【易経と漢方】
陰陽論の起源となる易経は紀元前7世紀頃、周の文王とその子、周公によって成立したとされている。いうまでもなく易占いの原典であるが、(陰)(陽)の二分割を積み上げて事象を分類する思想は数々の分野に大きな影響を及ぼした。万物は一なる太極から発生し、陰陽二気がそれぞれ変転し四象を生じる。陰に陽を秘めたものを小陽といい、陽に陰を秘めたものを小陰という。陰中の陰を老陰、陽中の陽を老陽という。これから、さらに八卦が生じる。以下に図示しているが、八卦の組み合わせによって64通りのパターンに分類される。八卦は各々、意味する事象を備え、この解釈によって占いが可能となる。
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太極 ________________________|________________________ |
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陰 |
陽 ___|___ |
(両儀) | ||||||
| 老陰 _____|_____ |
| 小陽 _____|_____ |
| 小陰 _____|_____ |
| 老陽 _____|_____ |
(四象) | ||||
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(八卦) |
坤(地) | 艮(山) | 坎(水) | 巽(風) | 震(雷) | 離(火) | 兌(沢) | 乾(天) | |
8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
易占いでは、まず50本の筮竹を用いて卦を立てる。占う事物に心を集中させ祈り、50本の筮竹を二つに分け、片方の筮竹を置く。残りの筮竹から二本ずつ除いていくと最後は1本又は2本が残り、1本を陽とし算木のを、2本を陰としを置き、これを初爻(こう)とする。次々と同じ動作を繰り返し、計6本を積み上げ64通りの組み合わせのうち、一卦を得る。筮竹・算木での占法は幾種類もあり、別の一例をあげると、残りの筮竹から8本づつ除いていくと、最後は1〜8本が残り、その数が上図の八卦に配当する。一回目は下の卦を、二回目は上の卦を占い算木を積み上げ、64通りの組み合わせのうち、一卦を得る。 |
【64卦】
坤 |
剥 |
比 |
観 |
予 |
晋 |
萃 |
否 |
謙 |
艮 | 蹇 | 漸 | 小過 | 旅 | 咸 | 遯 |
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師 | 蒙 | 坎 | 渙 | 解 | 未済 | 困 | 訟 |
升 | 蠱 | 井 | 巽 | 恒 | 鼎 | 大過 | 女后 |
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復 | 臣頁 | 屯 | 益 | 震 | 筮盍 | 随 | 旡妄 |
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明夷 | 賁 | 既済 | 家人 | 豊 | 離為 | 革 | 同人 |
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臨 | 損 | 節 | 中孚 | 帰妹 | 目癸 | 兌為 | 履 |
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泰 | 大畜 | 需 | 小畜 | 大壮 | 大有 | 夬 | 乾為 |
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【64卦の大意表】
坤 |
剥 |
比 |
観 |
予 |
晋 |
萃 |
否 |
柔順な牝馬 | 崩れゆく山 | こだまする 田植歌 |
吹き荒れる 木枯し |
春を告げる雷 | 昇りはじめた 太陽 |
お祭りの太鼓 | 砂の上の城 |
謙 |
艮 | 蹇 | 漸 | 小過 | 旅 | 咸 | 遯 |
頭を下げる稲穂 | 連なる山々 | 川に変わった 山道 |
飛び立つ 水鳥 |
そむきあう 二人 |
孤独な旅人 | 愛を告白する 青年 |
ひとまず後退 |
師 | 蒙 | 坎 | 渙 | 解 | 未済 | 困 | 訟 |
戦場に向かう 将軍 |
霧深き谷間 | 一難去ってまた 一難 |
風に騒ぐ 水面 |
雪解け水 | 遠くに輝く 太陽 |
水の涸れた 沼沢 |
重苦しい法廷 |
升 | 蠱 | 井 | 巽 | 恒 | 鼎 | 大過 | 女后 |
伸びゆく 若い芽 |
白蟻に蝕まれ た邸宅 |
清水をたたえ る井戸 |
風に運ばれ る種子 |
平穏すぎる 生活 |
供え物を煮 る鼎 |
重すぎる荷物 | 女王蜂のよう な美女 |
復 | 臣頁 | 屯 | 益 | 震 | 筮盍 | 随 | 旡妄 |
戻ってきた春 | 上顎と下顎 | 雪の下の 若い芽 |
公益優先の 投資 |
鳴り渡る雷 | 邪魔者は 除け |
季節外れの雷 | 天の与えた 試練 |
明夷 | 賁 | 既済 | 家人 | 豊 | 離為 | 革 | 同人 |
地平線に沈む 太陽 |
夕日に映え る山 |
功成り名 とげた人 |
火をおこす 主婦 |
満ち足りた 生活 |
燃え上る青春 | 新旧交代の 時期 |
打ち上げられ た狼煙 |
臨 | 損 | 節 | 中孚 | 帰妹 | 目癸 | 兌為 | 履 |
春の盛り | 湖に映る山 | 水をたたえる 池 |
卵を温める 親鳥 |
道ならぬ恋 | 女性同士の 争い |
笑いさざめく 娘たち |
虎を手なづけ る娘 |
泰 | 大畜 | 需 | 小畜 | 大壮 | 大有 | 夬 | 乾為 |
風を受けて進 む船 |
穀物一杯の倉 | 渡し船を待つ 若者 |
待たれる恵み の雨 |
天地を揺がす 雷鳴 |
真昼の太陽 | 断罪される 独裁者 |
飛ぶ龍の活躍 |
上の表は八卦から得た64通りの組み合わせと大意である。一定の決まりで陰陽が満ち欠ける現象が一目瞭然である。八卦の意味や占う事物の情報と経験知によって、占いを確定させる。占いは現代でいうところのカウンセリングのようなものだ。筮竹を振り、算木を積むことは厳粛な手続きとして、心に訴えるだろう。易占いが廃れないのは古今東西、不確定な物事の決断には葛藤がつきまとうからだ。悩みぬいた末の決断に際して、卦は一回きり立てるように指示されている。進むか否かの前に64通りの現象が想定されるなら、選択に際して理由を見出し、結果の如何にかかわらず納得ができるだろう。易占いの技法はさらに複雑で奥深いものがあるが、簡便には1円や10円硬貨を使って行うことができる。裏・表を陰・陽に見立て念じながらテーブルに並べていけばよい。64卦の曖昧かつ象徴的な意味を、事象にのっとり解釈できるので、天気予報から落し物、競馬、競輪、株価の予想まで応用が可能である。未来は誰にとっても不確定なものゆえ、予想が外れたとしても苦情が持ち込まれる事は稀である。 「易経の謎」という本には遺伝子暗号と対比させて論が展開される。DNDを構成する塩基のA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)、いずれか3つの組み合わせでアミノ酸を構成する。算木の上・下の3つと遺伝情報のトリプレット説【注】を重ね合わせ、古代の叡智を賛美する。上・下各3本の算木と3回の乗算を意味づけた理由は飛躍しているが、ここでは易で考える科学技術くらいに考えておくべきかと思う。易経は紀元前7世紀頃、周の文王とその子、周公によって成立したとされているが、その元を作ったのは伝説上の帝王「伏儀」といわれる。「易経の謎」によれば、68卦の組み合わせと象意は超能力者が発見したと書かれている。伏儀=超能力者=神という図式を暗喩し、最先端科学と古代の知を意味付ける。易は科学が解明しえない暗在系との交信手段だという。気功家や東洋医学の治療家には極度に神秘主義に傾倒する人が見受けられるが、68のパターンは科学か神秘か妄想か?私には判らない。 【トリプレット説】生命を構成するタンパク質は20種のアミノ酸によって作られ、そのアミノ酸はA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種のDNA塩基の配列で決定される。この4種のアミノ酸から2種を選んでできる組み合わせは16種類でしかないが、3種類を選ぶと4×4×4で64種類の組み合わせができ、20種のアミノ酸を作るのには十分である。 |
易経から漢方に目を転じてみる。科学的検査技術のなかった古代医学には何らかの方法で病邪の分類が迫られた。八綱弁証で述べたように病邪を分類する古典的なものが陰陽論である。ある決まりに従い次々に二分割していくことで、対象の範囲を狭ばめ属性を決定するというものだ。遺伝子暗号との関連は疑わしいとしても、漢方は陰陽論を以て成立し運用を支えた。現代でも画像・数値など客観的な情報を持たない薬局・薬店の漢方は古代に近い状況である。そのため時間をかけて細大漏らさず訴えを傾聴するが、症状が多彩になるほど迷いも増える。時間のかかる問診は癒しの技術であって丸ごと診断の技術ではないと思う。 易経と対比させて漢方を考えることは、漢方の思想を推す方法でもある。病邪を陰陽に分け算木を符っていけば、陰陽の割合や変化が視覚化できる。下図は陰陽(両儀)を分割した易の四象を四柱に、八卦を八湯に対応させたものだ。四柱とは東・西・南・北の守り神で、それぞれ青龍・白虎・朱雀・玄武をいい、治療原則である発表・中和・吐瀉・補給を表すものだ。この治則を虚実に二分し八種類の代表処方を配当したものを四柱八湯説という。 |
病邪 ________________________|________________________ |
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陰 |
陽 ___|___ |
(両儀) | ||||||
| 補給 _____|_____ |
| 中和 _____|_____ |
| 吐瀉 _____|_____ |
| 発表 _____|_____ |
(四柱) | ||||
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(八湯) |
真武湯 | 四逆湯 | 柴胡湯 | 白虎湯 | 承気湯 | 十棗湯 | 桂枝湯 | 麻黄湯 | |
虚 | 実 | 虚 | 実 | 虚 | 実 | 虚 | 実 |
(白虎・西) 小柴胡湯 |
柴胡加龍骨 牡蛎湯 |
白虎加 人参湯 |
人参湯 | 茯苓四逆湯 | 四逆湯 | (玄武・北) 真武湯 |
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桂枝加龍骨 牡蛎湯 |
木防已湯 | 木防已去 石膏加茯苓 芒硝湯 |
白虎加 桂枝湯 |
茯苓飲 | 防已黄耆湯 | 通脉四逆湯 | 乾姜附子湯 |
大柴胡湯 | 梔子柏皮湯 | 生姜瀉心湯 | 甘草瀉心湯 | 半夏厚朴湯 | 甘草附子湯 | 当帰建中湯 | 当帰芍薬散 |
大黄黄連 瀉心湯 |
半夏瀉心湯 | 越婢加朮湯 | 柴胡桂枝湯 | 大黄附子湯 | 桂枝加芍薬 大黄湯 |
瓜呂桂枝湯 桂芍知母湯 |
桂枝附子湯 |
厚朴七物湯 | 黄今湯 | 五苓散 | 黄連湯 | 酸棗仁湯 | 桂枝附子湯 桂枝加朮湯 |
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大黄牡丹皮湯 | 排膿散 | 苓甘姜味辛 夏仁湯 |
猪苓湯 | 葛根黄連 黄今湯 |
葛根加 半夏湯 |
桂枝加 黄耆湯 |
苓桂五味甘 草湯 |
小承気湯 | 調胃承気湯 | 茯苓沢瀉湯 | 茯苓甘草湯 | 麻杏甘石湯 | 桂枝加葛根湯 小青竜湯 |
桂麻各半湯 | 桂枝加芍薬湯 小建中湯 |
(朱雀・南) 大承気湯 |
桃核承気湯 | 桂枝茯苓丸 | 苓桂朮甘湯 | 葛根湯 | 麻黄加朮湯 | (青龍・東) 桂枝湯・麻黄湯 |
四柱を四方に置いて陰陽の消長に従い漢方処方を並べていくと、64卦図と同様に配当図が出来上がる。四方図として書いているが、スパイラルに立ち上がる立体図を考えるほうが実態に近い。生薬や処方の薬理から考えた系統図と比べ違和感はぬぐえないが、このような考え方で治療を行う流派もあり、一定の成果を上げているものと思う。陰陽論で病態を分けていくのはアミダクジと一緒で、ある分岐点で陰陽を間違えると、とんでもない処方に行き着くことがある。それを避けるための研鑽であるのだが、陰中の陽、陽中の陰の量的な実測は困難だし、真熱仮寒や真実仮虚などの病態は専門家でさえ、後になって気付くものだ。陰陽の見極めの難を物語る逸話がある。水戸の殿様が急病になり、江戸の名医や大家を呼んで手を尽くしたが、効なく危篤に陥った。見かねた家臣の一人が南陽に治療を託してはどうかと進言する。当時、南陽は開業したものの貧乏暮らしで、按摩・鍼灸でかろうじて生計を立てていた。南陽は九文で買った巴豆を以て殿様の病を治してしまう。これにより五百石があたえられ侍医に抜擢された。名医・大家の類は殿様の体を案じるあまり補剤を使って治そうとしたが、実は対極に位置する瀉剤の適応だった。瀉剤を用い、もしもの事があればと恐れ、失うもののなかった南陽を利用したという、別筋の話もある。
漢方にはこのような逸話が数多く残されているが、後で語られる話なのでバイアスも創作もある。ときには陰陽や病態を取り違えた誤治も記されている。古くから誤治という言葉が使われてきたのは、漢方に副作用や医療ミスが存在したからに他ならない。客観的検査技術のなかった時代はまさに熟練と勘が拠り所であった。失敗が許されない重篤な状態で起ったミスは、苦しいレトリックで説明されたに違いない。一方、慢性病に漢方を適用する場合は、急性病ほど神経質かつ厳密に考える必要はない。陰陽が違ったところで命を落とすことはないし、ときには取り違えて好結果を得た例さえある。漢方薬のプラシーボ効果で述べているが、プラシーボ薬に60〜80%の有効率が認められた。当たるも八卦なら筮竹・算木による診断(儀式)を経た処方でも、あるいは満足できることになる。また、神秘主義に陥入った治療家は暗在系との交信を期して卦を立てるかも知れない。漢方の考え方として易の話に触れたが、実際の処方決定に利用する治療家がいても不思議ではないと思っている。 【追記】卦を立てて処方を決することは、珍しいことではない。姓名判断・人相・語音・O-リングテスト、又は波動計やそれに類する機械を用いて診断をする治療家は数多くみられる。機械は科学技術の隠れ蓑となるが、実際は卦を立てているにすぎない。漢方をはじめ代替医療の脆弱さと、いい加減さを象徴している。 |
【参考図書】 易経(上)・(下) 高田真治・後藤基巳/易経 丸山松幸/易占い入門 大川恒平/易の世界 加地伸行 易経の謎 今泉久雄/易と漢法・経世済民の思想 吉田寅二/救急漢方の考え方 吉田寅二 理論漢法医学 升水達郎・阪本守正/中医学の診断と処方 鈴木章平/傷寒論考述 剣持久 |