化され、安全性はほとんど検証されていない。

新型コロナウイルスは表面にスパイク蛋白という無数のトゲを持ち、これがヒトの細胞表面の「ACE2」という部位に付着して侵入する。このスパイク蛋白のもととなるmRNAを人工的に合成し、脂質微粒子の人工膜で包んだものがファイザーとモデルナ社のワクチンだ。脂質微粒子はいままでワクチンに使われたことのないポリエチレングリコールでコーティングされ、これがアナフィラキシーショックの原因物質である。

ワクチン注射でmRNAを包んだ脂質微粒子が体内に入ると、ウイルスと同じスパイク蛋白質が作られ、これを異物と認識した免疫細胞が反応し抗体を産生する。この抗体が新型コロナウイルスに感染したとき効果を発揮する。自然のmRNAは蛋白質を一回作ると役目が終わり、数分から10時間ほどで分解されるが、ワクチンでは十分な抗体を産生させるため簡単に分解しないように改造されている。mRNAの構造の一部を改造することで、分解されずスパイク蛋白質を作り続け、それに対する免疫反応も続く。免疫反応が続けば自分自身の細胞を攻撃する自己免疫病を引き起こすことがある。噂で、数年で死亡するとか、がんを引き起こすなどと飛び交うが、正しくはまだ分かっていない。

アストラゼネカ社のワクチンはDNAが使われ、スパイク蛋白の遺伝子をウイルスの遺伝子に組み込んで注射する方法がとられる。組み込むのはチンパンジー由来の風邪ウイルスで、ヒトの体内に入っても増殖しない安全なものだ。不安なのは情報公開がほとんどされておらず、組み込まれたDNAが細胞内の「核」にまで侵入し、コロナのスパイク蛋白の遺伝子をヒトのDNAに組み込んでしまう可能性がある。組み込まれたDNAにより、長期的な健康障害が起こったり、組み込む位置の制御ができずがん化を促進する恐れがあるため、安全性の確認には10年くらいの期間が必要だ。

米国で、ファイザー社かモデルナ社のワクチン接種を受けたあと高熱を出して入院した人に対し、PET-CTという画像検査で全身を調べたという論文が発表されています。脾臓のほかに「腋窩リンパ節」にも激しい炎症が起こっている様子が、生々しい写真とともに紹介されていて、かなりショッキングなレポートです。

動物実験では、筋肉注射されたmRNAのほぼすべてが脾臓と網状赤血球に集まっていた。脾臓は免疫機能によって破壊された細胞や微生物の残骸を血中から取り除く役割を果たす。ここに新型ワクチンのmRNAが集まると、異物処理のため脾臓で激しい炎症反応が起こる。3割くらいの人が、接種を受けた日の夜から1週間、時には数週間も高熱や関節痛、頭痛、下痢、激しい倦怠感などの症状に悩まされる。テレビに出る医師は「想定された症状であり、体が守られている感じがする」というが、とんでもない。免疫システムに大きな障害が起きているかも知れない。

さらに新型コロナウイルスワクチンは、副作用として致命的な自己免疫病を実際に起こすことが、明らかになってきました。まず、深刻な症状を引き起こしているのが「免疫性血小板減少症」です。血小板は、細胞の抜け殻のような物質で、出血を止めるために必須のものです。その血小板が破壊されて起こるのが、この病気です。

ヒトの体内ではちょっとした刺激で大小の出血が起こっているが、血小板が破壊されると、出血が止まらなくなり、皮膚の点状出血、広範な皮下出血、鼻血、歯茎の出血、不正性器出血、脳出血などを起こし、死亡例もある。

心臓の筋肉でも自己免疫が起こることがわかってきました。国民の多くがワクチン接種を受けたイスラエルから、詳細な報告がありました。3週間で6名が入院しましたが、年齢は16〜45歳で、うち5名は2回目の接種が終わって24〜72時間で発症、あとの1名は1回目の接種後16日も経ってからでした。

心筋炎は最初、胸痛や胸苦しさを感じ、体内では心外膜炎の徴候を示す激しい炎症が起こり、心電図は心筋梗塞に似た波形になる。メディアの報道ではこの後、同じ症状を呈した患者が148人になった。

私の周辺でも気になることが起こっています。第1回目の接種から1〜2週間して、皮膚の激しい炎症症状を示す人が少なからずいるのです。同じことが起こっていないか調べたところ、ファイザー社やモデルナ社のワクチン接種後、激しい皮膚の湿疹を呈した414名についての詳細な報告が米国でありました。

接種してから5日以上が経過した後、注射した部位と異なるところに皮膚症状が現れ、症状も様々、メディアで言われれる「想定された副反応」とは明らかに違う。皮膚症状については原因も症状も頻度も多彩なため、すべてワクチンが原因と断定はできないが、接種後に特異な症状が出たり、理由もなく容体が悪化するのはワクチンを疑わざるを得ない。詳細はまだわかっていないが、ワクチンによって再合成されたスパイク蛋白が、体の細胞や酵素の蛋白にある糖鎖を切断するためと考えられる。

ワクチン接種は任意、自己責任でおこなうもので、打ちたくない人は強制されない。しかし、対象者は若者、子供へと燎原の火のように広がりつつある。接種証明書の提示を求めたり、接種義務の法案化まで話は進む。ワクチン接種を受けない人への差別をやめようというキャンペーンもおこなわれ、微妙に接種を促しているようにも見える。ワクチン接種でできた中和抗体は2〜6か月で半減する。早々に接種を受けた人はすでに免疫の期限が切れている可能性が高い。集団免疫を獲得するためには短期間、一斉に接種をしなくてはならないが実現は困難だ。ワクチンの効果も疑わしく、2回接種した人たちにも多くの感染が見られる。そのうえ感染するとワクチン接種群が重症化する割合が高い。国や専門家は、「ワクチンが重症化を防ぐ」というが、その根拠となるデータを計算しなおすと、重症化した人は接種群で12.5%、非接種群で5.6%だ。「ワクチン接種のメリットがリスクを上回る」というフレーズは広告メッセージと同列のものだ。

 

新型コロナワクチン 副作用が出る人、出ない人 近藤 誠

5月連休明け、梅雨の気配を感じる頃、市から新型コロナウイルスの予防接種券が届いた。私は躊躇を重ね、いまだ接種していない。正しくは躊躇ではなく、もし稀なる副作用が宝クジのごとく当たればという不安がある。接種しても感染が免れるとは限らず、接種すればワクチンとコロナの二重のリスクに怯えることになる。「接種は済んだ」とマスクを外し、大胆に振舞う人も少なからずいる。空気感染にマスクの効果ナシともいうが、空気感染するなら飛沫感染もあるわけで、マスクを外すと飛沫感染からの防波堤を失う。いまやマスクは正装となり、着けていないと裸で外を歩くような不自然さを覚える。コロナに翻弄され2年目、ウイルスの輪郭は見えてきたが、ワクチンの情報は混迷しコロナ以上に得体が知れない。

ワクチンは、「みんなが打っているから、わたしも打とう」というような、あいまいな気持ちで、世間の風潮に流されて打つような代物ではありません。とくに新型コロナのワクチンは、これまでなかった製法によるので、効果はもちろん、副作用も未知だからです。

日本ではワクチンのすべてが「任意接種」とされ、副作用や後遺症が生じても「自己責任」とされてしまう。短期に認可されたため、長期の治験は目下実施中で副作用など不明のままだ。副作用を検討する審議会は、ワクチンの急死例について「因果関係が評価できない」として、国の予防接種健康被害救済制度で給付される一時金4420万円を支払わなかった。しかし、厚生労働省の審査会は8月19日、新型コロナワクチンの接種後にアナフィラキシーなどの健康被害を訴えた29人に対し、医療費や医療手当の補償を決定した。29人のうち28人が女性で、平均年齢は43才だった。 国が新型コロナワクチンの副作用の救済を認めるのは初めてになるが、ワクチン接種後に亡くなった約1000人は、「ワクチンとの因果関係は不明」とされたままだ。

通常の医薬品と同じくワクチンの臨床試験も3段階からなり、第1相試験は少数のボランティア候補へ投与、安全性の確認とウイルスに対する抗体が産出するかを見る。第2相試験でワクチンの接種量や接種計画を明確にする。第3相試験は比較試験ともいい、数千〜数万人のボランティアを2班に分け、一方にワクチン、他方にプラセボ(生理食塩水)を接種比較し有効性と安全性を試験する。新しいワクチンは通例、開発に着手して第三相試験が終わるまで5〜10年かかるところ、新型コロナワクチンは1年未満で承認されたものがある。拙速承認されたワクチンを実地接種することで有効性も安全性も「こんなはずではなかった」ケースが続出することが危惧される。

ファイザーは第3相試験の中間解析でワクチンの「有効率が9割超」と発表し、一週間後にはモデルナが「有効率94.5%」だったと発表し、2日後には負けじとファイザーが最終解析で「有効率95%」と発表した。有効率が95%と聞けばワクチンを打った人ほぼ全員に効果があると思うだろう。この数字の思い込みに国は便乗し、ワクチン接種を対策の柱として推進し、打てばマスク不要、飛行機も乗れる旅行も行けるかのような誤解を生み出した。

有効率95%は特異な計算によってワクチンが効くように見せるトリックだ。各群、22000人にワクチンとプラセボを2回づつ接種したところワクチン群のコロナ発症は8人、プラセボ群では162人だった。162-8=154、162人発症するところ154人が免れたので154÷162≒0.95としたものだ。わかりやすいように被験者100人にするとプラセボ群のコロナ発症者が1人弱で、ワクチン接種群ではほぼゼロとなる。これが有効率95%のカラクリだ。そのうえ治験ではワクチンを急ぐあまり2〜4か月しか見ていない。ワクチン接種で抗体ができても長期的には消失する可能性があり、変異スピードの早い新型コロナに対処するためには毎年打つ必要があるという。

欧米諸国や日本での(一般市民を対象とした)ワクチン実地接種では、ハイリスクグループである「高齢者」や「基礎疾患がある人」が優先接種を受けています。ところがこれらの属性を持つ人たちは、第3相試験から除外されているか、少ししか含まれていないのです。

ファイザーの第3相試験ではビア樽型の肥満、高血圧、糖尿病、慢性肺疾患、腎機能低下が試験の除外基準となっており、モデルナ、アストラゼネカも大同小異だ。年齢については75〜85歳は全被験者のわずか4%である。ワクチンを切実に必要とする基礎疾患のある人や高齢者への試験を実施すれば有効率は下がり、副作用が増えることを製薬会社は恐れたのだろう。

製薬会社の新薬認可の際のデータ捏造・改竄、副作用の隠蔽、医学部教授や医師への贈賄など様々な事件を思い起こすと不安は増幅する。新型コロナワクチンに限って性善説に目覚めたとは思えない。当初、若者や子供は後回しだったり接種対象とされなかったが、いまや子供への接種も検討されている。治療薬は病人に限られるが、ワクチンは万人が対象だ。

ファイザーが「ワクチンの有効率が9割超」との中間報告をして、株価が高騰したその日に、ファイザーの最高経営責任者(CEO)と副社長が自社株を売って、それぞれ590万ドル、190万ドルを手にしています。(CNN Busines 2020/11/11)

将来株価を低下させるであろう材料を察知したインサイダー取引ではないか。著者が調べてみると、ファイザーがFDAにワクチンを緊急承認してもらうため提出した文書があった。それには「2度の接種後、プラセボ群で61人、ワクチン群で311人を最終解析から除外した」との報告があり、その理由は明らかにされていない。除外数はワクチン群が圧倒的に多く、プラセボ群との差は250人になる。プラセボ群でのコロナ発症数162人を上回る数だ。250人はワクチン群でのコロナ発症数が疑われ、不都合なデータを隠蔽した可能性がある。過去の製薬会社のデータ不正事件を彷彿とさせるものだ。新型コロナワクチンに限って性善説に目覚めてはおらず旧態然たる体質は続く。国が主導するワクチン接種キャンペーンに水を差さぬよう、このような情報は広く開示されないのだ。

彼らが副反応と呼ぶ「副作用」や「死亡」はまれに報告があっても因果関係ナシで済ます。副作用についてワクチン先進国のアメリカの報告がある。アメリカでは2020年12月にワクチンの実地接種を始めてから、2021年5月3日までに2億4500万回の接種が実施され、副作用らしき症状や事態が生じた場合、医師でなくてもVAERSという組織へ報告することができる。

この間、ワクチン接種後に死亡したという報告が4178件ありました。しかし、政府機関である「疾病管理予防センター」(CDC)が死亡診断書、解剖報告書、医療記録などを精査したところ、ワクチンと死亡との因果関係が確認できたものは1件もなかったとのことです。

信じがたいことだが、ワクチン先進国だからこその実態かも知れない。しかし、この後、CDCでさえ認めざるを得なくなってくる。ワクチン死と思われる有名人に元大リーガーのハンク・アーロンさんがいた。米国の黒人たちには医療行為に関し、専門家や政府に対し根深い不信感があり、ワクチン接種も当初から黒人の接種率が低くなることが予想された。ワクチン接種キャンペーンのため黒人で偉大な本塁打王で黒人に絶大な人気のハンク・アーロンさんが広告塔となった。アーロンさんは接種後17日で急死、就寝中の突然死とされた。近親者らはアーロンさんは「ワクチン接種による副作用や体調不良はまったくなかった」と述べている。検死を担当した医師は「ワクチンとの関連性は認められない、自然死」と公表したが、具体的死因はあげていない。アーロンさんの死亡がワクチン接種の裏目に出たため、今度はアーロンさんが副作用死ではないとする「火消しキャンペーン」が始まった。

ワクチン接種後に死亡して解剖が行われた場合、心筋梗塞や脳卒中などの所見が発見されることがあります。その場合「自然死」とされやすいわけですが、理論的には、ワクチン接種の影響で心筋梗塞や脳卒中が生じた可能性が否定できません。

新型コロナ肺炎が重症化するのはサイトカインストームという免疫暴走が原因とされているがワクチンの接種後にも同じことが起こると考えられる。サイトカインストームであれば心筋梗塞や脳卒中などの具体的所見や痕跡は見られず、自然死と判断されやすい。

血小板減少性紫斑病は、「自己免疫疾患」の一種です。血小板を免疫システムが攻撃するようになり、その数を減らすのです。免疫システムが始動する原因は、わからないケースが多いのですが、先行する感染症やワクチンが原因となるケースもあります。

血小板減少症や血小板減少性紫斑病は従来のワクチンでも知られていたが、新型コロナワクチンで初めての血小板に関する副作用がある。血小板が減少すると出血しやすくなるが逆に血液が固まり血管に詰まる血栓症を引き起こす。理由は不明だが大部分は20〜50代までの比較的若い層や女性が多く、高齢者はいない。致死率が高く、全員がアストラゼネカのワクチンを接種している。米国の疾病管理予防センター(CDC)もようやくワクチンの副作用で「血栓症+血小板減少症」が生じることを認め始めた。認めても、「副作用はまれで、コロナの危険のほうが大きい」といいワクチンを接種を勧める。

厚生労働省は「副作用死の疑い事例」を定期的に発表し、日を増すごとに数も増え5月26日には計85人になった。4月9日までに報告された6人分を分析すると、すべて先行接種した医療従事者で小脳からの出血、クモ膜下出血、脳出血、急性心不全、溺死が原因とされた。溺死というのは湯船で溺れたもので、その原因は不明だ。医療従事者はほぼ強制された接種であり、中には接種をためらう人もいた。副作用死に対する明確な報告基準がないため、報告されない暗数もある。審議会の委員たちは自信ありげに、6人とも「ワクチンとの因果関係が評価できない」とした。

6人のうち4人が頭蓋内出血で亡くなっている。コロナ以前の脳出血とクモ膜下出血の合計死亡数は4万4507人で、普段こんなに死亡数が多いからワクチンとの因果関係はわからないとの主張であろう。

しかし、このように、出血性脳卒中の数だけを強調するのは詭弁です。なぜならば同じ期間、「国民の全死亡数」は138万人にも上ったからです。つまりワクチンを打たない自然な状態では、出血性脳卒中で亡くなる方は、国民全死亡の「3.2%」。ところがワクチンを打つと、亡くなった6人のうちの4人が出血性脳卒中。その頻度は、じつに自然死の20倍にもなります。このことから、「ワクチン接種後の出血性脳卒中は、ワクチンの副作用である」と断じることができます。

2009年に新型インフルエンザが流行したとき、急いで作ったワクチンを大勢に接種したところ急死例が相次いだ。担当医が副作用死の疑いとして131人を厚労省に報告した。ところが専門家からなる審議会では「接種後5分で心肺停止したケース」でさえ「因果関係あり」の認定をしなかった。今回のコロナワクチンも「死亡との因果関係がある」と審議会が認めることは99.9%ない。一般の人々は接種推進についても副作用についても専門家のことばをそのまま信じる。政府には御用学者しかおらず、テレビや新聞でもワクチン批判の声はほとんど聞かれない。ワクチン接種に警鐘を鳴らす専門家を焚書坑儒しているようにも思う。おかげでワクチン接種会場は長蛇の列だ。

事故が起こっても自己責任だ。ワクチンは打ったほうがいいのか、打たないほうがいいのかはワクチンの有効性・副作用・必要性を勘案して自分で決めるしかない。有効性については多くの人が勘違いしている。副作用の点では明らかに打たないほうがいい人たちがいる。医療従事者を対象とした先行接種で1回でも接種を受けた人は約350万人だった。うち20代は50万人前後が先行接種を受けたと予想される。3人が副作用死しているので、これから接種対象が拡大すると20代、1200万人全員に打つと、72人が副作用で亡くなる計算になる。新型コロナでいままで亡くなった20代は3〜4人程度で比べるまでもなくワクチンのほうが危険ではないか。

基礎疾患のある人や90代、100歳以上の超高齢者もワクチン死亡者が多い。超高齢者は対象人口が少ないので人口比をとるとかなり高率になる。接種を受けたその日に亡くなったケースが3例、接種後24時間以内で10人以上、それでも審議会はワクチンとの因果関係を認めていない。基礎疾患のある人と高齢者はワクチンの有効性と安全性を調べる「第三相試験」から除外されているため、有効性も安全性も確認されていないことになる。他にも妊娠中の女性、授乳中の女性、小児も除外され、12〜17歳の第2〜3相試験は現在実施中だ。日本では10代とそれ以下の子どものコロナ死はいまだ確認されておらず、今後、死亡例があってもそれを理由にワクチン接種を勧めると副作用死のほうが多くなる。

新型コロナの発症は誰が見ても人口密集地での多発が明らかだ。暮らすなら断然過疎地がよい。都会では密なる電車にひしめきあい、食堂や居酒屋は田舎よりひとまわり狭く、混雑時には狭いテーブルで相席さえ珍しくない。田舎は人の密度も希薄でそもそも「人混み」という語句がない。ひとたびコロナが発生しても行動履歴を追いやすく、関係者を隔離すればボヤ火事のようにやがて消える。人や経済が大都市に集中しない社会づくりも課題のひとつだ。

本書が出た時点ではアルファ株だったが、次々と感染力・毒性の強いものに入れ替わり、ベータ、デルタ、ガンマ、イーター株と変異が続く。台風情報のように最新のものに接する必要がある。ワクチンの真の効果や副作用報告も散見されるようになった。厚労省は、9/3までにワクチン接種後急死者数1155人、8/22までに重篤者数4210人を報告した。これについて厚労省は、「ワクチンを接種した後に亡くなったということは、ワクチンが原因で亡くなったということではありません」と言っている。

 

ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました 加藤就一

わが家に60年以上も使った一斗枡がある。コメを4杯計って1俵として出荷する道具であった。これからも半永久的に使える。機械では25年使ったテーラーがあり、多少の劣化はあるが、まだ使えそうだ。20年使った草刈り機はまだ使えたが数年前、安全装置の付いた新しいものに買い替えた。壊れて買い替えたものもあるが、機械には限界があり、長く使い続けると劣化や故障が待ち受ける。家の中を探し回って50〜60年と使い続けている道具はあっても、機械はひとつもない。

政府が原発の運転に関する「原則40年間、最長60年間」の法定期間の延長を検討していることが15日分かった。自民党や経済界の一部が求める新増設やリプレース(建て替え)は、世論の強い反発が予想されるため見送り、既存原発の長期的な活用を模索する。来年にも原子炉等規制法改正案をまとめる方向で調整する。ただ老朽化により安全性への懸念が強まることは避けられない。地元住民や自治体の反発も予想される。今後の議論では、60年を超える運転を認める際の点検、審査方法も併せて検討する。最長で80年間の運転を認める米国など海外の事例も参考にする。(2021/7/16 佐賀新聞)

日本で原発を動かし始めた当初、原発の耐用年数はいちおう10年として、10年間発電すれば廃炉・解体の予定だった。廃炉の具体的行程や技術など考えることなく進められた。福島第一原発1号機は1971年に動き出し、10年後の1981年になると、廃炉・解体が全然できないことがわかった。10年も動いた原発は放射能まみれで、解体するには作業員の大量被曝と建設費用の何倍ものお金を要することが分かった。こうして耐用年数10年の原発をズルズルと20年、30年と運転し続け、原則40年まで延び、60年までの延長を検討し始めた。壊れなければ70年、80年とやりかねないないのが原子力村の人々だ。原発の配管は総延長100Kmにも及び、25000箇所の溶接部位があるという。家電製品や機械の寿命から類推しても10年、15年も稼働すれば必ず故障や事故は起こる。

廃炉・解体は通常原発でも困難を極め、まして事故原発の廃炉解体は想像を絶する。1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発は35年経ったいまでも、線量が下がらずつきっきりで下がるのを待っている。福島第一原発事故から10年経つが、ここでは溶け落ちた核燃料の所在も不明のまま大量の水で冷やし続けるのみ。線量の高いところでの作業はすぐに線量オーバーとなり熟練の作業員は減りつつある。復興だ終息だ廃炉だという声は大きな嘘だ。

本書は原発を擬人化し、「嘘をついてきてごめんなさい」と謝る14の嘘が書かれている。そのいくつかを取り上げる。

皆さんは、私たち原発は二酸化炭素も出さないクリーンなエネルギーだと教えられてきませんでしたか?それがウソなのです。ホントはそうじゃない。二酸化炭素どころか、「放射性物質」を長年出し続けてきたのです。空にも、海にも。空には排気塔から、海には放水口から。

事故を起こした原発ではなく、壊れていない普通の原発のことだ。空へは放射性ヨウ素、キセノン、クリプトン、トリチウムなど、空気で薄めて高い煙突から、海へはクロム、マンガン、鉄、コバルト、セリウム、ヨウ素、セシウムなど、捨てている。基準値以下とはいえ1日24時間来る日も来る日も出し続けるので、周辺に住んでいる人たちの被曝は避けられない。これが事故を起こした原発ではすさまじい量になる。東電は持って回った言い方で、「毎時2.9×10の11乗ベクレル」と公表したが、「1時間に2900億ベクレル」のセシウムを出し続け、1日だと6兆9600億ベクレルになる。これを「完全にコントロール」と嘘をつき、オリンピック招致を勝ち取った。しかし、IOCの金権体質を知るにつけ、嘘と分かっていながら別の旨味に食いついたと考えられる。

当時の日本の国家予算は1兆7000億円。算出された原発事故の損害額は3兆7300億円。

今から60年以上前、茨城県東海村に原発ができるとき、事故が起こった時の損害賠償額を国は密かに試算していた。当時国会で審議していた原子力損害賠償法では、用意できる賠償額は最大で50億円だった。国家予算の倍以上の3兆7300億円は、原子炉内の2%の放射性物質が放出されたケースでの試算であり、5%とか10%、もしくは50%、100%であれば天文学的な数字になる。こんな数字は国会に出せない、出せば原発計画は頓挫する。そこで、240ページを超える事故試算報告書を「隠蔽」し18ページだけの概略書を提出した。40年後の1999年、公明党と共産党の国会議員が報告書の全貌をつかみ政府を問い詰めると、「40年も前なのでよくわからない」と答えた。報告書の内容はきちんと考察がなされ、放射性物質が体内に入る内部被曝についても細かく書かれていた。10歳までの子供たちを新生児、3か月、3歳、10歳と、4段階で分析されているが、福島の事故では18歳以下はひとくくりだ。当時は原爆を落とされてから十数年しかたっておらず、分析にも意欲が感じられる。放射性物質について現在はセシウムに馴染んでいるが、60年前の報告書には他にジルコニウム、ランタン、ニオブ、セリウム、プラセオジウム、プロメチウム、バリウム、イツトリウム、プルトニウムなどが書かれている。

損害賠償の試算から「人口密集地のそばに原発を作ったら駄目だ」ということで「原発は辺鄙なところに建てよ」という決まりを「原子力の憲法」に入れたが、東海原発の放射性物質の2%が漏れただけで東京23区は帰還困難区域になる。

福島第一原発事故の対応費用について、2016年、経済産業省は約22兆円の試算を公表したが、民間シンクタンク「日本経済研究センター」は総額81兆円〜35兆円になるとの試算をまとめた。81兆円の内訳は、廃炉・汚染水処理で51兆円(経産省試算は8兆円)、賠償で10兆円(同8兆円)、除染で20兆円(同6兆円)。経産省試算との大きな違いは、汚染水の浄化処理費用を約40兆円と大きく見積もり、除染で発生する土壌などの最終処分費用を算入した。また、汚染水を水で薄めて海洋放出する場合は、廃炉・汚染水処理の費用が11兆円になり、総額も41兆円とした。

大韓体育会が、東京五輪の選手村の食事で使われる福島県産などの食材を食べないよう、自国選手団を指導していることがわかった。大韓体育会の担当者は取材に、「放射能汚染の危険性を考慮し、食事をする場合は(福島産などを)摂取しないよう注意喚起している」と語った。今月20日には、選手村近くのホテルに「給食支援センター」を開設し、希望する選手のために弁当を作って選手村に届けるという。韓国から調理師や栄養士ら24人を派遣する。韓国は過去の五輪でも栄養管理などのためにセンターを設置していた。今回は「放射性物質対策」も理由に掲げ、韓国から送った食材などを使うという。農林水産省によると、韓国は福島を含む8県の水産物などの禁輸を続けている。7/17Yahoo!ニュース

政治問題と思う人もいるだろう。自民党の佐藤正久外交部会長は「食材はおもてなしの気持ちで努力し、相当気を使っている。福島県民の心を踏みにじる行為だ」と語っている。原発事故から10年が過ぎ、放射能汚染といえば風評だと一蹴され、食材の購入は復興支援の要となった。チェルノブイリ原発事故の時、日本はヒステリックにロシヤやヨーロッパ産の食材を忌避した。他国の出来事や不始末は非難や警戒の的になるが、自国のことは見えず、評価も甘い。韓国も他人ごとではない。韓国沿岸には24基もの原発が林立する。もしここで事故が起これば放出される放射能は日本を直撃する。逆にはいかず、ジェット気流に乗って黄砂やPM2.5と同じく日本へ流れてくる。同様のことが海峡隔てた九州や山陰沿岸に立ち並ぶ原発でも起こる。福島原発事故で放射能は太平洋に放出されたが、韓国や九州の原発事故では日本を覆いつくすことになる。さらに危険な原子炉が東京から60kmの海岸に浮かぶ。福島第一原発1号機の半分弱の規模で、21万kwの原子力空母、ロナルド・レーガンだ。本来、辺鄙な場所に作られる原子炉が、人口39万人の横須賀市の目の前にある。

有機結合型トリチウムになると毒性が1万倍になることも報告されています。福島に溜まった「トリチウム入りの汚染水を捨てたら風評被害になるからやめろ」って福島漁連だけでなく日本中の漁連が反対していますが、今、ご理解いただけたように「トリチウムは科学的に悪者」だとすれば風評被害ではありません。れっきとした実害です。

消費者は生産者をおもんぱかって「風評」といい、生産者は不安払拭のため「風評」といい、電力会社は実害を隠蔽するため「風評」と嘘をつく。福島第一原発で増え続けるトリチウムなど放射性物質を含む処理水の処分方法について、今春、政府は国の基準を下回る濃度に薄めたうえで海へ放出する方針を決めた。東京電力に対し、2年後をめどに海への放出を開始できるよう準備を進めることや賠償も含め風評被害への対策を徹底するよう求めた。溜まったトリチウムの処理水は他にも半減期1570万年のヨウ素129やルテニウム106、テクネチウム99が取り残されている。住民説明会は怒号が飛び交った。規制委員長は「薄めて決められた濃度以下にすれば問題ない」、「汚染水と呼ぶな、処理水と呼べ..」と言い放った。規制委員長が、である。

原発で100万kwの発電をすると、もれなくその倍、200万kw分の熱を海に捨ててきたってことね。そうしないと原子力発電は成り立たない。でも皆さんはこう考えるでしょうね、「熱は放射能と違って世界の環境に害はないんじゃないの」って。

原発は複雑な構造ではあるが、蒸気機関という前近代的な原理で稼働する。核分裂の熱で水を沸かし蒸気でタービンを回して発電する。原発が辺鄙な海沿いの地に作られるのは大量の水を使い、その熱水を捨てるためだ。原発に取り込んだ温度より、7℃高い水までは海に戻してよい、との勝手な決まりで動く。原発1基を冷やすため、例えば浜岡原発で年間18憶トン、長良川3本分の水量になる。世界最大の柏崎刈羽原発だと7基あるので年間およそ130憶トン、全国の原発54基が30〜40年間莫大な熱を捨て続けてきた。原発周辺の海域は熱帯魚が見られ、原発の長期停止によって見られなくなった。日本だけではない、沿岸の韓国には24基、中国には43基、台湾には6基、これらの原発が温排水を出し対馬海流に乗って日本海へ流れ込む。北陸沖で冬でも雷が激増するのは、海面が暖かく蒸発する水分が多く雷雲を生むからだ。爆弾低気圧が日本海を北上し、北海道に甚大な被害をもたらす。ここ数年いわれる「線状降水帯」の豪雨被害も、シナ海や日本海の海水温が高く、想定外の雨雲が発達するからだ。水温があがると、溶け込んでいた二酸化炭素が大量に空気中に放出される。原発は「発電時に二酸化炭素を出さない」というだけで、それ以外の場面では二酸化炭素を大量に排出する。

100万kwの原発が1年発電すると出てしまう死の灰満タンの使用済核燃料の量。そう、30トンでしたね。問題意識のある人々の間でだけ、「日本はトイレのないマンション」と長年、揶揄されてきた。でも実はね、原発が日本に作り始められた頃には「トイレは日本にあった」んだ。

日本初の東海原発では核のゴミを詰めたドラム缶をトラックで港に運び、船に積み替え、千葉県沖に捨てた。海洋投棄規制条約に日本が加盟したのは1980年、海に捨てた記録は1969年までしかなく、70年から80年まで10年間の記録は残っていない。当時は投棄が当たり前で、原発メーカー日立の1970年の技術論文に「固体廃棄物封入容器の海洋投棄に関する技術開発」という資料が残っている。国際原子力機関IAEAの資料では、日本は15兆8000ベクレルの核のゴミを海に捨て、アメリカ、旧ソ連など世界各国の合計は8500兆ベクレルになる。海に捨てたドラム缶は数年でサビつき穴が開く、核のゴミは流出し海洋生物を経て、私たちの食卓へと戻ってくる。原子力業界は「低レベル廃棄物」だというが、騙されてはいけない。人がそばに2分居て死んでしまうものを高レベルといい、それ以外を低レベルと言っているだけで相当高い汚染レベルも「低レベルだ」という。

やりたい放題だった海への投棄ができなくなり、世界中で核のゴミはどんどん溜まり始めた。日本では青森県、六ケ所村の地下の倉庫で300年保管し、掘り起こして最終処分場へ運び出す計画だった。ところが最終処分場などまったく決まっておらず、どこかの町長が、お金欲しさに手をあげても住民の反対にあって実現には至らない。そこで高レベルの放射性廃棄物を再処理してプルトニウムを取り出し発電するプルサーマル計画が浮上した。通常の原子炉へ反応峻烈なプルトニウムを投入するのはあたかも石油ストーブでガソリンを焚くようなものだ。これには伏線があり、高速増殖炉「もんじゅ」の失敗で急遽、普通の原子炉でプルトニウム用いるという計画で、現在幾つかの原発で運転が続く。これでも核のゴミは減ることなく、最後はステンレス容器に詰めてガラス固化体にして保存する方法がとられている。ステンレス容器に近づくと2分で即死するという。六ケ所村の再処理工場が何十年もうまくいかず、フランスに再処理を頼んでいた。フランスとの貿易額の2位が再処理に対する支払いだ。これまでに1300体を超えるガラス固化体が日本に戻ってきた。最終処分場が決まらないため、六ケ所村や各地の原発が、最終処分場となるのは暗黙の運命だろう。

あからさまな投棄はできなくなったが、放射性物質は通常運転でも大気中や海中へ捨てられる。再処理工場は発電しないので原発に非ずとの屁理屈で、原発の規制から濃度基準を外してしまった。その結果、再処理工場だけは放射性物質がどんなに濃くても薄めずに捨てることができる。1日60兆ベクレルの廃液を薄めず、沖合3kmまで敷いた太いパイプで海底44mのところから海のど真ん中に捨てている。三陸沖は世界三大漁場のひとつ、黒いダイヤモンドと言われる大間のマグロはじめ日本の食を支える海産物の宝庫だ。福島の事故以来、海産物の放射性物質の基準値は1000倍も緩くなっている。

「原子力発電所」を安全に運転できるような自然環境に日本は置かれていませんし、原子力エネルギーをコントロールできる技術力もパワーも人材も日本にはありません。4つのプレートが重なり、地震、火山、津波の呪縛から逃れられない日本列島を取り囲むように、かつて54基の原発があったことが本当に信じられないくらいです。

今年3月の東京新聞のアンケートによると、全国の約6200人が回答。原発政策についての回答で、「運転延長は控え、基数を減らしながら活用」、「積極的に廃炉とし、脱原発を急ぐべきだ」、「すぐにでも廃炉に」という「脱原発」の意見が82.3%に上った。折しも東京オリンピックの中止を願う人も8割を超えた。政府はこのような国民の声を無視し、原発を再稼働させ、オリンピックも開催した。いまの政権でおびただしい数の民意蹂躙が行われている。秘密保護法、安保法案の強行採決、消費税の2度の増税..自公与党は原発を維持し、戦争のできる国を目指していることが明らかだ。どれだけ反対しても、再稼働もオリンピックも強行採決も増税も止められない。原発事故もまた起こるだろう、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と誓った戦争も止められないだろう。なぜなら選挙へ行かない、行っても地方議員に至るまで与党へ投票するからだ。

オリンピックの開催に反対する人は80%もいたが、開催後のアンケートでは、開催してよかったと思う人が50%ほどになった。反対でもやってしまえば現状を追認、もしくは感動でかき消されるだろうという政権の思惑どうり、国民より利口だ。

 

政治と報道 上西充子

消費税が導入される頃の話だ。当時は大型間接税といわれ、中曽根首相は大型間接税は導入しないと選挙公約に明記した。選挙が終わると売上税と名を変えての論議が始まった。公約違反が厳しく追及され、中曽根首相は苦し紛れに「売上税は大型ではなく中型間接税であるため、公約違反ではない」と弁明するも、ついに売上税の導入は頓挫する。この論法は中国の古典・公孫竜子の白馬論に書かれている。「白馬は馬に非ず(白い馬は馬ではない)」。馬は動物の形で分類し、白馬は色で分類するため、同じものではないという。1986年から30余年の年月を経て、同様の論法が名を変えて復活した。

「朝ごはんは食べたのか」と問うと、「ご飯は食べていません」と丁寧に答える。あたかも何も食べていないかのように相手に思わせ、実はパンを食べていたという不都合な事実を隠す。

国会中継を見ていると安倍元総理や閣僚、ときに官僚までもが「ご飯論法」で答弁する。嘘、ごまかしに過ぎないが2018年、上西充子氏のTwitterへの投稿がきっかけで「ご飯論法」が広く知られるに至った。本質は食事をしたか否かであるが、問うほうがパンにまで言及しないため、「パンを食べていた」とは分からない。これが森友、加計、桜を観る会他、多くの答弁で行われ、テレビでニュースだけ見る市民はなおさら気づきにくい。検証すると桜を見る会の答弁だけでも安倍総理は118回の嘘をまき散らした。ご飯論法を定義すれば、「報じられる材料を与えない、捉えどころがない答弁そのもの」をいう。菅官房長官は「全く問題ない」、「批判はあたらない」と切り捨て「いずれにせよ」と独自の見解で意見をシャットアウトした。これはご飯論法以前の話だが、いずれにせよまともな議論は成立しない。

ご飯論法といえばわかりやすいが、問題はより複雑で国会答弁や記者会見で言質や報じる材料を与えず、隠蔽や虚偽答弁まで繰り出す。どのように聞かれても、あらかじめ用意した同じ答弁書を何度も棒読みする。例えば日本学術会議に推薦された6人の学者の任命拒否問題では「総合的、俯瞰的活動」が選考基準といい、任命拒否の理由は「人事に関することでお答えを差し控える」と答弁を拒否する。野党の指摘に対し「問題ない」とだけ答え、メディアはそのまま「政府は問題ないとの認識を示した」と報じる。国民が政治への無関心を囲うと政治もメディアもそのレベルで留まる。たぶん多くの国民は国会の答弁がここまで不誠実だとは知らない。

国会の答弁の実態が適切に市民に伝わっていないと、「いつまでもモリカケばかり」「いつまで桜ばかり」といった世論誘導をねらった言説に市民が影響されてしまう。そうして、「本当に大事なことを審議せずに政府の追及ばかりを重ねている野党になど政権を任せることはできない」と、世論を現状維持に傾かせてしまう。

時間稼ぎして適切な答弁をしない政府与党こそ非難されるべきで、追及する野党になんら落ち度はない。メディアが政府の姿勢や答弁の問題点の報道を怠るため、市民は現状維持を追認する。そして、政府や与党への不満を吐露しつつ、地方議員に至るまで業界推薦や知人へ投票する。彼らが集票マシンとなって与党を利し総理や大臣の延命を謀る。市民はなぜ愚鈍な投票行動に走るのか、なぜ戦略的な投票行動ができないのか。著者はメディアに対し、「言及せず」「答えず」など本来あるべき説明の欠落を事実のまま繰り返し繰り返し報じていただきたい、と提言する。そうして初めて世論の問題意識が立ち上がってくる。

菅義偉首相が5人以上で会食をおこなった件に関し、「国民の誤解を招いた」と弁明した。記者には「誤解とは、どういう誤解か」とその場で尋ねてほしかったが、その後、改めて官房長官記者会見で問い直されることとなり、「国民の誤解」という表現が都合よく「反省そぶり」に利用されたことが明らかになった。

管首相は「距離は十分にあったが、国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省をいたしております」と釈明した。これらの発言に対し、「国民は誤解などしていない」との批判が湧き起った。菅首相のいう真摯な反省の対象は「国民の誤解」であり「不適切な会食」の反省ではない。「不快な思いをさせたとすればお詫びしたい」という、よくある謝罪は自らの非を認める代わりに批判する相手、この場合は国民の側に問題があるかのような言い方だ。反省のそぶりを見せておくのが得策という狡猾な思惑がある。政治家の詭弁は官僚、管理職、はては一般から子供まで、「誤解するほうがおかしい」との言い訳の横行が懸念され、道徳的な危機だ。

小川議員の演説は確かに映像で紹介された。しかし、それは冒頭部分だけで、統計標語を皮肉ったネット上のパロディを紹介した場面だった。小川議員自身の言葉は、一言も、ただの一言も、紹介されなかった。

2019年3月1日の衆議院本会議で、統計不正問題を追求してきた野党は根本匠厚生労働大臣の不信任決議案を提出した。先頭に立って追求してきた小川淳也議員(立憲民主)は1時間48分にわたる渾身の演説をおこなった。NHKニュースウオッチ9は悪意ある切り貼り編集を施した。テレビでは小川議員が政権を皮肉り、無駄に水ばかり飲み、いたづらに時間をつぶして喜ぶ礼儀知らずのように映り、自民党議員の反対討論は、それを諫めるかのように見えた。そして自民党の丹羽議員の「このたび野党諸君が提出した決議案は、まったくもって理不尽な、反対のための反対、ただの審議引き延ばしのパフォーマンスであります」との発言を報じた。小川議員の発言は一言も報じないので、テレビの視聴者は丹羽議員の発言しか聞いていない。NHKが適切に小川議員の演説の要点を紹介していれば、この丹羽議員の発言こそ「まったくもって理不尽な」、「反対のための反対」でパフォーマンスにすぎない。政権はNHKに対してしばしば「公平な報道を..」と注文を付ける。これがNHKの答えそのものだ。

NHKの報じ方には、ツイッター上では批判の言葉があふれた。しかし、NHKだけを見ている人には、このNHKの切り取り編集の悪質さは伝わらないだろう。野党議員が国会質疑の時間を無駄に浪費している、そのように受け止めただろう。

うんざりして多くの国民が政治に関心を失うことが、政府・与党が狙っていることで、NHKはもとより多くのメディアはその手足となって汗を流し、幾ばくかの見返りを得る。テレビではスポーツ選手やお笑い芸人が跋扈し、他人を嘲笑するようなバラエティ番組が多い。パンとサーカスはいつの時代にも支配者の仕掛ける罠である。この演説で小川議員は次のように指摘した。

「最大の闘いの対象は、実は安倍政権でもなければ、自民党でもない。私自身を含め、真に闘うべき対象は、この国民の諦めなのではないか」

報道に事欠かないほど自民党の不祥事は多発する。そのど真ん中に8年間も居座り続けたのが安倍元首相で、非難を浴びると「職務を果たすことで責任をとる」と愚にも付かぬ言い訳を放って口を拭った。追及しても追及しても権力ある者はメディアからも司法からも守られる。ついに病気を理由に辞任に至るが、辞任の遠因とも噂される田村議員の「桜疑惑」の質疑はへたれメディアの惰眠を覚ますような出来事だった。共産党の田村智子議員、しんぶん赤旗日曜版のスクープに拍手を送りたい。質疑は次の順で組み立てられた。

パート1 データから近年の「桜を見る会」の変質を指摘
パート2 国会議員のブログから後援会関係者の大量招待を指摘
パート3 安倍事務所が「桜を見る会」の参加者を募集
パート4 税金を使った公的行事
パート5 「安倍晋三後援会」主催による前夜祭とセット
パート6 開門前に後援会関係者が会場に

いずれのパートも確かな証拠・証言に基づき質疑が組み立てられ、相手の出方を覗いつつ、順次開示する。答弁の嘘を覆し、じわじわと外堀を埋めていく。質疑はわかりやすく整理されおり、見ているだけで問題のありかが理解できた。共産党は同日のうちに自らのYouTubeチャンネルにこの田村議員の質疑を紹介している。2020年1月14日には視聴数が29万回を超えた。田村議員が証拠・証言をつきつけることで安倍首相らが言い逃れに終始していることが浮き彫りになった。質疑の翌日には立憲民主党の枝野代表が「党派を超えて、数年に一度の素晴らしい質疑だったと思います」とツイートし、「多くの人にご覧いただきたい」と勧めた。しんぶん赤旗の山本編集長は日曜版のスクープのあと、大手紙に「ぜひ、一緒にやろうよ」と呼びかけたが、なかなか乗ってこなかった。メディアにとっても、手本になる出来事だったが、予想以上に矜持を失っていた。

大手メディアは実態を知っていた。しかし、問題視せずに来た。山本編集長は違った。知らなかったがゆえに、驚きを持って受け止めた。そして、これは安倍政権による「私物化」の問題だと捉え、報じるべき問題だと捉えた。

大手紙は田村議員の質疑を小さな扱いでしか取り上げなかったが、ツイッターは当日から大きな反応を示し、その動きを受けてようやく大手紙は動き出した。

日本ジャーナリスト会議(JCJ)は2020年9月8日、優れたジャーナリズム活動を表彰する今年度の第63回「JCJ賞」の大賞に「しんぶん赤旗」日曜版の「安倍晋三首相の『桜を見る会』私物化スクープと一連の報道」を選んだ。大賞の授賞理由としてJCJは「この記事を契機に(日本共産党の)田村智子議員が国会で追及し、『桜』疑惑が一気に国政の重大課題に浮上。地道な調査報道を重ね、安倍政権の本性を明るみにしたスクープは国政、メディアに大きなインパクトを与えた」と評価した。「赤旗」が大賞を受賞するのは今回が初めてだ。

昨年暮れ、明白な証拠が揃った「桜疑惑」を東京地検特捜部は不起訴とした。年明けて市民団体は不起訴処分不当として検察審査会に審査を申し立てた。モリカケ事件から桜疑惑まで、この政権でどれだけ不祥事があったか数知れず。それさえ「氷山の一角」で見えぬ闇は深い。検察が不起訴ならばこの国は正義を失っている。嘘をつきとおし、権力で己と仲間の利権をむさぼり、なにをやってもおとがめなしの空気が与党政治家、官僚などにみなぎる。与党の政治家や官僚の側から異論も出ず、一糸乱れず、乱れる者は締めあげ権力に執着する。国の食客に等しい自公政権への支持はこれからも続くだろう。11年前の政権交代の際、民主党が権力の旨味を知り、これを失うことの恐怖が想像できたなら内部抗争で瓦解することはなかっただろう。

 

在宅ひとり死のススメ 上野千鶴子

「家族する」のは人生の一時期、過ぎてしまえばみな同じおひとりさま。遅かれ早かれ、ひとりに戻ってくることになるからです。

家族という意識を持って暮らすのは10年間くらいだろうか、18歳で家をでてやがて家庭を築く。自分の子供もやがて巣立ち、妻と二人の長い時間が始まる。わが家は二世帯・別棟で親に干渉されることなく着かず離れずの距離を保つ。夫婦二人の世帯を「空の巣」期といい、子育てを終えた目標喪失でお互いの生活満足度が低くなるという。夫婦二人で気兼ねなく、役割分担し助けあって、万時よしではない。60歳以上の高齢者500名ほど調査し、460名から回答を得た結果「独居高齢者の生活満足度のほうが同居高齢者より高い」という。大規模調査では独居高齢者のほうが満足度は低いが、これには貧困や社会的孤立が絡むからだ。

加齢とともに体力が落ち病気を抱えても、貧困や孤立がなければひとり暮らしの満足度は維持されるという。ひとり暮らしの寂しさは多くの場合、一過性で慣れると気にならない。寂しいのは気持ちの通じない家族と同居することで、高齢者の自殺は独居高齢者より同居高齢者の方か高い。

満足のいく老後の姿を追いかけたら、結論は独居に行き着くと言う。上野氏は配偶者も子供もいないひとり身で、貧困・孤立には無縁、掲げるデータにバイアスがかかったのかも知れない。行き着いたというより、行き着かざるを得ないのだろう。とも考えたが、社会学者の思索の足跡を追ってみた。結論には要諦があり、1)慣れ親しんだ家から離れない、2)金持より人もち、3)他人に遠慮しないですむ自律した暮らしの3つだ。おひとりさまは「選んでおひとりさま」と「余儀なくおひとりさま」のふたつがあって、おひとりさま資源の有無が問題だ。経済的に逼迫していない中産階級の話と思って聞いておく必要がある。

メディアでは「高齢者の独居」が社会問題かのような視点で構え、孤立は救出すべきの議論を展開する。独居と孤立は違い、家族同居が安全・安心とは限らない。ときに家族が虐待やネグレクトを加えたりすれば、独居がず〜っと安全・安心だ。孤立救出の大きな理由は、孤独死や病気の不安に行きつく。

2018年の日本人の死因は上位から1位ガン、2位心臓血管疾患、3位老衰、4位脳血管疾患の順、すべて加齢に伴う、治らない・治せない慢性疾患ばかりです。

医師が「老化」といえば、以前は配慮が足りないとして嫌った。当然、死因にも老衰はなく、心不全や肺炎で片付けていた。老衰は死因不明の時に用い、社会的にも老衰は承認されつつある。高度成長期の日本は、人口が増加し核家族化し、「死が見えない社会」といわれた。高齢化社会の到来とともに、「老後」、「終活」など、「死」に向きあう話やサービスが関心のひとつに浮上する。死に場所は「病院」と考えるようになったのは戦後からで、2005年にピークを迎え、この頃から自宅死と施設死が徐々に増え始めた。死が予期される高齢者に無理な延命治療を望まない例も出てきた。ピンピンコロりと言いながら病院へ通う高齢者を揶揄することもあるが、要介護認定を受けるとケアマネがついて疾患があれば訪問医と訪問看護師につながる。医療介入がなく在宅のまま亡くなっても、死亡診断書は書いてくれる。臨終に立ち会いたいというのは死ぬ側ではなく、死なれる側の拘りだ。

親と子の関係は非対称的、親が子を思うほどには、子は親を思わないものです。その差は、子どもを預ける保育園はたとえ近くにあっても質の良いところを探し回るのに、親を入れる施設は順番が回ってくれば早い方に入れる。

「おかあさん、一緒に暮らさない?」という子供の申し出を、著者は「悪魔のささやき」と呼ぶ。しかし、こういったささやきを口にする子供もいまは少なくなった。人生の中で子育てほど心血を注いだものはないのに、子供に頼らず終わるのは空しい。「生きるとは、食べて、出して、清潔を保つ、ということ」、食事・排泄・入浴の三大介護だ。介護保険やそれを支えてくれる専門職のおかげで、いちおう暮らしていける。しかし、ひとり老後であれば、配偶者や子供の居る人より切実で不安も大きい。著者がひとり死をススメるに至るまでには相当の葛藤と調査を要したことだろう。

施設が合う、合わないに個人差はありますが、本音をいうと、わたしは施設にもデイサービスにも行きたくありません。集団生活がキライだからです。

施設や病院が好きな年寄りは居ないというのが、現場を歩いた著者の確信だ。施設はそこで生活が24時間完結する。これと似たものが病院と刑務所で、刑務所は刑期が終わればいつか出ていけるが、施設は終身刑のようなものだ。病院は患者ではなく、医療職の都合に合わせて作られたもので、いずれ出られる希望がありガマンできる。そこで在宅ということになるが..

日本の介護保険はもともと独居の高齢者が在宅で死ぬことを想定していません。介護保険の要介護認定制度は、これ以上使わせないという関門のようなものですから、利用料上限を超えて使おうと思ったら自己負担率がいっきょに10割に跳ねあがります。

看取りのコストは病院がもっとも大きく施設、在宅の順になる。政府が在宅死へと誘導するのはあきらかにコストが安くつくからだ。一例をあげると医療保険の本人1割負担、介護保険の本人1割負担、自己負担サービス月額3〜4万円で総額が月に40〜50万円、本人負担は7〜8万円程になる。施設や病院で誰かが24時間貼りついていることはなく、それなら自宅でも何時間かおきに巡回訪問を受ければよい。またモニターにつながれ、変調があれば看護師が駆けつけるというシステムの利用も可能だ。保険外自費サービス事業所での在宅看取り事例のうち、自費負担がもっとも高額だった例は月額160万円だという。終末期は永遠には続かず、2か月半くらいで終わる。在宅ひとり死の費用を考えると、30万から300万円になり、この程度の費用を残しておけば家で死ねる。相続人のいない独居高齢者がかなりの額の資産を遺していることはしばしばだ。国庫に没収されるより、生きている間に使いきることだ。しかし、それは頭がはっきりしてることが前提で、認知症であればどうなるか。

「早期発見・早期絶望」と言われるほど、高齢者とその予備軍の恐怖心を煽っています。認知症が進行すればいずれ廃人同様になると。認知症は目下のところ、原因も予防法も治療法もわからない病気。

昔は老人ボケ、痴呆などといい、自然な加齢現象とされた。厚生労働省は2025年には認知症700万人、高齢者の4人にひとりが罹ると予想しており、今後高齢者の絶対数が増えるため1000万人を超えるともいう。ケモブレイン(chemo brain)といわれ、認知症の原因のひとつに「薬漬け」の認知症がある。血圧降下剤、糖尿病薬、向精神薬、睡眠薬、もちろん認知症予防薬も..慢性病で、飲み始めると止められない薬が認知症を引き起こすことを注意喚起したい。さて認知症者はさすがに独居在宅では暮らせないだろう?意外なことに認知症者が問題行動を起こすのは、その原因を作る誰かが周辺にいるからだ。独居の認知症患者のほうが周辺症状が穏やかで機嫌が良い。いよいよ生活習慣が維持できなくなれば訪問看護で食事と入浴のサービスが叶い、これは認知症のあるなしに関わらずケアは一緒だ。

看取りの先輩だった友人たちに聞きましたが、立派なひとの立派な死に方は、感心はしても、何の参考にもなりませんでした。小心な人たちのじたばたした死に様が、わずかに慰めになりました。

死にゆくひとは、気持ちが変わる、揺らぐ、ジェットコースターのようにアップダウンし、それに翻弄されるのが、家族の役目だ。事前指示書や同意書など日付入りの意思など信じるな。「わたしがボケたら?食べられるあいだは生かしておいてほしい」と著者は願う。家族が居らず、他人に遠慮せず暮らしたいというのが著者の出発点だ。高齢者の仲間入りはしたが、まだ「ヨロヘタ期」には至らない。そのうち要介護認定を受け介護保険の利用者になるだろう。

たくさんのお年寄りを見てきて、ピンピンコロリなど望むべくもなく、なかなか死にきれない下り坂を、ひとはゆっくり下っていくものだと認識しました。そのうち動けなくなり、食べられなくなり...そしてある日呼吸が止まる。

ひとり暮らしのわたしが、ひとり暮らしのまま下り坂を下っていって、ある日ひとり暮らしのまま在宅で死ねないだろうか...

 

新型コロナとワクチンのひみつ 近藤 誠

英オックスフォード大学のトリーシャ・グリーンハーフ教授(1次保健医療)率いる6人の英国、米国、カナダの共同研究チームは、昨年以降に発表された論文の中から20本あまりを選び出して検討した結果をもとに「コロナの空気感染を裏付ける10の科学的理由」と題する論文を発表した。彼らは、医科学分野の国際学術誌「ランセット」に発表したこの短い論評論文で、コロナが主に空気を通じて感染することを示唆する一貫した強力な証拠があると主張した。(2021/4/28 Yahoo!ニュース)

うすうす気づいてはいたが、「やはりそうか」という話は時々ある。飛沫感染だとして飛沫が拡散する映像を散々見せつけられた。予防のためマスク、手洗い、口や鼻から飛沫を取りこまぬように、「密をさけ食事中の会話は避ける等々やっていたのに、なぜ感染したのか?」という街のインタビューも聞かれた。しかし、感染が飛沫よりさらに微細な空気感染であれば深刻度は想像以上のものだ。飛沫は水分を含む比較的大きな粒子で半径2mほど離れると落下し、ある程度マスクで防ぐことができる。空気感染は別名、飛沫核感染とも言い、飛沫の水分が蒸発しウイルスを含むさらに細かい粒子が空気中を浮遊する。人混みを漂い、マスクなど通り抜けてしまう。

西村大臣は2日の会見で「屋外だから大丈夫ということではありません。これまでは3つの密を回避すればいい(と言ってきたが)、ところが1つの密だけでも感染が広がっているケースもある」と言い、さらに「屋外でマスクを付けていても感染が確認される事例の報告が相次いでいる」と言及した。

空気感染を指摘する医師もあったが、5/2の会見で政府もようやく空気感染に言及するようになった。こんなときは、近藤先生に聞いてみようと検索し、コロナについて出版されたばかりの本を手にした。

新型コロナの感染形式としては(当初から)1)飛沫感染、2)接触感染、3)空気感染が考えられていました。

コロナ患者が発生したダイヤモンド・プリンセス号に感染症の専門家として乗り込んだ岩田健太郎教授は「空気感染は生じない」と断言した。その後、空気感染することが明らかになり、「室内の換気が重要」と言われだした。しかし、空気感染を否定した専門家たちが「ブレない」ことに固執したため、一般の人々の多くは誤解したまま現在に至っている。対策は飛沫感染に対してのものであって、マスク、手洗いさえしておけば外出しても大丈夫といった思い込みがある。空気感染であれば換気や人混みを避けることが絶対の要件だ。コロナ発生の当初、ある宴会に出た。参列者すべてが手指を消毒し、マスクを着け、寡黙かつ慎重な面持ちで席に着いた。ところが、乾杯のかけ声とともにマスクを脱ぎ捨て、飲み食い喋り、喧騒で人々のトーンもボリュームもあがる。いままでの慎重さを取り戻すかのように、席を立ち回る。魔物が潜む宴会の宿命か、みんなで騒げば怖さも対策も忘れ、踊る阿呆に見る阿呆だ。飛沫対策にとどまる限り、人が集まり会話、飲食が始まると空気感染はおろか飛沫感染も接触感染も避けられない。

当初、新型コロナにかかり重症化すると人工呼吸器を装着しても生還できる可能性は低かったが、医師たちの努力により重症ケースの生還率は徐々に改善してきた。重症化した場合、患者や家族にできることは少なく医師に頼るしかない。しかし、「かかったかな?」と思ったときの対処法はある。

フランスでの新型コロナの流行が始まった2020年3月、保健大臣が「イブプロフェンやコルチゾンといった抗炎症薬の服用は、感染を悪化させる可能性があるから飲まないように」と警告しました。

日本では風邪、インフルエンザなどに解熱剤と抗生物質をセットで使う医師が多く、ウイルスに効かない抗生物質を処方する医師や医療機関は2017年の調査で36%にものぼる。医師の知識不足で処方するケースと患者が欲しがるから処方するケースがある。イブプロフェンと同系統の解熱剤はロキソニン、アスピリン、ナプロキセン、ジクロフェナック、メフェナム酸、セレコキシブなどがあり、非ステロイド性解熱・鎮痛・抗炎症薬として用いる。コルチゾンはステロイド性の抗炎症薬になるが、最近では同じ系統のデキサメタゾンで人工呼吸器を装着した患者の死亡率がわずかに減少した報告がある。

炎症というのは、病原体をやっつけるために免疫システムが活動している状態です。痛み、発熱などの「炎症症状」は、免疫システムが活動している証拠であるのです。その炎症を、抗炎症薬で押さえたら、熱は下がりますが、他方で、ウイルスの活動が活発になる。そのため感染症が長引き、場合によってはサイトカインストームが生じるのです。

日本にも発熱性疾患に「解熱剤は使うな」と言ってきた医師はいるが、厚生労働省は解熱剤を発症因子として認めず重症化因子としたため、人びとはあたかもインフルエンザ脳炎もしくは脳症という疾患があるものと誤解した。発症因子と認めると戦後最大規模の薬害事件となり、医師や製薬会社に責任追及の手が及び、国も巨額の賠償を迫られる。それを回避するため「重症化因子」と言い張ったものと考えられる。一般の人々がインフルエンザ脳炎もしくは脳症を恐れ、ますます医薬品に頼る風潮が高まっていく。タミフルなどの抗ウイルス薬やインフルエンザワクチンの増産・再興を助け、日本は世界一の使用量に至る。

コロナ、ワクチン、オリンピックが報道や話題にのぼらぬ日はない。ワクチン接種のため、打つ人も打たれる人も国家総動員の様相を呈しているが、ワクチンの三要素は「有効性」、「副作用」、「必要性」だ。新型コロナのワクチンは緊急性を要するため、通常5〜10年はかかる臨床試験を2020年末までに終え、短期間で承認を得た。すでに一般人への接種が行われているが、どのワクチンも開発から承認までの動きが速く、ワクチンの有効性や安全性が明らかではない。にもかかわらず、有効率95%と宣伝されると100人接種すると95人がコロナに感染しないと勘違いする。

ファイザーワクチンの第三相試験では、最初4万3448人が被験者となり、半数にワクチン、残り半数にはプラセボ(生理食塩水)が2回づつ接種された。

最終解析では、新型コロナを「発症」していた人数が、プラセボ群で162人。ワクチン群は8人でした。ここから、新型コロナの発症(人数)を95%減らした。有効率が95%だった、との計算になる。

わかりやすいように被験者100人に換算すると、プラセボ群で新型コロナが1人発症し、ワクチン群ではゼロ近くになる。問題は被験者を観察した期間が短く、長くて4か月(平均で2か月)しか見ていない。ワクチン接種直後は体内に抗体ができるため、発症予防効果があるが、抗体は早く減少・消失する。新型コロナはRNA遺伝子の変異スピードがたいへん速いため新ワクチンの効果は時の経過とともに落ちていく。また治験では「健康人たち」が主たる対象のため、コロナの重症化因子とされる心筋梗塞、腎臓病、糖尿病などの被験者は0.5〜1.0%しか含まれていない。基礎疾患や高齢の患者の割合が高い別のワクチンの治験では有効率は低くなっている。

基礎疾患や高齢者への有効率も不明なら同時に副作用(副反応)がどうなるかも未知の領域だ。治験の期間が短いため長期的な後遺症はこれから徐々に判明するであろう。

新型コロナの遺伝子ワクチンには、従来型ワクチンには見られない懸念があります。ひとことで言うと、ヒトの正常細胞にウイルス遺伝子が入ると、その細胞が(免疫細胞による)攻撃を受けて「自己免疫疾患」が生じる可能性がある、ことです。

いま、世界で90万株を超える新型コロナウイルスの変異が確認され、日本でも3万株を超える変異株が報告されている。変異株に対する現在のワクチンの効果が懸念される。製薬会社は巨額の利益が見込めるので「今のワクチンが有効な可能性が高い」というが、抗体が結合する「Sタンパク」の構造が変わっているので、ワクチンの効果は低下する可能性が大きい。

ワクチン接種後の副作用や死亡例については大きく取り上げないため、接種希望が殺到し、恫喝、詐欺まがいの予約まで頻発する始末だ。死亡例をいくつかあげると、今年1月ノルウェーでワクチン接種後、短期間のうち23人が死亡し、死者は日ごとに増え、3日後には75歳以上の高齢者が33人。ファイザーは予想される範囲内にあり、警告的ではないという。WHOも病弱な高齢者のため、想定される死亡率の範囲内にありワクチンが死亡の一因とは確認できないとした。他のケースでも製薬会社や専門家はワクチンとの因果関係をすべて否定している。詭弁論法で、副作用死という証拠がないのでワクチンは安全だとした。これにより、日本で新型コロナワクチンの副作用死が起こっても因果関係を認められるケースは皆無であろう。その前にコロナの発症者数、ワクチンの副作用や死亡者数の発表が正しくされるかどうか疑わしい。

  • ワクチン接種後、1か月以内に急死したケースは、ワクチンの副作用が原因だと「推定」する。
  • この推定を破る(覆す)には、「ワクチン以外の原因」で死亡したという証拠を(因果関係を否定しようとする側が)提出して立証する、という基準です。

上記は近藤氏が提案するワクチンの副作用死かどうかを判定する簡明な基準だ。至って常識的な基準だと思うが、製薬会社や専門家は別の基準に身を委ねるので、一般常識は通じない。

ワクチンも、インフルエンザワクチンと同じように、たとえ有効であっても効果は一時的で、いずれ感染することになるでしょう。私たち人間は、インフルエンザ同様、新型コロナとずっと共存していかねばならないわけです。

いまの勢いが半永久的に続くことはなく、重症化や死亡する人は次第に減っていきインフルエンザのような扱いになるだろう。新型コロナに対する公的対策が終了する時期が終息ということになる。マスク、手洗い、密をさけ、ワクチン接種等、進め一億火の玉だが、きちんと対策をとった人も「どこで感染したのか?」と嘆くほどだ。伝染力の強さから考えて、どんな人も一度は感染することを覚悟しなければない。感染対策は感染を先延ばしするだけで、なるべく早く感染するという選択もある。死ななければそれもいいだろう。

近藤氏は「死は運命と思え」と達観している。しかし、感染しても重症化しないためのアドバイスはある。重症化しやすい基礎疾患は肺組織が回復不能な損傷を被っていたり、心臓疾患、腎臓病だ。次に薬を常用する人が重症化しやすい。死亡患者が服んでいた薬を列挙すると、コレステロール低下薬、抗凝固剤、利尿剤、降圧剤、血糖降下剤、抗うつ剤、鎮痛剤、アレルギー性鼻炎薬、これらは白血球減少を引き起こし免疫機能を低下させる。重症化しやすい基礎疾患はそれに用いる薬が重症化因子とも考えられる。

日々変異を繰り返す未知のウイルスなので、本の出版時から状況は変わっていく。最近では基礎疾患のない若い人の重症化が報告されている。未知のものの情報が不足すれば諸説紛々、陰謀論も跋扈する。健康に関する選択は状況に流されたとしても一人一人の判断にゆだねられる。病院へ行き、そこで薬や治療の選択が許されるだろうか、素人は医師のやることにほぼ無抵抗だ。医療機関や医師に近づくなという選択もあり得る。

マスク、手洗い、うがいに効果がないといわれても、対策は止めたくない。新型コロナ以前は、食事や宴会で食物滓の混じった唾や飛沫の漂う中で飲食した。そんな汚濁した空気の中にあえて戻る気がしない。新型コロナの嵐が去るのはいつになるだろう。嵐が去っても、現在の生活スタイルは長く語り継がれ、忘れた頃、また次の新型ウイルスに襲われるのかも知れない。

 

健康禍 P.シュクラバーネク 大脇幸志郎 訳

「人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭」という副題が付されている。普遍的知識や思想に対して、少数ながら批判や対項の言動は必ず生じ、「斜めに見る」という形容もされる。しかし、耳を傾けると常識は意外にもろく根拠が薄かったり、逆に常識の深淵を見ることもある。健康というイデオロギーは幸福や自由という価値を掲げ、政治や商業主義に利用されてきた。いまコロナ禍で国家の思惑に沿って国民が動きだしたのではないか。健康のため、家族や友人のため、国民皆のためといった言説が受け入れ易くなった。

健康の追及は不健康の症状である。健康の追及が個人の切望にとどまらず国家のイデオロギーの一部となるとき、つまり健康主義(healthism)が醸成されるとき、健康の追及は政治的な病の症状となる。

国から発せられる健康情報は膨大なもので学者、メディアが科学と善意をまとって旗を振る。健康的生活習慣という目標のため国家が情報や教育を提供し規範と生活の実践を求める。人間の活動を良いものと悪いもの、健康なものと不健康なもの、指示されたものと禁じられたもの、責任あるものと無責任なものに二分し、ついには差別や隔離まで行きつく。なんの問題もなく生活している者に検査を受けさせ数値だけで投薬や入院を促す。検査の網にかかった健康人を集めて医療を施す。これを止めれば病棟も空き、医療者は本来必要なものに力を注ぐことができる。不健康の烙印を押された健康人に対して食や不健康な生活習慣をあげつらい、健康管理が道徳的で公共の責務だという。定期的に検診を促す通知が届く、受けないと脅迫するかのように善意の再通知。健康主義は非宗教化した社会で心の隙間を埋めるイデオロギーとなり、幅広い支持を得ている。目下の関心事に「健康管理」を挙げる人は多く、食やサプリメント、医療情報を求め、安心をくれる治療家を探す。

医師が癒すことはほとんどないか、まったくない。我々は生理作用を変え、炎症を止め、組織を取り除く。しかしいくつかの感染症と欠乏症を除けば、原状回復という意味での治癒は、あるとしてもごくわずかだ。

健康は目に見えない商品で誰にとっても必要なため、売りやすくどんな対価を要求しても受け入れやすい。健康サービスが複雑になるにつれ医師と患者の間に第三者が割り込む。ヘルスケアを謳う健康産業の台頭だ。洗練された宣伝技術と独占状態の相乗効果で健康消費者の移り気に対処し、安定した利益を確保する。健康のための製品やサービスは無数にあり、ジョギングひとつをとってもシューズ、ランニングスーツ、歩数計、心拍計、家の鍵を留めておくリストバンド、夜走るときの反射板等々。市場拡大のため、健康だと感じていることと健康であることは同じではないといい、健康な消費者を不安に誘い込む。顧客のニーズより健康産業や専門家自身のニーズを優先する企業官僚主義を敷く。医療の進歩に逆行し、病人が増える要因の一つだ。歳をとれば人は死ぬという覚悟がないと死の恐怖に駆られ、健康つくり論者が利得と権力を得る。

人間は健康という概念を「ものごとの個人的、社会的、または世界的に理想的な状態を指す約束事」として使う必要がある。かつて医学と魔術的宗教的儀式はひとつの世界観の中に溶け込んでいた。その体系は健康、病気、強さ、多産、不死を説明した。

現代医学は宗教とは無縁であるが、健康については宗教性が残り、疑似宗教的で、精神や文化的視点が欠かせない。心を扱うターミナルケアは宗教や心理学などの協力が不可欠だ。宗教や信仰文化の衰退で死の恐怖症がはびこり、健康な人は病気の早期発見と健康管理に取り組めば死を追い払うことができると信じ、病人は医師に希望を託す。医師に任せておけば病は癒え、死はいつまでも先延ばしできる。太古の昔から人は死を恐れ、不死を求め魔法や祈り、食事や薬に関心を示した。現代の健康論者は生活習慣という用語を生み出した。食事や運動、日々の行動や身の回りの危険因子を避け減らすため、指標としての健康診断を欠かすな。

1986年に、欧州委員会の委託による研究は、すべてのがん死亡のうち3分の1は喫煙に、3分の1は飲酒を含めて食事に、残りの3分の1は他の因子によることを報告した。他の因子とは、性・生殖行為、職業活動などである。

3つの行為を避けるとがんにかからない、がんは不健康な行動で起こる自己責任ともとれる。3つは人々の愉しみ、嗜好ともいうべきもので、健康論者は極度に禁欲的養生や守らないことの罪意識を煽る。ここに独特の教義を掲げる食や養生の集団もしくは教団が生まれる。穀物や野菜、果物は良いが肉など脂質の多いものは好ましくない。医学はそのための指標としてコレステロールや飽和脂肪酸の検査へと導く。1930〜40年代、高脂肪食は医学の専門家が健康食として勧めるものであった。1950年頃から乳脂肪や肉が心臓病の原因と疑われだした。しかし、最近では再び脂肪を評価する動きがみられる。

1970年頃から専門家による反コレステロール運動が始まり、成人のみならず乳児や妊婦、高齢者も対象とした。細かなガイドラインを発行し、すべての食物が「いいもの」と「悪いもの」に健康と不健康に分けられた。バター、チーズ、牛乳、卵、牛肉など栄養になる食物を排除することで寿命が延びる証拠はどこにもなかった。それでも飽き足らず数値を下げるために、新薬を処方する医療サービスが根付いた。

食事キャンペーンが国民全体のコレステロール値に少しでも影響したであろうか?国民食事調査の結果によると、イギリス人は卵を食べなくなり、バターは10年前の半分になり、砂糖も減り、低脂肪乳を飲むようになり、多価不飽和脂肪酸の割合は増えた。洗脳されてご苦労なことだが、それでも全人口平均の血漿コレステロール値は同じだった。

発展途上国では人口過剰、飢餓、貧困、飢饉、戦争にさらされているのにWHOは健康主義者が唱える「賢い食事」を全世界に広げるべきだという。WHOの提言は科学的でも現実的でもなく「健康ファシズム」に等しい。飢餓を癒すものがベジタリアン食でないことは常識で分かる。少量でも牛乳や卵、肉が必要であることは論を待たない。食を始めとし、がん死の因子とされた煙草、酒、性など、健康主義者や国家は科学的根拠を欠く提言をまとめあげ、それを元に支配体制を築く。国家にとって社会管理は非常に重要で、そのため医学の専門家と協力関係もしくは支配関係に置くことに腐心する。

医師は使命感にあふれ人々の病と対峙し健康に寄与する。一方、国家も及ばない絶対的な権力もそなえ、ときに政治や経済、司法など体制管理の担い手でもある。患者について雇用に足るかどうか、結婚や出産、死ぬことやその時期について、犯罪については医師の判断が刑の有無を分かつ。こういった医学判断は政治的に中立で科学に沿ったものでなければならないが、危険も胚胎する。医師は権威主義的判断を下し、管理・監視の絶大な権力を持つ。ハンセン病の隔離や強制不妊手術など医師が国の手先となった例はいくつもある。

健康診断の目的は、病気を防いで命を延ばすというものであって、一見善意から出ている。だからこそ特に危険なのだ。健康診断のより不吉な側面が気づかれないままになるのだから。大勢の健康な人を対象に健康診断をすることで悪い結果のリスクを減らせたという証拠はない。

健康診断の不吉な側面として検査結果が差別に結びついた例はいくつもある。雇用、医学的ケア、医療保険、社会的評価の低下など、検査によって発見されるのは曖昧な危険因子であって病気ではない。しかし、病気もしくは病気予備軍、健康ではない等の烙印が押される。健康は権力や奴隷化とは無縁に思われるが、「健康」の名のもとに国家権力が人々の自由を侵略する恐れがある。人々がその脅威を感じないうちに、説得力や権威をもつ専門家と結びつき利用を謀る。邪魔な専門家は権力で威圧する。例えば、日本学術会議任命拒否という前代未聞の問題は政権の脅威を学者に見せつけ、萎縮する学者がいるかも知れない。人々の意識や行動をコントロールする目的は少数の者たちの権力と冨の独占だ。もし武器を持つ少数者が権力を握れば、ミヤンマーのように明日から命は軽く扱われ、暴力や殺戮にさられる。著者は序章で、この本は医学の本ではなく、医学の理想の曲解についての本だと言いつつ、それでも理性的な核を持つ医学は西洋医学しかないと記している。

 

地球温暖化説はSF小説だった 広瀬 隆

多くの人たちが、こう言っている。「二酸化炭素(CO2)による温暖化が進んだ結果、人類を破滅させる気候危機が到来した」と。そしてテレビと新聞がその温暖化危機説を大声で唱えている。

大雨が降っても、大雪が降っても温暖化といい、台風や洪水に襲われても温暖化、さすがに地震までは温暖化とは言わないが、寒波は温暖化で解釈するようだ。サンマの不漁、農作物の豊作も凶作も温暖化、火災が起こり、飢餓や病気が増加する。そのうち人の心も荒み犯罪が増え、警官の数と給料が増えるとでもいうのだろうか。睨みつけるような目で訴える少女の言葉に感動した人がいるかも知れない。大合唱がかくも遍満すると、テレビと新聞に接する多くの人々は、本気で信じてしまい、自分にできることはないかと考え始める。その第一歩が「原発は危険でコスト高だが温暖化阻止のためには容認せざるを得ない」という発信者の思惑に収束されていく。福一の事故以来、脱原発の動きは加速したが次第に減速し最近では容認する比率が高まり、安全神話さえ復活しそうだ。

2011年、東日本大震災後の福島原発事故が起こってから原発は次々と運転をストップし、2013年9月、福井県の大飯原発を最後に原発ナシの状態が丸2年間続いた。真夏の猛暑も、真冬の酷寒も原発ゼロ、火力87.8%、水力9.0%、自然エネルギー3.2%で乗り切った。自然エネルギーに期待を寄せる人々もいるが、ほぼゼロに近く思ったほど普及していない。火力の内訳はガス47.5%、石炭31.0%、石油9.3%、石油は原油をガソリンや石油化学製品に使った残りの重油を用いた廃物利用なのでコストは安い。ここで石炭火力が二酸化炭素温暖化のやり玉にあげられる。反原発啓蒙の老舗、グリーンピースがここに至って石炭を温暖化の元凶とする強い論調を展開する。反原発の活動家でさえ、石炭火力を事の当然として批判する。しかし、石炭火力を拒否すれば電気は足りず、原発の復活を許すことになる。風力、太陽光、地熱、などの自然エネルギーが希望どおり実現するのはほど遠い。現状はゼロに近いではないか。

私が本当に心配しているのは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が罪もないCO2を悪者にした結果、最近「低炭素社会」という言葉を使うアホが、市民運動や、原発反対運動や、エネルギー産業の中でも増えていることだ。

私がCO2温暖化説を否定する動機は、「CO2が気候変動に無関係である」ことが100パーセントはっきりしているので、先進国で使用されている"最新の石炭火力"が発電法としてコストが最も安く、"原発ゼロ"のために推奨できるからである。

横浜磯子区に世界トップレベルのクリーンさを誇る火力発電所がある。酸性雨の原因となる硫黄酸化物(SOx)は99%以上、光化学スモッグや喘息発症の原因となる窒素酸化物(NOx)は90%以上、煤塵はほぼ100%除去される。老朽化し粉塵をまき散らし大気を汚染する中国やインドの石炭火力発電とは雲泥の差だ。原発のように遠い過疎地から送電する必要もなく、目の前で発電が可能だ。石炭はCO2を吸収した植物から生まれ、燃焼でCO2を排出してもプラスマイナスゼロ、いわゆるカーボンニュートラルの貴重な資源である。

地球の気候変動は複雑な要因が絡み、科学的予測が不可能にもかかわらず温暖化現象だけを取り上げ、それをCO2と紐づけする。温暖化の危機を煽り、原発の危険性を逸らす。CO2温暖化説の補強のため気象データ、まで捏造し、原発推進のため育てあげたのが「CO2温暖化説」の起源だ。

石油や石炭を燃やした時に発生するCO2によって地球が温暖化するという説を流布してきたのは、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)で、その名の通り、いかにも怪しげな政治集団だが、彼らが今の気象グラフの温度データの提供元である。

IPCCは、全世界に原子力発電所の建設を進めてきた国連のIACA(国際原子力機関)と連動し、根拠のない「疑似科学」を人々の頭にすりこんできた。1960〜1970年代は主に火力発電による石油の消費が急増し、大気中のCO2濃度も急上昇したが、当時は地球温暖化どころか氷河期の到来が予測されていた。「大氷河期 日本人は生き残れるか(朝日ソノラマ)」、「氷河期へ向かう地球 異常気象からの警告(風涛社)」など寒冷化到来を警告する書物まで出版された。特に1963年1月は記録的大寒波が西ヨーロッパを襲い、小氷河期以来168年ぶりの寒さといわれた。大陸はイギリスより遥かに厳しく、1月のパリの平均気温は-2.7℃、ドイツのハンブルグで-6.0℃、モスクワで-15.9℃と低く、ポーランドのワルシャワでは平年より10℃近くも低くなり数万年ぶりの低温となった。日本でも北陸から山陰地方にかけ豪雪となり、九州の福岡で1か月に27日も降雪が続いた。大気中のCO2濃度がぐんぐん増え続けていた長期間に、これらの記録的寒冷化が起こっている。

CO2濃度と温暖化になんの関連もないことを突き付けられたIPCCはついに気温データの改竄・捏造に手を染める。2009年、彼らの電子メールの交信記録が流出し、改竄・捏造が露見した。クライメートゲート事件といわれるが日本ではまったく報道されず、多くの人がCO2温暖化説の欺瞞に目覚める機会を失った。一方世界はこの事件を契機にCO2温暖化説を信じなくなり、気候変動の主因は「自然現象」と回答する人が増えていく。ところが10年後の2019年、ふたたびCO2温暖化説が復活し、NHKは南極の氷山が崩れ落ちる映像を流し始めた。一敗地にまみれたIPCCグループが山火事、台風、竜巻などの自然現象に便乗し「異常気象=温暖化」の情緒論で自然の脅威を煽る戦略に切り替えた。

数千年前には、今よりはるかに地球が温暖化して、海面水位は5メートルも高かったのだ。

全米の物理学者、地球物理学者、気候学者、海洋学者、環境学者、実に3万人以上が主張した通り、温暖化および寒冷化は、地球上で太古の昔からたびたびくりかえされてきた自然現象えあって、CO2とは無関係である。

自然現象といっても気候変動の要因は山ほどあって、いまだ誰にもわからない。地球と太陽との接近、太陽の黒点など宇宙的要因が大きい。赤道付近の海水温が急激に変化するエルニーニョやラニャーニャ現象が旱魃や山火事、大雨、猛暑や厳寒をたびたび引き起こしたことが19世紀から知られている。この他、火山噴火で火山灰が太陽光を遮る影響など複雑な組み合わせを人間が解くことは絶対不可能だ。

しかし、現実に人々が「異常気象」と感じる原因は何だろう。まず、異常気象が続いているということが間違いである。凶作、豊作は昔から起こっており、農家にとって異常気象とは毎年恒例のことだ。山火事が多いのは昔からであって、もっと被害の大きいのがいくつもあった。2020年9月、九州は台風9号10号に相次いで襲われたが、最大風速50m、気象台は「いままで経験したことのない強さ」と警戒を呼びかけた。しかし、ほぼ60年前の伊勢湾台風は最大風速75m、1965年高知県を襲った台風は69.8m、1966年の宮古島台風は85.3mなど、半世紀前に起こったこれらの台風は、地球が寒冷化した時期に発生しており個数も多い。1998年は地球の気温がピークを示したが、この暑さで台風は半分以下に激減した。大水害は自然の豪雨より、治水対策の不備や無理な住宅開発に原因があり、被災者を批判できないので温暖化、大雨に原因を転嫁する。

日本の最高気温が更新されるのは確かな事実であるが、CO2による温暖化ではなくヒートアイランドが原因だ。不思議なことに高温記録のほとんどが山梨県、埼玉県、群馬県など内陸の山間部で起こり、人口密集地の東京ではない。これは東京で発生した人工的ヒートアイランドの熱塊が風に乗って内陸の山間部へ移動するうちにどんどん加熱するためだ。いっぽう海水温の上昇は地球の内部構造にあり、日本で大地震が起こるとき、陸地を形成する岩板が動きプレートとプレートがぶつかる海底でマグマの噴出が起こる。広瀬氏の考察ではこのマグマが海水温を上げる。したがって大地震の予兆として、大地震と並行して海水温度が上昇する。

最大の危険にさらしているのは温暖化ではない!全世界の発電所から日々発生している天文学的な量の高レベル放射性廃棄物なのである。原発を運転しているすべての国で、その高レベル最終処分場も決められないまま、着陸する飛行場もなく飛び続けている産業が原発だ。

地震が原因で福一原発は破滅的な事故を起こした。広瀬氏は事故の半年前、原子炉時限爆弾という予言の書を出版している。最近、各地で頻発する地震には誰もが警戒感を抱き、注視し、恐れていることだろう。しかし、CO2温暖化説と原発がセットで語られると、国民の半数が原発を容認するまでになった。

 

税のタブー 三木義一

確定申告のただ中、喜んで税を払っている人がいるだろうか。この金は「やがて社会還元され豊かな暮らしの原資になる」というのは徴収する側の理屈であって、少しは還元されるだろうけど豊かな暮らしにはほど遠い。ネットで申告書を仕上げ時々眺めて一週間ほど過ぎたが、見ていても税金はまったく減らないので仕方なく郵送した。節税といっても合法的なものはたかが知れている。たとえば100万円を誤魔化して除外したり、損金を水増ししてもたった10万円の節税にしかならず、バレると罰金をとられ、以後監視の対象となる。

税金を徴収し運用する官僚や政治家の身勝手はすさまじい。この1年どれだけの政治スキャンダルが報道されたことか。政治家が汚職に手を染めても、司直はゆるく見逃す。一般人は無罪でも締め上げ有罪に持ち込む。先月公職選挙法違反で有罪が確定したA議員が往生際悪く辞職した。この議員には逮捕後も給与が支払われ続けた。月々の給与にあたる歳費約103万円と文書通信交通滞在費100万円、6月と12月には賞与としてそれぞれ約300万円。総額2千万円を超える不労所得を得たことになる。国民から徴収した税金だ。取り戻す規定はなく元議員の自主返納を待つしかない。

10章にわたり税のタブーが書かれ、とくに政治家については彼ら特権階級との格差に唖然とした。

政治家は、私たちの税金を決める非常に重要な役割を有し、自らを律して、税負担や税の使い道について、公正で潔癖でなければならないはずです。

東京都知事であった舛添氏が政務活動費で「クレヨンしんちゃん」の漫画など購入していたことがワイドショーで話題になった。氏のセコさがどんどん暴かれ辞任に追い込まれた。そのころ安倍総理もガリガリ君という1本126円のアイスキャンデー2本分を政治資金収支報告書にあげていた。市民オンブズマンの調査でも地方に至るまで不適切な浪費は絶えない。これが国レベルになると、1本126円のガリガリ君ではすまない。森友学園問題では国民の財産である土地を8憶円も値引きして不当に安くたたき売った。ありえないような事でも有力政治家が絡むと官僚も簡単に応じてしまう。不当でセコい支出でもバレたら修正で済んでしまうところも特権だ。

一般国民が所得を得ると、勤めであれば必要経費にあたる給与所得控除が引かれ、事業者であれば必要経費等を引いたものが所得になる。これに対して所得税や住民税等がかかる。国会議員の給料を歳費といい、一般議員で年間約2200万円程度を受け取る。この他、非課税の文書通信交通滞在費1200万円、公費で払われる秘書3人分の給与約2700万円、さらに立法事務費780万円が加わり合計6880万円ほどになる。まだある、これに政党交付金が1人あたり約4000万円付与されるので、議員1人で約1億円の税金が使われる。しかし、個人の所得として課税されるのは歳費の2200万円についてのみだ。

民間企業と政党・政治団体を比べると、民間企業は当然法人税の対象となり、事業収益のすべてが課税対象になる。政党や政治団体は政党交付金を得るために1994年の法律で法人格を認めることになった。公益法人なると原則非課税だが収益事業については課税対象になる。政党のパーティー開催事業、機関紙などの出版事業など明らかな収益があっても収益事業に該当しないとされている。これは自分たちで決めた法律であって、あまリにも都合が良い。他にも口利き料と言われる収益があるが政治家であれば警察も検察もめったに動かないので公然化されたに等しい。

政治家や政党に資金提供することを政治献金といい、個人から受けようが法人から受けようが贈与税ではなく、税率の低い所得税の対象とされ、必要経費を差し引くことができる。

政治家が雑所得申告をしないので、かつて税務署が政治家の雑所得申告を促したことがあります。すると、政治家は、政治活動関連の支出すべてを必要経費に入れて、雑所得が赤字になる申告をし、歳費の源泉徴収額まで還付を受けようとしてきました。政治家のこの赤字申告乱用に税務署もまいってしまい、昭和40年(1965)頃雑所得の必要経費控除額は収入金額まで、つまり、赤字申告はできないように規制したのです。

民間企業が個人や法人から寄附を受けると受益増が法人税の対象になるが、政党は法人格ががあっても寄附は収益にはならない。寄附をするとき相手が一般人であれば自分の税金は減らず、貰った方は贈与税の対象になる。一方政治献金であれば、個人が献金しても一定の手続きで所得控除、税額控除が適用され、貰う方は税金がかからず、出す方は税金が軽減される。

ある政治団体に寄附して、自分の税額を減らし、その後、その政治団体から自分の政治団体に寄附してもらったら、自分の税額だけ減らす、というトリックさえ可能になります。税務署が本気で調査してくれればいいのですが、やりたい放題かもしれません。

自民党議員の1/3が世襲議員だという、ここにもカラクリが潜んでいた。彼らの節操のない税金浪費はとどまるところを知らない。それでも国会議員から地方議員に至るまで自民党に投票する人々のおかげで特権階級は維持される。2世代、3世代にわたり支持する理由がどこにあるのだ。ところが世襲する政治家には特上のメニューが用意され、世襲すべき強い理由があった。親の事業を継承すると相続税が生じ、その負担のため事業がうまくいかないことさえある。政治家が親の政治団体を継承するとその資産について相続税が回避できる。週刊誌が安倍首相の政治団体継承を報道したことがあった。2007年週刊現代9月29日号の「安倍晋三 相続税3億円脱税疑惑」という特集記事で、一次安倍内閣電撃辞任の引き金になった。父親・晋太郎氏が残した6億円以上の個人献金ごと政治団体を継承するが、主たる相続遺産は地元・山口の2軒の家屋のみとした。相続税脱税疑惑とされたが「立法的に認められた相続税回避手段」ともいえる。故・小渕首相から娘の小渕優子氏への相続は遺産を政治団体である小渕首相の旧研究会から「国際政治経済研究会」を経由して、娘の新研究会に移している。政治団体を経由し、2年かけて父からの遺産を無税で相続した。政治家は世襲することで政治を家業として税負担なしに継承できる。

パナマ文書に、日本の政治家の名前が出てこない理由がおわかりいただけたでしょうか。そう、政治家にとっては、日本がパナマより遥かに安全で確実な租税回避地なのです。

税法を改正するのは議員たちで、マスコミなどに不公平を騒がれて改正するにしても、原則自分たちに不利な改正はしない。どこかにこっそり抜け道をつくり規制を無力化する。税を収める国民の気持ちなど彼らにわかろうはずがない。

先月、持続化給付金の不正受給にかかわったとして全国で509人が摘発されたことが報じられた。持続化給付金は、新型コロナウイルスの影響で売り上げが大きく落ち込んだ事業者を対象に、中小企業などは最大200万円、個人事業主の場合は最大100万円が支給される。ここに目をつけ、受給する資格が無くても、うその申請をするケースが相次ぎ被害の総額は立件されただけでおよそ4億円になった。国会議員に較べると額も少ないが、詐欺罪として捕らえられ刑罰も受ける。扱いは天と地ほどの差だ。1回10万円のコロナ給付金を1回だけ貰い、ひとまずほっとしていると、これを取り戻すため15%の消費税が検討される。消費税廃止を叫び、「金を刷れ皆に配れ」という大胆かつ夢のような提案をする政党がある。そこへたくさんの票が集まって欲しいものだ。

 

福島事故と東京オリンピック 小出裕章

東日本大震災に続いて起こった福島原発事故から来月で10年を迎える。当時の事を昨年末(12/30)の新聞が伝えた。原発事故直後、民主党・菅直人政権が天皇在位中の上皇さまらに京都か京都以西に避難するよう打診していたという。宮内庁側は上皇さまのご意向として「国民が避難していないのに、ありえない」と伝え、政権側が断念した。皇位継承資格者である秋篠宮さまの長男悠仁さまの京都避難も検討された。当時官房長官であった枝野幸男氏は「原発から20〜30Kmの地域で屋外活動をしても、ただちに人体に影響を及ぼす数値は出ていない」との説明を繰り返した。ちなみに当時俳優だったれいわ新選組の山本太郎は「早く逃げるんだ!」と連呼した。天皇が逃げなかったという美談ではなく、そこまで事態がひっ迫していたことを当時どれくらいの国民が知っていたか。2011年3月11日、政府は原子力緊急事態宣言をだした。これは1999年、茨城県東海村でおきたJCO臨界事故を受けて設けられたもので、宣言が出されると首相に権限が集中し対策の必要な地域の指定や避難の指示が直接できる。いまも「原子力緊急事態宣言」下にあることを知る人は少なく、これから100年経っても解除の見通しは立たない。

フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません。

国際オリンピック委員会での安倍総理の発言だ。「桜を見る会」について国会で118回の虚偽答弁をしたことが報道された。プレゼンテーションでの嘘を加えると119回になり、他の嘘もあわせると「嘘八百」は楽々クリアする。己に酔いしれ、身振り手振りも交えたスピーチに心底虫唾が走った。

福島1・2・3号機の原子炉がメルトダウンし、これらの炉心には7×10の17乗ベクレルのセシウム137が存在した。広島原爆に換算し約8000発分になり、このうち168発分が大気中へ放出され、海に放出されたものと合わせると約1000発分になる。そしてこれはいまも放出され続けているのだ。溶け落ちた核燃料の所在は不明のまま毎日数百トンの水を注入し冷やす。その汚染水がタンクに溜まり続け100万トンを超えた。昨年から、これを海洋放出する議論が始まった。そこで穫れる魚は全国の台所へ届けられるもので、地元の漁業は壊滅的打撃を受けるだろう。実害を風評被害といいかえても、放射性セシウムの基準値は事故前の100倍から1000倍も緩められている。

事故が火力発電所であれば簡単だった。数日続いても火災が収まれば現場へ行き、事故の検証を済ませ復旧ができた。原子力発電所は人が行けば死んでしまうためロボットを代わり行かせるが、ロボットも被曝に弱く、これまで送り込まれて帰還したロボットはいない。今生きている人間の誰一人として福島事故の終息を見ることはなく、放射能は10万年から100万年もの管理を要する。それまで人類は生きながらえるだろうか。極度の汚染のため強制避難させられた地域の外側も本来であれば「放射線管理区域」とすべき広大な汚染地域だった。放射線管理区域に入れば水を飲むことも食べ物を摂ることも禁じられ、トイレもなく排泄もできない。国は緊急事態だとして数100万人の人にそこで生活するよう強いた。

福島民報、2020年9月の記事では東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う県内外への避難者数は7月時点で37299人、県内の市町村が震災と原発事故に伴う避難による関連死と認定した死者数は8月5日現在、2312人となり、前年同期の2277人より35人増えた。十年目を迎えた今も、避難などに伴う心労が被災者を苦しめている。震災に関連した県内の自殺者は7月末現在、累計で180人にのぼり、岩手県は54人、宮城県は58人で、被災三県で福島県が最多となっている。東京や関東圏でさえ福島より深刻な放射能のホットスポットが報告されている。

国は2017年3月になって、一度は避難させたあるいは自主的に避難していた人たちに対して、1年間に20ミリシーベルトを越えないような汚染地域であれば帰還するよう指示し、それまでは曲りなりにも支援してきた住宅補償を打ち切った。そうなれば、汚染地域に戻らざるを得ない人も出てくる。

忖度NHKはじめマスコミは復興をキーワードに、麗しい物語ばかり報道するが、被災地の塗炭の苦しみも全国へ伝えているだろうか。3月には福島から聖火リレーがスタートと、復興ムードをアピールする。また人類がコロナに打ち勝った証にオリンピックを開催するという。しかし、国民はそれほどバカではない。NHKの1月の世論調査で、東京オリンピックを「開催すべき」は16%で先月より11ポイント減り、「中止すべき」と「さらに延期すべき」と答えた人を合わせると80%にのぼった。現在も「原子力緊急事態宣言」下にあり、「新型コロナ」禍と二重の危機の中にある。

オリンピックは、いつの時代も国威発揚に利用されてきた。近年は箱モノを作っては壊す膨大な浪費社会と、それにより莫大な利益を受ける土建屋を中心とした企業群がオリンピックを食い物にしてきた。

オリンピックにかかる膨大な費用と労力はコロナ対策や震災復興に注ぐべきだ。誰もがそう思うからこそ、「開催すべきは」16%止まりだ。逆に16%というのはいったいどんな人たちだろう。この事故の加害者である東京電力、政府関係者、学者、マスコミ関係者など、誰一人として責任をとっていないし処罰もされていない。彼らは今は止まっている原発を再稼働させ、原発の輸出まで画策する。2011年3月まで54基あった原発は爆発や老朽化で廃炉になり、2015年に42基になった。2021年1月現在、稼働する原発は大飯4号機(関電)、玄海3号機(九電)、川内1・2号機(九電)の4基のみだ。そのうちなんとかなるだろうの無定見で稼働し続けた結果、使用済核燃料のプールはほぼ満杯に近い、九電では2021年度に9割を超える試算を原子力規制委員会に報告した。経済産業省の官僚は使用済核燃料は「ゴミではなく資源だ」と言い出した。トイレ無きマンションはいよいよ汚物であふれ、これを引き受けるところもない。これは事故ではなく通常運転で生じたものだ。原発事故の被害ばかりに目が向くが、通常運転でも危険物質を出し続ける。

一方コロナについて、1/23の新聞にロンドン・タイムズ紙の記事が載った。「日本が新型コロナウイルスのため東京五輪からの抜け道を探る」との見出しで、「日本政府は内密に新型コロナウイルスのために東京五輪を中止しなければならないとの結論を出した。現在の焦点は次に開催枠が空いている2032年の五輪大会を確保することにある」という内容だ。オリンピック開催地に立候補するとき、7340億円のコンパクト五輪と言っていたものが3兆円を超え、コロナによる延期でさらに増える。放射能もコロナウイルスも命や健康を脅かすことに違いはないが、感染対策に人と接しないという方法は放射能では通用しない。本書は2018年7月、小出氏がひとりの日本人女性から依頼され「フクシマ事故と東京オリンピック」と題する文章を書いた。その後、英訳され世界各国のオリンピック委員会に書簡として送られた。他にドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語に翻訳された。以下、本の帯のコメントである。

忘れていませんか?
この国は、現在も、100年経っても、「原子力緊急事態宣言」下にあることを--
《世界に次ぐ》東京五輪は即刻中止!

 

1964 東京ブラックホール 貴志謙介

1964年、小学生の頃だ。運動会のとき全校あげて東京五輪音頭を踊ったような記憶がある。三波春夫の澄みきった声がいたるところから流れた。戦後20年が過ぎ、美食でこそなかったが飢えることなく食は満たされていた。ワクワクしながらオリンピックを待ちわび、教室ではオリンピックを讃える教師の話を聞いた。当時は光ばかりで影の情報は欠け、冷徹に社会を見る目も育っていなかった。東京五輪が開催された1964年を、今でも「夢と希望にあふれていた年」と懐かしむ人が多い。

もしも時を超えて56年前の東京へ迷い込んだとすれば、ノスタルジーで漂白された記憶や、幸福な思い込みは、おそらく瞬時に吹き飛んでしまうだろう。そして、その代わりに、ひりひりした現実の手触り、不安と葛藤、暴力と矛盾に満ちた世界が立ち現われ、戦慄を覚えるに違いない。

戦慄の出来事や記憶が剥落したまま、オリンピックがふたたび東京で開催される。これに合わせて1964年の神話が復活し、誰もが夢と希望を抱いた黄金時代だったかのように語られる。

1964年のデータで世界一の都市ニューヨークの人口は1126万人、これに対し東京は1042万8000人である。当時、日本が推進した国策は、なりふり構わぬ工業生産の拡大であった。オリンピックの2年前には全国15地域を新産業都市に指定し、日本中の大都市を工場で埋め尽くそうという計画だ。工場が誘致されると道路が作られ大量の労働者で人口が膨張する。国民所得は10年で3倍になったが、1人当たりのGDPは835.7ドルで世界24位にすぎない。企業の利益は更なる生産拡大に投資され、国民の生活環境の改善や福祉には使われなかった。国民の所得は低いばかりか貧困、格差、貧弱なインフラ、公害の野放し、劣悪な住宅事情など抱え、生活の質も低かった。

何百万人もの農民が大都市の工業地帯へ出ていき、みじめなあばら家に密集し、わずかな賃金でやっと食べていく。高速道路はできても一般の生活道路は水溜りだらけ、泥だらけ、国道さえ砂利道だった。交通地獄ということばが一般に浸透したのもこのころで、子供の遊ぶ路地へもダンプカーが押し寄せ、死亡事故のない日はなかった。1964年、全国の交通事故死者数は1万3000人を超え、車1000台当たりの死亡数にして3.2人で、アメリカの5倍にもなる。交通事故のみならず死の落とし穴はどこにもあり、事故の補償は雀の涙。交通事故死で多くて200万円、悪くすると50万円、人の命は軽く扱われた。

人口1000万人の東京のライフラインは信じがたい貧弱さで、水洗便所の普及率はわずか4%、都心でもせいぜい20%である。1000万人のし尿の後始末に42億円の予算をかけ、毎日850台ものバキュームカーを走らせ、取集した5000トンのし尿は東京湾の沖合に投棄された。下町に工場が林立し始め、隅田川を流れる水には大量の発がん性物質や青酸化合物、ヒ素化合物、有機リン製剤、有機塩素剤、水銀化合物などの毒液が流れた。これらの工場廃液でナマズ、フナ、ハヤ、コイなどが死滅し川面に浮かぶ光景が至る所で見られた。水俣病やイタイイタイ病など悲惨な公害病が各地で進行し、国民を蝕んでいくが政府は見て見ぬふりをした。川や海ばかりではない空はスモッグや有毒の二酸化硫黄で覆われ、鼻炎、扁桃炎、喘息を引き起こした。

2008年の北京オリンピックのことだ。あのとき、日本のメディアは中国の大気汚染や公害の蔓延、産業優先の国策、庶民が暮らす町並みの破壊を非難した。しかしながら1964年、東京オリンピックの年、日本政府がまったく同じことをしていたこと、東京がいかにすさまじい汚染都市だったかということ、しかもそれに対してまったく無策だったことを覚えていたなら、隣国の混沌をこき下ろす資格などないことに気づいたはずだ。

オリンピックのため健康も人命も軽視された。当時の工事現場では出稼ぎ労働者が多数亡くなった。建設費1億円ごとに1人死ぬといわれ、300億円の工事では300人が死ぬ。オリンピックの開幕に間に合うように、工事は昼夜分かたずおこなう。1964年ビルの高層化が解禁され、高さ55mの鉄塔の上、20mの突風が吹く所で作業を続ける。こうした危険作業の手当てが1回36円だ。この年の建設現場では1日10人以上もの転落事故が起こり、助かっても重傷を負う者が1万8000人もいた。たこ部屋、暴力飯場も野放しで毎朝7時から夜の11時まで働かされ、それから風呂、洗濯という出稼ぎ労働者もいた。過酷な労働で健康を害した病人まで働かせる。労働者の多くは覚せい剤のヒロポンを打った。稼ぎはヒロポンに消えやがて廃人となる。出稼ぎで男手を失った農村も悲惨であった。農村共同体は崩壊し、主婦が重労働を担い1日平均14時間にも及んだ。農婦病が深刻になり心の病も増え、仕送りが途絶え自殺も増えた。リウマチで歩けないおばあさんをリヤカーで田んぼへ運び稲を刈らせた。テレビが普及し始めて華やかな東京の消費生活が映るなか、母親に捨てられ子供たちだけで暮らす家族もあった。東京の繁栄は数えきれないほどの農村の労働者やその家族の犠牲の上に成り立っている。

1963年からの5年間、集団就職はピークを迎えた。団塊の世代の若者が中学・高校を卒業する年齢に達し、毎年70万人前後が仕事を求めて東京へ移住した。集団就職の特別列車に引率者が居る場合はまだしも、1人で出てくると悪い手が伸びる。東北地方から出てきた娘たちは、上野駅で親切に声をかけられたヤクザについていき、逃げられないように麻薬漬けにされた。女性のヒモになって売春で稼がせる。上野でヤクザの魔手から逃れても、地方の若者を狙う巧妙な罠や、想像を絶する試練が待ち受けた。1960年当時、東京居住者の六割が地方から上京してきたいわば東京移民一世で、残りの住民の約七割も父親の代に東京へ移住した東京移民二世である。すなわち東京人といってもその九割が移民ということだ。

若者から老人まで、生活に困れば血液を売った。売血は牛乳瓶2本で1000円くらいになる。常習的に売血を行うと、血液を正常な状態に戻すことができなくなり、身体を壊し働けなくなる。検査もせず提供者の健康も考えず、なかには月50回も売血をくり返すものもいた。売血所は血液銀行ともい大戦中、中国人捕虜を使った生体解剖や人体実験などを日常的におこなった七三一部隊のトップが役員に名を連ねた。その研究技術を生かし1964年にミドリ十字と社名を改め各種血液製剤を製造した。肝炎ウイルスなど混入した不良血液もあり、当時の輸血後肝炎の多発が約30年を経て1970年代後半から現在における日本の肝癌死激増の遠因となっている。

当時の日本の指導者は、経済成長という大義名分のために平気で環境を破壊し、国民の健康を犠牲にすることをいとわなかった。そして、ひとの命を商品として売買する科学者や企業を野放しにした。

犯罪白書の1964年版によると公務員犯罪の内訳は職権乱用379人、収賄843人、窃盗321人、詐欺113人、横領256人、偽造101人と増加が顕著で、とくに汚職は前年比で35.2%増と刑法犯の中で最高の増加率を見せている。新幹線の用地買収、五輪道路汚職、中でも東京都庁は汚職の巣窟と言われ都営団地汚職、交通局汚職、橋汚職、都政汚職など山ほどあった。国や財界はオリンピックを錦の御旗に公共事業の口実にした。五輪には国家予算の1/3にあたる1兆円をつぎ込み、内訳は大会の施設建設費が166億円、JOCなどの組織委員会の経費が99億円、計265億円がオリンピックに使われた直接の経費だ。道路や地下鉄、新幹線、モノレールなど主にインフラ整備の予算が9608億円で、予算の97%が競技と直接関係のない公共事業に使われた。オリンピックの主催国として、日本ほど膨大な予算をつぎ込んだ国は他にない。

この2年後の1966年、自民党総裁選をめぐる「黒い霧事件」が起こる。1人1000万円で票を買収したとされ、ウイスキーの名をもじり、二派から貰えば「ニッカ」、三派から貰えば「サントリー」、すべての派から貰って誰にも入れないのを「オールドパー」といった。このとき総裁選に3人が立候補して30億円のお金が動いたとされる。財界からの政治資金だけでは政敵に勝てない、莫大な資金をいったいどこから調達したのか。巨大公共工事に闇社会が絡み、カネが政治家に回っていく利権構造が1964年前後に急激に拡大する。土建業界に限らず、利権の臭いを嗅ぎつけたヤクザはあらゆる業界に進出していく。昭和39年版・犯罪白書によれば暴力事犯は年間19万件、1963年12月時点で、組織暴力団は5000を超え構成員は戦後最大の18万4091人に達した。現在の6倍、陸上自衛隊の定員17万1000人より多い。

当時の東京はすさまじい工事が4年間も続き、東京中が掘り返され、埃と騒音に満ちていた。五輪マネーの利権に群がる土建業、道路公団の職員、都議や都庁の役人が2000件もの汚職事件を引き起こし税金を食い物にした。1964年、国民一丸となって東京オリンピックに邁進したというのはあとから作られた神話だ。実際はオリンピックが間近になっても人々の反応は冷ややかだった。6月に行われたNHKの世論調査でオリンピックに関心を持っていると答えた人は東京で2.2%、オリンピックに莫大な費用をかけるくらいなら、他にしなければならないことはたくさんある、と答えた人が59%、オリンピック直前の10月初旬でも、57%がオリンピックは結構だが私には関係ないと無関心を隠さなかった。メディア総動員でオリンピックの宣伝に血道をあげてもこの程度である。宴のあと..

建設ブームに沸いたオリンピック景気が去り、深刻な不況が始まった。嵐のような数兆円の投資のあとに訪れたのは、オリンピックをあて込んだ過剰生産不況だった。

不況の深刻な影響はついに大企業に及び、大型倒産が相次ぐ、負債金額1000万円以上の企業倒産が6000件を超え、負債総額は5624億円に達した。景気には山も谷もあり、下請け企業にコストダウンのしわ寄せを強要して儲けたが、景気が落ち込むと自社の雇用を守るため下請けを切り捨てた。中小零細企業の雇用は景気の調整弁として扱われ、経済を下支えする人々に不安定な労働条件を強いた。農村は出稼ぎによって若者が去り働き手を失い、女性と高齢者が残され後継者不足、嫁不足で疲弊していく。農家の人口は10年で620万人も減少し、都市の過密と農村の過疎とに二極化する。この時から地方崩壊の危機が深刻化する。不況の長期化になんの打開策も持たぬ政府は1965年、戦後初めて赤字国債の発行に踏み切った。総額6656億円、ここから景気対策のために建設国債を発行しては公共事業を行う「麻薬中毒」のような繰り返しが始まる。

さて、56年後の2020年、いまも変わらないものを拾い上げると..

東京一極集中、格差拡大、貧困の放置、非正規労働者の搾取、低賃金、長時間労働、女性の地位の低さ、ブラック企業、一人当たりGDPの低さ、住宅難、通勤地獄、衝動的な凶悪犯罪、自民党の一党支配、政治家の閨閥、ナショナリズム復活、自殺率の高さ、新たな宗教の隆盛、汚職、政官財の隠蔽体質、地方崩壊、五輪に便乗するメディア、旧態然の記者クラブ、米軍基地をめぐる問題、横田空域、日米地位協定、対米依存、沖縄と東北の犠牲、巨大公共事業、公営ギャンブル、ヤクザの抗争、疾病の蔓延・・・

2020・東京五輪の工事で多くの外国人労働者が劣悪な労働を強いられ、国際機関(BMI)の調査で非正規労働者への搾取や人権無視が明らかになる。2016年には、323人の建設労働者が死亡、死亡率は1000人あたり4.5人、安い賃金で非正規雇用者を使い捨てにする。56年前と変わらない。格差、貧困、差別は年々深刻化し、格差社会から階級社会へ移行しつつある。非正規雇用で所得の低い層を「アンダークラス」といい、2012年の就業構造基本調査から推定して、およそ930万人になり、全就業者の15%ほどを占める。非正規から抜け出せぬまま中高年となった人々も含み、59歳以下のアンダークラスの平均年収は186万円だ。家庭を築くどころか1人の生活も危うい。男性の未婚率は66.4%、女性は56.1%である。高度成長期に出来上がった企業社会のシステムが温存され、不祥事を隠蔽して平然としている政官財の体質は56年経っても変わっていない。

永田町では、1964年と変わらぬ隠蔽工作がいまも平然と演じられている。都合の悪い文書は官僚が勝手に書き換え、あるいは率先して棄てしまう。政治家と利益を交換し、臭いものにはフタをしてしまう。

60年代疑獄事件のたび末端の役人や政治家の秘書が自殺した。いま、森友学園問題もまったく同じで、追いつめられて死を選ぶ者がいる一方で、保身のため平然と嘘をつく官僚や特権に安住する権力者がいる。オリンピックや新型コロナウイルスは過去の戦争や大震災、原発事故と本質は変わらない、憑りつかれたように突き進む政財界やマスコミの犠牲になるのは国民なのだ。アスリートファーストという政治家もいるが、アスリートの目には現実や未来がどう映っているのだろう。

 

 

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