【読書録(21)】-2024-
東洋医学はなぜ効くのか |
スポーツウォッシング |
ガンになった原口一博が気付いたこと |
手相と漢方 |
WHO脱退 |
コロナワクチンその不都合な真実 |
薬に頼らず対話によって病気を治す本 |
原発と地震 |
読むワイドショー |
ウイルス学者の責任 |
ツボを押す、針を打つ、薬草を服むことで苦痛が軽減し、体調が良くなる経験は誰しもあるだろう。それを「効いた」といい、知人に勧めることもあるが、果たして同じようには効かない。治療家も同じジレンマを抱え患者と向き合う。これは東洋医学だけではなく、西洋医学にも共通することだ。西洋医学の医師は「東洋医学はevidenceに乏しい」との感想をもらすが、西洋医学が全てに優れるものではない。新薬のevidenceには噴飯ものの数字や作文も多く見られる。「針を打った、治った、ゆえに効いた」とすることを「3た論法」といい、経験を積み重ねた慣行であり、西洋医学でも同じことが行なわれてきた。患者や治療家の個人的な体験はもっとも信頼度の低いevidenceとされ、「効いた」から自然治癒力とプラシーボ効果を差し引いて真の効果が残る。しかし、計画された比較試験のevidenceより、個人的体験のほうが説得力はある。
いままでも、これからも医療の不確実性はついてまわり、「どれくらいの割合の人にどれくらい効くのか」という目安のevidenceになる。ランダム化比較試験の数々を網羅収集し、評価・分析したものはシステマティックレビュー研究と呼ばれ、evidenceレベルはさらに高い。 東洋医学は経験を積み重ねた土台のうえに成り立ち、効果を発揮する成分やメカニズムの科学的解明が為されないまま利用してきた。現在は基礎研究により生薬のどの成分が体のどこで効果を発揮するか説明できるものが出てきた。「3た論法」よりかは信頼のおけるevidenceになる。しかし、「どのように効く?」から「どれくらい効く?」という臨床試験は別の方法での研究が必要になり、evidenceレベルは上がる。ランダム化比較試験の歴史は浅く、最初は1948年にストレプトマイシンで行われた。1962年、米国のFDAは医薬品の有効性の指針を発表し、「対照を設けて綿密に計画された適切な臨床試験を経て承認されなければならない」とした。1990年代になり「根拠に基づく医療」が普及し、システマティックレビュー(メタアナリシス)という、質の高いevidenceが求められるようになる。それまでは西洋医学も東洋医学も大して変わらず、臨床では経験の積み重ねをevidenceとした。今後はシステマティックレビューも基礎研究も取り入れ、経験も積み重ねた発展が期待される。 ランダム化比較試験の結果は次の4つのことばで吟味する。P(Patients):どのような患者に、I(Intervention):どのような治療をすると、C(Comparison):なにと比較して、O(Outcome):どのような結果になるか?、鍼灸で例えると、P:腰痛を訴える患者に、I:鍼灸治療をすると、C:鎮痛薬と比べて、O:痛みの程度はより軽減するか?これはさらに上位のシステマティックレビューでも有用な方法である。PubMedCLOUDという医師のための論文検索ツールがあり、ランダム化比較試験の報告数をみると2005年から倍増し、2024年1月末までに約5500報が寄せられた。肩こりに対して鍼治療と偽鍼治療を比較し、疼痛が緩和した報告があり、鍼治療はプラシーボ効果を排除しても明らかな効果があるとしている。一方で統計学的には鍼治療の有効性は認められるが、臨床的な治療効果は小さく、さらに質の高いランダム化比較試験の実施が求められると指摘したものがあった。 PubMedCLOUDに寄せられた約5500の報告のうち2000は痛みに関するもので、残り3500は痛み以外で、うつや不安などのメンタルヘルスや便秘・下痢・頻尿など様々な症状や疾患に対するものだ。
一定の制約の下での効果であり、あくまでも可能性だ。医療では同一条件の患者が存在しないのが不確実性のひとつだ。鍼灸治療において、痛み以外の治療のシステマティックレビューを見ると、薬物治療で改善しないうつ病患者に対して鍼治療が効果を示した例や不眠、乾燥肌、慢性疲労などもあった。 漢方薬については中国が先陣を切って取り組んできた。PubMedCLOUDで中国漢方(Chinese herbal medicine)で検索するとランダム化比較試験の結果が約3800報ヒットするが、日本漢方は約80報と少ない。中国と日本では漢方薬の内容や制度が異なり同列に比較できない面がある。日本の薬事法で承認された漢方薬は生薬製剤、エキス製剤、煎じ薬があり、ランダム化比較試験の結果は多くが日本語で発表される。日本東洋医学会では漢方エキス製剤について日本語、英語ともに検索し、その要約をサイトで公開している。
この2つの漢方薬については持論を唱えたい。大建中湯は評価しないし、勧めることもしないが、抑肝散はメンタル系の不調や症状に推奨する。まず大建中湯(山椒2g、乾姜4g、人参3g、飴20g/1日分)、山椒2gは乾燥品で120粒、乾姜は生姜を蒸して乾燥させたもので辛みは生姜の4倍、試しに山椒1粒を噛むと激烈な辛みと舌のしびれをもたらす。これを120粒、さらに乾姜まで配合したものがどれだけ辛くなるのか常識で判断できないのか。大建中湯を処方しておいて刺激物は避けてくださいとアドバイスしているのかも知れない。辛みが胃を経て腸管に達したとき辛味で充血や出血を促すことが懸念される。寒性の便秘の人に使ったことがあるが翌日、眼球結膜が充血し冷汗三斗の思いをした。潰瘍などあれば見えないところで出血を促す恐れがある。もともと薄口のエキス製剤を用いた比較試験のおかげで事故に至らなかったのだろう。大建中湯は先人の経験に則り、寒証の特殊な症例以外には使わない。危険な症例が一件でもあれば、代わりの薬草や漢方薬があるので、有効なevidenceより実体験を優先する。 抑肝散に配合される釣藤鈎は加熱失活するため、加熱を経て製造した煎じ薬やエキス顆粒、錠剤では目的の半分も達成できない。
エキス顆粒で釣藤鈎の成分は失活していると思われるが、それでも改善したのであれば、原末散剤はさらに効果が大きい。薬理作用は神経節末端のグルタミン酸放出を抑制したり、過剰分を分解することで神経の興奮を鎮めることが報告されている。グルタミン酸トランスポーターといい、生薬の甘草に含まれるグリチルリチン酸が活性化に関与している。もうひとつセロトニンという神経伝達物質に関係する情報伝達の改善だ。釣藤鈎に含まれるイソジンメチルエーテルがセロトニン1A受容体に結合し活動を高め、セロトニン2A受容体の数を減らすことで神経細胞の興奮を鎮めると考えられる。原末というのは生薬を丸ごと散剤にしたもので、古典にはさらに興奮や痙攣を鎮める芍薬や黄連を加え、肝気を巡らせ気鬱を除く香附子の配合を提案する。生薬を何種類も配合した漢方薬は成分の薬理では解明できない複雑さがあるが、個々の生薬で成分の薬理が解明されたものは「3た論法」より再現性と信頼性に勝る。 薬の作用や薬効を生理学や薬理学で見てきたが、新型コロナウイルスのワクチンの薬効の説明に使われたRNA(リボ核酸)の話である。ワクチンを信じる人もワクチンの危険性を訴える人も共に認識する物質だ。以下、別の書物からの引用である。
禅の教えに五観の偈があり、その4)は「正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり」という。古くから食べたものが体になる。「好き嫌いなく食べよ」といわれてきた。薬もRNAレベルでの作用が示唆されているが、研究者の意見は一致していない。RNAで体の組成や機能が変わっていくなら壮大すぎて比較試験など相当に困難であろう。しかしいままで薬を使って説明のつかない現象について、RNAの概念で納得できるものがある。神秘主義に通じる懸念はあるが、科学に遠いとして切り捨てるのではなく、探求する意義はある。 |
2020・東京オリンピックの頃からスポーツウォッシングという言葉を目にするようになった。ウォッシングは洗濯のことで、スポーツの爽やかで健康的なイメージを利用し、社会的に都合の悪いものを覆い隠し洗い流すことを意味する。ウォッシングの用語は新しいが、本質的なものは古く、詩人ユウェナリス(西暦60〜130年)が古代ローマ社会の世相を批判した「パンとサーカス」の警句に淵源する。現代では戦後、GHQが日本占領下でおこなった「3S政策」が知られている。3Sとは?Screen(映像鑑賞)、Sport(スポーツ)、Sex(性欲)を煽り、政治への関心を国民からそらす政策だ。学生運動が活発だったころは「3S」で政治参加をさせないという話があった。そのときの「3S」はScreenがStudy(勉強)に置き変わった。政府は政策として認めておらず、認めるわけにもいかないので、批判に対して陰謀論だと一蹴する。 しかし権力を握ればそれを維持するための陰謀を巡らす。昨年、Dappi裁判で自民党の陰謀が明かされ有罪の判決が出た。Dappiは、ウェブコンサルティングを業務とするIT会社のTwitterアカウントで、ネット上で自民党や維新の会などへの賛同や動員を行い、逆に立憲民主党や日本共産党の国会議員への誹謗中傷や批判を繰り返し行った。この会社へ自民党東京都連から約400万円の業務委託費が渡されていた。
スポーツイベントは種目も規模も拡大し、階級別、男女別、男女混合、踊りや遊びだったものまで世界選手権が開催され、その最大のものがオリンピックだ。アスリートが目指す目標とは裏腹にオリンピックやスポーツイベントは大きくなればなるほど利権が絡み、税金も使われる。お祭りドクトリンという後戻りのできない利権構造が出来上がっている。東京オリンピック後に多くの関係者が逮捕され、政治家の関与も疑われた。イベントの中身の詮索や検証は関係者にとって迷惑極まりなく、スポーツのもつ健やかかつ公平なイメージを損なうことなく、ウォッシングする必要がある。メディアが健全であれば、すぐに不正は暴かれるが、メディア対策も抜かりはない。先に述べたDappi裁判などそのひとつだ。
オリンピックは最も大きなイベントだが、ゴルフや競馬、モータースポーツ、サッカーなど多岐に及ぶ。スポーツの政治利用の先駆とされるのが1936年、ヒトラー・ナチス政権のベルリンオリンピックだ。当時のニューヨーク・タイムズは、「ヒトラーは今日の世界において、最高ではないとしても屈指の政治的指導者だ。ドイツ国民はさんざん悪くいわれているが、人を温かくもてなしてくれる、じつに穏やかな人々で、世間から称賛されてしかるべきだ」と述べている。2021年の東京も、2024年のフランスもおなじように評価された。 イベントは、1)主催者・運営関係者、2)競技者・参加団体、3)メディア、4)消費者(観客・視聴者)の4要素で構成され、規模にかかわらずいずれかの役割を担う。権力者は4者の中心もしくは4者に跨ってスポーツウォッシングを活用する。他にも、興味と話題を集める事件や芸能人のスキャンダル、SNSの炎上もウォッシングの対象になり、これらは「スピン報道」として知られている。
2021年、東京五輪の汚職で逮捕されのは広告や運営に関わる人々であったが、五輪誘致から不正の話は絶えなかった。昨年、石川県の馳知事は安倍総理の指示で官房機密費から20万円のアルバムを作ってIOC委員に配布したことを暴露した。そのあとすぐに撤回したが、国民にとっては評価すべき発言だった。建設工事や土木工事にまつわる黒い噂も聞き及ぶが、アスリートは政治の話を避け、「われ関せず」を貫く。「スポーツに政治を持ち込んではならない」と金科玉条のごとく語る人々がいる。アスリートはそういった空気を読み、口を閉ざしてしまうのかも知れない。影響力の大きいアスリートほど無難なコメントしか出せず、ひたすら感動と勇気を与えるべく邁進する。
アスリートたちが声をあげないことをよしとし、意見を表明しないことを推奨する動きもある。彼らは練習とは別に、メディア対応のアドバイスや訓練を受けるため、マニュアルに沿った常套句やコメントばかりだ。SNSの普及で「カステラを食べた」くらいで賛否両論、誹謗中傷が繰り広げられる。無難なコトバや行動でさえ難しくなった。
商業主義オリンピックであれば経済競争のうえに成立すべきであるが、IOCは資本主義経済のルールにすらのっとっていない。東京オリンピックの談合汚職事件を見ると、開催都市と開催国の公金を使い巨大な会場を次々と作らせ、償還に長い年月がかかるほど赤字を産む。この負のレガシーを残し、IOCは次の開催地へと去っていく。これでは資本主義経済とはいえず植民地主義経済だ。 スポーツ競技にとってオリンピックは必ずしも最高の舞台ではない。様々な競技で世界記録が出るのはオリンピック以外の大会が多く、世界選手権を評価するアスリートもいる。しかし4年に一度、メディアも大きく伝えるオリンピックは特別に価値あるものであろう。ところで、選手が一様にメダルを噛む儀式はいつから始まったのだ。
2022年、全日本柔道連盟は小学生の学年別全国大会廃止を決定し、新聞やテレビでも大きく取り上げられた。3つの頃から柔道を始めた話やサッカー、ラグビー、体操から英会話、ビアノまで早期教育は低年齢化し、胎教まである。中学校や高校の部活動にも勝利至上主義がはびこり、高校野球を観ていると点が入るたびプロ選手さながらにガッツポーズで喜びを爆発させる。以前、目にあまる振る舞いでアウトになった事例があった。高野連・審判規則委員会が編んだ「マナーについて」に次の項目がある。喜びを誇示する派手な「ガッツポーズ」などは、相手チームヘの不敬・侮辱につながりかねないので慎む。小中高校のスポーツを教育の一環ととらえるなら、礼儀やマナーは不可欠なものだ。父兄までも動員し、過熱する若年のスポーツはプロの予備軍にも見える。熱中症予防にエアコンと水分補給を促すように、スポーツ熱中症にもなんらかの冷媒を注ぐとウォッシングがパワーダウンするかも知れない。 |
原口氏は佐賀県選出の衆議院議員でメディアでも知名度が高く、民主党政権では総務大臣を務めた。松下政経塾を経て佐賀県会議員として政治へのスタートを切った。初めての選挙ではランニングパンツで走り回わる姿が印象的だった。衆議院小選挙区では全国的に自民党が圧倒しているが、ここ佐賀では小選挙区2地区を立憲民主党が占め、自民党は何度も負け、前知事だった自民党の議員でさえ比例復活組だ。保守県ではあるが魅力ある議員への支持は固い。昨年夏、原口議員は街頭演説で参政党の神谷議員とともに参政党の主張に賛同する意見を述べた。 立憲民主党の岡田克也幹事長は22日の記者会見で、同党の原口一博衆院議員が参政党の神谷宗幣参院議員とともに街頭演説し、新型コロナウイルスワクチンの有効性に疑義を呈する発言をしたとして、口頭注意したと明らかにした。「党の考え方と一致するものではない」と述べた。 参政党は神谷宗幣が2020年4月に結党し、2022年参院選の比例区で初の議席を得た。翌年の統一地方選では地方議会で100議席を超えた。対話相手の吉野敏明氏は2023年4月の大阪府知事選の参政党公認候補として立候補したが得票数4位で及ばなかった。「維新政治の闇 身を切る改革は国を潰す」という著書があり、これにはタイトルだけで賛同する。吉野氏は歯科医師で医療問題アナリストなど活躍の巾が広い。参政党は「自虐史観からの脱却」を主張する保守色の強い政党だが、半面、食品や健康に気遣う自然派も取り込む政策を掲げ、ディープエコロジー、ディープステートなどオカルト的な話まで展開する。
髪もすべて抜けてしまったが、5カ月の治療期間を経て、寛解・完治した。参政党の神谷氏の紹介で対談相手の吉野氏と出会い、彼のクリニックで治療を受けた。
ワクチン接種が始まってから超過死亡が増え、それを高齢者の増加やコロナ死が原因とされた。周囲で若い人の突然死やターボがんが頻発し、原口氏は原因をコロナではなくワクチンのほうだと確信する。国は公表しないが、ワクチン被害のデータは多数報告され、超過死の増加の説明もつく。原口氏は2023年6/12の衆議院・決算行政監視委員会で、がんの死亡数や罹患患者数が年々増加する現状について「超過死亡とか年齢調整とか数字を操作するのはおかしい」と発言した。「岸田総理に製薬会社との契約を尋ねると、頷いていたので本当は全部わかっているはずだ」。他の国は2022年の夏頃からワクチン接種を止めているのに、さらなるワクチン接種を勧めるのはなにをおもんぱかってのことか。
薬害・公害事件を見ると3年ほど放置し死者が出て裁判が起こると、国はようやく"いやいやながら"認め、"なんとなく"お金で解決を図り、慰霊碑を建て早々に事件を風化させる。2020年1月に日本で最初の患者が出て3年ほどたった2023年頃から「これはおかしい」という人が急に増え始め、病気や不調の原因がワクチンではないかと疑い、ブースター接種を止める人が出てきた。過去の薬害事件の教訓を銘記しておけば、新型コロナに対してもっと賢明な対応が可能だった。 健康を守る機関であったWHO(世界保健機構)は巨大資本の傘下に取り込まれ機能不全を来たし、巨大資本を利するパンデミック条約を言い出した。健康を守るという大義名分を御旗に死の恐怖を煽る。見えないウイルスはステルス性を備え、感染しても症状が出ない、いつ感染するかわからない未知の恐怖がある。グローバリストの道具となったWHOに代わり、2021年イギリスでWCH(世界保健協議会)が設立された。日本では2023年、超党派WCH議員連盟が発足し、原口氏が共同代表についた。WikipediaにはWCHついて、「反ワクチン派の偽医療組織であり、COVID-19ワクチン接種を阻止するために誤った情報を広め、偽のCOVID-19治療法を宣伝することに専念している」と書かれている。国の動きと対極の主張になるが、国こそ「偽情報」を覆すだけの情報を開示していない。正しくは嘘・隠蔽・改竄が横行する国や政府を疑うのが順当だ。
WHOも厚労省もワクチン推進者しかおらず、まさに受益者だ。厚労省は表向きは利害関係が無いように指導するが、己のやることはまったく逆だ。原口氏はこの不条理に憤り、WCHの設立に至る。ガンになった原口氏は5カ月の治療期間を経て寛解・完治したという。いったいどんな治療だったのか?対談では無添加の食材や生活など自然派を勇気づけることが語られた。他に治療はしたのか?吉野氏のクリニックを調べてみた。どうやら保険の利かない自費診療で一般の人が簡単に診療を受けられる雰囲気ではない。治療内容も秘密の部分がありそうな気がした。そのなかにメタトロン簡易測定の記事があった。この器械はいわずと知れた波動測定器である。診療機器としてまともなものかどうかの前に、この器械を利用する医師や治療家は高額な治療費と癒しグッズをセットで販売する。多数の金銭的被害が報告される事例の背後で暗躍する道具だ。 代替医療に奇妙な論理が結びつき、思想や行動を誤らせることはあるが、彼らがすべて嘘偽りを言っているわけではなく、正しいことや学ぶべき点はある。コロナワクチンの接種については陰謀論のおかげで命拾いした人もたくさん居る。原口氏も、費用はかかったかも知れないが結果的に5カ月の治療期間で寛解・完治した。死の淵から救い上げてくれた吉野氏を恩人と思うのは当然だ。二人の対話は医療費にも及ぶ。
37兆円は一般会計であって特別会計の社会保障費は95.2兆円、合計すると132兆円で、この額はアメリカの総国防費の126兆円を上回る。健康や命にかかわる金の出し惜しみは誰もが憚るが、使いかたの検証は専門家任せで国民は蚊帳の外だ。防衛費については「オスプレイは危険だ、イージス艦は止めろ、アメリカの武器を爆買いするなら社会保障や教育費へ回せ」と批判の声は多数聞かれるが、医療費については少数の識者が語るていどで、ほぼ皆無だ。1970年頃から、一県一医大のかけ声のもと公立・私立の医大が乱立し医師の数も増えた。1960年代は20万人ぐらいしかいなかったが現在34万人である。ちなみに薬剤師数は32万人で医師一人に対し一人、薬学部の乱立をみると早晩追い抜くだろう。医師が増え病気は減ったのか?というと、医療費は増え、病気も病名も増え、病院にかかるには予約を要し、診療にたどり着くまで長時間待たされ疲労困憊する。医療サービスは費用の増加に伴い、不便になった。
言えそうではなく、まにその通り。医師は「絶対違う」というだろうが、それも本当だ。医師を頂点としたヒエラルキーを支える医薬品・医療産業を食わせるためにというのが正しい。検診や診療、予防のためのワクチンなどをアイテムとし、患者を消費者とした利益収奪のシステムが出来上がっている。医薬品の価格は、いまふうに言えば滅茶苦茶高騰した。例えばノーベル賞を受賞した本庶佑氏のオブジーボを1年間使用すると約1000万円かかり、高額医療制度の利用で自己負担額約60万円で済むが、医療は不確実でそれで治る保証はない。 高齢患者のお薬手帳を見ると、降圧薬、高コレステロール薬、血液サラサラ薬がルーチンで処方され、それも1種類ではなく2〜3種配合する。これをベースに神経痛といえば鎮痛剤、背中が痒いといえば抗アレルギー薬、眠れないといえば睡眠薬、便が出ないといえば下剤・・・が処方され10種を超えることもまれではない。相互作用の行方など知らず、問われても「大丈夫」という。こういった薬の多くがビッグファーマーと呼ばれるファイザー、モデルナ、J&J、ロッシュ、ノバルティスなど海外の企業の製品だ。4〜6兆円が薬に使われ、医師は製薬会社監修の標準治療に沿って処方する。医療ヒエラルキーの頂点は医師ということになるが、本当は巨大医療産業であって少しづつ餌を撒きつつ下層からどんどん利益を吸い上げる。 グローバリストとともにディープステート(闇の政府)が語られ、対談の終盤はこれに関する話である。莫大な金と権力を持てば国も人の心も動かせるが、万能ではなく単純でもない。ディープステートの話は陰謀論と評価されるので、慎重に扱う必要がある。陰謀論にはまると優越思考に囚われ、他愛もない情報が賢者と愚者を分ける踏み絵のような錯覚を起こす。そこから他人との壁を設けたり、妄想に正当性を与え独善的な正義が深化していく。そういった話にはまり込む前にできるだけ多くの常識に触れ、虚心坦懐に周囲の話に耳を傾けるべきとはいうが、人が動くのは明在系のみにあらず暗在系もある。政府や厚労省は暗在系で動く良き見本ではないか。 |
漢方に関する本や漢方と名の付く本はたくさん読んだ。漢方経済学という本は漢方で儲けるコツが書かれているかも知れないと思ったが、漢方とは無縁の内容で、たたらを踏んだ。「手相と漢方」といえば占いの本のようだが、そもそも漢方が占いの要素が強い。漢方や代替医療の診断は多種多様、怪奇なものまであり、本書は漢方診断に手相を取り入れ、精神分析をおこなうという。
患者さんとの雑談を契機に本格的に手相の勉強を始めた。40年前、心理学者・宮城音弥の「手相の科学」が出版され、手相のパターンから定量的に性格を分類していくものであった。20世紀半ば、E.クレッチマー、シェルドンは体格や体型から性格と気質を類型化している。科学とはいえ心理学や医学の分野は曖昧さの回避が難しく例外も多い。「手相の科学」では手相の他、爪、手の形・構造、指、手の温度・湿度・屈伸性など多くが類型化され、手相の勉強に欠かせない本だった。 漢方の診断は望・聞・問・切に分類され、手相は望診になる。手相を見ながら問診をおこない診療の手がかりを得る。漢方は古代医療の文化遺産のようなもので、診療も古典を踏襲する。西洋医学の検査や画像診断は有益なツールではあるが、病気によっては文化遺産的手法も捨てがたい。病院を転々とし検査をくりかえすが異常は見つからず、体の不調や症状は続く。医師から自律神経失調症、不定愁訴など実態不明な病名を貰ったり、精神科クリニックへの受診を勧められる。検査技術のない時代に成立した漢方は症状に対して薬を処方する。このことは漢方入門書に必ず書かれる利点で、漢方家が漢方を賞賛する常套句にもなっている。
医師の感性や人間性は洋の東西を分かたず診療に深く関与する。しかし、その質とは必ずしも関係せず、患者との干渉作用で癒しが起こる。著者はその手法として手相を選び、漢方の考え方を結び付けた。治療家は漢方理論というが、定説はなく百家争鳴、多才な専門家が各々の考え方で流派を為す。「手相と漢方」も流派、もしくは家元のひとつといえる。手相を取り入れた精神分析を基調に、心理学のエゴグラムと東洋思想の五行論を相対させる。
人の感情はなんらかの身体症状となって出現する。不安、恐怖、緊張によって動悸、胃痛、手の震え、冷や汗などが見られ、それを五行分類する。人の性格や気質、才能、運命などを観る過程で体質や病気にまで繋がっていく。他にも人相、語音、四柱推命、筮竹や算木を用い八卦、64パターンに導く占いもあり、治療家の思いによって治療のツールになる。
東洋医学では「手」だけでなく、身体の各部に全体の縮図があるという。耳、足、腹、目、、各部位に治療を施すことで全体を治すリフレクソロジー(反射帯療法)という治療の流派がある。しかし、波動ということばが堂々と出てくると違和感はぬぐえない。他の事はなんとか理解できても、波動はいままで読んだ中国の古典にも中医学の本にも出てこなかった。代替医療では繁用されるが波動を語る流派にはセクト色がつきまとう。治療家の考え方や治療法は失敗も成功も含め経験が介入し、それは考え方に後付けされることがある。経験が考え方を補強し、次からパターン化されたものに従い、そこに教祖のような治療家が生まれる。ドクターズルールという本に次のような言葉がある。
医師や治療家がよく使うことばであるが、戒めとされているのは経験でルールを作らず、それを疑えということではないか。医学や心理学など人文学の要素が入り込むものは経験や知識でルールやパターンを認識し運用する。仕事は簡便化され楽になるが、曖昧さが回避できないため、普遍性を欠く宿命にある。また、独自のルールで診療をおこなう代替医療には独自さゆえの危険性も孕む。幸いいまの医療制度で代替医療はほとんど保険適用されないため、医師が思い込んだ方法で勝手に治療はできず全国で平準化した治療が受けられる。それにも問題はあるが、医療制度下にあって大きく常識を外れることはない。
そう簡単にはいかないのが代替医療だ。先に述べた曖昧さや危険性とともに保険が利かないことでの費用負担の問題がある。1か月分の給料を1回で奪われる診療所もあり、それでも命には代えられないと命を削る。著者のいう80%の治癒とそれに外れる20%の根拠は不明だが、新薬・漢方・カウンセリングなどを尽くしての数字であろう。名医とてそこまで治癒率はあがらないのではないか。私の周囲には治るどころが10年も20年も同じような治療と検査を受け、同じ薬を服んでいる人が多い。 わたしの経験ではと言ってはならないが、経験をよりどころの認識方法は根強くある。「手相と漢方」は治療家の貴重な財産といえなくもない。繰り返すが、症状のパターンに基づいて漢方薬の適応を決定する。いくつか成功例が重なるとそれがルールになりやすい。最近考えることだが、逆ではないか。治療家の内に形成された薬のパターンが先で、それに合致する患者を探す。こう考えると薬は山ほどあるが、首尾よく適合するパターンはさほど多くない。少なくとも漢方については80%の治癒とは言えず、割り増しても10%以下であろう。 患者も治療家や診療に対するパターンやルールを秘めている。黙していても納得のいかない治療家のことばは受け入れない。明らかに医師に頼らざるを得ない病気は別として、慢性疾患などは患者の人格や経験が診療に関わってくる。手相、姓名判断などの占い、祈祷などで「良く当たる」という言い方をするが、それは相談者がパターンを認識している裏付けだろう。同じく医療でも患者のパターンやルールに合致しない治療家は選別される。うなずいてはくれるが、話の通じない患者や「柳に風」でマイペースを貫く患者もいる。医師や治療家は、しばしば「臍を噛む思い」をする。 |
著者の背景を手短に記すと、大阪市立大学医学部の名誉教授で感染症学、分子生物学の知識を基に健康や医療問題など広範な発言を続けている。副題は「なぜ、医師の私が命がけでWHOの脱退を呼びかけるのか?」、副々題は「次のパンデミックで日本の自由と未来を奪われないために」と書かれている。パンデミック条約反対の実行委員でもあり、ネットでの発言や動画も多いので知る人ぞ知る有名人だ。極右政党で反ワクチン運動を展開する参政党に呼ばれ講演もされているが、どんなご縁なのだろう。本書の出版の目的は2つあるという。ひとつは新型コロナワクチンについて多くの論文で被害の実態が明らかになっているにも関わらず、世界で日本政府のみが打たせ続けている事を国民に知らせるため。専門家である医師ですらコロナワクチンの毒性について正しく理解している人は少ない。ワクチン後遺症やワクチン死についての治療法や診断を提示することで被害者への補償も一歩前進する。 映画か小説のような話だが、「新型コロナウイルスは人工的に作られたもので、ウイルスのゲノム解析の専門家の間ではほぼ常識だ」という。病気を作って薬を売ることはほぼ製薬会社の営業戦略になっている。いくつかあげると降圧剤、高脂血症薬、抗うつ薬、認知症薬..こういった薬の服用で新たな病気が産まれていることも知られている。病気であれば多少でも異常を見つける必要があるが、ワクチンは「疾病予防」と喧伝するだけで健康人にも売りさばける。出版の目的の2つめは、次の人工的パンデミックへの警戒と備えだ。
まるで新作発表会のようなフォーラムだが、「ような..」ではなくまさにパンデミックをダシにしたワクチンの発売である。著者が「パンデミックへの備え」というのは、被害を回避し騙されないための準備だ。著者は「陰謀でも幻想でもなく紛れもない事実」という。5月にジュネーブでWHOの会議が開かれ、そこで「パンデミック合意」が批准される予定だ。これはWHOの権限を各国政府の決定権より優位にする協定だ。可決されるとWHOの事務総長が「パンデミック」を宣言するだけで、世界中の国民の権利を「法的強制力」で制限することが可能になり、自由も基本的人権も認められなくなる。今回の新型コロナは法的強制もなく「任意」であったが、職場からのワクチン接種の強制、学校の休校、会合・宴会の自粛など任意では済まなかった。 日本では憲法改正によって「緊急事態条項」を創設し、国民を厳しく監視・管理する陰謀が進んでいる。実現すると彼らの独裁と特権がいままで以上に温存される。陰謀を主導する勢力をディープステート(闇の政府)といい、この陰謀によって神羅万象が動くということを陰謀論という。陰謀は一人、数人でも簡単に引き起こされる。私たちはいくつもの陰謀を目の当りにしてきた。例えば安倍元総理のモリ、カケ、サクラは彼と取り巻き数人のため官僚、検察など様々な人を巻き込み罪を重ねた。WHOが陰謀を企むわけがないと思うのは自由だが、権力が集中すると陰謀は叶う。
もともとWHOは国連機関ではなく関連の専門機関であった。そこへ利益集団がすり寄り、彼らの利益を温存するための手先に堕した。WHOで働く人々は誰一人として民主的な選挙で選ばれておらず、公益より利益相反の原理に絡めとられている。この現状を見かね、信頼できる組織として2021年9月、WCH(世界保健評議会)がイギリスで立ち上げられ、現在45か国以上の国が参加している。WHOが呼びかける「パンデミック条約」は大変危険なものだ。正しくは「WHO CA+」といい、国際文書であるWHO憲章に由来する。その第19条でWHOが条約(Convention)と協定(Agreement)を協議する権力を持つとされCAは頭文字をとったものだ。条約の内容は不明なまま、ただ枠組みに同意するかどうかの段階で、今後の会議でシステムを構築し詳細や規定は後で決めるという。さながらTPP(環太平洋パートナシップ)の医療バージョンだ。
枠組みの内容を一般国民が読むことは一切できず、まとめ文書とされる208ページの書類の存在だけがわかっている。これを「加盟国主導のプロセスだ」としてWHO事務局がわずか43ページにまとめた。まとめる過程で多くの国の希望は削除され、多くの国の代表が不満を表明した。会議へは加盟国だけでなく医薬品、検査薬などパンデミックに対応する企業も参加し、WHOへ出資する企業のスタッフがとりまとめるという利益相反の構図だ。懸念されるのは将来的に年間約4兆5000億円をどのように使うかの詳細やプロトコルを決める際、加盟国の議会や国会の承認を必要としないことだ。決まったことに意見はできず受け入れるだけだ。一例をあげよう。
認定後のゆくえは今回の新型コロナ騒動で見てきた通りだ。巧妙なプロパガンダにより先進国の75%の人が接種を受け入れた。もっと容易に広く早く、否応なく全員が予防接種を受け、製薬企業へ容易に広く早く莫大な利益が転がり込む。パンデミック条約として協議されていることは健康や保健とは何の関係もなく、危険で致死的な病原体と叫ぶだけで、そこから産まれる利益や知的財産を寡占することだ。
権威と正当性を振りかざし、陰謀、フェイク、カルト、反ワクチンなど根拠なき批難を続け真実を隠蔽した。メディアが正しい情報を伝えればこんなことにはならなかった。メディアの懐柔を成し遂げた政府や企業は不都合な真実を陰謀だと一蹴する。密室の数人で国策も法律も決めてしまう。首相の意向は閣議決定され、それを国会が多数決で追認する。権力が集中すると首相とその仲間の陰謀で国が動く。戦後、しばらく民主主義の幻想を抱いたが帝国主義は雌伏し、政官業複合帝国主義に変貌した。過去の薬害事件を顧みれば彼らの行動パターンは明らかだ。専門家の警告に耳も貸さず使用を続けさせる。被害がでてもフェイク情報だと決めつけ認めない。裁判が始まり不利になると渋々ミスを認めるが賠償は渋る。このパターンは今後も続き、むしろ増長し生殺与奪の権利まで手にするだろう。ひとつの政党に権力を付託した国民の不明に他ならない。 【追記】コロナ禍を教訓に、将来の感染症のパンデミック(世界的大流行)に備える国際条約の策定を議論してきた世界保健機関(WHO)加盟各国は24日、条約の内容で合意できないまま、2年余りに及んだ交渉をいったん終了した。27日からのWHO年次総会で採択を目指していたが、ワクチンの公平な分配を巡る方策などで先進国と途上国の溝が埋まらなかった。 |
著者は研究者としての責任と義務感からコロナワクチンについて多くの発言をおこない憤りを表明するが、メディアは「極右」呼ばわりし原理主義者とかセクトなどと非難した。政府や製薬会社の意向を受けたメディアは証拠も示さず「フェイク」、「陰謀論」など口を極めて罵る。新型コロナワクチンの接種が始まった2021年2月から2023年12月27日までの公表分で、国の予防接種健康被害救済制度に基づく、被害認定件数は5735件。うち死亡認定は420件だ。責任逃れに執心する国が認めた数なので実数はもっと多い。国の流すフェイク情報に粛々と従うことこそ国の陰謀に巻き込まれているのだ。新型コロナウイルスの最初のニュースが伝えられた時、世界中がパニックに陥り、ノアの箱舟に例える人もいた。「船に乗り込み生き延びたい」1918年、未曾有の死者を出したスペイン風邪が100年周期で来るかも知れない。10年以上も前から必ず来ると学者や国は警告を発し、各地で訓練も行われた。人々の脳裏にはパンデミックを恐れる下地が備わっていた。いまとなってはパンデミックだったのか疑わしくもある。PCR検査・陽性を以て新型コロナ感染数として報告した。この検査は正しくコロナウイルスを反映するものだったのか。今年の4月2日、ドイツ政府は「パンデミックはなかった」、と認めた。ドイツ政府のデータによれば、パンデミックは起こっておらず、結果的に大衆を洗脳して危険なワクチンを受け入れさせるための心理作戦に過ぎなかった。洗脳が解けないまま、何回もワクチンを打ち続けているのは世界中で日本だけだ。 「パンデミックが来る」との学者の警告さえ、心理作戦だったのかも知れない。100年前のパンデミックに比べ簡単に宣言が出せるようにWHOは定義を変えている。感染の恐怖が醸成され、ワクチンと治療薬への期待が高まっていく。WHOがパンデミックを宣言すると、ワクチンは光の速さで開発・製品化された。モデルナ社はたった2日で製造法を発見し42日間で出来上がった。ビオンテック社は数時間で製造法を発見した。薬の開発は超特急で進んでも10年はかかる。数時間〜2日で出来た薬は効果も安全性も未知のものだ。多くの人が死にたくないからワクチンを接種したが、最悪を想定するとコロナで死ぬかワクチンで死ぬか二択なのだ。ワクチンを打てばコロナとワクチンの2つ脅威にさらされるが、ワクチンを避けるとリスクは半分で済む。 結果を見てみよう。ワクチンは流行を止めえなかった。ワクチンを接種しても感染は防げず、周囲への感染も防いでいない。2021年11/23、WHOのテドロス事務局長も「ワクチンを接種しても、それでも感染するリスクはある」との声明を出した。これを聞いても、接種を墨守するのは最初に刷り込まれた情報がいかに強固かを物語る。その後、警鐘を鳴らす報告が続々と出ても「フェイクだ陰謀論だ」として一瞥もくれない。国の言いつけを守り、何度もワクチンを接種し「おかげで命長らえた」と思う人々はおそらく善人であろう。
人口の60〜75%がワクチン接種を行ったイスラエルやポルトガルでは、住民100万人当たりのコロナ感染者数が最も多い。感染予防にも重症化予防にもならないが危険性はあり、それを示すデータは世界各国で報告された。権威ある医薬品安全監視機関のデータを調べると毎回、危惧すべき多数の事象や死亡例が報告されている。例えばアメリカの10年間の有害事象報告システムのデータベース見ると、コロナワクチン接種開始後、死者が4800%も増加した。2022年9/9付のデータベースで確認された重症化を数字であげると以下になる。これは公的なものでフェイクでも陰謀でもない。
死ぬような年齢でもないのに急逝した芸能人や有名人、入院中の知人、不調を抱える友人や親類そして身内。上記を見て思い当たる症状はないだろうか。公的機関のデータが出ていても国は根拠なし、陰謀論と強弁する。WHOのヴィジアクセスにもコロナワクチン接種開始後の1年間だけで、好ましくない事象は過去50年に報告されたインフルエンザワクチン副作用の総数の10倍に達している。国も医療関係者も「高齢者や基礎疾患のある人は接種を..」と促すが複数回接種すると免疫機能が低下していく。高齢者、基礎疾患のある人ほど避けるべき危険なものだ。 2022年8/31、医学誌「ワクチン」に、成人のワクチン接種による深刻な副作用を評価した研究が紹介されている。モデルナ社とファイザー・ビオンテック社の2つの研究を総括した結果、ワクチン接種者はプラシーボ群より深刻な副作用の起こるリスクが16%高い。ワクチンのほうがウイルスそのものより危険で、危険度は98倍にまでなるとの報告もある。
ワクチンが体内に入るとヒトの免疫システムはこれを異物と認め、すぐに抗体を作り病気への抵抗力を高めた。2021年9月、アメリカ疾病対策センターは「ワクチン」の定義を大きく変えた。免疫には触れず、もっぱら予防といい、その範囲も定めていない。ここに登場したのがmRNAを用いたワクチンだ。mRNAを脂質の膜に包んだものをワクチンとして注射すると、ヒトの免疫システムはすぐに異物として感知せず、抗体はできない。ウイルスから守られるためには接種後2週間の日数を要する。この2週間、体の中で何が起こっているのか?mRNAが体内に入ると細胞と融合し、mRNAの情報に従い体内に新型コロナウイルスのタンパク質(スパイクタンパク)をつくりだす。このスパイクタンパクは不活化されていないため無害ではない。さらに体にどんな影響を及ぼすかも全く分からぬまま抗体を作ってしまう。
mRNAを用いた新型コロナワクチンは結果的に体を破壊し、自己免疫疾患を引き起こすことが考えられ、様々な副作用の報告がそれを示唆する。ワクチン接種後、心臓の具合が悪くなった患者の心筋を調べると、そこにはスパイクタンパクとともに炎症性の免疫細胞が確認された。この免疫細胞が自己免疫反応の証拠だ。厄介なことにスパイクタンパクは消滅するまでに体内を循環し、脳などの一部の組織と結びつくことがあり、血栓や凝固物を作りやすい。
マウスを使った研究では10μg(10万分の1g)の注射で80%が24時間以内に死に、半分の5μgでは20%のマウスが死んだ。生き延びても注射後の体内での動きを追跡するとマウスでもヒトでも恒常的な慢性炎症状態になり、免疫が疲弊する。これらの研究結果は2021年2月、ワクチン接種が真っ盛りの頃、ファイザー社から機密文書として伝えられた。これを日本政府、欧州医薬品局など特定レポートとして公表はしているが、国民には伝えず接種キャンペーンに拍車がかかるのみであった。
mRNAは私たちの遺伝子にあるDNAの重要な情報をタンパク質に伝えるもので、その情報は生命の本となっている。ワクチンによって生命の発達や機能の維持に欠くべからざるものを書き変える恐れがある。書き変えられたものは卵細胞から胚芽、胎児から子孫へと影響を及ぼす。mRNAがヒトの細胞に入り込むことで遺伝子が修正され「がん」のリスクが高まる。様々な懸念や危険を抱えたワクチンは臨床試験を終えないまま製品化され、法外な高値で売りまくった。国は国費で私企業のキャンペーンを展開した。開発にも公的資金が投入されている。莫大な利益を得た製薬会社幹部が副作用報告が出る前、持株を売り逃げた話もある。 ワクチンによる死亡や副作用はこれからも続々と出てくる。国は責任逃れや転嫁に粉骨砕身するだろう。新型コロナは終息したが、新たな感染症が登場し予防だとしてワクチンを投入する兆しがある。メディアが危険を煽り、「予防のため接種を..」と刷り込めば人々は疑うことなく何回も接種会場へ向かう。アメリカの軍産複合体の話はよく聞くが、患者の福祉をないがしろにする医療産業複合体も同じ規模で存在する。アメリカ発のワクチンはWHOのプロパガンダによってパンデミックを産みだし、顧客を創出した。これからも同様の手法が展開されるだろう。WHOは早速、パンデミック条約の制定を言い出した。 |
薬に頼らず対話によって病気を治す本 笠木伸平 |
対話によって治る病気もなくはないだろうけど、すべては無理だろう。いったいどんな技法が書かれているのか興味津々で本を開く。結論から言えば期待外れのパンフレット本だった。病院での待ち時間は長く、ようやく順番が来ても診療にかかる時間は数分から10分くらいだ。対話を重視する精神科でさえ、おおむね5分から10分ていど。初診の場合は20〜30分程度の時間をとってくれるが、もっと話したい患者はカウンセリングを勧められ、1コマの予約で通常45〜50分ほど話せる。医師ではないので治療に結び付くかどうか分からない。
2000年前後からインフォームド・コンセントといい医療機関での説明が詳しく丁寧に行われるようになった。医療ヒエラルキーの頂点に立つ医師の権威主義的振る舞いを改め患者の自己決定権や選択の自由を尊重するという理念だ。20年経ち確かに説明は十分なされるが、別の方法又は診療をしない選択が示されることはなく、患者の苦情封じの儀式のようでもある。医師の振る舞いは変わっても、診療に患者の選択権はなく20年前と大差ない。医師が主導する治療において期待する効果が得られなかったり、患者さんが前向きに治療に取り組めなかったりする例がたくさん見受けられる。医師に気に入られたいがために、あるいは嫌われないための同意では患者さんの治療への意欲は削がれる。1900年代前半、C・R・ロジャースという臨床心理学者が「クライアント中心療法」を提唱した。当時は多くの治療家がこの「非指示的療法」に疑問を抱いたが、本質は患者さん自身が自分の問題と向き合い解決の方法をアドバイスし勇気づけることにあった。
長く慣らされた医療行動や観念は突然変えられず、多くの患者さんは薬を欲しがるだろう。いままでは薬が悩みや不安、心の問題を解決する助けになっていたのかも知れない。対話によって病気を治すには患者の心の切替が必要となる。プラシーボ(偽薬)と分かっていても薬を求める人がいる。薬は養生や対話など癒しに関わるものの代名詞でもある。対話だけで病気を治す本と思って読み始めるが、「対話だけ」と早合点していた。あくまでも「対話によって」なのだ。
10ページ目でタイトルとは違った本の主旨が分かった。代替医療に取り組む医師の熱い思いを伝えるものである。代替医療の本やwebサイトはたいがい西洋医学や現代医療の批判や不都合から始まる。本書は患者の話を十分に聞かない一般医師への批判から「対話による治療」の提案へと展開していく。死因別一位の「がん」の治療についての著者の見解は「手術で取り切れる場合、抗がん剤が初期に効いて完治する場合には、西洋医学的な治療が有効である」という。しかし、再発や初期治療がうまくいかないと西洋医学的な治療が逆に悪化を招く危険がある。食事などの生活習慣や環境要因はいうまでもないが、以下は対話で治すための心理的要因だ。
解放したい半面、自責や他責で怒りと憎しみを持ち続けることへの慣れと執着で身動きが取れない。この状態が長く続き、年月とともにがんになるリスクが高まる。幼い頃の養育者や近親者との関係で怒りや憎しみがトラウマとなり、そういった自分を許し、心を解放することで体質は改善される。他の病についても負の感情が病気の誘因となり、治癒を妨げるという。存分に話を聞き、気づきをもたらすことで病気を治す。古くは周囲の知人や友人が話を聞いたが、最近は職業化されたカウンセラーがあたる。幼い頃より以前、生まれる前の話は前世の因縁などと称し、祈祷師や占い師が役を担う。これも対話によって病気を治す方法のひとつだ。祈祷で治った人を奇跡的治癒として身近に見聞することがある。対話に近いものでは近藤誠氏が放置療法を提案されている。がんの治療に関して専門家としての話を伝え、必要なら西洋医学も利用するという立場だ。対話による治療だから、時間の許す限り「おしゃべりしましょう」では徒労に終わる。人が頑なに信じ込んでいるものを、話だけで改めさせるのはマインドコントロールを解くほど難しく、それには特別な技術と時間と労苦を要する。これを保険診療の制約の中で行なうのはほぼ不可能だ。
最終章あたりに書かれていたので、著者のクリニックを検索してみた。料金の項目をみると「診察・薬を使わない各種治療の相談15分/¥11000、60分/¥40000」とあり、何やら薬みたいなものが販売され、間葉系幹細胞培養上清液が1か月で¥88000とある。1時間おしゃべりして○○液を買って帰ると128000円、パートの月収は1時間で底をつく。労苦を尽くして得た1か月分が医師との会話の1時間に足りないのだ。このクリニックは余裕ある人のための医療を提供するところだ。負担率10〜30%の保険診療費さえ払えず診療を躊躇する人には見果てぬ貴族の医療である。 もっと良い治療法はないか、もっと費用のかからない治療法はないかと考えるのが治療家たるものと思う。ヒューマニティあふれ話も存分に聞くという名医が「そのためには自費診療で..」と語る違和感はぬぐえない。医療費の負担にも限度のある人々を保険診療と時間の制約のなかで診療する医師を権威主義とよべるのか。癒しは熟達した名医や奇を衒う代替医療で起こるとは限らない。未熟な治療家でも起こり、自己治癒もあり、祈祷師や友人の助けでも起こる。なんでも治せると優しくささやく治療家のもとへ向かうときは保険が利くか、費用はいかほどか確かめたほうがいい。話だけでは治らず、治療のためにと揃えた様々な物品のデパートだったりする。各種療法や癒しのアイテムを用いても、病気に対応できることと治ることは違う。難病と格闘する治療家は讃えられるものだが、もともと治癒率の低い難病や老化には限界がある。 |
元日の夜、テレビを見ていると突如、地震速報.. まもなく番組は中断され能登半島の地震を知る。正月で家族、親族が集まり宴会の最中だったかも知れない。1年でもっとも楽しく、くつろいだ場所から一瞬で奈落に突き落とされる。予測のつかない災害は不条理かつ無情だ。テレビを見ながら炬燵の中で心配する自分に嫌悪さえ覚えた。 被災地の被害状況や避難生活が報道されるたびに13年前の東日本大震災が蘇る。国土地理院の資料では日本には約2000の活断層があるとされるが、それは地表から確認できるものであって地下深く隠れた未知のものを入れると30000本にもなるという。日本はどこでも大きな地震の起こる可能性があるのに52基の原発を建ててしまった。福島の原発事故は津波による電源喪失が原因として、その対策さえとれば原発は再稼働できるといい13年が過ぎた。事故後、原発ゼロの期間が1年以上続き、東日本においては10年以上もゼロ期間が続いた。原発ナシでも暮らせることを震災から学んだ。当時、民主党政権は20年後の原発廃止を決めた。民主党政権が続いていたら、あと7年で脱原発を成し遂げた。しかし、政権を奪取した自公党政権は廃止を覆したばかりではなく、老朽化原発を60年も稼働させることにした。 地震は津波の警戒も必要だが、先に揺れが起こる。大地が上下左右に波打つように揺れて山は崩れ大地は割れ、多くの建物が倒壊した。原発の建屋やプラントは牢固で安全といえるだろうか。2007年の新潟中越沖地震では柏崎刈羽原発の構内の至るところで陥没が起こり、火災や水漏れ機械の破損・変形が見られた。今回は志賀原発で変圧器などのトラブルが起こっている。
志賀原発は幸い2011年から稼働していなかったが、ここで大きな事故が起これば、道路も家屋も崩壊し、逃げ場を奪われる。今回の地震では最大8地区約400人が8日間孤立状態にあったことが分かった。避難の予行練習など机上の空論であって稼働のためのアリバイ作りの意味さえない。佐賀の玄海原発の避難計画では人口8000人の町へ10000人を超える被災者を避難させるという。しかし、道路が寸断され家屋が倒壊すれば机上の空論さえ成り立たない。地震に対して原発は無力で、原発を建てることが破滅の一歩だ。くりかえすが30000本といわれる活断層の上に52基もの原発を建て危機感はないのか、それを60年も稼働させて恐怖は感じないのか。志賀原発は震度5で他地区より揺れは少なかったが変圧器が2台損傷し、復旧には半年以上かかるという。電源は他のルートで確保されたが、それが得られなければ大惨事となった。他にも水位の上昇、油漏れなど、発表する情報が二転三転し不信感を抱いた住民は少なくない。
珠洲原発は能登半島地震の震源近くに建設が計画されていた。予定地であった石川県珠洲市高屋町は、今回の地震で住宅の大半が壊れ、陸路も海路も閉ざされ孤立状態になった。もし、珠洲原発計画が実現し稼働していたら、原発は崩壊し避難も屋内退避もできなかった。
「もし高屋に原発が造られていたら、もっと悲惨な状況になっていたやろうな、止めて本当に良かった」。塚本さんは揺るぎない口調で語った。1975年に発表された計画は住民の反対運動とそれを切り崩す電力会社との28年に及ぶ闘争の末、2003年12月に凍結された。塚本さんは「あと1年粘られたら、つぶれとったのは僕らの方やった」と述懐する。
関電は地域の祭りの奉納や施設建設のため多額の寄付もした。原発予定地の賃貸料で億単位のお金を得た住民もいて、一人また一人と賛成へ回り地域は分断されていく。89年5月、関電は原発建設に向け高屋地区の現地調査に乗り出す。塚本さんら住民は調査に入ろうとする関電の車列を阻止し、市役所で約40日間にわたる座込み抗議を始めた。この頃から原発を巡る住民の対立が激化し、毎年開催される秋の住民運動会が中止された。「反対派の店で物を買うな」の不買運動も起こる。無言電話や盗聴などの嫌がらせが10年以上も続く。ときには推進派に包丁を突きつけられたこともあった。それでも、塚本さんは、「絶対に推進派の個人攻撃だけはするな」と周囲に言い続けた。ついに2003年12月、関電は計画の凍結を発表した。
13年前の福島原発の事故は電源喪失が原因といい、予備電源を備え防潮堤を築くことで稼働させようとするが、大間違いだ。本当の脅威は地震による想定外の揺れで起こる地割れや隆起だ。原発は断層のない安定した地盤の上に設置するのが最低限の安全対策だ。地割れや隆起が起これば原発ならずとも持たない。志賀原発は震度5で他地区より揺れは少なかったが、変圧器が損傷し復旧に半年以上かかる。能登半島は地震群発地で次の大きな地震の発生確率は平常時の60倍ほどに高まっている。志賀原発1号機の直下には活断層の存在が指摘されているが北陸電力は「過小評価」を繰り返し、稼働を画策してきた。次に起こる地震は大丈夫か? 珠洲原発計画において、もし能登の人々の反対運動がなければ、日本は原発事故で終りを迎えたであろう。命がけの反対運動に賛成・反対の立ち場を超え感謝すべきだ。 |
肩書は日本文化史研究家・謎の社会学者と書かれているが、「プロフィールはでたらめだが本文内容にウソ偽りはない」と著者は言っている。タレントが政治を語り、音楽家、アスリートが思想を語り、世相を論評する。有名人のコトバは薄ぺらであっても影響力は大きい。彼らはコメンテーターと呼ばれ、ワイドショーやニュース番組に顔を見せ思いを語る。著者はワイドショーはほとんど観ず、テレビニュースは毎日、9割がたNHKを観るという。なるほど、私も同じだ。NHKはうざいコメンテーターが出演しない。民放ではニュース番組にもコメンテーターが出演し自分の専門分野を超えて口をはさむ、始終ざわざわBGMが流れ、CMで話は寸断される。NHKが公正かつ有益な放送とは思わないが、時刻と出来事を知るには静かで無駄がない。NHKのコメンテーターは解説員と呼ばれ長く記者などを務め、それぞれの専門分野の知識や取材経験をもとにニュースの解説をおこなう。
「マジすか?」と思わないではないが、解説員は民放のコメンテーターとは明らかに違い、国営放送の矜持を備えている。メディアで専門家といえば50〜60年代までは一目置かれる存在であったが、70〜80年代はカジュアル化して専門家から感想屋へと移り変わった。80年代末には各テレビ局が土・日のニュースワイドショーを相次いで始め、司会はタレントやお笑い芸人を起用しコメンテーターも有名人を呼ぶケースが増えた。視聴率を稼ぐためニュースまでワイドショー化していく。
ワイドショーは視聴者に受け、狙い通りの大当たりだった。きっぱりと断定してくれる人、どんどん憶測してくれる人、話がわかりやすく面白い人、感じが良くて魅力的な人がコメンテーターの基準になる。作家の嵐山光三郎はコメンテーターが多用する紋切型5パターンをあげ、これだけでいけると揶揄した。
よくわからない、答えられない、興味がないとは絶対言わず、あらゆることの原因や理由を指摘し、意見を述べるのがコメンテーターだ。5つのパターンを心得ておけば誰でもそこそこの役割が果たせる。50年代、評論家・大宅壮一はテレビの普及で「一億総評論家時代が到来する」と予言したが、ネットの普及までは予測できなかった。今まさに一億総コメンテーター時代が到来し、テレビは時代遅れと思いきや、ワイドショーはいまだ盛んでコメンテーターも意気軒高だ。 ワイドショーでは有名人や漫才師が政治を笑いに変えて批判・風刺する。権力者の愚かさを笑う風刺画や漫才は古今東西最強のネタであり、戦時中、漫才師たちは「国や軍部の方針に沿った漫才」をやるよう命令された。しかし権力におもねるネタで客が笑うはずもなく、漫才師は巧妙に国や軍部を揶揄するネタを埋め込んだ。彼らは大衆の熱烈な支持を得る一方で権力側からの圧力にさらされた。権力への批判を嫌う大衆の一部には、姑息な揚げ足取りで妨害する者もいた。最近はネット右翼(ネットウヨ)と呼ぶが、ネットが普及する以前から現在のような活動が続いている。
これを業務としておこなう会社がワンズ社・「Dappi」だ。自民党や維新の会などへの賛同や動員を行い、立憲民主党や共産党の国会議員への誹謗中傷や批判を繰り返し行っていた。顧客は主に自民党で最近、ドリル優子こと小渕優子氏がこの会社に毎年数十万円の手数料を払っていたことが発覚した。この会社は昨年、立憲民主党の議員から誹謗中傷で訴えられ、損害賠償を命じる判決が下された。安倍政権が長く続いた理由は人望や能力ではなく、最初からNHKや司法を懐柔しネットやマスコミ対策に執心したからだ。それが卓越した能力だったと言えなくもない。政権に批判的なタレントやコメンテーターは干され、失われた10年で幇間だけが残った。
影響力のある芸能人・有名人は政治批判を口にすべきではない、と言う者がいるが、政治批判は民主主義国家で保障された自由である。強力な政治批判を封じたい勢力側から出てくる俗説だ。しかし、これをまことしやかに受け止めたのか?70年代以降は世間の政治熱は冷め、80年代になると政治を語るのがダサいという風潮が高まり、芸能人も大衆の流れに従った。政治批判が少なくなると勇気ある発言者が目立つため、集中して標的にされ恫喝や暴力で発言を封じられる。嵐山氏のコメンテータ、5パターンは配慮ある安全運転のガイドとして磨きがかかり、無難にコメントするタレントや有名人に倣い街の人々も似たように語り、政治や社会が分かった気になる。大宅壮一は一億総評論家と言ったが、一億総白痴化とも言った。白痴化を避けるためテレビ・新聞は見ないという人もいるが、ネットでも同じことがより広範かつ執拗に起こる。特にネットでは様々な出来事や言動が炎上の対象となり、それをワイドショーのごとく大衆が消費する。有名芸人が後輩や弱者を貶めて笑いをとるような番組に拍手喝采し、政治の批判はしても相変わらず政権与党を支持する。これを一億総白痴化といわずして何と言おう。誰もが「オレは白痴ではない」と思っているが、生活は厳しい、住みにくい世を変えたいという炎上は起こらない。ほどほどにワイドショーを愉しみ、不満は抱いても大衆運動まで発展しないことが、政権の勝利を意味するのかも知れない。 |
4年前の年明け、新型コロナウイルスが日本に上陸。昨年春、ようやく規制のない日々に戻った。ダイヤモンド・プリンセス号が新型コロナウイルスの発端となった。全員にPCR検査をしたところ驚くほど陽性率が高く、乗員・乗客約3700人中、陽性者は700人以上、率にして20%。SARSなみに10%の致死率だとすると、感染が広がった場合、70人くらいの死者が予想された。その後、感染者のうち13人の死亡が判明し、致死率はSARSほど高くない。乗員・乗客の検査の結果、無症状者が多いことも分かった。無症状者が多いと水際対策は困難になる。症状の出ていない感染者がすでに入国している可能性があり、国内感染の蔓延を完全に抑えるのは無理である。1人の感染者が平均何名に感染させるかの推定値を基本感染数といい、3月に報告された。ヨーロッパで2.5、日本で1.7くらい。大きな数字ではなく、例えば麻疹ウイルスで12〜18、インフルエンザで2〜3程度とされる。
著者が考えたのが「100分の1作戦」だ。感染が成立する量は決まっていないが、通常の感染ルートで暴露されるウイルス量を100分の1くらいに減らせば、感染する確率が極めて低くなる。「手洗い」、「マスク」、「換気」の3つを効果的に実行すればウイルスを100分の1以下に抑えることができる。感染門戸といわれる目・口・鼻にウイルスが付着しても直ちに感染は成立しない。さらにヒトの細胞内にも抵抗物質があり、侵入したウイルスを撃退する。ウイルスが感染するには細胞内に一定量以上のウイルスが侵入する必要があり、侵入したウイルスの全てが感染性を持つわけではない。ネコの病原性コロナウイルスであるネコ伝染性腹膜炎ウイルスはだいたい1万個の感染性ウイルス粒子が必要で、1個や2個のウイルス粒子で感染は成立しない。擦り切れるほど手を洗わずとも、サッと洗ってウイルスを流しておけば感染のリスクは減る。
しかし、新型コロナの流行にまで至っていなかった2020年の2月後半、首相が突然、小中高校を一斉休校にすると決め、ここから日本のコロナ対策の歯車が狂っていく。この頃、感染して亡くなるのは高齢者や基礎疾患を持つ人々が中心で、「新型コロナで子供が亡くなることはほぼない」と分かっていた。行政は濃厚接触者を追い始めた。致死率の高いSARS、MERS、エボラ出血熱などは早急な追跡・隔離が必要となるが、致死率の低い新型コロナでは接触者の特定に膨大な手間がかかるだけで意味がない。実際、陽性者の増加とともに対策は形骸化していった。その結果、濃厚接触者に該当すれば一律に隔離し、医療機関に勤める医師や看護師もPCR検査陰性でも診療から外された。PCR検査はウイルスのRNAを検出するだけで、陰性であればウイルスはいない。陽性ではウイルスが多いか少ないかに分かれ、少しだけなら他人にうつすこともこともなく問題はない。濃厚接触者でも無症状であれば咳も出ていないわけだから、長時間会話しない限り他人にうつす心配はない。ウイルス学者の常識を他の医師は知らず、そういった医師たちの意見で国の政策が決められた。人流を減らすのは一番避けるべき最後の手段であるが、それを最初にやってしまった。 感染の基本再生産数を中心から外へ向かう同心円でイメージすると、実効再生産数(Rt)は外へ向かうほど低くなる。中心を(1)特殊な夜の街、Rt2>、(2)集団生活、騒々しい飲食店Rt1〜2、(3)一般生活Rt0.05〜1、(4)1/100作戦の実践者Rt〜0.05、(5)巣ごもりRt0、一般生活者はRt1以下で、1/100作戦を実践するだけで飛躍的に実効再生産数は低下する。1/100作戦で済むところ(5)巣ごもりさせる対策であった。同心円の、どの領域の人にどのような対策や注意を促すかが重要だ。「風邪の予防対策プラスα」ていどでよかった。新型コロナより問題なのがワクチンだ。
超過死亡数を見ると、2021年9月までの死亡数は約6万人以上になり、特定はできないが心臓・血管の異常が死因になるケースが増えている。この件について厚生労働省のサイトに以下の見解が出されている。 「mRNAワクチン接種後、頻度としてはごく稀ですが、心筋炎や心膜炎になったという報告がなされています。軽症の場合が多く、心筋炎や心膜炎のリスクがあるとしても、ワクチン接種のメリットの方が大きいと考えられています」 「ごく稀、軽症、メリット」の語句に国民への思いやりはなく、己の保身が如実に表れた名文だ。30代、40代の若年性心臓系疾患が増えており、世界的な傾向にある。
基礎疾患があるからこそワクチン接種は危険という考えもある。ワクチン接種を重ねるたびに副作用が増し免疫力の低下が懸念される。接種後1週間くらいたってから起こる様々な症状もワクチンとの関連性が疑われ、遅延型免疫反応と呼ばれる。帯状疱疹、呼吸困難、意識不明、ブレインフォッグ(脳に霧がかかったような状態)で仕事に支障をきたす...など、mRNAワクチンの様々な副作用や後遺症が報告されているが、国は評価不能としてワクチンとの関連を認めない。
ワクチンを接種すると、すでに身体に備わった細胞性免疫がスパイクタンパク質を出す細胞を攻撃する可能性がある。神経、血管、心臓が免疫に攻撃されどのような障害が起こっても不思議ではない。ワクチン接種で細胞性免疫ができるので、さらに接種回数が増えると、より大きな副作用がでることが考えられる。妊婦がワクチンを接種すると胎児がmRNAワクチンを取り込み、スパイクタンパク質によるダメージを受ける可能性がある。治験期間も治験数も少ない急造の劇薬ワクチンは、未知の領域がありすぎて、それが避けるに足る十分な証拠だ。 新型コロナの流行期を通して様々な本やネット発信に触れ、専門家、一般人を問わず多くの人々の考えや行動に啓発され、失望もした。人の言動は大きく二つに分かれ、人となりをあぶりだした。信条を頑なに守る人が、テレビのCMくらいであっさり行動を変える。ネット検索もでき、本も良く読み、知性に富む人が7回目の接種の列に並ぶ。賢者の愚行とでもいうべきか。副作用の報告を処理する政府関係者、製薬会社の人々の接種率はいかほどだろうか?これから国や医薬品業界の動向を注視し、警戒を怠らないようにしたい。健康産業であるまえに株主や利権団体を抱える普通の企業なのだ。健康に貢献するとはいうが、利益は確実に追求する。ワクチンは健康人にまで売ることのできる医薬品ビジネスともいえよう。最近、第一三共の新型コロナワクチンが承認された。続いて明治HDの新型コロナワクチンも承認され、12歳以上の追加接種に使うらしい。レプリンコン・ワクチンと言われ、少量の接種でも体内で増殖し抗体が持続的に作られ、副作用も軽減されると謳っている。陰謀論のひとつにワクチンを使うためにコロナウイルスが作られたという話がある。製薬会社がそこまで悪事を働くとは思わない。しかし、陰謀論が本当なら濡れ手に粟ではないか。加えて新型コロナでワクチンへの依存が高まったのに乗じ、一度は息絶えた子宮頸がんワクチンのキャンペーンが復活した。年末の薬剤師会報に「小学6年から高校1年まで公費で接種できる」という大きなポスターが同封された。「これを薬局の店頭に貼って啓発に努めよ」ということだ。女性だけでは飽き足らず、性感染症予防のために、男性への子宮頸がんワクチン接種まで促す。
感染してすぐに発症するウイルスもあるが、新型コロナは発症する人としない人がいる。感染が成立するには大量のウイルスが必要だ。その量を少し超えたとき軽い症状が出て増えるにつれ症状は重くなる。まず「少ないウイルス量を鼻とのどに感染させて、免疫を高める」。鼻粘膜やのどが防波堤となって免疫機能が始動する。ウイルスが拡がり全身に回った頃には免疫がある程度発動し症状を軽くすることができる。宴会で大声を出して酒を飲んだり、人混みで大きく息を吸い込むといきなり肺に到達し、鼻とのどで免疫が発動する暇がない。100分の1作戦でウイルス量を減らすことを心がけると、「鼻の奥の乾燥」、「少しのどが痛い」、「鼻水が少し出る」くらいで治ることもある。ウイルス学者がいう、「自然免疫を高める」の提言には深い意味と思いがある。 |