【読書録(食養)】-2002〜3-


なぜ「ただの水」が売れるのか
健康と食べ物あっと驚く常識のウソ
食べ物から広がる耐性菌
「アメリカの小麦戦略」と日本人の食生活
牛乳には危険がいっぱい?
健康の語られ方  
食べるな、危険!
肉がよくないなんて、誰が言った

 


なぜ「ただの水」が売れるのか-嗜好品の文化論- 高田公理

例えば小説本のタイトルを見ても、ほとんど内容の見当はつかない。象徴な意味であったことが読後になんとなく解ってくる。しかし、学術系の本はタイトルで本の内容が類推される。この本はきっと水をめぐる様々な問題を解き明かしてくれるものと思い、ネット書店で購入したが裏切られてしまった。水の話を象徴的に捉えた嗜好品文化の問題提起本であった。しかし、食や健康に関しては文化的側面を無視しては語れないと思っていたので、内容として面白味のあるものになった。

現代の日本人はミネラルウォーターに水道水の2000倍近くの金額を支払っているという。1984年の消費量・9万KL弱だったものが2001年・100万KLと20年足らずの間に1万倍に膨れあがった。多種多様なものが流通するようになると、お互い足を引っ張り合い優位を主張し、差別化が図られる。消費者の意識にも水に対する拘りが芽生え始める。水道水は危険、ミネラルウォーターでは不充分、山奥の汚染のない無垢の水こそ命をはぐぐむものである。主成分の99.9%は水であるはずなのに残りの微量に違いと優位を見出そうとする。さらにそれを手に入れるため労力や費用をつぎ込む。微量の成分に相違があったとしても、まったく違うものではない。しかし「まったく違う!」というフレーズが飛び交う。この言葉の多用はいかにも軽薄に響く。

著者は水を食ではなく嗜好品の視点から読み解いていく。食の分野での嗜好品は、お茶、コーヒー、清涼飲料水、酒などがある。食品成分表ではこれらにも栄養分析が為されているが栄養素としては認め難い。しかし、ひとたび嗜好品の視点で食物を考え、更に、、、銘柄や有機栽培品、異品種などにまで拘ると、米でさえ立派な嗜好品の仲間になるであろう。食品以外に分野を広げると、まず煙草があげられる。ニコチン、カフェイン、アルコールは3大嗜好品の成分として知られている。この3つは間違いなく嗜好品と認定できるものだ。アンケートをとると嗜好品の範囲はさらに広がる。コーヒー、ビール、煙草、日本酒、ワインなどが上位を占め、テレビ、ビデオなどの映像。牛乳などの乳製品、携帯電話、漬物・珍味、書籍、音楽、などが上位にあげられる。嗜好品=楽しみ、という定義が暗黙の理解となっているように思う。

  1. 生命維持に必要な栄養となることを期待しない。つまり食物ではない。
  2. 病気に効果のある薬としての機能も期待しない。
  3. しかし、それがないと寂しい。
  4. 体内に摂取すると、心と体に何がしかの、好ましい影響がある。
  5. 植物素材が用いられる場合が多い。

この5項目が定義というわけではないが、このルールで類推すると、今まで考えもしなかったものが、実は嗜好品の条件を備え、嗜好品として振舞っていたことに驚かされる。尤も拡大解釈が過ぎるとすべてが嗜好品に見えてしまう。栄養素ではないが水は生命を維持するため不可欠なものである。井戸水や湧き水、川の水、雨水を飲んだ昔の人が嗜好品と考えたであろうか?蛇口を捻れば湧き出す水に差異を見出し商品とした発想は慧眼か偶然か...兎に角、大ヒットとなった。ここに嗜好品の条件が象徴的に顕現する。そして、水を象徴的な例えとして嗜好品を論ずることで文化の中の食や嗜好品の実態や本質を覗う事が出来るかもしれない。

やや唐突だが、「遊びは虚実の皮膜に成立する」という言葉がある。歌舞伎という芸能を完成させた近松門左衛門が残した言葉である。嗜好品もまた、人間の生活における「遊び」である。好きと嫌い、身体の健康と精神の解放、楽しみと依存性.. これらの微妙なせめぎ合いのうちに、その存在理由がある。

精神の解放や依存性つまり薬物の性質に近いものが要素として考えられる。つまり一種のトランキライザーなのだ。食関連の人々は、嗜好品を敬遠しカフェイン、アルコール、煙草を禁じ、さらに牛乳や清涼飲料の摂取に警鐘を促す。禁止を一づつあげていけば、「生きていること」が一番健康に悪いのではないか?ということになる。禁止項目の多い中で水は逆に奨励されることがしばしばある。1日2L、さらに飲める限りの摂取を推奨する場合もある。このような禁止の中から選ばれる「何か」は禁断あるがゆえにより甘美な果実ともなる。

嗜好品の考察はマーケティングにつながる。それによって2匹目のどじょうを捕らえようとする人々がひしめき合う。昔は狭い地域での噂や伝説が情報収集の要であった。良しも悪しも広範な伝達には時間がかかり、その間取捨選択の余地があった。それに比べ現代のメディアの影響は燎原の火のごとく、早く、激しく、広く舐め尽くす。水や食をはじめ市場に流通するありとあらゆるものが嗜好品化しているといえなくもない。巨大なうねりのなかで、情報遮断ということが可能であろうか

 

健康と食べ物あっと驚く常識のウソ U・ポルマー/S・ヴァルムート

「あっと驚く」「目から鱗」という本には何かしら惹かれるものがある。読まなかった人よりかはいくらか利口になれるかも知れないという優越感が芽生えてくる。しかし、知るだけで行動は相変わらず習慣に流され、またそのほうが理に叶っていたりすると一体知識とは何だろうか?と疑ってしまう。多くのコメントは控えて本の内容のいくつかを紹介してみたい。
 

やせたほうが長生きする?

ダイエットによる副作用で有名なのがリバウンドである。この現象は最終的にかなり重い体重で落ち着く。少ないカロリーから効率よく吸収するという体の反応機構が出来あがり、普通に戻したとき今まで以上に栄養を蓄えることになる。ダイエットの敵はダイエット。それによって心拍リズムの異常、心筋梗塞、胆石、骨粗鬆症、骨折、尿酸値の上昇、肝機能障害、水・電解質の代謝異常、全身および心臓の筋肉減少、糖尿病、発作的な食欲異常、食行動異常がおこり、ダイエット時の体重を維持してもしなくても発病の確率は上がる。肥満はある種の疾患の危険因子かも知れないが、はっきりと除去すべき原因と断定できない。

ある調査で、減量した人や急激に太った人は死亡率が上昇するが、大人になって徐々にゆっくり太った人は寿命が延びるという報告がある。

「標準体重」で得をしているのは、怪しげなダイエットを勧めている人たち、「これこれのことをすればやせられる」と言ってお金を儲けている人たち--具体的には、ダイエット商品と「ライトな」食品のメーカー、ヤセ薬や下剤を作っている製薬会社、女性誌、男性向け健康雑誌、痩身法や「やせる料理の本」を出している出版社、フィットネスクラブ、民間の食事指導・減量研究所...つまりダイエット、食事療法に関わる業界全体である。

病気の6割は食べ物と関係がある?

心臓病、循環器疾患は食べ物の影響が大きいと言うが、調査対象を高齢者まで広げた結果の話である。「この病気は実は老化現象です」とは正面きっては言い難いが嘘ではない。生きて行くため食べないことは食べること以上に毒である。人は体や心を消耗しながら命をまっとうする。栄養学者がその病気が食物に関係ありとみなせば、そのような統計が導かれ、それで生計を立てている専門家に支持される。同様に心理学者の会議になると「あらゆる病気のうち多くは心理面と関係がある」という点で意見の一致がみられる。微生物学者たちの会議では「インフルエンザとエイズだけでなく、糖尿病や動脈硬化、心筋梗塞も感染が原因だ」という意見を耳にする。また環境医学の専門家たちは「病気の数が増加しているのは環境と関係がある。すべての人がとくにかかりやすい病気は文明病、すなわち贅沢病である」と確信を持って宣告する。

楽しい筈の食事のなかで、とりわけ体に悪いと栄養学者の指摘するものが実は美味しいのだ。この楽しみを罪のように認識して恐れるほど危険性が迫っている訳ではない。

牛乳は骨粗鬆症を予防する?

もし牛乳が骨粗鬆症を予防するという説が正しいなら、骨量の減少は牛乳を飲む量の少ない地域でとくに顕著なはずだが、実際にはそうなっていない。どんなにカルシウムを摂取したところで、もしそれを輸送する手段がなかったり、骨を作る前に横取りされたり、骨の分解がうまく調節されずカルシウムが何処かへ行ってしまう事がある。骨は生成と分解をくり返し、ホルモンなどの多くの要因が関与する。単にカルシウムを摂取するだけでは解決にならない。牛乳を飲まないことが骨粗鬆症の原因ではない。最も重大な原因はダイエットである。また、「乳糖不耐症」の人が牛乳を飲めば、腸内でのカルシウム摂取が妨害され骨萎縮をひきおこす。

※乳糖不耐症:牛乳の乳糖を分解する酵素を持っていないため消化不良で下痢を起す。
 日本人は殆どがこの酵素を持っていない。

多くの病気は、重要な栄養素の摂取量が少ないのが原因?

まるで取り憑かれたように「何かいいもの」を求める。秦の始皇帝のように不老不死を追い続ける皇帝が現代にも居はしないだろうか?サプリメントメーカーは「欠乏の徴候」という説にのっとり、それならばと複数の高価なサプリメントを売りつける。体は、不足があればホメオスタシス(恒常性)といって被害を防ぎ、治癒する方向へ向かう。もし欠乏があってもやがて元へともどす動きが起こるのである。それを欠乏とか免疫力低下として外からサプリメントを補えば折角の生体機能を打ち消してしまう。

情報過多で大勢の人が漠然と「自分は何かが欠乏している」という不安を抱いている。その不足物質を販売すれば莫大な利益が生じる。そのような行動に導く情報や噂話に安易に惑わされていないのか?ひとつの方法として「みんなが言っている意見」にとびつかず、誰が儲かるのか考えてみることも大事である。

「健康食」を摂取していたほうが健康になる?

穀物製品、フルーツ、野菜、牛乳、肉(魚、鶏、卵を含む)、脂肪、コレステロール等々について記された摂取量を所謂健康指標(ヘルシー・イーティング・インデックス)に基づいてポイント制で評価した調査がある。よい飲食物には高い点数、悪い飲食物には低い点数とした。結果は女性において「健康食の量」と「重い病気にかかる危険率」との間に相互の関連はまったく認められなかった。男性の場合は「かすかに」関連が認められる程度であった。「最上の健康食」ですら、病気にかかる危険率を変えることはない。玄米や野菜を健康食と信じ実践している菜食主義者のほうが早死にしている。菜食主義は食行動異常の亜種かも知れない。健康意識もあまりに強いと、有益ではなく有害になる。

食の指導や健康食、オーガニックの生産に関わる人々にとっては心外な調査結果であるに違いない。その存在基盤すら揺らぎかねない。だからといってジャンクフードで済ませる人は居るまい。食にはもっと奥深い意義があるのだ。栄養学的視点のみからの考察を続ける限り「良い」「悪い」に振り回されてしまう。

自然食品こそ現代人にとって理想の食品?

いつの時代にも新しいものは好まれる。科学技術が発達し食品まで工業化されてくると古い時代のものが新しい輝きを放ってくる。昔のように、自然に近いものを、加工を施さないで、、、という回帰のひとつが自然食やスローフード運動である。自然食を問題なく食べられ不調が起こらなかった人は良い。しかし始めた当初は一時的に体調の改善が見られてもやがて悪くなったり、最初から不調を訴える人が居る。ひどい消化不良で腸内ガスがたまり、悪臭の軟便に悩む。これは食物繊維が発酵して有毒のアルコールとアミンを発生するためである。この物質が腸の粘膜と免疫系の一部を傷つけ長期的には有害な場合さえある。何年後か、または10数年後かに体調が崩れ、動脈、関節系統に驚くほど早く老化が始まる事がある。

この不調を自然食の療法家や商人は好転反応とか排毒中などと弄し、さらに厳しい食事法による拷問を科す。

牛乳は万人にとって健康的な栄養飲料だ?

すべての哺乳動物は離乳するまでラクターゼを体内で作る。そのため牛乳中の乳糖を消化できるが、成長すると乳糖が消化できず下痢、腹痛、軟便、腸内ガスで悩まされるようになる。一部の民族にラクターゼは残存するが殆どはなくなってしまう。こうなると栄養どころか被害さえもたらす事になる。牛乳以外にも乳糖を用いたインスタントスープ、菓子、パンそして医薬品なども注意を要する。漢方ではエキス顆粒剤や錠剤に乳糖が使われたものがあり下痢や腹痛を治すため、さらに漢方薬を処方される場合もある。

緑茶はガンを予防する?

緑茶を飲む地域の人にガンが少ない/一日10杯の緑茶でガンの予防/お茶は養生の仙薬/....このような触れ込みでお茶の消費キャンペーンが繰り広げられる。ところが参加者3万人以上の規模の前向き研究で、何杯飲んでも胃ガンの危険性はまったく下がらず、男性に関しては緑茶消費量が増えれば反って胃ガンになる危険性が上昇していた。カテキン、ポリフェノール、抗菌、抗酸化、、、と喧伝し、O-157にも風邪にもインフルエンザにもと大風呂敷を広げていく。緑茶はもとよりサプリメントや飴、飲料水まで準備する。その上、普通の緑茶はダメで、有機栽培でないと、、、と来る。おそらく、ガンにかかったら緑茶だけ飲んで治すに違いない。

「ビタミン摂取の所要量」は必要最小量?

WHOの定義によると、栄養所要量というのは「病的徴候および化学的ないし生理学的機能の値によって実証できる欠乏症を避けるために摂取しなければならない最小の栄養量」とある。各国のビタミンDの所要量を比べてみると成人(1日当たり)で、日本、カナダ2.5μg、ドイツ5μg、フランス10μgでその他のビタミンに於いてもまちまちである。人体で欠乏の実験は人道上許されず、普通生化学的調査を行う。ビタミンの排出を調べ、排出するからにはビタミンが満タンであると推測する。それが数字で表現されることになる。自動車に例えれば、燃料不足にならないように念のため50リットルのガソリンを余計に入れておくようなものだ。

ビタミンや微量元素などのサプリメントの販売に際して根拠とされる必要量は、このような曖昧な、乱暴に言えば「いい加減な..」推測によるものである。欠乏しても生きていけるし、サプリメントを飲まないのに健康な人が断然多いのだ。飲まないからこそ健康なのかも知れない。

 

食べ物から広がる耐性菌 日本子孫基金 編 

食に対する不安や危機感には幾種かのパターンがある。なかでも生産や加工段階で用いられる農薬や薬品の問題は見逃すことができない。抗生物質の濫用で発生するMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)VRSA(バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌)など知られている。ヒトのように個体寿命の長い動物では何世代にも及ぶ遺伝形質の変化は緩やかであるが、寿命の短い細菌にとっては瞬く間に新たな遺伝形質を獲得する。ある抗生物質で生き残った細菌がさらに強力な耐性を獲得するのにそれほど時間はかからない。適確な抗生物質を短期に用いないと細菌の横暴を許すことなる。このように書くと医療機関での話のように聞こえるが、実際は医療用以外での使用量が多く、そこでこそ濫用が為されている疑いが濃いのである。

抗生物質の用途別使用量及び百分率(純末換算/年間)

  重量(t)
医療用医薬品(ヒト) 517 30.5
家畜動物用医薬品 727 42.9
家畜飼料添加物 175 10.3
養殖魚水産用医薬品 182 10.8
ペット動物用医薬品 0.06
作物農薬 91 5.4
 
医療用は3割程度である。「医療機関には近づかないので大丈夫」と安心していると大変である。その倍の量を農水産物から見えない形で摂取している恐れがあるのだ。一体何の目的で使用するのだろうか?コスト重視による劣悪な飼育環境で発生する病気の予防と、他の菌を抑制し成育の促進を図るのが理由だとされている。これには根拠がなく単に製薬業界の都合によるものとする意見もある。使っているのは医学の素人なのだ。ここで生じた耐性菌がやがて食物を通じて医療現場での危機を招くことになる。医療目的の使用でさえ慎重性を欠く事を指摘されているが、食物生産のための使用は野放図といえるのかも知れない。家畜の場合は一定程度獣医師の管理下におかれるが、水産用は規制もなく買おうとおもえば、1トンでも入手できるという。「健康の為、肉より魚を食べる」というスタイルを無防備に奨励されてよいものであろうか?食べる魚によっては危険とさえいわなければならないものがあるのだ。古くから蛋白源として水産資源を活用し続けた日本では魚に寛容すぎる面がありはしないか。養殖魚をあげると...ブリ、タイ、ウナギ、車海老、ヒラメ、フグ、カンパチ、シマアジ、ギンザケ、マグロ、イシダイ、クロダイ、スズキ、サバ、カワハギ、メバル、カサゴ、、、淡水魚ではコイ、フナ、アユ、ヒメマス、ニジマス、ヤマメ、イワナ、ドジョウ、、、かなりの種類になるが、逆に養殖されていない魚にサンマ、イワシ、カツオなどがある。

本を編集した子孫基金は身の回りの安全に関する発信を続けている団体で、その情報には大いに啓発されるものがある。ところが、抗生物質を使わない畜産業者の紹介や安全な食材の入手できるお店情報などに話が及ぶとたちまち幻滅させられる。また「発酵食品で耐性菌から身を守る」の章に納豆、味噌、醤油、酢、日本酒、ビール、ワイン、ヨーグルト、チーズが書かれている。このような食品が本当に耐性菌に対抗できるのだろうか?

自然派にありがちな恐怖・対策・購入の三段論法にはうんざりである。本を読み、食費に融通の利く賢い王国の人々のみのエゴイズムではないか。中には安全や健康という事のために無理な出費を強いられる人がいるかも知れない。ヘルシービーフ、ヘルシー魚肉などというフレーズに反応するからこそ言葉だけが独り歩きしてしまう。それに金を払いさえすれば健康も永遠の命も手に入る錯覚を起こさせる。少し賢く暮らし、お金を払えば良いという「人任せ」こそ耐性菌に劣らない危険性をはらんでいるのである。

糞尿にまみれて汗を流す生産者に一度でも思いを巡らすことができるだろうか?もっと安く、もっと安全にと追求する顧客の要求に、悲鳴をあげる家畜や生産者のいることを。香水を漂わせ洒落たレストランで食べるステーキのため使わざる得ない抗生物質に、NO!といえるだろうか?

危険ならば安全な食材をという考えを、考え直そうと言っているのである。オーガニックと騒ぎすぎるとオーガニック生産者を食いものにする認証団体や企業が跋扈を始める。やがて流通機構に組み込まれ当然のごとく価格競争にさらされる。抗生物質が危険なら食べるのを減らせばよいのだ。もともと完璧な安全などありえない。どこまでリスクを軽減するかの折り合いは、個の人生観に通じるものである。肉や魚を食べ過ぎていないか?主食である米や麦をないがしろにしていないか?肉や魚を現在のまま消費を続ける限り抗生物質を使わずにすべての必要量を賄うことは不可能である。地産地消といいながらオーガニックの食材は高速道路を通って遠方から運ばれてくる。米の値上げは家計に響く、という人と、高くても安全を、という自然派の人と、金銭を巡る淘汰がおこる。これを促し商売に結びつける流れをオーガニックやスローの言葉が加速させていないのか疑問をもっている。とは言っても、これは貧乏薬局の僻みに過ぎない。

 

「アメリカの小麦戦略」と日本人の食生活 鈴木猛夫 

60〜70歳台の人でも「朝はパンと牛乳」と言う食事が結構見受けられる。この年代の人が?と思って訪ねると牛乳は体に良いからとか、牛乳とご飯は合わないとか、パンは手軽だから...などという答えが返ってくる。ご飯・味噌汁という日本の朝食風景はいつの間に変わってしまったのだろう。そして若い世代においては何のためらいもなく「パンと牛乳」を受け入れている。パンと牛乳の歴史は戦後にさかのぼる。終戦直後の食料難を乗り切ると厚生省は日本の伝統食より欧米の食生活が望ましいとして「栄養改善運動」に取り組んだ。欧米流の栄養学と豊富な資金で栄養改善が叫ばれ、これによって日本の食と農業は変えられたのである。この時代を生きた人なら「米を食べるとバカになる」という言葉は記憶に留まっていると思う。この言葉の裏に一体何があったのか?

1953〜54当時世界的に小麦は大豊作であった。価格は暴落し余剰農産物の倉庫代だけで1日2億円の経費がかかった。現在の日本の米消費量は1千万トンだが、その当時の小麦の在庫は3千万トンに上ったという。一刻も早くさばかなければならない状況にあった。

そこで戦後の復興資金として小麦を援助し、その70〜75%の販売代価を日本政府に還元するという方法がとられる事になる。紆余曲折をへて何回も協議のすえ、日本政府との合意文書が交わされた。こうして余剰農産物は日本人の胃袋に入ってきたのである。日本政府は復興資金を手にする為、あらゆる方法で小麦のプロパガンダを開始する。以下はその事業計画の第一期予算案である。(1955年)

 

粉食奨励のための全国向けキャンペーン
費用
1億3千万円
キッチンカー(料理講習車)製作、食材費 6000万円
学校給食の普及拡大経費 5000万円
製パン技術者講習費用 4000万円
小麦粉製品のPR映画の製作、配給経費 3300万円
生活改良普及員が行なう小麦粉料理講
習会の補助
2200万円
全国の保健所にPR用展示物を設置する
費用
2100万円
小麦粉食品の改良と新製品の開発費用 2100万円
キッチンカーの運行に必要なパンフレット
等の作成費
1500万円
10 日本人の専任職員の雇用 1200万円
11 食生活展示会の開催費用 800万円

 

これをもとに1956年から5年間で全国2万会場、200万人を動員した栄養改善運動が始まる。その大きなものがキッチンカーの運行である。各地の農村などを回り、スピカーで料理講習会の開催を告げると続々と人々が集まり、料理の実演を見る。その料理は講習後に試食するという段取りだ。このキッチンカーの資金の出所は現場の栄養士や保健婦には知らされず、彼らはただ厚生省の栄養改善事業と信じて奔走したのである。キッチンカーで使用された食材を挙げると、小麦粉、脱脂粉乳、油、肉類の缶詰、ソーセージ、鯨肉、卵、乳製品など、、調味料はソース、マヨネーズ、ケチャップ、ホワイトソース、ドレッシング、油脂類、香辛料、化学調味料など。実演された料理は洋食・中華の献立がおおく、その中には必ず小麦と大豆を使うことがアメリカ側のだした条件であった。

先に述べた「米を食べるとバカになる」という有名な妄言も、これに伴って出てきたのである。これによって日本食はおろか日本の農業までもがいわれなき攻撃にさらされる事になった。以下は妄言集の一部抜粋である。

  • よほど変わった子供でない限りは、パン食のほうが好きだという。叱りつけられて白米を食っている現状をみると、好きなパンで育ててやり、立派な子供にしてやりたいと誰しも願うに違いない。(慶応大学医学部教授 林 髞氏)                   
  • 米食をすると頭脳が悪くなる。日本人を西洋人に比べると二割方アタマが悪い。ノーベル賞の受賞者が日本人に少ないのもそのためだ。(同上)                   
  • 日本は水田を全廃して総パン食をめざせ。 (同上)
  • 米を食う人々の性格と麦を食う人々の性格は自ら異なるところがあって、前者の、在るから食うといった考え方に対し、後者は食うから在るのだといった考えをもっている。これは共にその食べ物から来る考え方であって、前者が諦観的、消極的なのに反し、後者の方が進歩的、積極的ではなかろうか?(元厚生省栄養課長 大磯敏雄氏)
  • 米を食う習慣は貧乏と一つの環をなして回転しているように思われる。東南アジアにすむ10億の米を作り、米を食う民族は等しくこの運命にさらされていると思う。(同上)
  • これらの民族が、今後地球上で西欧の民族と肩を並べて繁栄していくためには、どうしても、この米とのきずなをどこかで断ち切らなければならない。(同上)
  • としをとると米食に傾くものだが、親たちが自分の好みのまま次代の子供たちにまで米食のおつき合いをさせるのは良くない。ミネラルも一般に不足しがちだが、ちかごろ駅などで牛乳をガブガブのむ人が多くなったのは、体質改善にはよき風景である。(1958.3.11朝日新聞 天声人語)

このような発言を、今でも本当の事だと思っている人が居るのかも知れない。先月のコラムに書いたように教育(学校給食)や医療の現場での食の指導を見る限り、そう思わざるを得ない。そして、いまだ忠実に実践している人々も居るであろう。ひとたび動き出した流れに沿い、それを生業とする人々が生まれ利害や既得権に群がる人々も出てくる。流れは問題を残し抱えたまま突き進んで行き、断ち切る勇者は現れない。

小麦戦略は食の分野での事、ほかにもオレンジ、牛肉、米、遺伝子組換作物、、などいくつか思い起こされる。ビジネスや政治などの交渉でもこのように、ホゾを噛む思いをさせられては居ないのか?妄言各氏に言わせれば、きっと米を食っているせいで積極性に欠け諦観的なのだろう。

栄養学を離れ経済や政治の視点から「食」を見てみると、食をはじめ物事の持つ多様性に気付かされる。一つ二つ程度の視点からの議論では本質に迫ることは出来ないとは良く言われる。しかし多様な視点で物を見ると本質が多すぎて身動きが取れなくなる本質は理屈や良識とは異なる力学で動き続けるのであろう。

本の前半は小麦戦略がかくの如く展開され、その結果、日本の伝統食が崩壊していったと言う考察であった。後半は復活の為の提言が書かれている。本の主張そのものがいま静かに叫ばれているスローフード運動のテキストのように感じられた。スローフードや玄米菜食派に共通する論理パターンがある。「食の欧米化で如何にして日本の伝統食や健康が損なわれたか...」そして「これから失った日本の伝統食を復権させよう...」このような掛け声である。私は、これにもかすかな疑いを持っている。欧米流の栄養学を批判しながら、欧米流の栄養学で見た伝統食の優位を主張する。伝統食の復権は結構だが、これは一部の知識人や富裕層の「知と食のグルメ」ではないのか?スローフードの語られ方があまりにも画一化され、それを享受できる人が高給取りであったり、充分な年金を得た人々だとすれば、本当の伝統食の復権とはならない。オーガニックと付するだけで幾らか高値のつく作物を巡って巨大資本が動き出す。小麦戦略ならぬスローフード戦略がすでに展開されているのだ。歴史が物語るように庶民はずっと後になってこのことを知らされる。

* * * * *

玄米食で参考になる事が書かれていた。昔の人の食生活は玄米食であったと言われるが、ちょっと違うのである。米は刈り取り後、脱穀、籾摺り、精米の作業を経て食として供される。今のように性能の良い機械のなかった時代は、脱穀に千歯こき、籾摺りに搗き臼や木製の籾すり臼を用いた。叩いたり、摺ったりして籾殻を剥がしたため、現在見るような胚芽のついた奇麗な玄米ではなかった。砕けたものや胚芽の残る米が混在する分搗き米(2〜3分)に近いものであったと言う。これに麦、アワ、ヒエなどの雑穀を加えたり芋などを主食にしていた。貴重な米を白米になるまで削ることはなかった筈である。籾摺りで出た糠までも漬物などの発酵食品に利用したのだ。

玄米食=伝統食という図式はいくらかズレてくる。さらに玄米食=健康食という図式も怪しい。伝統食=健康食も同じである。食文化、農業再生...などと共にスローフード用語集に出てくるすべてを「善」としてよいのだろうか。

 

牛乳には危険がいっぱい? フランク・オスキー   

牛乳に関する本は興味を持ちいくつか読んだが、この本に関しては「いまさら」と言う程度の内容であった。何回も、何人もの人が言い続けてきたことの総集編パンフレットとでも表現するべきか。文字が大きく、行間の広い書物は、何か胡散臭くもある。しかし著者の経歴は立派な小児科医で、文献の一覧をみても根拠のなさそうな話ではない。乳業界が利益の為、相当悪意を抱いているかのような表現が目立って感じられたが....果たして皆様の感想は?だからこの本はダメと言うのではない。また、それ故に乳業々界の主張の正当性を認める訳でもない。今回はコメントを極力排し淡々と「著者」対「業界」の話に耳を傾けたい。章ごとにポイントが列挙されてあり、そのいくらかを簡潔に引用し、それに対する牛乳普及協会のWebPageのQ&Aからその事項に相当する回答を引用する。

【著者】子牛の食料を自然の摂理に反して人間の食料に転用すると、人体に様々な問題を引き起こす。

【業界】異種たんぱく質を消化して、自分の体に必要なたんぱく質を作ることが、栄養 代謝であり、まさに生命現象である。牛乳は、紀元前数千年の昔から貴重な食糧として利用され、今日では世界中で最も多く消費される農畜産物の一つとなっているのです。

* * * * * * * * * *

【著者】世界中の4歳以上の人々の大多数はラクターゼが欠損しており、牛乳を飲むと胃腸の不快感を訴える乳糖不耐症である。

【業界】下痢をすることにより、牛乳中の栄養分が吸収されないのではないか、と心配する人もいますが、カルシウムなどの栄養素は、その前に小腸できちんと吸収されています。おなかがゴロゴロする人は、次のような方法を試してみてください。

      ・温めた牛乳を少しずつゆっくり飲む
      ・乳糖を分解してある乳飲料などを選ぶ
      ・ヨーグルトやチーズを食べる

* * * * * * * * * *

【著者】牛乳に含まれている蛋白質は、アレルギー反応を引き起こしやすい。

【業界】乳幼児では、消化能力と免疫機能の未発達が原因で牛乳たんぱく質により一過性のアレルギーを生じることがあるため、1歳未満の乳幼児には牛乳を与えない方が良いです。しかしながら、成長と共に消化能力や免疫機能が発達していき、牛乳アレルギーは学童期には少なく、成人では稀になります。また、厚生労働省の研究班が最近まとめた内容によると、子どもの食物アレルギーの血液検査や皮膚テストで陽性になっても、本当に食物制限が必要となる場合は半分以下に過ぎないとしています。牛乳アレルギーのひとには牛乳摂取は勧められません。

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【著者】牛乳に含まれている脂肪はアテローム硬化の原因となり、やがて脳卒中や心筋梗塞といった生活習慣病を引き起こすおそれがある。脂肪の摂取は、ガン(特に結腸癌・大腸癌、乳癌、前立腺癌)の発生と因果関係がある。

【業界】牛乳栄養学術研究会が循環器系の専門医や脂質代謝を専門にしている医師などを組織して実施してきた研究によれば、1日600ml以下の牛乳を毎日摂取した場合、最初の2〜3週間は血清コレステロール値が若干上昇するものの、その後は減少傾向を示し、やがては殆どスタートの値に戻ることが確認されています。同様の研究は高脂血症の患者に対してもなされましたが、健常者と同様の結果が得られています。 なおコレステロールはヒトの身体に欠かせない大切な生体構成成分であることも指摘しておきたいと思います。

  1. 細胞膜の構成材料となる。
  2. 脳神経の神経繊維を包む鞘の成分となる。
  3. 性ホルモンや副腎皮質ホルモンの材料になる。
  4. 脂肪の消化に必要な胆汁酸の材料になる。
  5. カルシウムの吸収を良くするビタミンDの材料になる。

過ぎたるは及ばざるが如しと言われるように、毎日、牛乳だけを多く飲み、偏った食生活をすれば当然、何らかの症状は出るでしょう。これは牛乳に限らず全ての食品に言えることで、どれほど優れた食品であっても、単一で必要な栄養素を全て摂ることは不可能です。

例えば、ある大腸癌の後方位疫学調査では、大腸癌患者では牛乳摂取量が多かったと報告された。しかし、両者の間に因果関係があるということが、すぐに結びつくものではありません。この時の疫学調査では、同時に脂肪摂取の多さの影響が指摘されています。脂肪の摂取量が多くなると胆汁酸の分泌量が多くなり、それに伴って二次胆汁酸の産出量が多くなります。二次胆汁酸は大腸癌の原因物質として知られているので、脂肪の摂取量が多くなることは明らかに大腸癌の危険因子と言えます。

* * * * * * * * * *

【著者】人工ミルクは成分的には母乳に近づいているが、感染防御効果の点で母乳に近づく事は出来ない。病院と産院は乳業会社と結託し、企業から派遣された女性が看護婦と同じような服装で粉ミルクの営業活動をする販売所と化している。

【業界】動物界にあっては、何らかの理由で母親から母乳が与えられない仔獣には、厳しい運命が待っています。しかしヒトには知恵がありました。母乳が与えられない乳児に対する母乳代替品として牛乳をベースにして育児用こなミルクを作り出し、今日では安心して人工栄養を行うことができます。

* * * * * * * * * *

【著者】牛乳には腸管内でのカルシウムの吸収を阻害するリンが多く含まれているために、カルシウム吸収率はかえって悪い。野菜やその他の食品のほうが牛乳よりもすぐれたカルシウム源となる。

【業界】リンは、間接的にカルシウムの吸収に影響するとされていますが、通常の食品中ではそれほど問題となることはなく、Ca/P(カルシウムとリンの比率)0.5〜2の範囲であればカルシウムの吸収・利用に支障はないとされています。また、カルシウムの吸収に当たっては適量のリンの存在が不可欠とされていて、リンの存在が直ちにカルシウムの吸収を悪くすることはありません。牛乳は、Ca/P=1.18で、カルシウム吸収に何ら問題はなく、歯や骨の形成、維持に適切な割合となっています。ここで注意しなければならない点は、リンが少ない場合にはカルシウムの吸収は良いが、吸収されたカルシウムが、骨へ沈着することなく尿中へ排泄されてしまうことです。

* * * * * * * * * *

本には書かれていなかったもので、乳製品を語るときしばしば話題になるヨーグルト白内障がある。これに関する業界の回答も参考までに引用。

【業界】わが国で白内障になる最大の要因は老化(加齢)で、65歳では60%が白内障症状であるといわれています。白内障は加齢以外に疾病、光(活性酸素生成)、薬物、外傷、先天性代謝異常などが影響します。牛乳と関係し得る白内障は、先天性代謝異常である『ガラクトース血症』と関わるものと考えられます。日本では昭和52年度から先天性代謝異常のマス・スクリーニングが実施されてきましたが、ガラクトース血症患者の発生数には一定の経年的傾向は認められません。また、、わが国では、牛乳の乳糖と白内障に関する疫学的調査はありません。なお、ラットにヨーグルトを与えて白内障が見られたという調査は、体重60kgのひとに換算すると、1日に21.6kg〜24kgという、非常に極端な条件を設定した実験であり、通常の食生活における摂取と同列に論ずるべき問題ではありません。

本は本論10章と文献資料から構成され、章の幾つかは過激な記述も見られた。例えば、、、

  • 牛乳を称賛する人たちの目的は、消費者に利益をもたらすことではない。
  • マスメディアは乳業会社がスポンサーになっているために、牛乳の価値
    に異議を唱えるような報道をしない。
  • 成人であれ子供であれ、不眠、不安、抑うつをもっとも引き起こしやすい
    食品は牛乳だと主張する精神科医もいる。
  • 牛乳は世界中のあらゆる年齢の人々に健康被害を及ぼすおそれがある
    ので、完全食品の名に値しない。

このあたりを読むと、なにもそこまで言わなくてもと思ってしまう。牛乳礼賛に対抗する為の激しい牛乳誹謗という気がしないでもない。牛乳には「一分の理」さえないのだろうか?1日に1L、、、水を飲むより牛乳を、、、カルシウム源、、、などと消費の拡大を促す業界には嫌悪させられるが、生産者まで悪く言う気にはなれない。私は牛乳を好まないし、推奨もしない。しかし否定もしない。食材としてあるものは何らかの利用価値があり今までもそうしてきた筈だ。乳業会社のなりふり構わぬ宣伝が反って牛乳の価値を貶めているのではないか?

牛乳は嫌いだけど保健婦さんに勧められたので
牛乳は嫌いだけどカルシウム補給のために
牛乳は嫌いだけど子供の成長のために
牛乳は嫌いだけど便秘のために

このように言いつつも、浴びるように飲み続け、又飲み続けさせる価値のある物であろうか?絶対に牛乳でないとダメなのだろうか?牛乳には他の食材で摂取出来ない何があるのだろうか?特に教育や医療の現場で強制されたり、飲めない事による差別が生じるまで過剰になってはいないのか?

業界のWebサイトに書かれていた一文を、いま一度引用したい。

過ぎたるは及ばざるが如しと言われるように、毎日、牛乳だけを多く飲み、偏った食生活をすれば当然、何らかの症状は出るでしょう。

食や医をめぐる仕事は第一に消費者の健康を考えることによってのみ自らの利益に結びつくのだと思う。このことを虚心坦懐に考えてみたい。

 

健康の語られ方  柄本三代子

社会学から見た食と健康、そして食品情報がどのように語られ流布するのか興味深い考察である。煩雑膨大な情報の中から如何にヘルスリテラシーを獲得すれば良いのだろう。栄養士やテレビ、雑誌の食品情報を検証すると、そこには食によって健康を獲得したり自己の能力を高めるなどという道徳的含みがある。栄養科学の知識を駆使し食による健康を解説するものの、病気で厳密な食事制限のある人以外、栄養学に基づいて食べている人など少ないと思う。栄養指導する医者や栄養士が果たして自ら指導するとうりに実行できているかどうか怪しい。医者の不養生で、、、とテレながら煙草を吸い酒を呷る。そのうえ、肉が好きで野菜が嫌い、ということはしばしばある。一般の人にとってはなお更であろう、しかし今まで何気なく食べていた食物が○○に良いという情報を得ることで、少しは得していると思えたり、そう思うことによるバイアスで美味しく感じられることはあるかも知れない。また、その断片的栄養情報によって単一の食品をとり続け、逆に栄養学の枠を逸脱し不健康になる例もある。

カロリーや食物繊維、ミネラル、ビタミン、30品目、緑黄色野菜、低脂肪、減塩、、等々という栄養学の用語はその内容ではなく、これらの言葉を駆使して能弁に語る事に意味があるのだ。栄養学の用語は素人でさえ凡そ知識として備えている。だからこそ用語を持ち出すだけで科学的であるという安心と信頼と説得力を増すのである。また、凡そ知識としてあるからこそ専門家、非専門家に関わらず自己解釈による食の考え方やスタイルが各々の個性や経験で出来上がってくる。

これが番組作りや宣伝広告に利用されると、どのように変容し、それに伴いどんな知や行動が生じるのであろう。有名なポリフェノール。ココアに含まれていると言う事でしばらく食品店の棚が空っぽになるほど売れた。ブームが昂じてココア風呂を始めた銭湯も出現したらしい。ポリフェノールは飲んで抗酸化作用があると言われていたのだが。
こうしてポリフェノールという言葉が科学と健康の衣をまとい一人歩きを始める。その用法や分量さえ検討しないままポリフェノールに飛びつく。やがて、肝臓を傷める筈の酒にまでポリフェノール効果を謳い飲用を促す。ポリフェノールの文字を入れるだけで不健康飲料が見事に健康飲料に化ける。癒しや医学の用語を付するだけで、ありふれた音楽が音楽療法になり、でたらめな絵が絵画療法になり、たかが草取りを作業療法と言ったりするのに似てはいないだろうか。

食品関連の業界が、体にいい、健康にいい、などとテレビや雑誌から流す情報によってある食品が爆発的に売れることをフードファディズム(Food Faddism)とよび注意を促す動きがある。専門家を招いてのワイドショーやテレビ番組で、専門家の慎重な発言を遮ってまで効果を主張したり、番組の意図に沿った演出をする司会者が居る。見ていると効能とか臨床報告とか、エビデンスなどないがしろにして、ひたすらワイドショーのノリがなければ物を売ることは出来ないのだと思われる。食品の研究家によれば研究を極めるほど効能に関しては可とも不可ともいい難い結論に行き詰まるという。効果を標榜する為には困難で慎重な研究や考察を要するものなのだ。食品に限らず知識に関しては意味も解からず言葉だけを知っている人が居て、さらに意味を知りある程度の知識のある人が居る。そのうえに詳しい研究者が居る。それぞれのレベルで食や健康に対する見解は異なってくるだろう。自己流にアレンジされやすい食の見方は、専門家の間でもアレンジされやすいのである。

専門家が決まって言う事は、「食品に対する正確な知識。」「食品を見分ける正確な目」「栄養学に根ざした正しい食生活」、、、等々である。このように言われると、、、(私も、似たような事を別のページで書いているが....)、逆に、「素人は余計な事を考えず専門家の言いなりになって居ればいいのだ。」とも聞こえてくる。(偏屈な受け取り方かも知れない?)専門家とか指導者、治療家といわれる人々は他を支配する快感に突き進む事もある。私の見聞例だが、近くの国立病院のある医師がダイエットと称してステーキとゆで卵だけを延々と1ヶ月も食べ続けさせたり、医大の女医が更年期障害の治療にとダンボール箱一杯のお菓子を満腹になるまで食べさせたりする事が実際あった。治療という名の下、医療専門家の名の下、恐るべきことは沢山ある。こうなると科学も常識もない。ところが医学や栄養学の用語で糊塗すれば素人は容易に信じてしまうのだ。

この食品は確かに「血糖値を下げる。」とは言っていない。おそらくそう言明するにはまだ、科学的精緻化が不十分なのだろう。しかし一方で「血糖値が気になる方に適した。」と言い、それと同時に「糖の吸収をおだやかにする。」と言われれば、それはもう「血糖値を下げる。」と言っているも同然ではないだろうか。(中略)科学の価値中立性と客観性は、啓蒙と啓発においてだけでなく、非専門家たちの「悪い利用」においてもまた重要な役割を果たすのである。

薬店や健康食品店、あるいはネット上を探していても、専門の科学用語とともに不老長寿、特効薬、万病薬...などの文言を並べたてているのは良く見かける。また、博士号を持つ学者の写真、推薦文入りで宣伝広告を撒き散らすものもある。これらをひと括りに「悪い利用」とは言わないが、自分の仕事に対する自嘲をも込めて、戒めたい所である

昨年、ダイエット健康食品の被害で死者が出た。またマルチやMLMビジネスの被害も後を断たない。今の食生活では満足な栄養が満たされないならサプリメントをという業界の喧伝に対して、私は否定派である。完璧な数値を満たして食生活を営んでいた時代があるのか?また完璧な食生活を営んでいる人類が居るのか?ところが専門家によってその必要性が説かれると迷いも生じていた。しかし、本の終章の、、

「サプリメントという食品ほど、マクドナルド・モデルが世界席巻を成功させるのに貢献した四つの次元‐‐‐効率性、計算可能性、予測可能性、技術制御という要素をダイレクトに兼ね備えた食品はない。」

なるほど、これでサプリメントを一層強固に否定し続けられる自信と確信を得た。

食は科学や栄養学という狭量な分野でのみ語る訳にはいかない。栄養学の数値や添加物、食料自給率、食品汚染、これらを並べると禁欲的な思いに駆られる。「これでは食べるものがない」、と言う素朴な嘆きである。この本は社会学的に食と健康を論じたものであった。他にも、文化や歴史その他諸々の分野での食と健康の見方もあり得るだろう。頼りない感想であるが、食を知り学びつつも、それに拘らない大らかさがあってもいい。

 

食べるな、危険!  日本子孫基金

1999年、1冊の本が話題をさらった。ご存知「買ってはいけない」。この本をめぐって賛否両論が渦巻き、2匹目、3匹目、、のドジョウを狙って関連本も多数出版され、「買ってはいけない現象」とさえ言われた。身の回りにある、何か不安なものをよく知りたいという思いはいつの時代にも、誰にもあるものである。「買ってはいけない」は、根拠に乏しかったり、アジテーションの域を出ないものがあって、その点に反論も集中した。しかし身の回りの危険の総点検という、豊かな時代に潜む脆弱さを認識させたという意味では、一定の成果を上げたのではないかと思う。

今回取りあげる本は、遅ればせながら2匹目のドジョウかも知れない。帯には、あなたが食べている食品の隠された事実を知っていますか?と書かれている。概ね食品衛生で常識とされている内容であり、事実が書かれている。買うな、食べるなではなく、生きてゆくためには食べなければならない。それではどんなものを食べるべきかのアドバイスまで為された本である。

ここに書かれたことが全て正しいというつもりはない。一つ一つ検証するには個人の能力では及ばない。日本子孫基金は消費者が会費を出し合って基金を作り、暮らしにひそむ化学物質の遺伝毒性をテストしようと、1984年に設立されたNGOである。どちらの側に立つのかは自明のことである。消費者が選ぶ事によって、生産の現場や食品業界を変え、かつ食品の安全を目指さなくてならないと思う。たとえそれが困難で険しい道であったとしても。

 

食品

注意点

アドバイス

豚肉

と蓄される豚の70%に異常が
あり、一部分廃棄し食肉になっ
ている。その廃棄率はいつも
6〜7割ある。

養豚に使われる抗生物質で耐
性菌が生まれ、病院で貰う抗
生物質が効かなくなる。

鹿児島産純粋黒豚はかなり良
いがニセ物も出回っている。

値段が高くても、より健康的な
飼育方法をとっている生産者
のものを買う。

鶏肉

過密飼い、病気予防に抗生
物質、抗菌剤を餌に混ぜる
ことで耐性菌が生まれる。

ブロイラーの腸内からVREが
検出。(VRE:バンコマイシン
耐性腸球菌)

抗菌剤を使わず、健康に育て
られた鶏肉を選ぶ。

地鶏など食味がよく、肉質の
硬いものが良い。

肉に細菌が付いていることが
あるので、肉汁が飛び散らな
いように調理し充分に加熱。

輸入牛肉

アメリカ牛には合成ホルモン、
BSEの心配がある。
(対策不十分のため)

ホルモンの影響が胎児に出る
ので、特に妊娠中の女性は
注意。

手に入るならジャスコのタスマ
ニアビーフがいい。それがダメ
ならオーストラリア産が良い。

出来るだけ赤みの肉を選ぶ。

霜降り肉

緑の草を与えず、穀物を与え
筋肉に脂肪が入った病的な
肉。味は重宝がられるが、
脂肪が多いので健康に良くな
い。
緑の草を食べて育つ牛の赤身肉
が良い。

くまもとあか牛、黒毛のアンガス
牛。生協の共同購入など利用。

ハ ム

色々な添加物のオンパレード。

卵蛋白、乳蛋白、大豆蛋白
カゼインNa、リン酸塩、発色剤
着色料、保存料、、、
肉の原材料は少ない。

発色剤、合成保存剤、着色料な
どの添加物を使っているものを
避ける。原材料表示の少ないも
のは良い。

熟成などという表示のあるもの
は注意。

養殖魚

狭いいけすの中で養殖される
ため、病気予防に抗生物質や
抗菌剤が使われる。天然の魚
が食べないものまで食べさせ
る。(牛骨粉、大豆粕、米糠...)
同じ魚でも天然魚、養殖魚は別物
と考えるべき。

養殖魚は産地、生産者、養殖法
を知って選ぶ。

海老

漂白剤、抗生物質、大腸菌
などのオンパレード。

輸入水産物のトップで養殖に
多くの薬剤を使用。

むき海老には漂白剤。

国産の天然海老を選ぶ。

甘海老や芝海老など小型の海老
は天然物。

養殖海老を選ぶなら無投薬の
粗放養殖のものにする。

イワシ・サンマ ダイオキシンや環境汚染も
比較的少なく安価・安全。
イワシは小型のものがより安全。
ホキ・メロ・
 カラスガレイ
安全性が高いものは、見たこ
とも聞いた事もない天然魚。
正式名称の表示を見て選ぶ。
スズキ・コハダ
 ・アナゴ
高濃度のダイオキシンで汚染。
ダイオキシンの取り込みは
70%が魚介類から。この他、
クロマグロ、カジキ、タチウオ
キンメダイ、メバル、ブリ
キハダマグロ。(汚染度高い)
内海のものを避ける。沿岸より
外洋、大型魚より小型魚。脂肪
の少ない魚。お勧めは、イカ、サケ
タラ、サンマ、イワシ、グチ、アゴ
フグ、シラス。
(汚染度低い)

カ キ(牡蛎)

鮮度が良くても安心できない
SRSVによる食中毒。
生食用で旬の時期に集中して
発生。
SRSV:小型球形ウイルス
十分加熱調理して食べる。

生食が好きな人は体調の良い時
少し食べる。

練り製品・タラコ 添加物のオンパレード。表示
されていない添加物により腎
や尿細管に障害。重合リン酸
塩、着色料、保存料、、、
表示を見て合成保存料を避ける。

たらこ、明太子は発色剤、着色料
を避ける。

ジャガイモ

収穫前に劇物指定の除草剤
がまかれる。生のジャガイモ
は全て国産。

外国では収穫後に除草剤の
粉をまぶす。ポテトの加工食品
は注意。

北海道産は避ける。九州、本州
四国産の新ジャガは安心。

皮の薄いジャガイモは安全。

トマト・キュウリ 夕方、農薬散布されたものが
翌朝出荷されている。
有機JASマークのついた野菜が
良い。有機、無農薬の表示だけで
は信頼できない。

よく洗って食べる。

エノキ・シメジ・
  シイタケ
雑菌の繁殖を抑えるため、
危険な殺菌剤と防カビ剤が
使われる。
中国産は避ける。シイタケが使用
量が少ない。
セロリ・シソ・
  パセリ
農薬が多く残留している
ワースト3の野菜。
料理店、市販のものは食べない
ほうが良い。

よく洗う。自宅プランターで栽培。

中国野菜

信じられないほどひどい
殺虫剤・農薬汚染。
食べないほうが賢明。
7〜9月まで特に注意。

市販の漬物

タール色素の見本市。この他
保存料や化学調味料。
○号、△号の文字のある漬物は
避ける。中国野菜を原料に使った
物はダメ。自家製が一番。

レモン

保存料として発癌性や催奇性
のある防カビ剤を使う。
(輸入物)
オーガニックや国産を選ぶ。
レモンの代わりにユズ、スダチ
などを使う。

ミカン

年間20回に及ぶ薬剤散布。 産地、生産者を選ぶ。ミカンの
表皮を洗う。これでも、まだ輸入
柑橘類よりマシ。

イチゴ

輸入イチゴは2ヶ月たっても
傷まないほど殺菌剤が残留。
国産が残留農薬が少ない。流水
でよく洗う。ケーキのイチゴは食べ
ないほうが良い。

パ ン

学校給食パンに神経毒のあ
る殺虫剤が大量に残留。しかも
有機小麦粉から検出された。
検出値の高い順に、1)学校
給食パン、2)胚芽、全粒粉の
グルメパン、3)輸入、有機、
無農薬小麦使用パン、4)普通
の白いパン。
有機もアテにならないこともある
という好例。輸入物は注意。

国産小麦使用を選ぶ。北海道産、
岩手・南部小麦粉や輸入物では
カナダ産は残留農薬が少ない。

カップ麺

容器から発癌性の環境ホルモン
が溶出する。食品添加物も多く
要注意。
容器入りでなく、袋入りがまだ良
い。カップめんを陶器の器に移し
それに湯を注いで食べる。
アワ・キビ・ヒエ アレルギー治療食から殺虫剤
が検出。自然食品店の有機農
法、オーガニック表示にも虚偽
がある。
アレルギーか、農薬か、判断に
迷うところである。生産する人と
お互い顔の見える関係を築く。
フライドポテト 輸入ジャガイモを使っているの
で遺伝子組換え作物で除草剤
の残留もある。この葉を食べた
虫は2日後に死んだ。
ジャガイモ加工食品は食べては
いけない。
国産ジャガイモを自分で調理。

豆 腐

国産大豆使用の中身がアメリカ
産大豆で、遺伝子組換えだった
り、それが混入している事が
ある。除草剤にも注意。
国産有機豆腐なら比較的安心。

醤 油

原料は脱脂加工大豆で、短期
に醸造?(製造)されるものが
ある。遺伝子組換え大豆の恐
れがある。
原材料表示を良く見て選ぶ。
国産丸大豆100%使用が良い。
有機JASマークのついているもの
を選ぶ。外食産業の醤油は注意。

食用油

遺伝子組換え作物が使われて
いても表示がない。除草剤を
大量に使う。
出来るだけ有機表示の物を選ぶ。
オレンジ
   ジュース
ポストハーベスト農薬が多量に
残留。
カロリーも高いので健康のために
飲むのを控えめに。

国産のジュースがいくらか良い。

清涼飲料水

500MLのペットボトルに50g
〜60gの砂糖。糖尿病製造
飲料。

タール系着色料などの添加物。

飲む量を控える。

ミネラルウォター、お茶にする。

緑 茶

洗わず茶葉を仕上げるので
残留農薬がたっぷり。

味を良くするため化学調味料
を使用。

無農薬、減農薬は信用できない
が有機の表示は信頼性が高い。

不自然な旨みがないか疑う。

牛 乳

牛の乳房炎が増加し黄色ブ
ドウ球菌が混入。(雪印事件)
低温殺菌牛乳または高温殺菌
牛乳を選ぶ。

日本酒

アルコール添加、糖類添加、
酸味料添加で3倍に薄めた酒
がある。

※ビールは最も添加物が多い。

米、米麹(純米酒)を選ぶ。

糖類の多い酒は悪酔いする。

菓子類

砂糖、合成甘味料、着色料。 表示を見てタール色素は絶対に
避ける。

糖分の多いものは控える。

サプリメント

有効成分より添加物のほうが
多い。主成分は添加物。
賦形薬、保存料、着色料、
香料、甘味料など。
健全な食事で摂取する。

必要な時は添加物の少ないもの
を少量、短期間にとどめる。

ドリンク剤

砂糖、カフェイン、少量のアル
コールと水が主成分。
テレビや雑誌など、宣伝に警戒。
暗示効果とカフェインの興奮作用
でしかない。

 

正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり

                             <道元・赴粥飯法より>

肉がよくないなんて、誰が言った〜ニコライ・ヴォルム〜花房恵子訳 

この本は薄い本で、家の光協会、農協系の出版だから狂牛病で落ち込んだ肉消費の振興のためか?とも思って手にした。著者はドイツ語圏で有名な栄養学者で相当権威のある人らしい、ラジオ、テレビで多くの人に親しまれているとの事。

長くは続かなかったが、肉、牛乳、卵、魚を断ち完璧なまでのビーガン・ベジタリアンの期間があった。ベジタリアンの書物の冒頭は、並んで首を切られる鶏や屠場に曳かれる豚や牛の悲痛な叫びから始まる。あまりにもおぞましい描写に吐気をもよおす。まさにこれがベジタリアンのひとつの拠りどころとするかのように、、、そして悲しく残酷なもののうえに築かれた食生活を嫌悪し、しばらくは肉を見ただけで具合が悪くなった。

TVで矢の刺さったカモや虐待されたペットを救出する番組が報道される。費用と時間をかけて、時に涙ぐみながら見守る。その一方、平気でカモ鍋を喰い、グルメと称して、爬虫類始めミミズや蟻まで食い尽くす番組が報道される。これが同じ人間のやる事なのだ

少なくとも日本人は弥生時代以降、米を中心とした雑穀を食べて来た、今ほど多量の肉を食べるようになったのは、戦後のことであると思っていた。ところが違うらしい、この著者は旧石器時代までさかのぼる。長い進化の歴史の99.5%を狩猟採集で暮らしてきた。当時と比べ人の体に変化はない、そのことをもって人を肉食動物と規定する。肉の害をことごとくウソ・ホントで否定しながら話は進んで行く。

人のアミラーゼ活性が高いことや、蛋白質、脂肪の消化にエネルギーを要することを考えると、人の食性は穀物中心の菜食で、肉や魚など動物蛋白質を適量摂取すれば良い。こう思って実行しているのでにわかに信じがたい点もあった。しかし哀しいことに権威ある栄養学者との紹介があると迷いは否が応でも生じてくる。

肉は質のよい蛋白質を効率よく摂取できる利点がある。これは魚でも言えることであるまた、爬虫類や両生類、昆虫でも、、、時にはアレルギーの両雄、牛乳・卵でも..動物性のものでしか得られないものを否定することはできない。毒であるならまだしも、否定しそれを摂らないと言うのであれば、信念や信仰の領域の判断であろう。肉が食の欲望の最たるものという議論には一定の理解はできるが、何事にも限度がある。やはり肉は野放図に食べるものではないことは書かれてあった。

注目すべき事は、肉から有害物質が生じるという話。いまや家庭で、地域で、バーベキューなど頻繁に行われるが、この煙が問題である。肉の焦げは発がん物質であり、肉を焼く時に発生する煙にも発がん物質であるベンツピレンが大量に含まれる。その量は500gの肉で煙草600本分という報告もある。網焼きにすると、肉は直接500度以上の熱にさらされ、滴り落ちた脂から発がん物質が発生し吸い込むことになる。鉄板焼なら150度くらい?これなら煙や焦げの発生は抑えられ被害が少なくて済む。

1)煙が出て焦げるまで焼かない
2)焦げた肉は食べない
3)高温で調理した肉汁は捨てる
4)加熱温度は低めにする

概略、上記のようにまとめられる。さらに肉やハム・ソーセージに発色剤として使われる亜硝酸ナトリウム。これが肉などの食品中のアミンと反応し発癌物質のニトロソアミンが発生する。また加熱してもニトロソアミンが形成されやすくなる。ベンツピレンの事はすでに書いたが、火のついた1本の煙草から立ち上る煙の中には、1kgの発色剤処理肉を焼いた時の4倍の量のニトロソアミンが発生している。子供の前で、ビールを飲み煙草をふかしながらのバーベキューは、狂牛病や食肉偽造などと比すべくもなく危険である。私は嫌煙派ではなく憎煙派である。狂牛病や食肉偽装を指弾するより煙草をやめろと言いたい。

  

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