【養生訓の話・飲食(上)】


   飲食の養いなければ、元気うゑて命をたもちがたし。元気は
   生命の本也。飲食は生命の養也。・・・・
   飲食は人の大欲にして、口腹の好む処也。其このめるに
   まかせ、ほしゐまゝにすれば、節に過て必ず脾胃をやぶり、
   諸病を生じ、命を失なふ。

   五臓の初めて生ずるは、腎を以って本とす。生じて後は
   脾胃を以って五臓の本とす。

「腎」は精気を蓄え、水を主り、気を納める機能を分担する。人間の生命現象の維持に必要な機能のほかに、生殖、成長、老化、骨、骨髄など人間の長期に及ぶ生命機能に重要な役割を果たしている。五臓の根源、「先天の本(もと)」とされている。

一方、「脾胃」は「後天の本」とされ食物の消化吸収作用、水の運化作用、血や筋肉を育む働きを担う。父母から先天的に受け継いだ腎気を涵養し、成長を促す力となるものである。

飲食物の摂取をしなければ、どんなに強靭な人間も飢え、生命は保てない。その生命のエネルギーを元気とすると、飲食は元気を補うものである。この必要欠くべからざるものが人間の欲望ともなる。欲望となり得るからこそ生命の維持が出来るのであろう。しかし、その欲望のまま、好みのまま過ぎてゆけば、やがてそれが脾胃を痛め、他の臓器へ及び諸病を引き起こすことになる。

本能のおもむくままの動物レベルであれば、一定の抑制が為されるが、大脳皮質の発達したヒトでは、先天的にセットされた抑制が働かなくなると思われる。逆に考えれば大脳そのものの思考で抑制を利かせなければならない。生命を維持するための食物で生命が危機に晒されることがあってはならない。過剰な飲食や不足した飲食も警戒しなくてはならないが、食中毒や添加物、農薬、放射線汚染、遺伝子組換え、環境ホルモン、、など食の安全性にも注意を払うべきである。

 
   飯はよく熟して、中心まで和らかなるべし。こはくねばきをいむ。
   暖なるに宣し。羹は熱きに宣し。酒は夏月も温なるべし。冷飲は
   脾胃をやぶる。冬月も熱飲すべからず。気を上せ、血液を減らす。
主食であるご飯はよく炊けて芯まで軟らかいのが良い。硬いものや軟らかすぎて反って粘るものは良くない。それを温かいうちに食べる。

体温36.5度で消化液はもっとも活性を示す。熱からず冷たからずは体温を基準として考えればよい。温かいものは温かくして食べるほうが味わいも良い。温かいものは体を温め新陳代謝機能を高める。ところが極端な熱さは、口腔や食道、胃の粘膜を痛める。これは常識的なことであるが、逆に冷飲食には無防備であるように思う。益軒先生の時代には冷蔵庫などなく、良くて井戸の水や谷川の水で冷やすくらいであったろう。しかし今は冷蔵庫で氷点下の冷蔵が可能になった。

飲み物や果物などに関しては、夏も冬も冷蔵庫の温度で飲食する事が多い。ビールを氷点ぎりぎりまで冷やし飲む人も知っている。冷飲冷食は脾胃を冷やし消化液の活性を低下させ、消化管の動きを止める。消化障害を引き起こし、脾胃で血を造ることが出来ず、穀気を昇提できない。めまいや、貧血がおこる。胃腸を冷やしすぎ慢性的な下痢に苦しむ人も多いが、原因に気付いていない人が多い。夏季はまだしも、寒くなると冷飲による体調不良が出始める。夏のうちからの養生が望まれる。

酒の冷飲も戒められているが、胃が冷え胃の動きが停滞するとアルコールが長時間胃に留まり、悪酔いのもとになる。酒は微温、微酔がよろしい。酒の熱飲や蒸留酒は陽気が強くなり、陰を損耗する。陰とは血液や体液であるが、焼酎を嗜む人の顔が赤く焼けたり、肌がパサパサになるのは、陰を損耗するのが一因である。

 
   凡ての食、淡薄なる物を好むべし。肥濃油膩の物多く食ふべからず。
   生冷堅硬なる物を禁ずべし。あつ物、只一によろし。肉も一品なるべし。
   サイ(副食)は一、二品に止まるべし。肉を二つかさぬべからず。
   又、肉多くくらふべからず。生肉をつゞけて食ふべからず、滞りやすし。   
食事は薄味であっさりしたものが良い、しかしご馳走といわれるものは濃い味の物が多い、濃い味こそ美食の属性ともいえる。中医では生、肥、甘、冷の性質を持つ食物は病因となる痰飲を生ずるので摂取注意とする。痰飲とは津液と水湿が化生してできる病理物質で、その痰飲が経絡の気の流通を塞ぎ、又は混乱させ病を引き起こす。

一般に考える痰などより更に広範な概念である。油脂の多い焼肉などを食した後、いつまでも胃にもたれ、人によっては歯肉が腫れたり、口内炎を起こす事がある。痰が停滞し化熱し湿熱となり起るものである。栄養素の塊のような錯覚をもたらす美食は、体に摂取されたとたん、意外にも見た目や思いと反対の動態をとる。

では薄味であれば良いかと言えば、そうでない場合もある。冷食を戒める。冷たいものは消化管や体を冷やし痰飲を生じさせる。体温程度、あるいはそれより温かくしたものがよい。冷たいものはよく咀嚼し、水さえも噛み、口の中で温め、体温との差を縮める。

肉は獣肉に限らない。魚肉も肉とする。刺身は美食の代名詞であるが、生食は胃腸に滞り、消化に手間取り胃を疲労させる。しかし、美食も食の愉しみとして欠くべからざるものである。動物でしか摂取できない栄養素は美食の時を以って補う。楽しみなくば養生も空しい。美食とされる食物の性質を知れば、それと相反する、また制する食物を同時に摂れば良い。あるいは調理に工夫を凝らす。獣肉が胃腸にもたれるのを防ぐためにスパイスを使い、腸内での動きを早めるため、多めの野菜で繊維を摂取する。刺身はワサビを使い、魚毒の解毒に使う紫蘇を同時に食べる。焼魚に大根おろし、鰻に山椒、牡蠣にレモン、海老と椎茸、貝汁に春菊、このような生活の知恵は生かすべきである。

益軒先生は、各所で、繰り返し似たようなことを記述されている。その一つが食物の堅硬なものを禁じ、軟らかいものを食べるように説く。近年、食物の軟化により、子供の顎の筋肉が弱くなり、言葉や知能の発達が遅れるという報告がある。パンを牛乳で流し込むようでは、硬いものはおろか、噛むことも顎を動かす事も少ないだろう。パンのように頭もスカスカになってしまう。昔の人が相当硬いものを食べていたという事はない。ただし、今のように飲み込んで食べるような食生活ではなかったと思う。少なくとも顎を動かす運動を省略してはならない。野菜、穀物など、硬くなくても顎を動かして食べる習慣と、その様な食材を忘れてはならない。

 
   飲食は飢渇をやめんためなれば、飢渇だにやみなば其上に
   むさぼらず、ほしゐまゝにすべからず。   

   食過ぎたるとて薬を用ひて消化すれば、胃気、薬力のつよきにうたれ
   生発の和気をそこなふ。

   欲にかつには剛を以ってすべし。病を畏るゝには怯かるべし。
   怯とは臆病なるをいへり

 
   珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは
   後の禍あり。少しの間、欲をこらゆれば後の禍なし。
   少しのみくひて味のよきをしれば、多くをのみくひてあきみちたるに
   其楽しみ同じく、且つ後の災いなし。
腹八分目に医者要らず、と言うのは有名であるが、必要量をわきまえるのは難しい。どこが飢渇の飽和点なのか、俄かに解り難い、動物としての人間は、動物の摂食行為に学ぶべき点が大いにある。まず頭を働かせ、栄養学の知識を以ってすれば、自ずと必要量が見えてくる。見えてくるまでは栄養学を手がかりに一定の学習をするべきである糖尿病になってから初めて栄養学を学ぶのではなく、生きるための技術として栄養学を学ぶのである。

さて食後、気付いたときには動けないほど満腹になって、胃もたれ、胸焼けがする。昼食が夕食まで応えることもある。しかし時計に従い夕食を頂く、美味しい筈がない。あるいは、夕食のため薬を服用する。そこまでして夕食を食べなければならないのだろうか?栄養学を知らなくても、空腹は誰でも認識できる。それに基づいて食べても良いではないか。食べ過ぎたら、空腹まで待てばよい。食の量と質に配慮すれば胃腸薬など本来必要ないものである。「食べて服む」「服んで食べる」といった胃腸薬の宣伝に惑わされ、食前又は食後、常時胃腸薬を愛用している人のなんと多いことであろうか。

不健康な時の節制は容易だが、健康な時は欲望に寛容である。食べ、飲めるのは健康の証拠であり、そのうえ煙草を吸えるのは健康のバロメータだ、と豪語する人もいる一度、病にかかればよい、又病の時を思い出して欲しい。臆病とも言えるほど細心の注意を払うことはなくても、病気の自分を想像したり、病になった人や隣人の気持ちを汲みつつ体を大事にしたいものである。

好物を一度、満腹になるまで食べてみたいとは誰しも考えること。酒でも食でも腹を空かせて一口目は正に絶品の味わい。ところが食べ続けると最早、ただの食事でしかない。空腹に不味いものナシ、満腹に美味いものナシといわれる所以である。美食の楽しみは多くを食べないでも満たされる。多くを食べて体を傷つけ、味わいも色褪せるならば、少量の楽しみにとどめるのも又楽しみかたの一つである。

 
   五味偏勝とは一味を多く食過すを云う。甘きもの多ければ、
   腹はりいたむ。辛きもの過れば、気上りて気へり、瘡を生じ、眼あしゝ。
   鹹きもの多ければ血かはき、のどかはき、湯水多くのめば湿を生じ、
   脾胃をやぶる。苦きもの多ければ脾胃の生気を損ず。
   酸きもの多ければ気ちゞまる。
   五味をそなへて、少しづゝ食へば病生ぜず。諸肉も諸菜も同じものを
   つゞけて食すれば、滞りて害あり。
五味調和とは甘、辛、鹹、酸、苦、五つの味の調和である。それぞれの味に特性がある科学としての栄養学のなかった時代、五行の考えは一つの物指しとして機能し利用されたのだと思う。味覚を五種に分類しそれぞれ偏勝のないように調和をはかることが今で言う栄養のバランスだったに違いない。

甘味は脾胃を養い生きる為の栄養源となるが、食べ過ぎると体が温まり食物がもたれて腹がはり痛みが生じる。辛味は肺を養い体を温め気を巡らすが、食べ過ぎると気が昇り、のぼせ、湿疹が生じ目も充血する。鹹味は腎を養い硬結を軟化させ潤すが、食べ過ぎると血液が乾き粘る。酸味は肝を養い収斂・固渋の働きをするが、食べ過ぎると必要な発散が妨げられる。苦味は心や血脈を養い炎症や熱を下げるが、食べ過ぎると脾胃の働きを低下させる。

更に五行の相克に位置する臓腑に抑制的に働く。

  • 甘味 腎膀胱(鹹)を害し、浮腫みが生じる。
  • 辛味 肝胆(酸)を害し、肝機能を弱める。
  • 鹹味 心血(苦)を害し、循環器系の不調が生じる。
  • 酸味 脾胃(甘)を害し、胃を弱くする。
  • 苦味 肺皮毛(辛)を害し、風邪を受けやすくなる。

食物は甘味のものが多く、生命活動のためのカロリーを生み出す炭水化物は、もっともクリーンで効率の良いエネルギーといえる。甘味に嗜好を示すのも生命維持の本能から来るものである。これを食べ過ぎると既に述べたように、胃腸にもたれ、もたれることで胃腸の機能は低下する。このように各々の味毎に特性をもつが、それを過不足なくというのが養生訓の思想である。

禁欲的な食養もあるにはある。それを快楽として取り組む人も多い。しかし中国薬膳の考え方は、更に五行の相克、相生を応用してゆく。甘味には辛味を配合する事でもたれを軽くし、相克の位置の腎(鹹)を傷めないように、少量の塩を配合する。辛味であれば、肝(酸)を傷めないように酸味を配合する。このように工夫することが五味調和なのである。食物の多くは甘味に分類される。辛味は幾つかのスパイスや酒。鹹味といえば食塩くらい、酸味は酢や酸味の強い柑橘類くらい、苦味といえば、殆ど思いつかない。強いて言えばアクの強い山菜などがこれに該当する。

苦味は食物にはあまり見あたらないが、薬草は苦味のものが豊富にある。苦味を薬草で補う方法が薬物療法ともいえる。そして薬物療法も五味調和の食養の一角を担っていると言えなくもない。炎症という発熱の状態は苦味を持って制する。新薬の抗生物質や解熱薬が苦いのも納得がゆく。食べ過ぎて胃が軽くオーバーヒートしたとき苦味健胃薬を服むのも理由は同じである。食事は甘味を中心に少量の辛味をとり、蛋白質や脂質が多ければさらに多くの辛味を使う。それに少量の塩や酸味を添える事が五味のバランスの取れた食事である。

甘味の食物が多く、それが重要だとしても1種類や数種類だけを偏食してはいけない。あくまでも広く、多種の食材を万遍なく食べることが基本である。

 
   欲多きは人の生まれつきなれば、ひかへ過すと思ふがよきほどなるべし。

   ともによきほどゝ思ふよりも、ひかえて七八分にて猶も不足と思ふとき
   早くやむべし。

   食する時十分と思へば、必ずあきみちて分に過ぎて病となる。

食欲の欲するまま食べるのは、動物の本能であり、満腹することで必要なカロリーが摂取できると考える人は多く、動物の、、と言われるとそれなりに一定の説得力もある。しかし川島四郎先生の栄養学の本では、人間以外の動物は本能的に満腹するまで食べないと書かれてある。冬眠前の動物はどうか知らないが、満腹で動きが鈍くなっては外敵から淘汰される。満腹であってはいけないことが自然の摂理でもある。

「腹八分目に医者要らず」と言うのは有名な言葉であるが、八分で止めることはなかなか難しく、酒宴や宴席の場ではさらに困難を要する。しかし毎日続く宴席でなければ、時に、不摂生をするのも人生の愉しみである。

日頃の食事は、腹八分目で、あるいは腹九分目と妥協しても良い、足りぬくらいで止めておきたい。急いで食べたり、流し込むように食べると体が満腹のサインを出す前に相当量食べてしまうことになる。ゆっくり咀嚼しながら食べてゆくと血糖値の上昇と共に満腹を覚え食欲は低下する。美味しい珍味や好物の類も一口目が最高で、食べ過ぎれば味覚は鈍麻し感動を覚えなくなる。

 
   酒食を過ごさずしてひかへば、敵となるべからず。
   つよき薬を用いてわが腹中を敵味方の合戦場とするは、胃の気を
   そこなひて、うらめし。
宴会などで食べ過ぎ、酒を飲みすぎ、次の日は二日酔い。酒食による急性病でもある。こんなときは、胃腸を休ませ絶食もよいが、おおかた食欲も湧かない。しかし嘔吐や目まい胃痛、下痢が起ると、回復まで苦痛を長引かせる訳にも行かなくなる。絶食、安静で間に合わない回復のため、薬の出番である。

益軒先生は薬学者でありながら薬の使用を戒めている。薬は偏性があるのでみだりに用いてはならない。薬の災いが大きい場合がある。例えば嘔吐することは早く食毒を排除する生理反応でもあるし、胃痛はこれ以上食物を入れないための防衛反応と考える事もできる。苦痛を取り除くため最低限、副作用の軽い薬を必要量、短期に服用し後は養生を心掛ける。嘔吐を止め食物を排除できなければ、苦痛は軽減されても食毒は残る。苦味健胃薬を使えば、胃気を低下させ胃を冷やす。

忘年会、新年宴会のシーズンになれば、胃腸薬のメーカがあの手この手、嘘も本当も取り混ぜての喧伝が始まる。必要ないものを、必要かのように錯覚させる手法は体に関する限り犯罪的でもある。これを信じて胃腸薬は常用すべきものと勘違いし、重曹が主成分の○○胃腸薬を服み続ける人を多く見かける。重曹で中和された胃液はPHを回復させるため、一層強力に分泌され、それによって胃を傷めるという悪循環を繰り返す。このことを説明しても、なお理解していただけないことがある。テレビや新聞などの洗脳力に敬服する次第。

 
   飯のすゑり、魚のあざれ、肉のやぶれたる、色のあしき物、臭の
   あしき物、にえばなをうしなへる物くらはず。

   肉は多けれども、飯の気にかたしめずといへり。肉を多く食ふべからず。
   食は飯を本とす。何の食も飯より多かるべからず。

酢えた臭いのするもの、古いもの、形の崩れたもの、色香りの良くないもの、調理してから長時間経過したものは食べてはいけない。これは食品衛生の常識で、誰しもこのようなものを食べようとは思わない。少なくとも空腹が満たされる食物がある限りに於いては。しかし生命の危険が及ぶ飢えを選ぶくらいなら食べるかも知れない。ご飯などの炭水化物は傷んでも害は少ないが、肉や魚など蛋白質の傷んだものは、成分に窒素化合物を有するので被害が大きい。

新鮮で清浄な食物は養生に欠かせないことであるが、冷蔵庫で長期に鮮度を保ったり、古くなっても加工食品として素性の知れない物が流通している。また、保存料で鮮度を維持したり、鮮度の落ちたものを合成着色料・発色剤・香料などで偽装した食物もある。こうなると感覚のみでは食物の良し悪しが判断出来ない。十分信頼のおける情報や知識に耳を傾けるしかない。食欲や感覚で食べる養生にも意味はあるが、頭で食べる養生も要求される。

肉は蛋白質や脂質の代表である。魚や乳製品、卵、大豆製品も同じである。それに比べ「飯」は炭水化物の代表である。ヒトの食性はアミラーゼ活性が高く炭水化物を効率よく消化吸収し利用出来るようになっている。これを「本」とすべきである。肉などの蛋白質や脂質を多く食べても、その量がご飯を越えるようではいけない。越えればたちまち食性のバランスを崩し、長期に渡ると病を引き起こす。極端になれば短期にでも不調が起る。

栄養学を曲解し、「ご飯少な目、おかず30品目。」とお題目のように唱える栄養教の信者になってはならない。ご飯は生きるためのエネルギーの源で、穀物ナシで必要なカロリーは効率よく摂取できない。副食だけでそれをまかなおうとすれば、蛋白質や脂肪からブドウ糖を生成する生化学反応がおこる。しかしこれは正常な反応ではないためケトン体が発生し、それが肝障害を引き起こす。極端なダイエットで体を壊す原因物質のひとつでもある。

 
   傷食の病あらば飲食をたつべし。或いは食をつねの半減じ、
   三分の二減ずべし。
食べ過ぎや食当りは、胃腸が食物を受け付けない状態でもあり、そのことによる生体の防衛反応でもある。当然食べられないが、回復すれば食べられるようになる。それまでは絶食や減食で対処し、食物も消化にエネルギーを要するものは避けたい。魚、肉、生野菜、脂っこいもの、粘膩のもの、堅いもの、もちや団子、菓子類は胃にもたれ湿熱を生じる。これらは、炎症があればさらに増悪させる。食が滞っているのに更に食事をしようとすれば、それが害になる。1〜2日絶食してもそれほど不都合はない。消化に要する血やエネルギーを治癒に向かわせる事も考慮すべきである。

ところが、体の不調を治そうと、薬や胃腸に効くといわれる食物や療法を求める人もある。治るためには胃腸を休ませればよいのに、やがて治るまで待てないか、何かを摂取する事でしか治らないと思い込んでいるのか。何もしない事、放っておく事も治癒の為のひとつの方法なのである。やがて治るのを待つのがもっとも体に優しい治療である場合もある。

 
   塩酒、醤油、酢、蓼、生姜、わさび、胡椒、芥子、山椒など各其食物に
   宜しき加へ物あり。これをくはふるは其毒を制する也。
   只其味のそなはりてよからん事をこのむにあらず。
病院の栄養指導で、「刺激物を控えましょう。」と言うのがある。何故だ?「刺激があるから。」程度の根拠しかない。調味料はそれぞれの食材の味を増すためだけではない。腐敗を防いだり、臭いを抑えたり、消化を良くしたり、食物の性質を変えたり、、、刺激物といわれるスパイスは蛋白質の腐敗を防ぐ効果があり、塩と共に保存効果もある。肉などを食べれば胃腸で腐熟が行われるが、その時、発生する窒素化合物の害を抑えたり、通過を早くして被害を少なくする働きがある。腸内細菌を雑菌からまもり、繊維と共に腸内を健全にたもつ重要な役割を担っている。

魚などは比較的新鮮な内に食べるのでそれほど多くのスパイスは要しないが、肉は幾分時間の経過したものを食べる。このようなものはスパイスなしに食べられないのである。日本に多種多様なスパイスが根付かなかったのは、食物の違いに負うところが大きいと思う。しかしいまや欧米以上に欧米化した食生活である。スパイスが以前のままでよい訳がない。

見世物のように、激辛のカレーを食べたりするスパイスの取り方は愚かと言うしかないが、スパイスの特性を把握し料理にあわせて利用すると、食味は増し食物の持つ負の性質もあるていど緩和できる。熱や激しい炎症があるときは大量には用いないが、そんな時は肉などの食物そのもを食べたいと思わないし、食べないほうが良い。

 
   中年以後、元気へりて、男女の色欲はやうやく衰ふれども、飲食の
   慾はやまず。老人は脾気よはし、故に飲食にやぶられやすし。
   老人のにはかに病をうけて死するは、多くは食傷也。
色気より食い気が勝る年頃の話であるが、飲酒にしても20歳代と同じく、また負けぬくらい飲み、カラオケを歌いまくる。正に青春真っ盛りのオヤジがいる。しかし体の抵抗力や免疫力は40歳代で20歳代の半分に落ちているのだ。70歳くらいになれば五分の一に落ちる。「いつまでも若々しく」とは耳に心地よく立派な事には違いない。しかし老いゆくことも現実であり自然現象でもある。自然現象に抗するのもひとつの生き方であり、生きるための原動力といえなくもない。しかし逆に、少し減速して見るのも人生観のひとつとして推奨したい。

欲は、体の欲求や状況を反映していないのである。例えば過度の飲酒後、異常に酔い回復が遅れるようなことがないだろうか?若いころ出来たことが出来なくなる経験はないだろうか?にもかかわらず「負けてたまるか。」とばかりに自らを奮い立たせる無理はしていないだろうか?確実に低下した体を考慮し労わり減速して生きる事はなんら恥かしいことではない。仕事も飲食もすこし減らして見れば増える愉しみもある。

4年連続して自殺者が3万人を越えた。交通死の3倍、ひとつの町の住民がすっかり消えてしまう数字である。この中には、減速をためらいつつ走り続けた人も居たに違ない。

 
   清き物、かうばしき物、もろく和かなる物、味かろき物、性よき物、
   この五の物をこのんで食ふべし。益ありて損なし。
   是に反するもの食ふべからず。
偽装したものについては当てはまらないが。新鮮なものは、色も香りも一見して判別できる。新鮮なもの、そして新鮮であって清浄な物は食養生の基本である。農薬や毒物、薬品、細菌、遺伝子組換え、環境ホルモン、放射能、、、など汚染されたものは新鮮であっても清浄とは言わない。しかし清浄なものを探すのは困難を要する。どのあたりで妥協するかが問われる事になる。

さらに和かで味も淡白、人の食性に合うものとなると食材と調理の問題も生じてくる。自然の食材を調理する行為は人特有のものである。調理そのものが食材を食性に近づける作業になる。甘く塩辛い濃厚な味は肉を中心とした美食の特徴でもあるが、このような食物は多く摂取するべきではない。日常の食事は薄い味で食材の特性や味を活かして調理し、食べる事が大切である。

 
   脾虚の人は、生魚をあぶりて食するに宣し。煮たるよりつかへず。
   小魚は煮て食するに宣し。大なる生魚はあぶりて食ひ、或いは
   煎酒を熱くして、生姜わさびなど加え、浸し食すれば害なし。
脾虚には幾つかの種類があるが、陽虚と言って冷えを伴うことが多い。胃腸が冷えると、食事も砂を噛むような味気ないものになる。さらに消化能力は低下し、血を造ることができない。脾胃の弱い人が生魚など食すれば、たちまち胃腸が冷え下痢を催したり、胃の活動が低下し胃もたれが起る。しかし調理の知恵というべきか、炙り食すれば、火熱によって陽性が付与され水分の含有量も減少し、冷えたり、もたれたりする性質は緩和される。

特に大きい魚は脂肪が多く消化し難いが、炙れば脾胃を塞ぐことが少ない。しかしこの様な食物の多食は限度がある。また大きな切り身、丸煮は気を塞ぐので小さい切り身にして調理する。もちろん小魚はそのまま煮て良い。

酒、生姜、わさびなどいずれも辛温の性質をもつ薬味である。これで煮込んだり、味を付けて食べる事はとりもなおさず陽性を付する意味がある。食材の性質が緩和されたり各自の体質にあわせた調理となる。水も冷やして飲めば陰性がまし、温めて飲めば陽性がます。

 
   諸獣の肉は、日本の人、腸胃薄弱なる故に宣からず、
   多く食ふべからず。
   烏賊、蛸など多く食ふべからず。消化しがたし。
   鶏子鴨子、丸ながら煮たるは気をふさぐ。

   肉も菜も大に切りたる物、又、丸ながら煮たるは
   皆気をふさぎてつかえやすし

肉は力の源として、あるときは薬食として尊ばれるが、体は肉を消化するのに最適の状態を備えている訳ではない。特に胃腸の虚弱な人や老人は肉に対する嗜好も減退気味である。イカやタコなど見るからに堅く消化に悪そうである。食べる時にも十分な咀嚼が出来ないまま呑み込まれる。

柔らかなものでも、野菜でも大きな塊のまま調理し食するのは、気を塞ぐもととなる。消化にも手間取るし、噛むのも大きいものより小さいものの方が良い。東洋思想は「気」を重視する事にその特徴がある。現在の中医学では気を物質として捉えるのが趨勢となっているが、物事を動かすエネルギー体と言い換えても良い。気功はこの気をコントロールしたり、気を充実させ健康や癒しへと向かわせるものである。

気の作用は5つが考えられる。

  • 推動作用 臓腑経絡の生理活動、血の循行、津液の輸布。
  • 温煦作用 体や組織を温める。
  • 防御作用 肌表を保護し外邪の浸入を防ぐ。
  • 固摂作用 体液の漏出を防ぐ。
  • 気化作用 精・気・津・血の間の変化・化生作用。

丸ごとの食物や、大きく切った食物は、消化管を移動する推動作用を妨げる。口中でよく噛み砕けば同じではないかと思われるが、あえて切る行為に言及するのは気の思想たる所以である。切るなどの調理自体が大きな気の塊を細かく切る行為となるのである陰陽五行の法則で解釈するなら、野菜の葉と根の部分では成分と共に気の状態も異なってくる。切るべき刃物も、鋭いか鈍いか、或いは潰すか裂くか、加熱も、煮る、炒める、焼く、蒸す、、、これらの条件で食物の気の性質が変化するのである。栄養学では解釈も理解も到底困難な事が説かれている。

 
   脾胃の好むものは何ぞや。あたゝかなる物、やはらかなる物、
   よく熟したる物、ねばりなき物、味淡くかろき物、にえばなの新たに
   熟したる物、きよき物、新しき物、香よき物、性平和なる物、
   五味の偏ならざる物、是皆、脾胃の好む物なり。
   是、脾胃の養いとなる。
 
   脾胃のきらふ物は、生しき物、冷なる物、こはき物、ねばる物
   けがらはしく清からざる物、くさき物、煮ていまだ熟せざる物、
   煮過してにえばなを失へる物、煮て久しくなる物、菓のいまだ
   熟せざる物、ふるくして正味を失なへる物、五味の偏なる物、
   あぶら多くして味おもき物、是皆、脾胃のきらふ物なり。
   是をくらへば脾胃を損ずる。
脾胃の好むもの11種と脾胃の嫌うもの13種を対比させて考えてみる。食品衛生上古いものや傷んだものは論外であるが、美食として好まれるものが必ずしも脾胃の好むものではない。このことは繰り返し繰り返し述べられる。味の淡白さに慣れてくると素材の味覚を味わう愉しみが生まれ、濃厚な味覚に胃腸の不具合を感じるようになる。既述しているが生、肥、甘、冷、粘膩の食材は痰を生じ脾胃の気を塞ぐ。

脾胃の好む食材そのものを選ぶことも大切な事に違いない。しかし更に大事なのは人だけが出来得る調理である。脾胃の好む食物に仕上げることこそ調理の知識や技術というものであろう。淡泊すぎるものをやや濃厚に、濃厚なものを淡泊に、冷やすものを温かく、熱きものをやや冷まし、脾胃の好みに近づける。

 
   塩と酢と辛き物と、此三味を多く食ふべからず。
   此三味を多くくらひ、渇きて湯を多くのめば、
   湿を生じ脾をやぶる。湯、茶、羹多くのむべからず。
五味調和とは甘を中心に辛、鹹、酸味を少しづつ適量摂取するのがよい。適量が解るには味覚訓練と知識を要するがそんなに難しいことではない。殆どの人が行っていることである。辛味(スパイス)なくして肉は食べられない。天然の塩は体に優しい。酸味は肝機能の回復を助ける。このような断片的知識で辛味、自然塩、玄米酢など多量に取る人が後を断たない。また、その様な指導をしている治療家も散見する。

いわば調味料を、薬や主食の如く摂取してよい訳がない。常識である。辛・鹹・酸を多くとればのどが渇く、渇けば水や湯を欲する。そしてその水分が胃腸に滞り脾胃の働きを低下させる。特に食物が胃にあるうちの水分補給は胃液を希釈し消化を妨げる。それが温度の低い水であれば一層のことである。穀物の気の昇提や造血機能も妨げられ貧血や目まいを起こす。

湿邪には注意を払うべきである。お茶は癌に良い?「1日10杯以上飲みましょう」と言う業界の巧妙な呼びかけを信じて、10杯より20杯飲んだら2倍効く筈だと、浴びるように(まるで湯水の如く...)飲む人が居る。茶が癌に有効かどうかの証拠もないのに風聞だけでお茶をのんではいけない、脾胃を傷めるもとである。水分補給は必要であるが、適量を空腹時、温かい湯でするべきである。

 
   わかき人は食後に弓を射、鎗、太刀を習ひ、身をうごかし、
   歩行すべし。労動を過すべからず。
   老人も其気体に応じ、少し労動すべし。案によりかゝり、一処に
   久しく安坐すべからず。気血を滞らしめ、飲食消化しがたし。
食後は消化のために気血のエネルギーが胃腸に集まる。激しい運動や入浴は気血を散じ良くない。しかし何もしないで横になることは気血の停滞を招く。摂取した食物を効率よく燃焼させ血肉に転化させるためにも体を動かすべきである。若い人は幾らか多くの運動を心がけ、老人は自分の体力に応じた運動を心がける。いずれも過ぎてはいけない。益軒先生は後段で「飯後に力わざをすべからず。急に道を行くべからず。又、馬をはせ、高きにのぼり、険路に上るべからず。」と戒めている。

朝昼の食後は労働が待っているのでそれほど気にしなくても良いが、夕食の後は余裕があるため、そのまま寝転ぶ人も多いと思う。夜間歩いたり運動したりするのも大儀である。気功にスワイショウと言うのがあり、これは軽度の運動になり場所も選ばず便利である。両肩間隔に肢を開いて立ち、両腕を振り子のように振り続ける功法である。これを食後10分位やってみると体中の気血が巡るような気がしてくる。運動にもなり、体に意識を向かわせることも体のために良い。イメージトレーニングの効用で、イメージが体に変化をもたらす事もある。

 
   脾胃虚弱の人、老人などは、餅団子、饅頭などの類、堅くして
   冷えたる物くらふべからず。消化しがたし。つくりたる菓子、
   生菓子の類くらふ事斟酌すべし。おりにより、人によりて甚だ害あり。
   晩酌の後、殊にいむべし。
甘味の性質として、緩める働きがある。例えば辛味・鹹味・酸味・苦味を緩めるため砂糖を加える。加えると、緩和された味覚の性能も緩む。緊張や苦痛も緩む。甘味を取りすぎると必要な体の機能も緩めることになる。食後に冷えたアイスクリームなど食べるのは胃の働きを緩め抑制する。出来る限り食べないほうが良い。また食べても少量にとどめておくべきである。食前では、血糖値が上昇し食欲が低下するとともに胃の働きも低下し、これもまた消化に良くない。

脾胃の弱い人や老人に対する食物の注意が述べられているが、健康だと思っていても、日によって、季節によって、その時々の状況によって体調は変わる。食物の性質として、脾胃の弱い人、老人、病人に好ましくない性質があるなら、強健な人にとっても少なからず影響はある筈だ。自覚されないだけであろう。糖尿病に砂糖を制限する。では、健康な人は野放図に食べてよいかといえば、そうではない。肝炎には酒を禁ずるが、健康な人でも酒は体に良くない。また、肝炎の数値が下がったから治ったのだと禁酒期間を取り戻すように、一層飲酒に励む人がある。やがて再び肝機能の数値が上昇する。再び、三たびと繰り返しても一向に気付く気配のない人もある。自己防衛の本能に著しく欠けるのか、享楽的な人生観か、自殺願望か、と理解している。

 
   水は、清く甘きを好むべし。清からざると味あしきとは用ゆべからず。

   悪水のもり入りたる水のむべからず。

水ブームが起るまで、水がお金になると思った人は少ないだろう。まさか水を買うようになるとは、山の湧水に列をなすとは、、、水が牛乳やガソリンより高くなるとは、、、空想すらしなかった。それが現実に起こっているのだ。

水は清浄で安全であるに超したことはないが、完璧さを求めると限がない。さらに、たかが水に超酸水とかイオン水、電解水、クラスターだとかいう付加価値まで付するのは商売の発想でしかない。清浄な水さえ得られれば、それ以上を水に求める必要があるのだろうか。水ブームに伴い、水ビジネスが生まれ一見科学性を標榜しつつも、各自の水理論や機器の優位を説き高額な商品を売り込むようになった。列を為す名水・湧水にも雑菌の混入や残留農薬の不安がある。このような水や水道水、健康への不安を煽り水ビジネスは増長を続ける。

水道水は雑菌の増殖を抑えるための残留塩素がある。飲み水にする場合は最低限浄水器を通したほうが良い。しかし水ビジネスの言うように何十万円もする浄水器は要らない。2〜3万円程度、活性炭と中空糸膜の組み合わせであれば機能に遜色はない。それ以上の機能があるとしても、たかが水を完璧にしたところで食や環境や養生がいい加減ではどうなるものでもない。煙草を吸い、着色されたサプリメントを飲んでいては、たとえ30万円もする浄水器の水であっても、煙草を吸わない人より健康を害する。

 
   食すくなければ、脾胃の中に空処ありて、元気めぐりやすく
   食消化しやすくして、飲食する物、皆身の養となる。
   是を以病すくなくして身つよくなる。
   もし食多くして腹中にみつれば、元気めぐるべき道をふさぎ、
   すき間なくして食消せず。是を以のみくふ物、身の養とならず。
   滞りて元気の道をふさぎ、めぐらずして病となる。
繰り返し説かれる腹八分、小食のススメ。「酒は微酔、花は半開」という益軒哲学である。「通ぜざれば痛む」と古典にあるが、胃腸も一杯に詰まって通ぜざれば痛みや不都合が生じる。脾胃にもゆとりとすき間が必要である。すき間に存在する気(ガス)が動き蠕動を促し食物を移動させるのである。満腹で胃が塞がれば、すなわち気も塞がる。気は食物の移動だけでなく養生に寄与する気でもある。

例えば酒食がすぎ、嘔吐を催すのは、すき間をもたせるための生理反応である。食べ過ぎ飲み過ぎで気分の悪い時は、みだりに薬で抑えることなく、塩水を多く飲み続いて積極的に嘔吐するのも有効な方法である。

老人は特に胃腸が弱いので、飲食の節制は第一義に心がけなくてはならない。改めて、、「酒は微酔、花は半開」

 
   四時、老幼ともにあたゝかなる物くらふべし。殊に夏月は伏陰内
   にあり。わかく盛なる人も、あたゝかなる物くらふべし。
   生冷を食すべからず。滞やすく泄瀉しやすし。
   冷水多く飲べからず。
冷水、ビール、牛乳、柿、梨、蜜柑、、などの飲食後、下痢する人がいる。また、牛乳や冷水を飲めば便秘に効くと思っている人がいる。これは胃腸を冷やしそのショックで便を排出しているに過ぎない。健康的な排便方法ではないので控えたい。冷飲食で下痢するのは生理反応である。寒冷を体内に抱え続ければ、体の機能が阻害されるため急激な排出が行われるのだ。

冷飲食後、下痢する事を知る人は、自ら節制を心がけるが、下痢しても原因に気付かない人は、病院へ向かったり、下痢止めを服用する。残念ながら、いずれも根本的解決には至らない。冷飲食が続く限り治癒はありえない。

しかし、冷飲食甚だしくとも平気な人が居るのも事実。真冬に刺身を肴とし、氷温近いビールをバケツ一杯くらい飲んでも一向に平気である。体質強健と言う他ない。若い頃は大丈夫だったが、中年過ぎた頃からダメになった人も居る。また、夏ならば幾らか冷飲食に耐えるが、秋口からダメになる人も居る。

冷飲食は、人、体質、季節、老幼を問わず冷やす性質を有する。体質強健なる人も例外ではない、今は良くても何時、体質が低落するか知れない。夏は発汗のため気血は体表に集まる。そのため裏(内臓)の気血はいくらか手薄になっている。ここに冷飲食が襲えば、それが伏陰となり寒くなり始める秋頃から、発熱や下痢を伴う病や風邪にかかりやすくなる。さしずめ花粉症など、このひとつと言えなくもない。一日のうちでも陽が盛んな昼間より陰が勝る夜のほうが寒冷のダメージは大きい。美食も暑い時の冷飲もその味わいは三寸の舌先の事。少しは体での動態に思いを巡らして、2〜3杯飲むビールの1杯を減らすなど容易ではないか。

    

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