【読書録(医療)】-2002〜3-


お医者さんも戸惑う健康情報を見抜く
「がん」は予防できる
薬のいちばん大事な話
あなたの病気は遺伝かもしれない
成人病の真実  

精神分析医を精神分析する

医者が薬を疑うとき
40歳から気になる病気、危ない兆候
「心の専門家」はいらない
ドナービジネス

 


お医者さんも戸惑う健康情報を見抜く 小内亨 

医師が書いてバカ売れした「バカの壁」は医師が語る人生論や政治、社会問題であった。政治や哲学の専門家はどのような感想を持ったであろうか?壁を越えることの出来た著者は似たようなシリーズを次々と出版しブームを巻き起こした。余談になるが、「バカ」などと「お里の知れる」言葉を平気で冠する出版物が増えたのもここ数年の傾向である。私が持っている本も「バカのための読書術」「やっぱりバカが増えている」「まれに見るバカ」などがある。本を売らんが為このような下品なタイトルで「奇を衒う」のであろう。買って読んだ私が最もバカだった。

さて、紹介する本はお医者さんが書いた健康読本である。医学の門外漢にもわかりやすく健康情報の見方が説明されている。医者が他の分野ではなく、専門分野を語る価値ある書物であった。情報が一人歩きを始めると、時として専門家さえ欺かれることがある。薬や食品または代替療法を専門家が信じ、医学の素人に提供するならどのようになるだろう。しかし、専門家の多くは健康情報を冷ややかな目で見つめている。医学の教養を積み、くる日もくる日も治療に向かっている人にとって「魔法の薬」や「奇跡の治癒」など稀なことである。それゆえ魔法であり奇跡でありうるのだ。素人が受ける情報は希望と無知が混在し異様な妄想まで高められることがある。著書は健康情報を検証し医師の目で見た可能性を提言し、妄想を冷ましてくれる。専門家とは有難いものである。この中から代替医療の項目について触れて見たい。

体の不調を感じたとき、病院へ向かうか、放置するか、病院以外に何らかの対策をとるに違いない。病院以外の対策は個人によって多様性を発揮するところである。稀に一層の不養生を囲う人も居れば、細心の注意を払う人、食事や運動療法に糸口を見出す人もあるだろう...この中に代替療法がある。薬草をはじめ鍼灸、気功、アロマ、、、これらのものは民間療法として素人レベルで行われたものであった。やがてやや詳しい人が糧とするため代価を頂くようになり療法の名前が付いたのだと思う。たとえばアロマ(芳香療法)は香りの良い植物が快適であることから、快適なものが癒しの手助けになるだろうと期待が持たれた。現在では、、、芳香療法の協会があり資格認定学校まで設立されている。素人が普通に行っていたありふれた遊びや娯楽に療法の名が付けられ、重く難しく解釈される。やがて素人は排除され、糧を得る人たちの療法になってしまう。例えは適当ではないが芸事の家元のように本家や元祖同士の縄張り争いも起こっている。かつては普遍的に行われていた薬草療法に対し「素人療法は危険だ」と言い始めたのは誰だろうか?

「現代医療でサジを投げられた人を救う..」と高らかに謳っても、たかが代替医療ではないか!しかし、嘘でも希望のあるほうが心の持ち方は改善するだろう。人によって、病状によって、そしてすべてが個々の事情によって選択されるべきものだ。ここで法則や海図を示すことは出来ないが、参考となる資料や提言は医学の専門家である医師の側から積極的になされなければならない。残念なことに代替医療を正しく評価し治療に取り入れることの出来る医師は少ない。稀に見かける代替医療の医師は、ひとつの療法に凝り固まった教祖であることが多く危険でさえある。医師に限らず治療家と称する人々は「排他性」を持っている。自らの治療を最上とする信念が治癒を助け、これが翻って排他性に向かうのだと思う。

通常医療が受けられるにも関わらず代替医療を求める人の割合は増加傾向にある。ガンなどの疾患で30〜40%、関節リウマチで63%、難治性アトピー性皮膚炎で23%、糖尿病で39〜73%という数字がある。かなりの数にのぼるが代替医療に対し提言を得る受け皿が充分整っていない。医師や薬剤師、看護師などがいくらかでも療法の利点や欠点を学ぶなら代替医療による健康や金銭の被害を未然に防ぐことが出来るだろう。

代替医療を揶揄する言葉として「3た論法」というのがある。「使った、治った、故に効いた」というお粗末な論法だ。しかし、西洋医学の医師もこの論法で新薬を適用していることは否めない。忙しいなかでevidenceに基づく治療はあまりにも時間と手間がかかりすぎる。新薬については検定を経ているだけに、一定の根拠を見出すことができるが、代替医療に関してはそれも殆ど無い。たとえば漢方薬に効果があるならば証に関係なく投与し、水より有意差がなければならい。これは代替医療の医薬品や食品が抱える大きな問題点である。検定が不可能だからやらないというのでは、何時までも怪しい療法のままである。漢方薬について良く言われることは、初回投与の薬は効く、まさかと思った薬が効く、師匠の勧める薬は効く、稀にしか使わない薬は効く、希少で高価な薬は効く、難解な理屈で用いる薬は効く、、、数値で示せない為、このような経験で有効性のルールを創作する。多くの病気や不調は専門家の介入なしにやがて時間が癒してくれる。ここで「放置する」という選択肢が浮かんでくる。そして放置することで治癒する病気に薬を投与していたなら経験というルールは自己満足に過ぎない。

プライマリーケアー(初期医療)の選択は医療の素人にはやや困難なのかも知れない。軽い症状を見逃すまいと大病院を受診し、いきなり重厚な検査メニューをこなす。ここで重篤な疾患の前触れであることが判明するのは少数である。前兆かも?と心配する人、気にしない人、いずれかは個々の人生観に負うところが大きい。ともあれ不調や苦痛は一刻も早く取り去りたいものだ。ここにプライマリーケアーとしての代替医療の存在が見えてくる。代替医療の薬物や技術よりもその理念や思いやりが通常医療の現場で生かされるものと思う。元々、代替医療は民間発祥のもので難しい療法ではない。手技を要するものは別として、医師ならば短期に習得可能なものである。知識ある否定と、無知の否定では雲泥の差がある。すでに東洋医学に取り組んでいても、さらに他の療法を知ることで広がる可能性がある。これこそ越えなければならない「バカの壁」ではないだろうか。

 

「がん」は予防できる 坪野吉孝

ガンをはじめ病気に罹ったとき一体どのような行動をとるであろうか?日々の健康を維持するため心がけているものは何だろうか。成り行き任せで気にも留めない人も沢山居るかもしれない。もちろん逆もあるわけで病的なまでに心配し健康維持が目的となった人も居るに違いない。さて、そのための情報をどこから入手するであろうか?テレビ、新聞、雑誌、友人、広告、それらが全て正しい情報を提供してくれるとは言えないにもかかわらず振り回されてはいないのだろうか。その振り回され様は、大きく2つのパターンが見られる。食物あるいは薬など体に良いとされるものをどんどん求め摂取する生き方と、逆の発想でリスクを回避するため一定のものの摂取を控える生き方である。

著者が主張されていることを一語でいえば「Evidenceに基づく行動」である。ここで、ガンの発生要因を考えると、次の表になる。

【ガンの要因別寄与割合】

要   因

寄与割合(%)
喫煙

30

成人期の食事と肥満

30

運動不足

5

職業性の要因

5

がん家族歴

5

ウイルスなど感染

5

周産期・成長期の要因

5

生殖関連要因 3

アルコール

3

社会経済的要因 3
環境汚染 2
放射線 2
薬物・医療行為 1
塩分・食品添加物・農薬汚染 1

1996年 ハーバード大学調査

喫煙と食事で60%を占めそれに運動不足や職業性要因を加味すると原因の7割は生活習慣が原因となっている。

   私がこの分析結果をみたときには、「たばこ・酒・運動・体格というわずか
   4項目の、単純な生活習慣の良し悪しによって人の生き死にの、かなりの
   部分が決まってしまう」ことに、ちょっとショックを感じたものでした。

本のテーマはガンの予防である。ガンは最も深刻な生活習慣病と言えなくもない。その予防対策に用いられる様々なものをEvidenceに基づいて検証していくと、予防の常識と思っていたものが意外にも根拠不十分であったりする。

  • 食物繊維を多く食べると、大腸ガンの予防になる。
  • お茶(緑茶)を多く飲むと、胃ガンの予防になる。
  • 動物性脂肪を多く食べると、乳ガンのリスクが高まる。

これらのことは既に確立した事実のように思われているが、可能性はあっても実際の生活に取り入れるほどの十分な根拠はないと判定されている。しかし、生活習慣は大きな割合で関わってくるのである。テレビの健康番組では、ありふれた養生法は話題に上らず、視聴率を稼ぐためかどうか、入手しにくい薬草や珍妙な養生法が紹介される。例えば日常食べる野菜で20%程度のガン予防効果があればそれは価値ある数字といえるが、「ガンが治った」とか「90%の有効率」というほうが注目されてしまう。実際はこのような驚くべき数字こそ疑いを持つべきなのだ。その有効率に踊らされて飲む健康食品やサプリメントが果たして安全なものなのか?欺瞞に満ちた有効率より安全性や体への負荷を考慮することこそリスク回避につながるのではないだろうか。

食に関しては身近なだけに最も興味と関心の寄せられるところであるが、科学的研究に於いて白黒はっきりさせられるようなものは存在しないのである。

   いわばすべてが「灰色」の、不確実性を含んだ状態にあるのが、食べ物
   とガンをめぐる研究の通常の姿なのです。(食べ物とガンに限らず、すべ
   ての医学研究の姿といってよいでしょう)

又、安全性や自然というかけ声のもと、一工夫された食材を求める商業主義に流されていくことにも注意を促したい。そして最も警戒すべきは「煙草の害」である。これこそ第一に取り上げ実効のある対策がとられなければならない。食事よりも、遺伝よりも、環境汚染やストレスよりも、さらに早期発見、早期治療よりも、一次予防という意味において「煙草回避」こそが重大な要件なのだ。煙草を吸いながら健康に良い食材やサプリメントを嬉々として求める人の気が知れない。煙草ごときの奴隷に堕して周囲への配慮すら忘れた人々を心底嫌悪する。

話は変わるが、本の中で最も驚いたのは、Evidenceに基づく行動を是としている著者から「奇跡的治癒」の話が出たことである。

   科学を超えた治癒が起こるときには、予測も再現もできないかたちで、
   いわば「思わぬ恵み」として、与えられるものなのかも知れません。
   だとすれば、人智を超えた癒しへの希望を抱きながらも、さしあたって
   は、万人に通じる予測性と再現性を備えた科学的根拠に基づいて、
   なにを食べ、どんな生活をするかを選択する、さらに、「奇跡」や「科学」
   の名を騙って偽りの希望を振りまく手合いを、注意深く見分けて遠ざけ
   る、そんな対処が必要でしょう。

このことに関しては著者自らの経験を交えて書かれている。奇跡的治癒とは「合理的に理解出来ない仕方での回復」と言い換える。そしてこの奇跡的治癒を拠り所とする代替医療に話は及んでゆく。科学的根拠に基づく医療(Evidence-Based Medicine=EBM)に於いて、推奨する代替医療はないと言い切る。容認できる代替医療に対しては「効果の可能性があるので承認する」というような、「積極的」な意味ではなく「効果は未確認だが、重大な害の可能性は低いので、患者が希望する場合には反対しないでその意思を尊重する」という「消極的」な意味で...という。代替医療のひとつである漢方に取り組む者にとってはいくらか残念な言葉である。

さらに代替医療が少ない副作用でプラシーボを発揮するという主張について、実は今まで考えられたきたよりプラシーボ効果はずっと小さいと言う。痛みや食欲などの主観的症状の改善はあっても病気のもとは殆ど変わっていないのだ。プラシーボで見事な治療効果を得た症例は、一定の率で起こる自然治癒と重なったためかも知れない。

まとめは、シンプルなことを着実にと「ガン予防生活術5か条」が提言されている。

  1. 煙草は最大の危険因子。
  2. アルコールも確実な危険因子。
  3. 体を動かして肥満に注意。
  4. 野菜と果物を多く食べ、肉類と塩分は控えめに。
  5. 有効性が確認されている検診を受けよう。
 

薬のいちばん大事な話 別府宏圀 

例えが適切かどうかはさておいて、格闘技のプロなら素人を打ち伏せるのにそれほど手間はかからないだろう。医学知識をプロのレベルまで高めたと自負していても、素人はプロにはなりえないのだ。

   効果や危険性は何と比較して判断するのか、何を目安に優劣を判断するのか、
   新しい治療薬は従来の薬とどう違うのか、本当に危険性はないのか、
   そんなことをきちんと説明されなければ、いかにインフォームドコンセントという
   きれいな言葉を並べても、患者には判断のつけようがない。

   専門家の知識と権威をフルに活用すれば、黒を白といいくるめて患者を納得さ
   せることなど簡単なことである。

命や健康にかかわる判断を前に、偏見のない判断材料を提供してくれる専門家は居るのか居ても信頼に足るかの検証手段さえないないのが現実である。専門家でさえ正当な知識を備えた上で仕事を遂行しているのかどうか不安は尽きない。最も情報を蓄えた製薬会社は、健康を優先目標としながら利益の追求も怠らない。多くの医師が製薬会社からの情報を元に薬の運用を続ける限りそこに超えられない壁のあることは否めない。新薬治験の一相試験では健康人約100人程度、二相試験では、いよいよ病人を対象に100〜300人、三相試験という最終関門で数100〜1000人規模の試験を行う。せいぜいこの程度の規模でしかない。ところが認可され実際に市場に出回ると数十万〜数百万人規模に拡大する。ここで一万人に一人という頻度の副作用が報告されることになる。稀に発生する副作用に対して、製薬会社は「まだ報告されていません」「起こり得る筈がありません」と、、言い。拡売を続け、取り返しのつかない事件になったことがいくつもあった。高度で細分化された知識の検証は一般の臨床医とっても困難なことなのだ。製薬会社が医師さえいいくるめるのはたやすい事である。

服用する患者側は薬に期待を抱き、効果にも副作用にも敏感になり服用後の変化に注意を払う。思わぬ不快な作用は副作用に結びつけて考えるが、投与した医師の側は、リスクには目を伏せても治療への有用性を重視する。そのため病気の一症状と判断し、反対に投与量を増やしたり、続服を促したりすることがある。マイナスの効果は医師にとって人格さえ否定されるほどの痛手なのだ。重篤な副作用でなければ治療効果のプラスを選ぶほうが理に叶っているのだが、情報が不十分だと不安の方が膨らんでしまう。

薬の副作用のひとつに習慣性の問題がある。特に精神安定剤といわれるものは長期、大量、多種の服用で習慣的使用から抜け出せなくなる。精神安定剤(トランキライザー)にはメジャーとマイナーがありマイナーは比較的作用が穏やかで、軽い不安や不眠やイライラのとき「安定剤」という説明で投与されるもので、内科はじめ広い診療科に渡って使われている。化学構造から分類するとベンゾジアゼピン系の薬が多い。この系統の薬は細かな構造の違いはあってもすべて、抗不安、鎮静、催眠、筋弛緩、抗痙攣の作用を持っている。これらの薬にそれぞれ安定剤、鎮静剤、睡眠剤などの呼び名を与えているに過ぎない。安定剤が睡眠剤に変わったからといって本質的には殆ど変っていないのである。

   ベンゾジアゼピン系薬は、それぞれにすこしずつ化学構造が異なり、それに対応
   して臨床的な意味が異なるようにみえるが、じつは本質的内容に差はなく、適応
   症の間口を広げて細別化することにより、あたかも違う薬であるかのような印象
   を与えて、さまざまな患者に使わせるための商業的戦略からうまれたものだ。

商業戦略といえば単に安定剤にとどまらない、他の薬も、健康食品も漢方薬も、、また代替医療全般に於いても、さらに食品や電気製品についても、まったく変らない戦略がとられている。患者数の多い高血圧薬、抗脂血症薬などの循環器系に作用する薬はおびただしい種類になる。老化に伴って起こるものであるだけに、誰しも一度はお世話にならなければならない。しかし、効かないといって薬を替える必要があるのだろうか?効かないならやめるべきなのだ。効かないといって量や種類を増やす必要があるのだろうか?効かないなら効かない理由を探すべきではないか。とくに安定剤に関しては数種を投与することが多く、それらの相乗作用で意識朦朧となり廃人のようになってしまう人を見かける。「多剤投与は多罪投与」という警句を思い出す。

医療の世界にも企業の利益追求の手は伸びる。血圧値、血糖値、コレステロール値、これらの基準値に関しても業界の利害が絡んで複雑になっている。体力や抵抗力の落ちた病人がさらに薬を消費し業界に貢献する構図が、ここにもある。

 

あなたの病気は遺伝かもしれない オーブリー・ミランスキー著 佐々木信雄訳

細心の注意を払い、石橋を叩いて渡るような厳しい養生を是としていても、早逝する人もあれば、煙草、酒、美食...ありとあらゆる不養生をしながらも長命の人がある。これは一体どのように考えたらよいのだろうか?一般的には「素質」「体質」という言葉で説明するが、もう一つ深く掘り下げてみると、そこに遺伝子の役割が浮き上がってくる。

遺伝子を操作して新しい種を作る遺伝子組換えやクローン技術、遺伝子の変異に伴う耐性菌の出現など遺伝子を取り巻く環境は複雑な様相を呈している。遺伝子医療から遺伝子技術の商利用まで思いをめぐらすと、最新の技術の光と影を見る思いである。遺伝子はオーケストラのように個々のパートが複雑に絡み合って奏でる生命情報である。それによって生命活動や病気までも管理し影響を及ぼしている。遺伝子の損傷や変異によって起るものは、体調の不具合の原因となるものから生命の脅威となるものまで種々様々である。

遺伝子は子々孫々受け継がれ次の世代へと命を伝え、顔や肌の色をはじめ運動能力、性格、知力などまでも影響が及ぶのは周知のことであろう。それにより生じる個体差は好むと否とに関わらず厳然として立ちはだかるのである。神から賜った運命が潜んでいるのである。遺伝子の全貌など語り尽くす事は出来ないが、健康を考える為の参考として、いくつかの病気を例に遺伝子との関わりについて紹介したい。

【高血圧症】
高血圧症は特発性と本態性があり、その95%は原因不明である。第一近親者に55歳以前に高血圧症患者になった人が2人以上居る人は、そうでない人より、高血圧症に罹るリスクは2〜5倍も高くなる。そのリスクは20歳〜39歳のあいだでもっとも高く、それ以降は目に見えて小さくなる。また妊娠によって誘発された高血圧症は中年以降になって本態性高血圧症になるのが確実という。また仮説の段階ではあるが、胎児のころ発育不全だった人も高血圧症に罹る率が高いという。奇妙なことに胎児の頃発育不全だった人の指紋はあきらかに渦巻紋を持つことが多い。つまり渦巻紋を一つ以上持つ人は、一つも持たない人より高血圧症になる率が高いとの報告がある。これに似たもので発育不全だった人の手は小さいため、手のひらの巾の狭い人の血圧は高いらしい。このような遺伝的な形質があれば、環境や食事の影響が顕著に現れやすい場合がある。塩、煙草、酒など断つべき体質ともいえる。また養生に関係なく運命付けられた人もあるに違いない。どのような治療にも養生にも応じない病気は存在する。

【糖尿病】いまや予備軍も含めると5人に1人とも言われているが、糖尿病には次の
      4種類のタイプがある。

  1. インシュリン非依存型
  2. インシュリン依存型
  3. 栄養不良関連
  4. 他の病気との合併症

インシュリン非依存型の原因遺伝子はいくつか特定されている。現在では数個の感受性遺伝子と、一つかそれ以上の環境因子とが相互作用を起して発症するものとされている。アメリカで25年かけて、このタイプの患者である親の子孫606人を調べた結果、彼らの45%が65歳までに発症していることがわかった。(全国平均の5倍の発症率)

インシュリン依存型糖尿病は、感染症や身近に存在する細菌などへの感受性を助長させ、膵臓のインシュリンを生産する細胞にダメージをあたえる遺伝子がある。この病気の患者のいる家族はさらに、自己免疫系の病気になる可能性がある。糖尿病患者の21%、そして彼らの第一近親者の22%が糖尿病のほかに自己免疫関係の病気を持っているという報告がある。

【ガ ン】すべてのガンは遺伝子に関係し、細胞内の遺伝のメカニズムを巻き込んだ病気であるが、すべてのガンが遺伝すると言う事ではない。その90%が主として環境要因によるもので、残り10%は遺伝的素因が直接の引き金となって起っている。その多くに片親から、ときには両親からもらった単一の変異遺伝子が関わっている。近親死者にガン患者、、特に50歳以前に発症した患者がいるかどうかを調べる必要がある。遺伝性のガンの大半は優性遺伝子によるものだ。片親が、ある遺伝性ガンの患者であればその子供たちは50%の確率で、そのガンの原因遺伝子を持つことになる。

また、高齢になるほど、ガンにかかるリスクは高くなる。ガン患者の70%は65歳以上の人が占めている。65歳以上の人は、それ以下の人より11倍もガンにかかるリスクが高い。高齢の患者の2/3〜3/4が大腸ガン、直腸ガン、胃ガン、膵臓ガン、膀胱ガンを発症させている。肺ガン患者の65%以上、非ホジキン・リンパ腫患者の50%以上、前立腺ガン患者の77%以上、、が高齢者なのである。20歳代をピークに緩やかに老化が始まると、細胞やDNAの損傷を防ぎ修復する力は低下する。その低下の度合いで健康で過ごせる時間や寿命の長さが決まってくる。さらに遺伝的にガンの素因のある人はない人より食生活や喫煙、飲酒での影響が大きいといえるだろう。ここに養生の意義が認められる。

遺伝子検査や遺伝子治療を巡っては一歩誤ると「神の領域」を侵す事にもつながりかねない。知識が増えたために、知識の逆襲も起こっている。細かな倫理規定が盛り込まれてはいるが、善意の研究が企業の利益追求と結びついたとき、ゆっくりと崩壊が始まる。

   遺伝子治療は今世紀中には可能になるだろう。そうなれば、私たち
   の免疫機能を遺伝子レベルで強化することは夢ではない。とは
   言うものの、それはただたんに、私たちが出発点に立っているという
   意味でしかないのだが。

かつて、夢の新薬といわれたインターフェロンも期待したほどではなかった。人は永遠に不老長寿を追い求める皇帝にも似ている。それでも立ち止まる訳にはいかないのだ。

 

成人病の真実  近藤 誠  

職場、地域の年中行事、定期検診。例えば10項目を検査した場合には、少なくとも1項目が基準値外(異常?)と診断される人が40%も生じる。そして30項目も検査したら、少なくとも1項目が基準値外と診断される人が78%。これが、人間ドッグで八割以上の人が異常のレッテルを貼られる原因、と言う。このような数値を見ると、皮肉にも人間ドッグで異常なしと診断された人こそ異常の範疇に属するように思えてくる。そして異常なしと診断された人が、数日、数ヶ月後に、癌や心臓病、脳卒中で死亡されたという話も時たま耳にする。

近藤先生は「癌と闘うな」論争で、くじ引き試験の臨床資料を元に「癌」と「癌もどき」理論を展開された。この本はそれをさらに他の病気にも応用し考察されている。読み応えと驚きで、しばし絶句するほどであった。成人病、生活習慣病といわれる病気やその診断、治療及び治療薬など医療を巡る多くの問題を提起されている。全て触れる事はかなりの労力がいるので、最終章「定期検診は人を不幸にする」、これに絞って紹介。この章に近藤先生の考えや本のまとめが凝縮していると感じたからだ。

病気の症状や苦痛のある有症状者にとって、検査などで異常を確定し治療を施す事は、苦痛の軽減になるし病を治療するための医療介入は有効である。これは言うまでもない常識である。さて無症状者に対する検査である。フィンランドでのくじ引き試験を掲げてあった。片方のグループは、なにもアドバイスしないで本人の自由にさせておく「放置群」610人。他方は、医者が食事、運動、喫煙などの養生をアドバイスする「介入群」612人。こちらには必要に応じ投薬などの医療介入がかなり徹底的に為された。試験期間の5年、10年間両グループの生死を調査すると、、、以下は、試験開始後15年間の主な死因と死亡数だ。目を疑う。

【心臓死】放置群 14人  【癌死】放置群 21人    【総死亡】放置群 46人  
      介入群 34人       介入群 13人          介入群 67人

心臓死は、心筋梗塞と心臓突然死で、食事、運動、喫煙など心血管疾患を減らす目的の介入が逆に、心臓死と総死亡数を増やしていることになる。介入群の癌死の減少は禁煙などのライフスタイルへの介入が有効であったと説明されている。無症状者ではいずれの疾患を発見して治療しても寿命が延びない(死亡数は減らない)。延びないどころか死亡数が増えている。何故こんなことが起るのか。

おそらく、病名を告げられたり、異常を指摘されたり、医者から薬を渡され生活の指導を受けたり、薬や治療などが心身のストレスになったのではないか?いま行われている医療行為のかなりの部分を真っ向から否定する見解である。「健康という病気」、健康を気遣うあまり、単なる日々の体調の変化にあまりに敏感に反応しすぎてはいないか?大らかな方が良い。しかし勝手気ままな生活より節度ある生活を選びたい。養生とはいくらか禁欲的ではあるが、禁欲さえ愉しむくらいの養生が良い。健康が目的やストレスになることは注意しなければならない。

「本物の病気」と、病気ではない「病気もどき」、それは単に日々の体調変化だったり、老化という避けられない自然現象だったりする。また検査値の罠に掛かっただけかも知れない。「症状がなくても静かに進む病気があるのだ」、「だから、定期検査を受け早期発見、早期治療を.. 」と喧伝し営業範囲を拡大する医療業界に安易に乗り続けてはいけないのではないか?未来の予測がつかない以上、病も死も結果から過去を判断せざるを得ない。「だから、検査を受けておけば.. 」「あのときの小さな異常が、実は.. 」こんなことは良くあることだが、結果から過去を解釈しているに過ぎない。ある程度異常を感じつつも元気に生き、安らかな死を迎える人もある。

統計的資料は、現実の生活感覚からすると随分乖離しているのかもしれない。実際、病気が治った例や薬が効いて苦痛が楽になった例はいくらもある。病院へ行かない事など考えられないという人もあるだろう。近藤先生の結びの言葉は先生の「哲学」の根幹を為すものと思われる。

   完璧な健康はありえない。不老長寿はありえない。そこそこの状態で我慢
   しなければならないことも多い、という一種の諦観も有用です。

このことも癒しや医療の技術として考えて行かなければならないと思っている。豊かさゆえの癒しと言えなくもないが。

 

精神分析医を精神分析する  佐藤幹夫

〜「心の専門家」はいらない 小沢牧子著 洋泉社〜と似た展開の話である。
出版社も同じで、2匹目のどじょうを狙った訳でもあるまいが、本を手にした
のは私のほうでその期待がなかった訳でもない。

著者は養護学校の教師。身近に接する子供の事は自分たちの方が良く知っていると自負する。ところが精神科医がやってきて「シロウトに何がわかるか」と言う露骨な態度での一方通行に疑問を持つ。たまにやって来る精神科医の気まぐれに変転する指示に現場が振り回される様子が書かれている。

数学や物理学のような厳密な学問と比べ医学などトンデモ学説が横行する余地がありすぎる。仮説の上に仮説を積み上げたような奇妙な治療理論や診断法など幾つもあるし、その理論や治療家の信仰によって多くの患者さんが振り回される事は多い。医学の領域で、とりわけ「心」を扱う精神分析は人文科学との境界も曖昧で特にトンデモ学説やトンデモ解釈の入り込みやすい分野である。オカルトの巨匠ユングの集合的無意識は今や精神世界の基礎理論に利用され、ライヒのオルゴン・エネルギーは超科学の道具を幾つも産み出している。

観察し感じたことを精神医学用語で解釈すれば、科学的検証がなくても、お構いなく一定の医学という体裁が保てる。パトグラフィー(病跡学)がその代表だ、犯罪者はじめ作家や芸術家を精神医学用語で分析・解説するという学問?である。精神病理学のトレーニングとしては有効なのかも知れないが、お遊びの域は出ない。こうした誤謬を精神分析医が犯していないか?

テレビを通して発言されたものが、マスコミから流される情報のみを頼りに、精神医学用語を冠するだけのコメントであったり、医師としての現場経験が感じられない浮薄なコメントだったりする。これくらいのコメントなら素人だって出せると言った程度のものが、新聞記事では識者のものとして紹介される。さらに配慮もなく病名を付してゆくことで同病の人達への偏見を助長しているのである。後の裁判で精神鑑定の結果、その病名が見当はずれである事が判明しても、一向に反省もなく相変わらずテレビの前に登場し、同じ愚行を繰り返している。酷い時はゴシップまがいの記事さえ精神医学用語で解説してくれる。こうなるとお笑い番組に等しい。

心の専門家と言いつつ、患者とも社会とも良好な関係を築けない専門家の属性や異常性を見る思いである。5月のコラムで述べたように、患者の事より自分の職域を守ることを一義としていないか疑いは払拭できない。職域や立場を守ることを”否”と言うわけではない。陳腐だが、見えるものが見えなくなったり、必要なことが置き去りにされたりはないのかという謙虚な姿勢は、精神分析医に限らず要求される事である。ことによると精神分析医そのものが病み、その癒しを必要としているのかも知れない。

印象に残ったのは、勉強術で人気の精神科医、和田秀樹氏。この著書に対し中山治氏が自らの著書で和田氏の勉強法を批判した記述があった。さらにその反論で和田氏が中山氏に対し、、「東大になぜ入れなかったのか、アカデミズムの世界にいて、なぜ功を為し遂げられなかったのか、それだけで勉強術の優劣は明らかだろう」という趣旨の事を書いていたと言う。相手が、あるいは周囲の人が、どんな感じを抱くであろうかの配慮もなく、このような捨て台詞を吐く精神科医を寂しく思う。

 

医者が薬を疑うとき  別府宏圀 

医者からもらった薬がわかる?イヤ もらった薬で医者がわかる?
帯にはこんなことが書かれてあって、大いに興味をそそられ手にする。著者は浜 六郎先生との共著・世界のエッセンシャルドラッグ等で中立的な医薬品情報を発信されている。改めて中立的といえば...いままでは中立的ではなかったのかと疑問がわいてくる。

薬害スモンとの出会いから始まった医薬品との関わりの中で、体験し研究したことを随筆もまじえて書かれてあった。薬効の評価や評価方法をめぐる明解な解説には医薬品の仕事に携わるものとして改めて、その難しさを痛感した。

すべてに触れるのは大変なので、一部薬効の評価について少しまとめてみたい。

帰無仮説・・・効き目を疑う事から始める。

例えば血圧降下剤が本当に血圧が下がるかどうか評価する場合。

血圧は心理状態や、その日の体調、測定場所、測定状態、、、などによって変動する。薬を処方したり、調剤する人の思いや、患者の薬に寄せる期待でも効果が変わってくる。よく言われるプラシーボ(偽薬)効果を排除したところに本当の薬効があるわけでこれを厳密に検討しなくては有効と言えない事になる。

まず、帰無仮説によりこの薬が無効という仮説を立てる。いくつかの被験者の群に投薬し血圧を測定する。ところがある薬の群だけ、効果が見られる。

   効かない筈の薬なのに、このようなことが起る推計学的確率を、
   危険率と呼び医薬品評価の場合、一般にその危険率を5%とする。
   (100回に1回も起らないことが起ったとすることを危険率1%未満と表現)

100回に5回も起りえないことが起ったならば、効果がないと言う仮説は不具合で、むしろ効果があると結論するのが妥当である。といった面倒で混乱を催す手順で評価をしてゆく。

このための、くじ引き法(正式にはランンダム化比較試験、RCTと呼ぶ)が50年前に導入され、このことはペニシリンの発見以上の発見であると記されている。不都合なデータが捨象されたり、被験者を選定する上での作為を排除する公平な方法である。

も一つ興味を惹いたのはNNT(Number Needed to Treat治療必要係数)の話。「その薬を服むことによって服まなかった場合より、1人だけ余分に助かるためには一体何人の人がその薬を服まなければならないか?」という事である。これは薬のみならず手術や諸々の医療行為の評価にも応用できるものだ。

わかり易い例が書かれていた。たった一人の日本人の心筋梗塞を防ぐため、男性なら95人、女性なら388人が毎日抗脂血症薬を服まなければならない。費用に換算すると、男性1人の心筋梗塞を防ぐのに1.3億円、女性1人の心筋梗塞を防ぐのに5.3億円が必要になる。更に薬だけでなく医療に要する費用を算出すると、日本人男性の心筋梗塞を1人減らすのに必要な費用は2.8〜4.2億円、女性では17〜26億円という膨大な医療費がかかる事になる。人、ひとり生きてゆくのは大変なことである。

一般で言うところの「薬が効いた。」とは服んで何らかの苦痛が改善されたり、体調の変化が見られたときの表現だが、その内容には奥深いものがある。プラシーボを排除する治験には膨大な費用と手間がかかる、そしてそれに見合っただけの結果が得られないこともある。漢方や薬草、健康食品など、厳密な治験にもとづいたものは殆ど見当たらない。プラシーボの範囲で効いているのかも知れない?と戸惑いつつもプラシーボ以上の可能性もないと言い切ることも出来ない。

 

40歳から気になる病気、危ない兆候  イザドア・ローゼンフェルド医学博士

著者名の後に、改めて医学博士などと書かれてあるので、医者の医学博士なのか、それとも論文が医学博士として認められたのか?と思ってプロフィールをみると確かに医師である。そして全国ネットのテレビ番組にもたびたび出演しているとある。こんな偉い博士が、素人の視聴者を前に、ちょっと専門的、常識的な健康の話やアドバイスをわかりやすく説いてくれたら、きっとその気になって信じてしまいそうである。あくまでも一般論だから個々の症例や悩みは、それなりに検討し、それぞれの状況に応じて解釈しなおさねばならない。

   そのちょっとした不調、大事になってからでは遅すぎます!

確かにこんなことは常識で、当たり前で良識的発言に違いなく、多くの人が、また専門家もよく口にする言葉である。

果たして本当だろうか?大事になってからでは遅すぎるのか?
では、早かったら間に合うのだろうか?

早さをいうなら、中高年からでは遅く、生活習慣病と言われるものは低年齢化していて既に幼児の頃から大動脈の硬化がみられ、小学校高学年になると肥満や糖尿病などもないわけではない。正しくは、生れ落ちた時からといわねばなるまい。

そんな病気の兆候や対処法、治療法など盛りだくさんの情報が解りやすく簡潔に述べられていて、大変参考になる書物であった。そのまま放置しておくという対処法もあって、なかなかきめ細かな配慮も感じられた。病人の身になって考えるなら、放置などとは、とても容認できない対処法かも知れない、しかしやはり選択肢の一つとして正直に訴えるべきものであろう。医者が「しばらく様子を見ましょう。」というのがこれに該当する。これまでの内容なら、別段大したことでもなく、ありふれた書物として、普通に読み終えたはずである。

しかし最後の1ページで、この本の評価が、とたんに輝き出す。

   本書を締めくくるにあたって、ぜひ言っておきたいことがある。自分を哀れみ、
   つぎの誕生日がきて、容赦なくまたひとつ齢をとるのだとふさぎこんでいては
   いけない。新たに誕生日を迎えられるのは、うまく生き延びているあかしなの
   だということを忘れてはならない。期限のある終りの日に1年近づいたと
   いうことではない。ひとつ齢をとれば、それだけ長生きしたことになるからだ。

やがて訪れる死に対峙すると、いろんな方法でその不安を解消しようとする。来世を信じる宗教だったり、悟りを開く能力開発だったりする。死を受け入れ、生を諦めるトレーニングにとりくむホスピスなどというものもある。頑張れと、、かけ声だけで、また優しさや思いやりだけで心の隙間を埋めることは出来ない。自らの力で、何らかの言葉や、悟りに近づかねばならない。

今の生をどうするかが大切なことである
今この時を充実して生きよ

常套句であるが、充実って何だ、一体どうすればいいのだ。そのことでさらに不安や悩みが高じる。充実した生が、どこかにあるわけではない。

      J+P=0 (ワイルの恋愛法則)   J:joy   P:pain

「嬉しい分だけ、後から悲しみがくる」と言う歌詞があるが、充実や高揚した日々の背後に、空疎や陥穽があり、それを和すればゼロ、という人生そのものの法則ともいえる。くる日も、くる日もとりとめのない日常が、淡々と、規則正しく繰りかえされ、そして続いてゆく、こんな事が多分充実であり、幸福なのかも知れない。ありふれた日々が、一日延び、そして明日も、そんな一日が..

 

「心の専門家」はいらない  小沢牧子

心のケア、心の教育、心の癒し、なんにでも心がつく時代になった。読み進んでゆくうちに、だからこそ「心」が必要なのだ、という思いを強くする本であった。心を扱う仕事に限らず、自らの仕事に没頭してゆくと、その知識や経験や人脈またはそれによって得られた立場、権威が、極常識的な思考や、ありふれた提言を阻むという事もありうる。

自分の仕事に関してもいえる。漢方の相談で、「薬の効き目は如何でしょう?」と尋ねると「まぁ、まぁ、良いかも知れません。」などと曖昧な返事が返ってくることがある。効果もない薬を、「良いかも・・」と解釈すると、この一語が一人歩きし、やがてなんにでも効く特効薬ともなりかねない、知識に自信と誇りを持っている人なら、その知識・経験の全てを有効という主張に注ぎ込むことも充分に考えられる。例えは悪いが、怪しいMLMビジネスや健康食品の推薦文にノーベル賞学者や何処かの医学博士が出てくるのもうなずける。クライエントはカウンセラーが好み、喜ぶように演ずるように誘導されはしないか?

学校のカウンセリングにしても結局学校生活に適応する事を成功とし、それを拒めば困難なクライエントということになる。こうした評価は、カウンセラー側からの一方的、独断的、ご都合主義の解釈と言えなくもない。適応ばかりではなく、不適応いう選択肢だってある、そのことを一緒に考えられるのは、見知らぬカウンセラーなどではなく素人ではあるけど、身近に接することができる近親者であり友人であろう。

心を商品としてしまった業界に便乗したマスメディアに踊らされる前に少し考えてみよう。怒りや不安を沈めコントロールする技法は、管理する側の都合と、当人にとっても一致した利益を共有する、だからこそ新たな人間管理技法ともいえる。事件に巻き込まれると、なんにつけPTSD症候群と診断名が付く、それがまた問題の本質を隔離し、見知らぬ心の専門家の出番を演出する。世に不条理な事は多すぎる、上手く行かないのが、人の世であり心だった筈ではないか、かっては、身近な、やや経験に長けた人が、真剣に、思いやりを持って、さらに解決には至らなくとも、時間をかけて相談にあたった。心を喧伝するのは、心のモノ化、心の商品化ではないか、心理業界ともいえるかたたちの消費資源となっているのではないかという疑問から話が始まった。

著者は長く臨床心理やカウンセリングの携わってきた人だけに、説得力もあり真摯な議論に脱帽の思いであった。自分で考え、悩む事をやめ、簡単に心の専門家に委ねることで良いのだろうか?心に限らず「生きる事は買う事なり。」という消費資源としての暮らしを見直すべきではないか。

   深くなくても親しい関係
   いっしょに考えあう日常の営み

こんな言葉でまとめられている。きっとこんなカウンセラーなら良い話ができるかも知れない。

 

ドナービジネス  一橋文哉

帯には、原価ゼロ、売値5億にいたる脅威の錬金術と書かれたノンフィクションレポート。週刊誌や本、テレビドラマで、時たま見聞するものの、この手のまとまった読書は初めてのことであった。臓器移殖についての報道も時々あり、日本ではそれほど件数も多くない等と考えていたが大病院近くになにやら怪しい張り紙がある。

「早期腎臓移殖に道、希望者は連絡を!」所謂臓器ブローカールートによる移殖勧誘だ。案外簡単にできるらしく料金は2000万円ほどかかる。フィリピンでドナーを待ち数週間後には移殖を終え帰国。ドナーは現地で探す。このあたりの話はよく耳にする事で、囚人を使うのは国家的事業とのことだ。驚いたのは、子供の心臓移殖で1〜2億円かかり、ドナーは子供、そのため親が子供を売り移殖のその日まで待つ、手にする金はわずか数万円。800円の手数料で子供を誘拐することもあるとか。移殖は麻酔をかけられそのまま生体解剖し臓器を摘出する。移殖されたレシピエントである子供の術後の平均余命7〜8年。さらにレポートは続く、借金に追われる人が、いよいよ追いつめられ自ら臓器を売る決断を迫られる。腎と眼球の売買契約であったにも関わらず、片道切符を渡され、麻酔で眠っているうち全ての臓器をとられてしまう。

改めて臓器ビジネスの多彩で深い闇を知らされる本であった。

狂牛病問題は牛、牛を喰ふ。臓器移殖は、人、人を喰ふ。私は、幸いにも今のところ臓器を売る予定はない。また買う予定もない。でも今のところは、である。その時になれば、今は想像もつかない。臓器ビジネスは暗黒のマーケットから浮上し大学病院や製薬会社、研究者の間で利用されているのは、どうやら事実のようだ。

以下、ラストページの引用は、どの業界にでもいえそうな事である。世に生息する闇は、図らずもヒトに巣食う闇なのかもしれない。

   バブル時代の地上げがそうだったように、まず暴力団などの暗黒組織
   が食い込み、紛争が起きると、フィクサーが登場して、利権を調整する。
   きれいになったところで、大手企業が進出。その新たな開発利権に、
   政治家や”闇の紳士”たちが群がり、魑魅魍魎が跋扈する。

 

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