【読書録(20)】-2023-


歴史戦と思想戦
大学病院の奈落
亜宗教
検証・コロナワクチン
民間療法は本当に「効く」のか
原子力の哲学
コロナ利権の真相
文学部の逆襲
ルポ 食が壊れる
自民党の統一教会汚染
マインド・コントロール
これから懸念されること

歴史戦と思想戦 山崎雅弘

先日、杉田水脈議員が札幌法務局や大阪法務局から人権侵犯を認定された。2016年の国連会議に参加した際、杉田議員は自身のブログに女性らの写真とともに、「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」、「存在だけで日本国の恥晒(さら)し」などと投稿し、その後撤回。しかし、同じ趣旨の投稿をフェイスブックやツイッターでも行い、法務省はこの3件を人権侵犯と認定し、杉田議員に人権を尊重するよう啓発した。法務局は杉田議員の投稿を取り上げた複数のネット記事も人権侵犯と判断し、プロバイダーに削除を要請した。杉田議員のような人々をレイシスト(人種差別主義者)といい、LGBT差別も、性暴行を受けた女性への中傷も行なう。人としても問題があり、国会議員など務まらぬ人物だが自民党は要職を与え適材適所だという。

テレビの取材を見たが、「撤回・謝罪もしたので済んだことです」とそそくさと立ち去った。その後、動画で杉田議員は「逆差別、えせ、それに伴う利権。差別を利用して日本をおとしめる人たちがいる」と主張した。自身の発言は「日本をおとしめる人たち」に向けたものであり、そいう人たちと戦っているので非難される筋合いはなく、差別発言をした事実はないと強調した。撤回・謝罪は「ウソ」だった。杉田議員は選挙民の直接の支持を受けず自民党の比例区上位名簿で議席を得ている。優遇する意味があるから離党勧告も議員辞職も求めず、逆に要職で温存する。杉田議員は歴史戦の弾として前線で戦わされているという見方もできる。いわゆるネット右翼と呼ばれる人々とその界隈に集う人々の思いを代弁することで支持を繋いでいるのではないか。

中国政府や韓国政府による、歴史問題に関連した日本政府への批判を、日本に対する「不当な攻撃」だと捉え、日本人は黙ってそれを受け入れるのではなく、中国人や韓国人を相手に「歴史を武器にした戦いを受けて立つべきだ」という考え方です。

2014年10月産経新聞が「歴史戦」の本を出版し、戦時中の慰安婦や施設の問題はすべて朝日新聞の捏造による根拠のないものとした。韓国や中国が日本に対し「歴史を武器にした戦争・歴史戦を挑んでくるなら、日本も正面から反撃する」と読者に訴えた。産経新聞は当時の安倍総理とねんごろな間柄で、安倍氏は朝日新聞を息を吐くように嘲弄していた。統一教会との関係性が明らかになったいま、安倍氏の相容れない言動が不可解でならない。この出版を機に「歴史戦」の3文字を入れた出版が続き、書店には類書があふれた。おおよそ産経新聞の月刊誌である「正論」に寄稿した経歴を持つ人物のものだ。慰安婦は居なかった、南京虐殺はなかった、朝鮮を民主的に統治した、などと歴史を勇ましく修正する。教育勅語や大日本帝国憲法の復活を夢見て現憲法を無視する集団だ。彼らの素性は明らかで、声が大きいのが特徴だ。彼らの勢い勝る言説に引きずられ「否」といえず巻き込まれる人も散見される。

「歴史戦」は先の戦争のとき日本政府が国策として展開した「思想戦」や「宣伝戦」と内容や手法に共通部分が多く、産経新聞はこれを手本にしたのではないか。戦争や紛争における「情報戦」、「情報工作」、「プロパガンダ」、「フェイク」などのキーワードがこれに類するもので、西側諸国は米国に追随し、東側はそれを非難する。どちらが正しいか一般人には判断が難しく、多くは国やメディアが伝えるとおりに動く。歴史戦のひとつ、「慰安婦問題はない」とする根拠は朝日新聞の虚偽報道を基にしている。吉田証言といわれるもので、「自分が朝鮮の済州島で朝鮮人の若い女性200人を強制連行し、日本軍の慰安婦にした」という。しかし、後に朝日新聞は済州島の記述は誤りであることを認めた。これを捉えて朝日新聞のすべての記事までも誤りであり、慰安婦問題はなかった事にした。

現在の国際社会において、日本軍が戦時中に利用した「慰安所」と、そこで日本兵の性欲発散という役割を担った「慰安婦」の制度は、「戦時性暴力(Wartime Sexual Violence)」と「女性の人権侵害」という普遍的な問題の一環として捉えられています。

中曽根元首相は自分の著書で従軍の際、自分が慰安所を作ったと述懐している。他にも多くの出版物や資料が残り、慰安婦問題が取り上げられる度に証言する人は後を絶たない。私でさえ戦争経験者からリアルな慰安所の話を聞いたことがある。歴史戦を挑む人々がどれほど大きな声をあげても、なかった事にはできない。産経新聞社がサンケイ新聞社だった頃の社長であった鹿内信隆氏は将校として従軍し、日本軍の経理学校が慰安所の運営規則を助言し、軍が運営に関わったことを経験談として語っている。

歴史戦のふたつめ、「日本軍による南京虐殺はなかった」についての公式見解を日本政府が出している。

日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。

産経新聞は、これをなかったとする「歴史戦」のシリーズ記事を2015年2月にスタートさせた。「南京城内は空っぽで兵隊どころか住民も居なかった」、「人がおらん以上、虐殺などあるはずがない」など、どこを見たかもわからない証言を記事の中心にした。産経新聞は「見なかったから、なかった」という子供騙しの理屈を1面トップの大見出しに掲げた。日本軍の戦闘の詳報や日本軍人の数多くの日記には猖獗極まる事実が残っている。女、子供、あたりかまわず、3歳の童子をも殺した。広く深い穴を大勢に掘らせ、銃殺して埋める。書くのもおぞましいことがもっとある...中国側が30万人虐殺を主張すると、数の信憑性が疑わしい、「疑わしいゆえに南京大虐殺はなかった」という。先の吉田証言と同じで一部の誤りをすべての誤りにすり替える。虐殺は南京だけに限らず、満州では731部隊の軍医による暴虐やさらに広大な戦域の各地でおこなわれた。

国際社会で南京虐殺や慰安婦問題が批判的に語られる大きな理由のひとつは、戦後の日本がこのふたつの出来事について、戦後のドイツがいわゆる「ホロコースト(ナチス時代のユダヤ人大量虐殺)」に関して行ったような「事実の認定」や「反省」、「再発防止のための教育」などの批判的な総括を十分に行っておらず、逆にそれが事実であったことを「否認」する論者が日本国に少なからず存在していることにあります。

否認は教科書にまで及んでいる。侵略を進出に書き変えたのは氷山の一角で、他にも検定過程で語句の修正や削除を求められる事例は数知れない。ドイツでは、ホロコーストを否認する言動は犯罪として取り締まりの対象になっている。現在のドイツは過去の非人道的行為を反省し、内外に向けて総括しているため、かつてドイツの侵略を受けた周辺諸国がナチスの虐殺を蒸し返し非難する光景は見られない。歴史戦の論客は反省することを自虐史観といい、反日だ売国だと非難する。大東亜戦争、英霊、志那など大日本帝国時代の用語を現代でも当たり前に用い、過去の価値観や思想とともにある。封建的で人権も尊重されず赤紙一枚で徴兵された。現代に暮らすからこそ彼らの価値観や言論は野放しなのだ。安倍政権の10年間は歴史戦の論客が幅を利かせ重用された。しかし、歴史研究の知識がない人、歴史研究の本をあまり読まない人は彼らの主観的かつ独断的な「物語り」を信じてしまうかも知れない。

自分たちが行う宣伝は「あるがままの真相」であり、敵国が行う宣伝は「不正や歪曲」であるという主張は、古今東西、あらゆる戦争当事国が行うものですが、こうした正邪を対比させる図式もまた、自国民に向けた「思想戦」として有効な方法です。

他国へ攻め込む行為は「どちらの側から見るか」によって意味や解釈が変わる。過去に日本が行った対外戦争について「帝国の生命の安危」として思想戦を展開した。朝鮮半島が清国の手に渡れば日本の安全が脅かされる。満州と朝鮮がロシアの手に渡れば日本の安全が脅かされる。現在もこういった日本中心の論理で隣国の脅威を煽り続けている。テレビで中国の艦船や航空機の映像を見せられると、国境線は見えないのにあたかも海や空を侵犯しているかのように錯覚し、「けしからん」と思想戦の思惑にはまる人がいるのではないか。教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を素直に受け入れるかも知れない。ネット右翼と呼ばれる人々のアイデンティティそのものだ。

彼らの価値観の枢軸にあるのは「韓国や中国が仕掛ける歴史戦には断固負けられない」という子供染みた競争心である。歴史を変えることはできず、国際的に勝つことはない。ところが日本国内ではそんな人々が与党の議員として権力を握る。国民は選挙で選んだことを後悔するのか、誇りとするのか。おかしな思想でも政権を握り、力と権力をもってメディアを支配し論客には餌を与える。閣議決定だけを盾に決まったことだとして国を動かす政治家たち、憲法も議会も無視する傍若無人を止める選挙には勝ち続ける。税金ひとつを見ても、「閣議決定した」と迫ってくるなら渋々従わざるを得ない。従順な国民は裏切られても懲りず、与党に政権を託すだろう。その繰り返しがこの10数年続き、杉田議員のような政治家を生んだ。将来、本物の戦いに巻き込まれたら渋々と命を差し出すだろうか。最近の水田議員はいよいよ狂気を露わに歴史戦を展開する。まるで断末魔の叫びのようでもあり、仲間に居場所を懇願するようでもある。議論に勝つため、言い負かすためだけの子供染みた歴史戦である。

 

大学病院の奈落 高梨ゆき子

9月、NHKが群馬大学の患者参加型医療の取り組みを伝えた。基本となるのは患者が自らの病気や検査や治療内容を知るためカルテが閲覧できるという。カルテは医師が記録する以外、看護記録やCTやMRIなどの検査画像、血液や尿検査の結果など、すべての医療スタッフとも共有する。元々、患者情報は患者のものであって開示を拒否する正当性はないが、現状は進んでいない。カルテが共有されることで、内容は詳しく分かりやすいものになった。群馬大学医学部は毎年9月に安全週間を設け「誓いの碑」の前で「誓いのつどい」を開く。誓いの碑には次のことばが刻まれている。

当院において平成19年から平成26年にかけて死亡事例が続き尊い命が失われた
私たちはこの医療事故を決して風化させず再び生じることのないように大学病院としての責任を自覚し医療の質・安全の向上のために最善を尽くすことをここに誓う。令和2年6月

誓いの碑建立の発端は2011(H23)〜2014にさかのぼる。群馬大学病院で腹腔鏡手術による高難度の手術を受けた患者約100人のうち、少なくとも8人が死亡していた。いずれも第二外科の同じ医師が執刀し、死亡した8人は60〜80代の男女で肝臓がんなどの治療で腹腔鏡による肝切除手術を受けた。8人は術後に容体が悪化し、約3か月以内に肝不全などで亡くなっている。腹腔鏡を使う肝切除手術は比較的容易な「部分切除」などに限り、保険適用されているが、第二外科では高度な技術が必要な保険適用外の「区域切除」を多く手がけていた。8人が受けたのもこの手術だった。これには病院の倫理審査委員会に臨床研究として申請しなければならないが、第二外科は行っていなかった。保険適用されないのは腹腔鏡手術では安全性や有効性が確立していないためだ。胆嚢や胆管が入り込む複雑な部分の手術は開腹でも極めて難しく、まして内視鏡では「危険」とさえいう専門家もいる。

2010年12月から2014年6月までに第二外科が行った腹腔鏡下肝切除の手術後、患者8人が死亡した。この8人は肝臓がんや胆管がんなどの治療のため、肝臓を切除する手術を受けたが、その後2週間から100日以内の短い期間で、感染症や敗血症、肝不全などを起こして死亡した。

第二外科は倫理審査委員会への申請もせず内輪で手術を決めた。肝胆膵グループの医師はわずか2人しかいない。このうちの一人が患者を内視鏡手術へと誘導していた。患者に高度な医学判断は不可能なため、医師のことばに従った。群馬では大学病院を「天下の群大」と呼びその権威には逆らえない空気が満ちていた。腹腔鏡手術の後、死亡した患者8人の遺族は、なぜ亡くなったのか腑に落ちぬ思いを抱えつつ、誰も訴えなかった。医療裁判を起こしても、素人が「天下の群大」に勝てるわけがない。「運命だったとあきらめるしかない」

2014年11月14日、読売新聞が事件を伝えた日に群馬大学の病院長が記者会見を開き謝罪したが、手術を主導した執刀医の姿はなかった。姿を見せなかった執刀医は第二外科での腹腔鏡下肝切除103例の殆どを手がけていた。この医師の大学での立場は助教で第二外科の消化器を担当するグループの中心人物であり、なかでも肝胆膵外科の領域を専門としていた。亡くなられた患者さんの術前・術後の様子を読むと、戦争末期に九州大学で行われた米兵の生体解剖事件を描いた遠藤周作の「海と毒薬」を思い出した。誰にも命がけで心配する親や夫や妻がいて穏やかで幸福な日々があった。

事件が明らかになって1か月ほどすると、この医師が執刀した開腹手術でも、2009年4月から5年ほどの間に10人が死亡していたことが判明し、死亡率は10%を超えていた。腹腔鏡手術以上に問題のある手術成績である。第二外科では患者が死亡しても死亡症例検討会が行われた形跡がなく、ろくに検証もせず次の手術に進み、患者の死亡が繰り返された。2015年1月、患者側の立場で医療事故の解決を支える「医療問題弁護団」の有志が初めて遺族と面会した。この日の集まりに参加したのは腹腔鏡手術の遺族3組、開腹手術の2組であったが他にも弁護団へ相談を希望する人たちがいた。

(執刀医)の手技はかなり稚拙である。鉗子(ハサミ状の器具)のハンドリングもよくなく、剥離操作、止血操作にしても全部悪い。相当下手。術野(手術中の目に見える範囲)も出血で汚染されており、血の海の中で手術をしているような状態。腹腔鏡の技量についてはかなり悪いといえる。無用に肝臓に火傷させるなど、愛護的操作がない。助手のカメラ操作も下手。

弁護団は遺族に、患者のカルテや検査画像、手術の録画映像など診療記録一式を病院側に開示請求するようアドバイスした。録画映像を見た協力医の厳しい指摘は大きなインパクトがあった。協力医は大学側の対応にも言及した。通常の大学病院では予期せぬ死亡があれば医療安全委員会が開かれ検討する。1例でも事件が起これば反省して次に同じことが起きないようにルールを作り、診療科長が何らかの処置を行なう。1例の事故でも手術は中止だ。1例目で検討していたらその後の死亡事故は免れた。調査報告書が公表された2015年3月を以て執刀医は大学病院を辞職し、次の就職先も決まらず関連病院で転々とアルバイトをすることになる。彼は上司である教授と連名で調査報告書に対する反論を展開した。カルテの記載が乏しいことは認め、「申し訳ない」としたものの、それ以外は彼らなりの立場から事細かに言い分を述べた。手術は下手でプライドが実力を凌駕した結果の事故といえるが、それだけを原因とすることはできない。

病院によっては臓器別に診療科を設けるところもあるが、群馬大学病院の外科は第一外科と第二外科に分かれ各々異なる分野もあるが重複するものがあり、非効率に分立していた。そのうえ同種の診療科がそれぞれ独立し二重に運営され連携もほとんどなく、わかりやすく言えば「犬猿の仲」でいがみ合っていた。

一外と二外は術式も違いました。一外はオーソドックスな手術しかやらないんですが、二外は変わった手術をやるのが好き。スタンダードじゃない手術をやりたがる傾向がありました。

群馬大学病院は大きく分けて二つの勢力があった。東大出身者を中心とした旧帝大系と群馬大学を卒業した生え抜き系だ。各地の大学病院や傘下の医療センターでも普通に見られる光景だ。旧帝大系は結束が固いわけではなく仲が良いわけでもないが、生え抜き系は旧帝大系のエリートに負けまいと共闘する意識があった。第一外科は旧帝大系の教授、第二外科は群馬大学の生え抜きが務め、「一外には負けるわけにはいかない」と医局員に檄を飛ばし対立を煽る傾向さえあった。さらに第二外科内部でも教授選を巡って熾烈な争いが続いた。複雑な人間関係と利害がからむカオスである。第二外科の教授になった医師は手術が得意ではなく、上手かった医師は教授選に破れた後、弟子を連れて大学を去った。手術のできる人材の補充が急務となり、関連病院に居た、くだんの執刀医を呼び戻した。教授がこの執刀医を寵愛するため、より優れた先輩医師は辟易して彼らも大学を去った。ついに執刀医が第二外科を采配するようになり、若い医師はそれに従った。死亡例はおそらく教授と執刀医と若い医師が関わったもので、記録上は名前を連ねているが教授は手術に参加しなかった可能性もある。

群馬大学病院の手術死問題で、日本外科学会が行った死亡例の検証により、対象となった第一、第二外科(2015年4月に統合された)の50例全てで、説明や記録も含めた診療経過になんらかの形で不備が指摘されていることがわかった。死亡例全般で、行なわれた医療の質が問われる結果となった。問題の発端となった第二外科だけでなく、第一外科も含め二つの外科が限られた人員で同種の診療を別々に行う非効率な体制を続けた病院組織の問題が、診療の質の低下を招いたとみられる。

無念の死を遂げた患者さんや家族の声は涙なくして語れない。この医師に出会わなければ、この病院を受診しなければ生きていたかも知れず、心身の苦痛を背負わなくて済んだかも知れない。これを教訓とする意味で病院をあげて誓いの碑を建立した意義はあるだろう。しかし、死者は戻って来ない。医療のように不確実で健康や命に関わる職に従事する人々の労苦もわかる。インフォームドコンセント(説明・理解・合意)が言われ始めてから30年、ことばの意味は普及したが、全国の大学病院や医療機関で機能しているかは疑わしい。9月、NHKが伝えた群馬大学病院のカルテ共有の取り組みは実際には進んでおらず、他の医療機関への波及はこれからだ。医療の不確実性を考えると、永遠に理想の医療を追求するしかなく、これからも医療事故が絶えることはないだろう。医療は「そういうものだ」という覚悟も必要だ。素人の患者が専門の医師に対し質問し、反論しても一蹴されるのは明らかだ。患者は放り出されないよう医師のご機嫌をうかがう。セカンドオピニオンを求められるのは余裕と金のある人であって、周囲に多くの医療機関のある町でないと難しい。昨年逝去された近藤誠氏が著書で再三述べておられた、「医師と医療機関に近づくな」という対策もありかと思う。

 

亜宗教 中村圭志

辞書にはないコトバだ。本書で初めて知ることになった。著者が便宜的に与えた呼称で、宗教によく似ているが伝統的な意味での宗教そのものではないような現象、あるいは言説をいう。ニューエイジ運動から派生した神秘主義や疑似科学、陰謀論などに通底する概念だ。

マジカルな思考やオカルト信仰は「亜宗教」の専売特許ではないのである。奇跡待望的な要素に注目する限りは、本家の宗教も亜宗教もほとんど区別がつかない。

伝統的な宗教と亜宗教を分かつものは歴史の長さ・古さにある。伝統宗教は民衆の期待する呪術や奇跡信仰をほどよくコントロールする手法を身につけている。たとえばキリスト教では神は奇跡を起こすと考える一方で、それを期待するのは自己中心的欲望だという冷静な見方もあり、リベラルな教団では奇跡を安売りしない。仏教では密教にみられる加持祈祷があり、奇跡より煩悩の抑制や内面の省察による悟りをめざす。奇跡願望にほどよく応えながら、それが究極の課題でないことを示し、覚醒の余地を残す。奇跡を売れば短期に人も金も集まるが長期的に破綻を招き、欺瞞や脅迫という非人道の陥穽に落ち入る。伝統宗教の手腕は選挙民を懐柔する政治家にも通じ、国民の選挙行動をみると与党という教団への追従が多数だ。他にも患者の妄想にほどよく付き合う医師や心理カウンセラー、治療家など様々な業種にみられる。

どうやら人間とは、事実やら「不都合な真実」なんかのために生きている動物ではないのだ。自分という存在に深い満足を感じたいがために生きている。

宗教、疑似科学、陰謀論、フェイクニュースなどに捕らわれた人々は頑強なまでに信念を曲げない。手順を踏んで資料を示し切々と語りかけても、彼らの思いはわずかの揺らぎもなく、互いに平行線を辿るのみ。ほどよい満足を得て日々を過ごすうち、なんらかの問題が生じ、生きにくさを感じたとき、不安や不満の解消を図ろうとする。悩みや不安の出口が見えず、早く解決の糸口が欲しい、しかし見つからない。それは真理や事実である必要はなく、実感の持てるものを手繰り寄せる。神秘主義や信仰、陰謀論はカオスに差し込む一筋の光になる。

自分の信念と事実とが互いに矛盾するとき、人間は事実を捨て、信念のほうを取るという選択をしばしばおこなう。なぜそんな自滅的なことをするのかというと、人間にとって主観的な信念も、客観的な事実のデータも、要するに自分の心という舞台に現れた認知的要素にすぎないからだ。

社会心理学で認知的不協和といい、宗教の予言によくみられるものだ。例えば予言の日時を待てども、予言どうりの事が起こらない。「予言の失敗」を認めることのできない信者は「私たちの信仰の力で変更になった」と言いかえ、信仰の優越を誇る。代替医療で「気づき」と呼ぶことがある。がんや重篤な病に罹ったときの説明に使い、宗教では正統派からカルトまで「神の試練」という。神に祈ることで克服を助け、信者を慰める。

著者のいう亜宗教は20世紀後半からの思潮であるニューエイジ運動が深く広く関わる。米国とベトナムの反戦運動に端を発し、伝統的社会体制への批判が噴出した。これを契機にヒッピー文化に見られる自由気ままなライフスタイルが産まれた。ジョン・レノンの「イマジン」が描く世界観はいまなお歌い継がれ、これからもますます輝きを放つことだろう。「意識の変化・進化」がニューエイジ運動の要諦をなし、政治運動に関わり、続いて精神の覚醒や変革へと向かう。続いて生まれたものをカウンターカルチャーといい超常現象、UFO、オカルト、占い、瞑想、代替医療等々、ニューエイジの世界のすそ野は広がる。政治運動からニューエイジへ向かい、ニューエイジから政治運動にも関わる。彼らは主観的信念の世界に生息しているため、どこかで違和感を覚えることがある。

「意識の変革」「意識の進化」という大義のためには、何であれ常識から離脱することが求められており、呪術ないしオカルトはこれにうってつけのテーマだった。

ニューエイジの魔法信仰や超能力への傾倒は、子供が夢見るヒーロー願望ににている。能力開発のため地道に技術を磨き知識を蓄えていくのではなく、カルトや宗教に入門するだけで獲得できそうに錯覚する。その願望に根拠を与えるのが疑似科学だ。科学用語を駆使し、あたかも証明された客観的事実かのように演出する。しかし用語のみで、発想は神話の域を抜け出せない。物理学が扱う物質レベルの現象は宇宙においても普遍性が高く、原子や素粒子のレベルで解明されている。また物質については実験の設計が可能で抜かりなく遂行できる。自然科学のなかでも生物学や医学の分野になると複雑な構造の物質と機能を有するため、物理学より解釈の余地が広がる。さらに人文科学の心理学や社会学などは複雑性や偶然性は手に余るほど大きい。統計的手法を用いても法則や再現性を得るのは困難だ。数理的エビデンスに乏しい文系の学問は、疑似科学的な領域へ踏み込むことがある。それを避けるため、曖昧領域を抱えた学問は相対的にでも有益な存在価値を模索していく。理系と文系の差は明確ではなくグラデーションを描き、文系の学問はアート、政治、ビジネス、宗教などの実践領域へと発展する。

ニューエイジ運動で自然科学者が量子論を語り、道教思想や東洋哲学の素養も披歴したことでニューサイエンスという分野が産まれた。それ以降、人文系の思想家や実践家は自然科学の用語や概念を切り貼りすることで客観性と普遍性を演出するようになる。たとえば精神分析家のラカンは精神障害の構造を位相幾何学(トポロジー)の概念で説明した。鍼灸、整体などの代替医療でフラクタル理論を説明に利用する治療家がいる。論理の展開が突然なので難解で高貴な気分にもなり、ときに理解を示す医学や物理学の専門家も出てくる。70〜80年代は自然科学用語の濫用ブームが起こり「なんだか変だ」「意味が分からないと」と思いつつも、専門家の説明に聴き入った。

宗教というものに懐疑的であった哲学者バートランド・ラッセルは、神秘主義思想の中にある智慧には耳を傾けるべき要素があるものの、神秘主義者は「実在」を論理的な意味では使っていない、神秘主義者は「事実」ではなく「情緒」を表現していると評している。

ニューエイジでは東西の思想を止揚し、悟りを得たグルのごとくふるまう者もいる。宗教に限らず教祖風の指導者、陰謀論の語り部、占い師、治療家、、その心根は神秘や疑似科学に引きこもることで得られる「孤独の快感」かも知れない。神秘主義や亜宗教に漂う唯我独尊の気分は「優越感」でもあり、アイデンティティを維持する支えとなる。

安定を求めてなにかをカミサマとしてそれにしがみつくということであれば、資本主義にだってナショナリズムだって疑似科学にだってしがみついてしまうのが人間だ。

無神論、無宗教、無信仰を公言する者もいる。彼らは亜宗教の対極にあるのか。主張のロジックとしては「宗教」とは真逆の立場であるが、思索のあとが窺える以外の情緒的なケースはむしろ宗教・亜宗教の部類といえる。ここには「奇を衒う」という自己防衛や優越があるように思う。また理系の専門家が語る文系分野、その逆もある。慎重に見極めないと専門分野以外はやや知識があるだけで亜宗教の衣を纏ったものがある。小説家が物理学を語り、医学の泰斗が哲学の本を書く。他分野まで広げる専門家の知に本物もあるだろうが、亜宗教があるかも知れない。

自分が多数派の側にいると気づいたら、もう意見を変えてもいいころだ。 -マーク・トウェイン-

亜宗教はおそらく少数派だろう、ニューエイジムーブメントのひとつ代替医療も通常医療から零れ落ちた少数派だ。亜宗教、神秘主義、陰謀論には洗脳、カルト、、など悪しきイメージがついてくる。しかし多数派の居場所が良しとはいえず、多数派の多くは多数派であることに気づかない。亜宗教によって多数派から脱し、「気づき」を得る人もいるだろう。

 

検証・コロナワクチン-実際の効果、副反応、そして超過死- 小島誠司

超過死亡率ということばを聞いたのは東日本大震災のときだった。特定の母集団の死亡率が一時的に増加し、本来想定される死亡率を超過した割合をいう。何世紀も前に確立した概念で、1918年のスペイン風邪の犠牲者の推定にも用いられた。

先日発表があったわが国における2022年12月の死亡者数に激増が見られる。12月の死亡者数は15万8387人で、前年12月の13万4026人と比較して2万4361人、率にして18.2%の増加である。なお、2022年の年間死亡数は158万2033人で、前年の145万2289人と比較して12万9744人、8.9%の増加であった。

2020年には見られなかった超過死亡が2021年になって出現し、2022年の後半に激増した。コロナによる超過死亡の増加とともにワクチン接種が始まった1回、3回、4回、5回にも増加がみられる。死亡者数のピークには、コロナによる死亡者数の2〜3倍ものコロナ死以外の超過死亡が観察された。2021年11月のコロナ死亡者数は92人、12月は33人に過ぎなかったが、全超過死亡数は11月で4700人、12月で5600人に達した。ランセット誌は2022年3月、2020年1月から2021年12月までの世界各国の全超過死亡数とコロナ死亡数との比率を発表した。先進国の超過死亡はコロナによる死亡数の1〜2倍までに収まっているが、日本は例外的に6倍もの超過死亡が観察された。日本ではコロナで死亡した患者以外にもウイルス検査を行い、陽性であればコロナ死としてカウントするため、日本の超過死亡はコロナ感染以外の死亡原因が考えられる。

超過死亡増加についての新聞報道を見ると2022年2月:超過死亡とワクチン接種は因果関係なし。2022年10月:医療逼迫の影響で医療機関へ行けず、コロナ以外の疾患で亡くなったり、外出抑制のストレスによる持病の悪化、経済困窮による自殺が考えられる。2023年4月:新型コロナ感染症の流行が影響したと思われる。共同通信社の配信なので地方新聞に至るまで一字一句変わらない内容であり、いずれもワクチン接種を原因から排除している。しかし、週刊誌の女性セブン、週刊現代、週刊新潮やネットでは超過死亡を取り上げワクチン接種との関係に触れている。

日本と同様、ワクチン接種の進んだ多くの国で2022年後半から超過死亡の激増が観察され、原因を論じた記事がいくつか報道された。BBCは2023年1月10日のニュースで、英国における超過死亡は過去50年で最悪であったが、原因としてワクチンの関与はないと伝え、その理由としてワクチンの接種者は未接種者に比べ死亡率が低いとしている。ところが1月27日、クイーン・メアリー大学のノーマン・フェントン名誉教授が、統計局の発表した数字に疑惑があることを指摘、それを統計局が認めたことから流れが変わった。

昨年の中頃から、コロナ感染による死亡は減少しているにもかかわらず超過死亡が増加していることに、いくつかの国の研究者が気づき始めている。とりわけ気になるのは、若年者の死亡が増加していることである。一部の研究者の忠告にもかかわらず、政府や大手メディアは、これらの忠告を無視してきた。しかし、2022年後半を通じて、超過死亡はさらに増え続けており、2023年に入ってもこの傾向が続いていることから、いよいよ無視はできなくなっている。

BBCは超過死亡の原因がワクチンではないという理由にワクチン未接種者が接種者より死亡率が高いことを挙げた。しかし、実際は、2022年1〜5月の統計で未接種者の死亡率は1〜3回のワクチン接種者と同じか低いことが判明している。フェントン名誉教授の指摘を受け、修正後に発表したデータでは2022年は年間を通して未接種者が接種者より死亡率が低いことが確認された。事実を隠蔽し、嘘を流布しワクチンの接種を促していたのだ。英国の超過死亡はそのまま日本にも当てはまるが、日本ではワクチン接種回数別の死亡率が開示されていない。されていないのではなく、開示せず逃げ回り、ワクチンの安全性を吹聴し接種推進を行なっていたのだ。京都大学の福島雅典名誉教授が厚労省に対し、ワクチン未接種者、接種者におけるコロナ感染の重症化率、死亡率に関する行政文書の開示を請求したが、拒否された。ワクチン接種回数別の死亡率は超過死亡の原因を究明するための最も重要なデータである。

厚生労働省の前庭に「誓いの碑」が建っている。これには薬害の被害を受けた患者・遺族が苦しみや悲しみを人類の教訓として、薬害根絶につなげてほしいという願いが刻まれている。

命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する。千数百名もの感染者を出した「薬害エイズ」事件このような事件の発生を反省しこの碑を建立した 
             平成11年8月  厚生省

「誓いの碑」をもうひとつ建てたらどうか。「建立当時の担当者はもう居ないので、コメントは差し控える」とでもいうのだろうか。超過死亡の原因解明のデータは隠ぺいし改ざん、黒塗りに勤しむ。そして、超過死亡の原因とされるワクチン接種の関与を明確に否定し、さらなる接種を推奨する。彼らは健康と命に関わる案件を軽々と扱い、なぜ黙殺できるのか。事実を突きつけられても、一瞥もくれず「フェイク」と言い捨てる。どちらがフェイクだ。反ワクチン派にフェイクがあったとしても、フェイクに耳を傾けワクチン接種をためらった人々はフェイクに救われた。

重回帰分析の結果は、ワクチンの追加接種の回数が多いほど超過死亡が多いことを示した。

最近、WHOが健康な小児や60歳未満成人へのコロナワクチン接種を推奨しないという指針を発表したにもかかわらず、わが国ではこれらの対象者に対してもワクチン接種が推奨されている。

著者は医師のなかでもワクチンの恩恵を最も実感する小児科医であり、40年に及ぶ診療での変化を述懐している。最も大きな変化はウイルス感染症が激減しており、かつて普通に見られた麻疹や風疹もこの20年は経験したことがない。遅れて予防接種が始まった水痘やおたふく風邪も最近は見ることがないという。予防接種の必要性やワクチンについても再考すべきではないか。

最近になってコロナワクチンは、遺伝子治療の一種であると見做す論調が現れてきたが、本文では「コロナワクチンは、遺伝子治療に他ならない」と喝破している。筆者自身が遺伝子治療の開発に取り組んできた経験から発した言葉である。

遺伝子治療がどのようなものか調べると、開発途上で安全性が確立していない。同時代に医学を学び、同じ情報に触れていながら、製薬企業や国の方針に追随する医者と警鐘を鳴らす医者がいる。国民も国の方針に従順な人々と回避する人々がいる。政治家や役人、学者、マスコミの嘘と扇動は今始まったことではない。著者は2021年まで、コロナに関する情報発信のためユーチューブの動画を利用していたが、2022年に入ると、著者が登場する動画はことごとく削除されるようになった。著者の発信に危機感を募らせる勢力の姑息な抵抗であろう。幼稚にしてわかりやすい人たちだ。

12月17日にNHKは、従来型ワクチンを2回以上接種した上で、オミクロン対応ワクチンを追加接種した場合での発症を防ぐ効果は71%と報道している。感染研の発表では、従来型ワクチンの接種後の相対発症予防効果は30%である。

NHKの報道は明らかに間違いである。有効率が71%あるというので接種したが、30%なら思い止まった人もいるに違いない。

オミクロン対応ワクチン接種後の死亡例が、3月10日の時点で57人報告され、多数の副作用報告がある。NHKは知らずに報道したか、知って報道したか分からないが誤報により、死者と被害者を出してしまった。過去を辿れば、ファイザーワクチンが登場したとき国や学者は有効率95%と喧伝した。新聞やテレビは内容を検証することもなく、あるいは検証したかも知れないが、予防接種を煽った。95%の有効率は特異な計算によってワクチンが効くように見せかけるトリックだ。ワクチン接種群、プラセボ群各々22000人にワクチンとプラセボを2回づつ接種したところ、ワクチン群のコロナ発症数は8人、プラセボ群は162人だった。ワクチンを接種しなければ162人発症することろ8人に止まり、154人が発症を免れた。154÷162≒0.95(95%)これが95%のカラクリだ。わかりやすいように100人あたりの発症数を算出すると、プラセボ群のコロナ発症者が1人弱で、ワクチン群はほぼゼロという数字になる。100人接種して1人の予防効果しかない。正しい数字とワクチン接種後の副作用を適切に伝えていたら、接種を思い止まった人はたくさんいたに違いない。

 

民間療法は本当に「効く」のか 大野 智

厚生労働省はeJIM(evidence-based Japanese Integrative Medicine)というサイトで統合医療情報を発信しており、ここには民間療法や代替医療の紹介と見極め方が書かれている。代替医療は非通常医療ともいい保険診療でおこなう通常医療と分けて語られるが、漢方、鍼灸、整骨など通常医療に採用されるものもある。サイトでは代替医療のevidenceや利用における注意が喚起され、有意義で示唆深い。実のところ、これらは代替医療だけではなく通常医療にも通じる内容であり、注意喚起である。保険診療で日々行われる検査や治療にもれなくevidenceがあるわけではなく、慣習のまま定着している。麻薬、麻酔、鎮痛剤など疑いようのない薬効にevidenceは不要だ。出血を止める、切創の縫合、骨折の癒合など明快な処置にもevidenceは不要だ。ところが高血圧、高脂血症、うつ病など蓋然性の乏しい薬や治療にはevidenceを通した正当性が問われる。

科学的根拠のない治療をしている人たちが、効果がないという科学的根拠を提供されたところで、そのような治療をやめることはない。

代替医療に限らず、通常医療も、evidenceに乏しい治療は多い。evidenceなどなくても、治療は成り立つし、患者の多くはevidenceなど知らず、気にも留めない。一般に西洋医学は科学的根拠に則った医療が提供されると誤解している。evidenceには以下、6段階のレベルがある。

  1. Ta ランダム化比較試験のメタ分析
  2. Tb ランダム化比較試験
  3. Ua よくデサインされた非ランダム化比較試験
  4. Ub よくデサインされた準実験的研究
  5. V よくデザインされた非実験的記述研究
  6. W 専門家委員会の報告や意見、権威者の臨床経験

レベル1)のメタ分析に耐えられる西洋薬がどれくらいあるだろうか。代替医療は低位のevidenceにも耐えられないだろう。普通、治療家も患者もレベル6)を利用の根拠とし、それ以下に信頼のおけない広告の体験談にさえ突き動かされる。治療家は実利を重んじ、5)〜6)レベルでもevidenceアリとして運用するだろう。医療は病気を治すだけではなく、苦痛を緩和したり、治療による副作用を軽くするため、evidenceレベルより患者の「希望と実感」が頼りだ。レベル6)でも、薬理作用の判明した薬があれば信頼性はより高まる。通常医療で使われる薬や治療は本当に信頼できるだろうか?新薬には数字の操作を経て作り出されたものが多く、レベル1)のメタ分析に耐えうるものは少ない。evidenceアリとされるものの根拠はいかにも脆弱で嘘もある。例えば新型コロナのファイザーワクチンのevidenceを見てみよう。

第三相試験では、最初4万3448人が被験者となり、半数にワクチン、残り半数にはプラセボ(生理食塩水)が2回づつ接種された。最終解析で、新型コロナを「発症」していた人数が、プラセボ群で162人。ワクチン群は8人だった。162−8=154、154÷162=0.95(95%)、この奇妙な計算から新型コロナの発症数を95%減らしたと結論し、有効率95%が動き出した。国もこの計算を認め、有効と流布させた。わかりやすように被験者100人に換算すると、プラセボ群で新型コロナが1人発症し、ワクチン群ではゼロ近いレベルという結果だった。計算のカラクリを知らない人々は効くと信じて、接種会場へ列をなしたことだろう。3回も4回も、6回も...そして不幸にもつらい副作用が残り、最悪の転帰を辿った人もいる。

代替医療はもともとevidenceが低く信頼がおけないとのバイアスがかかり、無益で金銭と時間の無駄を批判する人がいる。多くは西洋医学や科学をヒエラルキーの頂点と考える医師や研究者、評論家たちだ。彼らこそ優秀な頭脳を駆使し、新薬の有効性の算出方法や製薬会社のパンフレット、それに基づく学界の標準治療を再検討すべきではないか。

本書では代替医療の商品の販売方法や宣伝について詳しく注意が喚起される。代替医療の問題点のひとつひとつが通常医療の問題点にも通底する。見出しをいくつか列挙すると.. 第三者による経験談の魔力/権威者の言うことは真実か?/みんなが使っている商品は良い商品?/数字のトリック...

「人の脳はもともとだまされやすい」という事実を常に頭の片隅に置いておき、情報を入手するとき立ち止まる勇気を持つということです。

代替医療だまされたらどうなるか?健康被害は少なからず報告されているが、見過ごせないのはお金のトラブルだ。食品レベルの商品やサプリメントに膨大な費用をかけたランダム化比較試験などやるはずもなく、それより広告宣伝につぎ込む方が格段に効率が良い。広告の手口や販売方法の問題は、あらゆる業界を横断し、もちろん通常医療にも魑魅魍魎は神出鬼没する。しかし、通常医療にだまされたという話は医療過誤でしばしば発覚する。

補完代替療法の利用者は標準治療を拒否する割合が高く、生存率が低いことも報告されています。生存率が低い理由は、補完代替療法そのものによる影響ではなく、標準治療を拒否したり開始が遅れたりしたことによる影響が考えられています。もし、西洋医学を否定している補完代替医療があったら、絶対に近づいてはいけません。

裁判用語で機会喪失というのがある。代替医療に関わらず通常医療にかかっていたら病気はひどくならず死ぬこともなかった。通常医療から遠ざかったことで失った利益をいう。しかし、遠ざかることは失うことばかりではなく、危険を遠ざける利得もある。

アメリカのジョンズ・ホプキンス大学が2016年に発表した調査では、アメリカ人の死亡原因の第3位は医療ミスや過剰な医療といった「医療過誤(医原病)」によるもので、アメリカ国内で年間25万人以上が死亡すると推計される。自宅や老人施設で亡くなった患者は数字にカウントされていないので、実際にはさらに多くの人が医原病で亡くなっているともいわれる。

医原病とは医療過誤、誤診のことで、日本人はガン、心臓病、老衰の3つで死因の半数を占める。この中には、アメリカで報告された死因3位の医原病が相当数含まれるはずだ。通常医療で受けた治療や手術が後の検証で、「受けなければよかった」と後悔する患者や遺族の話を聞く。病院へいかず、代替医療に頼っておけば障害や死から免れた人は少なからずいるはずだ。通常医療の側から見る代替医療はおおよそ胡散臭く低評価だが、新薬、手術など侵襲性の高い医療があるかぎり、evidenceに乏しくとも代替医療の選択はときに命を救うことがある。

ランダム化比較試験による検証が行われていない補完代替療法は「効かない」と早合点してしまう人がいますが、これは誤った考え方です。「効くという科学的根拠(evidence)がないことは、効かないことを意味しているわけではない」という、科学的根拠(evidence)に関する箴言を覚えておいてもらえたらと思います。

新薬の杜撰な統計偽装や侵襲性を考えると、evidenceレベルは低いが専門家の臨床経験やよくデザインされた実験的研究又は成分の薬理試験を積むことで一定レベルのevidenceに達する。最上位のevidenceレベルが必要というのであれば通常医療でさえ診療は成り立たない。古代、病気の数は四百四病といわれていたが、いまでは数万〜数10万の病気(病名)があり、さらに増え続けている。この中には病変以外に体調変動、老化などに病名を付したものがある。それらに対処するための健診や治療や薬の提案は医師や医療業界の営業活動とも言えよう。例えば生活習慣病やロコモ、病気の予防と称するワクチンなど...過剰な介入の先に医原病の陥穽が待ち受ける。

たとえランダム化比較試験で有効性が証明された治療法であっても、効く人もあれば効かない人もいるということです。--中略--これを「医療の不確実性」といいます。

確実に効果のある薬にevidenceを求めることはなく、不確実だから精度や再現性を高めるためのevidenceが必要になる。しかし、ランダム化比較試験で効くという証拠が出ても「医療の不確実性」のため誰もが効くことを意味しない。同じく、効くという証拠がなくても、効かないことを意味しない。結局、「飲んで見なければわからない」不確実なものだ。病気や苦痛で藁にもすがる思いが高まり、「だまされたと思ってやってみる」という心情に一致する。

患者が不安、後悔、葛藤を抱えていることは紛れもない事実であり、その解決策として患者自身が悩み、もがき、あがき導き出した答えが補完代替療法だった場合、それは患者にとって正しい道なのかもしれません。

気持ちが煮詰まった患者へevidenceを示しても齟齬が生じ、納得したそぶりは見せても決して考えを変えることはなく、密かに反感を抱くことさえある。治療家は共感を以て「患者に寄り添う」ことしかできない。ほとんどの患者は病気の悩みを抱えつつ医師の説明や方針に従う。しかし、少数ながら別の治療家に希望を託す患者もいる。ところが医師の多くは代替医療を運用レベルまで知っているわけではない。保険診療が可能な漢方薬でさえ医薬品全体から見ると使用量は1%くらいで、熟知して使う医師は1割に満たぬ数だ。まして民間薬やサプリメントまで医師の知識が及ぶだろうか。知らぬがゆえ代替医療を軽視し、耳を傾けることもなくevidenceナシ、と言い放つ。患者は通常医療に見限られ、もしくは見限って代替医療の門戸に立つ。

代替医療には古代からの医療文化が詰まっている。玉石混交のなかから玉を拾いあげれば今にも通じるものがあり、通常医療でも十分に利用可能だ。代替医療の持つ、医療文化としての価値と、可能な限り高位のevidenceが実現すれば、利用価値は大きい。evidenceがないまま漫然と行われている通常医療にも通じることではないか。

医薬品の使用上の注意に、「医師、薬剤師に相談する」と書かれている。しかし、医薬品を熟知していない専門家、大した「副作用はない」と、バイアスのかかった専門家、漢方薬や民間薬、健康食品の知識も名も知らない専門家もいる。専門家を間違えると「八百屋で魚を求める」ことにもなりかねない。医師の資格を得た人も様々いて、ひとつの事象に相反する意見が聞かれる。各々の見解に等しく耳を傾け可能な限り、ネットや本などを開き調べあげることが身を守る一歩だ。多くの人々は通常医療のメインストリートを歩き、街並みで働く人々(医療者)は西洋医学の薫陶を受け、見る景色は路地裏まで及ばない。路地裏の景色や生活のなかに代替医療は根付き、路地裏からはメインストリートの景色も見える。通常医療側からする代替医療の評価と代替医療側からする通常医療の評価の垣根は越えられるだろうか。

 

原子力の哲学 戸谷洋志

5月31日原発延長法が成立した。福島原発事故後の規制を転換し、60年超運転を容認することになった。日本で原発が稼働した当初、耐用年数は10年とされ、10年間の発電後は廃炉・解体の予定だった。電力会社が勧める電気給湯器の耐用年数と買換え提案のサイトには以下のようなことが書かれている。
  • エコキュートの寿命は10〜15年と言われているため、買い替えの目安も10年程度となっています。寿命は部品によって異なり、ヒートポンプユニットは5〜10年程度、貯湯タンクユニットならば10〜15年程度です。どちらのユニットにとっても10年は節目となります。
  • 10年経過しているならば、とくに不調を感じていなくても、買い替えを検討する時期に入っています。
  • 一箇所修理しても、またすぐ別の箇所に不具合が出る可能性もありますから、結果的に新しく交換をした方がお得になるケースもあるのです。10年程度経過したエコキュートであれば、修理よりも買い替え・交換を検討するのがお勧めです。

「突然壊れたときのリスクが大きいから..」とダメ押しのことばもある。そのまま原発にもいえることで、絵に描いたようなダブルスタンダードだ。電気製品や機械について10〜15年の耐用年数はおおむね常識的なところだ。身の回りの電気製品で60年使い続けているものは一つもない。原発の複雑な配管を延ばすと80kmに及び25000もの溶接箇所を有する。そこへ放射性物質を含む300℃、70気圧の高熱湯が流れ込む。エコキュートと比すべくもなく過酷で複雑なものだ。60年の運転など人智の及ばない未知の領域になる。しかも、運転期間の規定を炉規法から削除し、安全審査などによる停止期間を算入しないことで事実上、「60年超運転」を認めるという。議論も尽くさぬまま、あっさり採決がなされた。自民・公明の与党と維新・国民が賛成票を投じた。戦時下の翼賛体制に等しい政治状況だ。維新・国民は選挙中は野党、選挙が終われば与党というふたつの顔を持つ厄介な存在である。彼らは原発が壊れるまで稼働させるつもりだ。

「すべての事態を想定している」と思い込んでいるにもかかわらず、炉心溶融や冷却システムの機能不全の可能性をまったく考えていなかった。--中略--その可能性を信じる能力が欠けているという点に、真の原因があるのだ。

電気製品や機械は壊れても大きな被害はなく、その予兆がわかると早めに買い替えや部品交換で対処する。しかし、原子炉の破局は比べようもなく異次元だ。人々の健康や環境が危機にさらされる。機能不全の可能性と対策を真摯に突き詰めていくと、原子力は人の手に負えないという結論へ行き着く。いずれ破局に直面することが理解できたとしても、信じることができず先延ばしする。「システム的悪」といい自分が属する社会システム、政治システム、経済システムなど、破局を信じることは自己否定につながるからだ。原子力神話へ帰依し、そのため周囲を巻き込む破局を招く。

5月の広島サミットで「システム悪」の最たる祭りを見せつけられた。原爆投下の地に核のボタンを持ち込んだとされる米大統領、戦争支援を訴えながら原爆慰霊碑前に花輪を捧げるウクライナ大統領、軍備増強、憲法改正でアメリカの下僕たらんとする日本の総理大臣、自らの地元で平和を叫ぶ愚かさを、成功と讃えるマスコミ、まさにマスゴミと呼ばれる所以ではないか。

未来において必ず破局が起きる、と考えるということは、けっして「もしかしたら破局が起きるかも知れない」と考えることではない。破局は必ず起きるのであり、その意味において破局は運命である。

核戦争など起こるはずがない、起こらないでくれという願望の一方で兵器産業の走狗となった権力者の思惑で話し合いという危機管理を怠っている。平和への祈りだけでは祈りで終わる。破局が運命づけられているのは間違いない。天変地異や人類の終焉はいづれ訪れるからだ。

核戦争が危険であることは自明であり、だからこそその危険性について熟慮することができる。これに対して原子力発電は一見して平和的であり、むしろ人類の便益に適うものであるかのように思える。しかし、そうであるからこそ、危機が迫っていることに気づくことができず、破局に飲み込まれてしまうかも知れない。

福島原発事故から12年が過ぎ、大多数の国民は危機が薄れ、復興を成し遂げたと思っていることだろう。日本のマスコミは政権に都合の悪いことは語らず、ひきかえに庇護の下、糧を得る。大手マスコミに比べ週刊誌やネットの情報は圧倒的に露出は少ないが、真実を伝える貴重な存在だ。以下は先月6/20号の女性自身の記事だ。

「福島第一原発1号機の圧力容器が、地震で落下・倒壊する可能性があります。そうなれば大量の放射性物質が飛散し、周辺地域の方々は避難する事態になりかねません」。そう懸念を示すのは、原子力資料情報室で原発事故問題の究明に取り組んでいる上澤千尋さん。じつは、福島原発事故でメルトダウンした1号機で、原子炉の圧力容器を支える”ペデスタル”という鉄筋コンクリート製の円筒形の土台(直径約6メートル、厚さ約1.2メートル)が、大幅に損傷し、鉄筋が露出していることが、今年3月の東京電力による水中カメラでの内部調査で明らかになった。今後、原子炉が地震に耐えうるかどうかが問題になっている。これに対し、4月、東電は特定原子力施設監視・評価検討会で次のように簡易な見解を示した。〈1号機の圧力容器の周りには“周辺構造部材(支え)”があるため、900ガル(震度7以上)の揺れでも倒壊する恐れはない〉しかし、5月24日に開かれた原子力規制委員会では、委員たちから、「(東電の評価は)非常に楽観的。大丈夫とは言えない」といった厳しい意見が相次いだ。「東電は、〈’22年3月に福島沖で起きたマグニチュード7.4の地震などにも耐えたから〉というだけで、こうした評価を出しているんです。つまり、“臆測”にすぎません」(前出・上澤さん)要するに、次に起きる地震に耐えられる保証は一切ないのだ。

放射性物質を吐き出す原発は二酸化炭素より危険なのは明らかだが、温暖化対策として蘇った。蘇らせるために温暖化対策を叫んでいるのだ。全国各地でいままでに増して、地震が頻発する。国民は知らぬが仏で、事故はないと楽観するしかない。すさまじく危機を感じたとしても、一般国民にできることは選挙でのささやかな抵抗しかない。しかし、安倍政権以降の選挙は与党が全戦全勝し、徒労感で政治参加の意欲はそがれる。

一般的に選挙制度は民主主義的な手続きであると考えられている。しかし、たとえ形式的に選挙が行われていても、国家によって情報統制が敷かれていたり、あるいはそもそも国民が政治に関心をもたず、扇動されるままに投票行動をしたりするならば、そこでは「共同の思考と行動において理性を錬成すること」が実現されているとはいえない。

マスコミは情報統制され著しく劣化した。報道の自由度は世界で70位前後を低迷し、このランクで、先進国は日本のみだ。新聞とテレビだけが頼りの国民は扇動されるがまま漫然と投票行動をおこない、扇動されていることにも気付かない。与野党伯仲の状況へ持ち込み、政権を脅かすようになれば政治家はもっと国民へ目を向けるはずだ。与党に投票する国民と選挙へ行かない国民で作り上げたのが政治の現状だ。

日本政府が夏ごろの放出開始を目指す福島第1原発の処理水を巡り、反発が強い韓国で天日塩の価格が高騰している。韓国メディアは海洋汚染を恐れる消費者が放出前に塩の買いだめに走り品薄状態になっていると報じ、韓国政府は15日の記者会見で安全性を強調するなど沈静化に躍起だ。  韓国最大の天日塩生産地である韓国南部全羅南道新安の水産業協同組合の直売所では、個人客による注文数が急増し20%値上がりした。ショッピングサイトでも天日塩の品切れが続出。海洋水産省によると、6月第1週の天日塩の価格は4月同期比で約27%上昇した。
(Yahoo!ニュース 6/15)

福島第一原発の「汚染水」はいつの間にか「処理水」と呼ぶようになった。5月末から韓国の視察団が日本を訪れ汚染水の放出に懸念を示した。中国や台湾などの隣国も一様に放出に反対し、中国は「核汚染水」と呼んでいる。韓国の人々は汚染水の危険を知り、天日塩の買いだめに走る。日本人は新聞・テレビが伝えるとおり「処理水」と思い、天日塩にまで思いが至らない。1986年、チェルノブイリ原発事故の後、日本では小麦や乳製品に対して極度に神経質になり、数年は警戒が続いた。自国のことになると危機感も対策も無きがごとし。

ドイツ・キールのヘルムホルツ海洋研究センターの調査によると、福島原発の放射能汚染水が海に放出された場合、その放射性物質は57日以内に太平洋の半分に広がり、10年後には全世界の海を汚染するとのことです。

まず日本、つづいて世界中が被害をこうむる。食品のセシウムの基準値は100ベクレルとされているが、これを1000ベクレルに緩める動きがある。すでに海産物については1000ベクレルが許容されている。一般食品にまで1000ベクレルが許容されるなら私たちは一層の危険にさらされる。原子力には兵器とエネルギー利用があり、後者を一般に平和利用といい続けた。数々の原発事故や核廃棄物の危険に接し、原子力に平和などないことが分かった。しかし、核兵器に比べ原発の危険は顕在化しない。事故や危険性の報道が行われなければ、あたかも平穏に稼働し、人の便益に供するものかのように思う。この慣れと安心が、迫りくる破局の想像を遠ざける。人類が永遠に続くことはない。核兵器や原発以外にも管理を怠れば、破局をもたらすものはたくさんある。

人類の絶滅と引き換えにできる人類の目的など存在しえない。

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【追記】他国の愚挙には正論をかざし、自国の愚挙は曲論で対応するという、ダブルスタンダードが国際社会の常ではあるが、中国の汪文斌報道官は7/11日の定例記者会見で、以下のように述べた。傾聴すべき正論である。

われわれは改めて指摘する。基準を満たせるか定かでない福島の汚染水を正常に稼働する原発の排水と単純に比較することは、科学の常識に反している。両者には本質的な違いがある。一つ目は由来が異なる。二つ目は含まれる放射性核種の種類が異なる。三つ目は処理の難度が異なる。福島の汚染水は、事故で破壊された原子炉の炉心に注入された冷却水と原子炉に浸入した地下水と雨水であり、溶融した炉心の各種放射性物質が含まれている。原子力発電所が正常に排出した水とは全く異なる。IAEAは日本の汚染水浄化設備の有効性と長期的信頼性を全く評価しておらず、今後30年ですべての汚染水処理が基準を満たす保証はない。長期的な海洋放出が海洋環境や食品安全に与える影響もIAEAが簡単に結論を出せるものではない。福島の汚染水の飲用や水泳が可能だと考えている人がいるなら、われわれは日本に対し、汚染水を海に流して国際社会に懸念を持たせるのではなく、しっかりと利用し、その人たちの飲用や水泳に提供するよう提案する。【新華社北京7月12日】

 

コロナ利権の真相 鳥集 徹・特別取材班

5月の連休明け、新型コロナが5類に引き下げられ数々の規制は撤廃された。とりわけマスクからの解放で直に空気が吸えるのは嬉しい。昨年春、オミクロン株への変異の際、「感染力は強いが重症化はしない」、という発表で出口が見えたような気がした。1年前だ。しかし、すでに3年前の2020年9月に「2類相当から5類に見直す」という意向が官邸や厚労省で検討されていた。2020年8月28日の新型コロナウイルス感染症対策本部で安倍総理は次のように語っている。

まず第一に、医療資源を重症者に重点化する観点から、感染症法に基づく権限について見直しを行ないます。現在、結核やSARS(重症急性呼吸器症候群)といった2類感染症以上の取り扱いとなっている新型コロナについて、保健所や医療機関の負担の軽減、病床の効率的な運用を図るため、政令改正も含めて運用見直しを検討します。

2020年4月7日に新型コロナ緊急事態宣言が発出されて、わずか5か月ほどで5類への見直しが検討されていたが、3年も遅れてしまった。そこに、2類相当から5類へ引き下げることに抵抗する勢力があったのではないか。年月は過ぎ、2022年11月29日の記者会見で、加藤厚生労働大臣が新型コロナウイルスの位置づけについて、現在の2類相当から、季節性インフルエンザと同じ5類に見直すことについて、議論を進めると述べた。

日本医師会は、すぐさま「抵抗」の意思を示した。大臣会見の翌日(2022年11月30日)、日本医師会が記者会見を開き、釜萢敏常任理事は次のように述べている。
「新型コロナウイルス感染症独自のものとして扱って最も適切な対応方法を新に組み直すというほうが、単に5類として扱うというよりは適切なのではないか」
「公費の負担を大幅にやめることは反対だ」

普通の風邪や季節性インフルエンザでは、「保険診療扱いで、患者の自己負担となる」。医師会の思いやりある正論のように思えるが、違う。医療機関にはコロナ診療に伴う診療報酬の加算や補助金・支援金が湯水のようにつぎ込まれている。これらのお金がストップするとコロナで黒字となった病院経営が、以前のようなギリギリの状態か赤字に戻ってしまう。東日本大震災の復興予算は10年間で32兆円が組まれたが、新型コロナ対策予算はここ数年で104兆円だ。いかに巨額なものか国民一人あたりで計算すると82万円になり、使いきれずに不要となった予算が6兆円を超えた。湯水のごとく、まるで源泉かけ流しだ。医師会だけでなくコロナを5類へ引き下げることを歓迎しない勢力は他にもたくさんある。

コロナ対策の柱の一つ、新型コロナワクチン接種が2021年2月から医療関係者を皮切りにスタートし、4月から自治体が設けた集団接種会場・病院・診療所で高齢者から順に一般へと広がる。接種率が7〜8割に達すると集団免疫を獲得し、コロナは終息するとされ、接種の担い手となる医師・看護師をはじめ医療従事者を駆り集める必要があった。

1週間100回以上の接種を4週間続ければ、最低でも160万円以上の増収となる。パンデミックが始まってから、病院も診療所も、コロナ感染を怖がる患者が通院をやめてしまう「受診控え」で苦しい経営を強いられていた。そんな状況にあった医療機関にとって、ワクチン接種によって降ってきたお金が、傾きかけた経営再建の助けになったのは間違いないだろう。

自治体の集団接種会場は大手旅行会社などの民間企業が数千万円から数十億円で受託し、運営・管理を担うケースが多かった。このワクチンバイトに携わった医師・看護師たちも恩恵にあずかったのは言うまでもない。

ワクチン接種がスタートした2021年は、最終的に前年比で67000人以上もの死者が増加した。さらに、2022年もすでに7月の段階で、前年比で52000人以上も死者が増加している。

死者の増加を見る限り感染予防効果は乏しく、政府や専門家は「重症化やコロナ後遺症を防ぐため」と言い出した。厚労省はワクチンの副作用疑い25892件、死亡例1908件を報告した。効果に乏しく、死者や副作用をもたらすワクチンより、無駄との非難を浴びた「アベノマスク」がまだマシであった。今世紀最大の薬害事件となるやも知れず。国内の各医学会でも死亡や重篤な副作用の症例報告が相次ぎ、2021年12月から2022年9月までの間に少なくとも300件以上も演題にのぼった。しかし、主流の医学会や医師会からは、ワクチン中止の声はあがらず、追加接種や子供への接種まで促された。主流というのはテレビに出て推進の旗振りをする専門家であり、こういった御用学者はどこの業界にも居る。始まれば止められない公共事業と同じく予防接種も中止の気配が感じられない。

最も大儲けしたのがワクチンメーカーだ。日本政府は8億8200万回分を購入し、なかでもファイザー製が3億9900万回分で最も多い。欧米諸国を中心とした世界中の国がワクチンに巨費を投じ、最も多かったのがファイザー製で53億4128万回分と全体の28.6%を占める。ファイザー社はどれくらい儲けたのか?

コロナワクチンを販売する前年の売上高は約5兆8671億円で、世界の製薬企業の売上高ランキング8位だった。コロナワクチンの市場投入で2021年の売上高はおよそ2倍の約11兆3803億円になり、2022年も堅調で売上げ見通しを上方修正した。ファイザーのCEO、ブーラ氏の2021年の報酬は前年比15%増の約34億200万円、氏は自身が保有するファイザー株も売却し、約7億8400万円も手にした。mRNA:ワクチンをファイザー社と共同開発したドイツのビオンテック社の2020年の最終利益は約21億7500万円だったが、ワクチン接種が本格化した2021年には686倍の約1兆4924億1250万円まで跳ね上がった。モデルナ社も最終利益が前年比約23倍の売上を記録し、赤字経営をいっきに約1兆7083億円の黒字に転換した。製薬企業の巨大な富は各国政府がワクチンにつぎ込んだ税金がもたらしたもので、日本は2兆4036億円を投じた。そのうえ、ファイザー社との間で締結された新型コロナワクチンの契約書には、何か問題が発生した時、政府が損害賠償を肩代わりする条項が複数盛り込まれていた。

計画性のない衝動買いか計画的だったかは不明だが東京23区で100万回分、約27億2500万円のワクチンが廃棄された。他にも27市町村で合計73万9085回分が廃棄された。有効期限は6か月であるが、何度か延長され15か月に延長されても調達の4割も使い切れなかった。コロナは変異するごとに弱毒化し、デルタ株(5波)の重症化率は60歳未満で0.70%、60歳以上で4.72%、オミクロン株(7波)で60歳未満が0.10%、65歳以上で0.14%まで下がった。死亡例も報告されたがワクチン死をコロナ死と見せかける報道があったのではないか。副作用のつらさに比べコロナの重症化はわずかで、ワクチン死や後遺症の報告を見た人々は安全性に疑問を持ち接種を避けるようになっていく。当初からワクチン接種の危険性を指摘する専門家がいて、次第にその数も増えていった。しかし、医師会や医療機関からの発言は最初から一貫して変わらず、いまもコロナへの注意喚起を続けている。以下、病院職員の赤裸々な告白だ。

実際のところ、コロナのおかげで病院はウハウハ状態です。国内で感染が始まった当初は、うちの病院も赤字が嵩んでいましたが、次第にコロナ関連の特例加算や補助金などの仕組みが定まっていき、大幅な黒字に転換しました。もちろん、それはうちの病院が実際にコロナの患者さんを診ているからです。儲かった分を職員に還元するため、昨年(2021年)は、年に何度か10万円を超える臨時ボーナスが出ました。当然、コロナが終息してしまったら、売り上げは落ちるでしょう。

新型コロナウイルスが未知のものであった初期は、部屋に籠り人との接触を極力避けた。外来患者は減少し2020年、5月までの経常利益は月に1億円を超える赤字。7月になるとコロナ対応に対して支払われる補助金等の枠組みが決まり、大幅な黒字に転換した。コロナ感染が疑われる患者を診察することで1人3000円加算され、やがて5500円に改訂された。外来患者100人を診察すると55万円、全員にPCR検査を実施すると70万円が加算され、計125万円。このほかコロナ患者受け入れのため設けた病床について、患者が埋まらなくても政府から1日単位で補助金が支払われる。政府は新型コロナウイルスの医療政策として約17兆円を投じ、空床補償を含む緊急包括交付金等が7.6兆円にのぼった。

コロナ病床へ、1人1日あたり空床補償として国が支払う補助金は、特定機能病院のICU(集中治療室)で43万6000円、HCU(重症・中等症の高度治療室)は21万1000円、一般病床は7万4000円。1人1日当たりの入院診療収益が一般病床で3万5974円なので、一般病床で約2倍、ICUで約12倍、HCUで約6倍になる。仮にICUを5床、HCUを5床、一般病棟を10床をコロナ病床として確保すると、すべて空床であったとしても1日約400万円の収入が得られ、1か月で1億2000万円、1年で14億4000万円にもなる。専門家顔して終息を渋るのは、胃袋の正直な欲求によるものだ。

尾身氏は旗振り役となって、病床数を確保しないと医療が逼迫して大変なことになると危険を煽っておきながら、自分が責任者を務める組織の傘下にある病院では、コロナ患者を全力で受け入れず、空床補償をたんまりせしめていた疑惑が持たれているのだ。

尾身氏といえばテレビでおなじみのコロナ対策の顔とでもいうべき人物だ。2021年8月は第5波で過去最多の新規感染者数を記録し、医療逼迫で多くの病院で病床が不足していた。当時、どこも病床稼働率100%を超えていたのに、尾身氏の関係する病院は稼働率68%だった。空床補償の「ぼったくり」である。2022年11月7日会計検査院は報告書で9都道府県で計55億円分の不正受給を指摘した。他にもコロナ以外の患者の入院で補助金を受給したり、日数を過大に申請したケースもあった。また、コロナ患者に対応するための物品の購入費も申請が通れば全額補助金が下りた。こうして赤字は黒字に転じたものの、麻薬のように依存が生じ終息を高らかに宣言できなくなった。

新型コロナウイルス感染拡大の影響によって売り上げの減った中小事業者やフリーランスなどの個人事業者の支援が急務となった2020年春、事業の継続を支える「持続化給付金」の申請が開始された。

医療機関ほどではないにしても、約1/3の5兆5000億円の予算が組まれた。売り上げが前年同月比で50%以上減少した資本金10億円未満の事業者が対象となり、中小の法人には最大で200万円、個人事業者には最大100万円が給付された。使途に制限はなく、経済的に苦しんでいた中小・個人の事業者に大きな助けとなった。政府にしては珍しく、「性善説制度」で即応したことで確認作業が杜撰になり、その「スキ」を不届き者に狙われた。

2020年5月、家族4人を中心とした40人ほどの犯行グループが、持続化給付金詐欺では過去最大となる約9億6000万円を不正受給した。「著名な税理士先生が給付金を合法的に受け取る方法を教えてくれる」と謳うセミナーを開催し、参加者から身分証明書のコピーを受け取り、確定申告書を偽造し給付金をだまし取った。このグループは数か月で約1780件もの不正な申請を行ない、2020年7月頃から審査が厳しくなったことで容疑が露見した。2022年6月には、現役の東京国税局職員だった男を含む総勢17名が検挙される不正受給が報じられた。警察が発表したものでは2021年1月に総額約3億円の持続化給付金を騙し取った栃木県の男を逮捕。2月には日本中央競馬会のトレーニングセンターで働く調教助手と厩務員ら100人以上が総額1億円以上の不正受給。9月には厚木市の小林市長の次男を含む犯行グループが約1億円の不正受給に関与。大規模な事件が続々と明らかになり、個人レベルでも不正受給が横行した。目に余る不正に対し、経済産業省は持続化給付金の自主返納を呼び掛けた。

「本来なら不正受給は犯罪だが、”誤って”受給した場合は自主的に返還すれば罰則も加算金もなし」という”大サービス”をしたことで相談が相次ぎ、2022年5月末までに約15000の事業者から総額約166億円が返納された。

事件として捜査中のものや、自主返納もせず、摘発を免れている潜在的件数は多く金額も大きなものになるだろう。法人による不正受給以上に深刻な問題は持続化給付金が暴力団の大きな資金源になっていた可能性が高い。暴力団や半グレ集団などの反社会勢力は自主返納などするはずがなく、被害の実態は闇の中だ。

東京オリンピック・パラリンピックの閉幕から1年余り。東京地検特捜部は28日、大会の運営業務をめぐって談合を行っていたとして、広告大手「電通グループ」など6社と大会組織委員会の元次長らを独占禁止法違反の罪で起訴した。(2023/2/28 NHK News Web)

五輪汚職に名を連ねる電通やパソナは持続化給付金にも漏れなく群がった。政府が給付する事務作業は、電通、パソナが中心となって設立した「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」(略・サ推協)に669億円を支払い委託した。サ推協は国の大きな施策を委託されるような規模ではない小さな法人だが、5兆5000億円の給付金の8割の事務作業を担当した。

「NHKスペシャル」の報道などによると、さらにサ推協は業務の95.5%を大手広告代理店「電通」に丸投げ状態で再委託していた。再委託で電通に支払われたのは641億5000万円、サ推協は差額についても大手銀行に振り込み業務を外注するなどしており、これを疑問視した野党議員から衆院経済産業委員会で「残りの業務の中身は何もないから幽霊会社でも務まる」と追及を受けた。電通に再委託された業務は次々に下請けに回され、最大9次までの多重下請けになったことから「電通による中抜きシステムでは」と指摘された。

サ推協は元々電通、パソナが設立したものだ。電通がダイレクトに受注することの批判をかわすためトンネル団体を経由した疑いがある。再委託にはパソナも大きく関与し、身内で利益をむさぼる古典的な税金の収奪システムといえよう。下請けは国へ経費の詳細を報告する義務がない。

「魔が差した」レベルの一般人から詐欺集団、暴力団などの反社会勢力、そして日本の広告業界を牛耳る巨大企業まで....持続化給付金で多くの人が助かった一方、とてつもない額の血税が「食い物」にされたのだ。

利権の生ずるところに政治家の関与がないわけがない。五輪汚職では政治家まで行き着くことはなかったが、コロナ対策に注がれる巨額の税金を政治家は指をくわえて見ていたのか。ばらまいた税金を税金で取り戻す政策が着々と進められるだろう。

NHKの報道番組「ニュースウオッチ9」が15日、ワクチン死を訴える遺族の発言を編集してコロナ感染死のように伝えた問題で、同番組は16日放送の最後、田中正良キャスターが「深くお詫び申し上げます」などと謝罪。青井実アナウンサー、林田理沙アナウンサーと3人で頭を下げた。(Yahoo!ニュース 5/16)

メディアの自由度ランキングが世界71位、独裁国家なみの報道である。「ワクチン接種後に死亡した」と遺族が訴える部分を編集カットし、コロナ死と報じていた。普通に報道されるコロナ死者数にはワクチン死が含まれる可能性大である。専門家は二通り居て、根拠を示し正しく危険性を指摘する専門家と、安全だ有効だ、危険にはフェイク、としか言わない専門家に分かれる。同じ医学教育を受けていながら、この差はどこで生じたのか。

米国では薬の承認審査を行うFDA(米国食品医薬品局)の長官を務めていたスコット・ゴットリーブ氏が、退任後にファイザー社の取締役に就任している事実がある。そして、彼以外の元FDA長官も、ワクチンと関わりの深い製薬企業の幹部に迎えられている。米国の感染症を担うCDC(米国疾病予防管理センター)やWHO(世界保健機構)も製薬会社との人事交流が盛んであることが指摘されており、政府機関と製薬会社を行ったり来たりする実態は「回転ドア」という言葉で揶揄されている。

こうした政府・行政と製薬業界との「癒着」と言わざるを得ないような実態が、日本でも深く、密かに進行しているのではないか。そう思わざるを得ないような事実が、次々と明らかになっているのだ。

新型コロナで甘い汁を吸った白アリはルーチンワークとして、様々な感染症を針小棒大に騒ぎ立て、給付金を求めるかも知れない。東京五輪の話で触れたが、「ショックドクトリン」と言い、戦争・災害・テロ・政変などの惨事で人々が茫然自失のとき、五輪や大型イベントで人々が熱狂のとき、大胆に規制緩和を行い、経済政策、大規模開発の利権を掴み取る。規制の緩和も強化も行われ、新型コロナ以前の世界とは日常生活や感性が変容したように思う。

 

文学部の逆襲 波頭 亮

2015年、文部科学省から「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」という通知が出された。「大学は学術研究より社会のニーズを見据えた実践的な職業教育をすべき」、という安倍総理の主張を受けての通知だ。人文系の学部を縮小・廃止して情報系や工学部系に転換せよというものだ。哲学や文学ではメシは喰えないという、あからさまで浅はかな思いつきだ。

あれから8年、安倍氏が亡霊のように蘇り、文科省は4月に奨学金新制度についての支援を発表した。返済不要の給付型奨学金と授業料減免の対象を「中間層」に拡大する制度だ。現行制度では、対象となる世帯年収は約380万円未満だが、新制度では約600万円に緩和する。制度改正によって上限600万円まで段階的にカバーするものの、「子ども3人以上の多子世帯」と「私立校の理工農系学生」に限るとした。つまり、文系学生は「子ども3人以上」に該当しない限り、対象外となってしまうのだ。理系の方が学費は高くつくとはいえ露骨な優遇策の裏には政府の思惑がある。文科省は約3000億円の基金を活用してデジタルや脱炭素など成長分野の人材を育成するため、私大と公立大を対象に約250の理工系学部の新設や理系学部への転換を支援する方針を掲げ、今後10年かけて、文系学部の多い大学を中心に再編する狙いがある。10日後、文科省はさらなる事業を発表した。全国の大学を対象に、デジタルなど成長分野の人材の育成に向け理系への学部転換などを支援するとし、4/18から公募を始めるという。この事業では、大学が既存の学部を理工農系学部に転換したり、新設したりした際、施設や実験機器などの設備の整備費として、新たに設けた基金から1件当たり最大20億円程度を助成し、将来的に250の学部などの新設や再編を目指す。

そもそも実験装置や施設がほとんど必要ない文学の予算のウエイトはもともと小さい。にもかかわらず、更なる廃止・縮小を政府の力で進めようとするのは、人文の価値と意義を社会から根絶やしにしてしまいたいかのようにすら映る。

人文の領域から生まれる物語が、資本の専制状態を覆すことを危惧する周到な政策ではないかと著者はいう。第二次世界大戦以降、ほとんどの資本主義国は国家が大きな財政負担をすることで不況対策のための公共事業や国民生活の安定のための社会保障政策をとってきた。しかし、1970年代のオイルショックによる財政赤字以降、新自由主義の政策へと転換を図った。新自由主義とは、企業活動、労働形態、物価、金利など経済活動のすべてを市場メカニズムに委ね、そこに国家が介入すべきではないというものだ。トリクルダウンといい、「富める者がより富めば、その利益は下の貧者へ滴り落ちてくる」という手前勝手な理屈だ。待てども落ちては来ず、逆に貧者から吸い上げ格差は拡大するばかり。格差を埋め生活困窮者を救うため、国家の介入と財政出動が必要なのだ。

新自由主義政策により規制緩和、福祉削減、財政緊縮、自己責任制度等が採用され、結果として大企業や富裕層の保護に偏り、ここから資本主義の暴走が始まる。政府は社会保障や福祉政策の負担が市場の効率を損なうとして、これらを削減し企業の負担を軽減した。さらに企業の法人税や富裕層の所得税を軽減し、不足分を庶民へと賦課したのが消費税である。

企業と国民の格差及び富裕層と貧困層の格差という二つの格差を生み出す起点となったのは、30年前の1989年に消費税が導入されたことと見なして良いであろう。消費税は様々な経済活動によって産み出された財・サービスを購入・消費する際に課せられる税なので、最終的には全て消費者が負担することになる。つまり、新しい税負担の財源負担者として、企業ではなく消費者が選ばれたのである。この意味で、資本を優遇するという新自由主義のポリシーが典型的に反映された税である。

30年前、1980年代の終盤、日本はバブル景気と呼ばれる好景気で世界の経済大国に上りつめた。80年代の欧米各国の年平均成長率が4.3〜7.9%程度に対し、日本は12.0%と圧倒した。経済力だけでなく「一億総中流」といわれるほど格差がなく、教育、生活、安全、環境などについても中流を享受していた。今の日本は一人当たりのGDPは世界26位、競争力ランキング30位、20年間のGDP成長率は0.5%である。ついでに報道の自由度ランキングは民主党政権では世界10位だったが、現在は71位まで後退した。隣の韓国が43位、70位といえば独裁政権や発展途上国のレベルだ。まさに失われた30年であり、10年である。その中心で旗を振り続けたのが誰かは言うまでもない。一億総中流の時代は国民の大多数が中産階級であり、この層の衰退が経済成長のエネルギーを失わせてしまう。この格差は世代をまたいで固定化し、階級化する。低い層の人々は飛躍・向上の機会を失い、意欲は沈滞し国は衰退へ向かう。報道ランキングの後退がこれに拍車をかけ、真実を知ること批判することを遠ざけ、政権選択の自由を奪う。

格差の問題は新自由主義の提唱者であるM.フリードマンも認めており、著書で、「市場メカニズムを最大限尊重しながら、市場競争と市場配分によって必然的に生じる格差は解決しなければならない重要な課題」、と述べている。格差問題について、なぜ成果のある対策がとられなかったのか?報道ランキングの後退にみられるようにメディアを懐柔・恫喝し批判を封じ込め、国民の声を政治に反映させない。

なぜ、新自由主義の下で国民による政治的意思決定機能が損なわれてしまったのか。そこで起きたのは「資本による政治の買収」とでも呼べる事態である。政治学者T.ファーガソンの言葉を借りるなら、「選挙とは国家の支配権を得るための効率の良い投資である」という状況に現代の資本主義国は陥っている。

福祉目的税とされる消費税は丸ごと大企業への福祉目的税だ。大企業はわずかな政治献金で大きな利益を手にし、さらに多くの特典を享受する。現代の政治も選挙も資本にとっては投資対象であり、効率の良い商売なのだ。政党を買収することで政策を支配する。もうひとつはメディアの買収による情報の支配だ。与野党を選ばず、のべつ幕なしにおこなうため、有権者にとってはどの候補者に投票しても、結局、資本の意向に沿った政策が粛々と実行される。「消費税の議論すらしない」と公約に掲げた民主党が手のひらを返し、自公とともに増税への道をつけた。「人柄と政策で投票する」という国民の素朴な願いは叶わない。

資本による買収以前に、メディアは「記者クラブ」制度によって政権と行政にコントロールされている。政治・行政関連のニュースは大手メディアだけで構成される記者クラブに対してのみ提供され、日本の政治・経済のニュースは事実上の政府広報だ。もし、独自の取材で広報と異なった報道を行なえば、そのメディアは記者クラブを外され、以後政治・経済のニュース配信ができなくなる。記者会見は徹底的に統制され記者の質問は検閲され、意に沿わない者は排除される。報道の自由度が高かった民主党政権の時でさえ、大震災による福島原発の事故は隠された。メルトダウンは即日起きていたが、枝野官房長官はオウム返しに「ただちに影響はない」と言い続け、2か月後にようやくメルトダウンを認めた。その時の官房長官が立憲民主党の代表になって「減税だ原発廃止だ」と叫んでも、なにひとつ響かない。私はヘビよりトカゲがマシと思って何度か民主党に投票した。

「戦後最大の好景気」との報道は続くが、アベノミクス実施以降労働者の賃金は低迷し、国民生活は困窮の一途を辿っている。いよいよ出口なしの物価高に政策の失敗を恥じることもなく、ウクライナ危機へ責任を転嫁する。さらにウクライナ危機を利用し軍需産業の福祉増強を謀り、平和憲法まで捨て去ろうとする。資本による政治の買収で民主主義が機能不全に陥ると、いよいよ資本の暴走が止められなくなる。行き着く先は社会や国家の滅亡であることを歴史が示唆する。昨年暮れ、タモリ氏が徹子の部屋に出演して言ったことが話題になった。「来年は新しい戦前になる」

資本主義も民主主義も産業革命によって惹起されたものである。このようにテクノロジーは私たちの生活のあり様と生活様式、及び社会の仕組みを規定する。実は私たちの生活や社会の仕組みを規定しているものが、もう一つある。「物語」である。

ここから、文学の逆襲だ。博士号を取得するとPhDの後に取得分野を表記する。PhDとはDoctor of Philosophy(哲学)の略で、諸学問の元は哲学から派生し、原理や真理を追求するという意味において理系文系の垣根はない。

人間が世の中の何たるか、人と人との関係がいかなるものか、そして自分とは何者なのかについて理解し、認識しているのは物語によってである。

産まれて言葉を覚えるようになると事象を繋ぎあわせ、周りの出来事を一連の物語として理解するようになる。さらに言葉が増えてくると嘘の物語(フィクション)まで作れるようになる。絵本や童話から小説、映画、演劇など物語は成長につれ広がり深みを増す。物語こそが他の動物と人を分かつ根源的な認知能力である。高度で思弁的な物語を創作し共有するところから、集団を統合し組織的分業が可能になった。言葉は言魂ともいい、言葉によって織り成す物語は思想を形成し、行動を起こす動機やエネルギーになる。

壁の向こう側から流れ込んできたテレビ番組によって現実を知ってしまった東ドイツの人々は心の中にそうしたライフスタイルへの憧れを抱くようになった。西側諸国の物語が東ドイツの人々の心に芽生えさせた憧れと価値観が募っていった挙句に起きたのが、ベルリンの壁の打ち壊しなのである。

ベルリンの壁の崩壊により、東側諸国との冷戦体制も終わった。たった一つの物語でさえ人々の心に共感や憧れを呼び起こし、新しい価値観や行動スタイルは社会化する。政治体制や法体制など社会の構造や行動を規定するパワーを持つ。物語に身体的パフォーマンスである音楽や踊りが加わると人の情念をも揺さぶる。最近、ノーベル文学賞の大江健三郎氏や世界的音楽家の坂本龍一氏が逝去された。政治や環境を懸念され、その言葉が市民運動を支え活動を後押した。資本や政治にとって人文が紡ぎ出す思想や行動は侮れない。自民党は、日本会議や勝共連合などの極右と統一教会や公明党などのカルトに侵食され、その党を資本が買取り、メディアは言いなりに旗を振る。国民は貧困にあえぎ、格差も広がるばかり、このまま突き進めば資本家や富裕層を支える人々は減り、宿主なき寄生虫として、いずれ終わる。

自民党の世耕弘成参院幹事長は21日の記者会見で、日本学術会議の運営を巡り「どうしても自分たちだけで人事を決めたいなら、例えば民間的な組織として自由にしていただく選択肢もある」と述べた。「公費が出ている以上、メンバーの人選は透明でなければならない。仲間内で選べるようであってはならない」とも指摘した。(Yahoo!ニュース 4/21)

政権批判は許さず。脅迫、弾圧。メディアの次は学術界。古来より独裁権力は必ず学問を弾圧する。始皇帝では焚書坑儒。戦前戦中の我が国も学術界を徹底的に弾圧した。自民党を乗り越えないと、暗黒になる。(小沢一郎Twitter 4/22)

 

ルポ 食が壊れる 堤 未果

最近のニュースから、国産の牛乳を廃棄しつつも海外から牛乳を輸入する。徳島では国の支援で食用コオロギの養殖が始まった。これらのニュースを勝手に繋げると「コオロギなど食わずとも国産の牛乳を手厚く守れ」と誰もが思うだろう。しかし、流通のルートに乗った食の事情はそう簡単にはいかない。

WTO(世界貿易機関)体制を中心に、グローバル企業による農業ビジネスが支配する今の食システムを見ると、飢餓を引き起こす真の原因は、食料不足では決してない。

2007年から08年に穀物価格が暴騰し、わずか2年で飢餓人口が1億人増えた。穀物生産量のデータは史上最高を示していたが、穀物はバイオ燃料のための投機に使われた。途上国では億単位の人々が食べ物を手に入れられず死んでいく一方で、一握りの投資家たちは巨額の利益を手にした。国際的な農産物貿易自由化が進められ、途上国を一握りの先進国に依存させる市場構造が強化された。世界の食物の7割は小規模農家や小作人、遊牧民や先住民族が生産し、残り3割はグローバル企業が経営する大規模農家だ。圧倒的な力で食をコントロールする大企業に抵抗し、2018年、国連小農の権利宣言が採択された。小規模農家の価値を見直そうという動きである。小農の権利保護のため遺伝子組み換え種子や除草剤などの販売規制や輸入停止が行なわれるようになった。

私たちは甘かった。巨大グローバル企業を相手にした歴史的な勝訴に安心して、すっかり忘れていたんです。あれだけ大きな金の卵を産む鶏を、彼らがそう簡単に手放すわけないってことを。

2021年の国連サミットでFAO(国連食糧農業機関)は未来の食料安全保障として「遺伝子組み換え技術」、「ビッグデータ」、「精密農業」の3つをキーワードを決定した。巨大アグリビジネスに乗っ取られたFAOが出した、「食料、生態系、気候変動危機を解決できるのは、優れたテクノロジーとその使い方を知っている超富裕層の起業家だけだ」というメッセージだ。

マイクロソフトの創始者、ビル・ゲイツは有り余る富をもとに、さらなる富を得ようと慈善団体を謳い、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を設立した。2022年9/12、財団の寄付者に向かってビル・ゲイツは「ウクライナ危機と気候変動で悪化した食料危機を救うのは進化した農業テクノロジーしかない」と呼びかけた。ウクライナ危機や気候変動を根拠に持ち出すのはあらゆる分野に及ぶ。武器、食品、エネルギー、金融、、経済政策の失敗さえウクライナ危機に転嫁する国さえある。農場から市場までデジタルネットワークでつなげ、洪水や干ばつや感染症に耐えられる遺伝子組み換え種子を用いる。さらに土壌の生産性をあげるための化学肥料、家畜を病気から守るワクチンなど、すべて金のかかる提案だ。過去と同じ過ちを繰り返すのか。

60年代に東南アジアと中南米に導入された、品種改良された種子と化学肥料で収量を増大させる「緑の革命」は、収量を劇的に拡大させて世界の食料事情を塗り替えたとして有名になった。だがフタを開けてみると、土壌微生物の破壊や水質汚染、資材の購入資金で借金を重ねた農民の自殺率上昇など、数々の弊害をもたらしたことが明らかになり、批判の声が高まっている。

大規模化で生産性はあがるが、農業機械や化学肥料のコストがかかり、面積あたりのエネルギー消費量が高い。国連の統計では20世紀に世界の農地が2倍になり、食料生産は6倍になるが、農業分野のエネルギー消費量は85倍になった。さらに肥料成分の窒素、リン酸が水路から海に流れプランクトンが大発生し、その死骸を食べる微生物が海中の酸素を消費する。低酸素のため、世界400か所以上で魚介類の棲めない海域を作り出した。大規模農業で生産する作物に安い値札がついていても、環境や健康、社会的コストを加えると高額なものになる。

世界中の農地の85%は2へクタール未満の小規模農家が耕す。小農たちが毎年自家採取する在来種子を取り上げ、化学肥料とセットのGM種子を導入させる。種子企業は開発から生産・流通まで関与し、貧しい農民は高額な種子や肥料、除草剤を仕方なく購入させられ借金に苦しむ。1996年遺伝子組み換え作物の商業栽培が始まって以来、GM種子は静かに地歩を固めてきた。日本の場合、流通食物の半量が遺伝子組み換えが占めるという。そして、2023年4月から日本の食品から「遺伝子組換えでない」という表示が消えようとしている。これにはトリックがあり、遺伝子組み換えでない食品で許容される意図しない遺伝子組み換え原料の許容率がこれまでの5%以下から検出限界未満(不検出)に変わった。厳しくなったように見えるが、そのことで「遺伝子組み換えでない」の表示ができなくなり、安全な食を求めることが難しくなる。生協の豆腐はいままで、「遺伝子組み換えでない」と表示されていたが、4月からは「分別流通管理済」という表現に変わる。どういう意味か内容を知る人はほとんどいない。

ウクライナ危機で小麦をはじめ食品の高騰が続く。かつてウクライナは外国企業の農地購入を防止し、肥沃な土壌を守るため遺伝子組み換え種子の作付けも禁止していた。米国系のアグリビジネスにとっては厄介な国でしかなかった。

2014年2月。170億ドル(約2兆5500億円)のIMF融資と結びついたEUとの通商協定を拒否した当時のウクライナ大統領ヴィクトル・ヤヌコヴィッチが、米国が支援する反政府クーデター(マイダン革命)で追い出されたのだ。代わって政権の座についた親米のアルセニー・ヤツェニュク首相一派は、早速IMFからの融資170憶ドルと引き換えに、農業部門の規制を緩め始める。

2022/2/24、ウクライナ侵攻直前のプーチン大統領の演説の引用だ。独裁者との非難を浴び、狂人とまで言ってのける西側への警告である。「アメリカの同盟諸国にまでも関わってくるものだ」。日本はアメリカを同盟国と思っているようだが、アメリカにとっては同盟国ですらなく植民地だ。

従来の条約や協定には、事実上、効力がないという事態になった。説得や懇願ではどうにもならない。覇権、権力者が気に入らないことは、古風で、時代遅れで、必要ないと言われる。それと反対に、彼らが有益だと思うことはすべて、最後の審判の真実かのように持ち上げられ、どんな代償を払ってでも、粗暴に、あらゆる手を使って押しつけてくる。賛同しない者は、ひざを折られる。私が今話しているのは、ロシアに限ったことではないし、懸念を感じているのは私たちだけではない。これは国際関係のシステム全体、時にアメリカの同盟諸国にまでも関わってくるものだ。
(NHK NEWSWEBより)

モンサント、カーギル、デュポンなど米国の大手アグリビジネスはウクライナを金の鉱脈に例え、掘り起こすためウクライナ政府に国内の農地から手を引くよう画策した。その総仕上げに協力したのが、いまや世界的な英雄となったゼレンスキー大統領だ。真実は両面をみないと正しく分からない。ウクライナは姑息な方法で土地所有権の変更を可能とした。

世界の農地の7割の所有権は、グローバル企業と繋がる上位1%の大規模農場を頂点とするピラミッド構造だ。外国人の農地所有を禁ずる法律のある国では投資会社を通して購入する。オランダでは政府が国の代表的産業である畜産を、いきなり縮小する方針を打ち出した。家畜の糞尿に含まれる窒素ガスや牛のゲップから出るメタンガスが地球温暖化の原因とされた。2030年までに家畜が出す窒素の量を2019年比で半減させるという目標のため、国内の畜産農家の30%が廃業する。ここでも温暖化対策を掲げる勢力の圧力と横暴で農民は分断され、その後はグローバル企業が土地を寡占する。少数の者がますます富み、権力を握り、支配される国民はますます貧しくなる。2035年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で78%削減するというイギリスは、牛にメタンガスを分解するというマスクを装着させた。さらに農地売却と引き換えに農家へ報奨金を支給することを発表し、廃業か政府指定の農業以外への転職を促した。新型コロナのパンデミックとウクライナ危機で飼料や肥料が高騰し疲弊した農家から、救済と称し農地を奪い取る。富裕層が利用するプライベートジェット1機が出す二酸化炭素は1回の飛行で2トンにもなる。牛のメタンガスなど取るに足りない自然現象だ。富裕層の傲慢は限界を知らない。

食糧危機を警告する一方、農家に減産を促す政府に対し農民たちは国境を越えて団結を始めた。他国による農地買収に政府が警戒する国もある。ニュージーランド政府は、外国人による農地購入を禁止する方針を示した。アジアでは中国、タイ、ベトナム、フィリピン、インドネシアなど基本的に土地の取引は「借地権」で、外国人は土地を所有できない。韓国でも外国人土地法で規制する土地を設けている。これに比べ日本は国外からも電話一本で土地が購入できる。日本は外国人に土地を所有する権利を与えている世界でも数少ない国だ。

1994年のGATT交渉の際、当時外国からの投資を優先していた日本政府は、外国人による自国の土地所有に規制をつけなかったのだ。国内法より上位に位置するこの国際協定に一度署名してしまった以上、今から変更するのは至難の業だ。

最近、中国人女性が沖縄の無人島を買ったとして話題になった。2018年には航空自衛隊と隣接する新千歳空港近くの土地、約52ヘクタールが中国の「アリババ」に約49億円で出品されていたことが判明し、安全保障上の懸念が広がった。問題は農地だ。2009年、民間企業も農地を借りられるよう法律が緩められるが、まだ議決権の4分の3を農業者が持ち、役員の過半数が農業者である農業生産法人で、その役員の過半数に年間60日間以上の農作業が条件づけられていた。これが2016年、農業者以外でも構成員になれて、農作業はだれか一人のスタッフが田畑へ行けば良いとする企業向けの緩い内容にした。その結果、農水省の発表によると、2020年の外国法人などによる農地取得面積は約20.6ヘクタールになった。深刻なのは貴重な水源地である森林の買収だ。林野庁によると2006〜2020年のあいだに外資系企業が買収した日本の森林面積は2376ヘクタールになる。米国防総省が率先して進める遺伝子組み換えやゲノム編集などバイオ食品の研究や商品化、作付けに至るまで、日本の規制は緩く、海外投資家たちの日本の農地購入は進むことだろう。

アグリビジネス大手やテック企業による農業参入は、種まきから栽培、生産物管理に流通にマーケーティングまで、全ての農業プロセスのデジタル支配を狙っている。利益だけ吸い上げ、リスクは全て零細農家と農民たちに押しつけられる、今までと同じビジネスモデルだ。このことに気づかなければ、農家は今度こそ根こそぎ主権を奪われる。

デジタル農業という珍奇な装いで登場した新自由主義政策ともいえる。種まき、栽培、食品加工、流通、消費までも支配するアグリビジネスが、ビッグテック企業と提携しておこなう新たな食の支配構造だ。スマホのアプリを通して、種まきの時期、農薬や肥料の散布をいつ、どの場所へやるのかまで遠隔指示するサービスだ。その過程で、ネットショッピングのように農業資材や農耕器具、金融サービス、販売サイトが画面上に表示される。このネットワークに組み込まれると地域の直売所や卸売市場は不要になる。提供されるアプリは今まで別々だった農機具大手、農業資材大手など他企業とも自在に相互連結し、区画ごとの収量分析、土壌肥沃度管理、気象データの確認などが同一プラットフォーム上に集約される。多くのユーザーが利用することで精度は増し、小売りも流通経路も一貫して手に入れる。農業は機械化・省力化が進み、多くの労力や日数を要さず生産が可能となり、勤めなどの兼業も可能だ。しかし、機械化・省力化にかかる経費は兼業や勤めの給料で埋めることになりかねない。

私たちは働きに見合った収入を得ているだろうか?多くの消費を強いられ残ったお金をさらに国が搾り取っていく。国民所得に占める税金や社会保険料などの負担割合を「国民負担率」といい、2023/2/22、財務省は2022年度は47.5%になる見込みを発表した。年貢に例えるなら五公五民ではないか。調べてみると江戸時代、5人家族の場合、三公七民でかろうじて生活が成り立ち、五公五民ではかなり苦しく、隠田(かくしだ)、逃散(ちょうさん)、一揆(いっき)も起こった。

圧倒する流れに竿をさす動きがないわけではない。その一人である佐賀の農民作家・山下惣一さんは無力感をにじませながらも2016年小農学会を立ち上げた。残念なことに昨年夏に逝去されたが、いままで続けてきたことが温故知新、生活の意匠として輝き、提言をよりどころとする人々にとってはノアの箱舟ともなるだろう。

 

自民党の統一教会汚染 追跡3000日 鈴木エイト

先月14日奈良地検は奈良県警による安倍元首相銃撃事件の捜査が終結したとして、山上徹也被告(42)を奈良西署から大阪拘置所に移送した。すでに7か月が過ぎ、この間、山上被告のもとへ多くの差し入れや現金が送られた。現金は推定で数百万円にのぼり、山上被告は「統一教会の被害に苦しむ人のために使いたい」と周囲に話しているという。自民党は事件を早く風化させたいと願うものの、報道は執拗に続き数名の議員の更迭を余儀なくされた。ここまで至ったのは鈴木エイト氏や紀藤弁護士の存在があってのことで、妨害にひるむことなく、20年も追い続けた労苦は並大抵ではない。現在、報道は下火になったが、くすぶり続ける火種は残り、いつ再燃するとも限らない。甘い処分と体裁だけの対策で茶を濁す自民党を国民はいままでどうり支持するのか。自民党が統一教会から何を得て、なにを見返りとしたか?安倍氏がどのように統一教会と関わり、利用し利用されたのか。

最も教団幹部に衝撃を与えたのが09年、警視庁公安部による渋谷の印鑑販売会社「新世」の摘発だ。新世は教団の販社、つまり教団が信者に行わせている霊感商法の会社である。新世の社長や営業部長、実行役の街頭勧誘員の女性5人が逮捕。時を置かずして公安部は教団のお膝元である南東京教区本部事務所や地区教会である渋谷教会と豪徳寺教会への強制捜査を行い、本丸である教団の松濤本部への"ガサ入れ"も秒読み段階とされた。

宗教法人解散へ発展することを危惧した勝共連合の梶栗会長は、複数の有力な警察官僚出身の国会議員へ庇護を求めた。亀井静香と小野次郎の名が挙がっているが、彼らはあっさり関与を否定している。07年の教団内部資料では、毎月500万円の政治家対策予算が組まれているが、「新世」の摘発は対策が足りなかったとの教訓から、本腰を入れ直す。これは第二次安倍政権発足前夜の状況だ。そして2012年12月、民主党から政権を奪取した安倍氏は長期安定政権を目論む。おそらく1年ほどで再び政権を投げ出すのではないかと楽観視したが、先の失敗の轍を踏まぬよう学習を重ねていた。その年の9月には教祖・文鮮明が死去し、統一教会は息子、母子間の後継争いに発展した。妻である韓鶴子の独裁体制となるが、息子たちは分派を設立している。しかし、日本は依然として主流派・韓鶴子派の統制が続いた。

統一教会は創価学会とは違い単独で複数の国会議員を擁立できるほどの票数は持っていない。参院選全国比例区での組織票は8万票ほどにとどまる。統一教会が採ったのは政権による体制庇護と引き換えに人員を派遣、裏で政権を支える各種運動を行う取引だ。

信者を集めたイベントに政治家を招待し、政治家は選挙支援の御礼に来賓として出席し祝辞を述べる。政権との蜜月関係を構築することで、2015年には統一教会という悪名高い教団名の変更を強引に成し遂げ、変更式典には国会議員から60通以上の祝電が届いた。式典に出席し壇上で祝辞を読みあげた議員もいた。文化庁は名称変更を頑なに認めなかったが、教団の意を受けた当時の文部科学大臣・下村博文の圧力が功を奏した。名称変更からわずか2か月後、街頭では統一教会を名乗らず、新教団名での偽装勧誘が横行し始めた。下村博文は処分も受けず選挙の鉄槌を受けることもなく、国会議員にとどまっている。

2016年は安保関連法案を巡って国会周辺でのデモが続いた。反安保・反安倍の訴えが世間の注目を集め、とくに学生集団・SEALDsの活躍はめざましかった。これに対抗して「国を憂う学生集団」との触れ込みで「ユナイト(UNITE)」が全国各地で活動を始め、SEALDsと真逆の主張を展開した。ユナイトは勝共連合の青年組織で、ほとんどのメンバーが統一教会の2世信者であった。この結成や活動支援にも安倍政権の意向が働いたと考えられる。この年の夏には参議院選も行なわれ、3年前と同じく統一教会の組織票の上積みによって、無名の候補が国会議員になった。

統一教会の組織票を投入する候補者の選定は、まず「官邸に近い人物」そして「当落予想では当選ラインに届かないが、統一教会の組織票6万〜8万票の上積みで当選ラインに届く人物」という基準で選ばれた。

この2つのファクターを満たすCランクの候補者が不可解な当選を果たしている。おなじ頃、安倍総理は統一教会の徳野会長と李海玉総会長夫人を官邸に招待した。このことは首相動静にも載っておらず、官邸で何が話し合われたかは推して知るべし。以前は統一協会のイベントに参加する国会議員は数名にとどまったが、2016年、世界平和国会議員連合の立ちあげとともに、閣僚5人を含む国会議員63人が出席した。著者が入手した内部資料には「国家復帰戦略」として2020年までに統一教会を国教にするための計画が書かれていた。銃撃事件が起こっていなかったら塁は着々と固められたのかもしれない。

2017年、自民党及び首相官邸と統一教会の癒着構造は加速する。5月、自民党本部や首相官邸に教団の北米会長一行が招かれ、直後の1万人信者集会では複数の自民党議員が来賓挨拶、7月には自民党議員団が教団の引率でアメリカを外遊、そして8月の組閣ではこれらの"行事"に貢献した議員が要職に就いた。

2018年6月、全国弁連は参議院議員会館で緊急集会をを開き、統一教会からの支援を受けないように衆参両院議員全員に要請する声明文を採択、議員会館内の全議員事務所に配布した。統一教会信者はすでに30年前から国会議員の公設秘書・私設秘書として入り込み、統一教会や勝共連合の責任者が議員会館の食堂にも出没しており、議員事務所の本棚には文鮮明の本も置かれていた。この要請は無視され、その後も教団の大規模集会に来賓として出席したり、祝電を贈る議員が続出し、秘書を代理出席させた閣僚もいた。教団の息がかかる政治家や秘書は全国弁連の要請の件を迅速に教団へ伝えた。教団はすかさず全国弁連へ抗議文を送り、謝罪を求めた。

統一教会は「共産主義を地球上から一掃する」として1968年、国際勝共連合という政治結社を創設した。自民党の公約にも「反共」を入れるよう画策し、他にも様々な政治工作を行ってきた。スパイ防止法の制定については地方議会から決議を積み上げ、立法化を目指す自民党を後押しした。その後も家庭教育支援法や青少年健全育成などの法整備や憲法改正への準備を進めている。1990年代初頭には衆参両院に約200人の「勝共推進議員」がいたが東西冷戦の終結で激減した。しかし2012年の第二次安倍政権発足後、にわかに息を吹き返す。日本会議、神道政治連盟などが勝共連合との共闘関係を築いていく。先日、LGBT(性的少数者)への暴言で更迭された首相補佐官や女性議員で確信的に差別発言を繰り返す杉田水脈議員など、ほぼ統一教会の代弁者とみてよい。杉田議員は選挙民が人物を選んだわけではなく、自民党が「鉄砲玉」として比例名簿の上位に押し込んだ奇妙な存在だ。

これまでの安倍政権の組閣では数人の統一教会系議員が閣僚に登用されたが、この閣僚人事では"異常"と呼んで差し支えないレベルで同教団への貢献度が高い議員が並んでいる。

2019年、9月の第四次安倍改造内閣は「統一教会系内閣」といっても過言ではない人物が入閣し、菅官房長官が再配する副大臣や政務官も統一教会や菅氏が目をかけた議員が就任した。親統一教会系閣僚が12人、副大臣、政務官、自民党役員人事も含めると22人にもなる。自民党の最大派閥、清和会は安倍首相の出身派閥で、前会長で現在、衆議院議長の細田氏は教団サミットで基調講演をおこなった。野党やマスコミから追及されても曖昧にはぐらかし、誠意の片鱗もみせず居座っている。統一教会が問題あるカルトであることなど気にも留めていない。

安倍氏やその仲間たちは言わずと知れたネット右翼の家元、彼らは「息を吐くように」ヘイトスピーチを繰り返す。従軍慰安婦、徴用工問題など不遜に扱い、韓国や韓国人を蔑視する。同じ彼らが韓国統一教会の教祖の顔色を窺い、時に賞賛し、過去の侵略を謝罪する。蔑視と贖罪、二律背反の言動によくぞ、正常なアイデンティティが保てるものだ。どこか壊れているのかもしれない。

2019年の年末、そして翌20年の年始にかけ、約1200人の統一教会の大学生信者が渡韓し「強制徴用被害者」と「慰安婦」へ直接謝罪、少女像が設置された旧日本大使館前で日本政府・安倍政権に過去の歴史への謝罪を要求する会見を開いた。

この大学生たちは統一教会系の世界平和青年学生連合(YSP)のメンバーで、謝罪行脚は教団の2世信者特別修練会の企画として行われた。YSPが安倍政権を批判する一方で、教団が大学生2世信者に行なわせる勝共ユナイトは「安倍政権支持」を掲げて活動する。教団が2世信者を使って安倍政権支持運動と批判運動を同時に展開する欺瞞をどうとらえるか。

教団内部資料によると2018年まで、日本人信者から毎年300億円以上のお金が韓国の教祖一族へ上納された。霊感商法最盛期の2000年代前半には約1000億円が納められたことがある。日本人信者に過酷な献金ノルマを課し、生活の困窮にも耐えさえ、合同結婚式では日本人女性を韓国の寒村へ送る。そのために日本人へ極端な贖罪意識を植え付ける必要があった。日本が韓国に対して行ったことの罪滅ぼしのため、韓国へ奉仕する構図が教団の内部統制の方策にされた。

統一教会の報道が続き、いく人もの政治家が取材を受け、教団との関係者リストも明かされた。深く関わり教団と一体化していながら知らぬ存ぜぬを通す。証拠をつきつけられると、今後関係を持たぬといい、追いつめられると誤解を招いたのなら謝罪するといい、国会審議に支障をきたすからと辞任する。政治家は冷淡かつ傲慢、自己保身に終始する。政治家には聞く耳があるのか、著者はカルト被害者やその家族、特に子供たちの被害実態に目を向けるべきだという。

本来、政治家はそのような社会的弱者に目を向けるべきである。にもかかわらず、選挙に勝つことや、保身に走り「使わなくては損」とばかりに安易に教団やそのフロント組織と関係を持ち、そのような反社会的なカルト団体を積極的に受け入れ、バーター取引をしてきた政治家たちの責任は限りなく重い。

政治家は統一教会の信者を運動員としてこき使う。信者の人権を一顧だにしない教団も許しがたいが、候補者のため献身的に尽くした信者には純粋な思いがあった。彼らを私利私欲のため使い捨てする政治家は人倫にもとる。教団との関係をにわかに否定してみせる政治家が、国や国民のことを考えるわけがない。選挙では連戦連勝、彼らを支持してやまぬ国民もどうかしている。いまは虫の息で雌伏する統一教会だが、自民党をここまで懐柔した腕前は侮れない。反撃を恐れ、夜も眠れぬ議員も多数いると思う。

 

マインド・コントロール 紀藤正樹

元総理・安倍氏の銃撃事件を機に統一教会の問題がクローズアップされ、おなじくマインド・コントロールが語られるようになった。それにしても、一発の銃弾が闇を明るみへ引きずり出し、世を変えたことは衝撃だ。以前は「洗脳」とも言ったが、洗脳は捕虜や政治犯を監禁し、暴力、拷問よって意思に変容をもたらすもので、監禁を解けば元に戻る。これに対してマインド・コントロールは精神的強制は受けても外的強制が少ないため、自分で思想・信条を選んだかのように錯覚する。当人が操作されていることを認知しない状態で個人のアイデンティティを別のものに導く。本人は自由意思の結果と確信し、「信念の体系」ができあがる。マインド・コントロールを解くには、容易ではなく、専門家の適切で根気のいるカウンセリングが必要だ。

自分以外の人や組織が常識から逸脱した影響力を行使することで、意識しないままに自分の態度や思想や信念などが強く形成・支配され、結果として物理的・精神的・金銭的などの深刻な被害を受ける状態。

親子、夫婦、男女、師弟など様々な上下関係があり、依存とそれを利用する者との「共依存」が生じることがある。マインド・コントロールされた人に「依存心」のあるなしがもっとも重要で、それにより深刻な被害を受けることが問題となる。マインド・コントロールには3つの段階があり、間近に接しないと理解できないという。

  1. ある人が普通に暮らしていたときの(元の)人格
  2. マインド・コントロールを受けてすっかり変容してしまった(としか見えない)人格
  3. カルトからの脱会カウンセリングなどを通じてマインド・コントロールが解け、元の人格に戻った状態

マインド・コントロールをおこなう新興宗教を「カルト」とよび、強引で巧みに信者を獲得することが資金の調達に直結する。マルチビジネスとの境界がほとんどないほど手法は似ている。「引っかかった者にも責任がある」という批判は誤りであり、「被害者が出ないよう警鐘を鳴らす義務がある」と著者はいう。カルトに入った人は次に加害者となって増殖するので、まず教祖や教団から場所・心を引き離すことが重要だ。

カルトというのは、衣食住が足りた社会でも満たされないこと、たとえば精神的な安定を目指します。しかし精神的な安定は、おカネに換算できず定量化ができませんから、それだけだまされやすくなってしまいます。

カルトは主に衣食足りた先進国にみられる現象で、たとえばオウム真理教では東大、京大、慶応大など難関大学や医学部出身者が何人もいた。衣食も将来も嘱望される立場の人が、なぜ麻原の荒唐無稽な話にのめり込んだのか知性や知識だけでは計り知れない。

1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件まで、カルトは法的にも社会的にもほとんど規制されなかった。事件を機に「信教の自由」は大切だが許されない宗教があるという考え方に変わった。事件当時のオウム真理教は出家信者が1000人以上、在家信者が10000人以上で、武器を持たせたら20個大隊のテロリスト軍団ができる。日本乗っ取りもあながち妄想とも言えない。オウム事件以降、日本では巨大なカルトが生まれ難くなり、個人や家族、20〜30人くらいの集団を霊能者や占い師がマインド・コントロールする事件が増えた。親に従う子ども、厳格な教師と教え子、師匠と弟子などの依存関係はマインド・コントロールに類似するが、法に携わる著者は次のように定義する。

目的、方法、程度、結果などを見て、それらが「法規範」や「社会規範」から大きく逸脱している場合は、これを「マインド・コントロール」と判断して問題視すべきである。

本人と親や家族を強制的に引き離す。睡眠や食事をとらせず思考能力を奪う。逃れようとすると、脅迫や強制的連れ戻しを受ける。性に関するプライベートな問題に細かい指示や禁止がある。法に触れるような詐欺、盗み、暴力、ときに殺人など教唆される。このような方法で心を支配された結果、「法規範」や「社会規範」から大きく逸脱する被害者が生まれる。生活に困窮するまでの金銭的被害、栄養失調、精神疾患などの病気、親や家族との繋がりが絶たれ、友人や知人、仕事を失うなど健全な社会生活が困難になる。

マインド・コントロールには人が好ましく思い、利益や射幸心をくすぐる手法が駆使される。保険の勧誘や企業の広告などのマーケティングに類似する。心理学では「人を動かす6つの原理」として知られている。

  1. 返報性:人から何かの恩恵を受けたら、お返しをしなければならない
  2. コミットメントと一貫性:自分が何かしたら、その後も同じことを一貫し続けたい
  3. 社会的証明:他人が何を正しいと考えるかの趨勢に乗じて、正しいかどうか判断する
  4. 好意:人は、自分が好意を抱いている人からの頼みを受け入れやすい
  5. 権威:人は権威に弱く、権威者の命令や指示には深く考えずに従いがち
  6. 希少性:ある物が入手し難くなればなるほど、それを得る機会を貴重に思う

6つの原理は10人中7〜8人くらいは有効という。マインドコントロールは対人カウンセリングに近く、人柄や相性なども関与し、うまくいけばどんどん深化していく。問題となるカルトのマインド・コントロールは「強迫観念」と「依存心」を植え付け、その観念を大きく育て不安や恐怖を煽る。強迫観念が肥大すると依存心が生まれ自分でものを考えなくなる。マインド・コントロールの結果、常識的にはほとんど価値のない壺や絵、石、本などを何十万、何百万という法外な価格で購入する。霊感商法、開運商法、勧誘商法といわれ、巨額の金銭を吸い上げる。霊感商法で件数も金額も最も多いのが統一教会の被害だ。組織的な霊感商法を始めたのも統一教会だが、これに類する被害は欧米ではほとんど見られないという。元来、キリスト教に根ざした欧米では胡散臭い統一教会をまともに相手する人はいない。記録を辿ると90年代始めころが統一教会の被害額のピークで年間1兆円規模だった。会員数10万人規模の統一教会が会員数百万人と言われる創価学会に匹敵する金額を集めていた。

夫に先立たれた資産家の女性がいるとします。すると統一教会では、女性から資産をだまし取るため、資産を調査する係、資産を評価する係、女性に最初に声をかける係、声かけ係を補佐する係、霊能師の係、霊能師を補佐する係、統一教会の教義を教え込む係など10人くらいのチームをつくります。

こうしたチームを統一教会では「サミット」と呼び、一丸となって女性を取り込み、家屋敷まで根こそぎ財産を奪っていく。オレオレ詐欺など特殊詐欺の元祖ともいえるが、彼らより徹底し情け容赦ない。法の華三法行の「足裏診断」、「本覚寺・明覚寺グループ」の霊視鑑定、癒しブームに乗じた「ヒーリングサロン」、開運ブレスレット、数珠、財布などの開運商品、、すそ野は広い。

日本という国はカルトの世界的な穴場で、カルトの世界的な吹きだまりになっています。日本がカルトに対してもっとも甘いから、統一教会がもっとも繁栄することができ、オウム真理教が数千人を巻き込む無差別テロを実行できたのです。

笑い話として語られる年末年始の1週間、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝い、大晦日には仏寺が打ち鳴らす除夜の鐘を聞く、正月は神道の神社へ初詣。意味も分からずハロウイン、バレンタインで大騒ぎ。日本人は正統な信仰がなく、信仰の自由度が大きく柔軟で融通が利く。そのためカルトに対する社会規範がほとんど機能しない。規範というのは「法的」なものと「社会的」なものがあり、法的整備をするはずの国会の与党に公明党がどっかり腰を据え、自民党には統一教会から資金や人的援助を受ける議員が居る。カルトからなる連立政権を多くの国民が支持し、選挙では10年以上も連戦連勝が続く。今春の統一地方選挙は追い詰められた統一教会が暗躍する「統一地方戦」になるだろう。1/21の新聞で自民党の12県連は統一教会との接点や関係遮断の意思を確認しない方針を表明した。さもありなん、地方ほど1票、10票が生きる集団を切ることはできない。1980年代、統一教会の問題が発覚後、潜行できたのは政治対策が功を奏してのことだ。

マインド・コントロールの違法性が裁判で認められたのは、統一教会が問題視されてから20年後の2000年以降で歴史は浅い。フランスでは国民的議論を重ねたうえで2001年に「無知・脆弱性不法利用罪」を導入した。未成年者や心身が脆弱な状態にある者に対し、反復した圧力行為や判断を歪めることを行使し、その者に重大な損害を与えることを罰するものだ。この法律によりマインド・コントロールされた被害者に対して医師の診断があれば、カルトの教祖や占い師などへの捜査が可能となる。

著者は社会的規制として、学校教育で「宗教のリスク」を学ぶことを提言する。神道はお祓いを主体とし教義はない、仏教は葬送・供養を慣習としておこなう、信仰厚い人は別途、信仰宗教を拝する。日本人には信仰の主体となる宗教が見当たらない。悩み相談は必竟、祈祷師や占い師の元へと向かう。ここに悪鬼羅刹が潜み、霊感商法の端緒ともなる。一発の銃弾によってあぶりだされた統一教会が半年や1年で雲散霧散するはずがない。1980年代から雌伏し、政治家、役人、学者、マスコミとの関係を築き上げてきた。さらに巧妙に地下に潜るかも知れない。彼らの言動は、嵐の遠ざかる日をじっと待っているようにも見える。

 

これから懸念されること

昨年、北朝鮮のミサイル発射実験の報道が続き、脅威が伝えられた。まず話し合いや外交で対処すべきところ、「厳重に抗議をする」と言った後、早速防衛費の増額が俎上に載り、そのための増税に議論は移る。国やマスコミが脅威や危機を煽った後は、必ず国民を困らせる政策や法案が出てくる。ミサイルに関しても大概、朝の番組をつぶしてダラダラと着弾済の情報を流す。北朝鮮に「この時間帯に一発頼む」とお願いしているのだろうか?

さて、夏の節電キャンペーンは冬の部へと引き継がれた。電力消費の7割が企業で家庭は3割、この3割を搾りあげ、次に原発政策の転換が来る。電力不足、温暖化、原発、これらのキャンペーンを同時進行で展開する。夏から続く原子力キャンペーンの仕上げは原発稼働のフルーコースだ。

2021年4月、政府は福島原発に溜まる汚染水の海洋放出を決定した。今年、放出の年を迎える。決定当時、福島県内、59市町村のうち42自治体が海洋放出に反対もしくは慎重にという意見書を提出し、決定後の6月には20の議会が決定の撤回を求める意見書を可決し、また可決済の議会は意見書を堅持した。政府は汚染水の処分が済まないと廃炉作業が進まないという。被災地の思いを踏みにじりつつ、復興のためという。マスコミも原発事故のその後はほとんど伝えなくなった。被曝による被害は年月を経るにつれ深刻化していく。甲状腺がんなど多発していると考えられるが、甲状腺がんの集団訴訟の報道が1回だけで終り。

逆に、震災復興の報道は華々しく、原発事故のその後は闇に消えた。事故の記憶が薄れた国民はオリンピックやサッカーを楽しみ、万博を心待ちにする。時宜を得たように電力不足のキャンペーンが続く。原発事故の反省から原発依存度を減らす議論が続いていたが、岸田政権はいままでの議論を反故にして原発の建て替えや稼働年数の延長を言い始めた。

経済産業省が、総合資源エネルギー調査会の原子力小委員会に、「今後の原子力政策の方向性と実現に向けたアクションプラン」の案を示した。「再稼働への総力結集」、「既設炉の最大限活用」に加え、「次世代革新炉の開発・建設」を盛り込んでいる。まずは廃炉の置き換えとして建てる想定だ。(朝日新聞12/1)

首相が指示を出してからわずか3か月の議論で方針転換を発表した。あまりにも拙速かつ強引だ。安倍政権の頃から国会の議論も議決も経ずに小委員会や閣議の決定で事を済ますことが増え独裁国家と変わらぬ様相だ。国民が選挙で支持し過ぎるがための横暴である。建て替え、次世代革新炉などと表現を変えただけ、これで原発依存がさらに数十年続くことになる。いままで稼働してきた原発については、運転年数を延長し廃炉を先送りするという。

関西電力は11月25日、運転開始から37年が経過している高浜原発3、4号機(ともに加圧水型軽水炉、出力87万キロワット、福井県高浜町)について、40年を超えて運転する方針を決めた。

高浜3号機は1985年1月、4号機は同年6月に運転を開始し、2025年に運転40年を迎える。原発の運転期間は原子炉等規制法で原則40年と定められ、規制委が認めれば1回に限り最長20年延長できる。(福井新聞 11/25)

最長60年もの運転を許すことになり、驚くことに再稼働に向けた審査対応などで停止した期間を除外し、60年を超える運転延長をも可能にした。初代原子力規制委員長の田中俊一氏は「40年運転制限制は、古い原子力発電所の安全性を確保するために必要な制度で、40年を超えた原発は、厳格にチェックし、要件を満たさなければ運転させないという姿勢で臨むべき」と言う。「40年」という元規制委員長のことばは空を切り、政治家や電力会社の都合のみで話が進む。目的地は金銭的利益に他ならない。2011年3・11以来、一旦依存度を下げた原発を蘇生させ、ふたたび依存度を高めた。この12年間、十分な年月があったにも関わらず、再生可能エネルギーの開発を怠った結果が、電力不足のキャンペーンである。稼働しないと、「電気が足りない、電気代があがる」と言われると国民は、「はい」と節電に協力し原発を容認する。規制すべき立場の原子力規制委員会はついに40年ルールさえかなぐり捨てた。NHKは朝のニュースで、この決定をめぐって推進側の経済産業省と事前協議していたことを伝えた。

原子力規制委員会は21日、所管する原子炉等規制法から原発の運転期間を原則40年、最長60年とする「40年ルール」を削除し、60年超の運転を可能とする新たな規制制度の骨子を了承した。政府の原発運転延長方針を受けた対応。(毎日新聞 12/21)

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原発の運転期間の延長をめぐって、原子力規制委員会が安全性を確認する制度の検討を指示する前に、事務局の原子力規制庁が推進側の経済産業省から検討状況などを聞き、制度作りの体制を整えていたことが分かりました。規制庁には高い独立性が求められていますが、規制委員会は「事前の準備は問題ない」としています。(NHKニュース 12/22)

福島第一原発の事故を忘れるな。目先の金銭に惑わされるな。原発はいったん事故が起これば、命や健康、そして生活に与える影響は破滅的だ。賠償額は電力会社だけでは払うことができず、汚染処理、廃炉の費用も膨大な金額になる。最悪の場合は国全土が住めなくなり、回復はほぼ不可能だ。しかし、NHKの世論調査(12/13)では原発運転期間延長などの指針について賛成45% 反対37%、国民は原発事故を忘れようとしている。

年末に別の動きもあった。西村環境大臣は福島第一原発事故の除染で生じた放射性物質を含む大量の汚染土を再利用できるかどうか確かめる実証試験を埼玉県所沢市で行う計画を明らかにした。除染土の再利用に向けた実証試験が福島県外で行われるのは初めてになる。放射能で汚染されたものは動かさず閉じ込めることが基本だが、逆に拡散させる方針だ。実証試験が済むか済まないうちに安全を宣言し、全国の公園や田畑に撒くつもりだろう。食品についてはすでに原発事故前の基準値1ベクレルを大巾に緩め100ベクレルとしている。海産物については1000ベクレルだ。国は、さらに1000〜10000ベクレルに緩めることを検討しているという。

話は前後するが、北朝鮮ミサイル騒動で危機を煽った後、防衛費の増額とその財源となる増税の議論へ向かっていく。以下、12/9の東京新聞の記事だ。

防衛省が人工知能(AI)技術を使い、交流サイト(SNS)で国内世論を誘導する工作の研究に着手したことが9日、複数の政府関係者への取材で分かった。インターネットで影響力がある「インフルエンサー」が、無意識のうちに同省に有利な情報を発信するように仕向け、防衛政策への支持を広げたり、有事で特定国への敵対心を醸成、国民の反戦・厭戦の機運を払拭したりするネット空間でのトレンドづくりを目標としている。(東京新聞 12/9)

表面化したときは、時すでに遅し。防衛費も原発問題も、この手法で政府に都合よく誘導してきたのだ。続いて来たる憲法改正のキャンペーンも簡単に賛成が反対を凌駕するだろう。世論操作より、平和外交にこそ力を注ぐべきだ。食糧自給率も低く、資源も乏しい日本で戦争が始まると、最初から兵糧責めに遭う。軍備増強は見せかけの道具だ。平和外交を主張していた野党もだんだん与党になびき大政翼賛会の政治状況へ近づいていく。2017年の衆議院選で立憲民主党は反撃能力を持つことに反対していたが、昨年10/16、NHKの日曜討論で玄葉氏(立憲民主党)は以下の発言をした。

「私としては、真の抑止力たりうる反撃能力は排除せずに議論していきたい。相手が攻撃をためらう力、結果として戦争をとめる力になりうる、必要最小限の反撃能力は、地に足をつけて党内で検討していきたい。クリアしなければならないさまざまな条件や懸念する点はある」

立憲民主党は憲法を守ることを是とした政党だったが、こんな体たらくでは支持は減るばかり、政権交代失敗の総括もせず、いまのままやっていけ。日本維新の会と国民民主党はすでに反撃能力を容認している。「立憲お前もか」と言いたくなるが、「国民も..」であった。11月26、27の両日に共同通信社が実施した全国世論調査では、日本が反撃能力を持つことに賛成との回答は60.8%。12月3、4の両日、JNNが実施した世論調査では、「反撃能力」を保有することについて「賛成」が57%で半数を超えた。一方、原発運転延長について45%の国民が賛成、54基の原発を抱えていることを敵国が見れば、電源を破壊するだけで動作する核兵器だ。反撃能力を持つ前に解決すべき防衛問題ではないか。毎日、ウクライナ戦争が報道され悲惨に目を覆いたくなる。いったん戦争が始まると死や破壊は日常のものとなり、若者はもちろん、一般市民さえ兵士として駆り立てられる。

サッカー観戦で「ブラボー」と叫んでいたころ、岸田首相は防衛相と財務相に防衛費とこれに「資する」予算を合わせた「防衛関連費」を2027年度時点でGDP比2%とするよう指示した。従来の1%枠が倍になり、実額でも世界第9位から米中に次ぐ第3位に躍り出る。

政府は16日、外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」など安保関連3文書を改定し、閣議決定した。安保戦略は、相手国のミサイル発射拠点などをたたく反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を明記した。2027年度に防衛費と関連経費を合わせた予算水準を現在の国内総生産(GDP)比2%に増額する方針も掲げた。専守防衛に徹する方針は今後も変わらないとしたが、相手国内を攻撃する能力を保有してこなかった従来の安保政策を大きく転換することになる。(毎日新聞 12/16)

憲法違反にも触れる重大な決定を閣議だけで済ませる感覚は尋常ではない。民主主義の破壊だ。岸田首相の政治の師、自民・古賀誠元幹事長は次のような談話を寄せた。

古賀氏は、ロシアによるウクライナ侵攻や台湾有事の懸念、北朝鮮の核開発など安全保障環境の変化は認めつつ「それで、なぜ敵基地攻撃能力を持つミサイル(保有)につながるのか。抑止力になるのか」と疑問視。「保有すれば実質的に専守防衛という基本がなくなり、憲法9条も脅かされるのではないか」と警鐘を鳴らした。「日本の安全保障は政治や経済、国防、外交といったありとあらゆる力を結集し、軍事大国への道を避けるのが基本だった」と強調。「軍国主義につながらない他の分野でやれることが多くあるはずで、冷静な議論が必要だ」(東京新聞 12/16)

同日、バイデン米大統領は、日本が閣議決定した国家安全保障戦略など新たな防衛3文書について「平和と繁栄への日本の貢献を歓迎する」とツイッターに投稿した。「日米同盟は自由で開かれたインド太平洋の礎だ」とも記した。アメリカが讃える日本の貢献は即増税へと反映する。この10年で消費税は倍になったが、金利や賃金はあがらず、昨年から物価の高騰が続く。物によっては定価が2倍になったり、量が半分になった。消費税10%と物価高騰で実質20〜30%もの税負担を強いられるに等しい。このうえに防衛費のための増税だ。国民生活は疲弊しているのに、「病人から布団を剥ぐ」ような仕打ちだ。

「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない」-田中角栄-

1945年、終戦の年に生まれた国民は今年78歳。戦争を知る世代は90歳を越えた人々だ。2019年の資料では95歳以上の男性は9万人で全人口の0.146%、女性は42万人で0.64%、国民の100人に1人に満たない。戦争の悲惨を語る人々は減り続け、恐怖や痛み悲しみを語り継いだとしても、実体験との乖離は否めない。体験した人だけが知る反戦の誓いは遠のいていく。政権を取った政党の中のわずか20名くらいの議員が憲法にかかわる重要案件を閣議でどんどん決めていく。議会にかけることさえせず民主主義の体裁すら機能していない。

田中角栄の秘蔵っ子といわれた小沢一郎氏が終戦記念日に寄せたコメントだ。

「戦争とは人間が生み出した地獄。前線で闘った方々の多くは餓死。紙切れ一枚で招集、補給は絶たれ、飢えと渇きにのた打ち回りながら、苦しんで亡くなった。戦争末期には狂った特攻兵器が考えられ、あまたの若者が命を落とした。そして、敗戦直後、指導者達は責任逃れのため書類を燃やした。『ここまで来たらやめられない』と。官邸、陸軍、海軍が相互に責任を押し付け合い、戦争を止められなくなっていた。常に国民の命より政府の体面や利権が重視された。戦争を知る世代がほとんどいなくなりつつある今、『政治の大罪』について我々は深く考えないといけない。いま本来、冷静であるべき政治が、戦争の危機を盛んに訴え、武力増強のため、巨額の税金を国民に課そうとしている。こんなことが許されているのは敗戦からの時間の経過による。平和を守るのは武器ではなく国民の意志。繰り返さないということを固く誓う日としたい」 
小沢一郎( 2023/8/15)

 

 

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