【危険な話の終焉を祈って..】


危険な話
原子力と環境
3・26 この日を忘れない
プルトニウム発電の恐怖
そして1年が過ぎ..
隠蔽・改竄・捏造 --- 三つの危険
原発列島を行く
プルサーマル.. それから
危険な話と人類の終焉と..

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市民運動は冷ややかに眺め、政治や行政には諦観を以って対し、党派や集団を窮屈に感じ過ごしてきた。わが身に降りかかる最後の覚悟は出来ても、子供や、未来の人々の最後を想像するといたたまれない。4月には佐賀(唐津)の隣り、福岡(前原)で原発の勉強会が開かれたという。同じく長崎では、共産党長崎県委員会の人々が長崎県知事に対し、被曝県として、佐賀県がすすめようとしているプルサーマル原発に反対するよう申し入れた。すでに事前同意の後になるが、遅すぎるのではない。同意の方が早すぎたのだ。危機感が蔓延し反対運動が活発化しないうちに形だけの討論会を開き、全ての反対や慎重意見をシャット・アウトする。早々に、着々と話を進め、機先を制すれば、人々もそのうち忘れるだろう。これが政治家や行政の手法の一つでもある。確かに万人の意見に耳を傾けていては一歩も進まない。政治や行政を司る人々に理念があるならば、それは時として民意によって否定されるかも知れない。しかし、民意はただ一人の政治家や役人によって蹂躙される。

危険な話 広瀬隆  ー 2006.4月のコラムより

1978年のアメリカ映画「チャイナ・シンドローム」をご存知だろうか。核の暴走による超高熱が原子炉を溶かし去り、地球をつらぬき裏側の中国へ到達するという暗喩がタイトルになっている。この翌年の3月、予言したかのようにスリーマイル島で原発の事故が起こった。いままで比較的新しい本についてコラムを書いてきた。この本は19年前の1987年出版のものだ。じつは私の住む佐賀で深刻な事態が進行しているのだ。ことは佐賀県だけの狭猥なものではなく地球に住むすべての人や生き物の存亡に関わるのだ。ここで細かく説明する力もないし、あまりにも膨大な内容をどう伝えてよいのか迷っている。大袈裟かどうか末尾に紹介する本を参考にして頂きたい。原発の議論は環境やエネルギー政策、代替資源などの問題も絡み、危険性のみで論じられないと言う知識人も居るが、それこそが、論点を逸らしたり隘路へ迷い込ませる元になっている。思慮余って明確な旗色を示せない知識人の宿命や弱さを感じる。いつまでも延々と出口なき議論を続けることが彼らの仕事であり喜びなのだろう。国や電力会社が温暖化防止やエネルギー問題を論点とするのは戦術でもある。一方で、繰り返し安全や事故防止を強調するのは、危険性の認識が十分にあるからだ。危険な話は忌避されるので、情報といえるレベルのものは公表せず「安全、安全、、」と念仏宣伝だけを唱える。それゆえ反原発の学者や市民団体からの情報は貴重なよりどころとなる。「危険な話」の著者・広瀬隆は家系図や人脈から原子力の陰謀を説く異色の作家であり、氏が与えたインパクトはあまりにも大きく「広瀬は...」と、個人攻撃まで為されるほどであった。原発をやりたい人々のみに降りかかる危険なら何も言うことはない。ここでは、国や電力会社が語らない「危険な話」に絞って書いている。エネルギー問題より先に、これがいま、一番感心を寄せていることだ。

さて、佐賀の2月定例県議会で知事は、九州電力玄海原子力発電所3号機でのプルサーマル計画について事前了解を表明した。夕方のテレビを見ると、やや甲高く早口でまくし立てる知事の声に悪寒が走る。まるでイベントでも開催するかのような性急な決定に県民の間から驚きと戸惑いの声が出始めた。地方新聞の意見や読者欄には、未来の子供たちに禍根を残さないようにと慎重を求める声や反対の意見が寄せられる。佐賀では1975年に玄海原発1号機の運転が開始された。それから30年の月日が流れ、この間いくつかの事故が発生している。原発の耐用年数は30〜40年といわれ、いまや老朽化し廃炉を検討する段階に入ったというのに、更に30年間運転を延長する計画が実行されている。原発の危険性は言うまでもないが、耐用年数を超えて原子炉を使い続けることは、更に危険性を引き寄せることになる。昨年、地震空白地帯といわれてきた北部九州に大きな地震が起こった。このような災害に耐えられる状態なのか不安は膨らむばかりだ。老朽化した1号機で事故が発生した場合、(風速7mの風を想定し...)約1時間で佐賀は死の灰に覆い尽くされる。1時間でどこまで逃げおおせるだろうか?今までの事例からすると発表そのものが数時間遅れるのは間違いない。数時間後には九州一円まで拡散し、3日もすれば日本全土に及ぶ。このことはチェルノブイリの事故【注】が如実に物語っている。事故の規模が大きくなれば地球の人口の半分が壊滅するほど巨大なものになり、その被害は放射能が消滅するまでおおよそ100年に渡って続くことになる。地球には国境も県境もなく、ひとり佐賀県だけの問題でないことは明らかである。しかし、ここまでは従来の原発の話である。これから佐賀で行われようとする...

プルサーマル計画は深刻さのレベルが格段に高まる。むしろ異質とでも言うべく困難で危険なものだ。ウラン燃料で稼動している原子炉で、核分裂しやすく反応が加速しやすいプルトニウムを燃やそうというのだ。これは、灯油ストーブでガソリンを焚くようなもので、いったいどうなるかは、火を見る前に明らかだ。技術の未確立、人為ミス、機器の劣化や損傷、地震による事故など、多くの問題を指摘されても、オウム返しに「国が安全性を確認している」と言うばかりで、そのことが不安を増幅させる。事故により爆発的な反応が起こると1000℃、2000℃の高温を容易に超え3000〜4000℃に達し、5000℃になることもあるという。これに持ちこたえる物質がどこにあるのだろうか。大地を突き破り地球の裏側まで溶かしつくす、チャイナ・シンドロームが現実のものとなるのだ。電力会社や県は「いまもプルトニウムは燃えています」と多額の費用を使って広告を出すが、必然的に発生するものと、それを集めて燃やすのとでは事の重大性が異なるのだ。文言は明確に記憶していないが「あなたはゴミを棄てますか?プルトニウムの再利用..」という広告をバスにまで貼り付け走らせている。所在地さえ曖昧にしか知られていない片田舎・佐賀での出来事だが、地球の危機へと一歩踏み出してしまったのではないか。危機感を抱いた市民運動家が全国から集まり県庁を囲んで抗議行動を起こし始めた。抗議文を手渡そうとしても知事は応対せず、環境部門の担当者が伝えておくと返事をするばかり。議会では、質問する反対派議員をして「知事は聞く耳を持たない」と嘆かせるほど無力感がみなぎる。知事にここまでの力を与えたのは誰なのだ。私はもともと政治には疎く、まして市民運動の類に参加することはなかった。それどころか左翼の一部の人々に対して、行政や社会生活を混乱させる趣味的活動ではないかと揶揄したことさえあった。しかし、こと「プルサーマル計画の反対」については全面的に支持し、出来ることがあればデモにも署名にも必要があれば資金カンパにも協力したい。新聞で読んだ意見では、県主催の説明会には電力会社の関係者が動員され、説明にも納得がいかず反対の声が多かったという。にも関わらずアンケートでは、逆に関係者の思惑が反映する結果となっている。3回の説明会で集った人は、のべ2000人くらいで、県民の1%にも満たない。一般に向けた電力会社側の説明は新聞などによる頼りない安全宣伝ばかりだ。多分、知事も関係者も真の危険は熟知しているに違いない。「国策だから...」という知事の言葉には政治家用語でいわく「断腸の思いでの決断」が読み取れなくもない。あるいは、邪推になるが知事候補に上がった時点で、落下傘部隊として国から使命を負わされたのかも知れない。

「危険な話」は原発問題を考える契機となり、幾冊かの本も読んだ。その一人である高木仁三郎氏は原子力の研究者を経て、原発反対の市民運動家となった。その活動は内外から賞を受けるほど評価が高く、1998年、市民の立場で科学を読み解く「高木学校」というNPOを設立した。2000年の秋、63歳で亡くなるまでの2年間はガンと戦いながらの活動であった。「原発事故はなぜくりかえすのか」という本が死後、岩波新書から出版された。本では「友へ」という著者からのメッセージで締めくくられている。

後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。

これほどまでに真摯な情熱を抱き、そして悲愴に満ちた学者に比べ、原発関係者や行政はあざ笑うかのようにはぐらかし隠蔽しときには改竄し、小さな町村の首長や政治家と結託し、あからさまな茶番を演じる。

このとき私が痛感したのは、この役人たちと我々との間には公益性という ことについての認識に大きなギャップがあるということです。役人たちは公益性を定義するのは国家の側であり、国家の役人がやっていることが公益に則することであって、民間の人間がこれに異を唱えるのは公益に反するということを、ほとんど無前提に言うのです。40代の課長クラスから始まって20代の係官まで、ほとんど全員が平気で言うのには驚いてしまいました。

1997年といえば、動燃はいわば全社総ざんげのような形で、今までの事故を隠してきたり、正確に報告してこなかったり、あるいは情報を十分に公開してこなかったことについて、自己点検を行い徹底的に内部の体質改善に心がける、ということが大きく宣伝されていた時期にあたります。実はその真っ最中に、昔と何も変っていない虚偽報告が行われていたことが明らかになったので、私は大変に驚いたのです。

虚偽報告や改竄をしなければ生き延びられないのが原発の運命ともいえる。そして、計画の途上で発覚した虚偽や改竄又は事故の発生により、幾度か計画は頓挫した。このような神風がここ佐賀にも吹かんことを祈る。原発はただ核物質を燃やすだけではなく、その再処理や廃棄物の扱いに莫大な費用と技術的困難さと命がけの危険を伴う。このため、プルトニウムの再処理はアメリカ、ドイツが撤退し、増殖炉についてもアメリカ、イギリス、フランス、ドイツという並居る先進国が失敗して開発を断念した。日本では1995年の「もんじゅ」の事故により、電力業界でも死語になっていたが、「プルサーマル計画」と装いを替えて息を吹き返した。それがいま何故、選りによってここ佐賀なのか。

プルトニウムは耳掻き一杯で数万人を殺戮できる毒性をもち、核暴走が起こりやすく、そのうえ放射能の半減期に24000年を要する。増殖炉の開発段階において、フランスではたびたび核暴走がおこり、その時間も5/100秒という短いものだった。わずかな瞬間の危機を誰が制御しうるというのだ。「運転を止めればよい」という当局の説明が空しい。アメリカでは2度の炉心溶融事故をおこしている。またドイツでは原子炉の熱を水に伝えるナトリウムが、その水と反応したことで火災事故が頻発した。高温の水蒸気は圧力も上昇し過酷な条件のため配管などが劣化を起こしやすい。机上で繰り広げる空論が現実に完璧に遂行されてこそ可能な夢物語なのだ。どこかにわずかのミスや故障が起こる、突如地震や災害に襲われる、それだけで制御不能になる恐れがあるのだ。日本では地震のため、83年、87年に福島原発で核暴走寸前で原子炉停止が起こっている。さらに93年には女川原発でも起こった。大事に至らなかったのは「神の庇護」と感謝すべきかも知れない。リスクは何事にもつきものではあるが、原発についてはリスクゼロでなければならない。いままでに、プルトニウム燃料の開発を含めこの計画に投じられた税金は1兆5959億円になり、これによって得た収入はわずか6億円に過ぎない。引き続き推進するならば巨額なコストになり、バックエンド(原発終了時の後始末)事業費として19兆円が試算されている。ところで半減期で24000年という廃棄物を誰がどのように受け継いでいくのだ。記録に残る人類の歴史でさえまだ5000年である。「地下300mの安全な地層に処分する」という安全キャンペーンそのものが懸念材料となる。100あったものは24000年後に50になり、さらに24000年を経て25になる。これがゼロになる日まで人類が存続できるだろうか。ほぼ安全といわれるまでには10万年の保障が必要といわれる。このようなプルトニウムをウランと混合し(MOX燃料)従来の軽水炉で燃やすというのがプルサーマル計画である。先に述べた増殖炉での失敗の数々が暗い影を落とす。全世界がプルサーマルからの撤退を決断しているため、小実験以外の本格的な運転データは全くない。プルーサーマル計画が現実のものとなれば、佐賀は世界で初の壮大で危険な実験場となり、いままでの例から、おそらく高確率での失敗は免れないだろうといわれている。先進各国が断念し、国内各地の首長が断念した重みを轍とし、ここでも断念するべきなのだ。その知恵や費用を新たなエネルギーの発掘や開発に向けることは、原発より困難な夢物語とは思えない。

原発は「トイレのないマンション」とも言われ、その廃棄物の処理や管理に危険と困難と多額の費用を要する。それでも克服されることのないのが核物質である。原発に一歩踏み出したときからこのことが運命付けられたのだ。この計画がしたたかに生き延びていくのは、広島型原爆3万発分ともいわれる核廃棄物の処理のためでもある。先に述べたように原発が稼働する限り廃棄物の発生は避けられず、原発を止めても残った廃棄物の処分と管理が待っている。原発を巡り巨額な金が動くと利権も生まれ、そのことが止められないもう一つの理由かも知れない。公共事業に見られる構図は定着し、政治や行政、国策といわれるものの不透明さが透明に浮かび上がる。既に述べたように原発は再処理、廃棄物対策といった一連の経費とともに、税金による地域振興策がセットになっている。こういうことでしか国の政策や経済の存続が出来なくなってしまったことは私たち皆が受け入れなくてはならない。政治への不満や希望は熱く語るものの、いざ選挙では馴れ合いの一票を投じる。この行動が積もり積もった結果ではないか。3/23日、ついに議会までもが知事の同意を容認し、「プルサーマル計画を慎重に推進」という決議が34:3(退席2)で採択された。知らないうちに、知らせないうちに、知らせたら困ることが進行していく。公には県民の意見を...と言いながら、もっとも大事なことは強権を発動する。すでに、2/21日地元の町長は、路線どうりの行動か、と思わせるほどあっさり同意を表明した。「国がやることだから間違いないでしょう...」と、町の人の声をテレビが伝える。事故が起これば町は壊滅し、それだけでは済まない。この計画に熟慮が必要だろうか。やめることで得られる未来の保障をなぜ目指さないのか。こんなことに金を使うくらいなら新幹線や干拓や高速道路に注ぎ込むほうがはるかによい。

添加物、農薬、ダイオキシン、環境ホルモン、狂牛病、、、危険な話は後を絶たないが、個人の努力で回避可能なものはまだ救いがある。核は人類の存続に深刻な問題を投げかける。兵器はもちろんだが、原発によって生み出された世界中の核物質が人類の終焉を決するかも知れない。就任後間もない頃のある休日、人通りの少ない歩道を歩るく知事を見かけた。多分、愛娘であったに違いない。子供の手をとり、買い物の袋を下げた姿に親近感を覚えた。この平和な光景と、いまに至っての決断との乖離に茫然としている。世界の人々や子供の未来を考えた上での同意だったのか。「技術や費用、電力需要の問題で実現は困難だろう」という学者や識者の話もあるが、そこに行き着くまでの安全に不安があり、見切り発進も懸念される。政治に対する無力感...「どうせ世の中こんなもの」と悟っても、諦めに徹することはできない。なにか私にできることはないだろうか、神よ知恵を与えたまえ。

【注】チェルノブイリ原発事故:1986年4月26日、原子炉実験中に4号炉が暴走、爆発し火災とともに、広島の数百倍といわれる放射能を大気中に放出した。放射能は風にのってヨーロッパをはじめ世界中に広がり、日本でも母乳や野菜などから高濃度の放射能が検出された。放射能の70%がウクライナの北に隣接するベラルーシ共和国に降り注ぎ国土の1/3が高〜低濃度の放射能汚染地域となった。このため数十万の人々が移住を余儀なくされ、数百の村が廃村となった。直後の死者は2名と報告されたが、事故現場から運び込まれた重傷者が次々になくなり31名になった。その後、事故の後始末に動員された数十万人のうち5万人が亡くなり、残りの人々も白血病やガンなどの障害を負って暮らしている。まもなく20年になろうとしているが、この影響は今後100年間は続くと考えられている。

【参考図書】

  • 危険な話 広瀬隆 八月書館
  • 市民科学者として生きる 高木仁三郎 岩波新書
  • 原発事故はなぜくりかえすのか 高木仁三郎 岩波新書
  • 原子力神話からの解放 高木仁三郎 光文社
  • 原発事故を問う 七沢潔 岩波新書
  • 原発はなぜ危険か 田中三彦 岩波新書
  • 原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識 広瀬隆・藤田祐幸 東京書籍
  • 決定版・原発大論争 別冊宝島編集部 宝島社文庫
  • 恐怖の放射性廃棄物 プルトニウム時代の終り 広瀬隆 集英社文庫
  • 原子力の時代は終わった 広瀬隆・藤田祐幸 雲母書房
  • プルサーマルの科学 桜井淳 朝日選書
  • 原発列島を行く 鎌田慧 集英社新書
  • 核の軛 ウイリアム・ウォーカー 鈴木真奈美訳 七つ森書館
  • 原子力市民年鑑 2005 原子力資料情報室編 七つ森書館

【ビデオ・DVD】

  • 危険な話 広瀬隆 トーク・ライブビデオ・DVD(90分)
  • チャイナ・シンドローム(ビデオ・DVD122分)
 
【追記.1】3/24日、この草稿を書き上げた日に北陸電力志賀原子力発電所2号機(石川県志賀町)をめぐって一つの判決が下った。今月15日に営業運転を開始したばかりの2号機だが、大規模な地震などの自然災害が懸念されるなか、電力会社の想定を超える地震があれば、いまの耐震設計では事故が起こり、被曝する具体的可能性があるとして運転の差し止めが命じられた。夕方のテレビで歓喜に沸く原告の人々に心から拍手を送った。一方、地元町長は憮然として「意外な判決だ..」といい、電力会社は「予想外、不当判決..」などのコメントとともに直ちに控訴を表明した。危険を指摘されながらも運転をやめるつもりはないらしい。結審までいったい何年を要するのか、最高裁の判断が出ても不当判決と言い続け居直るのが通例である。災害は明日にでも起ころうというのに恐ろしい話だ。この間、電力会社や国はどのような対策、作戦を巡らすのかその心配もある。原発を受け入れた地元にはこれまでに約177億円もの交付金が支払われ、小中学校は改修され、道路整備も進んだという。のみ込んだものを吐き出すわけにもいかぬ町の苦悩はわかるが、命の値段は金には代えられない。願わくはこの判決が神風となり、佐賀のプルサーマル計画が頓挫すればいいのだが。佐賀でも判決は大きく取り上げられ、テレビで地元町長と知事のコメントが流れた。町長は「意外な判決だが、安全は確保されなければならない」といい、知事は「国の意向をお伺いして...」という。

【追記.2】3/26日、ここ数日の動きはめざましく、大きな出来事が続いた。まさに間髪を容れずに事が進行する。周到に計画されたタイムテーブルに沿ったものであろう。この日は休日ともあって、県内各地で春の行事が催され桜も見頃を迎えた。朝9時から午後3時までの6時間の間に県や国の命運を左右することが行われた。知事はついにプルサーマル計画に正式に同意したのだ。国から大臣を迎えて原発を視察→安全宣言→会議→県庁で電力会社へ同意書を手渡し→記者会見。結果は解っていたが、テレビ、ラジオを傍らに置き固唾をのみ見守った。まさに分刻みのスケージュールで6時間。反対派の市民団体は抗議を続け、署名を手渡そうとするが職員に阻止され知事には届かない。涙ながらに訴える女性の姿が痛々しく、従来の反原発には見られない危機感がつのっている。この日の出来事は夜のニュースのトップで伝えられる。そして翌日も、同じようにトップで扱われ佐賀新聞では数面を割いて記事が載せられた。ここに来て、やっと県民は「プルサーマルとは何ぞや?」と気づき始めたのではないか。未来を担う子供達は知らないし、大人でも事の本質を知る人は少ない。「放射能は危険だが管理をすれば大丈夫」というていどで、当局の流す情報以上のものを得た人は少ない。県境で事故が遮られるわけではなく、直ちに影響を被るであろう福岡、長崎の人々の関心はいかばかりであろう。このような人々の上にある日突然、死の灰が降り注ぐ。そのときどのような覚悟が出来るというのだ。国や電力会社も安全や事故防止ということを最重要課題としている以上、危険の認識は十分あるものと思われる。反対派も同じ認識なのだ。同じ認識で何故、相反する行動に分かれるのだ。危険という共通の認識から、知恵を出し合い新たなエネルギーの模索は出来ないのだろうか。新聞には、「反対している人々に何度説明しても同じだ」という知事のコメントが載った。

【追記.3】3/28日、追記.2までと思っていると、三たび原発についての大きな動きがある。異様に動きの激しい一週間である。四国電力が伊方原発3号機(愛媛県伊方町、出力89万kw)で導入を目指しているプルサーマル計画の実施を経済産業省が許可した。これでプルサーマルの実施許可は、関西、東京、九州電力の計5基に続き、6基目となった。これから運転開始に向けて地元の同意を求める手続きに入るだろう。このままいけば、佐賀と同様の経過が予想され、さらに電気事業連合会の計画では2010年度までに全国で16〜18基のプルサーマル導入を目指しているという。佐賀、愛媛より早く許可が降りた関西電力の高浜3・4号機と、東京電力の福島第一3号機、柏崎刈羽3号機は、燃料のデータ改竄やトラブル隠しといった不祥事や事故などで、地元同意が白紙または凍結となっている。国と業界の計画がここまで驀進すると、私が抱いている危機意識そのものが滑稽に思えてくる。一人の力は取るに足りないとして、幾万の署名を集めても権力を持つ一人にはかなわない。最近の政治や社会の動きは性急で強引だ。

【追記.4】3/28日、まったくなんということだ。青森県六ヶ所村の再処理施設が稼働を始めることになった。ネットで見た地方版では「課題残し見切り発車・核燃再処理試運転同意」という見出しで...知事が試運転開始に同意を表明し、29日にも調印し、試験は31日にも開始されるという。国内初の商業用再処理施設として2007年8月の操業を目指し未知の領域に踏み込むことになった。ウランの燃焼で生じる危険なプルトニウムの処理のため、それを集め再利用するというのがプルサーマル計画である。このための処理を六ヶ所村で行うことになる。再処理はプルサーマル以上に安全性に問題があるといわれている。約1万基の機器と総延長約1300kmの配管を持つ施設でわずかな不具合も許されない。その上、処理のどの工程に於いても事故発生の危険性が指摘されている。もし、六ヶ所村の工場でフル操業時に臨界爆発が起これば、地球の半分の生命が無くなるほど巨大なものであるという。これほどまでに危険を冒し再処理した燃料を燃やしても、再びプルトニウムが発生する。原発の運転が続く限り、いつまでもプルトニウムを含む放射性廃棄物は無くならない。技術や費用の問題などから、核保有国のアメリカでさえ再処理を断念している。また廃棄物の最終処分場はいまだ決まらず結果的に六ヶ所村で保管をすることになるだろう。地層処分の計画もあるが、地震列島の日本で実現が可能かどうか疑わしい。再処理工場が稼働することで施設から高レベルの汚染物が発生し、使用済み核燃料に溜まった放射性物質やガスが一定量放出されるため、環境への影響も避けられない。安全協定の締結が申し入れられるというが、実質的な安全は確保されず、ただの約束に過ぎない。仮にこの計画が頓挫したとしても、施設の解体や放射性廃棄物の管理に要する費用(バックエンド)も莫大なものになり、進むも泥沼、退くも泥沼の状況だ。税金が上がるはずである。3日前まで...佐賀県がプルサーマル計画に同意すれば青森の再処理施設の稼働が始まるとして、青森の市民団体も反対運動に参加していた。エネルギー問題は人類の生存のために必要不可欠のものである。確かに反原発の人々も電気を使っている。「イヤなら電気を使うな」という乱暴な議論もあるが、そのエネルギーが生存を脅かすならそれはもはやエネルギーとはいえないのではないか。私はこの同意で茫然鬱々となる。しかし、青森に迫り来る事の重大さと緊急性は佐賀の比ではない。事故が起これば遠く北国の出来事では済まず日本各地や近隣諸国への影響は必至である。新聞に記された青森県幹部のコメントは「やっとここまで来た、年度末で区切りもいい」とのこと。何回読み返しても喜んでいるように見える。NPO・原子力情報室の談話は「再処理工場の運転で結局、青森県が困ることを知事や県幹部が自覚していないことが悲劇だ」と...もし、取り返しのつかない事故が起こった時、この一週間の出来事が走馬灯のように蘇るであろう。臥薪嘗胆、次の選挙ではこのことを忘れない。

【追記.5】3/30日、佐賀新聞は、九州電力玄海原発のプルサーマル計画に県が同意したことで、総額60億円の「核燃料サイクル交付金」が県に給付されることを一面で伝えた。同意から4日目である。地域振興として原発を誘致することで数日のうちに巨額な金を手にする。交付金は県に支給されるため、地元の玄海町や唐津市が分配を要請しているという。言い換えるなら「オレにも分け前をよこせ」ということに他ならない。真っ先に迷惑を被る唐津では農漁業者や観光業者を中心に反対運動が続いている。住民を馬鹿とでも思っているのか、政治家や役人のこの軽さに虫酸が走る。新聞記事は「交付金をあてにして事前了解があるわけではない」という知事のコメントで結ばれていた。噂によると唐津地区では核廃棄物の最終処分場を誘致する計画まであるといわれる。危険と引き換えに得た金で地域の人々が幸福になれるとは思えない。得たものの代償は、後に大きなツケとして負わねばならない。そのための交付金ではないか。「危険な話」が出版された1987年以降、大きな事故はなかったが、あわや大事故につながりかねない数々の事故は起こった。その都度、「このようなことが二度と起こらないように万全の...」と判で押したような会見が開かれ、再び、三たび..と起こっている。「万全の安全対策..」という人々と、「危険な話」とどちらに分があるだろうか。

【追記.6】4/12日、再処理はプルサーマル以上に困難と危険を伴うといわれているが、早速、事故が発生した。日本原燃は12日、試運転(アクティブ試験)中の青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場内にある前処理建屋の小部屋内で、プルトニウムなどの放射性物質を含む水、約40リットルが、11日未明に漏れたと発表した。原燃によると、小部屋は厚いコンクリートで密閉されているため外部への放射線の影響はないという。3/31日の試運転開始以来、初のトラブルになるが、原因は作業員のミスだという。報告が一日以上も遅れた理由として「軽度な漏洩だったから..」と説明している。軽度な事故が次の大きな事故に結びつくことはしばしばあるし、軽度という判断は今だから言える話に過ぎない。仮に大きな事故が発生した場合、一日はおろか一分の遅れさえ大惨事につながる。大事故が起こっても1日後に報告するのだろうか、そのときは報告する人も、報告を聞く人も、この国も惨憺たる終末を迎えていることだろう。グリーンピースJAPANの情報では、六ヶ所村の工場では通常の運転でも大量の放射能を排出し、その量は1日で平均的な原子力発電所からの1年間分を超えるという。フランスのラアーグ再処理工場周辺では、小児白血病の発症率がフランス平均の約3倍にのぼるという報告がある。日本原燃は、再処理工場周辺の健康被害について「ご安心ください。最良の技術で安全確保に努めます」と宣伝しているが、クリプトン85、炭素14、トリチウムは処理技術があるにもかかわらず、その全量を放出するとしている。驚くべきことに経済的理由で意図的に垂れ流し、大気と海水で薄めようというのだ。実際に巨大な排気筒からは、クリプトンをはじめとしてトリチウム、ヨウ素、炭素などの気体状放射能が大気中に放出され、六ヶ所村沖合3kmの海洋放出管の放出口からは、トリチウム、ヨウ素、コバルト、ストロンチウム、セシウム、プルトニウムなど、あらゆる種類の放射能が廃液に混ざって海に捨てられる。安全広告と毒物をセットにして垂れ流す神経は尋常ではない。電力を原発に依存するかぎり、直ちに停止出来ないと言うが、2003年、東京電力の事故隠しを端に、点検のため17基の原子炉を一斉に停止する事態に及んだ。大停電が懸念されたが、その夏、節電の啓蒙が行き届いたこともあり何事も起こらなかった。原発がなくても大丈夫という思いを強くしたものだ。危険という認識があるなら知恵を結集し、一刻も早く別の方策を模索できないだろうか。光ときれいな水と空気、そして食物があれば人は生きていけるのだ。明るすぎる夜景、24時間営業のコンビニ、効き過ぎる冷房など...少しの不便を我慢すれば、いくつもの原子炉を廃炉に出来る。原発に経済的依存があるなら、バックエンド費用だけでも事業として成り立つではないか。また、原発に代わる新たな公共事業を提案しても良い。日本中の海岸を埋め立て道路や新幹線を引くというのはどうだろう。あるいは、汚職や談合でも一向に構わない。「危険な話」が終わるなら..

 

原子力と環境 中村政雄 著

グリーンピース創始者は、なぜ転向したのか..と、タイトルにも増して大きな帯の文字。グリーンピースは反捕鯨で知られる環境団体でその活動は反原発にも及び、核物質を積んだ輸送船を追跡するなど、その行動力には定評がある。自ら調査・研究が出来ないものにとって、本や反原発団体のWebページは貴重な情報源となっている。私は、原発の存在に恐怖を抱いている。安全、安全とばかり聞かされても、真実の声が伝わってこない。原発について調べれば調べるほど不安だけが大きくなるばかりだ。どこかに確かな安全情報がないかと、探すものの、安心広告以上のものを探し出すことが出来ないでいる。原発推進の学者や識者の意見は決まって、CO2による温暖化やエネルギーの問題と絡め、安全管理をしながら推進という話に行き着く。安全管理をしても事故は起こるし、いままでも小規模な事故は起こっている。ひとたび事故が起こると手の付けようがないのが原発事故の恐ろしいところだ。事故の拡がりを食い止めるすべもなく、被爆の危険のため被害者の救出もできない。避難するにも交通網はパニック状態で身動きがとれない。追いかける死の灰から逃れるには風よりも早く、1000Km単位で移動しなくてならない。つまり、事故が起こればすべてが終り、終わったとこから生き延びた人々の苦悩が始まる。「NIPPONチャチャチャ!」とスポーツやイベントに興じているようでは、この地獄図の空想すらできないだろう。

本書は、少しでも安全情報が欲しいと思っている矢先の出版であった。グリーンピースの創始者の話なら、反原発から賛原発に転じた信頼のおける安心を示してくれるだろうと期待を寄せた。結果から言うと、惨憺たる本であった。著者は科学の素養があり、新聞社の科学部記者を経て現在、科学ジャーナリストという職にある。書物の中には読む価値のないものもあるが、読む価値はなくとも批判する価値のある本がある。まさに、この本がそれに値する。科学部の記者として一体、この著者は何を見て、何を考え行動してきたのだろうか。まさに電力会社の広告、「原子力物語」から一歩も出ることがなく、新たな情報を得ることはできなかった。

2005年4月28日。反原発団体グリーンピースの共同創始者の一人であり、環境学者のパトリック・ムーア博士がアメリカ上院のエネルギー・天然資源委員会で証言した。「原子力は二酸化炭素(CO2)も大気汚染物質も排出せず、化石燃料に代わって世界中のエネルギー需要を満たすことのできる唯一、最善のものである」と言った。CO2と温暖化が出てくれば、すでに後の展開は知れたものだ。冒頭から失望させられる。過去に自分が主張し、してきたことをいとも容易に否定できる心境の変化にこそ興味がある。そして、著者はこの年の12月、ムーア博士に転向の理由を直接聞く機会を得た。

  • 原子力の軍事利用と平和利用の区別がつかず反対した。ところが原子力発電は安全で環境にクリーンであることがわかった。地球に住む65億人が食料やエネルギーを必要としている。その解決策が原子力エネルギーである。
  • 現在、世界のエネルギーの約86%は化石燃料で賄われている。残りの原子力と水力で約7%、残り1%以下がその他である。環境活動家は化石燃料、原子力、水力に反対している。残り1%以下の方法でエネルギーを賄うのは実用的ではない。
  • 冷戦が終結し、核エネルギーと核兵器を結びつけ、原子力の開発が兵器の隠れ蓑である時代は終わった。
  • 原子力発電のコストの約1/3は安全システムの整備にあてられ、世界で約440基の商業用原子炉が安全に稼動している。
  • 世界には多くの誤った、歪められた情報が多すぎる。原子力はその良い例だ。事実とフィクションを見分ける力を身につけ、正しい情報か恐怖を煽ろうとしているのかを判断してほしい。
  • 環境保護活動家の多くは原子力に対し、全く非寛容(ゼロ・トレランス)だ、そこには科学的な検証や論理的な考えかたなどなく、宗教的な信念だけだ。そのため対話も成り立たない。
  • 化石燃料によるCO2の排出を抑えるため、原子力エネルギーをベースに水力、地熱、バイオマス、風力、太陽光などの自然エネルギーを組みあわせていくべきだ。

以上が5ページに渡る要旨であるが、6ページ目には、、「会場が沸いたのはグリーンピースの資金源について語ったときだった」と、そこから9ページを割いて反原発の活動資金と内情を暴露する。「環境を大切にしている」というポーズをとるため、50の財団がグリンピースに資金を提供しているという。グリーンピースがいかにお金にまみれているか、いかに教条主義か、いかに風評を煽るか、ついでに「ロシアやアメリカの情報機関とつながっていることを聞いた」と語ったという。著者のコメントは「(博士は)冗談めかして語ったが本当だろう」、「(グリンピース)の実体に迫る報道がないのは情けなく残念だが、日本はまだその程度の情報小国なのである」。これが元・新聞記者、現・科学ジャーナリストの言葉だろうか?数値や実証されていること、実際行われていることを示し原発の議論に正面から挑むべきだ。低次元の井戸端会議に沸いているくらいでは、どちらが情けなく残念なのか。資金源や闇の部分は賛原発こそ巨大なものだ。しかし、闇の部分を取り上げる手法は反原発派も用いるのでお互い様として、だから原発はクリーンだという主張はできないし、原発の危険までもが帳消しにはならない。

私がもっとも知りたかった、「グリーンピース創始者は、なぜ"転向"したのか」という大きな帯文字のテーマは実質21ページで終わる。読書の意欲もここで息絶える。残り150ページは、「原子力・クリーン・安全」のお題目を繰り返し唱える賛原発のプロパガンダであった。クリーン、安全の大合唱こそ胡散臭く、心配していることだ、危機意識の欠如こそが事故の重大な原因になるのだ。安全、クリーンという宣伝の他、エネルギーや温暖化に危機感のない日本人のことや人口増のためエネルギーが要ることを主張し、反原発運動の迷妄を揶揄する。最終章で、日本文化を語り、神道や戦前を礼賛するのには違和感を覚えた。これが科学ジャーナリストとして「現実に立脚した視点(本の帯より...)」といえるのだろうか。反原発論者の仕掛けた地雷を避けながら歩くと、こんな話がせいぜいであろう。電力会社の広告をそのまま使った、お太鼓持ちに等しい。こういう人たちにのみ死の灰が降り注げばよいが、困ったことに原発の被害は平等である。少なくとも、この本については賛原発の話の軽さと浅さで、結果的に説得力のある反原発の書となった。

次に紹介するのは、20年間、原発の現場で働いた平井憲夫(故人)の「原発がどんなものか知ってほしい」という話である。原発関連の掲示板やブログなどでも頻繁に目にするが、「嘘が多い」と軽くいなす電力関係者もある。

日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。1989年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。そして、1991年2月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。ー cut ー美浜の事故の時は・・・原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと0.7秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。

たぶん「・・・チェルノブイリになるところだった」という話を「嘘」と言いたいのだろうが、事故が起こった事実に揺るぎはない。不安を煽ることに神経質になる理由こそ知りたいものだ。原発こそが最も環境を汚染することを語らず、危険性や経済性の本質を語らず、原発のためにこそ火力発電が必要なことも語らない。ここまでして続けたいのは、原発が発電を目的とはしていないからではないか。チェルノブイリの事故から20年を迎えた4月、数々の報道特集が組まれた。現在、廃墟となった原子炉は危険が去らず管理が続いている。そこに近づくと徐々にアラームの音が速くなり急を告げる。ここで作業をする人々は被曝しているのだ。そして原子炉近くでのまとまった作業は困難だという。平井氏の話から、さらなる引用である。

放射線量が高いところですと、1日に5分から7分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、3日分とか、1週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。ー cut ー稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが1本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人30人を用意しました。1列に並んで、ヨーイドンで7mくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった1山、2山、3山締めるだけで160人分、金額で400万円くらいかかりました。なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を1日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。

「百聞は一見に如かず」。クリーン、安全と言う人々よ...原子炉を囲み、人間の輪を作ってアピールしてくれ。そして、それから10年、放射能による障害が何事もなければあなたたちの言い分を認めよう。

 

3・26 この日を忘れない

新聞・テレビ等で数日間は騒然としたものの、やがて人々の記憶から遠のき、様々な事件や事故、イベントが日替わりで現れては泡沫のごとく消え去る。しかし、プルサーマル計画は着々と歩を進めている。この間、六ケ所村の再処理工場では、数回の放射能漏れや作業員の体内被曝が報道された。佐賀・プルサーマル計画の知事による同意後、四国の伊方原発でもプルサーマル計画への動きが始まった。そして、9/29、伊方町議会は四国電力が2010年までの実施を目指している伊方原発3号機のプルサーマル計画について「受け入れ」を承認した。さらに、10/2、松江市の市長は中国電力、島根原発2号機で計画中のプルサーマルの安全審査入りを了承することを市議会全員協議会で表明した。プルサーマル計画は全国的な動きになってしまった。小さな町や県の首長一人で抗しきれるものではなく、加担したほうが利益があるからそうするのであろう。巨大な力は有無を言わせず驀進を続ける。

原発は「トイレのないマンション」といわれ、放射性廃棄物の最終処分場はまだ決まっていない。ところが、滋賀・余呉町の町長は、9/20、使用済み核燃料から発生する高レベル放射性廃棄物の最終処分場の誘致に乗り出す考えを正式に表明した。誘致とは補助金と引き換えに町民を危険にさらすことだ。町民はこの町長を選んだことを後悔するだろうか?たぶん、大きな事故が起こるまでこの町長を支持し続けるに違いない。この夏、佐賀・玄海町で町長退任にともなう町長選挙が行われた。原発を抱える地元の人々がどのような判断を下すか注目した。結果は原発推進の候補者が2424票、プルサーマル反対を訴えた候補はわずか368票であった。

「危険な話」のコラムで、脱原発は世界の趨勢と書いたが、よく調べ報道に耳を傾けていると、原油高騰を受けて再度、原発への動きが高まりつつある。プルサーマルはいうに及ばず危険な計画であるが、それ以前に原発そのものが危険であることを忘れてはならない。いま各地で耐用年数の30〜40年を超えて60年も使い続けようと計画されている。今年6月、週刊現代に「東海大地震/浜岡原発爆発で首都崩壊」という記事が載った。「首都圏消滅」という単行本も出るくらい関心の高い原発である。浜岡原発1号炉は稼動から今年で30年を超え廃炉とすべき時期を迎えている。以前からこの危険性は警告が発し続けられていた。前東海地震判定会会長で東京大学名誉教授の茂木清夫氏は「浜岡原発は即刻停止せよ」と強く告発している。駿河湾・遠州灘付近を震源とするM8級の東海地震がいつ起こらんとも知れない。古い耐震基準のもと老朽化した原子炉が、想定震源域のほぼ中央で稼動しているのだ。原子炉は牢固だから大丈夫とは言えない、地震により緊急停止して、制御不能に陥る可能性があるのだ。大きな事故が起こり、放射能が北東の首都圏方面へ広がれば、将来のガン死者数は434万人と予測され、西の名古屋方面では200万人になり、真北の信州方面は人口が少ないため40万人程度になるという。そして、西は兵庫県、東は栃木県、北は富山・石川県が居住不能区域になる。たちまち死亡する人はまだ幸せかも知れない。生き延びて刻々と迫る死の恐怖と戦う生存者は地獄の苦しみであろう。もちろん、地震も事故も起こらないかも知れない。反原発派の話に耳を貸そうとしない国や電力会社は地震や事故など想定していないのだ。彼らもそして反原発派も互いに神棚に手を合せるしかない。

「失敗をゼロにする、のウソ」という本がある。著者は原発の仕事に関わった経験から原発事故を検証する。人は失敗したとき、それを他人に隠そうとするのが自然の行動である。理由は簡単、叱られたくない・人に低く見られたくない・責任を取りたくない、この3つだという。そして、一見、個人のミスと思われるものは組織にも大きな問題があるのだ。定期点検では濃密に予定が組まれ、短期間のうちに作業を終えないと全体のスケジュールに影響を及ぼし、長引くと利益が減少する。そのプレッシャーからやがて作業時間の短縮そのものが目的にすり替わってしまう。ここで、無視や軽視の報告が発生することになる。

重大なトラブル隠蔽に繋がる産業界の業務監査は、基本的に企業の報告を行政がチェックする仕組みになっている。すなわち官が民を「信用すること」で成り立っている。監査する側が業務の内部に立ち入らないで、その報告をチェックするだけで監視するシスエムなのだから、報告者が自己の利益のために虚偽の報告をでっち上げるのは、人間の自然の性向だろう。

一般社会では、ルール破りに警察の厳しい取り締まりが機能しているが、産業界の業務については野放しといっても過言ではない。イギリスが核燃料の再処理から逃れられなかった流れを書いた「核の軛(くびき)」では、何度も止める機会があったにも関わらず、公的な検証機関が有効に動作しなかったという。日本ではイギリスよりさらに絶望的状況であることも付け加えておきたい。

佐賀県や電力会社は県の広報誌や新聞を大きく割いてプルサーマルの安全宣伝を繰り返す。県と電力会社が一体となって同じ情報を流すのは、いかにも奇怪極まりない。これが知事の言う「理解に努める」の現実だ。

すでに半年が過ぎようというのに、沸々と怒りや、不信を溜めていた人々が沢山いた。10月3日、佐賀でプルサーマル計画の是非を問うための県民投票を目指す署名運動が始まった。私も署名収集人に応募し、これから2ヶ月、汗を流すつもりだ。県民投票条例案は、将来にわたり、国籍に無関係に降りかかる問題ゆえ、投票資格を16歳以上、在住外国人にまで拡大し、「プルサーマル原発は原子力行政の重大な変更を伴うとして、推進には3分の2以上の住民の賛成を必要とし、知事と県議会は投票結果の尊重を義務づける」という内容だ。目下のところプルサーマル反対に先立ち「大事なことは住民投票で決めよう」という署名運動である。知事は「県民投票の判断が間違っていたら誰が責任を取るのか。県民全員が専門的なことまで勉強して判断するのが現実的か。計画実施に同意した県が責任を持ち続けるべきだ」と反論した。知事のこの発言について見識を疑う声が上がり、質問状も出された。その後、風を読んだか、来春の選挙を思ってか、一転してトーンダウン、「見守りたい」と言うばかり。この調子者の知事に間違って投票した責任は県民で取らねばなるまい。

法律では、有権者の1/50にあたる約14000人以上の署名を知事に提出する必要があるが、市民団体では70000人の署名を目標としている。署名集めに携わる署名収集人は当初200人くらいであったが、署名開始の10/3には800人以上にまでなった。これから2ヶ月、県の各地、各所で署名の収集が行われ。これが有効かどうかの審査が行われた後、議会に提出される。たぶん、自民党多数の議会で、あえなく否決される可能性が高い。「否決してやる」と、いまからほくそ笑む知事や議員の顔が浮かばないわけではない。

危険なことを人々の不安を黙殺してまで行う根源的な理由は一体どこにあるのか・・ネット上を探してみた。あるブログで、原発は電気を産むのではなく「金を産む打ち出の小槌だ..」という内容の書き込みを見た。また、原子力教育を考える会のページで原発が推進される7つの理由が示されている。

  1. 原子力産業や建設会社などが原子力で儲け続けるために不公正な
    圧力を加えているから
  2. 費用をすべて電気料金に上乗せできるから
  3. 過疎で悩む地元に莫大なお金を落とすから
  4. 原発推進のためにすごいお金をかけてPRしているから
  5. 原子力技術を持っていればいつでも核兵器をつくることが
    できるから
  6. 政策決定に市民が参加できないから
  7. 政策決定に市民が参加しようとしないから

「あなたが原子力産業の幹部の一員になったと仮定します」..ひとつ、ここでは推進者の立場で考えてみよう。自分の会社の利益を守るためには、政治家や政党や官僚や審議会の委員や世論に対して、色々な手を使って原発推進の政策を維持させようとする。今度は、その政治家や官僚になったとしよう。政策を維持することで次の選挙やそのための献金がなされ、官僚であれば天下り先が確保されるなら、どうするだろう。知事が言うように国策ならば、政治家や官僚が電力会社に原発を強いているという見方も成り立つ。電力会社や県の資料にはあたかも環境やエネルギー問題の切り札かのごとく書かれている。しかし、これは自らの利益を守る宣伝なのだ。パンフレットに載った清潔な制御室の裏では被曝にさらされる下請労働者の存在があり、彼らの命を消耗しながら稼動するのが原発である。真の姿は双方の主張を平等に評価することから始まる。6.政策決定に市民が参加できない。この現状を少しでも改善しようという運動がいま始まろうとしている。(2006.Oct.4)

 
【追記.1】11/11日、資源エネルギー庁の主催で「エネルギー説明会in佐賀」が唐津で行われた。これは今年8月にまとまった国の「原子力立国計画」を広く知ってもらうのが狙いで、唐津を皮切りに全国7ヵ所の原発立地地域で開催が予定されている。この日、住民約240人が参加し、原発やプルサーマル計画の安全性への懸念や疑問の意見が寄せられた。しかし、経済産業省の野口哲男大臣官房参事官は、エネルギー自給率が低い日本では原子力が必要と説明し、核燃料サイクルの推進など具体的な計画を述べた。原子力政策の基本として地域の声も重視したいとはいうが、政治家が選挙のときに掲げる公約のようなもので、いままでどうりアテにはならない。原発以外のクリーンなエネルギーは「安定供給が出来ない」というが原発があるがゆえにクリーンエネルギーが育ちにくいのだ。またプルーサーマルでは使用済み核燃料を50年間冷却し、さらに10万年以上もの管理期間を要する。この最終処分場についてはまだ決まっていない。人のライフサイクルを考えると50年保管するなら最終処分場と変らない。「当時の担当者はいま墓の中に居りまして、、」と、責任の所在も雲散霧散だ。国や電力会社は「安全性の確保が大前提」というが、事故が起こったときの対策でまともなものは一つもない。ないのが本当だろう、そこで世は終わるのだから。この人達は自分の命さえ危険にさらされるというのに、命がけでやるつもりだ。

【追記.2】11/12日、国の説明会をあざ笑うかのように、この日の夜、事故が起こる。まだ生きているので、幸い大きな事故ではなかった。12日、玄海原子力発電所4号機で、配管内の一部で温度が異常に上昇したため「原子炉を停止して調査を行う」との発表があった。温度が上昇したのは、1次冷却水の圧力が急激に上昇したとき放出された水蒸気をためるタンクと、圧力を調節する加圧器を結ぶステンレス製の直径約9mmの配管である。配管の中には、加圧器から水蒸気を放出するための「逃がし弁」と言われる弁があり、この弁とタンクの間の配管内部の温度が、運転開始時には約40度だったのに、11日午後9時24分に73度まで上昇した。この4号機は今年の8月26日から定期検査を行い、11/5日から調整運転を開始したばかりであった。定期検査では逃がし弁も分解して調べたが、異常はなかったという。この規模の原子炉は30000個の弁を備え、配管の総延長は170kmにも及ぶ。常識で考えて、どこかに不具合があってもおかしくない設備規模だ。軽微な不具合であれ、明日の大きな事故に繋がる恐れは十分にある。たとえ点検の直後でも事故は起こりうる。玄海原発での同様のトラブルは、1号機で1979年と83年の2度発生している。九電の発表によると「外部への放射能漏れはない」という。隠蔽・改竄体質の前科が多すぎる人々だ、大本営発表でなければよいが。完璧な安全対策はとれない、事故は起こるかも知れない、これが原発であり、格段に危険を引き寄せるのがプルサーマル計画だ。

 

プルトニウム発電の恐怖 小林圭二・西尾漠編著

師走、プルサーマル問題を凝視しながらの1年であった。プルサーマル計画の危険性を4月のコラムで伝えた後、四国の伊方原発や島根原発でもこの計画が進行する事態となった。佐賀では「大事なことは県民投票で決めよう」という条令の制定を求める署名活動が10月から始まり、私は署名収集人として活動に参加した。署名収集はあたかも不安を説く宗教の伝導活動のようでもあり、共に歩き続ける仲間のいることは励みになった。その仲間達が渾身の筆致で綴ったレポートが本書であり、署名活動開始とほぼ同時に出版された。北朝鮮の核実験を機に核の報道や議論は高まりつつあるが、原発も大きな事故が起これば核兵器と変らないものだ。日本はそのプルトニウムを核爆弾にして5500発分保有していることになる。二酸化炭素とどちらが危険だろうか。原油高を背景に原発への依存は高まりつつあるが、プルトニウムの発電に関してはどこの国も次々と手を引いている。

高速増殖炉ではアメリカ、イギリス、ドイツがとっくに撤退し、フランスは2009年のフェニックス炉廃止を最後に撤退します。ロシアの高速炉はプルトニウムを使わず、インドは軍事用です。プルサーマルからの撤退も相次いでいます。詳しくは本書をご覧ください。今や世界のすべての国がプルトニウム商業利用の中止や縮小へと向かっています。最近、アメリカがプルサーマルを始めたと言われています。これは核兵器から解体されたプルトニウム焼却が目的ですから、軍事利用の縮小であって商業利用につながるものではありません。資源を理由とする日本のプルサーマルとは同一視できません。日本だけが世界の流れに逆らい、これからプルトニウムの大量利用、大量流通に踏み出そうとしています。プルサーマルが始まると、事故や核拡散の恐れが格段に高まります。

県や電力会社の広告では、フランスのプルトニウム発電を例に掲げるが、佐賀で計画されているものより炉の規模が小さく、MOX燃料のプルトニウム濃度も1/2と低いものである。つまり世界で前例のない規模のものを、試験もせずにいきなり商業利用しようというのだ。新潟、福島、福井で住民投票や事故隠し、MOX燃料のデータ改ざんなどで計画が頓挫したことを考えると、佐賀での知事の同意はあまりにも唐突過ぎた。なぜ受け入れたのだろう。「国策だから」と、国の意向ばかり窺う知事に県政を託し続けてよいのか。私の住む鹿島は新幹線建設の煽りで鉄道存続の危機に立たされている。これもまたプルサーマル計画と同様の手法と構図が浮かび上がる。新幹線建設ならば間違ったとしても金銭で済む問題だ。「前任者がしたことで...」と、口をぬぐっておけばよい。しかし、原発で事故が起これば、町長も知事も国も電力会社も責任を取ることはできない。

これほど危険なことをウソ偽りの中で推進する必要があるのか?まったくないのである。資源の有効利用にもならず。プルトニウムを減らすこともできず。経済性も悪く危険だけが増す。皮肉なことに、これは原子力業界の常識だという。どうやら市民が集まっただけでは解決しない巨大な闇がありそうだ。資料を掲げ詳しい説明がされた本書の一読をオススメしたいところだが、知ることは不安の始まりにもなる。私は原発の本を読み続けたがために、絶えず不安を抱えることになった。いまや知事の姿やインタビューの声にさえ戦慄が走る始末で、さながらPTSD状態である。署名活動に於いて多くの人が原発に対する本当の情報を得ていないことを知る。中には電力会社や県の広告そのままを頑なに論拠とし、署名活動を冷笑されたことがあった。事故など起こらないと信じて暮らせるなら、そのほうが幸福である。事故は平等に起こるだろうから、気を揉んだ分、損なことかも知れない。

さて、私は19年前のベストセラーである「危険な話」を契機に、原発の動向や内容を注視し続けてきた。国や電力会社からは、正直かつ詳細な情報は得られず、議論を避けてでもいるかのように噛み合わないし、噛み合うと困るのでこれからも避け続けるだろう。国といえばさも権威ある姿が浮かんでくるが、ひとにぎりの政治家や役人が業界を巻き込んで自分達の住み良い環境を作り出しているに過ぎない。例えば、今年起った各地の談合事件を見ていると、どこでも起りうるし、これからも絶えることはない。繰り返される嘘と失態を見続けたいま、彼らの言葉を丸ごと信じる人など皆無だろう。原発についてのまともな情報が隠蔽されるなら門外漢にとっては、勢い本の記述や体験者の談話に頼らざるを得ない。

柏崎刈羽の場合、社員は1000人、下請・孫請けは4000人とのことです。待遇や作業環境の改善を要求すれば「うるさいやつ」と疎んじられ、反対運動を頼って情報提供することになります。ー中 略ー長年、反対運動の旗を掲げている者に、内部から寄せられる深刻な情報は、それだけ原発内部の作業環境が厳しいことや、電力会社の対外的安全宣伝と別の(発電所の)実態があることがわかります。内部告発の対応は原発反対運動の一側面として対処したい課題です。

緑と青い海を背景に鎮座する原発を、公園でもあるかのように演出する。清潔で最新の技術を誇る制御室を見せ、安全・クリーンという嘘のために膨大な広告費をつぎ込む。その影で被曝に晒され、命を削る人々の血や汗や涙が隠匿される。誰かが被曝しない限り一歩も立ち行かないのが原発であり、プルサーマル以前に原発そのものが危険な発電方法なのだ。快適な電化生活の底辺を思うと、選べるものなら原発で生まれる電気は使いたくない。原発の危険性は「原発そのものの危険性」、「真実を隠蔽する危険性」、「嘘を流布する危険性」の三つに集約される。このため、内部告発で得た情報を繋ぎ合わせ実態に迫る学者や市民団体の存在は不可欠のものだ。電力会社や国任せではさらに危険は高まる。原子力の草創期には将来、技術の発達で放射能を制御できるという夢想があったのかも知れないが、いまは見果てぬ夢でしかない。

九州電力はこの間、私たちからの公開討論会開催要求に対して「国が行っている安全審査の結果を待って判断したい」との一点ばりで、具体的な時期については明言を避けていました。そこで、「市民によるプルサーマル公開討論会」を計画し05・1/15〜16日、国と九州電力に対して正式に参加要請を行い、また佐賀県に対しても中立の立場からの司会・調整役を依頼しました。あわてた九州電力は急きょ、九州電力主催の公開討論会を2/20日に行うことを発表し、私たちが計画した討論会へは不参加を伝えてきました。当然、国も不参加となり、1/15〜16日は「プルサーマル市民討論会」として鎮西町、唐津市で実施することになりました。

その後2/20日に九州電力主催、10/2日に国主催、12/25日に県主催の公開討論会が開催されましたが、いずれも佐賀県民以外(長崎県鷹島町を除く)を排除した「閉ざされた」公開討論会でした。

この討論会で論議は十分尽くされたとして知事は同意へとひた走る。根拠もないまま、安全上不利でも、「安全性は確保」。実績がなくても、「安全性は確保」と幼児にも劣る見苦しい詭弁を弄する。上記の引用は、「プルサーマル・大事なことは住民投票で決めよう佐賀県民の会」の協力者の一人、深江氏の報告だ。本には各地で原発を見つめてきた人々の記事がまとめられている。佐賀だけではなく、福島でも柏崎、浜岡、高浜、島根、伊方でも、同様に住民には知らしめず、いわば公然と嘘をついて推進する業界と官と政治家の構図がある。20年前のチェルノブイリ原発事故は、このまま原発に依存を続けるかどうかを考え直す好機だった。一部の意ある人々の間では啓蒙が続けられ、その立場は明瞭だ。いままで推進してきた人々こそこぞって議論を始め、脱原発の知恵を結集するべきた。そのための協力を惜しむものは居ない。いつまでも危険性を隠し、ウソの必要性ばかりを言い続けることはできない。くどいようだが、原発に頼らない方針転換を20年前から模索すべきだった。ここで声をあげておかないと・・・「原発は現存するから仕方がない」、「電気を止めることはできない」という現状容認では他の多くの不正や危機についても厭世的対処しか生まれず、世を益々住みにくいものにする。ウラン資源もやがて枯渇する。明日、止めることは出来なくとも、より長くより良い生存の道を歩むことはできないのか。人は神にもなれば悪魔にもなる。

 
【追記.1】2006年、隣国北朝鮮の核実験は日本中を震撼させた。同じく佐賀のプルサーマル計画の同意も震撼に足る出来事といえよう。核の用途は異なっても本質的に核であることに変りはない。エネルギーとか温暖化で糊塗し、見えない、見させないもののほうがより不穏ではないか。危険に踏み出したキム将軍と佐賀県知事、この2人は2006年のお騒がせ人物として銘記しておく。県民投票に向けての署名活動は終わり、次の手続きに移った。「反対している人々に何度説明しても同じだ」、「県民投票の判断が間違っていたら誰が責任を取るのか」と言い放った知事。私が危険だとして中止を願うのは自分の為だけではなく、この張本人たる知事を守るためでもあるのだ。この究極のジレンマに困惑を隠せない。原発は安全と危険が拮抗し、危ういところで均衡を保ち運転を続けている。幸い日本では破滅的な事故は起こっていないが、死亡事故や被爆事故、危うく大惨事を招きかねない事故は起こり、しばしば故障や不具合やデータ改竄が報道される。年末の12/26日には福島第一原発で排水の温度を10年に渡って改竄し報告していたことが発覚した。原発の危険性には、「原発そのものの危険性」、「真実を隠蔽する危険性」、「嘘を流布する危険性」、この三つがある。改竄は「隠蔽」と「嘘の流布」という二重の危険性を秘めるものだ。一体何のために書き替える必要があったのだろう。原発ではないが、時を同じくして水力発電の計測データの書き替えも発覚した。この中の5社・12発電所について安全性にかかわるデータの不正が判明した。さらに9社の520発電所で河川法で定められている届け出をせず、水位計などの無許可工事をしていたほか、116発電所で電気事業法上の届け出をしていなかった。隠蔽・改竄が原発ばかりではなかったことに驚く。例に習って電力各社は「発電所の安全性には問題がない」と言う。原発の不正を告発した映画「チャイナ・シンドローム」では、事故の危機を救い、危険性を強く進言した技術者が命を狙われる。何年も同じ資料で点検を済ますことの指摘、安全軽視の叫び、ついに制御室を占拠し、放送局を呼びつけての抗議。警官に射殺されて映画は幕を閉じる。会社幹部は「頭が狂った技術者」として闇に葬ろうとし、同僚は彼こそ「英雄」だという。いったいどの声が通るのだろう。原発を取り巻く人々や危機を描いた28年も前の秀作であるが、現状はほとんど変らず、日本に於いては悪化し続けている。原発よりさらに危険なプルサーマル計画は、いままでどこの自治体でも頓挫し、同意しても、のちに撤回されている。この流れを踏まえて佐賀でも同意はされないだろうと思っていた。しかし、知らしめず水面下深く事が進んでいたのだ。佐賀での同意以来、愛媛・伊方原発や島根原発でもこの計画が推進されることになった。2007年、次はどこの原発が日程に組み込まれているのだろうか。

【追記.2】プルサーマル計画と言う地球レベルの危機について、為す術もなく怒りの吐露を続けた。しかし、激しい怒りだけではどうにもならないことを知る。届かない叫びや思うに任せない現状に暴発し、破壊行動に出るのが過激派と言われる人々である。過激派を支持するわけではないが、いま定年を迎えよとする団塊の世代の人々の学生時代は激しい運動が吹き荒れた。いまの若者はイベントやスポーツ場に集まりエネルギーを発散させる。世に幸福がみなぎっているのか、不満や怒りを語っても現状を変えようとする行動は起りにくい。唯一怒りを表明できる選挙についても、投票に行かない人が増え続け、不満を漏らしながらも近所の候補者や親しい候補者、会社が推薦する候補者に投票する。もし、自民・公明党の政治に不満があれば、隣の親しい候補者を落とさない限り、声は届かないのだ。プルサーマル計画ではひとたび選ばれた知事の権力の大きさに改めて驚く。数年前まで名も知られぬ一介の役人であった人物が、地球の運命をも左右する決断を下すようになるのだ。これを止めるには徒労に終わったとしても署名活動しかない。2000人を超える署名収集人が2ヶ月かかって53191人の署名を集めた。準備から活動、提出、その後の世話をする人々の心労は並大抵のものではない。私がいままで参加した社会活動といえば、役回りで仕方なく引き受けた地区の役員やPTAくらいだった。為す術を知らずに居た私に、為す術を教えてくれた市民活動の人々に心より感謝の言葉を申し上げたい。

 

そして1年が過ぎ..

「...まだ、小さ過ぎて自分の意見を言う機会を与えられない子どもたち、そしてまだ生まれていないために意見を言うことのできない遠い未来の子孫たちに代わって意見を述べたい」。県政史上初めて住民の直接請求を受けての臨時県議会。プルサーマルは住民投票で判断してという住民代表の意見陳述は力強く、そして静かに議場に響きわたった。佐賀新聞コラム 有明抄より - 2007.2.2 -

半減期が2万5000年というプルトニウムは、人類には制御・管理できない危険なものだ。この及ぼす影響はあまりにも大きく、広く、あまりにも長い。一度汚染された大地に生物が棲めるようになるには10万年の保障が必要とされる。未来の子孫はおろか未来の生物でさえ存続できるかどうかの問題だ。知事が1年前、唐突に「安全は確保される..」と発表して以来、にわかに県民運動が始まった。政治家にとっては粛々とこなす政治日程だったのかも知れない。県民との対話を避け、署名簿の受け取りさえ拒み、「反対している人々に何度説明しても同じだ」と言った知事や、与党の議員に声を届けるため、一年の時間とおびただしい労力が費やされた。2ヶ月の期間中、53191筆の署名数に達し、このうち49609筆が有効と認められた。届けられた山のような署名簿をパラパラとめくる知事の姿がテレビに映る。そして、1/25日、知事はこの署名を、「条例を制定する必要性は見いだせない」とする意見を付けて臨時県議会に提出した。

いままでの知事の言動から予想はされたが、真っ当な議論を恐れるかのように、最初から議論はかみ合わない。県議会は1/30日に開催され、知事は、「慎重に検討を行ったので、安全性は確保される」、「県議会において様々な議論が行われ、議会制民主主義が機能しているので、県民投票の必要性は見出すことができない」と提案理由を説明する。冒頭に掲げた記事は、このあと行われた県民の会、代表・満岡氏の意見陳述の様子である。プルサーマルのみならず原発の問題点を広く網羅し、原子炉の制御性・核燃料サイクル・コスト・放射能汚染・安全性・国の安全管理体制・事故時の想定・国際公約・使用済みMOX燃料・次世代への責任・次世代のエネルギー..について述べた後、次のように結ばれた。

今回、県政史上初めての県民投票条例を一蹴された今、県議会の皆さまの現在から未来にわたる県民の守護者としての行動 を期待します。そもそも県政は、県民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は県民に由来し、その権力は県民の代表者がこれを行使し、その福利は県民がこれを享受するものです。私たちは県民として、プルサーマルを行うことが国策だからではなく、佐賀県民がこのように幸せになれると、或いは未来の佐賀にこんな素晴らしいことが起こると言う展望を見せて頂くよう強く思うものです。

1/30日に始まった臨時議会は2/1日、文教厚生委員会で否決され、さらに2/3日の本会議でも賛成5人、反対33人で否決された。新聞はこの5日間の動きを連日トップに載せ、他に論説や社会面の記事で取り上げた。県民はここに来て、ようやくプルサーマルとは何かを知り始めたところだ。知事や議員の皆様、「判断が正しいのなら恐れることはない」、県民に議会の扉を開いてくれ。このことを県民の会は訴えているのだ。虚心坦懐に話に応じれば、1年もの月日と5万人もの署名は必要なかったのだ。

プルサーマルを容認した古川知事と自民党県議が臨時議会でたびたび引用したのが「間接民主主義(議会制民主主義)」の概念。専門性が高く、全国的な影響を及ぼすプルサーマル計画のような問題は、県民から選ばれた知事と議員が判断すべきというものだ。ある自民党県議は「間接民主主義の否定で、我々への侮辱だ」とも言い切った。しかし、現在の古川知事と県議が選ばれた4年前の選挙では、プルサーマル計画は争点にはなっていなかった。県民がこの問題を念頭に投票していないのは明らかだ。読売新聞ニュースサイトより - 2007.2.3 -

上掲の記事は読売新聞の解説である。県民投票に厚意的なものと私には思えた。地元紙・佐賀新聞にも3日の論説で「住民発動の基本権...」と県民投票を支持する論が張られた。しかし、同日の紙面には1000万円はかかるかと思われるプルサーマル推進の全面広告と、さらに別のページにも下段1/3を使った放射性廃棄物の地層処分の広告が掲載された。数日後..また似たような「理解に努めるの広告」が掲載される...一口1000円のカンパを募って行った署名活動に比べ、あまりにも景気の良すぎる話だ。広告を糧とする新聞社やメディアの公正さと限界に釈然としないものを感じた。

否決された後、記者会見での代表の言葉は滔々と淀みないものであった。

ご支援ご協力いただいたみなさま、どうか本日の結果に気を落とされることがありませんように。私たちはどうどうと胸を張って、自分たちの子どもたちに、君たちと君たちの子どもたちと、そしてそのまた子どもたちのために一生懸命がんばったよと、言えるだけのことはして来たのですから。県議会の録画を観ていただければ心ある人にはわかっていただけるでしょう。

1年前に県知事がいわゆるプルサーマル安全宣言をだしたときには、県民の関心はここまでは高くありませんでした。2010年にプルサーマル計画が稼働しはじめるまでにはまだ時間があります。県民はようやくプルサーマル計画について知りはじめたばかりです。私たちはこの活動を通してたくさんの仲間と信頼を得ることができました。そして失ったものは、なにもないのです。

マハトマ・ガンジーはこう言っています。

重要なのは行為そのものであって結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。

そしてこうも言っています。

善きことは、カタツムリの速さですすむ。と

県民の皆さま、残念ながら古川康佐賀県知事と県議会の大部分の与党の議員の皆さまは県民の意思を問う条例案を否決しました。この方々のお名前をしっかりと胸に刻み、今後、否決した議員の皆さまがどのように県民の声を聴き、どのように未来を子ども達に残そうとしているのかをしっかりと見守りましょう。

 
【追記.1】臨時県議会の最中である1/31日、東京電力は原子力発電所で77年から24件、延べ199回の定期検査に関するデータ改竄があったと発表した。これは昨年12月発電所でのデータ改竄が相次いだのを受け、保安院が火力、水力を含むすべての発電施設の点検を指示し、同社が社内記録の精査や聞き取り調査などを続けていた。不正があった原発は、福島第一・第二(福島県)、柏崎刈羽(新潟県)の原発17基中13基。ほかに、火力発電所3基でも不正があった。改竄の幾つかをあげると以下のようになる。
  • 柏崎刈羽1号機:92年5月/非常時に炉心に冷却水を送り込む炉心冷却装置の残留熱を取り除く4つのポンプのうち1つが、定期検査の直前に故障したが、故障を隠したまま定期検査を受けて合格し、そのまま原子炉を起動、2日後に修理した。
  • 福島第一原発1号機:79〜98年/計28回にわたり、蒸気の流量を監視し、弁を作動させる装置を正しく設定せずに検査を受け続けていた。そのままでは検査に合格しないケースだった。
  • 柏崎刈羽原発:95〜97年/排気筒から出る放射性ヨウ素の濃度を測る際にヨウ素を捕らえるフィルターを裏返しにして放射能の測定値を低くなるようにしていた。
  • 柏崎刈羽原発4号機:95年5月/排気筒から出るガスの放射能の値をコンピューター上で低く上書きした。どちらも実際の測定値は国が指針で定めた測定の下限値よりも低く、そのままでも国や県に「検出なし」と報告する値だった。通常は測定限界以下になることが多いので、それに合わせようとしたらしい。

他に検査に関係しない不正も4件あったが、東京電力は十把一絡げに「いずれも安全上の問題はない」とコメントした。毎度、毎度同じ口上で切り抜け、同じことを繰り返すのが彼らの体質だ。隠蔽・改善はしないと公言しながらも隠蔽・改竄していた過去がある。耐震強度の偽装、食品の偽装、、、各種業界に偽装は見られるが、被害の重大さを考えると原発では絶対にあってはならないし、あってはならないことが起こるから「危険な話」なのだ。安全余裕を十分に確保してこそ稼動可能なものだが、余裕域は極めて狭いといわざるを得ない。老朽化した原発はさらに危険が増すし、プルサーマルでは余裕はおろか危険に踏み出す発電である。臨時県議会の最中、専門性の高い判断をしたという知事や議員諸氏は、いかように受け止めたのだろうか?

【追記.2】同じく1/31日、青森・六ヶ所村の再処理工場の操業延期が発表された。佐賀のプルサーマル計画の同意の直後から稼動が始まったが、昨年、作業員が体内被曝するなどのトラブルが相次ぎ最終試運転の工程が遅れていた。このため、使用済み核燃料再処理工場の操業開始時期を、予定していた今年8月から3か月延期するという。これで1988年3月、原燃が政府に事業指定申請して以来、操業開始の延期は通算10回目になった。再処理はプルサーマル発電より、さらに困難と危険を伴うといわれている。六ヶ所村でフル操業時に臨海爆発が起こればチェルノブイリの比ではない、地球の生命の半分が消え、この日、地球は終わりを迎えるだろう。

 

隠蔽・改竄・捏造 --- 三つの危険

原発は原発そのものの危険性と隠蔽・改竄・捏造の危険性がある。しかし、この3つは原発ではなく電力会社の危険性なのだ。いままで述べてきたのは、この危険な体質に対する不安でもある。事故や事件が発覚し、そのたびに深い反省と再発防止を誓いながら旧態然と、むしろ巧妙に隠蔽・改竄・捏造を続けていく。原発を取り巻く環境を考えると、隠蔽・改竄・捏造は宿命といえるかも知れない。それにも増して国の機関がアテにならないことが情けない。一蓮托生、国と業界が結託して人類を危険に晒し続けているのだ。注意深く新聞を読むと原発での危険な出来事はしばしばである。2007年2月、美浜原発事故に関する大きな動きがあった。この事故は2004年8/9日、福井県の美浜原発3号機で2次冷却水の配管が幅約50cmにわたって破裂し、定期検査の準備中の下請け会社の社員が、噴き出した高温高圧の蒸気を浴び、5人が死亡、6人が重軽傷を負った。破裂部分は検査リストから漏れ、1976年の運転開始以来、1回も点検されず、当初1cmあった厚みは最も薄い所で0.4mmにまで削られていた。危険な作業は下請に負わせるのも都合の良い話である。配管の管理責任者だった元チーフマネジャーが部下への適切な指示を怠ったことや、元課長らが破裂した配管が未点検だった事実を把握していたにもかかわらず、上司に報告を怠ったことで、福井県警敦賀署捜査本部は26日、業務上過失致死傷容疑で旧若狭支社の関係者6人を書類送検した。原発の運転に関する事故で刑事責任が問われるのは異例で国内最悪の原発事故は発生から2年半余りで、関係者の刑事処分に発展した。捜査の途中でいくつもの杜撰さの実態が明らかになった。2次系配管の点検を請け負っていたグループ会社は事故の前年、関電の複数の担当者に「3号機では破損した個所を含む約30か所で配管の主要な部位の点検が行われておらず、不具合が起こる可能性がある」と報告していた。また、事故前の2004年7月初め、福井県おおい町の大飯原発1号機の配管で国の基準以下の減肉が判明した。関電の全原発を統括する同支社がすべての原発を調べ、美浜3号機の事故配管が運転開始以来28年間、1度も点検されていないことが判った。このような未点検個所が3発電所の計11基で700カ所以上あることなどが報告されていたが、担当者は上層部にも報告せず、旧若狭支社としても具体的な対応は取らなかった。支社内では「大きな事故が起きないという考えが大半で、関心が低かった」と弁解した。電力会社の緊張感に欠ける安穏とした意識は「4つめの危険」に加えるべきであろう。

この報道の翌日、今度は東京電力での危険な話である。1992年、新潟県柏崎刈羽原子力発電所1号機で国の定期検査を受けるため、原子炉を手動停止させようとした際、炉が緊急停止するトラブルが起こるが、国などに報告せず、運転日誌にも記載していなかった。緊急停止は92年2/28日未明に起きた。この日から始まる国の定期検査のため、原子炉出力を徐々に落とす手動停止の操作をしていたが、炉心からタービンに向かう主蒸気配管のバイパス系で弁が故障し、炉が緊急停止。緊急停止の場合、安全に停止したかどうかを国に直ちに報告することが義務づけられているが、同社は事実を報告していなかった。また、福島県の福島第2原発1号機では1985年に同様の緊急停止が隠蔽され、柏崎刈羽原発7号機では2001年の定検の際に蒸気タービンの性能試験データも改竄し国の定期検査に合格させていた。2回の緊急停止の隠蔽にはともに当時の発電所幹部が関わっていた。今回、これら3回を含め計9回の原発不正が新たに報告され、定期検査関連の不正は1月に報告された分と合わせて200回に達した。東京電力の副社長の説明によると「国や地元自治体に報告した場合、対応が煩雑になるのを避けるためだった」という。安全より利益を優先する電力会社の体質は「5つめの危険」に加えるべきであろう。

同時進行で報道されたのは「核のゴミ問題」である。2/28日、原子力発電環境整備機構は四国・高知県の東洋町で高レベル放射性廃棄物最終処分施設の候補地選定に向け文献調査の認可を国に申請した。東洋町では賛否の声が交錯し「町勢浮揚のチャンス」と歓迎する賛成派に対し、「一気に国が突っ走るのでは」と不安を募らせる反対派との亀裂が深まっている。核燃料サイクルという国策がこうして徐々に歩を進めていく。国策と言うからには策を強いる人々が居るはずだ。このさなか、国会は言葉尻を捕らえ「言った言わない、謝罪、辞任、、」という低次元の騒動で空転し、テレビは芸能人の着いた離れたを面白く可笑しく報道する。無害無益の興味に翻弄されている間に、公然堂々と危険な話が進行していく。異を唱える政治家や役人は居ないのか?注意を喚起するメデイアは十分な役割を果たしているのか?危険な話ならば、地域が一丸となって反対するはずだと思っていたが、賛成・反対それぞれの人々が運動を巻き起こし、営々と寄り添ってきた町に対立の構図とギクシャクした感情が生まれ、しこりを残す。以下は地元男性のコメントである。

「原発の時、電力会社は『危険も事故もない、ない』と言うてた。でも見て。今も原発の事故はどんどん出てきよる。建設工事ゆうてもよそから来る人ばかり。みな吸い上げられてしまう。被害があるばかりで利点はないやろ」

賛成派は危険を知りながら「この交付金を町づくりのために」と主張する。町づくりの中身はありふれたものだ、道路、役場、公園、体育館、、短期に建設業者が潤ったあとは維持費という置き土産が残り、再び、みたび、何らかの事業を誘致しなくてはならない。危険な原発は危険であるがゆえ、その見返りに金をバラまき人の心まで汚染していく。最終処分場は各地で話題にのぼっている。佐賀の唐津でも火種はくすぶっているし、隣の長崎県の対馬でも話がもちあがっている。残念ながら、原発に最終処分場は不可欠のものだ。処分場という表現は適切ではなく、正しくは最終管理場ということになる。プルトニウムは管理に10万年の歳月を要し、地球環境や人々の価値観が変わっても、国や人類が消滅しても管理を放棄することはできない。地層深く捨てて済む問題ではないのだ。電力会社や国は10万年の管理が必要とは言わないし、事故の話もしない。事故が起これば、半径60km圏内に住む人々の50%が死亡し、あらゆる生物が10万年間棲めない大地に変わるのだ。管理・制御できない核を人類が手にしたとたん、核に呪われ、3つの危険が避け難いものになった。隠蔽・改竄・捏造はどの業界も手を染める。たとえば食品業界の隠蔽、耐震強度の改竄、放送番組の捏造、、日々これらの不祥事を見ていると消化不良を起こすほどだ。これを伝える報道機関でさえ、襟を正すことなく隠蔽・改竄・捏造を行う。だから原発も、、ではダメなのだ。原発事故の被害の甚大さを考えるなら絶対に完璧かつ厳格に運用されなければならない。これができないから隠蔽・改竄・捏造に手を染める。つまり、人類は核を持つ技術も能力もないのだ。事故が起ればどうなるか?電力会社も国も政治家も決して言わない。事故の怖さより計画の頓挫を怖れるかのように見える。責任も取れないことを推進する赤裸々な真実を伝えないメディアの責任は重い。巨額のスポンサー料を頂くお得意様に配慮するなら、その責任も負うべきだ。日々起こる原発の事故や不祥事を他人事のように報道し批判するメディアの軟弱さも、また「危険な話」である。

 
【追記】上の記事を書いた数日後、北陸電力志賀原発で起こっていた重大な事故が報道された。東海村臨界事故(1999年9/30日発生)の数ヶ月前にすでに臨界事故が発生していたのだ。8年間もそ知らぬ顔で隠蔽を続けてきた電力会社の体質は、多分これからも変わることはない。それが原発の宿命でもあるからだ。志賀原発2号機は耐震設計の脆弱さにより、昨年3/24日に裁判で運転の差し止めが命じられている。原発や電力会社の隠蔽・改竄の報道は日常茶飯事である。まさに「カラスの鳴かぬ日はあれど..」である。にもかかわらず、「このような事がないように..」が繰り返される。臨界事故とは、核反応が予期しない原因で暴走し制御できない状態になることをいい、表現を変えるなら核爆発に等しいものだ。最悪の場合は核分裂で発生する中性子線やγ線による死亡や被曝、施設の破壊に伴う放射性物質の環境への放出などが起こる。チェルノブイリ原発の二の舞いともなりかねないものだ。しかし、あくまでも一般の原発での事故である。プルサーマルは格段に危険のレベルが高まる。地方紙では1面と3面でこのニュースを伝えたが、別刷りの広報誌が付いてきた。そこには、「安全・安心・大丈夫・・」と書かれた電力会社の宣伝が目に付いた。事故とおなじく広告も執拗なまでに垂れ流す。臨界事故の内容と原子力資料情報室のコメントは以下のようなものだ。(2007.Mar.16)

志賀原発1号炉・制御棒が3本も脱落し臨界,さらに原子炉緊急停止失敗---北陸電力は志賀原発を運転してはならない!

停止しているはずの原子炉が臨界状態になった.1999年6月18日に志賀原発1号炉で起きていたのはそんな事故だ.北陸電力は2007年3月15日になってはじめて,「臨界事故」が起きていた事実をあきらかにした.事故が起きたことを8年間隠し続けてきたのだ.北陸電力の説明はおよそつぎのとおり---定期検査中に,制御棒の急速挿入試験をするための準備中に弁の操作順序をまちがえたことがきっかけで,3本の制御棒が引き抜かれた.原子炉が臨界状態になって,出力が上昇しはじめたため,原子炉自動停止信号が発せられたが,制御棒の緊急挿入装置が働かなかった.緊急時の制御棒挿入は,窒素ガスの圧力を水圧で動く制御棒駆動機構のピストンに与えることでおこなわれる.ところが,この試験のためにピストンを押し上げる水が流れる弁が閉じられており,窒素ガスの充てんも行なわれていなかった.その15分後,試験のために閉じていた弁を開いたところ,制御棒が原子炉に挿入された.

上の説明では不明な点がいくつもある.なぜ簡単に制御棒が抜けてしまったのか? いつ臨界になったことを知ったのか?そのときの制御棒の位置は?中央制御室で15分間もいったい何をしていたのか?なぜ緊急挿入装置のガス圧がなくなっていたのか?国による原子炉設置のための安全審査では,「ほとんど起こるとは考えられないが万が一のため」という位置づけで「仮想事故」の想定がある.「仮想事故」の中には,「制御棒1本が落下事故」という想定があるが,今回の事故は発生した事態としてはそれを超えており,安全審査の想定が不十分であることを実証したことになるのではないか.また,臨界到達後に原子炉自動停止信号がでているにもかかわらず,自動停止に失敗した.失敗したままの状態で15分も経過している.これは一歩間違えれば大惨事となる重大なスクラム失敗事故だ.経済産業省・原子力安全・保安院は,3月15日に北陸電力に対して,志賀1号炉を停止し,総点検をすることを指示した.あわせて,事実関係と原因の調査,再発防止対策の策定をも指示している.しかし,北陸電力がとるべき再発防止策は,原発から手を引くことしかありえない.「北陸電力は志賀原発を運転してはならない」

 

原発列島を行く 鎌田 慧   ― 2007.8月コラムより ―

6年前に出版された本であるが、この本を取り上げざるを得ない事件が起こる。玄海町長が中間貯蔵施設誘致の検討を表明した(2007.6/20佐賀新聞)。佐賀で2010年から始まろうとしているプルサーマル計画のことは繰り返し書いたが核廃棄物の最終処分場の問題もくすぶり続けていた。中間貯蔵施設とは使用済み核燃料を六ヶ所村の施設で再処理するまで保管する施設をいい、現在、青森県むつ市が誘致を決めている。国内の原発から出る使用済み核燃料が年間900〜1000tに対し、六ヶ所村の処理能力が約800tである。この差分を貯蔵しておくということだ。町長の談話によると「プルサーマル計画と中間貯蔵施設をセットで考えている」という。「毒食らわば皿まで」ということだろうか、町長にとっては、町の活性化を考えてする賢明な判断なのだ。これに対して知事は「これまで中間貯蔵施設について話をしたことはない。玄海町からは核燃料サイクルについて勉強するための視察と聞いている」と驚いて見せた。今春、決着した東洋町の最終処分場問題に対して、最初から断固拒否する姿勢を崩さなかった高知県知事とは対照的である。いきなり最終処分場誘致では...マズイ、という思惑さえ見え隠れする。原発を巡る計画は周到に隠密裏に巧妙に進行する。新聞によると「町長は今年4月下旬、スイスの中間貯蔵施設を視察したのに続き、18日からむつ市を訪れ、田頭肇・副市長らと会談。施設誘致の進め方などについて説明を受けた」と書かれていた。県や近隣の市に波紋は広がり、市民団体などが抗議に駆けつけると、翌日あっさりとその考えのないことを表明した。とりあえず観測気球を上げたというところであろう。

4日後の新聞の一面に「中間貯蔵施設・玄海町長発言」という特集が組まれた。それによると、玄海原発の4基の貯蔵プールには使用済み核燃料がたまり続け、すでに容量の5割を超えているという。六ヶ所村の再処理工場が稼動しても2020年頃には満杯になる。仮に誘致するとすれば、10年はかかると考えられるため、早急に取り組まねばならない課題である。高レベル核廃棄物は高さ130cm、直径40cm、厚さ5mmのステンレス製キャニスターに詰められ重量は500kgくらいになる。放射能があまりに強く正確な測定はできないというが、表面で14000シーベルト/h、30年経たものでも500シーベルト/hである。その危険性たるや100シーベルト/hでも即死するという。現在、4〜7万本が行く先を待ち続けているが、そこが実質的な中間貯蔵施設と言えなくもない。中間貯蔵施設の名称は核アレルギーを逸らすためのものでしかない。電力会社幹部の談話でも、輸送のコストや危険性を考えるなら、原発の近くのほうが好ましいという。プルサーマル計画の同意は結果的に最終処分場まで見据えたものになるのである。いまのところ、中間貯蔵施設はむつ市だけで、最終処分場はまだない。また、これを引き受ける自治体は住民運動の反対で困難を極めている。このような状況では原発立地で保管し、そこが中間保管施設となり、果ては最終処分場になるだろう。施設設置の調査の段階で年間1億4000万円、同意すれば2年間は9億8000万円の交付金が支払われる。新聞の大見出しは「将来の誘致に含み」と書かれていた。

著者、鎌田慧氏はフリーのルポライターで、数々の精力的仕事で知られている。原発の町や村を歩き、原発の抱える問題や人々の生き様を取材した報告である。不安や葛藤、裏切り、悲しみ..あらゆるものが原発を巡って繰り広げられる。一体、このようなことがあってよいのか。知らせぬことの策略と、知らずにいることの危機を痛感させられる本であった。核の平和利用とはいえ、中身は核そのもので、危険であることに違いない。事故や稼動による汚染を考えると、大都市より被害者の少ない町や村を狙って作らざるを得ない。町村も当然、危険は承知のこと、小出しに情報を流し、時には計画を表明しては引っ込め、空気を読む。水面下で、徐々に根回しを進め反対派の意気を殺いでいく。

予定地域でまずはじまるのが、いつでもおなじ、「先進地視察」名目の、無料の観光旅行であり、飲ませ、食わせの買収である。つまり、説得ではなく、買収が原発の常套手段である。それでしか建設できないのは、存在自体が危険だからである。

原発関連業界からの政治資金で選挙を勝ち抜いた、原発立地県の知事や市長、町長、村長などの無責任によって、住民は、核戦争直前とおなじ危険にさらされている。わたしがこれまでに会った首長たちは、「国が安全だといっていますから、安全です」というだけだった。

漁業保障の具体的な金額や町民の会話などを読んでいくと、ルポならではの迫力に圧倒される。案内されて船で原発に近づくと「ピイピイ..」とアラームが鳴る。安全だクリーンだというが、既に放射性物質は拡散し汚染し続けているのだ。一万人にも満たない村が原発の誘致で揺れ、対立の構図を作りあげる。争点をボカして当選した町長が原発推進へと動く。各地区では記名投票によって、賛成が得られるまで何回でもやり直す。自然豊かでのどかな町が策謀にさらされ、厚い地縁や血縁に修復不能なまでの亀裂が生じる。ここまでして原発が必要なのか?実はまったく必要のない過剰設備なのだ。

地元紙の「山陰中央新報」に投稿されている読者の声を読むと、相変わらず「電気がなくなると生活できなくなる。だから原発は必要だ」との意見が多い。これらには、政府や電気事業連合会がマスコミを通じて流している、デマの浸透ぶりをよくあらわしている。視野が狭く、利権にだけ敏感な政治家と官僚が、代替エネルギーの拡大と電力消費の削減にむかう方向をさえぎってきたからである。

電力会社や国は巨額の費用をつぎ込み、温暖化対策だ!代替エネルギーだ!と宣伝する。あまりに執拗かつ反復的に行われるため、思考は停止し、人々は宣伝のままを信じきってしまった。原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識(広瀬隆・藤田祐幸共著)/原発を止めると停電が起きるのか?この項目を読むと「真夏のピーク時に原発を止めてもまだ1000万kw以上の余力を持つことになり、原子力のすべてが過剰設備となる」と書かれている。公共事業と同じく、ひとたび走り出せば容易に止めることができない。電気は余っているのだ。このことを隠したまま、温暖化対策や石油の代替エネルギーとして語られるが、石油が枯渇すれば、原子力も動かない。また、核エネルギーは燃えて熱を発する以外には、害こそあれ何の役にも立たないのだ。その熱で水を沸かし、タービンに水蒸気を吹き付けて発電するのが原子力発電である。原理は産業革命以来の蒸気機関なのだ。現在、全国で55基の原子炉が稼動中で、30年を過ぎ廃炉の時期を迎えたものもある。今後、住民運動の反対などで新たな原子炉を作るのも困難になりつつあり、いずれ原発は終焉を迎えるだろう。それまでに心配なことがたくさんある。

大事故が発生する前に、日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。つまり、すべての原発が休止するまでに、大事故に遭わないですむかどうかある。大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、ようやく敗戦を認めたのとおなじ最悪の選択である。

原発内に溢れそうな廃棄物を、少しでも早くはこびだしたい、そのために、とにかくデータを改竄してでも納期にまにあわせようとした。ところがこの不正行為が発覚したあとでも、発注元の「原燃輸送」は、「安全性には問題ない」として輸送を再開している。チェック体制が甘いのは、監督官庁であるはずの経済産業省や文部科学省が、ほかならぬ原発の推進役だからである。担当者はやがて監督していた企業に天下っていく。この癒着を断ち切らないかぎり、日本の原子力行政の危険は防げない。

明日起るかも知れない原発事故や核廃棄物の危険こそ、温暖化より逼迫した問題だ。事故が起らず、静かに原発からの撤退が完了すれば、まず一歩。次は残された核廃棄物や放射能を帯びた原発施設の処理や管理の問題が10万年にも及んで続いていく。昨年の暮れから春頃まで、電力会社の捏造や隠蔽問題が取り上げられた。すでにお忘れかも知れないが、私は忘れていないし、これからも忘れない。国の検査体制の不備と見直しを迫られる事態になった。このような電力会社と国が責任を持って管理できるだろうか。「地中深く捨てて、それで終わり」というなら、これほど危険な事はない。むしろ人の目に付くところに置いて絶えず管理をしておく必要がある。

原発の町や村の苦悩に対して何を為しうるか、そして希望を捨てず活動を続ける人々の居ることに感動を覚え勇気を得た。佐賀の最北部、玄海原発に隣接する呼子町はイカの産地として賑わうドライブコースである。家族で朝市を散策しながら干物などの海産物を買い、昼は料理屋でイカ刺し定食を楽しむ。あまりにも平和で穏やかな光景が一瞬にして地獄図に変わり果てるかも知れない。しかし、事故はまだ仮定の話である。穏やかな営みの影で黙々と原発は稼動し続ける。

原子炉の定期修理作業などによる下請け労働者の被曝は、日常的に、現実のものとして発生している。大事故の恐怖に比べてみれば、それは小さなものにしか見えないかも知れないが、人間の生命と生活がかかっている。無関心でいるわけにはいかない。-- 中 略 --被害者の殆どが下請労働者である。原発労働と被曝は、炭鉱労働とじん肺の関係などよりもはるかに深刻であり、かつ防止が困難である。被曝者を日常的に産みだす労働とは、はたして社会的に許されるべきであろうか。

 
【付記.1】東洋町長(沢山保太郎氏)講演会(2007.7.7):7が3つならんだ七夕の日、佐賀は豪雨で、織女星と牽牛星は会えなかったが、私は東洋町長と会うことができた。といっても講演会へ出かけたというだけの話だ。報道で知られたように、この春、東洋町は核廃棄物の最終処分場の誘致騒動で揺れた。まったく知ることのなかった町だが、事実は小説より奇なり、報道などで知るところ以上と以外の多くの出来事を聞くことができた。前町長による処分場誘致の為の調査の申し込みは、最初、秘密裏に行われた。側近など一部の者だけが知り、地方新聞社にも秘匿を要請していた。この調査たるや法律の内容を精査すると、「...ねばならない」と結ばれ食い逃げができないような仕組みになっている。応募したが最後、意見は聞くが聞くだけで、国の思うがまま話は進んでいくのだ。前町長の応募が昨年3月、その年の夏になってやっと町議の一人が知ることになる。町長は隠し切れないと悟ったところで公表に踏み切った。「交付金を頂けるので調査に応募するだけだ..」という談話はテレビなどで報道された。しかし、事は違っていた。前町長は明らかな誘致目的の工作を続けていたのだ。これには報道されない闇があり、県外のある人物が町長へ処分場の話をもちかけたのが始まりだった。当初、議会も同意し町内の商工会や有力者も理解を示していたため、一般の人々は反対の声が出せなかった。しかし、徐々にことの重大さと危険性を知ることで、ついに反対運動に火がつき、反対署名が6割を超えるまでになった。この結果を見た町議も、10人のうち6人が反対へと回った。議会も町民も周辺がすべて反対の意思を示しているのに、前町長は再度応募書提出を強行する。常識を欠くこの行動について、前町長は「反対があっても高い政治的判断で行う」と言った。この言葉を聞くと、佐賀のプルサーマル県民投票を否決した知事や議員のことが思い出される。余談ながら、前町長が元共産党の町議であったことを聞いて2度驚く。東洋町ではリコール運動へと発展した。そしてリコールが確実な情勢であることを知った前町長は辞職を選んだ。次は選挙だ。しかし、この選挙は国との戦いになる。国を相手の選挙に手をあげる候補者が居ない。そこで、隣町の沢山氏に候補者として要請が為された。選挙戦は圧倒的に沢山氏有利に展開し、支持者は町の通りに集結し気勢をあげた。前町長派にとって「沢山氏を消す」しか勝つ見込みがない。このため沢山氏周辺は、警備を厚くし服の下には本や雑誌を巻き、宿泊所も毎日変え、変装までした。たった一人の独裁者を生むと、多くの人がこれほどの労苦を強いられる。幸い東洋町では活動が実ったが最悪の場合は後戻りのできない危険にさらされるところだった。佐賀ではプルサーマル計画の同意から1年を経て、中間貯蔵施設の問題が出た。原発を抱える町は、実質的に中間貯蔵を行い、ついに最終処分場となる宿命を帯びている。事故が起これば、佐賀だけの問題ではない。福岡や長崎は直ちに被害を被るだろうし、灰が拡散すると地球規模で汚染がひろがり、危険性は温暖化の比ではない。また、プルサーマルに同意したことで六ヶ所村の再処理工場の稼動が始まり、伊方や島根でもプルサーマルが行われることになった。最終処分場が決まれば、国はこれを突破口として原子力の推進に邁進するであろう。東洋町長から資料として「連帯」というチラシを頂いた。原発を抱える地域を孤立させてはならない、「連帯」して支えていこうという東洋町長の言葉が印象に残った。

【付記.2】7.16/海の日、夜来の激しい雨は未明までに小降りに変わる。祭日の休みを利用して外出中、出先近くの食堂で早目の昼食をとっていた。新潟で地震が起ったことを食堂のテレビで知る。真っ先に原発を心配したが、心配は現実のものとなった。画面には黒煙立ち昇る柏崎の原発が映し出される。ゾッとする光景であったが、幸い原子炉ではない。被災された多くの方々の不安や苦痛を思いつつ..遠いところからこの記事を書くことに許しを請いたい。もし、火災が原子炉であったならば、被災地は今後100年以上(プルサーマルでは10万年)死の大地となり、放射能による数々の障害や病に犯されることになる。そして3日経てば日本全土が放射能の灰に覆われる。逃げ出す場所もなく、ただ食料を買い込み家中の窓を締め切り篭城するしかない。空気を吸い米も野菜も食べる。放射能が拡散し薄まった頃外に出ても、大地はすでに汚染されているのだ。原発と地震についての危険性は専門家から数々の指摘がなされている。昨年は裁判で北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転の差し止めが命じられた。電力会社の想定を超える地震があれば、いまの耐震設計では事故が起こり、被曝する具体的可能性があるとの理由だ。現在も浜岡原発で耐震性の是非について係争中である。東海地震が懸念される地域であるだけに、今日明日の問題でもある。柏崎刈羽原発では1号機の設置許可について、周辺住民が国の許可の取り消しを求める訴訟が行われた。控訴審判決で東京高裁は2005年、活断層が周辺に存在するという原告側の主張に対し、「原告側が主張する活断層はそれ自体、断層ですらないもので、地震の原因にならない」と退けていた。しかし、今回の地震で原告側の主張が証明され、気象庁などの余震分布の解析結果で活断層が真下にあることが分かった。原発のみならず、国の基準も裁判所も脆弱かつ安穏たる地盤に立っていたことになる。柏崎刈羽原発は設計上の想定でマグニチュード(M)が最大6.5の直下型地震に耐える構造になっていた。ところが、今回の地震はM6.8で、Mが0.2違うとエネルギーは約2倍になるといわれ、実際、想定の2倍を超える揺れが7基すべての原子炉で観測された。テレビでみた黒煙は原子炉ではなかったが、他に被害はないのか報道を注視した。この後、次々にトラブルが報告され60件を超えるまでに達し、水漏れと排気塔からの放射能漏れという事態を招いた。水漏れは、16日午前の地震発生から2時間半後に確認したものの、放射性物質が含まれているどうかの確認を、5時間半あまり放置し、国への報告も午後7時近くになった。その上、実際は9万ベクレルだった数値を、6万ベクレルと低く発表していた。今年、原発の隠蔽・改竄の失態が明るみに出ただけに、よくも懲りずに..と思ったが、データが書かれた数値を誤って読み取ったという。そして相変わらず「外部への影響はない」と発表した。その最中、弁の閉め忘れで放射能が2日間も漏れ続けていたことが後に判明した。地元の柏崎市は18日、柏崎刈羽原発に対し消防法に基づき緊急使用停止命令を出し、運転再開を当面認めない考えを伝えた。これから、長期間運転を停止し修理・点検や耐震性の見直しが始まるものと思う。地震は、柏崎刈羽に止まらずすべての原発の抱える問題点を浮き彫りにし、反原発の学者や市民運動家にとって常識だったことが、ようやく認知されるに至った。新聞には安全神話崩壊という見出しで報道されたが、安全・安心は広告・宣伝によって作られた言葉に過ぎず、いままでも、そしてこれからも空しく響くだけだ。電力会社は「放射能漏れによる外部への影響はない」と発表したが、これだけの規模の地震被害としては奇跡的に軽微だとの指摘もある。近隣の観光施設は客が激減し、ホテル・旅館のキャンセルも止まらない。風評被害と一蹴できるなら幸いだ。後になって、「実は..」と言う事態にならないとも限らない。風評には人の危険回避の直感が働くのかも知れない。とくに原発に於いては電力会社や国の情報より、風評を信じる。Net上の、ある社説で気になる発言があった。「温暖化防止のために、いつまでも原発を停止しておくわけにはいかない」という内容だった。原発はウランの採掘から、施設建設、稼動、廃棄物の管理というフルコースメニューで温暖化防止ではなく温暖化に貢献するものだ。運転時の高温の排水ひとつとっても十分納得のいくものだ。社説氏は一流の見識を備えた人物と推察するが、いつ常識に気付いてくれるだろうか。衛星探査などで地震を引き起こす未知の断層も明らかになってきた。世界の原発はすべて安定した岩盤の上に設置されているが、日本はどの地域を見ても牢固な場所がなく、いつどこで地震が起こっても不思議ではない。事故が起こる前に静かに原子炉の火が消え逝かんことを祈る。

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【参考資料1.】原発事故とヨウ素剤

事故によって発生する主な放射性核種にはセシウム137(半減期30年)、ストロンチウム90(半減期29年)、プルトニウム239(半減期24000年)そしてヨウ素131(半減期8日)がある。ヨウ素は他の核種より半減期は短いが、放出される割合が最も高く、気化して大気中へ広範に拡散し、呼吸や飲食物を介して、体内に取り込まれ内部被曝を引き起こす。

ヨウ素は、甲状腺ホルモンの構成成分として生体に必須の微量元素であり、体内には約25mgが存在する。食物では海草に多く含まれ、1日の摂取量は成人で約1.5mgとされている。甲状腺は、ヨウ素を取り込み蓄積するという機能があるため、原発事故でヨウ素131が環境中に放出されると即体内に吸収され、甲状腺ホルモンの構成元素として取り込まれ甲状腺組織の中で放射能を放出し続ける。それにより甲状腺障害が起こり、晩発性の障害として甲状腺腫や甲状腺機能低下症を引き起こすとされている。

この障害を防ぐため、被曝前に放射能を帯びないヨウ素剤(ヨウ化カリウム)を服用し、甲状腺をヨウ素で飽和しておくと、更なるヨウ素が取り込まれず、予防効果が期待できる。しかし、投与時間によってその効果は大きく左右される。最も効果的なのは被曝直前でヨウ素131の摂取防止率は約97%、3時間を過ぎると約50%に低下し、6時間を過ぎると、予防効果はゼロになる。

服用後のヨウ素の吸収は、食後で30分後、空腹時で5分後から始まるとされ、甲状腺ホルモンに取り込まれると、体内に長期間貯留する。

予防のための投与量は1日1回、成人でヨウ化カリウム130mg(ヨウ化カリウム約2〜3錠)、1歳以下の乳幼児で65mgとされ、服用期間は、事故の程度にもよるが、3〜7日くらいと考えられる。特に17歳以下の成長期の子供は、ヨウ素をとり込みやすいので、成人より優先されなければならない。

ヨウ素の副作用としては、甲状腺障害、ヨウ素アレルギー(発熱、関節痛、蕁麻疹等)、耳下腺炎等の報告があるが、一般に1回130mgのヨウ化カリウムの経口投与では、たいした副作用は発生しないとされている。しかし、食物からの摂取量が通常1日1.5mgであることを考慮すると、被曝線量が50mSv以下の場合は使用しないほうが良いとされ、逆に500mSv以上の場合は積極的に使用することが望ましい。

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【参考資料2.】ヨウ化カリウム丸・服用法

被爆後3時間以内に以下の表の分量を服用する。7歳以下の小児で丸剤の嚥下が困難な場合は丸剤をフイルムの上から突き砕き、取り出した後3等分したものを、アイスクリームなどと混ぜて服用させる。(ジュース・ゼリーなどでも可)

年 齢

ヨウ素量 ヨウ化カリウム量
新生児 12.5mg 16.3mg(1/3丸)
生後1ヶ月〜3歳未満 25mg

32.5mg(2/3丸)

3歳以上〜13歳未満 38mg 50mg(1丸)
13歳以上〜40歳未満 76mg 100mg(2丸)
40歳以上は線量次第

【注】普通1回の服用で良いが、避難困難な場合は数回服用する。緊急時、短期間の服用では副作用はほとんど起こらないと考えてよい。40歳以上では甲状腺癌の発生率は低いので服用しなくても良いが、5Gy以上であれば服用する。

 

プルサーマル.. それから

2006.3/26、プルサーマル計画に同意が為された。人々を危機にさらす決断がいとも容易にかつ周到に行われたことに怒り、驚く。やりたい人々のみに降りかかる危険なら自業自得でそれも良し、また責任がとれるような計画であれば言う事はない。数ある危険のなかで最悪のものが放射能である。原発は二酸化炭素を出さない、クリーンだ、制御すれば安全だ、などという嘘八百に騙されてはいけない。原発、即ち放射能であることを前提に話をすすめるべきだ。万全の安全対策どころか捏造・隠蔽しなければ運転できないのが原発の宿命である。この恐るべき真実をすべての人々が知れば、と何度願い空想したことか。目下のところ巨額の金を使った国や電力会社の宣伝が成功している。

世界中に運転中・建設中の原発は478基で、計画中のものが53基ある。このうち1基でも事故が起れば地球全体への被害は免れない。また、運転するだけで日々海や空に放出された放射能が蓄積し、私たちは薄い毒ガス室に居るようなものだ。とくに原発の近郊では高い放射能が検出され白血病やガンの発生率も高い。動植物への影響として遺伝子異常による奇形などが観察されている。残留農薬、添加物、化学物質などに脅え、オーガニック生活を試みても最悪の毒物からは逃れえない。また高レベルの放射能を帯びた廃棄物は行き場を探し、迷走を続ける。万策尽き、地下深く捨て「後は知らない」という乱暴な所業が計画されている。人類が放射能に手を出した時点で、地球もろとも終わったと言ってよい。

同意の後、最大の山場である県民投票を求める署名活動が行われた。県民投票ではなく、それを求める署名活動だ。2段階の運動は署名終了段階で否決された。同意から3年半に渡り、再三の申し入れ、抗議、座り込み、署名、集会 ...など行なわれた。しかし、2009.11/5、MOX燃料を装荷した原子炉はなにごともなかったかのように起動し、その夜、臨界に達した。しばらくの調整運転を経て、12/2、わが国初のプルトニウム発電による営業運転が始まった。私達は回避困難な危険へと一歩踏み込んでしまったのだ。無力感で茫然となる。安全なところから文章を綴り吠えるだけの自分を情けなく思う。情けないが、活動の知恵も力もなく、このことを悟るに十分な4年であった。知ることから始まるとはいえ、知ったところでどう動けばいいのだ。44万人もの署名さえ黙殺するような相手と、命賭けで話し合う価値と成果はあるのか?

いま発電中のMOX燃料には品質の不安があり、使用済み燃料の管理の問題がある。プルサーマルで出た廃棄物は1万年の管理を要する。1万年後には電力会社も、事によると人類も存在しないかも知れない。誰も非難されず、責任をとる必要もない。それを見越して原発やプルサーマルを行い、一部の者だけが現世の利益を貪る。核燃料サイクルの輪は寸断され破綻しても強行するのは公共工事や天下りの構図と変わらない。MOX燃料の品質、残される核廃棄物、この2つを争点に運動の場は裁判へ移ろうとしている。(2010.Apr.)

 

危険な話と人類の終焉と.. -2011.Apr.-

過去に起きたチェルノブイリもスリーマイルも遠く、いままでは危険な話だったかも知れない。いつかは分からないがいつかは起こるはずの地震に、原発は脆くも崩れ果てた。原発で事故が起これば取り返しがつかないことは再三述べてきた。国内、国外に及ぶ汚染と風評も含めた被害、終息や廃炉にかかる経費、、少なくとも100年は終わらない。ただしプルトニウムでなければの話だ。

ここ数年の保障でさえ国や電力会社だけで責任を負うことはできない。反原発の人々の悲鳴にも近い叫びは届かなかった。国や電力会社の頭は狂っている。「事故は起こらない」「安全、クリーン、コスト安、二酸化炭素、、」と念仏のように嘘八百を垂れ流してきた。事故の経緯やその後の動きは山ほど流れ続けているが、新聞やテレビの情報と週刊誌やネットの情報とはあまりにも落差がありすぎる。もはや大本営発表だけで動いている人はいないだろう。

いままでと同じように国や電力会社は隠蔽や捏造に等しい対応をとっている。もう体質の改善は望めない。一方メディアの慣いで危機を商品として煽る傾向もみられる。いずれにしてもチェルノブイリで起きた出来事は、今後日本でも起きるのは間違いない。1年、2年、そして10年、20年が過ぎ当事者達が世を去り、記憶が薄れても薄れる事のない危険は続く。各国の大使館は事故後ただちに日本を離れる行動をとった。米国は80km圏内からの退避を指示した。海外からの来客は途絶え、逆に脱出が始まる。国は10km圏の退避から続いて20km圏に拡大し30km圏の屋内退避で済ませた。さらに、ある日を境に被曝量に習って基準値を20倍も引き上げ、大丈夫と言い始めた。基準値を引き上げ、退避圏を広げない、この期に及んでも賠償からの逸走を企んでいる。放射線管理区域並の線量の街を行き交う人々、無邪気に遊ぶ子供たち。その穏やかな光景が闇の深さを伝え、戦慄が走る。夢もあるだろう、やりたいこともあるだろう、なによりも子供達には大きな可能性と未来があるはずだ。それを原発が台無しにした。

これから起こることは、日本のどこに住んでいても避けられないことであり、近隣諸国を巻き込む危険だ。海も空も大地も汚染され、いまもそれは続き、終息の見通しもたたない。事故後しばらくして野菜のいくつかに出荷規制が為された。市民団体が調査したところ複数の大手スーパーで汚染野菜が見つかった。予想はしていたが暗澹たる気分にさせられた。魚、肉、牛乳、穀物、水など、食物は生命の維持に不可欠で、例え汚染していようが食べないわけにはいかない。引き上げられた基準値のまま流通する食品に馴らされ、やがて汚染すら忘れてしまう。加工食品や健康食品の原料で使われたり、産地偽装で見られたように非汚染地域を経由するような事が横行するかも知れない。これから日本の食環境は著しく不安なものとなるだろう。有機・無農薬も原発ひとつですべて水泡に帰する。中国野菜をこぞって求めることにもなりかねない。

明日かも知れない。別にも巨大な地震の警告が発せられている。地図をみると狭い日本の各地に原発や核施設が点在する。北へも南へも逃げ場はない。いまきっぱり原発を止めないと日本は終わるだろう。危険な話を続けてきたが、もう終りにしたい。民主主義国家の体裁は取っているが国はアテにならない。日本で55基、世界中に440基の原発があり、ただのひとつでさえ事故が起こってはならない。人類に永劫の未来はなく、終焉は訪れる。私達はそこに行きついたのかも知れない。原発を抱え、ときに容認し利用してきた私達はその覚悟を決めるときがきた。

こうしているあいだも、子供たちは汚染区域のグランドで駆け回っている。未来ある子供達だけでも国の手から救えないだろうか。

>>「祈り」,破れて..

 

 

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