先日、熊本市の来年度の予算編成に向けての政策要望について、各局とのヒヤリングを行いました。おりしも熊本市の行政改革の中間報告が出されたばかりです。厳しい財政状況の中、コスト削減が全面にでた報告でした。しかしコストだけで考えるべきではなく、むしろ積極的に推進していく部分もあるのではないか、無駄を省くのはもちろんですが、何を選んで政策を推進していくかは、今からの大きな課題となりそうです。
その中のひとつに学校給食問題があります。熊本市としては共同調理場を試験的に民間委託の形をとりたいという方向ですが、食材の安全を確保し、現在の給食サービスを提供しようとするならば、今でさえも臨時職員が多く配置されている中、人件費のコスト減とはならず、しわ寄せがあらゆる面での質の低下になるおそれがある。という視点で9月議会の質問に出していきました。
答えとしては、全庁的に財政の節減が進められている中、学校給食も視野の一つに入れて検討中との答弁にとどまりました。これからの大きな課題として取り組みたいと思います。どうか先生方のご協力をよろしくお願いします。
「まいチャレンジ」については、熊本市としては受験する人が少なかったこともありますが、大きな混乱はなかったものの、来年度に向け、現場の意見もしっかり聞いていくように要望いたしました。教育現場からの情報や、ご意見などぜひお寄せいただきたいと思います。
独りごと |
1学期の終わりがけ、教育委員会から『「まいチャレンジ」の実施について』という通知文が出された。「まいチャレンジ?」「マイチャレンジ」ならともかく、その言葉使いにまず違和感を覚えた。中味をみていくと驚くことが書かれてあった。「人権教育の推進」を言いながら、その一方でこんなことをしようとするなんて、わたしは憤りを感じた。(もちろん、今も感じている)以下、人権教育とのからみで、「まいチャレンジ」の問題点を述べてみたい。
教育行政と教育整備を
教育委員会は教育行政の一機関である。教育基本法第10条には教育が不当な支配に服してはいけないことや、教育行政はこのことを自覚し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立をしなければならないことが述べられている。
条文があるなしにかかわらず、「テスト」のような、教育内容そのものに対して教育委員会が介入してくることは教育現場に対する越権行為ではないのだろうか。(逆の立場からいえば私たちの権利が侵されているということにほかならない。)
そもそもテストとは
教師が自分の伝えたいことがどれくらい子どもたちに伝わり、理解してもらえたか、そのことを確かめるために始められたのがテストではなかったろうか。
入試試験のあり方に、教育全体が支配されて、今やテストは教師の側を点検するものではなく、子どもの側を点検するものとしてのみとらえられている。子どもの学力が向上しない場合、問われるのは子どものみ…ということがよくある。「あの子の努力不足」「落ち着いて学習していない」「ものもと能力がない」等々。
教師自身の姿勢はどうだったのか、また、子どもが落ち着いて学習にとりくめなかったり、継続した努力ができないその背景は何なのか、能力とは何なのか、そういったことを私たち教師は「テスト」を通して考えなければならないと思うのだが、私はそのようなゆとりは余りない。
私たちに子どもとしっかりと向きあい、深く考えるゆとりある現場の教育条件を整備していくことこそが教育委員会の責務である。
(KM)