【近代漢方】


電気にはプラス・マイナスがあり、科学技術的応用が為されていることに異論はない。コンピュータも+−の電気の流れで情報の処理や演算をこなしていく。プラス・マイナスを陰陽と呼ぶなら、陰陽は現代に生かされた論理といえるのではないか。それに比べ五行説(論)は空理空論で古代哲学の観念でしかない。

陰陽説というのは、あるものの性質について「有」と「無」とに分けて考えていく、現代ではコンピューターの2進法(「1」と「0」)に通じる大変合理的な考え方の筈ですが、五行説というのはこれとは全く異なったものです。考察の対象とするあらゆるものの性質を、すべて5つの属性(木・火・土・金・水)に分類してしまって、その優劣関係を円環的に閉じこめ(相生関係)、さらにこの中に一種の対立関係(相剋関係)を持ちこんで、それらを上手に回転させることによって理屈づけしていきます。それによって宇宙のあらゆる現象を説明しあるいは推定していこうとする、極めて巧妙な、それ故哲学としては大変面白いものの見方なのです。かくして人間の根源的な知的欲求不満は実証を伴うことなく、机上で解消されるようになってしまったのです。実学である医学にとっては、これは知らず知らずのうちに、致命的な影響を与えられることになったと思われます。【遠田裕政:近代漢方総論より】

陰陽説と五行説の組み合わせで事象の説明をすることから陰陽五行説と呼ばれるようになった。故・遠田先生が提唱する「近代漢方」では、まず五行説の空理空論を否定することから始まる。本来、病に対する生体の闘病反応の盛衰を陰陽で表現していたが、気の概念を取り入れ「陰の気」「陽の気」と言い出した頃から形而上学的方向へ傾倒していった。八綱弁証は陰陽を次々に2分類していくことで病態とその治法を得たが、遠田理論ではこれとて観念の為せるところであろう。

陰陽では臓腑の病理が十分反映されないため、臓腑の説明が可能な五行説が必要だった。木(肝)・火(心)・土(脾)・金(肺)・水(腎)に臓腑を配当し、臓腑の機能と五行の方意を重ね合わせた。ここから実態との乖離や離反が生じ、説明と辻褄合せに相生・相剋・相侮・相乗・逆五行などの概念を用いる。これでほぼ説明できないものはなくなり、壮大な観念哲学の完成を見る。これを足場に次は五行説による医学体系作りと運用が始まり、五行説を疑うことをしなくなる。矛盾はことごとく相生・相剋・相侮・相乗などで解釈できるからだ。未知の病態に対する精緻な弁証には感嘆を禁じえないが、これによって治癒する病があることに、さらに驚異を感じる。治癒の科学的根拠は不明でも、一定の治癒が理論の支えとなっている。複雑にして難解な学習を経て知識を獲得する。それを運用し成果をあげる喜びは治療家しか味わえないかも知れない。また、その知識や臨床経験を伝え、師と呼ばれ信奉される快感は何にも代えがたいものがあるに違いない。常々、学説は変わるが伝承は変わらないと考えている。一般民衆の経験の集積とでもいうべき民間薬には、稚拙ながらも臨床試験の片鱗をみるが、漢方家の用いる方剤はいわゆる漢方理論という観念の篩を通したものだ。使用症例数から考えても民間薬の症例がはるかに膨大なものだと思われる。この素朴な原石を磨けばいくつもの輝ける玉を見出すことができはしないだろうか。

民間薬とはいえないが古くから使われ続け、いまも伝えられる方剤に注目する。生薬やそれを組み合わせた方剤の「使われ方の法則」を見出そうとするとき「生の実験データ」が必要になる。そこで「傷寒論」という急性熱病とその経過を記した古典を挙げる。薬味数が少なく五行説やその他の学説の影響がなかった時代に成立した「生の実験データ」だと言う。この薬方を運用するために、図のような個体病理を提唱する。

 

【T】発 汗
汗方反応

       
       
       
       
     
     

【U】下痢・嘔吐
下方反応

           

【V】利 尿
和方反応

 

傷寒論には汗、便、尿の記述が多く、昔人は病人の汗、便、尿の量や質の異常を外から観察し病気や治療法を考えたのではないか。人体を構成する物質の約70%が水で、そのうち細胞外液が約50%、細胞内液が約15%、血液が約5%である。水の出入りを考えると、水の入りは飲水による摂取であるのに対し、排出は【T】発汗、【U】下痢・嘔吐、【V】利尿がある。それぞれを汗方反応、下方反応、和方反応とする。
  • 【T】発汗:皮膚を通じての排出→汗方反応
  • 【U】下痢・嘔吐:胃腸管を通じての排出→下方反応
  • 【V】利尿:腎臓を通じての排出→和方反応

上記、3つの反応は相互に連関し、発汗過多のときには下痢、嘔吐、利尿が抑制され、下痢過多のときには発汗、利尿が抑制され、利尿過多のときには発汗、下痢、嘔吐が抑制される。これらの反応により生体は適度の水分を保つことができる。生体は本来【T】【U】【V】のバランスを保持しているが、病的状態ではバランスが崩れ、それを元の状態に引き戻すための一手段として薬物が用いられる。生薬を薬能に基づき3分類する。

  • 【T】汗方薬:麻黄・杏仁・桂皮 ..
  • 【U】下方薬:大黄・枳実・桃仁・黄連・桔梗・黄今・厚朴 ..
  • 【V】和方薬:乾姜・沢瀉・石膏・附子・茯苓・橘皮・細辛・芍薬・半夏・梔子・人参 ..

体から水を出すもの(排水薬)と貯めるもの(貯水薬)に2分類し、上記を割り当てる。そして排水薬は排水の経路によって発汗薬、下方薬、利尿による陽和法薬に分類し、貯水薬は陰和法薬とする。これらを強弱の2つに分け8つの薬方を得る。これは八綱分類と同一の手法であるが、近代漢方では出発点が現象の観察にあるので、病理状態を強弱で2分類した結果ということになる。得られた8つの薬方に漢方の原典である傷寒論(康治本)の病期を重ねた。

 

  汗方(太陽病) 1.強汗方薬 桂枝・甘草・麻黄 麻黄湯・葛根湯
    2.弱汗方薬 桂枝・甘草 桂枝湯・桂枝加葛根湯
  下方(陽明病) 3.強下方薬 大黄・大棗・桃仁 桃核承気湯
排水   4.弱下方薬 大黄・枳実・黄連・梔子 茵陳蒿湯・三黄瀉心湯
  陽和方(少陽病) 5.強陽和方薬 桂枝・甘草・茯苓・石膏 苓桂朮甘湯・白虎湯
    6.弱陽和方薬 大棗・生姜・黄今・黄連・半夏 小柴胡湯・半夏瀉心湯
貯水 (太陰病・少陰病 7.強陰和方薬 乾姜・附子・白朮・人参 四逆湯・甘草乾姜湯
 

・厥陰病)

8.弱陰和方薬 附子・芍薬・黄今・沢瀉 真武湯・猪苓湯

 

傷寒論は熱病の変遷が時間に沿って記述される。病の盛衰と生体の抵抗反応の状況を三陰三陽に分け、太陽病>陽明病>少陽病>太陰病>少陰病>厥陰病へと移行していく。近代漢方では、三陰三陽は執らない。発汗すべき時期を太陽病とし、陽明病は下し、その他の病期を違和状態として利尿し、三陽一陰とする。それぞれ8つの代表薬方は以下のようなものだ。

1.強汗方薬:麻黄湯(桂枝・麻黄・甘草・杏仁)

水分が筋肉、関節、肺などに貯まって起こる頭痛、関節痛、筋肉痛、喘咳などを発汗により改善する。

感冒及び熱性疾患の初期〜中期、気管支炎、肺炎、気管支喘息、関節リウマチの初期、鼻閉、鼻血、夜尿症、各種関節痛および筋肉痛などに用いる。

【類方】大青竜湯・葛根湯・麻黄加朮湯・桂枝二越婢一湯
     小青竜湯・続命湯

2.弱汗方薬:桂枝湯(桂枝・甘草・芍薬・大棗・生姜)

発汗がありながら、身体痛、腹痛などが見られるので、体表の血流を促し発汗を助ける弱汗方である。利尿や和方薬も配合されている。

感冒や各種熱性病の初期、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、腰痛など。発汗、瀉下、嘔吐、下痢などの後の身体疼痛などに用いる。

この薬方はこのまま使われることは少なく、諸々の生薬を加味して様々な病態に対応する。葛根を加えると、より発汗力の強い桂枝加葛根湯になり、大黄を加えると下方薬、芍薬を加えると陰和方薬、白朮、茯苓で陽和方薬などができる。

【類方】桂枝加葛根湯・桂枝加黄耆湯・桂枝加竜骨牡蠣湯・炙甘草湯

3.強下方薬:桃核承気湯(桂枝・甘草・芒硝・桃仁・大黄)

強力な瀉下作用とともに於血を改善する。於血と便秘が原因となっている各種疾患に用いる。

月経不順、生理痛、にきび、湿疹、排尿痛、排尿困難、結膜炎、腰痛、頭痛、肩こり、吐血、下血、神経症など応用は広い。

【類方】大黄牡丹皮湯・桂枝茯苓丸

4.弱下方薬:茵陳蒿湯(茵陳蒿・山梔子・大黄)

茵陳蒿、山梔子の和方薬が配合されているため、瀉下作用は中等度である。比較的体力があり、便秘傾向で心胸部の不快感、頭汗、口渇、小便不利、黄疸などに用いる。

茵陳蒿は黄疸の聖薬ともいわれ、黄疸で発熱、頭汗、口渇、便秘、腹満する者を治す。胆汁性肝硬変、蕁麻疹、皮膚掻痒症、口内炎、舌炎、胃炎、ネフローゼなどに応用される。

【類方】瀉心湯・麻子仁丸

5.強陽和方薬:苓桂朮甘湯(茯苓・桂皮・白朮・甘草)

桂枝、甘草の汗方薬と茯苓、白朮の和方薬の組み合わせである。脱水によって起る心下悸や水分を脱水部分へ移行させ利尿し、頭眩、頭痛など治す。

心気亢進、立ちくらみ、乗り物酔いなどに用いる。

【類方】苓桂甘棗湯・麻杏甘石湯・白虎加人参湯・五苓散
     茯苓杏仁甘草湯・酸棗仁湯・越婢加朮湯・木防已湯
     防已黄耆湯

6.弱陽和方薬:小柴胡湯(柴胡・人参・甘草・半夏・黄今・大棗・生姜)

汗方薬の甘草、下方薬の大棗、黄今、和方薬の生姜、人参、半夏に柴胡を配合した中等度の和方作用(反発汗・反下痢・反嘔吐)を持つ。

各種熱病の中期、弛張熱を呈するとき、慢性気管支炎、慢性肝炎、膠原病、腎疾患、胸脇苦満の症状が見られるとき用いる。

【類方】大柴胡湯・柴胡桂枝乾姜湯・半夏瀉心湯・半夏厚朴湯
     麦門冬湯・柴胡桂枝湯・柴胡加竜骨牡蛎湯
     黄連解毒湯・六君子湯

7.強陰和方薬:四逆湯(附子・甘草・乾姜)

汗方薬の甘草、和方薬の乾姜、附子により強度の和方作用を発揮する。甘草、乾姜によって体内に水分を貯め、附子の温熱作用などで下痢や末梢循環不全を改善する。

体力は高度に減衰し、手足厥冷するもの、完穀下痢、脱水し末梢循環不全に陥り身体疼痛、四肢拘急、悪寒、腹痛、下痢、吃逆など呈するものに用いる。

【類方】茯苓四逆湯・人参湯・桂枝人参湯・大建中湯
     苓甘姜味辛夏仁湯

8.弱陰和方薬:真武湯(附子・白朮・茯苓・芍薬・生姜)

すべて和方薬で構成され高度の和方作用を発揮する。体力がかなり低下した小便不利、めまい、下痢、腹痛、四肢の疼痛、嘔吐、咳嗽などに用いる。

感冒など各種熱性病の中期及び後期で身体衰弱するもの、下痢、眩暈、水腫などに用いる。

【類方】桂枝加附子湯・桂枝加芍薬湯・桂枝加芍薬大黄湯
     小建中湯・芍薬甘草湯・呉茱萸湯・猪苓湯・黄連阿膠湯
     麻黄細辛附子湯・桂芍知母湯・八味丸・当帰芍薬散
     弓帰膠艾湯・当帰四逆加呉茱萸生姜湯・四君子湯
     四物湯・十全大補湯・温清飲

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理論の輪郭をを描いてみたが、これだけで明日から治療が始められると思う人はいないだろう。ここまで到達するには多くの古典を読み、空理空論と曰く五行説も理解し、西洋医学の習得も為し得た上でのことだ。理論や処方の基礎には古方の運用技法があり、それに沿って病態や処方の決定が行われる。その中で、水の動きに特化して3つの反応を再分類・再構成したものと考えられる。体内で起こることの説明を科学用語でするか日常用語でするか、また別の用語でするかの違いはあっても現象は同一のものだ。ゲーテの言葉に「およそ哲学というものは、常識をわかりにくい言葉で表現したものにすぎない」というのがある。哲学という部分を科学や医学に置き替えても成り立つだろう。物事の判断で二者択一や正否の選択場面は頻繁に遭遇する。これを陰陽説で解釈するのは、さほど困難でも奇抜でもない。ところが2分類を進め最終的に64のパターンを生む八綱分類はやや観念が勝ってくる。五行説の臓腑の概念については一定の観察の成果を認めるが、相生・相剋・相侮・相乗の関係は複雑・難解で専門家でも様々な解釈が成り立ち、一定の見解に導くことができない。漢方や代替医療に群がる多くの治療家とその癒しの理論に触れ調べていくと、結局、対極には西洋医学が厳然として横たわっている。同一の現象を説明するために馴染みの言葉に置き替えたり、そのまま科学用語を用い破天荒な理論を提唱したり、また別の用語を創出して難解にしたり、誰でも出来ることではないが哲学がその難解さゆえ有難く感じるのに似ている。

水分の出入から病態と薬方を決定する理論は私にとって勝手の異なるものであるが、水の出入りに着目することで、いままで気に留めなかったことを考えることができた。処方決定後の検証の手段として興味深いものがある。私は学び体験した記憶を元に、それに病態を対比させて処方を決める。別に難しいことではなく、民間療法の手法となんら変わらない。しかし、これでは過ちを犯す可能性がないではない。自分が学習し、知り、見てきた知識で治療スタイルを確立してしまう恐れがあるのだ。「知識の貯金」が増えれば自信が肥大化し、錯覚のまま処方決定することが起り、不思議なことに効果を得ることもしばしば起こる。理論の構築と検証、難解な理論の習得と実践、これを研鑚と言うが、まさに「知識の貯金」を増やすことに他ならない。

西洋医学と代替医療には境界があるようで、じつのところ明確なものはない。治療家であれば西洋医学的な発想と手法で病を考えることもあり、水や血という単純かつ曖昧な概念で考えることもある。代替医療が西洋医学を批判し、優位を主張してもそれは限定的な部分でしかない。治療の主流は圧倒的に西洋医学が占めているし、これは患者数を見ても明らかなことだ。代替医療はまた別の代替医療の批判を続け、己の理論の優位を主張する。この中には本質な議論があるかも知れないが、単に優位のアピールかも知れない。漢方の側から私が心がけているのは、「漢方家が漢方を賞賛してはならない」ということだ。漢方の利点も欠点も知り得るのは漢方家を於いて他に居ない。漢方を利用する人々に対して利点ばかり述べていては漢方そのものが誤解を招く。他のページでも繰り返し述べているが、漢方的尺度は一般には通用しない。出来るかぎり共通の知識で漢方を伝え、利点と欠点、出来ることと出来ないことを正直に伝えることが漢方家の仕事だと思う。

【参考図書】
近代漢方総論:遠田裕政/近代漢方各論:遠田裕政/近代漢方治療編:遠田裕政
漢方教室:雨宮修二

 

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