【雑記箪笥】
百味箪笥を真似て..雑記箪笥のつもりです...閑を見つけ少しづつ引出しを満たし、 更に数も増やす計画です。・・・気長にお付き合い下さい。 |
明治維新と共に一度は通常医療の舞台から去った漢方医学は、一部の医師や薬店で脈々と受け継がれ昭和の復興期を経て現在に至っています。この漢方が更に注目を集めるようになったのは1976年(昭和51)数十種の漢方処方エキス製剤が医療用として薬価収載されてからでした。生薬に関しては既に1961年(昭和36)の国民皆保険制度確立時に収載されていたので、漢方薬が使えなかった訳ではありません。しかし簡便に服用でき、しかも調剤や煎じる手間の省けるエキス製剤の普及は目覚しいものがありました。引き続き、1978年(昭和53)、1981年(昭和56)、1984年(昭和59)に追加収載され150処方を超えるに至っています。 漢方エキス製造メーカーは販路を広げるべく奔走し、草創期には各地で漢方の講演会や学習会が開かれました。スモンなどの薬害で新薬への不信感が募っていた時期だけに上手く上昇気流に乗る事が出来たのかも知れません。漢方には副作用がナイ。漢方薬は証が合えば何でも治る。このような言辞で普及するに伴い、副作用らしきものもあるではないか?「否、それは不適切な使用、未熟な腕が原因だ...」と一層の研鑚を促されるような事もありました。しかし小柴胡湯によると思われる間質性肺炎の死亡例が報告され、漢方薬に対しても厳しい視線が注がれるようになりました。「証が合えば何でも治る」というのが間違いであるのは、すこし学習すると初期の段階で知りうる事です。漢方薬と病人の証が合っても治る病気は限られています。現在、日本の医師の約40%が何らかの形で、漢方薬を日常の診療に用いていると報告されています。主な運用の理由は、副作用が少ない、新薬での治療に行き詰まったり、患者に求められてと言うのが多いようです。少数ながら漢方が効果的だからとして積極的に使う医師も居ます。 医療は統計的な数字とは裏腹に、個々の病の治癒如何が直接に、切実に関わってきます。治癒率50%と言っても、治った当人には100%の治癒率になるし、治らない場合は治癒率0%なのです。理屈や数字より、とにかく治れば良いというのが病人の最大の望みですが、治ったという症例だけを幾つ重ねても、再現性の得られないものであれば普遍的に用いる事は出来ません。医療保険という公的なお金を用いる以上慎重にならざるを得ません。漢方薬は医療の一分野として認知されているものの、まだ確かな証拠に基づいた標準治療がある訳ではなく、医師個人の裁量に負っています。漢方薬の特性上、これからも変わらない事だと思われます。 今まで述べたように医師の行なう医療の現場において、漢方薬は一定の認知が為されていますが、薬局漢方に於いては、認知度は低いものです。薬剤師会の活動の主たる内容は保険調剤や学校薬剤師、介護保険で、一般薬や漢方薬の文字が見られる事は殆どありません。華々しい医師の活躍の影で、「落穂拾い」や「隙間産業」という闇の部分を払拭できません。なんら検査、検証の方法も持たず、望診、問診と違法な脈診、腹診で正確な病態の把握ができる筈もありません。この限界は学習を重ねるにしたがって重い足枷となります。「いっそ医師の免許を取ればいいのだ」という議論もありますが、それほど容易なことではありません。もし、医師であったなら、果たして漢方に取り組んでいたかどうか自信もありません。医療現場での漢方薬は最新の医療機器や検査を駆使した上で東洋医学的運用が為されています。さらに保険も適用される為、費用の面でも明朗でそれほど不安はありません。 一方、薬局の相談で最も多いものの一つが費用の問題です。「漢方薬は高価」と言うのは保険の利かない薬局漢方の大きな悩みでもあります。店構えの立派な、まるで医者のような薬剤師の居る薬局には費用の点で近づき難い。驚くべき価格の実態、売り込みの実態を聞き及ぶにつれ哀しくなります。それならば、漢方診療を行なっている医師を尋ねれば良いのですが、何故、不安を抱えたまま高価な漢方薬を求めるのでしょう。病院漢方も含めた通常医療の現場で満たされないものや、そこにはない特効薬があるような錯覚に駆られるのではないか?と考えています。通常医療の隙間を埋めるようにして薬局漢方が成り立っているのです。 漢方エキス製剤が保険で使えるようになって数年後、漢方薬と出会い付き合ってきました20数年漢方の業界で呼吸していると、その当時の漢方薬を取り巻く状況と比べ今は業界も成熟し新たな模索が始まったような気がします。医療漢方はいまや医療の一つの方法論となっていますが、薬局漢方は果たしてどんなことが出来るのでしょう? 退屈でとりとめのない文章になりました。何年も見聞し続けた仕事や経験の数だけ下らぬ知識が増え、逆に感性は退化したと言えなくもありません。だらだらと垂れ流すように書き綴ったwebページも、終章はしかるべき総括が必要かも知れないと迷い続けました。ネットで発信する以前は、対面し顔の見える位置での仕事でした。顔が見えることでの情報の多さは計り知れないものがあります。やがてネットからの相談や質問が舞い込みそれによりなお一層顔の見えることの大切さを痛感しました。ネットでの私の回答が多くのお客様に不快感を与えたこともあるかと思われます。別名、閑散堂薬局とはいえ、掲示板など設置して対話する時間的余裕もなく、技量もないまま発信するばかりの状況に幾らか後ろめたさもあります。 そこで、これを契機に質問、相談など頻度の多いもの、興味のあるものを整理を兼ねて紹介しようと思った次第です。そのまま公開しては迷惑もかかるため、意図を汲んで編集しています。よくある質問、相談はどこの薬局や医療機関でも似たようなものです。ネット上を歩いていても、繰り返し出てくる内容ばかりですが、温心堂webページでは出来る限り独自色を失わないよう心がけたいと思います。漢方薬の長所は感覚的ではありますが、機械や無機的なものでは得られない穏かさや温かみがある点です。そこで少し遊び心を持って、箪笥を用意しました。電脳空間ゆえ色々なものを押し込み、取り出せるよう可変自在に設計されています。漢方薬屋の百味箪笥をモデルにしています。 百味箪笥は漢方屋の仕事の道具である薬草を納めるものです。何年も仕事を続けていると、道具である薬草にもいくらかの「経験の知」が備わり、薬草に囲まれていることが仕事の力となり、薬草に教えられる時があります。出番を待つ箪笥の中には薬草と共に漫然とでも継続してきた時間も納められています。業種に関わらず、「経験の知」は最も有効な道具の一つであろうと思います。時にはそれが足を引っ張る事もありますが...ここでは、ほかのページで語り尽くせなかった話を、引出しから掘り起こしてみます。備忘録を兼ねた雑多な資料や書物の紹介...そして、師匠であるお客様との会話や相談を通して学んだ「宝の箪笥」でもあります。 |
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