【読書録(11)】-2014-


暴露 スノーデンが私に託したファイル
3・11後を生きるきみたちへ
元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ
ジエンド・オブ・イルネス
戦争のできる国へ
薬をやめれば病気は治る
精神医療ダークサイド
(株)貧困大国アメリカ
清貧の思想
医学不要論
食の戦争
うつ病治療 常識が変わる

暴露 スノーデンが私に託したファイル
グレン・グリーンウォルド著 関口・濱野・武藤訳

風化・流転は世の常ではあるが、2010年のウイキリークスや2013年のスノーデン事件は記憶にあるだろうか。国家の機密文書が暴露されたり、機密情報を持ち出す事件だった。スノーデンはNSA(国家安全保障局)とCIA(中央情報局)という米国の二大情報機関に在籍した若い情報工学者である。米国政府の情報収集活動に関わり、政府がNSAを通じ秘密裏に膨大な量の個人情報をネット上で監視・収集する手口を暴露・告発し、全世界に衝撃を与えた。著者はスノーデンが持ち出した膨大な機密文書を託される。そこへ至るまでの経過はスパイ映画さながら、迫真の描写であった。2013年暮れ日本では秘密保護法が成立したが、このような事件の連鎖はどこの国家にとっても管理強化の後押しになる。ともするとスノーデンも国家の側なのか?という疑念も残る。たぶん考え過ぎだろうが、著者は接触過程でそのことを吐露している。スノーデンから託されたファイルは翌年、世界24カ国で同時に公開され、スノーデンは2014年1月、ノルウェーのボード・ソールエル元環境大臣からノーベル平和賞候補に推薦された。一方米国からは2013年6月22日、逮捕命令が出され、エクアドルなど第三国への亡命を検討しているとされていたが、同年8月1日にロシア移民局から期限付きの滞在許可証が発給されロシアに滞在中である。

これも歴史を見ればわかることだが、どのように運用されるにしろ、大量監視組織が存在するという事実それだけでも、反対派を封じ込めるには充分だということだ。常時監視されていると悟った国民はすぐに恐れ、従順になる。

18世紀、主に家宅捜索が監視の手法であったが、テクノロジーの発達に伴い進化する。19世紀半ば安価で迅速な郵便の普及とともに、イギリス政府が密かに郵便物を開封していることが大きなスキャンダルになった。20世紀初頭、米国はFBIの前身である捜査局が電話盗聴、郵便監視、情報提供者などの手段で政策に反対する人々を取り締まっていた。政府支持者や無関心層は自分たちは監視対象外で関係ないと信じてきたが、大量監視の対象は反体制派や社会のはみだし者ばかりではない。大量監視は常に世界中でおこなわれ、権力側は強固な力で反対派を抑圧し、支持者には従順を強制する。なにごともなく暮らしていても、監視社会ではいつ危機が降り注ぐかも知れない。ごく普通に暮らしていた銀行員にCIAの工作員が接触した。スイスの銀行から個人の金融情報を引き出すため、銀行員と親しくなり酒を飲ませ車で帰るよう促した。手回しよく警察への通報を済ませ、銀行員は飲酒運転で逮捕された。工作員は手を貸す見返りにCIAへの協力を求めた。最終的に試みは失敗したが、工作員は銀行員の人生を狂わせただけで立ち去った。

仕事遂行のため行政機関は与えられた権力をすべて行使し、かつ濫用する。オバマ政権のもと、不正容疑の有無にかかわらず数千万にのぼるアメリカ市民の通信歴が無差別・大量に収集されていた。彼らの言い分は決まってこうだ。「国をテロリストから守るために不可欠なツールだった」と。法整備も国民にとって悪い方向へと進んでいく。2008年の改正外国諜報活動監視法により、それまで違法とされていた当局の諜報活動の一部を制度化してしまった。NSAは通話やEメールを直接入手するため裁判所から個別の令状を得ていた。制度化によって年に一回裁判所へ出向き、諜報対象者を報告するだけで済むようになった。電話会社とインターネット企業のサーバーに直接アクセスし、すべての通信記録を自由に傍受できるのだ。フェイスブック、グーグル、アップル、ユーチューブ、スカイプなど有名企業の名がNSAの資料には載っている。

監視ツールの技術開発も進む。NSAは世界中の10万台近くのコンピュータに情報を盗み取るマルウェアというウイルスを忍び込ませている。一般にネットワーク経由で感染するが、ネット接続していない状態でも侵入する技術が開発されている。中国製のルーターやインターネット機器には裏口監視装置が仕込まれているというが、アメリカも同じことを行なっていた。NSAは国外に輸出されるルーターやサーバーを押収し、それらの機器に裏口監視ツールを埋め込んだうえ、ふたたび梱包し出荷していた。

エドワード・スノーデンはこう暴露した。「私は自分のデスクから一歩も離れずとも、Eメールアドレスさえわかればどんな人間でも監視対象とすることができました。相手が誰であってもです。あなたやあなたの会計士から、連邦判事や大統領にいたるまで」。

すべての人を常に監視することはできないので、とくに監視対象となる人間には常に自分が監視されているように感じさせることで脅威を植え付ける。次第に監視されなくても監視されているように感じ、服従するようになる。これを広く市民の心に植え付けると、人々は無意識のうちに監視人が望むとうりの行動を取るという。この手法を用いれば監視下のもと、人々に自分の意志で行動をとるという自由を錯覚させる。外部から強制の必要はない、圧政的な国家は大量監視活動こそ最も重要な支配ツールと考えるだろう。監視は他国の元首にも及ぶ、NSAが何年にもわたってドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していたことが発覚した。メルケル首相はオバマ大統領へ直接電話しシュタージ(旧東ドイツの国家保安省)に例えて猛烈に非難した。

国の治安や利益を守り、テロリストから命を守るためというが、権力側が目指すものはそんな生やさしいものではない。違法行為や暴力活動、テロ計画だけでなく、反対行動や純粋な抵抗活動も含む。庶民には想像もつかないが、彼らは些細な事にまで脅威の片鱗を見出し、反射的に不正行為と見なす。善良な庶民は国家が権力を濫用しても自分たちは安心だと思い、多くは無知、無関心でさえある。このおかげで濫用の広がりに拍車がかかり、濫用をコントロール出来なくなる。続いて制度化、合法化の手続きが進み、電話、ネット、防犯カメラなどの監視からプライバシーはさらされ隠れる場所を失う。自分は別だと思っていても、すでに大きな網に囲まれ隠れ場はない。

政治メディアは、国家権力の濫用を監視・抑制することを本来の役割とする重要な機関のひとつだ。行政・立法・司法・報道の四権という考えのもと、報道機関は政府の透明性を確保し、職権濫用を抑制する機能を持つべきである。

アメリカのメディアの大半は役割を放棄した。操り人形となり政府のメッセージを垂れ流し片棒を担いできた。アメリカでさえこの状況だ、日本のメディアはことさらに酷い。日本のマスコミが少しでもまともな報道をすれば三権のほうが隠れ場を失う。ニュースやワイドショーで有為なる人物を貶め葬り去り、暗愚の人物を演出、賞賛する。メディアの罪は嘘を垂れ流し真実を報道しない事にある。小泉政権の頃、物事を深く考えることなく喜怒哀楽のまま行動する人々を「B層」と呼び、彼らの支持を取り付ける戦略をとった。B層とはどこかに居るのではなく、私達の情念に巣食い、折にふれて出現し、いつのまにか奔流となる。折しも今月施行の秘密保護法で国民は目隠しされ愚民化がすすむ。これに集団的自衛権が待ち受け、もはや戦後ではなく戦前だ。

 

3・11後を生きるきみたちへ たくきよしみつ

1991年、双葉町は福島第一原発に7号機、8号機を増設してほしいという要望を決議しました。この増設要望の先頭に立っていたのが、岩本忠夫双葉町町長です。

岩本氏は1971年、はじめて県会議員に当選し、70年代、「双葉地方原発反対同盟」の委員長として激烈な反対闘争を繰り広げた。県会議員に当選直後の質問では次のように訴えた。

山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です。地域開発は、まさにこの偉大な自然の中で、これを活用し、人間の生命と生活が保護されるという状態で進められることが大切です。

なんと清々しい正論であろうか。県議時代の岩本氏は原発作業員の被曝問題や放射能廃液漏れの事故を追求し、旗を掲げ原発前の正門へ乗り込んでいったこともあった。やがて彼に転機が訪れた。85年に当時の双葉町長が汚職で辞任すると、町長候補として担ぎ出され大差で当選し、5期20年という長きにわたって双葉町町長を務めた。「企業誘致などでは追いつかない財源が得られる」、「原発誘致に町の命運をかけることに疑いを抱いていない」と言いきるようになった。札束を前にすれば、硬骨漢でさえ清々しさを失う。

本書は青春世代の若者に向けて切々とメッセージが託されている。著者は事故当時、福島県川内村で作家・作曲など多様な活動を行っていたが、その後、栃木県の田園地帯に生活の場を移した。平明かつ正直で、てらいなき内容は大人にこそ語りかけるものだ。

「...福島第一原子力発電所では非常電源が動かず...」
まさか!そんなことはありえない。何かのまちがいだと思いたかったのですが、もしほんとうなら、原子炉が暴走して爆発する可能性があるということです。そんなことになれば、日本中が放射能に汚染され、国家としておしまいになるかもしれません。

1986年のチェルノブイリ原発事故では、当時のソ連だけでなく、北欧やドイツまでかなりの汚染が広がった。その地図を日本に当てはめると、日本列島がすっぽり収まるほどだ。日本で一カ所でも原発事故が起これば、どこにいても被曝し、汚染された土地ではまともに暮らせなくなる。第一原発から直線距離で25kmのところに著者の住いがあった。恐怖と不安におののいているとき、テレビで1号機爆発の映像を見た。「背筋が凍るというのは、こういうことを言うのでしょう」。しかし、映像は1時間半前のもので、住まいはすでに高濃度の放射性物質に包まれているかも知れない。川内村へはもう戻れない、日本がダメかも、という覚悟で旧仕事場の川崎へ避難し、やがて栃木へ居を移す。

3・11といえば東日本大震災が起こった日でもあるが、著者は原発事故一辺倒で語り続ける。原発事故はいまも続いているし、収束の目途も立たず被害はこれからだ。東電や政府は事故の原因を地震や津波に転嫁するが、事故の第一の原因は現場の信じがたいほど無責任で杜撰な運営だった。事故後の対応も変わるどころか隠蔽や嘘を繰り返し、いっそう酷いものになった。チェルノブイリ原発事故の数倍もの放射性物質がまき散らされているが、徹底して汚染の事実を隠し続けている。起こるだろう被害もチェルノブイリの数倍に及ぶことが予想される。以下は今年8月の新聞記事だ。冒頭に書いた町長のように、理想を抱いて医学を志した医師も、正義を失ってしまった。

東京電力福島第一原発事故による健康への影響を調べている福島県は24日、震災当時18歳以下の子ども約37万人を対象に実施している甲状腺検査で、甲状腺がんと診断が確定した子どもは5月公表時の50人から七7増え57人に、「がんの疑い」は46人(5月時点で39人)になったと発表した。福島市内で開かれた県民健康調査の検討委員会で報告した。地域による発症率に差がないことも報告され、委員会の星北斗座長は、現時点で放射線の影響がみられないことが裏付けられたとした上で、「今後、詳細な分析が必要だ」と述べた。 調査を担当する福島県立医大は、今回初めて県内を4つに分けた地域別の結果を公表。検査を受けた子どものうち、疑いを含めた甲状腺がんの発症割合は、第一原発周辺で避難などの措置がとられた「13市町村」では0.034%。県中央の「中通り」は0.036%、沿岸部の「浜通り」は0.035%と地域差はなかった。原発から一番遠い「会津地方」は0.028%とやや低めだったが、医大は検査を終了した子どもが、ほかの地域に比べ少ないためと説明した。国立がん研究センターなどによると、十代の甲状腺がんは100万人に1〜9人程度とされてきたが、自覚症状のない人も含めた今回のような調査は前例がなく、比較が難しい。疑いも含めた甲状腺がんの子ども計103人のうち、最年少は震災当時6歳。原発事故から4カ月間の外部被ばく線量の推計値が判明した人のうち、最大は2.2ミリシーベルトだった。(8/25 東京新聞)

遠く離れた西日本は遅れるかも知れないが、食物など体内に取り込むことで起こる内部被曝は確実に進んでいく。最たるものが「食べて支援の絆食材」だ。これらをこぞって選ぶ人々も居るほどだ。そして、外部被曝と内部被曝は正しく区別する必要がある。原発を推進してきた学者たちは「年間100mSv以下なら健康被害は認められない」というが、○○mSvという閾値などない。低ければ低いほどいいという学者もたくさんいる。ここで言う、年間○○mSvの放射線の殆んどが体の外部から浴びているγ線になる。これに対して放射線を出している物質を体内に取り込むことで、長期に被曝し続けることを「内部被曝」という。内部被曝についての調査や研究はほとんどされておらず、限りなくゼロが好ましいという意見を支持する。食べ物、飲み物、空中に飛散する放射性物質の吸入により被曝するため、若者は気が遠くなるほど長く、ほぼ一生に亘って警戒しつづけなければならない。米のセシウム値は事故前、福島で0.027Bqだったが、事故後は100Bqに基準値を緩め、「これをクリアした」として全国に流通している。「検査済」の表示は安全を担保するどころか、事故前の3700倍もの数値にお墨付きを与えるものだ。検査されない他の核種の汚染も当然あるはずだ。

個人や家族が注意、警戒するくらいでは追いつかない。正しく安全な対策をるべき政府が嘘をつき隠蔽し、何事もなかったかのように原発を稼動させようとする。沈没前の難破船のようだが、私達に逃げる場所はない。しかし、世論調査では再稼働容認の割合が半分にまで回復している。原発事故は危険なところを右往左往し、廃炉どころか、収束の緒にさえ就いていない。報道され流される画像からは現状をうかがい知ることはできない。不条理な対策、住民同士の対立、コミュニティの崩壊、身を引き裂かれる思いで、新天地を求める人、残る人.. 現実を見続け苦悩する著者は若者への提言を以下のようにまとめている。ここで暮らすにはストレスをためないこと、それが汚染食物に恐れるより大切なことだという。

私はもう、放射能そのものにはそれほど恐怖をいだいていません。とくに外部被曝については年間何ミリシーベルト以上だから危険だ、以下だから安全だという考え方はしていません。内部被曝については、適度に恐れています。微量のセシウムを体内にとりこんでしまうことは避けられないだろうと認めつつ、できるかぎり、取りこまないようにしようとは思っています。ストロンチウムやプルトニウムが体内に入ってしまう可能性についてはとくに恐れていますが、完全には避けようがないとも思っています。

恐れているのは、日本中が放射能ストレスで疲弊していくこと、その中で本来不必要な対立やいがみあい、無知からくる偏見が広がっていくことによるダメージです。そうしたものが蓄積していけば、肉体だけでなく、精神の健康を損なってしまいます。

対策を取らず、言い訳ばかりの政府や御用学者と似たような話に驚く。若者よ、日本は終わった。これからは耳目のおもむくまま楽しく暮らしたほうがいい、とも読める。原発や放射能の危険性、国や原発村の嘘と無責任を熟知して、こう言い切るには激しい葛藤があったものと思う。提言には無力感さえ漂うが、いざそこで暮らしてみると同じことを考えるかも知れない。実は「そこで暮らす」とは福島近隣の話ではない。汚染は広がり、今後事態は最悪の時を迎えるだろう。西日本、九州などと言っている場合ではない、逃げるなら南半球か宇宙しか残されていない。3・11を機に国は変わると思った。国が壊滅するほどの事故の反省から原発は全廃され、新しい生き方や産業が息吹をもたらすだろう。しかし、変わるどころか自民党=官僚国家という旧体制が復活し、ますます絶望的なものになった。私達が選挙で選んだ道だ、逃げることは許されない。

今の文明は「期限付きのお祭り騒ぎ文明」であるということを率直に認めることこそ、ほんとうの「人間の英知」だと私は思います。

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【追記.1】先月、九州電力・川内原発の再稼働のための住民説明会が開かれた。原発再稼働に反対する市民団体は10/17、住民説明会には「やらせ」の疑惑があるとして、県などに再稼働の審議を停止するよう申し入れた。薩摩川内市で開かれた説明会は中間発表で400人だった申し込みが数日後の締め切りで1300人に急増した。会場付近では動員者を輸送したと思われる大型バスが目撃されていて、説明会には「やらせ」の疑いがあるとして、県と薩摩川内市、及び双方の議会に対して事実の解明を優先して再稼働の審議を停止するよう求めた。しかし、同日、鹿児島県の伊藤知事は「住民の理解が進んだ」と定例会見で発言した。10/28、薩摩川内市の議会は再稼働を求める市民団体からの陳情を審議した。討論では再稼働に反対する議員が「住民の最大の関心事は原発が安全かどうかで、それが担保されないかぎり再稼働には反対だ」と述べたのに対し、賛成する議員は「薩摩川内市では、川内原発の停止によって経済活動の低迷が顕著であり、一刻も早く打破する必要がある」などと述べた。採決の結果賛成が19人、反対が4人と賛成多数で陳情を採択し、市議会として川内原発の再稼働に同意した。これをうけ、鹿児島県の伊藤知事は「私としては、これまでも申し上げてきたとおり、薩摩川内市議会と薩摩川内市長、および県議会の意向などを総合的に勘案して今後、川内原発の再稼働について判断したいと考えている」というコメントを発表した。慎重、総合的、苦渋などの言葉を弄したあげく、あっさり再稼働に同意するだろう。再稼働を求める市民団体というのは原発の仕事で生計を営む業者団体だ。町議会、市議会、県議会など地元の議員を選ぶとき私達はどのような基準で選び、投票するのだろうか。「議員を介すれば..」という利便や、「親類・知人だから」などのしがらみで投票や応援をする。このような風土が改善されない限り、住民の立場で行動する議員は生まれない。選んだあげく不満や不平を言い、次の選挙では他に適当な人が居ないという理由で再び同じ人物を選ぶ。国会議員から地方議員に至るまで、さらには地域や地区役員までも理念に突き進む人は異端扱いだ。

【追記.2】政府は10/1、福島第1原発事故に伴い福島県川内村東部に設定した避難指示区域のうち、年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下の避難指示解除準備区域について、指示を解除した。年間被ばく線量が20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下の居住制限区域は、避難指示解除準備区域に変更した。避難指示区域が設定された県内11市町村中、解除は4/1の田村市都路地区に続き2例目。

ロシアでは「チェルノブイリ法」により年間線量1ミリシーベルト以上の被曝地域を「移住(避難)の権利地域」と定め、在留者・避難者それぞれに仕事、住居、薬、食料の支援をしている。

チェルノブイリ法に基づくウクライナの被災地の4つの区域分類。

  • 強制避難区域:事故直後から住民を強制的に避難させた汚染レベルの高い区域
  • 強制移住区域:年間被ばく線量が法律制定時に5ミリシーベルトを超える区域
  • 移住選択区域:年間被ばく線量が法律制定時に1〜5ミリシーベルトの区域
  • 放射線管理区域:年間被ばく線量が法律制定時に0.5〜1ミリシーベルトの区域

成長のため細胞分裂が盛んな子供は同じ放射線を浴びてもダメージは格段に高い。55歳以上の成人に比べ、10歳では200倍以上、0歳で300倍以上もガン死亡率が高くなる。0.5ミリシーベルトの区域に暮らす10歳の子供は100ミリシーベルト以上の区域の成人と同じだ。

 

元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ 小倉志郎

原発は核反応を利用した湯沸かし器で、発生した蒸気でタービンを回し発電する。「原理は産業革命以来の蒸気機関だ」という説明がされる。それに間違いはないが、設備は蒸気機関車のようにはいかない。著者は福島第一原発の4号機を除くすべての原子炉の建設に携わった技術者だ。原発のタービン側のシステム構成は火力とほとんど同じだが、湯を沸かすボイラー側は火力にはない複雑なものだ。1)原子炉再循環系、2)制御棒駆動水圧系、3)原子炉残留熱除去系、4)原子炉水浄化系、5)高圧注水系、6)原子炉隔離時冷却系、7)炉心スプレー系、8)ホウ酸水注入系、9)燃料プール冷却浄化系、10)窒素ガス供給系、11)可燃性ガス系などがある。これらのシステムの個々の構成や機能を説明しようとすると数百ページを軽く超え、運転操作まで説明すると数千ページに及ぶ。さらにこれらの設備を繋ぐケーブルや運転状態を監視する各種センサー、計器類、データを中央制御室へ送る信号ケーブル、運転制御を行なうケーブル、補給水系、圧縮空気系、各種油系、空調系、消火系、排水系、各種配電盤..があり、これらのシステムは設計も部品の製造も多くの企業や企業の異なる部門が分業で行ない建設現場で組立てられて一つの原発が完成する。

これを一人の技術者が理解することは難しく、全体に精通したものは世界に一人もいない。原発は複雑で、訓練を積んだ運転員がマニュアルを頼りに運転しているのだ。もし予期しない現象や事故で電源系統が故障し、照明が消え計器が見れなくなれば大混乱に陥る。実際、過去幾度となくトラブルは発生し、かろうじて大惨事を免れた。その中にはメルトダウン寸前の事故もあった。日常使う電気製品や機械で、30〜40年も使っているものがあるだろうか。冷蔵庫や電気釜など10年くらいで新しいものに買い替え、車に至っては数年で10万キロを超え買い替える人もいる。複雑な設備を、部品交換や点検だけで40年も使い続け、事故前には50〜60年の稼働をも容認されていた。マニュアルでしか稼働できないブラックボックスの原発を稼働させること自体、最初から無理があった。火力など他の発電所で事故が起こればそこで終わるが、原発事故は起こればそこから悲劇が始まる。

そもそもなぜこの事故が起きたのか、その理由がはっきりしていない。どこの誰も責任を取っていないし、起訴されてもいない。そして、政府や東京都は、この事故がまるで無かったかのように、2020年に東京でのオリンピック開催を招致し、電力会社は原発の再稼働を申請し、原発メーカーは海外への輸出を進めようとまでしている。これだけでも異常なことだと思えるのに、日本の世相はまるで大したことも無かったかのうように一見穏やかな時が流れている。この一見穏やかであることこそ、ほんとうの異常さではないだろうか。

地震・津波・爆発という別々の破壊力によって核燃料はメルトダウンしたが、どのような壊れ方をしたのか調べるにも近づくことさえ出来ない。原子炉や格納容器の近くは数分で致死量の被曝にさらされる。まして、溶け落ちた燃料がどこにあるのか、どのような形であるのかも全く確認できていない。崩壊熱を出し続けるため、水をかけて冷却しその汚染水が溜まっては、漏れの繰り返しだ。その漏れの経路も解らず、誰が考えても海へ流出していることは察しがつく。廃炉の計画・方法などまったく決まらず、費用だけは3兆円〜無限大という試算がある。アンダーコントロール、ブロックと言ってオリンピック招致を勝ち取ったが、恥ずかしい嘘が世界中に知れ渡った。原発事故の悲劇は事故後の調査ができないことにあり、誰一人として状況を把握しているものはいない。わかっているのは放射性セシウムについて、チェルノブイリの2倍もの量が放出され、現在も続いているということだ。チェルノブイリでは事故後28年を経たいまでも緊急避難した30km圏内は人が住める状態ではない。

何百年、何千年の昔から先祖代々住み続けてきた故郷が今後ほぼ永久に住めない土地になってしまうことを覚悟しなければならないということの被害を一体どうやって認識し、どのように表現したらよいのか、私はこれまで70年余り生きてきて、どこでも、誰からも、また、どんな本からも教えられたことがない。

最近の世論調査で原発の再稼働を容認する意見が50%近くまで回復した。電気料金、経済、温暖化などの理由が危険より優先され、実効性薄い避難計画に四苦八苦する。よく考えてもらいたい、避難する時は、もうそこへ戻れないのだ。その覚悟はあるのか。避難訓練に知恵や金をつぎこむまでもなく、原発を止めれば済むことだ。事故が起これば「終わり」だが、通常運転でも放射能は環境中に放出される。原発の保守・点検・補修などの維持作業に携わる人々が被曝する。使用済み核燃料が生み出され、ほぼ永久に管理を必要とする。そして、日本には何万年も安定した地下構造の場所がない。原発を動かしたい人々も共通の認識であるはずだ。東電の吉田所長の調書に「東日本が崩壊するかと思った」と記述されている。ひとり吉田所長だけではないだろう、死を垣間見た恐怖を以ってしても原発をやめられない。

一般の人の再稼働容認が半数近くに回復したことに驚く。原発推進側の潤沢な資金力で続けられるプロパガンダの威力はすさまじいものだ。原発反対の人々からでさえ「すぐゼロには出来ない」など、解ったふうな議論を耳にすることがある。いま、1年以上も原発ゼロでやって来たではないか。それでも電気が余っているらしく、9月、九州電力は再生エネルギー買取の中断を発表した。「太陽光発電の普及で機器に負荷がかかり安定供給に支障が出る」とのわけの解らない理由だが、電気が余って困っている様子がうかがえる。電気が足りない、燃料が高い、などの説明はもっともらしい嘘と思って間違いない。ガスコンバインドサイクルなど効率の良い火力発電をベースに太陽光、小水力、風力、地熱、その他様々な発電が可能で、これらを合算すれば電力供給に不安はない。

放射性物質の汚染は様々な経路で日本はもちろん地球上へと拡散を続ける。いまのところ検出容易なセシウムが報告されるが、地上最強の毒物で半減期2万4千年のプルトニウムの分布が福島県全域に見られる。隠蔽にも限界があり、いずれ明らかになる日が来るだろう。

・安心して空気を呼吸できない。
・安心して地元の水や農産物を、飲んだり食べたりできない。
・安心して子供を産み、育てられない。

ということが国民にわかってきたとき、いったいどんなことが起きるであろうか。国民はどんな行動を起こすであろうか。その結果、国家の滅亡という可能性も排除し切れないと私は思う。

除染さえ行えばあたかも元に戻るかのような幻想をふりまくが、福島、東日本など放射能で汚染された地域は元には戻らない。この認識を前提に今後の日本でどのように生きていけばいいのか。以下、著者からの5つの提言だ。国民を守るべき政府はおおよそ正反対のことを行ない、知らせるべきメディアは政府の番犬に成り果てた。このまま大本営発表が続くなら、一億総玉砕は免れない。

  1. 福島第一原発から放出された放射能で汚染された地域でまだ暮している人々の健康を守ること。
  2. 日本全国で流通している食品への放射能汚染を防ぐこと。
  3. 新たな放射性物質はつくらない。そのために原子力をエネルギー源として使わないこと。
  4. すでにつくってしまった放射性物質が環境中に広がらないようにする。
  5. 放射能の健康への影響について正確な情報を人々に伝え広めること。

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【追記】7/3日、東京地裁で大間原発の建設差し止めを求めた訴訟の第1回口頭弁論が開かれた。大間原発は青森県で計画されており、毒性が強く危険性が指摘されているフルモックス(プルトニウムとウランの混合燃料)を使用する世界初の原子炉である。訴訟は、30km圏内にある対岸の函館市が国と電源開発を相手に起こしたものだ。以下は函館市のコメントである。

電源開発株式会社という営利を追求する一民間企業の事業のために、27万人の人口を擁する函館市の存立そのものが、同意もなく危険に晒され、そこに住む市民の生命と平穏な生活、そして貴重な財産が、一方的に奪われかねない、そんなことがこの民主主義国家において、許されるのでしょうか。私たち函館市民は、承諾もなく近隣に原発を建設され、いざというときに避難もままならない状況の中に置かれることになります。自分たちの町の存続と生命を守るために、この訴訟を起こしたのです。それ以外に残された道はなかったということを是非ご理解いただきたいと思います。

原発を抱える町の多くの首長は、原発交付金を頼りに町政を運営する。自分たちだけのエゴで住民ばかりか国や地球の環境まで危険にさらす。市をあげての原発訴訟は日本で初めてのことだ。この正論に国や電力会社はどのようなプロパガンダを展開し、メディアや学者はどのように動くだろう。原発推進は目先の利益でしかない。いつの頃から狂気が世相を支配するようになったのか。

 

ジエンド・オブ・イルネス 病気にならない生き方
ディビッド・B・エイガス著 野中香方子訳 

全米で50万部のベストセラーとなった本で、帯には医者に殺されないための「最新養生法」と書かれている。皆保険の日本では考えられないことだが、アメリカではケガや病気で破産する話がしばしば聞かれ、そのため予防や健康への関心が高い。ジエンド・オブ・イルネスは「病気が消える日」と訳され、人々の普遍的祈りが込められている。死亡数1位の「がん」はもっとも恐れられる苦痛の象徴だ。がんの本質はまさに厄介なもので、私たちの細胞を狂わせ自己増殖することにある。外から侵入する病原菌や微生物と違い、体の中で静かに眠っていた巨人のようなものが、時々目を覚まし異常な細胞を作り出す。たいていすぐに体の防御機能により鎮静化するが、時々それをすり抜けることがある。防御機能のどこかが壊れ、チェックや調整ができなくなり腫瘍が成長を始める。

たとえとして、細胞をペットボトルだとすれば、病理医は、普通どうりのペットボトルを見れば、正常だと宣言し、奇妙な形に押しつぶされたペットボトルを見れば、がん細胞だと宣言する。これが、がん診断の現状である。分子レベルでの検査はない。遺伝子の配列を調べたりもしない。染色体の検査もない。

体の防御機能が働く前、あるいは働いているとき、早期発見・早期治療を行ってはいないのか。形が歪んだり、つぶれたペットボトルはやがて形を取り戻すのだが、修復する力を薬・手術・放射線の3大療法で削いではいないか。細菌が原因と考えられる病気では殺菌や排除で改善が得られた。20世紀は「細菌説」が隆盛を極め、がん治療もその延長で対処してきたが、道遠しの状況だ。がんの治療では細菌説を捨て、患者を見る必要があり、がんを治せないにしても、がん患者を可能な限り長生きさせることができる。がんは私達自身の細胞が異常に増殖したもので、遺伝子が変異してがん化する。がん細胞はどれも似たように見えるが、遺伝子によって振る舞いが異なり、賢く動的で進化、変異する。変異は抗がん剤にさらされることでも起り、薬剤耐性を持つ恐れがある。がんはそれ自体、私たちの臓器と考えるべきで、システムとして上手くいっていないのだ。私達は常にがんに罹っているが、体は様々な方法でそれをチェックし、コントロール不能な段階まで進まないよう制御する。

がん、リウマチ性関節炎、繊維筋痛症などの自己免疫疾患、あるいは、説明のつかない慢性的な痛みや神経障害などが体のシステムを破壊している時に、体内のタンパク質がどのように相互作用し、変化しているかがわかれば、むやみに病気と戦うのではなく、適切な治療を施し、苦痛を終わらせることができるはずだ。

先に記したように、アメリカではケガや病気が生活を脅かすので、予防意識が高くその一つとしてサプリメントの普及が著しい。医薬品と食品の中間に位置づけられ食事プラス・サプリメントで健康を維持しようとする。夢のような効能・効果を謳い、食材が豊富にあるにも関わらず、錠剤でなにがしかの栄養素を補おうとする。

「抗酸化」をうたう商品は、老化を防ぐとされるレスベラトロール(ポリフェノールの一種)などとともに、不老長寿の妙薬のごとく宣伝され、売られている。皮肉にも、(最も栄養豊富な食品を買えるはずの)高所得者の成人の3人に1人は、抗酸化サプリメントを摂取していると推定されている。

抗酸化を以って不老長寿を謳うなら、酸化が健康や長寿の敵という事になる。酸化は自然界のあらゆるところで起こり、問題とされるのは活性酸素だ。化学式で表現すると(OO)という構造の酸素が(O・)となった状態をいい、フリーラジカルと呼ばれる。この状態は不安定で(OO)に戻るため、他の分子から電子を奪い取ろうと細胞を攻撃し炎症を引き起こす。しかし、この反応は生物にとって欠かせないもので、免疫システム(白血球とマクロファージ)がバクテリアを殺したり、細胞がシグナルを送るプロセスに関与する。酸化反応が過剰になるとフリーラジカルが細胞組織にあふれ、傷ついたDNAが正常に機能しない。このためシミ、シワが増え代謝が低下し、肥満、心臓病、がん、認知症など様々な病気や老化を引き起こすとされる。健康食品・サプリメント業界の熱心な宣伝のおかげで、野菜や果物がなぜ体にいいのかを知らしめた。そこで加工した製品を掲げ、野菜や果物は不十分で不便だとの主張はおかしい。

体は元々フリーラジカルを制御する機能が備わり、グルタチオン還元酵素、グルタチオン・ペルオオキシダーゼ、カタラーゼ、スーパーオキシド・ジスムターゼなどの酵素やビリルビン、尿酸などの化学物質によってフリーラジカルを中和する。食品から摂取するビタミンA、ビタミンC、ビタミンEなども一役買い酸化の悪循環を断つ。体はフリーラジカルで悪玉細胞を攻撃しつつ、過剰なフリーラジカルは抑制してバランスを維持する。ここにサプリメントなどの抗酸化物質を与え、フリーラジカルを抑制するとどうなるか。フリーラジカルの量を調節する体の働きを阻害し、生理的なプロセスや体のシステムに悪影響を及ぼすことがある。健康食品業界の発する情報は派手な宣伝ばかりで確実なデータはなく、効果がないばかりか悪影響もでている。

こと人体に関する研究では、複数の研究結果が互いと相矛盾し、どれも信用できなくなることが多いのも事実である。結局のところ、本書の冒頭で述べたように、体は複雑なシステムであり、変数を一つ変えただけで、さまざまな影響が及ぶのだ。

人間の体は複雑で一つのことでも、影響は体のシステムなど多方面に及ぶ。薬一つ飲んでも、効いてもらいたい部位だけでなく、体のシステム全体に及び副作用という新たな病気を生み出す。病気のリスクを回避するための基本は正しい食習慣、運動、減量、禁煙に勝るものはない。食習慣の一環としてサプリメントが生まれ医薬品に迫る勢いだが、標準的なマルチビタミンに含まれる栄養素は10〜25種程度だ。野菜や果物には数百もの成分が含まれ、合成されたものではない天然のものだ。

酸化と密接に関わるのが炎症で、文字どうり「火」が二つ重なり熱を意味する。ヒスタミン、セロトニン、プロスタグランジン、サイトカインなどの物質が関与し、発熱、痛み、腫れなどをひきおこす。炎症や酸化にさらされると、金属が錆び劣化するように体も細胞や器官が傷つき老化がすすむ。例えば心臓発作は一般にいわれているコレステロールではなく、度重なる炎症によって引き起こされ、不要な炎症を避ける事が予防につながる。炎症はどこで、どのように起り、どうすればコントロールできるだろう。著者は職業によって死ぬリスクが高いものがあるという。フットボール選手は死亡率が高く、若くして亡くなる傾向にある。彼らは体をよく鍛え高体重で、これがいくつもの炎症を導き、他の選手との衝突で起る炎症にも絶えずさらされる。

慢性的に炎症を起こしている人は、心臓発作や脳卒中のみならず、場合によってはがんのリスクも高くなる。頭、肩、体幹など、何度も打撃を受ける部位では、DNAが修復不可能なまでに傷つく恐れがあるのだ。フットボール選手であろうとなかろうと、以前に損傷を受けた部位にがんが発生するのは、珍しいことではない。

古傷が後に大きな疾病の原因になる事を示唆している。養生の要として充分な休養と睡眠は欠くべからざるものだが、回復不十分なまま次々と炎症が積り、ついに体が悲鳴をあげる。スポーツ選手を見ていると黙って居れないくらい激しい練習を続ける人を見かける。とくに、成長期の子供のスポーツ熱はなんとかならないものか。「炎症を残すな」は「疲労を残すな」と言いかえて良い。西洋医学にはないが、東洋医学には於血(オケツ)という概念がある。これは出血に始まり、赤い血液が次第に茶色、こげ茶に変わりカサ蓋などの於血になる。これが体内で起ると、カサ蓋となって外れることがなく古傷に変わり血行を妨げる。東洋医学では日々起こる於血を速やかに回復させる養生法が伝えられてきた。

規則正しい生活を送る。終日、体をよく動かす(椅子に座らない!)。必要な栄養素のすべてを本物の食品から摂る。炎症を避ける。医療情報を可能な限り世界と共有する--本書の教えはいずれも基本的なことばかりだ。もう一つ、言っておこう。それは「何もしない」ということだ。

本書を通じて私が言おうとしてきたのは、体は不思議な働きをする、ということだ。体はしばしば自らを癒す。今の風潮は、ビタミン剤やサプリメントを飲んで、自分の体に健康を押し付けようとするが、何もしないほうが、より健康になれるかも知れないのだ。

「リンゴは木から落ちる」という引力の法則のようにいかないのが体である。複雑な機能に無数の物質が関与し人知では計り知れない。病気の原因も不明なまま、たとえ解ったとしてもスイッチを押せば灯る電球のようにはいかず、確率で対処するのが限度だ。効くはずの薬が効かず、効くはずのない薬が効く、いっそう「薬など止めてしまえ」と思うことがしばしばある。治療や投薬は医療者の仕事だが、究極の理想は医療者の必要がなくなることだ。

 

戦争のできる国へ 斎藤貴男

わずか20人にも満たぬ国会議員が、憲法9条を都合よく解釈し、実質的に憲法を変えてしまった。「クーデターだ」、「テロだ」と口を極めて非難する声が飛び交った。私もそう思う。クーデターと聞けば街に人が殺到し、一触即発の暴力的光景を想像するが、日々の営みのうちに行なえば殆どの国民は気付かない。閣議決定を前にして地方議会からは反対の声があがり、それに自民党議員さえ同調するところがあった。ここ佐賀では閣議決定のあと、県議会で2つの意見書が提出され、一つは可決され一つが否決された。

【佐賀県議会、憲法の早期改正求める意見書可決 】6月定例佐賀県議会は最終日の4日、憲法改正の早期実現を求める意見書を自民党などの賛成多数で可決、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定を撤回するよう求めた意見書を賛成少数で否決した。憲法改正の意見書は自民(27人)と鄙の会(1人)が提出した。外交・安保問題や震災など緊急事態への対応、環境権など、現憲法は制定時に想定できなかった課題に直面しているとし、十分な国民的議論と国民への丁寧な説明を尽くした上で国民投票を行い、早期改正を求めている。集団的自衛権をめぐる意見書は、民主、社民などでつくる県民ネット(5人)と共産党、市民リベラル(各1人)が提出した。集団的自衛権行使は海外での武力行使を禁じた憲法上の歯止めを外すことと指摘。一内閣による憲法解釈の変更は「内容の是非を超えて近代立憲主義の根本の破壊」とし、撤回を求めた。(佐賀新聞・2014/7/4)

予算、兵員、テロ、燃料、資源、食料自給率など思いつくだけでも国民の犠牲は莫大で、これに命の危険が加わる。佐賀県が可決した意見書が本当なら、県民は見識も知性も足りない議員たちを養っていることになる。かつて子供店長というのが流行り、あちこちに子供○○が生まれた。子供知事、子供市長、子供県議、子供総理.. いまや子供が社会を席巻したかのように感じる。

国家を安易に擬人化してはならないと思う。下手に擬人化するから戦争を拒否しようとする者はしばしば、「では、あなたは家族や愛する人が目の前で暴漢に襲われようとしていても、非暴力を貫くことができるのか」と尋ねられ、「いいえ」と答えては、「ならばなぜ、同じ理由で、祖国の防衛のための戦争を認めないのか」などと畳みかけられて絶句させられがちになる。

戦争は意思決定した者とは逆に、名もなく弱い立場の人から犠牲にされていく。大臣諸氏は自らが戦うという想像力も決意もなく、自らの子や孫が狩りだされるという不安もないのか。憲法9条の蹂躙はまさに子供じみた手練手管で実行された。ここに至る少し前、昨年暮れに秘密保護法が成立した。権力の胸三寸でなんでも出来る、戦前の法制の復活以外のなにものでもない。マスコミは消化試合のように9回裏になってようやく詳しい報道を始めたが、もっと以前から国民監視、言論・思想統制の網は張り巡らされていた。通信傍受法(盗聴法)、住民基本台帳ネットワーク、個人情報保護法、警察主導の自警団、街中の監視カメラなど、長い期間をかけ少しずつ、防犯というもっともらしい正義のもとで。安倍政権は大日本帝国の亡霊のごとく蘇り、軍国化へ形を整えブレーキなき車で暴走する。集団的自衛権の憲法解釈において「限定的」との言い訳を繰り返すが、この内閣は明らかに海外での武力行使を実現しようとしている。

監視も弾圧も国家権力によってのみ推進されるのではない。携帯電話やスマートフォンのGPS機能、ICカード化された社員証や鉄道定期券、医療機関の診察券、キャシュカード、クレジットカード類、グーグルの「ストリートビュー」、これらを利用したダイレクト・マーケティング等々、国民の圧倒的多数がその利便性を喜んでいる民間のビジネスを通じても、それらは果たされる。

事件が起こるたびに監視カメラの映像が調べられ、案外簡単に犯人を割り出す。良かったと思う反面、私達も同じ網の中で過ごしているのだ。国民を家畜化するツールや法律は次々とインストールされていく。憲法解釈の次は共謀罪の提出を検討しているという。これは10年も前から何度も国会に提出してきたが、その都度激しい抵抗にあって廃案にされた。

自民党が秋の臨時国会に共謀罪の提出を検討していることが判明しました。共謀罪は犯罪行為が無くとも、殺人などの重大犯罪の謀議に加わっただけで処罰対象となる法律です。処罰の範囲については色々と議論がされていますが、犯罪行為をしていない方も逮捕できるようになるこの法案は、前々からその危険性が指摘されています。それこそ、酷い案ではあなたの友達が偶然に犯罪をしただけで、犯罪現場等に居たわけでもないのに共謀罪が適応される恐れがあるのです。他にも問題点は山のようにあって、共謀罪が成立すると日本の刑事法体系は大幅に変化することになるでしょう。かつては弁護士の方々や法律の専門家等の声で法案が廃案になりましたが、今の自民党は「東京オリンピックの前に組織犯罪を防止する」という名目でこの法案を成立させようとしています。国会の過半数も抑えていますし、このままでは本当に成立してしまうかもしれません。今後も共謀罪の行方には注意が必要です。(7/13)

9条だけではない、権力から国民を守る条文が軒並み根底から覆されようとしている。震災、原発事故、失業、貧困など多くの国民が困っているのに、安倍政権はいったいなにを目指そうとするのか。

安倍政権が目指す国家ビジョンとは、「衛生プチ(ポチ?)帝国」に他ならない。米国に支配された属国でありながら、にもかかわらず、いや、だからこそかえって、その威を借りた軍事行動も辞さない、コバンザメ根性丸だしだけれどグローバルなインフォーマル帝国主義。戦争を否定しない、米国本国のミニチュア相似形のような、属国は属国でも他のいずれの属国よりもステージの高い、盟主にとっては理想的な、言わば超一流の属国を目指している。

これこそ国を売ることではないか。この流れは小泉政権の頃から形を為し始め、安倍政権でついに明瞭な輪郭を現した。与野党の議員すべてが属国を目指すわけではなかろうに、暴走を止められない。止めるべき野党はごく少数となり、中には自民党よりもっと右に寄ろうとする議員も居てまとまらない。2009年、国民の期待を受けて政権交代を果たした民主党の行状は政治家への信頼をズタズタに引き裂いた。努力してマニフェストの達成ができないのは仕方がないが、その逆の事を行った。最たる裏切りが増税だ。これ以降、政治家は明からさまに嘘をついても許されるようになった。マニフェストを破棄し、政権をほしいままにした8人衆か10人衆かは知らないが、彼らが議員辞職しない限り民主党は信頼を取り戻すことはない。自民党は政権転落がよほど応えたのか、学習を積んで復帰した。メディアをアメとムチで制御し、権力の維持を続ける。いま選挙が行われてもおそらく過半数は容易だろう。メディアの影響力は大きく、彼らの報道姿勢がいまや国を動かすまでになった。メディアが持ち上げた政治家が国を危うくし、真剣に国の未来を考える政治家をスキャンダルで失脚させる。私達がメディアの嘘を鵜呑みにして葬り去った政治家こそ本当の味方だったのかも知れない。

今回の閣議決定を「クーデターだ」、「テロだ」と口を極めて非難する声がある一方、国旗や旭日旗を振って小躍りする人々も居る。彼らの中から「反対する人々から徴兵を..」との声も出た。支持する人々はやがて自分たちの首を絞められることになっても、それまでは少しばかりのアメが貰えるのですり寄っていく。進駐軍にギブミー・チューインガムと言った時代からいかほど進歩したのか。たとえば農協、TPP反対の公約を破られても懲りずに参院選で再び支持した。見るがよい、農協はいまや解体寸前だ。多くの国民は日々の生活や仕事に追われ政治に関心を示す暇もない。疲れ切った体を横たえテレビを見ながら酒食を楽しむ。政治など面倒くさく分かりにくいものは避け、もっぱらスポーツやバラエティ番組が花盛りだ。テレビ、新聞を見る限り政治もまたスポーツやバラエティの延長で動いていく。当然、出演者である政治家に良識や知性など求めるべくもない。世論調査の結果を見ると賛・否の中間(どちらともいえず)の割合が多く、国民の半数は政治が面倒で苦手なのだろう。無党派と呼ばれる人や投票へ行かない人も半数ほどを占める。安倍総理は「日本を取り戻す」と言ったが、大本営発表、一億総玉砕.. 公約どうり「美しい」日本の伝統を取り戻してしまった。

現代の日本では、表舞台で天下国家を動かす立場にある人々の程度が低すぎる。無責任と不誠実の塊のような小物らに、国家社会の行く末を委ねておくわけにはいかないと、改めて感じた。

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【追記】閣議決定の翌日以降、全国の高校3年生に「自衛官募集」の案内封書が続々と届いた。ネット上では「すごいタイミング…」「赤紙がきた」などと戸惑うコメントが書き込まれた。封書は住民基本台帳から本年度で18歳になる人を探し、名前と住所を書き写して送っているという。台帳の閲覧は自衛隊法で自衛官募集の場合は認められている。またAKB48の島崎遥香が出演する自衛官募集CMが7月1日から公開された。驚くのは18歳の高校生の個人情報の利用が自衛隊法に盛り込まれていたことだ。

2年前、民主党政権はオスプレイの配備を了承し、岩国基地に陸揚げ後、沖縄に配備された。運用のルールも決められたが、まったく守られていない。全国を飛び回り、今月は北海道で初公開され5万人の見物客で賑わった。一方、ネットの情報では反対派の抗議はたったの14人だったという。国民は慣らされ、気にも留めないばかりか、観光や娯楽の対象としてしまった。よそごとと思っていた7月下旬、唐突にオスプレイを佐賀空港へ配備するニュースが流れ、翌日には海兵隊の移設まで伝えられた。7/20の佐賀新聞のコラムに知事は事実無根と否定しているが、佐賀県から自民党や防衛省に対し「空港を自衛隊に利用してもらえないか」と要請があったと伝わる。一体誰が?である。と書かれていた。すでに事態は9回裏を迎えているのかも知れない。慎重にというポーズを見せながらプルサーマル計画もいっきに進めて行ったし、原発再稼働に至っては知事がやらせメールを主導し、バレて追い詰められた。今回も同じように知事が軍事基地への台本を準備したのかも知れない。ゆめゆめ遠くの出来事と思ってはならない。着々と見えないように準備を整え、慣らされ、声をあげる間もなく、背後に忍び寄り、突然姿を現す。戦争のできる国へと準備を進めてきた政治家たち。その多くは自民党に所属し、国会議員から地方議員まで津々浦々ネットワークで繋がっている。総理や知事を批判しても、選挙では地元の自民党市議や県議を選ぶ。将棋に例えるなら、「王」を倒すに「歩」から攻めるが、このことが分かっていない。

 

薬をやめれば病気は治る 岡本裕

圧倒的な情報量とそれに従う多数の中に居て、異を唱えるのは勇気も能力も必要だ。著者は西洋医学の大道を歩き、疑問と限界を感じた医師である。

もちろん薬を出さなければ患者の命を救えない場面もあります。あるいは、薬を出さなければ患者の苦痛をとり除けない場合もあります。しかし、その2つの例外を除いて薬を出すのはやめようと、私は固く決断しました。

医薬品の市場規模は世界で約80兆円、この1割に近い約7兆円を日本の市場が占める。日本人は世界一、薬と医者が好きな民族ということになる。一般に医者は金儲けのため薬を処方すると思われがちだが、いくらか誤解があるようだ。医者は患者を治そうという気持ちから、副作用より効果を優先してしまう。いまの医療制度では薬を多く出しても儲からない仕組みになっており、儲かったのは昔の話だ。薬で治るとは思わないが、「患者が薬を求めるから」、「なにもしないで帰すわけにもいかない」というのが医者の本音にはある。医療情報は製薬会社を通じて提供されることが多く、パンフレットやMRの説明以上の情報が入りにくく、調べるほどの余裕もない。結果的に多くの医者が製薬会社の売り上げに貢献することになってしまう。また、標準治療の問題があり、これに従わないと近年増加する医療訴訟に勝てない。となると、自信のない医者ほど標準治療に頼ろうとし、頼っておれば何が起こってもひとまず裁判に負けることはない。

一方、患者側の薬信仰は根強く、健康という人質で脅迫されるが如し。副作用の懸念は抱きつつ、薬への依存も避けたいと思うが自分の薬は例外だと考える。ところで副作用はクジ運の悪い人だけが当たるのだろうか。副作用は「ときに」、「まれに」などと記載されるが、薬を飲んで何らかの変化が見られたなら、すべて薬と体との反応と考えるべきだ。そのなかで不都合かつ不快なものを一般に副作用と定義しているだけで、様々な薬理作用のひとつに他ならない。睡眠薬で覚醒したり、血圧降下剤で血圧が上がったりなど添付文書にも逆の作用が記載されている。薬の分量は薬理作用発現の重要な要素になり、これには個人差があってしかるべきだが、体重、体調、年齢、性差の考慮もせず、一律に大人3錠などと処方されることが多い。そのうえ、薬が一種類であることは稀で、他薬との相互作用は未知の領域だ。Evidenceに基づく医療だと自負しても、現状はEvidenceに乏しい。

学生時代に受けた授業で、非常に印象に残っているものがいくつかあります。その一つが薬理学の先生がいっていた「4種類ルール」です。「同時に使う薬は3種類か、いくら多くても4種類まで。4種類を越える、つまり5種類以上になると、神の領域になるから、大変危険である...」というような内容です。それから30年以上にもなりますが、いまもこの薬理学の先生のいいつけを守っていますし、その教えに感謝しています。

ヒトの体は60兆個の細胞と、同居する約600兆個の細菌との間で化学反応を行い、各種栄養素や酵素、水、酸素など多くの物質が関与し、滞りなく遂行することで健康が維持される。この均衡が崩れることで体調不良や病気を引き起こすことになるが、容易に崩れないように、また崩れても修復できる復元力が備わっている。一般に自然治癒力、自己治癒力、免疫力、抵抗力などと呼ばれるものだ。ここで薬を飲むと体内の反応に介入し、部分だけでなく全身に影響を及ぼす。病気や不調は改善するかも知れないが、全身的な反応で新たに不快な症状の出ることを副作用という。したがって薬は利点と欠点を秤りながら使用すべきものだ。飲んだ薬は肝臓で解毒され腎や胆汁へと排出される。飲んだ薬が多種、多量になると肝臓の負荷が増し、自己治癒力を削ぎかねない。薬は十分に得体の知れないもので、体内での反応も未解明なうえ、薬同士の相互作用は幾何級数的に増え「神の領域」といわれる。副作用はすぐに発現するなら対策が取り易いが、あとになって出てくるものはもっと複雑で厄介だ。たとえばサリドマイドのように子供に奇形や障害などをもたらすことがある。本質的に薬は毒と考えて対処すべきで、薬理や生理の勉強をした専門家が製薬会社のパンフレット程度の知識しか持ちえないのは寂しいことだ。

投薬を中止して患者の状態が悪くなるような薬はほとんどなく、あるとしてもほんのわずかである。(ドクターズ・ルール114)

副作用を訴える患者に対し、専門家たちは「副作用ではない、大丈夫」と断言し、「薬を止めるな」、「処方された薬は全部飲め」と追い打ちをかける。時間をかけて少しづつ減らしていけばほとんど問題はなく、9割の病気は薬がいらず自分で治せるという。薬が必要な1割は、インシュリンが分泌されない1型糖尿病など本来体が作っていたが、なんらかの原因で作ることができなくなり、それを補うためのものだ。他に抗生物質やステロイド剤をあげている。

著者は新薬には否定的だが漢方や中医への理解が篤く、多聞に漏れず「生薬の長い歴史」、「民間療法の宝庫」、「経験により淘汰・検証」などの賛辞がならぶ。東洋医学では上工治未病(優れた医者は未病を治す)といい、養生や食養が最上のものとされ、支持するところだが、漢方薬に直結する議論には距離を置きたい。経験による淘汰は薬効を証明する十分な条件ではなく、生薬の無数の化合物の相互作用など未解明のまま、数種、ときには10種以上を処方する。今後、絶対に解明できないものをバイアスに満ちた経験を以て有効とはいえない。漢方薬が自己治癒力を攪乱することも十分考えられ、新薬同様、基本は1種、単独の生薬が好ましい。また漢方には「誤治」の頻発が避けられない。誤治や未解明な作用がある以上、漢方薬も例外ではない。東洋医学の利点は漢方薬ではなく、その生体観にある。体質や老化に由来するものは病気とはせず、養生で済むものは、その提言を行う。薬や治療で治すことより自然に則り、治癒力を生かし温存する。これが東洋医学の存在意義と学ぶ利点だが、漢方薬局や漢方医に相談すると、ほとんど漢方薬に直結し、ついでに得体の知れないサプリメントや食品まで勧める。東洋医学の思想を理解し実践しているなら薬やサプリメントを売らないことも選択肢となるはずだ。新薬の副作用に慎重になるのと同じく、漢方薬や食品などにも注意を払うべきだ。古典的弁証を以て得られる結果は治療家によって異なり、処方も異なる。そのことで専門家同士が議論を交えるほどだ。職人技を求められるが、ときには素人の処方が有益だったりする。新薬のように症状と薬理で対処するほどの確実性にも乏しく、3000年の歴史はあるかも知れないが、4000年経っても通常医療の地位を奪還することはないだろう。

単なる薬の副作用で、1年間にどれくらいの人が犠牲になっていると思いますか?日本では明確な報告はないようですが、数万人くらいにはなると推定されています。数万人というと、交通事故死の約10倍の数字になります。

アメリカの処方件数は約30億件で、年間約10万人が犠牲になっている。日本の処方件数は13億件で、これをもとに推定される犠牲者が数万人だ。あくまでも死者であって、障害や副作用まで含めると日常的に起こると考えてよい。自然治癒力を削ぎ、体内の化学反応を攪乱することで、治癒どころか新たに別の病気を引き起こすことになる。アメリカの約10万人の犠牲は薬に於けるもので、他に院内感染で約8万人、治療ミスで約5万人、不必要な手術で約1万人、薬の投薬ミスで約1万人、計25万人となり、1年に1つの中核都市が消えるに等しい。医原病を100%回避するには医者にかからないことに尽きる。しかし、不慮の事故や緊急事態がいつ起こるとも知れない。誰しも自分だけは「助かりたい、助かるだろう」と期待を寄せるが、いずれ100%死は訪れる。不老長寿の幻想を捨て、死を現実のものとして考える訓練も必要だ。その後の価値観と行動は多様であって構わないし、一つの規範があるわけではない。

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医薬品に関する先月のニュースを2件、国は製薬会社の提出する資料を性善説で検討し許認可を出す。関わった研究者がヒモ付きであれば資料の信頼性は失墜する。これらが氷山の一角であれば、いま医療機関で処方されている薬の正当性も損なわれる。製薬会社と一部関係者は十分な利益を手にできるが、患者は身を以って痛手を受け、金銭の出費をともなう。この状況下で、投薬ミス、治療ミス、不必要な治療が重ならない事を祈りたい。

【追記.1】製薬最大手の武田薬品工業は20日、京都大などによる高血圧治療薬の臨床研究で、自社の薬ブロプレスの付加価値を高めるために、組織的に不適切な関与をしていたと発表した。有利なデータを引き出せるよう、研究者に働きかけていた。また、研究者の依頼で社員が学会発表用に作ったグラフを、薬の宣伝に利用していた。3月の記者会見では社員の関与を認めていなかった。同社が依頼した第三者機関は、企画段階から学会発表まで一貫して関与があったと調査報告書で結論づけた。長谷川閑史社長はこの日の会見で「医師主導臨床研究の公正性に疑念を生じさせかねない関与や働きかけを行った点について、多くの関係者に深くおわびする」と謝罪した。研究は「CASE―J」と呼ばれ、2001〜05年に高血圧患者約4700人を対象に実施。武田薬品が37億5千万円の資金を提供した。ブロプレスを飲んだ患者と他の薬の患者との間で脳卒中などの病気を抑える効果を比較した。その際、武田薬品は京都大の研究チームの計画作りに社員が関与。計画書のひな型を提供したり、意図に合う患者を選んで患者から協力の同意を得るよう医師に依頼したりしていた。2014/6/20)

【追記.2】東京大学病院が主導する白血病の薬の臨床研究に、大手製薬会社ノバルティスファーマの社員が研究の根幹となるデータ解析などに関与していた問題で、病院は社員が計画から実施まで関与していたほか、別の研究にも不適切に関与していたことが分かったとする調査結果を公表し、研究の代表者の教授などを処分する方針を示しました。この問題は、ノバルティスファーマが販売する白血病の薬の副作用を東京大学病院などの医療機関が客観的な立場から調べる臨床研究を巡り、ノバルティスの複数の社員が関与を続けていたものです。東大病院は24日、内部調査の最終報告を公表し、ノバルティスの社員が、資料作成やデータ解析、それに研究の事務局機能の代行など、計画から実施まで研究全体に関与していたことを明らかにしました。そして、病院には200人余りの患者の個人情報がノバルティスに流出したことに対して重大な過失があるとしています。さらに、東大病院と製薬会社との不適切な関係は、問題となった白血病の薬の臨床研究だけでなく、別の5つの研究でも確認され、このうち4つにノバルティスが関与していたとしています。そのうえで、研究グループに倫理についての認識不足と心構えの甘さが根底にあったとし、「企業から独立すべき臨床研究として不適正だ」と指摘しています。東大病院の門脇孝病院長は、記者会見で「協力していただいた患者の皆様におわび申し上げます」と謝罪しました。調査結果を受けて、東京大学は研究グループの代表の男性教授などを処分する方針です。(2014/6/24)

 

精神医療ダークサイド 佐藤光展

「うつ病はこころの風邪」、「うつ病は薬で治る」などのキャンペーンが始まったのは2000年頃だったと思う。うつ病治療薬SSRIの発売時期と一致する。精神科医を頂点に心理療法家などの「心の専門家」が爆発的に増え、前後逆のようだが、そのため患者も増えてしまった。地上に光と闇があるように、ここにも例外なく闇が存在する。人々の命を救う医者の仕事は、元来、高貴で尊いものとされてきた。いまもそう思っている人が大勢であろう。著者は新聞社の医療部記者で、精神科医療の問題点をレポートしたものだ。「誤診、拉致・監禁、過剰診療、過剰投薬、処方薬依存、離脱症状との闘い、暴言面接」の7章で構成される。

中学2年の兄はよだれを垂らし、小学6年の弟は失禁でズボンを濡らしていた。2009年春、四国地方の児童養護施設。--中略-- 施設に入って2週間。兄弟に何が起こったのか。

施設に入ったストレスで寝付きが悪くなり、深夜も落ち着かず動き回り職員を困らせた。年長の子どもからは露骨ないじめを受け、兄弟は理不尽な暴力に反撃した。兄弟は精神科病院へ連れていかれ、抗精神病薬を食後、鼻をつままれて強制的に飲まされていた。この薬は主に統合失調症の妄想や幻聴を抑えるため用いられるが、過剰に投与したり、使用を誤ると、過度の鎮静や筋肉の硬直、認知機能の低下が起こる。健康な人では少量でも動けなくなるほど強い鎮静作用がある。いうまでもなく、この事件は氷山の一角で、この施設だけでも他に複数の抗精神病薬の使用が確認されている。

病気の診断に誤診はつきもので、人体の生理と薬の複雑な反応は十分解明されていない。とりわけ精神科に於いての誤診は群を抜き、診療と言えるのかも疑わしい。診察室でうっかり、被害妄想的訴えや、幻覚の話をしたばかりに「統合失調症」と診断され、誤った薬物治療の副作用で精神状態や体調が狂う。丁寧にもこれを病状悪化と再誤診し、薬をどんどん増やしていく。人の精神状態など長く複数の専門家によって観察しないと把握は難しいものだ。それをわずか10分ほどの問診で投薬してしまう。ある大学教授は「統合失調症と判断したのは抗精神病薬を出すため、投薬のために病名をつけることはよくあること」とコメントしている。彼らは無責任な誤診の反省をすることもなく、患者の体と人生を散々に狂わせたあと、「病情悪化」の烙印を押し放り出す。統合失調症の多くは10〜20代で発症するため誤診の被害は若者に集中する。成長期の柔らかな脳は放置していても改善が望めるというのに、薬で意欲を抑制したり、衝動性を誘発したりすることで本物の精神病を引き起こす。副作用とはいうが、薬物の持つ作用には主も副もない。添付文書には「稀に」とか「時に」など書かれているが薬理作用がある以上、広範かつ頻繁に出現する。

成長期には脳機能の発達が関係する「発達障害」が見られ、誤診被害者の多くがこれに該当する。発達障害に無知な精神科医は強いストレスを受けて幻覚や妄想などを呈する若者をことごとく統合失調症と診断する。このため精神科の診断にはセカンドオピニオンが欠かせず、病状の見直しを慎重に繰り返す必要がある。薬物による取り返しのつかない障害はもとより、失禁パンツをはかされ、個室に監禁し、暴行や電気ショックの末、廃人になったり死に至る例もある。頼りの両親もまた精神医療のほうを信じ、必死の叫びを聞き流し孤立無援の地獄にたたき込む。人権侵害などという生易しいものではなく、傷害や殺人に等しい。

日本は世界に類を見ない精神科病床数を保ち続けている。この豊富な病床を、入院治療が欠かせない患者のために活かすのならよいが、人間関係のあつれきを解決する手段、あるいは財産を奪う目的などで利用する例が後を絶たない。強制入院制度が様々な思惑で悪用されているのだ。

健康な人を病人に仕立て上げる手法は製薬会社の営業戦略として知られているが、医者や身近な人々からも病人にされてしまう。それが精神病であれば、想像するだけで恐怖だ。「病気だから..」、黙しても、訴えても、異常と決めつけられ、覆すどころか、すべての言動が病の為せるものとされる。この方法で財産を略奪したり、邪魔者を隔離し、最終的には治療という名分で葬り去る。精神病は診断が不確実なうえ客観的指標が少ない。また精神科医自身が病んでいれば、診断を見直すこともなく、保身のために入院を継続させる例もある。2013年に成立した改正精神保健福祉法では、保護者制度を廃止した。保護入院時の「保護者の同意」を不要とし、代わりに「家族の同意」を盛り込んだため、両親や兄弟姉妹、配偶者など3親等以内の親族であればだれでも強制入院に同意できるようになった。普通に暮らしていた女性がある日突然、布団ごと簀巻きにして縛り上げられ、強制入院させられた。刑務所のような独房に入れられ、なにを聞いても取り合ってくれない。それどころか「反抗的態度をとるとあなたが不利になる」と恫喝された。家族間の齟齬が発端で、女性が狂信的な宗教にのめり込んでいるという、両親の話を病院は鵜呑にしてしまった。精神科への受診歴もないのに、統合失調症の薬の投与が始まる。しかし、もともと普通に暮らしていた人で、病名を断定できるほど崩れてはいない。このようなとき精神科医はパーソナリティー障害などの診断名をつけると言う。この病名はうつ病、双極性障害、PTSDなどと同様に、精神科医の恣意だけで性格や個性までも病気にしてしまう。病名がはっきりしない人に精神科医が分かったふりをするためにつけるゴミ箱診断との批判もある。この女性は10ヶ月もの拉致の後、幸いにも日常生活に復帰できた。女性は警察への被害届をだしたが、「加害者から拉致の証拠を貰って来い」と加害者のほうを守った。警察にとって精神病院は治安維持の仕組みの一部で、日頃から緊密に連帯している仲間なので対応が甘くなってしまう。軽犯罪や精神病の嫌疑が自分には及ばないと言い切れるだろうか、正常か異常か、犯罪か否かをを決めるのは、自分ではなく彼らなのだ。社会には人の運命を狂わせ、命さえ弄ぶ人々が存在する。

2000年前後から「うつ病」キャンペーンが始まり、9年後には患者が2.4倍も膨れ上がり100万人に達した。この異様な増加は、抗うつ剤SSRIの販売と一致する。軽症のうつ病は自然に治るものが多いが、早期に発見し早期に薬を飲めば治るというキャンペーンが大々的に行われた。誰もが病気に詳しくないので無批判に受け入れ従った結果、治療の必要のない人までもが受診し、投薬を受けた。

日本で患者急増が始まった頃、海外ではすでに過剰診断の問題が指摘され、軽症うつ病に対しては抗うつ剤の処方を第一選択とせず、まずはカウンセリングなどで様子を見る動きが広がろうとしていた。軽症患者は短期間で回復する可能性が高いので、薬を治療の第一選択としない方針は合理的だった。
だが日本は海外の先例に学ばず、「うつ病は心の風邪」などのキャンペーン標語が流布され、社会に刷り込まれていった。軽い風邪に必要なのは休養で、対症療法的な薬は必須ではないが、うつ病キャンペーンは「心の風邪」とうたいつつ、服薬を強調した。

早期発見・早期治療の根拠なきフレーズはいまや医療の隅々まで行き渡りこれを疑うものは殆どいない。キャンペーンは効を奏し患者は不自然な急増を呈したが、自殺につながるような深刻なうつ病患者はなかなか受診せず、環境要因で落ち込んでいる人たちに、安易に抗うつ薬を処方するケースも急増した。診断は曖昧かついい加減なもので、詐病でも仕事や学校をを休み続ければ「支障が出ている」とされ、様子を見ることもなく薬が投与された。以前は内因性(器質性)か心因性かを区別し、メジャーとマイナーの薬を使い分けたが、製薬会社の巧みな販売戦略により躊躇も熟慮もなく抗うつ薬が処方されていった。

操作的診断基準のうつ病は「脳の病気」と「心の病気」の両方を含むのに、「うつ病は脳の病気」と啓発し、「心の病気」の人や、昔風に言えば「軽いノイローゼ」の人まで「私も薬が必要」と思い込むようになった。うつ病患者の急増は起こるべくして起こったのだ。

内因性のうつ病を引き起こす脳機能の変化の詳細は未解明で、実際は様々な変化が起こっていると考えられる。製薬会社のパンフレットのような、セロトニンとノルアドレナリンの模式図で説明できるような単純なものではない。ある大学教授は、「今の医療は製薬会社の資金なしには成り立たない」という。多くの医者は製薬会社が用意したデータを、正しくはパンフレットをそのまま信じて患者に投与する。その教授は「長年精神科医をやってきましたが、本当の意味で治せた患者の数は片手に収まるくらいです」と述懐した。なにもしないで治る軽いノイローゼや試験前の正常な緊張まで病気にしてしまえば治るのはあたりまえだ。しかし、偽薬ならまだしも抗うつ薬のSSRIは感情の高ぶりや自殺企図、性機能障害などの副作用を伴い、本物の精神病を生み出す恐れがある。2010年1月米国ペンシルバニア大学などの研究チームが行った抗うつ薬の調査では、「軽症から中等症のうつ病患者は、抗うつ薬を服用しても偽薬と差がないか、あってもごくわずか」という内容だった。SSRI又は三環系抗うつ薬を服用した患者と偽薬のを服用した患者の回復度を6週間以上比較した6つの代表的研究を集め、再解析を行った信頼性の高いものだ。この後、ようやく日本のうつ病学会が動きだし、2012年に軽症のうつ病では薬を優先せず、面接で患者を支え回復に導くことを基本とする指針が示された。また、SSRIの他、抗てんかん薬、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬や睡眠薬、抗うつ薬、ステロイドなど多くの処方薬で気分障害や抑うつ状態を引き起こすことが明記された。いまや処方薬1種類だけというのは珍しく、多剤投与が日常茶飯事だ。以下のドクターズルールも遵守するほうが望ましい。

「4種類以上の薬を飲んでいる患者は医学知識の及ばぬ危険な地域にいる」

うつ病の過剰診断が問題となり、うつ病の診断も抗うつ薬の販売量も減少した。製薬会社は次なる市場の開拓に乗り出している。ここ数年増加している精神疾患を米国の数字で見てみよう。注意欠陥障害3倍、自閉症20倍、小児双極性障害20倍、増加が異常であると共に、すべての疾患が小児や若者に関係する。元気の良いまともな子供を病気に仕立てあげ、成長過程の柔らかな脳を薬で壊す。ここには精神科医のほか小児科医も関与し、カウンセラーや教師、保護者も巻き込まれる。

誰も病気の本体を見ることができない精神疾患の早期治療は、なおさら危うい。いくつかの精神症状を根拠に、若者が将来患うであろう精神疾患を予想し、早々と投薬を行うことは、血便だけで大腸がんを恐れ、大腸を切除するようなものだろう。実は痔だったらどうするのか。

過剰診断で仕立て上げた患者には、次なる過剰投薬が待ち受ける。2007年、北海道のある総合病院で38歳の男性の心臓が突然止まった。救命措置で蘇生したが意識は戻らず、9か月後、別の病院で死亡した。心臓が止まるまでの20日間の主要な薬は以下のようなものだった。

  • 抗精神病薬(注射・点滴):セレネース・トロペロン・レボトミン・コントミン
  • 抗精神病薬(経口):リスパダール・ソフミン・コントミン・ロドピン・セルマニル・セロクエル・ジプレキサ
  • 抗てんかん薬:フェノバルビタール・テグレトール・ハイセレニン
  • 睡眠薬:ベンザリン・スローハイム・ドラール・サイレース・マイスリー

CP換算値というのがあり、これは古典的な精神病薬であるクロルプロマジンの量に置き換えて比較する数値だ。リスパダール8mgはCP換算値800mg、ジプレキサ10mgは400mgなどとなる。1000mgで心臓の異常など致死的な副作用の恐れが高まる。この男性の心臓が止まる前日までに6000mgもの投与が続けられ、他にも電気ショックなど治療と称する拷問が粛々と行われた。父親が心臓停止について何度問いただしても主治医は「原因不明」と繰り返すだけだった。両親は不誠実な主治医と病院に慰謝料など損害賠償を求め裁判所へ提訴したが、裁判所は薬が原因であることは認めたものの、治療や投与量は医師の裁量の範囲内とした。主治医はまだ一人前とは言えない後期研修医だが、医師としての裁量だけは一人前ということになる。注目すべきは、致死的な投与量は今回だけの特殊な例ではない事だ。2009年、精神科のある全国の病院を対象に調査をおこなったところ、1日1000mg以上の抗精神病薬を投与する入院患者の居る病院は、回答した135病院の約83%に達し、2000mg以上も約52%にのぼった。入院患者の平均投与量が1000mgを超える病院も13施設あり、投与量が最も多い患者は6600mgだった。

こうした病院に大量投与の理由を聞くと、担当医は決まってこう答える。「確かに多いですが、患者さんはこの量に慣れているため、減らすとかえって悪化してしまう。減薬は患者さんのためにならない」。このようなケースは大抵、精神科医に減薬の技術がないために減らせないのだが、命を脅かしかねない大量投薬を何年、何十年も続けておきながら「患者のため」と言い切る。それで通ってしまうところが、精神医療の恐ろしさと言える。

さらに震撼せしめるのは子供への安易で過剰な投薬だ。落ち着きのなさなどからスクールカウンセラーを経て、精神科を受診させられた子供が居る。服薬を始めたとたんひどく暴れるようになり、さらに薬が増え突然の心停止で死亡した。また別の子供は、なんの予兆もなく自殺した。死には至らなくても精神科受診を境に子供の状態が悪化するケースは少なくない。調査によると高校2年の男子の3%。女子の6.6%が抗不安薬や睡眠薬などを服用していることが分かった。製薬会社はうつ病のキャンペーンで子供のうつ病を広め服薬を促す動きをし、精神科医の中には同調し「早期投与」を声高に主張するものが現れた。発達途上で環境に影響されやすく、感情の起伏も大きい子供を製薬会社の都合でうつ病にしてはならない。

医師の集まりにおいても、精神科医の不適切な処方は厳しく糾弾されている。救急医療では、運び込まれる人の10〜20%が自殺企図や自傷行為の患者で、このうち半数が処方薬の過量服用だ。しかし、常用量でも問題があり、さらに種類が増えると未知の領域に踏み込むことになる。

薬物依存は、主に3つの状態が絡み合って深刻化していく。薬を摂取できないと強い不安が生じ、激しい欲求を感じるようになる「精神依存」と、服用を急に止めたり体内の薬物量が減ったりすると苦しい離脱症状(禁断症状)が出現し、その苦痛から逃れるために薬を求めるようになる「身体依存」、そして、薬の効果が次第に弱くなり、同じ効果を得ようとして使用量が増えていく「耐性形成」だ。

ベンゾジアゼピン系を中心とした抗不安薬や睡眠薬は大麻やヘロインより、精神依存性と身体依存性が生じやすく、耐性形成は覚せい剤と同等とされている。ベンゾジアゼピンの代表的な商品名は以下のようなものだ。リーゼ、セレナール、レスミット、バランス、コントール、コレミナール、ソラナックス、コンスタン、セルシン、ホリゾン、エリスパン、メンドン、メレックス、メイラックス、デパス、ワイパックス、ユーバン、レキソタン、セニラン、レスタス、セパゾン、リボトリール、ランドセン..

2001年、日本のベンゾジアゼピン系薬剤の処方件数は欧米の6〜20倍にのぼるとの報告があった。問題は以前から指摘されており、精神医学の教科書や学術論文も発表されているが、それすら読んでいないのか「副作用はない」、「長く飲んでも安全」などと言い続けてきた。医者は経営の為に患者を依存症に陥れるのではないかと思われる数字がある。首都圏の4つの依存症治療専門病院に通う患者87人のうち、88.5%が精神科で抗不安薬、睡眠薬を入手し、83.9%が精神科で別の精神疾患を治療するうちにベンゾジアゼピンの使用障害を起こしていた。このうち43.8%は精神科で診察なしに処方を受けたことがあり、患者の半数は1年未満の服薬で乱用状態に至っている。処方薬依存の危うさを物語る、ある調査では万引きなど繰り返す窃盗犯のうち男性で30%、女性で29%が薬物乱用状態で、このうち90%が主にベンゾジアゼピン系の依存症に陥っていた。本人も気付かぬうちに酩酊状態になり、窃盗、暴力、自動車運転事故を繰り返し起こすことが多い。

医療関係者の皆さんにお伝えしたいことは、患者は依存形成に気付かないということです。つまり、今の日本には無自覚の薬物依存者が大勢いて、その人たちは心身の不調やおかしな言動の真の原因に気付かぬまま日々を過ごしているということです。そして、たとえ自分が薬物依存に陥っていると気付いたとしても、(中略)頼るところも情報もなく、多くの人が途方に暮れています。

医療関係者の一員である薬剤師については最後の半頁で触れられていた。1種類でさえ危ない薬を、幾種類も処方し10種を超えることも珍しくない。調剤の業務を行なっていれば不安を覚える処方を目にするはずだが、内容をチェックをする筈の薬剤師の存在は希薄だ。彼らは「大丈夫」、「医者に聞いてくれ」としか言わない。しかし、薬剤師の苦悩も十分わかる。薬剤師から医師へ物申すことは難しいし、同業者たる医師の意見も聞かないのに、薬剤師が言えば反感さえ買い、患者さんにとっても好ましくない。薬剤師にできることはセカンドオピニオンを勧めるくらいしかなく、これを積極的に行うべきかと思う。「薬剤師に言われたと言えば次の医師も素直に聞いてくれないので、ネットで調べて疑問を持った、などと訴えてみてください」、このような控えめなアドバイスでも多くの患者さんを救えるはずだ。関わらなければ見えない闇がある。普通に暮らしていても、ある日闇に引きずり込まれないとも限らない。ひとまず精神科には近づくまい、精神科医の発言や製薬会社、メディアの広告を鵜呑みにしない、自分又は他人に病の嫌疑をかけることなく、「時の癒し」も選択肢に入れるべきだ。精神医療だけではなく、医療全体が同じ問題を抱えている。

 

(株)貧困大国アメリカ 堤未果

今この国の三権分立は、かってないほどの危機に瀕しています。あらゆる分野で大企業の力が強くなりすぎ、ついに議会の権限まで超越してしまった。

貧困大国アメリカの今は、やがて、或いはすでに進行中の日本の今後を映し出す鏡と言えるだろう。現在、日本を含む各国政府が交渉を進めているTPPの相手は、かってのような国家としてのアメリカだと思わないほうが良い。交渉内容は600社の企業代表だけが閲覧や修正を許可され、国民の代表である国会議員は自由に見ることもできず、協議する場も与えられていない。企業が巨大化するとその資金力をして買えないものはなく、三権までも意のままにしてしまった。

レーガン政権下で独占禁止法規制緩和が為され急速な垂直統合ブームが始まった。垂直統合とは生産工程の異なる企業による提携・合併・買収などで競合者がいなくなり、市場が統合されていくことをいう。日本でも大型店が要所に建ち、巨大資本の傘下で点在するコンビニの風景が定着した。商売は場所が第一といわれ駅前や商店街を一等地として個人商店がしのぎを削った。いまやそこはシャッター通りと化し、後継者もなく廃れつつある。「食卓に安くて新鮮で安全な食を..」などと体裁をとった宣伝を打つが、実際の目的は企業側の利益拡大だ。巨大化した企業は商品の仕入れ先や物流企業に対し、厳しいコスト削減や品質向上、工程期間短縮など要求し、自社独自のやり方を導入させる。これに対する交渉は一切できず、契約後も厳しく取り締まり、受注ミスや売り上げ不振のペナルティは納入者側へ科される。テーマパークのような大型ショッピングモールで1日を過ごし買い物や食事を楽しむ陰に、奴隷のごとく搾取される人々の姿は見えない。

コスト削減のため大規模化が推し進められ、多種多様な農作物を作っていた中小農家が消え、農地は集約され大規模な単一栽培に変わった。このまま規模拡大が続くと、極少数の巨大農場と巨大アグリビジネス企業のみが食料全体と富を支配することになるだろう。TPPの議論の中で農業の規模拡大と輸出を金科玉条のごとく語るが、できなかったら廃業せよというのか。目前の短期的利益に心を奪われ長期的かつ隠れた利益に思いが至らない。寡占化による市場競争の喪失、狭い敷地内に何千頭もの家畜を詰め込み飼育する際の環境汚染や病気、災害時に失われる食の安全保障、全国規模の流通による化石燃料の増加コストなど数え上げればきりがない。

垂直統合による食と農業ビジネスの巨大化を最も歓迎したのは「ウォール街」だった。大手銀行、投資銀行、資本家、ヘッジファンドらは業界の吸収・合併に積極的に関与し、融資はもちろん、戦略的アドバイスに至るまで提供した。リーマンショックでアメリカの経済全体が深刻な不況と高失業率に苦しんでいたときでさえ、ウォール街から活気が消えることはなく、毎月莫大な手数料が湯水のごとく流れ込んでいた。経済破綻を引き起こした張本人でありながら、反省もなく、破綻をてこに益々の手数料収入に血道を上げた。吸収・合併を繰り返し、企業規模が拡大するにつれ食品・アグリビジネス企業の役員や株主に金融業界幹部の名が増えていく。農業や食は、目先の金銭だけを動かすマネーゲームの商品と化した。2002年に7700億ドルだった食料投機額は、2007年までのたった5年で100倍の7兆ドルに跳ね上がった。実際に物を売り買いするのではなく、それを売る権利を売買する取引は現物とは関係のないところで値段が決められる。サブプライムローンがそうであったように。しかし、食料は人間の生死に関わる分、実害は不動産どころではない。想像を超えた儲けで勝ち組になったウォール街と企業はその資金力でマスコミや政府を買うようになった。

大半は何が起こっているのかさっぱりわかっていないでしょう。国民が法律そのものに関心をまったく払わないことに加えて、企業はその資金力で政府だけでなく、必ずマスコミも一緒に押さえるからです。こうすれば国民に気づかれずに都合のいい法改正を行える。1日の平均視聴時間が8時間以上のテレビ社会アメリカでは、国民の思考は番組制作者が形成するのです。

マスコミは広告宣伝費で懐柔すれば簡単なこと、政府も基本的には同じだ。監督官庁の委員と企業の幹部が回転ドアのように人事交流を行う。かつては官業癒着として厳しく非難されたが、それを伝えるマスコミがこの体たらくだ。元裁判官を顧問弁護士として迎えることで、司法までもが意のままになる。企業に有利な法律を作り、不利な規制は緩和・撤廃させる。食は効率と利益を優先し工業化された結果、極めて不安なものになった。2013年、FDAの全米薬剤耐性監視システムが発表した報告書によると、検査対象となった七面鳥のひき肉の81%、牛ひき肉の55%、豚の骨付ロース肉の69%、鶏肉の39%から抗生物質に耐性を持つ細菌が検出された。全米で年間、数100万人の食中毒患者が発生するが、抗生物質が年々効かなくなっている。1990年末までに、全米製薬企業の販売する抗生物質の7割が家畜に投与されていた。家畜が農場で育てられていた1950年代に年間230トンだった抗生物質の使用量は2005年に約80倍の18000トンに膨れ上がった。抗生物質や成長ホルモンは感染症の予防や家畜の成長促進に用いられ、大規模な家畜工場に欠かせないものだ。

新種の病気が増えましたね。鳥インフルエンザ、大腸菌、フィエステリア、サルモネラ中毒、狂牛病、カンピロバクター、といった病気が猛威を振るい始めました。これらはみな過去数十年に食の工業化で効率を追い続けたことの産物です。

世界中の食材が昔より安く、手軽に入手できるようになったが、1950年代に比べるとビタミン、ミネラルなどの栄養分が4割失われ、使用される薬剤と相まって人々の健康は悪化していく。食べ物は加工すればするほど、レジで払う代金が安くなり、安くなる分、栄養が減り添加物の増えた食品で健康を害する。ツケは大量生産による環境破壊の対策費や医療費として国民が払わねばならない。オーガニックなど、より良い品質を求めたとしても巨大企業の提供するものには疑念が残る。包装デザインと宣伝の巧みさで通常の自然派食品に夢を持たせ、知識層や高所得層の購買を促す。オーガニックの認証システムは厳しい基準が課され、詳細な内容記録と大量の書類の提出を求められる。単一栽培が中心のアグリビジネスにとっては難なく行なえることが、小規模で多種多様な作物を育てる有機農家にとっては大変負担になるものだ。ここでも中小農家は淘汰され、オーガニックの理念も違ったものになった。地産地消や身土不二などといわれるが、これもTTPで農家が壊滅すれば終わりだ。各自、ネギ1本でも自給可能な道を開いておくべきかと思う。

今ではたとえ広い土地を持っていたとしても、農家自体が持つ実権は殆どない。経営能力に優れ、大企業とわたり合いながら生き残っている農家も、ふたを開けてみると多くの場合、農場、種子、肥料の配分、農機具にいたるまで大企業に細かく指示され、種子の保存も許されず、雇用主に言われるままに働くというシステムができている。

アメリカの農業は大規模で生産性が高く、政府が農業を守っていると思いがちだが、守られているのは農家ではなく、企業でありアメリカ人でさえない。企業が参入することで無国籍化し生産効率と利益拡大を際限なく追及するため、農家も歯車の一部となり、農業を取り巻く文化や伝統までもが意味を失っていく。

イラクをみるがよい。9・11を機に大量破壊兵器保持の言いがかりをつけ、多国籍企業に市場を開放した。100万人単位の死者、数100万人の国外難民、劣化ウラン弾による環境汚染、米兵の死傷者を出し、代わりに欧米の多国籍企業は石油・金融など多岐にわたる利権を手にした。イラクでアメリカが行ったことは、物理的な破壊だけではなく、国の根本的な枠組みを合法的に作り変え、多国籍企業の「夢の地」と言われている。イラクの農家は1万年もの間、毎年地域の気候に合わせた小麦を多種多様な選択肢の中から選び、翌年のために保存した種子を最適な形で交配させ進化させてきた。しかし、アメリカ政府は「イラクの農業を近代化させていく」といい、GM種子と農薬、農耕機具をもれなく提供し、モンサント、カーギル、ダウケミカルがスポンサーとなった。最初、無料でGM小麦と農薬をセットで提供し、1年で目覚ましい生産高を達成した。こうした動きの中で、ある法律が成立する。「今後あらゆる新製品やその製造技術は特許で保護される。保護された製品は、20年間の保護期間、特許所有者の許可なしでの不正使用、製造、使用および販売をしてはならない」と言うものだ。知的財産権と呼ばれるもので、世界の国家間のパワーゲームを左右する強力な道具である。

イラクの伝統農業に終止符が打たれた。前年の種子の保存も、農家同士の交換も交配も違法とされる。「自分の土地で取れた種子を翌年使えない、種子は毎年モンサント社から購入せよ、農薬は必ずモンサント社から購入せよ、毎年ライセンス料をモンサント社へ払え、トラブルが発生しても内容を他に漏洩しない」。これらを順守させるため、モンサント社の私設警察による農場への立ち入りまで許可しなくてはならない。イラク農民は最初、無償で提供されたセットの中身を知る術がなく、後で気付いたときにはすでに遅く、彼らは永久に特許使用料を支払うサイクルに組み込まれてしまった。種子バンクに保存されていたイラクの貴重な種子はアメリカの爆撃ですべて破壊されていたのだ。

GM種子や、それとセットで売られる毒性の強い農薬は、今後世界的に深刻な問題になるでしょう。本当に知られるべきことがこの数十年ずっと伏せられてきたのです。私たちはもっともっと知り、伝えなければなりません。世界各国で起きていることの共通性を。私たちの善意の気持ちが、弱いものたちを苦しめ、一握りの強者を潤わせることに利用されないように。

GM種子、農薬、農機具によって大規模化されると労働力がほとんど要らず、大量の農民が失業する。単一栽培による土壌劣化で農薬使用量が増え、周囲の伝統的農業は大きな被害を受ける。強力な除草剤が他の作物まで枯らす。TPPは、人、モノ、カネ、情報などあらゆるものを国境を超えて流動化させるグローバリゼーションの集大成といえる。実施されればそれぞれの国が持つ主権が制限され、投資家と多国籍企業は完全に法治国家を超えた強力な力を持つ。企業群はあらゆる規制を撤廃し、いよいよ最終段階に向かっている。もし、頓挫してもまたすぐ別の名前で繰り返し現れるだろう。

国民の意識は保守対リベラルにひきつけられる。けれどそれはバーターで、いまのアメリカ民主主義は「1%」によってすべてが買われているのです。司法、行政、立法、マスコミ...「1%」は二大政党両方に投資し、どちらが勝っても元は取る。テレビの情報を信じる国民は、バックに巨大企業がいることなど夢にも思わずに、いまだ敵を間違えているのです。

 

清貧の思想 中野孝次

22年前、1992年の出版だ。この年、経済企画庁は公式見解として「前年でバブル経済が終結した」と発表。景気は悪化し、オイルショック以来の就職氷河期が到来した。平成の失われた20年の始まりである。本書はこの年に出版されベストセラーを独走し続け、テレビ、新聞などのメディアにも取り上げられた。清貧とは大変贅沢なことで、余裕のある人々の心の余裕を説くものだと思って読んだ。バブルの余韻は残り希望も失われていなかった。あれから20余年、所得格差は広がり、年収300万以下の人が男で4割、女で8割を超え、非正規雇用はこの20年で16.5ポイント増え、男で38.2%、女では57.5%となった。フリーターの造語を生み、新しいライフスタイルだともてはやしたが、現実は搾取のための方便だった。片や億単位で稼ぐ成功者が台頭し、メディアは彼らの生活や仕事ぶりを讃える。

4月から消費税が8%へと増税される。3%から5%のときは減税措置も施されたが、今回は円安で物価高のうえに、福祉目的税だったはずが福祉を放逐しての増税だ。この分がどこへ行くのか知ってのとうりである。一般庶民には厳しい日々が待ち受け、古今東西、庶民は暴政に耐え、抜け出したかったら勉強して官僚や政治家などの勝ち組に入れということだ。小店を営んでいると、来たる増税への対処も考えなくてはならない。増税分を払う側と貰う側に立ち複雑な思いだ。来年は10%への増税も容赦なく敢行されるだろう。自分にはこれを覆すことも能わず、せめて痛みを忘れさせる鎮痛剤が欲しい。商売も凋落傾向にあり、清貧をライフスタイルとし貧しさを貴く美化して満足に浸るも良し。本棚をぼんやり眺めていると、ふと本書が目に止まった。物を所有することの煩悩に対し、持たないことで心を豊かにする美学が綴られている。日本の清貧に対する思想を古典を通して語るものだ。思想といえばいかめしいが「ものは考えよう」ということだ。心頭滅却すれば火もまた涼し、貧しさは変わらないが、心を愉しませるか苦悩するかで見える景色も違ってくる。

世間ではともすれば金銀でも持ち物でも多く所有すればするほど人は幸福になると信じているようであるが、これくらい間違った考え方はない。むしろそれは逆なのであって、所有が多ければ多いほど人は心の自由を失うのである。

大邸宅を構えれば、維持管理に人手や金銭の出費を要し、財宝を持てば、壊れたり盗まれたりしないかと気を揉み、生活を維持するため、ますます働き稼ぎ出さねばならない。まことに愚かなことで人は所有が多ければ多いほど所有物に心を奪われ、心は物の奴隷になる。物欲を捨て自由になったとき、人がどれくらい豊かになるか知って欲しい。人間は生きていくうえで必要欠くべからざるだけの物があれば良い、それ以外のものを持たないのが真の自由人だ。人が死んだ後、残った財があってもロクなことはない。絵画や骨董は価値も分からぬまま処分され、金銭は争いの挙げ句、相続人たちに分配され雲散霧消する。

この世で一番大事なのは心が安らかであるかどうかである。もしたえず安らかならぬ心の状態なら宮殿・楼閣に住んだとて空しく、もし草庵にいても心安らかならそのほうがずっといい。

鴨長明は方丈記でこのように言っている。人生50年といわれる時代、長明は50歳で出家隠遁しているが、世を捨てたというより、世からはじき出された恰好で未練と恨みを抱いていた。最後まで世の中への執着を捨てきれぬまま思い至った境地であろう。現代に例えれば、会社人間としてひたすら尽くしてきた人が、社内の人事や組織とぶつかり絶望し、一念発起して自給自足の田舎暮らしを始める。未練や恨みはあるが、それを引きずっては我が身が辛い。「心安らかなほうが良い」と、いい聞かせるうち、日々の暮らしに慣れていく。「ソレ、三界ハ只心ヒトツナリ」、衆生の活動する全世界は心の持ちよう如何で価値が逆転する。

生涯 身を立つるにものうく
騰々 天真に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の跡
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
雙脚 等閑に伸ばす

良寛はこのような詩を詠んでいる。自分は立身出世や金儲けに心を労するのが嫌で、天のなすままに任せてきた。この草庵には乞食で貰った米が3升、炉辺には1束の薪があるだけ。これだけあれば充分。迷いとか悟りなど知らず、名声や利得など問題ではない。夜の雨が降る草庵の裡に居て、2本の足をのどかに延ばして満ち足りている。日本人も戦後は、このような暮しをしていたが、窮乏からなんとか這い上がり豊かな生活をしたいと齷齪働き続けた。しかし、良寛は初めから腹いっぱい食べようとか、生活を豊かにとか、立身出世などの願望がなく、自ら清貧の道を選んだ。衣食足り、贅沢に流れてしまった我々には真似のできないことだ。ないのが常態のとき初めて物のあることに無上の満足と感謝を覚える。あるのが常であれば、ないことの不満を感じても、あることの感謝はわかない。

たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時
たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物くふ時
たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時
たのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人を見し時

曙覧の独楽吟で、貧乏生活の中での生きるよろこびを詠んだものだ。花鳥風月を愛で詩を作り和歌を詠むことも然りではあるが、日常のありふれた瞬間にも喜びがある。暖衣飽食、金さえ出せば欲しいものが手に入る時代に、このように質実な愉しみが残されているだろうか。

されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。

吉田兼好の徒然草の一節で、江戸期を通じて文人の最も愛好した古典であった。死すべき運命にある人間の自覚を説いたものだ。自分が生きて今存在しているという、これに勝る喜びがあろうか。この喜びを日々確認し生を楽しむべきだ。今ある生を楽しまないのは死の自覚に欠けるからだ。老若男女、時を選ばずいつ死を迎えるとも知れない。人間にとって最高の宝は財産でも名声でも地位でもなく、生きて今を楽しむことだけだ。他のことに心を紛らわされず、仕事、人間関係、世間体などの諸縁を断ち切って心を安らかにしておくことが大切だ。ここには死への諦観があり、物への執着は生への執着となり、いさぎよい生を妨げる。「人はどこから来て、どこへ行くのか」という解なき無常観が根幹を貫いている。

最近、「断捨離」という言葉が聞かれるようになった。これはヨガで使われるもので、「要らないものを断つ、要らないものを捨てる、物への執着から離れる」という意味で、片付けや整理に留まらない奥の深さをいう。バブル崩壊以来、一向に明るい兆しは見られず、格差はどんどん広がり貧困問題まで生じている。しかし、豊かさを維持し続ける階層も存在するわけで、そこに生まれたのが「断捨離」であろう。清貧に生きるとか断捨裏といっても、誰が言うかによって意味も異なる。きょうの食すらこと欠く人に、清貧や断捨裏を説いても富者の驕傲にもとれる。求めて清貧を実践した先人はゆるぎない信念と愉しみがあったのだろう。凡庸な自分には解りづらいが、衣食足りて、さらに何かを欲する気持ちの戒めとなった。

 

医学不要論 内海 聡

不要などと考えたこともなく、欠くべからざるものと考える人にはトンデモな読み物であろう。しかし、信じて疑わなかった事に問題を投げかけ、通念に流される事への再考を促すもので、一読の価値はある。病気が治るかのような希望や永遠に生き続けるかのような幻想を抱いて日々健康へ邁進する。それは良いとして、医療や薬に依存することで思いが叶うだろうか。

「病気を治す」という言葉の定義は「病院に行かなくなること。病院に行かなくても済む状態になること。病気自体が維持というレベルを通り越して改善すること」とする。

もっともなことで異論はないが、人によっては予防・早期発見の強迫に駆られて病院へ行くので、一蹴される定義かも知れない。著者は医学や医療にギリギリまでかかるなという。現代医学によって救われるのは死にそうな人だけで、命を救うため西洋医学の負の面を乗り越え役割を果たすときだ。治せない病気や体質や老化に至るまで病名をつけて、医療を施す。治せないもの治らないものを明らかにし、これ以上の医原病作りは止めたほうがいい。米国の統計によれば、医療が原因で死亡する米国人は毎年78,3936人、心疾患の69,9697人、ガンの55,3251人を抜いての1位だ。医学にはこれだけの危険が伴うが、「自分だけは特別に救われ、長生きできるだろう」と思い手術や投薬を受ける。数字から推して結構な確率で被害を被ることは間違いない。被害と感じないまま、あるいは被害を病気と勘違いし、さらなる治療に嵌るのかも知れない。

次は米国の医学ジャーナルに報告されたデータの概要だ。14の一般的な症状に対する診断所見で、10%は心理的、16%は器質的、74%が不明だという。心理的とされる10%でさえ本質的な原因はわからず、結局、病気の8割以上を対症療法でしのいでいる。そのくせ濃厚な検査を強いて、薬の多剤投与がルーチン化されている。日本は薬の使用量だけでアメリカの4倍にも達し、検査にも薬にも有効性や安全性の捏造と情報操作が付きまとう。最近の事件で世界第2位の製薬会社ノバルティス社のデータ捏造があった。いままでの治療薬と効果は変わらないのに、担当社員が複数の大学の臨床研究データを操作し、他の薬より脳卒中や狭心症を減らせるという論文を発表した。これは特異な例ではなく、いままで業界で繰り返されたことで氷山の一角に過ぎない。

定義や診断が治療に直結するのが本来の医学であり、100%因果関係が明らかで治癒に結びつくものが病気といえる。原因不明で苦しんでいる症状を病気とするなら、恋の病でさえ病気にされてしまい、うつ病だと言われ薬漬けになった例は多い。原因が突き止められない事象はたくさんあり、物理学など他の科学は未解明なものは解明のために研究を続けるが、医学は病気の本質を追及しないで数値や症状を改善させる薬へと誘導する。未解明のまま、解明されたかのように振舞い症状を抑えたり、数値を下げるだけの対応で取り繕う。現代医学で因果関係がはっきりして治癒できる病気の代表格が心筋梗塞だ。100%疑う余地はなく、心臓の血管が詰まることで引き起こされ、取り除くことで救命される。現代医学で治癒可能な病気のひとつである。一方、心筋梗塞の原因とされる動脈硬化症や高脂血症などの生活習慣病は要因の一つに過ぎない。体質にさえ肥満症と名付け治療を施す。定義や基準を設け病気を関連付ければ、いくらでも病名が生まれ薬の販路も広がる。

現代医療や新薬が対症的に運用される反面、代替医療には根本を治そうという思想がいくらかでも見受けられ、手法や技術の違いは枝葉の問題だ。彼らは現代医学の問題点をとらえ精力的な啓蒙に余念がない。それはそのまま代替医療の宣伝になるが、代替医療の多くは効果が少ないか、ほとんど無い。現代医療より侵襲性が少ないため、被害少なくしてプラシーボ効果を発揮させる利点だけだ。しかし、いまの代替医療は商業主義に走りすぎ、療法漬けにして高額の代金を要求する傾向にある。東洋医学の思想では養生や食養で済むものは治療や薬を必要としない。それを一律に弁証論治などと難しく説明し、日々変わる体調にさえ高額な薬を売りつける。治らないときには「気長に」、「体質改善だ」とはぐらかし、延々と出費を強いる。現代医療も代替医療も迂闊に近寄らぬ方が無難かも知れない。著者は不要論を唱えてはいるが肯定せざるを得ない現代医学もあるという。

  1. 心筋梗塞、脳梗塞など栓塞性疾患の急性期
  2. くも膜下出血、潰瘍性出血、ガンからの出血など、出血の急性期
  3. 肺炎、胆管炎、髄膜炎などの重症感染症
  4. 交通事故、外傷、熱傷、骨折などに伴う救急医学的処置
  5. 誤嚥による窒息、溺水、低体温などの救急医学的処置
  6. 腸閉塞、無尿など排泄にかかわる生命にかかわるものへの救急医学的処置
  7. 胎盤剥離、臍滞捻転、分娩時臍滞巻絡など、産婦人科の救急医学的処置
  8. 失明、聴覚喪失などに関する救急医学的処置
  9. 薬物中毒症や毒性物質の曝露に対する処置
  10. 染色体や遺伝などの異常が100%わかっている疾患への対応
  11. 未熟児の管理
  12. サイトカインストームなど免疫の重症な異常状態への処置

ここでのキーワードは至極明快である。つまり、「ほうっておけば死ぬもの」、「ほうっておけば死にそうになるもの」、「ほうっておけば体の機能を喪失するもの」、ただこれだけが現代西洋医学が扱うべきものであるということだ。これらのほとんどが、昔であれば死んでいたということが重要である。

このように、きっぱり言い切る人にとっては、医療のムダや欺瞞が許し難く感じられるだろう。人々に病気や死への不安と恐怖を煽り、洗脳し騙す。騙される人々は患者ばかりではなく、従順かつ精力的に仕事を遂行する医療者も同じだ。「早期発見・早期治療・予防」のかけ声で人々を錯覚させ、医療を施す。薬剤師は「大丈夫」、「医者に聞いてくれ」としか言わない。病院や薬局で受ける説明に根拠があるだろうか、真摯な思いやりがあるだろうか。死の恐怖を振り払おうとして脅しに屈し、その後の行動は医療ビジネスの思う壺だ。永遠に生き続けるかのような幻想を断ち切り、死のメンタルリハーサルを重ね、一度は死ぬことを銘記すべきではないか。医療が間違いなく有益で生活の質を高めてくれるなら言うことはないが、現実は必ずしもそうなっていない。

「健康でないことこそが人間として当然である」という考え方である。人間は常に不調を感じ、愚痴をこぼし、その不調とつきあいながら自然に生き死んでいくものである。

こう考えてはいても、やはり医者や周囲に脅かされると居ても立っても居られない。なんの不調もなく、顔色も良好、疲れもなく、何を食べても美味い..これが健康だと思い込んでいるのではないか。少し不調、朝はだるい、きょうは食欲がない、それをいつの間にか忘れ、また繰り返す。この体調変化こそが生きている証だ。不調は体のセンサーの役割を果たす。頭痛は鎮痛剤、腹痛は胃腸薬、疲労は滋養強壮薬といった発想ではなく、まず休養や食養を考える。センサーの声を抑えるのではなく、聞くことでより良い体との付き合いを考えなくてはならない。

本書は私の知識や理解を超える部分があり、一部を紹介するにとどめた。医薬品の販売戦略や医学ムラについては過去のコラムでも書いたので重複を避けたい。本書のまとめに「世の中で最も醜く、最も愚かでクズの職業こそが医者であることを確信できる。これはもう、本心をいえば良識派の医者に対してでさえそう思うことがある」と書かれていた。著者も医者であるはずだが、例外なくそう思うのだろうか。医者にしか頼れないことがたくさんある。諦めずもっと良識派の医者を増やすべきではないか。病気やケガで医療の世話を受けた時の医者に対する「崇高」な思いには普遍性がある。医療には善悪の両面があり悪だけをとらえてクズなどと罵倒はできない。優秀な人の中には庶民はもちろん、仲間をもバカ呼ばわりする人が居る。誰しもその庶民の中で助け合い生きているし、庶民の力がないと世も変わらない。

 

食の戦争 鈴木宣弘

定価100円の「おにぎり」の原価は70円くらいという。うち原料となる米の値段は25円で具や海苔、包装資材が残りを占める。米は60kgで14000円ほどで売られているが、関税が撤廃されると60kg、3000円くらいで外国の米が買える。約5分の1の価格になり、単純に米の材料費を差し引くと100円のおにぎりが80円になる。20円安いおにぎりが買えたと喜ぶ影で農家は壊滅し、農業を取り巻く産業も立ち行かなくなる。国や経済界は御用学者やマスコミを手先に使い「足腰の強い農業、規模拡大を」と嘘吹く。オーストラリアの農地は一区画が100ha、1戸の農家が5800haを経営し、この規模で平均よりやや大きいくらいだという。日本で一番強い農業といわれる北海道でさえ、せいぜい1戸40haの規模だ。日本では規模拡大など絶対無理だし、世界を相手に戦えるわけがない。仮にオーストラリア並みに農地を拡大すれば、日本の人口は約110万人が限界で、アメリカ並みを目指しても約1200万人しか住めない。

各国の国民の命と健康を犠牲にしてもアメリカの企業利益の追求を進め、かつ、それが世界の食をアメリカがコントロールできる体制に繋がり、アメリカが「最も安い武器」である食料を握ることで「食の戦争」に勝利し、世界の覇権を維持しようとする戦略としても位置づけられよう。

企業とはモンサントなどの種子ビジネス、カーギルなどの穀物商社、多くの食品加工業、肥料、農薬、飼料産業、輸出農家などで、彼らの巨大な資金に群がる一握りの政治家や官僚、スポンサー料で懐柔されたマスコミ、研究資金で結びついた研究者が控えている。「食料自給はナショナル・セキュリティ(国家安全保障)の問題だ。皆さんのおかげでそれが常に保たれているアメリカはなんとありがたいことか。それにひきかえ、食料自給できない国を想像できるか。それは国際的圧力と危険にさらされている国だ」。ブッシュ前大統領は農業関係者への演説でくり返し語ったと言う。もちろん話す相手はアメリカの農業関係者であり、自給できない国とは日本の事だ。食料はミサイルや核兵器などの軍事的武器と同じく、それより安価な武器であり、直接食べる食料だけではなく、畜産の餌となるものが重要だ。餌をすべてアメリカから供給すれば、日本の畜産が完全にコントロール可能となり、これを世界に広げていくのがアメリカの食料戦略だ。2008年の世界的な食料危機は、干ばつや原油価格の上昇、バイオ燃料へ穀物を転換した事などによるとされている。世界的にコメの在庫は十分にあったにもかかわらず、お金を出してもコメが買えないという事態が起こった。高騰した小麦やトウモロコシからの代替需要でコメ価格が上昇するのを懸念し、コメの生産国が輸出規制を行ったからだ。この結果、コメを主食とする中米のハイチ、フィリピンではお金を出してもコメが買えず、ハイチでは死者まで出してしまった。この危機は、干ばつなどの不作の影響というより、アメリカの食料戦略による「人災」の側面が強かった。アメリカの食料戦略のもと、主要穀物をアメリカからの輸入に頼ったための悲劇であった。日本はいまのところコメ自給100%を達成しているが、アメリカがここを狙っていることは明らかだ。

「食料は軍事・エネルギーと並ぶ国家存立の3本柱」と言われるが、日本はその認識が希薄だ。金さえあれば何でも買えるし、食料だって安いものがいつでも手に入ると考えているため、食料や農業の話になると「農業は保護が多すぎる」、「いいものを作れば売れる」などと的外れの議論ばかりだ。アメリカの農業の強さは、政府による手厚い支援のためで、米・小麦・トウモロコシの3品目について1兆円もの補助金を使い、安いうえにさらに安く輸出し農家の生産を支えている。一方日本の農産物は値段が高く、安く売るための国の輸出補助金はゼロだ。これはアメリカ主導のルール作りにより、補助金を禁じられているからだ。終戦から70年もなるのに敗戦国そのままの状況がいまだ続いていることに驚く。いままで官僚や政治家はなにをしてきたのか、安穏と己の保身と利益に邁進し、国民はぬるま湯の中で「おらが町の先生たち」を選び続けた。

世論調査によればアメリカに親しみを感じるとする者の割合が82.0%にもなり、逆に中国、韓国などアジアの近隣国には親しみを感じないとする者の割合が80%を超えている。「尻尾を振る」ような相手ではない事に早く気付くべきではないか。アメリカは「安く売ってあげるから非効率な農業はやめたほうが良い」と囁き、戦略的に世界の農産物の貿易自由化を進めてきた。2008年の食糧危機は戦略が結実した結果起こったもので、これからアメリカの都合で食料も価格も、それを食べる人の命まで振り回されることになるだろう。以前とは異なり需要と供給が一致して価格が決まるのではなく、少数の買い手が価格支配力を持つマーケットへと変貌してしまった。

食料を少数の巨大な企業が握ると効率とコストが優先され食の安全を脅かす。食は命を繋ぎ、健康を維持するため欠かせない事は誰もが知ってのとうりだ。2000年に起った雪印乳業の食中毒事故により、還元乳、成分調整乳、加工乳などの存在を知らしめた。スーパー間の激しい安売りで、価格を消費者に転嫁できず、生産者価格や卸価格の引き下げを余儀なくされた。しかし、生産者価格の引き下げは限界があるため、普通牛乳で赤字になる分を還元乳の販売でおぎなった。食中毒の原因となった還元乳は脱脂粉乳とバターと水から製造されるもので、生乳の供給が足りている先進国では日本だけの特異なものだ。日本の牛乳は120℃〜150℃、1〜3秒の超高温殺菌乳が大半を占めるため、風味が失われ普通乳と還元乳の区別がつかない。味の区別が出来ないため、事故が起るまで気にも留めずに飲み続けていたのだ。超高温の殺菌により、風味だけでなくビタミンも、有用な微生物も失われ、蛋白質の変性でカルシウムも吸収されにくい。

BSE(狂牛病)では国際獣疫事務局から日本で発生する可能性の指摘があったにも関わらず、騒ぎを恐れギリギリまで先送りして知らせなかった。それにより対応策が遅れ、問題が発覚したときには手遅れとなった。全頭検査でも100%安全とはいかないが、日本では異常プリオンの蓄積の少ない20ヶ月齢以下の牛だけに輸入を制限してきた。これについてアメリカからの反発が続いていたため、2011年、野田内閣のときTPP参加の「入場料」としてついに月齢30ヶ月以下へ条件を緩和した。その後さらにアメリカから要求をつり上げられ48ヶ月齢以下まで緩和し、実質的に条件をなくしてしまった。BSEは24ヶ月齢の牛の発症例も確認されているが、アメリカの検査率は1%程度である。国は国民の健康よりアメリカのご機嫌をとった。

遺伝子組換え(GM)作物について日本では大豆、菜種、ジャガイモ、トウモロコシ、綿、てんさい、アルファルファ、パパイヤの8種と、これらを原材料とする33種の加工食品が承認され表示が義務付けられている。しかしいまの表示制度は十分ではなく、たとえば大豆由来の豆腐は表示義務があるが、大豆油にはない。現在でさえこのような状況なのにTPPに参加すれば表示義務はすべて撤廃される。企業側は遺伝子組換え食品は成分、形態、生態的特質において変化がなく元の農産物と同等だという。しかし20年、30年と長期に食べ続けて絶対大丈夫という保証はどこにもない。アメリカ穀物協会幹部は「小麦は我々が直接食べるので、遺伝子組換えにはしない。大豆やトウモロコシは家畜のエサだから構わないのだ」と発言している。実際にアメリカはアメリカ人の主食である小麦を遺伝子組み換えにしない方針を頑なに守ってきた。日本人の1人当たりの遺伝子組換え食品の消費量は世界一といわれ、トウモロコシの9割、大豆の8割、小麦の6割をアメリカからの輸入に頼っている。小麦で遺伝子組換えが認可された例はないが、アメリカの農場では枯れない小麦が見つかった。これはモンサント社が試験栽培していた品種で、同社の除草剤ラウンドアップをかけても枯れない未承認の遺伝子組換え小麦だった。健康への影響を懸念する消費者団体や海外の買い手がアメリカ産小麦を避けることを懸念し開発を打ち切ったものが、散乱、自生している可能性がある。マウスでの実験で遺伝子組換えトウモロコシを2年間にわたって与えたところ14ヶ月目、非GMの対照群では確認されなかった「がん」の発生率が10〜30%で確認され、24ヶ月目では対照群で30%にとどまっていたのに対し、実験群のメスでは50〜80%と高率で「がん」の発生が見られた。

肉にホルモン剤や抗生物質が使われることは知られているが、牛乳、乳製品にはr-BSTという牛成長ホルモンが入っている。BSTは牛に本来、存在するが、r-BSTは遺伝子組換え技術によって作られ日本では認可されていないが、乳牛に注射すると乳量が20%ほど増加する。アメリカから輸入されるバター、チーズ、脱脂粉乳などの乳製品を通じて、日本人は認可されていない遺伝子組換えホルモンンを摂取している。1998年、この大量摂取で男性の前立腺がんの発現率が4倍、女性の乳がんが7倍との論文が発表された。さて乳量が増加した牛はどうなるのか。ドーピングで走らされるようなもので、飼育管理を上手くやらないと牛はバテて病気になってしまう。経営の効率化は大切だが、牛の健康が万全でなければそのツケは人が払うことになる。身動きの取れない劣悪な環境での飼育、向きを変えることもできない鶏、そこには命を養うはずの食のイメージさえない。がんやアレルギー疾患の増加の一翼が食に由来することは間違いない。

食を極端な価格競争に巻き込むのは危険である。見えないところで節約するために、加工食品やレストランで、食材に農薬や窒素がどれだけ入っていようが関係ないということになったら大変である。これは販売戦略以前の問題である。端的に言えば、人の命、子供たち、我々の子孫の健康を蝕んで儲けても、何になるか、ということになろう。

第二次世界大戦後、アメリカは余剰小麦の援助輸出を手始めに日本の食生活を徐々に改変していった。巧妙な食料戦略の結果、アメリカの小麦や飼料作物、畜産物なしでは日本の食生活が成り立たず、食料自給率は39%まで低下した。すでに食の安全保障は崩壊し、量の確保ばかりか質的な「安全性の保障」までもが脅かされている。アメリカが従来から求めてきた様々な規制緩和要求の仕上げとなるものがTPPだ。魂を売った識者やマスコミを総動員し、過保護な農業の批判と規模拡大のプロパガンダを展開する。当の農家でさえ、輸出や規模拡大で活路が開けるような錯覚に陥るほどだ。外国の圧倒的な土地条件の差を無視し、輸出で収入を伸ばせと空論を吐く。輸出による収入は限定的で、輸出だけて経営が成り立っている農家はいない。野菜の関税3%に象徴されるように、すでに日本の農産物の9割は低関税で、残り1割の関税を撤廃すれば「最後の砦」を失う。関税は農家がいくら頑張っても埋められない外国との格差を調整するためのものだ。米の価格は10年で7割まで下落し、補助金漬けといわれるが、農家所得に占める割合は20%にも満たない。EU各国は農業所得の95%が補助金で、命や国土を守る農業を国で支える覚悟が感じられる。農家所得の高さと補助金を絡めて批判するが、農業所得が他の収入より少ない2種兼業農家の割合は7割を占め、所得は世帯合計だ。他からの収入を農業につぎ込んでいるのが現状であり、先祖からの農地を維持しようという農家の努力で田園の景観や国土が守られている。農業にかかるコストと利益は農産物の価格だけで計れるものではなく、見えない利益は莫大なものになる。失って気付いた時にはもう遅い。

ノーベル経済学賞学者のスティグリッツ教授の言葉を借りれば、TPPとは人口の1%ながらアメリカの富の40%を握る多国籍な巨大企業中心の、「1%の1%による1%のための」協定であり、大多数を不幸にするものだ。たとえ99%の人々が損失を被っても、「1%」の人々の富の増加によって総計としての富が増加すれば効率的だという、乱暴な論理である。

アメリカは食料を武器と位置づけ農業を手厚く守って来た。しかし、補助金は多国籍企業へ集中的に注ぎ込まれ、一般の農家へ行き渡ることはない。アメリカの世論調査でも78%がTPPに反対だと回答した。なぜ、わずかな人々の利益が尊重されるのか。アメリカでは選挙資金がないと政治家にも大統領にもなれず、官僚は天下り先や官庁を転々とする利権にあずかれない。企業と一体化した一部の官僚、スポンサー料でつながる一部のマスコミ、研究費でつながる一部の学者などが1%の利益を守るため国民の99%を欺き、犠牲にする。なぜだ、「彼らはなぜ痛みを感じないのか、良心はあるのか、」と考える人は金持ちにも悪党にもなれない。

グローバル企業の横暴は今後とも加速するだろう。巨大な資金力で政治家や官僚、司法さえも動かし、世論を作り出し、人々の嗜好や考え方も意のままだ。正義はもう十分に遅すぎるのではないか。自民党は「TPP断固反対、ブレない、ウソつかない」と公約を掲げたが、すでに参加のレールが敷かれ着々と準備が進んでいた。議論する分野を農業・食に限定し、農業改革の問題に矮小化し報道させた。良識ある官僚は「そんなことを国民に隠して、あとで日本が大変な事態になったら、あなたはどう責任をとるのか」と迫ったが、逆に「はき違えるな、我々の仕事は、国民を騒がせないことだ」と言い返されたという。彼らが日本を売ろうと、あからさまに国民を欺こうと、私たちにはデモや選挙以外になんら参加の手立てがない。最近の選挙は「騙し合戦」の様相を呈し、ウソと本物の見分けがつかず、多くは巧妙で見え透いたウソに騙される。行き着くところまで行ってしまえと自暴自棄の気分にさえなる。宿主の命を奪えば、寄生虫の命脈も尽きるだろう。

 

うつ病治療 常識が変わる NHK取材班

そもそも日本の精神科医の多くが、抗うつ薬を安易に処方していると警告している。症状が良くならなければ、薬の量も種類も増やしていく。「多剤療法」と呼ばれているが、これは日本独特の治療法だという。「抗うつ薬の投与は基本的に1種類」というのが、国際的にも共通の大原則なのだが、これが守られず、多くの場合、症状をかえって悪化させてしまうケースが少なくない。

抗うつ剤だけの話ではなく医療全般への警告でもある。抗うつ薬は医師が考える以上に心の働きに広範な影響を及ぼすため、適切に使用しないと病状か副作用か判別に迷い、さらなる投与で悪化させてしまう。医療機関を受診しても、治療の必要がない病状もあるはずだ。しかし、そのまま帰宅する人は希であろう。「念のために」と、何らかの検査や薬が施される。薬の危険性や副作用はほとんど伝えず、薬のチェッカーである薬剤師は医師に配慮し「大丈夫..」というばかり。保険の恩恵で医療も消費行動が常態化し、患者の要求に医師が追随する傾向は否めない。NHKの取材で、抗うつ薬のアナフラニール1日9錠、副作用を抑える胃腸薬を2種類計3錠、抗不安薬を3錠、その他あわせると全部で19錠を服用した例があった。これは特殊な例ではなく長期化した患者の多くが適量をはるかに超えた量の投薬を受けていた。

脳では様々な物質が何百万もの神経細胞間を行き来し、うつ病になると不安感や睡眠、食欲などを調節するセロトニンという物質の働きが弱くなると考えられている。現在広く使われているSSRIという抗うつ薬は神経細胞の出入り口をブロックして、セロトニンを温存する。ところが過剰に投与すると若者や高齢者で、前頭葉の働きが抑えられ、意欲や活動のための物質であるドーパミンの働きが低下する。低下すると症状が「うつ」に似てくるため、医師は抗うつ薬が効いていないと判断し、薬の量を増やすという悪循環に陥ってしまう。多剤療法がうつ病を悪化させるならば「思い切って止めればいいではないか」、とはいかない。抗うつ薬は依存性が強く、長期大量服用している患者がこれを抜くのは極めて難しく慎重さが求められる。

抗うつ薬を2種以上処方している割合は34.9%と国際的にも飛びぬけて高い。多くの抗うつ薬の多剤投与で症状が改善するという治験データはないのだが、なぜ多くの精神科医は薬に依存するのだろう。NHKの取材で患者の不満としてあがってくるのは「診療時間の短さ」であった。患者の急増で一人にかけられる時間の余裕がなく、1日100人を診察することも珍しくないという。より効率的に診察をこなすためには投薬が無難な選択になる。診療報酬体系上もカウンセリングに時間をかけるより投薬に偏ったものになってしまう。

もう一つは、安易な診断で症状に合わない薬が処方されている問題が指摘されている。次のマニュアルは精神医学の浅薄化と大衆化とも評されるアメリカの診断基準だ。

うつ病の診断基準(DSM-Wより)

  1. ほとんど毎日続く抑うつ気分
  2. 何も楽しいと感じることができず、無気力で興味もわかない
  3. 食欲が低下している
  4. よく眠れない
  5. イライラする
  6. 疲れやすく、だるさがとれない
  7. 自分を責めてばかりいる
  8. 集中力が低下し、考えることができない
  9. 繰り返し死にたいと思う。自殺を口にする

1〜9の症状のうち、5つ以上が当てはまり、(ただし1.2.のどちらか一方は必須)、それらの症状が最近2週間以上続いて苦痛を感じている、あるいは生活に支障を来している場合に、うつ病と診断される。

注意書きには、「簡単に診断が可能だ、などど思ってはいけない」と記載されているが、真面目で勉強家の研修医たちでさえこの基準を利用しているという。精神医学以外の分野もマニュアル化しており、医学界のみならず社会全体が抱える問題なのかも知れない。診断に慣れたとしても見えない難しさがある。うつ病には「双極性障害U型」といい「うつ」と「軽い躁」を繰り返すものと、「双極性障害T型」という重症の躁うつ病があり、さらに悲観的で不眠、食欲不振をともなう典型的なうつ病がある。双極性U型の人が抗うつ薬を服むと気分は相当高まるが、その後落ち込みが大きくなってしまう。落ち込みの度合いが大きいと最悪の場合、自殺に至ってしまうケースがある。通常、患者は気分が落ち込んだとき受診するので「典型的なうつ病」と見分けがつきにくい。診察だけでは分かりにくいため、正確な診断には医師以外のスタッフによるきめ細かな生活観察が必要になる。2000年、米国の調査では双極性障害T〜U型の人の37%が典型的なうつ病と誤診されていた。最近では双極性障害の他、診断の難しいタイプのうつ病が増えているという。その代表が「非定型うつ病」で20〜30代の女性に多く、典型的なうつ病の概念に当てはまらない症状を示す。都市型うつ病の半数以上が非定型で、過食に走ったり、浅い睡眠が長時間に及び強い倦怠感が見られることがある。対人関係に過敏で他人から批判されたと感じると極端に激しい反応を示し、褒められると気分が良くなりうつの症状が消える。他に目立つのは「気分変調症」で、軽いうつが2年以上続き、みじめ、憂うつなどと思いこむ。いままで気分変調症は人格の未熟や自己愛性格、親の過保護が原因と考えられていた。

患者の数は10年間で44万人から100万人を突破し、メンタルクリニックの開業ラッシュも続いた。東京都内の心療内科の数は90年代後半に比べ4倍にまで増えている。規模の大きな医療機関の勤務医の負担は増え、1日に数十人から100人もの診察をこなすこともあり、激務に耐えかねてクリニック開業に向かうことになる。しかし、開業にはもう一つ理由があった。

ああゆうメンタルクリニックは、患者さんを外来で診ますので、入院とかの必要がないものですから、基本的には机とイスさえあれば、開業できてしまう。普通の内科に比べますと、開業にかかるコストは少ないと思いますね。

薬は調剤薬局へ処方箋を出し、レントゲンも色々な検査機械も要らず、注射もしないので看護師も要らない。最低限、医師と事務員1人でまかなえるので人件費も少なくて済む。ビジネスとして考えるなら「おいしい仕事」である。また、精神科は他の科に比べ誤診や不適切な治療に対して客観的な証拠が出にくく、訴訟になりにくい。ず〜っと他の科をやっていたのに開業にあたって精神科に宗旨替えする医師もいる。こうした開業が増えてくると様々なトラブルも出てくる。いきなり頭の後ろに注射をされたり、説明もなく薬を渡されたり、初診から大量のSSRIを処方されるなどの苦情が保健所へ寄せられている。中には医師からのセクハラや暴言・罵倒などの被害もあった。医師は治療に必要な薬が処方できる「処方権」という絶大な権利が与えられている。薬のチェックを使命とする薬剤師はこれを侵し難く、意見を述べようものなら、最悪、生活の糧を失うことにもなりかねない。調剤薬局の薬剤師に薬について尋ねても「医者に聞いてくれ」とか「大丈夫..」としか答えないことが多い。これでは分業は機能しないが、薬剤師も無力感が充溢していることだろう。医師は処方権によって広い裁量が認められるため過失や責任を追及しても、患者側に対して壁となって立ちはだかる。失敗を避けるため、医師選びの5カ条が書かれている。

  1. 薬の処方や副作用について説明しない。
  2. いきなり3種類以上の抗うつ薬を出す:2種、3種と組み合わせるのはデータなしで処方するようなもので、合理的説明ができない。
  3. 薬がとんどん増える:薬を増やせば有効だというデータはない。「治らないから出しておく」というのは科学的ではない。
  4. 薬について質問すると不機嫌になる。
  5. 薬以外の対応法を知らないようだ。

2009年4月、厚生労働省の呼びかけで「抗うつ薬の適正使用」のための会議が開かれ、SSRIを服用中、他者に対して敵意をむき出しにしたり、暴力を振るった事例が増加していることが明らかになった。SSRIの販売が始まって10年間で268件の事例が医師や製薬会社から報告され、うち4件については因果関係が明らかと認定され、添付文書に「攻撃性を誘発する危険がある」と明記するよう指導された。「268件で4件が明らか」、とはいかにも少なく、製薬会社が関与する報告だから仕方がない。海外で次のような報告がある。症例数は少ないが12人の健康な人が参加し5人にSSRI(ゾロフト)を、7人に偽薬を投与したところ、ゾロフトを服用した5人は重い不安感にさいなまれ、第一週で全員脱落した。うつ病薬でうつ病を引き起こす恐れのあることを気に留めておくべきだ。SSRIの副作用は「アクチベーション・シンドローム」といい、脳がパニック状態に陥り自殺願望が強くなったり、他者への攻撃性が誘発されるなどの現象が知られている。また、抗うつ薬を服用する際、抗不安薬や睡眠導入薬など同時に処方されることが多く、これも自殺や攻撃的行動に影響を与えているという。抗うつ薬の服用を中止し、少量の気分安定剤の服用と心理療法で、著しく回復に向かう例もある。

SSRIと自殺願望や他者への攻撃性は、医学的に根拠が完全に証明されているわけではない。しかし、統計的に見て因果関係が疑われている時点で、国民の命を最優先に守るという目的から注意喚起が行われた。

上記は2004年の米国の事で、日本への情報の広がりは遅れた。日本は薬事法で、薬の副作用報告が病院・診療所・製薬会社に義務として課されているが、他の医療関係者や患者から報告を受けるシステムがない。そのため副作用が疑われる事例の報告件数が少なくなってしまう。NHKが抗うつ薬の副作用について各製薬会社に取材を申し込んだところ、いずれも断られたという。

人生途上で降りかかる様々な不安や悩みは家族や友人、年長者が相談にあたった。ときには占い、霊能者を頼ることもあり、「そのうちなんとかなる」と気を紛らわせやり過ごした。これを職業的に引き受けるのが心理カウンセラーであり、各種作業療法だと考えている。心理療法は話を聞くことから始まるので治療に欠かせないものだが、日本では患者数が多く、一人の患者にかけられる時間が限られ、代わりに臨床心理士を雇っても医療行為と認められず健康保険の対象にならない。また、心理療法の国家資格はなく、調べると30以上もの民間資格が乱立し、医療心理士、家族心理士、教育カウンセラー、認定心理士、メンタルケア心理士、論理心理士など多数にのぼる。うち学会のあるものが5つ、あとは家元制度のように師事する学者(教祖?)によって療法の考え方も技法も異なり、名乗りをあげれば誰でも開業できるのが現状だ。心理士の力量の問題は当然出てくるし、心理療法の効果が科学的に立証されていないため、医師側が心理療法に強い不信の念を持っている。以下はある民間総合病院の精神科医長の談話だ。

カウンセリングが、患者さんを治すとは思えないんですよ。うちの病院にはね、具合の悪くなった患者さんが流れてくるんです。患者さんによくよく聞いてみると、民間のカウンセリングに通っていたというんです。重いうつなのに、カウンセリングだけで治そうとして、悪化させちゃう例が結構あるんですよ。医師の下でやらないと、そういうことが起きてしまうんです。これで横断的な資格を認めたら、さらに町中で堂々と開業して、最後に面倒をみるのは病院ということになりかねませんから。

医師は医療カースト最高位を自負し「医療を担えるものは自分たちの他いない」という。悔しいがそのとうりだ。しかし、逆のことがなくもない。心理療法で治るところ、療法士の技量不足で医師への受診をすすめ、薬物療法の罠にはまる。これを避けるには医師から離れることも対策の一つといえよう。「病気っていうのは、自分が治すものなんだってことが、わからなかったんですよ」と、うつ病から生還した人のコメントが記されていた。医師に頼り薬に頼り、それで病気が治るわけではない。取材報告を読んでいくうち、うつ病のなかには時が癒してくれるものがあり、あせらず我慢しておれば治ることがある。やがて嵐が過ぎ去るように、漂流しても陸地は見えてくる。諦めとか放置といえば気に召さない方もあろうが、ときには待つことがあってもいい。

 

 

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