【読書録(21)】-2024-


薬に頼らず対話によって病気を治す本
原発と地震
読むワイドショー
ウイルス学者の責任

薬に頼らず対話によって病気を治す本 笠木伸平

対話によって治る病気もなくはないだろうけど、すべては無理だろう。いったいどんな技法が書かれているのか興味津々で本を開く。結論から言えば期待外れのパンフレット本だった。病院での待ち時間は長く、ようやく順番が来ても診療にかかる時間は数分から10分くらいだ。対話を重視する精神科でさえ、おおむね5分から10分ていど。初診の場合は20〜30分程度の時間をとってくれるが、もっと話したい患者はカウンセリングを勧められ、1コマの予約で通常45〜50分ほど話せる。医師ではないので治療に結び付くかどうか分からない。

一般に、患者さんに対し上から目線とされる医師は、患者さんの感情や思考に耳を傾けることなく、指示、命令、アドバイスを行いがちです。それらは患者さんの行動変容への意欲につながらないばかりか、患者さんに「従いたくない」といった感情、抵抗を招くことさえあります。そういう医師は、患者さんの行動とそれにつながる感情や思考を否定しているのです。

2000年前後からインフォームド・コンセントといい医療機関での説明が詳しく丁寧に行われるようになった。医療ヒエラルキーの頂点に立つ医師の権威主義的振る舞いを改め患者の自己決定権や選択の自由を尊重するという理念だ。20年経ち確かに説明は十分なされるが、別の方法又は診療をしない選択が示されることはなく、患者の苦情封じの儀式のようでもある。医師の振る舞いは変わっても、診療に患者の選択権はなく20年前と大差ない。医師が主導する治療において期待する効果が得られなかったり、患者さんが前向きに治療に取り組めなかったりする例がたくさん見受けられる。医師に気に入られたいがために、あるいは嫌われないための同意では患者さんの治療への意欲は削がれる。1900年代前半、C・R・ロジャースという臨床心理学者が「クライアント中心療法」を提唱した。当時は多くの治療家がこの「非指示的療法」に疑問を抱いたが、本質は患者さん自身が自分の問題と向き合い解決の方法をアドバイスし勇気づけることにあった。

ロジャースの考えに触発されて、私はクリニックで薬物をなるべく使わず、患者さんと対話しながら一緒に治療していく方法を本格的に始めました。中には「話なんていいから早く薬だけ出して」という方もいますが、薬を使いすぎない患者さんの方が、たとえ試行錯誤を繰り返すことになっても、より目覚ましい回復をみせています。

長く慣らされた医療行動や観念は突然変えられず、多くの患者さんは薬を欲しがるだろう。いままでは薬が悩みや不安、心の問題を解決する助けになっていたのかも知れない。対話によって病気を治すには患者の心の切替が必要となる。プラシーボ(偽薬)と分かっていても薬を求める人がいる。薬は養生や対話など癒しに関わるものの代名詞でもある。対話だけで病気を治す本と思って読み始めるが、「対話だけ」と早合点していた。あくまでも「対話によって」なのだ。

病気の治療は西洋医学の専売特許ではありません。ほかにも、中医学、アーユルヴェーダ、波動医学、瞑想、レイキほか、代替医療と呼ばれる治療の種類は多岐にわたります。また、食事療法、運動療法にも、多くの考え方や方法があります。

10ページ目でタイトルとは違った本の主旨が分かった。代替医療に取り組む医師の熱い思いを伝えるものである。代替医療の本やwebサイトはたいがい西洋医学や現代医療の批判や不都合から始まる。本書は患者の話を十分に聞かない一般医師への批判から「対話による治療」の提案へと展開していく。死因別一位の「がん」の治療についての著者の見解は「手術で取り切れる場合、抗がん剤が初期に効いて完治する場合には、西洋医学的な治療が有効である」という。しかし、再発や初期治療がうまくいかないと西洋医学的な治療が逆に悪化を招く危険がある。食事などの生活習慣や環境要因はいうまでもないが、以下は対話で治すための心理的要因だ。

進行がんの患者さんのほとんどが持っている感情が、怒りと憎しみです。自分に対する、あるいは周りの人に対する、両親に対する、憎しみや怒り。この感情を、本人が自覚しているとは限りません。いずれにしても、怒りや憎しみにとらわれている自分のことが嫌だし、そういった自分を、どこかで解放したいと思っています。

解放したい半面、自責や他責で怒りと憎しみを持ち続けることへの慣れと執着で身動きが取れない。この状態が長く続き、年月とともにがんになるリスクが高まる。幼い頃の養育者や近親者との関係で怒りや憎しみがトラウマとなり、そういった自分を許し、心を解放することで体質は改善される。他の病についても負の感情が病気の誘因となり、治癒を妨げるという。存分に話を聞き、気づきをもたらすことで病気を治す。古くは周囲の知人や友人が話を聞いたが、最近は職業化されたカウンセラーがあたる。幼い頃より以前、生まれる前の話は前世の因縁などと称し、祈祷師や占い師が役を担う。これも対話によって病気を治す方法のひとつだ。祈祷で治った人を奇跡的治癒として身近に見聞することがある。対話に近いものでは近藤誠氏が放置療法を提案されている。がんの治療に関して専門家としての話を伝え、必要なら西洋医学も利用するという立場だ。対話による治療だから、時間の許す限り「おしゃべりしましょう」では徒労に終わる。人が頑なに信じ込んでいるものを、話だけで改めさせるのはマインドコントロールを解くほど難しく、それには特別な技術と時間と労苦を要する。これを保険診療の制約の中で行なうのはほぼ不可能だ。

そこで、保険診療とは別の選択肢として登場するのが、「自由診療」です。自由診療は、医療保険制度を用いない診療を指します。治療に決まりや制限はなく、患者さん一人一人に合わせた医療サービスを受けられます。先端医療や個別医療、未病医療、予防医療はすべてこちらに含まれます。

最終章あたりに書かれていたので、著者のクリニックを検索してみた。料金の項目をみると「診察・薬を使わない各種治療の相談15分/¥11000、60分/¥40000」とあり、何やら薬みたいなものが販売され、間葉系幹細胞培養上清液が1か月で¥88000とある。1時間おしゃべりして○○液を買って帰ると128000円、パートの月収は1時間で底をつく。労苦を尽くして得た1か月分が医師との会話の1時間に足りないのだ。このクリニックは余裕ある人のための医療を提供するところだ。負担率10〜30%の保険診療費さえ払えず診療を躊躇する人には見果てぬ貴族の医療である。

もっと良い治療法はないか、もっと費用のかからない治療法はないかと考えるのが治療家たるものと思う。ヒューマニティあふれ話も存分に聞くという名医が「そのためには自費診療で..」と語る違和感はぬぐえない。医療費の負担にも限度のある人々を保険診療と時間の制約のなかで診療する医師を権威主義とよべるのか。癒しは熟達した名医や奇を衒う代替医療で起こるとは限らない。未熟な治療家でも起こり、自己治癒もあり、祈祷師や友人の助けでも起こる。なんでも治せると優しくささやく治療家のもとへ向かうときは保険が利くか、費用はいかほどか確かめたほうがいい。話だけでは治らず、治療のためにと揃えた様々な物品のデパートだったりする。各種療法や癒しのアイテムを用いても、病気に対応できることと治ることは違う。難病と格闘する治療家は讃えられるものだが、もともと治癒率の低い難病や老化には限界がある。

 

原発と地震

元日の夜、テレビを見ていると突如、地震速報.. まもなく番組は中断され能登半島の地震を知る。正月で家族、親族が集まり宴会の最中だったかも知れない。1年でもっとも楽しく、くつろいだ場所から一瞬で奈落に突き落とされる。予測のつかない災害は不条理かつ無情だ。テレビを見ながら炬燵の中で心配する自分に嫌悪さえ覚えた。

被災地の被害状況や避難生活が報道されるたびに13年前の東日本大震災が蘇る。国土地理院の資料では日本には約2000の活断層があるとされるが、それは地表から確認できるものであって地下深く隠れた未知のものを入れると30000本にもなるという。日本はどこでも大きな地震の起こる可能性があるのに52基の原発を建ててしまった。福島の原発事故は津波による電源喪失が原因として、その対策さえとれば原発は再稼働できるといい13年が過ぎた。事故後、原発ゼロの期間が1年以上続き、東日本においては10年以上もゼロ期間が続いた。原発ナシでも暮らせることを震災から学んだ。当時、民主党政権は20年後の原発廃止を決めた。民主党政権が続いていたら、あと7年で脱原発を成し遂げた。しかし、政権を奪取した自公党政権は廃止を覆したばかりではなく、老朽化原発を60年も稼働させることにした。

地震は津波の警戒も必要だが、先に揺れが起こる。大地が上下左右に波打つように揺れて山は崩れ大地は割れ、多くの建物が倒壊した。原発の建屋やプラントは牢固で安全といえるだろうか。2007年の新潟中越沖地震では柏崎刈羽原発の構内の至るところで陥没が起こり、火災や水漏れ機械の破損・変形が見られた。今回は志賀原発で変圧器などのトラブルが起こっている。

石川県が北陸電力志賀原発の重大事故時の避難ルートに定めた高国道や県道計11路線のうち、過半数の7路線で能登半島地震に伴う崩落や亀裂による通行止めが起きたことが30日、共同通信社の集計で分かった。2月1日で発生1カ月となるが、一部で寸断が続く。また、原発周辺9市町の住宅被害は2万軒超。屋内への一時退避も組み合わせ、30キロ圏外へ確実に逃げる計画の実効性が揺らいでいる。(佐賀新聞 2024.1.31)

志賀原発は幸い2011年から稼働していなかったが、ここで大きな事故が起これば、道路も家屋も崩壊し、逃げ場を奪われる。今回の地震では最大8地区約400人が8日間孤立状態にあったことが分かった。避難の予行練習など机上の空論であって稼働のためのアリバイ作りの意味さえない。佐賀の玄海原発の避難計画では人口8000人の町へ10000人を超える被災者を避難させるという。しかし、道路が寸断され家屋が倒壊すれば机上の空論さえ成り立たない。地震に対して原発は無力で、原発を建てることが破滅の一歩だ。くりかえすが30000本といわれる活断層の上に52基もの原発を建て危機感はないのか、それを60年も稼働させて恐怖は感じないのか。志賀原発は震度5で他地区より揺れは少なかったが変圧器が2台損傷し、復旧には半年以上かかるという。電源は他のルートで確保されたが、それが得られなければ大惨事となった。他にも水位の上昇、油漏れなど、発表する情報が二転三転し不信感を抱いた住民は少なくない。

【珠洲原発計画】関西と中部、北陸の電力3社が1976年に構想を発表した。関電が高屋地区に、中部電が寺家(じけ)地区にそれぞれ100万キロワット級の大型原発を建てる計画だったが、住民らが反対運動を展開。電力需要の伸び悩みもあり、2003年に凍結された。

珠洲原発は能登半島地震の震源近くに建設が計画されていた。予定地であった石川県珠洲市高屋町は、今回の地震で住宅の大半が壊れ、陸路も海路も閉ざされ孤立状態になった。もし、珠洲原発計画が実現し稼働していたら、原発は崩壊し避難も屋内退避もできなかった。

能登半島地震は22日で発生から3週間になる。被災地では道路が寸断され、多くの集落が孤立した。かつて「珠洲原発」の予定地だった石川県珠洲市高屋町も孤立。住民が市外に逃れるのに10日余りを要した。計画は住民の反対を受けて2003年に凍結されたが、「珠洲原発があったら、避難どころじゃなかった」。反対運動の中心的存在だった地元の僧侶・塚本真如(まこと)さん(78)が、避難も屋内退避もできない状況を振り返った。
(2024.1.22/東京新聞)

「もし高屋に原発が造られていたら、もっと悲惨な状況になっていたやろうな、止めて本当に良かった」。塚本さんは揺るぎない口調で語った。1975年に発表された計画は住民の反対運動とそれを切り崩す電力会社との28年に及ぶ闘争の末、2003年12月に凍結された。塚本さんは「あと1年粘られたら、つぶれとったのは僕らの方やった」と述懐する。

関電が建設計画を進めた高屋地区では当初、住民のほとんどが反対していたという。そこへ関電側が住民の懐柔に動いた。「タダで飲み食いさせたり、原発視察名目の接待旅行に何度も招いたり。芸能人を呼んだ住民向けのコンサートも開かれた。僕は一度も行かなかったけど、最後は住民が飽きて視察に参加しなくなるほどだった」

関電は地域の祭りの奉納や施設建設のため多額の寄付もした。原発予定地の賃貸料で億単位のお金を得た住民もいて、一人また一人と賛成へ回り地域は分断されていく。89年5月、関電は原発建設に向け高屋地区の現地調査に乗り出す。塚本さんら住民は調査に入ろうとする関電の車列を阻止し、市役所で約40日間にわたる座込み抗議を始めた。この頃から原発を巡る住民の対立が激化し、毎年開催される秋の住民運動会が中止された。「反対派の店で物を買うな」の不買運動も起こる。無言電話や盗聴などの嫌がらせが10年以上も続く。ときには推進派に包丁を突きつけられたこともあった。それでも、塚本さんは、「絶対に推進派の個人攻撃だけはするな」と周囲に言い続けた。ついに2003年12月、関電は計画の凍結を発表した。

今回の能登半島地震で珠洲原発の予定地だった高屋地区の海岸線は数メートル隆起した。もし原発があったら大打撃を受けた可能性もあった。

塚本さんは淡々と語る。「言葉を尽くすより、あの様子を見て想像がつくでしょう。やっぱり日本に原発を造れるところなんてどこにもないね、と」   

13年前の福島原発の事故は電源喪失が原因といい、予備電源を備え防潮堤を築くことで稼働させようとするが、大間違いだ。本当の脅威は地震による想定外の揺れで起こる地割れや隆起だ。原発は断層のない安定した地盤の上に設置するのが最低限の安全対策だ。地割れや隆起が起これば原発ならずとも持たない。志賀原発は震度5で他地区より揺れは少なかったが、変圧器が損傷し復旧に半年以上かかる。能登半島は地震群発地で次の大きな地震の発生確率は平常時の60倍ほどに高まっている。志賀原発1号機の直下には活断層の存在が指摘されているが北陸電力は「過小評価」を繰り返し、稼働を画策してきた。次に起こる地震は大丈夫か?

珠洲原発計画において、もし能登の人々の反対運動がなければ、日本は原発事故で終りを迎えたであろう。命がけの反対運動に賛成・反対の立ち場を超え感謝すべきだ。

 

読むワイドショー パオロ・マッツァリーノ

肩書は日本文化史研究家・謎の社会学者と書かれているが、「プロフィールはでたらめだが本文内容にウソ偽りはない」と著者は言っている。タレントが政治を語り、音楽家、アスリートが思想を語り、世相を論評する。有名人のコトバは薄ぺらであっても影響力は大きい。彼らはコメンテーターと呼ばれ、ワイドショーやニュース番組に顔を見せ思いを語る。著者はワイドショーはほとんど観ず、テレビニュースは毎日、9割がたNHKを観るという。なるほど、私も同じだ。NHKはうざいコメンテーターが出演しない。民放ではニュース番組にもコメンテーターが出演し自分の専門分野を超えて口をはさむ、始終ざわざわBGMが流れ、CMで話は寸断される。NHKが公正かつ有益な放送とは思わないが、時刻と出来事を知るには静かで無駄がない。NHKのコメンテーターは解説員と呼ばれ長く記者などを務め、それぞれの専門分野の知識や取材経験をもとにニュースの解説をおこなう。

不思議なことに、NHKは左右両派から「不偏不党を守れ!」と批判されてるのですが、まさにそれこそが、NHKが中立に近いところにいるという、なによりの証拠です。

「マジすか?」と思わないではないが、解説員は民放のコメンテーターとは明らかに違い、国営放送の矜持を備えている。メディアで専門家といえば50〜60年代までは一目置かれる存在であったが、70〜80年代はカジュアル化して専門家から感想屋へと移り変わった。80年代末には各テレビ局が土・日のニュースワイドショーを相次いで始め、司会はタレントやお笑い芸人を起用しコメンテーターも有名人を呼ぶケースが増えた。視聴率を稼ぐためニュースまでワイドショー化していく。

彼らの言葉はヤジ馬的な庶民レベルの感情論的レトリックにすぎないのでは?と某局のプロデューサーに問いただしたところ、視聴者に「あんな有名な人でも私たちの考えと変わらないのね、安心した」と思える線を狙っているという明確な返答があったそうです。

ワイドショーは視聴者に受け、狙い通りの大当たりだった。きっぱりと断定してくれる人、どんどん憶測してくれる人、話がわかりやすく面白い人、感じが良くて魅力的な人がコメンテーターの基準になる。作家の嵐山光三郎はコメンテーターが多用する紋切型5パターンをあげ、これだけでいけると揶揄した。

  1. 凶悪犯には「信じられない精神状態」
  2. 政界汚染には「公僕として許されざる行為」
  3. 援助交際には「戦後高度成長のひずみ」
  4. いじめには「思いやりの心」
  5. 有名人の死には「おしい人をなくした」

よくわからない、答えられない、興味がないとは絶対言わず、あらゆることの原因や理由を指摘し、意見を述べるのがコメンテーターだ。5つのパターンを心得ておけば誰でもそこそこの役割が果たせる。50年代、評論家・大宅壮一はテレビの普及で「一億総評論家時代が到来する」と予言したが、ネットの普及までは予測できなかった。今まさに一億総コメンテーター時代が到来し、テレビは時代遅れと思いきや、ワイドショーはいまだ盛んでコメンテーターも意気軒高だ。

ワイドショーでは有名人や漫才師が政治を笑いに変えて批判・風刺する。権力者の愚かさを笑う風刺画や漫才は古今東西最強のネタであり、戦時中、漫才師たちは「国や軍部の方針に沿った漫才」をやるよう命令された。しかし権力におもねるネタで客が笑うはずもなく、漫才師は巧妙に国や軍部を揶揄するネタを埋め込んだ。彼らは大衆の熱烈な支持を得る一方で権力側からの圧力にさらされた。権力への批判を嫌う大衆の一部には、姑息な揚げ足取りで妨害する者もいた。最近はネット右翼(ネットウヨ)と呼ぶが、ネットが普及する以前から現在のような活動が続いている。

たとえば、芸能人が気にくわない政治発言をしたことに腹を立てた視聴者が、番組のスポンサー企業に電話してあのタレントを降ろせ、などと攻撃する手法、最近では電凸などと呼ばれますが、これは昭和時代からありました。現代のネットウヨは、先輩たちの伝統的な手法を受け継いでいるだけなんです。

これを業務としておこなう会社がワンズ社・「Dappi」だ。自民党や維新の会などへの賛同や動員を行い、立憲民主党や共産党の国会議員への誹謗中傷や批判を繰り返し行っていた。顧客は主に自民党で最近、ドリル優子こと小渕優子氏がこの会社に毎年数十万円の手数料を払っていたことが発覚した。この会社は昨年、立憲民主党の議員から誹謗中傷で訴えられ、損害賠償を命じる判決が下された。安倍政権が長く続いた理由は人望や能力ではなく、最初からNHKや司法を懐柔しネットやマスコミ対策に執心したからだ。それが卓越した能力だったと言えなくもない。政権に批判的なタレントやコメンテーターは干され、失われた10年で幇間だけが残った。

日本では2000年代以降、公の場やメディアで政治発言・政権批判を口にする芸能人・有名人が激減したために、少数の過激な保守層の発言が相対的に目立つようになり、穏健派の保守もそっちの流れに引きこまれてしまってるのです。

影響力のある芸能人・有名人は政治批判を口にすべきではない、と言う者がいるが、政治批判は民主主義国家で保障された自由である。強力な政治批判を封じたい勢力側から出てくる俗説だ。しかし、これをまことしやかに受け止めたのか?70年代以降は世間の政治熱は冷め、80年代になると政治を語るのがダサいという風潮が高まり、芸能人も大衆の流れに従った。政治批判が少なくなると勇気ある発言者が目立つため、集中して標的にされ恫喝や暴力で発言を封じられる。嵐山氏のコメンテータ、5パターンは配慮ある安全運転のガイドとして磨きがかかり、無難にコメントするタレントや有名人に倣い街の人々も似たように語り、政治や社会が分かった気になる。大宅壮一は一億総評論家と言ったが、一億総白痴化とも言った。白痴化を避けるためテレビ・新聞は見ないという人もいるが、ネットでも同じことがより広範かつ執拗に起こる。特にネットでは様々な出来事や言動が炎上の対象となり、それをワイドショーのごとく大衆が消費する。有名芸人が後輩や弱者を貶めて笑いをとるような番組に拍手喝采し、政治の批判はしても相変わらず政権与党を支持する。これを一億総白痴化といわずして何と言おう。誰もが「オレは白痴ではない」と思っているが、生活は厳しい、住みにくい世を変えたいという炎上は起こらない。ほどほどにワイドショーを愉しみ、不満は抱いても大衆運動まで発展しないことが、政権の勝利を意味するのかも知れない。

 

ウイルス学者の責任 宮沢孝之

4年前の年明け、新型コロナウイルスが日本に上陸。昨年春、ようやく規制のない日々に戻った。ダイヤモンド・プリンセス号が新型コロナウイルスの発端となった。全員にPCR検査をしたところ驚くほど陽性率が高く、乗員・乗客約3700人中、陽性者は700人以上、率にして20%。SARSなみに10%の致死率だとすると、感染が広がった場合、70人くらいの死者が予想された。その後、感染者のうち13人の死亡が判明し、致死率はSARSほど高くない。乗員・乗客の検査の結果、無症状者が多いことも分かった。無症状者が多いと水際対策は困難になる。症状の出ていない感染者がすでに入国している可能性があり、国内感染の蔓延を完全に抑えるのは無理である。1人の感染者が平均何名に感染させるかの推定値を基本感染数といい、3月に報告された。ヨーロッパで2.5、日本で1.7くらい。大きな数字ではなく、例えば麻疹ウイルスで12〜18、インフルエンザで2〜3程度とされる。

感染力や致死率の高いコロナウイルスであれば別ですが、基本再生産数が1.7くらいの感染力で、致死率がSARSほど高くないコロナウイルスであれば、「知識で感染の広がりを止めることは可能」というのが私の見方でした。

著者が考えたのが「100分の1作戦」だ。感染が成立する量は決まっていないが、通常の感染ルートで暴露されるウイルス量を100分の1くらいに減らせば、感染する確率が極めて低くなる。「手洗い」、「マスク」、「換気」の3つを効果的に実行すればウイルスを100分の1以下に抑えることができる。感染門戸といわれる目・口・鼻にウイルスが付着しても直ちに感染は成立しない。さらにヒトの細胞内にも抵抗物質があり、侵入したウイルスを撃退する。ウイルスが感染するには細胞内に一定量以上のウイルスが侵入する必要があり、侵入したウイルスの全てが感染性を持つわけではない。ネコの病原性コロナウイルスであるネコ伝染性腹膜炎ウイルスはだいたい1万個の感染性ウイルス粒子が必要で、1個や2個のウイルス粒子で感染は成立しない。擦り切れるほど手を洗わずとも、サッと洗ってウイルスを流しておけば感染のリスクは減る。

日本は基本再生産数が1.7くらいでしたから、欧米諸国ほど急激に広がっていかないことを示しています。特別な行動制限はしなくても「100分の1作戦」を推進すれば、感染の広がりを医療崩壊しないレベルに抑制できると考えられました。ウイルスの性質を考えると、通常より少し行動制限を加える程度で十分だったのです。

しかし、新型コロナの流行にまで至っていなかった2020年の2月後半、首相が突然、小中高校を一斉休校にすると決め、ここから日本のコロナ対策の歯車が狂っていく。この頃、感染して亡くなるのは高齢者や基礎疾患を持つ人々が中心で、「新型コロナで子供が亡くなることはほぼない」と分かっていた。行政は濃厚接触者を追い始めた。致死率の高いSARS、MERS、エボラ出血熱などは早急な追跡・隔離が必要となるが、致死率の低い新型コロナでは接触者の特定に膨大な手間がかかるだけで意味がない。実際、陽性者の増加とともに対策は形骸化していった。その結果、濃厚接触者に該当すれば一律に隔離し、医療機関に勤める医師や看護師もPCR検査陰性でも診療から外された。PCR検査はウイルスのRNAを検出するだけで、陰性であればウイルスはいない。陽性ではウイルスが多いか少ないかに分かれ、少しだけなら他人にうつすこともこともなく問題はない。濃厚接触者でも無症状であれば咳も出ていないわけだから、長時間会話しない限り他人にうつす心配はない。ウイルス学者の常識を他の医師は知らず、そういった医師たちの意見で国の政策が決められた。人流を減らすのは一番避けるべき最後の手段であるが、それを最初にやってしまった。

感染の基本再生産数を中心から外へ向かう同心円でイメージすると、実効再生産数(Rt)は外へ向かうほど低くなる。中心を(1)特殊な夜の街、Rt2>、(2)集団生活、騒々しい飲食店Rt1〜2、(3)一般生活Rt0.05〜1、(4)1/100作戦の実践者Rt〜0.05、(5)巣ごもりRt0、一般生活者はRt1以下で、1/100作戦を実践するだけで飛躍的に実効再生産数は低下する。1/100作戦で済むところ(5)巣ごもりさせる対策であった。同心円の、どの領域の人にどのような対策や注意を促すかが重要だ。「風邪の予防対策プラスα」ていどでよかった。新型コロナより問題なのがワクチンだ。

2022年1月までにワクチン接種後に死亡された事例は1449人と報告されています。

その件数も氷山の一角だといえます。報告されるのは、ワクチン接種後2週間以内ぐらいに亡くなった方だけで、接種後1カ月、2カ月に死亡した方は報告されません。mRNAワクチンを接種して3カ月以内に亡くなった方の数は、この数字をはるかに超えるでしょう。

超過死亡数を見ると、2021年9月までの死亡数は約6万人以上になり、特定はできないが心臓・血管の異常が死因になるケースが増えている。この件について厚生労働省のサイトに以下の見解が出されている。

「mRNAワクチン接種後、頻度としてはごく稀ですが、心筋炎や心膜炎になったという報告がなされています。軽症の場合が多く、心筋炎や心膜炎のリスクがあるとしても、ワクチン接種のメリットの方が大きいと考えられています」

「ごく稀、軽症、メリット」の語句に国民への思いやりはなく、己の保身が如実に表れた名文だ。30代、40代の若年性心臓系疾患が増えており、世界的な傾向にある。

30代、40代ではmRNAワクチンを接種しなくてもよかったと考えています。高齢者で、特に基礎疾患がある方は接種したほうがよいともいえるが、それ以外の方は接種しなくてもよいのではないか、特に子供に接種するのは絶対にやめてほしいというのが私の見解です。

基礎疾患があるからこそワクチン接種は危険という考えもある。ワクチン接種を重ねるたびに副作用が増し免疫力の低下が懸念される。接種後1週間くらいたってから起こる様々な症状もワクチンとの関連性が疑われ、遅延型免疫反応と呼ばれる。帯状疱疹、呼吸困難、意識不明、ブレインフォッグ(脳に霧がかかったような状態)で仕事に支障をきたす...など、mRNAワクチンの様々な副作用や後遺症が報告されているが、国は評価不能としてワクチンとの関連を認めない。

日本や東アジア諸国で欧米よりも感染率が低いのは、過去に旧型コロナウイルスや新型コロナウイルスと似た未知のウイルスが流行し、それによって細胞性免疫を獲得し、新型コロナウイルスに対して交差免疫として働いて、感染や重症化を抑制しているためではないでしょうか。

ワクチンを接種すると、すでに身体に備わった細胞性免疫がスパイクタンパク質を出す細胞を攻撃する可能性がある。神経、血管、心臓が免疫に攻撃されどのような障害が起こっても不思議ではない。ワクチン接種で細胞性免疫ができるので、さらに接種回数が増えると、より大きな副作用がでることが考えられる。妊婦がワクチンを接種すると胎児がmRNAワクチンを取り込み、スパイクタンパク質によるダメージを受ける可能性がある。治験期間も治験数も少ない急造の劇薬ワクチンは、未知の領域がありすぎて、それが避けるに足る十分な証拠だ。

新型コロナの流行期を通して様々な本やネット発信に触れ、専門家、一般人を問わず多くの人々の考えや行動に啓発され、失望もした。人の言動は大きく二つに分かれ、人となりをあぶりだした。信条を頑なに守る人が、テレビのCMくらいであっさり行動を変える。ネット検索もでき、本も良く読み、知性に富む人が7回目の接種の列に並ぶ。賢者の愚行とでもいうべきか。副作用の報告を処理する政府関係者、製薬会社の人々の接種率はいかほどだろうか?これから国や医薬品業界の動向を注視し、警戒を怠らないようにしたい。健康産業であるまえに株主や利権団体を抱える普通の企業なのだ。健康に貢献するとはいうが、利益は確実に追求する。ワクチンは健康人にまで売ることのできる医薬品ビジネスともいえよう。最近、第一三共の新型コロナワクチンが承認された。続いて明治HDの新型コロナワクチンも承認され、12歳以上の追加接種に使うらしい。レプリンコン・ワクチンと言われ、少量の接種でも体内で増殖し抗体が持続的に作られ、副作用も軽減されると謳っている。陰謀論のひとつにワクチンを使うためにコロナウイルスが作られたという話がある。製薬会社がそこまで悪事を働くとは思わない。しかし、陰謀論が本当なら濡れ手に粟ではないか。加えて新型コロナでワクチンへの依存が高まったのに乗じ、一度は息絶えた子宮頸がんワクチンのキャンペーンが復活した。年末の薬剤師会報に「小学6年から高校1年まで公費で接種できる」という大きなポスターが同封された。「これを薬局の店頭に貼って啓発に努めよ」ということだ。女性だけでは飽き足らず、性感染症予防のために、男性への子宮頸がんワクチン接種まで促す。

一番免疫効果が高いのは自然に感染することだと考えています。これまでの研究からでもそれは明らかだと思います。

感染の仕方として望ましいのは、ウイルスを鼻とのどで受け止めることでしょう。

感染してすぐに発症するウイルスもあるが、新型コロナは発症する人としない人がいる。感染が成立するには大量のウイルスが必要だ。その量を少し超えたとき軽い症状が出て増えるにつれ症状は重くなる。まず「少ないウイルス量を鼻とのどに感染させて、免疫を高める」。鼻粘膜やのどが防波堤となって免疫機能が始動する。ウイルスが拡がり全身に回った頃には免疫がある程度発動し症状を軽くすることができる。宴会で大声を出して酒を飲んだり、人混みで大きく息を吸い込むといきなり肺に到達し、鼻とのどで免疫が発動する暇がない。100分の1作戦でウイルス量を減らすことを心がけると、「鼻の奥の乾燥」、「少しのどが痛い」、「鼻水が少し出る」くらいで治ることもある。ウイルス学者がいう、「自然免疫を高める」の提言には深い意味と思いがある。

 

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