【代替医療ガイド(1)】


漢方医学
鍼  灸
気  功
ホメオパシー
マクロビオティック
アーユルヴェーダ
カイロプラクティック
電気・電磁波療法
作業・芸術療法
アロマテラピー
信仰療法
栄養補助食品
リフレクソロジー
クリスタルヒーリング
生物学的歯科療法
瞑  想

【用語解説】

 
プラシーボ効果
ニューエイジ

 

漢方医学

現在漢方薬は保険も認められ、医療機関でも極一般的に使われるようになった。代替医療のトップにあげても異論はないと思う。中国3000年の歴史といわれる漢方理論は陰陽五行学説を治療の拠所とし、本草の知識を応用する。病態ごとに分類された「証」にもとづいて薬草や薬草の配合剤が適用される。東洋医学の治療家は「西洋医学は全体を見ないで部分の異常のみを見る。」というものの、全体を見ない医学や医療などありえないと思う。部分の異常によって、全体のバランスが崩れたというなら、西洋も東洋もさして変わらない認識をもつであろう。しかし、全体を治すため、部分や全体のバランスや関係をも治療対象とするのが東洋医学であり、部分の治療を対象とするのが西洋医学であるといえるかも知れない。陰陽五行学説は、検査器械がなかった頃の五官を使った検査方法であり治療体系であった。仮説の域を出ないものの、経験や観察に基づいて検証し確立された理論には驚かざるを得ない。

漢方の得意分野は、初発の風邪や風邪がこじれてすっきりしない体調を整えるのに優れている。さらに「オケツ」という概念で治療が為される疾患や婦人科の病気などである。西洋医学も「オケツ」という考え方を導入すれば、随分治療の範囲も可能性も広がると思われる。西洋医学で血行障害といわれるものは「オケツ」の一種であるが、漢方の場合時間の経過に従い血行障害の質に変化が生じる。漢方ではそれが想像以上に体に影響と障害を与えることを主張する。病名漢方という言葉がある。病名による病態と漢方の証を関連づけてゆけば、それほど面倒な理論の手続きなしに治療の可能性が拡がるかも知れない。「証」を見極める事は大切なことだが、見当はずれの薬方で効果を得た症例や話を見聞することもしばしばある。同一の病人でも、治療家ごとに診断や処方が異なってくるのは周知の事実である。熟練の如何に関わらず一定の治癒率があるとすれば、漢方薬はプラシーボかも知れないという疑問がわいてくる。脈診、舌診、腹診それらの手続きはプラシーボを有効に発現させるための演出と言えなくもない。治療家が漢方の治癒効果を信じて疑わなかったら、それは一層強固なバイアスとなるだろう。

師匠の指導のもと古典の学習会を開き切磋琢磨することは、信念を高める儀式に似ている。その効果が学習で得たものか薬方の効果なのか、それを適用した治療家の技量なのかは判然としない。私の貧弱な経験でも漢方薬の効果には迷いがある。一味だけ生薬を替えたり加えたり増量するだけで手応えに違いを感じることがしばしばある。その度に、どのような方法でevidenceを検定するのか、戸惑いの絶えないところである。似たような病態の患者、似たような病態の状況をモデルに漢方薬を服用した場合とそうでない場合を比較考察するという治験には不満や疑問が残る。これは民間薬の手法に等しく、軽視している筈の民間薬の治験方法を踏襲していながらそれに気づいていない漢方家もいる。

漢方薬がいくらか有効だとして、それを利用する場合、分量や煎じ方に注意がいる。更に剤形によっても効果は異なる。異なるような気がするというべきなのか。エキス顆粒と同じ処方の煎じ薬、丸剤、散剤でそれぞれ手応えが違ってくる。薬草を配合した健康食品やサプリメント、製剤などもあるが医薬品として認可されていないものは品質の基準も曖昧なうえ粗悪品も多い。丸や散で服用するよう指示されているものをエキス顆粒や錠剤で服んでも満足な薬効は得られない。また必要があれば1日量の数倍を1回で服用するなどの工夫も必要である。

 

鍼  灸

薬用植物の豊富な南方では湯液、少ない北方では鍼灸が発達したといわれているが、
湯液、鍼、気功、薬膳は、不即不離の中国伝統医学の中心的治療法である。体の痛い部分を圧迫したり推拿すれば、苦痛は幾らか和らぐ、そのうち全身を網の目のように巡る経絡という「気」の流注経路が発見される。その流れの上にある経穴(ツボ)を刺激し治療効果をあげようとするものである。骨や石などで刺激していたのがやがて針に置きかわり、病位と離れた部位にそれを刺入させたりして治療するように発展してきた。

経穴は全身に分布するが、各器官にもそれぞれ全身の経穴があるとされている。鼻、耳、手、足、指....の部分に体全体が凝縮されているという。例えば肝の病気に指の肝に対応する部分を指圧したり刺針したりする。部分に全体があり、全体に部分があるというホログラフィー理論で解釈される事もある。「漢方の認識」 高橋晄正 著(S41年刊)によれば湯液、鍼灸ともにその推計学的評価に耐えうるものではなかったという大変ショキングで、説得力のある論考がある。しかし、実際に刺針するや否や痛みがとれ苦痛が緩和される。このようなことは他の代替医療にも起こりうるのだが、一体どう解釈し納得すれば良いのか?専門家の学問的評価と現実の治療評価には乖離がある。科学よりも目のまえの苦痛こそ病者にとって重大なことであろう。だから冷静な評価を怠ってよいと言う訳ではない。

鍼灸は副作用が殆どなく、安価で資源を要しない治療である。もし他の治療の方策に行き詰まったとき、第一選択として試みる価値はあるのではないか。そして期待する効果が得られなかったなら、きっぱりやめる判断や勇気も要る。針は気の調整を行い血、水の組成や流れを改善するという。更に効果を上げるには、湯液・食養などの併用が望まれる。鍼灸の分野は「気」と関わることが多く、多種多様な理論と手技によって流派も分かれる。それぞれ相容れない理論で治癒例を重ねているのを見ると、理論は科学的法則ではなく教義に近いような気さえしてくる。「気」に関われば、奇妙な観念に取り憑かれ、その観念に基づく奇妙な治療が行なわれたり、カルト的になったりする。鍼灸のみならず代替医療に普遍的に見られる注意すべき点である。

 

気  功

通常医療でも代替医療でも、壁にぶつかった時、何か新しい療法に出会うと、胸ときめきたちまち、夢や希望に満たされ、夢中になる事がある。その対象となりやすいものの一つに気功がある。訓練や師匠の導きによって超能力を獲得したり、奇妙な道具や仕掛けを用いる気功治療の話を聞くとそれだけで万能感を抱かせる。中国の気功のカルト集団が問題になった。これを直ちに一般化するわけには行かないが、気功は容易にオカルト化しやすい危険性を胚胎している。死者と生者を分かつものは「気」のエネルギーである。「魂の重さは70gである」とニューサイエンス系の本で読んだことがある。この検証はさておき、この魂に価するものが「気」といえるものかも知れない。気を自在に操作できれば有形の身体に諸々の影響を及ぼしうるのではないか、と言うのが気功治療であろう。

確かに生きてゆくための機能(エネルギー)は気と表現しても良さそうに思うが、これは内気のことである。体を動かすエネルギーなくして生きられないなら、それを気と表現するに不都合はない。この内気を調整するため、呼吸を整え、体を動かし、あるいは瞑想しリラックスが得られるならストレスなど伴う病気の改善に貢献してくれる筈である。太極拳、五禽技などゆっくりした動作の鍛錬は、バランス感覚を養い柔軟な体を維持するのに役立つだろう。気功にも多くの流派があり、呼吸法などの技術的な違いは当然生じて来る。熊や鳥の動きに学び揺れる草花や風の動きに身を委ね自然と一体となる心の鍛錬には惹かれるものがある。

しかし、これが外気功となると疑いを抱かざるを得ない。内気は生きている以上疑う事は出来ないが、この気や天地自然の気を外へ、他者へ放射させ相手の生体機能へ影響を及ぼすことが本当にに可能なのか?またそれだけ強力なエネルギーが治療家の体にあるのだろうか?電話で気を送るとか遠隔操作などといわれると正に魔法の世界の出来事である。スプーン曲げも実はコツを覚えれば簡単な事らしい。外気の力などではなく暗示にかかりやすい治療家と、同じく暗示にかかりやすい被験者との共鳴現象かもしれない。

古典で「気通ぜざれば痛む」と言うが気の流れが改善すると、痛みが消え和らぐ苦痛がある。それを手も触れずに外気で起し得るのだろうか。針を刺す鍼灸のほうがまだ信じるに足るものである。気の実態は電磁波のようでもあり、水蒸気のようなものでもあり、熱気でもあり...と色々な表現がなされるが、科学的な検証が為されるているのはサーモグラフである。気を放射する人、された人の体温が上昇し、色となって画像に現れる器械である。しかしそれが外気の存在を証明しているとはいえない。そんな気がするだけで、信じる人のみ信じられる実験ではないのか。両手で気のボールを作りモヤモヤした感じが気だと言ったり、指でリングを作り締まれば気があるとするO・リングなど、信じるに足る証拠は何もなく不思議だけが残る。

更に気功について是非述べておきたい事がある。気功に取り憑かれ「魔境」に入った治療家や同業者を幾人か知っている。気功の副作用を「偏差」という。偏差が認識できるうちはまだ魔境に入っていない訳だが、その認識も出来なくなるくらい気功に傾倒すると妄想が芽生えプライドだけが限りなく「神」の領域に近づく事になる。「気」という曖昧で未確認のものには、不可解で常識を逸脱した恣意が入り込みやすい。量子力学などと弄し理解不能なものを似非科学で説明されると、更に理解困難になる。そしてこの気功こそ魑魅魍魎の跋扈する巣窟でもあり、また魑魅魍魎にもっとも利用され易い療法かもしれない。理解不能な理屈や科学に騙され得体の知れない道具を買わされる。ただのブリキのペンダントに師の「気」が込められているとして法外な金銭を要求する。ただの水を波動水やイオン水と称したり、ただの粗悪な薬草茶を仙薬と称したり・・・まさに人の健康願望につけ入る見事な商売を展開してくれる。

気功の限界と効用と療法の実態を考えるなら、もっぱら内気の充実に徹し呼吸法でリラックスしたり、体を柔軟に動かすことで、自然と渾然一体となる爽快感を愉しむに留めておいたほうが賢明であろう。

 

ホメオパシー

「類似の法則」というとわかりにくいが、類は友を呼ぶではなく「類は類を治す。」という法則である。これはホメオパシーに限らず漢方薬その他の療法にも見られる考え方である。例えば関節痛を治すため関節に似た形状の生薬を使ったり、水毒を治すため水を吸い易い多孔質の生薬を使ったり。何か一つの属性を病気と対応させ治療に使うことは信仰の感がしないでもないが、「結果的に効いた」と言う事で伝承薬や民間薬の分野が確立する。物騒なのになると、肝の病気のため、生きた人間の肝臓を食べた皇帝の話もある。現在行われている臓器移植もこれに似ていはしないだろうか?

さてホメオパシーの場合、似ているものを直接服むものではない。ここが奇想天外なところである。その病気をひきおこした物質と思われるもの、あるいは類似のものの濃度をどんどん希釈してゆく。そしてついに1リットルの水溶液中に1分子しか存在しないほどに希釈倍率を上げる。ここまで来ると、1分子をどのような方法で確認するのか、また既に水の中に存在した筈の当然1分子以上あると思われる挾雑物の存在はどうなるのか疑問が生じてくる。とにかくこうして出来上がったものがレメディーというホメオパシー薬である。しかし実際はただの水なのだ。苦しい説明をするならば希釈し振とうし1分子残す操作によりもともとの物質の記憶を残し、それが治療効果を発揮するというのだ。まさに仮説に仮説を重ねた治療理論である。このレメディーは時に薬局の店頭に並べ販売もされている。普通に飲用する限り、水に副作用はなく同じく効果もない。

これこそプラシーボの典型であろう。しかしこれに学ぶところは多い。レメディーの製法は細かく厳しく正確な手順を踏まなくてはならない。まさに神々しい治療のための儀式なのだ。これで期待できるものは治療家と病者の思いが渾然一体となって発現するプラシーボ効果であると考えるのがもっとも妥当なところである。放置しておいてもやがて日々揺れ戻る体調や一部の軽い病気、精神的なストレスによってもたらされる体の不調は、副作用のないレメディーを使っても被害は少ない。

しかし誰しも、事故で骨折したり、血を流していたり、まさに心臓の発作を起こしている人に、これを使ったりはしないだろう。重大な経過を辿る疾患の初期、あるいは通常の医療で容易になおる病気にまでこれを適用し有効な治療を妨げることが最も恐れる副作用である。くり返しになるがホメオパシーに限らず漢方や他の代替医療に於いても等しく戒められるべきものであろう。

 

マクロビオティック(玄米菜食)

食養といえば、「玄米」という話はよく耳にする。その代表的玄米菜食療法の一つがマクロビオティックである。食養の学習過程で避けては通れない療法であり幾つかの学ぶべき点もある。種々の代替医療は、それぞれ特有の食餌療法を準備している。玄米菜食はそれらの治療家に重宝がられたり、利用されたりする事が多い。もちろん単独で取り組む人もあるが、真剣に取り組めば、最も危険な食餌療法の一つと言われている。

私は、このML(メーリングリスト)に期間を限定し参加したことがある。おおよそMLに相応しくないことを投稿し、一年くらいで配信解除。ここでの話は、以下に公開。

>>食養MLでの投稿集(1)  >>食養MLでの投稿集(2) 

飢えで死ぬ間は食養とかグルメの発生する余地はない。とにかく飢えをしのぐこと、そのためには死をもたらすような毒でないかぎり、腐ったものでも、多少の毒でさえも口にしなくてはならないだろう。やがて飢えが満たされると次は充分なカロリーが求められる。その後に来るものがファッションにも似たグルメの登場である。ご馳走を捨てるほどまでになった日本は、この事を戦後50年かけて体験してきた。

ヒトのみならず動物は自然界で充分な食物を得ることはない。体の機能は相変わらず飢餓に合わせてセットされている事になる。だからこそ栄養学を満たさずとも生きてゆけるわけである。飽食で得たものもあれば失ったものもある。だから粗食を賛える訳ではない。粗食で失うものもある。飽食によってもたらされる病気....これは言わずと知れた生活習慣病と呼ばれるものであろう。肥満や動脈硬化、高血圧、心臓病など。食事チェックをすると脂肪や蛋白質の摂取割合の高い人に多く見られる。ならばそれらの割合を減らし未精白の炭水化物を中心に食構成を考えればよい。またアレルギーの疾患ならアレルギーを催す食や誘発しやすい牛乳や卵など控えればよい。充分な蛋白質を取ることは生命力を保つ上で大切な事だが、やはり限度はある。

玄米菜食での療法は短期間取り組むのにはそれほど害はない。せめて数ヶ月としておきたい。これでいくらか期待できるものは、既に述べた一部の生活習慣病などであろう。また穀物を主食とするヒトの食性を踏まえた食構成は、基本的な健康に寄与してくれる。

ところが、この飽食の現代に飢え逝く人もいる。玄米菜食に限らず、おかしな治療家の奇妙な理屈で長期断食に取り組んだり、副食を絶ち玄米だけ長期食べ続けたり。マクロビオティックには玄米のみ、50回以上噛んで食べる7号食というのがある。これは通常2週間以上は行なわないようにと指示がある。にもかかわらずこの創始者、桜沢如一の「7号食」の著書に書かれている事を信仰するあまり、延々とこの食事を続ける人が後を絶たない。本を見ると(読まないほうが良い)あらゆる難病が見事に治るかのような独断に満ちた妄想が書かれてある。さらに甚だしきは戦争や犯罪が無くなり世界平和が実現するという。

近年増加する子供のアトピー治療のため子育て中の母親がこの療法に魅入られると悲惨な事になる。栄養障害は勿論のこと、それによって抵抗力は極度に低下する。気力や生気をも失せた子供を望診と称し、診断を下す。「これは玄米食による好転反応です。排毒中です。心配要りません。」と、、更に厳しい食養を課す。MLでもこのような馬鹿げた回答が真面目に取り沙汰され、普通の感覚では居られなかった。しかし、この療法の信奉者の間では常識として実行されているのだ。栄養学や飽食の反省から天地自然、宇宙の原理へと気宇壮大なマクロ思想が展開されてゆく。常識があるなら食養で不可能なことくらい解りそうだが、夢中になると常識が働かない。

食養に栄養学の知識は不可欠である。しかし、病院などで行われる栄養士の指導が正しいとは思わない。栄養学を学んでいながら理解不足の栄養士が多いのには驚かされる。相矛盾する事を栄養学用語で自信ありげに説明されると、おかしな事まで当たり前に聞き取れる。栄養学の知識と理解があれば、玄米菜食は取り入れるべきメリットがある。

  • 人の食性の基本を穀物としている事。
  • 清浄な食材を求める事。
  • ハレ食を認める事。

食の清浄さや新鮮さはなかなか困難なものであるが、やはり念頭におかねばならないと思う。添加物、農薬、抗生物質、環境ホルモン、放射能、遺伝子組換え、、、いくつか掲げただけで絶望的気分になる。完璧なオーガニックは不可能だがより良いものは目指すべきである。「どうせ死から免れない存在だから、美味い物を食べて死ぬのなら本望。」という人には多くは言わない。「後悔のないように存分に楽しんでください。」しかし、少しでもオーガニックに関心があるなら、目指す価値はある。

人の食性という視点で食材を考えると自ずと求めるべき食材がみえてくる。穀物を中心に充分なカロリーを摂取することである。連日「ハレ」食は必要ない。しかし「ハレ」食には「ケ」の食にない栄養素を摂取する意味もある。ご馳走を食べる時は、栄養学など忘れて楽しむこともまた心の栄養として必要な事であろう。

MLに参加して感じたのは医学的根拠もなく、精神主義的指導で実際に病気が治った人が居る事である。プラシーボ、自然治癒力とあっさり言い切ってよいのか?偶然自然治癒力が生かされたに過ぎないのかもしれない。しかし治療家によってその偶然の自然治癒力を引き出せる人と引き出せない人が居るのは確かである。熟練の技術なのか才能なのか・・・適確な言葉が見つからない。代替医療に限らず西洋医学の医師にも認められる。誤解を招く表現を許してもらえるなら天性とか霊的(spiritual)とでも形容するにふさわしい能力をもった治療家である。治療法の如何に関わらず高い治癒率を上げうる治療家であれば、通常医療より期待がもてるだろう。諸々の療法も極めれば「癒し」という一つの境地で融合するのかも知れない。

 

アーユルヴェーダ

東洋医学発祥の地、インドの伝統医学である。中国医学やチベット医学など東洋の伝統医学に大きな影響を及ぼしている。漢方・鍼灸・気功と同じように、アーユルヴェーダもヨガ・食養など取り入れた総合医学の体系をもっている。特に哲学的傾向が強く生活や人生観なども学ぶべき点は多い。アーユルヴェダーの瞑想は能力開発などの営利事業としても利用され気功と同じように邪悪な意図が入りこむ余地が大きく危険性もある。

人の代謝パターンを3分類し(カパ・ビッタ・ヴァータ)、これが五大環境元素(地・水・火・風・空)と結びついていると解釈する。東洋は体そのものも自然の一部、内なる宇宙とよび、自然と同じ環境があると考えている。余談になるがこの3分類は、偶然にも心理学でクレッチマーやシェルドンが唱えた、人の体型と気質の3分類に酷似している。
※闘士型→てんかん気質、痩せ型→分裂気質、肥満型→躁鬱気質。

3つの代謝パターンをドーシャと呼び、漢方の気・血・水の概念に似ている。中医では
16種の脈を診るがアーユルヴェダーでも脈診を重視し時間をかける。診断に基づき食餌や生活の指導が行われ、薬が処方される。また排毒法を重視し、体を浄化するためパンチャカルマと言う瀉血・嘔吐・浣腸などを行う。生活の知恵として長く伝えられた療法は、何かしら捨て難く科学的根拠などと野暮な主張を寄せ付けない利点がある。むしろ科学的根拠の方から歩み寄って利用する価値があるのではないかと思う。長年の臨床経験により淘汰されたものだから、という擁護の声も聞かれる。私も、学者や医学博士の最新の論文より伝統や伝説を重んじている。

現在、アーユルヴェーダの医師が使う薬の75%は、抗生物質などの新薬だといわれている。ところがアーユルヴェーダに惹かれる人々の興味は切り捨てた伝統的な部分例えば蛭による吸血療法などの奇妙な治療にあるらしい。漢方からアーユルヴェダーに転向した治療家の中には漢方が普及し特異でなくなったため、希少価値を求めアーユルヴェダーに取り組んでいる人もある。治癒力を喚起するためには患者と治療家の双方が珍奇で希少な療法に価値を求めるのも一つの要素なのかも知れない。

 

カイロプラクティック(整体術)

「手で行う。」という意味のギリシア語である。アメリカの代替療法のなかでは最も普及している治療法だが日本では国家資格も開業の認可も要しない。通常2〜3年の修業年数であるが、1ヶ月の速習コース、3〜8ヶ月のコースなどもあり、それを終えて協会の終了証書を得れば治療院として開業できる。体を扱う医療行為にも関わらず、わずか数ヶ月の養成訓練はいかにも少なく、お粗末ともいえる。糧を得ながら実践で学ぼうということなのだろうか?

創始者・パーマー氏は「あらゆる病気の95%は椎骨のズレが原因である。」従って「椎骨を調整することにより、あらゆる病気をなおすことができる。」という理論を展開している。ところが、パーマー自身が病気になった時には、普通の医師の所へ行ったという。1952年刊 パーマー著1問1答カイロプラクティックの本に、こんなことが書かれてある。

Q:背骨の機能は何でしょう?

A: 1)頭を支える  2)肋骨を支える  3)カイロプラクターの生活を支える

3)の選択肢には思わず失笑してしまうが、案外3)が正解なのかも知れない。

学生の頃、激しい胃痛に悩まされ、十二指腸潰瘍という診断を頂いて通院・内服治療をくり返していた。そんな時風邪をひいて別の医者に診てもらった。というのも閑散とした医院の方が待ち時間が短くて済むだろうとの理由からである。医者とその奥さん2人でやっている様子であった。受付をするとすぐ診療室によばれ変わった形のベッドに寝かされた。背中を診察しながら「首のあたりが曲がってるね、これじゃ胃が痛いだろう...」と、音が出るくらいそこを押してくれた。風邪は解熱剤などありふれたものを頂いたが、胃の激痛はそれ以来すっかり治ってしまった。後日友達の話では、そこは所謂、藪医だと聞かされた。一瞬のうちに胃痛を治してくれた医者は名医でこそあれ、薮医などと、、、

これがカイロプラクティックらしきものの始めての体験であった。筋骨系の不調を改善するには適しているといわれるが、胃痛が治ったのはどんなことなのか?肩が凝ったり、腰が痛んだり、胃や腸が痛む時に体位を変えたり、背伸びをしたりすると苦痛が軽減されることがある。ヨガや気功はその姿勢や動きで、背骨や筋肉を柔軟にするが、カイロプラクティックは逆に強い力を加え脊椎を通る神経機能の改善を図る。対極を為す考え方にも関わらず癒しに通じるというのは良くあることである。

A.ワイルの本に「誤まった考えかたに基づく治療でも、真の治癒を生じることがあることは考慮されなければならない。」と書かれている。誤りとまでは言えないが「95%は椎骨のズレが原因。」というのは常識で考えてもおかしい。しかし治癒は起りうる。このことは漢方にもその他の代替療法にも、また通常医学にも当てはまるのではないか。

奇妙な治療、呪術、祈祷、前世療法・・・これらの療法が西洋医学に見放された末期癌の患者さんなどに西洋医学以上の効果(治癒ではない...)をあげる例もある。

 

電気・電磁波療法

正式な名称ではない。生体電気、電子治療、動物磁気、エネルギー治療、波動療法、、など器械による諸々の治療をまとめた項目である。この療法は施療の主役が器械になったと言う点で今までの療法と異質のものである。電気の理屈に馴染みの薄い顧客に向かって言葉だけの科学理論を武器に説明し科学と錯覚させる。科学の用語には何の根拠もない。証明しえてこそ根拠となるのだ。効果があったと思われる症例だけを針小棒大に取りあげ購入を勧める業者が多く存在する。

私の見聞した限りで最高のものは、癌の治療に25万円の電磁気治療器を購入し、一向に効果が見られないので、それを次々に連結し体全部を被うように買い込み、ついに1000万円払ったと言う例があった。それでも癌は治ってはいないのだ。逆に多量の電磁波を浴びることの弊害が大きい。電磁波による発癌の危険性を指摘した報告もある。

医療機関で使われている医療電気・電子機器、検査機器など既に科学的立証のなされたものとは似て非なるものといえる。これらの器械は特異な理論や仮説で作られたマッドサイエンティストの造物が紛れ込んでいる。発明者、製造者、販売者、そして顧客のすべてが、その原理や機能を知らずに使っていることもある。これが一つの特徴ともいえる。更に磁気リング、ブレスレット、最近ではチタン製品、マイナスイオン製品など、次々に目新しいものが市場へ投入される。立派な講釈がついて、体験談が載せられていると、効果への期待が膨らむ。小遣いで買えるほどの安価なものであれば騙されても我慢できるが、あまりにも法外な価格のものが多い。

生体には微弱な電気や磁気のあることは認められている。しかし体に強力な磁場や電気をかける治療効果についての根拠は薄く、まったくインチキと言い切る学者もいる。しかし治癒した人がいる。前項で述べたように誤まった考え方でも起る真の治癒と言うべきものであろう。以前、皮膚伝導度計で経絡の電流を測定し体調の診断をする器械を使ったことがある。しかし皮膚の電気伝導度は、なんら内臓の状態を反映するものではなく、診断らしき儀式を行っていたに過ぎない。「よく当たります。」などと言いいながら、、、当たるならば診断の結論は出ていたのか?

熟練した治療家であれば、経験や勘で病気の一定の見当はつくものと思う。それを器械で検証するに過ぎない。と、言えないだろうか?O-ring testや波動計など意念に左右され易いものは、特に診断には適さない。この手の器械は鍼灸師やカイロプラクターを始めとする多くの代替医療の治療家が利用している。信じているから利用するのだろうか。器械の数字を示せば顧客は信じ込みやすいという一面はある。入力した情報と出力された情報とに整合性のないブラックボックスに高価な代価を払っていないか検討の余地がある。

これらを完全なビジネスとして原理もわからぬまま販売している人達もいる。MLMやマルチの形態をとることも多い。講習会に誘われたり、これを副業に始めると親類友人、知人、近所をも巻き込み金も人間関係までも失いかねない危険性がある。一握りの成功者を支えるために、野心ある無能者を必要とするのだ。

 

作業・芸術療法

有機農法家や陶芸家の知人が居るが、彼らは時々登校拒否やノイローゼ気味の青年を預かり一定期間、仕事を手伝わせ面倒をみるという。まもなく元気になって学校や社会に復帰してゆくらしい。ストレスや当面抱え込んだ問題はやがて時間の経過とともに色褪せたり、他愛もないことで解決したりする。

汗を流したり好きなことをやっているとき、ストレスを忘れたり心が満たされるのはあり得ることだ。これは当然癒しに利用できる。精神科では古くから作業療法や運動療法という形で取り入れている。現在さらに細分化され絵画、音楽、陶芸、ユーモア音響、、、などの多種類の療法があり、一部にはその療法士の国家資格まである。そこまで必要があるのだろうか?

心地よい音楽を聴くのは安らぎをもたらす。好みの絵画を見れば自然に豊かな気分がわいてくるであろう。絵を描いたり、焼物を製作したり、また文章を書いたりすることも自己を表現し実現する癒しの一面がある。これらに触れることで安らぎ、楽しみ不快や苦痛をしばしでも忘れることが出来るだろう。リハビリの一環として何らかの作業療法を取り入れている医療施設は多く、きっと渇いた療養生活の糧となる筈である。これらの利点は副作用のないことである。作業によって得られた物を販売し利益がもたらされるなら生産の喜びも享受できる。いまでこそ○○療法と名が付けば有難く高貴に見えるが、これらは昔からあったし行われてきたことである。言葉を変えれば、所謂「気晴らし。」なのである。気晴らしに資格ある療法士が必要なのか?というのは素人考えかも知れない。

どんな業界でもそれらの既得権を得た人を一度作り出す事により、そのための療法がひとり歩きしないか危惧するところである。何の資格もない知人や近所の人が気晴らしにと誘い、癒しを手伝ったことが療法士に手渡される。ともすると自らの仕事を守るため作業療法が必要以上に過大評価されていないのか?脳波を測定しα波がどうだの、
1/f ゆらぎがどうだのとか既得権を守るための執拗な解釈が行われていないか疑問をもっている。改めて問いたい、これらの療法は「気晴らし。」なのだ。この利点と守備範囲を守っていれば必ず癒しに貢献してくれる。しかし一握りの熱狂的な治療家の誇大な主張には賛成できない。これらの療法によって病気が治ることはないのだ。病人に限らず健康の只中に居たとしても快い音楽や芸術、あるいは楽しい作業に没頭する事は心の豊かさや生活に活力を与えてくれる。

 

アロマテラピー

アロマポット、ポプリ、バジル、ラベンダー、ローズマリー、カモミール、ペパーミント...いくつかを列挙するだけでお洒落でファッション性豊かな感じがしてくる。オヤジなど近づき難いイメージがある。街角の明るい照明に浮かぶショーウインドが連想され少なくとも漢字で芳香療法と書くよりカタカナが似合いの療法である。顧客層も女性が多く、特に若い女性には人気がある。

essential oil を2〜3滴落として蒸気を吸い込むものから植物油で薄めマッサージをする方法まで種々あるが、oil は経口摂取してはいけない。濃縮されたものには毒性があるし、合成香料の配合されたものもあるからだ。不快な香りより、快い香りが良いことを疑いはしない。しかし香りや音、風景、、、など五官に訴えるものは、それに伴うイメージがつきものである。不快な香りも、ある時、ある人にとっては快いものかもしれない。ここで述べるのは、普遍的に快いとされている香りである。

癒しを促すものの一つの要素は快感やリラックスである。それによって体調の変化が起こり苦痛や病が好転することがある。快い香りにはリラクセーション効果がある。森林浴というのも似たように森林の香りや酸素その他の気体によるリラクセーションが期待できる。さらに緑による眼の、樹木のざわめきによる耳の、、、癒し。自然はそれだけで癒しの要素を備えている。

アロマテラピーの本を読むと次々と適応症が列挙されてゆく、例えばラベンダー。

【特性】強心作用・細胞更新作用・通経作用・強壮作用・消毒作用・デオドラント作用
    駆虫作用・神経強壮作用・発汗作用・駆風作用・・・以下13の作用が書かれて
    いる。

【用途】萎黄病・痙攣・失神・悪心・結膜炎・消化不良・円形脱毛症・下痢・シラミ症
    嘔吐・高血圧・心悸高進・潰瘍(角膜・下腿)・咽喉炎・・・
    ・・・以下37の用途が書かれている。

ラベンダーだけでこれだけの効果があるならラベンダーひとつ持っておけば良さそうなものだが、そうはゆかない。アロマテラピー特有の理論があるのだ。他の香料にも似たような特性・用途が書かれている。果たしてこれらの特性・用途は本当だろうか?間違いなく嘘である。アロマオイルに効能や効果は標榜できないし、生薬の薬理作用にないものが、それから抽出した精油にあるわけがない。明らかに誇大で拡大した表現である。どうしてこのようなことが起るのだろう。生薬学で香りの成分は精油とされ、漢方では気剤に分類される。気は体中を巡り、生体機能を主っている。この全身に及ぶ働きを誤解してはいけない。全身に及ぶが治療効果は限られ状況によっては微力なものなのだ。気剤は血・水に影響を及ぼしてこそ効果が発揮される。

例えば、食物が胃にもたれ胸が焼ける、といったとき芳香性健胃薬を服用すると、たちまちガスが動きだし、食物や胃の水分も動き出す。そのため食欲が増す、軽い胃痛が取れる、吐気が収まる、このあたりまでは効能・効果としてよいだろう。しかしこれによって食欲が出て、栄養の摂取ができ、疲労が回復し、それによって風邪が治った、筋肉痛が改善した、偶然肝炎が治った、尿量が増えた、、、こんなことを捉えて疲労回復・滋養強壮・感冒・筋肉痛・肝炎・腎臓病などに効くとは言えないのだ。解りきったことだが、この「春風が吹けば桶屋が儲かる」式の効能・効果を謳うのは殆どの代替医療に見られる属性でもある。アロマテラピーの効果といえば畢竟、冒頭で述べたようなファッション性あふれるリラックスと楽しさにある。オイルマッサージなら更にマッサージ効果も期待できるだろう。

 

信仰療法

療法といえるのかどうか迷ったが代替医療はおおよそ、こんなものが多い。しかし信仰は癒しのメカニズムの根幹を為すものかもしれない。そしてこれに頼る人もかなりの数だろうと思われる。小さな町にも一人や二人、所謂「生き神様。」がいて、そこへ「お尋ね。」と称し病気や悩み事の相談に行く。病院で治癒不能とされた病気はもちろん改善の兆しの見られぬ病気、老化や過労に伴って起る病気、風邪や腹痛、単なる怪我までも first choice とする人がある。それほど古い昔ではない医療保険が整備される以前は誰しもそうしていたのかも知れない。

これを全否定しない。お布施という治療費が、小遣いの範囲で融通できる額であれば副作用もなく治癒に導かれる病気があるかもしれない。癒しには神秘的な闇も必要と考えている。原因不明の病気が、どんな言葉であれ解釈が為されることは、治療家にとっても病人にとっても癒しの契機となる。時々、祈祷師のお告げと言っては漢方薬や薬草を買い求めに見えられる。その病気に適応しないだろう、、と思ってもとりあえず渡すことにしている。というのも、見当違いの薬で効いてしまうことがあるのだ。こんな事が繰り返し起ると漢方の勉強など要らぬ、効くという信念さえ研ぎ澄ましておれば良いのだと思えてくる。実際そうなのかも知れない。漢方用語の、気が神に、血が悪霊に、水が霊魂に翻訳されたとしても解釈は成り立つ。信じるか否かの問題である。通常医療も代替医療も治療家が信じるに足る言葉で医療行為を続けているのであろう。言葉を突き詰めてゆけば、実はそれほど実体や根拠がある訳ではない。免疫学と言いながら神や霊を笑えなかったりする事もある。

プラシーボによる治癒と、稀に起る奇跡的治癒の存在は、通常医学で自然治癒として認められている。しかし信仰療法を見聞していると。。。独断的かつ根拠もない勘であるが霊的な癒しの力をもち、またその力を引き出し得る人がいる様な気がする。これを肯定するわけではない。理性や科学でわからないことは、「わからない。」としておいたほうがよい。

信仰療法は、常識的にはプラシーボや自然治癒だと考えられ本来副作用は起らない筈だが、警戒を要する療法でもある。治療家は少なからず教祖の要素を持っている。教祖や信仰者は教祖や神の力によって治癒に導かれるものだと信じている。教祖は益々神として振る舞い、信者は益々教祖を神として崇める。双方とも通常の人格が崩壊したかのように見えることもある。癒しが昂じカルトと呼ばれるものになったり、カルトそのものが癒しを資金源に増殖を繰り返すことも多い。カルトを巡る数々の悲惨な事件は後を絶たない。

高額のお布施を要求されたり、仏像や壺を売りつけられたり、その信仰所が副業として扱っている健康食品や霊薬といわれる、ただのお茶を法外な価格で売りつけられたりする。冷静に考えよう。なにを以って癒されるのか?誰が癒されるのか?このようなものは、既に癒しや療法とはいえない、、、霊感商法である。根拠のある通常医療から遠ざかるだけでなく社会問題にまで発展するという大きな副作用がある。邪悪な教祖を見抜く目が必要であるが、それくらい醒めた人であればプラシーボも発現しにくいという悩みもある。

これと似たものにシャーマニズム療法というのがある。原始宗教を崇拝する民族の治療のために続いてきた伝統的癒しである。部族間のみ通じる神や霊魂を媒介する療法で、癒しには歴史や文化人類学的考察も不可欠である。シャーマニズム療法は現在アメリカの通常医学の病院で補完医療として取り入れられていると言う。

 

栄養補助食品

アメリカでは一般家庭の8割がビタミン補助食品を購入しているとの調査報告がある。ヒトの健康の為には、13種のビタミンと18種のミネラルが不可欠とされているが、その量はミリグラム単位の微量で良い。脂溶性ビタミンは体内での蓄えができるが水溶性のビタミンはほぼ1日で使い切るため毎日必要量を補給したほうが好ましい。しかし欠乏したからといって即重篤な欠乏症が生じる訳ではない。生命は相当許容度の高いものである。不足気味だからと言って過剰に摂取しても尿中に排泄されるだけで意味はない。

科学的研究によれば必要な栄養素はバランスのとれた普通の食事で充分摂取できる。但し、妊産婦、幼児、アルコール依存症者、栄養吸収が阻害されるような疾患の患者、閉経後の女性が骨粗鬆症の予防の為、又普通の食事で栄養を摂取出来ない人など、ごく一部に補助食品を必要とする場合もある。ところが「栄養のバランス」という意義が解らない人、解ろうとしない人、あるいは解ってはいても実行できない人も居る。カロリーは豊富に摂取するものの、極端に野菜が少いかゼロ。そのカロリーはファーストフード、コンビニ食などのジャンクフード。一方さしたる運動もせずカロリー消費量は少ないのに、栄養さえとれば健康になるという不健康観に囚われバランスを崩してしまった人。稀にではあるが、信仰食(玄米、断食、菜食、怪しいダイエット....)で常軌を逸した食生活を営んでいる人。これらの人々には正しい栄養学に基づく必要量の補助食品が不可欠である。

動物の体は相当の飢餓やカロリーの不足にも耐えうる設計になっている。遭難して1ヶ月以上も海を漂流しても救出される例がある。完璧に栄養学を満たす努力をする必要はないが、健康的に生きてゆくためには一定の栄養学的素養は持ち合わせておくべきである。五大栄養素の次、「六番目の栄養素」が栄養学の知識である。

さて、問題は業界の事である。医薬品として正しく表示されたものは信じるに足るが食品として流通しているものは殆ど野放しの状態である。含有量の表示があったとしても疑心暗鬼はある。表示成分以外の添加物は混入されていないのか?品質管理はまともなのか?主成分の含有量さえ疑わしいものもある。これだけに留まらなず不安は多くある。特に最近の食品業界の偽装などのモラルの欠如を知っているだけに、一流といわれる企業の製品でさえ手放しで信じるわけにはいかない。必要量を越えるビタミンやミネラルの摂取を勧めたり、認められてもいない効能を並べたてる。その欠乏症による病気を治す為に必要はあっても、漠然とした健康増進に何ら意味をなすものではない。業界の情報に縛られない栄養学や医学の知識があるに越したことはないが、不明な点はヒモ付きでない人の助言を受けなくてはならない。
※ヒモ付きでない人:その商品の販売・開発に関わっていない正しい知識のある人。

業界の問題は、これに留まらない。既述の電気・電磁波療法と同じく魑魅魍魎の跳梁跋扈する闇なのだ。80〜90%はそうだという調査報告もある。ノーベル賞学者だとか医学博士などの推薦の言葉を冒頭に書き綴った立派なパンフレットに、会社の理念や社会的使命が書かれている。栄養補助食品に留まらず豊富なアイテムで、生活製品まで網羅する。そして利益率表が準備されている。つまり、マルチやMLMまたは一発屋の草刈場ともなっているのだ。半年分買えば30%割引。一年分買えば50%割引、、、こんな馬鹿な話に騙される人が居るのだろうか?...少数ながら騙される人は後を断たない。病気の人の情報を聞きつけ売り込みをかけたり、講習会に誘う。明らかに邪悪な販売員には警戒するが、販売員までも洗脳され信じ込んでいると手におえない。理性や科学が及ばないばかりか、友人や肉親の叫びにさえ耳を貸さない洗脳につくづく恐怖させられる。食餌で不足した栄養を補う必要があるとき、高額すぎるもの販売形態に疑いのあるものには手をだしてはいけない。健康に不可欠なのは栄養補助食品ではなく、栄養バランスの取れた食生活こそ不可欠なのだ。生きるため誰しも医学や栄養学の素人であってはならない。

 

リフレクソロジー

東洋医学の原理を説明するとき「ホログラム」という頻繁に出てくる用語がある。全身の地図が部分にあるという理論である。これを根拠に治療法則が展開される。耳針は耳への刺激で体全体の治療をするし、舌診は臓器に相当する舌の部分の変色や舌苔などを観察し、診断の助けとする。

リフレクソロジーは反射帯療法といって体の部分に、体の全体に対応する部分があると考える。例えば手なら、体の臓器などに対応する、その部分を圧迫したりマッサージすることで診断、治療を行う。足の反射帯は有名である。ある教祖が足裏診断と称して高額のお布施を巻き上げた事件は記憶に新しい。これらの療法にも流行廃りがあり、テレビや雑誌に取り上げられると、にわか療法家や、にわか療術所が雨後の竹の子のように建ち並ぶ、少し遅れて治療院を開業した時には閑古鳥が鳴き営業は悲惨なものである。流行は最初の人だけが得をし、周囲の人が少し潤い、次からの人は苦汁を舐める。

カタカナの療法は目新しい気がするが、療法そのものは昔からあったものである。痛むところや凝った体の部分を押え、ほぐし、マッサージするというのは、誰でも行なうことである。この療法は足の部分に体全体を見るわけで、痛みや凝りは単にそこが悪いのではなく、そこに対応する臓器や神経系統などに問題があると言う。常識的にもそのような気のするところが代替医療の特徴であるが、今のところ裏付ける有力な根拠はない。

手で圧迫することによりエンドルフィンが分泌され、それが鎮痛作用を発揮するという考えもある。あまりにも圧迫しすぎ、2〜3日後青い内出血斑が出る人もいて、その痛みのため再びマッサージを繰り返すという悪循環を辿るケースも見られる。体の各所を押すと、どこかに痛むところや凝ったところが見つかる。臓器の異常なところを示す圧痛点であるかもしれない。そうであれば未病をいち早く察知できる可能性もある。指圧、推拿など手で触れてマッサージしてもらえばリラックスでき気分が良くなる。独りでもできるし、その場合は費用は要らない。手や足を揉みほぐしながら体全体の気の流れが良くなりつつあるというイメージを抱くことができるなら、それは成果のひとつであろう。

 

クリスタルヒーリング

時々、新聞折込に豪華な広告、、、宝石をちりばめた指輪の宣伝である。「開運や健康や幸福を招く!」と書かれている。他にもアクセサリーはじめ財布や置物、絵、、、など。開運商品は健康商品とおなじ次元で販売され、また同じものであることが多い。こんなことが代替医療に対する誤解を招く一端を担っているのではないかと思う事もある。

療法の根拠は「物」に癒しのエネルギーが宿るということなのだろう。この療法は食物や薬あるいはボディワークと違い、不活性な宝石に癒しを投影する一種異様な療法でもある。俗にいう「鰯の頭も信心から。」である。風水に似た一面もある。天地自然の気のエネルギーの流れを良くするためにと、方角を選んだり、鬼門に位置するところに木を植えたり、風水による部屋のレイアウトや服の選び方、旅行先の選択などなど、、極めれば限りなく奥深く広範なのに驚く。

輝くものや美しい物には何か神秘的な力が宿るような気がする。原始信仰はそうした自然界のものをを崇拝している。占師が磨きぬかれた水晶球を見つめながら人生相談に応じるのは、水晶の力によって勘や集中力を高める為の媒体のようだ。しかし美しいからと言って病気を治す効果があるのだろうか?あるように思い込むだけではないのか?趣味として美しい宝石を収集することで心の豊かさや、しばし安楽の時間くらいは得られるかもしれないが病が癒されるほどの力はない。

宝石を持つ事で一定の充足感は得られるだろう。さらにそれが健康に寄与するとか心の安らぎが得られるとするなら、その満足の分は値段に上乗せされているに違いない。ブリキのペンダントに気功家の気が込められているとして、法外な値段で販売するオカルトショップや通信販売がある。鉱石が入った癒しの箱の中身は、川原の石であることもある。癒しを期待するより趣味の範囲で楽しみ、眺めるくらいがよさそうである。

竹炭、トルマリン、チタンなどの癒し製品が出回り利用している人も多い。商品が違うだけでこれもクリスタルヒーリングの類似物である。療法として取上げるのに躊躇するくらい、胡散臭いものが沢山あるが、肩こり、不眠、腰痛が治ったという話もしばしば耳にする。効くという科学的裏づけがなくても「効くものは効く。」と思えば効くのである。しかしそのように思い込むのに一定の条件が要る。高価、美しい、疑似科学での権威付けなど、この療法の常套手段である。高価でなくて効果が得られるなら良いが、高価でないと効果がないと信じる人も大勢である。

 

生物学的歯科療法

歯の充填剤を非金属性の物質と取り替える治療法。現在の充填剤である水銀、錫銅、銀、亜鉛などは正体不明の歯の感染症を引き起こす毒素が含まれ、それが原因で内臓や生理機能に重大な健康上の被害をもたらす。「歯は臓器だった、、」という内容の本を書店で見かけ興味を持ったが、帯の推薦人に船井幸雄の名があったので、そのまま書架に戻す。氏は医学者ではなく経営コンサルタントなのだ。氏の絶賛するものはEM菌だったり脳内革命だったり....その殆どが根拠に乏しいオカルトビジネスやマルチ商法、一発屋ビジネスだったりする。

代替療法には特有の理論が構築され、それは仮説だったりする。その仮説を足場として生体観や世界観まで展開される。所々科学や医学用語を挿入し体裁を整えると、言った本人でさえ見間違うくらいの科学的偽装が完成する。これを疑似科学とも言う。漢方の五行理論もこれに値する仮説理論と言えなくもない。現実と一致したからと言って、偶然の一致を見ただけで、仮説が真実という証明にはならない。既に真理とされている科学理論でさえ脆弱な仮説かも知れないのだ。

この療法は資格ある歯科医師やその同調者たる医師などの医療関係者との連携で行われる事が多いため、多くの療法や、多くのマッドサイエンティストの器械が駆使される。まるでひとつの癒しの王国をみるかのようである。充填剤の取替えを始め鍼などの経絡治療、レーザー照射、ホメオパシー、オステオパシー、漢方、気功、、、まるで代替療法の雑貨屋である。患者は知らず知らずのうちに医療資源として療法と療法の狭間で消費されてゆく。充填剤の毒性は量の多少が問題なのである。歯科の治療が終わって何事もなく生活しているというのに、殆ど影響もない微量の充填剤が問題として改めて歯の治療をやり直す必要があるのだろうか。いじくりまわした歯や体のダメージも金銭の負担も大きい。

ある患者さんの話である。○○クリニックへ、リウマチ治療の為受診したところ、歯の問題を指摘されリウマチより先に歯の治療を勧められたとの事。勧めたのはクリニックの資格ある医師なのだ。歯科治療でリウマチが治るのだろうか?!医者の話は、奇想天外な内容であっても医学の知識があるだけに説得力がある。

以下、代替医療ガイドブックから、この歯科療法の evidence の調査報告を引用したい

 科学的な研究によって、生物学的歯科医学の主張に対する反証がすでに
 挙がっている。1987年、アメリカ歯科医師会(ADA)は規約を改正し、臨床
 的に役立っている水銀アマルガムを取り除くのは医学的倫理にもとる行為
 だと言明した。役に立っている充填剤を取り除いた歯科医は、ライセンスを
 剥奪されることもありうる。

 生物学的歯科医学の治療家による主張とは裏腹に、アマルガムは生理的
 適合性にも優れ歯科治療後の傷の治りを妨げないということが複数の科学
 的調査で明らかになっている。さらに1991年には、国立衛生研究所が
 「歯科復元材料の効能と副作用」をテーマに会議を開催したが、その席で
 国内の専門家は、検討と審議を重ねた結果、歯科治療用充填剤が問題を
 引き起こすという考え方を支持する証拠はないと結論した。

本を広げ、このページを示し「どうしますか?」と尋ねてみた。

「やはり歯科治療を受けてみます。」と...

熱心に語りかけても、言葉や思いを伝えることは出来なかった。「どうして?」と言いたいのを堪え、これ以上このかたと話すことはしなかった。

 

瞑  想

今まで挙げた療法の中で比較的宗教のほうに近いのかもしれない。しかし代替療法や癒しの根底には瞑想のメカニズムが働いていると言っても過言ではない。しかも一人で行う限りに於いては費用もかからず、副作用もなく、怪しい治療家やビジネスと関わりあうこともない。生活習慣として1日のうち短時間をこの為に確保することは容易にできる。悟りや能力開発と言った功利的、商業的瞑想などに興味はない。自らの静寂な内省の時間のため推奨したい。

目を閉じ、呼吸を整え、体外自然、体内自然を感じ、思索や雑念を整理する。しばしでも静かな時間を持つことは、それだけでリラックスと心の余裕をもたらしてくれる。呼吸のコントロールは体の緊張をほぐし、意念で筋肉の弛緩を試みると、それだけで凝りがほぐれてくる。静寂の中に騒然があり、騒然の中に静寂があり、、まるで禅問答のような世界が体感できる。忙しく動き回る最中に心や体の安らぎを思い起こせば、忙しさに静寂を感じるかもしれない。忙中有閑という有名な言葉もある。

瞑想で病気が治ることはない。しかしリラックスによるストレスの軽減は癒しの助けになるだろう。癒しは心の安定やストレスの軽減によってもたらされるが、逆にストレスや緊張の中でも癒しが起る。癒しそのものが複雑なメカニズムを秘めているのだ。必ずしも絵に描いたように満たされた条件のもとで癒しが起るとは限らない。怒り、涙の中で癒されたり、治療家への憎悪によっても癒しに向かった例を知っている。

1日10分でも瞑想の時間を持つと、それまで気づかなかった感性が動き出す。意外なものが聞こえてきたり、見えてきたり、日々変わる体調の変化にも気付きがおこる。難しい事を言うつもりはない。少し頭が重いとか、胃がもたれるとか、足が凝っているとか、他愛もない体調の変化は生きているという実感につながり生きてゆく為の支えともなる。

 

【用語解説】

 

プラシーボ効果

まず、1984年邦訳されたA.ワイル著「人はなぜ治るのか」から引用してみたい。

 すべての療法に共通するものは何か?

 1)絶対効かないという治療法はない
 2)絶対効くという治療法もない
 3)各治療法はお互いつじつまが合わない
 4)草創期の新興治療法はよく効く
 5)信念だけでも治ることがある 
 6)以上の結論を包括する統一変数は信仰心である

いままで代替医療の話を続けてきた。癒しには信仰に類似した一面があることを述べた。この信仰心と関連するものにプラシーボがある。プラシーボとは「満足させる」という意味のラテン語からきている。1785年に初めて医学用語として用いられている。その時の意味は「ありふれた治療、薬、」である。心理状態が身体機能に与える影響(プラシーボ効果)を排除して薬そのものの効果を検定しようとするのが二重盲検法である。ところが癒しにはこの効果を生かし利用するための考察が不可欠である。

通常医療・代替医療いずれ問わず殆どの治療にプラシーボ効果が関与し機能している。例えば、、注射をすれば、何にでもすぐ効くと信じている人にとって針を刺す痛みや、徐々に注入されてゆく薬液、薬液の色にまで意識を集中し期待が高まる。この思いによってプラシーボ反応を引き起こし薬理作用以上の効果、あるいは、薬理作用以外の効果まで発現するかもしれない。医師も薬品の効果を信じていればさらにプラシーボの効果は強固なものになるであろう。

最新の技術を誇る手術でさえプラシーボ効果はあるという。プラシーボは一般には小麦粉みたいな「ニセ薬」が連想されるがその機能を考えると多様で奥が深い。小麦粉や乳糖を不活性のプラシーボとするなら、苦味があったり色が付いたりするものは活性プラシーボとして区別される。体に、あるいは五官に何らかの作用をもたらす事でプラシーボ効果は格段に向上する。逆にプラシーボで期待した効果が得られず否定的影響が出た場合をノーシーボ効果と言う。

狭心症を例にあげると、冠拡張剤を使うと70〜90%に効果が見られる。さらに投与を続けるうちに効果の割合が減少し30〜40%まで落ち込むという。この30〜40%という数字が実はプラシーボ効果だと言われている。プラシーボは疾患によっては予想以上の効果が認められる。慢性疾患や不定愁訴、自律神経失調症などに関してはプラシーボ効果が高率に発現しやすい。逆に癌やウイルス感染などの疾患に対しては効果が明らかでない場合が多い。プラシーボが高率で発現しやすい疾患は代替医療が得意とする治療の領域と一致する。

プラシーボは期待や希望の実現を脳に確信させる手段であって、何ら病気の実質に変化をもたらさないと言う考えもある。自己治癒力が高まりそれが癒しの契機を作るとするならプラシーボに限らず、すべての療法に適用されるべきことである。治療に行き詰まったり、副作用の懸念される薬に代わって用いる事もできる。特にプラシーボの発現しやすい疾患にはfirst choiceとしても使える。

プラシーボを使うにあたって、信じると言う要件は必ずしも必要ではない。疑っていても、さらに患者さんに対して嘘をついたり欺いたりして、事実と違うことを納得させる手続きもなく機能するという。冒頭、信仰の事を書いたが、プラシーボは宗教的癒しの儀式より効果的らしい。疾患による有効率の違いはすでに述べたが、人によっても違いがある。薬や療法に対する反応性の高い人が居るのだ。このような人は治療家としても優れた資質を備えているような気がする。また反応性の高い患者を選別する能力のある治療家もいる。癒しには治療家と患者の人間関係も大きく関与するので能力の優れた治療家が全ての人にとっての名医とは言えない。プラシーボはもっと多く語り尽くさねばならないテーマであり、神秘の多すぎる未知の領域でもある。最後にヒーリングの本によく出てくるノーマンカズンズの言葉を記
したい。

 (1)生への意欲が治療的な効果をもつことを充分認識する
 (2)医者の最大の仕事は患者の生への意欲を最大限に発揮させ
   病気に対する抵抗力を総動員させる
 (3)医者は患者の生への意欲を阻害してはならない

 たとえ前途がまったく絶望的と思われるときでも
 人間の身心の再生能力を決して過小評価してはならない。

 

ニューエイジ

癒しに関わる仕事をしていると、もっと治癒率を上げたい。難病の相談を受けると何とか苦痛の軽減が出来ないかと思う。そのため本を開いたり、学習会に顔を出したり、知人との情報交換をする。そうしているうちに本も随分集まった。O-ring testを試みたり、気功に没頭したこともあり、怪しい器械も使った。「漢方屋で奇妙な...?」と、、思われたかもしれない。癒しの心があれば、たとえありふれた安価な薬草をすすめても治癒が起る。こんな思いに辿り着き、いままで読み、研究した本をふり返って見ると一定のパターンがあることに気付いた。これから述べるニューエイジである。ニューエイジという大きな潮流の一分野である医療やエコロジーで動き回っていたことが幾分滑稽に思えた。しかし、やっていること、考えていることが、どこに位置するのか知ることは大切である。

ひとことで表現は難しいが、大きな書店の精神世界のコーナーの前で、そこにある本を開いてみるとなんとなくニューエイジが解ってくる。宗教をも含む精神世界から新たな価値観を求める分野とでも言っておこう。西洋文明の反証として西洋人自らの手で東洋文明の価値が見出され、やがてニューエイジムーブメントへと繋がって行く。今は最盛期を過ぎてはいるが根強い支持者が多い。ニューエイジの意味さえ解らぬまま取り組んでいる人もかなりの数になると思う。精神世界の物事を解釈する方法論として利用されるのがニューサイエンスである。量子力学などの最先端の科学用語駆使するが意味不明で、、、とんでもない結論が導かれたりする。繁用される理論は量子力学が多い。正当な量子力学は理解に困難を要するが、ニューサイエンスでは簡明に解説される。量子力学が解ったような気になるが、誤解していることが多い。

これらの特徴をキーワードで列挙すると...

  • 自己変容あるいは霊的体験による自己実現
  • 宇宙や自然の聖性、またそれと自己の一体性の認識
  • 感性・神秘性の認識
  • 死後の生への関心
  • 自己変容による癒しと環境の変化
  • 霊性・科学の統合
  • エコロジーや女性原理の尊重
  • 超常感覚や能力の実在
  • 思考が現実を変える
  • 意識進化により宇宙意識へ
  • 輪廻転生とカルマの法則
  • 地球外生命の認識
  • 過去の文明の実在
  • 人体のチャクラや霊性の存在
  • 水晶・音・光・場所・物などが持つ神秘性
  • 体外離脱や前世体験の認識
  • チャネラーやシャーマンの存在

※上記、精神世界の解説本から引用し、解りやすいように編集しています。

このような特徴をもつニューエイジムーブメントからさまざまな集団や現象が発生する。これを分類すると...

  • ヒューマンポテンシャル運動/心理学の技法を用いて、自己啓発・自己実現
  • ニューサイエンス/量子力学・永久機関
  • ディープ・エコロジー/環境運動に人間の霊性を見出す
  • ホリスティック医療運動/東洋医学・代替医療
  • 超越瞑想/瞑想による自己変容
  • 仏教的瞑想/禅・チベット密教
  • 気功・合気道/健康法や霊性の開発
  • UFOカルト/知的生物との遭遇を期待する集団

※上記、精神世界の解説本から引用し、解りやすいように編集しています。

上記のように列挙してみると思い当たることが幾つも出てくる。これらのもたらす意味も正・負両面がある。ある程度納得のうえで知的冒険を楽しむなら面白い分野であるが、図らずも没頭すると心や、心のメカニズムに作用し容易に洗脳に導かれる危険性が待ち受けている。これを商行為に利用したり、人を操る道具とすれば、熱狂者を生み出す事ができる。またこの手法を積極的に商利用する人や会社もある。この陥穽に落ち込まない為にもニューエイジという言葉は知っておくべきである。操られ愚かな選択をする事だけは避けたい。医療業界に限って見てみると通常医療・代替医療いずれ問わず教祖的な治療家が居る。洗脳に近いセールストークで高額の漢方薬を売り込む同業者も居る。たやすく信じ込む人、猜疑心のある人、人と人が織り成す世の縮図がここにもある。癒しを考えてゆくと病を通して人の人生観や世界観がみえてくる。「病をみることは、人をみることである。」と言えないだろうか?

>>代替医療ガイド(2)

 

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