【読書録(16)】-2019-


昭和・平成精神史
薬物依存症
福島第一原発--真相と展望
発達障害グレーゾーン
「右翼」の戦後史
医者の本音
幻覚の脳科学
沖縄報道
身体知性
代替医療解剖
日本が売られる

昭和・平成精神史 磯前順一

今年8月、ある催しがわずか3日間で中止された。あいちトリエンナーレで開催された「表現の不自由展」を視察した河村市長は「表現の不自由という領域ではなく、日本国民の心を踏みにじる行為であり許されない」と抗議した。主催した愛知県の大村知事は「公的な行事だからこそ憲法に則り表現の自由は保障されなければならない」とコメントした。賛否両論飛び交い、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫FAXや県職員個人への誹謗中傷が相次いだ。その後も「表現の自由」が脅かされる事態が相次ぎ、10月27から神奈川県川崎市で行われた市民映画祭「KAWASAKIしんゆり映画祭」で慰安婦問題を題材にしたドキュメンタリー映画「主戦場」(ミキ・デザキ監督)の上映も中止になった。

近年の日本社会は、政治家の収賄疑惑、改憲による平和憲法の破棄への動き、極端なアメリカ追随政策などに如実に見られるように、社会通念としての公平さや正義の理念が放棄されつつあります。

いままでも見られたことだが、その都度厳しい世論によって反省を余儀なくされ、ときには辞任、辞職などの責任をとった。しかし、最近の政治家は責任を取ろうともせず、開き直り「役割を果たすことが責任」だと詭弁する。多くの評論家は「戦後精神の衰退」と見るが、著者は「戦後社会の行き着いた姿」だという。「戦後社会の行き着いた姿が、戦後精神の衰退」とつなげてもよさそうだ。

ところで戦後とはどのような意味を含むのか。戦後といえば「戦争の影響下にとどまっていいる段階」のことで戦争の影は消えない。逆に「戦争の影響を脱した段階」との意味もあり、現在、私たちが考える戦後であろう。日本は平和で自由で自立した時代を謳歌しているのかもしれないが、世界に目を向けると戦後を迎えていない社会が圧倒的に多い。たとえば、韓国と北朝鮮は休戦中であって、いまだ終戦に至らない。アメリカは第二次世界大戦の後も、ベトナム戦争やイラク戦争などいくつもの戦争に介入し、いまもどこかの国との紛争を抱えている。戦後、日本社会を待っていたものは軍事的占領というかたちで始まった「アメリカ--日本」という植民地関係だった。アメリカの意向で国の外交、防衛、原発、経済などの政策が決定され、総理大臣も国民にではなくアメリカに追随する。

アメリカが極東裁判のみを正式な軍事裁判としたため、日本とアメリカの関係に基づく戦争体験を集約してしまった。日本は原爆を落とされた被害者とすることで加害者の立場が抜け落ちた。長崎、広島、沖縄の平和式典、終戦記念日、各地でとりおこなわれる慰霊祭での宣言や戦争の語り部も、空襲や原爆、捕虜、戦死などの体験が圧倒する。

原爆や本土空襲による被害者意識からの反戦思想が展開された一方で、みずからが加害者の立場となった東アジアにおける戦争犯罪への取り組みは、少数の個人によってはなされたものの、社会総体としての問題意識の共有には発展しなかった。

小学生の頃、白黒のテレビで見たのが、終戦記念日のもっとも古い記憶だ。社会科や歴史の教科書で侵略戦争とは教わったが、侵略の生々しい事実は知らない。戦地へいった祖父や古老の話は武勇伝が多く、もっぱら空襲や原爆で被害を受けたことが記憶の澱となって刷り込まれてきた。焼け野が原から力強く再生し、東京オリンピック、高度経済成長を果たし、先進国の仲間入りをする。そういった物語が多くの国民の思いであり、誇りではないだろうか。

一方、旧植民地の人々は自分の名前まで日本式に創氏改名させられ、言語も文化も奪われ、さらに過酷な宿命を負わされた。日本人は「かれらはいつまで恨み続ける気なのか。戦争はもう終わったのだ」という。今年6月、鳩山由紀夫元首相がソウルの延世大で学生向けに講演し、「日本は戦争で傷つけた人たちや植民地にしていた方々に対し、『もう、これ以上謝らなくてもいい』と言ってくれるまで、心の中で謝罪する気持ちを持ち続けなければならない」と持論を述べた。広島、長崎、沖縄など各地の平和式典で私たちは誰に対し過ちを詫び、平和を祈るのだろう。米国から「いつまで原爆や沖縄のことを言い続けるのか」といわれ、「ごもっとも..」と納得するだろうか。

「いつまで言い続けるのか」という人々のなかには、良心の呵責から旧植民地の人々に向き合うことを避ける人もいるが、被害者への想像力の欠如が戦争さえなかったことにする人々をも生んだ。原爆で殺された人々、日本兵が同胞を殺めた沖縄戦、戦地で餓死した兵士、朝鮮人であっても日本人として徴用され、報われない戦死や労働を強いられた人々、皇軍の兵士に強姦され殺害され、食肉にされたアジアの人々を私たちは無意識のうちに否認し、逆に被害者としての振る舞いを続けているように思う。

そこでは、すでに数人の将校によって「試し斬り」がおこなわれていました。手をしばられた中国人の首をバサッと斬っているのです。ところが下手な将校は、刀の扱いがうまくできずに頸動脈を切ってしまうものだから、血が噴き出している。あわてて刀を何回も振り下しています。--むしろ下士官のほうがうまくて、片手にもったサーベルをぱっと振り下ろすと、首がごろっと落ちる。--つぎからつぎへとくりひろげられる凄惨な光景に、体はふるえ、こわばって目も開けられない状態でした。(奥村和一・酒井誠『私は「蟻の兵隊」だった』)

粛清討伐の最中、--20歳くらいの女の子を見つけました。分隊員みんなで次の部隊まで連行して、--輪姦してしまいました。まず隊長がというので私がすませ、それから--順に決めて。--強姦のあとでは女を殺してしまうという一種の"暗黙の了解"みたいなものがありました。--殺してしまえば「あの女は八路軍の回し者らしかったので」といって口をぬぐうことができますから。(本多勝一・長沼節夫『天皇の軍隊』)

一部の兵士によっておこなわれた特異な例ではない。日本軍は皇軍ともいい天皇陛下の名のもと将校と初年兵に胆力をつけるため、中国人を殺害させることで、戦場に出る感覚を麻痺させ殺人マシンへと変容させた。復員した兵士たちが戦地体験に口をつぐむなか、この体験者は非人道的行為を勇気をもって告発した。戦争とは自分が死ぬか相手が死ぬかの極限の連続だ。「殺人は軍からの強要だ」との言い訳の余地はあるかも知れないが、当時頻発していた中国人女性への強姦事件はどんな言い訳が許されるのか。

表現の不自由展で問題となった平和の少女像は日韓で争っている性暴力を象徴するものだ。日本側は韓国人女性が本人の同意のもとであったことを論点に据えているが、慰安婦がだまされて強制労働させられたとの証言は枚挙にいとまがない。首を斬り落とされた人を自分の父や息子、慰安婦に狩立てられる少女や輪姦され殺される女性を自分の妻や娘として考えられないからこそ「心をふみにじる」とか「いつまで謝ればすむのか」という発言がでてくる。

終戦間際にソ連軍が満州国へ進軍してきたとき、日本女性に対して同じ犯罪がおこなわれた。夫や子供の目の前での暴行や凌辱、命乞いのため妻や娘を差し出すこともあった。青酸カリを飲んで自ら命を絶たった女性、内地でも連合軍の進駐に備え髪を短く刈り込み、顔に墨を塗った。中国の女性が日本兵に対してしたことを日本の女性もしたのである。

日本人は被害者であると同時に加害者でもあります。そもそも、だれが「日本人」であるかは時代とともに流動するものです。内地での被害状況ばかり報道され、外地での残虐行為は国民に知らされてきませんでした。

日本人は善良で敵国に対し常に紳士に振舞い、植民地からの解放に力を尽くした。などという物語はあとで都合良く作り上げたお伽話にすぎない。加害者という歴史の事実を認めることから戦後の歩みを始めなければならなかった。そこに立てば加害者としての残虐も被害者の慟哭も身に迫るだろう。

自分を被害者の側に置き、人間性の善のみを自分の本質とするヒューマニズムの偽善性に反対しなければならないのです。

 

薬物依存症 松本俊彦

1978年にサイモン・フレーザー大学のブルース・アレクサンダー博士らが行った、「ネズミの楽園」と呼ばれる有名な実験がある。32匹のネズミをランダムに16匹づつ2つのグループに分ける。一方のネズミは1匹づつ金網の檻に隔離され、他方は広々とした場所に雌雄一緒に入れられた。後者を「楽園ネズミ」といい、ネズミ同士の交流を妨げず隠れたり遊んだりする箱や缶が置かれ、床には巣を作りやすいウッドチップを敷き詰め、いつでも好きなときに好きなだけ食べられる餌が用意された。

この両方のネズミにふつうの水とモルヒネ水を与え、57日間観察した。檻のネズミの多くが頻繁かつ大量のモルヒネ水を飲み日がな1日酩酊していたのに対し、楽園ネズミ多くは他のネズミと遊び、じゃれ、交尾したりしてなかなかモルヒネ水を飲まなかった。檻のネズミは砂糖を抜いた苦いモルヒネ水に変えても依然とモルヒネ水を飲み続けた。

この実験結果こそが、「なぜ一部の人だけが薬物依存症になるのか」という問いの答えではないでしょうか。それは、自らが置かれた状況を「檻のなか」--孤独で、自分の自由な裁量を剥奪された環境--のように感じている人の方が、「楽園」と感じている人よりも薬物依存症になりやすいということです。

檻のなかでモルヒネ漬けになったネズミを1匹だけ、楽園ネズミの中へ移すと、広場の中で楽園ネズミたちとじゃれあい、遊ぶようになった。薬物依存症に限らず諸々の依存症にも普遍性を持つ実験結果ではないか。酒、煙草、性、ギャンブル、パチンコ、浪費、ネット、DN(暴力)、ストーカーなど様々な依存症が知られ一人又は周囲が悩み、迷惑し時には犯罪に手を染めることもある。メディアが報じる依存症はニュースに資するほど特異で先鋭化したもので、実のところ依存症など馴染みが薄い。酒や煙草、パチンコが止められない人は居るにはいるが、多く見かけることはない。

薬物依存症対して私たちが抱くイメージは人格崩壊、意志薄弱、快楽主義、反社会的、人間失格..などテレビや新聞を通して得たネガティブなものが多い。麻薬撲滅キャンペーンで「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」といった知識や、薬物事件で逮捕された芸能人やスポーツ選手などの週刊誌記事やワイドショーの番組が主たるものだ。欧米諸国に比べると日本での薬物問題はさほど深刻ではなく、多くの国民は無縁である。無縁であるのに薬物依存症の伝聞的知識やイメージがひとり歩きすることで薬物依存症患者の社会復帰を妨げたり、薬物依存の当事者や家族を絶望に追いやる。その最たるものが「1回でも薬物を使ってしまうと依存症になってしまい、人生がおしまいなる」というものだ。

覚せい剤、麻薬、危険ドラッグなど様々な呼び方があるが、脳に対する作用は3つに分かれる。脳の働きを抑える中枢神経抑制薬は「ダウナー系ドラッグ」といい覚醒度を下げるもので、代表にはアルコールがあり、抗不安薬や睡眠薬、モルヒネ、ヘロイン、大麻などがこれに分類される。大脳皮質の高度な意識領を抑制することで、不安や緊張を和らげる効果もあるが、大脳皮質が抑制されることで相対的に辺縁系の活動が高まる。ブレーキとアクセルを同時に踏んで車を運転するようなもので、ブレーキを踏む力を抑制することでスピードはあがる。睡眠薬の副作用の項目には、痙攣発作、せん妄、振戦、不眠、不安、幻覚、妄想などが書かれているが、これも薬理作用の一つだ。2つ目は中枢神経興奮薬といい、アクセルを踏むことで脳の働きを活性化させ覚醒度を高める「アッパー系ドラッグ」だ。覚せい剤(アンフェタミン、メタンフェタミン)とコカインがこのカテゴリーになる。覚せい剤の原料であるエフェドリンも規制の対象になる。これらに比べると作用はかなり弱いが、カフェインやニコチンも中枢興奮作用を持つ習慣性薬物だ。3つ目は幻覚薬で、LSD、MDMA、5-Meo-DIPT、マジックマッシュルームや一部の危険ドラッグがこれに分類され、抑制や興奮よりか知覚の変容という質的な影響が中心となる。幻覚薬の問題点は、薬物の種類や使用する人の体質や性格、使用する状況によって作用が予測できない。極端な場合はたった一回の使用で深刻な健康被害を呈したり、錯乱状態や精神病状態が長く続き暴力事件や交通事故などを引き起こすことがある。

昔はアルコール中毒、ニコチン中毒などと同列に、「薬物中毒」という用語を用いた。これは薬物が体内にある状態で解毒で解決するとの誤解を招く。薬物依存症は止めようと思っても、何度も失敗し薬物の使用を自分の意志ではコントロールできないことを言う。

薬物依存症とは、「薬物が体内に存在すること」が問題ではなく、薬物をくりかえし使ったことで、その人の体質に何らかの変化が生じてしまった状態である。

アルコールで考えてみると、最初少ない量で酔っていたが慣れると徐々に量が増え、耐性が生じる。さらに人によっては飲まないと熟睡できないようになる。飲まないと眠れないのを離脱といい、こういったアルコールに対する一種の体質変化を身体依存という。しかし、身体依存は薬物依存の本質でない。常習性が生じるのは最終的に脳内にある快感の中枢部位をダイレクトに刺激することで精神依存が起こり、これこそが薬物依存症の本質だ。

中枢神経興奮薬と中枢神経抑制薬のいずれも、作用の方向性に関する違いはあっても、様々な方法を介して最終的には脳内のドーパミン活性を高め、報酬系回路の神経細胞を興奮させる、という点で共通しているのです。その結果、薬物を使った人は快感を体験し、「薬物を使う」という行動を学習し、再びその体験を求めてその行動をくりかえすようになるわけです。

酒や煙草をいつのまにか止めた人の話によると、血気盛ん、体力も好奇心も旺盛な青年期はそれらに快感を覚えるが、歳をとり体力や気力が下り坂に差し掛かると、ニコチンやアルコールの摂取が体の不調をもたらすことがある。煙草や酒による快感が次第に吐き気、頭痛、不眠、脱力などの不快に変わる。こういった人は自然になんら努力なしに止めることが可能だ。薬物についても同じことが考えられるだろう。

一般に薬物依存症を見かけることはめったにない。著書の所属する研究センターは全国一般住民を対象とした薬物使用経験に関する調査行った。規制薬物を一回でも使用したことのある割合を次のように報告している。シンナーなどの有機溶剤1.1%、大麻1.4%、覚せい剤0.5%、MDMA0.2%、コカイン0.3%、危険ドラッグ0.2%で、これらいずれかの薬物の生涯使用経験率は2.4%であることが分かった。芸能人やスポーツ選手だからニュースになるのであって、多くは自然にやめ、依存症も自力で克服していく。

見逃せないのは2000年以降、急速に売りあげが伸びた睡眠薬や抗不安薬の乱用と依存症だ。自殺対策の一環として「うつ病の早期発見、早期治療」のキャンペーンが効を奏し、より多くの人が精神科へ足を運ぶようになった。精神科の薬物使用は常軌を逸するものがあり、覚せい剤に次ぐ第二の乱用薬物となっている。医師は軽症にも手厚い医療を施すことがあり、覚せい剤や危険ドラッグの使用経験率が減少傾向にあるのに比べ、睡眠薬や鎮痛薬の使用経験率は倍増の勢いだ。

依存症治療のため入院、服役における治療プログラムを受ける。たとえば刑務所内でプログラムに参加しても、出所後3年以内に約78%が再び逮捕された。しかし、出所後に地域のプログラムに継続して参加した人の、処遇終了後3年以内の再犯率は21%であった。この歴然とした差をみると冒頭で述べたネズミの実験のように、閉鎖的な施設内より、開かれた地域でのプログラムがより有効である。取り締まり、規制も大切だが薬物依存症の治療・回復支援が必要となる。

薬物依存症は「治らないが、回復できる病気」と言われています。実は、世の中に存在する病気の多くが、「治らないが、回復できる病気」という性質を持っています。

糖尿病や肝炎の診断を受ける、コレステロールや血圧が高いと注意される、甘いものも酒も止め、養生の結果、数値が安定すると「治った」と勘違いし、酒も飲み肉も魚もお菓子も食べ、再び病気へと引き戻される。とくに老化に関するもの、言いかえればおおむね40歳以降の病気の多くは老化が関与する。これは治るのではなく回復するか症状を沈静化するかしかない。治るという幻想で養生を怠ると次々と不調が噴出する。著者は薬物依存症からの回復プロセスを「脳の酔い」と「心の酔い」との2つに分ける。脳の酔いは脳が薬物の影響を受けた状態で、覚ますのは薬物を止めることで1〜2週間のうちに完全に回復する。しかし、「心の酔い」を覚ますのは時間がかかり容易にはいかない。長い時間「気分を変える」物質に酔った状態で生きるのが習慣化すると自分でも気づかぬうちに物の考え方や感じ方に独特の変化が生じる。

入院や刑務所の中では物理的に薬物から離れるため、この環境では薬物を止めたことにならない。依存症が最も再発しやすいのは退院直後や刑務所を出た直後だ。本当の治療は外来通院ということになる。3か月間、通院治療を継続した人の中で1回も覚せい剤を再使用しなかった人は96%だった。しかし、7割の人が3か月の間に通院を中断してしまった。おそらく、覚せい剤を再使用したことで医者から叱責されたり、警察に通報されるのが嫌で通院を止めたのだろう。いうまでもなく助けるべきは7割の人々である。ネズミの実験から考えられることは..

この7割の人たちが薬物依存症から回復するためには、安心して覚せい剤を使いながら通院できる場が必要だ

7割という数字について次のような報告もある。アメリカ依存症医学協会が公開している調査データの中で、薬物依存症を克服した人の75%が専門の施設や治療を行うことなく、薬物依存を抜け出せたという。75%の人が専門の治療に頼ることなく回復できたという事は、「薬物中毒が精神疾患の中で最も回復しやすい病気である」とも言える。覚せい剤に限ってはこうはいかないかもしれないが、薬物依存症の回復に向けての希望の数字でもある。

 

福島第一原発--真相と展望 アーニー・ガンダーセン著 岡崎玲子訳

東京オリンピック開催まで1年を切った。復興五輪と銘打っての招致であった。2014年、東電は被害者への賠償の姿勢を「3つの誓い」として示した。
  1. 最後の一人が新しい生活を迎えることができるまで、被害者の方々に寄り添い賠償を貫徹する
  2. 手続きが煩雑な事項の運用等を見直し、賠償年の早期支払いをさらに加速する
  3. 原子力損害賠償紛争解決センターから提示された和解案を尊重するとともに、手続きの迅速化に引き続き取り組む

東電らしくない誓いだが、案の定14〜17年の4年間で東電の和解案拒否による打ち切りが61件、18年は49件になり、和解手続き打ち切りが急増し解決が見込めない状況にある。東電は「和解案が国の指針を超える賠償を提示している」などの理由をあげているが、指針に明記されていなくても個別事情に応じるようセンターは要請している。センターというのは文部科学省研究開発局が所管するものだ。国が東電という一企業へ要請するという構図は原発事故前から少しも変わっていない。和解手続きが打ち切られると民事訴訟や再申し立てになり、費用や時間もかかる。東電の和解拒否に住民は怒りを募らせている。東電は賠償を打ち切り、国は避難指示を解除し帰還を促す。五輪の前に原発事故などなかったことにするつもりだ。

本書は原発事故後の2011年10月に行ったインタビューと追加取材をもとに、2012年に出版された。忘れてならないことは繰り返し記憶を鮮明に保つ。それが自分の身を守ることだと思う。いまも「原子力緊急事態宣言」は解除されていないのだ。

福島第一原発は6基の原子炉があり、5・6号機は定期検査で停止中だった。1号機は水素爆発で天井が吹き飛び水で冷やすしか方法がなく、注入した水は底のどこからか漏れ側面にも穴が開いている。もっとも古く、老朽化も進んでいるため津波の前に地震だけで多くの配管が壊れたと考えられる。不安定に安定しており水素爆発の恐れが残る。2号機は見た目はマシだが格納容器の破損が最も深刻で、東電は爆発を認めていないが、格納容器の圧力が失われ外部への放射能放出量が急激に増加したデータがある。3号機は臨界が起こり核燃料の大部分がメルトダウンし、さらにメルトスルーしている。今もそしてこれからも放射能の放出が続く。爆発は大規模で、使用済核燃料プールの一部が吹き飛んだ。ここではプルトニウム発電が行われ、放射能が1/1000になるまで25万年もかかる。この間、セシウムやストロンチウムなども一緒に徐々に海中に溶けだし、生物濃縮と食物連鎖のサイクルに取り込まれる。復興を見届けるとき人類は存在するだろうか。4号機のプールには炉心数個分もの使用済核燃料が入っている。日本では10〜15年分になり、点検の期間が短いアメリカの原発に置きかえると35年分だ。4号機で地震や火災などの事故が起これば膨大な量の核燃料が大気中で燃え、たちまち北半球が汚染される。これを消し止める方法は誰も研究すらしたことがない。

今の状況下で圧力容器や格納容器から核燃料を取り出す技術は存在しません。もちろん、人間は入れず、すべてを遠隔操作せざるを得ませんが、あれほどの放射能のもとで、長時間にわたって正常に動作してくれるカメラが必要となります。

仮に核燃料を取り出す技術を開発し、作業に着手するまで10年とすると、実行するのに10年かかる。この間、放射能の放出は続き作業員の被曝量は累積する。作業員を絶やすことはできないので、いずれ国民総動員ともなりかねない。一般の廃炉とは異なり、放射能汚染の大部分は住宅地や山林に広がっており、ある意味で原発そのものより悩ましい課題だ。放射能で汚染されたものを隔離・管理し、人々の安全と健康を守るべきところ、日本政府は逆に薄めたり、分散したり、意見を風評被害としてシャットアウトする。

東電は「チェルノブイリより被害が少ない」などと主張していましたが、彼らの数字はあまりにも誤魔化されていて、漏洩した放射性物質はチェルノブイリの5〜10倍だったとしてもおかしくありません。私の予想は2〜5倍ですが、原子力安全委員会と原子力安全・保安院は10%だと言っていました。

チェルノブイリ原発事故では当時、社会主義国でありながら住民を避難させ、石棺で固め早期に終息を見た。その後、汚染地域を立ち入り禁止とし、汚染を封じ込めた。福一事故では連日「ただちに影響はないと」繰り返すだけで、爆発の映像を流しつつも平静を装った。その後もこの姿勢が踏襲され東電の発表では、いまも1時間に1000万ベクレルを放出している。汚染は拡大するまま、さらに汚染ガレキの焼却や再利用を促し積極的に汚染を拡散させている。ソ連は半永久的な立ち入り禁止区域を設けたが、日本では高汚染地域に無理やり住民を帰還させた。食品の汚染基準は緩められ、検査は甘く杜撰。日本の人口密度は桁違いに大きく、福島はウクライナの2倍、東京は100倍だ。チェルノブイリの2〜5倍も放出した放射能を、どれだけ多くの人が浴び続け又摂取していることか。被害はチェルノブイリの比ではなく、人類史上最大の人為的災害と言わざるを得ない。最近は小児甲状腺がんと放射線被曝の関連はないとまで言い始めた。統計データや公文書の隠蔽・改竄・廃棄など国がおこなう「詐欺の見本市」のひとつだ。

放射線の生体への影響については、「外部被曝」と「内部被曝」に分けて考えるのが通例です。また、一度に大量の放射線を受けることによって生じる「急性障害」と、急性障害を起こさない程度の放射線によって、のちに健康への影響が現れる「晩発性障害」に分けられます。

内部被曝は放射性物質を呼吸で吸い込んだり、汚染された飲食物を摂取することで身体の内部から被曝し被害は甚大だ。細胞に付着した放射線が染色体のDNAにあたると、遺伝子が切断され、異常細胞ががん化したり、損傷により様々な障害が起こる。急性障害については一定の被曝量以上でなければ発症しないという「閾値」が認められているが、がんなどの晩発性障害については「安全量」などなく、少ない被曝量でもそれなりのリスクがあり被曝に許容量などない。福一原発事故で放射能は広範囲に広がり、北海道を除く東日本一帯に及んでいる。海外は日本全土が汚染されたと見ている。地球儀を回すとわかるだろう。復興支援として積極的に被災地の食材を流通させるなど、チェルノブイリ原発事故のときのソ連はやらなかった。

食べ物は非常に深刻な状況です。これまで通りの食生活を送っている人々は、政府が守ってくれると信じているのでしょう。しかし、それは適切と思いません。基準や検査体制をみても日本政府の対応は業界寄りで、一般消費者の健康を犠牲にしています。

チェルノブイリから四半世紀が経ったウクライナやベラルーシでは、はるかに厳しい安全基準が設定され、細かい検査がなされている。日本は事故直後の避難も放射能の封じ込めにも失敗し、それをなかったことにして汚染を拡散させる。復興五輪へと目を反らさせ、事実隠蔽の臭気さえ漂う。8月、韓国外務省の権氏が日本に対し、「(福島原発の)汚染水処理の結果が両国民の健康と安全、さらに海でつながる国全体に与える影響を非常に重く認識している」と述べ、その上で「汚染水放出に対する報道や国際環境団体の主張に関し、事実関係確認や今後の処理計画などについて日本政府の公式回答を要請する」と述べた。さらに韓国政府は、日本から食品を輸入する際に行っていた放射性物質の検査について、8/23日から、17品目の放射線検査を強化すると発表した。東京五輪参加についても放射性物質汚染が生じた福島地域産の食材が提供されることが心配されるため、韓国代表は万が一を考え、現地に韓国ハウスを設置し、選手たちのために自前の食材を用意する考えを示した。韓国は関係悪化以前から福島県など8県の水産物と14県の農産物について輸入を禁止している。

いま、国をあげての韓国たたきと応酬が続いており、国民も政府を支持する意見が多い。しかし、いままで日本政府が隠し、対策もしていないことが、明るみにさらされ結果的に日本国民の利益になる。「反日」といわれてもいい、メディア総崩れの現状を考えると韓国に頑張ってもらいたい。

チェルノブイリ原発事故後の長期健康被害をwikipediaから抜粋する。

  • 汚染区域の子供は甲状腺に最大で累積50グレイの高線量を被曝した。これは汚染された地産の牛乳を通じ、甲状腺に蓄積される性質を持ち、半減期の短い、つまり単位時間あたりでは高線量である放射性ヨウ素を多量に摂取したためであり、また子どもは身体および器官が小さいため、大人よりも累積線量が高くなるためでもある。IAEAの報告によると、「事故発生時に0歳から14歳だった子どもで、1,800件の記録された甲状腺癌があったが、これは通常よりもはるかに多い」と記されている。
  • 国際連合人道問題調整事務所の立ち上げた「The United Nations and Chernobyl」によると、ウクライナでは350万人以上が事故の影響を受けており、そのうちの150万人が子供であった。癌の症例数は19.5倍に増加し、甲状腺癌で54倍、甲状腺腫は44倍、甲状腺機能低下症は5.7倍、結節は55倍となった。ベラルーシでは放射性降下物の70%が国土の4分の1に降り、50万人の子供を含む220万人が放射性降下物の影響を受けた。ベラルーシ政府は15歳未満の子どもの甲状腺癌の発生率が2001年には1990年の2,000例から8,000-10,000例に急激に上昇したと推定している。ロシアでは270万人が事故の影響を受け、1985年から2000年に汚染地域のカルーガで行われた検診では癌の症例が著しく増加しており、それぞれ、乳癌が121%、肺癌が58%、食道癌が112%、子宮癌が88%、リンパ腺と造血組織で59%の増加を示した。ベラルーシとウクライナの汚染地域でも、乳癌の増加は報告されている。
  • アメリカ国立癌研究所の調査結果によると、慢性被曝による癌リスクは日本の原爆被爆者が受けた急性被曝によるリスクに匹敵し、放射能汚染は、白血病全体のリスク増加に加え、チェルノブイリ事故前には放射能被曝との関連性が知られていなかった慢性リンパ性白血病に影響を及ぼしていることが分かった。過去の被曝者の健康調査の結果、白血病は被曝から発病まで平均12年、固形癌については平均20 - 25年以上かかることが分かっている。このことから、白血病および固形癌が通常に比べてどれだけ増加するのかは継続的な調査によって判明すると予想される。

福島第一原発事故から8年以上になるが、wikipediaの日本版には長期健康被害の記述は見られなかった。がん、自殺、熱中症、心筋梗塞など多くの病気に紛れて被曝による死亡があるに違いない。なにぶん、「隠蔽・改竄・廃棄」は国、政治家、大企業のお家芸だ。ウクライナの2〜100倍の人口密集地である日本でチェルノブイリの2〜5倍の放射能が降り注いだ。チェルノブイリ事故による長期健康被害を抜粋したが、これ以下であることはあり得ない。放射能は遺伝子のDNAを損傷し、その影響は7世代に及ぶという。とくに飲食物による内部被曝は食品の流通によってとんでもない場所へ移動する。老化や基礎疾患を加速させ思いもよらぬ障害を引き起こす。精神にまで異常をきたすとの報告もある。事故をなかったことにして、懲りずに原発に固執する連中のことかも知れない。チェルノブイリ原発事故の後、「危険な話」という広瀬隆氏の著書がベストセラーになった。広瀬氏は福島原発事故の起こる半年前に地震による原発事故を予見する著書を出している。以下、広瀬氏が福島原発事故の直後に寄せたコメントだ。

この発電所には、全部合わせて、事故を起こしたチェルノブイリ原発の10倍を超える放射能があると思われる。あとは、「この放射能が無害である」と、政府と原子力安全・保安院と電力会社とテレビの御用学者たちは言い続けるはずだ。もし日本の国民が愚かであればそれを信じて、汚染野菜を食べることだろう。明日、すぐには死なないからだ。しかしかなりの高い確率で発癌することが分っている。子供たちを守れるのは、事実を知っているあなただけである。(広瀬隆:2011年3月16日ダイヤモンド社・特別レポートより)

 

発達障害グレーゾーン 姫野 桂

ストレスとかトラウマと呼んでいたものがPTSDやASDに細分化され、さらに複雑化するとC-PTSDというらしい。今後、益々の研究と分類が加速するであろう。2000年頃だろうか、ADHD(注意欠陥・多動性障害)という用語が聞かれるようになった。それまで「落ち着きがない」と言っていた小児や学童をADHDの用語で分類し、日本語に訳すると「障害」が付き、あたかも病気のように扱う。昔は個性とされ、時々怒られ漢字の書き取りなどで済んでいた。いつのまにかASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)まで仕分けが進んだ。ASDとはコミニュケーション方法が独特だったり、特定分野へのこだわりが強く、LDとは知的発達に遅れがないにも関わらず、読み書きや計算が困難なものをいう。これらのうち、ひとつだけが当てはまる人はほとんどおらず、障害の程度や出方は様々で、ADHDとASDを併存、または全種類を併せ持つ場合もある。心理学の発展とともにすべての人々が何らかの障害に分類される日は近い。

そもそも発達障害とは、生まれつきの脳の特性で、できることとできないことの能力に差が生じ、日常生活や仕事に困難をきたす障害だ。

この定義ではもはや個性という概念はなく、障害として扱い、成長途上の子供のことと思っていたが、いまは成人にまで領域が広がった。2桁の以上の繰り上がり、繰り下がり暗算ができず、不注意傾向が強く、急な仕事が入ると、極度な緊張に襲われるなどの特徴から、著者自身も発達障害だと言う。これで診断するなら、私も発達障害の資格充分だ。著者はLDが強く、ADHDとASDの傾向があると指摘されているらしい。しかし、これだけに留まらず、発達障害グレーゾーンというカテゴリーまで設ける。まさに本のタイトルだ。そしてこのグレーゾーンのほうが、発達障害と診断されるクロより潜在的に多いとされる。「潜在的」との表現は曖昧ではあるが主張を補強するに格好の用語だ。

昨今「大人の発達障害」という言葉を耳にすることが増えたが、これは「大人になるまで見すごされていた障害」というほうが正しい。子どもの頃は少し多動気味だったり、不注意があったりしても、それが「子供らしさ」として見落とされているケースが多いからだ。また、そそっかしい子だったり、すべての鉄道の種類を覚えているようなこだわりがある場合も、周りはそれを個性と捉えて障害だと思わないこともある。

息子や孫が電車や昆虫や魚の名前とともに特徴を仔細に語り、楽しそうに図鑑をめくる。これは一般に「利発・聡明」と、もてはやすものだ。私の息子も電車の部分を見たただけで名前とどこを走っているのか言い当てた。著者によれば生まれつき脳の機能に問題があったのかも知れない。現在、その片鱗すら覗うことのできない凡人に成長した。今でも心配すべきことだろうか。

学生の頃は少し変わっていても気の合う人とだけ付き合っておけばいいが、社会に出るとそうはいかない。職場で整理整頓ができない、仕事の優先順位がわからず、仕事を先延ばしする、時間の観念に疎く遅刻常習、能力的に会議についていけない、職場の雑談に入っていけず孤立する..など長じてからの傾向を指摘し、本を読みすすむと私も発達障害かグレーゾーンの可能性がなきにしもあらず。仕事の優先順位は解る、仕事場の整理整頓も良し、時間には正確だ。しかし、会議や雑談は苦痛だ。幸い自営業なので会議から解放され、職場の雑談からも免がれ、悠々自適を謳歌している。「発達障害は薬の服用や、福祉制度の利用、日々のちょっとした工夫により、困りごとを減らすことができるので、極度に悩む必要はない」と著者は書いているが、発達障害が免罪符となり悠々自適が許されるならこのままでいい。

「いっそのこと、発達障害の診断がおりてしまえば『障害のせいで、できないんだ』と、ある意味開き直れて楽になる」と、発言した男性がいた。

仮病で学校を休むのに似て、回りくどく理由を並べるより「体調が悪い」といえば、どう思われるかは別にして周囲はそれ以上多くを要求しない。悩みや不安がカウンセラーで留まらず医師の手に移ると、うつ病や双極性障害、適応障害、睡眠障害、自律神経失調症など病名を貰い薬物治療が始まる。薬の数も量も尋常ならざる域に達する恐れがある。別の視点で見ると、1998年に173億円だった抗うつ剤の売り上げは翌年から急速に増え2008年に1000億円を突破した。これにうつ病の患者数を重ねてみると1999年は44万1000人、2008年に100万人を超えた。自殺者は1997年まで約2〜2万5000人で推移していたが、1998年に3万2863人といっきに跳ね上がった。皮肉なことに自殺者の54%が精神科や心療内科に相談していたという。製薬会社の営業戦略のひとつに患者団体への巧みな支援がある。数字が知らしむるものは患者が増えたため薬が売れたのか、薬が売れたため患者が増えたのか、いうに及ばず。

人付き合いが不得手、不注意で失敗、暗算苦手などありふれた日常生活であり、相性の良くない人との会話は続かない。個性と個性が織りなす人間世のストレスや悩みを障害や病気に結びつける試みは誰のためか。以前のコラムで、「心を商品化する社会」という心理療法家の本を取り上げた。いままでなかった職業が生まれ、また病気が生まれると周辺がにわかに忙しくなり、専門家は居場所を確保しようとする。

著者は「OMgray」という悩める人々の支援事務局を運営し、紙数を割いて茶話会やインタビュー記事などを綴っている。タイトルに惹かれて手にしたが、軽い本でパンフレットの体たらくであった。あなたの悩みは障害によるもので放っておくと大変だ。意識しないうちに脳が侵されていく、診断が明確でないグレーゾンもあるので注意せよ。火に油を注ぐように話が炎上していく。

グレーゾンの人々を「グレさん」と愛称で呼び、もともと人付き合いが苦手の「グレさん」を集めて会を運営する。運営の資金はどうやって捻出するのか、どこかに製薬会社の印刷物や業界の支援はないのか。患者団体を利用して売り上げを伸ばす製薬会社の営業戦略への警戒も怠ってはならない。グレーゾンの概念は発達障害が初めてではなく、高血圧薬や高脂血症薬を売るため、かつて高血圧予備軍、メタボ予備軍の用語を生みだし薬の売りあげが飛躍的に伸びた。いまや発達障害のバブル状態ではあるが、実際は用語のひとり歩きで誰のためかは疑問だ。茶話会や患者レポートは希望をもたらすよう仕上がっている。親切なよびかけに魅かれもともと人付き合いの苦手な人々が集まり付き合いが始まる。

最後に一つ、数字を伝えておきたい。日本の精神科病棟数は35万床あり、これは全世界の病棟数の1/5を占める。先進国の精神科病棟数は減少傾向にあるが、日本は年々増加が続いている。

 

「右翼」の戦後史 安田浩一

聞くに堪えないヘイトスピーチで知られるネット右翼(ネトウヨ)。愛国とさえ言えば何でも許されるとでも思っているのだろうか。米国に押し付けられた恥ずかしい憲法だと叫びながら、「表現の自由だ」といい、現憲法にすがる。

いま「本物の右翼」と「ネトウヨ」に、どれほどの違いがあるのだろうか。差別的で、攻撃的で。それらの点において両者に差異はあるのか。いや、主張ばかりか、両陣営を行き来する"相互乗り入れ"はもはや当たり前だ。境界は曖昧だ。しかも国家権力を補完する立ち位置から離れないという点でも両者にちがいはない。

先の戦争で「鬼畜米英」「一億総決起」のスローガンで戦い、神に守られ負けるはずのない日本が破れ、現人神とされた天皇も人間に戻された。米国によって国土は壊滅し、心の支えとした信仰まで奪われた。本来なら、米国に対して憎悪や復讐の念を抱えて生きていきそうなものだが、多くの右翼はいとも簡単に「反米」から「親米」へ路線転換した。民族主義や国粋主義の旗を振りつつも不平等な日米安保を肯定し、沖縄の基地固定化に手を貸す。「押しつけ憲法の改正」を画策するのは一見矛盾した行動だが、米国が日本国憲法の改正を望んでいるとすれば、納得できなくもない。60年安保当時は、右翼の側から安保体制に疑義を唱えるものがいたが、戦後、右翼のエネルギーは「反共」へと向かう。伝統や天皇制を否定する社会主義や共産主義は断じて許容できず、そのために鬼畜であった米国へすり寄った。

右翼の思惑はともかく日本は結果的に米国の世界戦略にすっぽり埋め込まれている。駐留する米軍の基地問題を考えても、土地を提供するばかりか、人件費から水道光熱費までを「思いやり予算」で賄い、日米地位協定で米軍人に必要以上の厚遇を与えた。米国の他の同盟国を見渡しても突出したものだ。

「反共」というイデオロギーは支配層にとって都合がよく、人々に民主主義や権利意識が生まれ企業や自治体で労働組合が結成されるのを恐れた。このため共産党を始めとする左翼勢力は長らく弾圧の憂き目をみてきた。60年、安保改定が近づくと「安保闘争」の盛り上がりも最高潮に達し、国会前には10万人単位のデモ隊が押し寄せ、全国で560万人がストに参加した。この当時、警視庁警察官の数は2万4000人で、すべて動員しても手薄感は否めない。国家権力は左翼勢力と物理的に対抗できる右翼勢力を欲した。

そこで首相の岸信介が考えたのは、不十分な警備を全国の右翼や任侠組織で補うことだった。今の時代であれば内閣が吹っ飛ぶくらいの大問題となっていたことだろう。逆に言えば、この時代はまだ、政界と任侠を隔てる壁は低かったのである。

この動きは1951年の反共抜刀隊の立ち上げに源流を見る。時の法務大臣、木村篤太郎が共産党の武装闘争に対抗すべく、全国の博徒、テキヤ、愚連隊他約20万人を「反共」の旗の下に結集させ、左翼のデモや集会を暴力で潰すことを目的とした。博徒説得のため法相の木村は「刑法を改正し、賭博事犯は現行犯以外は検挙させないようにする」とブチあげた。

右翼、暴力団、そして自民党---「反共抜刀隊」構想の際に結ばれた政権政党と裏社会を繋ぐラインは、現代でも生き続けているようにも思える。

60年安保を前に保守陣営の危機感が高まった頃から、暴力団の右翼化と、右翼団体の再編が加速し、政財界との結びつきが深まる。右翼は体制維持の別動隊として機能するようになり、学者、評論家など各界の有識者も巻き込んでいった。右翼とヤクザの相互交流は活発化し、右翼団体と称する者の直接行動も問題になった。60年代前半、浅沼社会党委員長刺殺事件。1990年、「昭和天皇に戦争責任がある」と発言した本島(長崎)市長が右翼団体「西氣塾」幹部に狙撃された。2000年、噂の真相・編集部が日本青年社の構成員に襲撃された..

右翼には左派からの転向者も数多くみられた。戦前、共産党活動家の多くが獄中の厳しい取り調べや拷問で転向しているが、戦後の転向には意外な理由があった。右翼の国家主義と左翼の社会主義は思想的に似通い、転向の垣根は低い。理想主義による孤立や敗北を認め、天皇制や日本古来の思想も「それほど悪くもない」として受け入れた。

暴力団が右翼を隠れ蓑にすることで両者の境界は曖昧になり、民族運動からも離れ、総会屋などと一緒に企業を恐喝する勢力も生まれた。「反共」、「愛国」を錦の御旗に、わが物顔に振る舞う、これが右翼本来の姿であろうか。裏社会との繋がりは人々に悪印象を与え、革新勢力に攻撃の材料を与えることになる。右翼や暴力団を国家権力の暴力装置として育てさんざん利用したが、自民党の一部の議員から彼らと手を切る動きも出てきた。やがて暴力団と右翼を分かつ新右翼の潮流へ向かう。

1960年、民族派の学生組織「日本学生会議」が発足した。それまで右翼と言えば反共だけを煽る応援団や体育会の学生が中心であったが、こうしたイメージを塗り替えるように学園紛争の舞台に躍り出た。彼らは左翼から活動を学び、ときに戦後体制を打倒する同士でもあった。

70年代の前半、右派学生戦線、なかでも日本学生会議を中心とした反核統一戦線こそが、正確な意味での新右翼の源流だ。新左翼と肩を並べ、全共闘にも参加し、国家体制と闘ったのは、反核統一戦線だけだった。本来の意味での新しい右翼、という点においては、そこが出発点であり、以降はほとんど何も成し得ていない。

当時は左翼が圧倒的に強く、反体制の空気に支配されていた。左派学生運動に対抗する右派学生団体の一つに「全国学生自治体連絡協議会」(全国学協)がある。69年に結成され、この運動の中核をなしたのは神道系宗教団体「成長の家」の学生連合だった。現在、自民党の政策に大きな影響を与えているされる「日本会議」の萌芽である。1966年、長崎大学の正門前で「学園正常化」を訴えるビラを配る2人の学生がいた。ともに成長の家の信者である椛島と安東だった。詳しくは「日本会議の正体」に触れているが、当時、長崎大学の自治会は左翼に押さえられていた。この年の秋、長崎大学教養部自治会の会長選挙が行われ、右翼系候補が勝利を収めた。圧倒的に左翼の力が強かった長崎大学で奇跡的なことだ。国立大学の中でも右翼系自治会の成立は初めてのことだった。当時、ストライキが頻発する状況下にあり、「普通に講義を受けたい」という一般学生の支持を得たからだと椛島らはいう。しかし、逆の立場からはどう見えたのであろう。

椛島や安東らは他の保守系や(国際)勝共連合系の学生、体育会所属の右翼学生などとも手を組んで左翼潰しを図っていました。しかも彼らの背後にいたのは大学当局や警察です。自分たちが、いかにも、か弱い被害者であったかのようなことを言ってはいるが、実はもっとも権力に近い場所から、我々に攻撃を仕掛けてきたのが実情ですよ。

自治会を掌握したというが、その時期左翼の主要メンバーの多くが逮捕され、学内は空白状態ができていた。火事場泥棒みたいにその隙に乗じただけで、次の自治会選挙では敗れている。大学当局は体育系の猛者まで動員し、殴る蹴るは当たり前、その暴力はすさまじかった。しかし、初めて右翼が自治会を掌握したことが全国の右翼学生を鼓舞し、長崎大学に続けと、自治会奪取の動きが広がった。左右を問わず運動は徐々に沈静化していく。勢いを止めたのは主導権争いや除名など組織内部の弱体化だった。

70年安保闘争の終焉後、新左翼系の学生運動は退潮し、それに代わって「成長の家」が右派の主役に踊りでた。生学連のOBを集めて日本青年協議会が設立され、長崎大学・自治会掌握の立役者であった椛島が実務を取り仕切る事務局長に就いた。生長の家の谷口が一貫して主張していた「改憲」を目標とした活動が続いていく。生長の家は85年、創始者・谷口雅春が亡くなり、女婿の谷口清超が総裁を継いで以降、右派的な政治運動から手を引いた。皮肉にも2016年には「与党とその候補者を支持しない」と明確な「反自民」の声明を出した。

77年、そのころ元号法制化運動に取り組んでいた右派団体「日本を守る会」事務局を日本青年協議会が兼ねるようになった。戦前法的根拠を与えられていた元号は、戦後法的根拠を失っていたが、79年「元号法」が国会で成立し彼らの草の根運動の成果が実った。81年には元号法制化運動の「日本を守る会」を発展解消させる形で「日本を守る国民会議」という新団体に衣替えする。守る会は宗教右派を中心とする団体であるのに対し、国民会議はより大衆運動を意識した陣容となっている。運動の目的は改憲であるが、教科書検定に深く関与し始め、第二次世界大戦の記述が改められた。侵略を進出とし、南京事件、従軍慰安婦などをなかったことにする動きに中国や韓国の反発が続く。97年「守る会」と「守る国民会議」が統合し「日本会議」が発足した。

やがて自民党の議員の4割以上が日本会議で占められ、自前の内閣を得るまでに至る。2012年暮れ、民主党の内紛解散に乗じて政権を奪取したのは、かつて長崎大学での自治会掌握を彷彿とさせる。安部総理は就任間もない頃、己を棚に上げ「民主党は息を吐くようにウソをつく」との書き込みをした。通常使われない言葉であるがネットでおなじみの雑言だ。

いま、日本社会で跳梁跋扈するのは、鼻歌交じりに「愛国」の旗を掲げるライト(Light)なライト(Right)だ。ただし、重みはなくとも破壊力はある。社会に深刻な亀裂を持ち込む。笑いながら、軽やかにスキップしながら、人と地域を壊していく。従来の右翼観を塗りかえたという意味において、あるいは国際な基準でいえば「極右」そのものである。

嘲笑と冷笑、そしてヘイトスピーチ。差別と偏見をむき出しに「敵」を次々と発見しては、個別に撃破していく。ネット出自の日本版「極右」は各所で今日も暴れまくっている。

2017年の衆院選挙最終日の秋葉原の光景だ。夜の駅前広場に自民党の宣伝カーが並ぶ、安部首相が到着すると日の丸の小旗を振り「シンゾー」、「アベさーん」と大歓声が沸く、「安部やめろ」の声をあげる人々もいたが、安部首相は彼らを指をさして「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫ぶ。首相はじめ自民党議員の下劣な言動は目にあまるものがある。反日、国賊、売国奴、非国民--ネットに渦巻く「極右」そのものではないか。意に沿わぬものの排除、弱者や少数者への考慮の欠片もない。最たる右派は06年に結成された在特会で、在日コリアンなどの外国人が日本において生活保護など優越的権利を持つとして排斥を叫ぶ。「慰安婦は売春婦」、「在日は出ていけ」、「在日は死ね」、「在日の女はレイプしても構わない」..ここで書くのもはばかられることを白昼堂々とがなり立て練り歩く。同じ日本に生まれ同じ教育を受けてきたものの言動とは思えない。彼らと遠からずの言動で非難を浴びた国会議員も複数いて、こういった思想の汚染はすさまじいものだ。

在特会は「市民の会」を名乗りながら、現実的な解決を求めていく運動をしているわけでもない。殺戮、殺害を教唆し、むき出しの憎悪をぶつけているだけだった。

ネトウヨの素性については、いくつもの説があり、どれも正しいようで有力なものはない。ネトウヨ諸君、頭を冷やして考えるがいい。熱い声援を送っている相手は大企業とアメリカと仲間内の利益でしか動いていない。都合が悪くなれば森友学園の園長のように即、トカゲの尻尾切りだ。人々はネトウヨのヘイトスピーチに眉をひそめ、政権を非難はするが、選挙では地方に至るまで自民党へ入れる。その証拠となる事例を記しておく。ここ佐賀県では佐賀空港へのオスプレイ配備問題で国と漁協が対立している。佐賀空港の着工時に「自衛隊との共用」を禁じた取り決めが生きているのだ。当時の関係者はまさに先見の明があった。自民党の意向を受けた知事は協定見直しの間合いを図っている状況にある。猛烈な反対運動を繰り広げる漁協に対して、今夏行われる参院選の自民党候補者から推薦願が出された。漁協はためらいもなく、あっさり推薦することを決めた。

徳永重昭組合長は「有明海の再生、漁業振興などで政権には世話になっており、総合的な判断」とし、政府や防衛省が進める自衛隊輸送機オスプレイの佐賀空港配備計画を評価するわけではないと説明した。(6/11佐賀新聞)

首を絞められ、悶死の危機が迫る。首を絞める国に対し、「殺すなら、せめて苦しくないように..」と懇願しているようにも見える。

 

医者の本音 中山祐二郎

「いわぬが花」ということわざもある。本音は語らぬほうがいいのかもしれない。10万部のベストセラーとのことなので、秘密を覗きたい人があまたいることが分かる。私もそのひとりだが、ありふれた裏話で時間つぶしの読み物に終わった。しかし、最終章の死と老いについての話は一読すべきものがあった。「治療を何歳まで受けるか、という問題です。これは、私のそして多くの医者の頭を悩ませる問題です」。91歳の大腸がん患者の症例をもとに、がんを治すか延命するかの選択を迫られたとき次の3つを考えた。
  1. 手術で大腸がんを取る
  2. ステントを入れて狭いところを広げる
  3. がんは取らず人工肛門を作る手術だけをして、腸閉塞を回避する

1)はがんを取り除くので「治る」治療で、2)、3)は閉塞を予防する「その場しのぎの」治療になる。年齢から考えて手術は術後の合併症も含め危険をともなうため、傷を最小限に留める腹腔鏡でおこなう。もし縫合不全が起こるとそれが命取りになる。多くの外科医は根治手術を躊躇し、おこなうとしても人工肛門をつくる手術になるだろう。2)ステントを入れたとして、がんが発育するとステントのすき間から内部に進出し再び大腸が狭くなる恐れがある。3)人工肛門は管理が難しく、少し認知症もある患者自身が管理するのは困難だ。

家族とも協議を重ね、1)手術で大腸がんを取ることにした。手術は成功し、術後一度は様態が悪化したものの1か月程度で退院の運びになった。うまくいったからよかったものの、一か八かのような手術であり、失敗すれば患者は数日で死亡する。手術をするか否かの検討は「技術的あるいは医学的レベルを超えた生命倫理的な問題」である。結果がうまくいかなかったとき、もっとも外科医を苦しめるのはスタッフの冷たい目や患者家族からの厳しい罵りではなく、自身に対する深い悔恨だという。

治療の方策もなく苦痛も耐えがたい、迫る死の恐怖で精神的にも疲れ切ってしまった。ここに安楽死の問題が浮上してくる。安楽死には治療を放棄する消極的なものと薬物の投与など積極的なものがある。とくに積極的安楽死については許容されるための要件として、裁判の判例がある。

  1. 患者に耐えがたい激しい苦痛があること
  2. 死が避けられず、かつ死期が迫っていること
  3. 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に手段がないこと
  4. 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

この判例が示す事件当時はまだ緩和ケアの実践的知識がなく、「楽にして欲しい」という患者や家族の懇願に苦心して応えたのかも知れない。裁判に発展したのは医師と何らかの齟齬が生じたからであろう。時に臓器移植等の問題が絡むと、事は一層複雑さを増す。先月、1回3349万円の白血病治療薬の保険適用が決まった。今後、高価な新薬の開発が続けば、命に金の問題まで絡むことになる。

人のいのちを左右することは、医者が手出しをする領域ではない

しかし、場合によっては、命を少し短くする心配があったとしても、痛みや苦しみを取る治療を優先することがある。ここには無治療という選択肢もあるが、「積極的安楽死を選択する場面はほとんどない」と著者はいう。医者はどのような死生観を持っているのだろうか。臨床医は人の臨終に接することが多く、死の判定は医者の専権事項でもある。死がどれだけ不安かという度合いを測定した「死の不安尺度」というのがあり、それによると看護学生の不安が最も強く、反対に医者の不安が最も弱かった。死を知れば知るほど、死をみつめればみつめるほど、死にまつわる迷信や迷妄が払拭され、死の恐れが少なくなっていく。医者は患者の死に慣れなければ、続けられないし、患者を客観視しなければ治療が困難になる。

医者にとって患者は肉親ではありません。しかし、医療という仕事は「他人事」でも絶対うまくいかないものです。これを私は「2.5人称」の距離と呼んでいます。2人称は肉親などごく親しい人「あなた」、3人称は他人「だれか」です。その間の距離感でなければ。患者--医者関係は良好にならないのです。

著者はがんの専門家で多くの患者さんの診療に携わってきた。人間の死ぬ確率は100%で、がんを完全に予防する方法はないという。がんは遺伝子の異常によって起こるもので、一番多い原因は加齢である。高齢者が増加することでがんも増えるため、ふせぎようがない。禁酒・禁煙、野菜を食べる、塩分を控えるなどの養生法は山ほどあり、危険性がへるというデータもあるが半減さえしない。がんだけでなく、この世にはふせぎようのない病気や、原因もわからず突然発症する病気もある。さらに病気だけではなく事故など加えた死者総数は昨年の統計で130万人を超えた。

あなたの生命や健康は、思うようにはコントロールすることができない

命や健康は偶然に左右され、人が亡くなる本当の理由もわからない。例えば「がんが全身に転移して死亡」と一見明確な説明がついたとしても、なぜ全身に転移したのか、なぜその患者さんがそのようながんになったのかなど、現代科学でも根本的には分からない。そのため宗教や運命論などにその回答を求めようとする人もいる。人の死をたくさん見てきた著者はどう死にたいと思っているのか。

  • 肝臓のがんや肝硬変などで、肝不全になって逝く
  • 事故で一瞬にして逝く

どちらも苦しまず旅立てるからだという。いわゆる「ピンピンコロリ」願望だが、私はこういった死に方だけはしたくない。痛みはコントロールできる、痛みに耐えてでも旅立ちの準備を整え、近親者や友人にはお別れのことばを残したい。多くの人々は笑いながらピンピンコロリで死にたいというが、残された近親者の混乱を考えると、ピンピンコロリで死ぬためには天涯孤独でなければならない。がんで死ぬのが一番いいという医者もいるので、それぞれ死に方に思いがある。

死や病気に接することで、人は健康観や死生観を醸成する。その観念は他人とどこまで共有できるだろうか、言葉を尽くしても伝わらず伝わったかに見えてもどこかで乖離し、他人とは共有できない個人特有のものだ。終末期医療で「癒されて最後を迎えた」、等の麗しい話を見受けるが、死にゆく人の思いやりで、家族や治療家自身が癒されているのではないか。死して戻ってきた人は一人もいないので真実はわからない。「眠くなったから寝よう」、くらいの思いで1日は終わり、同じく生も終わるのではないか。死ねば記憶は消滅し、短命も長命もなく、過去も未来もない。29歳で刑死した吉田松陰のことばだ。

十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

 

幻覚の脳科学 オリヴァー・サックス著 大田直子訳 

1830年代、フランスの精神科医ジャン・エティエンヌ・エスキロールによって「幻覚」に意味が与えられた。それまでは「さまよう心」、「亡霊」などと呼ばれていたが、いまだ厳密な定義は定まっていない。幻覚は外的現実がまったくないのに生まれる知覚であり、誤知覚、錯覚との境界を見定めるのは難しい。イメージを浮かべるときイメージは自己の頭の中にあるが幻覚は外界に現れ、ときにリアルで現実的な知覚もある。

幻覚はたいてい、想像や夢や空想のような創造性、あるいは知覚のような細部の生々しさと外在性があるように思える。しかし、それぞれと神経生理学的メカニズムの共通点はあるかもしれないが、幻覚はそのどれでもない。幻覚は、他に類のない特別なカテゴリーの意識であり、精神生活なのだ。

幻覚は狂気の兆候か、脳疾患の前兆とされることが多い。しかし、ある文化では夢と同じく特殊な意識状態とみなしそこへ到達すべく肉体や精神の鍛錬、瞑想、ときには薬物などで積極的に求める境地とされる。幻覚を生むシャルル・ボネ症候群、感覚遮断、パーキンソン病、片頭痛、癲癇、薬物中毒、入眠時などは生理学的なメカニズムで起こり、個人の生活環境、性格、感情、信念、心の状態とはほとんど関係がない。13章の「取りつかれた心」で検討する幻覚は生理学的なものとは異なり本質的に過去の経験への強制的回帰である。良きにつけ悪しきにつけ、ある過去が蘇って心に取りつき、その強い感情によって脳に消せない印象を残し、人生経験の再現を強制する。

死や棄郷、あるいは時間の経過によって離れてしまった最愛の人や場所への深い悲しみや恋しさ。自我や生命を脅かすほどのひどく衝撃的な出来事による恐怖、嫌悪、苦痛、不安。罪や悪行に対する後ろめたさに、遅まきながら良心が責めさいなまれることによっても、幻覚が引き起こされることがある。幽霊--帰ってきた死者の霊--の幻覚は、ことさら暴力的な死や罪にかかわりが深い。

幽霊や幻覚の話は、あらゆる文化の神話や文学で確固たる地位を占め、センチメンタルな歌謡、詩歌、小説など現代にも通じる。よくあるのは喪失と悲嘆による幻覚で、親、配偶者、子供を失うことで生じやすい。死別は人の生活に突然穴を空け、それを埋めるべく心情だけでなく認知や知覚にまで影響を及ぼす。死別の喪失感に端を発する幻覚は心理的欲求や感情と深く結びつき、忘れがたいものになる。亡くなった配偶者の片鱗を錯覚し幻覚と会話する。階段のきしむ音、枕元に立つ故人などの幻覚は幽霊として語られることもあるが、あの世で生き続けるという信仰にもなる。

交通事故や飛行機事故、自然災害、戦争、強姦、虐待、拷問、ネグレクトなど、自分自身または他人の安全が脅かされるという恐ろしい不安を生むような経験を生き長らえても、その人はもっと根深いトラウマと、結果として生じるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しめられるおそれがある。

死別は重いが、軽度の心的外傷によっても幻覚は起こる。ほとんど消滅したかに思えても、心の奥底に忘れられない記憶として沈殿し、特定の条件で再び浮きあがる。この症候群の特徴は不安、強い驚愕反応、抑うつ、自律神経障害に加え、経験した恐怖を異常なまでに思い返す。フラッシュバックともいうが極端なばあい、例えば退役軍人がフラッシュバックを起こすと、スーパーに居る人々をすべて敵兵だと確信し、武器を持っていると彼らに発砲しかねない。心的外傷は悪夢や幻覚を伴う傾向があるため、ときに統合失調症と誤診され、精神病院へ入院させられることがある。第一次世界大戦後、戦争神経症と呼ばれたものの根底には脳の器質異常を疑う医師もいた。砲弾の激しい振動により、兵士の脳が構造的障害を受けたのではないかと考えられた。最近の研究でも度重なる脳震盪は、軽度の震盪でも慢性的な脳症につながり、記憶や認知の障害を引き起こす恐れのあることを指摘している。フットボール、サッカーなどのスポーツにおける脳障害を避けるため少年、少女のヘディングを禁止すべきという専門家もいる。

想像が境界を乗り越えて幻覚に置き換わるには、心か脳で何かが起こらなくてはならない。解離または断絶が起こらなくてはならない。通常はないと理解するためのメカニズムが、故障しなければならない。

事故に遭遇したとき自分の車や体が、ゆっくり動き一瞬が長く感じられることがある。危機的状況に陥ったとき自分を遠くから俯瞰し、傍観者のような感覚で見ることを解離といいパニックは薄められる。しかしPTSDでの解離はおぞましい経験や耐えがたい光景、音、におい、感情が心の深くにしまい込まれトラウマとなる。トラウマは出来事の条件に触れフラッシュバックを引き起こす。トラウマはあらゆる恐怖と戦慄、あらゆる感覚運動の鮮明さと具体性に包まれ隔離され孤立している。

瞑想、精神修養、熱狂的な太鼓や踊りのような慣習も、催眠のそれと同じような鮮明な幻覚と深い生理的変化をともなう、トランス状態を促進する要件になりうる。瞑想や黙想のテクニック(神聖な音楽・絵画・建築..)は多くの宗教のしきたりで--ときに幻覚を誘発するために--使われている。

お祓い、霊媒者、水晶占い師など彼らは幻覚を促すような変容した意識状態にあり、彼らが求められている問いによって異なる。霊界との交信というのは実のところ自己催眠によって異常な精神状態に自らを導くものだが、彼らは自己催眠などとは夢にも思っていないだろう。しかし、トランス状態へ入る実践において脳の血流が変化し、感情や思考、自律神経などへ影響を及ぼす。いわゆる霊感を有すると称する人々は、現実にせよ空想にせよ自分のおこないに没頭し夢中になれる人かも知れない。ある時、想像から幻覚へと跳躍し、神の声を聞き、神の姿が見える。ここまではいかずとも、人はみな想像や妄想の影響を受けやすい。「霊にとりつかれている」などと言われたら、理性では「そんなバカな..」と受け入れないが用心深い気持ちが芽生え、それが幻覚に発展することがある。霊に限らず、たとえば「癌がある..」といわれただけで不安になり、注意を払うようになる。時には癌にかかったような幻覚に陥る人がいるかも知れない。

子供は7歳くらいまで空想と現実、内と外の世界を正しく区別できないため、幻覚を大人より受け入れやすい。とくに想像力が豊かで寂しがりやの子供は架空の友だちを得て、心地よい幻覚のなかに遊ぶ。人生の対極にある晩年は、死や死の予感をともなう幻覚を見ることがある。認知力も確かで完全な意識のある人が死が近いことを感じると幻覚を起こすことが多い。亡き肉親の幻影を見たり話したり、来世を垣間見たり。臨死体験を経た人は一様に心地よさを語り、死の恐怖が失せたという。幻覚が救済という最後の務めを果たしたとも言えよう。

幻覚は脳や神経に異常が生じ、ともすると病気のカテゴリーとされることもあるが、感覚器官や知的機能に問題がなくても幻覚は起こる。ありふれた頭痛や風邪の発熱によっても、うなされたり何かが見えたり、自分自身の体にさえ違和感を感じる。健康な人も幻覚は起こる。訳者はあとがきで「人間がものを見たり、聞いたり、さわったり、味わったり、かいだりして、周囲の世界のことをきちんと理解できるのは、じつは奇跡的なことだと言えるのではないか」と書いている。

 

沖縄報道 山田健太

沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票が2月24日に実施され、埋め立てに「反対」の得票が40万票を上回り、投票総数の7割を超えた。昨年9月の県知事選で、玉城デニー知事が獲得した約39万6千票をも上回り、新基地建設反対の民意がより明確に示された。【沖縄タイムス】

政府は県民投票の結果に逡巡するそぶりさえ見せず「結果が出る前から工事を進めると決めていた」と表明した。「理解が得られるよう丁寧に説明し・・」との嘘を吐き続ける。いままで沖縄の報道は全国に及ばず異国の出来事のように眺めていたのではないか。しかし、沖縄で起きていることは静かに私たちの頭上にも起こっていることだ。報道の自由度ランキングは2011年の鳩山内閣が11位で、安倍政権に変わってから坂道を転げ落ちるように順位を下げ、2017年には72位となった。先進国としては最下位で「報道は死んだ」といっても過言ではない。そんな中で沖縄の報道機関だけは正しく責務を果たしている。

報道を語るうえでまず新聞を題材とするが「紙の新聞はメディアのトップランナーたり得ない」と著者はいう。特に若年層はネットが一般的で、新聞社はネットでも発信しており、紙媒体が衰退しても、ひとまず新聞社は報道の中心に居続けている。

2016年12月13日、名護市で起きたオスプレイ機事故の報道でテレビ、新聞紙面によって事故を伝える用語が異なった。

  • 不時着:読売・産経・日経
  • 不時着し大破:NHK・フジ・テレビ朝日・日本テレビ
  • 大破した事故:毎日・朝日・TBS・琉球放送(TBS系)
  • 墜落事故:琉球新報・沖縄タイムス・沖縄テレビ
           琉球朝日放送(テレビ朝日系)

同事故を米軍準機関紙である星条旗新聞(Stars and Stripes)は墜落(CRASH)と表記しているので、沖縄のメディアがとくに大袈裟に表現しているわけではない。むしろ他のメディアの忖度ぶりに絶望さえ覚える。正しい言葉で現実を伝えない報道は「死んだ」というのが相応の評価であろう。忖度は安倍政権で顕著になるが、戦後から少しづつ報道機関への圧力が構築されてきた。1985年頃から表現の自由を謳歌するあまり、猥雑かつ低俗な番組が見られ、事件、事故の被疑者や目撃者を犯人扱いする報道もあり、市民社会からももメディアへの批判が高まった。これを利用するように政治が規制色の強い立法を企図していく。

有効な規制手段を手にした政府は、より強力な「圧力」をメディアに対して行使することになる。市民社会全体もこうした行政の圧力を否定することなく、時にはより強力な行政権の行使を求め、さらにこうしたなかで、次の立法措置を生むことに繋がっていった。立法・行政・市民社会間での相互作用による、表現規制の負の連鎖である。

沖縄は戦後から米国統治下として力づくで「不自由」を強いられてきた。メディア潰しの時代でも沖縄の人々は見捨てることなく、支える姿勢を貫いてきた。そこには沖縄の政治状況以外に豊かな沖縄文化が大きく介在する。全国チェーンの書店「ジュンク堂」の那覇店の2階へいくと、沖縄関連本のコーナがあり、沖縄各地域の方言、風習、習慣に関わる本、伝統の流歌、同人誌、文芸誌、沖縄関連の歴史、政治、経済などの雑誌や書籍が1万500千冊以上、常に陳列されている。これらは沖縄県内の書き手が書き、県内で読まれるという厚い活字文化が存在し、新聞もその延長線上にある。また、地理的に離れているため全国紙を沖縄で目にすることはほどんどない。県紙のシェアは五割を超え、全国紙との競争にさらされることなく、意識することもないのが特徴だ。

占領・施政下で、土地の強制接収に反対する島ぐるみ闘争を擁護するメディアは、当然、米国民政府から硬軟様々な圧力を受けた。しかし、住民とメディアが一体となっての抵抗によって、運動の激化を懸念した米国民政府は、1965年に緩和策として出版物の許可制を廃止せざるを得なくなった。

厳しい言論統制に大きな犠牲を払いつつ、ともに闘って自由を勝ち取ったことが、メディアと民衆の共通の基盤を作り上げた。沖縄県外の基地は一般に戦前、戦中からの軍用地などを使用しているが、沖縄は戦時、米国に軍事占拠された間に、強制的に土地を接取され今日に至っている。独立国家としての日本において、沖縄県の在日米軍基地はどのような根拠のもとに存在し続けるのか。ここに日米合同委員会の存在が浮かび上がる。メンバーは日米両政府の高官で構成され、日米地位協定25条により、施設及び区域に関する協議が行われる。ここでの議事内容はほぼすべてが非開示で、この委員会の決定が事実上、法と同様の効果を生み出す。

日米間の軍人と行政官による秘密会議で決まった内容が日米政府間の「密約」として、実定法を大きく逸脱するばかりか、憲法で保障された権利を大きく制約する事態を生んでいる。

沖縄の人々の自由や権利の守られ方が本土の日常とかけ離れているのは地位協定の由来することが多い。これは沖縄だけでなく本土でも生じており、報道の在り方は知ることを妨げているかもしれない。例えば米軍が管制する横田空域のため羽田空港の離発着が極めて不自然で危険なルートを強いられ、東京五輪を機に一部ルートを通過できるよう合意したという報道があった。地位協定は全国に及ぶものだが特に基地の密集度の高い沖縄は日常茶飯事に問題が起こる。協定では思いやり予算で基地の維持・管理・運営費を負担、米兵は入国管理法を免除され出入国自由で米軍基地経由で日本国内を自由に往来できる。さらに治外法権が与えられ、事故や事件を起こした米兵へ損害賠償の支払いを求めても、実質日本政府が支払っている。こういったことが密約で決められ恣意的かつ杜撰に運用される。

日本が主権を回復した後も、引き続き沖縄は米国の占領地として日本から切り離された。日本はおろか米国の憲法も適用されず、最低限の基本的人権も法的に保障されなかった。そのため住民の意思を反映させる機能が存在せず反対運動もできなかった。2014年の沖縄知事選で故翁長知事が基地反対の公約を掲げて51.7%の得票率で当選した。これが事実上、沖縄県内で法的手続きに則った正式な意思表示となった。

辺野古新基地建設に反対する人々を「非国民」扱い、場合によっては「テロリスト」と断じるなどし、現在の沖縄における大多数の県民感情を逆撫でする行為だ。インターネット上では、日本政府の方針に反対するなら「日本から出ていけ」などの罵詈雑言が溢れる。

在日コリアンを差別するのと同様のヘイト言説が大手メディアに広がり、一般市民の間に受け入れられる現実がある。政治家や著名人もこうした言動を繰り返すため負のスパイラルが出来上がっている。反論や誤認の指摘があるにも関わらず「沖縄紙は潰せ」の発言を繰り返す作家も出てきた。沖縄紙が偏向しているという批判もあたらない。読者はほとんど地元住民で、6〜7割が地元ネタになる宿命だ。例えば福島県の新聞は原発・放射線関連のニュースが大きな割合を占める。

公権力と市民の関係の中で、両者の発言が「どっちもどっち」はありえないのであって、市民に最大限の表現の自由が憲法上保障されているのに対し、公権力側には自由な表現が許される余地はなく、同時に多少の罵詈雑言も含めて受け止める関係にあるということになる。

政府や権力者側から「公平な報道を..」と要請する。これは即「政権を忖度せよ」という強制に他ならない。権力を持つものと市民の関係は親と赤子のようであるのが憲法の精神だ。力も経済力もある親が赤子を虐待するに等しい。市民が酒席でするような些細な発言でも、政治家や官僚がすれば厳しく問われるのは当然だ。この区別もつかず、不祥事の責任もとれない政治家が政府のNO2に居座る。沖縄が闘っているものはかつては米軍であり、国民の無関心であったが、いまは日本政府や、本土の偏見、県民の亀裂である。

沖縄メディアとりわけ地元二紙は、あえていえば「怒りのメディア」ということができる。それが、通常は本土紙を目にする者にとって、強い違和感を生じしめ、場合によってはそれを「偏向」と呼ぶ者がいるという構造を担っている。

メディアは中立公正、不偏不党でなければならないというのは幻想だ。偏向報道が許されないのであれば「権力におもねる」に等しい。ジャーナリズムに「公正」は大切だが「真ん中」、「中庸」という意味ではなく、社会に埋もれがちな小さな声を拾うことや、弱い者の側に立つことを指す概念である。2009年、エルサレム賞授賞式での村上春樹のスピーチを思い出す。「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

 

身体知性 佐藤友亮

ものごとを知り、考え、判断する能力を知性といい、人の3つの属性である知情意の1つだ。日常生活は知情意が混在し境界も実態も曖昧だが、西洋医学では基本姿勢として自然科学の知を重視する。東洋医学や代替医療は科学を語り利用するものの、科学の俎上に乗せ十分な検証がなされたものは少ない。

西洋医学は、分析を通して「分かったこと」と「分からないこと」を明確に分けます。そして西洋医学は、「分かったこと」が何なのかを曖昧にさせないために、使用する言葉の定義を厳密にしています。また安易な推論によって断定することを避ける傾向があり、言葉の選び方が慎重です。西洋医学が持つ、語義と言葉選びへの厳しい態度は、西洋医学の言葉遣いと、患者(非医療者)の生活する一般社会の言葉遣いとの間に、見えない壁を作っています。

西洋医学のすべてが明不明をはっきり分け、定義を厳密にしているのではない。これは理想であって誰もが厳しい態度で臨むことはできない。分からないことの多い医療において、「分からない」で済めばいいが、患者は納得しない。ありたけの知識を動員して平明かつ医学常識を逸脱しない説明が必要になる。それに比べ代替医療の治療家は気や経絡、波動や背骨の歪みに原因のすべてを求め、「西洋医学とは違った体系でやっている」とさえ言えば事足りる。

目の前の患者に対して二種類の「分からないこと」がある。科学的に分析し理解できないことと、予測が不可能ということだ。そのうえで医師は過去の臨床経験や臨床研究から、患者の状態や予後を説明しなければならない。

端的に言うと西洋医学は分析性の隙間を、生身の人間としての医師の存在、あるいは、医師の身体性によって埋めているのです。

科学的分析に基づく医学的判断は普遍性と再現性を有し、どの医師が診ても同じ判断を確実に行う。しかし医療現場の臨床判断は科学的分析だけでは太刀打ちできない。そこで一個人としての医師の身体性が需要になる。著者のいう「身体性」とは医師の経験や感情という個別の歴史のことだ。西洋医学は科学的分析とともに経験に基づく実践法が複雑に絡み合う体系であり、医師は身体の中に詰め込んだ医学的スキルを駆使して医学的判断を積み重ねる。

臨床現場における医師の思考や判断は、病歴、身体所見、血液検査などを組み合わせて瞬時に行うパターン認識だという。経験に基ずく「近道思考」と言いかえてよい。熟達した職人や料理人、あるいは芸術家の仕事にも似ている。昔、昭和漢方を代表する名医の勉強会に出席したが、「漢方はアートだ!」と熱く語られた。初学者の私にとっては神のごとき存在であったが、トイレ休憩のとき偶然並んで用を足すことになった。「きょうは寒いね」と声をかけられ、神様も小便をするのかと妙に安心したことを思い出した。近道思考では分析と判断の間にショートカットが起り、早い決断には便利であるが慣れると分析に基づく論理的思考が疎かになる。近道思考のリスクを回避するには自覚的な臨床判断を心がけ高位から俯瞰するように観察・認識する。これはソクラテスが賢者の思考とした「無知の知」というメタ認識に通じる。

東洋医学は科学的背景が乏しいため、名医をして「漢方はアートだ」と言わしむるほど身体感覚を重視する。気や経絡という独自の物語を持ち、体を観察し病気の診断・治療を行う。たとえば西洋医学による腹診は皮膚の下に収まる臓器の状態を、医師の頭の中にある解剖学的知識と照らし合わせ臓器の状態を分析するが、東洋医学では臓器と病態を全人的に把握する。

西洋医学的な立場だけに立って、「東洋医学は、科学的に証明されていないことを行う乱暴な医学だ」というような批判をするのはお門違いでしょう。西洋医学も、分析が十分には及ばない疾患に対して、絨毯爆撃のように全身に抗がん剤を投与したり、役に立たなくなった臓器を他人のものに換えたりと、ものの見方にによっては十分に乱暴な医学なのです。

著者は合気道を通し、武道と医療における身体感覚の意義を語る。多くの武道には段位があり、精神性も含めた熟達度の指標となる。段位の高低にも関わらず、修練を積んでも、快心の技が発揮できるとは限らない。人によって時によって相手によって、とうとう納得の技を繰り出せないまま終わることもある。武道は精神性が重視され、とくに合気道は他の武道と異なり試合を行わない。心法武術といい、心のコントロールがパフォーマンスの質を高めると考える。外部刺激に反応した身体が中枢的命令を介さず、自律的に動くことを非中枢的身体といい、この境地に達するように稽古を積む。

荘子の寓話に庖丁という料理人の話がある。梁の文恵君のために牛の解体を行ったところ、庖丁は舞う如く牛刀を振るい、牛は曲を奏でるかのごとく音を立てた。これに感動した文恵君が技の巧みさを讃えると、庖丁は牛刀を置いて答えた。「私がやっていることは道というものであって技よりも一歩進んだものです。解体を始めたころは牛の姿が目についていましたが、3年すると牛の姿が目につかなくなりました。いまでは心を以て牛に向かい、目で見ることを致しません。手足は自然に動き、すべての動作を心にまかせています」 。これに似た寓話は春秋左氏伝の「病入膏肓」や史記の「扁鵲」にもみられ、「技は頭で習って覚えるのではなく、体得せよ」という教訓の原典だと考えられ、著者は「非中枢的身体」という。

私は、臨床医として過ごしている間に、漢方などの東洋医学を先入観だけで否定する医師たちに何度か出会いました。現在では進行がんの診療などの場面において、漢方や鍼灸といった「補完医療」が重視されるようになっていますから、かつてのように、東洋医学を先入観だけで否定する医師はあまり見かけなくなりました。

私はもっと違った身体論を期待して本書を読み進んだが、医療者の心身のコンディショニングに注意を払うことの意義が論点だった。再認識はできたが、分かりきったことを難しく回りくどく繰り返し聞かされてしまった。技は盗め、経験を積め、体で覚えよ..など、あらゆる職種に普遍的に語られることで、ことさら科学と対置して論じることだろうか。一歩先を歩く先輩のアドバイス、有り難く拝聴致しました。

私が期待した身体論というのは、いままで脳が体をコントロールする中枢と考えられてきたが、最近、肝臓や腎臓、胃腸など臓器が脳をコントロールするのではないかとの報告を耳にする。東洋医学の五行説で語られる仮説と錯誤しかねないが、興味は尽きない。

代替医療が科学らしき装いで語る理論がある。ホログラムといい、部分に全身の縮図があると考える。東洋医学の腹診では腹部に全身が表象されるとして、丹念に按圧し、全身の情報を得る。虹彩にこれを求める虹彩診断、手掌や足裏、耳、指..あらゆる身体パーツに全身の情報があるとして診断・治療をおこなう。脈拍や指、腕の力で診断する方法もこれに列伍する。理屈は難解なので、「こんな説があるらしい」くらいの説明しかできない。診断が終われば、その部分を刺激して全身を治す。耳針、足裏マッサージ、珍しいのでは生きた蜜蜂の針でツボを刺す治療もある。代替医療の根拠というのは怪しさに満ちている。無計画な疫学のようなもので、使った治ったの数をカウントするだけで真の効果など闇の中だ。経験による身体感覚、身体知性では済まされないが、済ましているのが現状だ。

 

代替医療解剖 サイモン・シン エツァート・エルンスト 青木 薫訳

8年ほど前、代替医療のトリックという本をとりあげた。それから5年後、タイトルを代替医療解剖と変えた文庫版がでた。訳者あとがきに、「この5年間に二つの興味深い出来事があった」と書かれている。まず、著者のサイモン・シンが英国カイロプラクティツク協会に名誉毀損で訴えられた。シンがガーディアン紙のウエブ版コラムで、子どもの腹痛や喘息などを治療できるとして子供に施術しているカイロプラクターがいると述べた。このことで協会側は、シンの書きぶりはまるで協会の指導部がそれと知りつつインチキ療法を許しているかのように受けとられる、という理由で法廷に訴えた。イギリスではこういった場合名誉毀損で訴えられるとまず勝てない状況であった。国連の人権委員会も、イギリスの名誉毀損法は「公共の利益に関わる問題についての報道を妨げ、(中略)研究者やジャーナリストに仕事の公表をためらわさせている」と警告するほどだ。

訴えられた科学者やジャーナリストは裁判のため多大な時間とエネルギーを取られ、費用も負担しなければならない。一審は予想されたとおりシンが敗北したが、その判決のあと科学者やジャーナリストをはじめ著名な司会者やコメディアンなど芸能人までもがシンの応援に立ち上がった。その活動のひとつに、科学的根拠のないまま治療効果を謳い、子供に施術しているカイロプラクターを見つけ出し告発するキャンペーンがおこなわれた。

カイロプラクターのなかには腹痛、喘息、泣き、ぐずりのほか関節炎から学習障害まで、さまざまな症状を治せるとして子供への施術をおこなう者がいた。首の骨格のゆがみをうつ病などの精神疾患と関連付けるウエブサイトもある。カイロプラクティック協会は所属する会員800名に次のような内容のメールを送った。

ウエブサイトで治療を宣伝している者は、サイトを閉鎖すること。協会作成のパンフレットで、ムチ打ち症や、腹部を始めとする子どもの病気を治療すると述べたものを撤去し、追って通達するまで使わないこと。

最終的に英国のカイロプラクターの4人に1人が取り調べの対象になり、控訴審ではシンの主張が認められた。カイロプラクティック協会は名誉毀損の訴えを取り下げ、裁判はシンの勝利に終わるが、勝利したとはいえブログ記事のわずかな言葉のため二年の歳月と20万ポンド(約3000万円)の出費を強いられた。

もうひとつ、プラシーボ効果の研究が大きく進展した。その中心にいる研究者は米国のテッド・カプチャックで、鍼灸を学びボストンで治療院を営んでいた。よく効く治療と人柄で評判が高かったが、不思議な現象が気になっていた。鍼を打つ前から、患者の症状が軽快してしまうことがしばしば起り、そこに何か別のプロセスが働いているのではないかと考えた。カプチャックは科学的アプローチを精力的に学び始め、研究者として頭角を現し、現在はハーバード・メディカルスクールの教授でプラシーボ研究プログラムの中心人物になっている。

プラシーボ効果の研究テーマとして次の3つが浮かび上がった。

  1. プラシーボ効果の生理学的基礎を明らかにする
  2. プラシーボ効果が起きる条件と、その限界を明らかにする
  3. プラシーボの薬や治療によく反応する人としない人を、あらかじめ識別することができるかどうか明らかにする

1)については1970年代頃から、脳内神経伝達物質のエンドルフィンが働かないようにするとプラシーボ反応が起こらなくなることが知られていた。偽薬や偽治療の効果が脳内化学物質の働きと結びついていることを示唆するものだ。エンドルフィンの他、快感や満足感を引き起こすドパミンが脳内で放出されることがあり、アヘンやモルヒネのような鎮痛効果のある物質と同じ神経経路で作用する物質があることも確かめられた。逆に、4分の1ほどの被験者にノーシーボ効果という副作用が見られた。治療には副作用が伴うという不安があれば、副作用にありがちな頭痛、吐き気、不眠、疲労感を訴える者がいて、人によっては強く顕著な反応を起こす。

2)のプラシーボの限界についての興味深い研究がある。喘息患者に対する対照研究において本物治療群でも偽治療群でも改善すれば、呼吸測定器においても改善がみられると予想していた。しかし、偽治療群では数値の改善が認められず患者の主観的な、いいかえると気持ちだけしか改善していなかった。プラシーボのみ頼っていると患者は実体のない安心感を抱いてしまい、必要な治療が手遅れになる恐れがある。

3)についてカプチャックらの研究によると、ドパミンの放出に関係する遺伝子に特定のタイプの変異を持つ人は、そうでない人に比べ偽鍼による治療に反応しやすい。DNAレベルでの基礎があれば新薬開発の臨床試験でもプラシーボよりはるかに大きな効果があることを示さねばならない。プラシーボ反応を起こしやすい被験者を知り、臨床試験の手続きに反映させることで試験の規模や費用、期間の大幅な削減につながるかも知れない。

カプチャクは「プラシーボで、がんを縮小させたり、ウイルスと戦ったりすることはできません」という。しかし、比較的軽い症状や慢性病には、プラシーボ効果が大きな力になってくれるだろう。また、プラシーボ効果の研究は、医師と患者の相互作用にも科学の光を当ててくれるに違いない。「私たちは、医術を、医療の科学に変えていかなければなりません」

プラシーボで効果を感じても数値に改善は認められなかった。「がんを縮小させたり、ウイルスと戦うことができない」というならば、プラシーボと代替医療の限界が露呈する。代替医療を求める理由の多くは「がんを治したい、がんにかかりたくない」からだ。代替医療の治療家は「がんは治る」と安易に言いすぎていないだろうか。その先にあるものは金銭の負担と、安心の代償として必要な治療から遠ざかる。しかし侵襲治療からも遠ざかり命長らえることがある。ささやかながら代替医療の利点であろう。

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ワラをもつかむ思いで代替医療の誘惑に駆られる。しかし、限界がありひとときの気休めに終わるかもしれない。代替医療がどのように接近し、どのような手法で勧誘や治療を展開するのだろうか。

【代替医療の診断法】
通常医療で行われる診断法を用いることもあるが、独特の診断法もある。流派によって名を変えたものがあるので本質を見極めることが必要だ。

  • バイオレゾナンス:患者の身体から出るという電磁放射と電流を電子的に記録することにより、アレルギーからホルモンの乱れまで、あらゆることを診断する。治療にも利用し、患者の身体から出る電気的信号を正常化したのち、患者の体に戻す。
  • 虹彩診断法:眼球の虹彩上の点はすべて、どれかの器官に対応しており、虹彩の不規則性は、その位置に対応する器官に問題があることを示す。
  • キネシオロジー:手で触れて筋肉の強さを調べる。筋肉の強さから、内臓の健康状態がわかる。
  • キルリアン写真術:高周波の電流を患者の身体にかけて放電させると、カラフルで印象的な画像が得られ、人体の健康状態を示す。
  • ラジオニクス(電子心霊感応法):身体のエネルギー振動を検出するというもので、振り子や占い棒、電子装置を用いる。
  • ベガ診断:電子的な診断装置で、これを用いる代替医療セラピストは多い。アレルギーからガンまで、様々な病状が検出できるという。

こうした診断法はほとんどすべて、方法とその基礎となる考え方に信頼性がないため、正確な診断ができるとは考えにくい。厳密な検証も行われており、信頼性の高い研究によって効果がないことが示されている。再現性という観点からも信頼できず、10人の施術者がいれば10通りの結果がでる。ありもしない病気の診断が下されたり、不正に利用されることがあるので、こういった診断法は危険である。

【代替医療の食事法】
代替医療のなかには、一般的な知識とは相容れない食事療法が何十種とあり、健康について根拠のない主張をしている。食事療法は流行り廃りが激しく、ひととき注目を浴びたのちに人気がなくなるものが多い。例えば、アーユルヴェダー食事療法、ゲルソン療法、ケリー食事療法、クースミン療法、マクロビオティック、マクドゥーガル食事療法、モアマン食事療法、プリティキン食事療法、スワンク食事療法..個々の食事療法についてはほとんどデータが得られていない。科学的根拠が得られている場合でも、たいていその根拠は大きな欠陥を抱えている。

代替医療の食事療法のなかには、患者を栄養不良に陥らせるものがある。十分なカロリーとバランスの取れた食事が必要な重症患者ではとくに問題だ。制約を守ることができない患者に罪の意識を抱かせることがあり、そのことで患者の生活の質が低下する。

【代替医療の運動療法】
一般的なスポーツや理学療法の一環として行われる運動療法に比べ、代替医療の運動療法に関する研究ははるかに少ない。しかし、有望な結論が出始めたものもある。ヨガは食事や瞑想をはじめライフスタイル全般に関わり、心血管系のリスクを低減する効果が示されている。太極拳は身体のバランスを良くし、高齢者の転倒を防止したり、心血管系の状態を向上させるなどの効果があるが、一般的に行われる運動療法の効果を上まわるという有意の科学的根拠はない。一般的なものであれ代替医療であれ、継続的な運動が健康と暮らしの向上に役立つ。

【代替医療の装置類】
代替医療の装置類が増加しているが共通点は少なく、唯一共通するのは基礎となる理論が主流の科学とは相容れないことだ。電磁波から守ってくれるという銅のブレスレット、ヒーリング力を持つクリスタル装身具、体の毒を出すというフットバスなど。こうした装置に効果があることを示す根拠の多くは「使って良かった」という顧客の声や専門家の推薦だけだ。専門家は科学的用語をちりばめ少し難しく語りかけるが、科学の素養がある人ならニセ科学であることが容易に見抜けるだろう。

 

日本が売られる 堤 未果  

2018年師走、この年の世相を表す漢字に「災」が選ばれた。北海道や大阪の地震や西日本豪雨や台風等が理由とされた。報道があるや否やネットで「理由の一番が抜けている」との論調が流れた。安倍政府の閣僚、官僚一味のウソとデタラメが国に最大の「災」をもたらしている。入管法、水道法、農水産業の存立に関わる漁業法、種子法など、年末の臨時国会であわただしく強行採決された。これらすべてが「国をたたき売る」もので「災」と言わずしてなんと言おう。ゴーン氏の私生活を暴くような報道に隠され成立してしまった後で、「なんぞや?」と思った人が多数であろう。とりわけ「水」は光や空気、食とともに命を繋ぐ必須のもので、災いの度は極めて深刻だ。

水道事業を「民営化」しやすくする水道法改正案が4日、参院厚生労働委員会で与党などの賛成多数で可決され、週内にも成立する見通しとなった。(中略)争点の民営化の手法は、「コンセッション方式」と呼ばれ、自治体が施設や設備の所有権を持ったまま運営権を長期間、民間に売却できる制度。改正案では、導入を促すため、自治体が水道事業の認可を手放さずに導入できるようにする。海外では水道の民営化が広がる一方、水道料金の高騰や水質が悪化する問題が相次ぎ、近年は公営に戻す動きが加速している。(12/4:朝日新聞デジタル)

問題が起これば再公営化できるなど嘘だ。12/30にTPPが発効され、そこに盛り込まれたラチェット条項では「一度民営化されたものは再公営化に戻してはならない」ことになっている。

今私たちは、トランプや金正恩などのわかりやすい敵に目を奪われて、すぐ近くで息を潜めながら、大切なものを奪っていく別のものの存在を、見落としているのではないか。

本書の扉に「ドナドナ」の訳詞が掲げられていた。子牛が荷馬車に揺られ、市場へ売られていく歌である。本は3章からなり、「日本人の資産が売られる」、「日本人の未来が売られる」、「売られたものは取り返せ」で結ばれる。国土交通省が発表している水道水が飲める地域は、アジアでは日本とアラブ首長国連邦のみ、その他はドイツなど15か国だ。日本は水道普及率97.9%で「水と安全はタダ」といわれるほど金持ちも貧乏も関係なく蛇口をひねれば清浄な水が24時間出てくる。しかし昨夏の豪雨災害では20万戸以上が断水し、土砂やトイレが流せない、風呂に入れない等の過酷な二次災害に襲われ、水が飲めず熱中症で死亡する人も出た。「水がなければ生きられない」、命のインフラ「水道」は同時に巨大な金塊であり、ビジネスにすると驚異の利益を産み出す。「20世紀は石油を奪い合う戦争だったが、21世紀は水をめぐる戦争になるだろう」

水は21世紀の超優良投資商品となり、公営から民営になったとたん「値札のついた商品」になる。運営権を手に入れた民間企業がまずやることは料金の改定だ。世界の事例をみると民営化後の水道料金はボリビアが2年で35%、南アフリカが4年で140%、オーストラリアが4年で200%、フランスは24年で300%上昇している。民営化で米資本のベクテル社に運営を委託したボリビアでは採算の取れない貧困地区の水道工事は一切行われず、住民が井戸を掘ると「水源が一緒だから勝手に盗るな」とべクテル社が井戸使用料を請求する。水を求めて公園に行くと、ベクテル社が先回りし水飲み場の蛇口を使用禁止にする。バケツに汲んだ雨水にまで1杯ごとに数セントを徴収した。

株式会社の最大の役目は、株主に投資した分の見返りを手渡すことだ。与えられた使命を全力でこなすベクテル社に対する株主たちの信頼は厚い。追いつめられ汚れた川の水を飲んだ住民が感染症でバタバタ死亡する間も、運営権を持つベクテル社の役員や株主への報酬は、止まることなく確実に支払われていた。

多国間開発銀行は財源不足の水道を抱える国に対し、まず公共水道事業の一部を民間企業に委託させ、それから水道の所有権や運営権を企業に売却できるように法改正させる。水道だけではない、「民営化こそが解決策だ」とのキャンペーンを展開し医療、農業、教育などの民営化を世界各地へ広げる。水道法が可決されてわずか5日後に早速懸念される事態が報道された。

雫石町長山岩手山の住宅やペンションなど35軒に水道を供給するイーテックジャパン(仙台市青葉区)が、住民に新たな料金負担をしなければ水を供給しないと通知し、地域が混乱している。同社は経営悪化を理由に、井戸水をくみ上げるポンプの電気料金負担を住民に求める。生活に不可欠な水の危機に住民は困惑。国会では自治体の民間委託を可能にする改正水道法が成立したが、民間業者の対応が波紋を広げる。(2018.12.09:岩手日報社)

民営化を拒否する自治体もあるが、民営化を進める大阪市では二度に渡って市議会で否決された。それなら国政が後押ししようと、竹中平蔵氏や麻生太郎副総理の主導で法改正がどんどん進められた。2018年5月、企業に公共下水道の運営権を持たせるPFI法を促進する法律が可決する。自治体が水道を民営化しやすいよう、企業に運営権を売った自治体は、地方債の元本一括繰り上げ返済の際、利息が最大全額免除されるようにした。日本の自治体はどこも財政難で借金返済軽減というニンジンをぶら下げられると簡単に食いつく。水道料金は電気料金と同じく「原価総括方式」で、かかった経費をすべて水道料金に上乗せが可能だ。加えて水道はその地域を一社が独占できるため設備投資、維持費などあれこれ理由をつけて値上げされると、なすすべがない。驚くことに、「上下水道や公共施設の運営権を民間に売る際は、地方議会の承認不要」という特例も法律に盛り込まれた。

国政が水道民営化を後押しするこの法案の可決から1カ月後の2018年6月、大阪市は市内全域の水道メーター検針・計量審査と水道料金徴収業務を、仏ヴェオリア社の日本法人に委託した。宮城県も2020年から、県内の上下水道運営権を民間企業に渡す方針だ。静岡県浜松市は、2017年に国内初の下水道長期運営権を仏ヴェオリア社に売却し、20年の契約を結んでいる。熊本県合志市、栃木県小山市も後に続いた。今後この動きは、全国でスピーディに広がってゆくだろう。

マスコミは水道を巡る様々な法案が可決されるまで沈黙し、仕上げ法案の可決後に重い口を少し開き、語り始めた。水道料金回収率99.9%の日本の水道事業は30兆円の価値を持つ「日本の資産」だ。土が売られる、タネが売られる、ミツバチの命が売られる、食の選択肢が売られる、牛乳が売られる、農地が売られる、森が売られる、海が売られる、築地が売られる、労働者が売られる、日本人の仕事が売られる、ブラック企業対策が売られる、ギャンブルが売られる、学校が売られる、医療が売られる、老後が売られる、個人情報が売られる、すべて「そんなバカな!」と悲鳴をあげるような日本のたたき売りだ。売られていく日本の資産は山ほどあり、政治家や官僚、周辺に群れるシロアリはいかほどの余沢にあずかるのか。目先の利益でたたき売れば、やがて自分にも「災」が及ぶという想像力がない。

いまの内閣が粗暴で幼稚であったがために露見したが、遡れば戦後政治の本質ではなかったのか、地方議員に至るまで長いものに巻かれ、お仲間と目先の利益で国を売って利益を得る。こういった政治家を議会へ送り込むのは国民であり、「災」のもう一つは国民の政治に対する無気力と無関心にある。国民やマスコミの応援で今年予定される選挙も勝ち抜き、国がなくなるまで居座るつもりだ。

 

 

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