【読書録(7)】-2010-


原子炉時限爆弾
科学と神秘のあいだ
食文化から社会がわかる!
食のリスク学
葬式は、要らない
健康不安社会を生きる
医薬品クライシス
テレビは見てはいけない
死因不明社会
男おひとりさま道
本当のところ、なぜ人は病気になるのか?
 

原子炉時限爆弾--大地震におびえる日本列島-- 広瀬隆 

気にしなければ到底気付かない、知らなければ到底見ようとしない、そして知られないようにしなければ立ち往かない。小さな扱いの記事なので気付かぬまま新聞を閉じる人が多いものと思う。ここ一カ月を振り返っても隠蔽や捏造や点検ミスの記事、危険個所の放置、運転時の事故・・・と数多い。小さな記事であるが故に事の重大さに思いが及ばない。当事者達も他人任せで、事故が起こったときには正義のヒーローが助けてくれるとでも思っているかのようだ。名刺一枚のスペースにさえ満たない記事は私達の最後を暗示するものかも知れない。

私はこれまで一度でも電力会社に頭を下げてお願いしたことはない。だがこれは、涙しながら、伏してお願いすることである。

テレビのテロップで流れる地震情報や新聞記事を見て、とりあえず被害が少なくて済んだと安堵する。ここ数年、海外ではどれほどの大地震が発生したであろう。’08〜’10年に発生したM8〜7クラスの大地震を調べると、四川、青海、ジャワ、サモア、スマトラ(2回)、イタリア、ハイチ、チリなどがあり、その他中小規模の地震は数知れず。地球は強固で安定したものではなく、絶えず変動する生き物なのだ。原発が地震に弱いことは周知の事実であり、原発の動向を注視する人々のなかには、大地震の発生を最後の時と覚悟を決めている人も多い。もちろん私もその一人である。いつ起こるか予測はつかないが必ず起こると言う大地震、小さな地震情報は忍び寄る足音にも聞こえる。原発の知識を電力会社や国の広報から得ている限り「安全でクリーン」止まりで、そこから運命の時までの知識や想像は完璧に欠落しているはずだ。安全でクリーンはあくまでも広報・広告であって、そこから先を自ら知ろうと試みるなら戦慄の闇が待ち構えている。私たちがそこへ目を向けないように必死に隠蔽し捏造し、「大丈夫」といい続けるのが国や電力会社であり、メディアは知らぬふりをして音頭をとる。「まず知って欲しい」と訴える市民団体や学者の言葉に少しは耳を傾けたい。原発については最重大課題にも関わらず無関心と無知が蔓延している。

各国で起る巨大地震や国内の群発地震はやがて日本で起るであろう巨大地震を暗示させる。150年ほど前に安政東海地震が起り、その147年前には宝永東海地震が起った。どうやら150年周期で地震のエネルギーが貯まり発散すると考えられ、そのエネルギーは先の阪神大震災の15倍という。87%の確率で起るとされる震源の真上に浜岡原発が鎮座している。脆弱な地盤の上に、耐震などのデーターを改竄して造られた疑いがあり、「地震は止められない、でも原発は止められる」というスローガンのもと、運転差し止め訴訟が起こされた。運転を続ける限り地震による大災害は避けられない。東海地域のみならず日本はどこをとっても安定した地盤がないのだ。54基もの原発が全国に点在し、そのひとつでも事故が発生すれば日本はおろか世界中に死の灰が拡散する。海外を含めると400基もの原発が稼動し、関連施設まで入れるとさらに数は膨らむ。ただの一か所ですら事故が起こってはならない。地震、台風、火山活動などの自然災害と、原発の構造・機能の限界、人為ミスなど考えると、悪運強く稼働しているといえよう。

話はそれるが、原発だけではない、核事故は兵器産業や軍事の面でも起こっている。機密という名分のもと、秘匿し闇に消えゆくが、冷戦時代には核実験や原子力潜水艦の事故は1週間毎の頻度で発生していたという。自らの兵器で自滅する不安のほうが大きかった。核を手にして以降、環境中にどれほどの放射能が拡散したことだろう。原発施設の近縁地域では白血病の発生率の高さが知られ、動植物の奇形などが報告されている。人類は慢性かつ遅延性の毒に取り囲まれ、毒も人も行き場がない。農薬、ダイオキシン、添加物、二酸化炭素、あらゆるリスクを排除しても逃れ得ない。

ついでに言っておきたい。私たちは原発や核兵器の危険は暗に感じ取っているが、医療に利用される放射線については無防備で医療人でさえ気付いていない。先頃、文芸春秋で放射線科医の近藤誠氏の投稿を読んだ。日本では臨床医に対する放射線防護教育がほぼ存在していないという。それに比べCT(コンピュータ断層撮影)装置は世界の1/3が日本に集中し、体重計にでも乗るかのように頻繁に使用されている。1回のCT撮影での実効線量は10mSv(ミリシーベルト)で数回の撮影が行われるとその2〜3倍になってしまう。結果的にX線写真の100〜200枚分の放射線を浴びることになる。原発作業員が白血病で労災認定され、その被曝線量が11ヶ月間で40mSvという記録がある。この1/3〜1/2の線量を1回で被曝する。ガンの3.2%は診断被曝が原因とされている。推定によれば、45歳の1万人が全身CTを受けると、8人が発ガン死亡し、同じ人たちが75歳まで毎年全身のCT検査を受けると190人が被曝により発ガン死亡するとされる。

中年以降の不調は、大方は老化現象で、つける薬はありません。そうだとすれば、医者に診てもらう必要もない。受診しなければ被曝なし。--中略--患者が医療機関に歩いて行くだけの体力があり、症状も軽いのに、初診時に「まずCT」と言われたら、CT室に行かず、そのまま帰宅しましょう。(文芸春秋より)

脱線が過ぎたようだ。さて、明日かも知れない巨大地震が起こったとき原発はどうなるだろう。2007年7月、柏崎刈羽原発が新潟県中越沖地震に襲われ、原子炉は緊急停止、数10秒間続く揺れのため中央制御室では計器の確認が出来ない状況であったという。テレビや写真で見たところ、地盤は浮き上がり曲がり、修復に3年もの月日を要し、何度ものトラブルの後、再開された。東海地震はこの64倍の規模が予測されている。原子炉は5重の隔壁で牢固に設計されているというが、原子炉と他の施設を繋ぐ配管や建屋はなんら牢固とはいえない。牢固であることを認めても2000℃、プルサーマル発電ではその倍もの暴走温度に対し、変形も溶融もしない物質があるだろうか。長期運転で材料は劣化していくが、しばしば点検ミスや点検放棄が起り、データ改竄まで行う。これらの機器や施設を、そして人を信頼することはできない。

電力会社に至っては、さらに大手メーカーから原子炉と機器を購入して、発電所の建設を監督し、運転しているだけである。経済産業省の原子力安全・保安院に至っては、電力会社から聞いた通りに検査しているだけである。新聞とテレビに登場する原子力産業お抱えの御用学者は、このような材料工場の現場で働いたこともない、私から見れば素人集団の大学教授ばかりである。こうして日本中で事故が起っているのである。

緊急停止なら良さそうに思えるが、揺れによって配線や配管の切断やズレが生じたり、立って居られない状況では計器のコントロールなどできない。仮にできても停止後、高温の炉を冷やすため海水を循環させひたすら冷却しないと、メルトダウン(炉心溶融)を起こす。そんなとき、津波が押し寄せ、続いて起こる引き潮のため循環させるに必要な水を失えばどうなるか。スリーマイル島の事故も制御棒を入れ核分裂を止めた後でメルトダウンが起こった。高温を制御することの困難さは実証されている。原発が地震に弱いことなど解っているはずなのに、否が応でも稼働させるため数値を誤魔化し、危険を隠蔽する。裏付けのない気力や信念で突き進む「原発教団」とでもいえよう。

原子力産業だけが、地震学者が認めていない異常な地質学を信奉する新興宗教集団なのである。なぜこのように「存在する活断層」を「ない」と断じるのかと言えば、日本で正しく地質学を適用すれば、原発を建設できる安全な土地がどこにも存在しないからである。

地震に襲われたなら、どの原発もただでは済まない。とりわけ迫りくる東海地震の危機にさらされる浜岡原発のばあい、静岡県から首都圏まで少なくとも200万人が被曝し、地震被災の救援活動もままならなくなると予測されている。ここの1・2号機を廃炉とする決定は東海地震に耐えられないことが判明したためであった。3〜5号機についても同じく廃炉にするのが相当である。電気は余っているどころか揚水発電という正体不明の装置で捨てているのだ。廃炉にして困るのは目先の利益を失う少数族に過ぎない。捨てる電気をお金に変えるキャンペーンがオール電化やエコキュートという機械である。ここで耐用年数の事を話しておこう。この機械は8年保障で耐用年数は10〜15年だという。毎日100度の湯を沸かす装置である。一方、毎日2000度以上もの熱を生み出す原子炉の耐用年数は当初10年ほどと言っていた。エコキュートと比べても妥当なところだが、いつの間にか20年と言いはじめ、やがて30年を超えて稼動する原発が1/3を占めるようになった。新しい部品と交換すればよしとして、50〜60年の長期稼動が計画されている。まともな感覚を失い、コスト優先の苦肉の策といえよう。家庭や仕事場の機械や機器を見回して60年も使い続けているものがどこにあるというのだ。

新しい連立政権には原発反対の社民党が加わった。きっと何らかの見直しや中止が行われると信じた。しかし、その後の政権のゆくえは前政権以上に節操のないものとなり、原子力産業のセールスマンになり下がった。地震、老朽化を取り上げてみたが、いづれも多くの危険性のひとつでしかない。そして国や電力会社は自分たちの破滅にさえ目を閉ざし危険運転を放置する。一体誰がこれを止め、事故が起これば誰が責任を果たすのか。日本だけではない世界中で400基を超える原子炉が稼働し、日本よりさらに危機感が薄く管理も杜撰な国がある。私たちは生きるために仕事と食を得て、知識や知恵を身につける。同様に危険回避の知識や知恵も身につけなくてはならない。原発事故が起こったとき「安全・クリーン・大丈夫・・」だけの知識で本当に大丈夫だろうか。

政治と国民生活・年金・消費税の問題、若者の就職難と経済崩壊、医療問題、地方の衰退を食い止めるための地方紹介や温泉訪問記、郷土の名物紹介、野球をはじめとするスポーツ、オペラをはじめとする音楽、芸術探訪、骨董品の鑑定、日本史探訪、古代の考古学論争、世界遺産など海外の文化・文明の紹介、憲法論議、沖縄の米軍基地、映画界の名画上映、サイエンス、落語、漫才、日々起る事件ニュースの数々、気象の予報、

どれも意味があって伝えられているだろう。私にも関心の深いものが数々ある。しかし、ひと言述べるなら、これらは「今後私たちが生き延びて初めて成り立つ」内容である。

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【追記1.】老朽劣化した原発の問題は深刻なものだ。原発は完璧を期しても危険が付きまとい、老朽・劣化で急速に危険を引き寄せる。少し前の新聞記事で、この時は名刺2枚くらいのスペースであった。佐賀・玄海原発1号機について原子炉の劣化を判断する「脆性遷移温度」の評価結果が公表された。「脆性遷移温度」とは原子炉容器材の金属が、ある温度以下で急激に脆くなる目安の温度であり、事故の際など急激に原子炉を冷却したときの破損温度を想定したものだ。したがって低い方が好ましく過去3回の温度は、1976年35℃、1980年37℃、1993年56℃だった。1975年から稼働し現在、35年を超えて運転が続いている。今回公表された温度は98℃、基準値93℃を超えてしまったが、原子炉容器部分は80℃だというレトリックで「安全性問題なし」とされた。小さな記事なので、読んだ人がどれくらい居たことか。

【追記2.】同時期に半ページを割いて「東海原発・廃炉作業」の記事が組まれた。日本発の商業炉として1966年に運転を開始し1998年まで32年間稼動した。普通の建造物と異なり壊して捨てるだけでは済まない。20年の工期で段階的に行われ、工費も約885億円が予定されている。廃炉自体、わが国初の経験であるため、作業は他の原発のためのモデルになるだろう。原発には原子炉建屋、タービン建屋、使用済み燃料建屋などがあり、内部の機器を撤去してから建屋を解体する。作業は防護服やマスク、ゴーグルを着用して行うが、放射能はこれらをいとも簡単に通過するので、付着したものを脱ぎ捨てるための道具に過ぎない。線量計を身につけ被曝線量を超えれば直ちに作業を中止することになるが、それを遵守しては作業は進まない。機械による遠隔操作も行われるが、定期点検でも明らかなように被曝犠牲者は必ず発生する。高レベル廃棄物はイギリスやフランスへ送られ再処理後に日本へ戻されるが、まだ処分の方法は決まっておらず、地下へ埋めることが検討されている。解体された廃棄物は5段階の汚染レベルに分別され、敷地内の地中に埋めたり、再利用される。微量の放射能を含む廃材などが持ち出され、ベンチやブロックなどに使おうという動きが始まった。廃炉にかかる経費も電気代に転嫁されるわけで、安価でクリーンなどという妄言をそのまま信じるほうがおかしい。このような廃棄物が原発1基で数万〜数十万トン出ると見られている。高レベル廃棄物については処分場も定まらず漂流し続けることになり、例え決まったとしても5000〜10000年も誰が管理するのだ。例え管理できたとして、上限の定まらぬ費用は誰が負担するのだ。地中に埋めてしまえという乱暴な計画があるが、地下水、地殻変動、地震など問題が山積し、保存容器の耐用年数さえ50年ほどでしかない。海外では管理を放棄した施設がいくつか発見された。対策を講じようにも危険すぎて近づけない。これは特殊な例かも知れないが、わずか数十年の管理さえアテにならない。

【追記.3】3たび新聞記事から ..やや広いスペースを設け中間貯蔵施設の問題が取り上げられた。原発の実情をある程度知る人は「中間貯蔵施設という名の最終処分場」だという。原発を稼動させるためにはウランの採掘から始まり燃料の濃縮・加工を経て使用される。使用後は再処理してプルトニウムとウランの混合燃料(MOX)を作る。MOX燃料を一般の原子炉で燃やすのがプルサーマル発電であるが、いづれ廃棄物の処分は免れない。危険な廃棄物を地中に捨てようというのがNUMOと呼ばれる計画だ。危険なものを受け入れたくはないが、補助金がいただけるならと、、思慮浅い首長が応募する。しかし、事の重大さから最終処分場を引き受ける自治体はいまのところない。補助金をちらつかせ、それなら最終処分場が決まるまでの中間貯蔵施設をと打診する。原発はこのように多くの施設と行程を経て回り続け、出口なき危険物を扱うものだ。使用済核燃料はプールの水中で7年ほど冷却させた後、中間貯蔵施設へ運び出す。プルサーマル発電では50年を要する。高熱を発し続けるため絶えず換気扇で空気を循環させなくてはならない。換気扇の停止ひとつ考えても危険の要因となる。最終処分場が決まらない場合は「計画中・・・」と言い管理を続けさせる。結局、原発の敷地が実質的中間管理施設であり、遂に最終処分場になってしまう。引き受けた者や引き受けさせる者は、「後は知らない」。問題が発覚し困る頃には新しい担当者に任せればよし。こうして次世代へと問題解決を引き延ばしていく。原発を始めた世代の多くの人々は鬼籍に入り、現役の人は居ないはずだ。彼らは問題を私たちに先送りし、いま私たちは若い人々に先送りしようとしている。

 

科学と神秘のあいだ 菊池 誠

いまから40年ほど前の夏、人類が月に降り立った。50代以上の人は、白黒テレビでみた同時通訳の画像が記憶にあるものと思う。暑い夏だった。その年は月着陸の話題が駆け巡り、翌年の大阪万博では持ち帰った「月の石」が公開された。その後3年間に渡りアポロ計画と言う名の月着陸がくりかえされた。科学技術への驚異とともに、夢や希望のある良き時代だったのかも知れない。さて、いつの頃かは知らないが「本当は月へ行かず砂漠のセットで撮影されたものだ」という説が流布し始めた。近過去へのリアリティはいうまでもなく、それを材料とした小説や物語は数多く産まれる。いわゆる目からウロコの思いをすることもしばしばだ。

当時月面で撮影された映像や写真が不自然で、影のでき方が変だとか、飛行士の動きがおかしいなどと、もっともらしい説明がされるのでうっかり信じ込んでしまいそうになる。捏造説の主張どうり模型を使って地上で撮影すると、本物のアポロ映像のようにはならなかった。自分の知識や常識、あるいは風説が確かなものか、本物と偽物を見分ける目があるのか、相当知力の高い人でも疑わしい。むしろ能力の高い人ほど妄想力も高いのかも知れない。最近の話では、9・11同時多発テロの陰謀説がある。実はアメリカ政府によって爆破されたのだと主張する人々がいる。そのひとりが常温核融合で有名な物理学者のスティーヴン・ジョーンズだ。物理法則から考えて崩壊の仕方が不自然だという。有名であるだけに世界中でこの説を信じた人がたくさんいて、国会で質問した代議士先生もいる。

その真偽を判断するのに、月面についての専門知識だとか、ビルについての専門知識だとかが本当に必要なのかというと、実のところそうじゃない。映像の不自然さなんていうのは、本質的とはいえない細かな話で、そんなことを知らなくたって判断できる。むしろ、映像の不自然さのような細部にこだわりすぎると「木を見て森を見ず」になっちゃうので、かえってよくないのだと思う。

なんのため捏造や爆破が必要か、陰謀であればどれくらいの人がそれに関与し、また秘密を守らなくてはならないか、考えただけでありえないことが解る。あたりまえの想像力が足りないために、誤った説を信奉してしまう。

ここからは癒しに関係する話をすすめようと思う。この夏、次のような記事が目にとまった。大きな話題にはならなかったが、代替医療ばかりではない、命を預かる者が誤った考えに囚われる事の危険を戒めるものだ。

代替療法ホメオパシーを利用している人の中で、病気が悪化して死亡する例が相次いでいる。通常の医療は末期になるまで受けていなかった。東京では5月、国立市の女性(当時43)が、がんで死亡した。埼玉でも昨年5月、男児(同生後6カ月)が死亡した。女性の遺族らは先月、「憂慮する会」を設立し、ホメオパシー療法家らに真相解明を求めて運動を始めた。2010.8.11(朝日・記事より)

ホメオパシーとは病気と似た症状を引き起こす物質を何度も薄め撹拌することでレメディという薬を作り出す。成分が無いに等しい液体や錠剤を投与し治療するものだ。常識で考えてもこれに何ら薬効のないことぐらい理解できる。したがって副作用や薬害など起こるはずがない。起こるはずのないもので起こった被害は正しい対処を怠ったからに他ならない。治療家には治療の正当性や限界を知り、行うという厳しい選択が突きつけられている。信念や思いやりだけでは十分ではない。記事について日本学術会議の金沢一郎会長は24日、「ホメオパシーの治療効果は科学的に明確に否定されている」との談話を発表した。 しかし、ホメオパシーの支持者たちは、撹拌することで水が物質の何かを記憶するという。 そして、ホメオパシーの普及活動をしている「日本ホメオパシー医学協会」は「欧米の実績で分かるようにホメオパシーは効果が科学的に証明されている」と反論している。

ホメオパシーのレメディについてははっきりしている。有効成分がはいってないんだから、普通の意味では効かない。ただし、効いたように見えることはあっていいし、実際あると思う。

科学的には、ホメオパシーのおかげで症状がよくなりましたというのは、神社にお参りしたら試験に合格しましたというのとだいたい同じ程度の意味しかない。

科学的に説明ができないものの中には、現在の科学で未解明なものもあるが、成分の無いものについての薬効は否定せざるを得ない。しかしヨーロッパでかなり広まり研究されているのを見ると何かあるかも知れない。自然治癒との時間的一致やプラシーボ効果が考えられ、良くなったという個人的事実は強い印象を残し、否定できない圧倒的な体験となる。しかし、それは客観的事実ではないし、誰にも当てはまるものではなく、ふたたび自分に訪れるとは限らない。ホメオパシーの体験談は神秘の名にふさわしい物語を提供してくれる。とくに他の療法で行き詰った人など、思わず食指が動きそうになるに違いない。それを後押しするのが波動という仮説だ。彼らは「仮説ではなく科学だ」と言うだろうが仮説にも及ばぬ妄想に等しい。物理でいう水を伝わる波、音波、電磁波、光などは波動現象の代表だが、この波動とは同音異義の概念である。

代替医療やニューエイジ思想といった文脈で再発見され再解釈されて、今の「波動」という思想に至るのだと思う。英語ではvibration。

そういう特別な意味の波動が「ある」というのは、あくまでも思想にすぎなくて、実体はまったくない。科学的にはそんな波動は存在しない。だから、ありていに言っちゃうなら、これは妄想の産物にすぎないんだ。

実体はないが、それを測定する器械があるので問題を複雑にし混乱させている。波動測定器は波動を数値化し、波動転写器は波動の読み込み書き込みができるという。神秘のアイテムかと思ったが、健康機器として堂々と販売され、治療に利用している医師までいる。医療分野だけではない、時には分析器械のごとく、食品や農業など多方面への応用が為されている。そして、マルチ商法などで摘発される多くの事案にもこの器械が関わっている。ところが測定しているのは測定対象ではなく、測定者自身の身体の電気抵抗であることがわかっている。医療の現場で普遍的に利用されている検査・治療機器とはまったく発想も技術も異なり、一般の医師が利用するのは稀な事例である。実体のないものを測定できるため、不確定な要素の多い代替医療では本気になって利用する治療家が見受けられる。機器につけられた名前は種々あるが原理は波動計の考えを踏襲し、これらを総称してラジオニクスという。代替医療も妄想の程度によってピンからキリまであり、妄想が科学で証明されたとき「本物!」との認定を得るのだろう。

実体のないものを頼りにすることはできないし、実体のないものを実体のない薬や器械で治療することはできない。しかし、治ったり改善する人が居て、その体験談は神秘と真実に満ちている。科学では解明できないが力を秘めていそうにも思う。このことが代替医療に居場所を与え、ときに健康被害や金銭トラブルをもたらす。識者たちはインチキ理論に騙されない科学知識を持てというが、科学知識のある人でさえ騙され、時には騙す側にも回る。先に書いた爆破説の学者はあり余る科学知識を備えていた筈だ。著者によれば「専門知識など必要ない、常識を働かせる想像力があれば問題ない」と言う。私はこれにも納得がいかない。藁にもすがる思いの人は巧妙な説得と、圧倒する体験談をしっかりと掴むだろう。

 

食文化から社会がわかる!原田信男他4名共著

私たちが生活の中で考え選択する食、医療、、政治、宗教など多くの物事にはいくつかのパターンが見られるという。社会学の視点から、スローフード運動を取り上げ食と社会を考えようとする試みである。パターンの一つにダグラスの図式というのがあり、「私たち一人一人の選択は、些細であっても理想のコミュニティの実現に向けて日々投票行動をとっている」という理論である。
B-隔絶された孤立-
選択または強制によって隔離
された状態。まったくの孤立又
は複雑な構造からの分離。
(折衷的価値観)
C-保守的なヒエラルキー
複雑な構造の集団に強く
取り込まれた状態。

(階層性集団)

A-積極的な個人主義-
弱い構造、弱い取り込み。

(競争主義的な個人主義)

D-体制外の飛び地-
弱い構造の集団に強く取り
込まれた状態。
(平等主義的なセクト)

Aは競争に基づく個人主義の状態を表し、市場での自立した企業家のありかたである。Bは社会的に孤立したバラバラの個人の状態。Cはヒエラルキー的で複雑な構造の集団に組み込まれた状態で、国家・政治家など権威を擁するシステムに関与する状態。Dは弱い構造の集団に強く取り込まれた状態で、宗教セクトや市民団体などに所属する例がある。この4種類のカテゴリーを対角線で結んだA-Cを「肯定的対角線陣営」とし、B-Dを「否定的対角線陣営」と定義した。A-Cは不満を言いながらも現状を容認し権威に追随する傾向にあり、B-Dは社会のありかたに否定的で、抗議をする傾向にある。もともと医療の選択について考えられた図式で、たとえば病気になったときA-Cは現代医学の病院へ行き、B-Dは東洋医学など代替医療を好む傾向にある。この図式を使いスローフード運動や食育を考えて見よう。

まず、実際の5団体()をあげてその取り組みや思想を紹介する。()はある編集部が母体となり、中心会員は有名料理人やフードライターで一時期、会員も増えたが、その後、別のコンセプトに変更され会員は激減した。スローフードを雑誌やTVで知った人は、美食をイメージしたかも知れない。()は地域活動的傾向が強く、栄養学より食の楽しみを模索する緩やかな連帯を目指した。(Z)はマクロビオティックを実践している会員が多く、スローフード以前から食や代替医療に取り組んだ延長線上にあった。カウンターカルチャー運動と結びつき環境に関しても熱心であるが、栄養学や科学的知見とは対立する思想が特徴である。(P)は会員の3割が生産者で、純粋な味を強調し、栄養学ではなく味覚など感覚を重視した活動を展開する。例えばソバ打ち体験や生きた鶏を絞めるとこから料理を始めた。畑へ出かけ泥付きの野菜を食べてみせる料理人など、この影響が大きいと思われる。生産者の顔の見えるものは善で安全だ、と感覚に訴える。(Q)は食関連のジャーナリスト、食品企業の社員など食の専門家が参加し、政府の食育にも積極的に関わり、情報発信を担うことで食のオピニオンリーダを目指している。

ダグラスの図式で分類すると、(Q)は食の専門家集団であり、政策として食生活指針とスローフードを結びつけ、職業的に関わっているのでA-C(肯定的対角線陣営)といえよう。(X)は雑誌社が母体で、スローフードと食育に対する見解は異なるが、食育に積極的に協力する姿勢はA-Cに位置づけられる。(Y)・(Z)・(P)は氾濫する情報をリスクだと考えたり、五感を重視するため正当な栄養学から距離を置いたり対立する傾向がある。そのため体制や権威に対して否定的かつ批判的でB-D(否定的対角線陣営)といえよう。また生産者や商店を支持し私的コミニュティや地域での活動を展開する。A-Cは理念として地域性を唱えてはいるか、あくまでも全国規模の活動を志向している。

食育の人たちは、食の安全や地産地消で語る。スローフードも、食の安全性や地産地消と思われているようだが、そうではない。スローフードは、はじめに安全性ありき、地産地消ありき、ではない。食の快楽が初めにある。「おいしいものとは」から始まって、住んでいるところでフレッシュなものを手に入れて結果としてそれが安全だった、というのがスローフードである。

引用の文を読む限り、スローフードの始まりは、グルメに近いもののように思えてくる。快楽が始まりであれ、重厚な理念からの実践であれ、組織を運営するには集団の性格や思いを無視する訳にはいかない。徐々にそしてある日、集団の空気が変わり、分派の発生が起ることがある。主流、傍流、亜流などの集団は力強い指導者やメンバーの個性によって方向性が定まってくる。私たちの食行動にも嗜好やパターンがあるはずだ。スローフード運動はイタリアで発展・分化した後、まとめて日本に入ってきたため、すでに多様な集団が生まれていた。運動に関わる人々は自らの志向性に沿った選択が可能であった。

2005年、食育基本法が成立した。栄養の偏り、不規則な食事、肥満などの生活習慣病、過度のダイエットによる健康被害、食の安全、食の自給率などの問題をかかえ、よりよい食の実践を目指すものである。しかし、初期の段階では食の安全・安心が重要課題で次第に食生活指針と一体化していく。最も典型的な取り組みは日本型食生活の推奨だ。言い代えれば伝統食の復権で、ここにスローフード運動が関わるようになった。スローフードはファーストフードとの対立概念として叫ばれ始めたが、食育の重要な要素である地産地消の考え方がシンボル的役割を果たした。スローフードと言うほうが解りやすいほどに、スローフードの名は一般的になっていた。スローフードの側から食育をみると、先の引用のように、「はじめに安全性ありき、地産地消ありき、ではない」という。

現在、地産地消が叫ばれ、スローフードがいいものだ、というイメージがあります。確かにそれはいいことですが、現代の私たちがイメージするスローフード的な食生活がかつての農村に実際にあったのかというと、ごく限られた層しか享受できなかったことを見落としてはなりません。地産地消しかできなかった時代の食は、「ばっかり食」と呼ばれ、その改善が訴えかけられていたのですから。

生活習慣病は増えたが、それは検査数値が物語るもので、戦後の平均寿命50歳からすると、はるかに長寿を得て、健康にも恵まれている。食も含め社会が成熟した証だと思う。これが悪いはずはないが、願望は留まるところを知らず、将来不老長寿社会が訪れるとでも思っているかのようだ。未来に幻想を抱くあまり、現実を味気なくしているのではないか。過去の食生活に幻想を抱き、現代の豊かな食が誤りかのように語られることがある。過去を真摯に直視すれば、ありのままの現実に幻想を抱くこともないだろう。

 

食のリスク学 中西準子

ペルーでは、水道水が原因でコレラが蔓延し、80万人が罹患し、7000人近くが死亡したという事件がありました。1991〜92年にかけてです。原因は水道水の塩素消毒をやめてしまったことにあります。なぜ、水道水の塩素消毒をやめたかというと、米国環境保護局(EPA)が塩素処理によって生成する発がん性物質トリハロメタンなどを規制しようとしたことにあります。そのことを知ったペルー政府が、発がん性物質によるリスクをゼロにしようと考え塩素消毒を中止してしまいました。それによってコレラが蔓延し、多くの犠牲者が出ました。

以前、日本でもトリハロメタンの発がん性が話題になった。「水道水が危ない!」と喧伝し高額な浄水器を勧める水ビジネスが勢い付いた。水を買うなど想像さえしなかったが、いまやペットボトル入りの水が居場所を確保した。いまも水道水を、30分煮沸して飲むという対策を続けている人も見受けられる。水ビジネスは、リスクの回避から次第に健康維持や病気治療まで謳うようになるが、あくまでも水であって医薬品ではない。水道水を例にあげたが、世の中にはちぐはぐな行動が山ほどある。ある健康行動がより大きな不健康をもたらしたり、自分の利益を確保することで、他人を危険にさらすことがある。ペルーの事件は軽微なリスクを避けたことで、大きなリスクに見舞われた。私達はわずかでも恩恵は受けたいがリスクは引き受けたくない。リスクを計ることは保険の計算と同じく冷徹な数字を基礎に成り立つものだ。また個人で実行可能なリスク回避と社会政策で行うべきことを分けて考える必要がある。これを混同すると個人が失敗したリスク回避を社会へ転嫁したり、社会がやるべきことを個人の自覚を促すだけで終わったりする。

リスク学では社会政策としての安全対策が重視され、対策を施してもリスクの降りかかる人が必ず発生する。人の命は地球よりも重いと考える人々の違和感はぬぐえない。全体のリスクは減少したがゼロではなくその為、救い得ない被害者の事を見据えたものでなければならない。水道水の塩素消毒では個人の安心を優先したがために、より多くの犠牲とそれにともなう経費が生じた。予想されるリスクの発生確率とその重篤度を乗じ、各々のリスクを面積で比較評価を行うことが書かれている。実際は複雑で多数の要因を検討して評価されるが、水道水で考えてみると、トリハロメタン(消毒副生成物)の発癌リスクは10万人中、13人の確率で発生する。この数字は仮定をたくさん入れた安全測定値であるため、実際より100倍くらい大きいという。一方、塩素消毒をしない事で起こる細菌感染リスクは、100人中4人で、発病した人の100人中1人が死亡する。結論だけになるが、ペルーは発癌のリスク100万分の1を捨て、感染のリスク1万分の1を選択した事になる。可能性の低いリスクを恐れるあまり、目の前のリスクに気付かなかった。

かって狂牛病(BSE)騒動で牛丼チェーンは多大な危機に見舞われた。全頭検査を条件に牛肉の輸入は再開されたが、リスク評価は次のようなものだ。仔細な数字は本書をご覧いただくとして、米国の牛の生産頭数は4000万頭でうち約100万頭が日本に輸入される。米国で感染牛が4000頭であれば100頭分、400頭なら10頭分が日本に入ってくる可能性がある。当時、米国で検査された牛は57000頭で内1頭が陽性であった。これから考えられる要因を検討しても相当リスクは低い。検査された57000頭も疑わしいものを集めたものであった。危険部位を除去し、たとえ残存しても5%以下であれば無検査でも何の問題もないという。

全頭検査が必要という主張と並んで、米国での検査の比率を上げるべきだという主張がしばしば展開されましたが、ここに示しましたとうり、それはそれほどリスク削減に効果的ではないのです。こういう計算は、少し勉強すれば誰でもできるのに、そういう地道な計算をせず、ただただ思いつきでしかない主張が、大新聞の紙面を占領しているのは残念です。

新聞、テレビだけで情報を得ていては、本質は見えず誤った思考や行動へと誘導される恐れがある。日本で21頭のBSEが見つかったときの全頭検査の費用は200億円を超えていたという。ほとんどリスクのないことに対して使われたものだ。新聞、テレビ、一部の識者は稀な危険を煽り、不安と無駄な出費を強いたことになる。「人の命は地球よりも重い」、亡くなった人々の事を言われると誰も反論はできない。

もうひとつ、魚貝類の水銀について、2003年、厚生労働省はキンメダイが水銀を含有するとして妊婦に注意を呼びかけたが、この数字には見え透いた思惑があった。水銀の摂取量をだすため、摂食割合と摂食量を掛け、年間一人当たりの量を計算すると、キンメダイ114μg、マグロ1673μgとなる。マグロの1/10以下のキンメダイを「よくぞ悪者にしたてあげた」と著者は言う。巨大な業界に配慮した結果、小規模の漁師の釣るキンメダイは大きな打撃を受けた。

自然は安全、植物からとったから健康に良いというメッセージくらい間違ったものはない。ここで述べることはしないが、通常の医薬品に比べ漢方薬がいいというのも、かなり気をつけたほうがいいメッセージである。

私は生薬や漢方薬を販売している。これに触れずして話を終るわけにはいかない。自然や植物という言葉を無条件に信奉してはいないだろうか。地上の毒物の9割以上が自然界由来のものであり、摂取量などを考えると農薬など合成化学物質のリスクをはるかに上回ることがある。自然派から「人は進化の過程で、自然毒の代謝機能を獲得している」などの声が聞こえてくるが、根拠なき希望に過ぎない。また国産であれば安全だ、有機であれば優れているなどと、謂われなき先入観がまかり通る。天然の有毒物や発がん物質の存在を知るなら自然が優しい、穏やかなどとは決していえない。漢方など天然物を扱う人がその利点ばかり流布していては本質は伝わらない。3000年の臨床経験を経て淘汰されたという漢方薬に近年、数々の副作用が報告されている。副作用や薬害という概念がなかった頃は「瞑眩だ!」と病人にガマンを強いた。漢方家はしばしば「生薬の配合によって、副作用は緩和され薬効は相乗的に増す」という。公平に考えれば、まったく逆も成り立つ。実際、生薬の複雑な成分や、それを配合した処方、さらに処方を何種も合わせた時の相互作用は全く未解明であり、解明される見通しもない。

「自然は善」という根強い支持は、科学技術の反証として語られるもので、情緒や空想が紛れ込んでいる。冷静に考え、ときには数字で検証すれば本質は見えてくる。さて、リスク学というのは一定の被害者を織り込んだ冷徹な数字の学問であった。車を使えばある割合で事故が起り、薬を服めばある割合で副作用や薬害が起る。そのうえで全体の幸福と費用対効果を検討するものだ。しかし、数字だけの行動にも違和感が残る。最初の水道水の話でちぐはぐな行動と書いたが、私たちが健康を指向するという積極的な姿勢は、与えられるばかりでは得られない。たとえ数字が愚かさをあざ笑おうとも、一人一人がよりよい生き方を放棄してはならない。医療にEBM(Evidence Based Medicine)とNBM(Narrative Based Medicine)という考えがある。この二つは車の両輪のように互いに補完する役割を果たしている。EBMはリスク学と同じく数字や証拠を拠り所に行う医療を意味し、NBMは患者の訴えやその背景を重視する。医学と癒しが両輪であるように、科学的証拠に基づく医療と、古い伝統や思想で行う医療にも守備を逸脱しない限り意義がある。リスク学におけるNBMはどこにあり、誰がその仕事を引き受けるのだろうか?提起する課題はあまりにも重く困難なものだ。

 

葬式は、要らない 島田裕巳

先頃、「男おひとりさま道」という老後の話を書いたが、今回は死後の話だ。自分の葬儀に自ら関わることはできないので遺言等で「葬式は要らない」と表明しておく必要がある。送るかも知れない肉親に向かって、葬式は要らないと言うわけにはいかない。葬式は人生最後の晴れ舞台であるが、死者は感知できない。遺族が世間体を気にしながら行う自己満足の儀式ともいえる。臨終を告げられ、しばらくして死後の処置のため退席を促される。涙を拭う間もなく現実に引き戻され、さて寺へ、親類へ、葬儀屋へと、やるべき事がめくるめく押し寄せる。四十九日のゴールへ向かって心労と散財が始まる。ゴール近くになる頃は疲労困憊し、ときにはコースの途中、心労で倒れることもある。成仏するまでかくも遺族へ負担を強いるのは寺の都合に他ならない。四十九日まで法要を営まなければ、成仏できないという証拠はなく、単に習俗の問題である。こう考えることは死者への冒涜なのかも知れないが、現世に生きるものの負担から、私は習俗を捨てても良いと考えている。もともと仏教では葬式を取り仕切るような事はまったくなかった。いつのころから葬式仏教へと変貌を遂げたのか。

飛鳥時代から奈良時代に創建された仏教寺院は法隆寺、薬師寺をはじめとして、どれも墓地を持たず檀家がいない。当時の寺は、あくまでも仏教の教えを学ぶための場であり、葬送儀礼は営まなかった。

源信は「往生要集」のなかで、地獄のありさまを詳細に描写し、いかにそこが恐ろしい世界かを強調した。それは、人々に地獄の恐ろしさを印象づけ、是が非でも極楽浄土へ往生したいという強い気持ちを植えつけるためだった。

仏教の次に伝来した密教は、今にみられる能力開発セミナーのようなもので、念仏や修行によって神秘的な力を身につけたり、災厄を取り除くという魅力的な教えであった。これが浄土教の下地となり、源信によって確立された。純粋に死者を送る葬儀に、来世や現世の利益が加わり、寺の介入と台頭が始まる。死や病の恐怖を説いて「薬を売る」、「治療を施す」、まさに代替医療の淵源がここにあり、視点を変えれば代替医療の一つに宗教があると言ってもよい。源信は「往生院」を建て、そこで死に逝く者とともに念仏を唱えた。現代でいうホスピスに似たものだ。現世利益という単純かつ明快な教えは庶民に理解しやすく、根強く広がり、地獄と対比させ極楽を華美に演出するため寺院や仏画や祭壇など贅沢なものがとり入れられた。人望篤く、何らかの仕事を成し遂げた人に「手厚い見送りを ...」というのは純粋かつ自然なことに違いない。葬式が最初から神道と結びついていれば、質素なものにとどまったであろうと著者は言う。最近は寺院のほか葬儀業者も加わり、費用は膨らむばかりである。死して感知しない主役をよそに、葬儀費用は231万円と、世界一高いものになった。比較するとアメリカは44.4万円、イギリスは12.3万円、ドイツは19.8万円、韓国は37.3万円で日本はひと桁高い。

経済は回りだすと止まらず、ここにも寺をはじめ各種業界の見えざる利害が働く。私たちは世間体という腹の足しにもならない見栄にしばられ、75日どころか3日で忘れる人の噂を気にする。おかしな葬儀はできない。普段信仰が薄くても葬儀での無宗教は稀で、ほとんど仏教がデフォルト設定される。かかりつけの寺をもたない新家庭は寺探しが最初のハードルとなる。次は、寺に払う戒名料が葬儀の費用を押し上げる。戒名は位に従い値段も上がり、戒名料も含めたお布施の額は東京周辺で40〜70万が相場だという。私は、一律200万のお布施を要求する寺の話を聞いた事がある。寺が必ずしも暴利を貪っているわけではないという。寺を維持するには最低でも300軒の檀家を抱えておく必要がある。300軒で1000万ほどの収入になるが、坊主丸儲けとはいかず、建物の修理費用やその他の経費を差し引くと500〜300万くらいしか残らない。他に収益事業や勤めをこなさないと家族を養い子供に十分な教育を受けさせるには足りない。

それは私たちも同じことで、できれば不要な出費を避け節約できるものは蓄えたい。戒名については院号居士によって浄土の居住区に違いがあるとも思えない。いま生きている私たちは「故人は良い戒名を貰った」と満足し、他人は「相当なお布施を払ったのだろう」と尊敬するだろうか。死んでしまえば何事も意味はなさず、死人は喜べない。まだしも、生きているうちに戒名を戴き、お浄土の高階層へ行けると思って旅立つほうが幸せだろう。戒名は宗派によって一定の決まりがあり、それに則り自ら戒名を考える人がいる。そうすればお寺に戒名料を払う必要はないし、生きているうちに納得のいく戒名が持てる。冷静に考えると、もともと戒名は必要なく、長年使い慣れた本名を墓に刻むことに不都合はない。「それでも..」と気にする人に、戒名作成のフリーソフトがある。試してみると、ものの30分で2つほど候補作ができた。手作りが喜ばれる時代、これを利用すればお寺へ払う40〜70万が節約できるではないか。

葬式は直葬か家族葬にし、戒名は自前でつける。その後は、一周忌や三回忌などに家族が集まって食事をする。年忌法要は寺院に頼まない。そうすれば、人を葬ることに金はかからず、贅沢にはならない。とても全国平均の葬儀費用、231万など必要ではない。

葬式はいくら金をかけてもその場かぎりのもので何も残らない。参列した人々の記憶に残るだけである。ならば、具体的に死後に何かを残した方がいい。それだけの経済力があるのなら、葬式に金をかけるよりも、よほど有意義なはずである。

直葬(ちょくそう)とは故人が亡くなったあと、いったん自宅に遺体を安置し、近親者だけで通夜を行い、その後、遺体を直接火葬場に運び、やはり近親者だけで見送り、それで終わりにするやり方である。「密葬」という呼び方で知られているが、東京では20%ほど行われ、地方では5〜10%くらいと言われている。参列者の多い葬儀では香典で儲かるケースがあったり、遺産を巡る遺族間の争いを避けるため葬儀で使い切るというケースもあるが、近年、都会を起点に葬式を簡略化しようという動きが広がりつつある。「金銭でカタのつくものはいずれ誰かにとって代わられる」、あるお寺の奥様から伺った話であるが、お経をあげるだけの派遣僧侶や、ビルの中の納骨堂が重宝されるのを見ると、いままで不可侵の精神文化とされた領域も、金銭で済む時代に変わりつつあることが予感される。たしかに、金がないと1日も生きていけない。この危機感が冷徹な金銭感覚を生み出しているのかも知れない。しかし、精神文化は金銭に代えられない一面を備えている。死に際して哲学者や心理学者などより、お寺の話が解りやすく安らぎをもたらす。お寺も新たなサービスを模索する時代が到来しているのかも知れない。

死して、見送られるときでは遅い。冒頭で書いた遺言の話になる。「葬式は要らない」と言うだけでは十分ではない。遺体を打ち捨てるわけにもいかず、やはりそこには何らかのケジメが必要となる。少なからず貯まった遺品は如何に処分するか?「葬儀は身内だけで行い、派遣僧侶のお経だけでよし。香典は拒否せよ。戒名は自分で準備するから要らない。それと飲みかけの酒と読みかけの本を棺桶に入れてくれ。遺骨は先祖代々の墓に頼む・・・」この境地に達するまでに、まだまだやるべき準備と月日がいる。首尾よく、めでたしめでたしの着地点を見いだせるであろうか?物やお金を持たなかった時代にはおおよそ必要のなかった事ばかりである。

 

健康不安社会を生きる 飯島裕一 編著

飢餓や疫病が蔓延した時代、そして今も地上のどこかでは過酷な営みを強いられる人々がいる。幸い私たちは飢餓や疫病の切実さからは逃れえたといえるだろう。幸いと言ったが、これはささやかな不幸の始まりでもある。死と隣り合わせの不幸に比べれば、健康不安というのは切迫した危機ではない。自らの頭の中で繰り広げられる葛藤や脅迫であって、自分の影に怯えたり、誤認したり、ときには少し抵抗したりするものだ。飢餓や疫病を克服し生存が保障されると、次はよりよきものを求める。命や生存という言葉は健康という言葉にとって変わる。WHOは「健康とは、単に疾病がない、虚弱ではないだけでなく、肉体的、精神的、社会的に完全に良好(正常)な状態である」と定義している。

検査数値だけが一人歩きを続けるいま、2つの不安が生まれた。数値は正常であっても体調が悪い、体調は悪くないが数値が異常を示す。ここに健康への不安が絶え間なく襲う。健康の実感は不快や愁訴がないことで成り立つ。数値とともに本人が完全に健康と思わなければならない。そのハードルをクリアすると、次は来たるべき疾病や不健康の影に脅えるようになる。東洋医学に「未病」という言葉がある。黄帝内経の「上工は未病を治し、中工は已病を治す」が語源とされている。未病を治すのが名医であり、未病とはいまは病気ではないが、やがて起るであろう病気のことを言い、名医は先を予測して事にあたる。予防医学の考えに近いもので、このため毎年、苦しい検査に耐え1年の安心と保障を得る。未病という言葉は検診のみならず健康業界に浸透し、健康食品や各種代替医療で頻繁に見受けられる。未病本来の意味は変質し「いまは病気でないが、やがて病気になるぞ!」と脅迫する文言に成り果てた。努力目標だった筈の検査数値は、業界の努力で異常値とされ、健康だと思っていても検査によって多くの病人を生み出した。

養生を心がけ自ら健康を管理できる人は多くない。国は啓蒙に怠りがなく早期発見・早期治療がセットで語られる。医療費の増加を抑える、という国の思惑どおり、検診を受け早期に発見することで医療費が節約できるだろうか。節約するため健康な人にまで過剰な検査を奨励するのは本末転倒のように思う。また数値目標を厳しくすることで検査病人を大量生産する。どう考えても医療費の抑制は絶望的だ。早期発見・早期治療に満足な根拠はあるのだろうか、症状が出てからでは手遅れだろうか。地獄に落ちると脅して、極楽行きを説く宗教にも等しく、早期発見・早期治療を錦の御旗に啓蒙が繰り広げられ、そこに様々な人々や情報が群がる。

まず挙げられるのは、強迫的ともいえる健康志向ですね。誰でも健康でいたいと思っています。2003年に施行された(自分の健康は自分で守れという)健康増進法は、これに追い打ちをかけました。こうした中で、十分な食料が出回っていて、「あれはからだにいい」「これはダメ」と、食べものを選り好みできる時代です。さらに、食の安全性に対して漠然とした不安があります。
大量の健康情報が流れる中で、メディア情報を批判的に読み解く能力(メディアリテラシー)への関心が薄く、論理的な思考を嫌う人が多いことも、フードファディズムが蔓延する一因でしょう。

科学で立証された事実とは別に、食物などが健康や病気に与える影響を過大に信じることをフードファディズムという。ここには純粋無垢に健康やよりよき生き甲斐を求める人々と、健康ブームに乗って稼ごうという人々が居る。健康ビジネスについては他のコラムでも繰り返し述べているが、事実とは言いがたい「言説」が説得力を以って発信される。言説とは、常識や習慣に訴えるもっともらしい言葉ではあるが、冷静に検証すると空疎なものを意味する。「腹八分目に医者いらず」「転ばぬ先の食養生」「早期発見・早期治療」等々、探せばあちこちに氾濫している。一枚の折り込み広告からテレビの健康番組まで、メディア仕掛けの言説が人々を動かす。空疎な言説に囚われ脅え、ゆくえも解らぬまま驀進するのが現代の不安行動といえよう。

偽医者の守備範囲の中心は、正規医療が不得意とする不定愁訴。つらく不快な症状があり厄介だが、命に直結することのない病気です。

現在、主流となっている西洋医学を正規医療といい、それ以外は代替医療と呼ぶ。漢方や鍼灸、民間療法はじめ多くの癒しとその道具が代替医療に分類される。冷静に考えると代替医療が有益な範囲は限られている。例え重症や難病に対処したとしても、心を満たす気休め療法にすぎない。守備範囲を守る限り有益な面もあるが、その見識を備え、己を知る治療家ばかりではない。代替医療の治療家の殆どが正規医療を批判し、健康不安を煽りたてる。とりわけ厄介なのが、西洋医学を学んだ医者が代替医療に取り組むケースだ。彼らは持てる医学知識を駆使してその正当性を語る。熱意や善意が過熱し、擬似科学の領域に踏み込んだことさえ気付かない。医療は不確定で未知の要素が多いだけに、正規医療においてさえ疑似科学を産み出す構造を備えている。医者が煽る根拠なき健康情報がメディアを通じて流れ、不安の出口を探す人々を中心に群がりをみせる。偉い医者の言説は、医者でさえ受け入れてしまう危険性をはらむ。あたかも武道の達人が素人相手に喧嘩を仕掛けるようなものだ。荒技や反則技を繰り出し、これがルールだと言って打ち負かす。

飢餓や疫病、あるいは戦禍を乗り越え、目前の死から遠ざかった。安穏な日々は、死を忘れさせ早期発見・早期治療さえすれば、永遠に生き続けられるかのような幻想を抱かせる。健康不安に駆られ、悩み、ときには騙されるほど平和なのだ。いま、メタボの数値が改善したとしても、次は癌の心配が生じ、不慮の事故や感染のリスクもゼロではない。いずれ何らかの原因で死ぬことだけは間違いない。体質改善、老化防止など欺瞞に満ちた言説を疑い、永遠に生き続けるという妄想は捨て、その日までいかに生き抜くかの覚悟も大切である。

 

医薬品クライシス 佐藤健太郎

本書では、病院で処方される「医療用医薬品」を扱う。これは通常のドラッグストアで購入できる風邪や水虫の薬(一般薬・大衆薬・あるいはOTCなどと呼ばれる)とは似て非なるものだ。

「似て非なる」とは、どこが違うのか?ひと言でいえば似て非なる効果の違いだ。一般薬は雑貨や駄菓子を買うのとさして変わらない。効能・効果、用法・用量のラベルを見て素人判断で服用しても副作用も薬害も起こらない。先の通販規制で副作用・薬害防止のため対面が好ましいと主張する被害者団体がいたが、一般薬は用法・用量を守って服用するかぎり問題が起こらないように配慮されている。副作用・薬害を危ぶむなら、その薬を医療用にすれば済むことだ。一般薬の販売規制を敷いた裏には、他の意図が働いてのことだろう。

医療用医薬品の使用は医師の処方箋または指示を必要とする。薬の専門家たる薬剤師が血のにじむ勉強をしても、使うことは許されない。効果も副作用も強く、適用を誤れば薬害の発生も稀ではない。このため医療薬の処方は医師の専権事項とされ、これに異論はない。一般薬は他の物品と同列のもので購入費用は個人の負担になるが、医療用は保険によって賄われるため使用規模も桁違いに大きい。一品目で一般薬すべての売り上げを凌駕するものもある。このため、新薬の開発は製薬会社の命運を賭けた事業でもある。20世紀後半から科学技術の進歩著しく、医薬品開発も例外ではなかった。わずか数十年で医薬品は質、量ともに劇的な変化を遂げた。ところが21世紀を迎え、新薬がぱたりと生まれなくなってしまった。ここから製薬業界の苦悩や不安が始まる。「製薬業界の2010年問題」と呼ばれるものだ。新薬が生まれないのに、2010年を前後に 多くの製薬会社で医薬品の特許が切れるのだ。特許が切れると後発医薬品がゾロゾロ出てきてあっというまにシェアを奪われる。今まで特許で保護されていた売り上げが侵される。この対策も兼ねて次の新薬を準備する必要に迫られるのだが、それが困難になったため、苦肉の策ともいえる製薬会社の合従連衡が加速し経営基盤の強化に努めた。特許切れが迫るにつれ、新薬開発どころではなく経営や存続も危ぶまれる。この事態は、医療の危機にも通じるもので看過できない問題である。

なぜ医薬品は生まれなくなったのか?草創期には中小のメーカーでさえ難なく生み出していたが、今は巨大企業が総力をあげても難しいものになり、新薬を創れる国さえ十ヵ国に満たない。著者は国内の大手メーカーで医薬品開発に取り組んできたが、13年間の研究生活で一つの製品も世に送り出すことができなかった。これは著者特有の事情ではなく、新薬をまったく生み出すことなく現場を去る研究者がほとんどだという。潤沢な研究費と一流の人材を以ってしても、いま世界中で世に出る新薬は15〜20品目にすぎない。

では医薬を創ることは、一体なぜそんなに難しいのだろうか。まず、医薬が相手にする生体には、現代の最先端の知識をもってしても理解が及ばない部分があまりにも多いことが挙げられる。また医薬分子はあまりに小さく、そこに詰め込める情報はわずかであるのに、要求される条件はあまりに多いことも理由だ。

劇的ともいえる開発競争の果て、薬で解決できる病気について完成度の高いものが出尽くし、残っているものはガンやリウマチなどの難病ばかりになってしまった。さらに薬効の検定方法の厳密化と副作用や薬害に対する安全策をとるという事情の変化がある。いままで幾多の薬害を繰り返し、また新薬による死者の報告もあとを断たない。ほんの数十年前まではお粗末な臨床試験で毒性も不明なまま人に適用された。世に送り出すことで大規模な臨床試験を行ったといっても過言ではない。著者は3つもの医薬品を開発した「伝説のS氏」の講演を聞いて次のような感想を書いている。

S氏が第一線で活躍した70年代・80年代の創薬手法は全く時代遅れで、現役である我々の参考になるものではなかった。合成手法は古臭く効率の悪いものであったし、生物学的知識に至ってはほとんどオカルトというべきものであった。

そして彼らは、その貧弱な研究手法によって、200から300の化合物を合成しただけであっさりと新薬にたどり着いていた。現役の我々は最新技術を駆使して数千、数万の化合物を試験しても、新薬どころか臨床試験段階にさえ、なかなかたどり着けないでいるというのに ---。

いま、新しい化合物が見つかれば、動物実験で有効性と安全性をチェックし、ようやく臨床試験に移る。ここまで到達するのに膨大な時間と100億単位の費用がかかる。次の臨床試験は、第T〜第V相の3段階で構成され、第T相は健康なボランティアに少量づつ投与し、十分な安全性を確かめる。第U相は前期で比較的軽症の患者を対象に体内動態、投与量などの瀬踏み試験を行い、後期で病気への適応と服用量を決定する。第V相はいよいよ多数の患者への比較対照試験を行い、副作用や有効性や十分な安全性の検討を経て厚生労働省に新薬認可の申請書が提出される。薬によっては申請の段階で工場をひとつ建設しなければならない事もある。新薬の審査は最低でも1年、最近は3〜4年かかり、プロジェクトの開始からは15年ほどの期間を要する。晴れて発売にこぎつけても、今度は多くの患者に使われるため、稀に不都合が起っても、添付文書の訂正や適応の制限が加えられ、時には販売停止・回収を余儀なくされることがある。さらに薬害裁判に発展すれば製薬会社も国も相当の負担を覚悟しなければならない。

患者はこう考えます。現代医学は万能で、あらゆる病気はたちどころに発見され、適切な治療を受ければ、まず死ぬことはない。医療にリスクを伴ってはならず、100%安全が保障されなければならない。

製薬会社としては、「うちの製品には副作用の可能性もあり、悪くすれば死ぬ可能性も絶無とはいえませんが、それは覚悟の上で飲んで下さい」とはとうてい言えない。

100%安全とは誇張はなはだしいが、命は地球よりも重く是が非でも守らなければならないと考える人は確実に存在するし、異論を差し挟むことは憚られる。正直にありのままを話すことが暴言とか不謹慎だと言われる時代だが、心地よい議論だけでは済まない。医療には限界があり、医療行為には死や危険が伴う。医薬品は他の商品と異なり製品として出回っても、本質的に欠陥商品なのだ。リスクを抱えながらそれを超える利益を得る商品である。著者は「一つ一つのリスクを丹念に避けることが、回り回って全体の利益を損なってしまう」と言う。医薬品開発者のあつい思いとジレンマを感じさせるコメントである。副作用や薬害は覚悟しよう、その代わり病気さえ治れば良い。と考えた結果、死者が出る。それが自分の身に降りかかっては困る。これが回り回って全体の利益を損なう。過去幾多の薬害で亡くなった人々に「全体の利益に貢献したのです」と誰が言えよう。結局、言葉で謝罪し金銭で贖うことしかできない。

 

テレビは見てはいけない 苫米地英人

1959年、現在の天皇(当時皇太子)の成婚を機にテレビ受像機の普及が始まった。当時は銀行員の初任給の10ヵ月分ほどの価格だった。いまなら車を買うような感覚だろう。テレビを買ったことが噂になるほど珍しく、1台のテレビを前に親類、近所、こぞって集まり楽しんだ。5年後の1964年、東京オリンピックが開催され、この年には月給の2ヵ月分位で買えるようになり、多くの家庭に普及した。さらに4年後のメキシコオリンピックの時にはカラーテレビが出回り始めた。いまは、大画面の薄型テレビが月給の半分以下で買えるし、一家に複数台を所有するまでになった。テレビは生活に溶け込み、教養も娯楽も情報も奔流のごとく押し寄せ、良し悪しきの別なく思考や感性への影響に普遍性を帯びてきた。

聴覚、嗅覚、触覚、味覚から得られる情報にくらべて、圧倒的な量を誇るのが視覚による情報ですので、人間の感じる「宇宙」はおもに視覚からつくられるのです。20世紀になって発明され、第二次世界大戦後の急速に普及したテレビは、そうした人間の視覚情報に強力に働きかけることのできるメディアでした。そのため新聞やラジオなどほかの媒体にくらべても、圧倒的な影響力をこれまで保ちつづけてきました。

著者は脳機能学者という肩書で洗脳原論などの作品も著している。読む前からテレビを洗脳装置とする話が展開されることは察しがついた。「百聞は一見に如かず」の諺どうり、見たものの鮮やかさに隷属するように聴覚、嗅覚などの五感が動員されるといっても過言ではない。今日のテレビ番組表を見ると定時のニュースを除いてほとんどがドラマやバラエティといわれるものだ。NHK教育だけが情報に重きを置いた番組構成になっている。視聴率を得なければ立ち行かないのが民放の宿命で、製作費の範囲で目的に叶うものが提供される。テレビは手軽な娯楽の主流となり、硬派の番組は好まれない。教養番組の減少を嘆き、だからテレビは見ないという人も居る。視聴率追求の果てにテレビの現状があるのは間違いない。

テレビが広まりつつあった60年代の番組にはほのぼの懐かしさを感じるが、いまさら先祖返りを望みはしない。懐かしく、古臭く退屈な番組でも当時から説得力のあるメディアとして君臨してきた。視覚に訴えるテレビは動かない写真や絵にくらべ格別の臨場感を伴い、圧倒的な影響力を及ぼす。ここで発信側や広告主になんらかの意図や期待があれば、視聴者の感性や思考の制御も可能になる。テレビが登場した1957年頃、評論家の大宅壮一や小説家の松本清張は「一億総白痴化」と警鐘を鳴らした。テレビに限らず本、新聞、雑誌でも無批判に受け入れるなという戒めでもある。広告は明らかに購買行動を期待して行うものだが、報道において事実の他に識者、有名人などのコメントが差し挟まれると、購買行動と似た事が起こる。誰しも己を愚者だとは思わないし、自分だけは個性を失わず利口だと考えているだろう。しかし、知らぬ間に、メディアで見聞きした言葉や思考パターンを反芻するようになる。注意して観察してみよう、街角の庶民へのインタビューで、一見、評論家ふうに公平に淡々と語るそぶりが至る所で見られる。明確な旗色を示さず、識者であるかのような言動が好まれるようになった。利口な語り口そのものが、画一化の結果であり、総利口化と言い替えても、本質は総白痴化と変わらない。ときに同じ意見の大合唱や行動が噴出することがある。最近の傾向では、「セツメイセキニン」、「シャザイ」などの言葉がある。何度説明しても足りない。「社会から退場しろ」と言わんばかりに「足りない」、「足りない」と連呼する。ようやく一人の人格を抹殺すると熱が冷めたように忘れ、次の生贄を探し出し俎上に乗せる。このほとんどがメディアからのかけ声によるものだ。ここにクレーマーと呼ばれる人々の萌芽を見る。理不尽でもゴネ得は通るのだ。

日本のテレビ番組の企画をつくっているのは、「構成作家」と呼ばれる人々です。彼らが書いた企画書が、ドラマ、ニュース、バラエティ番組のもととなり、日本中に流されるのです。日本のキー局の番組を制作している構成作家の人数は、見習いを含めて、おそらく数百人といったところでしょう。そのうち、日本のテレビ界の中心で活躍しているのは、20〜30人くらいの人数だと思います。たったそれだけの、国会議員よりも少ない数の人たちが考える番組によって、日本中の流行や、お茶の間の話題、政治的な世論までもが作られているかと思うと、驚きの感情が湧いてきませんか。

彼らの知識や思想が正しいか誤りかではなく、少数であるため、人々の多様で複雑な意思が反映されない。また影響力の大きなメディアを通すことで、一粒の個人が巨大なまでに増幅される。もし、彼らの知識や思想に誤りや偏り、もしくは企図があれば、多くの人々が彼らの思うところの言動に捕捉されやすくなる。著者はこの危惧すべきことを洗脳と言い、日常至る所で洗脳が行われていると指摘する。私たちは怒涛奔流に呑み込まれ、呑み込まれたことにも気付かないまま、語り行動しているのかも知れない。「自分だけは違う、利口なのだ」、という唯我独尊は捨て、まずはテレビを見ないことから始めよう。これが本書の主旨で、脳機能学者としての様々な提言と対処法が示されている。見なければならないものが見えず、見えているものが正しく認識できない。自らの言動を冷めた目で吟味する必要を感じるが、洗脳されてしまえばそれさえ覚束ない。

しかし、私は本書にも洗脳の片鱗を感じた。洗脳の手法を熟知した者は、どこかでその手法を用いるだろうし、洗脳に関する業務は著者の糧食となっている。何処かの誰かに「洗脳」というラベルを貼られた時、貼られた者は、申し開きのできない苦悩を抱え込むことになる。洗脳という言葉は人格の否定にも等しく不用意に使うべきではない。以前、オカルト批判に際し、理解困難な現象を全てプラズマで説明する科学者がいた。本書では社会やメディア批判を洗脳という言葉でしているような釈然としない部分があった。著者は自らが経営するメディアを所有し、資本と広告が独立しているためタブーなき批判が可能だという。そのwebを読んでみたがゴシップ以上のものを感じることはできなかった。著者の自負するメディアも、たぶん著作も、例外なく「見てはいけない」という批判の範疇にある。

 

死因不明社会 海堂 尊

1月下旬、小さな新聞記事に目が留まった。「チーム・バチスタの栄光」の著者、海堂氏に名誉毀損で賠償命令が出たという。海堂氏がブログで「○○教授らが厚生労働省と癒着してAi(死亡時画像診断)の普及・発展を阻害してきた」などと指摘したことが名誉毀損にあたるとされた。以下記事の一部である。

判決後に記者会見した海堂氏は「Aiは解剖率が低い日本の『死因不明社会』の解決策になると信じるからこそ批判をした。反論は裁判所ではなく、学会などのアカデミズムの場で行って欲しかった」と述べた。

死亡診断書は医師が正しい判断のもとに書くものと思っていたが、死因不明と言うからにはそうでない例があるのだ。病気の診断ミスはしばしば耳にするので、死亡診断にもミスがあっておかしくない。病死、事故死、自殺、殺人など様々な死があるなかで外見から死因を察知出来るものばかりではない。にもかかわらず、多くの死体に対して目視だけで死因の決定がなされている。死因の的中率と誤謬率はいかほどだろう。検視だけと検視+画像診断を比べると20人中4人に診断のくい違いが見られたとの報告がある。目視や表面観察で確定できないときは画像や解剖に頼ることになるが、解剖実施率は2%台で年間3万体前後くらいだという。2005年度でみると死者101万人のうち変死者数は約15万体(交通事故関係を除く)で司法解剖、行政解剖という変死者用の解剖で対応できたのは1万3570体であった。解剖が必要な死体についてさえ解剖率は9%だ。テレビや映画の事件ものに慣れきっていると、解剖もふくめ適切な科学捜査が遂行されているものと勘違いする。折しも東京、島根で結婚詐欺に絡む連続変死事件の報道が続いた。もし、一人で終わっていたら事故や自殺で片付けられたかも知れない。また、診断のくい違いを考えると、通常の死とされたものにも殺人が紛れ込んでいるかも知れない。少し前までは、表に出なかった子供への虐待やDVなどによる死も、事故や自殺として闇に葬られたかも知れない。無念の死を遂げた人々の慟哭が聞こえてくるようだ。死を疑い死因を究明する姿勢こそ死者に対する真の供養であろう。

種明かしすれば、司法解剖年間5000体という数字は、予算が年間5000体分しかないということの裏返しである。つまり体表観察して解剖の適否を決める検死が、予算の縛りにあわせて判断を変更している可能性がある。
 ---- 中 略 ----
体表に異常所見を伴わない殺人は、現在の制度の下ではかなりの確率で見過ごされてしまうだろう。

上記は監察医制度が実際に機能している東京23区内で検証したもので、詳細は省くが、この率から敷衍して、行われるべき解剖が行われなかった数は日本全国で約3万人に昇ると推定される。解剖には一体25〜50万の経費がかかり、人も予算も不足しているうえに、丸1日という時間と労力がかかる。このため医師も解剖を嫌い、解剖自体が凋落傾向にあるという。異常死に対する解剖率を欧米と比較するとイギリス60%、アメリカ50%で日本は東京でこそ9%であるが地方では4%ていど、行政解剖については年間ゼロという県もある。

死因不明を解消するため予算を増やし人材育成に努め、もっと解剖せよという事ではない。著者も解剖は忌避する検査だという。しかし、いままで解剖が唯一の死亡時医学検索だったため解剖の減少につれ、死亡時医学検索を軽視する風潮になった。死ねば死亡診断が下されるが、ほとんどの人は死因不明が紛れ込んでいることなど知る由もない。たとえ正確でなくても何らかの診断が下され、何の不都合もなく済んできた。というのは認識不足であった。実際には、1)死因不明のため医療過誤の発見が困難になったり、保険金の請求で問題が起る。2)診療行為の効果判定が正確にできないため効果的な治療法の確立を妨げる。3)体表診断だけでは見逃す殺人や虐待などのため、犯罪が繰り返される。4)死亡統計が不正確になり、医学の土台が崩れる。などの弊害をはらんでいるのだ。

すでに述べたように解剖は凋落傾向にあり、予算を増やしても時間や労力を考えると容易に改善は望めない。そこで著者は「Ai」による新しい「死亡時医学検索」を構築しようと言う。検案(体表検索)→Ai(画像診断)→解剖、これが提案の骨子だ。AiとはAutopsy imagine(解剖画像)の略でこれを制度に組み込もうという話だ。制度と言うからにはお役所が関わるわけで、ここに冒頭であげた名誉棄損の記事が絡んでくる。事の次第は省くが、著者の主張をもう少し紹介すると、死亡後にCT(コンピュータ断層撮影)、MR I(核磁気共鳴画像法)、超音波検査などの画像診断を行い、解剖につなげようというものだ。現在、行われているPM I(死後画像診断)は単独で完結するが、Aiは検索、解剖、画像診断をパッケージとして運用することで必要かつ効果的な解剖がなされ、不必要な解剖は避けられる。遺体の解剖については遺族の説得に大変な労苦を強いられるため、画像であらかじめ不明な点や部位を示すことで了解もとりやすくなる。

日本は解剖率は低いが、CTなどの高価な診断機器の導入が進み、アメリカと比べても約2.9倍もの台数を誇っている。ここでAiに要する国家費用を算出すると、一死体2万円で、年間死亡者数の約100万人をかけると総額200億円、さらに解剖まで必要とする検体を仮に5%として、解剖費用30万円をかけて150億円が加わる。「これからは医療費の1%程度は医療監査費に充てる基本原則を確立すべきだ」と著者は言う。

官僚の不作為も適切にとがめなければ、彼等は責任を感じない。物事を考え抜かなければ、市民は国家に喰い殺される。防ぐ手だてはただひとつ。自分で考え、物事を調べ、よりよくするために行動すること。安穏と怠惰な眠りの中で人生を全うできる幸せな時代は終焉を告げた。
無知は罪なのである。

「死因不明」の現状を知ることさえなかったので、1冊の本を読んだくらいでコメントする知識も意欲も十分ではない。著者はAiの確立に粉骨砕身するなかで、上記の言葉が出てきたものと思う。知ったものが知らないものへ「無知は罪」だと問いかける。もとより私たちは世のすべての事案について熟知も出来ないし、怒りを覚えたからといってすぐ行動に移すことはできない。自分の事で精一杯の私には厳しい言葉であった。

 

男おひとりさま道 上野千鶴子

新年を迎えたかと思っていると瞬く間に誕生日が過ぎる。頼みもしないのに暦は日々めくれていく。先は永遠にあるのではなく、砂時計のように限られた量の砂が、いつしかついえてしまう。死を考えた記憶は古いが、老後を考えたのは新しい。1970年頃、哲学者・堀秀彦の青春論、人生論などを喜々として読んだ。時は流れて1980年、朝日新聞に堀秀彦の「銀の座席」が連載された。老いゆく哲学者が老いや死について語るものだった。物心がつくと私たちはなぜ生まれどこへ行くのかを考える。死に対峙する始まりであるが、齢を重ねるにつれ様々な変容を呈する。子供の頃切実だった恐怖感は成長とともに薄れ、青年期は死を忘れ、恐れず、そして、老いるにつれ死の想念が蘇る。新聞の連載は終わり、後に「銀の座席」が文庫本になったとき、改めて読みなおした。30台半ば、結婚し子供も生まれ仕事も順調だったとき、そこにすっかり先の見えた自分がいた。10年後や20年後、あるいはもういないかも知れない30年後や40年後、そして世を去るそのときを空想した。「銀の座席」は青春論ほど心地よいものではなかった。老哲学者の淡々とした語り口は寂寥とし、悟りきれない懊悩が伝わってきた。死に直面すれば、痛みを鎮痛剤で紛らすように来世や輪廻転生を信じるほうが楽だし、確固たる理知とは別に、その方向へ気持ちは動いていく。屍となり、焼かれてカルシウムの塊が残るという結末はあまり想像したくない。

先が見えた時、子供に未来を託す逃げ道もあるが、そこから老いを考え始める。しかし、壮年期ゆえ、老の実感は希薄で想像さえままならず、あくまでも観念の中でのこと。やがて49歳を通過し50の声を聞くと、ひしひしと迫る老いを感じる。49と50の差は1年ではなく、心理的には10年にも値すると思う。人生50年と言われた時代から80年時代になったのは最近のことだ。不慮の事故や病で亡くなった同級生を思うと、自分にいつ起こってもおかしくない。貯まった蔵書の1/3を整理した。体力のあるうちにと思い薬局の移転も終えた。不要なもの、ときには必要なものも買わない工夫をしている。子供が巣立つにつれ、家は広くなり空漠感がつのる。ここで自分が妻より長生きする事を考えた。お茶、新聞、ご飯が声ひとつで出てこない不便もさることながら、仕事の同僚もいない。気の利いたコミュニティも趣味もない。独り黙々と酒を呷り、テレビを観て本を読む。こんな生活が死ぬまで続くのだ。正しくは健康でいられる間であるが ...

空想から現実へと至ったのはつい最近のことだ。失って気付く大切な家族を今までぞんざいにしすぎていた。本書を読んで反省に拍車がかかることになった。とは言え、家族に対する態度はそう簡単には変えられない。にわかに優しい言葉をかければ「お迎えが近い知らせでは..」と余計詮索されそうで心配だ。妻に先立たれることだけを考えていたが、男がひとりになるのは様々なケースがある。さすが社会学者だと感心させられる調査と考察だった。

男おひとりさまは、死別・離別・非婚と、ひとりになるなり方によって、生活、価値観、交友関係、ライフスタイルなどが大きくちがっていそうだからだ。 
---中略---
 女は、ずーっとシングルも死別・離別のシングルアゲインも、なってしまえばみな同じだが、男はそうではないからだ。女は非婚シングルだって、だれもいない家で自分のために"主婦している"ことに変わりはないし、暮らしの作法やスキル(技能)は身についている。

妻に先立たれた夫の平均余命は5年、うち約7割は3年以内に後を追い、夫に先立たれた妻の平均余命は22年、という調査がある。強がってはいても男は「おひとりさま耐性」が低いか欠如する傾向にある。数字を見る限り、妻をいたわり、自分より早く死なないようにと祈らねばならない。不幸にも祈りが通じなかったとき、本書の「男おひとりさま道」の助言が生きてくる。話は前後するが、どちらが先立つかの前に、どちらが介護するかという大きな問題が横たわっている。たとえば倒れて数ヶ月、献身的な介護の末、介護疲れが出た頃にお迎えがくると残された者の悔いは少ない。しかし、長期の介護には体力と費用と忍耐が必要となる。このとき介護されるほうとするほうの力の逆転が起る場合がある。夫婦間だけではなく、子供の世話になるケースでは、いままで親として君臨したかも知れないが、否応なく弱さをさらけ出さねばならない。ここで起こる葛藤や齟齬が決定的にならぬよう、元気なときから横暴や理不尽は厳に慎まねばならないところだ。介護や看病を経て、幸か不幸か「おひとりさま」になったとき著者のいう処世訓が輝きだす。

老後とは「下り坂」の時間。勝ち負けを争う必要のない時間だ。パワーゲームなら、手札を実際よりも強く見せることは相手を威嚇するうえでも必要だろう。しかし「下り坂」を下りる知恵は、むしろ自分が持たないカードを他人から引き出すための「弱さの情報公開」にある。これまで男性が闘ってきた知恵の正反対にあるものだ。

価値観や生き方を180度転換することが困難であるがため「男おひとりさま」の耐性は総じて低い。定年後、地位が高かった人ほど不適応や不健康を囲ってしまう例は、身近にいくつも転がっている。もともと弱者である個人の力を増幅するのが会社や組織であった。老いとは本来あるべき姿に還り、堂々と弱者宣言を行うことである。そしてその後の生き方は「女に学べ!」と言う。無害無益でオチのない「お喋り会」、食事や温泉旅行のコミュニティなど、難なく築きあげる女性に見習うべき点は多い。また、職場や家庭以外の第三の居場所をつくり、下心なく女性の友達を作ることが大事だと言う。不倫のススメのように感じられるが、女性の世話が必要になるとき大変助かるらしい。私は男の友達さえうまく作れないし、まして女性の友達など若返るより難しいことだ。私は20代の終わりに薬局を開いた。いま考えるとこのとき「おひとりさま宣言」を終えたのだと思う。その後はお客様以外の外部との接触が少なく、快適な自分の城で過ごしてきた。私のばあい、本物のおひとりさまになる前に少し外へでる努力もしなくてはなるまい。ひとりになってからでは遅すぎる。なにしろ人と付き合う訓練ができていない。まして老後を暮らすにはなみなみならぬ配慮と体力が必要だ。女性の友達は諦めるとして、長年、一人で薬屋を営んできたので、一人楽しめる快適な空間は作れそうな気がする。しかし仕事柄、アドバイスという名分のもと、人の生活や嗜好に過分に口を挟んできた。老後の生き方で大切なことのひとつ「人の話を良く聞き、頼まれたことだけをやり、頼まれないことをするな」という教訓を胆に命ずる。以下、著者による提言である。常識といえばそれまでだが、すこぶる困難なことだ。

   - 男おひとりさま道 10カ条 -

  1. 衣食住の自立は基本のキ
  2. 体調管理は自分の責任
  3. 酒、ギャンブル、薬物などにはまらない
  4. 過去の栄光を誇らない
  5. ひとの話をよく聞く
  6. つきあいは利害損得を離れる
  7. 女性の友人には下心をもたない
  8. 世代のちがう友人を求める
  9. 資産と収入の管理は確実に
  10. まさかのときのセーフティネットを用意する
 

本当のところ、なぜ人は病気になるのか?
ダリアン・リーダー&デイヴィッド・コーフィールド著 小野木明恵訳

徒然草の作者である吉田兼好が8歳の頃、父親に「仏とはどんなものか」と尋ねた。父親は「仏は人が悟りを開いてなるものだ」と答えた。すると兼好は「人はどのようにして悟りを開いて仏になるのか」と尋ねた。父親は「仏に教えを受けて仏になるのだ」と答えた。問答は以下のように続く。
兼好:「それを教えた仏はだれが教えたのか」
父親:「それもまた、その先輩の仏の教えを受けて仏になったのだ」
兼好:「では最初に教えた第一番目の仏はどんな仏なのか」
父親:「それは空から降ってきたか、地面からわいてき たのだろう」と、ついに父親は笑って答えたという。

問い詰まったところは問わず、暗黙の了解から始まるのが数学でいう公理というものだ。なぜ病気になるのか?原因の先にある理由を誰もが知りたい。それを笑わずに一歩踏み込んだ答えを出せるのが心身医学であろう。心身医学とは心が原因となって心と体に起こる機能的かつ器質的疾患を扱うものだ。似たものに代替医療や宗教などがあり、病気に対する独自の解釈を打ち出し、治療に活用される。断っておくが、答えがあり、治療法があるからよろしいというわけではない。

医師の診察を受けたうちの25%から50%の訴えは、医学的には説明のつかないもので、今日の診療でもっとも多い診断名は、病気にあらず、というものなのだ。

第一の結論が、心身症などは存在しない、というものだ。主な病気のなかで心だけが原因で引き起こされるものはひとつとしてないし、心の影響をいかなる場合もまったく受けない病気もほとんどない。重要なのは心と身体のあいだにどのような潜在的なつながりがあるか、ということだ。

病気は単一の要因や定まった法則で起るものではなく、多様な要因で無秩序に起り、ときに心理的要因が重要なことがある。ここが心身医学の面目躍如たるところと考えていたが、事はそう単純ではなかった。著者はもっと広く深く、多くの代替医療や宗教をも網羅した考察を加える。現代医学で不明な病気は大概、免疫、自律神経、ホルモン、血流などの不調や障害が原因だという。説明に困るから仕方なくそういうだけで、言い方を代えたにすぎない。心身医学はさらに一歩踏み込んで、病気の発症は潜在的な心の影響から逃れ得ないという解釈をとる。病人にとってはこの一歩が知りたい事であり、不安を解放する事でもある。しかし、これでも完璧ではない。さらに次の一歩を問われたら「神のみぞ知る」と笑って答えるしかない。

病気や死についての多くの諺や言い伝え、または個人的な経験や他愛もない言葉がきっかけとなり、発病する事があるという。それを偶然とするか宿命とするかは解釈次第であるが、本書で述べられた症例は嘘のような事実であった。ブードゥー死という言葉がある。ブードゥー教の呪いで死ぬことから名づけられたものだ。たとえば目隠をした人の手に冷たい氷を載せ、焼けた鉄塊だと言えば火傷が起こり、事によっては死に至るケースもある。通常の科学では解き明かせないが、実際に起こった症例が報告されると怪訝ながら認めざるを得ない。「親の因果が子に報い」とか「前世のカルマ」を説く宗教的解釈パターンに通じるものだ。科学知を嘲笑うような事実がなぜ起こるのか?たぶん多くの人は不思議だと思いながらも科学的検討などすることはなく、できもしない。一部の才知ある人々が解答を模索する。心身医学は究明の過程を経て、治療に通じる可能性を見いだす。ところが、心理面をあまりに追及し重んじると観念の増長を野放しにする。証拠が得られないまま心の密林を彷徨し、説明のつくところを結論にしてしまう。矛盾を容認し論理を無視しても、とりあえず安心できる理由を見いだせばよしとする傾向は誰にも起こりうることだ。病気を診るとき、西洋医学的な診断とともに精神史、生活史、心理、文化までも把握する事が一人の治療家で出来るだろうか。

ウイルスが原因となるイボは、はるか昔から、豚の脂身、レモンの汁、まじない、切除、ひまし油、硝酸銀、放射線にいたるまで、この世に存在するほとんどありとあらゆる治療法で対処されてきた。治療法がここまで幅広いことを考えると、同じ方法でも、それを使う人によってうまくいく場合といかない場合があることがよくわかる。暗示が主要な要因となっていることは、ほぼまちがいない。

プラシーボに関わる文であるが、プラシーボは特別なものではなく、代替医療はもちろん現代医学にも広く認められるものだ。暗示という心の働きで治癒が起こるように病気も起こりうる事が推測できる。例えば、病気の診断を聞くことによって発症したり、血圧の測定で実際血圧が上昇したり、予後を伝えられるとそのとうりになったりする。「検査を受けて早期発見・早期治療!」と、金科玉条、奨励されるが、そこで告げられた言葉が病気の発症を促したり、生活のクオリティを下げたりすることもあるのだ。

病気に多様な発症原因あるように治癒にもあり、どの段階を見ても心理や文化など多くの要因が絡む。また病気にかかる人もいれば、かからない人もいるし、それを治す治療家もいれば、治せない治療家も居る。この多様性こそ、多くの代替医療や治療法が玉石混交で存在する理由の一つであろう。心身医学では心理から病気を考えてきたが、内容は代替医療との移行地帯にあるような気がしている。宗教に近い前世療法や信仰療法は心理のみに固執してそこから抜け出せない。背骨を見るカイロプラクティック、食に病の原因を求める食養法、波動や気が存在すると信じる治療家、徹底観察から理論を築いたとする漢方は、観念の色合いが濃い。これらによって起る治癒は治療家と患者が織り成す、心温まる誤解かも知れない。ただひとつの見地から物事や病気を見るのではなく、多様性を備えた現象に対処する必要性と問題点を指摘した書物であった。病気を心身医学の目で見ると「今まで見えなかったものが見え、治せなかったものが治る」。著者が言いたいのはこのような単純なことではないと思う。あとがきは以下のように締めくくられている。

心と身体とのあいだの分裂は、実際にはそれ自体が、心をかき乱す過剰で、処理できない考えによって影響を受けているという認識に対抗する防衛機制なのだという結論をほとんど否応なく突きつけられる。

心身を分離させることで、患者は、社会の現実に順応することが可能になるのかも知れない。

 

 

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