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熊本市教組ニュース 2002年2月号


意見拝見   心のノートってなあにA

@道徳(心の問題)に国家が介入 心に「教科書」は必要か?
 「心のノート」の監修は、心理学者で文化庁長官の河合隼雄氏が担当したが、検定教科書のような著作者名も、印刷会社もなく、「発行・文部科学省」のみで、問い合わせ先も文部科学省の所在地記されているだけど、まさしく顔が見えない「国定教科書」の体をなしている。
 千葉大学文学部助教授の三宅晶子さんは「うつくしいこころをそだてよう」「わが国を愛しその発展願う」などと書かれた「ノート」について、「良い子、よい国民へと同じ心へ統合して行くものではないか」と問題提起・ジャーナリストの木附千晶さんは、改憲団体日本会議の関係議員の国会質疑をきっかけに「ノート」が誕生したと政治的背景に警告した。戦争中の修身の国定教科書にそっくり」などの指摘もある。

A「心のノート」は副教材? それとも「強要」
 「道徳の教科書でも、授業でメインに使う副読本でもない。あくまでも補助的に使う冊子」「大事な税金を使って作った。強制することができないが、すべての学級で活用されることを期待している。」(文科省教育課程課担当者)
 文部科学省の立場からすれば、道徳は教科ではないから教科書はない→主たる教材としての教科書はないから、その従たる副読本・副教材は存在しない→「心のノート」は副読本や副教材ではない、ということになる。
 今回、教員に配布した「指導資料」でも「心のノート」を「補助教材」と認めている。また、文部科学省の中では「副教材」と認めているらしく、「あくまでも副教材。ぜひ使ってくださいという趣旨の文書は出しましたが、強制はしていません。」と。

B「心理主義」による道徳教育
 野田正彰氏は、「戦前の道徳教育は暴力によってたたき込むものだった。今様には、河合隼雄氏のグループによる心理主義によって、柔らかく誘導されるものになっているようだ。個性尊重とだましながら、すべての個性は『日本の心』に集約されるのである。恐ろしい時代が音をたてて進んでいるのを感じる。」と述べている。

C共生の視点がない 同情と庇護 
 『心のノート』の中に「共生」という言葉が使われているが、マイノリティは、『同情』と『庇護』の対象でしかなく、共生の視点はまったくない。

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