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【食の考え方】


栄養学者から食養家まで食の認識と行動はあまたあるものの、確実に言える事は「生きるためには食べなくてはならない」。これを前提に食のより良いありかたを考え続けている。地上ではいまも飢えに苦しむ人々が絶えず、残飯を出すほど貪る私達とは別次元の話だ。カロリーが不足した状態では添加物や残留農薬、オーガニックなど大して重要ではない。まず飢餓を満たすことが先決だ。草根を噛み粥を啜り、ようやく飢餓から脱したとき腹一杯という願望が生まれ、次はより美味しいものをと望む。胃袋の容量は限られているので質や産地に拘り、調理法に注文をつける。かくしてグルメが誕生し多様化を遂げる。珍食・奇食の類から一流シェフの料理、逆に粗食が健康の意匠をまとって輝きだす。奥が深いという「美食」について語るつもりはなく、どこか他のところで論じてもらえれば良い。ここでは日常の食について問題提起ができればと思っている。

「食事が適量を超え、栄養のバランスが崩れる」これは栄養学が得た成果といえる。現代栄養学への批判をもとに、変わった食事法や食養の考え方が蔓延するのは好ましい事ではない。栄養学の問題点は栄養学で克服すべきで、そのため様々な食養法や伝統食の考え方を学ぶのは無駄ではない。さて食の適量とバランスの崩壊は各種病気や不調の原因になるとして食の正しいあり方が議論される。一般の人々が常識的に行う食生活から大きく外れないかぎり、食が健康に及ぼす影響は限定的で、誰かが煽るほど重大なものではない。ただし日々の食生活を営む上での「よさそうな」イメージは形成しておく必要があるだろう。また病気や不調の時、少なからず影響を与える食のあり方も知っておくべきだ。

入院時、病院で出される給食を美食と思う人は少ないが、ここには栄養学の基本的な考えが凝縮している。エネルギー源として糖質の御飯が供され、魚か肉か大豆で蛋白質と脂質を摂り、野菜でビタミンと繊維を補給する。この構成と割合が「よさそうな」食の手本と考えている。朝はパン食、昼は外食、夕食は酒を飲むのでご飯は食べない。このような食行動を長期にわたって続けたとき、お手本からは少なからず距離が生じ、修正の必要が生じるだろう。しかし、いかんせん食習慣は容易に変え難い。「頭では解っているが、、」と嘆きながら、変えられないのが実状だ。豊かな時代だからこそ繁栄する健康産業は、危機を煽り消費行動を促す。ここに栄養学をはじめ様々な食の思想と市場が跋扈する。食についての正当な知識や考えを欠くとたちまち誤った食行動へと走らされてしまう。食物の不足した時代に求められたものとは異なる宿題が突きつけられる。

食物の量やバランスの他、その性質や由来が取り沙汰され、ときに著しく健康に影響を及ぼすかのように語られる。食品添加物や残留農薬の有無が食の質を左右すると言い、生産に工夫を施したオーガニック食品を尊ぶ。清浄な食の追及は非難されるべきものではなく、清浄なものほど好ましい。しかし、生産者が明らかで信頼の於けるものは少なく、手にできる人々は選民だ。大量に流通し、遠方から届くものや加工を施したものは、食の偽装や産地偽装に巻き込まれていないか一考を要する。いままで添加物や農薬の他、様々なリスクが語られてきた。自然毒、細菌、抗生物質、ホルモン剤、化学物質、ダイオキシン、、放射性物質も、もちろん加わっていた。目に見えず味もなく、なによりも広範で長期に及ぶ被害を考えると、最悪の毒物と断言できる。人類が放射性物質を手に入れて100年、いままで行われた核実験や戦争、原発の稼働や事故で放射性物質は地上に拡散している。食の清浄性はすでに完璧なものではなく、今春の原発事故はそれに拍車をかけた。日本はとくに高濃度の汚染と、汚染食品の流通にさらされ、長く続くことだろう。事故を早く風化させようとする勢力と、生々しい恐怖を維持する人々との戦いが始まっている。厳密なまでに戒律を設け、清浄な食を目指した人々は、原発一つですべて台無しだ。汚染から逃れ得ず、国はもちろん、実は被害者である生産者や流通業者も手放しで信じるわけにはいかない。国民の健康は害され、長期的に見ると寿命は医学の貢献をよそに短くなるだろう。未来ある子供や若者へ、より清浄な食を渡し、種を繋いでいかねばならない。しかし、いずれ死は避けられず、ならば多少の毒物も仕方がないと「食の考え方」を変えるときがきた。

チェルノブイリ原発事故の実状を伝え支援を続けるジャーナリストの広河隆一氏がベラルーシで会った女性に「食品汚染が怖くないか」と聞いたところ、次のような答が返ってきたという。

「怖いけれど仕方ないだろ。空腹を抱えて死ぬより、おなかいっぱいで死んだ方がいいからね」

【ホームページ開設10周年に寄せて/2011.Sep.】

 

<コラム> 健康情報の評価法(食物編)

氾濫する健康情報のひとつに食物があり、情報量のかなりの部分を占めているのではないかと思われます。「○○が○○に効く。」「○○で○○病が治った。」式のTV番組は視聴率も高いようです。それを本気で信じて、健康法を実践することそのものが目的となった人も見受けられます。ある食物に、ある成分が含まれていて、○○病に効いた。という一見科学的体裁を整えていても、日常では到底食べる事のない量だったりします。相当濃縮した成分を単独で投与した動物実験だったり、予めコントロールされた実験モデルでの実験だったりします。例えば高脂肪食を与えた高脂血症ラットに、今までと異なった脂質の少ない食物を与えると容易に高脂血症は改善されるでしょう。

また、人を被験者に仕立て簡単に2群に分け比較実験し、効果があるかのような、欺瞞に満ちたコメントを出す大学の先生など見ていると、この人、学生に一体どんな教育を施しているのか首をかしげたくなります。権威あるものが真実ではありません。特に、人での実験にはプラシーボ効果というバイアスがかかります。この差を検証しないまま有効の判定は下せません。このことは解かっていても、まあ、テレビの番組程度だから良いではないか・・・くらいで出演するのだろうと思っています。(出演料も頂けるし、、、)

その程度のものですから、その程度に楽しめばいいのですが、中には、あるいは多くの人が真面目に深刻に受け取っているのではないか?と思うこともあります。食物の性質や働きを理解する上での成分や作用を知るのは大切な事ですが、その作用に過大な効果を求め、大量に、くる日もくる日も食べ続けると、思わぬ被害を被る場合があります。流される情報は善意のものばかりではありません。巧妙に仕掛けられた商品情報なのかも知れません。番組の後で、スポンサーや協賛先が出ると、大方、どのような取材をして、どのような情報を得たのか察しのつくこともあります。情報番組の衣をまとった宣伝番組であったり、協賛メーカーが番組そのものを買っている場合だってあるかも知れません。

食品が、○○に効くという評価を出すのは大変な事です。東北大学の坪野吉孝先生がその著書、「食べ物とがん予防」で述べられている評価法を紹介してみます。以下6段階のフローチャートが示されています。

  1. 具体的な研究にもとづいているか
  2. 研究対象はヒトか (利益についての動物実験は話半分に聞いておく)
  3. 学会発表か、論文報告か (学会発表は話半分に聞いておく)
  4. 定評ある医学専門誌に掲載された論文か (参考程度にする)
  5. 研究デザインは「無作為割付臨床試験」や「前向きコホート研究」か
  6. 複数の研究で支持されているか

無作為割付臨床試験:健康人を無作為に介入群と対照群に分けプラシーボなどの
               投与を行い比較検討する。
前向きコホート研究:数万人〜数十万人規模の集団を対象に生活習慣病などの
              疾患と食品の摂取との関係を比較する。

これだけのステップを踏んでやっと結果が受け入れられるのですが、とりあえず受け入れるのであって、確定ではありません。「将来の研究結果で覆る可能性は頭に入れておく。」と結ばれています。

これだけの事を行うのは容易ではありません。膨大な時間と費用がかかり、結果が出たとしても、かかった費用や労力に見合った利益は得られません。しかし有効と言える正当な評価はこのような手順を踏まなければならないのです。10人のアルバイト学生を2群に分けて1週間程度の観察と、簡単な検査で○○に効くなどとは噴飯ものです。このことを知っておけば氾濫する情報に迷う事も少ないと思います。食品の性質として伝統的に知られているものの他に、新しい研究報告やある種の食品を絶賛し、勧める情報には警戒がいります。「食」は命を養う為、必要不可欠のものです。しかし病を治す積極的な期待はできません。一部の食由来の病気の療法として、また病の治癒の手助け程度に考えておくべきかと思います。

【ホームページ開設にあたって/2001.Aug.】

禅、五観の偈に「まさに良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり」とあります。食物は生きる為不可欠のものです。しかしそれはあくまでも基礎であって建物ではありません。食は生きる為重要としても、それが全てではない、このことを念頭に少し書いてみます。

 あまりにも厳しい食事療法で健康を保つのは厄介な病気である。 --ラ・ロシュフコー箴言集より--

ヒトの食性は歯の形状で例えられます。前歯は2、犬歯1、大小臼歯5、の割合で上下左右ありそれぞれ野菜、肉、穀物と割りあてると、ヒトの食性は穀物5〜6割、野菜2〜3割、肉や魚1〜2割といったとこになります。消化管の長さや、消化液のアミラーゼ活性が高いことからもほぼヒトの食性に合致するものといえます。蛋白や脂肪の消化は炭水化物の消化より数倍のエネルギーを要します。穀物や野菜にも蛋白質、脂肪は含有されているので、穀物中心の食生活で極端な減カロリーをしない限り、この割合は栄養学的にも満足のいくものです。ただ完璧に穀菜食のみで食を構成するとビタミンB12をはじめ、いくらかの蛋白質の不足が生じてきます。不足栄養素の補給を配慮しているわけではないでしょうけど、玄米菜食では「ケ」の食として上記割合を重視し、「ハレ」の食として肉・魚など食べる日を認め不足がちの栄養素をストックするとともに、美食を心の健康として愉しみます。この上、添加物も農薬や環境汚染、遺伝子組換え、放射性汚染などなければ言うことはありませんが、どれだけリスクを減らせるかというレベルの話です。

牛乳、卵、肉、魚、などの蛋白食と思われているものは、カロリー%で表示すると、実態は高脂肪食である事が明白です。蛋白の不足は免疫力を低下させ健康を損ないますが、過剰は生活習慣病やアレルギー疾患を引き起こします。「ハレ」の食は栄養学を考えずに愉しむとしても、「ケ」の食はヒトの食性に充分配慮して摂るべきかと思います。私は通常の食相談で、砂糖、牛乳、卵に関しては嗜好食品と位置付け、体を養う食品ではなく、心の健康に寄与するものと話しています。好きでたまらぬ人は害のない程度に食べて下さいと...煙草や酒などと同じです。牛乳に関しては、乳業会社のプロパガンダの成功で、完全栄養食とかカルシウム源と信じている人が殆どのようです。たまに善意の研究者が牛乳の警告を発しても殆ど黙殺され記憶にも残りません。牛乳に関する参考図書は末尾に示しますが、その中の1冊に以下のことが書かれているので引用します。

牛乳の栄養学的及び生理学的効用に関する総合研究 1978年 にも示されている
ように、乳業関係者は十分にわかっていたのであろうが、それを公表することによって
日本人の健康が損なわれるよりも、会社の業績が低下することを恐れたのであろう。

これは乳業会社自らの手で研究されたもので、優れた食材であることが証明できれば更に販売促進が可能という目論見だったのでしょう。しかし意外にも、、、反対の結果が出たときの乳業会社の戸惑いは察するに余りあります。このとき既に乳業会社及び酪農業は充分巨大になりすぎ、もはや引く事も叶わぬ状況であったと思われます。薬害エイズや原発事故、煙草産業...挙げたらきりがないくらいのお決まりのパターンで、、隠蔽してしまったのです。さらに悪質なのは、真実の栄養学的データを熟知していながら逆のプロパガンダを展開していると言うことです。企業が利益に邁進するのは当然であろうけど、洗脳に近い営業活動は犯罪といえなくもないでしょう。

日本人及びアジアの民族は乳糖不耐性があり先天的に消化できません。カロリーの半分近い飽和脂肪酸は、生活習慣病予防に、減らすよう指導されているものです。蛋白質は未消化のまま腸管を通過しアレルギーはじめ免疫力の低下をきたします。ビタミンは高温殺菌のためゼロか殆ど痕跡程度しかありません。そしてカルシウムは100gにたったの100mg。とても豊富なカルシウムと言える物ではありません。そして大切な事は、リンの存在や脂肪、蛋白の消化でたった100mgのカルシウムはあっというまに消費され、かつ足りず骨や体内のカルシウムを動員しなくてはならないと言うことです。参考図書を開いてもらえれば20%のロスが生じるという研究があります。水より良いと勘違いして、体重で大人の3分の1、あるいはもっと小さい子供に1000mlさらに2000mlという量の牛乳を飲ませることだけは止めてもらいたいものです。ただ特殊な状況で、食性に合った穀物を摂取できない、食べる食物あるいは食べられる食物がない、偏った食生活で栄養障害が発生する時(信仰食にみられる)、必要に応じて栄養を補うとなると、牛乳、乳製品、卵の必要性はあるかもしれません。また嗜好品としては食感をまし美食の愉しみを享受できます。これまで否定するものではありません。カルシウムは野菜、海草で補給するのが好ましいと思います。リンとの比率から考えるとイリコなどはカルシウム源とはなり得ません。蛋白源と認識すべきものです。そしてカルシウムを消費する食材を減らしていく事です。蛋白質、脂肪、砂糖がこの範疇になります。砂糖の代わりに蜂蜜を使えばカルシウムやビタミンのロスは防げます。最後に、カルシウム摂取目標、600mg/日は、根拠に乏しいく、350〜400mgで間に合います。

栄養学は西洋のカロリー科学ですが、ここに東洋的食養もあります。栄養学的根拠を念頭に東洋的食養を展開していけば、食養の守備範囲はさらに拡大します。漢方と同じく本草綱目に示された気味を基本に、陰陽、更に五行に分類し臓器との関係で食材を考えてゆきます。さらに発散や収斂、寒熱、粘膩などの性質を考慮します。木(酸・肝) 火(苦・心)土(甘・脾) 金(辛・肺) 水(鹹・腎)食材の味覚で食事を構成していく方法は分析機器のなかった時代の智慧ともいえます。何れも過不足なくと言うのは当然ですが、五味調和とは五行の食材を均等に摂るということではありません。甘の食材、とりわけ穀物を中心に辛・鹹・酸を少し、時に苦味を、というのが基本骨格です。肉や魚、豆腐などの蛋白を摂取する時には、それらが消化管内で腐熟し異常発酵しないよう防腐処理として辛であるスパイスを多めに使います。使いすぎると相克の位置にある肝を痛めるため、酸味を配します。このように五味それぞれに相生と相克するものがあり臓腑、病気との関係を考えます。一般に酸・苦の食材は熱を冷ます働きがあるため新陳代謝の低下した人は控えるか、辛味を配するか、調理加熱し温性を付与します。食材は甘味、辛味に分類されるものがおおく、鹹味は思いあたるもので塩、酸味は梅、レモン、苦は山菜に少し、常に必要なのもではないけど薬草は苦味の宝庫です。

食養の指導法は数多くあります。しかし食養で治せる病気も自ずと守備範囲があります。
命を養う基礎となりえても、病を治す為の主力選手ではありません。有効と思われるものは、せいぜい食生活由来の生活習慣病やアレルギーです。食養だけを仕事としていれば食養だけで解決しようと、、、そして食養だけで全ての病気が克服できる錯覚を抱くものです。私もその道を歩んできました。漢方雑感に記した事が食養にも当てはまります。冷静さを失うと、癌も治る、不老長寿も可能、精神病も、不登校も、、、全ての幸福がたった一つの療法で解決可能のように思えてくるのです。確かに治った例はいくつも見聞します。しかしそれは食養が自然治癒に導くきっかけを演出しただけかも知れません。契機とはなっても要因ではありません。プラシーボの有効性を否定はしません。問題は、この認識がなく、あまりにも精神主義的に突き進んで行って治らない時、努力が足りないとか、量が足りないとか、方法が悪いとか、、、いつまでもその療法に患者をとどめておくことです。その間有効な治療から遠ざけたり、苦痛を長引かせたり、無意味な散財をさせることになります。食養の守備範囲を正しく認識し、常識的な栄養学の知識を参考にやっていけば食に対する幾多のトラブルや悪質業者の魔の手から逃れられると思います。常識は最も有効なものさしの一つです。常識で考えておかしなことは、やはりおかしなことなのです。このことは病院で行われている栄養士の食事指導にもいえます。動脈硬化の患者に牛乳、卵を執拗なまでに勧めたり、ご飯を食べず酒ばかり飲んで糖尿病になった患者に穀物の制限をしたり、本当に栄養学の勉強をしてるのだろうか疑いたくなることもしばしばあります。どんな療法であれ、2週間〜1ヶ月で効果のみられぬときは、次の選択又は治療家の変更を考えるべきかもしれません。食は命を養うもの、色々な視点から考え、ストレスにならない実践が望まれます。食に関する事は、
養生訓の話雑記箪笥にも書いています。併せて読んで下さい。

きょうもどこかのテレビ局でグルメ特集、一般的なグルメ、粗食グルメ、オーガニックグルメ...こだわりの料理人が講釈を垂れる。食養も含め、今飢えてる人に向かって言い聞かせることができるのか?食物を捨てるほど、飽食大国となった日本の影の部分に思いが及ぶと、いつもこの一首が浮かんできます。

戦いに病み飢えし子が画面にいる せめて酒盃を置きたまえ父よ

(作者不詳朝日歌壇から、1992年12月8日の朝日新聞に紹介された歌)

【参考図書】
動物としてのヒトを見つめる 島田彰夫 /食とからだのエコロジー 島田彰夫 /食と健康を地理から見ると 島田彰夫/牛乳神話完全崩壊 外山利通 /牛乳アレルギー 小林登 訳 /エコロジカル ダイエット ジョン・ロビンズ/完全自然食健康法 マクドゥガール /食養と漢方 伊藤清夫 /食生態学入門  西丸震哉 /栄養と食養の系譜 萩原弘道/自然食は安全か 高橋晄正 /砂糖病  ウイリアム・ダフティ /食と栄養の文化人類学 ポール・フィールドハウス/ナチュラルとヘルシー ウォーレン・J・ベラスコ /ベジタリアンの健康学 蒲原聖可 /漢方薬膳料理  渡邉 武/陰陽五行説  根本幸夫

 

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