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・・・厳しかった営業マン時代・・・ |
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いざ就職、といっても自分にどんな仕事が向いているか分からない。やりたい仕事も特に無かった。 とりあえず就職情報の雑誌を買ってきて読んでいたら、小さな頃、商売をしてみたいという夢を持っていたことを思い出した。また、私は口が達者で説得力には自信があると思っていた。やっぱり”商売かな?”との軽い気持ちで、中途採用の募集広告をだしていたOA機器の販売会社と地場大手のスーパーを受験した。 会社の規模としては、K社の従業員が150人程度なのに対し、スーパーは数千人もの従業員を抱える地場では最大規模の企業であった。幸いどちらも合格したがOA機器のK社を選んだ。 営業マンに対する憧れのようなものもあったたが、K社は営業マンによる販売のほかにパソコンやワープロなどの操作指導も手がけており「そちらへ配属される可能性もある」との話しが最終的な決め手となった。ワープロは大学卒業直後に自分で購入(まだ高価だった頃)して使っており、パソコンもどうにか動かせるようになっていた。ちょうどキーボードが楽しくてしかたがない時期でもあり、こんなことが仕事でやれれば…という気持ちも持っていた。 そして2月にK社に入社した。 2ヶ月ほどの研修期間を経て、いよいよ配属決定の日。パソコンなどの部署への配属を祈って出社したが、見事その期待は裏切られた。紛れも無いコテコテの営業所への配属であった。かなり落胆したが、そのうち異動もあるからと自分を慰め、”修行・修行”と自分に言い聞かせて配属先の営業所に向かった。 仕事はコピー機を中心とした企業相手の営業であった。給料も固定給で、普通ならやり易い部類の営業である。 しかし、私の入社と時を同じくして特別のチームが編成され、そこに配置されることになり、そこで営業の厳しさを嫌というほど味わうことになった。 そのチームは、K社と全く取引の無い企業だけを担当するチームで、コピー機販売の最前線で他社攻略しかしない特異な集団であった。
その頃(今でも変わっていない)この業界はK社の扱うR社製品と、ライバル社の扱うX社製品・C社製品が激しいシェア争い(3社で90%)を演じていた。 コピー機はリース契約するのがほとんどであり、そのリース期間の中途や満了時には同じメーカーの新製品と入れ替えて再度契約するのが大半を占める。外観は同じようなコピー機であってもメーカーによって操作方法が異なっており、使用者にとっては使い慣れたメーカーの機械が一番扱い易い。そのため、一度入れてもらえさえすれば、よほどのトラブルでもない限り自社のお客として長く付き合ってもらえる。言い換えれば、機械の性能がどんなに良くても、自社と取り引きのないお客に自社製品を売り込むことほど難しいことはないのである。 通常は営業マン毎にテリトリーが決められていて、一日の営業活動は商談の見込める自社ユーザーへの売り込みが大半を占め、残った僅かな時間で取引きはないが話しのありそうな企業への売り込みを行うのが一般的である。 そこに他社ユーザー攻略専門のチームを編成した(同時に自社ユーザーのみ担当のチームも編成された)のである。チームのメンバーは私を含めて5人の若手社員であった。そのうち営業経験の長い二人は社内でもトップのセールスマンであり、会社がこの取組みに大きな期待をかけていたことが分かった。 しかし、会社の期待とは裏腹にチームの営業成績は上がらなかった。当然、新人の私もほとんど売れなかった。足を棒のようにして営業しても、ほとんど商談にならないのである。担当が未取引きの企業だけだから当たり前である。 これに対し、自社ユーザーのみを担当する営業マンの売上は順調であった。先にも述べたように、マシン入れ替えの際には重大なトラブルでも無い限り同一メーカーの製品が選ばれる。そこにきて、担当する客数が増えたため買い替え対象の機械がゴロゴロしているのである。 担当が違うだけでどうしてこんなに苦労しなければならないのか?このギャップだけは納得できなかった。 上司からは、コピー機が売れないならばFAXでもワープロでも売ってこいと怒鳴られるが、大半の企業は面談すらできず門前払いである。担当者に一度も会っていないのに、二度と来るなと怒鳴られたこともあった。見かけとは逆に気の弱い私にとって、これが一番辛かった。 おまけに、やっとの思いで開拓したユーザーでも、しばらくすると自社ユーザーとして担当換えしてしまうのである。お年玉を貰って喜んでいる子供から、お年玉をとりあげるような、むごいシステムだった。 私の予算はコピー機に換算して毎月5〜6台程度であったが、実績はその半分以下であった。数字が上がらないのだから、当然、会社での評価は低く、自社キャンペーンがある度に未達成の罰として山登りなどをさせられた。 しかし、メーカーとしては毎月数台とは言えライバル社の機械を下取りしてくる私たちの評価は低くはなかった。メーカーの評価制度は売り上げには関係なく、自社製品の下取りが10ポイントとすれば、X社製品となると50ポイントという具合に決められていた。仮に1台50万円と仮定すると、自社製品だけ10台下取りした場合で500万円の売上げに対し100ポイント、X社製品だけ3台下取りした場合では150万円の売上げに対し150ポイントとなる。それくらい他社製品を下取りするのは難しいという考え方であった。そのためメーカー主催のキャンペーンでは、我がチーム員は上位にランクされ、1度は5人のメンバー中4人がブロック表彰を受け、報奨として沖縄旅行に招待されたこともあった。 営業マンにとって"商談成立の瞬間が最大の喜びである"と言われる。確かにそれは実感することができた。最初は全く相手にしてくれなかったお客さんが、何度も通っているうちに次第に自分のことを理解してくれるようになり、他社機の契約を解約して、それまで取引きのなかった我が社の機械を入れてくれる。 「機械の性能や値段ではなく、あなたが熱心だったから買ったんだよ」と言われたときには涙が出そうになった。 結果として、私は営業マンとして失格だった。 その理由はいくつもある。 まず、相手(お客)のことを考えすぎること。 営業は"売ってなんぼ"の世界である。多少の苦情があっても売らないことには話しにならない。お客さんは、少ない予算でより優れた機械を入れたいと考えている。しかし、その業務に合った機械を考えれば殆どの場合、予算が足りない。単に売り込む機械を換えて(レベルを落として)予算に合わせれば良いのかもしれないが、私は”お客が何をしたいのか”ばかりを重要視し過ぎて、逆にお客を迷わせてしまい、商談が長引くうちにタイミングを逃してしまうのである。 トップセールスだったら、商談が長引くようなことはまずしない。機械の性能や値段より、タイミングが大事なのである。 次に気持ちの切り替え(自己管理)が充分にできないこと。 どんなトップセールスでも、自分で息抜きの時間を作っている。精神的にもハードな仕事のため、息抜きが必要なのである。その息抜きの量(時間)が問題で、私は厳しさが足りないために、一度息抜きをしてしまうと息が抜けっぱなしになってしまう。基本的に楽天家なので、それでも"どうにかなるさ"と思ってしまうのである。これではまず売れない。 最も問題だったのは、自分がやりたいと思った仕事(WPやPCのインストラクター)でなかったという甘えで、営業にやり甲斐を感じようとしなかったことである。 与えられた仕事は責任をもって果たすのが基本なのだが、"自分は営業マンになりたくてこの会社に入ったのではない"という甘えから、予算を達成できなくても悔しいと思わなかった。営業所やチームの足を引っ張り"悪い"とは思っていたが、だからといって"負けてたまるか!"という気持ちはなく、いつかは営業以外で見返してやるぞと、いつも思っていた。今思えば完全な"現実逃避"であった。これでは営業マンとして100%失格である。 (余談) 私が退社した直後、問題の”他社ユーザー攻略チーム”は解散となり、それ以来、このようなチームは編成されていないとのことである。 ”自社ユーザー担当チーム”と同じ給料で仕事をさせるのであれば、2度とこのようなチームは編成しないで欲しい。 |