【読書録(9)】-2012-


「本当のこと」を伝えない日本の新聞
毒になる生食、薬になる生食
病気の「数字」のウソを見抜く
命を脅かす医学常識
「五大検診」は病人狩りビジネス!
政府は必ず嘘をつく
錯覚の科学
グルメの真実
なぜうつ病の人が増えたのか

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「本当のこと」を伝えない日本の新聞 マーティン・ファクラー

2005年8月、「B層」という言葉が生まれた。あの夏は郵政解散に伴う衆議院選挙で日本中が沸いた。小泉政権は郵政民営化の広報資料で「知的レベルが低く、本質は理解できないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」を「B層」と呼び、票の多数を占めるB層への広報活動を強化・展開した。一見すると実に解りやすい選挙で、総理の公約を反故にするか否か、そのため候補者を2色に分けて戦わせる。結果はご存知のとうり、小泉総理の圧勝に終わった。小泉氏のキャラクターに魅せられた国民は、近年希なる長期政権を許し、格差を生み生活を疲弊させた。なぜ郵政を民営化したのか?当時の米国のホームページを閲覧すると年次改革要望として「日本に郵政の民営化を促す」と明記されていたという。これを追及された総理は「米国の要望以前から民営化を主張し続けた」と答えたが、民営化は米国の要求どうりに進められた。「簡保」の120兆円は米国の保険会社の垂涎の的であった。それから4年、また暑い夏が巡ってきた「政権交代」というフレーズのもと、政治や官僚組織が変わり国が良くなることに期待を寄せた。しかし、鳩山-小沢氏の政治資金問題を機に豹変し公約にないばかりか真反対の増税を強行するに至る。手法は姑息にも選挙でNOを突きつけられた自民党の公約に従うものだった。私は無党派だが、あの夏は民主党を支持した。今後、民主党がいかなる公約を並べたてようと誰も信じない。国民との約束は政治への信頼を繋ぐ唯一のものだ。民主党は万死に値する。

3年前の夏、民主党は郵政選挙を奇貨とし、これを踏襲したと考えられる。票を得るには圧倒的多数のB層のご機嫌を伺い、政策は資金を提供する少数の利権を温存する。B層の行動様式は単純かつ至って明快だ。ここに新聞・テレビが活躍・暗躍する。広範な影響力と画像の説得力を備えた申し分のない道具だ。そして「本当のことを伝えない日本の新聞」の主語を政治家、官僚、テレビ、評論家、学者..に替えても違和感はない。

新聞や通信社、テレビといった日本の主要メディアの記者たちは、その大半がなんらかの形で記者クラブに所属し、取材活動を行っている。新聞やテレビから流れてくるニュースが似たり寄ったりである第一の理由は、当局からの情報を独り占めする記者クラブの存在にある。

当局の情報で記事やニュースを作る。取材費は節約され、汗を流すことも深く考える事もなく、したがって厳しい質問を投げ追及する記者など居ない。「社会の木鐸」と胸を張って言えるだろうか。記者クラブは政府広報機関と言っても過言ではなく、中には番犬と呼ぶ人もいる。一方、雑誌メディア、海外の記者、フリーランスのジャーナリストたちは、ここからはじき出され、独自の取材活動を行う。これが一般の目にも明らかになったのは3・11以降である。記者クラブは政府や東電の発表のまま、広報機関として碌を食む。被災地の状況や原発事故の真相はフリーランスの記者達によって伝えられ、報道内容は記者クラブとは対照的なものだった。大手マスコミの報道は裏読みし、意図はなにか?隠蔽はないか?捏造はないか?オレオレ詐欺の電話のごとく疑うべきである。

自分たちの手だけに情報を独り占めして、彼らは満足しているのかもしれない。だが、記者クラブが握る情報にどれほどの価値があるというのだろうか。当局側とあまりに距離が近くなりすぎて、当局が最も嫌がる記事を書けない。それどころか、リーク情報をエサにする当局の思いどうりにコントロールされてしまう。

郵政改革では特定郵便局を叩き、あるときは公共工事や医療の無駄を非難する。民主党凋落の契機となった鳩山-小沢氏の政治資金問題も彼らが祭りのごとく騒ぎたて、検察や裁判所の思惑に殉じた。無罪判決後も自らの姿勢を検証することもなく「灰色無罪」などの用語まで捏造する始末。彼らの広報で最も困り、利益を損なうのはとりもなおさず大多数を占めるB層だが、怒りに火を放たれた人々は敵の姿が見えない。政府、官僚、業界、マスコミなど様々なベクトルが一致したところへB層は導かれる。この夏、三党合意という政界談合で消費税増税法が成立した。新聞、テレビは各社微妙に時期をズラして国民の声を報道した。時期をズラす手法で、頻繁なキャンペーンを繰り広げたとも考えられる。街で聞く庶民の声は評論家のように冷静で理解あるものだった。「国が破綻するなら増税も仕方ない」、「福祉に使われるなら仕方ない」... 増税を喜ぶ人などいない。「仕方ない」を「容認」にカウントし半数近くまで数を捏造したのではないか?公約違反を訴え離党した与党の議員に対して「造反」のラベルを貼り、国民との約束を破った首謀者を「決められる総理」と持ち上げた。さて、秋涼の10月、青森で第65回新聞大会が開催され、ある決議が採択された。「新聞を含む知識への課税強化は民主主義の維持・発展を損なう」として、新聞の軽減税率の適用を求めるものだ。なんてことだ、大手メディアは軽減税率のエサ欲しさにキャンペーンに加担したのだ。彼らにこそ、最初に重税を課すべきではないか。

精力的な記事やまともな特番がないわけではないが、圧倒的多数が見る記事に比べ大河の流れに湧く淀みにしかず。書籍やネットが新聞やテレビより優れるということではない。口角泡を飛ばす議論を交わしても情報のソースがテレビと新聞では心もとない。また、ネットも含め限定的情報に留まる限り大して変わりはない。郵政選挙で自民党に票を入れた人、政権交代選挙で民主党に入れた人、公約も確かめず地元の代議士に入れた人、、思惑どうりのB層であった。原発事故以来、政・官・業・学・情はペンタゴンと呼ばれ強い絆で結びついていることを知った。いまベストセラーとして読まれている「戦後史の正体 孫崎亨著」の言によれば、60年代頃から政治家だけでなく官僚、マスコミまでも次々と対米隷属へ堕していった。日本はCIAによる「工作の傑作」と言われているらしい。スパイ映画で見るような陰謀・謀略が、まさか現実に行われてきたのだ。しかも、同胞たる日本人の手によって。最近は尖閣諸島や竹島で隣国の脅威をあおり、B層の愛国心を鼓舞する。最初に煽った政治家は誰か?続いて戦いも辞さずの発言をする政治家は誰か?企業や観光業が莫大な損害と被害を蒙るのを他所に沖縄へオスプレイが配備され既成事実化する。自民党には徴兵制を検討する動きがあるという。次の選挙の後には現実味を増してくるかも知れない。

【参考図書】平成経済20年史 紺谷典子/検察の罠 森ゆう子/戦後史の正体 孫崎亨/アメリカに潰された政治家たち 孫崎亨/日本の国境問題 孫崎亨

 

毒になる生食、薬になる生食 藤田紘一郎

先月、白菜の浅漬けによる集団食中毒が発生した。何らかの理由で汚染したO-150が原因と考えられている。報道の通例で、しばし注意を払いやがて忘れ去る。今年6月には、世も終わりかのような面持ちで「レバ刺し」食べる人々が紹介された。生肉嗜好の人々の割合は不明だが、少数ではないかと思っている。一度、促され豚のレバ刺しを食べたことがあるが、タレなどの調味料で味を付け、独特の食感を愉しむものだと思う。レバ刺しの代わりにコンニャクで似たものが出来るらしい。レバ刺し禁止令の1年前、焼き肉チェーン店で「和牛ユッケ」が原因の集団食中毒が起った。食材の一部に腸管出血性大腸菌O-111が付着し男児を含む数名の死者を出した。管理杜撰な店のためグルメと真面目な業者が迷惑を蒙るという訴えも聞かれた。ニュースになるほど頻度は少ないので、「まさか、自分の身には及ばない..」と考えるのが一般通念だろう。交通事故死より危険は少ない、酒のアルコールで消毒されるから大丈夫などと、愚にもつかぬ理屈をこねる。豪傑に構えても覚悟が伴わないので、腹痛・下痢くらいで泣き言を漏らす。虚心坦懐に生食のリスクを知ることは身を守るうえで欠かせない。

和牛ユッケ事件の原因となった腸管出血性大腸菌O-111は牛などの家畜の腸に棲むもので、家畜は病気にならないが人に感染すると最悪で死亡まで引き起こす。生肉の表面は大腸菌が付着しているため、表面をそぎ落として提供することが義務付けられている。大腸菌は熱に弱く、75℃、1分ほどで死滅するのだが、生食の誘惑はよほど快いのだろう。ときに焼肉で感染が起ることがある。生肉を扱った箸や生野菜に付着したことが考えられる。もともと大腸菌とは長く共生関係を保ってきたが、抗菌剤や抗生物質の使用により棲息が脅かされたことが多様化の原因となった。そのうえ交通機関の発達で急速、広範囲に蔓延した。病原性大腸菌に感染しても発症しない人も多い。まな板、箸、手など良く洗い、付着した恐れのある生野菜を避けることはもちろん、体の抵抗力を高めることも肝要である。

レバ刺の提供が6月で禁止された。食中毒の発生はユッケや牛刺しよりレバ刺しのほうが多いにも関わらず業界の要望で見送られてきた。「日本人の間で長年の食経験があり、一般の食生活にも定着している」という文学的な理由によるが、レバ刺しが一般の食生活に定着しているかどうかは疑わしい。生レバーは病原性大腸菌だけでなく、カンピロバクターなどの食中毒菌が内部まで入りこんでいる恐れがあり、表面を削る「トリミング」では除去できない。さらに、イヌ・ネコ回虫や肝蛭、アジア条虫などの寄生虫に感染する事がある。カンピロバクターは大半が鶏肉を中心とした肉類の生食が原因となり、患者の発生数は年間3000人を超える。2004年以降の食中毒のほとんどはカンピロバクターと冬の牡蠣によるノロウイルスが占めている。下痢・腹痛くらいで回復すれば自業自得で済むが、免疫力の低下した人は敗血症や髄膜炎などの重篤な症状を引き起こす。一方、寄生虫によるものはいつ症状が出てくるか不明で、重症化するものがある。地鶏の体内に入ったイヌ・ネコ回虫の卵は小腸で孵化し、幼虫は腸壁を突き破り門脈を経て肝臓に達する。レバ刺しやササ身刺を食べることで幼虫が人の体内に入る確率が高くなり、下肢に浮腫が発生し、IgA腎症によるネフローゼ症候群、全身性血管炎、リウマチ様関節炎を起こすことがある。

もっとも恐ろしい生食は「豚肉」だという。豚の有鉤条虫は人が唯一の終宿主で約800個の体節を持ち、一つずつ肛門から排出される。体節には虫卵が詰まっており、これを豚が食べ孵化した幼虫は筋肉に移行し、人が肉を食べて感染というサイクルになる。幼虫が皮下や筋肉を移動すれば小指の頭くらいの腫瘤になるが、脳へ侵入すると麻痺や痙攣などのてんかん発作や精神障害まで引き起こす。日本では戦前〜戦中に見られたが最近は日本で流通する豚肉には居ないとされている。発症例は少なくその大部分は海外で感染したものだ。海外の流行地では豚肉を生に近い状態で食べないことだ。イスラム教やユダヤ教では豚を不浄のものとして嫌うが、この地域が有鉤条虫の濃厚汚染地であることを考えると、教義で禁じた理由のひとつかも知れない。豚肉は他にも旋毛虫症の感染源としてもっとも多い。感染後6週間くらいで、全身に幼虫が散らばり、幼虫の出現部位によって肺炎、胸膜炎、脳炎、髄膜炎、腎炎など引き起こし、心筋炎では死に至ることもある。ルーマニアが最も患者数が多く、東欧、ロシア、中南米、中国などで見られるが、豚肉を禁ずる地域では少なくなっている。豚肉を使った燻製、ソーセージ、挽肉、サラミなど加熱不十分なものを食べることで感染する人が多い。豚肉以外にも馬肉、猪肉、熊肉など注意するものがある。またヘビ、すっぽん、カエルなどの生食や生き血を飲むことによる感染も知られている。

著者は無鉤条虫という寄生虫を自らの体内で飼っていたという。全長3〜6mもあり、肛門からサナダ紐のような虫体が出てくるので「サナダ虫」とも呼ばれる。普通の感覚では飼育など思いもよらず、学者の考えは図り難いものがある。サナダ虫に感染しても症状はほとんどなく、時に腹痛、下痢、食欲減退又は亢進を覚えるくらいだが、途上国など栄養状態が悪いところではたちまち体に悪い症状をもたらすという。

日本で生食の代表といえば「魚の刺身」だろう。肉の生食より一般の食生活に定着していることに異論はない。醤油、ワサビ、塩などの調味料で魚の脂や旨味、食感を愉しむものだ。生食のほとんどは海水魚で、淡水魚を食べるのは希である。淡水魚の寄生虫には雷魚の顎口虫、ドジョウの丸のみによる線状爬行疹、鯉の洗いによる肝吸虫、甲殻類でサワガニ・モズクガニの肺吸虫、鮎の生焼けによる横川吸虫などがある。海水魚の寄生虫は無害なものが多いが、有害なものではサバのアニサキスが有名だ。サバのほかスルメイカ、アジ、サンマ、イワシ、タラなどが中間宿主となり終宿主は鯨になる。幼虫が人の体内に入ると胃壁や腸壁に穿入し激しい腹痛を起こす。内臓に潜んでいるため調理に注意を払えば心配はいらない。

魚の生食に多い細菌性の食中毒が腸炎ビブリオである。6月から9月、海水温が20℃を超える時期に多く発生し、激しい腹痛と下痢を起こし嘔吐、発熱を伴うことがある。予後は良好で2〜3日で回復する。魚、包丁、まな板を真水でよく洗うことで菌は死滅する。最近、「人喰いバクテリア」と呼ばれる「ビブリオ・ブルニフィカス菌」が問題になっている。九州でのみ患者が発生していたが、海水温の上昇で関東沿岸さらに北海道でも見られるようになった。感染者の大部分は40〜60代男性、酒好き、肝機能が弱い、という特徴を持ち感染すると7割が短時間で死亡する。海水温が高まる7〜9月に感染者が多いので肝機能に不安のある人は夏の刺身は控えるほうが賢明かと思う。

抗生物質の濫用によって近年、耐性を獲得した菌が増えている。抗生物質や抗ウイルス剤が効かないと、感染したとき運を天に任せるしかない。グルメブームの影響もあり、今後、生食を尊ぶ傾向は続くものと思う。「河豚は食いたし命は惜しし」の諺がある。快楽を前にすると「惜しい」という理性やブレーキは緩んでしまう。食べるにあたっては正しい知識を得て実践することが大切である。

本の内容はあくまでも毒になる生食で、薬になる生食は刺身のツマていど、数頁の記述に留まっている。著者によると「免疫システムを向上させる食物は野菜、穀類、豆類、果物など植物性食品に限られている」という。生きていると活性酸素を多量に出し、それが細胞を老化させたり、ガン化させたりする。野菜などの植物性食品は体内の活性酸素を消してくれる。しかし、自然界の毒物の9割以上は植物に含まれ、一概に生食が良いともいえず、活性酸素の働きも有害なことばかりではない。菜食を悪く言う人はほとんど居ないので無批判と賛美に終わることがしばしばだ。

 

病気の「数字」のウソを見抜く スティーブン・ウォロシン他2名共著 北澤京子訳

「嘘には 3 つの種類がある。 嘘、真っ赤な嘘、そして統計」、数値はいかにも信頼に足る装いをとってはいるが、発信する側の意図によって往々にして捻じ曲げられる。数字を信じて行動した先には無意味と被害が待ち構えているかも知れない。

多くの情報は、その両面を持っています。つまり私たちを不安に落とし入れ、か弱い存在だと思わせた後で、リスクを減らすためにはどうすればよいか(あるいは何を買えばよいか)を告げ、いくばくかの希望を与えてくれるのです。その上あなたが疑っている通り、こうした情報の大部分は極めて誇張された内容です。私たちが耳にするリスクの多くは、実はそんなに大きなものではなく、奇跡的と称される発明・発見がもたらす利益は、多くの場合、とても小さなものです。

まず情報に問題のあることを知っておく必要がある。多くの情報が不完全だったり、誤解を招くものだったり、あるいは誇大だったりする。それは至って明快な理由からだ。報告・発表・出版バイアスなどとよばれる錯誤と作為が絡む。報道機関・医学雑誌・製薬企業・研究者・研究の資金提供者・学術団体などは自分たちが重大で新しく価値ある仕事に関っていると思うことが要因になる。また稀な事かも知れないが、当事者が自分のやっていることを良く理解していないことがあるという。情報の受け手である私達は医学情報を批判的に読む方法を教えられておらず、逆に正しいものとして刷り込まれているのが現状であろう。

ある疾患にかかるリスクや死亡率は%の他、1万人中20人とか、100人中1人などと表現する。%が元になっているからにはその分母を正しく見ておく必要がある。国民全体なのか男女別か世代別か、あるいは1年単位か10年か?危機を煽りたいときは得てして大きい数字を出してくる。そして人々は%より1万人や100人など大きい数字に関心を示しやすい。

10人中1人-- 0.10-- 10%-- 1000人中100人
20人中1人-- 0.05--  5%-- 1000人中50人
25人中1人-- 0.04--  4%-- 1000人中40人

上記のように表記を変えると、同じことでも受ける感じは随分違ってくる。またリスクに注目すると、あたかも自分に降りかかるかのような不安を覚えるが、次のように言い替えて見よう。

1000人中2人が死亡 →1000人中998人が生存
1000人中5人に大腸ガンが発症 →1000人中995人は発症しない

視点を変えると不安がバカバカしく思えてくるが、少数の2人や5人になりたくないため検診を受けるのが現状であろう。その際、医師に質問するいくつかのポイントがある。

  • 何についてのリスクか?病気にかかること、病気により死ぬこと、症状が出ることを理解し、それぞれどのくらい悪い事態なのかを考えてみる。
  • そのリスクはどのくらいの大きさか?その結果を経験する可能性はどのくらいかを調べる。ある結果を経験する人数について「何人のうちか?」「どれくらいの期間で?」を聞いておく。1000人中5人のリスクを1000人中995人の安心に置きかえて考える。
  • リスク情報が自分に良く当てはまるか?リスクが自分と同じ年齢、性別、健康状態を対象にしたものか検討する。中高年のデータや喫煙者のリスクを若い人や非喫煙者に当てはめることはできない。
  • 別のリスクと比較したリスクはどうか?肺がん・大腸がん・心筋梗塞など比較すると当該疾患より別の疾患のリスクが高くなることがある。

治療は手術・投薬・食事・運動など様々だが、薬の広告には「高コレステロールで心臓病のある人を対象にした臨床研究で、○○を飲んでいる人は、心臓発作による死亡が42%少ないことがわかりました」と書かれている。リスクでは大きな数字に惑わされたが今度は%での表記に惑わされる。ここにもトリックが隠されていた。

【治療前リスク】=プラシーボ群における心臓発作死亡リスク

死亡者(189人)÷ プラシーボ(2223人)=8.5%

【治療後リスク】=○○薬群における心臓発作死亡リスク

死亡者(111人)÷ ○○薬(2221人)=5.0%

死亡が42%少ないと言えばもう少しで有効性が半分に達するような感触を得る。ところが上記のように○○薬で減った死者は3.5%に過ぎない。3.5÷8.5×100≒42%の種明かしだ。100人中2人だった死亡率が1人になれば50%の有効率を謳えることになる。副作用・費用など検討すると、100人中1人死亡が減ったくらいでこの薬を服む利益があるだろうか。またプラシーボ(偽薬)との比較で、いかほど有用性があるというのだ。偽薬ではなく現在使われている薬に比べて有益でなければ新薬を使う意味がない。%の差の、さらに%で表記するトリックは嘘ではないが巧妙だ。

リスク減少についての情報を「42%少ない」とか「42%低い」という形式で表すことは偶然ではありません。なぜでしょうか?なぜなら、利益を相対的な変化で表現すれば、リスク減少がわずかであっても大きく見えるからです。そのため私たちは、様々な薬がどのくらい有効であるかについて、非現実的な感覚を抱かされているのかもしれません。

有効性があったとしても、結果が必ずしも疾病の治療や死亡率の低下に繋がらないことがある。コレステロール値や血圧値を下げることは出来た。また不快な症状も軽くなった。しかし、結果的に治癒率や死亡率が低下しなければ意味がない。検査や投薬や手術を受けた群と何もしない対照群では対照群の方が死亡率が低いという報告がある。抗コレステロール薬のクロフィブラートは数値は下がるが、心臓発作を引き起こすことが大規模なランダム化比較試験で確認された。数値や症状改善のための薬物の最終目標が何であるかを知る必要がある。ガンが縮小する、数値が改善する、と謳っても結果的に死亡率は高く死期を早めることも考えられる。有効例だけを集めただけでは100%有効になってしまうので、必ず対照群を設け比較しプラシーボ効果と自然治癒力を排除して検証しなければならない。有効率と同様、有害な副作用について知ることは更に大切なことだ。不利益が利益を上回るようでは使用に値しない。服み始めていままでなかった症状を感じたら良し悪しは別にして薬の作用を疑うべきであろう。

出す側の意図次第で統計操作が行なわれることが分かった。その最たるものが生存率の統計である。ガンの治療や検診の有効性を誇張するために使われる。「造影を行った場合の推定10年生存率は90%を超える」、「現在、毎年診断される17万4000人の肺がん患者のうち、10年生存できるのは約5%だ」これを並べるとあたかも5%の生存率が検診によって90%に変わるように見える。次のような数字のトリックが隠され、検診を促す意図しか見えてこない。70歳で全員が死亡する肺ガンの1群を考えると、もし最初に肺ガンと診断されるのが67歳なら10年生存率は0%だ。もしこの人々が早期診断で発病前の57歳で肺ガンと診断されると10年生存率は100%になる。

早期に診断することは、それ自体では死を遅らせることにはなりません。単に長期間ガンであることがわかっているということを意味するにすぎないのです。

非常にたくさんの微小な腫瘍を発見するCT検査が、なぜ救命なしに生存率を高められるか・・・中略・・・
ある種のガンは、顕微鏡で見るとガンのように見えますが、ガンのように、つまり、容赦なく進行して人を死に至らしめる疾患としてふるまわないことがわかっています。こうした進行しないタイプのガンは成長が非常に遅いので、症状を引き起こすこともなければ、寿命に悪影響を及ぼすこともありません。このため、こうした非進行性の腫瘍を見つける方法は検診だけなのです。

前立腺ガンはじっくり観察すれば60歳の男性の約半数に発見されるが、その後10年間で死ぬ人は100人中3人である。10年間のうちには他の疾患で死ぬほうの可能性が高い。もうひとつ例をあげると、9000人を超える男性喫煙者を対象にメイヨー・クリニックで実施された試験がある。定期的な胸部X線検診のランダム化比較試験で、検診を受けた人は受けなかった人に比べ5年生存率がほとんど2倍高かった。(35%対19%)しかし、死亡率は両群で変わらず、むしろ検診群でわずかに高くなった。このことから検診は生存率の数値を高めるだけで救命には役にたっていないことが分かる。

患者啓発団体や公衆営衛生にかかわる機関といった善意の組織も、特定の目的を推進するために、同じ戦略を用いる可能性があります。彼らは、自分たちは本当に重要な問題を見極めており、それに対して本当に有効な解決法を提供していると強く信じています。彼らは、自分たちが直面している主要な障害は、人々に聞く耳を持たせ、正しいことを実行させること、つまり、彼らのアドバイスを聞いて、脂肪の摂取を減らしたり、インフルエンザのワクチンを打ったり、ガン検診を受けさせたりすることだと主張します。

残念なことに、彼らは時に、こうした目的を達成するために、恐怖心や羞恥心に訴えるのです。

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【追記】2006年4月、病気作り(Disease Mongering)をテーマとした初の国際会議がオーストラリアで開催された。診断されていない疾病についてのキャンペーンは、医薬品の新たな使用者を開拓する製薬企業にとっての販促手段であると指摘した。 疾病啓発キャンペーンは製薬企業の販売促進部門、ジャーナリスト、患者権利擁護団体の協力のもと、製薬企業から資金の援助を得て疾病不安を広げることにある。その結果、健康人を病人に仕立て、薬害の被害者になるリスクを負わせている。 いくつか例をあげると、抗うつ剤SSRIでの「疾病啓発キャンペーン」、多数の健康人を「高脂血症」という病人にする「ガイドライン改訂」、実体の明らかでない恐怖をあおり、タミフルの大量使用を促す「インフルエンザ脳症」などがある。今後、「病気作り」・「病人作り」・「薬漬け」という動きは加速するものと考えられ、専門家といえども個人で対処するには限界がある。日本のある医療機関で「うつ病啓発キャンペーン」の質問事項に回答してもらったところ、20人中13人もが「うつ病」の疑いがあるという結果になった。

 

命を脅かす医学常識 浜六郎

Evidence(証拠)に基づく医療について再三述べてきたが、正しい情報が身を守る事は言うまでもなく。情報は錯雑氾濫しているが、玉と石を選り分けることができれば、これほど便利な時代はない。出版やネットに自由があるからこそ、私たちは常識の嘘や専門家の無知に気づくことができる。専門家が刻苦勉励して得た知識や技術が、彼らを縛り、Evidenceへの目覚めを阻むこともある。ルーチン化された仕事と陳腐化した知識の周辺を徘徊する限り、昨日と変わらぬ日々がいつまでも続くことだろう。正しい情報に接するには努力を要し、それを認めるには理知を要し、行動には勇気が要る。

著者はNPO・医薬品ビジランスセンターを1997年に設立し、医薬品の安全で適正な使用の啓蒙を続ける医師である。理知と勇気を要すると言ったが、著者をトンデモと一蹴する勢力もあれば支持・協力する人々もいる。本は読みやすく昼定食ほどの価格で、健康や命を守る知識として価値あるものだ。6パートに分けて書かれているので、各々の要点を紹介するが、「玉」に見える人もあれば「石」だと一蹴する人もあるだろう。

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【1】かぜ・インフルエンザ
2009年新型インフルエンザのパンデミックが起こった。想定されていたのは鳥インフルエンザが変異して人に感染するものだった。今となって言えることだが、タミフルを備蓄し、ワクチンの接種を奨励し、恐怖を煽りすぎた。パンデミックは従来どうり豚インフルエンザによるものであり、著者はパンデミックではなく例年どうりの流行だったという。それ以降、パンデミックの話はすっかり聞かれなくなった。製薬企業がWHOを使って薬の消費拡大を図ったという噂もある。今年も各地でインフルエンザが流行したが、年々症状が軽くなる傾向にある。公衆衛生の発達と予防意識の高まりが効を奏したものと思われる。さて、備蓄されたタミフルだが、インフルエンザに効かないばかりか、異常行動や突然死を引き起こすという。インフルエンザのウイルスに感染し細胞に到達すると、異常な細胞だと認識し全身に応援を要請する。その結果、体温が上がり、インターフェロンなどの化学物質(サイトカイン)が出て外敵を攻撃し、たいていそれで治まる。しかし、解熱剤や免疫抑制剤などが使われたり、ウイルス側にサイトカインの攻撃を免れる変異が起きたりすると、大量のサイトカインが必要になる。この状態をサイトカインストームという。サイトカインが出ると血液-脳関門が障害され、未変化体のタミフルが通過し脳を麻痺させ、短期突発型の異常行動や突然死の原因になる。一方、活性体のタミフルは細胞を老化させ多臓器不全を促進する原因になる。タミフル服用の子供の異常行動や自殺はテレビや新聞で報道されたとうりで、10代の子供へ原則として使用を控えるようになった。日本の臨床試験で、6週間タミフル使用群と対照群(偽薬)を比較したところ、インフルエンザの症状が見られた人は、タミフル群155人中34人(21.9%)、対照群153人中36人(23.5%)と差がない。つまり効かないことになるのだが、検査でウイルスの感染が証明された人がタミフル群で少なかったため「効いた」と結論づけてしまった。しかし、インフルエンザの症状があってインフルエンザ陽性とならなかった人もタミフル群に多く見られた。このことからタミフルはウイルスの検出を鈍くすると考えられる。

脳症はタミフルだけでなく、解熱剤でも引き起こされる。発熱は体温を上げウイルスを排除する防衛反応で、正常なものだ。このとき解熱剤で体温を下げると排除できずに菌の増殖を許し、より多くのサイトカインが出て身体を攻撃する。インフルエンザに限らず各種感染症で見られ、感染の1〜3日後くらいに突然、嘔吐、意識障害など起こし、昏睡、痙攣、呼吸困難などに陥って亡くなる。これは大人でも見られ、強い解熱剤は使わないほうが良い。

インフルエンザ予防にワクチン接種が奨励されるが、これも根拠に疑問がある。ワクチンを1回接種、複数回接種、接種ナシの3群で比較したところ、発熱などの症状が出た人はどの群も16〜17%で差がなかった。にもかかわらず、ワクチンが効くというのにはカラクリがあり、ワクチンを接種することで、もともと抗体価が上がっているため、治癒後の検査と大きな差がなく「感染なし」と判定される。タミフルと同じようにインフルエンザに罹っても検査で出にくいため、有効の数値が作られていたのだ。有効性には欠けるものの副作用は一定率発生し、脳症の発症は接種群のほうが多く、1994年に集団接種は中止された。しかし、3年後、鳥インフルエンザの脅威が広がり、復活を果たした。脅威の例として語られるスペイン風邪の頃は菌とウイルスの区別もつかない時代であった。また第一次大戦後で戦争に関わった国は疲弊し、途上国は貧しく衛生状態も栄養状態も現在とは格段の差があった。日本の平均寿命も50歳を切っていた時代である。なぜ多くの死者を出してしまったのか現在でも科学的解明が不十分だという。著者はアスピリンが原因ではないかと考える。アスピリンの常用量は1回0.5gだが、米国保健局長官が1日30g投与することを奨励した翌月から死者数がピークに達した。残されたデータを検討したところ、アスピリンを使うと20〜30倍ほど死亡率が高まると推計される。

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【2】生活習慣病・加齢病
老いというのは障害を抱えることに他ならず、生きた証が体の不調や劣化となって現れる。動脈硬化はその一つだが、高血圧とコレステロールが原因だから「薬を服んで下げろ」という。しかし、本末転倒、高血圧とコレステロールは動脈硬化の結果であって原因ではない。疲労やストレスで血管内面に炎症反応が起こる。これは持続的なストレスなどで血液循環が悪化し組織にできる傷を治す反応だと考えられる。運動や仕事に際し、血液を供給するするため血圧を上げるが、休息が足りないと血圧の上昇とともに炎症反応も持続する。疲労が残り積もった状態が体に不調や障害をもたらす。歳を重ねても仕事やストレスは容赦なくつきまとう。年齢や体調に見合った休息や養生は欠かせない。

運動、ストレスで血圧が上昇し、炎症を抑えるため、ステロイドの元物質であるコレステロールも上昇する。血圧もコレステロールも体の維持のため必然的に数値を上げる。これを薬で下げることが体にいい事かどうか、コレステロール値が220以上、平均270の約5万人のコレステロールを薬で下げ6年間追跡調査した。平均で70程度下がり、なかには120〜160という人も居た。死亡率は200〜260で一番低く、160未満になった人の死亡率はその2.7倍、がん死亡率は3倍だった。同様の報告は他にも多数あるので、正しいEvidenceに基づいて治療にあたる医師は薬を使わない。製薬会社のデータは脱落者を除外して統計をとり有効としているが、脱落者は死亡者数の12倍もありまったく信用できない。

血圧には血液量、血管の太さ、心臓の収縮力の3つが関係し、運動やストレスなどに対応し全身に血液を配分する。炎症などで血管が狭くなれば圧力を上げて血液を運ぶ必要があり、それを薬で下げると不都合が生じる。血圧降下剤が有益であるなら投与した人の寿命が延長しなければ意味がない。日本で、300人を3年間追跡調査した報告があり、3年後の血圧の差はなく、心筋梗塞も脳卒中も差がなく、がんの発症だけが薬投与群に多く見られた。血圧を下げることで、隅々まで血液が行き渡らず臓器や細胞の働きが鈍くなったと考えられる。Evidenceがなくても基準値を下げ、有害というEvidenceがあっても基準値を下げる。端的に言うなら、人の健康を犠牲にして進める製薬会社の販促活動である。学会の重鎮を懐柔し、ガイドラインの基準値を下げ、病人を増やす。2000年までは160〜95以上、高齢者では常時170〜180以上であったが、以降、140〜90以上で高血圧症とし、130〜85未満を目標に降圧剤を投与するようになり、患者は1800万人から5000万人と急激に2.7倍も増加した。当然、降圧剤の売り上げも軒並に増大し、1990年〜1999年の年間売上が3000〜4700億円だったものが、1999年〜2005年で9400億円と2倍になり、2008年には1.1兆円までになった。著者は、血圧180〜100までは降圧剤はいらないという。

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【3】アトピー皮膚炎・喘息・片頭痛
アレルギーは抗原と抗体のせめぎ合いで起る防衛反応で、生得的なものがアトピーと呼ばれている。炎症はアレルギーがなくても起り、アトピー性皮膚炎はアレルギーではないと言う。著者はアトピー皮膚炎という言葉を用いる。心身にストレスがかかると、そこに血液が動員されるため、血液の偏在から炎症が引き起こされる。ストレス状態が長く続くと傷が出来て修復のため炎症反応が起り、炎症の始めと終りに痒みを感じる。皮膚に起ればアトピー皮膚炎、気管支粘膜に起れば喘息、脳の表面を覆う硬膜に起れば片頭痛、血管内面に起れば動脈硬化になる。根本的な解決は休養とストレスの開放であるが、皮膚科学会の権威者達が作ったガイドラインではステロイド剤治療が第一選択とされている。ステロイド剤の副作用はいうに及ばず凄まじいもので、適用に正当性があるかどうか疑わしい。アトピー性皮膚炎の多くの症状がステロイドの副作用に一致する。皮膚感染症、皮膚の委縮・亀裂・出血、酒さ様皮膚炎、無菌性膿疱性皮膚炎から発熱、脱力、関節炎、精神異常、頭痛、眠気、悪心、嘔吐、腹痛、低血糖など全身に及ぶ。周囲の成人を見回してもいまだアトピー皮膚炎という人は少なく、みかけてもステロイド剤の後遺症であることが多い。成長期は体が不安定で不調が起こりやすいが、成長につれ抵抗力も増しストレスへの対処もできるため、自然に治る。自然治癒を妨げない養生が必要で、耐えがたい痒みには抗ヒスタミン剤で対処するくらいで良い。ただし急性で重症の喘息発作ではステロイドが欠かせない。

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【4】不眠症・不安・パニック障害・うつ病・せん妄・認知症
「薬の売上が増え、うつ病が増えた」という本末転倒の話は以前のコラムに書いた。いままでの話で、本末転倒は多くの分野の薬に及んでいることが解る。睡眠と寿命に関する米国の調査がある。30歳以上の男女約110万人を対象にした数年間の追跡調査の結果、平均8時間眠る人がいちばん多く、次が7時間程度であった。女性では約半数、男性では約70%が不眠を感じたことがないと答えた。ところが「不眠を覚えたことがない」と言う人よりも「月一回不眠を覚える」人のほうが、女性で19%、男性は13%死亡の危険が少なかった。不眠を覚えない人は睡眠が不足しているため熟睡し、逆に不眠を覚える人は、睡眠が足りて眠れないと考えられる。結果的に不眠を覚える人が長生きすることになる。不眠を覚えることは異常ではなく、健康の証と考えれば睡眠剤に頼る必要はない。また、カフェイン系飲食物の摂取に注意することも肝要である。睡眠薬や抗不安薬は脳の働きを麻痺させるために、正負の反応をもたらす。人体の機能はブレーキとアクセルを同時に踏んで走るようなもので、ブレーキを抑制することでスピードが出て興奮状態になることがある。体内には不安を取り除く物質(GABA)があり、必要に応じて分泌されるが、外から薬で制御すると自前でGABAを出すことができなくなり、依存症になってしまう。睡眠薬を毎日服用した人は、服用しなかった人より25%も死亡率が高く、大病を一つ抱えるくらいのリスクがある。

不安は問題解決のための原動力で、誰にも大なり小なり備わっているものだ。また成長期の若者は心身共に不安定で悩み多き季節でもある。社会適応が難しいほど深刻な不安やうつ病は別として、やがて時間が解決するであろう事に、「心の風邪」などと称して薬を投与する必要はない。服用することで睡眠薬と同じく、体内の精神安定物質(GABA)の制御を混乱させ、依存や抑制、興奮などを引き起こす。主作用である抑制のため、昼間まで眠気が残り、夜に眠れず睡眠薬を追加処方するケースが多い。結果的に一日中、脳は鈍麻し、取り返しのつかない病気を生み出す。

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【5】がん
いまから15年ほど前、近藤誠氏の「患者よ、がんと闘うな」がベストセラーになり、これを機にガン論争が巻き起こった。近藤氏の主張の一つが「がん」と「がんもどき」である。「がん」は治すことができず、「がんもどき」は放置しても構わない。「体に不調が生じた時、それを軽減する対処で良い」というものであった。様々な論争が生起し、出版される本を読んでいるうちに自分なりにある結論を得た。まず人は死から逃れられない事を悟り「がん」にかかれば諦め、苦痛を除く処置だけにする。「がん」であれば検診も意味がないし「がんもどき」でも同じだ。「がんもどき」ならば、治る可能性も、進行しない可能性も、共存できる可能性もある。不調や苦痛が起こったことに対処すればよい。早期発見・早期治療など意味を為さないばかりか、検査被害、誤診、誤治療などで逆に健康を害したり、ライフ・クオリティが低下する。知人やお客様にこのような話をすることもあるが、大概本気で取り合って貰えない。胃の不審な出来物くらいで全摘する必要はないとアドバイスしても、手術を決断される。

本書で、浜氏も近藤氏の「がんもどき」理論を支持し、「適切な考え方だと感心しました」と述べている。周囲はあまた発がん物質にあふれ、私達の体内にも少なからずがん細胞を抱えている。リンパ球のキラー細胞が免疫力を発揮し、がん細胞を排除する事で発病を抑制する。治療が困難なら発がん物質やストレスなど原因となるものを避け養生を心がけるのが肝要だ。実際、手術や抗がん剤で治るがんは少ない。延命効果とか縮小ではなく、薬で本当に治癒するがんは、急性白血病、悪性リンパ腫、睾丸がん、絨毛腫瘍、一部小児がんくらいである。延命効果があるといわれる薬でも、副作用のため、ライフ・クオリティが低下し延命の価値があるかどうか疑わしい。

米国の報告で、事故死した男性の前立腺を調べたところ20代ですでに8%に前立腺がんが見つかり、50代で45%、60代で70%、70代で80%まで達した。これだけ多くの人が前立腺がんを抱えていながら前立腺がんで死ぬ人は5%でしかない。検査で発見された前立腺がんを手術なり、抗がん剤で治療するとどうなるか。治療によってオムツが必要になったり性機能に障害が起こったりする。検診も無意味なら治療はさらに意味がない。著者は治療を行うのは症状が出てからで十分であるという。いよいよ、最後の時、苦痛に襲われたなら、ためらわずモルヒネを使い、また適切にモルヒネを使える医師を探すことを勧めている。これは他のがんについても参考になるだろう。

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【6】検(健)診
検診の危険性は別のコラムでも書いているが、「診断を信じるな!」と著者はいう。個人差を一切無視した機械的な判断で、基準値が年々変わるし、学会と学会で対立しているものがある。検診、健康診断など、病人を作るばかりでなく、健康被害をもたらしている。医師は代替医療を名指しで「Evidenceがない」という。たしかにそのとうりだ。しかし、天に唾棄するようなもので、そのまま己に返ってくる。通常医療でどれくらいのものがEvidenceに支えられているだろうか。医者が科学的Evidenceと思い込んでいる文献は、製薬企業から研究費を貰って書かれる論文がほとんどである。論文の体裁を施した広告といっても過言ではない。販売のために不都合なものは消され、改竄され、有為性のないものを統計操作で誤魔化す。資料を求めれば「企業秘密」として開示しない。私達は原発事故で黒を白と言いくるめる御用学者をまのあたりにした。健康を守るという崇高な仕事に於いても御用学者は存在する。侵襲性の高い検診や治療を、誤ったEvidenceで行うことの罪を省みて貰いたい。

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体調不良や異常を覚えると不安に駆られ病院へと急ぐ、そこには検査と投薬が待ち構え、ことによっては健康被害をもたらすかも知れない。早期発見・早期治療というかけ声を発するのが誰かを見極めると、私たちは無意味な煽動に駆られていることが解るだろう。体の不調は休養や養生、ときには民間療法の助けを借りて治していた時代があった。いまもそのような人々が少なからず居ることも確かだ。民間療法や古の知恵といわれるものなどEvidenceの欠片すらないかも知れないが、基本的な養生を怠らなかった知恵が息づいている。素朴に、質実に、生活を立て直すことも必要ではないだろうか。

 

「五大検診」は病人狩りビジネス!舟瀬俊介

12年前の2000年頃「買ってはいけない」現象が世を賑わせた。センセーショナルな筆致の本はベストセラーを独走し、約200万部を売りあげた。ブームが去ったあとも次々と続刊が発表されている。「根拠なき危険を煽り立てる」、「科学的ではない」、「事実誤認」などの批判もあり、トンデモの評価まで与えられた。その著者が書き上げた医療バージョンである。勇ましいアジテートには幾人かの識者の断片的な結論やデータが盛り込まれ、それを整理して伝えるという読み物であった。ここで取り上げたのはまんざらトンデモではないと思ったからだ。主張の根拠とするものは気鋭の医師たちの著作であり、巻末に参考文献として記載されている。近藤誠氏、岡田正彦氏の著作が骨子となっている。

私たちが「良かれ」と願って受ける検診や医療行為が病気や死亡の原因となり、医療産業に貢献するだけであることを、いかばかりの人が知っているだろう。新聞やテレビ、医療産業の広報だけで情報を得ているなら、トンデモない事に違いない。正反の情報をネットで調べたり、本を読む人であっても、いままで刷り込まれた情報が強固であれば、たとえ医療人であろうと、にわかに信じないだろう。タイトルどうり、検診は病人を作るための営業戦略であり、かきあつめた病人に施す医療にも欺瞞が満ちている。極論すれば、昔のように死ぬか生きるかの瀬戸際まで医者や病院には近づくなということだ。論点を整理すると、1)検診の際の放射線による被曝、2)検査数値の作為、3)ガイドラインの罠、4)治療や薬による被害、5)誤診、誤治療の頻発などに分けられる。

岡田教授には「検診で寿命は伸びない」という著作がある。さらに「がん検診の大罪」なども。教授の結論に対する医学界からの反論はゼロである。教授によれば「検診が無効」なだけでなく「定期検診を受けているひとのほうが、短命」というからショックだ。国際的な大規模調査の結論である。

人間ドッグ、脳ドッグ、ガン検診、メタボ健診、定期健診を5大検診といい、著者は巨大医療産業による病人狩りの罠だとする。欧米諸国では人間ドッグはおろか「考え方」そのものが存在しない。毎年、約300万人もの日本人が律義に人間ドッグに通うことに驚くと言う。早期発見、早期治療で病気を叩けば永遠に生き続けられるように勘違いさせる。「検査」、「クスリ」、「医師」、「病院」の4大信仰で洗脳されていると著者はいう。巨大な資金力で行なうプロパガンダは、患者はもちろん医師をはじめとした医療者も同じく一番のターゲットだ。無邪気にも人々は検診へと向かい、病院は善意と熱意を以って顧客の検診と治療に邁進する。

1)検診の際の放射線による被曝:X線を照射し人体を輪切りに撮影する機械をCT(Computed Tomography)という。世界中で使われる1/3のCTが日本に集中する現実をご存じだろうか。ただあるだけではなく、その数だけ使われているのだ。5分以上ものあいだX線を浴びせ、線量は10mSv(ミリシーベルト)から30mSvにもなる。白血病で労災認定された原発作業員の被曝量が11ヵ月で40mSvという記録がある。この1/3〜1/2の線量を1回で浴びてしまう。医療放射線は利益がリスクを上回るの理屈で、被曝線量の制限やガイドラインもない。CTの害を指摘する専門医はガンの10%がX線被曝によるものだと推定する。

フィンランドで35歳未満の若者に実施されたCT検査の調査結果がある。その多くは不要な検査だった。腰椎CT--70%、頭部CT--36%、腹部CT--37%が正当化できないという結論。つまり、無意味というより有害だった。さらにそれらは「放射線被曝の心配のないMRIで代用できた」と報告は結論づけている。

無意味な検査に有害というおまけまでついてくる。ところで最新の機器で病気は正しく見つかるのか。CTよりさらに高性能のPET検査というのがあるが、精度が高いがゆえに85%のガンを見逃すという。詳しくは参考図書を閲覧いただくとして、そもそもここまでガンの恐怖を煽り立てるのは医療産業の都合に他ならない。ガンの治療についても、検査と同じく無意味で有害というおまけがついてくる。手術や抗がん剤で体を痛めつけるからこそ、もがき苦しむのだ。一度はお迎えがくるなら、脳卒中や事故などの突然死より、旅立ちの準備ができるガン死のほうが良いと思うのだが。医療現場の目覚めがない限り、体重計にでも乗るかのような安易な検査は今後も続くことだろう。

2)検査数値の作為:2010年の人間ドック学会の調査で人間ドックを受けた308万人のうち、検査値に異常なしの「健常者」はわずか8.4%で、この割合は年々減少しているという。10人中9人もの異常を生みだす検査を専門家が疑問も抱かずに粛々と行っていることが異常だ。常識で考えても検査の数値の方に異常があるのは明らかだ。

日本では戦後長く高血圧の定義は最高血圧180mmHgだった。不可解なミステリーは突如始まった。まず2000年、突然170に下げられた。04年には140に。そして、08年には、なんと130にまで引き下げられた。わずか8年で50も下がった!これで医師たちは130以上の患者には、堂々とカルテに「高血圧症」と書き、処方箋に「降圧剤」と明記できるようになった。

診断基準を下げて多くの病人を作りだした。都市伝説として知られる「味の素」の容器の穴を大きくして消費を増やすのと何ら変わりがない。治療に関しても本来、運動、食事の指導から始めるところ、薬へと一直線だ。人それぞれ顔も体質も違うように、血圧も個性があり、各々に最適な血圧で体は維持されている。以前の180mmHgという血圧はそこまでは血管が破れないという証拠に基づいて決められたものだった。降圧剤市場は急拡大し、一律に血圧を整えた結果、死亡リスクは5倍、脳梗塞は2倍に増え、以下のような副作用に悩む事になった。認知症、心臓病、脳卒中、多臓器不全、インポテンツ、記憶喪失、不整脈、頻脈、胸痛、黄疸、めまい、頭痛、排尿異常、尿失禁、貧血、倦怠感、脱力感、不眠、腹痛、下痢、便秘、悪心、嘔吐、など。薬を疑わない医師に不調を訴えれば、それを治そうとさらに数種類の薬を処方し泥沼へ突き落とす。

メタボで話題になるコレステロール値も上限値は220とされているが、コレステロールは体に必要な脂質で240から260が最も健康で長寿だという。血圧やコレステロールを下げることで末端まで酸素や栄養が届かずガンのリスクが高まり、検診のX線でとどめを刺すことにもなりかねない。数値を正当なものに戻すと、逆に製薬会社の経営リスクが高まる。学者を懐柔し嘘と誤魔化しのプロパガンで健康な人々の命を削っているのだ。

3)ガイドラインの罠:医者が診断や治療に自信があれば自分の思いを遂行するが、未知のもの、疑わしいもの、危険が予測されるものなどは拠り所を求める。教科書や文献、先輩や研究者の助言に頼ることもあるだろう。1990年代以降になるとEBM(Evidence-Based Medicine)の考え方が普及し、ガイドラインが作られた。言いかえるなら「診療虎の巻」である。

2000年以降、08年までに作成された「医療ガイドライン」は600を超えるという。2011年の現在、おそらく1000近い「ガイドライン」が作成されているはずだ。それは「メタボ健診」だけでなく「ガン検診」「定期健診」から「診断法」「治療法」「投薬法」まで微に入り細にわたり、こと細かく記載している。

ガイドライン集は毎年、厚労省から発刊され、現場の多くの医師がこれに頼り、首っ引きで利用するという。内容たるや薬物療法へ一直線。それもそのはず製薬業界が学会の重鎮や学者へ資金提供することで出来た広告集なのだ。EBMと言いつつ、業界の都合で捻じ曲げられた数値や似て非なるEvidenceが盛り込まれている。ガイドラインと異なる治療によって医療事故が起れば、裁判にも負けることがあるため、従わざるを得ない。正当なEvidenceを見出しても、正しい道に戻れない仕掛けがガイドラインの罠である。

4)治療や薬による被害:認可された薬は相当の安全性と有効性があると考えるのが常識だが、いままでどれほど薬害事件や捏造事件が起ったことだろう。国は製薬会社の提出した資料を読んで検討するだけで追試はしない。ヒモ付きではない研究者による計画された試験に基づくEvidenceでなければ信頼はできない。たとえば高血圧の数値やコレステロール値、たしかに数値は下がっても、長期的に見ると寿命は延びずに縮んでしまう。薬効には当たりハズレがあるが、副作用は一様に降りかかる。とりわけ毒性の強いものが抗がん剤だ。

厚労省の技官や課長が「抗ガン剤はガンを治せない」とはっきり認めた事実を、繰り返し指摘してきた。だから、さすがに製薬メーカーや医者も、抗ガン剤をすすめるとき「ガンが治ります」とは言えなくなった。そこでかれらは「この新型抗ガン剤なら延命効果があります」などと患者にささやく。

患者や家族は少しでも長く生きられるよう願い、抗ガン剤に飛びつくが、延命効果とされるものは元気な患者に投与し、対照群の弱った患者と比較したものだ。結局、抗ガン剤の毒性で余計に苦しみ命を削ることになる。

5)誤診、誤治療の頻発:意図的に行われることは断じてないが、図らずも医療には誤診や誤治療が起こる。数値や診断基準が意図されたものであれば、現場の誤診、誤治療は当たり前のことだ。

「早期の胃ガンです」と医者から告知されたら、あなたは顔面蒼白になるだろう。「胃の粘膜がガンに侵されています」という。その先に待つのは抗ガン剤投与と胃の摘出手術だ。ところがそれは欧米医学界では「異型上皮」と呼び、ガンと区別される。だから抗ガン剤の投与や胃の摘出手術など”狂気の沙汰!”なのだ。欧米の医者ならこう指導するだろう。「ファスティング(断食)で胃を休めて、ゆっくり休養をとってください」それだけで胃壁の病変など治ってしまう。

「初期の胃ガンで良かった」「早期発見のおかげで10年も再発なし」などの話はしばしば耳にする。「悪い所は全部とって貰った」と自慢げに語る人も居る。もともと手術など必要のない胃の不調であった可能性が高い。胃を失ったため生活のクオリティが低下し、不調や再発に悩み、抗ガン剤治療の副作用にさらされる。女性では乳腺症を乳ガンと偽って乳房を全摘する例もある。男性の前立腺ガンは老化現象の一つと考えられ治療群と無治療群を比べても寿命は同じだった。治療したがために、オムツが必要になったり、性機能に障害が出たりでクオリティは著しく低下する。

著者はここに原発村と同じく、黒いペンタゴン(五角形)の構図を当てはめる。政・官・業の3すくみと言われた時代もあったが、これに学(学会・研究者)・情(マスコミ)を加え5者の相互扶助を指摘する。官僚は製薬企業や法人へ天下り、学会は企業から研究費の援助を受け、政治家は献金や票を貰い、企業は許認可の特典を受け、マスコミは宣伝費を得て旗を振る ... 本来なら五角形の中心に居るはずの患者が排除されている。私たちは善意や正義のフィルターでものを見、考える。世の中が善意で成り立つと洗脳されているのかも知れない。しかし、世の中は人たる生き物が考え付く、善事、悪事のすべてが存在し動く。1%の選民の利益のため99%の民が蹂躙されるのが現実だ。著者の煽情的表現を薄めるようにしてまとめてみたが、こうあるべきとアドバイスするつもりはない。なにごとも結果から選択の良し悪しを理由づける。その時は正しい選択でも結果が不幸であれば、誤りだったと後悔する。本を読み文献を読み目からウロコの思いをしても、たぶん明日は予定どうり検診に出かけるだろう。それが洗脳というものだ。

 

政府は必ず嘘をつく 堤 未果

「1%の富裕層が99%の人間に負担を押しつけて異常な利益を手にする、狂った仕組みへの反発なんだよ」

アメリカ・ウォ−ル街で格差の是正を訴える若者達のデモがニュースで流れた。格差は「狂った仕組み」の結果の一つでしかないという。アメリカでは上位1%の人間が、国全体の富の8割を独占し、想像を絶する資金力を持つ経済界が政治と癒着する。2001・9・11をきっかけに、大幅な規制緩和とあらゆる分野の市場化が実施され、10年で貧困層が3倍に拡大した。もう手遅れかも知れない。同じことが世界各地で、また、3・11以降の日本で進行しつつある。震災は戦災に匹敵するほど様々な変化をもたらした。言葉が適切かどうか「どさくさに紛れ」隠蔽や奸計が密やかに驀進し始めた。震災後、初めて「原子力村」の存在を知った人もいるだろう、そして利権の絡む各種業界に「村」のあることも分かった。原子力村は事故直後から、重要な情報を隠蔽し、矮小化し私たちを欺き続けている。SPEEDIの情報を米軍にだけ知らせ隠蔽したため、福島の子供の半数以上が甲状腺被曝し、準備されていたヨウ素剤の投与もしなかった。いまだ核燃料の状況さえ把握できないのに、終息宣言を出し再稼働を画策する。御用マスコミはアテにならず、頼りのネットも規制の手が伸びる。

瓦礫処理が問題になったが、慎重意見に対し「思いやりがない」「非協力」だと世論をそそのかす。いち早く瓦礫処理の受け入れを表明した東京都を見てみよう。受け入れ業者の選定で「1日100トン以上の処理能力を有する都内の産廃施設」とした。これを満たす業者は一社しかない。ここに3年間で280億円もの国の予算が注ぎこまれる。この会社は東京電力が95.9%出資している子会社だ。東電は瓦礫処理にかかる出費を免れるだけでなく、瓦礫処理費と焼却による発電の両方で焼け太る。除染にしても地元で雇用が生まれることはない。大林・大成・鹿島の3社が占め、実際の作業も地元ではなく系列の下請け会社が行う。除染してもまた汚染し、削り取った土を置く場所もない。シジフォスの神話のように同じことの繰り返しであるが、違うのはその都度金が入ってくる。原発を作って儲け、稼働して儲け、事故を起こして儲ける。彼らにとって健康や命などただの数字でしかない。

どさくさに紛れ、政府はTPP(環太平洋経済連携協定)の参加を表明した。国民はまだ情報の一部しか知らない。重要情報だからこそ知らせず、逆に監視体制を強めて警察国家を作りだす。都合の悪い勢力に対して、マスコミを抱き込み、ネガティブキャンペーンで動きを封じる。日本政府は今年の一月、5月末までの「共謀罪」成立を国際社会に向けて宣言した。

消費税キャンペーンもマスコミが請け負い、「国が借金で破綻します!消費税は必要ですか?」など誘導的な質問を投げかけ、「しかたがない」といわせる。それを容認のデータとして数字を積み上げる。消費者で税率の引き上げを望む人などいるわけがない。消費税率の引き上げに抵抗する勢力に対し、与野党の政治家が一致結束、非難と排除を行う。彼らの背後には財界や官僚が露わで、政治家など使い捨ての部品でしかない。権力とは公約を反古にしてまで維持すべき麻薬なのかも知れない。これは日本だけのことではない。アメリカの大統領選挙で「チェンジ!」と熱く叫んだオバマは、当時ブッシュ政権の政策の誤りを指弾し失業率拡大の責任を追及した。労働者はアメリカが変わることを心から歓迎した。しかし、チェンジしたのは公約のほうだった。大統領に就任したとたん前政権の中枢にいた人物を次々と起用し、企業寄りの政策を強化していった。3年前の熱い夏を思い出す。日本の民主党も同じように政権を得て、ことごとく公約を裏切り180度反対の方向へ向かった。自民党的な政治を非難しながら、権力を得ると自民党的な政治にならざるを得ない。背後の勢力を見失うと次の政権もまた同じことを繰り返すだろう。あるいは、もう政治家が力を振るう出番はないのかも知れない。

この国の政府が、今じゃ途方もない資金力を持つ多国籍企業に、がっちり首根っこをつかまれてるってことを。誰が大統領になったとしても、政策に影響力を持つのは1%の連中であることを。

2008年の大統領選挙でオバマが集めたキャンペーン金額は7億5000万ドル、次の選挙ではこれよりさらに多く集めることが必要になる。市井の有権者から少しづつ寄付を集めても追いつかない。2010年の政治献金データによると、企業献金:13億1797万ドルに対し、一般人の献金:9235万ドル、9割以上が企業献金だ。当然、献金の多い企業へ政策はシフトし税金も投入され、まさに1%の人々が恩恵を蒙る。

世界市場拡大を目指すグローバル企業にとって、マスコミと政府を押さえることは常識だ。形としての二大政党は、民主主義の基本である「選択の自由」がまだ機能していると国民に思わせる効果もある。かくして、大資本からの政治献金は両党に均等に配られ、選挙における「政策」はもはや重要ではなくなった。

大資本傘下のマスコミは選挙のたびに、一律一斉に対立軸を煽る報道を垂れ流す。しかし、二大政党など土台から崩れてしまった。原発を推進してきた自民党、事故を隠し再稼働を進める民主党。消費税を導入した自民党、税率を上げようとする民主党。マスコミは結果的になんら違いのない政党を対比させ、選挙はニュースという消費活動に組み込まれる。この奔流は民主主義、自由主義、人権、平和など疑う余地すら与えない美名のもと、他国の元首さえ追放し殺戮する。民主主義を装った新しいタイプの侵略手法だという。

まず、ターゲットになった政府や指導者を、CNNやBBC率いる国際メディアが「人権や民主主義を侵害している」として繰り返し非難する。そして、水面下で米国が支援し、時には訓練した市民団体がツイッターやフェイスブックを通して人を集め、反政府運動を起こすのだ。彼らは暴力的な行動で政府を挑発し、国際メディアがそれを「独裁者に弾圧される市民」というわかりやすい図に当てはめてイメージを広げてゆく。無防備な市民を救うという理由でNATO軍の武力介入が正当化され、最終的にターゲットになった政権は「民主化革命」という崇高な目的のために、内部から崩壊したことにされるという仕組みだ。

儲けるため戦争を仕掛け、戦争で儲け、戦後の復興で儲ける。日本の茶の間で新聞とテレビだけ見ていては決して分からない。市民運動、民衆デモなどの形で他国の政権を転覆させる手法は、すでに米国の外交政策の一つとして過去何度も使われている。イラクもしかり、最近では中東の国々の政権が相次いで崩壊した。リビアの元首は何者かの手によって拘束直後に殺害された。リビアの内情は報道されたものと異なっている。生活水準は高く、カダフィは家を持つことを人権と考え、新婚夫婦に米ドル換算で約5万ドルの補助金を出し、失業者には無料で住宅を提供した。車を購入する際は、政府が半額を補助する。電気代は無料、税金はゼロ、教育・医療は質の高いサービスが無料で受けられた。まだある、大家族の食糧費は固定相場、すべてのローンは無利子、農業を始めたいときは土地、家、家畜、種子まですべて国が無料で支給する。これらを可能にしたのはアフリカ最大の埋蔵量を誇る石油資源だった。問題がなかったとは言えないが、少なくとも国民の犠牲のうえで築かれた専制国家ではなく、騒乱に結びつくことなど考えられなかった。

7月1日に、600万人の国民のうち170万人がNATOの爆撃に反発して緑の広場に集まりました。8月22日には、カダフィ支持を示す緑の旗を掲げた国民が、トリポリやバブ・アル・アジザの通りを埋め尽くしたのです。スパやバニ・ワリド、シルトなど、国内各地でカダフィ支持がはっきりと明言された。でも、西側メディアはそういう事実は全く報道しませんでした。

豊かな資源を保有していたイラクは、フセイン崩壊後、大資本の「特売場」と化した。リビアの富や資源も同じように開かれた市場に供されるだろう。そしていま、西側諸国から非難の矢面に立たされているシリアも同じ運命を辿るのだろうか。政治やメディアを抱え込んだ企業支配は巨大化し、反対運動さえ貪食する。反対運動をマーケティング戦略に組み込み手なずけ、逆にプロパガンダの道具に使う。「核兵器などない」と言い続けたイラクへ「あるかも知れない」と攻め入り、結果は「なかった」。「核開発もやる、ミサイル発射もやる」と公言する北朝鮮はほどよく泳がせておく。推測だが、近隣諸国の脅威を煽ることで、家賃無料、生活費まで貰える極東での居場所を確保するのかも知れない。政権交代前、小沢代表は「米軍は第七艦隊だけで十分だ」といった。この発言以降の出来事は国民のほとんどが見てのとうりだ。

巨大な資金力を持つ多国籍企業はマスコミと政府を押さえ、地ならしを終えた後、利益を舐めつくす。そして売上、利益を前月比や前年比と競い、一喜一憂する。世界は有限であることを前提に成り立つものだ。資源も人も限界があるというのに欲望のまま無限に伸び続ける訳がない。だが、利権の妄念に捕らわれると、他人の露命を奪ってまでも達成しようとする。1%の富裕層に抵抗する方策も力もない99%に希望はあるのだろうか。

【追記】2012・6・26、民主・自民・公明の賛成多数で消費税増税法案が可決された。3年前の熱い夏の思いは見事に裏切られ、約束を守ろうとする人々は「造反議員」の烙印を押されてしまった。その一人で総理を努めた鳩山由紀夫氏のオフィシャルHPを閲覧した。(以下抜粋)

3年前の政権交代で国民が望んだのは、これで日本の政治が変わるということではなかったのでしょうか。そして、その多くの声に応えるために、最もしなければならなかったことは既得権との戦いであったはずでした。既得権により身動きが取れなくなっている政治、経済の現状を変え、国民の皆さまが主人公になって、もっと不公平感なく豊かさを感じて生きていけるような世の中にしよう、というのが我々の主張であり、官僚任せの政治から政治主導へ、それも国民が主導する政治にしようということでした。そのために総理大臣にまで押し上げて頂き、国民の圧倒的な支持の下、既得権に甘えた集団にメスを入れる努力をしました。しかし、米国の意向を忖度した官僚、財務官僚、大手メディアなど既得権側の抵抗は凄まじいものがありました。その力に十分抗し得なかったのは私の不徳の致すところと申し訳なく思っています。私が目指した方向は決して間違ってはいなかったと今でも思っていますが、その後の政権が、私を反面教師にして、「官僚、米国に抵抗したからうまくいかなかったのだ、そこをうまくやればいいのだ」と180度民主党の進むべき方向が転換されました。何のために政権交代がなされたのか、という憤りを強く感じています。再稼働を含む原発問題、TPPも全く同じ発想です。そしてこの消費税増税法案です。消費税を上げることは、官僚中の官僚組織、財務省の悲願なのです。(2012/6/26)

 

錯覚の科学 クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ著 木村博江訳

ある認知心理学の実験が行われた。白と黒のシャツを着たチームがバスケットの試合をする短いビデオを学生に見せ、白チームだけパスの数を数えるよう指示し、パスは空中で受けてもバウンドでもカウントし黒は無視するよう頼んだ。学生はほぼ正確に数を告げたが、実験の本質は別のところにあった。ビデオの途中、ゴリラの着ぐるみを着た女子学生が登場し、選手の間に入り込み、カメラに向かい胸を叩きそのまま立ち去った。およそ9秒間の出来事であったが、パスの回数を聞いたあと「他に変わった事がなかったか」を質問した。驚いたことに、およそ半数の学生がゴリラに気づいていなかった。本の副題はThe Invisible Gorilla(見えないゴリラ)と書かれている。この実験は条件や参加者も変えて行われたが、結果はいつも同じで約半数の人がゴリラを見落とした。

この見落としは、予期しないものに対する注意力の欠如から起きる。そこで科学的には、非注意による盲目状態と呼ばれている。

ゴリラが見えないのは、視力に問題があるからではない。目に見える世界のある一部や要素に注意を集中させているとき、人は予期しないものに気づきにくい---たとえそれが目立つ物体で、自分のすぐ目の前に現れたとしても。

さらに興味深いことには、ゴリラを見落とした人たちが、見落としを知った時の驚愕ぶりだった。なかには「絶対にゴリラは見なかった」と言い張る人や「テープがすり替えられた」と非難する人まで居た。手品や魔術師のトリックも錯覚を利用するものが多く、私達はタネ明かしを知らないまま驚き楽しんでいる。錯覚で楽しむだけならまだ良いが、失敗や事故に結びつくようであれば事は重大だ。たとえば自動車対バイクで考えてみよう。自動車のドライバーはバイクの前を横切って左折したり、路地から出てきたバイクや車線変更時にバイクと衝突する。事故の後、「よく確認したのに、まったく見えなかった」といい、バイクの被害者は「車のドライバーはこちらを見ていたのに急に目の前に飛び出した」という。車のドライバーは自動車の動きに注視するあまり、バイクや自転車や人など予想外のものを見落としがちだ。ゴリラの実験と同じことがここでも起こり注意を促しても、バイクの色や運転手の服の色を目立つものにしても変わらなかった。一時的に注意はしても緊張は続かず圧倒的に車が多く、バイクが少ないパターンに慣れてしまう。逆にバイクや自転車、歩行者が多い場所では事故の割合は少ない。不案内の道を標識や信号を気にしながら運転したり、慣れた道でも考え事などしていると、ゴリラの実験に参加しているような状況に陥る。歩行者や車、バイク、ときには信号さえ見落としかねない。即事故に直結しないのは、ドライバーや歩行者が互いにミスや不注意をかばいながら動いているからだ。注意の錯覚は日常身辺に起こり、飛行機や列車、機械の操縦や医療ミスなど命に関わることがある。ゴリラの実験は視覚的なものであるが、視覚に限らず五感すべてに当てはまる。

ゴリラの実験が示したように、人は自分が予期するものを見る。同じように、人は自分が予期するものを記憶することが多い。期待が、ある場面に意味を与え、その解釈が記憶に色をつける。それが、記憶を決定してしまうことさえある。

見聞きしたものを疑いもなく記憶に焼きついたと思い込む。ところが事象の周辺のざわめきで攪乱され間違ったものが焼きついてしまう。その記憶に自信をあたえるのが、自信の錯覚である。私達は2重3重の錯覚で歪んだ認識を事実だと信じて疑わない。自信の錯覚には感覚の他、自己の能力不足が関与するという。好成績を収めれば自分が優秀だと思い、失敗すれば調子が悪かったと考え、明らかな能力不足の証拠を無視する。能力が不足しても自信ありげに振る舞えば、周囲は有能だと騙されてしまう。

患者は医師が正しい判断をするものと信じ込むことが多いものです。そしてその気持ちが、科学的な現実を超えることもあります。患者は医師の決断を、自分自身の決断以上に信じるようになる。そこが問題なのです。相手の気持ちにうながされて、医師は自分にわかることとわからないことについて、正直でなくなる。

ここからは医療に限って話を進めるが、医師ないし治療家は個人商店の社長のようなもので、一定の裁量を与えられ批判も少なく自由度が高い。自信の拡大は連鎖的に続き、それにつれ患者は神のごとき明察力をもつ聖職者として敬うようになる。医師の振る舞いはますます錯誤の世界に迷いこんでいく。危険なのは自信が知識や能力を上回ったときだ。医師は事実を冷静に真摯に見つめる姿勢が要求される。知らないことや出来ないことを認め、できることの限界を学ぶ必要がある。錯誤を克服する一つの有力な方策は根拠に基づく医療(EBM)と呼ばれるものだ。EBM以前は治癒例を根拠にした医療が行われ、常識的に至極まともで間違いないものと考えられた。しかし、治癒例から導かれる根拠には原因や因果関係の錯覚が潜んでいる。体裁良く言いかえればパターン認識と呼ばれるもので、多くの仕事に要求される大切な能力の一つだ。医師は症状から処置の決定と経過を予測し、カウンセラーは思考や行動のパターンから対処の手がかりをつかむ。株のトレーダーは株価の動きなどから自らの取引パターンを見出す。これはスポーツ、商売、生産などあらゆる分野に及ぶ。

私たちは実際にはないパターンをあると思い、実際にあるパターンをないと思ってしまう。くり返しのパターンが実際に存在するかしないかは別として、パターンの存在を感知したとき、私たちはそこに因果関係を読み取りたがる。私たちの記憶は、自分が記憶すべきだと考えるものにあわせて変形する。そして、自分があらかじめ期待していないものは、目の前のゴリラであっても見落とす。同様に、周囲のことがらに対する私たちの理解は、無作為なものに意味を求め、偶発的なものに因果関係を求める方向で、ゆがむことが多い。そしてたいてい、自分ではそのゆがみにまったく気づかない。

医療に於いて先人たちの膨大な経験や意見が診断・治療の礎とされてきたが、ここには多くの因果関係の錯覚が溢れていた。漢方を例にとれば、錯誤と倒錯の積み重ねが理論の構築を支えた。体が大きく暑がりで食欲もあるので実証で陽性、体は小さく寒がりで食欲はないので虚証で陰性と、見た目と問診で分類し実証には瀉剤を虚証には補剤を与える。偉い漢方医は証が合えばすべての病が治ると喝破する。漢方薬の症例では「薬を投与した、治った、だから効いた」と言う「三た論法」がまかり通る。前後に起こったことや、同じ動作で似たことが続いて起こることで、因果関係の錯覚を起こす。もっともな論文であっても、比較すべき対照群に欠け本当に有効かは解らない。効かなかった多くの症例も検討しなければ公平ではない。漢方に限ったことではなく仕事に一定の自信を得た治療家は、自らの経験と判断力を頼りにパターンを作り上げる。私たちは医師が多くの選択肢の中から適切な診断を下すものと思っているが、実は不適切な診断を排除する能力が求められる。医師は自分の予測パターンと合致するかどうか検討するわけだが、それが有益に機能することもあるが、予測のレンズを通して見ることで理に叶った予測も、予期しない原因によって裏目に出ることがある。

私たちは挨拶代わりに天気が悪いので頭痛がする、関節が痛むなどの言葉を交わす。このパターン認識は正しいのだろうか。1972年に行われた研究では関節リウマチの患者8〜9割が、気温も気圧も低く、湿度が高いときに激しい痛みを訴えたと報告された。以前の医学書には一章を費やして気候と関節炎の関係が記述され、温暖な乾燥地帯への転地を勧める医師もいた。しかし、本当に気候が影響を与えるかどうか、別の研究ではまったく因果関係は認められなかった。このことが明らかになった後でも雨の日が痛みが増すという人が絶えない。天候の良し悪しと体調を関連付ける錯覚によるものではないかと考えられる。ジンクスと言われるものに原因の錯覚を端的に見ることができる。パターンから相関関係はありそうに思えるがここに因果関係を見出す唯一の方法は実験しかない。たとえば疫学調査で野菜を食べている人の健康状態を調べ、いつも野菜を食べている人のほうが、食べていない人より健康だという結果が出た。これはあくまでも野菜を食べることと健康との関連性を示すもので、野菜を食べれば健康になるという証拠にはならない。健康を維持するには野菜を食べること以外の多くの要因が関っているからだ。研究結果が未消化のまま大衆受けする話題に味付けされることがしばしば起る。意図か錯誤かテレビの番組や雑誌では○○で長寿とか○△で病気が治るなどと、まことしやかに騒ぎ立てる。正しく因果関係を検討するには、無作為という厳密な条件下での実験を必要とする。では正しい結果が分かれば錯覚は起こらないのだろうか。ゴリラの実験で明らかにされたように、それでもなお錯覚から逃れえない。

ある薬が有効だという仮説を研究者が試す。無作為に抽出したグループにその薬を投与し、もう一つのグループには偽薬を投与して、結果を計測する。問題が生じるのは、人びとが結果について考えるときだ---科学を信じるか、誤りの多い自分の直感を信じるか。あるいは、自分のほうがよくわかっていると思い込むか。

ここでは医療に関していくつかの例を取り上げたが、本では6つの錯誤実験(注意・記憶・自信・知識・原因・可能性)が書かれている。いままでもこれからも錯覚の連続であり、錯覚から逃れえないだろう。話は大袈裟になるが世界は実像と錯覚しつつ、自分の都合で成り立つ幻影かも知れない。

 

グルメの真実 友里征耶

昨年、佐賀は原発のやらせメールでゆれ、いまだ解決を見ない。やらせ、仕込み質問、偽装など言葉は違えど昔からある太鼓持ち、サクラと同じで演芸や商売には欠かせないものだ。誰もが薄々気付きながら騙され愉しんだ。しかし、原発のやらせや建物、食品の偽装など重大な被害を招く業界は厳しく襟を正さねばならない。昨年末、ネットで紹介される飲食店、レストランの記事においてやらせが発覚した。これは一般の客が店の評価を投稿し利用者の参考にするものだ。ここに金銭で請け負う、いわゆるサクラが跋扈していたという。店に出かけもせず高い評価を書く偽装が行われ、ある日突然列をなす飲食店が誕生した。やらせ記事を書いた人は報酬を得、店は広告費を払うことでそれ以上の利益を生んだ。客は行列のできる飲食店で食べることができて大変な満足を覚えたことだろう。事件が発覚しなければ3者すべて得をしたはずだ。腹を空かせて食べれば味は二の次、価格も納得済のことだろう。一般の人にとってグルメとは薀蓄を傾ける遊戯や娯楽の一つである。テレビのグルメ番組など見てのとうり、やらせ記事を批難した放送局が白昼堂々とやらせ番組を垂れ流しているではないか。

何事も先入観に大きく左右されるのが人間です。世界から客が殺到し、味音痴とはいえ自称プロやガイド本が絶賛しているから美味しいに違いない、おいしくないといったら「味音痴」とバカにされてしまう、といった心理が働いていたとの結論づけは間違いないと私は断言させていただきます。

いつの頃からか知らないが、料理人の中からカリスマと呼ばれる人々が生まれ、彼らは料理の奥深さと難しさを語り始めた。「串打ち三年裂き八年焼き一生」、これは鰻職人の話で、鰻に串を打つのに3年、捌くのに8年の修行を要し、焼きの技術は一生かかって習得するという。素人には計りがたい年月であり、これを一膳1000円前後で食することが許されるだろうかと考えてしまう。「由緒ある職人の手に為る貴重な鰻をまさに食べようとしているのだ」と思っていたが、グルメ業界を知悉する著者の見るところは違った。

鰻職人を目指す人はそんなに覚えが悪いということでしょうか。たった鰻一種の串打ちと捌きだけで人生の中で10年近くも費やしてしまったら、造り等の包丁仕事、お椀や炊き合わせの出汁を引く技術、鰻だけではなく鮎や他の魚を焼く技術など、覚えることが満載の和食は一生かかっても習得できないではありませんか。

他人の仕事を経験しない素人は内容が解らない。解らないまま蘊蓄を賜ると、そうかも知れないと思う。しかし、自分の仕事を考えてみると、器用不器用はあるものの一定の域に達するのに、それほど時間はかからない。才能ある後進を経験年数で威圧したり、客に勿体をつけることが多々ありはしないか。テレビの料理番組で厨房の様子が映し出され、レポーターは歯が浮くほどカリスマ料理人を讃える。料理人はもっともな料理哲学を披歴し、厨房の弟子たちに激しく罵声を浴びせ真剣勝負を演出する。これが現実だったらこんな料理人の弟子にはなりたくないし、客としても遠慮する。愉しみの料理が弟子や従業員の緊張と恐怖の上で成り立つとは思いたくない。

カリスマ料理人の周囲にはカリスマ農家、漁師、畜産家など匠の世界の人々が集う。努力や拘りを一蹴すつもりはないが、野菜畑の土を舐めてみせたり、特殊な肥料や水を用いたりして違いを際立たせる。そこから届くものは格別に手の込んだ食材であり、それを以て神の手による調理が施される。客は皇帝のごとく、最高の食材による最高の料理を堪能する。この旗振り役がテレビ、雑誌であり、カリスマ評論家であった。最近は冒頭で書いたようにネット上の飲食店評価サイトが人々の飲食店探しを手助けしている。またブログの存在も軽視できないものがある。もともと料理評論家やフードライターが書物や雑誌の延長ツールとしてネットを活用していたが、素人ブロガーの台頭で本職が仕事を奪われようとしている。ブログといえば、まともな情報の検索に支障をきたすほど氾濫し、写真付きで飲んだ食べたの垂れ流しだ。写真の料理はすでにトイレに流れ去ったであろうが、才知と表現力に優れたブログは高い訪問者数を記録し、それが店の客数に跳ねかえる。人気ブロガーには無償で飲ませ食わせて歓待する飲食店もあるという。となるとブロガーもマズイとは口が裂けても言わない。最近はツイター、フェイスブックなど短いつぶやきで影響の大きいものが出現した。扱い次第では金山を掘り当てるか破産するかの極端な結末さえ考えられる。

影響力があるとは言ってもしょせんは素人。ちょっと自尊心をくすぐってタダ飯振る舞えば懐柔できるだけに、料理評論家やフードライターを手なずけるより手間もお金もかかりません。

ネットの普及は以前と異なる価値観や文化を生み出している。ネットを利用するか否かで通常のメディアとは別の事実や評価を知ることが可能になり、今後新たな勢力の台頭を許すことだろう。客の顔色や些細なつぶやきをおもんぱかり、わがままと意見の判別ができずモンスターに足をすくわれる。本は飲食店に厳しい話ばかりであったが、客も無垢で無邪気な人ばかりではない。冒頭、「原発ムラ」を引き合いに以下のような記述がある。

電力会社を料理人や飲食店に、国民を一般客に、御用学者を手なずけられた料理評論家やフードライターに、原発メーカーを再開発ビルなどデヴェロッパーや内外装業者に、そしてマスコミを出版社に例えて戴ければ、「飲食店ムラ」の癒着構造がはっきり浮かび上がってくるはずであります。

3・11以降「原発の闇」が白日の下にさらされ、このように面白くも明快に説明する人を見受けるようになった。グルメは「ハレ」食で、日常の「ケ」の食と異なり栄養学だけで語ることはできないが、用いる食材については同じである。生産量より多く流通するブランド食材など考えると、ここにも食や産地の偽装が徘徊する。たぶんグルメはそれをも容認して食を愉しむのであろう。たとえ太鼓持ちやサクラに騙され高い料金を払っても、愉しい時間や満足を買ったと思えば惜しくはない。原発の例えはよく解るが、原発のように生命が危険にさらされる事はなく、怒らなければならない「やらせ」もあれば、笑って済ませられる「やらせ」もある。腹を空かせて、腹一杯食べる事を良しとしている私には関係のない事件であった。

 

なぜうつ病の人が増えたのか 冨高辰一郎

2006年に作成された「日本の抗うつ薬市場の変化」というグラフがある。1998年までは170億円台で推移していたが1999〜2000年頃から急激に売り上げが増加し、2年後に2倍、7年後は5倍の875億円にまで膨らんだ。視覚化されたグラフを見ると、すさまじいまでの増加に目を疑わざるを得ない。ストレス社会の到来かどうか、住みにくい世になったと嘆くべき数字であるが、いったい何が原因でうつ病患者が増えたのだろうか。結論の一端を明かせば、患者の増加で薬が増えたのではなく、薬の増加で患者が増えたのだ。

ほんの少し前までは、世間一般の人々は、うつ病という病気をあまり意識せずに生活していた。もちろん昔も辛いことはあっただろうし、それが続けば、憂うつになったと思う。しかし憂うつが続いても、すぐには病気と結びつけなかった。気分の落ち込みや元気のなさは、状況が変わればいずれ改善するものと考えられていた。憂うつになっても、気持ちを切り替えたり、休んだり、愚痴をこぼしながら我慢すれば、いつか自力で回復するものと思われていた。

この思いは今も変わらず、うつ病で医療機関を受診しない人のほうが多い。その理由を尋ねると「自力で対処したかった」が69%で一位、「ひとりでに改善すると思った」が48%で二位と、ほんの少し前と意識に大きな変化はない。以前はうつが回復せず、重症のうつ病になる人も居たが、そういう人はやむなく精神科を受診した。うつ病は心の病気である神経症のうつ病と、脳器質の病気である内因性うつ病に分けて考えていたが、いつの頃からか原因を問わず心と脳の両面から起こるとされた。そうするほうが製薬会社や関係者にとって都合が良かったものと思われる。うつ病の書物や報道、話題が増えたか増やしたかは知らないが、心の悩みであったものが病気と認定され早期発見、早期治療が叫ばれるまでになった。社会的不適応や自殺企図するほどの重症から軽症まで多様なレベルのうつ病患者が受診し、なかには抑うつ感も軽く、うつ病と診断してよいか迷うケースも増えている。ストレスがかからない状況では普通に生活ができるが、ストレスがかかると調子が悪くなる。操作的診断基準と呼ばれる方法で調子の悪い状態が2週間以上続けばうつ病と診断することになっている。うつ病患者が一定の割合で存在することはいまも変わらないが、新しい診断基準で軽症うつ病が激増し、相対的に重症うつ病の比率が減少した。うつ病の増加とともに受け皿の病院やクリニックが倍増し、医師も心の専門家も増えた。職場や学校にはカウンセラーが常駐し、メンタル休職率もほぼ6倍になり、仕事への影響も大きく深刻な問題になっている。

抗うつ薬市場が急増した1999年、日本に始めてSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が導入された。SSRIとは今までの抗うつ薬を基に開発されたもので、脳内アミンの再取りこみを阻害し脳内アミンを温存させるものだ。日本は導入が10年ほど遅れたが、他の先進国でも同様にうつ病患者の急激な増加を引き起こしている。

SSRIが導入されると、うつ病通院患者が10年足らずで3〜5倍に増加するという現象は強固なのだ。SSRIが導入された年や地域はそれぞれ異なるが、その後うつ病患者が急激に増加したことに関してはどの国も一致している。

SSRI現象は医療のみならず世界中に多大な影響を及ぼした。理由はいたって単純明快、SSRIの薬価が高かったことにある。薬価を高くしたことで、そこに大量の資金と人材が集中し、病気に対する考え方や行動まで変えた。かつての抗うつ薬(三環系・TCA)は、ひと月の費用が2千〜3千円くらいだが、SSRIは8千〜1万5千円と2〜5倍も高い。

一般商品のマーケットでは、製品の価格が数倍になれば、需要が落ちる。高価格の新商品が期待したほど売れないこともある。しかし処方薬の場合は薬価が高いほど売れる。処方薬は健康保険制度や助成制度があるため自己負担が少ないし、人命に関わるものなので、価格競争はそれほど影響ない。むしろ製薬会社は薬価の高い新薬を積極的に営業し、販売活動費をつぎ込むので、高い薬のほうがよく売れるのである。

日本の製薬会社の研究員の数は約2万人ほどだが、MR(営業員)は約6万人もいる。日本の医師数が約30万人なので医師5人にMRが1人の計算になる。研究開発にしのぎを削るのではなく、営業活動に邁進していることが数字でも明らかだ。駄菓子や雑貨とは違うはずだが、いかんせん営業活動に力を入れる方が収益をあげられるのだ。このための最適な新薬の条件は、薬価が高いことと、多くの人が罹る慢性的疾患の薬が好ましく、さらに啓蒙活動で患者を増やしやすいものが狙われる。啓蒙活動は新聞、テレビ、ネット、学会、講演会という手段を通し御用学者や評論家の意見を織り交ぜて人々の意識を変えていく。うつ病をはじめ、円形脱毛症、ED、高コレステロール、高血圧など、製薬会社発祥の営業活動は学会、患者団体、自治体をも巻き込み奔流となり、患者は流されるままだ。著者は「病気作り」、「病気の押し売り」と言う。恐れ憂えるべきは小児のうつ病がわずか10年で40倍に増加したことだ。そして成長途上の柔らかな脳に薬物を投与する。小児での安全性は未確立なため副作用や障害の危険性はいうまでもない。それまで精神医学の常識では幼児や小児が躁うつ病を患うなど非常に稀な事と考えられていた。40倍もの増加は製薬会社のモラルの低下を示す数字であろう。

10年ほど前、脳代謝循環薬が承認を取り消された。プラシーボより優位性が認められず、副作用として死亡例まで報告されている。発売中止となるまで総額1兆円を売り上げ、これは丸ごと患者の一部負担と保険で賄われた。いわゆる「ボケ防止の薬」だが、効果のない薬でも営業活動さえしっかり行えば処方薬は売れるという教訓を残した。営業活動の相手は医学、薬学の専門家のはずだが?

ほとんどの医師は製薬会社を通じて新薬の知識を得る。新薬を理解するため、自分の時間と労力を費やして徹底的に文献を読み、しかるのちに薬を処方する。こんな医者はほとんどいない。

文献を求めるまでもなく、薬として認可された時点でevidenceはクリアされているのではないか?ところが、SSRIの投与にも関わらずうつ病が増加し続けるのであれば、evidenceに疑問を抱かざるを得ない。高血圧薬や糖尿病薬など効果がすぐに数値に現れるが、うつ病薬に即効性はなく患者の気分にも左右され明確にいかない。一般向け啓蒙書には抗うつ薬を服むと、6週間で約6割の人が改善すると謳う。同じくプラシーボでも6週間で約5割の人が改善する。うつ病は自然に回復する傾向が強いのだ。本には臨床試験の評価が書かれているが複雑で長くなるので省くが、キルシュ教授らの批判は以下のようなものだ。

うつ病が改善するのは患者本人の自己回復能力のおかげであり、抗うつ薬による薬理作用の部分は20%以下である。製薬会社は自分らに不都合なデータを隠蔽することによって、抗うつ薬の有効性を実体以上に強調してきた。

その弱い抗うつ薬の効果も、重症うつ病においては比較的認めやすいが、軽症うつ病の場合、抗うつ剤とプラシーボの差はほとんどない。軽いうつ病にまで抗うつ薬による治療を勧めることはおかしい。

日本では重症度に関わらずまず抗うつ剤投与から治療を始める。正しいことかどうか自ずと理解できるだろう。驚くことは、国が認可した薬に「evidenceがあるとは限らない」ということだ。製薬会社の提出した研究を国は再現することなく、手続きに問題がなければ追認する。製薬会社は性善説で手厚く保護されているのだ。しかるに、認可された薬であっても、文献に目を通し本当に正しいか調べる必要がある。また、権威ある学者の報告や書物にも出版バイアスが付きもので、自らの研究や立場に不都合なものは隠すという。出版バイアスの問題は深刻で高血圧治療薬、抗ガン剤、手術などあらゆる領域で確認されている。パンフレットを見たり、MRから聞くだけのevidenceは思いのほか欺瞞に満ちている。

製薬会社がSSRIの認可を得るため何をやったか、どんな戦略で患者を増やしていったか、これからどう展開していくかは本を子細に読んでいただくとして、この薬が安全ならばお金のムダだけで済む。SSRIはTCA(三環系抗うつ薬)に比べ副作用がないかのような宣伝が行われるが、いずれも服用した半数近い患者に口渇、胃部不快感といった軽い副作用が発生する。稀ではあるが重篤なものは自殺やせん妄を誘発したと考えられる症例が報告されている。自殺につては因果関係の判断が難しいと言われるが、以下、報告の一部を引用する。

カーンらはうつ病患者におけるプラシーボ投与の危険性を調べるための調査を行った。彼らは連邦情報公開法を利用し、FDAに対して1987年から97年に提出されたプラシーボ対照試験のデータを請求した。そして5200ページ、約2万人の臨床試験参加者の結果を調査したところ、抗うつ薬服用群の方がプラシーボ群よりも、自殺者の比率が1.8倍と高かったのである。統計的有意差はなかったが、予想外の結果だった。

英国当局はパキシル(SSRI)の小児うつ病における有効性や危険性に対して再調査を行った。--中 略--、パキシルは未成年者のうつ病に対して有効性がなく、プラシーボ投与群よりもパキシル投与群に自殺衝動を呈した患者が多いことが判明した。未成年者のうつ病は元々衝動的になりやすい。パキシル服用によって有効性がないのにさらに自殺衝動が増すのであれば、当局は製薬会社に対して行政指導を行うしかない。

英国では2003年に未成年のうつ病に対しパキシルやゾロフトを禁忌とし、05年から警告に変更された。米国では2003年に未成年者のうつ病に対して自殺関連事象を増やす可能性が警告され、04年には成人にも広げられ、SSRIだけでなくすべての抗うつ薬が対象とされた。ここに来ても抗うつ剤の安全派と危険派の論争が続き議論は収束の兆しが見えない。一般の人は特別に興味を抱かない限りこの経緯を知らないし、ことによると医師や薬剤師も知らぬままうつ病薬を処方し調剤しているかも知れない。著者は仕事柄、年間何百人分もの精神科医の処方を確認するという。「なぜ日本の精神科医は同じ作用の薬を何種類も併用するのだろうか」。抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬、抗精神病薬、気分安定薬など多岐にわたり複数処方し、1〜2種とシンプルな処方をする医師は少数派だ。SSRIで脳内アミンを賦活させておきながら、睡眠薬で中枢を抑制するという矛盾さえおこる。とろとろと昼間眠りつづけ、夜は覚醒し、薬が心の平安を乱す。薬の複数投与は精神科に限らない、多種の降圧剤、高脂血症薬、鎮痛剤などあげればきりがない。患者が不調を訴えるたびに薬を増しての対処が定着している。企業は正義より利益を重んじ、医師や薬剤師は自ら正しい資料を調べることなく、MRに従う。私たちは様々な業界に不正と利権のあることを知っている。医療ではとくに高度な専門性が尊ばれ一般の人は立ち入りにくい障壁となっている。「救われる患者が一人でも居る」と専門家が言えば、科学や統計での線引きと切り捨てのできない業界だ。近年、EBMが重視されてきたが、本書を読む限り茨の道である。

 

 

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