【放置という治療】


不調や苦痛は軽いものも含めしばしば見られ、わずかな体調変化ですら病の予兆ではないかと気を揉む。不調や苦痛のいくらかはやがて消え、忘れ去ることもあれば、継続する苦痛や不安のため医療の門を叩く。その時点で私達は治療を選びその中で薬か手術か、薬ならAかBか、という選択をする。しかし実際は専門家である医者の治療方針や説明に従い、選択肢は限られる。その前にもう一つ、放置という選択肢を忘れてはならない。治療放棄は文字どうり放置と同じだが、観察を続けながらの積極的放置は治療と言い換えても良い。代替医療への切り替えや併用はそのEvidenceを考えると治療という放置療法に等しい。熱意と信頼あふれる害のない治療は心を癒し、現代医療の侵襲的治療から身を守る。問題は真に現代医学的管理が必要な場面を見逃すことと、代替医療の治療家の自信が技術を超えたときだ。

生活習慣の改善を促す腹囲や体重、各種検査値がいつの間にか生活習慣病という病気を生みだした。いままで放置したり運動や食事で養生したものが医療の門を叩いたばかりに病と看做される。検査の数値、医者のひとことや態度が心身の健康を損なう事が起こる。早期発見・早期治療のフレーズを疑い、症状が出てからでも遅くはなく、むしろ自然の理に叶っていることに気付くべきであろう。

がん放置療法のすすめ   近藤誠 著 -2012.Dec.コラムより-

「がん」と診断されると患者生産ラインに乗せられ、3大療法(薬物・手術・放射線)が待ち受ける。大多数の医者はシステムのただ中に居るので、3大療法の範疇で帰趨を判断する。ラインに乗らなかったわずかな人々、この中には代替医療に活路を求める人、そして文字どうりに放置を選ぶ人もあるだろう。割合は異なるが治療、放置いずれにも治癒例や延命例が存在するはずだ。ところが、3大療法のラインに乗った患者の治癒や延命は治療の有効例として誤ったEvidenceをもたらす恐れがある。

がん放置療法が観念論や机上の空論ではないと、余すことなく示すことができるからです。また、かつて「患者よ、がんと闘うな」で語った、がんが「がんもどき」と「本物のがん」に分かれることが真実の高みにあると、誰の目にも明らかになるからです。

がん論争の後、2004年から著者は筆を折り、がん患者の放置例を見続ける。上記は「後書き」で述べている断筆の理由である。著者は「研修医になったとき、がんは積極的に治療するのが当然と思っていた」と言う。助手になっても講師になっても積極的に治療を施したが、患者は毒性で苦しみ、あきらかに命を縮めた例もあった。次第に抗がん剤治療に疑問が生じ、手術、放射線、がん検診についても広がっていく。そこで、改めて臨床データ論文を読み込み「どのようにしたら患者が苦しまず、最も長生きできるか」を視点に理論の再構築を図ることになった。「がん放置療法」は無理、矛盾のない最新かつ最善の診療方針だという。

がんを放置してみると様々な経過を辿ることが解った。変化のないケース、増大し治療を始めるケース、がんが縮小し、消失するケース。巷にあふれる、「がんが治った」、「がんが治る」という話は変化のないケースや消失するケース、最初からがんではなかったケースが考えられる。さらに進行がんでも縮小するケースがあると聞けば、イメージも対処も変わってくるだろう。

放置患者の観察・分析から、がんが転移する時期も判明します。すべての癌は「本物のがん」か「がんもどき」のどちらかに属し、「本物」は初発がん発見のはるか以前に転移しているのです。他方、がん発見当時に転移がない「もどき」は、放置しても(初発巣から)転移が生じないことが確認できました。

がんは進行、転移し死に至るというイメージが、社会通念化し、その恐怖や不安が人々を検診や治療に駆り立てる。がんの診断を受けた人に、「がんもどき」理論の話をしても、一向に受け入れられないのは洗脳と医者への帰依であろう。うなずき、納得した様子を見せても結局、医者の下へ駆け込み3大療法ラインに乗る。医者でさえ3大療法を疑わず、治療の合理性さえ失することがある。「医療・宗教・教育は恫喝産業だ」、と喝破する人もいるが、死や病への恐怖がそのネタであることは言うまでもない。

中高年男性の前立腺がんは「がんもどき」が9割以上にもなるという。前立腺特異抗原(PSA)を測定し高値がでると患者も医者も不安になり治療に駆られる。手術や放射線治療の結果、最悪にも集尿袋や集便袋が必要になったり、人工肛門や人工膀胱の増設手術を余儀なくされた例がある。9割が「がんもどき」だというのに、もはや治療ではなく傷害罪に等しい。PSA発見がんの監視療法についてカナダの報告では、450人を経過観察したところ、1〜13年の観察期間中、前立腺がんで死亡したのは5人で、死亡率を計算すると10年で2.8%だった。この研究では前立腺以外での死亡も報告されており、前立腺がんの死亡数の10倍近くが他の病気で亡くなっている。組織診断には誤診も多く、数値のわずかな違いで臓器を全摘出したり、放射線を浴びせるというのは理不尽である。なんら症状の出ていない人は治療はもちろん検診さえ避ける方が賢明である。

アメリカの専門病院での放置・観察研究によると、子宮頸部の上皮がんもほとんどが「がんもどき」で、67人のうちゼロ期(上皮内がん)からT期(浸潤がん)に進行したのはわずか4人、浸潤した可能性はあるが断定できないものが5人、上皮内がんに留まったもの41人、17人は消滅した。早々に手術を受け、5年再発に脅え、やがて「治った、早期発見で助かった」と喜ぶ人には伝えたくない話である。「本物のがん」の前提条件は「腫瘤をつくり、宿主の人を死に至らしめる」ことにある。そのため硬い腫瘤をつくり、重要臓器の機能不全を引き起こす力を備え、かつ腫瘤が周囲組織に浸潤し、他臓器へ転移するかどうかである。上皮内に留まるがんは触っても硬くなく、正常粘膜と変わらず、視診でも平らで正常粘膜に溶け込み腫瘤はつくらない。欧米では胃の上皮がんは「異形成」と診断し「がん」とは言わないが、日本の医者は治療の俎上に乗せる。軽い異常やポリープなどで胃や腸を切り、その後、「再発もせず治った」と感謝している人はもともと必要のない治療を施された可能性が高い。

がんは恐い、がんを放っておくと危ないという社会通念は、転移時期に関する誤解によって生み出された面があるからです。そして、その誤解を解くためには、がんを放置した場合のデータを積み重ねて計算する必要があるわけです。医者たちが治療を急ぐのは、この誤解が解けることを恐れるからではないか、という視点を持つことが大切です。

昔は、がんが見つかっても様子待ちが普通であった。そのうちに消失するがんや進行しないがんは淘汰され、症状が出ない限り体を傷つけることはなかった。医者が経営などの雑念を抱いて治療するとは思わないが、治療を急がせる理由は、医者、患者双方が「あうん」の呼吸よろしく、通念を共有しているのではないか。がんの成長速度は待てないほど早くはない。著者が行なった乳がんの経過観察(70人以上)によれば、大きくなるがんの成長速度は一般にゆっくりで、3cmの腫瘤が1年かけて1〜3mm大きくなる程度のものが大部分であった。倍増時間が3ヶ月以内は1件だけだった。がんの消失は浸潤がんでも非浸潤がんでも見られたが、浸潤がんより非浸潤がんのほうが多数であった。非浸潤がんはすべてが「がんもどき」の典型で、縮小・消失し、増大するものでも転移しない。なぜなら、がんは遺伝子の病気であるため、最初に発生したがん幹細胞の遺伝子に転移する能力がないと、その子孫のがん細胞も同じ遺伝子を受け継ぎ転移能力を獲得できない。浸潤性のがんは「本物のがん」の可能性が高いが「がんもどき」も多数あり、とくに触診で発見されることの多い2〜4cm程度の乳がんでは臓器転移のない「がんもどき」が大部分を占める。本物のがんは直径倍増時間が3ヶ月以内と成長速度が極めて速く、症例は少ない。

がんの実際を説いても放置・観察を選ぶ患者は少なく、治療を望む患者が大部分だという。理屈では納得するが治療しないことの心理的苦悩が大きく、作られた虚像に怯えるのであろう。健康であれば最初から検診など受けぬことも考えるべきだ。「乳がん検査のマンモグラフィは受けるな」と著者は警告する。マンモグラフィでしか発見できないがんはすべて「がんもどき」で、他のがんについても早期発見で見つかりやすいがんは「がんもどき」が多い。がんもどきを切り取り、術後に再発や転移のないことを、手術や治療の手柄のように勘違いし、以後の患者に治療を勧めるという悪循環が続く。医者も「早期発見・早期治療」の欺瞞を信じているのか、解っていても別の理由があるのか。

早期発見・早期治療が正しいと信じる事を「がん一元論」といい、早期がんを放置すると周囲の組織へがんが浸潤し、他臓器へ転移する進行がんとなり、さらに末期がんとなり死に至る、という考え方である。「手遅れ」、「もう少し早ければ」と患者を後悔の淵へ突き落とす。「がん一元論」は大腸がんにおける「ポリープがん化説」が発端になった。1970〜80年代、この説の誤りが日本人研究者によって指摘されたが、この後も、そしていまだもって、いとも簡単にポリープが切り取られている。近藤氏の主張は「がん二元論」で、他臓器へ転移し命を奪う「本物のがん」と他臓器へ転移しない「がんもどき」を分けて考える。

最初の一個のがん幹細胞が発生したそのときです。つまり、他臓器へ転移する遺伝子変異が生じたがん幹細胞は「本物」を形成し、他臓器へ転移する遺伝子変異が認められないがん幹細胞は「もどき」をつくるのです。

生まれてすでに、素質と運命が決まっているなら、それに沿って対策を講じるほうが患者の為には有益である。一個のがん細胞が発生した時点で運命の日が決まり、その一個は検診で見つけることが出来ず、見つかったとしても現代医学では「本物のがん」を治す手立てがない。がんによる症状がない人は、健康人と変わらず、転移があってもすぐに死ぬことはない。むしろ性急な手術や投薬が運命の日まで辿り着くことを妨げる。一方「がんもどき」であれば縮小もあり、肥大せずそのままであれば寄生虫を飼っておくのと変わらない。症状が出てからの対応で後悔する事はない。

他の臓器に転移している「本物のがん」ならば、胃を全摘しても治りません。痛い思いをするだけ損です。他臓器へ転移しない「がんもどき」ならば、無治療のまま様子を見るだけでよいときも多いし、内視鏡など最小限のごく小さな手術で済む可能性もあるからです。

外科医の間では、手術の傷跡にがん細胞が入り込み増殖が加速する事が知られている。手術によって体は大きなダメージを被り、生活のクオリティは著しく低下し、本来の寿命さえ縮めかねない。前に述べたように、このことが解ってもなお治療にすがる人々が絶えない。著者は「がん放置の哲学」として、以下のように提言する。人生や死など個々の価値観に関わり、「悟り」と言いかえてもよい。

がん放置療法の要諦は、少しの期間でいいから様子を見る、という点にあるからです。その間に、がん告知によって奪われた心の余裕を取り戻すのです。そして考えましょう、がんの本質や性質を。

がんは老化現象です。年齢を重ねるなかで遺伝子変異が積み重なった結果が癌なので、年齢が高くなるほど発がん頻度が上がるわけです。そして老化現象だから、放置した場合の経過が比較的温和なのです。ただ本物のがんの場合は、老化現象の究極として、いずれ死を呼び寄せます。しかしその場合も、なりゆきを癌に委ねれば、自然の摂理に従って人生を完結させてくれます。

放置療法の要諦を踏まえ、具体的なにはどう対処すればいいのか。詳しくは著書を読んでいただくとして、次のことを念頭におく必要がある。

  • がんが発見されただけで、それが早期がんでも転移がんでも治療を始めない。QRLが低下した場合に治療を開始する
  • 症状がなくても治療を希望する人には、合理性を失わない限りで行う。
  • がんを放置する場合、進行度に応じて診療間隔を決める。早期がんなら6カ月、進行がん、転移がんなら3カ月で診療を始め徐々に間隔を延ばす。
  • がんが増大又は苦痛の症状が出てきたら、その時点で治療と治療法を検討する。

2番目の「症状がなくても治療を希望する人」は多数にのぼるという。健康なのに、医者の呪縛下で死の恐怖に脅え、放置をためらう人々である。実際、がんの診断を受けてみないと、その気持ちは解らない。いままでの刷り込みがいかに強固であるか嘆息せざるを得ない。合理性を失わないための知識は患者も医者にも必要だ。無害無益の代替医療に頼るのも悪くはないが、彼らは無責任にも「治る」と大言壮語し、多額の費用を請求することが多い。「早期発見・早期治療すれば永遠に生き続ける」と思う人は居ないだろう。しかし、医療や健康産業は永遠に生き続けられるような錯覚をふりまきながら、人々を検査や治療に駆り立てる。患者と真摯に向き合う著者の祈りをよそに検診も治療も業界の糧食として続いていくことだろう。

恐怖や不安という感情に対抗できるものは、知性や理性をおいてほかにないと思うのです。

情緒に基ずく精神論には妄想や空疎な観念が紛れ込む。それが理性を攪乱し、公平な判断を縛る。情報の海原へ乗り出し、玉石混交から玉を拾い上げるには目覚めとともに、運命への悟りが必要なのかも知れない。

【関連図書】がん治療「常識」のウソ/患者よがんと闘うな/「がんと闘うな」論争集/がん専門医よ、真実を語れ/がんは切ればなおるのか/ぼくがうけたいがん治療/抗がん剤の副作用がわかる本/ぼくがすすめるがん治療/なぜほくはがん治療医になったのか/それでもかん検診うけますか/わたしが決める乳ガン治療/大病院「手術名医」の嘘/本音で語る!よくない治療ダメな医者/がん治療総決算/医療ミス/成人病の真実/死に方のヒント/「治らないがん」はどうしたらいいのか/医者に殺されない47の心得 /「余命3カ月」のウソ

 

 

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