【漢方薬のプラシーボ効果】


西洋薬は単独の化合物または数種の化合物の混合物を用いる事が多く、一応、明確な薬理作用が知られている。ところが薬草及びその混合物である漢方薬は、ひとつの薬草を取りあげて見ても多くの成分が確認されている。確認された成分が必ずしも有効成分とは限らず、逆に未確認のものが薬効を発現させる場合もある。また含有量の多い成分が有効とも限らない。未確認の微量成分だったり、単独では役に立たなくても、ある成分との協力作用で効果が発揮されるものもある。このように複雑(怪奇)な作用機序をもつだけに、正しい薬効の判定は困難を要する。医薬品として医療用医薬品や一般薬として認められてはいるものの、その認可には不透明さが付きまとう。西洋薬(新薬)も、1967年10月(薬効再評価)以前のものは妊娠動物での生殖・胎児毒性、2年間の変異原性(発癌)試験、二重盲検法による臨床試験データは揃っていなかった。その後も「既得権の侵害」を根拠に許可の取り消しを受けることもなく販売し続けられているものがある。既に一般用として出回っていた漢方薬は、もちろん上記データーなどあろう筈がない。何千年も使
い続けられた歴史が臨床試験で淘汰されたものとみなされ、超法規的認可を得ていたのだ。さらに、保険薬として医療の舞台に登場する時も、当時の医師会長であった竹見太郎氏の意向が反映したものと言われている。

古典の研究や治療家の臨床経験をもとに、投与し手応えがあれば、効きそうだ、効いた、効く筈だ、と言った具合に曖昧な感触だけで使われ続けてきた。膨大な時間と費用をかけた正しい臨床試験は行なわれていない。このような漢方薬が保険でどんどん消費され、ついに年間1000億円を越えるまでになった。もし効かないものであれば保険財源の無駄遣いになる。そこで科学技術庁は1979年から5年間にわたって総額3億3000万円の研究費を針灸・漢方研究者達に与えて、大研究を行なわせた。そのうちのひとつ富山医科薬科大・寺沢先生の研究報告に注目されるものがあった。3ヶ所の大病院を訪れた更年期障害の患者264人について、漢方的な「証」の診断のもと、以下の3群に分け漢方薬が投与された。

  1. 陽実群(体力・病勢強く、熱性...)→桂枝茯苓丸+黄連解毒湯
  2. 陽虚群(体力・病勢弱く、寒性...)→当帰芍薬散+人参湯
  3. 陰虚群(肝血の損耗による虚熱....)→加味逍遥散

漢方薬はエキス顆粒として投与され、プラシーボには通常効果がないと思われるエキス顆粒の1/10の含有量の顆粒が用いられた。これは医師、患者双方が、プラシーボか否かを判別できないように工夫されたものであった。これによって効果の差がでるかどうか4週間服用後の状況を調査した。

 

  漢方薬での
有効率
プラシーボ
での有効率
漢方薬とプラ
シーボの差
1.(陽実群)

74%

67%

(+)7%
2.(陽虚群)

59%

80%

(−)21%
3.(陰虚群)

66%

79%

(−)13%

【有効率】著明改善+中等度改善+軽度改善

 

漢方関係者のみならず驚愕の結果となった。2.3群では数字を見る限りプラシーボの有効率が高くなっている。いずれの薬でも60〜80%が「効く」と言う事になる。そして、この数字がまさに心理効果であり自然治癒力なのだ。この数字を差し引いた数字が「真の薬効」になるが、上記のように差がなければいずれがプラシーボかの判別もつけられない。しかし、通常のプラシーボ効果は約30%、多くても50%前後であるとされている。何故こんなに高い数値が出たのか気になるところである。判定そのものが患者の訴えにもとづくもので、有効の判断は判定者の直感に頼るものであった事は否めない。客観的数字や画像などでの確認でない以上厳密性は薄れる。そもそも漢方の運用が愁訴を手がかりに行なうため二重盲検法での薬効検定には馴染まないという苦しい弁明を聞いた事もある。有効率の扱いはさておいてこの結果は漢方懐疑派にとって力を得るものとなった。「漢方薬は危ない」という高橋晄正先生の本よれば、無効だが危険な副作用はあるように言及されている。私は薬効検定に関わった事も、詳しく学習した事もなく、おそらく素人同然の知識しか持ち合わせていない。この事をお断りして、疑問点を提起したい。有効性の判定にプラシーボを必要とするように、副作用の判定にもプラシーボが必要ではないのか?危険な作用には慎重にならざるを得ないし正しい検定結果を待てない緊急性も納得できる。副作用は疑わしいだけで警戒しなくてはならない事も解る。

例えば、生薬の麻黄の含有成分であるエフェドリンは確かな気管支拡張作用が認められている。麻黄の配合された漢方薬の喘息への有効性は認められないが、エフェドリンの副作用である動悸、不眠、頻脈、血圧上昇などはきちんと認められている。これは一体どのような理由なのだろう。副作用という作用も薬理作用に違いなくそれが有益に利用されるのを薬効と言い、被害をもたらす時、副作用と言うのは薬理学の最初の授業で教わった。動悸、不眠の副作用よりも喘息発作が辛いならエフェドリンを使う価値はある訳である。医療そのものがリスク&ベネフィットの秤にかけられ営まれているのである。薬の情報活動の一環として副作用も正しく表記されるようになった。そのために反って多くの副作用が出現し続けているといえなくもない。胃が荒れる、薬疹が出る、吐き気が起こる....という知識が、それを引き起こす事は心理効果として認められている。副作用には神経質にならなくてはならないが薬効の検定に比べれば杜撰すぎはしないか。投与した患者の愁訴や検査値、また自己試験で容易に認定するように、効果についても愁訴や客観性のある検査値で認定できないのだろうか?エフェドリンは喘息に有効である。しかし漢方薬でエフェドリンを含有するものに喘息に有効という証拠はない。しかしエフェドリンの作用である動悸、不眠などの副作用はある。このような解釈で良いのだろうか?

かつて厚生省のモニター薬局に指定され10年間程副作用などの報告書を書いた事がある。報告用紙に書き込むものは、副作用と疑われる患者さんの不快な症状を聞き取りで記入するものであった。それに対する厳密な検証は無く、副作用報告として公開される。これも今考えると随分いい加減であった。正しく検証したデーターは何処にあるのだろうかと思い製薬会社に問い合わせたことがある。服用後発疹が高頻度で見られる新薬であった。年間数例ほどこの訴えを耳にするのでその製薬会社の学術部に直接問い合わせて見ると...「まだ日本では報告されていません」...一例もですか?「海外では数例あるようです」との回答であった。零細な私の薬局で数例も見られた発疹はまさに日本での貴重な数例という事なのだろうか?これは絶対嘘だ。製薬会社は嘘を言っていると思った。効果の判定と同じくらい副作用の判定にも困難を伴うが、諸々の思惑も絡むものだと痛感させられる経験であった。

西洋医学の現場では動物実験や臨床試験によって、ある程度淘汰された新薬が用いられている。しかし漢方は検定の困難さと見返りの乏しさが弱点となって大きく立ち遅れている。古典や臨床経験を拠りどころに延々と漢方療法を続けて行くのも限界があるだろう。お叱りを覚悟で申し上げるならその程度の代替医療・補完医療と開き直る方策がない訳でもない。しかしそのような場合でも患者さんを守るための副作用と、証拠不充分の漢方療法に乗じて跋扈する、怪しい治療家達の参入は警戒しなくてはなるまい。

華々しい西洋医学の成果の陰で、相変わらず脈々と伝え使い続けられた薬草・漢方療法である。これからも消滅するどころか益々頼られる療法であろうと確信している。たとえ証拠がなくても、そこには医療とは一線を画した「癒し」とでも言うべき分野があるように思う。先の二重盲検法で漢方薬とプラシーボがほぼ同じく60〜80%の効果が認められた。通常のプラシーボ効果は30%、多くても50%前後であるという。一体何故このような高い数値が出たのだろうか?生体に備わる揺れては戻る自然治癒力と心理効果の関与する率の高い疾患。つまり放置してもやがて治る風邪や急性熱病、急性胃腸病など...そして心理的影響の大きいものでは不定愁訴や更年期症候群、自律神経失調症など...皮肉にも漢方が得意とする分野と一致する。この適応分野の選択さえ誤まらなければ副作用が少なく、ある程度の効果を上げることが出来るのである。漢方の効果が統計学的手法で認知されなくても、高いプラシーボ発現率の理由を色々な理論で説明する論考がある。神経系、ホルモン系、免疫系、暗在系、微弱な刺激や極微量の感知機能を想定する試みもある。代替医療がその効果を説明するのと同じような話が漢方でも語られる。ついには波動やO・リングまで駆り出される事もある。説明できないからと言って疑似科学の理屈を拝借するのはもっと納得がいかない。知的好奇心としての研究や議論ならまだしも、その仮説から展開される治療理論には辟易させられる。奇妙な理屈を駆使してまでも漢方の有効性を主張すべきなのであろうか?不可解なものは不可解としながら、謙虚にその存在価値を模索することも大事であろう。

 
【参考図書】漢方薬は危ない 高橋晄正 /効かない漢方薬Q&A 高橋晄正 
       プラシーボ効果とバイアス効果 間中喜雄 和漢薬 400号記念特集 

 

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