【読書録(15)】-2018-


日本が壊れていく
お笑い自民党改憲草案
不確かな医学
「おいしさ」の錯覚
植物はなぜ薬を作るのか
地図から消される街
ワクチン副作用の恐怖
東京が壊滅する日
代替医療の光と闇
日本の右傾化
自発的対米従属
「憲法改正」の真実

日本が壊れていく 齋藤貴男

2018年現在、日本は独裁権力によるファシズム国家に堕している。小泉純一郎政権が新自由主義を教義とする構造改革を強行し始めた2000年前後から、いずれこうなるに違いないと恐怖していた私は、機会を捉えては警鐘を乱打し続けたが、空しかった。

3人の元自民党大物政治家へのインタビューを終え、「ファシズムと言い切るのは過剰でも偏向でもないことの証明になった」と著者はいう。その3人は、古賀誠・小沢一郎・亀井静香氏で、小沢氏はまだ現役の衆議院議員だ。地方議員から国会議員に至るまで、政治家というのは信頼のおけない存在であり、良しとするも、「まだマシ」のレベルであることを前提とすべきであろう。政治家が票のため利害や思想の板挟みに遭うのは宿命だ。

まさに「この国民にしてこの政府あり」なのですね。現行憲法が平和主義、基本的人権の尊重とともに保障している主権在民の政治にあって、まさに天に唾するような話をわれわれはしていることになります。(古賀)

「この国民にしてこの政府あり」とは19世紀英国の歴史家、トマス・カーライルの名言だが、もともとは英国の修道士による「国民は自分たちと同じ程度の政府しか持てない」という発言に啓発されてのものだ。それなら国民は選択を誤ったのか?と一方的に責任転嫁もできない。選ばれた政治家の自覚と責任感も問われる。権力者が権力を思う存分に使うことで三権のバランスが失われ、国民の政治に対する期待感は希薄になり、無力感さえ漂うようになった。

安倍さんそのものについては論評するのも馬鹿馬鹿しいくらい。一番の問題は安倍さん自身の政治に対する考え方が根本的に間違っていること。(小沢)

では、政権が長く続いているのはなぜかということになる。野党の責任も大きいが、異論が出てこない自民党、マスコミ、官僚などが権力にひれ伏し、国民は異常が見えず慣れてしまったのではないか。標語にもあるが「選挙の一票で政治も生活も変えられる」という主権者らしい認識と行動をとって貰いたい。政治家でさえ国民と似たり寄ったりの感覚でいる者が多い。彼らを擁するには年間2億円の税金が使われているらしい。生活保護家庭を貶めた女性議員がいたが、頭を冷やして己の高級生活保護を省みたらどうだ。

反対意見を尊重し議論を尽くしてこそ民主主義であるが、「政治に対する考え方が根本的に間違っている」ことが6年間も続いてきた。安全保障法案・組織犯罪処罰法・年金改革法・改正介護推進法案・カジノ法案・働き方改革法等々、この中には憲法の三大原則である戦争放棄や基本的人権の尊重、主権在民を犯しかねない法案を次々と強行採決してきた。いわゆるモリ・カケ問題、公文書の改ざんや隠蔽、口裏あわせ、外交という建前の巨額な税金ばらまきや武器の購入、何もかもが根幹から変質させられつつある。国民の思想や感性までもなにもかもが..

民主主義を"多数派の絶対"と短絡し、少数者や社会的弱者の悲鳴には耳を貸すどころか嘲笑で応える政権によって。それは国家レベルの問題だけに限らない。日々の報道を見聞きしても、いや報道そのものも、あるいは私自身の日常生活を通しても、社会全体が荒廃し、人倫が堕ちつつある現実を痛感せざるを得ない。(斎藤)

福田康夫元首相は2018年8月、共同通信社のインタビューで「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸をみて仕事をしている。恥ずかしく、国家の破滅に近づいている」とまで述べている。小沢氏は「政治の役割は国民の暮らしと命を守り、向上させることだ」という。しかし、安倍氏はまったく違う、「強いものが儲ければいい、そのおこぼれがお前らにもいくよ」といった考えでいる。昔は自民党内でも総理・総裁批判をきちんとやった。野党も似たようなもので、社会の姿、世界の姿はこうあるべきだと主張する政治家がいなくなった。

あまりにも幼稚であまりにも愚劣で、論評するに堪えないよ、この政権は。ひとりで無邪気に自分だけでいいと思っている。それが困っちゃう。誰も諫める人がいない。驚きだよ。(小沢)

古賀氏は「バランスが失われている、政党政治が劣化している」と語る。総理・総裁を諫めず、批判もしない、なぜ自民党の議員は安倍氏をそれほどまで恐れているのか。党の公認が得られなければ当選の難しい議員はまだしも、自力で簡単に当選できる議員まで沈黙している。

安倍さんというよりも、現在の体制の中で、自民党の場合は総裁イコール総理大臣。そのポストに就いているということですよ。彼に限らず、そのポストに就いたら権力を持って、その権力を行使したら、それは異常に恐れられる人になる。(古賀)

権力を行使し、振り回すから恐れられる。権力者はその権力を鞘に納めておかねばならない。いままでの総理大臣は権力を持てば持つほど、行使するには十分な注意と誠実さと謙虚さがあった。小選挙区は権力を振り回すことができる制度であるが、安倍氏は振り回し、周囲の人まで「虎の威を借る狐」のごとく振り回す。こういったことは、もともと小人のやることで、仲間もろくな人がいない。小選挙区制度の生みの親である小沢氏に、制度の弊害を聞いてみると、「野党は中選挙区で過半数の候補者が立てられず、政権交代が起り難い」という。選挙制度にベストはなく、一党政権が半世紀も続いた異常な日本で、政権交代を可能にして民主主義を実現するための一番わかりやすい制度である。

現在の小沢氏は改憲反対を唱えているが、自民・自由党連立政権を担っていた1999年に憲法改正試案を文藝春秋に発表している。そこには国際社会の平和活動のためなら自衛隊を海外派兵できる条文を9条に盛り込むことや、緊急事態規定の新設など、現在の自民党憲法改正草案と重なる部分があり、近年の小沢氏の姿勢には、変節の批判もある。善意に解釈すれば、現政権のあまりもの対米従属ぶりに対しての方針転換かも知れない。小沢氏は安倍政権による自主憲法は、日本をアメリカの「金魚のフン」のようにするとまで断じている。

もう一人の大物、亀井氏は、2018年5月、首相官邸を訪れ、「トランプのポチみたいになるなよ」と諭している。アメリカにとって日本は極東の都合の良い場所にあり、中国、北朝鮮、ロシアに対して戦略を展開するうえで最前線になる。安保条約という縛りの中で、米国は日本を徹底的に極東の軍事戦略に使っていこうとする。

晋三が対米関係においてまずやらなきゃいかんのは、地位協定の改定なんです。それができるようならポチじゃない。ドイツやフランスは、アメリカとの間で、もっとちゃんとした条約を結んでいます。(亀井)

日米地位協定を巡り、いま沖縄で起こっていることは、日本全国の問題であることを認識すべきだ。やがて起こり、気付かないだけでもうすでに起こっていることだ。沖縄の人々は分かっているからオール沖縄で自民党と対峙する。沖縄の風が全国に波及すれば自民党議員の居場所はない。

日本の総理は全員そうだけれど、総理になるとアメリカの影がぐーっと被ってくる。日本人全体がアメリカさんの言うとおりに、アメリカの庇護のもと、傘のもとで生きていくのがいちばん都合がいいと思っている。これが日本人の感覚なんだ。だからそれまではナショナリズムみたいなものをモットーにしていた政治家も、総理になるとアメリカとことを構えない、いってみれば安全運転の政治をするようになる。(亀井)

亀井氏は最近、雑誌の対談で次のような発言をしている。

米軍基地は米国のためにある。日本のためではない。米軍基地が引き揚げたって痛くも痒くも無い。日米安保だって要らない。冷戦は終わってるんだから。軍事同盟は有害なだけだ。

これが度を超し、いつのまにか頭ごなしにいろいろなことが決められ、実行されても文句を言えなくなる。民主党が政権を取る直前、当時代表だった小沢氏をマスコミはこぞって非難した。政治資金報告書の土地取引の期日がズレているというだけのことで、さらに不起訴になっても、懲りずに検察審査会まで立ち上げ、小沢氏の政治活動を数年間封じ込めた。今の政権の大臣の報告書など贈収賄のど真ん中でも訂正や不起訴で落着、司法は体を為していない。小沢氏を封じ込めた理由は剛腕といわれる政治力への恐れがあったからだ。国民はマスコミに騙され惜しい転機を逃したのかも知れない。

著者はインタビューを終え、「3人には同調してもらえなかった」と断わり、安倍氏の力の源泉について次のように述懐する。

アメリカの信任、後ろ盾こそが安倍の力の源泉になっているのではないかと考えている。アメリカの軍産複合体にとって、彼ほど便利で、使い勝手のよい日本の首相はいない。そしてまた、そのことを永田町や霞が関の住人全員が承知しているのだ。(斎藤)

安倍政権のやっている14項目の事がネットにあげられていた。

1)強力かつ継続的なナショナリズム
2)人権の蔑視
3)団結させるための敵の設定
4)軍事の最優先
5)はびこる性差別
6)支配されたマスメディア
7)国家安全保障への執着
8)宗教と政治の結合
9)企業の力の保護
10)労働者の抑圧
11)知性や芸術の蔑視
12)刑罰強化への執着
13)身びいきや汚職の蔓延
14)不正な選挙

これはアメリカ・ワシントンD.C.にある「ホロコースト記念博物館」に展示されている「ファシズムの初期兆候」というポスターである。2003年にLaurence W. Brittというアメリカの政治学者が発表した"Fascism Anyone?"という論文からの抜粋だという。6年間もでたらめな政治を続け、なお国民の半分が支持する理由が見つからない。選挙での連戦連勝など過去に考えられないことだ。著者の言う、軍産複合体の後ろ盾があったとしても、国民が選挙でNOを突きつければ終わる。(14)の不正な選挙。(6)の支配されたマスメディアの忖度効果ではないかとの疑念を抱いている。

 

お笑い自民党改憲草案 ピーコ・谷口真由美・佐高信

以前、コラムで取り上げた「亡国の集団的自衛権」の著者、柳澤協二氏の談話を久々に読んだ。「安保法成立3年〜同盟深化リスク増」という見出しの新聞記事である。安全保障関連法案は9/19で成立から3年が経ち首相は日米同盟が深化したと自画自賛するが、自衛隊ひいては国民が思わぬ事態に巻き込まれるリスクが高まっている。日本がやるべきことは米国との一体化ではなく、米国と敵対する国々との仲立ちをし、戦争の理由をなくしていくことだ。

日本にとって「脅威」となるのは、相手が脅かす能力(軍事力)と意志の二つを持つことだ。能力を止められないなら、意志をどう止めるか考えるべきで、必要なのは「力の論理」ではない。(2018・9・19佐賀新聞)

根気強い話し合いをせず、やられたらやり返せ、武力が必要な時もある等と嘯いて力づくで法案を成立させる。軍事力をいくら増強してもひとたび戦争が勃発すれば必ず国民に被害が及ぶ。彼らは「国を愛する」といいつつ、いままで平和を守ってきた憲法を「恥ずかしい」ともいう。自由党の小沢一郎氏はTwitterで次のように発信している。

安倍総理が、また憲法改正を言い始めている。憲法は日本人の精神に悪い影響を与えているのだそうな。お友達と一緒に戦前思想を復活させるつもりだろうか。そもそも憲法を全く理解していない自分の政権が、今この国の「精神」にどれほど悪い影響を与えているか、冷静に考えてみたことはあるのだろうか。(201/10/9)

憲法をまったく理解していない連中の「憲法改正草案」を俎上に乗せ、3人で座談会を開いた。タイトルは「お笑い..」とされているが、こんな憲法がまかりとおるなら誰もが「ゾッ」とするだろう。自民党は憲法に対する考え方からして全く違う、逆だ。憲法第九十九条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」、尊重し擁護しなければならない国会議員が「みっともない」、「恥ずかしい」、「変えろ」という。

憲法はそもそも誰を縛るものかという大前提を知らずに改憲案を作ってるんです。(谷口)

九十九条で貫かれている縛りは国民へと向かう。権力を持つものがさらに憲法を以て国民を縛る。「大前提を知らず」ではなく分かっているから、主語を変えて自分たちの都合に合わせようとするのだ。本の帯には次のように書かれている「笑った後で恐くなる」。秘密保護法や安保法の成立で憲法が無力化されるとの懸念を識者は表明していた。いまの政権は隠蔽、改竄、恫喝なんでもやる、権力維持のためなりふり構わない。昔の自民党とはまるきり違う革命政権だと批判する人もいる。9月の総裁選挙の討論で落ち着き払い回りくどく語る石破氏に好感を持った人が居たかも知れない。安倍氏に比べ説得力に雲泥の差があった。だからこそ危険性も感じられる。石破氏は緊急事態条項の創設を主張した。

緊急事態条項の本当の狙いは、権力が何か理由をつけて国民に圧力や制限をかけるということだけのものでしょう。(ピーコ)

石破氏は大規模災害などに対応するため、「緊急事態条項」の新設に優先的に取り組むべきという。それを切々たる理屈で説明されると、必要なことのように思えてくる。

【憲法改憲草案:第九十八条】内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

政府が緊急事態だと決めたら、必要なものが全部止められる。災害が起きたときだけでなく、恣意的に出せる戒厳令に等しいものだ。阪神淡路、新潟中越沖、東日本などの震災は緊急事態条項がなくても対応ができた。98条の3項では速やかに解除とか国会の承認など謳われているが与党であればいくらでも国会の承認が取れるし、緊急事態が発せられるとずっ〜と選挙をしなくていい。自民党の改憲草案は国民の権利を全部奪い、自分たちが全権を掌握するためのものだ。

要するに、安倍は「戦争ごっこ」「軍人ごっこ」がしたいんだよ。(佐高)

裏側には、佐高が言った通り、戦争をしたいと思っている人がいる。今みたいに不景気になって、格差が広がったときに、資本家やお金がいっぱいある人たちが、自民党改憲草案みたいなものに守られたいと思っちゃうわけね。そういう人たちが生き残るためには、戦争するのが一番だし。だって、現実には、もう武器を作ってもいいわけでしょう。(ピーコ)

これと安保法、秘密保護法の3点セットで縛ると、憲法改悪の中でも最悪の内容となる。秘密保護法で捕まった人は、自分が何で逮捕されたのかわからない。「法律に書いてない罪には問われない」という刑法の大原則も崩壊するため、刑法学者も強く反対している。捕まった後の話になるが、現行の憲法36条では「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と書かれている。自民党草案では「絶対」を取ってしまった。この意味を自民党に尋ねると、「意味は特にありません」と回答した。「絶対」を明記する規範はものすごく強いものだが、これを取り去り、緊急事態条項や共謀罪とセットで運用すると恐るべき状況になる。政敵や社会運動家や評論家など政府が気に入らないと思う人間は簡単に捕らえられ拷問を受ける。すでに同じようなことがあちこちで起こっている。誰もが知る森友学園の籠池氏は10か月もの間、大阪拘置所の独房に勾留された。氏は保釈後、「逃げも隠れもしない、証拠物件はすべて押収された、これは国策勾留だ」とコメントした。

少なくとも平和憲法に関する知識は足りない人たちです。憲法起草委員会というチームの事務局長を務めたのが磯崎陽輔という自民党議員です。この方は、「立憲主義っていうのは、私が(大学で)勉強したとき習っていない。新しい学説ですか」と国会で堂々と言うような人です。(谷口)

磯崎氏は「憲法があるから、動きにくくて仕方ないんだ」ともいう。氏は3年前、次のようなことで話題になった。【悲報】Twitterで10代の女子と大喧嘩!論破された上に、そのままブロックして逃走!磯崎氏は集団的自衛権と個別的自衛権の違いを理解しておらず、10代の女子に「勉強してください」と揶揄された。磯崎氏は東大法学部の憲法ゼミの出身らしく、まさに悲報だ。彼らの頂点に安倍総理が君臨する。10/2、第4次安倍内閣が発足し、続いていろいろな役員人事が決まった。磯崎氏のようなおめでたい人物をモザイクのように寄せ集めどんな「ごっこ」が始まるのか。

自民党、改憲シフトあらわ 憲法審査会の幹事総入れ替え

改憲議論をめぐる与野党の構図自民党は16日、安倍晋三首相が意欲を示す憲法改正に向けた布陣を整えた。主戦場となる衆院憲法審査会の幹事を総入れ替えし、野党との交渉を担う与党筆頭幹事に、首相に近い新藤義孝元総務相を充てたのが特徴だ。公明党や野党は強硬路線への警戒感をあらわにしている。自民党憲法改正推進本部は16日、党本部で会合を開き、衆院憲法審の幹事を内定した。本部長で首相側近の下村博文・元文部科学相が自ら幹事に就任。これまで与党筆頭幹事として与野党協調路線を進めてきた中谷元・元防衛相と、野党人脈が強い幹事だった船田元・元経済企画庁長官は外れた。(10/17、朝日新聞)

日本国憲法はポツダム宣言の返答が込められ、前文には「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」という文章が出てくる。自民党草案は「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し」と書かれ、先の大戦は災害と同列に論じ、歴史観がまるで違う。

今の憲法を変えたがっている奴らは、そういう憲法の「いろは」の「い」も知らない。伊藤博文でさえ、「憲法は国民の権利を守るもの」だと言っているのに。(佐高)

単に知識のない人たちや、極右思想の人たちだけでなく、日本の最大与党の自民党がこのような稚拙な改憲草案を基に憲法改正を目論む。彼らは草案を補完するかのように、教育勅語を礼賛し、中学校の学習指導要領に銃剣道を取り入れ、郷土愛が足りないとして教科書の「パン屋」を「和菓子屋」に変えろと言う。森友学園や加計学園の事件があっても政権の支持率は50%あたりを維持する。

少なくとも、権力側はこの50%程度のみなさんはアホやと思ってるんやろうな。やりたい放題やっても、支持してくれるんですものね。(谷口)

本の帯裏には自民党支持者の必読書!?とも書かれているが、アホに言っても時間のムダであろう。しかし、「他の内閣より良さそうだから」、「どちらとも言えない」と答える皆様、も少し国や自分の将来を考えるべきではないか。自分だけの利益を考えて自民党を支持するうちに、自分も含めた多くの国民が取り返しのつかない不利益を被る。「あの時、自民党候補に入れさえしなければ..」というあの時はすでに過ぎ去った日なのかも知れない。

 

不確かな医学 シッダールタ・ムカジ 野中大輔訳

現代医学といわれているものは最近になってからのことで、1930年代以前はある程度効果のある治療法を探すのにも苦労していた。しかし、外科手術だけは違った。骨折修復や切創の縫合、壊疽の切断など効果が目に見えて明らかだ。それ以外の医療行為のほとんどは、次の3つのどれかであった。

薬らしいものを処方すること、緩和薬を出すこと、トイレに行かせることです。

Evidenceなど考えられなかった時代の薬は多くの偽薬(プラシーボ)が紛れ込み、当時は「薬らしいもの」が一般的な薬とされた。飲めば治ると信じる患者の心理効果が主たるものだった。例えば体が弱ったときの滋養強壮薬や老化に対しての不老長寿薬など、いまでも困ったとき秘薬を求める人は多い。漢方薬は2000年の臨床試験を経て淘汰された精華だというが、たまたま記録に残ったものを淘汰と呼んでいるのではないか。長年漢方をやってきたが、薬草はまだしも漢方薬を手放しで讃えることはできない。モルヒネ、アヘン、アルコール、ハーブエキスなどは緩和薬といい実際かゆみや痛みに効果があった。トイレに行かせるの意味は下剤、吐剤、浣腸で胃や腸内の毒物を排除する方法だ。かつて血を出す瀉血や下剤を飲ませる医療が行われた。これはプラシーボや錯誤をもって、明らかな反応を医者が患者に示す数少ない手段だった。医療行為の質も量も不足したことで、20世紀初頭には医療ニヒリズムの考え方が支配的になる。

医療ニヒリズム(虚無主義)はことばと裏腹にもっとも望ましい発展を遂げた。19世紀の医療行為の多くがまったく役に立たず、命を奪うことさえあるとの認識から、なにもせず病気を観察・分類し病名を付けることに集中した。役に立たない薬など使わず、血液量や呼気や体重、身長を測り、聴診器で心臓や肺の音を聴く。1930年代になると医学は根本的に変わり、病気の経過を観察し、病気の発生と進行についてのモデルを作りあげ、新しい医学の基礎が築かれていった。

それは物理学や化学にあるような法則ではないでしょう。もし医学も科学の一員だと言えるとしたら、もっとゆるやかな科学です。(中略)医学の法則は定数や変数からなる数式のような形では表現できません。

医学を体系化して普遍的な法則を見いだすのは難しく、それより医療として医師が学び実践できるような規則を見いだすほうが重要ではないか。正常な値を説明するための法則をたくさん作りだしてきたが、いまだ生理機能と病気を深く、統一的に理解するには至っていない。病気のモデルの多くは過去の知識と現在の知識の寄せ集めで、これが体系的に理解しているかのような幻想を生み出す。

あらゆる科学は人間のバイアスの影響を受けます。大容量の機械にデータを収集・貯蔵させ、自ら操作するよう学習させても、最後にそのデータを観察し、解釈し、その使い道を決めるのは人間です。

他の学問に比べ医学には「効いてほしい」という願望があるためバイアスは重大な意味を持つ。この願望と医療のもつ優しさが一緒になると危険へ踏込むことがある。もっとも長く続いたいちばんの悲劇は根治的乳房切除だ。現代外科手術の黎明期であった1900年代始め、乳房から悪性腫瘍を確実に取り除く様々な手術が考案された。患者の多くが手術を受けたものの、術後、体中に転移が広がった。米国のハルステッドは外科医が取り残した悪性組織が再発の原因だと主張した。この仮説に基づき、乳房だけでなくその周りの組織も一緒に切除し、腕を動かす筋肉も、肩も、胸の奥のリンパ節も..これを根治的乳房切除という。この考えは間違っていた。がんは手術するずっと前に転移し再発したのだ。ハルステッドの仮説は論理的に一貫していたため十分な検証も反論もなされないまま仮説が法則へと変貌した。命を落とすかも知れない不安を抱えた患者は、「悪いものを根こそぎ取り除く」という手術を望んだ。にもかかわらずかなり多くの患者でがんは再発した。

1940年代にロンドンのジェフリー・ケインズら外科医集団が根治的乳房切除に異を唱え始めた。1980年、根治的乳房切除と乳房温存手術を比較する無作為化臨床試験が開始されたが、いままでのロジックの捕囚となっていた外科医たちの気が進まず検証は遅れた。

調査結果は、根治手術の有効性を明らかに否定するものでした。根治手術を受けた女性は数々の合併症で衰弱しただけでなく、何の効果も得られなかったのです。転移によるがんの再発の可能性については、根治手術の患者も温存手術と局所的な放射線療法を受けた患者も、変わりませんでした。乳がん患者が耐えてきた試練には意味がなかったのです。

この結果は腫瘍学に衝撃を与え、1990年代と2000年にも再調査がおこなわれたが、結果は同じだった。根治手術を受けた人の数を正しく把握はできないが、1900〜1985年のあいだにおよそ10〜50万人の女性がこの手術を受けた。日本でも80年代まで標準手術としておこなわれたが、90年代からは温存手術へと変わっていく。ほぼ息絶えるには2000年以降になるが、いまだどこかで行われているかも知れない。日本で初めて乳房温存手術を唱えた近藤誠氏に対する専門家たちの非難は熾烈を極めた。他のがんについて、いまだ根治的手術の妄執がまかり通っているかも知れない。場合によっては手術事体に問題のあるケースもある。「何もしない」ことの意義は医療全般に及び、医療が充実した現代だからこそ一層の検証が求められる。

いま思えば、根治手術にあったバイアスの元を見つけるのは簡単です。革新的な手術にとりつかれた外科医の権力、意味の変化した言葉、医師の言うことを信用するように強いられた何世代にもわたる患者たち、そして完全さを善として批判を受け付けようとしなかった文化です。

バイアスによってはその原因を特定するのさえ困難なことがある。試験に参加する被験者はただの受け身でなく意思を持っているため、参加することですでにバイアスがかかる。試験に参加する患者は自分がどんな状況に置かれているか理解しているため、臨床検査で自覚症状、生活状況など患者の心理や記憶に依存するバイアスは顕著に反映する。例えば、脂肪の多い食事と乳がんリスクの試験で、乳がん罹患群のほうが脂肪の多い食事を食べていると答えた割合が高かった。データでは脂肪を摂りすぎてはいないのに、「がんに罹ったこと」を振り返り、「高脂肪の食事が原因ではないか」と思い込んだ。無作為化臨床試験を行ってもこうしたバイアスは完全になくならない。患者は特定の人種や民族、社会・経済階級に属しているため無作為化試験で、ある結論が出てもそれは無作為に選ばれた人の属するグループの範囲内での検証でしかなく、結論の一般化は保証されない。結果についても人間の判断や解釈が求められるため、ビッグデータによるメタ分析でもバイアスの克服はできない。

この問題に取り組むもっともシンプルな方法はおそらく、バイアスに正面から立ち向かい、医学の定義の中にバイアスを取り込むことでしょう。

医者が本当に戦うべきものは病気ではなくバイアスである。著者が知るトップレベルの臨床医はみな、バイアスに対して第六感が働くという。なにかを本能的に理解できるともいう。プラシーボを励起できる天賦の才能とでもいうのだろうか?ダイアモンドの価値に4Cというのがある。1)重さ(Carat)、2)研磨(Cut)、3)色(Color)、4)明澄度(Clarity)、これに習い、医者や治療家の4Cを考えると、1)(Carat):知識、2)(Cut):研究・経験、3)(Color)才能、4)(Clarity):第六感とでもしておこう。

一見すると医学は進歩の頂点を極め、高精度の医療機器が人間の身体機能すべてを計測し画像にさえできる。しかし、医学や医療が洗練されるにつれ、現代医学以前のように不確かなものが顕現する。治療の意思決定において才能や第六感に頼れば、成果もあるだろうが外れもある。終章はフランスの思想家ヴォルテールの警句で結ばれていた。

「医者というものは、自分でもあまりわかっていない薬を、さらにわからない病気を治すために、人間という何ひとつわかっていない相手に処方するものである」

 

「おいしさ」の錯覚 チャールズ・スペンス著

食べものが健康や病気に及ぼす影響について、科学での立証を超えて過大に評価し没頭することをフードファディズムといい、この概念が生まれて20年ほどになる。今回とりあげるのはガストロフィジックス(美食の物理学)という新しい分野の学問だ。フードファディズムと同じく食生活への警鐘を鳴らすものだが、そのツボは人を惑わすツールともなる。ガストロフィジックスは音や香り、ナイフやフォーク、食器など物理的なものと味覚との関係を探るもので、栄養学や調理と一味異なる視点をもたらすだろう。

たとえどんなものを食べ、飲み、売り、消費しても、そこではつねに複数の感覚が働き、雰囲気や環境を感じ取っているということだ。そして環境こそが、私たちが何を考え、味をどう感じるか、そして何より食事体験をどれくらい楽しめるかを左右する。結局のところ、中立な環境や背景など存在しない。

飢餓が摂食の動機になることは論を待たず、空腹のときが味も満足度も最高であろう。ここでは衣食足り、豊かさを覚えたところから始まる話だ。以前、お菓子と言っていたものをいまはスウィーツ(sweets)という。献立はレシピ、焼くことをソテー、生肉サラダをカルパッチョ.. 料理をどう呼ぶかは味覚に関係ないが、感じ方は大きく変わる。ある高級レストランでパタゴニアン・トゥースフィッシュという深海魚のメニューを出したところ誰も食べようとはしなかった。これをチリアンシーバスに変えただけのトリックで1000%を超える売り上げになった。名前だけではなく、単語の順序を入れ替えるだけで違ったものに感じられる。サラダパスタをパスタ入りサラダと呼ぶだけで健康的なものに感じるかも知れない。さらにシャキシャキサラダと付けることであたかも新鮮、有機野菜と来れば厳選されたイメージが店全体を覆う。食に対する意味や由来、健康というキーワードもあるだろう、無言有言の講釈の影響は大きい。しかし、それがすべてではない。

大学生に赤ワインを飲んでもらい、脳の活動を調べる実験が行われた。2グループに分け正しい価格と偽りの価格を知らせて、3種のワインを飲ませたところ、全員が安価なものより、高価なものを好むという結果が出た。価格という刺激によって高いものほど脳の報酬中枢で血流が増加した。しかし、味の感覚的分別を司る一次味覚野では血流の変化は見られなかった。八週間後、価格を表示せず3種類のワインを飲んでもらうと、被験者はどのワインにも同じ程度の満足度を示した。

最近になって、中間の価格帯の商品で、偽りの価格がもたらす効果が大きいこともわかってきた。つまり、あなたが何を言おうと、安価なワインを出しているかぎり、プルミエ・クリュ(フランス産一級ワイン)だと納得させることはまず不可能だ。

高価格を装い言葉で着飾っても、一次味覚分野を刺激する味にも一定のレベルが必要だという。ワインでわかったことは他の食材にも敷衍可能であろう。苦味・塩味・甘味・酸味・食感など味覚には個人差があり、とくに苦みについては優れた人は普通の人の16倍もの数の味蕾があるとされる。苦い食べ物は有毒である可能性が高く、超味覚者は生存に有利であった。これは食が豊富にあるときで、少ないときは苦みに鋭敏でない普通の人が有利である。味覚は生存に欠かせないが知覚という点ではそれほど重要ではなく、味覚に関与する大脳皮質の領域も1%ほどでしかない。

私たち人間の脳は身の周りの環境から統計的な規則性を導き出すからだ。要するに、私たちは学習を通じて、色やにおいなど、味覚とは別の感覚を用いて潜在的な食べ物の味や栄養価を予想できるようになる。

嗅覚は食体験に影響する感覚のなかでも重要な役割を果たす。普通に食べていると鼻ではなく舌で味を知覚しているように思うが、鼻をつまんで食べると食物の味をいい当てることはできない。この錯覚をオーラル・リファラルといい、嗅覚を刺激する工夫は至る所でみられる。飲食物にフレバーを添加したり、ショッピングモールではあえて性能の低い換気扇を使い、できるだけ大量のニオイを客の鼻に届けようとする。

2017年流行語大賞をとった「インスタ映え」は視覚をくすぐることを意味し、とりわけ食は中心をなす対象だった。食欲をかきたてる映像をガストロポルノといい、1977年に書かれた料理本で初めて使われた。新しい仕事も生まれ、食材だけでなく食に関わる効果的な演出に携わる「フードコーディネーター」は協会まで設立され、1〜3級の資格認定をおこなう。

現代では料理は見た目が味やフレーバーと同じくらい重要だとされている。広告、ソーシャルメディア、テレビの料理番組など、どこに目を向けても食べ物のイメージであふれかえっている。そうしたものを完全に避けるのは不可能だ。しかし残念なことに、私たちの脳が魅力を感じる食べ物が健康的であることはほとんどない。それどころか、その逆であることのほうが多い。

2014〜2015年のネット検索数で食べ物のカテゴリーは2位を占めた。ちなみに1位はポルノだという。食欲と性欲、人の根源的な欲望であるところで納得がいく。不健康の最たるもの、「ラーメン」はスープと麺とトッピングの組み合わせにビジュアルを追及する。スープに火を付けたり、真っ赤に浮かんだ唐辛子、チャーシューてんこ盛り、投げて替え玉を入れる店もあるという。どこをどう見ても健康の対極にあるが、ラーメン店は熱狂ファンが群がり 栄枯盛衰も激しい。

器の色や形、材質、重量など見た目の美しい料理は、適当な器に置かれたものより美味しく感じられる。ある雑誌の企画でコンビニ弁当を磁器やガラス、漆器などに移し、会席風にしつらえたのを見たが、コーディネートの妙を感じた。料理人とば別に器を選んだり、食写真を撮る人が主役に踊り出ると、実際の料理の味を軽視する恐れがないではない。

食べ物に関する番組をたくさん見る人は、同じ時間テレビを見るが食べもの番組を観ない人と比べてもBMI値が高いのか、という点である。食品広告が---とくに子供たちにおいて---消費活動をゆがめるということがさまざまな調査で確認されていることから察するに、おそらくこの仮説は正しいと思われる。

フードポルノという造語があり、ポルノが性欲を刺激するように料理の写真や動画が食欲を刺激する意味で使う。レストランや料理屋での食事、観光地での珍しい食べ物又は調理の様子を写真や動画で撮影しブログやSNSに公開する。「いいね!」をたくさん貰って悦に入り、公開することが目的化していく。フードポルノのブログを閲覧すると映像とともに画一的なコメントが添えられる。「ヤバイ、なにげに美味い、まったり、こってり、絶妙、濃厚かつ淡白.. 」意味や文法などおかまいなし。感覚に頼った単語を羅列して料理紹介を果たす。毎日更新の食ブログなど、貪欲に喰い漁る修行のようでスゴイ。胆力のある人だけが長く続く。

フードポルノは精神を疲弊させる---知らず知らずのうちに精神的なシュミレーションをする機会が増え、そのたびに脳は、今見ている食べ物を口に入れたらどんな感じだろうと想像する。それがテレビだろうとスマートフォンだろうと、同じことだ。そのつど私たちの脳は、"食べたい"という誘惑に抵抗しなければならない。

人間の脳は、食べ物に乏しい環境でも栄養を探し摂取できるように発展してきた。生物としては飢餓にさらされているのが常態であるにも関わらず、現代はかつてないほど多くの食に囲まれ、高カロリーの食とそのイメージの侵襲を受ける。画像を眺めることで多くの人が視覚的食品にさらされ、より過剰に食べ不健康へ誘導されるの。ネット以前は行き当たりばったり、店の外観とメニュー看板だけで選んだものだが、いま、料理屋や居酒屋の検索サイトは価格、料理や外観、内観の画像、口コミまで公開する。

音楽から照明、はたまた店内の香りから椅子の座り心地にいたるまで、環境は食体験に影響を与えらえるし、多くの例では実際に影響している。

整頓され清潔な店が良いというわけではない。床は土間で狭いカウンターに雑然と群がっても、それを求める人には雰囲気になる。高級レストランへ行く人が場末の屋台へも行く。雰囲気が変われば料理や酒の味が変わり、ときには変えたいこともある。ここに店の戦略が絡む、高級ステーキを立ち食いで安く提供するレストランがある。客の回転を速め薄利多売で利益を上げるモデルだ。さらにテンポの速い音楽を大音量で流すと、客は口数が減り、たくさん食べ、短時間で店を出るという。数値で示すと「バーの音楽の音量が22%大きくなれば、客の飲む速さが26%上昇する」。

おしゃれなカフェなのに、硬くて座り心地の悪い椅子が使われていることを不思議に思ったことはないだろうか?簡単に言ってしまえば、そうした店はあなたに長居をされたくないのだ。

快適な雰囲気づくりと逆の戦略もまた店にとって重要なものだ。マクドナルドでは10分以上座り続けると居心地の悪さを感じるようにするのが座席デザインのルールになっている。客の滞在時間をさほど重要視する必要のない高級レストランでは食事空間の印象を良くし、居心地の良さを演出することで料理の評価を高める。居心地戦略に両極があるのは収益に見合う経費との関係だ。イギリスの伝説のシェフ、マルコ・ピエールは次のように語っている。

料理が好きだから店をやっていると言うシェフは嘘つきだ。1日が終わってまず考えることは金のことだろう。自分がそうなるとはまったく思っていなかったが、実際に私もそうしている。楽しくはない。銀行に借金を返すために週6日間自分を殺すのが楽しいはずがない...儲からなければ、何もできない。人は社会の囚人なのだ。1日の終わりに、金の計算という別の仕事をやることになる。

「社会の囚人」とは当意即妙、人間である限り、あらゆる局面について回る。しかし「結局、金じゃないか」と短絡視してはならない。「人はパンのみにて生きるにあらず」ともいう。著者は最後に10項目の健康的な食生活を提言している。「食べる量を減らしながらより多くの満足を得たい」。飽食可能な環境にあって、食生活が欲望や錯覚に流されるのは危うく、ガストロフィジックの日本語訳に「食と錯覚」を結び付けたのは示唆深い。

 

植物はなぜ薬を作るのか 斉藤和季

過去30年間に開発された新薬の起源を調べると、純粋な化学合成で得られたものは約4割で、あとの6割は天然から得た成分や構造の主要部分が天然由来であったり、天然の合成経路を参考に開発されている。植物は薬の開発資源として欠かせないが、成分や生物活性の研究が為されたのは全体の10%未満でしかない。本の帯には次のように書かれている。「植物は動かない生き方を選択したがための生き残り戦略として薬の元となる多様な成分をもたらした」

薬学部で生薬学の研究室を持たない大学はあり得ない。現在は細分化され天然物資源学、薬用資源学などと名を変えたり、生薬とは無縁な呼び名の研究室もある。いずれにせよ生薬学は薬学の重要な一角を占める。古くは本草学といい、薬用の視点から天然物を研究する学問であった。本草綱目という成書はあまりにも有名だ。その流れは現在、日本薬局方という公定書に受けつがれ、約300種類の薬草の起源、性状、用部、成分、確認試験、純度試験などを定めている。

神農本草経では365種の生薬を「上品」「中品」「下品」の3品に分類し、君臣佐使の位を付して薬効や毒性を伝えた。

  • 上品(君):生命を養い無毒・多服久服してよい・軽身益気・不老長寿(甘草・人参・桂皮・柴胡等)
  • 中品(臣):性(体力)を養う・使い方次第で無毒にも有毒にもなる・病気を予防し疲労を補う(当帰・芍薬・麻黄・葛根・苦参等)
  • 下品(佐使):治療薬・有毒であり長期服用してはならない(大黄・附子・半夏・杏仁等)

生薬の利用における基本と考えていい。毒性のあるものは大量、長期の服用を避ける。煎じたり茶とするのは、主に水で抽出される成分を摂るためで、毒性の少ない上品はときに分量を増やしたり、粉末で丸ごと摂るほうが効率が良く、下品は毒性を考慮し粉末での摂取を避ける。

1804年頃、ドイツの薬剤師ゼルチュルナーがアヘン(ケシ)から鎮痛作用を示すモルヒネの単離に成功し、薬の有効成分や化学構造を解明する近代薬学の幕開けとなった。モルヒネは強力な鎮痛作用と同時に陶酔・耽溺性があり麻薬として厳しく規制されている。他にも血圧低下や呼吸抑制などの毒性を備え、動物がケシを大量に摂取すると死に至る。動かない生き方を選んだケシが捕食者となる動物から身を守るためモルヒネを作り出した。

三大習慣性物質のニコチンは依存性とともに血圧上昇、悪心、めまい、嘔吐を引き起こす。タバコの葉を昆虫や小動物がかじると、ニコチンの神経毒による障害を起すが、かじられた葉はさらにジャスモン酸メチルという信号伝達物質を産生する。この物質が働き、根にあるニコチンの生合成をつかさどる遺伝子の活動を促し、次の捕食者に備え更に多くのニコチンを葉に溜めて防御する。

人間よりも解毒作用の弱い動物や昆虫にとって、カフェインを含んだ植物は口にしてはいけない恐ろしい毒草なのです。摂取量にもよりますが解毒作用がまだ発達していない人間の赤ちゃんにとっても同じように危険です。

カフェインは嗜好品のコーヒー、紅茶、緑茶等に含まれ能率アップ、眠気防止の代表である。ガンや病気の予防、長寿などの薬効を謳う成分もあるが、カフェインは毒性を有し、最近エナージドリンクという高濃度のカフェイン飲料の飲みすぎによる死亡例が出ている。成人にはカフェインを解毒分解する酵素があるため通常は問題にならないが、小児や小動物、昆虫には危険な毒草だ。またコーヒー豆は地面に落ちて芽生えるとき大量のカフェインを周囲に放出し、他の競合植物の芽生えを阻害する。カフェインの類縁物質であるテオブロミンはカカオ豆に含まれ、カフェインと同様の作用を持つ。コーヒーや茶には警戒するが、孫の歓心を買うため、ジジババは求められるままクッキーやチョコレートを与える。危険に対する善意あふれる無知は責められなければならない。

漢方薬のみならず食品分野でもっとも利用されるのが甘草だ。砂糖の30〜150倍もの甘味成分であるグリチルリチンを含有し、漢方では味の調整に用いるが、漢方家は「薬効の調和と増強を図る」という。醤油をはじめ佃煮、漬物、飲料、菓子など多くの加工食品に利用される。グリチルリチンの構造を変えたグリチルレチン酸は抗炎症作用があり医薬品や化粧品に広く用いられる。

おそらくグリチルリチンもこのサポニンの毒性によって、甘草の根やストロンを動物や昆虫、微生物などの外敵から防御する役割を担っていると考えられます。人間が少量を食するだけならば毒性はありません。

グリチルリチンは炭素30個からなる化合物で水と脂の両方に馴染みやすい性質を持ち、石鹸のような働きをすることからサポニンの仲間に分類される。サポニンは痰を切り、咽の痛みや炎症を和らげる作用があり、同じくサポニンを含む桔梗、遠志などと一緒に用いることがある。石鹸のような界面活性作用で水と油のような相いれない物質を溶かし込むため、細胞膜に穴をあけたり、破壊する毒性を持つ。少量を摂るだけなら人への毒性はないが、漢方薬に配合される生薬の中で甘草による「偽アルドステロン症」は最も多い副作用として知られている。偽アルドステロン症とは甘草の成分であるグリチルリチンが腎臓のステロイド代謝酵素を阻害することで低カリウム血症となり血圧上昇や浮腫が起こり、さらに全身脱力や不整脈、重症例では横紋筋融解症を発症することもある。甘草は煎じて飲むなら1日3gを超えないよう注意喚起され、粉末では1日0.5〜1.0g、できればこれ以下が望ましい。

ポリフェノールという成分があちこち闊歩しているが、5000種以上もの代表的な植物成分だ。たいがい抗酸化作用、活性酸素などの用語とセットで流布される。動植物の体内では酵素反応によって生じる活性酸素やフリーラジカルがDNAを損傷し、がんや動脈硬化、炎症などを引き起こす。フラボノール、フラボン、カテキン類、アントシアニン、イソフラボンなどのポリフェノールが体内に生じた活性酸素を捕捉し解毒することを抗酸化作用という。植物は日光を浴びることで紫外線や乾燥による酸化ストレスを受けるため、ポリフェノールを多く含む植物ほど活性酸素に対する耐性が強い。赤紫蘇のアントシアニンは表皮に多く含まれ有害な紫外線を吸収し、その下層の細胞を保護する。

植物が作り出す薬は自然の恵みでも、贈り物でもなく、長い年月をかけて築き上げた生存戦略を人間が有効利用するもので、植物が生産する防御物質と薬が持つべき性質とが共通するため可能となる。共通する性質とは、強い生物活性と豊富な化学的多様性である。生物活性とは生物に作用し、なんらかの生体反応を起こさせ動物の動きを阻止するもので、良く効く優れた薬の条件と一致する。ケシのモルヒネの他、ハシリドコロのアトロピンは瞳孔が散大し視力が落ち、心拍数が増加、中枢興奮、めまい、幻覚の症状を呈する。人はこういった作用を散瞳や鎮痙に用いる。黄連、黄柏のベルベリンは抗菌作用を有し、病原菌の感染から植物自身を守るが、人は下痢を止める整腸剤として利用する。すべての植物が同じ防御物質では動物が耐性を獲得するので生物活性と同時に化学的多様性を備え、他の植物が真似できない成分を作る必要がある。人が抗菌剤を開発するうえで、容易に耐性菌が現れないような作用点や作用機序の異なるものを目指すのと同じ理由だ。

いろいろな植物種が作る化学物質の多様性の大きさは、植物自らの化学防御の点からも重要ですが、同時に植物成分を使う人間の側から見ても、新薬の開発という点から有益なことなのです。

植物由来の多様な化合物はいったいどれくらいの数になるのか。ひとつの植物に含まれる特異的な成分は平均4.7個とされ、それに植物の総数22〜26万種を乗じると約100万個の成分が考えられる。データベースには22000種の植物から51000個の化学成分が集められているが、生物活性物質は植物種全体の10%に過ぎない。実験室や工場で合成すれば設備も道具も費用もかかるところ、植物は小さな精密化学工場で自然を汚すことなく作り出す。合成には一次代謝と二次代謝があり、一次代謝は光合成と呼ばれすべての植物に共通のものだ。

一次代謝成分は生物が最低限"生きるための成分"であるのに対して、二次代謝経路で作られる二次代謝成分は"よりよく生きるための成分"です。

二次代謝産物は基本的な細胞活動に必須ではなく、ある生物種にだけ存在するもので、なくても直ちに生命活動に支障をきたすわけではない。植物が「動かない」という生存戦略をとったため、外敵に対する化学防御や繁殖のために重要な役割を担っている。ファイトケミカルと呼び、薬やサプリメントに用いる物質は主にこの二次代謝産物に他ならない。二次というと一次より重要性が低いという誤解を受けるので「特異代謝」という呼び方に変えようという動きもある。

植物は化学防御の目的で、昆虫や動物などの捕食者、微生物、他の植物に対する毒成分を作ります。毒成分は標的タンパク質の作用を止めるなどして毒性を発揮します。

毒成分は当然ながら植物自身にも毒となるはずです。それではなぜ植物は自ら生産する毒性成分に中毒を起こさず、耐えられるのでしょうか?

自己耐性のメカニズムはすべて明らかになっていないが、わかっていることがいくつかある。植物は細胞内に液胞をもち貯蔵庫のような働きをする。そこに自ら生産した毒性成分を蓄えておくことで他の部分から隔離される。その際、糖を結合させ、配糖体という毒性を無くした化学構造にしておく。外敵が来れば液胞の外にある酵素で糖が外れ毒性を発揮する。タバコのニコチン、黄柏、黄連のベルベリン、ヒマの実のリシンは毒成分のまま液胞に溜める。ラベンダーなどのハーブ類の精油成分は他の植物や土中の線虫などの成長を阻害するが、直ちに土壌に放出するとともに腺毛という植物表面の突起状組織の空洞に溜めることもある。香りに癒され、天然の恵みに感謝するのは幸いなことだが、香りの本来の目的は癒しではない。漢方家や植物療法家は自然は体に優しい、薬草を組み合わせることで効果は増強し副作用は緩和されるという。

植物は私たち人間に「優しくするために」、私たちの「体に良いもの」を作っているわけでは決してないのです。植物は、厳しい進化の歴史の中で、極めて巧みに設計された精密化学工場によって、多様な化学成分を作るという機能を発達させて、進化の歴史の厳粛な審判に耐えてきたのです。それを、私たち人間は少しだけお借りして使わせてもらっているに過ぎません。

生薬を研究する著者へ次のようなコメントや質問が寄せられる。「生薬や漢方薬は植物からとれるから体に良い」、「西洋薬に比べ生薬や漢方薬は副作用がない」、「植物成分を使った薬や健康食品は、人工合成じゃないから体に優しい」..著者は、「研究者としては嬉しいが、私はいつもどこか釈然としない思いで、心のなかで少し苦笑いをしながら対応していました」と吐露する。植物の側から見たときには全く違った見方になるからだ。

 

地図から消される街 青木美希

福島第一原発事故から7年間、著者は事故を追い続けている。報道は少なくなったが事故は終わらない。今も原子力緊急事態宣言発令中で解除はされていない。国民に知られないように国は努めて平常を演出し復興を叫ぶ。事故直後、避難者は憐れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、もっとも恐ろしい無関心がはびこる。著者はゼンリンの住宅地図を手に浪江町の中心街を歩く、地図は2010年以降は作られておらず、今後作る予定もないという。2010年の地図を見ると中心街は金融機関が並び、美容院や喫茶店、商店など約60店舗がひしめいているが、いまは建物が傾いたり、壁が倒れた廃屋が並ぶ。看板の文字はもう読み取れないものもある。

中心街の名前すら、現地ではもうわからない。近所の人の消息が4年もわからない。街が名前をなくす現実を目の当たりにした。

震災だけなら、復興は着々と進むはずだった。原発事故でまき散らされる放射性物質のために故郷を追われ、もうそこへは戻れない。被災者は知人の訃報に触れ悔しさを吐露する、「先の見通しがつかないから死ぬんだ。もっと自殺者が出るぞ」。自殺や体調を崩して亡くなる人が続出した。「放射性物質さえ取り除けば」、早く故郷に帰りたいと思う人々の除染に対する期待は大きい。汚染は広大過ぎて山奥まで分け入って除染するわけにはいかない。住宅の屋根でさえ拭き取っても線量は下がらない。まともにやっていたら家一軒に3日はかかる。夕方住民が居なくなったとき、高圧洗浄機でいっきに流す。流した放射性物質は地面や排水溝へ移行するだけで回収はしない。除染ではなく移染だという、除染範囲外に投げるように指示される。作業員は労賃を搾取されたうえ被曝にもさらされ、その実、除染は果たせない。

除染現場の路面に線量計を近づけると1.4〜1.8μSv/hで揺れ動く、流れる濁った水は最大2.9μSv/hまで跳ね上がる。より多くの放射性物質が枝葉に付着し、これが岩に溜ったままになっている。

線量が各自治体や議会が求めた年1mSvまで下がっていない場所が多い。除染を行った場所も限られている。線量の高い山は除染しておらず、放射性物質が山から流れてきて再び線量が上がる住宅地もある。家の中も除染対象外だ。それに加え、除染がきちんと行われていない事例がまだ出てきている。いまなお、これが現実なのだ。

福島の農水産物を見かけると、心優しい人々は復興支援の絆をつなぐ。基本の除染でさえ現状は杜撰だ。食品は原発事故前の基準に比べ100倍も緩められており、その基準さえクリアできないものがある。シンチレーション検査に1検体、通常1〜2時間かかり、検査機関に委託すれば3〜5日間の日数を要する。それをわずか10秒ていどのスキャンで通しているという。不合格であれば薄め、あるいはクリアできる別の検体を探す。除染の誤魔化しと同じことがここでもおこなわれる。国会は空前絶後の公文書の改ざんや隠蔽で揺れているが、統計の数値や内閣支持率、国政選挙の5戦5勝も本当なのか。

報道にあがってこない汚染や健康被害は福島だけではない。中国産といえば農薬汚染で嫌われるが、その中国が東北・関東10県の食品輸入を禁止している。少し考えればわかることだが相変わらず国産を信仰し、中国産を排除する消費者は多い。健康を考えて食物を選ぶ人を指さし、風評被害だという。空前絶後の改ざん・隠蔽といったが、政治家や官僚にとって都合の悪いことは今までも隠されてきた。いまの政権が粗暴で幼稚すぎてバレたのであって、彼らが明敏でなかったことは救いだ。

コメに基準超の汚染が発見された場所は、人々が現に暮らしている地域を含んでいる。第一原発構内に入る自分たちも知らなかったくらいだから、住民にはまったく知らされていないだろう。飛散を知らずに放射線の粉塵を吸ったかも知れない。公表すると、「今でも危ないんじゃないか」と大騒動になるうえに、帰還する人がいなくなるから、国がうやむやにしているんだろうな..

説明会で「セシウムは今日も飛散しているんですか」という出席者の質問に東電社員は、「通常時において、1時間に1000万ベクレルは出ていると報告させていただいています」と答えた。風評の欠片もない正真正銘の実害ではないか。一般に向かっては風評といい、健康を考え食材を選ぶ人々を「放射脳」と揶揄する。

いま進行し、これから起るであろう健康被害は放射性物質を抜きにしては考えられない。しかし原因不明、因果関係ナシと事故をなかったことにする動きが加速する。事故当初「4兆ベクレル」とされた放射性物質の放出量は計算し直すたびに値が小さくなり、最終的には1/36にまで減った。なかったことにしたい理由は唖然とするものだ。避難指示解除をすすめ、賠償を打ち切り、東電を守るためだという。2011年福島の事故を見ていちはやく脱原発に向かったドイツは、再生可能エネルギーの比率が3割を超え、あと4年で原発の全廃を達成する。同じく福島の事故を見た台湾も2025年までに原発全廃を決めた。地震が頻発し、ひたひたと迫る不安のなか、自民党の議員連盟は先月以下の要請をおこなった。

自民党の電力安定供給推進議員連盟の細田博之会長らは20日、世耕弘成経済産業相と経産省で会談し、原発の早期再稼働を要請する提言を手渡した。提言は、政府が7月に閣議決定する予定のエネルギー基本計画について「原発を主力電源とする位置付けを明確化する」ことなどを求める内容。細田氏は会談で2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、原発の再稼働が進まず、立地自治体の雇用、経済に影響が出ていると指摘。「政府は(再稼働に向けた審査と地元支援措置を)スピードアップしていただきたい」と要望した。世耕氏は「安全が大前提だが、必要な対応を着実に進める」と語った。(2018/06/20)

放射性物質の放出は間違いのない実害だ。これに注意を払う人々はダメージの大きい子供を守るため夫婦分かれても避難の方法を選ぶ。福島どころか都内を離れる人々さえいる。絶対の安全が失われたいま、福島に限らず原発の立地地域の農水産物や居住に注意を払い、全国展開するファミレス、居酒屋、食品スーパーを避け比較的安全な食を選ぶ。しかし、個人の安全対策には限度がある。本来、やるべき対策を国や電力会社が怠るがため国民に降りかかってくる。著者は避難した人々や子供たちへの「いじめ」について、1章を割いて切々と訴える。原発事故は、新たないじめのカテゴリーを生み出しているという。都内でいじめに遭った自主避難者の少年の話だ。

「学校でいじめられるのも、『将来、病気になるかも...』と不安に思いながら生きるのも、家族が離れ離れになるのも、僕たち子どもです。僕たちは大人の出した汚染物質とともに生きることになる。

サッカー、野球、政治スキャンダル、悲惨な事件が報道され、これらは原発事故の現状を忘れさせるのに十分な役割を果たす。しかし、片時も絶対に忘れないたくさんの人々もいる。国や電力会社は対策や責任をとらず、なかったことにしようとする。ずっと福島第一原発で技術系の仕事を担っている男性はいう。がれきは取り除かれ外観は整っているが、外から見えないところが問題だ。通常の廃炉作業でも30年かかるが、燃料を取り出す方法もわからない福島第一原発の廃炉作業は30〜40年どころか何年も続くだろう。地図から消される街は、子供の喧噪も、喜怒哀楽も人々の営みもすべてが消される街なのだ。

政府は原発の数キロ近くまで住民の帰還政策を進めているが、現場の一人として言いたい。「まだダメだ。帰るんじゃない」

 

ワクチン副作用の恐怖 近藤 誠

なにか重大な病気で苦しんでいるときは、ある程度のあぶない治療でも、人はしぶしぶうけるものです。しかしワクチンは、予防が目的です。健康な子や大人に接種するので、なにごとも生じなくて当たり前。重い副作用がでたら大変です。

ワクチンの副作用を業界用語で「副反応」といい、副作用の悪しきイメージを薄めようと努力しているという。全き健康体であった人がワクチン接種が原因で病気や障害をかかえ最悪、死に至るというのは理不尽だ。審議会委員は「100万人あたり、まとまって5人死亡しなければ急ぎの検討をしなくてよい」としている。年間4回接種するヒブワクチンによって、毎年生まれてくる子の8〜12人が死亡している。しかし、100万人あたり5人までに達していないとして「急ぎの検討は必要ない、重大な懸念は認められない」と片付ける。以下は審議会のやりとりの一コマだ。

事務局:「報告頻度が10万接種あたり0.2〜0.3ということで、急ぎの検討が必要とされる10万接種あたり0.5という値を下回っていることを確認しております」

座長:「ご審議いただきましたワクチンにつきましては、これまでの副反応報告によって、その安全性において重大な懸念は認められないという判断でよろしいでしょうか。ありがとうございます。では、そのようにしたいと思います」

地上の空気を吸い産声をあげる。光を浴びてこれから歩きはじめる子供たち。苦楽を味わうこともなく去り行くわが子をどんな気持ちで見送れというのだ。「重大な懸念は認められない」。あまりにも軽く、あまりにも無責任、これが専門家なのか。94歳の女性に接種された肺炎球菌ワクチンでは35分後に全身状態が悪化し、その15分後に死亡が確認された。審議会では暫定的結論として「ワクチン接種後、短時間に死亡に至っているが、情報不足のため、ワクチン接種との因果関係は判断できない」とした。肺炎球菌ワクチンが有効とする試験データを精査すると副作用の記述が抜けたり母集団の人数に違いがあったり、信頼に欠けるものであった。しかし、他の原因であれ肺炎であれ死亡数は確実に把握できる。その数字はプラシーボ群80人、ワクチン群89人だ。スウェーデンで実施された試験では「市中肺炎の発症率」はプラシーボ群16%、ワクチン群19%とワクチン接種群が発症率が高く、肺炎球菌肺炎の発症率もプラシーボ群4.5%、ワクチン群5.6%と高くなっている。こういったデーターを分かっていながら審議会はワクチンの定期接種を決めた。

その結果、年に100億円以上が国庫から製薬会社に流れていますし、死亡を含む多くの副作用が発生しています。

専門家や審議会の判断は金銭バイアスで曇っている。ワクチンには有効なものもあるが、有効=必要とは一概に言えない。1950年代大流行したポリオは生ワクチンの導入によって発症数が激減し、1980年を最後に終息した。有効性に疑いはないが、弱毒株ウイルスのため周囲の人に感染し麻痺を起こすことがある。大流行が終息した後もポリオ患者の発生はあるが、殆どがワクチン株によるものだ。ワクチンの役割は終わったものの、いまは百日咳ジフテリア破傷風3種混合ワクチンにポリオ不活化ワクチンを加え4種混合ワクチンとして接種され、接種率も99%になる。ポリオウイルスは大便を介して他の腸内で生育する循環があるため、汲み取り便所と井戸の両方を使うところで感染の可能性が出てくる。上下水道の整備された現在の日本ではほとんど心配いらない。

麻しん(はしか)の予防には弱毒化したウイルスである生ワクチンが有効である。日本は2015年にWHOから麻しん排除国に認定されたが、輸入麻しんの恐れがあるので接種を続けるべきだという。2016年、関西空港で外国人観光客からと思われる集団感染が発生し、従業員33人が麻しんと診断された。ワクチン未接種者も含め全員が軽快している。うち17人はワクチンを接種していたが、なぜ感染したのか。麻しんは「二度ナシ病」といわれ自然界のウイルスによって発病すると免疫力がつく。免疫力は徐々に低下するが以前はしばしば流行があったので症状は軽くとも感染で免疫力が維持された。17人の接種組は免疫力の低下による発症と考えられる。欧米では20世紀に入って麻しん死亡率が自然低下し、日本も1960年代から激減しゼロに近くなった。国民栄養状態の改善が大きく貢献したものと思われる。麻しんより麻しんワクチンの副作用にこそ注意が必要だ。

風しんワクチンは麻しんと同じく弱毒化ワクチンを接種し「二度ナシ病」といわれるが、自然感染が減ってワクチンでの抵抗力は減弱する。女性が妊娠初期に風しんにかかると、先天性心疾患、難聴、白内障の障害を持った赤ちゃんが生まれてくる可能性がある。妊娠することのない男子への必要性は薄く、女性だけが妊娠可能な年齢になってから接種するという方策もある。

三種混合ワクチンは百日せきジフテリア破傷風を対象とし、これにポリオをくわえて4種混合ワクチンとなっている。抗菌薬のなかった時代には猛威を振るったが19世紀末から死亡率が激減し、栄養や環境の改善で死亡率はほぼゼロで、発症しても治療によって治る。必要もなく役割も終えたワクチンに何らかの理由をつけて接種を勧める。副作用の伴うワクチン接種で誰が得をするか考えたほうがいい。

ともかくも、事前に専門家たちが副作用だと判断したケースが、審議会では認定されず、握りつぶされてしまう。これがワクチン行政の実態です。

日本医師会のサイトに「ヒポクラテスの誓い」が掲げられ、その3番目に、「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」とある。医学を修めた専門家が副作用を指摘する一方で、握りつぶす専門家もいる。あがってきた副作用は審議会が情報不足、因果関係不明としてしまうので、添付文書、副作用報告には記載されない暗数がある。死者が出ても、「偶然起こったもの」として処理され副作用と認定されない。報告された副作用は副反応と言いかえて軽く無視する。

脳症:頭痛、発熱、嘔吐、意識の混濁、視力低下、手足のまひ、歩行障害、知覚低下など、症状が一時的で回復する人もいれば、永続するケースもある。代表的なものの一つが麻しんワクチン。

多発性硬化症:脳や脊髄神経がおかされ、視力低下、四肢の運動麻痺、手足のしびれなど多彩な症状を呈し、認知機能の低下が生じることがある。B型肝炎ワクチン導入直後から多発している。

自閉症:脳機能が障害され他者とのコミニュケーション能力が乏しくなり、こだわりが強くなる。原因として遺伝的素質が考えられるがワクチン接種との関係が指摘されたことがある。

ナルコレプシー:眠り病ともいわれ、場所や状況を選ばず日中、強い眠気発作を起こす。新型インフルエンザワクチンによって多数の子供に生じた事件がある。新型インフルエンザワクチンでの死亡例もある。2009年に輸入された新型インフルエンザワクチンは10月から接種が開始され、翌年3月までに2200万人が接種を受け、131人が亡くなった。通常の季節性インフルエンザワクチンは1シーズンで5000万人に摂取され死亡報告は3人程なので、異常に高率である。新型インフルエンザワクチンはアジュバンド(補助剤)を加えたため免疫システムの活性が高まり副作用死が増えたと考えられる。

アジュバンド病:不活化ワクチンの免疫系を活性化させるためにアジュバンドを加えたことで、関節炎、筋肉痛、重度の倦怠感など多彩な副作用が起こる。接種部位にはしばしば軟部組織のがんである繊維肉腫の発生が知られている。

アジュバンドの副作用といわれるのが子宮頸がんワクチンだ。実は子宮頸がんワクチンと言うのは日本だけで、このワクチンで子宮頸がんを防いだという症例は世界で一つもない。ヒトパピローマウイルスの感染はある程度防止できるので日本以外ではヒトパピローマウイルスワクチン(HPVワクチン)と呼んでいる。国が副作用を認めないため現在、4つの地方裁判所で係争中だ。関節痛、筋痛、倦怠感、認知機能低下などアジュバンド病のうちマクロファージ性筋膜炎でみられるものと同じである。昨日まで健康全開だった十代の少女が苦しんでいるのに、副作用は認めず、逆にワクチン接種の再開を画策する。

これら製薬会社も、いまだワクチンと後遺症との因果関係を認めず、それどころか、接種の積極勧奨を再開するよう働きかけをおこなっています。厚労省と製薬業界は持ちつ持たれつの関係にあるため、厚労省はいやおうなしに訴訟に引きずりこまれた、との見方も可能です。

この構図は新薬や医療行政全般に通じるもので、近藤氏は別の著書で「安易に医療に近づくな」とも提言している。本書でも「医師の口から安全と聞いたら、心のなかで危険と読みかえるのが身のため」という。真の意味で安全な医療行為など、ひとつもない。

最後に「わが子と高齢者を守る、ワクチン最新十か条」の提言があるので、いくつかを簡潔にまとめた。

  • 赤ちゃんは免疫システムが未熟な状態で生まれ、その後、いろいろな
    病原体に感染することで、免疫システムが徐々に成熟する。
  • インフルエンザなどの発熱は、免疫システムの働きを助ける。
    解熱剤で下げると、免疫システムの働きが落ち、治るのに時間がかかる。
  • 人類はながく、近代的なクスリなしに存続し繁栄してきた。
    いま100歳超の長寿者は、種痘ワクチンくらいしかない時代に育った。
  • 人やわが子に自然にそなわる、種々の病原体に対する抵抗力や免疫力を
    もっと信じてよい。
  • インフルエンザも肺炎球菌肺炎も、ワクチンでは防げない。
    それどころか副作用が強く死者もでる。肺炎で亡くなるのは自然の摂理、
    ワクチンで死ぬのは不条理。
 

東京が壊滅する日 広瀬 隆 著

「原子の火」が再びともった。東松浦郡玄海町で23日、原子炉を起動させた九州電力玄海原発3号機。「とにかく安全に」。中央制御室では、緊張した面持ちの関係者の声が響いた。静寂に包まれた作業現場とは対照的に、敷地の外では再稼働に反対する市民が「起動のボタンを押すな」と抗議の声を上げた。(2018/3/24:佐賀新聞)

7年の月日を経てここ佐賀で原発が再稼働した。10万年の危険を考えると7年はまたたく間にも及ばない。フクイチの事故を1日たりとて忘れることはなかった。事故はいまも進行中なのだ。しかし、目のまえの原発が停止している事はかすかな安心でもあった。長く休止していた原発の再稼働は高い確率で事故が発生するという。稼働後の報道を固唾をのんで見守っていると、果たして10日も待たず事故が起こった。幸い2次系設備の蒸気漏れで放射能漏れはないとの報告だ。

玄海原発3号機(東松浦郡玄海町)の2次系設備の配管から蒸気漏れが起きた問題を受け、九州電力は1日、点検を実施し、配管に直径1センチの穴が空いていたことを明らかにした。

九電によると、原子炉建屋外で、放射性物質を含まない水が循環する2次系配管の一部の「空気抜き管」を、1日午後2時20分から点検した。作業員15人が配管に付いていた保温材を取り外し、穴を見つけた。蒸気漏れは3月30日夜に発生、点検には高温の空気抜き管の温度を下げるためタービンを止める必要があり、九電は翌31日に発電と送電を停止した。原子炉は停止させず、核分裂が安定的に持続する「臨界」状態を保っている。

元東芝・原子炉格納容器設計者の後藤政志氏の話:2次系のトラブルなのでそれだけを捉えて危ないと言うのは妥当ではない。ただ、再稼働した原発では川内(鹿児島)、高浜(福井)と立ち上げ時のトラブルが続いている。7年3カ月も止まっていれば、劣化があるのは当たり前。今回2次系だったのは単なる偶然で、安全上重要な設備で起こってもおかしくない。電力会社はリスクを理解すべきだ。(2018/4/3:佐賀新聞)

水蒸気漏れした配管設備の写真が新聞に載った。錆が吹き出しあからさまな腐食が見て取れる。これを大丈夫、安全として動かすなど狂気の沙汰だ。原発は大規模な給湯設備のようなもので、一般の給湯設備の寿命は8〜10年、今回再稼働した3号機は1981年から37年間稼働しているのだ。原子炉の炉心など1次系は十分な点検と安全が図られているのだろうか。給湯設備より過酷な環境で酷使し続けで37年、甘く許容しても20〜25年が稼働の限界だろう。23歳で購入した家電や車を今年還暦を迎えた人がいまも使い続けているだろうか。これを50〜60年稼働させようというのだ。設備の劣化に乗じるように、最近地震が頻発し火山の活動も活発化している。4/1〜4/15の2週間に発生した震度3以上の地震は13回で、島根県西部で震度5強、震度4が4回、根室半島で震度5弱、愛知県西部で震度4.. これらの地震を引き起こす活断層の間や真上で原発が稼働する。

チェルノブイリ以来、広瀬氏の著作が出るたびに購読を続けた。本書はフクイチ事故後、4年目に出版されたもので日々風化する原発事故の再確認を促す内容であった。今年で7年、10万年の危険から逆算してあと99993年の月日が待ち受ける。75日で忘れるヒトの想像力など及ぶべくもない。2010年に出版された「原子炉時限爆弾--大地震におびえる日本列島」、広瀬隆著の翌年、東日本大震災とフクイチの原発事故が起こった。まさに警世の書となったのだが、本書がそうならないよう「祈る」。

はっきり言えば、数々の身体異常と、白血病を含む「癌の大量発生」、である。これらの病気が、幼い世代の子供、青少年から早く発症することは、現在では誰でも知っている。

福島第一原発3号機ではプルトニウム発電がおこなわれており、爆発で超猛毒のプルトニウムは空高く噴き上がり、アメリカのロッキー山脈まで到達していた。フクシマ原発事故から2週間後の2011年3月30日、ヨーロッパ議会によって設置された「ヨーロッパ放射線リスク委員会」がデータを解析し、東日本地域で今後予測される癌患者の増加数を発表している。

福島第一原発から100キロ圏内では、今後50年間で19万1986人が癌を発症し、そのうち半数以上の10万3329人が今後10年間で癌を発症する。それより遠い100〜200キロ圏内では、今後50年間で22万4623人が癌を発症し、そのうち半数以上の12万894人が今後10年間で癌を発症する。

200キロ圏内といえば首都圏に迫り、人口密度を考えると200キロ圏内で今後50年間で約40万人が癌になり、200キロを超える地方もグレーゾーンにある。300キロ圏内に広げると福島・宮城・山形・群馬・栃木・茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川の全域、岩手・青森・秋田・静岡・山梨・長野・新潟の一部になる。「復興」といい避難指示を解除し帰還を促す、復興支援と称して被災地の食材を全国に流通させる。いま福島そして全国で「すさまじいまでの安全キャンペーン」がおこなわれ、事態の深刻さを薄めようとする。誠実で優しく善意あふれる人々が安全キャンペーンを手伝うのを見ると「少しつきあおうか・・」という気にさえなるが、食材については国内外を問わず広範に内部被曝の影響が及ぶため特段の注意が必要だ。

フクシマ原発事故が起こる前の日本におけるセシウム137の放射能レベルは、ほとんどの食品で1キログラムあたり0.2ベクレルだったのに、その500倍の100ベクレルでも「安全な食品」だというのである。魚介類では、事故前の日本近海魚の平均値は0.086ベクレルだったので、現在の基準100ベクレルでは、その1000倍以上でも「安全な魚」になって流通するのだ。  

※原発事故前(2011年)→事故後(2015年)のセシウム基準値(Bq/L)

  • 水:0.00004→10(250000倍)
  • 米:0.012→100(8300倍) 
  • 根菜:0.008→100(12500倍)
  • 葉菜:0.016→100(6300倍)
  • 牛乳:0.012→50(4200倍)
  • 魚類:0.091→100(1100倍)
  • 茶葉:0.240→100(420倍)

「ようやく出荷できるようになった」と漁師が感無量の表情を浮かべ喜ぶ。その魚は復興前の1000倍もの値を抱えどこへ運ばれ、誰の胃袋に収まるのであろう。日本の大手食品会社の食品は47都道府県のどこでも同じように流通するため、どこで食べても同じだ。大手外食チェーンも同じくどこで食べても同じだ。では100ベクレルが確実に守られているのかといえば、これも怪しい。少数のサンプリングで済ませ、高濃度の検体を排除したり薄めたり、検査体制は穴だらけだ。2015年当時、全ヨーロッパ諸国は福島県の全食品を輸入規制しており、岩手・宮城・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉のほとんどの水産物と大豆、米、キノコ類、山菜などを輸入規制している。福島以外の46都道府県の加工食品についてはこれらを50%以上含むものが規制され、輸出には放射能の厳格な検査証明書が求められる。「中国食材は農薬や環境汚染がひどいからイヤだ」と嫌う人も居るが、その中国が福島・宮城・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・新潟・長野の10都道府県の全食品を輸入停止にしている。

アメリカ政府の調査では、チェルノブイリ原発事故のセシウム放出量は10.5京ベクレル、福島原発事故は18.1京ベクレルでチェルノブイリ原発事故の1.8倍に匹敵する。日本はこの後の対応が酷い。大人の年間被曝基準量の1ミリシーベルトを緩め、20ミリシーベルトまでの被曝を認めた。それも子供、妊婦、かまわずにである。チェルノブイリ原発事故当時のソ連でさえ5ミリシーベルトで強制避難させた。いまも放射能放出は続いており原子力緊急事態宣言は解除されていない。

チェルノブイリ原発事故の死者の推計は2004年までにほぼ100万人に達した。一般には白血病、癌が知られているが、放射性セシウムが筋肉に濃縮して起こる心筋梗塞や狭心症など心臓に関わる病気が多い。事故から16年後のチェルノブイリで、事故前の10倍も心筋梗塞が増加し、23年後の2009年には死亡原因の54%が心臓病となった。福島原発事故以来、昨日まで元気だった人が心筋梗塞で突然亡くなる。癌とは無縁そうな若者に末期の癌が見つかる。こういった健康に関わる不調の頻発が全国的に起っていないだろうか。セシウムの他、地上最強の毒物プルトニウムや骨を犯すストロンチウムなど、これらは検査もされていない。病気や体調不良は広範に及ぶことを認識しておくべきだ。放射能が病気の原因だと言えば「放射脳」と揶揄する人もいるが、自分の身を守るのは自分しかいない。国はメディア統制までして事故を薄め、御用学者には放射能との因果関係なしと言わせる。一度に起これば阿鼻叫喚の地獄も、時を置いて少しずつ続けば慣れてしまう。

フクイチの事故からしばらくしてすべての原発が停止した。それから2015年7月まで2年近く原発ゼロが続き、猛暑時の電力供給にも全く支障がなかった。杜撰な避難計画や訓練を練りあげ、限定的効果しかないヨウ素剤を配布する。原発周辺自治体から稼働を不安視する声もあがる。なぜここまでして原発を稼働させなくてはならないのか。

原発を廃止すれば、彼らは原発資産の特別"損失"を計上しなければならない。つまり、電力会社が過去に原発にのめりこんだ失敗によって自ら生みだしたのが、その損失だ。この損失を隠すために、電気料金で消費者を恫喝し、無用で危険きわまりない不良資産の原発を再稼働できる資産に見せようとしているだけなのだ。

これだけのために自治体や住民に不安を強い、避難訓練に動員し労力まで削ぐ。事故がおこれば莫大な費用がかかり税金が投入される。お金で済むならいいが、命や健康を損ない10万年もの間、人の住めない大地が残る。今度事故が起れば日本列島には避難する場所がない。しかし、国は壊滅の日まで住まわせ続けるだろう。

【追記.1】3号機の事故は早々に対策を終えたとして発電と送電を再開した。そして4月下旬、停止中だった4号機への核燃料の装填が始まり、5月下旬の再稼働を目指す。九電は「安全確保を最優先に、慎重かつ丁寧な作業に努める」とのコメントを出した。

しかし、またも..

【追記.2】九州電力は3日、玄海原発4号機(佐賀県玄海町)で1次冷却水を適切に循環させるため設置するポンプ4台のうち2台で不具合が発生したと発表した。部品の交換や点検のため、再稼働に向けた工程をいったん停止する。早ければ5月24日に予定していた再稼働はずれ込む見通し。作業員の被ばくや放射性物質の外部への漏えいはなかったという。不具合があったのは、ポンプ内に放射性物質を含む1次冷却水が入りすぎないよう、水を循環させてブロックする部品。通常は1時間に約30リットルの水が流れるが、2倍以上の約70リットルが流れたという。(2018/5/3:佐賀新聞)

 

代替医療の光と闇 ポール・オフィット ナカイサヤカ訳

シュバイツアーは呪術医の価値を説明した。「呪術医は私たちの誰もがうまくいくのと同じ理由でうまくいくのです」と彼は言った。「患者は自分用の医者を自分の中に持っています。彼らはそのことを知らずに私たちのところに来るのです。医者が一番良い仕事をするのは患者の中の医者をうまく働かせることができたときです」

シュバイツアーは呪術医と領域を分けあい、治療可能な病気には治療と薬を提供し、呪術医で十分な患者にはプラシーボ医療を提供していた。同じく通常医療と代替医療も共に領域と価値がある。問題は通常医療の治療家がプラシーボ反応を取るに足らないと否定したり、代替医療の治療家が科学的思考を逸脱し、必要な医薬を与えずプラシーボで法外な治療費を要求することだ。死亡原因の3位は医療が原因とされ、通常医療への不信を抱く人は多い、だからといって代替医療を野放しにはできない。シュバイツアーのいう「患者の中の医者をうまく働かせる」のは代替医療に限ったことではなく、濃淡の差はあるが通常医療でも同様だ。通常医療では可能・不可能を明らかにし、普通の言葉で多くの人が納得できる科学的根拠を見出そうと努める。それに比べると代替医療は総じて特殊な理屈や古代の思想をもとにした独創・独断に傾倒しやすい。

およそ25万年前、地球に人類が登場し、病気を治そうと試みたのは今から5000年ほど前のことだ。今から200年ほど前までの治療は大概うまくいかなかった。紀元前400年、ギリシャのヒポクラテスは体液のバランスに着目し、色と結びつけた黄胆汁、黒胆汁、粘液、血液のバランスの崩れによって病気が起ると考えた。これから200年後、中国の治療師たちも同様の考えを抱くに至る。病気は身体のエネルギーバランスの崩れが原因だとし、バランスを整える治療を行った。

解剖が許されなかった当時の中国の医師は神経が脊椎から分岐することを知らず、神経も脊椎も脳も内臓も知らなかった。外から見えるものから内部を解釈した。中国に12の大河があることから生体のエネルギーが12の経脈を流れていると信じ、それを「気」と呼んだ。経脈には1年365の経穴があり、そこに針を刺すことでエネルギーの正常なバランスを取り戻すと考えた。病気の治療は1700年代後半になるまでずっとこんな具合に行われていた。鍼灸、漢方、アロマセラピー、整体、ホメオパシー、磁気、波動等、様々な代替医療はこういった古代の考え方に基ずく治療が現在も続き、科学的知見は理屈を補強したり説明の材料に使う。「古典に還り古典に学べ」とばかりに古書の記述を学び忠実に踏襲しようとする学習会もある。

1796年、ジェンナーの天然痘発見と予防接種、1954年、ジョン・スノウのコレラ大流行の調査、1876年、コッホの炭疽病の発見、1928年、フレミングのペニシリンの発見などを経て、医学は飛躍的に進歩した。人々がそれまで知っていたことは古代ギリシャ人と大して変わらなかった。医学の進歩に反して、代替医療はそこから古代への逆行が始まる。代替医療の治療家が通常医療に対して使う論法の一つに、「通常医療は学説や治療法が変転するが代替医療は何百年、なかには何千年も変わらずにいる」という。古典を百年一日のごとく踏襲すれば変わらないのが本当だ。こういった不変性を理論の正しさや安心の拠り所とする。通常医療は胚胎以来何世紀もの間、研究や試行によって進化し築かれ、いまも新しい医療情報を生みだし続ける。

科学技術を理解しない、そして科学技術におびえやすく、科学技術に失望しやすい文化に、精神心霊主義を売り込むのは容易である。

現代医療は精神性を欠き、代替医療はスピリチュアルかつナチュラルだと主張する。代替医療はオカルティズムや自己啓発など「精神世界(ニューエイジ)」へと裾野が広がる。科学で未解明かつ不可能なものを呪術思想や古代哲学で説明し、そこに科学的味付けを施すこともある。プラシーボが機能するためには、一般にいうスキルとは別の能力や振舞いが重要になる。秀でた治療家は「カリスマ」と呼ばれ、加持祈祷師の類に酷似する。藁をも掴もうとする人に、藁を掴ませることのできる治療家。そしてこれは代替医療に限らない。

複数の研究で、治療者の衣服、物腰、態度、言葉遣いによって治療の結果が違うという結果が出ている。

病状はわからない、治るかどうかわからない、というより、すぐによくなる、この薬で楽になる、という治療家のほうが患者の状態はよくなる。治療家が患者にかける時間が長いほど患者はよくなる。治療家の人間的魅力が治癒力となり、薬草、サプリメント、鍼など小道具に過ぎない。J・Nブラウは「自分の患者にプラシーボ効果をもたらすことのできない医者は、病理医になるべきだ」と書いている。問題はプラシーボが効くか否かではなく、「どうして効くのか?」である。水同然のホメオパシー、昆虫の糞、蛇や毒虫、ただの食塩水や小麦粉がなぜ効くのか。

これらの化学物質は植物から抽出されたものでも医薬品会社が合成したものでもない。人間の脳下垂体腺と視床下部で作られていた。シマフトとスナイダーはこの物質をエンドルフィンと名付けた。

1970年代の始め、脳内でモルヒネと結び付く受容体とエンドルフィンという化学物質を発見した。これは痛み、辛い食物、運動、オルガズムに反応し放出される。エンドルフィンをブロックするナロキソンの投与でプラシーボ反応が消えることからプラシーボ鎮痛の仮説が成立すると考えられる。プラシーボは心理効果だけに非ず、エンドルフィンが介在する身体的な機序であった。さらに1975年、アダーとコーエンによってプラシーボによる免疫抑制反応が発表され、追試の結果、マルチオ・サビオーニは副腎で作る天然ステロイドであるコルチゾルを学習によって放出できることを発見した。学習によって免疫反応を促進したり抑制することができるのだ。代替医療の多くはプラシーボより良く効くことはないが、一部効くものがないわけではなく、プラシーボより効かないとしてもまったく無益でもない。新薬の副作用や長期服用の毒性を考慮すると代替医療の役割や領域が浮かぶ。理論や科学の正当性は最重要課題ではないかも知れない。たとえ治療家がプラシーボを認めても、正しく患者へは伝えないだろう。

気と陰陽の脳内イメージが治療プロセスにとって重要であり、効果を消してしまうのかもしれない。あるいは患者が現代科学の警告よりも古い知恵があると保証される方によく反応するからかもしれない。理由が何であれ、欺瞞は治療の重要な一部といえる。

通常医療、代替医療すべての治療家にある種の欺瞞が存在する。プラシーボ効果が治療家の振る舞いにより、誘発、増強されるなら、もっとも効率よく引き出す方法を研究すべきであろう。肯定的な態度、確信に満ちた言動、有能な雰囲気は治療家に共通する心掛けだ。科学的Evidence、古代の五行論、波動や宇宙のエネルギー、祈祷など..何であろうと、癒しにはプラシーボ効果が関与する。治療家は各々が信じる「欺瞞」を確信とプライドを持って遂行し、患者が応えることで癒しが成立する。うまくいけばプラシーボなしでも癒しへの誘導が可能だ。治療家は自らが行う治療にプラシーボの認識があるだろうか。メタ認知といい、自分をひとつ上の視点で俯瞰する能力だ。しかし、実際は「欺瞞」にのめり込み信奉することが多く、存外その確信的な行為がプラシーボ効果を発揮する。メタ認知しつつプラシーボを利用しようという治療家は知識の迷宮に入るかも知れない。一方、「のめり込む治療家」は効果を発揮してもインチキ医療との境界を踏み越えてしまうかも知れない。

代替医療は有益になる可能性はあるが、プラシーボ医療をするものとインチキ医療をする者の間にははっきりとした境界線がある。線を踏み越えてしまうのは4つの場合だ。

  1. 役に立つ通常医療を勧めない
  2. 適切な警告なしで危険な可能性がある治療法を勧める
  3. 患者の蓄えを空にする
  4. 呪術的思考を広める

「いずれも治療に必要なものだ」と温厚かつ丁寧に説得され、たくさんの知識を披歴されると豊かな見識を備えた治療家だと思う。治療家自身が己を信じ込んでいると、さらに厄介だ。(3)の金銭に関することは誰もが具体的にわかるだろう。法外な治療費、サプリメント、医療器具もどきの道具、ときには絵やシールの類もある。健康保険の3割負担から推察し、医療機関で払う治療費のおよそ3〜4倍を超える金銭の負担は再考すべきであろう。命を削り取られることも、蓄えを削り取られることも被害だ。しかし、インチキ医療と思われるものに「のめり込んだ人」に対する助言は無駄に帰することが多く、友人、親類、家族であっても一人の人間が必至の思いで掴んだ藁を奪うことはできない。

 

徹底検証 日本の右傾化 塚田穂高編著

「右翼化」や「極右」や「右翼」など、遠い外国の話か、あるいは時たま見かける街宣車の類に限られた話かと思っていたら、いつのまにかわれわれが暮らすいまの日本社会そのものをめぐって取りざたされる語となっていた、というのが現状と言えようか。

右翼とは「保守的・国粋的な思想傾向。また、そういう団体」と辞書に記されているが、編者はここであえて定義は行わないという。21人の執筆者の意見を検討の結果、特定の意味での「右傾化」がその領域では起きているかも知れないし、起きていないかも知れない。あるいは「右傾化」と括られていた問題の実態は、もっと別の深刻な問題であることが明らかになるかも知れない。右傾化の語とともに聞かれる言葉を列挙すると「安倍政権」「日本会議」「憲法改正」「宗教」「愛国心」「靖国参拝」「教育」「家族」「若者」「慰安婦問題」「ネトウヨ」「ヘイトスピーチ」等に繋がっていく。21人の執筆者による21の検証報告のうちのいくつかをとりあげる。

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【震災後の日本におけるネオナショナリズム--マーク・R・マリンズ--】

1995年阪神・淡路大震災、2011年東日本大震災、二つの大きな震災があり、阪神・淡路大震災は、その後10〜20年の出来事の先駆けとなる年だった。1995年の3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、今年、オウム事件のすべての裁判が結審した。オウム事件により宗教に対する批判が強まった一方で宗教、道徳教育の必要性を強く主張する動きも現れた。若者がオウム教団に巻き込まれたのは「戦後の占領政策により、道徳と愛国心教育が欠如したからだ」と、一部の保守的な評論家や自民党の政治家が主張した。1980年代のバブルが崩壊し不況の深まる不安がネオナショナリズムの復活を引き起こす要因となった。

ここからの20年間、日本の宗教(政治的右翼)の復古主義的ビジョンを抱く人々の活動により、同調する自民党政治家を勢いづかせた。公立学校での愛国心を涵養する教育の復活、靖国神社への公式参拝、憲法改正等の推進へと動き出した。彼らは「日本会議」という新たな団体の結成に至る。これは「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が1997年に合併して生まれた。

その使命は、美しく、独立した日本を再建することにあるという。そこには必然的に、天皇や日本文化へのしかるべき敬意を取り戻すことや、愛国心教育、憲法改正、首相らによる靖国神社公式参拝への支援などが含まれる。

日本会議は全国で約4万人ほどのネットワークを有し、数百人からなる国会議員懇談会もある。政権を放り出し、雌伏していた安倍氏が東日本大震災後、再び権力を掌握した。宗教界と政界の一部指導者は占領期以前の社会秩序を復活させるべく過去数十年努力を重ね、ついに恰好の独裁者を得た。彼らは1984年、衆参両院で失効・排除決議された教育勅語を賞賛し復活させた。訳も分からぬ園児が大声で教育勅語を唱える様子をテレビで見たが、一種異様、カルト教団のようだった。

教育基本法の改正により、教育制度は人びとの個性を育成しようとするものから、国策に従属する人間の養成を目指すものへと根本的に転換したというのである。深刻な社会的影響がそこにはある。

教育基本法、国旗国歌法、教科書検定など強引さは目に余るものがあり、ついに彼らが崇拝するところの天皇陛下からも反対の意思が表明された。「やはり、強制になるということではないことが望ましい」。

2011年3・11に起こった地震、津波、原発事故という3つの災害は衝撃的なものだった。与党の民主党は統率力を失い完膚無きまでに漂流を続け、自民党の復権を助けた。1984年に神政連に所属する国会議員は44名にすぎなかったが、2013年には204名に増え、翌年には268名に達した。国会議員総数の37%を占め、安倍内閣の閣僚に至っては2015年に84.2%までになった。彼らは他の多様なネオナショナリスト団体にも所属している。同じ思想に染まったもの同士の閣議決定で憲法解釈やコトバの定義さえ変える。2012年、靖国参拝した国会議員の数は55名であったが、翌年102名に増えた。

政治指導者と宗教=政治団体が---神道と日本のアイデンティティに関する自らの本質主義的理解に基づき---公的制度を作り変えようとしている。

第二次安倍政権の目玉は「アベノミクス」という経済政策であった。それを掲げつつも成果はおろか庶民の生活に疲弊をもたらし「貧困」という言葉が聞かれるようになった。一方で秘密保護法、安保法(戦争法)、共謀罪法は強行採決され、武器輸出3原則は撤廃され、憲法改正へと着実に駒を進めていく。

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【「日本スゴイ」という国民の物語--早川タダノリ--】

満州事変を契機に「日本主義」の大洪水が始まった。哲学者・戸坂潤は「日本主義・東洋主義乃至アジア主義・其他々々と呼ばれる取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える」と書いている。21世紀の現在、ふたたび「取り止めのない一つの感情のようなもの」が大衆メディアに蔓延している。執筆者は「日本や日本人が歴史的、文化的、道徳的に素晴らしい特性を持っていて、世界的にも優れたものだと賞賛して見せる意識商品」を「日本スゴイ」と定義する。とくにスポーツは国威発揚のツールとして重宝され、先月の冬期オリンピックは「日本スゴイ」で政治の動きさえかき消された。

NHK「COOLJAPAN--発掘!かっこいい日本」、テレビ朝日系「世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ!!視察団」、「これぞ!日本流!」、「世界の村で発見!こんなところに日本人」、TBS系「世界の日本人妻は見た!」、「ぶっこみジャパニーズ」、「ホムカミ--ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り」、「アメージパング!」、「所さんの日本の出番」、テレビ東京系「世界ナゼそこに?日本人--知られざる波瀾万丈伝--」、「和風総本家」、「未来世紀ジパング--沸騰現場の経済学」・・・出版の分野ではテレビより先行しており、おびただしい数の「日本スゴイ」本が刊行されている。日本スゴイ系番組は2012年から2014年にかけて各局で一斉に始まった。東日本大震災後の「頑張ろう!ニッポン!」、その翌年の第二次安倍政権のもと「クールジャパン戦略担当大臣」の設置時期と一致する。

「日本スゴイ」系出版物に目を移すと多様なものがある。テレビと変わらぬタイトルの本はもちろんのこと、「日本人の品格」、「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」、「日本文明・最強の秘密」、「世界が憧れる天皇のいる日本」、「日本人なら知っておきたい日本神話」、これらが高じてくると、「日本人は中国人・韓国人と根本的に違う」、「世界から嫌われる中国と韓国 感謝される日本」、「日本に惨敗しついに終わる中国と韓国」などと他国を蔑視することで優越を主張する。さらには歴史を否定し捏造する本へ、「日本が戦ってくれて感謝しています--アジアが賞賛するあの戦争--」、「白い人が仕掛けた黒い罠--アジアを解放した日本兵は偉かった--」、「アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった!」など、大東亜戦争はアジア解放の聖戦であったとの論調だ。従軍慰安婦や南京事件など、戦争に対する深い反省は「自虐史観」として葬り去ろうとする。

「日本スゴイ」は道徳教科書にまで及び、昭和天皇の逸話や勇敢に戦った軍人の話を以て子供たちに国家への隷属を誓わせる。教育勅語の復活もその一環といえよう。国民もまた、「スゴイ」に心地よさを覚え不安や不満の隙間を埋めるべく受け入れる。歴史教育は国民意識の育成を目指す物語であってそのため「史実」は「物語」へと書き換えられていく。歴史美談・エピソードを積み重ねて「日本スゴイ」を訴えていく手法は古典的なもので、かつて満州事変(1931年)以降の日本の出版界にも、「日本スゴイ」本の洪水がおしよせた。この出版ブームからわずか数年後に日中戦争が全面化し、国民精神総動員運動が始まる。皇国臣民としての精神的土壌を耕された上で、人びとは総力戦を受け入れ、積極的に担っていった。

70年前の「日本スゴイ」コンテンツは、「神がかり」に始まり、「神がかり」に終わった。最初はアナクロニズムな人々の妄言であったものが、「大東亜戦争」敗戦直前には「日本不敗」という信念をもたらすにいたり、やがて大日本帝国を滅ぼしたのである。

現在の「日本スゴイ」もまた、妄言から国策の道を歩み始めている。

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【暴走する権力と言論の自由--田崎 基】

国際NGOの国境なき記者団は4/26日、2017年の「報道の自由度ランキング」を発表した。調査対象の180カ国・地域のうち、日本は前年と同じ72位だが、イタリア(52位)に抜かれて主要国7カ国(G7)では最下位だった。--<略>--日本は2010年の11位から順位の低下が続く。安倍政権への辛口キャスターらの降板なども踏まえ、「メディア内に自己規制が増えている」「政権側がメディア敵視を隠そうとしなくなっている」などと問題視。特定秘密保護法については、国連の特別報告者から疑問が呈されたにもかかわらず「政権は議論を拒み続けている」とした。(2017・4・26朝日新聞デジタル)

安倍政権の危うさは分かっていたが長続きはしないだろうと、しばらくは楽観していた。しかし、今までの政権が躊躇し踏みとどまったことを次々と実行し長期政権へと布陣を整えた。その1歩がメディア対策だ。クーデターはまず放送局を支配下に置き政権がスタートする。民主党政権の迷走と失望はメディアに潰されたとも言えよう。報道の自由度ランキング11位が証拠だ。逆に安倍政権はメディアの固い守りで存続している。自由度ランキング72位が証拠であり、主要7か国で最下位だという。メディアは味方を敵視し、敵に尻尾を振ることで生き延びてきた。国民はメディアの旗振りで動く。支持率50%がその証拠ではないか。

いま起きている現象は、権力にとって不都合なことを言う人に対し、非難したり、過激に行動したりするよう仕向ける姿勢を政権が取っているということ。

一般視聴者が放送局や新聞社だけではなく、スポンサーにまで圧力をかけ、抗議の電話をし、ネット書き込みの拡散を促す。政権の批判に対し、これまでは批判した個人を攻撃するのではなく、政権を擁護する言論が行われ、それが常識的なマナーでもあった。「公平・中立」という圧力をかけ、気に召さないメディアに「○○新聞をつぶせ!売国!国賊!..」等の罵詈雑言を浴びせる。現政権は民主主義社会を担う上で最低限守るべきルールをたやすく破って省みない。

私たちが直面しているのは権力の暴走そのものである。だが一方で自分たちの足元を見つめれば、何より報道に身を置く私たちこそが、社会や政治の劣化から目を背けてきたのではないか。小難しい話題だから「読者が付いてこない」などと言い訳をひねり出し、あるいは両論併記、公平中立という空疎な呪文で自らの目を曇らせ、世に問うべき大切なことをなおざりにしてきたのではないか。

右派も左派も、改憲派も護憲派も互いに別の世界にいる訳ではなく、おなじ街で生活をし、互いに支えあう。民主主義とは異なる考え方や立場の人が共存するための仕組みである。異論を批判したり、黙殺せずに食い違う意見にこそ耳を澄まし、目を凝らし「なぜ?」と問を発したい、と執筆者は結んでいる。もう遅い、綺麗事はほどほどにしておけ。こういった標語を掲げて民主主義を破壊したのは劣化したメディアに他ならない。現政権は司法まで懐柔し三権分立さえ危うい。史記に「網、呑舟の魚を漏らす」という故事成語がある。船を丸呑みするような巨大な魚は捕らえることができないの喩で「国を危うくするような大罪人は罰することが出来ない」、希望は廃れ絶望の荒野が広がる。

 

自発的対米従属 猿田佐世

米軍機の墜落、不時着、部品の落下、米軍関係者の犯罪など相次ぎ、沖縄県の知事は「政府に当事者能力なし」と強く非難した。米軍も政府も「このようなことがないよう厳重に..」というばかりで、数日後にまた同じような事故が起こり、またおなじコメントを繰り返す。以前、コラムで日本はなぜ米軍をもてなすのかという本を取り上げたが、淵源は日米合同委員会での密約にあり、そこでの取り決めが憲法より優先されるという。日本は戦後70年以上も占領下にあるとの絶望にとらわれたが、自発的に占領下を演出することで利権を堅持する人々がいるようだ。行きたくない宴会に誘われ、妻の機嫌を盾に断ったり、大企業は国の規制を振りかざし弱小の商店を淘汰する。思い当たることはいくらでもあるし、われわれもその手を便利に使っている。著者は外交・政治分野のシンクタンクを設立し、アメリカでのロービ活動や日本の国会議員らの訪米をサポートする。

「悲しくなるほどアメリカ人は日本に無関心で、日本についての報道も多くありません」日本の講演などで私がこう言うと、参加者は一様に「へえーっ!」と驚く。

日本では、自国以上にアメリカの報道であふれ、政治や外交、さらに社会や文化にについても常に存在感があり、影響を受けている。アメリカの大統領が「日米は特別な同盟関係」というと「本当にそうなのだ」と考える人が多く、アメリカに親しみを覚える人の割合は80%を超える。アメリカは他の国にも「特別な関係」と言っているので、これは外交上の社交辞令なのだ。淡々たるアメリカの思いに比べ、日本で報道されるアメリカ発の情報は重要度が格段に大きい。

アーミテージら知日派たちが、自分たちの声を日本メディアに載せようとして動いたというのではなく、彼らの声を日本で広めたい日本の議員やメディアが積極的に動いたのである。

日本の国会議員がワシントンへ出かけ知日派と会う、「集団的自衛権の行使容認を早急に閣議決定することが重要とのコメントを得た」と発言する。日本で発言してもニュース性は少ないが、ワシントンの国務省の前なら大きなニュースになる。これから約1か月半後、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更が閣議決定された。

典型的な「アメリカの声」の発信源となってきたアメリカの知日派は、アメリカの中の少人数の集まりにすぎない。しかも、その限られた人たちに情報と資金、そして発信の機会を広く与え、その声を日本で拡散しているのは日本政府であり、日本のメディアである。日本の既得権益層が、いわば一面「日本製の"アメリカ外圧"」ともいえるものを使って、日本国内で進めたい政策を日本で進める。

「ワシントン拡声器効果」といい、外圧作りに長年続けられた手法だ。以前、石原慎太郎元都知事が尖閣諸島を購入すると発表したのも、ワシントンのヘリテージ財団の講演においてであった。新聞社やテレビ局は夕刊や夕方のニュースを埋めるかの如く地球の裏側で1日終えたアメリカのニュースを流す。ワシントンで話したことは程なく実現していく。ワシントンの人口は65万人、東京・足立区や千葉・船橋市くらいで首都にしては少ない。ここでのキーワードは「ネットワーキング」だという。アメリカ人は通常、あまり名刺交換をしないが、ワシントンではどれだけ名刺を配り、多くの人と繋がりを得たかが財産になる。ワシントンは様々な国の政策に大きく影響を与えるコミュニティの街で、日米外交に影響を与えうる人々は大きく3層に分かれる。1層は、国務省、国防総省などの米連邦政府。2層は、世界最強と言われる連邦議会。3層はワシントンの街そのもの。日本の問題に常日頃関わるのは1層で、2層になるとほとんどが日本に関心を持っていない。沖縄問題を担当する下院の小委員の委員長が、「沖縄の人口は2000人くらいか」と言ったくらいだ。日本に関心のある1層、2層が少ないため、3層のシンクタンクや大学に属する日本研究者が日米両政府に対し影響力を持つことになる。この3層の人々に「日本の声」を届けるのは日本大使館、大企業、大メディア、ワシントン詣でをする政治家たちだ。

その少数の限られた人々が届ける「日本の声」は、日本の一般市民の多様な価値観や物の見方を代弁していないことも多い。そのような人たちが「日本の顔」として日米外交を司り、その中で日米外交が作られてきた。

相手の知日派と言われるアメリカ人は「アメリカの声」であるかのように扱われ、日米関係のなかで強い影響力を持ってきたが、多く見積もって30人、少なく見積もれば5人しかいない。シンクタンクや知日派がアメリカで強い影響力を持つというのは日本のメディアが作り出した神話であって、むしろ日本に大きく跳ね返り、日本政府が望む方向へと世論を形成するのに大きな効果を発揮する。少ない数の知日派へ、少ない一部の日本人が資金や情報を提供し、それを基に知日派やシンクタンクの連中が発言したり、報告書を発表する。日本の政府やメディアは係る情報の中から、自分たちの推進したい政策の追い風となるものを選択し「ワシントン発」の声として拡声して伝える。アメリカ側の多様な情報もフィルターされるので「アメリカの声」として日本に届けられる情報に接するときには「アメリカとは誰か?」よく考えなければならない。

例えば「TPP」は日米財界が推進したのだが、民主党政権の頃、「アメリカの強い意向を受けて」という論調だった。当時野党だった自民党は「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。日本を耕す!」と大書したポスターを貼って、2012年の選挙で大勝した。いまも撤去し忘れたポスターを見かけることがある。政権を奪還した自民党は鮮やかに裏切り、「推進一色」で動き始めた。ポスターを示された安倍首相は「私自身は、TPP断固反対などと言ったことは1回も、ただの1回もございませんから、まるで私が言ったかのごとくの発言は慎んでいただきたい」と反撃した。その後の政権運営も、スキャンダルの続出にしても、万事がこの調子だ。TPPはアメリカでも反対が多く、民主・共和両党の候補者がともに「TPP反対」を掲げて戦った。当選したトランプ大統領は就任後間もなくTPPを離脱し、日本政府は「元のTPP推進の方針に戻って下さい」と翻意を促すが、トランプ大統領の決意は変わらない。

日本政府は対米従属を選びながらそれを隠し続け、従属させられているような振りをしてきた。あたかもアメリカの属国のように思わせる見せかけの従属で、自分たちにとって都合のいい対米従属だ。この典型が日米地位協定であり、とりわけ沖縄での米軍の傍若無人を見せ付けられると、屈辱さえ覚える。沖縄県知事に「政府に当事者能力なし」と非難されるほどぶざまな従属に、なんの見返りがあるのか。

「対米従属を自ら選びながら、そのことに気付いてすらいない」という状況である。「従属」が当たり前になりすぎると、自分から「従属」を選んだということを忘れてしまい、疑問すら抱かなくなる。

こういう人たちを70年以上も支持し、最近の選挙でも5連続勝利させたのは日本国民に他ならない。「日本は、その気になれば、大概のことではアメリカの意見に従わないことができる」と著者は確信を持って言う。民主党政権のとき、アメリカの意見に従わない動きがあり、国民もそれを頼もしく思い、支持した。鳩山首相は「沖縄普天間基地の移設先は最低でも県外、できれば国外」との方針を打ち出した。当時の外務省は民主党政権に対して「協力したくない」という空気があり、「アメリカの懸念の声」として日本のメディアを通じて発信した。「鳩山政権の政策は間違っている」とは直接言えない外務省がアメリカのシンクタンクの研究者や議会関係者に頼んで、彼らに批判させた。結局、鳩山政権は1年も経たず退陣することになり、その後の民主党政権の迷走ぶりは見るも無残、再び自民党へ政権を明け渡した。再登板の安倍首相は予想以上に長く政権を維持し、「ニチベイ同盟の揺るぎない絆」などとうそぶき戦争法を強行採決、武器はアメリカの言い値で買い、アメリカの戦争に追随する。

即ち、トランプ政権が安全保障において日本に求めるであろうことは「安倍首相のやりたいこと」そのものではないか。これを「好機」とする安倍政権が、「アメリカの要求」として自衛隊の役割のさらなる拡大を進め、米軍の肩代わりを自衛隊に担わせていく可能性は高い。

沖縄の基地問題は深刻度を増している。相次ぐ事故を起こしておきながら、米軍は事故防止のための簡単な約束さえ守らない。沖縄の米軍基地面積の約7割は海兵隊が占め、海兵隊普天間基地の辺野古移設は沖縄が強く反対している。海兵隊は現在、1年のうち8カ月ほど東南アジアなどを回っており、沖縄にいるのは年にわずか4カ月ほどである。これで抑止力になるなら、有事の際の来援で済むではないか。アメリカにとっても新しい基地の駐留経費を払う余裕はない。選挙期間中、トランプ氏は「駐留経費を全額支払わなければ、在日米軍撤退」を主張してきた。日本は駐留経費の約75%を負担し、残り25%が米国だ。この25%に着目し、日本にとって重要性が高くなく、トランプ大統領から見ても「アメリカ第一」の政策に必要でない基地を削減提案していく方策もある。

辺野古基地建設撤回に際し、具体的に日本側から次のような提案ができるのではないだろうか。

  • 対中抑止の観点から見ても辺野古新基地は不要であり、これを撤回することはアメリカの財政のプラスとなる。
  • 普天間基地から米海兵隊の撤退費用や、他地域での米海兵隊の展開に必要な施設整備費用などにかかる経費は、撤退に伴って不要となる支出があることを踏まえ、「思いやり予算」から日本が出す。

これまで外交をを担当してきた日米の関係者や既得権益側の抵抗は避けられない。しかし、「米軍全撤退」すら言及したトランプ大統領だからこそ好機でもある。中国や韓国の日本への関心はアメリカと比べものにならないほど高く、日本語を話す人も多い。一方アメリカは知日派でさえも大半は英語の情報源のみで日本を見ている。アメリカ一辺倒の外交ではなく、近隣諸国との関係構築も重要であろう。敵対しなければ基地も武器も要らないというのは理想論ではあるが、従属を選んだ政治家たちは理想を失い、従属を選んだことさえ忘れている。それを国民の5割以上が支持するという。

 

  「憲法改正」の真実 樋口陽一・小林節著

先の解散で国民は与党を支持した。今年は憲法改正が日程に上ってくることだろう。昨年秋(11/10〜12)NHKが世論調査を行い、望む政策を聞いた。
  1. 社会保障 28%
  2. 景気対策 19%
  3. 財政再建 16%
  4. 外交・安全保障 12%
  5. 格差の是正 11%
  6. 憲法改正 6%

数字のとうりであれば憲法改正の優先度は低いのに、憲法改正を最優先する政権を支持したことになる。

2015年9/19の未明をもって、日本の社会は異常な状態に突入しました。この日可決した平和安全法制整備法と国際平和支援法、そう名づけられた戦争法案は、明白に憲法に違反しています。(小林)

戦争法案によって、最高法規である憲法が否定され、私たち日本人は今までとは違う社会、異常な法秩序の中に居る。そして憲法を否定した権力者は憲法そのものを改正しようとする。

立憲主義の破壊という事態がいかに深刻なものなのか。つまりは国の根幹が破壊されつつあるのです。(樋口)

日本は戦後70年あまりのあいだ「立憲・民主・平和」という3つの価値を同時に追求してきた。それを支えたのが日本国憲法である。閣議決定と強行採決で破壊されたという実感はないかも知れないが、ゆっくりそして突然姿をあらわすだろう。いままで築きあげた平和を「みっともない憲法」と断じ粗暴な破壊を繰り出す。樋口氏は「護憲派の泰斗で小林氏は「改憲派の重鎮」と言われる憲法学者である。憲法を破壊する権力に対して「護憲派も改憲派も立場の違いを乗り越えて闘う」という趣旨の対談だ。

与党の国会議員の多くは「そもそも憲法とはなにか」という基本的な認識が欠如している。野党が憲法53条に基づく臨時国会の開会を要求してもなんら躊躇なく無視する。安保法制も歴代の政権が積み重ね継承してきた憲法解釈を、たかが閣議決定でくつがえす。

法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。しかしながら、憲法だけは違いますよね。国民が権力に対して、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力者の側に課され、国民は権力者に憲法を守らせる側なのです。(小林)

税金をばら撒いて知人へ便宜をはかる。人事を握り官僚をコントロールする。司法を支配し犯罪をもみ消す。メディアを恫喝して報道を規制する。幼稚で粗暴な政権を選んでしまった国民はもっと幼稚で善良だ。権力を握ればなんでもできるが、いままでは憲法の認識がそれを押しとどめてきた。権力は常に濫用されるし、実際濫用された歴史的事実がある。だからこそ憲法が国家権力を縛り、国民の人権を守らなくてはならない。こういった考え方を「立憲主義」といい対極に「封建主義」がある。小林氏は、自民党に呼ばれ何度も立憲主義について説明したが、「理解してくれなかった」という。逆に「権力者だけを管理する憲法でいいのか。国民を縛らなくていいのか」としつこいくらい質問が飛んできた。この分水嶺は2009年、民主党が政権をとり、自民党大敗後からであった。大量の自民党議員が落選し、政策知性が伴わなくとも選挙に勝てる世襲議員のような連中ばかりが残った。下野していた時代の2012年、自民党が公表した第二次、日本国憲法改正草案がある。

あれは、憲法とは呼べない。(樋口)

樋口氏は「トンデモ草案」ともいう。自民党の改憲マニアたちは世襲の三世議員が多く、彼らがいう日本のいちばん素晴らしかった時代は、彼らの祖父が支配していた終戦までの10年間くらいのファシズム期と重なる。お粗末な憲法改正草案は、自民党議員たちのお粗末な憲法観そのもので、明治憲法以前のものだ。樋口氏は憲法がなかった江戸時代の「慶安の御触書」だという。国民主権のもとでの立憲主義でなければ国家は危機に陥る。国民主権とは個人として尊重されることで、日本国憲法で一番肝心な条文をひとつだけあげるなら13条だという。自民党草案では「個人」から「人」に変えられた。「日本国憲法に個人主義が持ち込まれたことで、日本から社会的連帯が失われた」と彼らは本気で考えているようだ。そのため、個人主義を排し社会の土台を作り直すため個を削除し「人」としている。憲法学者が見ると個を削除したことの危機感は大きい。天賦人権説といい、人は人として生まれただけで幸福に生きる権利があり、幸福とはそれぞれが異なった個性を持っていることを否定せずにお互いに尊重しあうことで成立する。この幸福の条件を「国家は侵害するな」というのが憲法の要である。私たちが生まれながらに持っている個人としての概念や権利が自民党の憲法改正草案では削除され、「権利を得るためには国に奉仕する義務を負え」という。

国民はもともと人権をもっていて、それを尊重、擁護する義務は国側にある。これは代償的な関係ではない。「国民は権利を持っているのだから、国に対する義務も負うのが当たり前」という論理は成立しない。(樋口)

自民党の憲法改正草案の9条の3は「国は主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」。協力して、というのは簡単に義務に置き換えられ、防衛協力ともなれば兵士が足りない、どうして協力しないのだ、となる。ナチスのヘルマン・ゲーリングは次のように言った。「国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を、愛国心に欠けていると非難し国を危険にさらしていると主張する以外には何もする必要がない」。与謝野晶子が反戦歌「君死にたまふことなかれ」で書いている、「すめらみことは戦いに おおみずからは出でまさね」。危機を煽り、愛国心がないと非難する指導者は自ら戦争へは行かない。

自民党は国家への協力を義務として国民に課すため、緊急事態条項を憲法に書き込む。これが憲法改正の「一番手」として議論が始まった。この条項によって国家が国民の権利を取り上げ、協力という義務を課すようになる。緊急事態条項とは大災害、内乱、テロ、戦争などの緊急時に日本が直面した時、平時とは異なる権力の行使を認めるというものだ。地震や台風が相次ぎ惨禍をまのあたりにすると緊急事態条項の必要性を感じるかも知れない。

国家緊急権を憲法化するかどうかはあやふやな議論でやってはいけないことなのです。国家緊急権というのは、権力の暴走を防ぐために手足を憲法で縛っているところを、緊急のときだけ解いてしまおうとするものです。これは立憲主義の根幹に関わる、痛みを伴う議論のはずです。(樋口)

いまの政権はただでさえ憲法を守る規範が欠落している。彼らが恣意的に運用を図るなら独裁政権が生まれ暗黒国家になる。緊急事態ということで選挙も行わず、いつまでも緊急事態の解除がされない。自民党は緊急事態条項の憲法化の理由として災害対策をあげるが、災害等の緊急の対応は既存の法律で十分対処できる。ことさら憲法に盛り込む深い意図をよみとる必要がある。

自民党が緊急事態の新設に躍起になっているのは、「俺たちの好きにさせろ」と言っているのに等しい。

緊急事態であると認定するのが内閣そのものでしょう。そして、認定してしまえば、内閣(つまり首相)は法律と同一の効力を有する政令を制定できる。つまり、内閣が「はい、これから緊急事態!」と決めてしまえば、それだけで、立法権は内閣のものになる。さらに、首相は財政上必要な支出を自由に行うことができるようになり、国会が排他的に握っている予算承認・拒否権という「国の財布のひも」も首相が預かることになる。さらに首相は地方自治体に対して、あたかも部下に対するように指示を発する権限も有することになる。(小林)

緊急事態の宣言は「100日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない」と規定されているが、与党が過半数、しかも手にした「魔法の杖」をたやすく手放すだろうか。次の選挙まで何度でも延長ができ、議員の任期の延長さえ使えるため永遠の緊急事態が可能になる。彼らとて命に限りがあり未来永劫、特権階級で居られるはずもない。己が設けた罠に眷属、子孫が捕らえられぬ保障もなく、幼稚かつ粗暴、当然ながら想像力まで欠如している。国民の多くは報道量の多い憲法9条について知るくらいだろう。憲法草案の全貌を読んだところで改憲の本質は理解できない。憲法を知り政権の思惑を知る識者の話に耳を傾けたい。権力者の都合だらけの憲法をどこの国民が支持するというのか。しかし過去5回の国政選挙すべてで国民は支持した。

地方議会で改憲を求める意見書の採択が広がりをみせている。知人が市議、ご近所が県議などと、大して国家のことは考えずに投票する。こういった顔見知りの市議や県議が改憲を後押しし、政権にお墨付きを与える。阻止するため、私たちにできることは選挙でいままでと別の人の名前を書くことしかない。

このまま、日本国憲法が遵守されない状態が定着し、近代憲法の枠組みから逸脱している、個人の権利も保障されない新憲法が成立してしまったとしたら、後世の歴史の教科書は自民党による「無血革命」があったと書くことになるかも知れません。(樋口)

この動きを止めるのに、まだ幸いなことに「投票箱」というのが機能しています。それが機能しているうちに、我々の憲法を奪還し、権力が憲法を遵守する体制に戻さないことには・・(小林)

 

 

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