市役所採用

・・・再度の転職・・・市役所入庁・・・
◎ 採用試験

 K社に入社して2年目の春、X市役所に勤めるT先輩から電話があった。
 「うちの役所の採用試験を受けてみないか」という誘いであった。詳しく聞いてみると、文化財の担当職員が不足していおり、もし考古学経験のある人が受ければ優先的に採用されるかもしれないという内容だった。

 募集職種は考古学の専門職ではなく一般事務であるため、大学で考古学を専攻したような人はまず受験しない。専攻者以外で考古学に興味のある人は少なく、私のように趣味でやっていたような者でも十分に可能性があるとのことであった。ただ、市といっても人口3万数千人の小さな市であり、地元の者でもない私が簡単に採用になるとは思っていなかった。小さな市町村ほど地元住民優先採用の傾向が強く、実際に市外出身者はほとんど採用されたことがなかった。

 営業から逃げ出したいという気持ちもあって、とにかく受験だけはしてみることに決めた。しかし、大学卒業から3年ほどしか経っていなかったが、大学では遊び惚けていた挙げ句、就職勉強すらしたことがなかったので、まず合格しないだろうと思っていた。一応、参考書を買ってみたものの、仕事で疲れて9時半頃帰宅(アパートで一人暮らしだった)し、夕食と風呂を済ませると11時である。根性なしの私がこんな時間から勉強なんてできるはずもなかった。

 一応、受験することだけは両親に伝えておいた。
 試験申込み受付の数日前、突然、両親がアパートに尋ねてきた。話しによると、私の住民票をX市に移したとのことであった。両親は試験を受けさえすれば、高確率で合格すると思っているらしかった。しかしその後も相変らず勉強はしなかった。

 私は、大学時代から付き合っていた女性(現在の妻)と8月に婚約した。転職の可能性はあったが、そんなことを考えていれば一生結婚できない。どうせ結婚するなら早い方が良いと思っていた。ただ、万が一(転職)のことも考えて、結婚式は翌年の6月に決めた。

 9月頃に行われた採用試験の前日、大学時代の遊び仲間の結婚式に出席した。次の日のことを考えて早く帰宅する予定であったが、優しい友人達は許してくれず、案の定、午前様となった。どうせ勉強してないのだから、慌てることもないと開き直ってもいた。
 そして試験当日、合格する気はしないが受けないわけにはいかないので、受験票を握り締め会場に向かった。そして教室に入り自分の席に着いてふと気づいた。筆記用具を何も持ってきていなかったのである。知らない人に借りるのもみっとも無いので、鉛筆と消ゴムを買いに慌ててコンビニまで走った。

 試験自体は難しいとは思わなかったが、それは受験者全員が感じていること。朝からバタバタしたこともあって、来なければ良かったと本気で思った。ましてや、受験者も多すぎた。若干名(2・3人と思っていた)の募集で、自分の受験番号も一桁台だったので少ないとばかり思っていたら、なんと百数十名が受験していた。明日からまた営業を頑張るしかないと改めて決意した。

 それから3ヶ月ほど後、親から職場に電話があった。
 職場への電話など初めてのことだったので、てっきり身内に不幸があったと思いながらドキドキして電話に出ると「とおったよ」との父の言葉。何のことか全く分からず「何が」と聞き直すと、市役所の1次試験のことであった。日々の忙しさもあって、試験の発表など全く忘れていた。とても信じられず、「番号の間違いでは」と聞き直したくらいであった。それでも自分の目で確かめないことにはどうにも納得できず、その晩、市役所の告示板を見にいった。成績がたいしたことないのは明白で、高校時代から考古学をやってきたことが大きくプラスに作用したに違いなかった。

 1次試験の合格によって、残るは2次試験の面接だけである。しかし、営業をしている人間にとって面接など本業のようなものである。1次試験の時と違って、今度は落ちる気がしなかった。親が住民票を移してくれていたことも心強かった。
 2次試験の面接は全く緊張しなかった。仕事柄、冷たい人に接することが多かったため、面接官が妙に好意的にさえ感じた。受験者の中にはカチカチに緊張している人も多く、可哀相とも思った。営業を経験した効果がはっきりと現れていた。

 12月、私を含む最終合格者6名の発表があった。両親に報告すると飛び上がるくらい喜んでくれた。「おまえの選択(地元役場を諦めて営業マンになったこと)が正しかったね」と言った父の言葉が一番ありがたかった。婚約者にも報告したが、こちらは大して驚かなかった。その両親も同じである。試験を受けると伝えた時点から、合格して転職するものと確信していたらしい。のんきなものである。

 こうして、僅か2年間ではあったが貴重な経験をさせて頂いたK社を退職することになった。辞表を提出した際に、所長から言われた言葉が印象に残っている。「機械の操作の方が好きなようだから、WP・PCの部門に転属させようと考えていた。」とのことであった。試験があと1年遅かったら、私の人生は大きく変わっていたかもしれない。

◎ 転職〜地方公務員に

 平成3年4月1日付で晴れてX市役所に採用となった。結婚式を直前に控えた26歳の春であった。

 1ケ月の仮配属(研修)期間を経て、5月1日に教育委員会の文化財担当課に配属となった。仕事は主に文化財の発掘調査である。
 現場作業が多いため体力的にはハードだったが、好きな仕事でもありとにかく充実していた。まず、最初に担当した現場は、個人的に最も興味を持っていた古墳であったが、珍しい発見もあって新聞にも大きく取り上げられた。調査に行くのが楽しくて仕方がない時期であった。

 ただ、困ったこともあった。文化財の仕事が他の部署から煙たがられていることだった。文化財の仕事を理解している人は少なく、多くの人が趣味だけで仕事している思っている。特に開発関係の部署とは相性が悪かった。相手は開発する立場、こちらは開発に待ったをかける立場であり、宿命とも言える問題である。仕事に一生懸命になればなるほど、両者の溝が深まった。

 市役所に採用されてすぐ、ソフトボール部に入部した。ソフトボールは大好きなスポーツのひとつであったが、最も良かったのが色々な先輩と付き合えるようになった事である。現場仕事が多かったため、役所内部の人たちと接する機会も少なかったが、ソフトボール部での付き合いによって僅かながらそれも解消できた。

 市役所に入って最も嫌だったのが出身を聞かれることであった。
 初めて会った職員には、必ずといって良いほど「(市内の)どこ出身?」と聞かれる。何も隠す必要がないので「X市ではなく隣のM町の出身です」と答えると、共通する話題がないためそこで話しが終ってしまうのである。当時、地元出身者以外はほとんど採用されていなかったため、先輩達も"よそ者"相手に何を話題にしていいのか戸惑ったのであろう。こちらも地元ではないというコンプレックスがあるため、この沈黙の時間がたまらなかった。よそ者として区別されるのが嫌だったので、「地元の人間には負けないぞ!」という気持ちだけは強くなっていった。


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