【治療家への箴言(3)】
天が下のすべての事には季節があり、 すべてのわざには時がある。 生まるるに時があり、死ぬるに時があり、 --旧約聖書・伝道の書より抜粋-- |
あまりにも有名な一節で説明するまでもないが、人生には時間の流れに沿って生起する時節がある。花は開き散り、その命を次の世代に托し実を結ぶ。同じように人にも四季が存在する。世を去る引退の前に、治療家としての引退の日が訪れる。治療家になりたての頃と比べ円熟味を増す一方で経験が新たな向上や冒険を阻む場合もあるだろう。しかしおおよその年齢をピークに知力や手技能力は下降線を辿るものと思われる。そのことを自らが認識し、しかるべき時期を判断できるのであろうか?政治家に見るようにスキャンダルにまみれて引退したり、選挙の鉄槌を受けボロボロになって引退するのをどう感じるだろうか? 芸を極めた画家や陶芸家、、、などの晩年の作品の評価は異論を許さない賛辞が与えられる。「奥義を極めた..」「真理を垣間見る...」「美の極地..」「枯れた完全無欠の造形..」しかし、非情にも引退の時は訪れる。極めるという賛辞の意味は何なのか?下降線をたどる能力が芸術家のみ例外とは言えないはずだ。単調、単純な若者の作品であれば、粗雑、手抜きと言い、老大家のものであれば、洗練された無駄のない美と評する。漢方家の場合にも似たようなことがある。沢山の書物を著した大家の晩年の処方は「わずか数種類を加減・合方して使っていた」「風邪には3種の方剤で対処した」磨かれ、奥義を極めたためにそうであったのか?それとも知力、能力の限界のため、単純、手抜き傾向になったのかは凡人の私には謎である。初心者が大家の晩年の処方を真似て数種の処方で対処しようとするなら、たちまち失笑を買い無知蒙昧の嘲りは免れない。 長年、同じ仕事を続けていると慣れが生じ、目新しいものは少なくなってくる。幾種かのパターンに分類して対処することを「洗練された」といえなくもない。不慮の事故や病気でないかぎり、私はまだ引退までに時間が残されている。しかし、やがて迎えるであろう引退の「潮どき」を自ら明確に認識できるだろうか?政治家のように老害といわれるまで執着し、お客様に迷惑をかけはしないか自信はない。健康で若いときの思いや決心は老年まで有効期限が保障されるものではなく、砂粒のように握り締めれば崩れ、わずかの風雨にも形を解き流れ落ちてしまう。
10年以上も前に読んだ本の引用になるが、原文は1983年8月12日号の「米国医師会雑誌」に掲載されたアメリカ・カリフォルニア州サンタフェで開業しているアービン・バンキン博士の手記である。引退のことを考えたことがなかった外科医が、この一言をきっかけに引退や自らの過去やこれからのことを淡々と記述する。案外自らの容貌や能力の衰えは迫ってこないのだ。久しぶりの同窓会に出向き頭の禿げ上がった友や中年太りした女友達をみて、自らの年齢を痛感することがある。きっと皆が実際の年齢より5歳も10歳も若いと思っているに違いない。オジサン、オバサンも若者と同じ熱い「志」があるということをその年齢になって知るのである。しかし、身体的には確実に衰え、まずは仕事の引退から始まり、やがて訪れる「死」についても避けては通れない課題を抱え込むことになる。若い頃やまだまだ猶予のある時期の「死」の観念と、数年、数ヶ月、数日に迫った時の「死」の観念は同じではない。
仕事の充実や喜びは何者にも替えがたく貴重なものである。自己評価のとおりに周囲も認知してくれるならこれほどの喜びはない。重責を担い重用されるほどに自我も拡大する。しかし、これにも永遠の文字はない。重責を担った人ほど引退後は悲惨であることが多い。拡大した自我がいっぺんに消えてなくなる出来事は身を切られるほど辛いものであろう。人は社会の中にあって何人たりとも一個人に過ぎない。社長も総理大臣も容易に交換可能なものなのだ。
気持ちと裏腹に進む老化という能力の衰えを直視するのは困難なことだ。自らのことについては信じたくない思いが優先する。体をフルに使うスポーツ選手の場合は早く、引退も突然訪れる。華々しい活躍を遂げた選手が、涙を溜め去り行く姿はあまりにも寂しい。引退には死の淵をのぞくような重苦しさが漂う。劇的でも華やかでもない一般人にとっても視力の衰え、増えたシワやシミ、耐え難くなった重労働、頼りない記憶力、、など幾らかの老化の兆候が現れる。それでも、「まだ若者には負けない」と頑張る人もいるが、、、上記の医師はついに引退を決意する。
引退はあと死を待つだけの引退ではない、新たに次のステップへの一段階なのだ。手技能力や知力は落ちても、年齢と自らに相応しい仕事や生きがいが見出せるはずだ。しかし、今までと同じものの始まりではない。死が避けられないように引退も同じく人生の一部として考えなければならない。流れゆく時節の一断面なのだ。引退にも死にも「無念さ」がにじむ。晴々と装えば装うほど、奥に秘めた暗澹とした闇を思わずにはいられない。 「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」 頼藤和寛 著、という本がある。仕事柄、より多く人の心と関わって来た医師である。健康な頃に書かれた本はいくつか読み、その軽妙な語りのタテマエ・ホンネ論には説得力があった。ホンネだけでは生きられない。生きるためにはタテマエが要る。
この本の初版が1984年、そして17年をへて2001年に「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」が出版され、出版とほぼ同時に亡くなられた(53歳)。最後の著書を読むと、「無念さ..」がにじむものであった。過去を顧み物事の折に触れ、様々な題材に言葉を尽くし解釈を試みる。まるで、もう一人の自分に言い含めるように。本の最後は次のように収束していく。
まだ若くして死を迎えるなら「無念さ..」は一層募るに違いない。しかし80歳を過ぎた老齢の人の死に対する思いはさらに切実なものがある。次は「石の座席」堀 秀彦 著 朝日新聞。これは80歳を過ぎた哲学者の老いをめぐる随想として1980年頃話題になったものだ。
誰にとっても死は無念なものだ。それならば、不老長寿を想像してみよう。不老長寿は夢のような幸福だろうか?永遠に生き続けるのは死よりも辛いことかも知れない。限りある生の中で羨望するからこそ不老長寿が輝くのではないか?私事になるが、医師の引退を書いた本を読んでから10年。石の座席を読んでから20年。20年前は死からも引退からも遠く離れた位置に居た。この間多くの人の引退や死を見たり、また親しい人との別れもあった。引退も死も一人でやり遂げる孤独な作業である。治療家の引退から見えてくるものは、同じ孤独を共有する人々への共感や思いやりである。日々落下し続ける砂時計のように、残された砂の量は違っても、やがてすべての砂が大地に還る日がくるのである。 訣別をなさねばならずいつの日か人とも物ともその心とも...<不知詠人> |