日本教職員組合(JTU)について、みなさん方のご質問にお答えするコーナーです。
Q2 日教組は、教職員の労働条件改善のために、どんなことをしてきましたか。
Q3 とくに、女性教職員の労働条件改善のために、日教組はどんな運動をし成果を上げてきましたか。
Q4 教育条件整備や民主教育確立のために、どんなことをしてきましたか。
Q5 日々の授業や生活指導など教育実践の上で不安や悩みがあります。日教組ではどんな教育研究ができますか。
Q7 毎日が忙しくてなりません。ゆとりをもて仕事ができるようになりませんか
Answer
敗戦と廃墟の中、戦前の国家主義・軍国主義教育の反省にたって、教育の復興・平和と民主主義の確立・最低生活費の保障を求め、全国の教職員組合は大同団結し、1947年6月に日教組を結成しました。
この年、6・3制が実施されましたが、新制中学校では159万人分の教室が不足していました。日教組は、中学校新校舎建設のために政府に31億円の予算化をさせました。
また、1946年の東京都の独身男性の平均給与は、445円、同じく女性は440円で、最低生活費は男性が660円、女性が640円もかかり、月額215円から230円も不足していました。日教組は、生活の最低保障と大幅賃金引き上げをめざし運動を展開しました。
結成綱領では、
@ われらは、重大なる職責を完うするため経済的、社会的、政治的地位を確立する。
A われらは、教育の民主化と研究の自由の獲得に邁進する。
B われらは、平和と自由を愛する民主国家の建設のために団結する。
と、うたわれています。
このように日教組は結成以来、一貫して教育条件の整備・教職員の生活向上・平和と民主主義教育の確立に大きく貢献し、1951年の第18回中央委員会から、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを掲げています。
熊本県では熊教組が同じ1947年に結成されました。熊本市教職員組合はその前年1946年に結成されました.。
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たくさんありますが、その代表的なものは、超過勤務排除のたたかいです。
日教組は権利闘争の重要な一環として、宿日直の廃止と超勤手当の支給を要求してたたかい、1965年の10・22闘争を組織し、日教組出身の国会議員のたたかいもあって、1973年度から全廃する成果を上げました。
また、それまで無定量の超勤、超勤手当の無支給という実態でしたが、各地で「超勤手当支払い請求訴訟」を起こして勝利しました。
さらに、無定量の超勤排除のたたかいで1971年、政府は「国立及び公立の義務教育諸学校の教育職員の給与等に関する特別措置法」(教職調整額4%支給)を成立させました。いわゆる給特法です。
そこで日教組は、文部省と協議をして「教育職員に対し、時間外勤務を命ずる場合に関する協定」をとり交わし、時間外・休日勤務は大幅に制限されることになりました。
具体的には、「原則として時間外勤務は命じないものとする」とし、「時間外勤務を命ずる場合には、臨時又は緊急やむを得ない必要があるとき」に限られました。また、当然ながら組合との交渉なしには時間外勤務は命ずることはできません。
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結成直後の1948年には、男女同一賃金を勝ちとりました。
それまで、教員の給与は初任給から大きな男女差があり、その差は勤続年数が増えるにしたがって広がっていました。
日教組の指令第1号に「男女差別賃金撤廃」を掲げ、まず、東京・千葉・山梨など関東各県で成果を上げ、1953年には42都道府県で男女同一賃金を勝ちとりました。
また女性教職員の強い要望で「産休補助教員の法制化」の方針を決め、1955年には国会内外の闘争を組織し「産休補助教員法」を成立させました。
さらに、1961年には出産者が休むときには必ず補助教員を置かなければならない」と義務設置に改正させ、このたたかいは「育児休業法制定」の運動へと発展していきました。
1975年には、9年間にわたるたたかいの成果として、「育児休業法」を制定させることができました。それまで女性退職者の半数は、「出産・育児のため」を理由としていました。
今では男女とも当り前のようにとれる育児休業や介護休暇など、長い苦難の道があったのです。
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数えたらきりがありません。
まず、すし詰め学級解消のための学級編成基準の改善のたたかいがあります。1959年の基準は、小学校で60人、中学校で55人でした。
特に1964年の改正法実施の際には、政府原案が作成される前に40人編成を中心とした5ヵ年計画による改正法案を提起し、行き届いた教育の実現と児童生徒減に伴う教職員定数の減の阻止、定員増のたたかいを全国的に展開し、法改正に大きな影響を与えました。
そして、40人学級を実現し、欧米なみの30人学級へと運動を発展させています。
また、教職員の定数法化、旅費・教材費の国庫負担化、教科書無償措置法の制定、養護教員・事務職員の定数改善、教育費の保護者負担の軽減運動、高校全入運動、教育課程の自主編成運動、教科書改悪反対の運動など、たくさんあります。
特に、学校五日制は、1972年の前橋大会で方針を決定し、2002年の完全実施されました。なんと30年かかりました。
これらは、決して職員会議の中で声を張り上げても実現するものではありません。全国の教職員の声として要求することで実現できるのです。
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特に、日教組独自のものとして、教育研究全国集会があります。国際的にも例がなく高い評価を受けています。
これは、学校・支部・県と積み上げてきた教育研究を、全国の仲間たちと討議・交流し、自らの教育実践を検証しながら、平和を希求する子どもを育てること、民主教育を確立するために開かれているのです。
どこからも援助を受けず、身銭を切って毎年全国から1万人が集まり、文部省すらできない研究集会を開催し50年以上も続けています。
熊本支部では、毎年7月に支部教研を開催し、県教組は毎年11月に熊本県教育研究集会を開催しています.。
さらに、夏には専門部ごとに、例えば養護教員・事務職員・障害児教育・女子教育・青年集会などの研究集会が開かれるほか教育課程の自主編成講座が開かれます。こうした各種集会は、全国的な規模で開かれたり、九州地区や県内、各支部でも開催されます。
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公務員は、民間の労働者や欧米の公務員と違って、労働基本権(団結権・団体交渉権・争議権)が奪われているため、直接交渉で賃上げを決めることはできない仕組みになっています。
その代償機関として国に人事院、県に人事委員会が設けられています。
人事院は、毎年5〜6月に民間の給与実態を調査し、民間との格差を考慮して8月頃に給与の改善勧告を出します。政府はこれを受けて給与法案を国会に提出、新しい給与法(国家公務員)が決定されます。
しかし、本年度から国立大学が独立法人化にともない、国家公務員の教育職がいなくなり、国の人事院は教育職の勧告をしなくなりました。
県の人事委員会では、教育職以外は、国の人事院勧告を参考に、熊本県の民間企業の賃金の基に、10月頃に知事と議長に勧告を出します。教育職については、国の手本がないので、相当混乱をしているやいなやに聞いています。
熊本県公務員労働組合共闘会議(県公労)は、総務部長に対して、数回の交渉を行い、妥結に至ると県議会で給与が確定します。熊本支部からも県の賃上げ交渉に参加しますが、交渉なくして賃上げはないのです。
1957、58年には、人事院勧告すら行われませんでした。日教組は、遅れていた公務員の賃金引き上げ闘争を強化するため、1960年に公務員共闘を結成し、ストライキを背景に賃金闘争を強化しました。その結果、1969年に人事院の完全勧告をかちとりました。現在では、ストライキはしませんが、その後も人勧無視、値切りが続いたため毎年完全実施を求めて行動を続けています。
中国の諺に「井戸の水を飲むときは、その井戸を掘った人に感謝せよ」というのがありますが、賃金は毎年上がるとは限りません。
今年度は、三位一体の改革により、地方交付税が約300億円カットされるため、知事が15%、三役が10%カットを6月議会に提案してきました。そうなれば、年末に一般公務員は、5%前後カットの提案が予想されます。昨年にも増して至上最高のマイナス勧告が出されそうです。
Answer
教職員の超過勤務については、給特法(国立及び公立の義務教育諸学校の教職員の給与等に関する特別措置法)で、厳しく制限されています。
「原則として時間外勤務は命じないものとする」とし、「時間外勤務を命ずる場合、臨時または緊急やむを得ない必要があるとき」に限られています。しかも、
@ 生徒の実習の指導に関する業務
A 学校行事に関する業務
B 学生の教育実習の指導に関する業務
C 教職員会議に関する業務
D 非常災害等やむを得ない場合に必要な業務
の5項目に限定されています。
職場での「勤務時間を守ろう」という共通理解が必要ですし、学校行事の見直し、部活動のあり方について、校長交渉や職員会議などで話し合うことが大切です。
「勤務時間の適正管理」については県教委も通知を出して指導していますから、職場で解決しにくい問題は、地教委と交渉して解決しましょう。
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