【焼締陶・泥縄窯】


修行が終わったか、一段落かは誰もわからないが、これで生活ができそうだと感じたとき独立を図る。彼らがそれを感じたかどうかは知らない。「泥で縄を綯うように」という意味で名付けた窯元だ。夫婦で作陶を続け初夏と晩秋の2回窯場展を開催する。いつまでも泥縄ではないはずだが、いつまでも初心を忘れない気持ちが伝わってくる。

 

ここは武雄市だが隣は陶磁器発祥の地、有田町だ。市と町の境に黒髪山がそびえたつ。標高516m、1対の岩を夫婦岩と呼び、その登山口で夫婦で窯場を営む。作業場が居住区を兼ねた質実な暮らしである。

「夫婦岩は風呂場からよく見える」とのことで、少し移動し、少し前に進んで撮影する。

 

土器を焼く野焼きが進んだものが穴窯だ。ここから斜面を利用した窯や登り窯へと発展する。ここの窯は原始的なもので地面に横たわリ、効率ははなはだよろしくないと思われる。不眠不休で1週間も焚き続けなくてはならない。一人では到底不可能だ。見る人によっては汚く焼け焦げた器だと思うだろう。しかし、炎に巻かれ灰を帯び、堂々たる作品だ。

 

土器→須恵器(せっ器)→陶器→磁器という発展過程のうちの須恵器が焼締陶である。土器は700〜900℃で焼き、須恵器以降は1100〜1250℃という温度を達成した。これによって丈夫で漏れない器を得る。陶器は使いやすく、磁器はさらに端正な美術品にまで高まった。焼締陶は磁器のように器が主張しないので、草花や料理が映える。

 

焼締陶と磁器の花入れに、同じ花を、同じ水で、同じ場所に置いてみた。磁器は1週間でしおれ命尽きたが、焼締陶は2週間も生き延びた。

 

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