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島原大変大地図(島原市立図書館松平文庫蔵) |
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新山温泉二百年の歴史 新山に鉄分を含んだ冷泉が出る。これを新山鉱泉といって、近隣の農家の人たちの湯治場として昔から賑わっている。
今から二百年も昔、眉山が崩壊してこの一帯は厚い土砂に覆われた。 それ以来、雨季にはたびたび土石流に襲われていた。その後川原の片隅に黄金色のお湯が発見された。
江東寺の住職・大心徹道和尚は、その湯を寺男に運ばせては自宅で入浴していた。ところがその効果が良く、新山の湯の評判が次第に高まった。
明治二十五年、土地所有者の松尾栄氏がここに湯地場を開いた。しかし大雨が降ると浴場が流されて川原に変わるなど、苦労が多かったそうだ。その後白須氏が引き継ぎ、九十年ぐらい前から苑田氏が経営するようになり現在に至る。
大正二年、長崎医大の森永伊吉教授が泉質を分析して、皮膚病や傷・痛み、リュウマチなどに効要があるといわれ、島原の人たちだけでなく、近くの村々農家の人たちの人気を集めた。特に※サナボリや稲刈り後の農家の人たちの骨休めとして賑わった。
今また、癒しの場として、島原の奥座敷として新山鉱泉は隠れた人気がある。
春はつつじに若葉、夏は小鳥のさえずりと心良い風、櫨紅葉、冬は暖かい温泉と、四季を通して新山鉱泉はみんなに親しまれている。 |
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※サナボリ=田植え休みのこと
島原城資料解説員 松尾 卓次 |
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