【読書録(10)】-2013-


バブルの死角
「医療否定本」に殺されないための48の真実
農は輝ける
日本の魚は大丈夫か
新宗教 儲けのカラクリ
人殺し医療
医者に殺されない47の心得
原発ゼロ社会へ!新エネルギー論
海の放射能汚染
大往生したけりゃ医療とかかわるな

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バブルの死角 -日本人が損するカラクリ- 岩本沙弓

国はいままで、そしていまも「借金が1000兆円もあり、返済と来たる高齢化社会の福祉の為に消費税の増税が必要だ」と言う。新聞やテレビは、どうやって調べたかも知れぬ世論調査の数字をあげ、繰り返し増税を説く。「熟慮..」の茶番を演じたあと、秋には総理が増税の決定を発表した。あろうことか福祉の切り捨ても同時に歩をすすめた。増税と福祉から掠め取った金は低きより高きに流れ、大企業を太らせる。

マスメディアが喧伝している日本悲観論には異を唱えてきた。すなわち、日本経済を自虐的に語る人たちがこぞって問題点としてあげる「財政破綻」は今の日本には起こるはずがない。これは個人の願望として語っているのではない。虚心坦懐にデータを読み解けば、日本が世界の中でももっとも破綻から遠い国であることは明らかであり、国際金融の現場でもそうした位置づけとなっているからだ。ただし、「世界一のお金持ち」でありながら、それを大多数の国民が実感していない、享受できていないという滑稽さがある。

実感どころか失業や貧困が現実の問題となっている。いったい何処にお金があるのか?本書はマスコミが報じない真相を読み解くもので、ネットでは普通に論じられていることだ。本を開くこともなく、新聞とテレビの情報だけで世の中を見る人には信じがたい事かも知れない。わが国には国民が必死に働いて生みだした富を巧妙に掠め取っていく、様々な「強者のルール」が埋め込まれているという。なかでも最も憂慮すべき仕掛けが消費税である。国家の運営に税が不可欠なことは否定できないが、消費税の内容を精査すると、私達が負担し本来広く還元されるはずのものが、別のところへ漏れてしまっている。多くの人々にとって消費税など容認できるものではない。ものを買うたびに今までの倍もの税金がかかるなら、消費意欲は減退し、日本経済にとっても大きなブレーキがかかる。このことは多くの経済評論家やエコノミストたちも認めるところだ。増税に際しては内閣や政権が潰れるくらいの覚悟で事にあたってきた。その増税を諸手をあげて歓迎している集団が、経団連や経済同友会などの財界である。物やサービスを売って消費してもらうことで収益をあげる企業が、消費を減退させる増税になぜ積極的になるのか。

古い話になるが、第二次世界大戦終了直後、彼らは当時の代表的な間接税であった取引高税、物品税、織物消費税などを「悪税」と断じて廃止の意見書を提出している。企業として極めてまともな考えであるが、いつの間にか180度違う事を言いだすようになった。ここに「輸出還付金」という強者のルールが埋め込まれたからだ。輸出還付金の制度は1954年フランスで最初に導入され、輸出企業に対する補助金であった。その名目では協定違反とされたため、国内の資材調達で重複課税となる間接税の調整という建前で認められた。日本では消費税といい、輸出企業が輸出した売り上げには、国内で仕入れた部品などの消費税が含まれ、その分の税金を還付するという制度だ。2012年度の国の予算によれば輸出還付金の総額は2兆5000億円で、その半分の1兆2000億円ほどが、日本の輸出企業の上位20社に還付される。2015年に消費税が10%に引き上げられると5兆円もの金額がころがり込んでくる。さらに消費税率引き上げとセットで法人税、所得税などが引き下げられ、企業は法人税減税に加えて輸出還付金を受けとることになる。

本来、国民が払い、国民へ福祉や教育など様々な分野で再分配されるはずのお金だった。政府もそのような説明をしているが実態は、増税すればするほど輸出企業は肥え太り、身を削って払った国民はやせ細るという悪循環だ。消費する者に公平にかかる税というが、事業規模が小さくなればなるほど消費税分を価格に転嫁しにくい。たとえば資本金3000万円以下の小売業を見ると1989年の導入時で39.9%、1年後で51.4%がほとんど転嫁できていないか、ある程度と答えた。1997年の税率引き上げの時と1年後では転嫁できていると答えたのは3割前後にとどまっている。とくに小売やサービス業では値上げにより売上減や客離れを恐れるあまり慎重にならざるを得ない。これに比べ大企業は下請けに対し、消費税分の価格切り下げを当然のように要求する。

輸出企業の専横なる振る舞いを各国政府が認めてきたことがじつは世界経済の混乱や不公平の起因となっているのではないか。輸出企業の儲けを自国民に還元してくれるのであれば別だが、ひたすら自社の利益だけを追求すれば、そういった企業や、そこで働く数少ない従業員にはメリットがあるとしても、圧倒的多数を占めるその他多くの世界中の中間層や低所得者層はひたすらその煽りを受けるだけである。

大企業が政府と結託し、自分たちに都合の良いルールや仕組みをつくり、公共セクターから超過剰利潤(rent)を搾り取ることをレント・シーキング(rent seeking)という。マスコミを利用し、国民には「増税しなければ、社会保障費がパンクする」、「日本の消費税率は国際的に非常に低い」などと喧伝する。10月の全国世論調査では増税賛成の理解が53%にまで進んだ。

一方、米国は付加価値税を導入していない。輸出企業への裏の補助金なので導入しない事で製造業は確実に疲弊する。製造業については後から追いかけてくる新興国に価格で負けて衰退することを案じていた。むしろ製造業は新興国に任せ、株主として利益を受け取るほうが有利ではないかと考えた。実際、1990年代以降、米国は国際資本の自由化を推進することで金融帝国を築き上げ、強いドル政策を採用する時期に海外からの資金を集める戦略にシフトした。ここにきて米国の金融業や支配者層、そして各国の輸出大企業という一部の支配者層にとって付加価値税の利害が一致することになる。

日本の財界をはじめ各国の輸出大企業にとっては、消費税は自分たちを富ます打ち出の小槌になりうる。一方、金融帝国となったアメリカは自国の製造業を捨て石にしながら、製造業を中心とした海外の成長分野に投資して利潤を拡大する。

米国が金融大国へと舵を切ったとき、日本は消費税を導入し法人税を下げることで、輸出企業優遇の税制へと傾倒していく。平成時代を「失われた20年」と形容することがある。大企業がどんなに利益を上げようとも一般の国民には富が行き渡らず、ごく一部の富裕層や企業にしか資金が回っていかないようなシステムが出来上がった。続いて2001年3月決算期以降、日本の上場企業は金融商品に関して時価会計の新基準をもとにした財務諸表を発表しなくてはならなくなった。時価会計システムを採用した結果、資産がどんどん目減りし、わずかばかりの評価益を確保し、評価損を膨らませないため企業も金融機関も株を売り続けた。株価は下落の悪循環を辿り、たたき売られた株式を外国人投資家が保有するようになった。2003年には日本の事業法人と外国人投資家の保有率が21.8%で並び、2011年には外国人投資家の比率が26.3%となり、日本の金融機関の29.4%と並ぶほどになる。外国人株主の増加はすなわち「もの言う株主」の増加であって「株主寄り」に企業経営は変化していく。

アメリカ流の金融資本主義に呑みこまれる形で、日本は金融ビックバンを実施し、時価会計導入をはじめとした会計制度の変更もおこなったことになる。そしてグローバル競争に晒された企業は、「企業は株主のもの」、「経営者の義務は、株主への還元の最大化」、そして「雇用は人的資源ではなくコストである」というアメリカ型の思想を受け入れた結果、低成長のなかで短期的な利益を重視する経営が求められることになった。

株主重視の経営が慢性化すると本業が赤字でも配当金を配ることになる。2000年代中頃まで企業の純利益における株主配当は4割と言われていたが、2012年の4月には約7割にまで上昇している。企業は原資となる内部留保を増大させ、一般労働者の賃金へと回さない。それどころか非正規雇用を増やすことでコストを削減していった。貧困による生活困難者は増え、勤労世帯の年収も低下する一方である。著者は、「構造改革が中途半端であったからこそ、現状程度でなんとか収まっている」という。収益を上げた企業から献金を受け取る政治家、天下り先を確保する官僚、ともに大企業優遇の改革や政策に偏ってしまう。

日本を経済活動の基盤とし、きちんと儲けが出ているなら国内の労働者へ配るとか、正当な税金を払うのが当然ではないか。資本金10億未満の中小企業では労働分配率が70〜80%台と高いままであるが、資本金10億以上の大企業は58.7%と極端に少ない。中小企業の努力に比べ、大企業は雇用コストをかなりカットしている。1999年に労働者派遣法が原則自由化され、2004年には製造業でも解禁となり、非正規雇用者が急激に増加した。1984年の非正規雇用者は15.3%、1994年は20.3%、2012年は35.1%と30年で2倍以上も増え、有期契約者の74%が年収200万円以下という。中間層の貧困化は子供に著しい格差をうみだすことになる。シングルマザーで子供二人を抱え年収200万でどのような生活が可能だろうか。2011年の子供の貧困率は15.7%、翌年のユニセフの報告書では経済先進国35カ国中、9番目に高くなっている。こうした格差を是正するための再分配機能が年金や生活保護や児童手当などになる。

再分配前の所得と再分配後の所得で計算した子供の貧困率をみると、ほとんどの国では再分配後のほうが貧困率は下がっているが、OECD加盟国の中で再分配率後の貧困率が高くなる逆転現象を起こしているのが日本だ。社会保障費として徴収されたはずの消費税は、再配分され国民の手元に戻ることがほとんどない。

とくに日本経済にとっては、人的資源が最大の資源になるのは考えてみれば当然のことであろう。資本主義経済では、雇用される側は消費者にほかならない。消費者は受け取った賃金でモノやサービスを購入するのであるから、ごく少数のために多くの雇用者を痛めつけるような政策をとれば、内需は縮小するため、日本経済全体も低迷するのは自明の理である。

強者優遇の制度変更が着々と行なわれたことで、中間層の困窮も進んでいった。大企業優遇の制度や消費税の徴収だけであれば、お金はやがて国内へ還元され、これほど深刻な所得低下を招くことはなかったかも知れない。強者は国内だけではなく「失われた20年」を通じて、国民が一生懸命働いて納めた数兆円単位の税金や貯蓄があっというまに国外へ流れていった。いうまでもなく最大の強者とは米国であり、本来日本人のために国内で使うべき資産をほとんど無防備なまま米国へ流し続けてきた。

2001年以降、平均すれば日本は毎年5兆円を超える米国債を買っている計算になるが、これは消費税1年間の税収の半分以上にあたる金額である。

いままで行った計60兆円近いドル買い介入について、「急激な円高を阻止するため」と政府は説明するが、根本的な円高が反転することはなく、この説明は成り立たない。結果的に米国の財政赤字の借金を日本からの資金が穴埋めしたことになる。選挙でオラが町の政治家を送り続けた結果がいまに至る惨状だ。小泉政権が「改革の痛みに耐えて..」と国民に強いて、その裏で行ったことだ。当時、米国のブッシュ政権はクリントン政権が達成した史上最高の財政黒字を史上最悪の赤字に塗り替えてしまった。9.11同時多発テロ、イラク戦争と続き、景気が悪化するなか財政支出は増大する。ブッシュ政権は景気の下支えのため2度にわたる大減税を行った。経済の低迷期に一層の歳入減となる減税ができるということは、その分どこからか調達してきたことになる。小泉政権時代、42兆円のドル買い介入がブッシュ減税のための財源だったと考えられる。さて、安倍政権は50兆円もの米国債購入ファンドを検討しているという。これもまた米国の財政赤字に使われることになるだろう。日本国民は増税を強いられ困窮化しているのに、その資金で米国の減税が実施される。そして米国債に投資された資金が戻ってくることもなく、還元されることもない。米ドルを買うため政府は円を売り、資金を市場から調達するため短期証券という債権を発行する。債権を買って財務省に円資金を渡すのが金融機関や保険会社などの機関投資家で、国民の預金や保険料が原資となっている。

アメリカにとっては、海外から資本を呼びこみながらドル高にし、借りるだけ借りたところでバフルの崩壊や金融危機が発生することによって、一気にドル安に転じさせることができ、結果的に借金を棒引きにさせる効果が生まれてくる。

ITバブルが崩壊したときは小泉政権が大量にドルを買い介入し、住宅バブル崩壊後は民主党政権がバトンタッチして介入した。民主党政権時代の16兆円にものぼるドル買い介入は、わずか8日間で行なわれ、実質的な時間としては24時間もかかっていない。消費税は国民から否応なく集め、1年間で10兆円だが、為替介入は24時間で16兆円もの援助になる。バブルのツケを次のバブルで帳消しにするには、前のバブルより規模を大きくしていかないと資金の回収ができない。まもなく世界規模の最後のバブル崩壊が訪れようとしているのではないか。

現在の日本経済システムには国民の大多数を占める中間層を没落させてしまうような制度やルールが、どうやらあちらこちらにインストールされてしまっている。そしてその制度やルールを通じて、中間層が失った富が大企業や株主、海外など強者の手元に流れてしまっている。つまるところ消費税、法人税などの税制、会計制度、円高是正のためとされる政府による為替介入、日本を呑みこむアメリカの新帝国循環、そのいずれも結局のところは国民の負担を代償にした強者のための優遇措置にほかならないのではないか。

こうした強者によりつくられた、強者のためのルールによって、雇用者の所得は奪われ、雇用そのものも縮小してしまった。そのことで強者と弱者の二極化が進み、経済活動が停滞してしまったのが、これまでの日本である。

こんな馬鹿げた事を一体誰がやるのか。エリートたる政治家や官僚はいままでなにをして来たのだ。国民を裏切るほどの、どんな弱みを握られたのか。にもかかわらず国民の大多数が現政権を支持する。ハーメルンの笛吹き男の寓話ように、もちろんネズミが国民ということになる。笛を吹くメディアや評論家も、どこの国の人々なのか推して知るべし。彼らは気付かないのか、国民が困窮すれば自らの存続も危うくなることを..

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【追記】選ぶべき政治家を間違わなければ、私達はもっと豊かで不安のない生活を送ることができた。こうなることは解っていたではないか。昨年の衆議院選挙は最後のチャンスだったのに、かえすがえす無念だ。戦後の日本を牛耳ってきた官僚や政治家そして産、学、情の面々、彼らは巧妙かつ狡猾に国民を欺いてきた。そして仕上げとなる最強のツールをインストールしようとしている。11月末、特定秘密保護法案が衆議院を通過した。このままいけば成立するのは間違いない。本会議で起立した圧倒的多数の議員が北朝鮮・最高人民会議と重なった。警察国家、軍事国家への扉を開いたこの光景を忘れない。

13.11/4地方紙・佐賀新聞にノンフィクション作家・澤地久枝さんの談話が掲載された。「この法律が成立したら、密約の当時よりもっとひどいことになる。憲法がどんなことを定めていても全部吹っ飛ぶのではないか」という。以下、記事の引用である。

「とんでもない法案だとあきれました。こんなに内容が分からない法案は初めて見た。具体的な部分で『政令で定める』と書いてある箇所がいくつも出てくる。政令は、政府がいくらでも出せるものです」。特定秘密とは、安全保障に著しい支障を与える恐れがあって特に秘匿する必要のある情報で、防衛相ら行政機関トップが指定する。「一般の人には、自分が特定秘密に触れているのか分からない。文章を書く人が取材した後、これは特定秘密だと言われたらアウト。特定秘密の秘密とは何ですかと聞いても『それは秘密です』なんて、こんなばかな話はない」 政府は今国会中の成立を目指しているが「戦争中の法律よりひどいのではないか。当時、軍事機密に触れるようなことは一般の人も予測できた。今度の場合、想像ですが、何が特定秘密かはだいたい米政府との話し合いで決まるのではないか。今急いでいる理由は、日米関係を特に軍事面で円滑にするため、日本はこうしますという約束を米国に見せようとしているんだと思いますね」。沖縄返還の日米密約に迫った新聞記者が逮捕された外務省機密漏えい事件を、著書「密約」で取り上げ、密約の文書開示請求訴訟にも原告として加わった。「法案が成立すれば警察国家のようになる。特定秘密の保護措置として警察庁長官はいろんなことができる。戦争中の日本人は『警察ににらまれたらまずい』と思いながら話していた。そういう時代に戻る可能性が非常に大きい」。罰則で、公務員らが特定秘密を漏らすと最高十年の懲役に、漏らすよう働き掛けた場合も五年以下の懲役となる。「公務員は恐ろしくて何も言わなくなるし、情報提供を受ける側も取材しにくくなる。おかしいと思うことを調べ、社会のためだと思って発表しても、特定秘密を公にしたと認定されれば罪に問われるかもしれない。記者やライターがさらし者になり、公務員も被告になるのです。われわれがこれも特定秘密かと用心深くなっていけば、この国の言論は窒息します。それが法案の狙いかと思います」。法案は、平和主義や国民主権、基本的人権の尊重という憲法の基本原理に対する反動とも指摘する。「明らかな憲法違反です。米国の戦略の中で戦争に向かう約束をしても、秘密といえば分からない。この法律が通った瞬間に日本は別の国になる。それほど悪い法律で、憲法を変えなくても何でもできる。憲法九条や九六条を変えると言えば反論できるが、特定秘密の内容には反論できない」。安全保障に関する情報を守るのが目的としているが「安全保障自体がはっきりしたものでないから、どれがその情報か分からない。みんな特定秘密にしてしまえば国は答えなくていいし、憲法も無視できる。こんな法律のある国を、次の世代に渡せますか」。

 

「医療否定本」に殺されないための48の真実 長尾和宏

まだ記憶にあるだろうか。1999年、「買ってはいけない」という本が約200万部を売りあげた。身近な商品の危険性や問題点を取り上げたもので、ベストセラーに乗じ「買ってはいけないは買ってはいけない」、「買ってもいい」、本当に「買ってはいけない」か!?など混乱するタイトルの本が続出した。いわゆる二匹目の「どじょう」現象だ。さて、以前記事にした近藤誠氏の「医者に殺されない47の心得」、第60回菊池寛賞を受賞しベストセラーとなり、書店で目に留まった方も多いと思う。タイトルからして近藤本を意識しての出版であろう。

本書には難しいグラフも論文も一切、登場しません。医療否定本では、グラフやデータを巧みに使っていますので、それぞれに反論しようかなとも思いました。でも、町医者は町医者らしくと思い直し、皮膚感覚で、医療否定本に対する感想文のつもりで書いてみました。

帯には、「がん放置療法で後悔する前に、必ず読んで下さい」と売文句が書かれているが、グラフやデータを掲げず、皮膚感覚での感想文に少々どころか大変がっかりした。医療否定本という呼び方が正しいかどうかは否定本とされるものを一冊読めばわかる。全否定しているのではなく注意喚起や問題提起を「否定」と決めつけることはできない。

真実3.薬好き・検査好きは国民性の裏返し

薬はゼロがベストで、次善が1。高齢者のばあい薬の数が増えるほど、転倒のリスクが高まる。治療ガイドラインでは1つの病気に対して複数の治療薬が推奨されている。ガイドラインに沿った治療を行なう医療機関を渡り歩くとたちまち山ほど薬が処方されてしまう。薬を貰い注射や点滴を好む患者にも問題がある。CT(コンピュータ断層撮影)とMRI(磁気共鳴画像)の人口当たりの台数は日本が最も多い。なかにはCTやMRIで検査するだけで「病気が治った」と喜ぶ人もいる。

真実6.高血圧・高コレステロール、基準が甘いのは高齢者だけ

治療のガイドラインは定期的に見直され、以前高血圧の基準値は160-95だったが今は140-90に変わった。基準値はあくまでも評価の目安で基準値に忠実に薬を出すことはない。最高血圧160でも80歳と40歳では意味が異なり、年齢があがるほど基準は甘くなる。製薬企業は薬を使ってもらうため医療者を接待したが、現在は娯楽の提供は禁止され、原稿料や講演料は情報公開が進められている。

真実7.「がん」と「がんもどき」の間がある

細胞を顕微鏡で観察しグループ1〜5に分類され、1〜2であれば良性、5をがんと診断する。その間に「前がん病変」というグレーゾーンが存在するので「がん」と「がんもどき」は単純に分けられない。グループとは別に進行度を示す「ステージ」があり、これも5段階に分けられ、遠隔転移があれば「ステージW」になる。がんはあるていどの大きさにならないと遠隔転移しないと考えられてきたが、最近の研究でごく小さいがんでも転移が認められた。

真実8.2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ

がんになっても死なない人が6人に1人いることになる。早期発見・早期治療でがんが治った人、がんになったが心筋梗塞や脳卒中、事故など他の原因で亡くなった事が考えられる。6人のうちの1人になりたかったら早期発見・早期治療のためがん検診を受けるべきだ。検診で100%見つかるわけではないが、受けなければ早期発見はできない。

真実9.がん検診を受ける権利、受けない自由

CT検査は間違いなく放射線被曝があるので安易な検査は禁物。胃がん検診ではX線を使うバリウム検査より内視鏡のほうが精度も高く安全。肺がん検診では胸部レントゲンを行うことがあるが、CTに比べれば被曝線量は1/100で済む。がん検診で不要な不安に悩まされる人もいるので、「受けない」ことを選んでも良い。

真実10.集団のメリットはなくても、個人のメリットがある

がんの集団検診での発見率は胃がん0.12%(800人に1人)、大腸がん0.16%(600人に1人)、乳がん0.23%(400人に1人)、前立腺がん0.63%(150人に1人)と集団検診のメリットは少ないが、発見された個人にとっては十分メリットがある。今後はがんのリスクが高い人を狙って、効率の良い検診を目指す方向にある。

真実11.いちばん楽な方法は、「ついでに診てもらう」こと

検診は全額自己負担だが、不調で受診したついでに検査を頼むと保険診療が可能。早期発見は、症状の出ないうちから検査するしかない。著者は早期がんを見つけるのが得意で「毎日のように内視鏡検査をしていると、なんと200人に1人の割合で胃がんが見つかりました」と言う。検診を受けないという自由もあるので、受けない自由を選んでがんになったら、自己責任と納得するしかない。

真実13.「早期発見」は、やっぱりラッキー!

近藤本では、早期発見・早期治療で助かったがんは、がんではなく「がんもどき」だ。本物のがんなら、どんなに早期に発見してもとっくに転移している、と言う。信州の泰阜村では胃がんなどの集団検診をやめたところその前の6年間は、胃がんの死亡率が村民死亡数の6%、89年からの6年間は2.2%と半分以下に激減した。

本書で長尾医師は「私は、ここだけはどうしても譲れません」という。「早期発見・早期治療は、絶対にあります!いくらでもあります!なぜなら、私自身、これまでに500は下らない早期がんを内視鏡検査や腹部エコーで見つけ、完治した人を見てきたからです。」自分の目で見たり経験したことを証拠にあげている。

真実14.「がんもどき理論」は、あと出しジャンケン

がんとがんでないものの境目は、グラデーションなので、がんではないと診断されても、たちの悪いがんになることがある。がん幹細胞理論では親分となるがん細胞が子分のがん細胞をコントロールしているという。「がんもどき」に見えても、コントロールを失い、いつ暴れ出すか分からない。

真実15.がんは治療をしてもしなくても痛むときは痛む

医療否定本を読んで「治療をしなければ、がんは痛まない」と信じている人がいるが、がんはどちらにしても痛むときは痛む、そして不必要な延命治療をすると余計痛くなる場合がよくある。終末期にさしかかったときは、過剰な点滴などせず、延命治療を控えれば、痛みはむしろ軽くなるし寿命も延びる。

真実16.「がんの基準は国によって違う」は当たり前

日本で「がん」と診断されても海外では良性腫瘍とされるものがある。診断の基準はあいまいで、例えば20人の病理医の20人が明らかにがんと診断するものもあるが、11人が「がん」と言い、9人が「がんではない」と言うものもある。グレーゾーンであってもどちらかの判断を迫られる場合がある。医療の不確実性というもので、著者は不確実だから検診を受け早期発見・早期治療を促す。近藤本は逆に不確実だからこそ、検診・治療への注意を促す。

真実17.「放置」ではなく、「監視」するがんもある

甲状腺がんや前立腺がんは進行がおそく、おとなしいがんなので放置して様子を見る。放置ではなく監視だという。近藤本の放置療法の要諦を読めば「捨てておくような放置」ではない。批判に夢中になると言葉の端々にさえガマンならないようだ。

放置療法は医療ではなく、監視療法は医療だと思います。--中略--まだ若くて、助かる範囲にある早期がんなのに、「医療否定本」の教えを真に受けて治療を拒否する患者さんに多く出会います。目新しさから本が売れて、放置療法という言葉が独り歩きしてしまい、ときに人の命を不要に奪っている。医者が書いた本の影響でせっかく助かる命が亡くなるなど、本来あってはならないと思います。

真実18.「闘うか・闘わないか」から、「いかに付き合うか」へ

治療した方がメリットがあると判断した場合は治療を勧め、なければ勧めない。闘うというのは西洋的発想で、がんと「付き合う」のほうが、より日本人に合う。闘うか闘わないかの二者択一ではなく、いちばんよい選択肢を探すのが大切だ。

真実20.初回治療が運命を決める

早期がんは手術でがんを取り除いて根治を目指し、進行がんは三大療法を併用する。手術後の再発は、取り残したがんによるもので、初回治療で運命が決まるといっても過言ではない。

真実22.がん患者ががんで死ぬとは限らない

抗がん剤も確かに上手く効いて、手術でがんは完全に切除できた。でもその後の肺炎を乗り切れなかった。手術は成功したけれど、術後の合併症として肺炎が起ることがあり、治らず、がん患者ががん以外の原因で死ぬことがある。

真実24.「免疫療法」は未知のもの

代表的なものは、体内にがん細胞が存在することを免疫システムに伝え、免疫力の活性化を図ろうという「がんワクチン療法」、免疫細胞を体外で培養・活性化して、再び体内に戻す「免疫細胞療法」、免疫細胞を活性化する「サイトカイン」という物質を体内に投与する「サイトカイン療法」がある。著者の知る限りでは「免疫療法が効いているのかな..」と少しでも感じた患者さんは1人もいなかった。

真実26.毒をもって毒を制す

抗がん剤は「がんを治す薬」と思うかも知れないが、医者は毒と考える。髪の毛が抜けたり、吐気、口内炎、倦怠感などの副作用がつきもので、延命のための治療に過ぎない。早期発見・早期治療により、99%のがんは手術で取り除き、残りの1%を抗がん剤で制する。抗がん剤治療は宝くじのようなもの、ときどき大当りがあり、10人に一人当たればいいほう。世界の人口の2%に満たない日本で、世界の抗がん剤の25%を消費している。

真実28.抗がん剤が効くがんと、効きにくいがんがある

・抗がん剤で完治する可能性のあるがん:急性白血病、悪性リンパ腫、睾丸腫瘍等
・症状の進行を遅らせることができるがん:乳がん、卵巣がん、肺がん、胃がん、大腸がん、子宮がん、甲状腺がん、前立腺がん、骨髄腫等
・抗がん剤が効きにくいがん:脳腫瘍、腎臓がん、膵臓がん、肝臓がん等

抗がん剤治療は、治療に耐えられる体力があるのが前提条件になる。延命治療なので体力がない場合は反って寿命を縮める。

真実29.緩和医療なくして始まらない

抗がん剤の副作用は辛いものが多く、白血球、赤血球、血小板を作る能力が低下し、感染症が起こりやすくなる。他に味覚障害、口内炎、食欲不振、吐気、嘔吐、下痢や便秘、倦怠感、皮膚や爪の障害、末梢神経障害による手足のしびれや痛み、間質性肺炎による呼吸困難等。痛みや辛さを緩和しながら抗がん剤治療を行う。

真実31.腫瘍マーカーに一喜一憂しない

がん細胞から血液中に放出される物質を測り、がんの存在や動向を知る。腫瘍マーカーでは早期発見はできず、すでにがんと確定した人の経過を知り治療に役立てる。がんと抗がん剤の闘いは一定ではなく、その時々で戦局が変化していく。

真実33.「やる・やらない」より、「いつやめるか」

抗がん剤は「辛い」、「もう効かないのでは」と思いながら「もう少し続けたら、効果がでるかも」と止められない。患者さんは抗がん剤は無駄という本を読んでおきながら止められない。「医者が判断してくれるだろう」と任せているのかも知れない。しかし、医者は「最後まで闘うことが責務」、「やめると治療放棄したようで申し訳ない」と考え、なかなか止められないので、患者さんのほうから切り出すしかない。

真実34.生活習慣病は老化現象ではない

以前は成人病と呼ばれていた。成人病は老化と関係するが生活習慣病は生活が乱れたら若年でも見られる。薬の前に食事や運動など生活態度の改善を図る。

真実38.現代人は「空腹」の時間帯がない--週末断食、プチ断食の勧め

人は水さえあれば、そう簡単に死なないが、現代人は空腹を感じる前でさえ食べようとする。ときどき1食、2食抜いて、胃腸を休ませるとお金もかからず健康になれる。

真実39.水は適量を飲めばいい

水をできるだけたくさん飲むという人と最小限飲むという人がいる。年齢や健康状態に応じて適量飲めばいい。心臓病や腎臓病では水分の過剰摂取が命に直結するが、脳梗塞や心筋梗塞、結石、痛風では水分を多めに摂る。尿の濃さを見て飲水量を加減して飲む。体温以下の水は胃腸を冷やし吸収が低下するので、温かくして飲む。

真実41.「余命」は最後の最後までわからない

がんという病気は、死の直前まで元気に見えて、急にガクッと容態が変わる。余命というのはよくわからない。

真実.45医療はすべて延命治療

三大延命治療とは胃ろう(栄養の延命)、人工呼吸器(呼吸の延命)、人工透析(腎機能の延命)を言うが、よく考えると医療すべてが延命治療である。生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まる。

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「医療否定本」と呼ばれるものを読んだ患者さんが、医療を拒否し放置を選ぶ。3大療法で闘い続けた患者さんが、いままでの治療に絶望する。たちまち生きる気力まで喪失する患者さんもあり、それが「医療否定本に殺される」のフレーズを生んだものと思われる。経験や常識が覆されるのは患者ばかりではない、診断・治療のガイドラインに沿って仕事を続けてきた医療者が最も驚くことであろう。信念と使命感全開でやって来たことが否定されるのは辛い、信じがたく本当は嘘だと思いたい。ある患者さんは否定本に納得しても、相変わらず過酷な治療を続け、医者は「実際治った人がいるから」と「皮膚感覚」で反論し、改まる気配はない。ここには宗教のような信仰の情念が渦巻いているのかも知れない。

現代医療の恩恵を受けていることは万人承知のうえだ。しかし、医者が患者の期待に応えているかどうかは怪しい。ともすると医療者側の都合で患者は犠牲を強いられてはいないのか。それに気づいた医者たちが本やネットなどで批判・啓蒙するのは健全なことで、一括りに「医療否定」と切り捨てにはできない。日本の検査漬け・薬漬け医療は統計的な数字からも明らかだ。国際的にも突出して過剰なのにさらに早期発見・早期治療の旗を振る真意はどこにあるのだろう。

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【追記】早期発見・早期治療もだが、予防と聞けばさらに耳に心地よい。心地よさに隠され悲劇も起こっている。厚生労働省は寝ても覚めても子宮頸がんワクチンの接種を促し、2010年度から「ワクチン接種緊急促進事業」を実施し子宮頸がん予防ワクチンを含め、市区町村が行う接種事業に助成している。これにより、中学1年生から高校3年生までの女子が無料もしくは低額で接種を受けられた。しかし、次々と副作用が報告され死亡例まで出てしまう。厚労省は4月から7月末までに重篤な副作用報告が医療機関と製薬会社から計143件あったと公表した。うち体の痛みを訴える副作用報告は37件だった。同省によると、入院などが必要な重篤な副作用の報告は4〜7月末でサーバリックスが93件、ガーダシルが50件だった。この中には今年3月末までの接種者も含まれる。2009年12月の販売開始以降では、両ワクチン合わせて重篤な副作用は計501件になり、うち体の痛みを訴える副作用報告は71件になった。今年6月厚労省は接種勧奨を一時中止し、副作用かどうかを含め体の痛みを訴える症例を調査。詳細な結果は次回12月の検討会で報告し、勧奨の一時中止を見直すかなどを議論する予定だという。

医師側が8月にまとめた要望書の記事だ。--日本産科婦人科学会などは31日、厚生労働省がワクチン接種の積極的な呼びかけを中止した子宮頸がんワクチンについて、安全性が再確認されたら、早期に接種勧奨を再開するよう求める要望書を取りまとめた。近日中に田村憲久厚労相に提出する。要望書は子宮頸がんワクチンの有効性、安全性は世界的に認められているとして、「がんの発症を予防し若い女性の生命を守るためには、接種とがん検診の両者を広く普及させていくことが大切」との見解を示した。接種後、慢性的な痛みが生じる副作用が相次いで報告されていることについては、ワクチン接種との因果関係の証明は難しいと指摘した。子宮頸がんワクチンをめぐっては、厚労省の検討会が6月、接種の積極勧奨の一時中止を決定。副作用の状況などを調査し、安全性を改めて評価することが決まっている。

まだ成人に達しない若い女性が副作用で苦しんでいる。その痛々しい映像に慟哭の思いを抱いた。「ワクチン接種との因果関係の証明は難しい」というのが専門家たる医師の見解だ。どこか原子力村と似てはいないか。彼らに自分の事として感じる痛覚があれば決してこのような言葉は出てこない。危険が指摘されているなら因果関係があろうとなかろうと慎重を期して止めるのが医療者のモラルではないか。「接種勧奨再開の要望書」とは、どこの国の話だ。

 

農は輝ける 星寛治 山下惣一

二人の農民の対談集で、星氏は山形、山下氏は佐賀の農家でご両名とも傍ら文学活動も行っている。農の現場から「経済は損得の問題だが、農業・食糧は生死にかかわる問題である」と訴える。3・11の震災と原発事故、これほどすさまじい惨状で国が変わらないはずがない。戦後に匹敵する大きい社会の変化を予感した人も多いと思う。

しかし「3・11」から2年目を迎えたこの国の現状はどうだろう。---何事もなかったかのように原発再稼働、輸出が画策され、憲法改正、核武装、徴兵制、国防軍などのキナ臭い文言が飛び交い、私たちの世代の者には「いつか来た道」への予感と不安さえ感じさせる。

本書のテーマとなるのはTPP(環太平洋連携協定)である。著者は「国家主権を多国籍企業に明け渡し、国民生活を餌食として差し出す売国協定だ」という。TPPによって有機農産物など付加価値を持ったものは輸出に有利と煽る向きもあるが、はたしで幾人の農家が成功を収めるだろう。優良な農産物が海外の富裕層に買われるなら、1円でも節約を心がける日本の庶民へは回ってこない。一般国民は安価な輸入農産物や加工品を中心とした食生活を強いられることになる。山下氏は農業は農家ではなく非農家の問題だと言い続けてきた。「自分の食べる分は自分で作る、作れない人こそ真剣に考えるべきだ」。

戦後、食糧難を克服するため米の増産が続いた。1953〜4年小麦が世界的に大豊作となる。価格は暴落し保管する倉庫代だけで1日2億円の経費がかかり、早急にさばく必要が生じた。そこで米国は戦後の復興支援として小麦を援助し、その70〜75%の販売代金を日本政府に還元するという方法をとった。現在はパン食が普及し、「パンを食べると頭がスカスカになる」と言いたいところ、当時は「米を食べると頭が悪くなる」と煽って小麦の消費を促した。日本人は戦争の失敗にも懲りず10年たたずして、またも国のプロパガンダに嵌った。これを機に米離れが進み、1970年から米の生産調整が始まる。増産の努力で自給率100%を達成したが、米過剰により減反という農政の一大転換期ともなった。

当時の日本は公害問題が発生するまでに工業が発展し、その波は農機具、農薬という商品を以て農業の生産コストを押し上げた。徐々に採算は悪化し兼業農家への転換も進んだ。1980年代ころから農業パッシングが始まる。兼業農家の通勤用の車を取り上げて保有台数や所得がいかに平均以上で裕福であるか、そこには補助金が注ぎ込まれていることも忘れずに付け加え、庶民の不平等感を煽った。

前川リポートにどう書いてあるかというと、日本が世界に冠たる経済大国になったのに、国民にその実感がない。これはなぜかというと、食費負担が高いから、農業生産力が低いために農産物が高すぎて、国際価格に比べたら日本の農産物は全部高い。

1986年、中曽根内閣のときににまとめられたもので、政府の戦略に乗じて評論家たちが訳知り顔で農家批判を繰り返した。米国に売った自動車の見返りに農産物を買おうという地慣らしであった。大企業の黒字分を農産物で穴埋めする策謀に他ならない。時を経てTPPが浮上することになるが、本質はまったく同じであるのは明らかだ。昨年の衆議院選挙で自民党はTPP反対を掲げ票を集めた。民主党政権の失望と醜態にも助けられ圧倒的多数で政権を取り戻す。反対を唱えてもポーズだけでいままでどうり騙すことは分っていた。選挙前、農協は自主投票などと拳を上げて見せたが、土壇場で自民党候補を推薦した。選挙後は既定路線のごとくTPPに参加し、公約違反などものともしない。半年後の夏の参議院選挙は懲りて二度と自民党を推薦することはないだろうと思ったが、あっさり推薦し予想どうり衆参で安定多数を許した。農協は怒りや痛みを半年で忘れるらしい。こんなふうだから、こんなことになるのだ。何度も騙され、分っていながら又騙される。「オレたち百姓は政治家にバカにされている」とぼやきながら騙される。このような賞賛すべき従順をなぜ脱しえないのか。さらりと、「国民性だから」で済むものだろうか。もしくは、勝ち馬の尻尾につかまり利権の零露にあずかる狡猾か。

票は農家や庶民から集め、利益は大企業はじめ少数の権益者に分配する。このような社会は明らかに住みにくく、生存さえ脅かされる。ブラック企業が増えているというが、国家もおなじくブラック化している。昔も今もこれからも国際競争力という訳の分からぬ用語であらゆる分野が一刀両断されていくだろう。世界一でなければ生きていけない時代が近づきつつある。大多数の農家は後継者もなく衰退傾向にあるが、追い打ちをかけるように「規模拡大や有機農業で競争力を」という議論が交わされる。米国の農地に勝る規模が日本で可能だろうか。カリスマ農家の作る有機野菜を買える人は買い続けるが良い。しかしそれができない人は清貧を心がけ、自分でつくるか農家と仲良くし分けて貰うしかない。「こだわりの農産物は売れる」の宣伝は話半分以下で聞き流すべきだろう。現実にすべての農家がやれるわけがないのだから。

TPPは農業を入口にし医療・保険の分野が本丸だという。いまのところ除外品目など皮層の情報しか流さないが、知らされないうちにとんでもない事態になるだろう。処方せん調剤一辺倒の薬剤師会も医師会同様に他人ごとではない。しかし、衆院選、参院選では会費を使って自民党を支持し、会員に署名用紙やポスターを送りつけた。彼らは農家ほど切羽詰まっていないのかも知れない。いま生活が成り立ち貯金も出来るような業界は将来への危機感が薄く想像力まで欠如している。

【記事.1】--マレーシア元首相 TPPは再び植民地化招く--2013・8・27/NHKニュース
TPP=環太平洋パートナーシップ協定を巡り、マレーシアのマハティール元首相は、「TPPに署名すれば、外国の干渉なしでは国家としての決定ができなくなり、再び植民地化を招くようなものだ」と述べ、TPPに強く反対する考えを示しました。2003年まで22年間、マレーシアの首相を務めたマハティール元首相は、26日に首都クアラルンプールで開かれたTPPに関するフォーラムで講演を行いました。この中でマハティール氏は、TPPではマレーシアよりもアメリカのほうがはるかに多くの恩恵を受けるとしたうえで、「TPPは、経済成長を続ける中国の脅威に対抗するため、アジア太平洋地域の国々を自国の勢力圏に取り込もうとするアメリカの企てにすぎない」と厳しく指摘しました。そのうえで、マハティール氏は、「もしマレーシアがTPPに署名すれば、外国の干渉なしでは国家としての決定ができなくなり、再び植民地化を招くようなものだ」と述べて、TPPに強く反対する考えを示しました。マレーシアは2010年10月にTPP交渉に参加しましたが、このところ国内では、国有企業の優遇措置の是正や製薬の特許延長などの交渉分野を巡ってTPPへの反発が強まっていて、政界引退後も強い影響力を持つマハティール氏の発言はこうした世論にも少なからぬ影響を及ぼしそうです。かつて米国抜きで、アセアンと日本・中国・韓国が協力する形で東アジア経済共同体を作るべきだと提唱して米国を激怒させたマハティール首相健在なり。

農業や漁業、畜産業などに大きく影を落とす最大のものが原発事故だ。先祖代々受け継いできた畑や海が一瞬で使えなくなる。放射性物質の数値は事故前に比べ10000倍も緩和され、食品は基準以下として堂々と流通する。復興支援のため福島と表示された農産物を選んで購入する人々もいるという。「震災復興!目黒のサンマ祭り」には、三陸沖で獲れたサンマ、6000匹が用意され、大雨の中、大勢の人々が列を為した。

自然災害と原発事故は、切り離して考えなければだめだと思います。一括りで3・11ですからね。自然災害はどうしようもないです。立ち直るしかないですよね。これはもう、がんばろうでいいのです。祖先たちもがんばって、今があるわけですから。しかし、放射能汚染でがんばろうと言われても、どうがんばればいいのですか。

原発事故についてはがんばるのではなく、変わらなければならなかった。たしかに1年目までは7割の人が原発反対の意志を示したが、最近は半数近くまで減少している。本当の恐怖はこれからだというのに、だんだん痛みや怒りを忘れていく。人間関係では怒りを水に流すのは潔しとされるが、危機をもたらすものを見失ってはならない。昨年暮れの衆院選は変わるかどうか、どちらの道を選ぶかの分岐点であった。また、変われる道を示した政党もあったが、国民は大政翼賛会の道を選んだ。ミカン箱の上に立って危機を訴える党首もいたがマスコミは黙殺した。冒頭で引用したように「きな臭い、いつか来た道」の予感と不安を感じる。対抗する野党政治家はほどんど残っていないし、与党の政治家で政策に異論を唱える声も少ない。

この夏、ある法案が改正された。平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う、原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への、対処に関する特別処置法で、その6条は「国民は、国または地方公共団体が実施する、事故由来放射性物質による、環境の汚染への対処に関する実施に協力するよう、努めなければならない。」というものだ。瓦礫処理で賛否交わされた意見もこれで骨抜きにできる。これから100年単位で続く事故処理の作業員が足りなくなれば、これで人を狩り出すこともできる。「努める」は「義務」に変わり「罰則」まで設ける日が絶対来ないと言い切れるだろうか。そして子供や孫の未来について想像の及ぶ人がどれくらい居るだろう。

【記事.2】--亀井静香代議士・対談--抜粋--
日本だけではなく世界的傾向だ。人類全体が抱えている問題なんだ。人類は今、文明によって復讐を受けているんだよ。文明というのは人間の欲望を肥大させてきた。カネよカネよとカネだけを追い求めるから、企業はなるべく人を安く使おうとする、官僚は庶民の寂しいフトコロからさらにカネを搾り取ろうとする。カネによって精神が退廃していくんだ。その行き着くところが原発じゃないか。福島では原発処理もできていない、放射能汚染水も全部垂れ流しだ。にもかかわらず、地震大国のトルコに原発を売り込もうとしている。これは完全なモラルハザードだよ。カネさえあればという精神がこんな事態を生み出してしまう。

【記事.3】--減反見直し法案提出へ、補助金削減も…中小コメ農家淘汰--2013・10・24/毎日新聞 
政府・自民党は23日、国が主導してコメの作付けを農家に割り当てて高価格を保つ生産調整(減反)と、農家への戸別所得補償制度(現・経営所得安定対策)をともに見直す関連法案を、来年の通常国会に提出する方向で調整に入った。戸別所得補償で始まった主食用コメの補助金の減額や、減反への政府の関与を弱めて農家の生産の自由度を高めることが柱となる。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉などで農業の国際化が叫ばれる中、国策で保護されてきた中小農家の淘汰(とうた)を促す一方、大規模農家の増産に道を開き、低価格化と農地集約で競争力を高める狙い。実現すれば、農政の軸となってきたコメで「保護から競争」へ転換する抜本改革となる。政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)の農業分科会は24日、補助金の削減を含めた見直しに向けて協議を始める。自民党もすでに水面下で議論を重ねており、党幹部は取材に「来年の通常国会までに法案を作る」と述べた。

80年代に始まった農業たたきの仕上げがTPPであり、この法案だ。小賢しい利益に大局を見失った農協は、今後も自民党を支持し続けるであろう。権力を持った側の仕返しは怖い。最近になって秘密保護法案が報道されるようになった。識者の談話によれば戦前の治安維持法に相当するものだという。マスコミが公器であった試しはなく、彼らの流すニュースが翌日には「国民の声」として広がる。いま、選挙が行われても国民は圧倒的に自民党を支持するだろう。

 

日本の魚は大丈夫か 勝川俊雄

8月、「太平洋のクロマグロ漁獲量・国際機関が削減勧告」という新聞記事が載った。世界中からかき集めたマグロを食卓・外食のテーブルに乗せ、容赦なく食い尽くす日本への勧告だ。漁業は四海に囲まれた日本の基幹産業であり、良質の蛋白源として食文化を培ってきた。魚の消費量は2002年をピークに減少傾向にはあるが、問題は日本人の魚離れより国産魚の減少にある。国産魚が減った分だけ、輸入によって食卓を支えることになった。漁業は戦後の食糧難を乗り越えようと漁獲量を増やし続け、1970年頃まで右肩上がりだったが、20年間ほどの高水準期を経て1990年頃から衰退が始まる。遠洋、沖合、沿岸、養殖などの漁業形態のうち、遠洋漁業で海外漁場からの撤退を余儀なくされた。沖合、沿岸漁業の生産額も下がっていることから、衰退は遠洋だけでなく、全体に及んでいる。1990年代まで生産額を伸ばしていた養殖もコスト高や魚価安で減少している。

沿岸から200海里(約370Km)海域での操業を沖合漁業と言い、遠洋漁業はEEZ:Exclusive Economic Zone(排他的経済水域)の考えから他国の沿岸近くでは主権国へ入漁料を払って操業することになる。しかし、入漁料を貰うより自分たちで獲ったほうが儲かることに気付いた主権国によって日本漁船は徐々に締め出されていった。沖合漁業は1956年の193万tから、1984年の696万tまで増加し、それに寄与したのはマイワシの爆発的な増加であった。マイワシの漁獲量に覆い隠されていたが、他の魚種は1972年から直線的に減少している。魚群探知機を装備した大規模な漁船で、巻き網、トロールで多獲性の魚種を一網打尽に獲り尽くした。豊漁で値段が下がると生産額は減少し、設備費や経費回収のため魚の子供にまで手を出す。魚が減少しても漁獲量を落とすことができずに1/200にまで資源を減らした。設備投資や大型化は漁業生産が永遠に伸び続けるのを前提にしたもので、いずれ限界が来ることを感じていても後戻りはできなかった。イワシ、サバ、アジなどの大衆魚を獲りつくした結果、養殖業を直撃することになる。マグロが獲れないのならばと養殖に期待する声が聞かれるが養殖クロマグロを1kgつくるのに天然サバの稚魚15kgが必要だ。食生活の維持には大衆魚で間にあうところ、高級魚はまさに贅沢の極みと言えよう。

ただでさえ天然魚が激減しているのに、豊富な天然魚資源を前提とする養殖の生産を増やせるはずがないのです。天然魚の減少を養殖魚で補うという考え方自体に無理があります。日本国内では十分な餌が確保できないので、養殖魚の餌である魚粉は現在、調達を輸入に頼っており、自給率は27%にすぎません。国産の養殖魚を食べるためには、その何倍もの魚粉を輸入することになるのです。

一方、世界をみれば漁業は現在も成長産業で、ノルウェー、アイスランド、ニュージーランド、オーストラリア、チリなど持続的に漁業収入を伸ばしている国が多数存在する。

持続的に成長している漁業には、次の2つの共通点があることがわかりました。(1)漁獲を一時的なものでなく持続させるために「十分な親魚を獲り残す」こと(2)利益を上げるために「獲った魚をできるだけ高く売る」こと

当たり前のことを実行できなかったため日本の漁業は凋落した。FAO:Food and Agriculture Organization(国際連合食糧農業機関)が1989年に発表した推定では、世界の漁獲能力は現状の漁獲を維持するための能力の130%の水準だという。30%の余剰能力までも駆使し魚を獲っていけば、あっというまに次世代の魚を生む親まで獲りつくす。漁業が中長期的に成り立つためには、次世代を産み出す十分な数の親を残すような漁獲規制が必要だ。1970年代中頃まではノルウェーも日本と同じく乱獲国で漁業経営は破綻していた。そこでノルウェー政府は北海でのニシン漁をほぼ禁止にする。規制の効果は徐々に出始め、80年代になると資源は目に見えて回復してきた。同じことの繰り返しにならぬよう今度は漁獲高を制限し、親魚を十分残すことで、もう一つの条件である「獲った魚をできるだけ高く売る」ことにもつながった。

日本の漁港は未成魚の見本市だという。たとえばマグロの幼魚はカツオくらいの大きさで捕獲され市場へ出回るが、これを6年泳がせておけば体重3kgが97kgへ生長し漁獲高×単価で計算すると100倍にもなる。6年で利息100倍の定期預金をいま解約しているようなものだ。

日本のクロマグロ市場は約4万トンですから、未成魚乱獲を抑制すれば、自国の食卓をまかなうことができるのです。にもかかわらず、自国のマグロ資源の無規制な乱獲を継続しながら、他国の激減したマグロ資源を政治力と金にあかせて買っているのです。しかも、それを「マグロ食文化」などと呼んで自己正当化しているのだから、あきれてしまいます。日本の無責任なマグロ消費が、世界中からひんしゅくを買っていることを、日本人は自覚すべきです。

日本の漁業者たちもよく解っているが、国が適切な資源管理をしないため、他人に獲られる前に獲るという競争に身を挺する。著者は日本の漁業が持続的に利益の出る産業に生まれ変わるため「三陸から新しい水産モデルを..」と提言する。三陸沖は言わずと知れた世界三大漁場のひとつ豊穣の海であった。しかし、原発事故以後、正しくは原発が稼働し始めて以降、様相は一変した。著者は水産資源については気鋭の学徒ではあるが、放射能についてはベクレルもシーベルトも知らない門外漢であった。事故後、日本での情報は限られ安心情報が蔓延した。水産庁のウェブサイトには「放射性セシウムは魚の体内に蓄積されません」と明記されていたが、著者が手当たり次第世界中の文献を調べると、数10〜数100倍に蓄積されるという結果ばかりであった。事故後2年半も過ぎた今頃、ようやくストロンチウムの話が出てきたが、さらに多くの核種がいまも空と海へ放出されている。有効な対策がとれず傍観しているのが実情だ。テレビでは中国からのPM2.5情報を日々流し続けているが、中国大陸から飛来するなら、原発からの放射能は日本全土を覆い韓国や中国へも広がっているはずだ。そして危険度は放射性物質のほうがはるかに大きい。

放射性物質を含む汚染水は、浅い沿岸部で高濃度に沈殿・滞留し、汚染は長期化する。さらに閉鎖的な湖沼や河川の淡水魚は最も危険度が高い。海藻、プランクトン、魚種によって放射性物質の濃縮係数は異なるが、濃縮したものを摂取することで内部被曝を受ける。ストーブの火に手をかざすのを外部被曝とすれば、内部被曝は直に細胞に接触するので火を飲みこむようなダメージがある。原発事故以降の食生活は著しく困難でストレスの伴うものになった。自分や家族を守るため、基準を自分で決めて行動しなくてはならない。著者は以下、3つの選択肢を提案する。

(1)細かいことは気にしない派--日本政府を全面的に信頼する
国の暫定基準値は500Bq/kg、WHOの基準は10Bqなので50倍もの緩い基準になる。100Bqの汚染物でさえドラム缶に詰めて原発の敷地内に保管すべき数値だ。先の2回の選挙で多くの国民が原発推進、輸出を公言する自民党を選んだ。当然、政府を信頼し、500Bqを受け入れるであろう。もしくは、それすら気にしないかも知れない。
【注】本書の出版は事故直後で暫定基準値は500Bqだったが、1年後100Bqに改定された。500Bqは全面核戦争が起こった際、餓死を避けるための基準値だという。500Bqの食品を3年食べると致死量に達する。

(2)まあまあ慎重派--ICRP基準に準拠
政府の基準が不安という人は、ICRP:International Commission on Radiological Protection(国際放射線防護委員会)を参考にする手がある。外部被曝、内部被曝の両方を含み年間1mSvで各々0.5mSvを割り振り、セシウム、ストロンチウムに限ると現在の内部被曝の上限5mSv/年の1/10で、食品の基準値も50Bq/kgになる。

(3)リスクは最小限に抑えたい派--ECRR基準に準拠
小さい子供や妊婦であれば、困難を伴うがゼロリスクを志向すべきだ。政府や政治家、電力会社に不信や怒りを抱く人々は迷わずこの基準をとるだろう。ECRR:European Committee on Radiation Risk(欧州放射線リスク委員会)はベルギーに本部を置く市民団体でICRPよりさらに厳しく、年間の被曝量を0.1mSvまで下げるよう要求している。これによれば食品のセシウムの基準値は5Bq/kgとなる。

精米のセシウム値をみると原発事故前の2009年は福島市で0.027Bq、長崎県佐世保市で0.016Bqだった。現在の基準は100Bqなので4桁、10000倍も多いセシウムを摂取していることになる。先に中国のPM2.5について触れた。中国からの汚染や食材をヒステリックに騒ぐ前に中国、韓国、米国、ロシアなど世界の多くの国が日本からの汚染を恐れ、食材を輸入禁止にしていることに思いを馳せるべきであろう。

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【追記.1】8月になり、原発汚染水の報道が活発化した。8/21の昼のニュースで福島第1原発の貯蔵タンクから高濃度放射能汚染水漏れが報道された。20日東京電力は漏れ続ける汚染水量が1日300トンに達するとの推計を発表した。正しくは400トンで、少なく発表し後で修正した。高濃度の汚染水は1Lあたり8000万Bqもの放射性物質を含み流出した推計総量は最大30兆ベクレルになる。高濃度であるため人が近づけず、収束の目途がまったくたっていない。日本の新聞もテレビも軽く流すように伝えたが、世界は事故直後から「極めて重大な事態」として恐怖と警戒感を持って注視している。魚の骨からストロンチウムが検出されたことも、隠しきれず最近になって小出しに報道しているが、海外では早くから詳細に報道され、多くの国で日本産の食材の輸入禁止が続いている。汚染水保管タンク1000基のうち、350基ほどが簡易型で漏出の恐れがあるため、別の安全なタンクへ移さなくてはならない。高濃度の汚染水や敷地内のホットスポットのため人が近づけず、海に放出するしかないのが現状だ。最近まで「海へ流れ出しているとは考えにくい」と、誤魔化していたが、ようやく8月に「実は流れ出していました」と、低い数字をあげて訂正した。見守るどころか、放射線量が上昇し撤退余儀なしとなれば、日本はもちろん北半球が終わるだろう。死者と病人が続出し徐々に人口は減少する。政府は経済だオリンピックだと、見当違いの場へエネルギーと資金をつぎ込む。8/21の続いてのニュースは、岩手県沿岸の三陸沖で獲れたさばの水揚げが本格化し、去年の2倍近い水揚げ量だという。魚市場では「復興のはずみになると期待を寄せている」とのコメントが出された。大地も海も回復不能なまでに汚染され、いつまでも風評被害や復興支援を叫ぶ余裕はない。原発事故が起こると、広範に生き物が住めなくなる事が常識だった。事故前の基準値や常識で考えると、半永久的に漁業も農業もやっていけないし、そこに住むこともできない。

【追記.2】8月のニュース記事で福島・いわき市の海水浴の話が出ていた。いわき市の四倉・勿来両海水浴場の7/15〜8/18日までの利用客は合計約35000人だった。開設期間が前年の28日間より一週間長かった勿来が前年比約2.6倍の約22000人。東日本大震災前の平成22年は四倉が約10万人、勿来が約18万人の入り込みがあった。風評被害で減少したとコメントが出されている。3月に四倉海岸の砂浜のセシウムが測定されている。深さ30cmで3167 Bq/kgが検出され、1000 Bq/kgを超えた試料は5個あった。1000 Bq/kgを超えた試料は砂浜の深い所のもので深ければ深いほど汚染度が高い。風評被害で減少したというコメントのほうこそ根拠に欠ける。

【追記.3】海の汚染を調べるうちに、あるブログにヒットする。「福島の汚染水で太平洋は終り」という見出しで以下の写真が紹介されていた。

(上)の写真はドイツのキールの海洋研究所(GEOMAR)が2012年7月6日に発表した福島第一原発からの放射能汚染水の海洋拡散シミュレーションだ。昨年の夏にはアメリカ西海岸へ到達しようとしている。北海道から沖縄、台湾まで汚染は広がっている。(下)の写真は2422日目の太平洋の汚染状況だという。2〜3年後には北米大陸西海岸すべてが高い濃度の汚染水で覆われることを示し、日本海へも汚染が入り込む。キール海洋研究所は、東電が8月に認めた汚染濃度よりかなり低い値を前提にしている。三陸沖の漁業の心配をするどころか太平洋の魚が危ない。

世界の海は10年たたずして安全な場所がなくなる。これは人類史上初で最悪の事故だ。世界地図で見ると沖縄も北海道も大した距離ではない。世界の人々が見れば「日本は終わった」と思うだろう。いまだ再稼働に血道をあげる電力会社や政治家、またそれを追認するかのように半数の国民が再稼働が必要と答えた。

【追記.4】原発事故以来、1日たりとて原発の事を考えない日はない。すぐには何も起こらず目にも見えないがひたひたと破滅が迫る。文明とはこうして緩慢に終焉を迎えるのであろう。原発と同じく政治もメルトダウンし絶望に足る暴政が続く。昨年暮れの衆議院選挙は日本の未来を決する岐路であった。検察やマスコミなどの妨害がなければ総理になるはずだった小沢一郎氏の最近のコメントを引用した。20年以上も政界のキーマンであり続けた人物が世界にいるだろうか、その言葉は好悪にかかわらず重い。

(状況が)もっとひどくなってみなさい。アベノミクスの化けの皮がはがれたとか、原発ももっとひどくなって、TPPもアメリカに押し込まれて…どうなる?その時になってギャーッと言っても知らないぞと、言ってるのだ。これだけ(警告を)言い続けてきても、君らは自民党に入れたではないかって。時々言うんだ、面と向かって。自民党選んでるのだから、今頃ぶつくさ不平言うなって。民主主義とは、そういうものだ。

 

新宗教 儲けのカラクリ 島田裕巳

「坊主丸儲け」と言われるが、近年の寺経営はそれなりに厳しさも増しているらしい。本書は伝統宗教ではなく新宗教又は新興宗教の話だ。新宗教とは幕末〜明治維新以後から創始された比較的新しい宗教で、言わずと知れたものだ。ここで記事にするのは宗教の教義などではなく、宗教に見る「儲け」の話である。辞書によれば、宗教とは「神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み」と書かれている。宗教についての研究は教義を中心とした哲学的・思想的なものや、社会学的な考察を兼ねて批判的なものが多かった。しかし、経済的な基盤や集金の仕組みも重要で欠くべからざるものだ。

人間は金の魅力には勝てない。金は、さらなる欲望を喚起し、人間を堕落させ、組織を混乱させていく力をもっている。そうした金の力を制御することは、相当に難しい事柄なのである。

新宗教は巨大かつ荘厳な建築物を所有し、ときには高額の絵画をそろえた美術館を運営する。当選のアテもないのに選挙区ごとに候補者を立てる資金力。古い話になるが、いまの額にすれば1000億円をわずか4日間で集めた団体があり、資産も10兆円に及ぶと指摘する声もある。物ではなく、「信仰」という腹も満たさない商品をいかにして売り尽くすのだろうか。会員からもれなく献金や会費を徴収するのは大変なことだ。そのため、新聞を販売することで資金を集める商材ビジネス型をとることがある。政治団体の共産党も赤旗新聞の収益が政治活動に使われる。この党は宗教を否定的に捉えているが、実態は宗教に酷似するところが興味深い。多くの新宗教は会費を徴収し、100〜200円など一般に低額である。新宗教の信者は基本的に中下層階級であるため会費が高いと寄りつかないからだ。しかし、低額だと相当の信者数が居たとしても限度がある。そこで重要になるのが「献金型」の集金になり、行為は神々しく意味づけされ教団内で尊ばれる。このとき信者が熱心に競い合うと生活を破壊する危険性があり、教団は「搾取」という社会的非難を受ける。

低額に抑えた会費、法具、祈願料などで薄利多売を目指す「スーパー・コンビニ型」の集金システムがある。以前、阿含宗という教団に入信していた知人から護摩木の購入を促されたことがある。一本100円ではあるが、一本に一つ願いを書いて、それを焚いて祈願するというものだ。交際費と考え10本で1000円、叶わなくて元々の思いであった。低額でアイテム数が多ければ、出来る範囲で取捨選択が可能なので信者も教団にとっても安全性が高い。ただし出費を自ら選べるケースでは、信仰の強さと金額の兼ね合いが生じ、熱心さを示すため無理をし、教団もそれを強いる事がある。家元制度型というシステムでは低額の会費なり献金を集会・修行のたびに徴収する。茶道、華道など習い事の謝礼のように額が決まっているので信者は安心感がある。教団の草創期は運動が盛り上がるため献金型の集金システムをとり、集金能力も高いが、勢いが衰えてくると十分機能しなくなる。そこで商材型やスーパー・コンビニ型、家元制度型が考えられた。いずれも信者に負担をかけず均一に、しかし熱心で財力のある信者からはより多くの額が徴収できる。

一般に「洗脳」という言葉で語られることもあるが、宗教的意味付けが金を出させる原動力になる。平均的な生活者ならば、4日間で1000億円もの金が集まるなど想像さえできない。手法は様々あるが、献金行為自体に快楽を覚えるようになるという。教団の運営は信者のボランティアが中心となるので、経費は相当額節約され、金あまりが起こる。難しいのは金がないときではなく、金が集まり過ぎたときだ。金あまりの状態になると、教団の腐敗や堕落の危険があり、致命的な問題を引き起こしかねない。分裂や分派を防ぐことができた創価学会は、教祖や一部の幹部が私腹を肥やすことができない仕組みを備えているという。多くの新宗教は金と権力闘争で分派し、新たな教団を設立し集金システムを踏襲する。また集金システムを学んだ幹部は新宗教だけでなく、別のビジネスを立ち上げることも可能だ。

新宗教は有効なビジネスモデルを取り入れ集金システムを構築したが、逆に新宗教の布教方法をビジネスに取り入れたものがマルチ商法だ。

新宗教の布教の方法を、ビジネスの分野に取り入れたものが、「ネットワークビジネス」、あるいは「マルチ商法」である。こうした商法の中には、アムウェイやニュースキンのように合法的なものもあるが、悪質なものも少なくない。その代表が「ネズミ講」である。ネズミ講は、「無限連鎖講の防止に関する法律」で禁止されており、警察の取り締まりの対象になっている。しかし、合方的なものでも、悪質なものでも、こうした商法の基本的な原理は共通している。そこでは一定の商品が販売されるが、新宗教と同様に、売り手と買い手は固定されず、商品を購入した買い手が売り手に変貌していくところに特徴がある。

パーティーなどを利用し、いかに優れた商品かを宣伝するとともに、会員になることで経済的利益に恵まれることをアピールする。彼らはシステムが画期的であることを強調するが無限に顧客があっての前提であり、起点が破綻しているのでまもなく行き詰る。宗教活動が「洗脳」と対で語られることがあるが、マルチに手を染めるとまず友人・親類・知人を攻め立て、迷惑を省みず、忠告には耳を貸さず、「洗脳」以外に形容のすべがない。洗脳はマインドコントロールともいい、日常生活の多くの場面で見受けられる。

「テレビショッピングでキンキンと騒々しい声にせきたてられ商品を買う」、「雑誌や人気ブロガーの紹介する店に列をなす」などの消費活動と宗教活動は極めて近い関係にある。買う側は実用やサービス以外に、他の物にない特別な価値につき動かされ、売る側は商品の付加価値をいかにアピールするか戦略をたてる。このとき、商品やサービスの価値を説明する「言説」や「物語」が重要で、宗教が教祖や教義の価値を流布し、信者を捉える方法と一致する。甘く心地よい言葉だけでは人の心はつかめない。ときには厳しい言葉で尊敬の念をかきたてねばならない。マインドコントロールの技術は普遍的だ。宗教だけでなく、成功した人々はカリスマ○○と呼ばれ、彼らは部下や弟子を叱責し、ときに熱く講釈を垂れる。信仰に邁進する人々は精神性の高みを志向するが、神聖、神秘、尊いものであっても金は付きまとう。商品やサービスの選択ばかりではなく、行動や思想もマインドコントロールされる。たとえば政治における選挙とマスマディアの動き、結果として何を意図しどこへ導かれるか覚醒した心を残しておく必要がある。マインドコントロールから覚めると献金は搾取であり、行動の選択や買い物は熱病の残渣でしかない。

 

人殺し医療 ベンジャミン・フルフォード

5月13日の新聞に「患者死亡、届け出義務化」という記事が掲載された。厚生労働省は医療事故の実態把握のため、国内すべての病院・診療所約17万施設を対象に、診療行為に絡んで起きた予期せぬ患者死亡事例の第三者機関への届け出と、院内調査を義務付ける方針を決めた。検査も含め医療に事故はつきものだと薄々気付いてはいるがリスクより利益が大きく、自らには及ばないという信頼のもと医者にかかる。事故はリスクの高い大手術ばかりではなく、小さな診療所の処置や投薬でも起こる。本書は陰謀論めいた過激な読み物であったが、タイトルを借りる形で記事をしたためている。

最新のデータ(2004年米国)によれば医原病による死者数は年間78万3936人、第2位の心臓疾患が69万9697人、がん(悪性新生物)が55万3251人で3位となっている。

別の調査でも医原病は3位にランクインし、米医学界の名門ジョンズ・ホプキンス大学も医原病を3大死因と公式に認めている。この事情から医原病は日本を含めた先進諸国に共通する問題だと考えてよい。医原病という言葉は日本では耳慣れないが、病院で治療を受けた結果、それが原因で病状を悪化させて死亡したものを言う。全米で78万人といえば毎年一つの大都市が医者によって消滅していることになる。死者ばかりではなく重い障害や被害を被った人数を推計すると米国で年間200万人以上にのぼる。直接の死因は別の病名になるので医原病としての被害はほとんど表に出てこない。肺炎だとか心不全などの病名で結局、がん死、心臓病、脳卒中など3大疾患に収束していく。このたびの厚生労働省の方針が正しく機能するなら、医療の闇が明るみになり、今後の対策も革命的に変わってくるだろう。

確かに医療過誤、医療ミス、薬害などで、ある程度の人が障害を被り、病状を悪化させた結果、なかには亡くなる人もいることでしょう。ですが、現代医療で、それ以上の人が病気を治してもらい、科学的な医療の恩恵を受けている。

医療関係者も一般人もおおかた上記のような見方で現代医療を支持しているものと思う。手術の際、リスクを説明し同意の印鑑を求められるが、単に儀式ではなく不慮の事故を免責する契約書なのだ。これほど深刻な書類に押印を求めるからには医原病の実態を伝え他の選択も示すのが正義であろう。

医原病とオーバーラップする死因の中には自殺者の問題がある。自殺者は年間3万人で日本の死因7位になっており、金銭問題や生活苦、社会不安が理由にあげられるが半数は「健康上の理由」である。その多くは末期がんなど、抗がん剤治療の苦痛から逃げ出すための自殺だ。「がん死はイヤだ」という人の殆どがその苦痛を一番にあげるが、苦痛の原因は抗がん剤にあり「2割殺し」という。抗がん剤の投与により2割分がんが縮小し、20%分進行が遅くなるが、その分副作用に苦しむ時間が伴う。また、うつ病患者の自殺も年間7000人と、相当数になり、薬物が原因と考えられている。重度のうつ状態のとき自殺企図は起こらず、薬による精神高揚が自殺につながる。米国で起こる銃乱射事件など、うつ病薬の関与が指摘されている。

死因4位の肺炎は年間10〜12万人で推移するが、医原病の巣窟と考えられる。インフルエンザや風邪による肺炎は「市中肺炎」といいこれで亡くなることは少なく、死因につながる肺炎は「院内肺炎」という。抗生物質が効かない耐性菌による院内感染は知られているが実際はめったに起こらない。院内肺炎で圧倒的に多いのは手術後の術後性肺炎、副作用の強い薬物による薬剤性肺炎で医療行為によって体力が落ちているとき何らかの細菌やウイルスに感染し肺が炎症をおこし呼吸不全で死亡する。これらの菌は感染力も弱く健康な人にはまったく問題のないものだ。ところが手術や治療で体力が落ちているときには無害な菌が猛威を振るう。これらの菌は厄介なことに実態がつかめず対応が遅れてしまう。それまでにあらゆる種類の抗生物質を大量に投与し、体力が落ちたうえ、さらに薬剤で臓器を傷めつけ、多臓器不全などでショック死を引き起こす。心不全や肺炎という死因は結果であって、原因は医原病である疑いが濃厚だ。

日本の公式の統計資料に「医原病」は一切出てこない。しかし、死因をざっと精査するだけで、相当数の死因を医原病と認定できるケースは山ほどあるのだ。全米78万人と見積もったゲーリー・ヌル博士の基準で精査すれば日本も40万人〜30万人前後が「医原病」となるはずだ。

医原病として医者や病院を批判し、厳しく追及し金銭的償いまで求めるなら、医療体制そのものが崩壊し、本当に必要なとき治療が受けられず多くの人命を失うことになる。このような反論が出てくるかも知れない。しかし、医原病を隠蔽する現在の状況が「医原病」を産み出す土壌となってる。早急に医原病を死因として認め対策をとることだ。交通事故の危険があるから車に乗るなという議論は発生しない。交通事故は起こるという前提で、その時の対処、起らないための対策を講じる。これと同じようなコンセンサスが医原病にも求められる。医療訴訟の増加や説明の義務化、患者のモンスター化で医者の仕事が増え、不足をきたすという話は常識のように語られるが、業界自らがそのような体制を築いてきたのだ。

最近の病院は、「最新の医療設備」を揃えていればいるほど「いい病院」「最高の病院」と持て囃されている。パンフレットで高価な最新機器が、これでもかと紹介されていれば、なんとなく素晴らしい病院のように思えるからだろう。

このため病院経営者は借金をしてでも最新機器を導入し、扱い管理する人を雇う。その経費は不必要な検査や治療で取り戻すことになる。なかでも「しなくていい手術」が最も儲かるという。時間をかければ内科的に治る病気、日常生活に支障のない軽度の慢性疾患、放っておいても自然治癒する病気を手術へと導く。もともと軽い病気なので手術の難易度は低く、時間もかからない、成功すれば手術実績にカウントされ医者・病院とも名声を得る。早期発見・早期治療という掛け声の実態は健康な人に治療を施すことに他ならない。具合が悪くなってからで遅くはない検査で健康体に大量の放射線を浴びせかけ、大丈夫と詭弁する。逆に大丈夫なはずの血圧やコレステロール値の基準を下げて、腹いっぱい薬を押し付ける。現場の医者を見る限り、彼らは寝食を惜み勤勉に使命を全うしているように思う。しかし、巨大な組織や業界の奔流に呑まれ、見るべきものが見えず、見えても声を上げることができない。奔流からハズレたアウトローが語る医療批判は大概、負け犬の遠吠えとして一笑に付される。患者や国民は政・官・業・学・情の絆の中心には居ない。厚生労働省の医療事故対策のための「患者死亡、届け出義務化」は、彼らの絆をさらに強化し患者を排除することになるかも知れない。

 

医者に殺されない47の心得 近藤 誠

著者は昨年(2012年)第60回菊地寛賞を受賞された。菊地寛が提唱した文学賞として始まったが、1955年から受賞対象を広げ文芸・映画など様々な文化分野で業績をあげた個人や団体に贈られることになった。今回は他に曾野綾子・高倉健・東京新聞「原発事故取材班」・伊調馨と吉田沙保里・新潟県佐渡トキ保護センターなどの各氏・各団体が受賞している。

私はこれまで、同業者がいやがることばかり言ってきました。

がんは切らずに治る。
抗がん剤は効かない。
健診は百害あって一利なし。
がんは原則として放置したほうがいい。

そのためでしょう、私の医学界での受賞歴といえば「そんなこと言ったらダメで賞」とか「近藤をパッシングしま賞」といったものばかりだったので、今回、まともな賞をいただいて、とてもうれしく思っています。

1994年、科学朝日で連載された、がん治療「常識」のウソという著書を読んで以来、20年になろうとしているが、最初はトンデモ本ではないかとさえ疑った。次々と出版される著書を読み、本棚の一角50cmほどを占めるまでになり、近藤先生の視点で世の動きや、がん患者さんの死や治療を見聞すると、間違っているのは大勢多数ではないかと思い至る。大河の流れには利権と金銭が絡み、乗り遅れまいとする素朴な焦りから奔流に呑まれる。近藤先生が投じた一石は尊い本流となるべきものだが、医療村の利権を剥奪するものでもあり、波紋は流れにかき乱される。しかし、波紋を確実にとらえた人はよりよく生きる知恵を得るだろう。47の心得からいくつかを取り上げた。

心得2:「老化現象ですよ」と言う医者は信用できる

今の日本で大人がかかる病気はたいてい「老化現象」で、医者にかかったり、薬を飲んだりして治せるものではない。1996年、厚生省は高血圧・高コレステロール・糖尿病などの呼び名を成人病から生活習慣病に改めた。成人病は老化を示唆し分かり易いものだったが、生活態度の悪さを取り締まるかのように健診を義務化した。血圧について見ると基準値を以下のように年々引き下げ、患者数は20年で15倍に増加したことになる。生活態度が悪いなら、その指導で済むはずが、薬の投与に直結し、そのための基準値引き下げであった。

改訂年

基準値

患者数

1987年

180/100

170万人
2000年 59歳以下:130/85
60歳代:140/90
70歳代:150/90
80歳代:160/90
1850万人
2004年 64歳以下:130/85
65歳以上:140/90
2220万人
2008年

130/85

2700万人
現 在

140/90

--

厚生労働省2008年人口動態統計より推計

個性も体質も生活習慣も異なってあたりまえの人間に工業製品のように規格をあてはめ、薬で背丈を揃えるなど常識以前の愚挙である。生きていれば多少の不自由や体調の変化は当たり前のこと「自然の摂理だ、仕方がない」と考え仲良くつきあうことが理に叶っている。血圧の高いほうが隅々まで血液が行き渡り、コレステロールは細胞を丈夫にするので高いほうが長生きする。

心得3.医者によくいく人ほど、早死にする

アメリカで5万人以上、5年間ががりの調査がある。医療費と健康の関係を調べるもので、5万人が病院に行った回数は平均して年に5回ほど、医療サービスに対する満足度を4ランクで評価したところ、満足度が最も高いグループは、いちばん低いグループより入院日数が9%多く、医療や薬に使うお金も9%多かった。4〜5年の追跡の結果、満足度の最も高いグループは、いちばん低いグループに比べ死亡率が26%も高かった。この調査から「病院へいく人ほど、薬や治療で命を縮めやすい」ことがわかる。

心得6.世界中で売れているコレステロール薬の「病気を防ぐ確率」は宝くじ以下

コレステロールの基準値を引き下げた委員の9人中8人が製薬業界からお金を貰っていた。肝腎の効き目は宝くじ以下の確率で、それも本当に薬が効いたのか不明である。スタチン薬(リピトール)の大規模な臨床試験で偽薬を投与した患者の3%が心臓発作を起こし、リピトール投与患者では2%だった。100人中その差は1人、他の99人は飲んでも飲まなくても結果は同じである。カナダの大学の臨床試験では「年齢にかかわらず、スタチン類は女性には無効。中年男性では悪玉コレステロールの値が大幅に下がったが、総死亡数は減っていない。ほとんどの人が効果がないどころか健康を害する危険がある」と警告している。同じく高血糖も、薬やインスリン注射で厳格に血糖値をコントロールして延命につながったというデータは皆無で、逆に命を縮めたデータがある。

心得7.がんほど誤診の多い病気はない

日本人の1/3ががんで亡くなると言われているが、これほど誤診の多い病気はなく、治癒例でさえ本当にがんだったのか疑わしい。がんは潜在がん、がんもどきがとても多く、きちんと検査しても誤診が起こる。アメリカの医学誌はがんの初期診断の誤診率はときに12%にもなると報告している。がんと診断されても命を奪わないがんは「がんもどき」で本物のがんに育つことはなく、手術や薬物治療によって危険にさらされる。

心得8.「早期発見」は、実はラッキーではない

早期発見・早期治療というかけ声を聞き始めてからいったい何年になるというのだ。がんで亡くなる人は減るどころか増え続けている。前提である早期発見・早期治療を疑わなくてはならない。医学界が目指す国民全員のもれない健診が実現すれば、死亡率はもっと高まるだろう。1989年にがん検診をやめた信州の泰阜村では明らかにがん死が減少した。胃がんなどの集団検診をやめたところ、その前の6年間は、胃がんの死亡率が村民死亡数の6%、89年からの6年間は2.2%と半分以下に激減した。検診を受けると診断ミスとともに不要な治療をされ、手術の後遺症、抗がん剤の副作用、精神的なストレスで早死にする人が多くなる。

心得10.健康な人は医療被ばくを避ける。CT1回でも発がんリスクあり

浴びた量によって1歩か100歩かの違いはあっても、放射線は細胞の中のDNA(遺伝情報)を必ず傷つけ、発がんに向かって歩を進める。医者は高価な機器の元をとるため、問診や聴診より、儲かるCT検査をすすめる。日本人のがん死亡の3.2%は医療被ばくが原因で、英国の5倍にもなる。45歳の人が全身CTを1回受けただけで1万人中8人、30年間毎年同じ検査を受けると、1万人中190人が被ばくにより発がん死する。

心得11.医者の健康指導は心臓病を招く

早期発見・早期治療という予防医学の考え方は正しいのか。「医者を呼ぼう医学」という業界のプロパガンダではないか?フィンランドの15年がかりの調査では「きちんと定期健診を受け、病気や異常が見つかったらライフスタイルを改善し、それでも検査値に問題があったら医者から薬をもらう」という非の打ちどころのない努力は、無意味もしくは危険であることがわかった。調査は40〜55歳の見た目は健康だが心臓病になりやすい因子を持つ1200人をくじ引きで600人ずつに分けて行われた。介入群は医者が運動・食事・禁煙など指導し、必要があれば薬も処方された。5年の指導の後、自由に任せて10年後、介入群の心臓死は放置群の倍以上も多く、自殺、事故、総死亡者数とも医者の指導に従った介入群のほうが多かった。唯一がん死だけが少なく、これは禁煙の効果だと思われる。症状がないのに血圧やコレステロールの数値を薬で下げると、心臓に良くなかった。また医者のアドバイスは精神的ストレスとなって心筋梗塞やうつ病につながった。

心得12.一度に3種類以上の薬を出す医者を信用するな

何種類も服用していて体調がすぐれない患者さんや、お年寄りで認知症、ふらつきなどの症状が出ている場合は「薬を全部やめてみてください」とアドバイスする。やめてもしばらく薬効が続き緩やかに血中濃度が下降するので禁断症状が出ることなく、ほぼ全員の体調が好転する。目的の症状に有益に働くものを主作用といい、それ以外を副作用というが、薬の作用であることに変わりはなく副作用も当然、作用として発現する。副作用が時々出るというのは誤りで、病気を悪化させたり、命に危険を及ぼす可能性は高い。薬の数が増えれば副作用はネズミ算式に増大し、4種類以上の薬を飲んでいる患者は医学知識の及ばない危険な領域に居る。

【追記】「漢方薬は自然で体に優しい。配合の妙で副作用を軽減し、効果は増強する」と言う漢方家は信用ならない。何の根拠もなく、希望と妄想に耽っている。「配合で副作用は増強し、効果は減弱する」という視点を持つべきだ。処方に拘るあまり、数種の処方を混ぜて投与する傾向も見受けられる。処方の併用は生薬数も量も増え、有効成分はさらに膨大となり、薬効も相互作用も未知の領域だ。

心得15.がんの9割は、治療するほど命を縮める。放置がいちばん

がんは切ると暴れ、抗がん剤は単に「しこり」を一時的に小さくするだけ。延命効果が認められないうえに、患者の生活の質を悪化させる。日本人のがんの9割を占める胃がん、肺がん、大腸がん、乳がんなどの固形がんには、抗がん剤はつらい副作用と縮命しか及ぼさない。胃がん、食道がん、肝臓がん、子宮がんなどは放置すれば痛まず、痛んでもモルヒネで完璧にコントロールできる。

心得20.がん検診は、やればやるほど死者を増やす

がん検診が「やぶへび」である5つの理由。

  1. 日本は医者にがんと診断されやすい:がんの定義が日本と欧米では異なり、日本では上皮内にとどまっていても「がん」と診断するが、欧米は浸潤していなければ「がん」としない。欧米でがんと見なさない病変の8〜9割が、日本ではがんにされてしまう。
  2. 検診時のCTががんを誘発する:CT、PETなどによるがん検診は放射線の被曝線量が多く、たった一回でも死亡の引き金になる。
  3. 本物のがんならすでに転移している:検診群では、人の命を奪う本物のがんを早く発見できるが、本物のがんの放置群と最終的に死亡率は変わらない。本物のがんなら、なにをやっても運命は変わらず、治療の苦痛と費用が損。
  4. PET検査は被曝量が多い:PET検査はCT等の検査で発見できないがん病巣が見つかることがあるが、その病巣はすでに転移が生じている「本物のがん」か「もどき」のどちらかなので発見しても寿命は延びない。にもかかわらず被曝線量が多く、一回の検査でも発がんの原因になる。
  5. 精密に検査するほど「がんもどき」を発見してしまう:精密な検査で、より小さながんが発見されれば「がんもどき」に無意味な治療を施す可能性が高まる。

心得21.「乳がん検診の結果は、すべて忘れなさい」

乳がんの早期発見・早期治療、子宮頸がんワクチンの接種を勧める広告があふれている。1990年代から繰り広げらている「ピンクリボン」の啓蒙活動には政府、自治体、医療、製薬業界のほか協賛企業、銀行、化粧品会社、下着会社、生命保険会社・・など大手が顔をそろえている。しかし大キャンペーンをあざ笑うかのように、乳がんはこの10年激増している。カナダの5万人調査では総死亡率は検診群のほうが少し多くなっている。乳管内のがんとされている病変はがんではなく、女性ホルモンの影響で起こる乳腺症で、縮小・消失したケースが数多くある。マンモグラフィでしか発見できないがんは99%以上「がんもどき」だが、どこの病院でも手術で乳房を全部切り取ってしまう。乳がんキャンペーンをやめて困るのは業界団体に他ならない。また子宮頸がんワクチンは無意味で重い副作用が懸念される。スウェーデンの統計を見ると、子宮がん検診で発見されるゼロ期のがんは、99%以上が「がんもどき」である。

心得23.1センチ未満の動脈瘤、年間破裂率は0.05%

日本では1980年まで脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血など)が死因の一位であった。危険箇所を早期に発見し処置すれば脳卒中が防げるとのことで脳ドッグ検査を受ける人が居る。しかし、脳卒中を防げるというデータの裏付けはなく害のほうが大きいことがはっきりしている。欧米の53施設が共同で、未破裂動脈瘤をもつ患者2621人を調査したところ、脳ドッグで見つかる1センチ未満の動脈瘤の年間破裂率は0.05%、20年たってようやく1%である。1%を恐れて手術に踏み切ると15%が手術によって障害者になる。1%が自分に当たればという不安のさなか、医者は「この場所は手術で上手くいく..」などと告げる。

心得24.断食、野菜ジュース、免疫療法・・・医者たちの「がん詐欺」に注意

医者が一般向けに「この方法でがんを治せる」という本が山ほどある。現代医学の批判から始め、警戒を解いたところで各種代替医療のオンパレードだ。漢方、鍼灸、マイナス水素イオン、活性水素水、超高濃度ビタミンC、マクロビオティック、ゲルソン療法、プロポリス、断食、粉ミルク、人参ジュース、青汁、ワカメ、乳酸菌製剤、アガリクス、霊芝、免疫療法、リンパ球療法、ワクチン、ゲルマニウム・・・
しかし、転移がんが消えたり、末期がんの症状が出て弱ったところから生還した人はいない。これらの療法の有効の根拠は、がんが消えた、縮小した、大きくならない、長生きしているなど、患者のエピソードでしかない。「誤診」と「潜在がん」と「がんもどき」は放置しても悪くはならず、消失することがある。これとプラシーボ効果の範囲での話である。また西洋医学から離れ、抗がん剤や手術を遠ざけたことも有益に働く。代替医療を推奨する医者は自らそれを信じているので圧倒的説得力を有し、費用も異常に高くつく。

心得25.「免疫力」ではがんを防げない

漫談で笑って免疫力、朝のみそ汁で免疫力などの話はあふれかえっているが、欧米の医学界では、「がんに対して免疫力を強化しても無意味、効果なし」が常識である。免疫力という語句を使って患者を集める医者は詐欺師扱いされる。免疫細胞は外から入ってくる異物を敵と認識し叩くもので、アレルギー反応と言い換えて良い。人の免疫システムが、がん細胞を敵とみなさないからこそ、がんが発生する。原理的に矛盾をはらんでいる。他に言葉を知らないため、体力強化、抵抗力増強などと同列の意味で使うのであろう。

心得36.大病院にとってあなたは患者ではなく被験者

大病院へ行ってはいけない3つの理由。患者の数が多い有名な病院になるほど、ひとりひとりの患者に対して扱いがぞんざいになり、流れ作業的になる。大きい病院ほど実験的なことに力を注ぐ。病院のランクが高いほどメンツにかけて病気を見逃すまいとし、行ったら最後、徹底的に検査される。検査の基準値というのは健常者でも5%が基準値外になる。10項目検査をすれば「基準値外」と診断される人が40%も生じ、30項目検査すると78%にもなり過剰医療の標的になる。

心得40.インフルエンザ・ワクチンを打ってはいけない

WHO(世界保健機構)も厚生労働省もホームページ上で、「インフルエンザ・ワクチンで、感染を抑える働きは保証されていない」と表明している。変幻自在のインフルエンザ・ウイルスに効くワクチンを作ることは原理的に無理がある。また、60歳以上になるとワクチンを打った群で急死する人が明らかに多く、表向きは「心筋梗塞」とされているが、どうみてもワクチンの副作用と考えられる。数年前のパンデミックのとき、インフルエンザ薬のタミフルは7割が日本に流れたが、海外の学者たちは「タミフルの効果は疑わしい。抗ウイルス作用はほとんど認められない」と発表している。効かないのにタミフルの副作用は重篤で呼吸停止による突然死、意識朦朧状態での転落死など社会問題になった。ところが、先月(5/17)、日本感染症学会は、中国で人への感染が拡大した鳥インフルエンザ(H7N9)が国内で発生したときの診療提言をまとめ、タミフルなど抗ウイルス薬をできるだけ早く、必要なら通常量の2倍投与も推奨するとした。心得6.の委員たちにどこか似ている。

心得41.「ほっときゃ治る」を、いつも心に

「医者になってこのかた、医療行為で人を救えるケースがあまりにも少ない」と著者はいう。特に高齢になるほど医療行為は体の負担になり、手術すると後遺症、合併症で命が縮む。1976年、南米コロンビアで医者が52日間ストをやり、救急医療以外の診療活動がすべてストップした。その結果、死亡率が35%も下がった。同じ年に米ロサンゼルスでも医者のストライキがあり、17の主要病院で手術の件数がふだんより60%も減った。すると全体の死亡率は18%低下し、ストが終わり診療が再開されると死亡率はスト前の水準に戻った。イスラエルでも1973年に医者のストが決行され、診察する患者数が1日65000人から7000人に激減。エルサレム埋葬協会は「死亡率が半減した」と伝えている。イスラエルでは2000年にも医者のストライキがあり、ストライキ中の5月の死者は93人、前年同月の153人より39%も減った。病気の80%は医者にかかる必要がない。かかったほうがいいのが10%強、かかったために悪い結果になったのが10%弱。基本的に少々の痛みや不自由は「ほっときゃ治る」と放置して、どうしても日常生活にさしつかえる症状があったときだけ病院へ行く。

 

原発ゼロ社会へ!新エネルギー論 広瀬 隆

「節電!」、昔から何度聞いたであろう。売る側が「買うな」と言うようなもので違和感はぬぐえない。節電を言いつつオール電化など、節電と相反する宣伝を続けたのは何故か?言うまでもない、「節電」のほうがウソなのだ。原発が止まり節電はまさに喫緊の課題かのように見えた。そこで計画停電などという新手の広告宣伝を繰り広げ、原発の必要性をアピールした。電力会社がアテにならない事を知った企業や大口の消費者は対策を練り、新たな電力供給を模索した。その結果、電力会社の愚かな広告は自らの首を締めるものとなり、次は値上げという広告に活路を求め始めた。

震災後、東電は「原発なしでは電気が足りない」と朝から晩まで節電を要請し続けた。不足が懸念されるのは、需要のピークを迎える真夏のある1日の午後の一瞬でしかなく、それも震災前の記録的な猛暑の最大電力を基にしていた。計画停電に懲りた人々や企業は節電とともに省電力照明や機器の開発、大量の自家発電機やバッテリーの準備をしてきた。マスメディアは電力会社や政府の出した数字しか報道しないため、発電能力の増加分など一般にはほとんど知られていない。日本の総発電量の2割は自家発電によって供給・消費されている。自家発電のほうがコストが安く、今後この動きは加速していくだろう。2012年6月まで1年半の自家発電の累積をみると、全国で1062万KW、原発10基分を超えていた。関西地方だけでも291万KWで、無理やり再稼働させた大飯3・4号機の発電量236万KWを軽く超える発電量であった。再稼働なしでも電力は十分余っていたのだ。私達は1Wの節電さえ不要であったが、マスメディアは真実を報道することなく、電力不足が深刻な問題かのように虚構の旗を振り続けた。影響の及ぶ広さを考えると彼らこそ国民の敵であり、質の劣化が著しい。

火力発電の運転をストップさせてまで電力不足を演出し、なぜ原発を稼働させたのか。それは、総括原価方式という電力会社独特の利益体系にあり、資産、運転費、広告、寄付金などあらゆる経費に対して3%の利益が保証される。この体系は一般常識に逆行し、コスト高なほど利益も大きく原発推進の根幹になっている。関西電力で見ると純資産1兆6000億円余りのうち9000億円くらいが原発関連の資産で、廃炉になればこれが吹き飛び破産してしまう。電力会社は「電力の過剰や不足など知った事か..」と、危険や破滅さえ省みず強行する。また巨額な原発マネーには寄生虫が貼りついて離れず、これを引きはがすことは容易ではない。

原油高騰で火力はコスト高という宣伝もしばしば聞かれ、電気料金の値上げが行われた。批判を予測し、予め高い値上額を打ち上げ、最終的に希望どうりの値上げを勝ち取る。いままでとなんら変わらぬ手法だ。原油高騰というが、石油発電はオイルショック後の1979年に法律で禁止され現在稼働中のものはそれ以前に建設されたものだ。2004年度の火力発電の比率は石炭と天然ガスが各々40%余り、石油は15%以下となっている。天然ガスは埋蔵量が400〜500年分もあるといわれ価格も安く、ガス・コンバインドサイクルという効率の良い発電が行われている。安価な天然ガスを使っていながら、なぜ燃料費高騰なのか。実は燃料を輸入する子会社を設け、そこから相場の6倍の値段で購入し、子会社で儲け、水増しした燃料費を元に総括原価方式で儲ける。

ガスコンバインドサイクルは1981年に国鉄(当時)の川崎火力発電所1号機に初めて導入され、現在、各電力会社でも稼働中だ。原理は液化天然ガスを気化させガスを燃焼させる。このときの噴射力で発電機を回転させ電気を生みだす。次に燃焼後の600℃という排熱をボイラーに送り、蒸気でタービンを回転させる。ここでも高圧・中圧・低圧の3段階でエネルギーをしぼりとる事が可能だ。熱のロスが少なく消費地に近接して建設できるので送電ロスも少なく、効率は原発の2倍になる。ガス業界はもちろん、各電力会社は計画中も含め30ヶ所を超える火力発電所でこれを採用している。電力不足と石油高騰という宣伝のさなか、これを知らしめることはしない。東京ガスとENEOSが設立した川崎天然ガス発電所は1・2号機合わせて84万KWを超え、敷地面積が61600m2なので、1万KWあたり117000m2を要するソーラーパネルに比べ1/160の面積で原発並の出力を発揮している。脱原発派の人々は原発の代わりにと、太陽光、風力、地熱などの自然エネルギーを提案し、大して考えることなく誰もが同調する傾向にある。自然派の趣味的生活や狭い地域での供給なら間に合うかも知れないが、工場や産業界の需要を満たすには程遠い。昨年、大江健三郎さん、鎌田慧さんの呼びかけで「さようなら原発1000万人署名」が全国で展開されたが、広瀬氏は呼びかけ人にならなかった。

鎌田さんが私に、「広瀬さんはなぜこの署名の呼びかけ人になってくれないんだ」と尋ねた。私が、「だって、最後の項目に、自然エネルギーで原発を代替しようと書いてあるじゃないか。そんなことできるはずがないのに、無理ですよ。この考えでは、原発を止められない。私は原発を止めたいんだ。絶対に賛成しません。嘘で運動はしません」と答えると、鎌田さんは「う〜ん、今さらその一行を取るわけにはゆかないしなあ」と苦笑していた。

脱原発、反原発、卒原発など言葉遊びが過ぎるほどに活動家も様々だ。「化石燃料は枯渇する」、「地球温暖化阻止のため化石燃料を使うべきではない」、「2020年までに太陽光や風力が150兆円市場になる」、「5〜10年の原発の再稼働を認めたうえで、脱原発を目指す」などど論じる危険人物が居る。そういえば彼らの口からガスコンバインドサイクルや燃料電池の話を聞いたことがない。なぜ危険人物なのか。稼働すれば高レベル放射性廃棄物がどんどん生み出され、最終処分場を引き受ける住民もいない。そして頻発する地震が次の事故を引き起こす恐れが迫っている。原発全基を即時廃炉にする以外わが国の生き残る道はない。自然のエネルギーの頼りなさを知らしめるという原発村の罠にはまってはならない。発送電分離の議論にしても、期間を長く置き「骨抜きの」猶予を与えている。

昨年夏、産業用の電力は大幅なカットを成し遂げた。ここで活躍したのは太陽光でも風力でもなく、自家発電とバッテリー、ガスヒートポンプエアコンなどの新技術であった。市民運動家の多くが付け足しのように自然エネルギーを主張するが、原発を即時廃絶するには化石燃料を排除しては実現困難だ。なによりも、原発を止めることが優先されなければならない。日本は工業社会で鉄と石油を基礎として成り立つ、鉄がなければ車も鉄道も動かず、鉄を生み出すのは石炭火力だ。石油は化学製品を生みだし、あらゆるところに利用され、これを欠いての生活は考えられない。石炭、石油、天然ガスなど化石燃料を排除した近代日本は存在し得ない。ガスを中心に据え、並行して可能な限り自然エネルギーを普及させることが現実的だ。

最近、地震の発生数が尋常ではない。活動期に入ったという専門家の話を謙虚に受け止めるなら、原発はただちに止めるしか生き残る道はない。その障壁になっているものは原発に群がる人々の「金銭」だ。広瀬氏は具体的に提案を起こす。原発を廃絶した後の経営を維持するため、電力会社の要求を呑もうではないか。電気料金の値上げになるが、関電のケースでは8700億円の原発資産を日本の人口で割ると、1人当たり6808円になる。これを12カ月で割り、1カ月568円を負担しよう。わずか1年の値上げで日本の破滅が防げるではないか。

福島の事故は終息も廃炉の見通しもたたず、先日はネズミ一匹で電源が停止し危険な状態に陥った。たかがネズミ一匹で日本の運命が左右されると思ったところ、翌月はネズミ2匹の死骸が電源を停止させた。破滅的な事故が起これば、誰もが懲りて原発の廃絶を目指すだろう。原発の危険を語り、原発に頼らない社会を目指すはずだ。しかし、これは夢想にすぎず以前にも増して危機感は鈍麻している。福島から少し離れたら破滅的ではなく、人ごとだと思う。少し離れても遠く離れても最たる危険は食による内部被曝だ。食の安全は個人の心がけで達成されるものではなく、国が適確で厳正な対策をとらなければならない。いまや原発推進の翼賛政治会になり果て、反原発を高らかに謳う政治家はほとんど残っていない。絶望的なことだが、これは先の選挙で私達が選んだ運命なのだ。

ほとんどの食品について、1kg当たり500ベクレルの放射能までは大丈夫とされてしまったのだ。つまり福島原発事故が起こる前に比べて、実に2500倍という放射能が入った食品を、暫定規制値として「安全な食品」としたのが、殺人的なおそるべき民主党政権であった。法律上、放射性廃棄物としてドラム缶に入れて厳重に管理しなければならない毒物を、日本全土のお人好し人間が自宅の食卓にあげ、レストランでパクパクと頬張り、ほぼ1年間食べ続けたあと、2012年4月から規制値を厳しくしたといっても、まだ事故前の500倍の放射能がほとんどの食品について「安全」とされているのが日本なのである。魚介類では、事故前の1000倍を超えても、「安全」だというのである。たった今も、である。

 

海の放射能汚染 湯浅一郎

鮮烈な光景や峻烈な怒りをいつまで維持できるだろうか。東日本大震災から2年が過ぎ、同時に起った原発事故はいまも続いている。事故の翌月に佐賀で知事選が行われ、原発推進派の知事は「慎重に・・」と語り、いままでの姿勢を改めるかのような気配を見せた。深刻な原発事故の報道を見ながらも、県民は圧倒的得票で知事を支持した。しかし、知事は着々と原発再稼働の準備を取り仕切っていた。その夏、明るみに出たのが「九電やらせメール事件」だ。騙されない人々もいたが、善良なる県民は見事に騙された。一方、国会周辺では毎週金曜の夕方から集会が始まり、週ごとに参加者は膨らんでいった。アジサイ革命といわれる抗議行動だ。参加した人々は政治が変えられるかも知れないという期待に湧いた。私もそう考えていたが、先の選挙結果をみて愕然とした。安全確保を怠り、原発を推進し続けた自民党議員を雪崩打って国会へ送り込んだ。これが民主主義というものだろうか。政権を取り戻し2カ月、総理は「安全確認ができた原発から再稼働する」と宣言した。彼らを支持する人々の気持ちが知れない。佐賀県民は知事に騙され、今回の選挙では自民党に騙され、来たる夏の参議院選挙では、また騙されるだろう。懲りないお人好しがいる限り政治家の生活は安泰だ。彼らは国民など眼中になく金銭に絡めとられた原発村の「絆」を守り続けるだろう。街角の市民は「原発だけが争点ではない..」などと、評論家のように語る。溺れかけているのに、浮き輪には目もくれずお金をつかむ。溺れかけていることさえ解っていない。

生々しい恐怖を維持し続けるべき事のひとつが食の問題だ。世界中に400基もの原発があり、10万年を要するという核廃棄物の処分法も見通しが立たない。10万年先といえば人類史2000年を50回も繰り返す時間だ。核に手を出したとき、気の遠くなるような時間が始まり、核に呪われることになった。自暴自棄になりそうな現実ではあるが、いまある世代をひとつでも先に延ばすのが私達の使命であろう。

小学校の頃、世界三大漁場を教わった。大陸棚や寒流と暖流が流れ込む潮目に多くの魚が群がり、優良な漁場となる。その一つが東北の三陸沖で、北西太平洋海域と呼ばれている。日本は四方を海に囲まれ貴重な蛋白源として魚食文化を培ってきた。ここに原発事故でおびただしい量の放射能が直接流れ出し、空から降下し、河川から流入した。フランス放射線防護原子力安全研究所は東電や文部科学省などの海水濃度分布から海水中の現存量を計算し、放出量を2.7京ベクレルと推測している。これは東電発表の6倍、他に日本原子力研究開発機構の1.5京ベクレルとの試算値もあるが、いずれも3月中の放出量を含めた試算で、真相は闇の中である。さて、今回の原発事故により、初めて海洋が汚染されたと考える人が居るかも知れない。しかし、放射能の放出はいままで500回以上も行われた核実験に端を発し、事故では圧倒的量を放出した福島、続いてチェルノブイリ、スリーマイル島があった。とくに核実験による大気圏内放出は1回で580京ベクレルという天文学的な量になる。薄まってはいるが、私達は放射能が拡散した空気を吸い、海や大地からは食と水の恵みを受けている。

核実験、原発事故以外では平常時の再処理工場と原発からの放射能放出がある。「5重の隔壁で牢固に管理され放射能が漏れる事はない」という電力会社の広告は嘘だ。とくに再処理工場がフル稼働すると原発1年分の放射能をたった1日で放出する。イギリス、フランスの再処理工場からは4京ベクレルの放射能が放出され、世界三大漁場のひとつ北東大西洋海域(アイスランド・イギリス・ノルウェー近海)を汚染した。他にも原子力艦船の沈没や1993年まで続いた核廃棄物の海洋投棄がある。たとえば旧ソ連の原子力潜水艦の沈没事故により3500兆ベクレルの放射能が1650mの海底に横たわったままだ。海洋投棄は1954年に20兆ベクレルでスタートし総量で8.5京ベクレルに達している。まとめると核実験1回平均が580京ベクレルで圧倒的に多く、福島事故は13京ベクレル、再処理工場が10年稼働して10京ベクレルとなる。原子力に平和利用などなく、核に手を出した時点で、無垢の生存環境を失った。

海洋への流入は3つの経路が考えられる。1)大気へ放出され直接、海面に降下。2)いったん陸に降下したものが雨に溶け河川、地下水を経由して海洋へ流入。3)放出源から液体として直接海洋へ流入。チェルノブイリは内陸に立地するため1)、2)の経路が想定されるが福島の事故では3つの経路すべてが成り立つ。流入した後の動きは核種によって異なるがセシウムなど水溶性のものは水の移動に伴い動き、粒子状のものは一部沈殿しつつも海水の動きで移動していく。そこから希釈と濃縮という矛盾する2つの過程が待ち受ける。原発村の人々は「膨大量の海水で希釈され、相当薄まるはず」と言う。常識的に考えて誤りではないが、一方で濃縮する過程も厳然として存在し、これも疑いようのない事実だ。濃縮には粒子への吸着、沈殿など物理的なものと食物連鎖を通した生物的なものがある。海には圧倒的多くの海藻と植物プランクトンがいて、それを餌として動物が生きていく。ここにも生物相互のピラミッド構造が見られ植物ブランクトンを動物プランクトンが食べ、コウナゴ、カタクチイワシ、シラスなどの小魚がプランクトンを食べる。そこにサンマ、サバ、アジ、サケ、タラなどが集まり、最終的に人の胃袋に収まっていく。生態系に突如、人工的な毒物が投入されたとき、濃縮とともに生態系の崩壊が起り、放射能は遺伝子を傷つけ何世代にも亘って遺伝的影響を及ぼす。

生物濃縮はコウナゴでヨウ素40〜300倍、セシウム20〜700倍になるが、水産庁はセシウムの魚類での濃縮係数を10〜100倍とし、食物連鎖による濃縮はないとしている。しかし、2011年7〜9月にアイナメ、ヒラメ、シロメバル、エゾイソアイナメなどで2000〜3000ベクレルという高濃度の放射性セシウムが検出された。この時の海水濃度はほぼゼロである。濃縮の連鎖を考えないとこのような高濃度は説明できない。国の調査の問題点はプランクトンの項目がなく、蓄積する可能性の高い臓器は調べることなく捨て、肉だけを対象としている。

回遊魚のサンマは四国や紀伊半島沖の黒潮で産卵し、卵は黒潮にのって東へ流れ孵化し稚魚となる。動物性プランクトンを食べ銚子沖あたりで成長し、5〜6月頃には自力で回遊しつつ北海道沖あたりまで北上する。そこで親潮の豊富な動物性プランクトンを食べ更に生長する。秋になると三陸沖まで南下し「旬のもの」として、目黒の復興支援イベントで食べられたり、全国各地のマーケットなどに並ぶ。同じようなことがサバ、カツオ、サケ、スケトウダラなど他の回遊魚にもあてはまる。福島原発からはいまも毎日154兆ベクレルもの放射能が流出し、昆虫や植物などの奇形の報告もある。長期間にわたる深刻な影響は避けられない。さらに、貯まりすぎて行き場のない汚染水をまとめて流してしまおうという動きすらある。この三大漁場に面して福島第1、福島第2、東海村、女川、大間、東通、六ヶ所という核施設が集中して連なっている。食の安全や農水産業がいかに軽視され続けたか物語るものだ。海洋は薄まる過程が考えられるが、内陸部の湖沼の汚染は薄まることなく、雨土の流入により濃度が高まる傾向にある。ワカサギや鮎釣りに釣り人が訪れ、秘湯の温泉旅館では近くの湖や河川で獲れた淡水魚や山菜が提供される。

事故直後、海洋に流れ出た放射能は表層を漂い、頭初コウナゴなどの表層魚から高濃度の汚染が報告され次第に底層魚へと及んだ。プルトニウムの値では魚類より、海底に生息する甲殻類が2ケタ高く、泥層の貝類などの軟体動物は甲殻類よりさらに10倍以上高い。プルトニウムについては猛毒であるうえに1万年単位の影響が避けられない。三大漁場は太平洋に面しているため、希釈されアメリカ西海岸まで到達した。しかし、日本海側に林立する原発に過酷事故が起ったときの汚染は太平洋の比ではない。また再稼働の動きのある愛媛の伊方原発では狭い瀬戸内の海に取り返しのつかない汚染をもたらす。原発は通常の運転でも放射能を垂れ流し、持続可能な生存を脅かしている。また人の手で瓦礫として放射能を拡散させ、復興支援の「絆食材」は内部被曝という最悪の経路で放射能を拡散させている。国と東電の責任と賠償は、善意の復興支援に転嫁されてしまった。

3大魚場の沿岸に原発を林立させ、事故終息の見通しも立たない中で、再稼働と原発推進の旗を振る。こんな政治家たちを国会に送り込んだ国民が不可解でならない。「自民党には入れていない、地元の○○候補に入れたのだ」とでも言うのだろうか。何度騙されても支持し、「こんなはずではなかった」と評論家のようにぼやく。著者の論説が地方紙・佐賀新聞に掲載された。政権交代後一か月が過ぎた1月15日の記事だ。

巨大原発事故を引き起こす背景を半世紀にわたってつくってきた自民党が、自らの責任を表明することもなく、政権に返り咲いた。世界三大漁場に面する格好で原子力施設を乱立させてきた自らの責任をどう総括するのか示してほしい。そして原発事故が引き起こした海の汚染実態を真剣に受けとめ、原発に依存しない社会を築く構想を練るべきだ。夢にも再稼働などという選択肢を考えてはならない。

 

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一著

「自然死」のすすめ、という副題が付され、著者は自然死の啓蒙のために講演や活動を続ける医者である。まず15項目のテストを受けて見よう。

1.ちょっと具合が悪くなると、すぐに医者にかかる
2.薬を飲まないことには病気はよくならない
3.病名がつかないと不安
4.医者にかかった以上、薬を貰わないと気がすまない
5.医者は病気のことなら何でもわかる
6.病気は注射を打ったほうが早くよくなる
7.よく検査するのは熱心ないい医者だ
8.医者にあれこれ質問するのは失礼だ
9.医者はプロだから、自分に一番いい治療法を教えてくれる
10.大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる
11.入院するなら大病院、大学病院のほうが安心できる
12.外科の教授は手術がうまい
13.マスコミに登場する医者は名医だ
14.医学博士は腕がいい
15.リハビリはすればするほど効果が出る

採点は○印ゼロで満点となるが、この15項目は分かってはいるが医療に頼らざるを得ない患者の弱さを物語るものだ。著者の治療に対する考え方は自然治癒力を助長し、強化することにある。自然治癒の過程を妨げず、妨げているものがあれば除き、自然治癒力が衰えたときには賦活し、逆にアレルギー反応など自然治癒力が過剰なときは適度に抑える。治療は原因療法・補充療法・対症療法の3つがあり、判断を誤ると治癒力を削ぎ返って苦痛をもたらす。Evidenceに基ずく治療とされるものでも自然治癒力を生かす観点で見直すと問題も見えてくる。現代の医療で圧倒的多数を占めるのが対症療法だ。苦痛を除くことは大切だが、苦痛は元の状態に戻そうとする身体の反応なので、利益と不利益を秤にかけ最適なところを見出さねばならない。たとえば鼻汁や咳、下痢などは異物や毒物を排除する反応なので、みだりに止めてはならない。結石の除去、心臓のバイパス手術など一見原因療法のように見えるが原因は変わらないので対症療法の亜種といえよう。

病気が治る、延命するなどは「生を受け、死ぬ」という枠内での出来事であり、私達はいつ執行されるか知らない死刑囚である。この冷徹で当たり前の現実を受け入れる事から大往生いわく自然死への模索が始まる。自然死の実態は飢餓・脱水・酸欠・炭酸ガス貯留だという。一般に死に際の苦痛を恐れ安楽死やポックリ死を望むが、飢餓と酸欠は脳内にモルヒネ様物質が分泌され、脱水は意識レベルが下がり、炭酸ガスの貯留は麻酔作用がある。死は考えるよりか心身の苦痛が少なく、むしろ夢うつつで穏かなものだ。皆保険制度が導入されて50年、少々の不調でさえ病院にかかり、死に場も病室を望むようになった。病院は出来るだけ延命を図るのが仕事ではあるが、死を止めることはできない。しかし、治すためのパターン化した医療措置を行い、食べられなくなればチューブや点滴で栄養を補給し、貧血があれば輸血し、血圧が下がれば昇圧剤を、呼吸が困難になれば呼吸器を取り付ける。これらの措置が夢うつつで穏やかな死を遠ざける。

医学の発達と啓蒙により、死なない技術への信仰が醸成され、家族も、ことによると本人も、手を尽くして一分でも長く生きたいと望む。著者は「死」を考えることは生き方のチェックだという。命の有限性を自覚することで「今」の生き方や生活を点検し軌道修正する。さらに具体的行動として遺影を撮り、遺言をしたため、死装束、骨壺、棺桶を準備する。試しに棺桶に入ってみると、寝返りもうてない空間で現世の執着心が薄れると言う。墓地、戒名、散骨、生前葬、、と続くがどこまで念を入れるかは各々の事情による。死を考えられるなら老いなど容易なもの、いわゆる「年のせい」という諦観は様々な場面で安心をもたらす。日常の些細な体調変化に脅えることもなく、事細かな養生や食事指導を熱心にメモする必要もない。自然死の最高・最適のものが「がん死」で、そのために「がん検診」や「人間ドック」は受けない。がんはじわじわ弱り、死にゆく過程が見え比較的最後まで意識晴明である。

がん死は、死刑囚である私たちに、近未来の確実な執行日を約束してくれます。そのため、きちんと身辺整理ができ、お世話になった人たちにちゃんとお礼やお別れがいえる、得がたい死に方だと思います。

一般に、がんは痛みが伴うことで忌避されるが、すべてのがんが強烈に痛むわけではない。医療の「魔の手」から逃れると穏かな死を迎えられる。がんで痛みがでるのは、切ったり放射線を浴びせたり、猛毒の抗がん剤で痛めつけるせいではないか。がんの予防12カ条というのがあるが、100%予防のできるものではなく、最大の危険因子は老化に他ならない。とくに超高齢のがんは「天寿がん」ともいわれ、天寿を全うするように穏かな死へ導いていく。このことは若年がんにも通じるもがあり、以下6項目の「天寿がん思想」は示唆深い。

1.人は皆、生まれた時に天寿を授かっている
2.病気や事故に遭わず、安らかに天寿を全うすることは、
 祝福されるべきである
3.超高齢のがんは、長生きの税金のようなもの
 (遺伝子変化が蓄積し、加齢とともに、がんの発生率は高まる)
4.超高齢のがん死は、人の自然死の一型とも考えられる
5.天寿がんなら、がんも悪くない
6.天寿がんとわかれば、攻撃的治療も無意味な延命治療も行わない

著者は老人ホームで幾人ものがん死を看取り、「死ぬのは、”完全放置”のがんに限る」と確信するが、苦痛や障害を取り除く必要があれば太古自然たる放置ではすまない。がん放置療法については近藤先生の著書をいくつかとりあげたが、中村-近藤共著もあり、論点は共通する。健康人の身体でも毎日約5000個の細胞がガン化し、それを免疫細胞が退治する。早期発見されたがために過剰かつ不要な治療が待ち受け、返って命を削ることになりかねない。検診も治療も不要、「がんで死ぬのではなく、がん治療で死ぬのだ」と著者はいう。

長くなった人生を「往き」と「還り」に分けて考えると、往きは右肩上がりで還りは下る事になる。下り坂を登り坂のように歩くことはできないし、気持ちが早やっても身体がついていかない。往きと還りの生き方は自ずと使い分けなくてはならない。生き物は繁殖を終えれば死ぬのが自然の掟である。幸い人は繁殖期を終え賞味期限が切れてもなお生き長らえる。

「還り」の人生においては、いやでも「老」「病」「死」と向き合わねばなりません。基本的には、「老い」には寄り添ってこだわらず、「病」には連れ添ってとらわれず、「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定的利用を心がけることが大切です。

賞味期限が切れたたらお終いかのような話だが、重要な役割が待っていた。「老いる姿」「死にゆく姿」をあるがまま後続者に「見せる」「残す」「伝える」ことだ。医療と関わりあわぬほうが賢明かも知れないが、すべて無駄なわけではない。医者にとって年寄りは大事な「飯の種」で、病院の経営安定や医者の生活保障の役には立っている。「心の広いかた」は続けて欲しい。著者は意を汲む仲間とともに合同生前葬などを行い、最後のときのために事前指示書を準備し、死後の扱いにも言及する。そこまでやる必要があるのかどうか私に真似はできないが、支持者が一定数居るのは間違いない。

 

 

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